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出雲いずも国造くにのみやつこ

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日本にっぽん氏族しぞく >  > 出雲いずも > 出雲いずも国造くにのみやつこ
出雲いずも国造くにのみやつこ
千家せんげ
北島きたじま
家紋
亀甲きっこうけん花菱はなびしきっこう に けんはなびし
本姓ほんせい 出雲いずも嫡流ちゃくりゅう
いえ てんいのち
種別しゅべつ かみべつ天孫てんそん
  社家しゃけ
  華族かぞく男爵だんしゃく
出身しゅっしん 出雲いずもこく
おも根拠地こんきょち 出雲いずもこく熊野くまの大社たいしゃ
天日てんじつすみみや
島根しまねけん
著名ちょめい人物じんぶつ 千家せんげこく麿まろ
凡例はんれい / Category:日本にっぽん氏族しぞく

出雲いずも国造くにのみやつこ(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲いずもこく現在げんざい島根しまねけん東部とうぶ地方ちほう)を支配しはいした国造くにのみやつこ

その氏族しぞくちょう代々だいだい出雲いずも大社たいしゃ祭祀さいし出雲いずも国造くにのみやつこ称号しょうごういだ。

概要がいよう

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祖先そせん

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てん菩比いのち之子ゆきこけん比良びらとりいのち 【此出くも國造くにのみやつこ无耶こころざし國造くにのみやつこじょううさぎじょう國造くにのみやつこうさぎじょう國造くにのみやつこ牟國づくり津嶋つしまけんちょく遠江とおのえ國造くにのみやつことう也】 — 古事記こじき
天照大御神あまてらすおおみかみ(アマテラスオオミカミ)

須佐すさおとこ大神だいじん(スサノオオオカミ)
てんいのち(アメノホイノミコト)
皇祖こうそ天神てんじんみことのりにより天日てんじつすみみや祭主さいしゅとなりしより、後世こうせい神火しんか継承けいしょうし、畢生ひっせいいさぎよけいことにする。継承けいしょうにあたりては一昼夜いっちゅうやでぬうちに、神魂しんこんしゃもう神代かみよれいもち神火しんか継承けいしょうするを以って国造くにのみやつこす。
てんえびすとりいのち(アメノヒナトリノミコト)

また、たけえびすとりいのち(タケヒナトリノミコト)、たけ日照ひでりいのち(タケヒナテルノミコト)、けん比良びらとりいのち(タケヒラトリノミコト)、また、たけ三熊さんのくま大人おとな(タケミクマウシ)、大背おおせめしさんくま大人おとな(オホセヒノミクマノウシ)、出雲いずも伊波いはしん(イヅモイハヒノカミ)、毘志へいいのち(イヒシツヘノミコト)、おもね太賀たがけんぐまいのち(アタカタケクマノミコト)とうんふ。 — 出雲いずも国造くにのみやつこ伝統でんとうりゃく

氏族しぞく

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出雲いずも(いずもうじ、せいしん)は、くにゆずおうじた大国たいこく主神しゅしんまつるため、天日てんじつすみみや(あめのひすみのみや=出雲いずも大社たいしゃ)の祭祀さいしになったてん菩卑のういのち(あめのほひのみこと)を始祖しそ、そのしんけん比良びらとりいのち(たけひらとりのみこと)をだい2だいとする。はじめて出雲いずも国造くにのみやつこにんじられたのは『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』(国造くにのみやつこ本紀ほんぎ)によればだい12だい宇迦ひさしいかからであるが、千家せんげ伝承でんしょうをまとめた『出雲いずも国造くにのみやつこ伝統でんとうりゃく』によればだい17だい出雲いずもみやむかいからであるという。後裔こうえい土師はじており、武蔵むさし国造くにのみやつこ阿波あわ国造くにのみやつこ甚国づくり新治にいはる国造くにのみやつこ上海しゃんはいじょう国造くにのみやつこしも海上かいじょう国造くにのみやつこ千葉ちば国造くにのみやつこやま同族どうぞく

だい10代たかしかみ天皇てんのうじょうには、国造くにのみやつこめしにゅうあに出雲いずも独断どくだん神宝しんぽう朝廷ちょうてい献上けんじょうし、これに憤慨ふんがいした出雲いずもは、おとうと水浴すいよくさそってにせかたなとすりえてだまちした。天皇てんのう吉備津きびつたけ渟川べつ派遣はけんして出雲いずも誅殺ちゅうさつしてしまったとされ、『国造くにのみやつこ本紀ほんぎ』にはめしにゅう出雲いずも国造くにのみやつこ任命にんめいされたとつたわる記事きじられるように、上古じょうこ出雲いずも地方ちほう中心ちゅうしんおおきな勢力せいりょくほこった出雲いずもが、ヤマト王権おうけんしたにおいて出雲いずも国造くにのみやつこにんぜられたものである。

