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きりいん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華ちゅうか字典じてん博物館はくぶつかんの『きりいんざん

きりいん』(せついん)とは、ずいぶんみかどじん寿ことぶき元年がんねん601ねん)のじょがある、りくほうげんによってつくられた韻書いんしょとう科挙かきょ作詩さくしのためにひろまれた。最初さいしょは193いんいんてられていた。

成立せいりつ

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りくほうげんじょによれば、ひらきすめらぎはじめ(580年代ねんだい)にりくほうげんいえりゅうら8にんあつまったときに[1]各地かくち方言ほうげんことなり、既存きそん韻書いんしょぶんいんことなることが問題もんだいになった。そこでしょうかおらが中心ちゅうしんになってぶんいん決定けっていし、その概略がいりゃくりくほうげんしるした。その結果けっかなが放置ほうちされていたが、じゅうすうねんしょ字書じしょ韻書いんしょらして『きりいん』5かんにまとめた。

内容ないよう

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きりいん』は5かんからなり、いん四声しせいによってまきける。1・2かん平声ひょうしょう、3かん上声じょうせい、4かん去声きょしょう、5かん入声にっしょうである。声調せいちょうごとにいんけている。いんかず平声ひょうしょう54・上声じょうせい51・去声きょしょう56・入声にっしょう32の合計ごうけい193であった。ひとつのいんなかでは同音どうおんをひとつにまとめてその最初さいしょ反切はんせつ発音はつおんしるしている。かくしゃく非常ひじょうみじかい。

 きりいんいんいん排列はいれつ)について諸説しょせつあり、遠藤えんどうひかりあかつきあるたね佛教ぶっきょう思想しそうにもとづく可能かのうせい指摘してきした。 [2]

 いしゐのぞむ(石井いしいのぞむ)は曼荼羅まんだら旋法せんぽうでア、イ、ウ、エ、オ、アイ、アウのじゅん旋轉せんてんする圓形えんけい扁平へんぺいにしたのがきりいんいんだとして、日本にっぽん五十音ごじゅうおん最古さいこの「いおあえう」の順次じゅんじおなじだとする。 [3]

きりいん以前いぜんにも韻書いんしょ存在そんざいしたが、いずれも現存げんそんしない。このため、『きりいん』は漢字かんじおん体系たいけいてきつたえる最古さいこしょである。『きりいん』によって代表だいひょうされる音韻おんいん体系たいけいちゅう古音こおんまたはきりいんおんけいぶ。英語えいごでは『きりいん』によって代表だいひょうされるおとを「Early Middle Chinese」、『とし音義おんぎ』などによって代表だいひょうされるおとを「Late Middle Chinese」とんで区別くべつする。

中古ちゅうこ早期そうき漢語かんごきりいんおんこえはは ※IPAははんさとるくも推定すいていもとづく
ちょんきよし つぎきよし ぜんにご つぎにご ちょんきよし ぜんにご
唇音しんおん 幫 p 滂 pʰ なみ b あきら m
したおん はし t とおる じょう d どろ n
ʈ とおる ʈʰ きよし ɖ むすめ ɳ
l
歯音しおん せい ts きよし tsʰ したがえ dz しん s よこしま z
そう はつ tʂʰ たかし なま ʂ 俟 ʐ
あきら あきら tɕʰ つねぜん) dʑ にち ȵ しょ ɕ ふね ʑ
きばおん k けい 羣 g うたぐ ŋ
のどおん かげ ʔ うん ɦ 以 j あかつき h くしげ ɦ

きりいんけい韻書いんしょ

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きりいん』は実用じつようしょであり、しばしば修正しゅうせいされたり文字もじくわえられたりした。このため『きりいん原書げんしょのこっておらず(敦煌とんこうトルファン出土しゅつど断片だんぺんには原書げんしょがあるかもしれないが、どれがそれであるかは学者がくしゃあいだ定論ていろんない)、改訂かいていばんのこっている。これらを総称そうしょうしてきりいんけい韻書いんしょぶ。

