説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 大 だい 徐 じょ 本 ほん (汲古閣 かく 本 ほん )
『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』(せつもんかいじ、拼音 : Shuōwén Jiězì )は、最古 さいこ の漢字 かんじ 字典 じてん 。略 りゃく して説 せつ 文 ぶん (せつもん、拼音 : Shuōwén )ともいう。後 こう 漢 かん の許 もと 慎 まき (きょしん)の作 さく で、約 やく 九 きゅう 千 せん の文字 もじ に対 たい して、その一 ひと つ一 ひと つに文字 もじ の成 な り立 た ちを説 と き、文字 もじ の本来 ほんらい の意味 いみ を究明 きゅうめい し、「部首 ぶしゅ 法 ほう 」という原則 げんそく で文字 もじ をグループごとに分類 ぶんるい した。
漢字 かんじ を客観 きゃっかん 的 てき な考察 こうさつ の対象 たいしょう としてとらえ、全面 ぜんめん 的 てき な考察 こうさつ を加 くわ えた初 はじ めての試 こころ みであり、初 はつ の漢字 かんじ 研究 けんきゅう 書 しょ ともいえる。現在 げんざい となっては、甲 かぶと 骨 こつ 文 ぶん や金文 きんぶん といった豊富 ほうふ な古代 こだい 文字 もじ 資料 しりょう の発掘 はっくつ により、『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』の解説 かいせつ が的外 まとはず れとなっているケースも多々 たた あるが、当時 とうじ において小篆 しょうてん を基礎 きそ に字 じ の成 な り立 た ちの解説 かいせつ を試 こころ みた『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』の業績 ぎょうせき の価値 かち はいまなお衰 おとろ えないとされる。
『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』成立 せいりつ の背景 はいけい [ 編集 へんしゅう ]
『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』以前 いぜん から、李 り 斯の『倉 くら 頡篇』や史 ふみ 游 ゆう 『急 きゅう 就篇』といった識字 しきじ 教科書 きょうかしょ が作 つく られていた。その背景 はいけい には、国家 こっか 官僚 かんりょう を採用 さいよう する際 さい に文字 もじ の書 か き取 と りの試験 しけん があったことが挙 あ げられる[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。ただ、これらはあくまで実用 じつよう 本位 ほんい のものであり、ここから発展 はってん し、漢字 かんじ の内包 ないほう する世界 せかい をとらえようとする漢字 かんじ 研究 けんきゅう の書 しょ として『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』が作 つく られた。
また、秦 しん 代 だい の焚書 ふんしょ などによって経書 けいしょ の伝来 でんらい が途切 とぎ れそうになったが、前漢 ぜんかん の初 はじ めには隷書 れいしょ である「今 こん 文 ぶん 」で書 か かれた経書 けいしょ がふたたび博士 はかせ 官 かん に伝 つた えられるようになった。ただ、前漢 ぜんかん 中 ちゅう 期 き から後期 こうき にかけて、古 ふる い文字 もじ である「古文 こぶん 」で書 か かれた経書 けいしょ が発見 はっけん されることもあり、これは特 とく に劉 りゅう 歆らによって顕彰 けんしょう された。今 こん 文 ぶん ・古文 こぶん の相違 そうい は、ただの字体 じたい の相違 そうい だけではなく、その解釈 かいしゃく や研究 けんきゅう 法 ほう にも相違 そうい を生 う み出 だ し、官学 かんがく として博士 はかせ 官 かん の間 あいだ で継承 けいしょう された今 こん 文学 ぶんがく と在野 ざいや の学 がく として発展 はってん した古 こ 文学 ぶんがく は、儒学 じゅがく を二分 にぶん するようになり、経書 けいしょ の正 ただ しい解釈 かいしゃく を巡 めぐ って論争 ろんそう が起 お こっていた。
