漢字かんじ文化ぶんかけん

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漢字かんじ文化ぶんかけん
漢字かんじ文化ぶんかけん地図ちず
  一般いっぱんてき漢字かんじ文化ぶんかけん
  ひろ意味いみでの漢字かんじ文化ぶんかけん
漢字かんじ文化ぶんかけんにおけるおも言語げんごで「漢字かんじ文化ぶんかけん」という概念がいねんのいいかたかた
中国ちゅうごく
繁体字はんたいじ 漢字かんじ文化ぶんかけん
簡体字かんたいじ 汉字文化ぶんかけん
発音はつおん記号きごう
東亜とうあ文化ぶんかけん
繁体字はんたいじ 東亞とうあ文化ぶんかけん
簡体字かんたいじ 东亚文化ぶんかけん
発音はつおん記号きごう
標準ひょうじゅん中国語ちゅうごくご
漢語かんご拼音Dōngyà wénhuà quān
マ字まじton-ia ven-ho-chioe
きゃく
きゃく拼音dung24 a31 vun11 fa55 kien24
粤語
粤拼dung1 aa3 man4 faa3 hyun1
閩南
閩南白話はくわTang-a bûn-huà-khian
閩東
ふくしゅうマ字まじDĕ̤ng Ā Ùng-huá-kuŏng
日本語にほんご
漢字かんじ 漢字かんじ文化ぶんかけん
ひらがな かんじぶんかけん
カタカナ カンジブンカケン
朝鮮ちょうせん
ハングル한자문화권
漢字かんじ漢字かんじ文化ぶんかけん
ベトナム
クオック・グーHán tự văn hóa quyển
Vùng văn hóa chữ Hán
チュハン漢字かんじ文化ぶんかけん
チュノム塳文𡨸かん

漢字かんじ
書体しょたい
篆刻てんこく毛筆もうひつ
かぶとこつぶん 金文きんぶん 篆書てんしょ
古文こぶん
隷書れいしょ 楷書かいしょ
行書ぎょうしょ
草書そうしょ
木版もくはん活版かっぱん
宋朝そうちょうたい 明朝体みんちょうたい 楷書かいしょたい
字体じたい
構成こうせい要素ようそ
筆画ひっかく 筆順ひつじゅん 偏旁へんぼう 六書りくしょ 部首ぶしゅ
標準ひょうじゅん字体じたい
せつぶんかい篆書てんしょたい
さましょ 石経いしきょう
かん字典じてんたいきゅう字体じたい
しん字体じたい しん字形じけい
国字こくじ標準ひょうじゅん字体じたい つね用字ようじ字形じけいひょう
漢文かんぶん教育きょういくよう基礎きそ漢字かんじ
通用つうよう規範きはん漢字かんじひょう
国字こくじ問題もんだい
当用とうよう常用漢字じょうようかんじ
同音どうおん漢字かんじによるきかえ
繁体字はんたいじ正体しょうたい - 簡体字かんたいじ
漢字かんじ廃止はいし復活ふっかつ
漢字かんじ文化ぶんかけん
なかあさこしだいしん
派生はせい文字もじ
国字こくじ 方言ほうげん のりてん文字もじ
仮名かめい たけし おんなしょ
ちぎり文字もじ おんな文字もじ 西にしなつ文字もじ
字音じおん

漢字かんじ文化ぶんかけん(かんじぶんかけん、きゅう字体じたいかん󠄁ぶん󠄁󠄁けん)とは、「文化ぶんかけん概念がいねんひとつ。漢字かんじ代表だいひょうされるかん文化ぶんか中国ちゅうごく文化ぶんか)を使用しようしているか、過去かこ使用しようしていた地域ちいきのことであり、漢字かんじほか漢文かんぶん儒教じゅきょう大乗だいじょう仏教ぶっきょうなどに由来ゆらいする文化ぶんか共有きょうゆうしている[1]漢字かんじけんともいう[2]ただし、ベトナム南部なんぶ場合ばあいによってインド文化ぶんかけん分類ぶんるいされるときもある。

