7世紀
1 | |
6 | |
600 650 |
7
できごと
[600年代
[- 601
年 - 602
年 - 603
年 -新 羅 攻撃 を中止 する。豊浦 宮 から小 墾田 宮 に遷る。冠 位 十 二 階 を制定 する。 - 604
年 - 605
年 - 606
年 - 607
年 - 608
年 - 609
年 小野妹子 ら帰国 する。教皇 ボニファティウス4世 がローマのパンテオンを聖母 と諸 聖人 のための聖堂 として改 めて奉献 する。
610年代
[- 610
年 - 611
年 -隋 が高句麗 遠征 を開始 ( - 614年 )するが、失敗 に終 わる。 - 612
年 -百済 人 味 摩 之 により日本 に伎楽 が伝 えられる。 - 613
年 - 614
年 - 615
年 -隋 の煬帝が雁 門 で東 突厥の始 畢可汗 に包囲 される。 - 617
年 - サーサーン朝 が東 ロ ーマ帝国 の首都 コンスタンティノポリスを包囲 する。 - 618
年 -江 都 (揚 州 )にて煬帝が宇文 化 及・司馬 徳 戡に殺害 され隋 が滅亡 する。 - 618
年 頃 - コンスタンティノポリスでの都市 民 への穀物 支給 の廃止 (「パンとサーカス」の終焉 )。
620年代
[- 620
年 -東 ロ ーマ帝国 で公用 語 をラテン語 からギリシア語 に変更 する。 - 621
年 - 622
年 - 623
年 - 624
年 - 625
年 - ウフドの
戦 いでメッカ軍 がメディナ軍 に勝利 。 - イングランド
東部 イースト・アングリアのサットン・フーの船 葬 墓 からこの年 の銘 の金貨 が出土 している。
- ウフドの
- 626
年 - 627
年 - 628
年 推古天皇 が死去 、その墓 は山田 高塚 古墳 (磯 長 山田 陵 )と伝 わる。真 臘のイシャーナヴァルマン1世 が扶南を滅 ぼす。- フダイビーヤの
和議 。ハイバル征服 。 東 ローマ皇帝 ヘラクレイオスがサーサーン朝 の都 クテシフォンを陥落 させる。- サーサーン
朝 のホスロー2世 が暗殺 され、息子 カワード2世 はヘラクレイオスと和睦 、サーサーン朝 の占領 地 は返還 される。 - カフカス・アルバニア
王国 のヴァラズ・グレゴール王 が独立 する。
- サーサーン
- 629
年
630年代
[- 630
年 - 631
年 -唐 の魏 徴 らにより『群 書 治 要 』が編纂 される。 - 632
年 -別離 の巡礼 の後 にムハンマドが死去 。遺体 は預言 者 のモスク(マスジッド・アルナバウィ)の墓 に葬 られる。- アブー・バクルが
後継 のイスラム指導 者 である初代 カリフに選 ばれる。 後継 カリフの選出 をめぐりリッダ(背教 )の戦 いが起 こる( - 633年 )。
- 633
年 - イスラム教徒 のペルシア征服 が始 まる。 - 634
年 - アブー・バクル死去 により第 2代 カリフにウマルが選 ばれる。 - 634
年 頃 - チャールキヤ朝 のプラシーケン2世 がナルマダー川 の戦 いでハルシャ・ヴァルダナの軍 を破 り南 インドの独立 を維持 する。 - 635
年 以前 - クブラト・ハンにより黒海 北岸 のタマン半島 のファナゴリアを中心 とする大 ブルガリアが成立 する。 - 635
年 - ティカルの
王子 バラフ・チャン・カウィールがドス・ピラスの支配 者 になる。 - ノーサンブリア
王 オスワルドの招 きにより、エイダンがリンディスファーン修道院 を設立 する。 - ペルシア
人 司祭 の阿 羅 本 らにより唐 にキリスト教 ネストリオス派 (景 教 )が伝 えられる。 唐 の李 靖 が吐谷渾を征討 する。
- ティカルの
- 636
年 - ヤルムーク
河畔 の戦 いで、皇帝 ヘラクレイオス率 いる東 ロ ーマ帝国 軍 がイスラム帝国 軍 に惨敗 。東 ロ ーマ帝国 はサーサーン朝 から奪回 したシリアの領土 を再 び失 う。
- フランク
王 ダゴベルト1世 により王家 の墓所 となるサン・ドニ教会 がパリ近郊 に設置 される。
- ヤルムーク
- 637
年 - カーディシーヤの
戦 いで、サーサーン朝 がイスラム軍 に敗 れ、都 のクテシフォンを占領 される。 唐 で「貞 観 律令 」が施行 される。- 舒明
