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せつぶんかい

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せつぶんかいだいじょほん(汲古かくほん

せつぶんかい』(せつもんかいじ、拼音: Shuōwén Jiězì)は、最古さいこ漢字かんじ字典じてんりゃくしてせつぶん(せつもん、拼音: Shuōwén)ともいう。こうかんもとまき(きょしん)のさくで、やくきゅうせん文字もじたいして、そのひとひとつに文字もじちをき、文字もじ本来ほんらい意味いみ究明きゅうめいし、「部首ぶしゅほう」という原則げんそく文字もじをグループごとに分類ぶんるいした[1]

漢字かんじ客観きゃっかんてき考察こうさつ対象たいしょうとしてとらえ、全面ぜんめんてき考察こうさつくわえたはじめてのこころみであり、はつ漢字かんじ研究けんきゅうしょともいえる[2]現在げんざいとなっては、かぶとこつぶん金文きんぶんといった豊富ほうふ古代こだい文字もじ資料しりょう発掘はっくつにより、『せつぶんかい』の解説かいせつ的外まとはずれとなっているケースも多々たたあるが、当時とうじにおいて小篆しょうてん基礎きそちの解説かいせつこころみた『せつぶんかい』の業績ぎょうせき価値かちはいまなおおとろえないとされる[3]

せつぶんかい成立せいりつ背景はいけい

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前史ぜんし

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せつぶんかい以前いぜんから、斯の『くら頡篇』やふみゆうきゅう就篇』といった識字しきじ教科書きょうかしょつくられていた[4]。その背景はいけいには、国家こっか官僚かんりょう採用さいようするさい文字もじりの試験しけんがあったことがげられる[注釈ちゅうしゃく 1]。ただ、これらはあくまで実用じつよう本位ほんいのものであり、ここから発展はってんし、漢字かんじ内包ないほうする世界せかいをとらえようとする漢字かんじ研究けんきゅうしょとして『せつぶんかい』がつくられた[6]

また、しんだい焚書ふんしょなどによって経書けいしょ伝来でんらい途切とぎれそうになったが、前漢ぜんかんはじめには隷書れいしょである「こんぶん」でかれた経書けいしょがふたたび博士はかせかんつたえられるようになった[7]。ただ、前漢ぜんかんちゅうから後期こうきにかけて、ふる文字もじである「古文こぶん」でかれた経書けいしょ発見はっけんされることもあり、これはとくりゅう歆らによって顕彰けんしょうされた[7]こんぶん古文こぶん相違そういは、ただの字体じたい相違そういだけではなく、その解釈かいしゃく研究けんきゅうほうにも相違そういし、官学かんがくとして博士はかせかんあいだ継承けいしょうされたこん文学ぶんがく在野ざいやがくとして発展はってんした文学ぶんがくは、儒学じゅがく二分にぶんするようになり、経書けいしょただしい解釈かいしゃくめぐって論争ろんそうこっていた[7]

作者さくしゃもとまき

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もとまきは叔重)は、温厚おんこう誠実せいじつひととしてられ、また経書けいしょつうじていたことから「五経ごきょう無双むそうもと叔重」としょうされ、当時とうじ大学だいがくしゃであるうまとおるもとまき尊敬そんけいしていた[8]もとまきは、ぐんこう曹(勤務きんむ評定ひょうじょう担当たんとう)となり、こうかどとして推挙すいきょされて中央ちゅうおう官界かんかい進出しんしゅつしたのち、洨(安徽あんきしょうれい璧県)の長官ちょうかんとなった[9]

もとまきは、五経ごきょう解釈かいしゃく混乱こんらんただすために、まず『五経ごきょう異義いぎ』を制作せいさくした。これは文学ぶんがく基調きちょうとしながらも、こんぶん解釈かいしゃくまじえながら解釈かいしゃくし、両者りょうしゃ統合とうごうする方向ほうこうせいしめしている[10]。『せつぶんかい』もこれとおなじく、経書けいしょただしい解釈かいしゃくしめすためにしるされたもので、経書けいしょ文字もじによってかれているのだから、その文字もじただしい解釈かいしゃくによってむことで、経書けいしょ全体ぜんたいただしい理解りかいられるという意図いとから制作せいさくされた[11]もとまきは『せつぶんかいじょ以下いかのようにべている。

