東大寺
![]() | |
| |
| |
なし | |
| |
| |
| |
8 | |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
8150005000295 | |
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/22/Timeline_of_daibutsu_in_Japan.svg/250px-Timeline_of_daibutsu_in_Japan.svg.png)
歴史
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fc/20100716_Nara_Todaiji_Daibutsu_2292.jpg/220px-20100716_Nara_Todaiji_Daibutsu_2292.jpg)
創建 と大仏 造立
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/200604_Model_of_Todaiji_Kondo_of_its_foundation.jpg/250px-200604_Model_of_Todaiji_Kondo_of_its_foundation.jpg)
8
東大寺 と橘奈良麻呂
[奈良 時代
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/54/200730_Model_of_the_garan_of_Todaiji_seen_from_north_side.jpg/250px-200730_Model_of_the_garan_of_Todaiji_seen_from_north_side.jpg)
平安 時代
[また、
中世 以降
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0c/200604_Model_of_Todaiji_Kondo_rebuilt_in_the_Kamakura_period.jpg/240px-200604_Model_of_Todaiji_Kondo_rebuilt_in_the_Kamakura_period.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cb/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E6%AE%BF_-_panoramio_%283%29.jpg/240px-%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E6%AE%BF_-_panoramio_%283%29.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ac/Karakuichiranzu%28hokoji%29.jpg/240px-Karakuichiranzu%28hokoji%29.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b4/Hokoji%28rushanabutsu%29.jpg/240px-Hokoji%28rushanabutsu%29.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e9/H%C5%8Dk%C5%8Dji_Daibutsu_Kaempfer.png/240px-H%C5%8Dk%C5%8Dji_Daibutsu_Kaempfer.png)
その
2
なお
『
大仏殿 (金堂 )
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Mount_Wakakusa%2C_View_of_Todai-ji_Temple_from_The_Second_Open_Space_on_the_Mountain_001.jpg/220px-Mount_Wakakusa%2C_View_of_Todai-ji_Temple_from_The_Second_Open_Space_on_the_Mountain_001.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7a/Daibutsu_of_Todaiji_4.jpg/220px-Daibutsu_of_Todaiji_4.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ac/%E6%94%BE%E6%B0%B4%E8%A8%93%E7%B7%B4.jpg/220px-%E6%94%BE%E6%B0%B4%E8%A8%93%E7%B7%B4.jpg)
大仏 (盧舎那仏 像 )
国宝 。指定 名称 は「銅 造 盧舎那仏 坐像 (金堂 安置 )1躯 」。像 高 は14.7メートルである。大仏 は『華厳経 』に説 く盧舎那仏 という名 の仏 である。盧舎那仏 は「蓮華 蔵 世界 」(『華厳経 』の説 く世界 観 )の中心 に位置 し、大 宇宙 の存在 そのものを象徴 する仏 である。木造 如意輪観音 坐像 ・虚空蔵菩薩 坐像 (重要 文化財 )大仏 の左右 に脇 侍 として安置 される。これらの像 は大仏 (銅 造 )とは異 なり木造 の寄 木造 である。大 勧進 公俊 の時代 、京都 の仏師 山本 順慶 一門 と、大坂 の仏師 椿井 賢 慶 一門 らにより、30数 年 をかけて製作 されたもので、江戸 時代 の代表 的 な仏教 彫刻 である。如意輪観音 像 は元 文 3年 (1738年 )ごろの完成 、虚空蔵菩薩 像 は遅 れて宝 暦 2年 (1752年 )の完成 。金銅 八角 燈籠 (国宝 )大仏殿 の正面 に立 つ燈籠 。総高 464センチ。たびたび修理 されているが、基本 的 には奈良 時代 創建 時 のものである。火袋 は四方 に扉 を付 けた八角 形 で、扉 の4面 には雲 中 を駆 ける4頭 の獅子 が、他 の4面 にはそれぞれ異 なる楽器 (横笛 、尺八 、鈸子、笙 )を奏 する音声 菩薩 (おんじょうぼさつ)が、鉄格子 と唐草 文様 の透 かし時 の上 に浮彫 で表 されている。なお、竿 の部分 には燃 燈 仏 の功徳 などを説 いた経典 の一部 が刻 まれている[21]。4面 の羽目板 のうち西北 面 と西南 面 が当初 のもので、東北 面 と東 南面 はレプリカである。東北 面 の羽目板 は1962年 (昭和 37年 )に盗難 に遭 うも直後 に発見 されたが、その後 はオリジナルは別途 保管 し、燈籠 にはレプリカを取 り付 けている。東南 面 の羽目板 のオリジナルは早 くに紛失 した[22]。
