漢音かんおん

漢音かんおん（かんおん）とは、日本にっぽん漢字かんじ音おと（音読おんよみ）の一ひとつ。古ふるくは「からごえ」とも呼よんだ。7, 8世紀せいき、奈良なら時代じだい後期こうきから平安へいあん時代じだいの初はじめごろまでに、遣や隋ずい使し・遣唐使けんとうしや留学りゅうがく僧そうなどにより伝つたえられた音おとをいう。中国ちゅうごく語ごの中ちゅう古音こおんのうち、唐から中葉ちゅうよう頃ごろの長安ながやす地方ちほうの音韻おんいん体系たいけい（秦はた音おと）を多おおく反映はんえいしている。他たの呉音ごおんや唐音とういんに比くらべて最もっとも体系たいけい性せいを備そなえている。また唐とう末まつに渡航とこうした僧侶そうりょたちが持もち帰かえった漢字かんじ音おんは中国語ちゅうごくごの近世きんせい音おん的てきな特徴とくちょうを多おおく伝つたえており、通常つうじょうの漢音かんおんに対たいして新しん漢音かんおんと呼よばれることがある。

漢音かんおんの普及ふきゅう

持もち統すべ天皇てんのうは、唐とうから続ぞく守もり言ごとを音おと博士はかせとして招まねき、漢音かんおん普及ふきゅうに努つとめた。また、桓武かんむ天皇てんのうは延のべ暦れき11年ねん（792年ねん）、漢音かんおん奨励しょうれいの勅みことのりを出だし、大だい学寮がくりょうで儒学じゅがくをまなぶ学生がくせいには漢音かんおんの学習がくしゅうが義務ぎむづけられ、また仏教ぶっきょうにおいても僧侶そうりょの試験しけんに際さいして音おと博士はかせが経典きょうてん読誦とくしょうの一句いっく半はん偈げを精査せいさすることが行おこなわれ、また漢音かんおんを学まなばぬ僧そうには中国ちゅうごくへの渡航とこうが許ゆるされなかった。漢音かんおん学習がくしゅう者しゃが呉音ごおんを日本にっぽんなまりの発音はつおんとして「和音わおん」と呼よび、由来ゆらいもはっきりしない発音はつおんとして「呉音ごおん」と呼よんで蔑さげすんだように、漢音かんおんは正統せいとうの中国語ちゅうごくご音おんで発音はつおんすることが求もとめられたものであった。このようなレベルの高たかさから日常にちじょう語ごとして定着ていちゃくした呉音ごおんを駆逐くちくするような力ちからは持もちえず、江戸えど・明治めいじにいたるまで漢音かんおんが一般いっぱんに普及ふきゅうすることはなかった。

江戸えど時代じだいには漢字かんじを仮名かめいで書かき写うつす字音仮名遣じおんかなづかいの研究けんきゅうが始はじまった。その際さいには日常にちじょう的てきに使つかわれていた呉音ごおんよりも最もっとも体系たいけい的てきな字音じおん資料しりょうをもつ漢音かんおんを基礎きそとして進すすめられた。字書じしょや韻書いんしょをもとに漢音かんおんがほぼすべての漢字かんじについて記述きじゅつされるようになり、漢音かんおんで読よまれない漢字かんじはほとんどなくなった。こうして日本語にほんご音おんとしての漢音かんおんを発音はつおんすることが可能かのうとなり、明治めいじ時代じだい、西洋せいようの科学かがく・思想しそうを導入どうにゅうする際さいの訳語やくご（和製わせい漢語かんご）に使つかわれたことで広ひろく普及ふきゅうすることになった。また、和製わせい漢語かんごに使つかわれたことにより、明治めいじ期きの一時期いちじきに漢音かんおんでの読よみが格好かっこうの良よい、時代じだいの進すすんだ印象いんしょうを持もたれるようになり、学生がくせいを中心ちゅうしんに本来ほんらいは呉ご音読おんよみする熟語じゅくごをあえて漢かん音読おんよみすることが流行りゅうこうした（東京とうきょうを「トウケイ」と読よんだり、関西かんさいを「カンセイ（クヮンセイ）」と読よんだりする例れい）。

特徴とくちょう

声こえ母はは

頭あたま子音しいんの特徴とくちょうとして、呉音ごおんで鼻音びおんだったものが濁音だくおん、濁音だくおんだったものが清音せいおんとなっていることがあげられる。それは以下いかのような理由りゆうによる。

