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藤堂とうどうあきら

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藤堂とうどう あきら
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん (1915-09-20) 1915ねん9がつ20日はつか
日本の旗 日本にっぽん三重みえけん阿山あやまぐん
死没しぼつ 1985ねん1がつ2にち(1985-01-02)(69さいぼつ
出身しゅっしんこう 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがくささえ学科がっか
学問がくもん
研究けんきゅう分野ぶんや 中国ちゅうごく文学ぶんがく
研究けんきゅう機関きかん 東京大学とうきょうだいがく早稲田大学わせだだいがく
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藤堂とうどう あきら(とうどう あきやす、1915ねん9がつ20日はつか - 1985ねん1がつ2にち)は、日本にっぽん中国ちゅうごく学者がくしゃ中国ちゅうごく文学ぶんがくしゃ

来歴らいれき人物じんぶつ

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三重みえけん阿山あやまぐん(のちの上野うえのげん伊賀いがいきまれ。家系かけいはん伊賀上野いがうえの城代しろだい藤堂とうどうちち赴任ふにんにより大連たいれんそだつ。1938ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがくささえ哲学てつがく卒業そつぎょう外務省がいむしょう研修けんしゅういんとして北京ぺきん留学りゅうがくする。そのまま応召おうしょうし、1941ねん現地げんち除隊じょたい、さらに通訳つうやくとして軍務ぐんむ従事じゅうじする。敗戦はいせん南京なんきんむかえ、その翌日よくじつには軍命ぐんめいハノイび、1947ねん中国ちゅうごく経由けいゆ復員ふくいんする。

帰国きこく第一高等学校だいちこうとうがっこう教授きょうじゅて、1950ねん東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ専任せんにん講師こうし1954ねんどう助教授じょきょうじゅ1963ねんどう教授きょうじゅ東大とうだい紛争ふんそう全共闘ぜんきょうとう支持しじ表明ひょうめいし、1970ねん強行きょうこう排除はいじょ抗議こうぎして辞職じしょく、その直後ちょくごから『11PM』に出演しゅつえんして「おんなへんの漢字かんじ」を解説かいせつしたり、1971ねんからはNHKテレビの『中国ちゅうごく講座こうざ講師こうし担当たんとうするなど、マスコミでも活躍かつやくした。1972ねんより早稲田大学わせだだいがく政治せいじ経済学部けいざいがくぶ客員きゃくいん教授きょうじゅ1976ねんからにち中学ちゅうがくいんちょう

研究けんきゅうについて

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せんもん音韻おんいんがくで、1962ねん上古じょうこ漢語かんご単語たんご家族かぞく研究けんきゅう」で東京大学とうきょうだいがくから文学ぶんがく博士はかせごう授与じゅよされる。漢字かんじ意味いみ語源ごげん)の遡及そきゅうにおいて、字形じけい異同いどうから共通きょうつうする意義いぎもと抽出ちゅうしゅつしようとする伝統でんとうてき文字もじがく手法しゅほうではなく、字音じおん異同いどう重視じゅうしし、字形じけいことなっていても字音じおんおなじであればなんらかの意義いぎ共通きょうつうせいがあるとかんがえる「単語たんご家族かぞくせつ」を提唱ていしょうした[1]1970ねん刊行かんこうされた白川しらかわしずの『漢字かんじ』をぜん否定ひていし、白川しらかわ反論はんろんけている。日本にっぽん漢字かんじ改革かいかくについても発言はつげんしたが、「単語たんご家族かぞくせつ」の発想はっそうもとづいて、発音はつおん意味いみ一部いちぶおなじくする漢字かんじ統合とうごうすることにより、字数じすう削減さくげんできると主張しゅちょうした。また、独自どくじ観点かんてんもとづく『学研がっけん漢和かんわだい字典じてん』を編纂へんさんし、かん文学ぶんがく知識ちしきをよりわかりやすいかたち提供ていきょうするあたらしい漢和かんわ字典じてん嚆矢こうしとなった。