許 もと 慎 まき (字 じ は叔重)は、温厚 おんこう で誠実 せいじつ な人 ひと として知 し られ、また経書 けいしょ に通 つう じていたことから「五経 ごきょう 無双 むそう 許 もと 叔重」と称 しょう され、当時 とうじ の大学 だいがく 者 しゃ である馬 うま 融 とおる も許 もと 慎 まき を尊敬 そんけい していた。許 もと 慎 まき は、郡 ぐん の功 こう 曹(勤務 きんむ 評定 ひょうじょう の担当 たんとう )となり、孝 こう 廉 かど として推挙 すいきょ されて中央 ちゅうおう の官界 かんかい に進出 しんしゅつ したのち、洨(安徽 あんき 省 しょう 霊 れい 璧県)の長官 ちょうかん となった。
許 もと 慎 まき は、五経 ごきょう の解釈 かいしゃく の混乱 こんらん を正 ただ すために、まず『五経 ごきょう 異義 いぎ 』を制作 せいさく した。これは古 こ 文学 ぶんがく を基調 きちょう としながらも、今 こん 文 ぶん の解釈 かいしゃく を交 まじ えながら解釈 かいしゃく し、両者 りょうしゃ を統合 とうごう する方向 ほうこう 性 せい を示 しめ している。『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』もこれと同 おな じく、経書 けいしょ の正 ただ しい解釈 かいしゃく を示 しめ すために記 しる されたもので、経書 けいしょ は文字 もじ によって書 か かれているのだから、その文字 もじ を正 ただ しい解釈 かいしゃく によって読 よ むことで、経書 けいしょ 全体 ぜんたい の正 ただ しい理解 りかい を得 え られるという意図 いと から制作 せいさく された。許 もと 慎 まき は『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』叙 じょ で以下 いか のように述 の べている。
思 おも うに文字 もじ とは経 けい 芸 げい (経書 けいしょ に関 かん する学問 がくもん )の根本 こんぽん であって、王者 おうじゃ による統治 とうち の基礎 きそ である。また前代 ぜんだい の人々 ひとびと が後世 こうせい に範 はん を垂 た れる道具 どうぐ であって、(同時 どうじ に)後世 こうせい の人々 ひとびと が前代 ぜんだい を学 まな ぶ道具 どうぐ である。だから「根本 こんぽん が定 さだ まってはじめて道 みち が生 う まれる」(『論語 ろんご 』のことば)といい、「天下 てんか のまことに奥深 おくふか いものを理解 りかい して、しかも混乱 こんらん することはない」(『易 えき 』のことば)という。 — 許 もと 慎 まき
和 かず 帝 みかど の永 えい 元 はじめ 12年 ねん (100年 ねん )に「叙 じょ 」が書 か かれ、建 たて 光 ひかり 元年 がんねん (121年 ねん )に許 もと 慎 まき の子 こ の許 もと 沖 おき が安 やす 帝 みかど に奉 たてまつ った。『説 せつ 文 ぶん 』の完成 かんせい 年 ねん については、「叙 じょ 」が書 か かれた100年 ねん に完成 かんせい していたとする説 せつ と、そこから20年 ねん ほど修 おさむ 改 あらため し121年 ねん に完成 かんせい したとする説 せつ がある。
『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』のもっとも基本 きほん 的 てき な書式 しょしき は、まず小篆 しょうてん の字形 じけい を掲 かか げ、次 つぎ にその文字 もじ の意味 いみ と、その字形 じけい の成 な り立 た ちを説 と くものである。解説 かいせつ では声 こえ 訓 くん や五 ご 行 ぎょう 説 せつ が用 もち いられることもある。場合 ばあい によっては、これに古文 こぶん ・籀文、また古文 こぶん 奇 き 字 じ などの別 べつ の字形 じけい が挙 あ げて補足 ほそく される。また、その後 ご に字音 じおん を示 しめ したり、経書 けいしょ の用例 ようれい 、方言 ほうげん による差異 さい 、別 べつ 説 せつ などを書 か き加 くわ えたりすることもある。