-
多聞天 像 (金堂 東北 隅 ) -
広目天 像 (金堂 西北 隅 ) -
虚空蔵菩薩 像 (重要 文化財 ) -
如意輪観音 菩薩 像 (重要 文化財 ) -
金銅 八角 燈籠 (国宝 ) -
金銅 八角 燈籠 の音声 菩薩 像 (西北 面 )
南大門 (国宝 )
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b3/TodaijiNandaimon0185.jpg/220px-TodaijiNandaimon0185.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d3/Todaiji_niozo_ungyo.jpg/220px-Todaiji_niozo_ungyo.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Todaiji_niozo_agyo.jpg/220px-Todaiji_niozo_agyo.jpg)
木造 金剛力士 立像 (国宝 )高 さ8.4メートルの巨大 な木像 。建 仁 3年 (1203年 )にわずか69日 で造 られた。門 の向 かって右 に吽 形 (うんぎょう、口 を閉 じた像 )、左 に阿形 (あぎょう、口 を開 いた像 )を安置 する。これは一般 的 な仁王 像 の安置 方法 とは左右 逆 である。- 『
東大寺 別当 次第 』という史料 により、本 像 は建 仁 3年 (1203年 )、大仏 師 運慶 、備中 法橋 (湛慶 )、安 阿弥陀 仏 (快慶 )、越後 法橋 (定 覚 )によって造立 されたことが従来 から知 られており、阿形 像 と吽 形像 の作風 の違 いから、前者 は快慶 、後者 は運慶 が主 となって制作 したと考 えられていた[23]。1988年 (昭和 63年 )から1993年 (平成 5年 )にかけて造 像 以来 初 めての解体 修理 が実施 され、像 内 からは多数 の納入 品 や墨書 が発見 された。阿形 像 の持物 の金剛 杵 の内面 には、建 仁 3年 の年紀 とともに「大仏 師 法眼 運慶 」「अं〔アン、梵字 〕阿弥陀 仏 」(快慶 のこと)の名 が記 され、吽 形像 の像 内 に納入 されていた『宝 篋印陀羅尼 経 』(ほうきょういんだらにきょう)の奥書 には大仏 師 として「定 覚 」「湛慶 」の名 と小 仏師 12名 の名 が記 されていた[24]。運慶 が制作 の総 指揮 に当 たったとする点 では研究 者 の意見 が一致 しているが、阿形 像 ・吽 形像 の現場 での制作 を運慶 、快慶 、定 覚 、湛慶 がどのように分担 したかについては解釈 が分 かれている[25]。 石造 獅子 像 (重要 文化財 )南大門 北面 の東西 の間 に安置 されている。建 久 7年 (1196年 )に宋 人 の字 六 郎 が作製 。元 は大仏殿 中門 に置 かれていたが、室町 時代 に南大門 に移 された。記録 では、日本 の石材 では造 像 が困難 であったため、宋 より石材 を購入 した。元々 彩色 が施 されていたようで、現在 でもわずかに痕跡 が残 っている。台座 の牡丹 文 ・蓮華 文 や獅子 などの浮彫 には、重 源 の伊賀 別所 (新 大仏 寺 )所在 の石造 台座 に共通 する要素 が確認 される[21]。
二 月 堂
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/Todaiji07s3200.jpg/220px-Todaiji07s3200.jpg)
法華 堂 (三 月 堂 )
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Todaiji10s3200.jpg/220px-Todaiji10s3200.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/Todaiji_Monaster_Fukuken-saku_Kannon_of_Hokke-do._Todai-ji.jpg/220px-Todaiji_Monaster_Fukuken-saku_Kannon_of_Hokke-do._Todai-ji.jpg)
乾漆 不空 羂索観音 立像 (国宝 )奈良 時代 。高 さ3.62メートル。三 眼 八 臂 (額 に縦 に第 3の目 があり、8本 の腕 を持 つ)の観音 像 で、法華 堂 の本尊 として内陣 中央 の須弥壇 上 に安置 されている。頭上 の宝冠 は、正面 に銀製 の阿弥陀如来 像 を飾 り、数 多 くの宝石 や透 かし彫 りで飾 った華麗 なもので、普段 は近 くで見 ることはできないが、奈良 時代 工芸 の優品 として知 られる。- 塑造
執 金剛 神立 像 (国宝 ) 高 さ1.704メートル。本尊 不空 羂索観音 の背後 の厨子 に北 向 きに安置 される。右手 に金剛 杵 (こんごうしょ、仏敵 を追 い払 う武器 )を持 ち、目 を吊 り上 げて威嚇 する武神 像 である。長 らく秘仏 であったため、当初 の彩色 がよく残 る。執 金剛 神 とは、仁王 像 を1体 で表 したもの。本 像 は東大寺 の開山 (初代 住職 )良弁 の念持仏 と伝 え、平将門 の伝説 でも知 られる古来 著名 な像 である。伝説 によれば、平将門 が東国 で乱 を起 こした時 、この像 の髻 (もとどり、結髪 )を結 んでいる元結 紐 (もとゆいひも)の端 が蜂 となって飛 び去 り、将門 を刺 して苦 しめたという(『日本 霊異 記 』)。確 かに、本 像 の元結 紐 は今 も片側 が欠 失 している。秘仏 であり、良弁 の命日 である12月16日 のみ公開 される。