おもうに文字もじとはけいげい経書けいしょかんする学問がくもん)の根本こんぽんであって、王者おうじゃによる統治とうち基礎きそである。また前代ぜんだい人々ひとびと後世こうせいはんれる道具どうぐであって、(同時どうじに)後世こうせい人々ひとびと前代ぜんだいまな道具どうぐである。だから「根本こんぽんさだまってはじめてみちまれる」(『論語ろんご』のことば)といい、「天下てんかのまことに奥深おくふかいものを理解りかいして、しかも混乱こんらんすることはない」(『えき』のことば)という。 — もとまき[11]

かずみかどえいはじめ12ねん100ねん)に「じょ」がかれ、たてひかり元年がんねん121ねん)にもとまきもとおきやすみかどたてまつった。『せつぶん』の完成かんせいねんについては、「じょ」がかれた100ねん完成かんせいしていたとするせつと、そこから20ねんほどおさむあらためし121ねん完成かんせいしたとするせつがある[12]

内容ないよう

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かく解説かいせつ方法ほうほう

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せつぶんかい』のもっとも基本きほんてき書式しょしきは、まず小篆しょうてん字形じけいかかげ、つぎにその文字もじ意味いみと、その字形じけいちをくものである。解説かいせつではこえくんぎょうせつもちいられることもある[13]場合ばあいによっては、これに古文こぶん・籀文、また古文こぶんなどのべつ字形じけいげて補足ほそくされる[14]。また、その字音じおんしめしたり、経書けいしょ用例ようれい方言ほうげんによる差異さいべつせつなどをくわえたりすることもある[15]

また、『せつぶんかいじょでは、個々ここ文字もじ解釈かいしゃく方法ほうほうとして「六書りくしょ」の原則げんそくげている[16]

  1. 象形しょうけい
    単体たんたい文字もじのうち、あるもののかたち特徴とくちょうをとらえて、そのままうつったもの。「」「つき」「かい」「うみ」「おんな」「」「もん[17]
  2. 指事しじ
    単体たんたい文字もじのうち、抽象ちゅうしょうてき概念がいねんすもので、あたまはたらかせれば字形じけいみやつこ理解りかいできるもの。「うえ」「した」「ほん」「まつ[18]
  3. 会意かいい
    ふくたい文字もじのうち、意味いみ範囲はんいしめ要素ようそならべて意味いみわせ、それによって内容ないようしめすもの。「たけ」(ほことめ)、「しん」(ひとげん)、「もど」(いぬ)など。[19]
  4. 形声けいせい
    ふくたい文字もじのうち、意味いみあらわ部分ぶぶん)とおとあらわ部分ぶぶん音符おんぷ)からなるもの。「こう」(がさんずい、音符おんぷこう長江ちょうこうす)、「かわ」(がさんずい、音符おんぷ黄河こうがしめす)[20]
  5. 転注てんちゅう
    歴代れきだい議論ぎろんされつづけており、定説ていせつはない。戴震だんだまさいは、「互訓」のこと、つまり「こう解説かいせつには「ろうなり」とあり、「ろう解釈かいしゃくには「こうなり」とあるようなふたつのたがいに注釈ちゅうしゃくしあう関係かんけいにある文字もじすとする[21]
  6. 仮借かしゃく
    もともとは表現ひょうげんすべき文字もじのない事物じぶつを、おな発音はつおん利用りようしてわりにあらわ方法ほうほう[22]

じょは、六書りくしょさんセットにけられるとし(六書りくしょさん耦説)、単体たんたい文字もじぶん)のみやつこ原則げんそくべる象形しょうけい指示しじふくたい文字もじ)のみやつこ原則げんそくべる会意かいい形声けいせい用字ようじ原則げんそくとしての転注てんちゅう仮借かしゃくさんくみでとらえている[23]

なお、こうかん初代しょだい光武みつたけみかどりゅうしげるから完成かんせい当時とうじ皇帝こうていやすみかどりゅうまでのかく皇帝こうていいみなしゅうそうはじめ、祜)は、夭逝ようせいした殤帝りゅうたかしの「たかし」をのぞいて、避諱により「うえいみな」とのみしるせられ本義ほんぎ解説かいせつはなされていない[24]