概要がいよう[編集へんしゅう]

漢字かんじ文化ぶんかけんとは、中国ちゅうごく中国ちゅうごく皇帝こうていからのさつふうけた周辺しゅうへんもろ民族みんぞくのうち、漢文かんぶんとく中古ちゅうこ漢語かんご)を媒体ばいたいとして、中国ちゅうごく王朝おうちょう国家こっか制度せいど政治せいじ思想しそうをはじめとする文化ぶんか価値かちかんみずか移入いにゅうし、発展はってんさせ、これを中国ちゅうごく王朝おうちょうゆるやかに共有きょうゆうしながら政治せいじてきには自立じりつ確保かくほした地域ちいきす。日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃ西嶋にしじまじょうせい提唱ていしょうした「ひがしアジア世界せかいろんさつふう体制たいせいろん)」をきっかけとして定着ていちゃくし、歴史れきしがくにおける「文化ぶんかけん概念がいねん形成けいせいのモデルのひとつとなった。ただし、後述こうじゅつのように明確めいかくさつふう体制たいせいにはまれていたとはえないくにも、漢字かんじ文化ぶんかけんふくまれることには注意ちゅういようする。

現在げんざい地域ちいき区分くぶんでいうと「ひがしアジア」とかさなる部分ぶぶんおおきく、現在げんざい中国ちゅうごく大陸たいりく台湾たいわんベトナム朝鮮半島ちょうせんはんとう日本にっぽん列島れっとう琉球りゅうきゅう諸島しょとう代表だいひょうされる地域ちいきがここにふくまれる。 ただし、日本にっぽんにおいてはその一部いちぶ地域ちいき政権せいけんである邪馬台国やまたいこく卑弥呼ひみこ239ねんおややまとおう爵位しゃくいふうぜられたり、『こう漢書かんしょ』に当時とうじ倭国わのくにおうそちますらがこうかんやすみかどなまくち160にんけんじたとしるされているものの、ほぼ国家こっか統一とういつ607ねん聖徳太子しょうとくたいしずい煬帝たいし、ずいとの対等たいとう表明ひょうめいするため「しょ天子てんし」や「ひがし天皇てんのう」としるした文書ぶんしょおくるも、ずいほろび、から王朝おうちょうおこると、さつふうけなかったものの朝貢ちょうこう使派遣はけん再開さいかいされ、その朝貢ちょうこう貿易ぼうえき断続だんぞくてきつづき、南朝なんちょう後醍醐天皇ごだいごてんのう皇子おうじなつけ親王しんのうが、明太めんたいから「日本国にっぽんこくおうりょうふところ(にほんこくおうりょうかい)」としてふうじられ、室町むろまち幕府ばくふ3だい将軍しょうぐん足利あしかが義満よしみつも、「日本にっぽん国王こくおうみなもと道義みちよし(にほんこくおうげんどうぎ)」として日本にっぽん国王こくおうさつふうされた。

また、かん民族みんぞく主要しゅよう民族みんぞくとするくに以外いがいで、現在げんざいまで漢字かんじ日常にちじょうてき使用しようしている国家こっかは、日本にっぽんだけである。ベトナムでは識字しきじりつ向上こうじょう観点かんてんから、義務ぎむ教育きょういく完全かんぜん漢字かんじ教育きょういく廃止はいしした。朝鮮半島ちょうせんはんとうでは、北朝鮮きたちょうせん公式こうしき漢字かんじ廃止はいしして、国民こくみんには漢文かんぶん教育きょういくのみっている。韓国かんこくでは独立どくりつ同時どうじハングル専用せんようほう制定せいていされ、漢字かんじカッコきでのあつかいとなった。さらに漢字かんじ教育きょういく重要じゅうようされずに、1970年代ねんだい以降いこう必修ひっしゅう教科きょうかでなくなったことから、漢字かんじめない世代せだい増加ぞうかしている(詳細しょうさい朝鮮ちょうせんにおける漢字かんじ参照さんしょう)。