乾漆 梵天 ・帝釈天 立像 (国宝 )乾漆 金剛力士 立像 2躯 (国宝 )乾漆 四天王 立像 (国宝 )
伽藍
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/28/Zoshicho%2C_Nara%2C_Nara_Prefecture_630-8211%2C_Japan_-_panoramio_%2831%29.jpg/220px-Zoshicho%2C_Nara%2C_Nara_Prefecture_630-8211%2C_Japan_-_panoramio_%2831%29.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/42/Kaidan-in_Todaiji_JPN.jpg/220px-Kaidan-in_Todaiji_JPN.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4b/Todaiji-Tegaimon-M6820.jpg/220px-Todaiji-Tegaimon-M6820.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/Toudai-ji_shunjyou-dou.jpg/220px-Toudai-ji_shunjyou-dou.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d4/Todaiji11s3200.jpg/220px-Todaiji11s3200.jpg)
かつてはこれら
大仏殿 (金堂 、国宝 ):宝永 6年 (1709年 )再建 。解説 は既出 。東 楽 門 (重要 文化財 ):享 保 7年 (1722年 )再建 。東 回廊 (重要 文化財 ):享 保 元年 (1716年 )から元 文 2年 (1737年 )に再建 。西 楽 門 (重要 文化財 ):享 保 4年 (1719年 )再建 。西 回廊 (重要 文化財 ):享 保 元年 (1716年 )から元 文 2年 (1737年 )に再建 。中門 (重要 文化財 ):享 保 元年 (1716年 )9月 再建 。大仏殿 の手前 にある入母屋 造 の楼門 (2階 建 ての門 )。持国天 と多聞天 が祀 られているが、多聞天 が兜 跋 毘沙門天 となっており大変 珍 しい形式 である。中門 の両 脇 から「コ」の字形 に回廊 が伸 び、金堂 の左右 に至 る。相輪 :1970年 (昭和 45年 )に開催 された日本 万国博覧会 で、古河 パビリオンに建 てられた東大寺 七 重 塔 の相輪 部分 。博覧 会 終了 後 に相輪 は東大寺 に寄進 され、現在地 に移設 された。東 塔 跡 :七 重 塔 跡 。東 塔 跡 ・西 塔 跡 共 に土 壇 が残 るのみで、礎石 は持 ち去 られて残 っていない。『東大寺 要録 』には天平 勝 宝 5年 (753年 )完成 とあるが、天平 宝 字 8年 (764年 )に塔 の露盤 を上 げたとの記録 もあり、このころの完成 とみられる。塔 は治 承 4年 (1181年 )の南都 焼討 で焼失 。その後 に復興 され、安貞 元年 (1227年 )に完成 するが、康 安 2年 (1362年 )に落雷 で再 び焼 け、以後 は再建 されなかった。東大寺 は2010年 (平成 22年 )4月 、東 塔 再建 に向 けて数 年 内 に塔 跡地 の発掘 調査 を開始 すると発表 した[26]。平成 27年 (2015年 )7月 、東 塔 の基壇 跡 の発掘 調査 が始 まり、11月に中間 発表 が行 われた。鎌倉 時代 の基壇 では一 辺 が27m四方 、建物 部分 では17m四方 あり当時 の国内 最大 級 であった事 が推測 される。創建 当時 の遺構 も発見 され、この基壇 は一 辺 24m四方 だった[27][28][29]。時期 は未定 であるが、再建 されれば約 650年 ぶりに東 塔 が姿 を現 すこととなる。東 塔 ・西 塔 共 に七 重 塔 で、高 さは『東大寺 要録 』『南都七大寺 巡礼 記 』には23丈 強 、『朝野 群 載 』『扶桑 略記 』には33丈 強 とある。この高 さについて、1909年 (明治 42年 )に日 英 博覧 会 に出展 された創建 時 の復元 模型 (現在 は大仏殿 内 に展示 )を設計 した天沼 俊一 は、『東大寺 要録 』等 の「東 塔 が23丈 8寸 、西 塔 が23丈 6尺 7寸 」に露盤 (相輪 )高 約 8丈 (文献 により細 かい数値 は異 なる)を加 えて31丈 余 り(約 94メートル)とした[30]。一方 、建築 史 家 の足立 康 は、最初 に記載 する高 さは相輪 を含 むのが当時 の文献 の通例 であるとする一方 、23丈 程度 の全 高 のうち8丈 を相輪 が占 めるとするとバランスを欠 くという見解 から、一部 の文献 に見 られる「33丈 」(約 100メートル)が正 しいとした[30]。これらによって、90 - 100メートルとするのが通説 となっていた。これに対 し、奈良 文化財 研究所 の箱崎 和久 は2003年 (平成 15年 )の論文 で、現存 する同 時代 の仏塔 や、第 二 次 世界 大戦 後 に発掘 調査 された大型 仏塔 (大官大寺 や吉備 池 廃寺 跡 など)との比較 から、天沼 の復元 図 通 りの塔 を奈良 時代 当時 に建築 することは困難 であるとし、時代 の近 い元興寺 小 塔 をモデルとして、総高 23丈 7尺 (約 70メートル)、うち相輪 部 8丈 6尺 (約 26メートル)という復元 を推定 している[30][31]。奈良 文化財 研究所 は、箱崎 の発表 から約 20年 が経過 した2024年 4月 25日 に、創建 当時 の東 塔 の高 さについて原 資料 と見 られる「大仏殿 碑文 」の記載 を「23丈 」と判断 し、これにより約 70メートルと結論 づけた[30][32]。従来 の100メートル説 の根拠 となっていた「33丈 」とする見解 は、文献 の写本 の中 で江戸 時代 に発生 した誤記 がそのまま引 き継 がれたとした[30][33]。また「23丈 」では相輪 のバランスを欠 くという説 に対 しては、他 の塔 との比較 により創建 当時 には不自然 ではないとした[30][33]。東大寺 側 は「これまでの東 塔 の復元 案 とは異 なる姿 を示 すもので、天平 の東 塔 の姿 が知 りたいという思 いに1つの答 えをいただいた」という受 け止 め方 を示 し、「復興 を進 めるうえで、考慮 すべき重要 な研究 成果 だ」とした[34][35]。同時 に奈良 文化財 研究所 は、鎌倉 時代 に再建 された東 塔 は、当時 の文献 にある高 さ32丈 (96メートル)としている[30]。日本 万国博覧会 (1970年 )の古河 パビリオンで高 さ86メートルの東大寺 七 重 塔 の外観 が再現 された。パビリオンは博覧 会 終了 後 取 り壊 されたが、相輪 のみが保存 され、大仏殿 回廊 の東側 に建 てられている。なお、大阪 市 の藤田 美術館 の庭 に東大 寺東 塔 の心 礎 と伝 えられる礎石 があるが、東 塔 のものであるという確証 はない。- 鑰取