天皇 9年 のこの年 、轟音 を伴 う流星 が確認 される、僧旻 はこれを「天狗 」と呼 ぶ。
- カーディシーヤの
- 638
年 - 639
年
640年代
[- 640
年 - 640
年 頃 中部 ジャワにシャイレーンドラ朝 が成立 。
- 641
年 - 642
年 - ニハーヴァンドの
戦 いでサーサーン朝 がイスラム帝国 に大敗 する。 - レイでスィヤーワフシュを
首領 とするゾロアスター教徒 の反乱 が起 きる。 - フスタートにアフリカ
大陸 最古 のモスクであるアムル・イブン・アル=アース・モスクが建立 される。 第 35代 皇 極 天皇 即位 。船 氏 王 後 墓誌 (三井 記念 美術館 蔵 )が作成 される。高句麗 の淵 蓋 蘇 文 が栄 留 王 を弑害し、宝蔵 王 を擁立 。
- ニハーヴァンドの
- 643
年 - 644
年 - 645
年 - 646
年 - 647
年 - ハルシャ・ヴァルダナ王 の死 によりヴァルダナ朝 の支配 が崩壊 し、北 インドは混乱 状態 になる。唐 の使節 王 玄 策 らが北 インドでアラナシュの反乱 に遭遇 、吐蕃らと協力 してアラナシュを捕縛 し唐 に連行 する。
- 648
年 -東 ローマ皇帝 コンスタンス2世 が「テュポス」を発布 。 - 649
年 -蘇我倉山田石川麻呂 が讒言 により山田 寺 にて自害 する。
650年代
[- 650
年 頃 スマトラ島 にシュリーヴィジャヤ王国 が成立 。
- 650
年 内 モンゴルの東 突厥の旧領 フフホト付近 に瀚海都 護 府 (後 の単 于都護 府 )を設置 。
- 651
年 - 652
年 - 653
年 - 654
年 西 ゴート王 レケスウィントが属人 法 を廃止 し「西 ゴート法典 (リベル法典 ・裁判 法典 )」を公布 する。
- 655
年 - 656
年 - ウスマーンが暗殺 され、アリーが第 4代 カリフに選出 される。 - 657
年 唐 軍 により沙 鉢 羅 可 汗 が捕 えられ西 突厥が唐 の羈縻政策 下 に置 かれる。高 宗 のこの時期 に唐 の領土 は最大 となる。- スィッフィーンの
戦 い、アリーとムアーウィアの間 で勝敗 はつかず。- ドゥーマト・アッ・ジャンダルの
和議 が結 ばれるが、アリーからハワーリジュ派 が離反 。
- ドゥーマト・アッ・ジャンダルの
- 658
年 - 659
年
660年代
[- 660
年 新 羅 と唐 の連合 軍 (唐 ・新 羅 の同盟 )が百済 を滅 ぼす。唐 で「皇帝 」と「皇后 」をそれぞれ「天皇 」と「天 后 」に改名 。
- 661
年 - 663
年 - 664
年 - 665
年 頃 - クブラト・ハンが死去 し大 ブルガリアの部族 連合 が崩壊 する。北方 のヴォルガ川中 流域 にはヴォルガ・ブルガール人 、西方 のバルカン半島 にはドナウ・ブルガール人 が拡大 する。
- 666
年 -唐 の高 宗 が武 后 とともに泰山 にて封 禅 を行 う。 - 667
年 -中大兄皇子 が近江 国 近江 宮 (大津 宮 )へ遷都 ( - 672年 )。 - 668
年 - 669
年
670年代
[- 670
年 - 671
年 - 672
年 - 673
年 - ウマイヤ朝 海軍 がキュジコス半島 を前線 基地 として確保 。 - 674
年 - キュジコス半島 からウマイヤ朝 海軍 が東 ロ ーマ帝国 首都 コンスタンティノポリスを包囲 。 - 675
年 天武天皇 が日本 で最初 の肉食 禁止 の詔 を出 す。竜 門 石窟 の奉 先 寺 洞 毘盧遮那仏 が完成 する。
- 676
年 - 伎伐浦 海戦 で唐 を破 った新 羅 が朝鮮半島 を統一 。 - 678
年 -西安 から出土 した百済 系 将軍 「禰軍」の墓誌 (拓本 )にこの年 の唐 の年号 「儀 鳳 3年 」と最古 の「日本 」という国号 の記述 が見 られる。 - 679
年 -唐 がタリム盆地 のスイアブを占領 、碎葉鎮と改称 し、安西 四 鎮の一 つとなる。- スイアブはかつての
西 突厥の根拠地 で、キルギス共和 国 のアク・べシム遺跡 がそれに当 たる。
- スイアブはかつての
680年代
[- 680
年 - 681
年 - 682
年 - 683
年 - 683
年 頃 -天武天皇 の下 で富本 銭 が発行 される。 - 684
年 - 685
年 - ムフタールの反乱 。 - 686