非ひ鼻音びおん化か

漢音かんおんは当時とうじの長安ながやす地方ちほうで起おこった中国ちゅうごく語ごの音韻おんいん変化へんか、非ひ鼻音びおん化か現象げんしょう denasalization（鼻音びおんの後半こうはん部ぶが口くち音おん化かする現象げんしょう）を反映はんえいしている。子音しいんを表あらわす字母じぼである三さん十じゅう六ろく字母じぼの鼻音びおんのうち、明あきら母ははは[m]から[mb]となり、微ほろ母ははは[ɱ]から[ɱv]、泥どろ母ははは[n]から[nd]、疑うたぐ母ははは[ŋ]から[ŋg]、日にち母ははは[ȵ]から[ȵʑ]となった。漢音かんおんはこれを反映はんえいして、中ちゅう古音こおんの鼻音びおんを、馬うま（バ）、微ほろ（ビ）、泥どろ（デイ）、疑うたぐ（ギ）、日ひ（ジツ）と口くち音おんで伝つたえている。このため、呉音ごおんに比くらべて漢音かんおんでは鼻音びおんが極端きょくたんに少すくなくなっている。ただし、明あきら（メイ）や寧やすし（ネイ）のように韻いん尾おが[ŋ]のものは鼻音びおんのまま伝つたわり、韻いん尾おが[n]のものも面めん（メン）や年とし（ネン）のように鼻音びおんのまま伝つたわったものが少すくなくない。しかし、明あかりの新しん漢音かんおんが「ベイ」、寧やすしの新しん漢音かんおんが「デイ」という変化へんかもある。

全ぜん濁にごの無声音むせいおん化か

漢音かんおんは、当時とうじの長安ながやすで清濁せいだくの対立たいりつがなくなりはじめていたことを反映はんえいしていると言いわれる。このため漢音かんおんでは中古ちゅうこ音おんの清濁せいだくの区別くべつをあまり反映はんえいしておらず、呉音ごおんで全ぜん濁にごであったものが、清音せいおんとして伝つたわっているものが多おおい。例たとえば、婆ばば（呉音ごおん：バ→漢音かんおん：ハ）、定じょう（呉音ごおん：ヂャウ→漢音かんおん：テイ）、勤つとむ（呉音ごおん：ゴン→漢音かんおん：キン）、禅ぜん（呉音ごおん：ゼン→漢音かんおん：セン）、従したがえ（呉音ごおん：ジュ・ジュウ→漢音かんおん：ショウ）、胡えびす（呉音ごおん：ゴ→漢音かんおん：コ）などである。

「神かみ」は、神社じんじゃでは呉音ごおんで「ジン」、神戸こうべの意味いみでは漢音かんおんで「シン」となる。

匣くしげ母はは

三さん十じゅう六ろく字母じぼの匣くしげ母ははで表あらわされる頭あたま子音しいん（推定すいてい音おん:[ɣ]）は、呉音ごおんではワ行ぎょうで表あらわされるが、漢音かんおんではカ行ぎょうで表あらわされる。例たとえば、和かず（呉音ごおん：ワ→漢音かんおん：クヮ）、話はなし（呉音ごおん：ワ→漢音かんおん：クヮイ）、惑（呉音ごおん：ワク→漢音かんおん：コク）、会かい（呉音ごおん：ヱ→漢音かんおん：クヮイ）、黄き（呉音ごおん：ワウ→漢音かんおん：クヮウ）

韻いん母はは

• 呉音ごおんでア段だん音おん(-a)とエ段だん音おん(-e)に分わけられていたものが、ア段だん音おん(-a)に統一とういつされた。例たとえば、呉音ごおんで歌うたはカ、家いえはケであるが、漢音かんおんでは両者りょうしゃともカとなっている。
• 呉音ごおんでア段だん音おん＋イ(-ai)で表あらわされたもののうち、エ段だん音おん＋イ(-ei)になったものがある。弟おとうと（呉音ごおん：ダイ→漢音かんおん：テイ）、礼れい（呉音ごおん：ライ→漢音かんおん：レイ）。
• 鼻はな韻いん尾おの[ŋ]を表あらわすため呉音ごおんでア段だん音おん＋ウ(-au)であったものが、エ段だん音おん＋イ(-ei)になったものがある。例たとえば、平たいら（呉音ごおん：ビャウ→漢音かんおん：ヘイ）、青あお（呉音ごおん：シャウ→漢音かんおん：セイ）、令れい（呉音ごおん：リャウ→漢音かんおん：レイ）。
• 呉音ごおんでオ段だん音おん＋ン(-on)であったものが、漢音かんおんではイ段だん音おん＋ン(-in)、エ段だん音おん＋ン(-en)に変化へんかしたものがある。例たとえば、隠かくれ（呉音ごおん：オン→漢音かんおん：イン）、勤つとむ（呉音ごおん：ゴン→漢音かんおん：キン）、建たて（呉音ごおん：コン→漢音かんおん：ケン）、言げん（呉音ごおん：ゴン→漢音かんおん：ゲン）など。