また、『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』叙 じょ では、個々 ここ の文字 もじ の解釈 かいしゃく 方法 ほうほう として「六書 りくしょ 」の原則 げんそく を挙 あ げている。
象形 しょうけい
単体 たんたい 文字 もじ のうち、あるものの形 かたち の特徴 とくちょう をとらえて、そのまま写 うつ し取 と ったもの。「日 ひ 」「月 つき 」「貝 かい 」「海 うみ 」「女 おんな 」「戸 と 」「門 もん 」
指事 しじ
単体 たんたい 文字 もじ のうち、抽象 ちゅうしょう 的 てき な概念 がいねん を指 さ すもので、頭 あたま を働 はたら かせれば字形 じけい の造 みやつこ 意 い が理解 りかい できるもの。「上 うえ 」「下 した 」「本 ほん 」「末 まつ 」
会意 かいい
複 ふく 体 たい 文字 もじ のうち、意味 いみ 範囲 はんい を示 しめ す要素 ようそ を並 なら べて意味 いみ を組 く み合 あ わせ、それによって内容 ないよう を示 しめ すもの。「武 たけ 」(戈 ほこ +止 とめ )、「信 しん 」(人 ひと +言 げん )、「戻 もど 」(戸 と +犬 いぬ )など。
形声 けいせい
複 ふく 体 たい 文字 もじ のうち、意味 いみ を表 あらわ す部分 ぶぶん (意 い 符 ふ )と音 おと を表 あらわ す部分 ぶぶん (音符 おんぷ )からなるもの。「江 こう 」(意 い 符 ふ がさんずい、音符 おんぷ が工 こう 。長江 ちょうこう を指 さ す)、「河 かわ 」(意 い 符 ふ がさんずい、音符 おんぷ が可 か 。黄河 こうが を示 しめ す)。
転注 てんちゅう
歴代 れきだい 議論 ぎろん され続 つづ けており、定説 ていせつ はない。戴震 ・段 だん 玉 だま 裁 さい は、「互訓」のこと、つまり「考 こう 」字 じ の解説 かいせつ には「老 ろう なり」とあり、「老 ろう 」字 じ の解釈 かいしゃく には「考 こう なり」とあるような二 ふた つの字 じ が互 たが いに注釈 ちゅうしゃく しあう関係 かんけい にある文字 もじ を指 さ すとする。
仮借 かしゃく
もともとは表現 ひょうげん すべき文字 もじ のない事物 じぶつ を、同 おな じ発音 はつおん の字 じ を利用 りよう して代 か わりに表 あらわ す方法 ほうほう 。
徐 じょ 鍇 は、六書 りくしょ は三 さん セットに分 わ けられるとし(六書 りくしょ 三 さん 耦説)、単体 たんたい 文字 もじ (文 ぶん )の造 みやつこ 字 じ 原則 げんそく を述 の べる象形 しょうけい ・指示 しじ 、複 ふく 体 たい 文字 もじ (字 じ )の造 みやつこ 字 じ 原則 げんそく を述 の べる会意 かいい ・形声 けいせい 、用字 ようじ 原則 げんそく としての転注 てんちゅう ・仮借 かしゃく の三 さん 組 くみ でとらえている。
なお、後 こう 漢 かん 初代 しょだい 光武 みつたけ 帝 みかど 劉 りゅう 秀 しげる から完成 かんせい 当時 とうじ の皇帝 こうてい 安 やす 帝 みかど 劉 りゅう 祜 までの各 かく 皇帝 こうてい の諱 いみな (秀 しゅう 、荘 そう 、炟 、肇 はじめ 、祜)は、夭逝 ようせい した殤帝劉 りゅう 隆 たかし の「隆 たかし 」を除 のぞ いて、避諱 により「上 うえ 諱 いみな 」とのみ記 しる せられ本義 ほんぎ の解説 かいせつ はなされていない[ 24] 。