神社 :手向 山 八幡宮 の末社 。 白山 神社 :手向 山 八幡宮 の末社 。観音 院 :塔頭 。手向 山 八幡宮 :かつての東大寺 の鎮守 社 。1871年 (明治 4年 )の神仏 分離 の際 に東大寺 から独立 した。御髪 塔 :十 二 重 石塔 。法華 堂 経 庫 (重要 文化財 ):平安 時代 の建立 。法華 堂 (三 月 堂 、国宝 ):天平 12年 (740年 )から天平 20年 (748年 )に建立 。解説 は既出 。法華 堂 手水 屋 (重要 文化財 ):建 武 2年 (1335年 )建立 。法華 堂 北門 (重要 文化財 ):延 応 2年 (1240年 )建立 。不動堂 四 月 堂 (三昧 堂 、重要 文化財 ):延 宝 9年 (1681年 )建立 。寄 棟 造 二 重 、本 瓦 葺 き。普 賢堂 とも呼 ばれ、三 月 堂 の西 に建 っている。元 は宝 形 造 だったが、江戸 時代 の改修 で現在 の二 重 寄 棟 造 になった。本尊 十 一 面 観音 立像 (重要 文化財 )、阿弥陀如来 坐像 (重要 文化財 )、普賢菩薩 騎 象 像 などを安置 する。旧 本尊 の千手観音 立像 (重要 文化財 )は東大寺 ミュージアムに移 されている。二 月 堂 (国宝 ):寛文 9年 (1669年 )再建 。解説 は既出 。飯 道 神社 西国 三 十 三 所 石仏 群 遠敷 神社 山手 観音堂 北 参籠 所 良弁 杉 :良弁 が赤 ん坊 の頃 トンビにさらわれてしまい、この杉 の木 に引 っかかっていたという。興 成 神社 - 閼伽
井 屋 (重要 文化財 ):鎌倉 時代 の建立 。若狭 井 屋 とも呼 ばれる。お水 取 りを行 う際 に使用 される。 登 廊 二 月 堂 参籠 所 (重要 文化財 ):建治 3年 (1277年 )から弘安 5年 (1282年 )に建立 。鬼子母神 堂 二 月 堂 湯屋 (奈良 県 指定 有形 文化財 ):江戸 時代 中期 の建立 。塔頭 の金 珠 院 でもある。二 月 堂 仏 餉屋(ぶっしょうのや、供御 所 、重要 文化財 ):鎌倉 時代 の建立 。上之 坊 :塔頭 。開山 堂 (国宝 ):開山 (初代 住職 )良弁 の肖像 を安置 するための堂 。内陣 は正治 2年 (1200年 )、外陣 は建 長 2年 (1250年 )の建築 で、南大門 と共 に、大 仏様 (だいぶつよう)建築 の数少 ない遺作 である。本尊 木造 良弁 僧正 坐像 (国宝 )は寛仁 2年 (1018年 )の良弁 忌 に作製 された作品 で、長 らく秘仏 とされてきたため彩色 がよく残 っている。像 が手 に持 つ如意 は良弁 遺愛 の品 といわれている。良弁 像 の背後 には良弁 の高弟 の実 忠 像 が安置 されている。開山 堂 は良弁 の命日 の12月16日 のみ公開 される。念仏 堂 (重要 文化財 ):嘉 禎 3年 (1237年 )建立 。同 じく鎌倉 時代 、嘉 禎 3年 (1237年 )に仏師 の康 清 が造 った地蔵 菩薩 坐像 (重要 文化財 )を安置 する。元々 は地蔵堂 と呼 ばれた。屋根 は元禄 年間 (1688年 - 1704年 )に錣葺に改修 されている。英霊 殿 :念仏 堂 の背後 にある納骨 堂 。第 二 次 世界 大戦 による奈良 県 下 の戦没 者 の遺骨 約 3万 柱 を安置 し、毎月 5日 の法要 と8月 11日 の英霊 盂蘭盆 法要 に慰霊 が行 われている[36]。行基 堂 :奈良 時代 の著名 な僧 で、東大寺 の創建 にも貢献 した行基 の像 を安置 する。もとは俊 乗 堂 であったが、現在 の俊 乗 堂 が建立 されたので、行基 坐像 を安置 して行基 堂 と称 するようになった。この像 は、行基 の墓 がある竹林 寺 にあった像 を模 して享 保 年間 に造 られたと伝 わる。鐘楼 (国宝 ):承 元 年間 (1207年 - 1211年 )再建 。現在 の鐘楼 は、重 源 上人 に次 いで大 勧進 職 に就 いた栄西 禅師 が再建 したものである。吊 られている梵鐘 (国宝 )は大仏 開眼 と同年 の天平 勝 宝 4年 (752年 )の製作 で、中世 以前 の梵鐘 としては最大 のもの(高 385センチメートル、口径 271センチメートル)。俗 にこの梵鐘 は擬人 化 して「奈良 次郎 」と呼 ばれる[37]。毎日 午後 8時 に鐘 が撞 かれる[36]。2002年 (平成 14年 )12月、NHKの下請 け業者 に釘 を打 ち込 まれる事件 に遭 った。「東大寺 鐘 」は南都 八景 の一 つ。鐘楼 の周辺 は「鐘楼 ヶ丘 」「鐘楼 の丘 」と呼 ばれる。俊 乗 堂 :宝永 元年 (1704年 )建立 。鎌倉 時代 に大仏 と大仏殿 を再興 した中興 の祖 ・俊 乗 房 重 源 (しゅんじょうぼうちょうげん)を祀 る。大仏殿 より東 へ一段 上 がった「鐘楼 ヶ丘 」と呼 ばれる場所 にあり、かつてこの場所 には、重 源 が復興 の拠点 とした東大寺 別所 とその中心 堂宇 の浄土 堂 があったが、永 禄 10年 (1567年 )に兵火 で焼 け、その後 、公 慶 (こうけい)が宝永 元年 に重 源 五 百 年 遠忌 に浄土 堂 跡地 に新 しく俊 乗 堂 を建立 し、もとの俊 乗 堂 (現 ・行基 堂 )から俊 乗 上人 坐像 (国宝 )を移 して安置 した[36]。