年 -天武天皇 が死去 し、第 41代 持 統 天皇 が即位 。大津皇子 が謀反 の疑 いで処刑 される。 - 687
年 - テルトリーの戦 いで、アウストラシア宮 宰 ピピン2世 (中 ピピン)がネウストリア宮 宰 ワラットを倒 し、フランク王国 の実権 を握 る。 - 688
年 -東 ローマ皇帝 ユスティニアノス2世 とウマイヤ朝 カリフのアブドゥルマリクとの間 でキプロスを共同 統治 することに合意 。 - 689
年 -飛鳥 浄 御 原 令 を発令 。
690年代
[- 690
年 戸 令 により庚 寅 年 籍 をつくる。第 1回 伊勢神宮 内宮 式年 遷宮 。唐 で高 宗 の皇后 (則 天武 后 )が自 らを聖 神 皇帝 と称 し「天授 」と改元 する。東 ローマ皇帝 ユスティニアノス2世 の命 によりパウリキアヌス派 の創始 者 であるアルメニア人 コンスタンティノス・シルヴァノスが火刑 に処 される。
- 691
年 則 天武 后 が「仏 先 道後 」の国是 を定 め、仏教 保護 政策 を進 める。唐 僧 義 浄 による『南海 寄 帰 内法 伝 』が完成 する。東 ローマ皇帝 ユスティニアノス2世 がトゥルロ教会 会議 を開催 する。
- 692
年 - ウマイヤ
朝 カリフのアブドゥルマリクによりエルサレムの岩 のドームが完成 する(688年 - )。 - セバストポリスの
戦 いで、ウマイヤ朝 軍 が東 ローマ軍 を破 る。
- ウマイヤ
- 693
年 - ウマイヤ朝 カリフのアブドゥルマリクがダマスカスでイスラーム王朝 初 の金貨 (ディナール)を打 刻 させる。 - 694
年 - 695
年 - レオンティオスの政変 で東 ローマ皇帝 ユスティニアノス2世 が捕縛 され、鼻 を削 がれてクリミア半島 ケルソンへ追放 される。 - 696
年 - 697
年 -持 統 天皇 が譲位 し、第 42代 文武 天皇 が即位 する。 - 698
年 - ウマイヤ
朝 のハサン・イブン・アル・ヌゥマーンがカルタゴの戦 い(698年 )で東 ロ ーマ帝国 に勝利 し、北 アフリカのほぼ全域 を制圧 。 - 靺鞨
人 大 祚栄が震 国 (後 の渤海)を建国 。
- ウマイヤ
- 699
年 -葛城山 の行者 役 小角 を伊豆 大島 に配流 する。
700年代
[7世紀
[時代 の動向
[東 アジア
[大陸
[朝鮮半島
[日本
[終末 期 古墳 には山田 高塚 古墳 ・石 舞台 古墳 ・牽牛 子 塚 古墳 ・キトラ古墳 ・高 松塚 古墳 が挙 げられ、大王 墓 を中心 に八角 墳 が出現 する。- 645
年 に孝徳天皇 が即位 するとこの年 を大化 元年 と定 め、日本 における最初 の元号 が誕生 した(「大化 の改新 」を参照 )。 - 7
世紀 後半 から8世紀 初頭 ごろに対外 的 な国号 を「倭国 」から「日本 」へ改 めている[注 1]。 君主 の称号 が治 天下 大王 (あめのしたしろしめすおほきみ)から天皇 に改 められた。北海道 では続 縄文 文化 から擦 文 文化 に移行 。
西 アジア
[南 アジア
[東南 アジア
[ヨーロッパ
[人物
[イスラム世界
[ムハンマドと正統 カリフ
[- ムハンマド(570
年 頃 - 632年 )-イスラム教 開祖 ・最後 の預言 者 ・その言行 が『クルアーン』に記録 される - アブー・バクル(573
年 - 634年 ) -初代 正統 カリフ(在位 632年 - 634年 )・ムハンマドの教 友 (サハーバ) - ウマル(592
年 ? - 644年 )-第 2代 正統 カリフ(在位 634年 - 644年 )・ムハンマドの教 友 (サハーバ) - ウスマーン(574
年 - 656年 )-第 3代 正統 カリフ(在位 644年 - 656年 )・ムハンマドの教 友 (サハーバ) - アリー(600
年 頃 - 661年 )-第 4代 正統 カリフ(在位 656年 - 661年 )・ムハンマドの従兄弟 で娘 婿 ・シーア派 では初代 イマームとされる - アムル・イブン・アル・アース(583
年 - 664年 ) -正統 カリフ時代 の将軍 ・アレクサンドリア包囲 戦 に勝利 しエジプトを征服 - ハーリド・イブン・アル・ワリード(592
年 - 642年 ) -正統 カリフ時代 の将軍 ・ヤルムークの戦 いに勝利 しシリアを征服 ・別名 「アッラーの剣 」 - サード・イブン・アビー・ワッカース(595