全体ぜんたい構成こうせい

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せつぶんかいじょによれば、見出みだしにかかげられる小篆しょうてんが9353古文こぶん・籀文などでかかげられる重文じゅうぶんが1163、そして解説かいせつふくめると全書ぜんしょで13まん3441であった[25]。ただ、現在げんざいつたえられるテキストはその筆写ひっしゃ過程かてい文字もじ増減ぞうげんており、だんだまさいのときには小篆しょうてんは9431重文じゅうぶんは1279全文ぜんぶんは12まん2699となっていた[25]

分類ぶんるいほう

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文字もじ分類ぶんるいほうは、「部首ぶしゅほう」とばれる方法ほうほう、つまり文字もじ部首ぶしゅべつけておさめる方法ほうほうり、合計ごうけいで540の部首ぶしゅてられた[26]部首ぶしゅかずが540にそろえられた理由りゆうは、陰陽いんよう象徴しょうちょうかずであるろくきゅうわせた「54」を基盤きばんとするからとかんがえられる[27]。また、『せつぶん』では部首ぶしゅない漢字かんじ画数かくすうじゅんならべられるといったこともない[28]

なお、部首ぶしゅおや篆書てんしょしめされるため、「けい(㓝)」が井部いべ・「ほう(灋)」が廌部・「ぜん(譱)」が誩部など、楷書かいしょかんがえるとなぜその部首ぶしゅぞくするのかわからないことがある。また部首ぶしゅてるのは検索けんさく便利べんりにするためではなく、あるにしたがある場合ばあいは、原則げんそくとして部首ぶしゅてる。このため現在げんざいからかんがえると部首ぶしゅらしくない部首ぶしゅになる。たとえば「」が部首ぶしゅになっているのは、このとする「」というがあるためである。一方いっぽうで、「いち」から「じゅう」までの数字すうじ、「かぶと」から「みずのと」までの十干じっかん、「」から「」までの十二支じゅうにしがすべて部首ぶしゅになっているが、このなかには「さん」・「よん」・「かぶと」・「へい」・「とら」・「」など部首ぶしゅ1しかぞくしていないものもおお[よう出典しゅってん]

部首ぶしゅほうはその字書じしょでも継承けいしょうされたが、所属しょぞく文字もじすくない部首ぶしゅ統廃合とうはいごうされるなど、部首ぶしゅかず削減さくげんされることがおおく、『かんひろし字典じてん』では200あまりの部首ぶしゅてになっている[28]

部首ぶしゅ配列はいれつ

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もとまきは、「かたちによってつなげる」とべており、字形じけい近似きんじによって部首ぶしゅならべようという意図いとがあった。ただ、540すべてをかたち近似きんじならべるのは不可能ふかのうであり、字形じけいつながりがせないこともおお[29]字形じけい近似きんじ以外いがい配列はいれつ意図いと見出みいだそうとしたれいとして、たとえばじょ鍇は、『せつぶんかい』の冒頭ぼうとうの「いち」「うえ」「しめせ」「さん」「おう」の配列はいれつを、天地てんちはじめの「いち」、てんうえにあるので「うえ」、うえにあるてん三光さんこうがつほし)をしめすので「しめせ」、そして「さん」、そしてさんさいたかしにん)をつうじておうとなるので「おう」……というように、意味いみてき連関れんかんから部首ぶしゅ配列はいれつろんじた[29]。また、だんだまさいも「つぎに「きばれいなどは意味いみ連関れんかんによると指摘してきしている[29]