だい12だいけいぎょう天皇てんのうじょうにも、小碓おうすいのち(をうすのみこと、やまとけんいのち)が地名ちめい出雲いずもけん(いずもたける)をころしたはなし[ちゅう 1]える。

国造くにのみやつこせい7世紀せいきなかばの大化たいか改新かいしん以後いご全国ぜんこくてき廃止はいしされる方向ほうこうすすみ、『ぞく日本にっぽん』によればだい43だい元明もとあき天皇てんのう和銅わどう元年がんねん708ねん)に、忌部いむべ宿禰すくねくびあらたに出雲いずも国守こくしゅにんぜられた。これは、国造くにのみやつこせいから律令りつりょうもとづくくにぐんさとせい支配しはい体制たいせい移行いこうしたことをしめす。しかし、出雲いずも国造くにのみやつこ紀伊きい国造くにのみやつこなどとともに、ごく一部いちぶ例外れいがいてき氏族しぞくとして国造くにのみやつこ称号しょうごう存続そんぞくゆるされ、『ぞく日本にっぽん』のだい42だい文武ぶんぶ天皇てんのう2ねん698ねんさんがつじょうに、「筑前ちくぜんこく宗形むなかた出雲いずもこく意宇いうりょうぐん郡司ぐんじは、ともさん親等しんとう以上いじょう親族しんぞくつづけて任用にんようすることをゆるす」とのみことのりしるされ、また、『類聚るいじゅうさんだいかく』に「けいくもさんねん706ねん以来いらいれい國造くにのみやつこたいぐんりょう」とあって、律令制りつりょうせいにおける出雲いずもは、のべれき17ねん798ねん)にかれるまで、つづ出雲いずも国造くにのみやつこ名乗なのるとともに、出雲いずもこく東部とうぶにあたる意宇いうぐん(おうぐん)の郡司ぐんじしょくにんじられていた。

意宇いうぐんつかさしょく支族しぞくゆずったのち出雲いずも本家ほんけは、意宇いうぐんから出雲いずもぐん杵築きつききょう現在げんざい出雲いずも大社たいしゃ周辺しゅうへん)に拠点きょてんうつし、国造くにのみやつこ本拠ほんきょ鎮座ちんざした元々もともと国造くにのみやつこたてまつときしゃである意宇いう熊野くまの大社たいしゃあわせてっていた出雲いずも大社たいしゃにおける祭祀さいし専念せんねんするようになったとかんがえられている。その現在げんざいいたるまで、出雲いずも大社たいしゃ祭祀さいしちょうしめ称号しょうごうとして出雲いずも子孫しそん出雲いずも国造くにのみやつこ世襲せしゅうしている。また、国造くにのみやつこ代替だいがわりの儀式ぎしきである「つぎしき」にさいしては、熊野くまの大社たいしゃ神魂しんこん神社じんじゃにて儀式ぎしきおこなわれ、現在げんざいでも熊野くまの大社たいしゃとの関係かんけい維持いじしている。

北島きたじまより枝分えだわかれして、地方ちほう複数ふくすう出雲いずも大社たいしゃ所縁しょえん神社じんじゃつくられた。祭祀さいし継承けいしょうは、『古事記こじき』・『日本書紀にほんしょき』と『出雲いずもこく風土記ふどき』、千家せんげつたえる系譜けいふしょ出雲いずも国造くにのみやつこ伝統でんとうりゃく[1]しるされている。

本拠ほんきょ

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国造くにのみやつこ本拠ほんきょ出雲いずもこく意宇いうぐんであったとられる。歴代れきだい国造くにのみやつこにも淤宇宿禰すくねえており、律令りつりょう時代じだい意宇いうぐん任命にんめいされている。

支配しはい領域りょういき

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国造くにのみやつこ支配しはい領域りょういき当時とうじ出雲いずもこくばれた地域ちいき律令りつりょうこく出雲いずもこく相当そうとうする。

氏神うじがみ

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国造くにのみやつこ氏神うじがみ出雲いずもこく一宮いちのみや熊野くまの大社たいしゃ祭神さいじんくしいのちとされ、須佐すさおとこいのち別名べつめいとされている。

