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ぞく日本にっぽん

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ぞく日本にっぽん』(しょくにほんぎ)は、平安へいあん時代じだい初期しょき編纂へんさんされた勅撰ちょくせん史書ししょ。『日本書紀にほんしょき』につづろく国史こくしだいにあたる。菅野かんの真道まみちらによってのべれき16ねん797ねん)に完成かんせいした。文武ぶんぶ天皇てんのう元年がんねん697ねん)から桓武かんむ天皇てんのうのべれき10ねん791ねん)まで95年間ねんかん歴史れきしあつかい、ぜん40かんからる。奈良なら時代じだい基本きほん史料しりょうである。編年体へんねんたい漢文かんぶん表記ひょうきである。略称りゃくしょうぞく(しょっき)[1]

編纂へんさん

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編纂へんさんは、前半ぜんはん後半こうはんことなる事情じじょうつ。

前半ぜんはんははじめ、文武ぶんぶ天皇てんのう元年がんねん(697ねん)から天平てんぴょうたから元年がんねん757ねん)、こうけん天皇てんのう治世ちせいまでをあつかう30かん構想こうそうとしてつくられた。笹山ささやま晴生はるお淳仁天皇じゅんにんてんのう時代じだい藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ恵美押勝えみのおしかつ政権せいけん編纂へんさんされ、恵美押勝えみのおしかつらん影響えいきょう不十分ふじゅうぶん草案そうあんわったと推定すいていしている。ひかりじん天皇てんのうが、この草案そうあん修正しゅうせい石川いしかわ名足なたり淡海三船おうみのみふね当麻とうまひさしめいじたが、かれらは天平てんぴょうたから元年がんねん紛失ふんしつしたうえ完成かんせいわった(このとし前後ぜんごには政争せいそうがらみの事件じけんおおかったため、執筆しっぴつしゃあいだ意見いけんをまとめることが出来できずに紛失ふんしつということにしたとするせつもある)。桓武かんむ天皇てんのういのちにより編纂へんさん菅野かんの真道まみち秋篠あきしのやすじんちゅうきょゆうぎ、ぜん20かんとした。

後半こうはん当初とうしょ天平てんぴょうたから2ねん758ねん)からおそらくたからひさし8ねん777ねん)、淳仁天皇じゅんにんてんのうからひかりじん天皇てんのうまでをあつかうものとして、桓武かんむ天皇てんのういのち編纂へんさんされた。石川いしかわ名足なたりうえ大川おおかわみことのりによって編集へんしゅうした20かんを、藤原ふじわらつぎなわ菅野かんの真道まみち秋篠あきしのやすじんが14かんちぢめ、のべれき13ねん794ねん)にいったん完成かんせいした。菅野かんの真道まみち秋篠あきしのやすじんちゅうきょゆうは、さらに6かん、すなわち桓武かんむ天皇てんのう治世ちせいのうちのべれき10ねん(791ねん)までをくわえ、ぜん20かんとした。

以上いじょうあわせて40かん編纂へんさんったのは、のべれき16ねん(797ねん)であった。

内容ないよう

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日本にっぽん」という国家こっか形成けいせいされていく過程かていえがいた『日本書紀にほんしょき』とその国家こっか形成けいせいされたのちあゆみをえがいた『ぞく日本にっぽん以後いご勅撰ちょくせん国史こくしでは、その内容ないようちがいがしょうじてくる。また、律令りつりょう国家こっかととのえられたことにより、内記ないきそと図書としょりょうなどに不十分ふじゅうぶんながらも記録きろく公文書こうぶんしょ蒐集しゅうしゅうされる仕組しくみ形成けいせいされてきたことが記録きろく充実じゅうじつをもたらすことになる。中国ちゅうごく国史こくし編纂へんさん基礎きそとなった起居ききょちゅう[注釈ちゅうしゃく 1]相当そうとうするものは日本にっぽんでは「内記ないき日記にっき」といい、これを作成さくせいする仕組しくみも組織そしきされた。

全般ぜんぱん記述きじゅつ簡潔かんけつで、事件じけん要点ようてんのみをしるして詳細しょうさいおよばない。簡潔かんけつぎて養老ようろう律令りつりょうのような重要じゅうよう事件じけん脱落だつらくしたれいられる。一部いちぶ人物じんぶつ死亡しぼう記事きじ簡単かんたん略伝りゃくでん(薨伝(こうでん))をし、これは後続こうぞく史書ししょ踏襲とうしゅうされた。