せつぶんかい部首ぶしゅ一覧いちらん

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  • まき1 - (ついで
  • まき2 - 一丄示三王玉玨气士丨屮艸蓐茻
  • まき3 - しょうはち釆半うし犛告こう凵吅哭走とめ癶步此正辵彳廴㢟ぎょう齒牙しがあし疋品龠冊
  • まき4 - 㗊舌𧮫ただ㕯句丩古十卅言誩音䇂丵菐𠬞𠬜きょう舁𦥑䢅爨かわ鬲䰜つま丮鬥また𠂇ささえ𦘒聿畫隶臤しん殳殺𠘧すんがわ㼱攴きょうぼくよう爻㸚
  • まき5 - 𡕥䀠眉たて𪞶はな皕習ふるとり奞雈𦫳𥄕ひつじ羴瞿雔雥とりがらす𠦒冓幺𢆶叀玄𠬪𣦼歺死冎骨肉こつにくすじがたな㓞丯耒角
  • まき6 - たけ丌左こう㠭巫あま曰乃丂可兮号亏旨壴鼓あにまめゆたかゆたか䖒虍とら虤皿𠙴丶丹青井あおい皀鬯しょく亼會くらにゅうかん矢高やたか冂𩫖きょう亯㫗畗㐭嗇來むぎ夊舛しゅん韋弟夂久桀
  • まき7 - ひがしりんざい叒之帀出𣎵なま乇𠂹𠌶はな𥝌稽巢桼束㯻囗いんかい邑𨛜
  • まき8 - にちだん倝㫃めいあきらがつゆう朙囧ゆう毌𢎘𣐺𠧪ひとし朿片かなえかつ彔禾秝黍まい毇臼きょう朩𣏟あさ尗耑にらふりひさご宀宮りょあな㝱疒冖𠔼冃㒳网襾はば巿帛しろ㡀黹
  • まき9 - ひと𠤎匕从北丘きたおか㐺𡈼じゅう㐆衣裘老むくげしかばねじゃくくつ舟方ふなかた儿兄兂皃𠑹さき禿かぶろ覞欠㱃㳄旡頁
  • まき10 - 𦣻めん丏首𥄉須彡彣文髟后卮卩しるししょく𠨍辟勹つつみ茍鬼甶厶嵬山屾屵广厂まる危石ちょう勿冄而豕㣇彑ぶた豸𤉡えきぞう
  • まき11 - うま𢊁鹿しか麤㲋うさぎ萈犬㹜鼠のうぐま火炎かえんくろ囪焱炙あか大亦おおまた夨夭交尣つぼいちこうおご亢夲夰亣おっとりつなみ囟思こころ
  • まき12 - みず沝瀕𡿨巜川いずみ灥永𠂢たに仌雨くもぎょ𩺰つばめりゅう
  • まき13 - 𠃉いたり西にし鹵鹽戶門とかどみみ𦣞𠦬おんな毋民丿𠂆乁氏氐戈戉我亅珡乚亡匸匚きょく甾瓦ゆみ弜弦けい
  • まき14 - いともといとりつむし䖵蟲ふう它龜黽卵二土垚堇里田畕黃男力劦
  • まき15 - きむ幵勺几且きんほこしゃ𠂤𨸏𨺅厽四宁叕亞五六七九禸嘼甲乙丙丁戊己巴庚辛辡壬癸子了孨𠫓丑寅うしとら辰巳たつみうま未申ひつじさるとり戌亥いぬい

テキストと注釈ちゅうしゃく

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もとまきあらわしたそのままのかたちつたえるテキストは存在そんざいしない。とう時代じだい書写しょしゃされたと推定すいていされるざんまき一部いちぶのこっている(下記かき参照さんしょう)が、これももとまきによる成立せいりつから700ねんちかくが経過けいかしている。このざんまきおやかかはりたいという細長ほそなが書体しょたい使つかわれており、これが篆書てんしょたい初期しょきかたちである可能かのうせいがある。現在げんざいつたわっている篆書てんしょたいまるみをびたかたちをしているが、これは8世紀せいき後半こうはん篆書てんしょようによってあらためられた可能かのうせいがある[よう出典しゅってん]

せつぶんかいおもなテキストには、10世紀せいきなかごろみなみとうじょによる『せつぶんかいつなぎでん』(しょうじょほん)とそうじょによる『せつぶんかい』(だいじょほん)がある。みなみそうだいじょほん部首ぶしゅ順序じゅんじょおよび部首ぶしゅない排列はいれつ韻書いんしょ順序じゅんじょならべなおした『せつぶんかい音韻おんいん』をつくると、これがだいじょほんよりもひろ普及ふきゅうした。しょうじょほんだいじょほんふたたるのはしんだい訓詁くんこがくさかんになってからである[よう出典しゅってん]