関連かんれん神社じんじゃ

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国造くにのみやつこ分裂ぶんれつ

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出雲いずも国造くにのみやつこ称号しょうごう出雲いずも大社たいしゃ祭祀さいし職務しょくむは、南北なんぼくあさ時代じだいはいるまで一子相伝いっしそうでんであったが、かんひさし年間ねんかん1340ねんころ以降いこう千家せんげ(せんげし)と北島きたじま(きたじまし)のかれ、それぞれが出雲いずも国造くにのみやつこ名乗なのるようになった。

南北なんぼくあさ時代じだいだい53だい国造くにのみやつこ出雲いずもたかしとき(いずも のりとき)は、六郎ろくろうさだこう寵愛ちょうあいし、国造くにのみやつこがせようとかんがえていた。しかし、こうははであるさとしにちあましお冶頼やすしむすめ家系かけい宇多うたはじめ[2])から「三郎さぶろう清孝きよたか病弱びょうじゃくであるがあにであるので、のちさだこうがせるとしても、まず一時いちじてきにでもあにである清孝きよたかがせるべきだ」と説得せっとくけ、清孝きよたか後継こうけいしゃとした。その清孝きよたかだい54だい国造くにのみやつことなったが、やはり病弱びょうじゃくであったため職務しょくむまっとうできず、おとうと五郎ごろうこうむね代官だいかんとして職務しょくむのほとんどをまかせ、そのままかんひさし2ねん興国こうこく3ねん/1343ねん)、国造くにのみやつこしょくこうむねゆずることとした。これにたいしてさだこうは、自分じぶん国造くにのみやつこしょくゆずるのが本来ほんらいであると猛烈もうれつ反発はんぱつし、神事しんじ中止ちゅうしし、軍勢ぐんぜいあつめて社殿しゃでんもるなど、紛争ふんそう状態じょうたいとなった。

事態じたいおも守護しゅごだい吉田よしだいむさとしは、清孝きよたかこうむねがわさだこうがわ両者りょうしゃはたらきかけ、年間ねんかん神事しんじ所領しょりょう役職やくしょくなどを等分とうぶんするというあずかじょうむすばせた。こうしてかんひさし3ねん興国こうこく4ねん/1344ねん6月5にち以降いこうこうむね千家せんげさだこう北島きたじましょうして国造くにのみやつこ並立へいりつし、19世紀せいき後半こうはん幕末ばくまつまで出雲いずも大社たいしゃ祭祀さいし職務しょくむ平等びょうどう分担ぶんたんしていた。

明治めいじ時代じだいには、千家せんげ北島きたじまともに華族かぞくれつして男爵だんしゃくとしてぐうされたが、出雲いずも大社たいしゃ自体じたい内務省ないむしょう神社じんじゃきょく傘下さんか社格しゃかくかんぬさ大社たいしゃ)となり、千家せんげ出雲いずも大社たいしゃきょう(いずもおおやしろきょう)、北島きたじま出雲いずもきょうと、それぞれ宗教しゅうきょう法人ほうじん主宰しゅさいしてかれ、出雲いずも大社たいしゃ宮司ぐうじ千家せんげになった。戦後せんご神社じんじゃ国家こっか管理かんりはなれたのちは、出雲いずも大社たいしゃ神社じんじゃ本庁ほんちょう包括ほうかつぞくする別表べっぴょう神社じんじゃとなり、「宗教しゅうきょう法人ほうじん出雲いずも大社たいしゃきょう」のむねほこらとして、宮司ぐうじ千家せんげになう。

歴代れきだい出雲いずも国造くにのみやつこ

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こうめいは『出雲いずも国造くにのみやつこ伝統でんとうりゃく』による。

千家せんげ

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出雲いずも大社たいしゃきょう管長かんちょう

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北島きたじま

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出雲いずも国造くにのみやつこしん賀詞がし』の奏上そうじょう

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奈良なら平安へいあん時代じだい出雲いずも国造くにのみやつこは、その代替だいがわりごとに朝廷ちょうてい参向さんこうして『出雲いずも国造くにのみやつこしん賀詞がし』を奏上そうじょうする儀礼ぎれいおこなっていた。