記事きじちゅう日付ひづけかんしては干支えとってしるされているが、まれに『類聚るいじゅうさんだいかく』などに採録さいろくされて現存げんそんしている公文書こうぶんしょ記載きさいされている日付ひづけ数字すうじちがっている事例じれいがある。これは干支えと換算かんさんするさい計算けいさんもしくは記載きさいミスであるとみられている。また、天皇てんのう即位そくい記事きじかんしては、天皇てんのう代替だいがわりが巻首かんしゅているものと、まき途中とちゅうてしまっているものがあって統一とういつ体裁ていさいとなっているが、これは度重たびかさなる校訂こうていによってまき構成こうせい変更へんこうされた影響えいきょうによるとみられる。

政治せいじてき配慮はいりょは、桓武かんむ天皇てんのう治世ちせい記述きじゅつにおいて顕著けんちょである。天皇てんのう心痛しんつうとなった早良親王さわらしんのうはい太子たいし記事きじは、事件じけん発端ほったんとなった藤原ふじわらたねつぎ暗殺あんさつ事件じけんとともに、いったん記載きさいされたものがのち削除さくじょされた。削除さくじょ平城ひらじろ天皇てんのうだい復活ふっかつしたが、嵯峨天皇さがてんのうによってふたたされていまいたる。された部分ぶぶんは『日本にっぽんりゃく』に採録さいろくされている。この背景はいけいには早良親王さわらしんのう怨霊おんりょうになったとするせつ関係かんけいがあるとわれている[注釈ちゅうしゃく 2]

また、藤原ふじわらひろ嗣のらんにおける謀反むほんじん藤原ふじわらひろたいする好意こういてき記事きじ宇佐うさ八幡宮はちまんぐう神託しんたく事件じけんおよ道鏡どうきょうかんする記述きじゅつ政治せいじてき意図いとふくまれているというせつもある。これとはべつに、編纂へんさん過程かていで30かんぶんあった内容ないようを20かんぶん圧縮あっしゅくしているため、重要じゅうよう内容ないようでも削除さくじょされた記述きじゅつがあるのではないか、とする指摘してきもある[2]。ただし、『日本書紀にほんしょき』とくらべれば、ぞく信頼しんらいせいはずっとたかいとかんがえられている。“天平てんぴょう文化ぶんか”をとりまくしょ側面そくめん解明かいめいし、本格ほんかくてき実録じつろくとして最初さいしょ整備せいびされた史書ししょである。

ぞく日本にっぽん』には、『かん曹事るい』と『そとかんことるい』が付属ふぞくした。前者ぜんしゃ本文ほんぶん掲載けいさいしなかった文書ぶんしょるい原文げんぶんそのままに項目こうもくべつ配列はいれつしたもの、後者こうしゃ内容ないよう不明ふめいでおそらく前者ぜんしゃたものであろう。どちらもうしなわれた。