この坐像 は上人 が86歳 で没 した直後 の製作 と思 われ、鎌倉 時代 肖像 彫刻 の傑作 である。このほか、堂 内 には快慶 作 の阿弥陀如来 像 や平安 時代 の愛染明王 坐像 (ともに重要 文化財 )が安置 されている。掛 けられている扁額 「俊 乗 堂 」は重 源 の筆 であり、重 源 の八 百 年 遠忌 にあたる2006年 (平成 18年 )に設 けられた。毎年 7月 5日 (重 源 の忌日 )と12月16日 には堂 内 が特別 公開 される[36]。大 湯屋 (重要 文化財 ):12世紀 末 に重 源 によって再建 。延 応 元年 (1239年 )に改修 され、応 永 15年 (1408年 )から翌年 にかけて大 改修 がなされている[36]。二 月 堂 裏 参道 にある。正面 は入母屋 造 、背面 は切妻 造 であり、東西 に長 い建物 の内部 は、前面 が浴室 の前 室 、中央 が浴室 、後 面 は窯 場 となっている。浴室 には唐破風 付 きの風呂 屋形 を作 り、その中 に、重 源 の命 で建 久 8年 (1197年 )に造 られた鉄製 の湯船 (重要 文化財 )が据 えられている。窯 場 の屋上 には煙 抜 きの櫓 があり、中世 の浴室 の様子 を伝 える貴重 な歴史 的 遺構 である。非公開 。辛 国 社 講堂 跡 :礎石 が残 る。かつて、大仏殿 の北 には55×29メートルの講堂 と、その東西 北 の3面 の外回 りに沿 って僧房 が建 っていた。講堂 は天平 勝 宝 8歳 (756年 )頃 に完成 し、千手観音 を本尊 としていたが、延喜 17年 (917年 )に焼失 する。再建 された堂 も治 承 4年 (1181年 )の兵火 で焼失 。その後 復興 されたが、永 正 5年 (1508年 )の焼失 後 は再建 されなかった。子安 神社 指図 堂 :江戸 時代 後期 の再建 。大仏殿 の西 にある。法然 の画像 を祀 る堂 。鎌倉 時代 、大仏 の復興 に携 わった重 源 は、法然 の推挙 で大仏 復興 の大 勧進 職 となった。この堂 に復興 大仏殿 の指図 (設計 図 )を納 めたことから指図 堂 の名 が付 いたという。浄土 教 にも関心 の強 かった重 源 の招 きで法然 がこの地 で浄土 三 部 経 を講 じたという。もとこの堂 にあった木造 釈迦如来 坐像 (鎌倉 時代 、重要 文化財 )は東大寺 ミュージアムに移動 している。建物 は江戸 時代 後期 のものであるが、法然 上人 二 十 五 霊場 第 11番 札所 であるため、浄土宗 側 が喜捨 等 で再建 に協力 している。老朽 化 により近 く改築 が予定 されている。勧進 所 :もとは東大寺 中興 の祖 である重 源 が勧進 (焼失 した東大寺 再興 のための寄金 募集 )の本拠 とした穀 屋 である。大仏殿 西側 の塀 で囲 まれた一 画 で、表門 を入 ると左手 に公 慶 堂 、その先 の門 を入 ると右手 に阿弥陀堂 、正面 奥 に八幡 殿 、八幡 殿 の左 に経 庫 (重要 文化財 )がある。庫裏 公 慶 堂 :江戸 時代 の大仏殿 再興 に貢献 した公 慶 上人 の像 (重要 文化財 )を安置 する。像 は上人 の死去 の翌年 である宝永 3年 (1706年 )の作 。毎年 4月 12日 と10月 5日 に公開 される。阿弥陀堂 :重 源 が宋 から将来 したとの伝承 がある五 劫 思惟 阿弥陀 (ごこうしゆいあみだ)像 (重要 文化財 )を安置 する。毎年 10月 5日 のみ公開 される。八幡 殿 :建 仁 元年 (1201年 )に快慶 によって作 られた僧形 八幡 神 (そうぎょうはちまんしん)坐像 (国宝 )を安置 する。この像 は東大寺 の鎮守 である手向 山 八幡宮 の神体 であったもので、明治 の神仏 分離 に伴 って東大寺 に移 された。製作 当初 の彩色 が鮮 やかに残 る快慶 の代表 作 である。毎年 10月 5日 のみ公開 される。勧進 所 経 庫 (重要 文化財 ):平安 時代 の建立 。鐘楼 表門 (赤門 )
東大寺 学園 幼稚園 戒壇 院 :出家 者 が受戒 (正規 の僧 となるための戒律 を授 けられる)するための施設 として、天平 勝 宝 7歳 (755年 )に鑑真 和上 を招 いて創建 された。戒壇 堂 (奈良 県 指定 有形 文化財 ):享 保 18年 (1733年 )再建 。内部 には中央 に法華経 見 宝塔 品 (けんほうとうほん)第 十 一 の所説 に基 づく多宝塔 があり、内部 には多 宝 如来 と釈迦如来 が祀 られる。その周囲 を国宝 の四天王 像 が守 っている。- 塑造
四天王 立像 (国宝 ):法華 堂 の日光 菩薩 像 ・月光 菩薩 像 および執 金剛 神 像 と共 に、奈良 時代 の塑像 の最高 傑作 の一 つ。怒 りの表情 をあらわにした持国天 、増長天 像 と、眉 をひそめ怒 りを内 に秘 めた広目天 、多聞天 像 の対照 が見事 である。記録 によれば、創建 当初 の戒壇 院 四天王 像 は銅 造 であり、現在 の四天王 像 は後世 に大仏殿 の西 にあった中門 堂 から移 したものである。 銅 造 釈迦 多 宝 如来 坐像 (重要 文化財 ):堂 内 中央 にある多宝塔 内部 に本来 安置 される高 さ24cm余 りの小 像 。鑑真 が唐 から持参 したと伝 えられるが、作風 から奈良 時代 に日本 で作 られたものと考 えられる。普段 は江戸 時代 の木造 模造 品 が安置 され、本 像 は東大寺 ミュージアムに収蔵 されている。戒壇 院 本来 の役割 である僧侶 への授戒 の時 は本 像 が戒壇 院 に戻 される。
- 塑造