儀式ぎしき次第しだいは『延喜えんぎしき』にしるされており、それによれば、まずあたらしく国造くにのみやつことなったもの朝廷ちょうていのぼって新任しんにんしきおこない、天皇てんのうから「こうぶつ」をたまわる。その出雲いずもかえって1年間ねんかん潔斎けっさいをしたのちふたた朝廷ちょうていのぼり、神宝しんぽうにえまつってかみ賀詞がし奏上そうじょうする。そして出雲いずもかえってまた1ねん潔斎けっさいおこない、ふたた朝廷ちょうてい参向さんこうして献物けんもつささげてかみ賀詞がし奏上そうじょうするという。

文献ぶんけん記録きろくでは、れいかめ2ねん716ねん)2がつだい23だい国造くにのみやつこ出雲いずもしんはてやす奏上そうじょうしたとの記事きじ(『ぞく日本にっぽん』)がはつであり、以後いごてんちょう10ねん833ねん)4がつだい35だい国造くにのみやつこ出雲いずもしんゆたかによる度目どめ奏上そうじょう(『ぞく日本にっぽん』)まで15かい記録きろくられる。しかしこれはあくまでも文献ぶんけんじょうであり、実際じっさい最初さいしょ奏上そうじょうはてやす以前いぜん国造くにのみやつこであったり、最後さいご奏上そうじょうゆたか以降いこう国造くにのみやつこである可能かのうせいたかい。またかみ賀詞がし内容ないよう儀式ぎしき次第しだいについても記録きろく延喜えんぎしき制定せいてい時点じてんのものであり、かくだい奏上そうじょうにおいて同一どういつではなく、時代じだいって変遷へんせんしているとおもわれる。

奏上そうじょう儀式ぎしき起源きげんについては、朝廷ちょうてい古代こだい在地ざいち勢力せいりょくによる服属ふくぞく儀礼ぎれいを、代表だいひょうとして出雲いずも国造くにのみやつこめいじておこなわせたとするせつや、出雲いずも国造くにのみやつこみずからの系譜けいふ朝廷ちょうてい神話しんわ体系たいけいなかむべくはじめたとするせつなどがあり、さだかではない。しかしいずれにしろ、この儀式ぎしき古代こだい日本にっぽんにおいてほか国造くにのみやつこられない出雲いずも国造くにのみやつこ独特どくとく儀式ぎしきであって、記紀きき神話しんわにおいて出雲神いずものかみばなし非常ひじょうおおきなウェートをめていることや、国造くにのみやつこせい廃止はいし出雲いずも国造くにのみやつこ存続そんぞくされた理由りゆうともはなすことのできない儀式ぎしきである。

なお、だい84だい国造くにのみやつこ千家せんげたかしまつは、国造くにのみやつこいだ翌年よくねん1948ねん昭和しょうわ23ねん)6がつ宮中きゅうちゅう参内さんだいして出雲いずも玉造たまつくりさんすべだまさんしゅ一連いちれん献上けんじょうし、古代こだい以来いらいかみ賀詞がし奏上そうじょうおこなった。

つぎしき神火しんか相続そうぞくしき

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つぎしき出雲いずも国造くにのみやつこ代替だいがわりのさいおこな儀式ぎしきであり、神火しんか相続そうぞくしきともばれる。

ぜん国造くにのみやつこかそけ死去しきょ)したさいしん国造くにのみやつこふくあいだもなく、ただちに社内しゃないときかんもって潔斎けっさいしたのちひうちうす(ひきりうす)・ひうちきね(ひきりきね)をたずさえて、熊野くまの大社たいしゃ参向さんこうする。そして熊野くまの大社たいしゃの鑽火殿どのにてひうちうすひうちきねによってこし、鑽りされた神火しんかによって調理ちょうりされた食事しょくじ神前しんぜんそなえると同時どうじに、みずからもべる。

その神魂しんこん神社じんじゃにおいて饗宴きょうえんけたのち出雲いずも大社たいしゃもどり、奉告ほうこく儀式ぎしきおこない、つぎしき終了しゅうりょうする。この儀式ぎしきにて鑽りされた神火しんかはその国造くにのみやつこかんとき殿どのにて保存ほぞんされる。国造くにのみやつこ在任ざいにんちゅうこのによって調理ちょうりしたものをべるが、国造くにのみやつこ以外いがいはたとえ家族かぞくであってもこれをくちにすることはゆるされないという。

つぎしきの「」は「れい(ひ)」であり、そのをもって調理ちょうりされたものをべることによって、てんいのち以来いらい代々だいだい国造くにのみやつこ霊魂れいこんみずからのなかむのだとされている。