漢字かんじ文化ぶんかけん内包ないほう外延がいえん[編集へんしゅう]

南北なんぼくあさからそうだいまで[編集へんしゅう]

歴史れきしがくじょう概念がいねんとしての漢字かんじ文化ぶんかけん外延がいえんかんがえる場合ばあい西嶋にしじまさつふう体制たいせいろん」が想定そうていする南北なんぼくあさ時代じだいからとうだいにかけての地域ちいき秩序ちつじょだいいち参照さんしょうれいとなる。西嶋にしじまは「ひがしアジア世界せかい」を定義ていぎする指標しひょうとして、さつふうのほか、漢字かんじ儒教じゅきょう仏教ぶっきょう律令制りつりょうせいの4けんげており、これに該当がいとうするおも朝貢ちょうこうこくには しん渤海日本にっぽん倭国わのくに)がある。このほか律令制りつりょうせい導入どうにゅう確認かくにんできない高句麗こうくり百済くだらくわえてつかえない。なおきたそう以降いこうこううららしんってわり、またあたらしく大越おおこしくわわる。

このほか、みなみみことのりおよだいについては、その政治せいじ制度せいど文化ぶんかかん漢籍かんせき資料しりょうだけからはかることはむずかしいが、みなみみことのりとうの、だいきたそうさつふうけており、中国ちゅうごく密教みっきょう流行りゅうこうしていたこと、また移住いじゅうした漢人かんど政治せいじ関与かんよしていることは、しん百済くだらなど典型てんけいてきな「ひがしアジア世界せかい」の朝貢ちょうこうこく並行へいこうてきである[3]

明代あきよ以降いこう[編集へんしゅう]

さつふう体制たいせい」が復活ふっかつしたあきらだい以降いこうになると、漢字かんじ文化ぶんかけんはい要件ようけんたす国家こっか(ないし地域ちいき)は現在げんざいまでつづ安定あんていせいをほぼ確立かくりつしており、朝鮮ちょうせん琉球りゅうきゅう大越おおこしこしみなみ)、そして日本にっぽんがこれにあたる。この時期じきには、日本にっぽん足利あしかが将軍しょうぐん代替だいがわりにともない、「さつふう体制たいせい」にくわわったり、はなれたりをかえしているほか、律令制りつりょうせい形骸けいがいし、わって科挙かきょ官僚かんりょうせい発達はったつするなど、西嶋にしじまげた4けんすべてをたされなくなった。特徴とくちょうてき文化ぶんか要素ようそとしてだいいちげるべきは書記しょき言語げんごである。漢文かんぶん移入いにゅう漢字かんじによる言語げんご文字もじうながしたため、日本にっぽん仮名かめい朝鮮ちょうせん口訣くけつ吏読りと[注釈ちゅうしゃく 1]、ベトナムのチュノムなど、漢字かんじから派生はせいした独自どくじ文字もじ用法ようほう発達はったつし、それぞれの国家こっか固有こゆうせい保障ほしょうする書記しょき言語げんご確立かくりつした[注釈ちゅうしゃく 2]宗教しゅうきょうめんでは土着どちゃくした仏教ぶっきょう道教どうきょうなどが、地域ちいきてき濃淡のうたん混淆こんこう(シンクレティズム)をせながら民衆みんしゅう普及ふきゅうし、政治せいじ思想しそうとしての儒教じゅきょうわせて、圏内けんないでゆるやかに共通きょうつうする思惟しい枠組わくぐみが定着ていちゃくするにいたった。食事しょくじにおけるはし使用しよう喫茶きっさ習慣しゅうかん建築けんちくにおけるかわら使用しようなど、生活せいかつ文化ぶんかなかにも漢字かんじ文化ぶんかけん起源きげんとし、これを中心ちゅうしん分布ぶんぷする特徴とくちょうられる。

用語ようご選定せんてい要因よういん[編集へんしゅう]