現存げんそんするきりいんけいしょほんしょによる引用いんよう使つかったきりいん原本げんぽん復元ふくげんは、おもに上田うえだただし永富ながとみらによってなされた。

とうだい韻書いんしょしゅうそん』によって、主要しゅよう改訂かいてい以下いかしるす。

ちょうまご訥言箋注ほんきりいん

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ちょうまご訥言(ちょうそんとつげん)がし、箋注をくわえたもの。おおとり2ねん(677ねん)のじょがある。敦煌とんこうざんまきのこる。

王仁わに昫刊謬補欠ほけつきりいん

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王仁わに(おうじんく)が改訂かいていしたもの。成立せいりつねんについては議論ぎろんがあるが、かららんかみりゅう2ねん(706ねん)とし、しゅう謨もちゅうむね復辟ふくへきして国号こくごうとうもどったとき(706ねん-710ねん)のものとする[4]だい大戦たいせん完本かんぽん発見はっけんされた。ほかに敦煌とんこうざんまきのこる。

大幅おおはばやしたほか、上声じょうせい去声きょしょうに1つずついんして195いんとした。『おういん』と略称りゃくしょうされる。『きりいん』にたいして追加ついか訂正ていせいした箇所かしょ比較的ひかくてきあきらかであり、『こういん』よりもはるかにもとの『きりいん』の特徴とくちょうをよくたもっている。また各巻かくかん冒頭ぼうとうには『きりいん以前いぜんかく韻書いんしょぶんいん状況じょうきょうしるされているのも貴重きちょうである。

裴務ひとし正字せいじほんかん補欠ほけつきりいん

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王仁わに昫の『かん補欠ほけつきりいん』の改訂かいていばんだが、変更へんこうてんおおきい。なりしょ年代ねんだい不明ふめい清朝せいちょう宮廷きゅうていぞうしていたほんがあるが、上声じょうせい一部いちぶく。

からいん

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ひらきもと21ねん(733ねん[5]または天宝てんぽう10(751ねん[6]まご愐(そんめん)がだい改訂かいていしたもの。敦煌とんこうざんまきと蒋斧きゅうぞうざんまきのこる。

だいきりいんけい韻書いんしょ

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こういん』にもない「せんいん(「せんいん合口あいくち独立どくりつ)があるなど、いんこまかくけている。敦煌とんこう・トルファンのざんまきのこる。

こういん

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ちん彭年らによってきたそう大中おおなかさち元年がんねん(1008ねん)に刊行かんこうされ、正式せいしき名称めいしょうを『だいそうしげるおさむこういん』とう。いんは206いんえているが、『きりいん』でひとつのいんをふたつにけただけで、音韻おんいん体系たいけい自身じしんにはあまりわりがないため、『きりいん』の代用だいようとして『こういん』を使つかってちゅう古音こおん復元ふくげんしても、結果けっかはおおむねわらない。