しょうじょほん

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おとうとじょによる『せつぶんかいつなぎでん』のほうさき成立せいりつした。「せつぶんかいどおりしゃく」30かん、「じょ」2かん、「通論つうろん」3かん、「祛妄・類聚るいじゅう錯綜さくそう疑義ぎぎけいじゅつかく1かんぜん40かんから構成こうせいされるが、まき25ははやうしなわれ、現行げんこうほんまき25はだいじょほんによっておぎなったものである。「つうしゃく」ではかく漢字かんじのもとのせつぶん解説かいせつうしろに「しん鍇按」や「しん鍇曰」としてじょ鍇によるつてくわえられている。なお、現在げんざいつたわるしょうじょほんすべきたそうちょうつぎりつ校訂こうていており、「しんたて曰」としてかれ注記ちゅうきくわえられている、さらにはかれもしくは後世こうせい人々ひとびとだいじょほんからおぎなった注釈ちゅうしゃくもある。しょうじょほんつてほんには昀の家蔵かぞうほんをもとにした『よん全書ぜんしょほん』、それをもとに刊行かんこうされたとされる『ひろしけいよしほん』(1782ねん)およびうましゅんりょうの『りゅうたけし秘書ひしょほん』、1894ねん刊行かんこうされた『祁寯ほん』、よんくさむらかんおさめられた『じゅつ古堂ふるどうほん』などがある[よう出典しゅってん]

だいじょほん

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せつぶんかい だいじょほん

だいじょほんじょ鍇の没後ぼつごそうつかえたあにじょによって雍熙3ねん(986ねん)につくられた。だいじょほんしょうじょほんもとにしているが、『つなぎでん』とことなりせつぶん本文ほんぶん校訂こうてい専念せんねんし、またかく部首ぶしゅ末尾まつび従来じゅうらいせつぶんにはなかった漢字かんじを「新附しんぷ」としてくわえている。今日きょうせつぶん」というときはこのだいじょほんすことがおおい。版本はんぽんにはしんだいはじめのころに刊行かんこうされた『汲古かくばん』(もう扆によるだい修訂しゅうていばんが1713ねん)、それにもとづいた『しゅほん』(1773ねん)、『藤花ふじはな榭本』(がく勒布・1807ねん)、『平津ひらつかんほん』(まごぼし・1809ねんとうがある[よう出典しゅってん]

せつぶんかいちゅうだんちゅうほん

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せつぶんかい』は、かく文字もじ本義ほんぎちだけがしるされる場合ばあいがほとんどであり、その文字もじほか使つかかたには言及げんきゅうされていない[30]。1815ねんきよしだんだまさいの『せつぶんかいちゅう中国語ちゅうごくごばん英語えいごばん』によって、『せつぶんかい』を基礎きそかく文字もじ歴史れきしてき展開てんかい総合そうごうてき究明きゅうめいする仕事しごとがなされた[30]。『せつぶんかいちゅう』では、本義ほんぎだけではなく、引伸よし本義ほんぎから派生はせいしてまれた意味いみ)、仮借かしゃく発音はつおんりてとして代用だいようした意味いみ)、古代こだい字音じおん考証こうしょうふくめて、経書けいしょ中心ちゅうしんとする典籍てんせきから用例ようれい例示れいじしながら説明せつめいした[30]

しかしながら、多数たすう文献ぶんけん出典しゅってん明記めいきせずに引用いんようし、またあやまりもあるので、たとえばあやまりを校正こうせいした馮桂芬の『せつぶんかいだんちゅう攷正』など、読解どっかいにあたっては副読本ふくどくほん手元てもといたほうい。『だい漢和かんわ辞典じてん』のせつぶんだんだまさいによる変更へんこうくわわっている場合ばあいがあるので注意ちゅうい必要ひつようである。せつぶんかいちゅう訓読くんどくちゅう訳書やくしょ東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかいより「東海大学とうかいだいがく古典こてん叢書そうしょぜん8かん予定よてい刊行かんこう計画けいかくされたが、監訳かんやくしゃ尾崎おざき雄二郎ゆうじろう眼疾がんしつ原因げんいんとする引退いんたいとうにより5かんきむさつ1981ねんいしさつ1986ねんいとさつ1989ねんたけさつ1991ねんふくべさつ1993ねん)のみ刊行かんこうされた。[よう出典しゅってん]