『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』叙 じょ によれば、見出 みだ しに掲 かか げられる小篆 しょうてん が9353字 じ 、古文 こぶん ・籀文などで掲 かか げられる重文 じゅうぶん が1163字 じ 、そして解説 かいせつ の字 じ を含 ふく めると全書 ぜんしょ で13万 まん 3441字 じ であった。ただ、現在 げんざい に伝 つた えられるテキストはその後 ご の筆写 ひっしゃ の過程 かてい で文字 もじ の増減 ぞうげん を経 へ ており、段 だん 玉 だま 裁 さい のときには小篆 しょうてん は9431字 じ 、重文 じゅうぶん は1279字 じ 、全文 ぜんぶん は12万 まん 2699字 じ となっていた。
文字 もじ の分類 ぶんるい 法 ほう は、「部首 ぶしゅ 法 ほう 」と呼 よ ばれる方法 ほうほう 、つまり文字 もじ を部首 ぶしゅ 別 べつ に分 わ けて収 おさ める方法 ほうほう を採 と り、合計 ごうけい で540の部首 ぶしゅ が立 た てられた。部首 ぶしゅ の数 かず が540に揃 そろ えられた理由 りゆう は、陰陽 いんよう の象徴 しょうちょう の数 かず である六 ろく ・九 きゅう を掛 か け合 あ わせた「54」を基盤 きばん とするからと考 かんが えられる。また、『説 せつ 文 ぶん 』では部首 ぶしゅ 内 ない の漢字 かんじ が画数 かくすう 順 じゅん に並 なら べられるといったこともない。
なお、部首 ぶしゅ と親 おや 字 じ は篆書 てんしょ で示 しめ されるため、「刑 けい (㓝)」が井部 いべ ・「法 ほう (灋)」が廌部・「善 ぜん (譱)」が誩部など、楷書 かいしょ で考 かんが えるとなぜその部首 ぶしゅ に属 ぞく するのかわからないことがある。また部首 ぶしゅ を立 た てるのは検索 けんさく を便利 べんり にするためではなく、ある字 じ を意 い 符 ふ にした字 じ がある場合 ばあい は、原則 げんそく として意 い 符 ふ を部首 ぶしゅ に立 た てる。このため現在 げんざい から考 かんが えると部首 ぶしゅ らしくない字 じ も部首 ぶしゅ になる。例 たと えば「箕 み 」が部首 ぶしゅ になっているのは、この字 じ を意 い 符 ふ とする「簸 ひ 」という字 じ があるためである。一方 いっぽう で、「一 いち 」から「十 じゅう 」までの数字 すうじ 、「甲 かぶと 」から「癸 みずのと 」までの十干 じっかん 、「子 こ 」から「亥 い 」までの十二支 じゅうにし がすべて部首 ぶしゅ になっているが、この中 なか には「三 さん 」・「四 よん 」・「甲 かぶと 」・「丙 へい 」・「寅 とら 」・「卯 う 」など部首 ぶしゅ 字 じ 1字 じ しか属 ぞく していないものも多 おお い[要 よう 出典 しゅってん ] 。
部首 ぶしゅ 法 ほう はその後 ご の字書 じしょ でも継承 けいしょう されたが、所属 しょぞく 文字 もじ の少 すく ない部首 ぶしゅ が統廃合 とうはいごう されるなど、部首 ぶしゅ の数 かず は削減 さくげん されることが多 おお く、『康 かん 煕 ひろし 字典 じてん 』では200余 あま りの部首 ぶしゅ 立 だ てになっている。
許 もと 慎 まき は、「形 かたち によってつなげる」と述 の べており、字形 じけい の近似 きんじ によって部首 ぶしゅ を並 なら べようという意図 いと があった。ただ、540部 ぶ の全 すべ てを形 かたち の近似 きんじ で並 なら べるのは不可能 ふかのう であり、字形 じけい の繋 つな がりが見 み い出 だ せないことも多 おお い。字形 じけい の近似 きんじ 以外 いがい の配列 はいれつ 意図 いと を見出 みいだ そうとした例 れい として、たとえば徐 じょ 鍇は、『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』の冒頭 ぼうとう の「一 いち 」「上 うえ 」「示 しめせ 」「三 さん 」「王 おう 」の配列 はいれつ を、天地 てんち の初 はじ めの「一 いち 」、天 てん は上 うえ にあるので「上 うえ 」、上 うえ にある天 てん は三光 さんこう (日 ひ ・月 がつ ・星 ほし )を示 しめ すので「示 しめせ 」、そして「三 さん 」、そして三 さん 才 さい (天 たかし ・地 ち ・人 にん )を通 つう じて王 おう となるので「王 おう 」……というように、意味 いみ 的 てき な連関 れんかん から部首 ぶしゅ の配列 はいれつ を論 ろん じた。また、段 だん 玉 だま 裁 さい も「歯 は 」部 ぶ の次 つぎ に「牙 きば 」部 ぶ が来 く る例 れい などは意味 いみ の連関 れんかん によると指摘 してき している。
