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しも海上かいじょう国造くにのみやつこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

しも海上かいじょう国造くにのみやつこ(しもつうなかみのくにみやつこ・しもつうなかみこくぞう)は、れいせいこく下総しもうさこく東部とうぶ現在げんざい千葉ちばけん銚子ちょうしあさひおよ香取かとりぐん一帯いったい支配しはいした国造くにのみやつこしたうさぎじょう国造くにのみやつことも。

解説かいせつ

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先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」によれば、応神天皇おうじんてんのう御世みよ上海しゃんはいじょう国造くにのみやつこまごひさ伎直を国造くにのみやつこさだめられたとされる。また『古事記こじき』では、てん菩卑のういのちけん比良びらとりいのちしたうさぎじょう国造くにのみやつことする[1]

領域りょういきには日本にっぽん全体ぜんたいの40パーセントに相当そうとうする80れいもの丸木舟まるきぶね出土しゅつどした栗山川くりやまがわ椿つばきかい水系すいけいがあり、香取かとりかい水上みずかみ交通こうつうせいした有力ゆうりょく勢力せいりょくだったとかんがえられている。4世紀せいきから5世紀せいきにはしゃくしづか古墳こふん三ノ分目さんのわけめ大塚山おおつかやま古墳こふん造営ぞうえいされ[2][3]上海しゃんはいじょう国造くにのみやつこわせ千葉ちばけん中部ちゅうぶから茨城いばらきけん埼玉さいたまけん東京とうきょうにかけての一帯いったい支配しはいした「だい海上かいじょうこく」ともいうべき勢力せいりょくけんがあったとするせつもある。その6世紀せいきには城山しろやま1ごうふん御前ごぜん鬼塚おにづか古墳こふんが、7世紀せいき国造くにのみやつこせいから律令制りつりょうせいへの移行いこうには初期しょき寺院じいん木内きうち廃寺はいじ建立こんりゅうされている。

なお、とう国造くにのみやつこ領域りょういき上海しゃんはいじょう国造くにのみやつこ領域りょういきあいだたけしゃ国造くにのみやつこ領域りょういきがはいっていることから、房総ぼうそう国造くにのみやつこせい展開てんかいにはすくなくとも2段階だんかいがあったとされ、6世紀せいき中央ちゅうおうから進出しんしゅつした勢力せいりょくてたたけしゃこくによって「だい海上かいじょうこく」はうえした分割ぶんかつされ、香取かとり海上かいじょうりゅうしるし国造くにのみやつこ進出しんしゅつ、さらに千葉ちば国造くにのみやつこつづ匝瑳そうさぐんてられ領域りょういきかれたとされている[4]

国造くにのみやつこ氏族しぞくは、「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」にあるひさ伎氏(カバネじき)のほかたてまつおなじくカバネはじき)がられる。した海上かいじょう国造くにのみやつこ後裔こうえいしょうするたてまつ神護かんごは、せいくらいん文書ぶんしょに「たてまつちょく神護かんごかい」をのこし、たてまつだいは、万葉集まんようしゅうまきじゅう 防人さきもりに、「あかつきの かはたれしまかげふねの たづきらずも」とんでいる。また、『ぞく日本にっぽんのべれき4ねん(785ねん正月しょうがつ27にちじょうでは、たてまつとく刀自とじそとしたがえ位階いかいさづけられ、『日本にっぽんさんだい実録じつろく仁和にわ元年がんねん885ねんうるう3がつ19にちじょうによれば、海上かいじょうぐん大領だいりょうたてまつはるだけが、百姓ひゃくしょう調しらべいさお代納だいのうした功績こうせきによりそとしたがえさづけられている。その香取かとり神宮じんぐうしも海上かいじょう国造くにのみやつこ氏神うじがみであり、国造くにのみやつこになったたてまつ香取かとり神宮じんぐう原始げんし祭祀さいし氏族しぞく推測すいそくし、香取かとりはその支配しはいにあったとせつもある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 古事記こじき』には、けん比良びらとりいのち、此は出雲いずも国造くにのみやつこ无邪こころざし国造くにのみやつこうえうさぎじょう国造くにのみやつこしもうさぎじょう国造くにのみやつこ牟国づくり津島つしまけんただし遠江とおとうみ国造くにのみやつこひとしなり、とある。
  2. ^ とく三ノ分目さんのわけめ大塚山おおつかやま古墳こふん石棺せっかんは、大王だいおうかんとされる長持ながもちがた石棺せっかんであり、被葬ひそうしゃ地位ちいたかさをしめしている。
  3. ^ 関東かんとう地方ちほうでの長持ながもちがた石棺せっかんれいは、三ノ分目さんのわけめ大塚山おおつかやま古墳こふんほか千葉ちばけん木更津きさらづ高柳たかやなぎ銚子ちょうしづか古墳こふん群馬ぐんまけん伊勢崎いせざき富士山ふじさん古墳こふんどうけん太田おおた太田おおた天神山てんじんやま古墳こふんの3れいのみである。
  4. ^ 国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」にはいが、『日本にっぽん』に「千葉国造大私部直善人」のがみえ、『ぞく日本にっぽん』に匝瑳そうさぐんけんぐんについての記事きじがある。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 加藤かとう謙吉けんきち 日本にっぽん古代こだい地名ちめい事典じてん雄山閣ゆうざんかく、2007ねんISBN 978-4-639-01995-4、238ぺーじ
  • 石井いしいすすむ 千葉ちばけん歴史れきし山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ 2000ねんISBN 4-634-32120-3、30ぺーじ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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