漢音かんおんで読よまれる仏教ぶっきょう経典きょうてん

仏教ぶっきょう経典きょうてんは原則げんそくとして呉音ごおんで読よまれるのだが、天台宗てんだいしゅうにおける「妙法みょうほう蓮華れんげ経けい（法華経ほけきょう）」のうち「安楽あんらく行ぎょう品ひん第だい十じゅう四よん」や「阿弥陀あみだ経けい」、真言宗しんごんしゅうで読よまれる「理り趣おもむき経けい」や「孔雀くじゃく経けい」などは漢音かんおんで読よまれる。（例たとえば「如是にょぜ我聞がもん」を「ニョゼガモン」と読よまずに「ジョシガブン」と読よみ、「釈迦牟尼しゃかむに仏ほとけ」を「シャカムニブツ」と読よまずに「セキャボウジフツ」と読よむ、など）

天台宗てんだいしゅうにおける経文きょうもんの漢かん音読おんよみは、天台宗てんだいしゅう開ひらき宗むね以来いらい1200年ねんの伝統でんとうに則のっとって、上記じょうきの2つの経文きょうもんなどは、昔むかしから漢かん音読おんよみされる。西山にしやま浄土宗じょうどしゅうなど、浄土宗じょうどしゅう西山にしやま三さん派はは阿弥陀あみだ経けいを漢かん音読おんよみする。また、浄土真宗じょうどしんしゅうでも一部いちぶの法要ほうようの場合ばあいのみ阿弥陀あみだ経けいを「漢音かんおん小しょう経けい」として漢かん音読おんよみする。ただし現在げんざいの漢音かんおんではなく新しん漢かん音読おんよみが入はいっており、「国くに」を普通ふつうの漢音かんおんの「コク」ではなく「クヱキ」あるいは「ケキ」と読よんだり、「法ほう」を「ホウ」ではなく「ハ」あるいは「ハツ」、「極きょく」を「キョク」ではなく「キク」あるいは「キ」、「名な」を「メイ」ではなく「ベイ」、「百ひゃく」を「ハク」ではなく「ハキ」、「明あきら」を「メイ」ではなく「ベイ」（場合ばあいによっては「ビ」）と読よむなどである。新しん漢かん音読おんよみは現代げんだいにはあまり伝つたわらなかったが、これらの一部いちぶ経典きょうてんの漢かん音読おんよみでは現代げんだいでも使つかわれているわけである。

「理り趣おもむき経けい」は聞きいただけでは意味いみをつかめないように漢音かんおんで読よむと言いわれることもあるが(「理り趣おもむき経けい」の項こうを参照さんしょう)、上述じょうじゅつのように他たの経けいも漢かん音読おんよみするものがあり、この説せつは俗説ぞくせつである。

漢音かんおん音節おんせつ表ひょう

以下いかは漢音かんおんの音節おんせつ表ひょうである。漢音かんおんでは韻いん尾おの[ŋ]を「イ」または「ウ」で書かき取とっているので、母音ぼいんの「イ」「ウ」とは別べつに記載きさいした。また上記じょうきのように漢音かんおんでは濁音だくおんは清音せいおんで、鼻音びおんは口くち音おんで伝つたえられているため、g, z, d, b は中ちゅう古音こおんにおいては鼻音びおん（次つぎ濁音だくおん）である。原音げんおんである中なか古音こおんをどのように受容じゅようしているかについては音読おんよみ#中ちゅう古音こおんとの関係かんけいを参照さんしょうのこと。

なお合ごう拗音ようおんについて江戸えど時代じだいに定さだめられた字音仮名遣じおんかなづかいでは「クヮ」だけを認みとめ、「クヰ」「クヱ」「スヰ」などは採用さいようしていない。