出雲いずも国造くにのみやつこ装束しょうぞく

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出雲いずも国造くにのみやつこ神職しんしょく装束しょうぞくで、神社じんじゃにみられない伝統でんとう下記かきとおり。

  • 正装せいそうは、くろほう亀甲きっこう剱花ひし)、小豆色あずきいろやつはかま(剱花ひしもん)、かんむりしげるもんかかいとぐち むらさき打紐うちひも[12]
  • 礼装れいそうは、しろほうしろはかまかんむりくろしげるもんたれえいかかいとぐちねじ紫色むらさきいろ[12]
  • かんむりかかいとぐち紫色むらさきいろ[13]
  • とき殿どの神事しんじでは、羽織はおりはかま足袋たびぎ、白衣はくい姿すがた[14]

系譜けいふ

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実線じっせん実子じっし点線てんせんたて)は養子ようしくしがついのち以下いかろく世代せだい実態じったいさん世代せだいられるも推定すいてい不能ふのう[15]
てんあきら大神おおがみ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
てんしのぶみのるみみいのちてんいのち1
 
 
 
 
 
瓊瓊きねみこと
 
 
 
 
 
 
 
やま幸彦さちひこたけえびすとりいのち2
 
 
 
 
 
鸕鶿草葺くさぶきごうみこと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神武じんむ天皇てんのう伊佐いさわがいのち3出雲いずも建子けんしいのち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
綏靖天皇てんのうせまいのち4
[* 1]
たてわたるおのれりょいのち
[* 2]
こころざししるしいのち
国造くにのみやつこ[* 3]
かみせまいのち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安寧天皇あんねいてんのうくし瓺前いのち5いろ多利たりひめ
[* 4]
伊奈いなひさいのち
津島つしまけんただし
せまみみいのち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
懿徳天皇てんのうくしがついのち6すな麻奈まなひめ
[* 5]
じゅう彦命
 
 
 
 
 
 
 
孝昭たかあき天皇てんのうくし鳥海とりうみいのち7毛呂けろすんいのち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
孝安たかやす天皇てんのう櫛田くしたいのち8出雲いずもひさ斯祢いのち美都みとりょ岐命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こうれい天皇てんのういのち9布良めらいのちこころざしつとむいのちにんりつ多比たびいのち奈良ならたまいのち
新治にいはる国造くにのみやつこ[* 6]
乃凝いのち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こうもと天皇てんのう毛呂けろ須命10相賀あいが彦命斯見いのち
筑紫つくし出雲いずもしん
須賀すかぜいいのち
宍道しんじただし
あに多毛たもういのち
无邪こころざし国造くにのみやつこ[* 7]
おとうと武彦たけひこいのち
あい国造くにのみやつこ[* 8]
しのぶ立毛たちげいのち
上海しゃんはいじょう国造くにのみやつこ[* 9]
たてせまいのち
こう国造くにのみやつこ[* 10]
いき長命ちょうめい
[* 11]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
開化かいか天皇てんのうおもねいのちしょうたていのち荒田あらた宿禰すくね
无邪こころざし国造くにのみやつこ
大鹿おおしか国直くになお
きくあさ国造くにのみやつこ[* 12]
あなやまとじき
大島おおしま国造くにのみやつこ[* 13]
大八木おおやぎあしあま
はく岐国づくり[* 14]
じゅうせまかや宿禰すくね
ややさくらみやあさ
おのれ侶止じき
甚国づくり[* 15]
大瀧おおたきただし
阿波あわ国造くにのみやつこ[* 16]
あにせま日直にっちょく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
たかしかみ天皇てんのう出雲いずも11ぬさいのち
[* 17]
甘美かんびかんせまいのち宇乃おそいのち
おけしん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
たれじん天皇てんのうとめ耶命
朝原あさはらしん
宇迦ひさしいかいのち12須良うりいのち
いき長命ちょうめいつま[* 18]
伊賀いがぐまいのち
わかやまと
野見のみ宿禰すくね
土師はじ
おのれあしあまいのち
大智たいちちょく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
けいぎょう天皇てんのう比和ひわみみいのち
しな治部じぶしん
かさねずいいのち13飯持いいもちいのちおつぬのいのち岐須いのちひめ[* 19]あまぬのいのち
二方ふたかた国造くにのみやつこ[* 20]
出雲いずもかさよるいのち
島津しまつ国造くにのみやつこ[* 21]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本にっぽんたけたかし岐多こころざしいのち
財部たからべしん
来日らいにちでん維穂いのち14ひさしいのちよしあじいのち宇気うけぼう
後裔こうえい神門ごうどぐん大領だいりょう