文化ぶんかけん概念がいねん設定せってい命名めいめいさいしては、地名ちめいによる場合ばあいと、文化ぶんか主要しゅよう規定きてい要因よういんとなる宗教しゅうきょうめいまたは書記しょき言語げんごめいかんする場合ばあいとがある。漢字かんじ文化ぶんかけん場合ばあい、「ひがしアジア文化ぶんか文明ぶんめいけん」「儒教じゅきょう文化ぶんかけん」などの用語ようご並行へいこうてき使つかわれているが、「ひがしアジア」という地域ちいき名称めいしょうには具体ぐたいてき意味いみ内包ないほうがなく抽象ちゅうしょうてきすぎること[注釈ちゅうしゃく 3]中華ちゅうかけん日本にっぽん朝鮮ちょうせん、ベトナムなどにおいて「儒教じゅきょう」の受容じゅようのされかたにそれぞれちがいがあることから、「漢字かんじ」が全体ぜんたい平等びょうどうにカバーする中立ちゅうりつてきかつ具体ぐたいてき文化ぶんか要素ようそとして適切てきせつ判断はんだんされ、もっとも普及ふきゅうしたものとかんがえられる[注釈ちゅうしゃく 4]

きん現代げんだいにおける漢字かんじ存廃そんぱいについて[編集へんしゅう]

漢字かんじ文化ぶんか圏内けんない現存げんそんする各国かっこく書記しょき言語げんごおおくは漢文かんぶんから発達はったつするか漢語かんごからの語彙ごい借用しゃくようおこなったため、その語彙ごいには漢語かんごけい語彙ごいおおふくまれ、音声おんせい言語げんごにも流入りゅうにゅう通用つうようしている。現在げんざい日本語にほんご朝鮮ちょうせんベトナムでは辞書じしょ掲載けいさいされている語彙ごいの6わり程度ていど漢文かんぶん起源きげん単語たんごである[4][5][6]ラテン文字もじ存在そんざいられて以降いこう漢字かんじ学習がくしゅう困難こんなんさや、表意ひょうい文字もじひょう文字もじ)を主体しゅたいとする漢字かんじでは表音ひょうおん表現ひょうげん表音ひょうおん文字もじ)がむずかしく、不便ふべん性質せいしつたいする不満ふまんから、漢字かんじ廃止はいしろんとなえられるようになった。

おも近代きんだいになり、中国ちゅうごくからの文化ぶんかてき自立じりつナショナル・アイデンティティ確立かくりつ課題かだいとされ、漢字かんじそのものが中国ちゅうごく文化ぶんかへの従属じゅうぞく象徴しょうちょうなされるようになったため、漢字かんじ廃止はいし、または制限せいげんする政策せいさくられるようになった。日本にっぽんでは国学こくがくしゃ漢字かんじ廃止はいしとなえ、カナ文字もじ運動うんどうなどを経由けいゆ最終さいしゅうてき漢字かんじ制限せいげんしん字体じたい採用さいよういた(国語こくご国字こくじ問題もんだい)。大韓民国だいかんみんこくでは漢文かんぶん教育きょういくよう基礎きそ漢字かんじ1800中等ちゅうとう教育きょういくおしえられているが、一般いっぱんには朝鮮ちょうせんだい4だい国王こくおうむね時代じだい制定せいていされたくんみんせいおと現在げんざいハングル)が使用しようされ、新聞しんぶんひとしでも漢字かんじはほとんど使つかわれることはない。ハングル専用せんよう漢字かんじ混用こんようかの議論ぎろんは「文字もじ戦争せんそう」ともばれている。朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく廃止はいしベトナムではベトナム民主みんしゅ共和きょうわこくにより廃止はいし、またもともとフランスの植民しょくみん支配しはいにおいて流入りゅうにゅうしたマ字まじ表記ひょうきクオック・グー国語こくご)が一般いっぱん使用しようされており、高齢こうれいしゃ一部いちぶ専門せんもん日本語にほんご中国ちゅうごく学習がくしゅうしゃ以外いがいで、漢字かんじ理解りかいするひとすくない。 中国ちゅうごくでも、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく成立せいりつにより簡体字かんたいじ制定せいていされ、シンガポールなどの華人かじん社会しゃかいでも使用しようされている。一方いっぽう中華民国ちゅうかみんこく政府せいふのがれた台湾たいわんと、香港ほんこんおよびマカオでは簡略かんりゃくをせずかん字典じてんたいちか繁体字はんたいじ使用しようしているため、字体じたいなりがしょうじた。