巻 まき 1 - (序 ついで )
巻 まき 2 - 一丄示三王玉玨气士丨屮艸蓐茻
巻 まき 3 - 小 しょう 八 はち 釆半牛 うし 犛告口 こう 凵吅哭走止 とめ 癶步此正是 ぜ 辵彳廴㢟行 ぎょう 齒牙 しが 足 あし 疋品龠冊
巻 まき 4 - 㗊舌干 ひ 𧮫只 ただ 㕯句丩古十卅言誩音䇂丵菐𠬞𠬜共 きょう 異 い 舁𦥑䢅爨革 かわ 鬲䰜爪 つま 丮鬥又 また 𠂇史 し 支 ささえ 𦘒聿畫隶臤臣 しん 殳殺𠘧寸 すん 皮 がわ 㼱攴教 きょう 卜 ぼく 用 よう 爻㸚
巻 まき 5 - 𡕥目 め 䀠眉盾 たて 自 じ 𪞶鼻 はな 皕習羽 わ 隹 ふるとり 奞雈𦫳𥄕羊 ひつじ 羴瞿雔雥鳥 とり 烏 がらす 𠦒冓幺𢆶叀玄予 よ 放 ひ 𠬪𣦼歺死冎骨肉 こつにく 筋 すじ 刀 がたな 刃 は 㓞丯耒角
巻 まき 6 - 竹 たけ 箕 み 丌左工 こう 㠭巫甘 あま 曰乃丂可兮号亏旨喜 き 壴鼓豈 あに 豆 まめ 豊 ゆたか 豐 ゆたか 䖒虍虎 とら 虤皿𠙴去 さ 血 ち 丶丹青井 あおい 皀鬯食 しょく 亼會倉 くら 入 にゅう 缶 かん 矢高 やたか 冂𩫖京 きょう 亯㫗畗㐭嗇來麥 むぎ 夊舛舜 しゅん 韋弟夂久桀
巻 まき 7 - 木 き 東 ひがし 林 りん 才 ざい 叒之帀出𣎵生 なま 乇𠂹𠌶華 はな 𥝌稽巢桼束㯻囗員 いん 貝 かい 邑𨛜
巻 まき 8 - 日 にち 旦 だん 倝㫃冥 めい 晶 あきら 月 がつ 有 ゆう 朙囧夕 ゆう 多 た 毌𢎘𣐺𠧪齊 ひとし 朿片鼎 かなえ 克 かつ 彔禾秝黍香 が 米 まい 毇臼凶 きょう 朩𣏟麻 あさ 尗耑韭 にら 瓜 ふり 瓠 ひさご 宀宮呂 りょ 穴 あな 㝱疒冖𠔼冃㒳网襾巾 はば 巿帛白 しろ 㡀黹
巻 まき 9 - 人 ひと 𠤎匕从比 ひ 北丘 きたおか 㐺𡈼重 じゅう 臥 が 身 み 㐆衣裘老毛 げ 毳 むくげ 尸 しかばね 尺 じゃく 尾 お 履 くつ 舟方 ふなかた 儿兄兂皃𠑹先 さき 禿 かぶろ 見 み 覞欠㱃㳄旡頁
巻 まき 10 - 𦣻面 めん 丏首𥄉須彡彣文髟后司 し 卮卩印 しるし 色 しょく 𠨍辟勹包 つつみ 茍鬼甶厶嵬山屾屵广厂丸 まる 危石長 ちょう 勿冄而豕㣇彑豚 ぶた 豸𤉡易 えき 象 ぞう
巻 まき 11 - 馬 うま 𢊁鹿 しか 麤㲋兔 うさぎ 萈犬㹜鼠能 のう 熊 ぐま 火炎 かえん 黑 くろ 囪焱炙赤 あか 大亦 おおまた 夨夭交尣壺 つぼ 壹 いち 幸 こう 奢 おご 亢夲夰亣夫 おっと 立 りつ 竝 なみ 囟思心 こころ 惢
巻 まき 12 - 水 みず 沝瀕𡿨巜川泉 いずみ 灥永𠂢谷 たに 仌雨雲 くも 魚 ぎょ 𩺰燕 つばめ 龍 りゅう 飛 ひ 非 ひ 卂
巻 まき 13 - 𠃉不 ふ 至 いたり 西 にし 鹵鹽戶門 とかど 耳 みみ 𦣞手 て 𠦬女 おんな 毋民丿𠂆乁氏氐戈戉我亅珡乚亡匸匚曲 きょく 甾瓦弓 ゆみ 弜弦系 けい
巻 まき 14 - 糸 いと 素 もと 絲 いと 率 りつ 虫 むし 䖵蟲風 ふう 它龜黽卵二土垚堇里田畕黃男力劦
巻 まき 15 - 金 きむ 幵勺几且斤 きん 斗 と 矛 ほこ 車 しゃ 𠂤𨸏𨺅厽四宁叕亞五六七九禸嘼甲乙丙丁戊己巴庚辛辡壬癸子了孨𠫓丑寅 うしとら 卯 う 辰巳 たつみ 午 うま 未申 ひつじさる 酉 とり 酋戌亥 いぬい
中国語 ちゅうごくご 版 ばん ウィキソースに
本 ほん 記事 きじ に
関連 かんれん した
原文 げんぶん があります。