ぞく日本にっぽん目次もくじ主要しゅよう事項じこう

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  • てん璽国押開ゆたかさくら天皇てんのう(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)(だいよんじゅうだい聖武天皇しょうむてんのう
    • まきだいじゅう ひじり武紀たけのり かみひさしよんねん正月しょうがつより天平てんぴょうねんじゅうがつまで
    • まき十一といち ひじり武紀たけのりさん 天平てんぴょうさんねん正月しょうがつより天平てんぴょうろくねんじゅうがつまで
      • だい地震じしん畿内きない七道しちどう地震じしん発生はっせい聖武天皇しょうむてんのうが(地震じしん発生はっせいは)不徳ふとくいたすところとするみことのり記載きさい[3]
    • まきじゅう ひじり武紀たけのりよん 天平てんぴょうななねん正月しょうがつより天平てんぴょうきゅうねんじゅうがつまで
    • まき十三じゅうざ ひじり武紀たけのり 天平てんぴょうじゅうねん正月しょうがつより天平てんぴょうじゅうねんじゅうがつまで
    • まき十四とし ひじり武紀たけのりろく 天平てんぴょうじゅうさんねん正月しょうがつより天平てんぴょうじゅうよんねんじゅうがつまで
    • まきじゅう ひじり武紀たけのりなな 天平てんぴょうじゅうねん正月しょうがつより天平てんぴょうじゅうろくねんじゅうがつまで
    • まきじゅうろく ひじり武紀たけのりはち 天平てんぴょうじゅうななねん正月しょうがつより天平てんぴょうじゅうはちねんじゅうがつまで
      • 美濃みのこくだい地震じしん発生はっせいたてせいくら仏寺ぶつじ堂舎どうしゃ百姓ひゃくしょうがみな倒壊とうかい
    • まきじゅうなな ひじり武紀たけのりきゅう こうけん紀一きいち 天平てんぴょうじゅうきゅうねん正月しょうがつより天平てんぴょうかちたから元年がんねんじゅうがつまで
  • たからしょうとくこうけん皇帝こうてい(ほうじしょうとくこうけんこうてい)(だいよんじゅうろくだいこうけん天皇てんのう
    • まきじゅうはち こうけん 天平てんぴょうかちたからねん正月しょうがつより天平てんぴょうかちたからよんねんじゅうがつまで
    • まきじゅうきゅう こうけんさん 天平てんぴょうかちたからねん正月しょうがつより天平てんぴょうかちたからはちさいじゅうがつまで
    • まきじゅう こうけんよん 天平てんぴょうたから元年がんねん正月しょうがつより天平てんぴょうたからねんなながつまで
  • 淡路あわじ廃帝はいてい(あわじはいたい)(だいよんじゅうななだい淳仁天皇じゅんにんてんのう
    • まきじゅういち 淳仁じゅんにん紀一きいち 天平てんぴょうたからねんはちがつより天平てんぴょうたからねんじゅうがつまで
    • まきじゅう 淳仁じゅんにんおさむ 天平てんぴょうたからさんねん正月しょうがつより天平てんぴょうたからよんねんろくがつまで
    • まきじゅうさん 淳仁じゅんにんおさむさん 天平てんぴょうたからよんねんなながつより天平てんぴょうたからねんじゅうがつまで
    • まきじゅうよん 淳仁じゅんにんおさむよん 天平てんぴょうたからろくねん正月しょうがつより天平てんぴょうたからななねんじゅうがつまで
    • まきじゅう 淳仁じゅんにんおさむ 天平てんぴょうたからはちねん正月しょうがつよりじゅうがつまで
  • こうけん天皇てんのう重祚じゅうそ (だいよんじゅうはちだいしょうとく天皇てんのう 
    • まきじゅうろく しょうとく紀一きいち 天平てんぴょう神護かんご元年がんねん正月しょうがつよりじゅうがつまで
    • まきじゅうなな しょうとく 天平てんぴょう神護かんごねん正月しょうがつよりじゅうがつまで
    • まきじゅうはち しょうとくさん 神護かんごけいくも元年がんねん正月しょうがつよりじゅうがつまで
    • まきじゅうきゅう しょうとくよん 神護かんごけいくもねん正月しょうがつより神護かんごけいくもさんねんろくがつまで
    • まきさんじゅう しょうとく 神護かんごけいくもさんねんなながつより宝亀ほうき元年がんねんきゅうがつまで
      • 藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ(押勝)、道鏡どうきょう排除はいじょくわだてるがはい道鏡どうきょう大臣だいじん禅師ぜんじとなる。淳仁天皇じゅんにんてんのう淡路あわじながし、こうけん上皇じょうこう重祚じゅうそする。
      • 墾田こんでん永年えいねん私財しざいほう停止ていし淳仁天皇じゅんにんてんのう幽閉ゆうへいしょ脱走だっそうはか死亡しぼう道鏡どうきょう太政大臣だじょうだいじんとなる。
      • 道鏡どうきょう法王ほうおうとなる。
      • ほう王宮おうきゅうしょくもうける。
      • 筑前ちくぜん大台おおだいじょう完成かんせい
      • けん犬飼いぬかいあねおんなら、しょうとく女帝にょてい呪詛じゅそしたこと発覚はっかく遠流おんる
  • てん宗高むなだか天皇てんのう(あめむねたかつぎのすめらみこと)(だいよんじゅうきゅうだいひかりじん天皇てんのう
    • まきさんじゅういち ひかりじん紀一きいち 宝亀ほうき元年がんねんじゅうがつより宝亀ほうきねんじゅうがつまで
    • まきさんじゅう ひかり仁紀ひとのり 宝亀ほうきさんねん正月しょうがつより宝亀ほうきよんねんじゅうがつまで
    • まきさんじゅうさん ひかり仁紀ひとのりさん 宝亀ほうきねん正月しょうがつより宝亀ほうきろくねんじゅうがつまで
    • まきさんじゅうよん ひかり仁紀ひとのりよん 宝亀ほうきななねん正月しょうがつより宝亀ほうきはちねんじゅうがつまで
    • まき三十五さんじゅうご ひかり仁紀ひとのり 宝亀ほうききゅうねん正月しょうがつより宝亀ほうきじゅうねんじゅうがつまで
    • まきさんじゅうろく ひかり仁紀ひとのりろく 桓武かんむ紀一きいち 宝亀ほうきじゅうねん正月しょうがつよりてんおう元年がんねんじゅうがつまで
  • 日本にっぽん根子ねっこ皇統こうとうわたるあきらみこと(やまとねこみすまるいよよてらすのみこと)(だいじゅうだい桓武かんむ天皇てんのう
    • まきさんじゅうなな 桓武かんむ のべれき元年がんねん正月しょうがつよりのべれきねんじゅうがつまで
    • まきさんじゅうはち 桓武かんむさん のべれきさんねん正月しょうがつよりのべれきよんねんじゅうがつまで
    • まきさんじゅうきゅう 桓武かんむよん のべれきねん正月しょうがつよりのべれきななねんじゅうがつまで
    • まきよんじゅう 桓武かんむ のべれきはちねん正月しょうがつよりのべれきじゅうねんじゅうがつまで