年 - 664年 ) -正統 カリフ時代 の将軍 ・ニハーヴァンドの戦 いに勝利 しペルシアを征服 - ザイド・イブン・サービト(611
年 - 665年 /666年 ) - イスラム帝国 の書記 ・カリフのウスマーンに命 じられ『クルアーン』正 典 を編纂 する - ハンサー(575
年 - 646年 ) -無明 時代 からイスラム時代 にかけての女流 詩人 ・アラビア語 の悲歌 (リサー)を完成 させる - アーイシャ(614
年 頃 - 678年 ) - ムハンマドの3番目 の妻 ・カリフのアブー・バクルの娘 ・ラクダの戦 いではカリフのアリーと対決
ウマイヤ朝
[- ムアーウィヤ (603
年 頃 - 680年 ) - ウマイヤ朝 初代 カリフ (在位 661年 - 680年 )・アリーと敵対 しカリフ世襲 化 を行 う - ウクバ・イブン・ナーフィウ(622
年 - 683年 ) - ウマイヤ朝 の将軍 ・マグリブ各地 を占領 しチュニジアに軍営 都市 ケルアンを建設 - イブン・アッズバイル(624
年 頃 - 692年 ) - イスラム帝国 の第 二 次 内乱 の指導 者 ・アブー・バクルの孫 でカリフを名乗 る - フサイン・イブン・アリー(626
年 - 680年 ) - アリーの次男 ・シーア派 では第 3代 イマームとされる・カルバラーの戦 いで虐殺 される - アフタル(640
年 - 710年 ) - アラブ人 キリスト教徒 の詩人 ・ウマイヤ朝 に招 かれ宮廷 詩人 となるが部族 の争 いで殺害 される - ハサン・アルバスリー(642
年 - 728年 ) -イスラム教 の思想家 ・禁欲 主義 を唱 え最初 期 のスーフィーとされる・バスラで活躍 し墓 が残 る - ヤズィード1
世 (645年 - 683年 ) - ウマイヤ朝 第 2代 カリフ(在位 680年 - 683年 )・カルバラーの戦 いでアリー家 を殲滅 する - アブドゥルマリク(647
年 - 705年 ) - ウマイヤ朝 第 5代 カリフ(在位 685年 - 705年 )・第 二 次 内乱 を鎮圧 し岩 のドームを建設 - ハサン・イブン・アル・ヌゥマーン(? - 700
年 頃 ) - ウマイヤ朝 の将軍 ・北 アフリカのカルタゴを占領 し東 ロ ーマ帝国 の支配 を終 わらせる - ハッジャージ・イブン・ユースフ(661
年 - 714年 ) - ウマイヤ朝 の将軍 ・イラク総督 ・第 二 次 内乱 を徹底的 に鎮圧 ・乱 後 の国内 整備 にも携 わる
キリスト教 世界
[フランク王国
[- ブルンヒルド(543
年 頃 - 613年 ) - フランク王国 アウストラシア王 シギベルト1世 の王妃 ・子 や孫 の摂政 となる - ガルス(ガル)(550
年 頃 - 646年 頃 ) - アイルランド出身 の修道 士 ・コルンバヌスの弟子 ・現 スイスのザンクト・ガレン修道院 を建立 - ピピン1
世 (580年 頃 - 640年 ) - フランク王国 の宮 宰 (在職 615年 /623年 - 629年 )・カロリング家 の祖 で「大 ピピン」と呼 ばれる - クロタール2
世 (584年 - 629年 ) - フランク王国 ネウストリア王 (在位 613年 - 629年 )・ブルンヒルドを倒 しフランク王国 を再 統一 - ダゴベルト1
世 (603年 - 639年 ) - フランク王国 (統一 フランク)国王 (在位 629年 - 639年 )・パリ郊外 のサン・ドニ大 聖堂 を建立 - ピピン2
世 (635年 /640年 - 714年 ) - フランク王国 の宮 宰 (在職 680年 - 714年 )・ピピン1世 の娘 の子 で「中 ピピン」と呼 ばれる - ウィリブロルド(658
年 - 739年 ) - ノーサンブリア出身 の修道 士 ・オランダのフリースラント地方 で宣教 しユトレヒト初 の司教 を務 めた
ローマ教皇
[- グレゴリウス1
世 (540年 - 604年 )- ローマ教皇 (在位 590年 - 604年 )・ゲルマン系 諸 民族 への宣教 を推進 ・四大 ラテン教父 の一人 - マルティヌス1
世 (? - 655年 ) - ローマ教皇 (在位 649年 - 653年 )・単 意 論 の「テュポス」を否定 し東 ローマ皇帝 に追放 される