こういん』はきよしだい顧炎たけしさい発見はっけんしてから有名ゆうめいになり、刊本かんぽん完本かんぽんであり校訂こうてい索引さくいんなどが完備かんびしているため、完本かんぽんおういん』が発見はっけんされてからもせついんけい韻書いんしょ代表だいひょうとして使つかわれている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 平山ひらやま久雄ひさおによると、このほかにりくほうげんちちりく爽とりくほうげんわせて10にんいたという。「『きりいんじょりく爽」『中国ちゅうごく語学ごがく研究けんきゅうひらきへんだい6ごう、1988ねん 
  2. ^  きりいんいんじょについて  遠藤えんどうひかりあかつき 藝文げいぶん研究けんきゅう 54 , 1989 慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく藝文げいぶん学会がっかい   https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001338948821760   
  3. ^ 長崎純心大學ながさきじゅんしんだいがく教職きょうしょく課程かていセンター紀要きよう」 だいはちごう 「漢文かんぶん琉球りゅうきゅう教材きょうざい和訓わくんまつじょう、いしゐのぞむ。長崎純心大学ながさきじゅんしんだいがく教職きょうしょく課程かていセンターかんれいろくねんさんがつ。   https://opac.n-junshin.ac.jp/opac4/opac/Volume_list?jcode=ZK0000162    https://drive.google.com/file/d/182YnchLiv7pzKgMlgrfSxawgN0c3XPry/       石井いしいせつ排列はいれつ以下いかとおり。  〔ひらき〕 イ  ささえi、あぶらi、これi、ほろi オ  さかなo、おそれo、o アイ ひとしai、けいai、みなai、はいai、咍ai アウ しょうau、よいau、さかなau、ごうau、 ア  うたa エ  あさe ウ  ゆうu、ほうu、かそけu   〔きばng〕 イ (iし) オ ひがしo、ふゆo、鍾o、こうo ア a、とうa エ かのえe、こうe、きよしe、あおe ウ ふけu、とうu   〔したn〕 イ しんi、臻i、ぶんi、いんi オ もとo、たましいo、あとo ア かんa、刪a、やまa エ さきe、せんe ウ (uし)   〔脣尾m〕 ア 覃a、だんa イ おかせi、 ウ (uし) エ しおe、添e、げんe、銜e オ いむo、凡o     ただし脣尾いんふねきりいんにもとづけば、 イ、おかせi。  オ(oし)  ア、覃a、だんa。  エ、しおe、添e、咸e、銜e。  ウ、いむu、凡u。        石井いしいのぞむせつ修正しゅうせいまえはじめは「やまと漢音かんおん旋法せんぽうかい」 いしうみあお 香港ほんこんちゅうぶん大學だいがく中國ちゅうごくぶん研究けんきゅう」2008ねんだい1そうだい25)。   https://www.cuhk.edu.hk/ics/clrc/chinese/pub_scl_catalogues_25.html   https://www.cuhk.edu.hk/ics/clrc/scl_25/ishiwi.pdf  
  4. ^ しゅう謨「王仁わに昫切いん著作ちょさく年代ねんだいしゃくうたぐ」『といがくしゅううえさつ)』中華ちゅうかしょきょく、1981ねん原著げんちょ1966ねん)、483-493ぺーじ 
  5. ^ さんそう』にしるす(上田うえだきりいん佚文いつぶん研究けんきゅう』による)。卞永ほまれしき古堂ふるどう書画しょが彙考』に元和がんわ9ねん(814ねんうつしの『からいんじょには「ひらくもと廿にじゅうねん」(732ねん)とあるが、20ねんじょかれて21ねんたとすれば両立りょうりつする
  6. ^ こういん』にく『からいんじょによる

関連かんれん文献ぶんけん

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  • 上田うえだただしきりいんざんまきしょほん補正ほせい東京大学とうきょうだいがく東洋とうよう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ附属ふぞく東洋とうようがく文献ぶんけんセンター〈東洋とうようがく文献ぶんけんセンターくさむらかん だいいちきゅう輯〉、1973ねん 
きょうあきらおっときょうとらきよし)の『瀛涯敦煌とんこういん輯』での判読はんどくただしたもの。
  • 上田うえだただしきりいんしょほん反切はんせつ総覧そうらんひとししゃひとししゃたんかん 1〉、1975ねん 
  • 上田うえだただしきりいん逸文いつぶん研究けんきゅう』汲古書院しょいん、1984ねん 
  • しゅうへんとうだい韻書いんしょしゅうそん中華ちゅうかしょきょく、1983ねんISBN 7101045294 
現存げんそんきりいんしょほん写真しゃしんあつめて研究けんきゅうくわえたもの。写真しゃしん印刷いんさつ多少たしょう不鮮明ふせんめいともわれる。

関連かんれん項目こうもく

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