版本はんぽん

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刊本かんぽん

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  • 国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんぞう 貴重きちょう典籍てんせき叢書そうしょほんぜん5さつ
国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんたてぞう史料しりょうへん集会しゅうかい へん臨川りんせん書店しょてん国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんぞう 貴重きちょう典籍てんせき叢書そうしょ〉、ぜん5かん、1999-2000ねんいち ISBN 4-653-03527-X ISBN 4-653-03528-8さん ISBN 4-653-03529-6よん ISBN 4-653-03530-X ISBN 4-653-03531-8
有栖川ありすがわきゅう蔵本ぞうほん底本ていほんとする。えいただし12ねん1515ねん)に三条西さんじょうにし実隆さねたかおおやけじょう父子ふし卜部うらべ相伝そうでんほん書写しょしゃして7さつほん編成へんせいした三条西さんじょうにしほんより写本しゃほんぐんひとつにぞくし、江戸えど時代じだい初期しょき書写しょしゃ推定すいていされる。
坂本さかもと太郎たろう 校訂こうてい吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1968ねんまえへん ISBN 4-642-00003-8こうへん ISBN 4-642-00004-6
吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2000ねんISBN 4-642-00303-7
  • ぞく日本にっぽん よもぎひだり文庫本ぶんこぼん八木やぎ書店しょてん影印本えいいんぼんぜん5さつ
解題かいだい校勘こうかん: 吉岡よしおか眞之まさゆき石上いしがみ英一ひでかず八木はちぼく書店しょてん、1991-1993ねん
まき11-40の30かんぶん鎌倉かまくら時代じだい書写しょしゃ金沢かなざわ文庫ぶんこほんである。これらは卜部うらべほん系統けいとう以外いがいきわめて希少きしょう写本しゃほんであり、価値かちたかい。

注釈ちゅうしゃく訳注やくちゅう

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(1985-1989ねん) 1 ISBN 4-329-00375-9、2 ISBN しょう、3 ISBN 4-329-00377-5、4 ISBN 4-329-00378-3、5 ISBN 4-329-00379-1、6 ISBN 4-329-00380-5、7 ISBN 4-329-00381-3
(1986-1992ねん、ワイドばん2008ねん) 1 ISBN 4-582-80457-8、2 ISBN 4-582-80489-6、3 ISBN 4-582-80524-8、4 ISBN 4-582-80548-5
(1992-1995ねん現代げんだいやくのみ)じょう ISBN 4061590308なか ISBN 4061590316した ISBN 4061590324
(1989-2000ねんいち ISBN 4-00-240012-3 ISBN 4-00-240013-1さん ISBN 4-00-240014-Xよん ISBN 4-00-240015-8 ISBN 4-00-240016-6別巻べっかん ISBN 4-00-240103-0

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 天子てんし言行げんこう側近そっきん記録きろくしたもの。
  2. ^ 記述きじゅつ復活ふっかつされた平城ひらじろあさでは藤原ふじわらたねつぎ遺児いじである藤原ふじわらくすり平城ひらじろ天皇てんのう寵愛ちょうあいけていた時期じきかさなる。また、平城ひらじろ天皇てんのう自身じしん早良親王さわらしんのうはい太子たいしによって皇太子こうたいしとなった人物じんぶつであり、早良親王さわらしんのう怨霊おんりょうせつ否定ひてい天皇てんのう皇位こうい継承けいしょう正当せいとうせい主張しゅちょうするじょう必要ひつようであったともわれている。

出典しゅってん

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  1. ^ コトバンク
  2. ^ 荊木いばらき美行みゆき「“日本書紀にほんしょき”とはなにか」『日本書紀にほんしょき成立せいりつ史料しりょうせい燃焼ねんしょうしゃ、2022ねん、67-68・73ぺーじISBN 978-4-88978-157-1。(はら論文ろんぶん:『古典こてん歴史れきしだい10ごう燃焼ねんしょうしゃ、2021ねん
  3. ^ 安田やすだ政彦まさひこ災害さいがい復興ふっこう日本にっぽん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2013ねん、p. 10。全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:22196456

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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