イングランド・アイルランド
[- コルンバヌス(540
年 - 615年 ) - アイルランドの修道 士 ・コルンバの弟子 ・西欧 各地 にケルト系 修道 制 を伝 えボッビオ修道院 を建立 - エイダン(? - 651
年 ) - アイルランドの修道 士 ・リンデスファーン修道院 を建立 し北部 イングランドの布教 に努 める - オスウィ(612
年 頃 - 670年 ) - イングランド七 王国 のノーサンブリア王 (在位 642年 - 670年 )・ウィットビー教会 会議 を開催 - ヒルダ(614
年 - 680年 ) - ノーサンブリア王族 出身 の修道 女 ・エイダンに師事 し教会 会議 開催 地 ともなるウィットビー修道院 を設立 - ウィルフリッド(633
年 頃 - 709年 頃 ) - リポン司教 ・ウィットビー教会 会議 ではローマ式 典礼 側 を代表 しケルト式 典礼 派 を論破 する - カスバート(634
年 頃 – 687年 ) - リンデスファーン修道院 長 ・奇跡 譚 で知 られノーザンバーランドの守護 聖人 となる - エゼルベルト(560
年 頃 - 616年 ) - ケント王 (在位 580年 頃 - 616年 )・ブレトワルダ(上 王 )・最初 期 にキリスト教 を受容 - キャドモン(7
世紀 ) - イングランドのノーサンブリアの詩人 ・無学 文盲 だったが宗教 的 啓示 を得 て「創世 記 」など神 を讃 える詩 を造 った
西 ゴート王国
[- セビリャのイシドールス(560
年 - 636年 ) -西 ゴート王国 のセビリャ大司教 ・神学 者 ・著作 に『語源 論 』がある・長兄 レアンデルも神学 者 - レケスウィント(? - 672
年 ) -西 ゴート王国 国王 (在位 649年 - 672年 )・西 ゴート法典 を公布 ・「グアラザールの宝物 」でも有名
東欧
[- サモ (スラヴ
人 の王 )(600年 頃 - 658年 ) - サモ王国 の建国 者 ・スラブ諸 族 を最初 にまとめシレジアからスロヴァキアに拡 がる国家 を建設 - アスパルフ(644
年 頃 - 700年 頃 ) -第 一 次 ブルガリア帝国 の建国 者 (在位 681年 - 700年 頃 )・プリスカを都 とし東 ローマから自立
東 ロ ーマ帝国
[- ヘラクレイオス(575
年 - 641年 ) - ヘラクレイオス朝 の東 ローマ皇帝 (在位 610年 - 641年 )。シリア・エジプトを喪失 ・「エクテシス」を発布 。 - マルティナ(? - 641
年 以降 ) - ヘラクレイオス帝 の後妻 で実 の姪 ・実子 ヘラクロナスを皇帝 として擁立 するも反乱 により失脚 - コンスタンス2
世 ポゴナトス(630年 - 668年 ) - ヘラクレイオス朝 の東 ローマ皇帝 (在位 641年 - 668年 )・「テュポス」を発布 。 - コンスタンティノス4
世 (650年 頃 - 685年 ?) - ヘラクレイオス朝 の東 ローマ皇帝 (在位 668年 - 685年 )・イスラムに反撃 を開始 。 - セルギオス1
世 (? - 638年 ) - コンスタンティノポリス総 主教 (在位 610年 - 638年 )・単 意 論 をまとめ「エクテシス」を起草 。 - ソフロニオス(560
年 - 638年 ) - エルサレム総 主教 (在位 634年 - 638年 )。キリスト教 神学 者 ・単 意 論 に反対 するがウマル憲章 は受容 。 - ヨアンネス・クリマコス(579
年 - 649年 ) - シナイ山 の聖 カタリナ修道院 長 。修道 生活 の手引 きとなる『天国 への階梯 』を執筆 。 - マクシモス(580
年 頃 - 662年 ) -東 ロ ーマ帝国 の神学 者 で修道 士 (証 聖者 ・表 信者 )。書簡 「神学 と受肉の摂理 について」が有名 。 - シリアのイサアク(7
世紀 ) - ニネヴェのネストリウス派 主教 ・修道 士 ・神秘 主義 者 ・修道 生活 を通 して『修行 的 説教 集 』をまとめる - カーヒナ(? - 698
年 ) -北 アフリカのベルベル人 の女王 ・東 ロ ーマ帝国 軍 とともにカルタゴの戦 いで戦 うがイスラム軍 に敗北 し戦死 。 - ヘリオポリスのカリニコス(