千手堂 -戒壇 堂 の西側 にある小 堂 。現在 の建物 は永 禄 10年 (1567年 )の東大寺 大仏殿 の戦 いによって焼失 し、慶長 年間 (1596年 - 1615年 )に再建 されたものが、1998年 (平成 10年 )の火災 でほぼ全焼 し、2002年 (平成 14年 )に慶長 再建 の姿 に復 したものである。1998年 (平成 10年 )の火災 の際 に仏像 群 はすべて救出 されたが、指 が折 れるなどの損傷 を負 い、堂 の再建 までに修復 された。木造 千手観音 立像 (重要 文化財 ):千手堂 の名 の由来 であり、本尊 。同 じく重要 文化財 の木造 四天王 立像 と共 に、やはり重要 文化財 の黒 漆 塗 りの厨子 に納 められる。ヒノキの寄木 造 り。その作風 から鎌倉 時代 後期 の作 とされる。厨子 (重要 文化財 ):本尊 および四天王 を収 める黒 漆 塗 りの厨子 。本尊 と同 時期 の作 と推定 される。正面 及 び両 側面 が開 く作 りで、扉 を閉 めたときの内側 には極彩色 の仏画 が描 かれている。すなわち正面 扉 には千手観音 眷属 の二 十 八 部 衆 と風神 ・雷神 が、右側 面 扉 には不動明王 と二 童子 および倶利伽羅 剣 が、左側 面 扉 には不動明王 以外 の五大 明王 が、本尊 背面 には補陀落 浄土 が描 かれている。1998年 (平成 10年 )の火災 の際 には外部 に救出 できなかったため、大 きく汚損 したが焼失 は免 れた。現在 拝観 できるものは精巧 な模写 であるが、オリジナルは2010年 (平成 22年 )から3年 かけて修復 され、保管 されている。木造 愛染明王 坐像 (重要 文化財 ):鎌倉 時代 後期 から南北 朝 時代 の作 と推定 される。ヒノキの寄木 造 り。木造 鑑真 和上 坐像 (重要 文化財 ):江戸 時代 中期 の享 保 18年 (1733年 )に唐招提寺 の有名 な乾漆 像 を忠実 に模 刻 したもの。
華厳 寮 中御門 跡 :別名 を焼 門 という。慶長 11年 (1606年 )に焼失 し、礎石 が残 る。正 倉 院 :宮内庁 の施設 等 機関 である正倉院事務所 が管理 している。聖武天皇 ・光明皇后 ゆかりの品 をはじめとする、天平 時代 を中心 とした多数 の美術 工芸 品 を収蔵 する。転 害 門 (国宝 ):天平 宝 字 年間 (757年 - 765年 )建立 。境内 西北 、正 倉 院 の西側 にある八 脚 門 。治 承 4年 (1181年 )、永 禄 10年 (1567年 )の2回 の大火 にも焼 け残 った寺内 で数少 ない建物 の一 つ。鎌倉 時代 の修理 で改修 されているが、基本 的 には奈良 時代 の創建 時 の姿 を残 す建物 である。名称 の由来 は、東 に碾磑(てんがい、石臼 )があったことに因 む。別名 として、平城京 の一条通 (佐保 路 )に面 していたので佐保 路 門 (さほじもん)とも、平家 一門 の怨 みを晴 らすべく源 頼朝 を暗殺 しようと悪 七兵衛 景 清 が隠 れていたという伝承 から景 清門 とも呼 ばれる[36]。2004年 (平成 16年 )頃 から野良猫 による糞尿 や爪 とぎの被害 が問題 になっている。明治 初 めまで東大寺 の鎮守 社 だった手向 山 八幡宮 の御旅所 でもあった。現在 でも毎年 10月 5日 に手向 山 八幡宮 の例祭 「転 害 会 (てがいえ)」の際 には神輿 が転 害 門 に遷座 する。この例祭 は、奈良 時代 、宇佐 八幡宮 から祭神 が勧請 された際 、転 害 門 を通 った伝承 にちなみ神 迎 えの様子 を再現 した祭礼 である。龍 松 院 :塔頭 。知足 院 :塔頭 。大仏殿 北方 の丘 の上 にある。寛平 2年 (890年 )の創建 で、東大寺 における法相 教学 の拠点 となった。奈良 県 の県花 、奈良 市 の市 章 になっている奈良 八重桜 (天然記念物 、非公開 )や重要 文化財 の地蔵 菩薩 立像 を有 する。龍蔵 院 :塔頭 。持 宝 院 :塔頭 。宝 厳 院 :塔頭 。食堂 跡 :礎石 が一 つだけ道 の真 ん中 に残 されている。宝珠 院 :塔頭 。中性 院 :塔頭 。日之出 大神 :更 に上 ると天地 院 の跡地 に出 る。西 大 門跡 :天正 11年 (1583年 )に風 で倒壊 する。南大門 より大 きく、かつては東大寺 最大 の門 であった。西 塔 跡 :七 重 塔 跡 。『東大寺 要録 』には天平 勝 宝 5年 (753年 )閏 3月 完成 とあるが、閏 3月 があったのは前年 の天平 勝 宝 4年 (752年 )であり、実際 は東 塔 と同 じ頃 の完成 とみられる。塔 は承 平 4年 (934年 )に焼失 。その後 復興 が計画 されるが、工事 途上 の長保 2年 (1000年 )に再 び焼失 する。以後 は再建 されなかった。五 百 立神 社 :手向 山 八幡宮 の末社 。真言 院 :塔頭 。南大門 から中門 に至 る参道 を西 に入 った所 にある。東大寺 の別当 も務 めた空海 が、弘 仁 13年 (821年 )、勅許 を受 けて開設 した灌頂道場 が始 まりであり、南都 における真言 教学 の拠点 となった。重要 文化財 の地蔵 菩薩 立像 と四天王 像 を有 する。東大寺 総合 文化 センター:2010年 (平成 22年 )9月 竣工 、2011年 (平成 23年 )に開館 。南大門 を入 って左手 、東大寺 学園中 学校 ・高等 学校 (1986年 郊外 に移転 )の跡地 にある複 合 文化 施設 (住所 は奈良 市 水門 町 100)。 センター内 には、東大寺 ミュージアム、金 鐘 会館 、ミュージアムショップ、カフェ、東大寺 に伝 わる文書 類 を蔵 する図書館 、収蔵 庫 、東大寺 史 研究所 、華厳 学 研究所 が置 かれている[36]。東大寺 ミュージアム:2011年 (平成 23年 )10月 開館 。東大寺 が所蔵 する仏像 や宝物 類 、経巻 や文書 類 を展示 する。中央 には、浄土 堂 にあったと伝 えられる千手観音 立像 (重要 文化財 、平安 時代 )、脇 侍 に日光 ・月光 菩薩 立像 (国宝 、奈良 時代 )、そのほか弁財天 立像 ・吉祥天 立像 (ともに重要 文化財 、奈良 時代 )、誕生 釈迦 仏 立像 及 び灌仏盤 や金堂 鎮壇具 (いずれも国宝 、奈良 時代 )が安置 されている。東大寺 文書 (国宝 、平安 ~室町 時代 )を含 む多 くの文書 、経巻 、典籍 類 、並 びに東大寺 境内 から出土 した瓦 や土器 などの考古 資料 が収蔵 され、一部 は随時 展示 されている[36]。- 塑造
日光 ・月光 (がっこう)菩薩 立像 (国宝 ) -奈良 時代 。もと法華 堂 安置 。法華 堂本 尊 不空 羂索観音 の両 脇 に建 っていた。天平 彫刻 の代表 作 として著名 だが、造 像 の経緯 等 は定 かでなく、本来 の像 名 も不明 である(「日光 ・月光 菩薩 」という名称 は後世 に付 けられたもので、本来 は、薬師 如来 の脇 侍 となる菩薩 )。像 の表面 は現状 ほとんど白色 だが、製作 当初 は彩色 像 であった。本来 の像 名 は梵天 ・帝釈天 だった、とする説 もある。 - 塑造