建部たけべしん[* 22]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
仲哀ちゅうせつ天皇てんのう三島みしまあしやついのち15おつめい久志くしひめいのち
[* 23]
くしまんりょあしやついのち
[* 24]
津古つこ
刑部おさかべしん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
応神天皇おうじんてんのうおもねべい咋命
[* 25]
意宇いうあしやついのち16大嶋おおしまいのち
大嶋おおしましん[* 26]
ぬの
海部かいふしん

額田ぬかたしん
迦具
吉備きびしん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
わか野毛のげ二俣ふたまたおうからたち波美はびみやこうあしあまいのち17おもね用足ようたしあまいのち
刑部おさかべしん
くままんりょいのち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だい郎子いらつこぬの奈臣18おもねゆかり
[* 27]
うさぎしん
勝部かつべしん
すえ奈臣
[* 28]
加佐かさ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
乎非おうぬの禰臣19多伎たきいにしえこころざしささえしん伊波いはぬし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彦主じんおう出雲いずもなみひさし20いしあし真木山まぎやましん久志ひさしまんめーとる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つぎたい天皇てんのう出雲いずもよしもと21千野ちのしのぶ伎臣
朝山あさやま
だいまんりょぬのささえ麻呂まろ
わかやまとしん
 
 
 
 
 
欽明天皇てんのう出雲いずもあきら22
 
 
 
 
 
さとしたち天皇てんのう出雲いずもたいもと23
 
 
 
 
 
押坂彦人皇子おうじ出雲いずもはてやす24
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舒明天皇てんのう出雲いずも広嶋ひろしま25出雲いずもおとうとやま26
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天智天皇てんぢてんのう出雲いずもえきかた27出雲いずも国上くにがみ28出雲いずもこくなり29
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ほどこせもと皇子おうじ出雲いずもじんちょう30出雲いずもけんれん32出雲いずもせんこく31
 
 
 
 
 
ひかりじん天皇てんのう出雲いずも旅人たびびと33
 
 
 
 
 
桓武かんむ天皇てんのう出雲いずもゆたか34
 
 
 
 
 
嵯峨天皇さがてんのう出雲いずもしんじ35
 
 
 
 
 
仁明天皇にんみょうてんのう出雲いずも常助つねすけ36
 
 
 
 
 
光孝みつたか天皇てんのう出雲いずもひろし37
 
 
 
 
 
宇多天皇うだてんのう出雲いずもはるねん38
 
 
 
 
 
あつしじつ親王しんのう出雲いずもよしただし39
 
 
 
 
 
みなもと雅信まさのぶ出雲いずも国明くにあき40
 
 
 
 
 
みなもと扶義出雲いずもこくけい41
 
 
 
 
 
佐々木ささきしげるよりゆき出雲いずもよりゆきけん42
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佐々木ささきあきらけい出雲いずも宗房むねふさ43出雲いずもけんむね44
 
 
 
 
 
 
佐々木ささきけいかた出雲いずもけん出雲いずもけんただし45
 
 
 
 
 
 
 
佐々木ささきじょう出雲いずもけんけい46出雲いずも宗孝むねたか47
 
 
 
 
 
佐々木ささき秀義ひでよし出雲いずもたかしぼう48
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佐々木ささき義清よしきよ吉田よしだいむしげる出雲いずもたかしつな49
 
 
 
 
 
佐々木ささき泰清やすきよ出雲いずも政孝まさたか50
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
富田とみたよしやすししお冶頼やすし高岡たかおかそうやすし出雲いずも義孝よしたか51
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高岡たかおか宗義むねよし塩冶えんや貞清さだきよさとしにちあま
 
 
 
出雲いずも泰孝やすたか52
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高岡たかおかむね塩冶えんやつな塩冶えんや高貞たかさだ出雲いずもたかしとき53平岡ひらおかさだこうあずまたかしけい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高岡たかおか重宗しげむね大熊おおくまそうやすし出雲いずも清孝きよたか54千家せんげたかしむね55北島きたじまさだこう55平岡ひらおかこうたかしひがしこう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高岡たかおか高重たかしげ大熊おおくまさだ千家せんげただしこく56北島きたじまこう56平岡ひらおかけいこうひがしけいだか
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大熊おおくまひろし
 
 
 