生 没年 不 詳 ) -東 ロ ーマ帝国 の技術 者 ・コンスタンティノポリス包囲 戦 で使 われた「ギリシア火 」を開発 か。
イラン
[- ホスロー2
世 (? - 628年 )- サーサーン朝 のシャー(在位 590年 - 628年 )。エジプト・シリアをめぐって東 ロ ーマ帝国 と戦 う。 - ヤズデギルド3
世 (? - 651年 )- サーサーン朝 最後 のシャー(在位 632年 - 651年 )。ニハーヴァンドの戦 いで大敗 し殺害 される。
インド・チベット
[- ソンツェン・ガンポ(581
年 頃 - 649年 ) -古代 チベットの王 で吐蕃の建国 者 。唐 から文成 公主 を、ネパールからチツンを娶 る。 - ハルシャ・ヴァルダナ(590
年 - 647年 ) - インドのヴァルダナ朝 の王 (在位 606年 - 647年 )。北 インドを統一 し玄 奘を引見 。 - バーナ(
生 没年 不 詳 ) - インドの詩人 ・サンスクリットによりハルシャ王 を讃 える『ハルシャチャリタ』を書 く。 - プラケーシン2
世 (? - 642年 ) - インドの前期 チャールキヤ朝 の王 (在位 609年 - 642年 )。ハルシャをナルマダー川 で撃退 。 - ブラーマグプタ(598
年 - 668年 ) - インドの数学 者 ・天文学 者 ・著作 『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』では「ゼロの概念 」の最古 の言及 あり。 - チャンドラキールティ(
月 称 )(7世紀 ) - インド仏教 の中 観 派 の学僧 ・バーヴァヴィヴェーカの論証 優先 を批判 し分派 する(帰 謬論証 派 )。
中央 アジア
[東 アジア
[隋
[- 煬帝(楊広)(569
年 - 618年 ) -隋 王朝 第 2代 皇帝 (在位 604年 - 618年 )・高句麗 遠征 に失敗 し殺害 される 陸 法 言 (生 没年 不 詳 ) -隋 の音韻 学者 ・漢字 発音 の標準 を定 め『切 韻 』5巻 を編纂 ・これは現存 最古 の韻書 で科挙 にも影響 - 竇
建徳 (573年 - 621年 ) -隋 末 唐 初 に割拠 した群雄 ・高句麗 遠征 軍 から逃 れて河北 で自立 ・宇文 化 及を倒 すが李 世 民 に敗北 李 密 (582年 - 618年 ) -隋 末 唐 初 に割拠 した群雄 ・楊玄感 の反乱 に続 いて挙兵 し河南 で自立 ・王 世 充 に敗北 する王 世 充 (? - 621年 ) -隋 末 唐 初 に割拠 した群雄 ・洛陽 にて恭 帝 侗を擁立 ・さらに自 ら皇帝 を名乗 るが李 淵 に敗北
唐
[高祖 (李 淵 )(566年 - 635年 ) -唐 の初代 皇帝 (在位 618年 - 626年 )・隋 末 の混乱 から唐 を建国 太 宗 (李 世 民 )(598年 - 649年 ) -唐 の第 2代 皇帝 (在位 626年 - 649年 )・その治世 が「貞 観 の治 」高 宗 (李 治 )(628年 - 683年 )-唐 の第 3代 皇帝 (在位 649年 - 683年 )。唐 の最大 版図 を実現 。則 天武 后 (624年 - 705年 ) -唐 の第 3代 皇帝 高 宗 の皇后 ・周 の女帝 (在位 690年 - 705年 )・「武 韋の禍 」の一人 李 靖 (571年 - 649年 ) -唐 の政治 家 ・軍人 ・突厥や吐谷渾の征討 に功 があった・『李 衛 公 問 対 』にその言行 が残 る房 玄 齢 (578年 - 648年 ) -唐 の政治 家 ・尚書 左 僕 射 ・杜 如晦とともに「房 杜 」と呼 ばれ「貞 観 の治 」を指導 魏 徴 (580年 - 643年 ) -唐 の政治 家 ・諫議大夫 ・『貞 観 政 要 』に多 くの言行 が残 る杜 如晦(585年 - 630年 ) -唐 の政治 家 ・尚書 右 僕 射 ・房 玄 齢 とともに「房 杜 」と呼 ばれ「貞 観 の治 」を指導 長 孫 無 忌 (? - 659年 ) -唐 の政治 家 ・太 宗 の皇后 の兄 ・『唐 律 疏義』『隋 書 』を編纂 ・則 天武 后 と対立 し失脚 し自殺 蘇 定方 (592年 - 667年 ) -唐 の軍人 ・東西 突厥を制圧 ・吐蕃との戦 いや百済 ・高句麗 制圧 に功 があり唐 の領土 を拡大 李 勣(594年 ? - 669年 ) -唐 の政治 家 ・軍人 ・武 后 の冊立 を支持 ・高句麗 を滅 ぼすことにも功 があった- 狄仁