吉祥天 ・弁才天 立像 (重要 文化財 ) -奈良 時代 。もと法華 堂 安置 。唐 三彩 の婦人 俑に似 た豊満 な貴婦人 の形 を取 っている。吉祥天 は二 臂 、弁才天 は八 臂 。いずれも破損 が著 しいがかえって塑像 の構造 が明 らかにされており、美術 史上 貴重 な資料 である。
- 塑造
東大寺 図書館 金 鐘 会館 東大寺 史 研究所 華厳 学 研究所
北林 院 :塔頭 。地蔵 院 :塔頭 。正 観 院 :塔頭 。東大寺 福祉 療育 病院 鏡池 弁財天 社 :鏡池 の中 にある島 に建 っている。本 坊 (旧 東南 院 ):南大門 を入 って右側 にる。貞 観 17年 (875年 )、醍醐寺 の開祖 として著名 な聖 宝 が東大寺 内 に建 てた薬師堂 を基 とする。延喜 4年 (904年 )、東大寺 別当 を務 めた道義 律師 は、香 積 院 (佐伯 院 )という寺 の建物 を東大寺 境内 に移転 させ、聖 宝 を招 いたのが東南 院 の始 まりである。香 積 院 は平城京 左京 五条 六 坊 (元興寺 の南西 )にあった、佐伯 氏 の氏 寺 であった。以後 、東南 院 は三 論 宗 と真言宗 兼学 の道場 となり、尊 勝 院 [注 6]と共 に有力 な院 家 となって、塔頭 の中 でも別格 の存在 であった。本 坊 は通常 は非公開 である。庫裏 本 坊 経 庫 (国宝 ):奈良 時代 の建立 。校倉 造 の倉庫 。食堂 跡 の北方 、上司 (かみつかさ)と呼 ばれる場所 にあった油 倉 を正徳 4年 (1714年 )、東南 院 に移築 したもの。東南 院 廃絶 後 は本 坊 経 庫 と呼 ばれている。東大寺 関係 では正 倉 院 宝庫 を含 め、他 に5棟 の校倉 が残 っている。このうち法華 堂 経 庫 と勧進 所 経 庫 は、正 倉 院 の西方 にあった倉 を移 したもの。手向 山 八幡宮 宝庫 は本 坊 経 庫 と同 じく上司 の油 倉 を移築 したもの。正 倉 院 の構内 にある聖 語 蔵 は塔頭 尊 勝 院 の校倉 を移 したものである。天皇 殿 -聖武天皇 像 を安置 する。明治 時代 に神仏 分離 が行 われるまでは徳川 家康 を祀 る東照宮 であった。東照宮 の社殿 と祭神 は手向 山 八幡宮 に移 されている。持仏堂 -江戸 時代 作 の理 源 大師 (聖 宝 )像 を安置 する。建物 はもと談 山神 社 (妙楽寺 )本殿 で、安倍 文殊 院 を経 て東大寺 に移 された。表門
南大門 (国宝 ):正治 元年 (1199年 )再建 。解説 は既出 。なお、北大門 は北御門 ともいい、現在 の五 劫 院 付近 にあった。東大寺 はかつて北 に1つ、西 に3つ、南 に3つの門 を備 えていたという。
-
金堂 、祭典 時 -
虚空蔵菩薩 (大仏殿 ) -
鐘楼 (国宝 ) -
梵鐘 -
開山 堂 (奥 の建物 )(国宝 ) -
指図 堂 -
法華 堂 経 庫 -
念仏 堂 -
不動堂 -
二 月 堂 から金堂 を望 む -
二 月 堂 とお社 -
中性 院 門前 、二 月 堂 への道 -
七 重 塔 復元 模型 (大仏殿 内 所在 ) -
大阪 万国博覧会 で外観 再現 された東大寺 七 重 塔 (古河 パビリオン) -
東大寺 総合 文化 センター
文化財
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c5/Todaiji06s3200.jpg/220px-Todaiji06s3200.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/Nio_guardians_by_Unkei_in_Nara.jpg/220px-Nio_guardians_by_Unkei_in_Nara.jpg)
国宝
[- (
建造 物 )
金堂 (大仏殿 )(附 :棟 札 1枚 )南大門 本 坊 経 庫 開山 堂 (附 :須弥壇 及 び厨子 )鐘楼 法華 堂 (三 月 堂 )(附 :棟 札 1枚 )二 月 堂 転 害 門
- (
美術 工芸 品 )
絹本 著 色 倶舎曼荼羅 図 紙 本 著 色 華厳 五 十 五 所 絵巻 銅 造 盧舎那仏 坐像 (大仏 ・金堂 安置 )乾漆 不空 羂索観音 立像 (法華 堂 安置 )乾漆 梵天 ・帝釈天 立像 (法華 堂 安置 )乾漆 金剛力士 立像 2躯 (法華 堂 安置 )乾漆 四天王 立像 (法華 堂 安置 )- 塑造
日光 菩薩 ・月光 菩薩 立像 (所在 東大寺 ミュージアム、もと法華 堂 安置 ) - 塑造
執 金剛 神立 像 (法華 堂 安置 ) - 塑造
四天王 立像 (所在 戒壇 堂 ) 銅 造 誕生 釈迦 仏 立像 ・銅 造 灌仏盤 木造 金剛力士 立像 2躯 附 像 内 納入 品 (所在 南大門 )(像 内 納入 品 の明細 は後 出 )木造 俊 乗 上人 坐像 (俊 乗 堂 安置 )木造 僧形 八幡 神 坐像 快慶 作 (八幡 殿 安置 )木造 良弁 僧正 坐像 (開山 堂 安置 )木造 弥勒 仏 坐像 [38]花鳥 彩絵 油 色 箱 (ゆしょくばこ)金銅 八角 燈籠 (大仏殿 前 所在 )葡萄 唐草 文 染 韋(そめかわ)梵鐘 賢愚 経 巻 第 十 五 (四 百 六 十 七 行 )東大寺 文書 100巻 (979通 )、8,516通 東大寺 金堂 鎮壇具 一括 (明細 は後 出 )
東大寺 金堂 鎮壇具
銀製 鍍金 狩猟 文 小 壺 1合 金 鈿荘大刀 3口 金銀 荘 大刀 2口 銀 荘 大刀 1口 瑞 花 六 花 鏡 1面 銀製 鍍金 蝉 形 鏁子宝 相 華 透 彫 座金 付 1箇漆 皮 箱 残片 一括 水晶 合 子 (真珠 四箇 入 ) 1合 水晶 合 子 (真珠 八 箇入) 1合 水晶 玉 22顆琥珀 玉 類 一括 - ガラス
玉 類 一括 水晶 一括 - 挂甲
残闕 一括 刀 子 残闕 一括
木造 金剛力士 立像 附 像 内 納入 品
宝 篋印陀羅尼 経 等 1巻 奥 に建 仁 三 年 八 月 七 日 、執筆 沙門 浄 阿弥陀 佛 ・勧進 造 東大寺 大和尚 南無阿弥陀佛 等 とある木製 五輪 塔 1基 木造 毘沙門天 立像 等 5躯 、3箇結縁 交名 2通 木札 2枚