中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくチベットウイグルうちモンゴルなどは漢字かんじ文化ぶんかけんではなく、民族みんぞく区域くいき自治じちとしてふるくからの文字もじ体系たいけいいまでものこっているものの、21世紀せいき以降いこうかん民族みんぞく政治せいじ経済けいざいりょく影響えいきょうにより、子供こども子弟してい漢字かんじ文化ぶんかけん教育きょういくほどこものおおくなっている。

漢字かんじ文化ぶんか圏内けんない相互そうご固有名詞こゆうめいし表記ひょうき[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ いわゆるハングル漢字かんじから派生はせいした文字もじではないが、その音節おんせつ文字もじてき特徴とくちょう漢字かんじからの影響えいきょうがあることはあきらかである。なお言語げんご学者がくしゃ西田にしだ龍雄たつおちぎり文字もじからヒントを可能かのうせい指摘してきしている。
  2. ^ ただしこれらの書記しょき言語げんご漢文かんぶん優越ゆうえつする公用こうようぶんとしての地位ちい確立かくりつするのは近代きんだい以降いこうのことである。
  3. ^ ひがしアジア」自体じたい政治せいじてきニュアンスをびた「東亜とうあ」の代替だいたいとして戦後せんごあたらしくつくされた用語ようごであり、むしろ余分よぶん意味いみ内包ないほうたない中立ちゅうりつてき用語ようごであることがもとめられたのである。
  4. ^ このかたり初出しょしゅつ亀井かめいたかし大藤おおふじ時彦ときひこ山田やまだ俊雄としお日本語にほんご歴史れきし2文字もじとのめぐりあい』平凡社へいぼんしゃ、1963ねんわれている。亀井かめいたかしのち自分じぶんが「漢字かんじ文化ぶんかけん」という用語ようごはじめて使つかったとべている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 漢字かんじ文化ぶんかけん」とは
  2. ^ 村田むらた雄二郎ゆうじろう、C・ラマール へん漢字かんじけん近代きんだい東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねんISBN 978-4-13-083042-3 
  3. ^ このぶん記述きじゅつにあたってははやし謙一郎けんいちろうみなみみことのりだいこく統治とうち体制たいせい支配しはい」『東南とうなんアジア-歴史れきし文化ぶんか-』28ごう、1999ねん、28-54ページを参考さんこうにした。
  4. ^ The Languages of Japan, Cambridge University Press, 1990.
  5. ^ The Korean Language, Cambridge University Press, 2001.
  6. ^ What’s so Chinese about Vietnamese?[1]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 亀井かめいたかし大藤おおふじ時彦ときひこ山田やまだ俊雄としお日本語にほんご歴史れきし2文字もじとのめぐりあい』平凡社へいぼんしゃ、1963ねんISBN 4582766013
  • 藤堂とうどうあきら漢字かんじとその文化ぶんかけん光生みつおかん、1971ねん 
  • 西嶋にしじまじょうせい中国ちゅうごく古代こだい国家こっかひがしアジア世界せかい東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、1983ねんISBN 4130210440
  • 西田にしだ龍雄たつお漢字かんじ文明ぶんめいけん思考しこう地図ちず』PHP研究所けんきゅうじょ、1984ねんISBN 4569212042
  • 福井ふくい文雅ぶんが漢字かんじ文化ぶんかけん思想しそう宗教しゅうきょう : 儒教じゅきょう仏教ぶっきょう道教どうきょう書房しょぼう、1998ねんISBN 4795253935
  • 福井ふくい文雅ぶんが漢字かんじ文化ぶんかけん座標ざひょう書房しょぼう、2002ねんISBN 4896197410

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]