まつおんな
 
 
北島きたじま幸孝ゆきたか57平岡ひらおかこくけいあずまさだよりゆき高岡たかおかさだじゅう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげだかこく57北島きたじまこうたかし58平岡ひらおかただしけいあずま高頼たかより高岡たかおか重頼しげより
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげ持国もちくに58赤塚あかつか正時まさとき北島きたじま利孝としたか59稲岡いなおかせんこう高浜たかはま良孝よしたか平岡ひらおか直孝なおたかひがしあんよりゆき高岡たかおかしげるやすし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげ直信なおのぶ59赤塚あかつかただしこく北島きたじま三郎さぶろう北島きたじま雅孝まさたか60高浜たかはま友孝ともたか平岡ひらおかただしきよしひがし安通あんつう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげこうしゅん60千家せんげだかかち62赤塚あかつかしんじ北島きたじまこう北島きたじま秀孝ひでたか61千家せんげただしかち63千家せんげ慶勝よしかつ64
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげゆたかしゅん61赤塚あかつか一信かずのぶ北島きたじま安孝やすたか千家せんげ義広よしひろ65あずまけいきよし
 
 
 
 
 
 
 
赤塚あかつか長信ながのぶ北島きたじまひさこう62あずまさだしん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげもとかち66北島きたじまひろこう63佐草さくさきよしひがしのべしゅん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげたかしのう67北島きたじまはれたかし64千家せんげそうさとし71千家せんげたかしぼう69千家せんげ直治なおじ70
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげたかしこう68北島きたじま恒孝つねたか65千家せんげゆたかあきら73千家せんげ豊実とよみ74あずま貞通さだみち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千家せんげひろみつる72北島きたじまけんこう66北島きたじまみちこう67久山ひさやまもとこう千家せんげ俊勝としかつ75
 
 
 
 
 
 
北島きたじま直孝なおたか68八倉やくらもと千家せんげ俊秀としひで76
 
 
 
 
 
 
北島きたじまおもんみこう69はちくら和孝かずたか千家せんげたかしこれ77
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北島きたじまあきらこう70北島きたじまおこりこう72北島きたじましたがえこう73千家せんげたかしまご78
 
 
 
 
 
 
北島きたじませんこう71北島きたじまぜんこう74千家せんげたかしきよし79
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北島きたじまおさむこう75千家せんげ尊福たかとみ80千家せんげたかし81
 
 
 
 
北島きたじまひとしこう76千家せんげたかしみつる82
 
 
 
 
北島きたじまたかこう77千家せんげたかしまつ83
 
 
 
 
北島きたじま英孝ひでたか78千家せんげたかしゆう84
 
 
 
 
北島きたじまたてたかし79千家せんげこく麿まろ
 
 
北島きたじまだいこう
系譜けいふ脚注きゃくちゅう
  1. ^ 神武じんむあさ
  2. ^ 神武じんむ天皇てんのうあさあらためためちょくせい
  3. ^ 神武じんむ天皇てんのうあさていたまもの国造くにのみやつこ
  4. ^ 彦湯ささえいのちつま
  5. ^ けんめし勝命かつみょうつま
  6. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまもの新治にいはる国造くにのみやつこ(『常陸ひたちこく風土記ふどき』)、たかししんあさ
  7. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまもの无邪こころざし国造くにのみやつこ
  8. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまものあい国造くにのみやつこ
  9. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまもの上海しゃんはいじょう国造くにのみやつこ
  10. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまものこう国造くにのみやつこ
  11. ^ けいぎょうあさ供奉ぐぶはりあいだこく賀茂かもぐんやまちょく
  12. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまものきくあさ国造くにのみやつこ
  13. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまもの大島おおしま国造くにのみやつこ
  14. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまものはく岐国づくり
  15. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまもの甚国づくり
  16. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまもの阿波あわ国造くにのみやつこ
  17. ^ たかししんあさ誅殺ちゅうさつ
  18. ^ 印南いなみべつじょう掃床
  19. ^ 大田おおた根子ねこつま
  20. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまもの二方ふたかた国造くにのみやつこ
  21. ^ なりつとむ天皇てんのうあさていたまもの島津しまつ国造くにのみやつこ
  22. ^ けいぎょうあさ
  23. ^ 大神おおがみくんだいしょくいのちつま
  24. ^ 応神おうしんちょうため海部かいふ供奉ぐぶ
  25. ^ 仁徳じんとくあさため大日だいにち下部かぶ供奉ぐぶ
  26. ^ 仁徳じんとくあさため坂部さかべ供奉ぐぶ
  27. ^ だい倭国わのくに葛城かつらぎ
  28. ^ きょ意宇いうぐんりんはやししんせい