傑 (630年 - 700年 ) -唐 の政治 家 ・宰相 ・高 宗 から則 天武 后 にまで仕 え「国老 」と称 される。 王 玄 策 (生 没年 不 詳 ) -唐 の文官 ・インドのヴァルダナ朝 へ外交 使節 として赴 く。ハルシャ王 没後 のインドの内紛 に介入 。- 駱賓
王 (640年 ? - 684年 ?) -唐 の詩人 ・「初 唐 の四 傑 」の一人 ・徐 敬 業 の反乱 に与 し檄文 を起草 するが乱 後 は消息 不明 。 欧 陽 詢(557年 - 641年 ) -唐 の儒家 ・書家 であり初 唐 の三 大家 の一人 ・代表 作 に「九成宮醴泉銘」がある。虞 世 南 (558年 - 638年 ) -唐 の政治 家 ・書家 であり初 唐 の三 大家 の一人 ・代表 作 に「孔子 廟堂 碑 」がある。- 褚遂
良 (596年 - 658年 ) -唐 の政治 家 ・書家 であり初 唐 の三 大家 の一人 ・代表 作 に「雁 塔 聖教 序 」がある。 - 閻立
本 (? - 673年 ) -唐 の政治 家 ・宮廷 画家 。人物 図 ・肖像 画 を得意 とし「歴代 帝王 図 巻 」ほかを描 く。 尉 遅 乙 僧 (生 没年 不 詳 ) -唐 の画家 ・西域 于闐(ホータン)出身 で父 も画家 ・西域 の画 法 を用 い『歴代 名画 記 』での評価 は高 い法 琳(572年 - 640年 ) -唐 代 の僧侶 ・道士 傅 奕の排 仏 論 に対 し『破邪 論 』でこれを攻撃 し仏教 の優位 を説 いた孔 穎達(574年 - 648年 ) -唐 の訓詁 学 者 ・国子 監 祭 酒 ・孔子 の子孫 ・「五経 正義 」を撰述 。顔 師 古 (581年 - 645年 ) -唐 の訓詁 学者 ・秘書 監 ・顔 之 推の子 ・「五経 正義 」の選定 に参加 ・『漢書 』に注 をつける。玄 奘(三蔵 法師 )(602年 - 664年 ) -唐 の僧侶 ・インドのヴァルダナ朝 に渡 る・『大 唐 西域 記 』を書 く。基 (慈恩 大師 )(632年 - 682年 ) -唐 の僧侶 ・玄 奘の弟子 で唯識 論 を大成 し法相 宗 を起 こす。義 浄 (635年 - 713年 ) -唐 の僧侶 ・海路 からヴァルダナ朝 崩壊 後 のインドに渡 り、『南海 寄 帰 内法 伝 』を書 く。慧 能 (638年 - 713年 ) -唐 の僧侶 ・禅宗 第 六 祖 。漸 悟 の北 宗 に対 し頓悟 の南 宗 を興 す。『六 祖 壇 経 』を残 す。寒 山 ・拾得 (生 没年 不 詳 ) -唐 の僧侶 ・天台山 国清寺 に属 し豊 干 とともに「国清 三 隠 」と呼 ばれる・寒 山 は「寒 山 詩 」の作者 か。- 薛懐
義 (? - 695年 ) -唐 の僧侶 ・則 天武 后 の寵愛 を受 け洛陽 白馬 寺 寺 主 となる・大 雲 経 の効験 を説 き諸国 の大 雲 経 寺 に頒布 。 法蔵 (賢 首 大師 )(643年 - 712年 ) -唐 の僧侶 ・華厳宗 第 三 祖 ・則 天武 后 の庇護 で実 叉 難 陀に『華厳経 』を訳 させ教学 を大成 。阿 羅 本 (活躍 時期 635年 - 638年 ) -キリスト教 ネストリウス派 (景 教 )の宣教師 で「大秦 景 教 流行 中国 碑 」に名 が残 る。張 鷟(658年 ? - 730年 ) -唐 の文人 ・その著作 『遊 仙窟 』は中国 では佚書 となり日本 で愛好 された・ほかに『朝野 僉載』など。孫 思 邈(? - 682年 ) -唐 の医学 者 ・道士 ・診察 や薬方 をまとめた『備急千金 要 方 』『千金 翼 方 』が有名 で「薬 王 」とも呼 ばれる。
渤海
[朝鮮
[武 烈 王 (602年 ? - 661年 ) -新 羅 の王 (在位 654年 - 661年 )。百済 を滅 ぼす。文武 王 は子 。元 暁 (617年 - 686年 ) -新 羅 の華厳宗 の僧侶 。渡 唐 は果 たせないが『華厳経 疏』ほか著作 を残 す。諡号 は和 諍 国師 。義 湘(625年 - 702年 ) -新 羅 の華厳宗 の僧侶 。唐 に渡 って智 儼 に学 ぶ。浮石 寺 開山 で諡号 は円 教 国師 。文武 王 (? - 681年 ) -新 羅 の王 (在位 661年 - 681年 )。唐 との戦争 で唐 を退 け朝鮮半島 を統一 。
日本