許 もと 慎 まき が著 あらわ したそのままの形 かたち を伝 つた えるテキストは存在 そんざい しない。唐 とう の時代 じだい に書写 しょしゃ されたと推定 すいてい される残 ざん 巻 まき が一部 いちぶ 残 のこ っている(下記 かき 参照 さんしょう )が、これも許 もと 慎 まき による成立 せいりつ から700年 ねん 近 ちか くが経過 けいか している。この残 ざん 巻 まき は親 おや 字 じ に懸 かか 針 はり 体 たい という細長 ほそなが い書体 しょたい が使 つか われており、これが篆書 てんしょ 体 たい の初期 しょき の形 かたち である可能 かのう 性 せい がある。現在 げんざい 、伝 つた わっている篆書 てんしょ 体 たい は丸 まる みを帯 お びた形 かたち をしているが、これは8世紀 せいき 後半 こうはん に篆書 てんしょ 家 か の李 り 陽 よう 冰 によって改 あらた められた可能 かのう 性 せい がある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ の主 おも なテキストには、10世紀 せいき 半 なか ば頃 ごろ の南 みなみ 唐 とう の徐 じょ 鍇 による『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 繋 つなぎ 伝 でん 』(小 しょう 徐 じょ 本 ほん )と宋 そう の徐 じょ 鉉 による『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』(大 だい 徐 じょ 本 ほん )がある。南 みなみ 宋 そう の李 り 燾 が大 だい 徐 じょ 本 ほん の部首 ぶしゅ の順序 じゅんじょ および部首 ぶしゅ 内 ない 排列 はいれつ を韻書 いんしょ の順序 じゅんじょ で並 なら べなおした『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 五 ご 音韻 おんいん 譜 ふ 』を作 つく ると、これが大 だい 徐 じょ 本 ほん よりも広 ひろ く普及 ふきゅう した。小 しょう 徐 じょ 本 ほん ・大 だい 徐 じょ 本 ほん が再 ふたた び世 よ に出 で るのは清 しん 代 だい に訓詁 くんこ 学 がく が盛 さか んになってからである[要 よう 出典 しゅってん ] 。
弟 おとうと の徐 じょ 鍇 による『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 繋 つなぎ 伝 でん 』の方 ほう が先 さき に成立 せいりつ した。「説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 通 どおり 釈 しゃく 」30巻 かん 、「部 ぶ 叙 じょ 」2巻 かん 、「通論 つうろん 」3巻 かん 、「祛妄・類聚 るいじゅう ・錯綜 さくそう ・疑義 ぎぎ ・系 けい 述 じゅつ 」各 かく 1巻 かん の全 ぜん 40巻 かん から構成 こうせい されるが、巻 まき 25は早 はや く失 うしな われ、現行 げんこう 本 ほん の巻 まき 25は大 だい 徐 じょ 本 ほん によって補 おぎな ったものである。「通 つう 釈 しゃく 」では各 かく 漢字 かんじ のもとの説 せつ 文 ぶん の解説 かいせつ の後 うし ろに「臣 しん 鍇按」や「臣 しん 鍇曰」として徐 じょ 鍇による伝 つて が加 くわ えられている。なお、現在 げんざい 伝 つた わる小 しょう 徐 じょ 本 ほん は全 すべ て北 きた 宋 そう の張 ちょう 次 つぎ 立 りつ の校訂 こうてい を経 へ ており、「臣 しん 次 じ 立 たて 曰」として彼 かれ の注記 ちゅうき が加 くわ えられている字 じ 、さらには彼 かれ もしくは後世 こうせい の人々 ひとびと が大 だい 徐 じょ 本 ほん から補 おぎな った字 じ や注釈 ちゅうしゃく もある。小 しょう 徐 じょ 本 ほん の伝 つて 本 ほん には紀 き 昀の家蔵 かぞう 本 ほん をもとにした『四 よん 庫 こ 全書 ぜんしょ 本 ほん 』、それをもとに刊行 かんこう されたとされる『汪 ひろし 啓 けい 淑 よし 本 ほん 』(1782年 ねん )および馬 うま 俊 しゅん 良 りょう の『龍 りゅう 威 たけし 秘書 ひしょ 本 ほん 』、1894年 ねん に刊行 かんこう された『祁寯藻 も 本 ほん 』、四 よん 部 ぶ 叢 くさむら 刊 かん に収 おさ められた『述 じゅつ 古堂 ふるどう 本 ほん 』などがある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 大 だい 徐 じょ 本 ほん