著書ちょしょ

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  • 中国ちゅうごく語源ごげん漫筆まんぴつ大学だいがく書林しょりん、1955ねん
  • 中国ちゅうごく文法ぶんぽう研究けんきゅう江南こうなん書院しょいん、1956ねん
  • 中国ちゅうごく音韻おんいんろん江南こうなん書院しょいん、1957ねん
  • 漢文かんぶん概説がいせつ 日本語にほんごそだてたもの (しげるえい出版しゅっぱん、1960ねん
  • 漢字かんじ語源ごげん研究けんきゅう 上古じょうこ漢語かんご単語たんご家族かぞく研究けんきゅうがくとうしゃ、1963ねん
  • 言葉ことば系譜けいふ新潮社しんちょうしゃ(ポケット・ライブラリ)、1964ねん
  • 漢字かんじ語源ごげん辞典じてんがくとうしゃ、1964ねん
  • 漢字かんじ知恵ちえ その生立おいたちと日本語にほんご徳間書店とくましょてん、1965ねん、のち徳間とくま文庫ぶんこ
  • 漢字かんじ起源きげん徳間書店とくましょてん、1966ねん、のち講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ
  • 漢字かんじ文化ぶんか徳間書店とくましょてん、1967ねん、のち徳間とくま文庫ぶんこ
  • おんなへんの文字もじ山王さんのう書房しょぼう、1967ねん、のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 漢字かんじ思想しそう徳間書店とくましょてん徳間とくまブックス)、1968ねん
  • 漢語かんご日本語にほんごしげるえい出版しゅっぱん、1969ねん
  • おんなについての漢字かんじはなし徳間書店とくましょてん、1970ねん
  • きょう 中国ちゅうごくしん日本にっぽんしん中央ちゅうおう図書としょ、1971ねん
  • 中国ちゅうごく 日本人にっぽんじんとしてかんがえること (徳間書店とくましょてん、1971ねん
  • 漢字かんじとその文化ぶんかけん光生みつおかん、1971ねん
  • 中国ちゅうごく素顔すがおかたる (がくとうしゃ、1972ねん
  • 文明ぶんめい」への反逆はんぎゃく中央ちゅうおう図書としょ、1972ねん
  • 中国ちゅうごく名言めいげんしゅう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1974ねん
  • 中国ちゅうごく名言めいげんしゅう つづけ朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1975ねん、のち朝日あさひ文庫ぶんこぜん3かん
  • たけ」の漢字かんじぶん」の漢字かんじ その起源きげんから思想しそうへ (徳間書店とくましょてん、1977ねん
  • 西域せいいき紀行きこう シルクロードの歴史れきしたび日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ、1978ねん、のち旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 中国ちゅうごく概論がいろん大修館書店たいしゅうかんしょてん、1979ねん
  • 賢者けんじゃへの人間にんげんがく 中国ちゅうごく知恵ちえ 知者ちしゃのうしゃ勝者しょうしゃ産業さんぎょう新潮社しんちょうしゃ、1980ねん
  • 漢字かんじはなし 1 (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1980ねん
  • 漢字かんじはなし 2 (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1981ねん、のち朝日あさひ選書せんしょ上下じょうげ
  • 漢字かんじ文化ぶんか世界せかい角川かどかわ選書せんしょ、1982ねん
  • 漢字かんじ過去かこ未来みらい岩波いわなみ新書しんしょ、1982ねん
  • 中国ちゅうごく歴史れきし故事こじ旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ、1985、徳間とくま文庫ぶんこ、1989ねん
  • 中国ちゅうごく遺跡いせきたび上下じょうげ旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ、1985ねん

共著きょうちょ編著へんちょ

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  • 中国ちゅうごく古典こてんみかた (近藤こんどう光男みつお共著きょうちょ 江南えな書院しょいん、1956ねん
  • 中国ちゅうごく古典こてんみかた 学習がくしゅうへん近藤こんどう光男みつお共著きょうちょ 江南えな書院しょいん、1958ねん
  • おとちゅういんきょう校本こうほん小林こばやしひろし共著きょうちょ 木耳きくらげしゃ、1971ねん
  • 漢字かんじまんだら (望月もちづき美佐みさ共著きょうちょ 読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、1972ねん
  • 学研がっけん漢和かんわだい字典じてん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、1978ねん
  • 昭文あきふみ漢字かんじ用語ようご字典じてん昭文社しょうぶんしゃ、1978ねん
  • しんてい中国語ちゅうごくご概論がいろん相原あいはらしげる共著きょうちょ 大修館書店たいしゅうかんしょてん、1985ねん
  • 中国ちゅうごく古典こてん17 倭国わのくにでん学研がっけん、1985ねん竹田たけだあきら影山かげやま輝國てるくにきょう訳注やくちゅう
    倭国わのくにでん ぜん訳注やくちゅう中国ちゅうごく正史せいしえがかれた日本にっぽん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2010ねん

関係かんけいしゃ

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  • 司馬しばりょう太郎たろう - 藤堂とうどう友人ゆうじんで、藤堂とうどう中国語ちゅうごくごがく知識ちしきたか評価ひょうかしていた。
    藤堂とうどうおこなった中学ちゅうがくいん改築かいちく資金しきんあつめのバザーには司馬しば協力きょうりょくした。
    司馬しば晩年ばんねんのエッセイにも藤堂とうどう登場とうじょうしている。藤堂とうどうにあたって「あの膨大ぼうだい漢字かんじ音韻おんいん知識ちしきは、どこへいってしまうのだろう」といたんだ。
  • 加納かのう喜光よしみつ - 藤堂とうどう大学院だいがくいん時代じだい指導しどう教官きょうかんであり弟子でしすじにあたる。
  • 高島たかしま俊男としお - 大学院だいがくいん時代じだい指導しどう教官きょうかん前野まえのただしあきらであったが、藤堂とうどうどう時期じき教官きょうかんであり、その講義こうぎ模様もようなどをエッセイにしている。
  • ベルンハルド・カールグレン - 西洋せいよう言語げんごがく援用えんようする上古じょうこおん復元ふくげん研究けんきゅうおこない、藤堂とうどう研究けんきゅう基礎きそにおいた。

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ 藤堂とうどうあきら単語たんご家族かぞくろん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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