[蘇我馬子 (551年 ? - 626年 ) -飛鳥 時代 の豪族 ・大臣 (嶋 大臣 )・丁未 の乱 に勝利 し仏教 崇拝 を進 める推古天皇 (554年 - 628年 ) -第 33代 天皇 (在位 592年 - 628年 )・敏 達 天皇 の皇后 ・日本 最初 の女帝 聖徳太子 (厩戸皇子 )(574年 - 622年 ) -推古天皇 の摂政 ・用 明天 皇 の皇子 ・遣 隋 使 の派遣 や法隆寺 の建立 を行 う小野妹子 (生 没年 不 詳 ) -飛鳥 時代 の政治 家 ・遣 隋 使 として隋 に赴 く・翌年 には隋 使 裴世清 を伴 って帰国 する鞍作止利 (生 没年 不 詳 ) -飛鳥 時代 の渡来 系 の仏師 ・法隆寺 金堂 本尊 銅 造 釈迦三尊 像 が代表 作 蘇我入鹿 (610年 ? - 645年 ) -飛鳥 時代 の政治 家 ・大臣 ・上宮 王家 を滅 ぼすが乙 巳 の変 で中大兄皇子 らに滅 ぼされる藤原鎌足 (中臣鎌足 )(614年 - 669年 ) -飛鳥 時代 の政治 家 ・内大臣 大 織 冠 ・藤原 氏 の祖 ・大化 の改新 で活躍 天智天皇 (中大兄皇子 )(626年 - 671年 ) -第 38代 天皇 (在位 668年 - 671年 )・蘇我 氏 を滅 ぼし大化 の改新 を進 める阿倍比羅夫 (生 没年 不 詳 ) -飛鳥 時代 の軍人 ・蝦夷 を討 ち海 を渡 って粛慎を平定 した・白村 江 の戦 いでも活躍 する弘文天皇 (大友皇子 )(648年 - 672年 ) -第 39代 天皇 (在位 672年 - 672年 )・天智天皇 の皇子 ・壬 申 の乱 に敗北 天武天皇 (大海人皇子 )(631年 ? - 686年 ) -第 40代 天皇 (在位 673年 - 686年 )・天智天皇 の弟 ・壬 申 の乱 に勝利 道昭 (629年 - 700年 ) -法相 宗 の僧 ・遣 唐 留学 僧 として唐 で玄 奘に学 ぶ・帰国 後 は教化 につとめる・行基 は弟子 役 小角 (634年 ? - 701年 ?) -修験 道 の開祖 ・葛城山 などで修行 ・山岳 信仰 の隆盛 により「役行者 」と呼 ばれ「神変 大 菩薩 」と号 される額田王 (生 没年 不 詳 ) -飛鳥 時代 の女性 歌人 ・斉 明朝 から持 統 朝 に活躍 し『万葉集 』に歌 が残 る持 統 天皇 (645年 - 702年 ) -第 41代 天皇 (在位 690年 - 697年 )・天智天皇 の皇女 で天武天皇 の皇后 ・藤原 京 に遷都
架空 のできごと
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- 618
年 - 619年 - 突厥の曷薩那 可 汗 の命 により、花木 蘭 が男装 して父 の身代 わりとなって徴兵 に応 じ各地 で戦 う(褚人穫 『隋 唐 演義 』)。 - 618
年 前後 -武術 家 神 腿 張 の息子 小 虎 は鄭 王 王 世 充 により父 を殺 され自身 も重傷 を負 って少林寺 に落 ち延 びる。父 の仇 を討 つため少林寺 にて修行 に励 む小 虎 の前 に将軍 李 世 民 が現 れ、共 に王 世 充 を倒 すために立 ち上 がることを決意 する(張 鑫炎監督 の香港 映画 「少林寺 」)。 - 629
年 -天界 での乱暴 狼藉 の罰 として、釈迦如来 により500年間 五 行 山 に幽閉 されていた孫 悟空 が、取 経 渡 天 の旅 の途中 の玄奘三蔵 に出会 って戒 めを解 いてもらい、弟子 となって旅 の列 に加 わる(呉 承 恩 『西遊 記 』)。 - 671
年 -後 に新 羅 華厳宗 の祖 となる義 湘が入唐 して教学 を修 めて帰国 する時 、義 湘を慕 う美女 善 妙 は彼 への思 いやみがたく、別 れの悲 しみのあまりその後 を追 うが、最後 には海中 に身 を投 じ、巨大 な竜 に変 じて義 湘の船 を守護 し、新 羅 への帰路 を導 いていく(京都 高山寺 蔵 『華厳宗 祖師 絵 伝 』の「義 湘絵」)。 - 684
年 -飢饉 に見舞 われた羽生 蛇 村 に堕辰子 が降臨 、飢 えに耐 え切 れなかった村人 がその肉 を食 べ、村 に呪 いが降 りかかる(『SIREN (ゲームソフト)』)。
脚注
[注釈
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