大 だい 徐 じょ 本 ほん は徐 じょ 鍇の没後 ぼつご 宋 そう に仕 つか えた兄 あに の徐 じょ 鉉 によって雍熙 3年 ねん (986年 ねん )に作 つく られた。大 だい 徐 じょ 本 ほん は小 しょう 徐 じょ 本 ほん を元 もと にしているが、『繋 つなぎ 伝 でん 』と異 こと なり説 せつ 文 ぶん 本文 ほんぶん の校訂 こうてい に専念 せんねん し、また各 かく 部首 ぶしゅ の末尾 まつび に従来 じゅうらい の説 せつ 文 ぶん にはなかった漢字 かんじ を「新附 しんぷ 字 じ 」として加 くわ えている。今日 きょう 「説 せつ 文 ぶん 」というときはこの大 だい 徐 じょ 本 ほん を指 さ すことが多 おお い。版本 はんぽん には清 しん 代 だい 始 はじ めのころに刊行 かんこう された『汲古閣 かく 版 ばん 』(毛 もう 扆による第 だい 五 ご 修訂 しゅうてい 版 ばん が1713年 ねん )、それに基 もと づいた『朱 しゅ 筠本 ほん 』(1773年 ねん )、『藤花 ふじはな 榭本』(額 がく 勒布・1807年 ねん )、『平津 ひらつ 館 かん 本 ほん 』(孫 まご 星 ぼし 衍 ・1809年 ねん )等 とう がある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 注 ちゅう (段 だん 注 ちゅう 本 ほん )[ 編集 へんしゅう ]
『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』は、各 かく 文字 もじ の本義 ほんぎ と成 な り立 た ちだけが記 しる される場合 ばあい がほとんどであり、その文字 もじ の他 ほか の使 つか い方 かた には言及 げんきゅう されていない。1815年 ねん 、清 きよし の段 だん 玉 だま 裁 さい の『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 注 ちゅう (中国語 ちゅうごくご 版 ばん 、英語 えいご 版 ばん ) 』によって、『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 』を基礎 きそ に各 かく 文字 もじ の歴史 れきし 的 てき 展開 てんかい を総合 そうごう 的 てき に究明 きゅうめい する仕事 しごと がなされた。『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 注 ちゅう 』では、本義 ほんぎ だけではなく、引伸義 よし (本義 ほんぎ から派生 はせい して生 う まれた意味 いみ )、仮借 かしゃく 義 ぎ (発音 はつおん を借 か りて当 あ て字 じ として代用 だいよう した意味 いみ )、古代 こだい の字音 じおん の考証 こうしょう を含 ふく めて、経書 けいしょ を中心 ちゅうしん とする古 こ 典籍 てんせき から用例 ようれい を例示 れいじ しながら説明 せつめい した。
しかしながら、多数 たすう の文献 ぶんけん を出典 しゅってん を明記 めいき せずに引用 いんよう し、また誤 あやま りもあるので、例 たと えば誤 あやま りを校正 こうせい した馮桂芬 の『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 段 だん 注 ちゅう 攷正』など、読解 どっかい にあたっては副読本 ふくどくほん を手元 てもと に置 お いた方 ほう が良 よ い。