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく 

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  1. ^ a b やまとけんいのちによる出雲いずもけんころしと出雲いずもによるおとうとごろしは、どちらも水浴すいよくさそってにせかたなとすりえてだまちするもので、構造こうぞう共通きょうつうしている。
  2. ^ たてたもつ2ねん1214ねん)の順徳天皇じゅんとくてんのうしもぶん(くだしぶみ)。記紀ききにはえない。

出典しゅってん 

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  1. ^ 国立こくりつ公文書こうぶんしょかん近代きんだいデジタルライブラリー「出雲いずも国造くにのみやつこ伝統でんとうりゃく
  2. ^ [【出雲いずも 宇多うたはじめ佐々木ささき系譜けいふ】]
  3. ^ 出雲いずも大社たいしゃきょう教務きょうむ本庁ほんちょう出雲いずも大社たいしゃきょう布教ふきょう養成ようせい講習こうしゅうかい』2016ねん8がつ10日とおか、38ぺーじ
  4. ^ a b c 出雲いずも大社たいしゃきょう教務きょうむ本庁ほんちょう出雲いずも大社たいしゃきょう布教ふきょう養成ようせい講習こうしゅうかい』1989ねん9がつ、38ぺーじ
  5. ^ 出雲いずも大社たいしゃきょう教務きょうむ本庁ほんちょう出雲いずも大社たいしゃきょう布教ふきょう養成ようせい講習こうしゅうかい』2016ねん8がつ10日とおか、38ぺーじ
  6. ^ 千家せんげ尊福たかとみ人事じんじ興信録こうしんろくだい4はん (1915ねん1がつ
  7. ^ 千家せんげたかしみつる 日本語にほんご - 『現代げんだい華族かぞくよう』 (維新いしん史料しりょう編纂へんさんかいへん日本にっぽん史籍しせき協会きょうかい、1929ねん
  8. ^ 千家せんげたかしみつる 日本語にほんご - 『人事じんじ興信録こうしんろくだい14はん じょう
  9. ^ 千家尊祀氏死去/出雲いずも大社たいしゃ宮司ぐうじ 日本語にほんご - (四国新聞社しこくしんぶんしゃ、2002ねん4がつ18にち
  10. ^ 典子のりこさま、千家せんげさんと結婚けっこん 出雲いずも大社たいしゃで”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2014ねん10がつ5にち). https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG05H01_V01C14A0000000/ 2014ねん10がつ7にち閲覧えつらん  日本語にほんご
  11. ^ 以下いか歴代れきだいみは歴史れきし - (宗教しゅうきょう法人ほうじん出雲いずもきょう、2019ねん11月17にち閲覧えつらん)による。
  12. ^ a b 出雲いずも大社たいしゃきょう規定きてい』(出雲いずも大社たいしゃきょう教務きょうむ本庁ほんちょう、1983ねん6がつ9にち、30ぺーじ
  13. ^ 出雲いずも大社たいしゃきょう布教ふきょう養成ようせい講習こうしゅうかい』 (出雲いずも大社たいしゃきょう教務きょうむ本庁ほんちょう平成へいせい元年がんねん9がつ1にち、84ぺーじ
  14. ^ 出雲いずも大社たいしゃ』(学生がくせいしゃ昭和しょうわ43ねん8がつ25にち、208ぺーじ
  15. ^ たから寿男としお資料しりょうへん 出雲いずもぞく系図けいず試案しあん)」『古代こだい氏族しぞく研究けんきゅう⑯ 出雲いずも土師はじ ばら出雲いずも王国おうこく盛衰せいすい』(青垣あおがき出版しゅっぱん、2020ねん。)

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 千家せんげたかしすべ出雲いずも大社たいしゃ』(学生がくせいしゃ1968ねん新版しんぱん:2018ねん。)ISBN 431-1801084
  • 大社たいしゃまち教育きょういく委員いいんかいへん大社たいしゃまち』(大社たいしゃまち、1991ねん
  • 早川はやかわたかし日本にっぽん上流じょうりゅう社会しゃかいねやばつ』(角川書店かどかわしょてん、186 - 188ぺーじ、1983ねん
  • 出雲いずも國造くにのみやつこ 出雲いずもしん千家せんげ北島きたじま系譜けいふ

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

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