その

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かつらの『せつぶんかい字義じぎしょう』、しゅ駿しゅんごえの『せつぶんかいどおりくんじょうごえ』といったすぐれた注釈ちゅうしゃくがある。おおくの注釈ちゅうしゃく網羅もうらしているものにちょうぶくの『せつぶん詁林』がある。また、白川しらかわしずの『せつぶんしん』「著作ちょさくしゅう別巻べっかん 1~8」(平凡社へいぼんしゃ)では、せつぶんかいだんちゅうせつぶんにもれながら解説かいせつしているが、伝統でんとうてき解釈かいしゃく束縛そくばくされず、かぶとこつぶん金文きんぶん資料しりょういんしゅう文化ぶんかへのふか造詣ぞうけい考察こうさつもとづいた独自どくじ文字もじがく展開てんかいしている。[よう出典しゅってん]

文化財ぶんかざい

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 前漢ぜんかんはじめ、しょうなにが「りつきゅうしょう」をつくり、そのうちのひとつが「じょうりつ」で、これによってふとしが17さい以上いじょう学童がくどう文字もじ試験しけんをして、きゅうせん以上いじょう暗記あんきしていれば採用さいようし、さらにはちしゅ(またろくしゅ)の書体しょたい試験しけんおこなってもっと優秀ゆうしゅうなものを尚書しょうしょなどに採用さいようした。[5]

出典しゅってん

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  1. ^ おもねつじ 1985, p. 6.
  2. ^ おもねつじ 1985, p. vii.
  3. ^ おもねつじ 1985, pp. 102–103.
  4. ^ おもねつじ 1985, p. 22-24.
  5. ^ おもねつじ 1985, pp. 32–39.
  6. ^ おもねつじ 1985, p. 42.
  7. ^ a b c おもねつじ 1985, pp. 61–70.
  8. ^ おもねつじ 1985, p. 49.
  9. ^ おもねつじ 1985, pp. 56–60.
  10. ^ おもねつじ 1985, pp. 71–76.
  11. ^ a b おもねつじ 1985, pp. 80–81.
  12. ^ さかない 2014, p. 3.
  13. ^ おもねつじ 1985, pp. 8–9.
  14. ^ おもねつじ 1985, p. 99.
  15. ^ さかない 2014, p. 4.
  16. ^ おもねつじ 1985, pp. 105–106.
  17. ^ おもねつじ 1985, pp. 114–116.
  18. ^ おもねつじ 1985, pp. 116–117.
  19. ^ おもねつじ 1985, pp. 118–120.
  20. ^ おもねつじ 1985, pp. 120–121.
  21. ^ おもねつじ 1985, pp. 122–127.
  22. ^ おもねつじ 1985, pp. 123–124.
  23. ^ おもねつじ 1985, pp. 127–128.
  24. ^ おもねつじ哲次てつじ『タブーの漢字かんじがく講談社こうだんしゃ、2004ねん、191-196ぺーじ 
  25. ^ a b おもねつじ 1985, p. 135.
  26. ^ おもねつじ 1985, p. 136.
  27. ^ おもねつじ 1985, pp. 164–165.
  28. ^ a b 落合おちあい 2014, p. 74.
  29. ^ a b c おもねつじ 1985, pp. 159–161.
  30. ^ a b c おもねつじ 1985, pp. 176–179.
  31. ^ 内藤ないとう虎次郎とらじろう目睹もくとしょたん弘文こうぶんどう書房しょぼう、1948ねん、343ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • おもねつじ哲次てつじ漢字かんじがく : 『せつぶんかい』の世界せかい東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい、1985ねんISBN 4486008413 
  • 坂内ばんない千里せんりけい引用いんようしょからた『せつぶんかいつなぎでん注釈ちゅうしゃくこう大阪大学おおさかだいがく出版しゅっぱんかい、2014ねんISBN 9784872594584 
  • 落合おちあいあつしおもえ漢字かんじち : 『せつぶんかい』から最先端さいせんたん研究けんきゅうまで』筑摩書房ちくましょぼう筑摩ちくま選書せんしょ〉、2014ねんISBN 9784480015945 

関連かんれん文献ぶんけん

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  • Françoise Bottero and Christoph Harbsmeier, Chinese Lexicography on Matters of the Heart: An Exploratory Commentary on the Heart Radical in Shuō wén jiě zì. Paris 2016: École des hautes études en sciences sociales, Centre de recherches linguistiques sur l'Asie orientale.
  • よりゆきおもんみつとむせつぶん入門にゅうもん大修館書店たいしゅうかんしょてん、1983ねんISBN 9784480015945 

外部がいぶリンク

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