『大 だい 漢和 かんわ 辞典 じてん 』の引 ひ く説 せつ 文 ぶん は段 だん 玉 だま 裁 さい による変更 へんこう が加 くわ わっている場合 ばあい があるので注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 注 ちゅう の訓読 くんどく ・注 ちゅう の訳書 やくしょ は東海大学 とうかいだいがく 出版 しゅっぱん 会 かい より「東海大学 とうかいだいがく 古典 こてん 叢書 そうしょ 」全 ぜん 8巻 かん の予定 よてい で刊行 かんこう が計画 けいかく されたが、監訳 かんやく 者 しゃ 尾崎 おざき 雄二郎 ゆうじろう の眼疾 がんしつ を原因 げんいん とする引退 いんたい 等 とう により5巻 かん (金 きむ 冊 さつ 1981年 ねん ・石 いし 冊 さつ 1986年 ねん ・糸 いと 冊 さつ 1989年 ねん ・竹 たけ 冊 さつ 1991年 ねん ・匏 ふくべ 冊 さつ 1993年 ねん )のみ刊行 かんこう された。[要 よう 出典 しゅってん ]
他 た に桂 かつら 馥 の『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字義 じぎ 証 しょう 』、朱 しゅ 駿 しゅん 声 ごえ の『説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ 通 どおり 訓 くん 定 じょう 声 ごえ 』といった優 すぐ れた注釈 ちゅうしゃく がある。多 おお くの注釈 ちゅうしゃく を網羅 もうら しているものに丁 ちょう 福 ぶく 保 ほ の『説 せつ 文 ぶん 詁林』がある。また、白川 しらかわ 静 しず の『説 せつ 文 ぶん 新 しん 義 ぎ 』「著作 ちょさく 集 しゅう 別巻 べっかん 1~8」(平凡社 へいぼんしゃ )では、説 せつ 文 ぶん 解 かい 字 じ を段 だん 注 ちゅう 説 せつ 文 ぶん にも触 ふ れながら解説 かいせつ しているが、伝統 でんとう 的 てき 解釈 かいしゃく に束縛 そくばく されず、甲 かぶと 骨 こつ 文 ぶん ・金文 きんぶん 資料 しりょう と殷 いん 周 しゅう 文化 ぶんか への深 ふか い造詣 ぞうけい 、考察 こうさつ に基 もと づいた独自 どくじ の文字 もじ 学 がく を展開 てんかい している。[要 よう 出典 しゅってん ]
^ 前漢 ぜんかん の初 はじ め、蕭 しょう 何 なに が「律 りつ 九 きゅう 章 しょう 」を作 つく り、そのうちの一 ひと つが「尉 じょう 律 りつ 」で、これによって太 ふとし 史 し が17歳 さい 以上 いじょう の学童 がくどう に文字 もじ の試験 しけん をして、九 きゅう 千 せん 字 じ 以上 いじょう を暗記 あんき していれば採用 さいよう し、さらに八 はち 種 しゅ (また六 ろく 種 しゅ )の書体 しょたい の試験 しけん を行 おこな って最 もっと も優秀 ゆうしゅう なものを尚書 しょうしょ ・御 ご 史 し などに採用 さいよう した。
^ 阿 おもね 辻 つじ 哲次 てつじ 『タブーの漢字 かんじ 学 がく 』講談社 こうだんしゃ 、2004年 ねん 、191-196頁 ぺーじ 。
^ 内藤 ないとう 虎次郎 とらじろう 『目睹 もくと 書 しょ 譚 たん 』弘文 こうぶん 堂 どう 書房 しょぼう 、1948年 ねん 、343頁 ぺーじ 。
Françoise Bottero and Christoph Harbsmeier, Chinese Lexicography on Matters of the Heart: An Exploratory Commentary on the Heart Radical in Shuō wén jiě zì . Paris 2016: École des hautes études en sciences sociales, Centre de recherches linguistiques sur l'Asie orientale.
頼 よりゆき 惟 おもんみ 勤 つとむ 『説 せつ 文 ぶん 入門 にゅうもん 』大修館書店 たいしゅうかんしょてん 、1983年 ねん 。ISBN 9784480015945 。
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