韻いん/音おと			ø	k	g	s	z	t	d	n	p	b	m	l
ø	i	ø	イ	キ	ギ	シ	ジ	チ	ヂ		ヒ	ビ		リ
	a		ア	カ	ガ	サ		タ	ダ		ハ	バ		ラ
	o			コ	ゴ	ソ		ト	ド		ホ	ボ		ロ
	u		ウ	ク	グ	ス		ツ			フ	ブ		ル
	e	-i	エイ	ケイ	ゲイ	セイ	ゼイ	テイ	デイ		ヘイ	ベイ		レイ
	a		アイ	カイ	ガイ	サイ		タイ	ダイ		ハイ	バイ		ライ
	u					スイ	ズイ	ツイ						ルイ
	i	-u	イウ	キウ	ギウ	シウ	ジウ	チウ	ヂウ		ヒウ	ビウ		リウ
	e		エウ	ケウ	ゲウ	セウ	ゼウ	テウ	デウ		ヘウ	ベウ		レウ
	a		アウ	カウ	ガウ	サウ		タウ	ダウ		ハウ	バウ		ラウ
	o		オウ	コウ	ゴウ	ソウ		トウ	ドウ		ホウ	ボウ		ロウ
	u					スウ					フウ
	i	-m	イム	キム	ギム	シム	ジム	チム	ヂム		ヒム			リム
	e		エム	ケム	ゲム	セム	ゼム	テム	デム		ヘム			レム
	a		アム	カム	ガム	サム		タム	ダム		ハム	バム		ラム
	i	-n	イン	キン	ギン	シン	ジン	チン			ヒン	ビン		リン
	e		エン	ケン	ゲン	セン	ゼン	テン	デン		ヘン	ベン		レン
	a		アン	カン	ガン	サン		タン	ダン		ハン	バン		ラン
	o		オン	コン	ゴン	ソン		トン	ドン		ホン	ボン		ロン
	u		ウン	クン							フン	ブン
	e	-ng	エイ	ケイ	ゲイ	セイ		テイ		ネイ	ヘイ		メイ	レイ
	a		アウ	カウ	ガウ	サウ		タウ	ダウ	ナウ	ハウ	バウ	マウ	ラウ
	o			コウ		ソウ		トウ	ドウ		ホウ	ボウ		ロウ
	i	-p	イフ	キフ	ギフ	シフ	ジフ	チフ						リフ
	e		エフ	ケフ	ゲフ	セフ	ゼフ	テフ	デフ					レフ
	a		アフ	カフ	ガフ	サフ		タフ	ダフ		ハフ			ラフ
	o					ソフ
	i	-t	イツ	キツ	ギツ	シツ	ジツ	チツ	ヂツ		ヒツ	ビツ		リツ
	e		エツ	ケツ	ゲツ	セツ	ゼツ	テツ	デツ		ヘツ	ベツ		レツ
	a		アツ	カツ	ガツ	サツ		タツ	ダツ		ハツ	バツ		ラツ
	o			コツ	ゴツ	ソツ		トツ	ドツ		ホツ	ボツ
	u		ウツ	クツ							フツ	ブツ
	i	-k	イク	キク			ジク	チク	ヂク					リク
	e		エキ	ケキ	ゲキ	セキ		テキ	デキ		ヘキ	ベキ		レキ
	a		アク	カク	ガク	サク		タク	ダク		ハク	バク		ラク
	o		オク	コク		ソク		トク			ホク	ボク		ロク
	u										フク
y	a	ø	ヤ	キャ		シャ	ジャ
	o		ヨ	キョ	ギョ	ショ	ジョ	チョ	ヂョ					リョ
	u		ユ			シュ	ジュ
	u	-u						チュウ
	u	n				シュン	ジュン	チュン
	a	-ng	ヤウ	キャウ	ギャウ	シャウ	ジャウ	チャウ	ヂャウ					リャウ
	o		ヨウ	キョウ	ギョウ	ショウ	ジョウ	チョウ	ヂョウ		ヒョウ			リョウ
	u		ユウ	キュウ		シュウ	ジュウ	チュウ						リュウ
	u	-t				シュツ		チュツ
	a	-k	ヤク	キャク	ギャク	シャク	ジャク	チャク						リャク
	o		ヨク	キョク	ギョク	ショク	ジョク	チョク	ヂョク		ヒョク			リョク
	u					シュク
w	i	ø	ヰ	クヰ	グヰ
	a		ワ	クヮ	グヮ
	o		ヲ
	e	-i	ヱイ	クヱイ
	a		ワイ	クヮイ	グヮイ
	i	-n	ヰン	クヰン		スヰン
	e		ヱン	クヱン	グヱン
	a		ワン	クヮン	グヮン
	o		ヲン
	e	-ng	ヱイ	クヱイ
	a		ワウ	クヮウ
	o		ヲウ
	e	t	ヱツ	クヱツ	グヱツ
	a		ワツ	クヮツ
	o		ヲツ
	i	-k	ヰク
	e			クヱキ
	a		ワク	クヮク
	o		ヲク
wi	a	-ng		クヰャウ
	a	-k		クヰャク
	o			クヰョク

現代げんだいの発音はつおん

拗音ようおん

オ段だん長音ちょうおん化か

w脱落だつらく

w脱落だつらく + オ段だん長音ちょうおん化か

yとwが交替こうたい