宝 篋印陀羅尼 経 等 1巻 奥 に建 仁 三 年 八 月 八 日 、執筆 恵 阿弥陀 仏 、造 東大寺 大 勧進 大和尚 南無阿弥陀佛 、大仏 師 定 覚 ・湛慶 等 とある木造 十 一 面 観音 立像 1躯 願文 2通 各 に建 仁 三 年 八 月 八 日 の年 記 があり、一 通 に類 阿弥陀 佛 、他 の一 通 にあま心 女 とある結縁 交名 10通 内 一 紙 に建 仁 三 年 の年 記 がある地蔵 菩薩 印 仏 2枚 不空 羂索神呪 心 経 1巻 法華経 普 門 品 残 巻 等 1帖 2巻 木札 2枚 内 一 枚 に□三 年 八 月 九 日 の年 記 がある
重要 文化財
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2f/Todaiji_Gakko_Bosatsu.jpg/150px-Todaiji_Gakko_Bosatsu.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/Todaiji_Monastery_Portrait_of_Ryoben_%28268%29.jpg/150px-Todaiji_Monastery_Portrait_of_Ryoben_%28268%29.jpg)
- (
建造 物 )
中門 東西 回廊 2棟 東西 楽 門 (がくもん)2棟 念仏 堂 法華 堂 経 庫 法華 堂 手水 屋 法華 堂 北門 二 月 堂 閼伽井 屋 (若狭 井 屋 )二 月 堂 参籠 所 二 月 堂 仏 餉屋(御供所 )三昧 堂 (四 月 堂 )大 湯屋 勧進 所 経 庫 石造 五輪 塔 (奈良 市 川上 町 所在 )
- (
絵画 )
絹本 著 色 嘉 祥 大師 像 ・絹本 著 色 浄 影 大師 像 (かじょうだいしぞう・じょうようだいしぞう)絹本 著 色 華厳 海 会 善 知識 曼荼羅 図 (けごんかいえぜんちしきまんだらず)絹本 著 色 華厳 五 十 五 所 絵 10面 絹本 著 色 香 象 大師 像 絹本 著 色 十 一面観 音像 絹本 著 色 四聖 御影 (ししょうのみえい)建 長 本 ・永和 本 紙 本 著 色 東大寺 大仏 縁起 芝 琳賢筆 3巻 絹本 著 色 東大寺 縁起 2幅 [39][40]
- (
彫刻 )
木造 如意輪観音 ・虚空蔵菩薩 坐像 順慶 ・賢 慶 ・了 慶 ・尹 慶 等 作 (金堂 安置 )石造 獅子 一双 (所在 南大門 )木造 阿弥陀如来 立像 快慶 作 (俊 乗 堂 安置 )木造 愛染明王 坐像 (俊 乗 堂 安置 )木造 地蔵 菩薩 坐像 (念仏 堂 安置 )- 塑造
弁才天 ・吉祥天 立像 (東大寺 ミュージアム所在 、旧 所在 法華 堂 ) 木造 不動明王 二 童子 像 (東大寺 ミュージアム所在 、旧 所在 法華 堂 )木造 地蔵 菩薩 坐像 (東大寺 ミュージアム所在 、旧 所在 法華 堂 )木造 天蓋 3面 (所在 法華 堂 )[41]木造 訶梨帝 母 坐像 (二 月 堂 参籠 所 食堂 安置 )木造 千手観音 立像 (東大寺 ミュージアム所在 、旧 所在 三昧 堂 )木造 阿弥陀如来 坐像 (三昧 堂 安置 )木造 公 慶 上人 坐像 (公 慶 堂 安置 )木造 五 劫 思惟 阿弥陀 坐像 (勧進 所 阿弥陀堂 安置 )銅 造 釈迦 ・多 宝 如来 坐像 (戒壇 院 )[42]厨子 入 木造 千手観音 ・四天王 立像 (戒壇 院 千手堂 安置 )[43]附 旧 厨子 後 板 及扉 7面
木造 鑑真 和上 坐像 (戒壇 院 千手堂 安置 )木造 愛染明王 坐像 (戒壇 院 千手堂 安置 )木造 菩薩 立像 (中性 院 所在 )木造 地蔵 菩薩 立像 (真言 院 所在 )木造 四天王 立像 (新 禅 院 伝来 )(真言 院 所在 )附 像 内 納入 品 (明細 は後 出 (「重要 文化財 の明細 」参照 ))
厨子 入 木造 地蔵 菩薩 立像 (知足 院 所在 )[44]木造 釈迦如来 坐像 善 円 作 (旧 所在 指図 堂 )附 像 内 納入 品 (紙 本 墨 釈迦如来 造立 願文 (覚 澄 筆 )1巻 、紙 本 墨書 宝 篋印陀羅尼 等 1巻 、紙 本 墨書 華厳経 巻 四 十 1巻 、舎利 香木 1包 )
木造 阿弥陀如来 坐像 (旧 所在 勧進 所 )木造 聖観音 立像 木造 十 一 面 観音 立像 (三昧 堂 安置 )木造 地蔵 菩薩 立像 ・快慶 作 (旧 所在 公 慶 堂 )木造 持国天 立像 附 像 内 納入 品 (木札 1枚 、版本 金剛 般若 波羅蜜 経 1巻 、版本 仁王 護国 般若 波羅蜜 経 2巻 )
木造 多聞天 立像 木造 十 二神 将 立像 (旧 所在 天皇 殿 )銅 造 舟形 光背 (二 月 堂本 尊 光背 )木造 青 面 金剛 立像 木造 閻魔 王 坐像 覚 円 作 ・木造 泰山 府 君 坐像 [45][46]銅 造 如意輪観音 半 跏像(菩薩 半 跏像)木造 伎楽 面 29面 ・乾漆 伎楽 面 1面 (附 木造 伎楽 面 残欠 5片 (4面 分 )、乾漆 伎楽 面 残欠 7片 (3面 分 ))木造 舞楽 面 9面 (皇 仁 帝 4、散 手 、貴徳 、陵 王 、納 曽 利 2)木造 伎楽 面 2面 木造 行道 面 (蝿 払 )2面 木造 菩薩 面 3面 (附 残欠 4片 )木造 獅子頭
- (
工芸 品 )
金銅 鉢 2口 孔雀 文 磬 鉦鼓 長 承 三 年 銘 鉦鼓 建 久 九 年 銘 (附 錫 平文 鉦 架 、撞木 、蓮実 形 柄杓 、菩提 子 念珠 )鉄 釣 燈籠 2基 (法華 堂 所在 )鉄 湯船 (大 湯屋 所在 )建 久 年 銘 鉄 鑰(てつやく)鍵 付 (附 :鉄 鍵 4本 )堂 司 鈴 (どうつかされい)弘安 八 年 銘 銅 香水 杓 4枝 夫 々建 長 五 年 、建 長 七 年 、文 永 四 年 、□□元年 銘 銅 水瓶 2口 うち1口 嘉 元 三 年 銘 銅 鉢 (金銅 受台付 )・金銅 受台鰐口 梵鐘 (真言 院 )文 永 元年 銘 梵鐘 (二 月 堂 食堂 所用 )徳治 三 年 銘 雲 鳳 戧金経 櫃 (うんぽうそうきんきょうびつ)朱 漆 布 薩盥(ふさつたらい) 3口 うち2口 応 永 三 十 四 年 銘 黒 漆 鼓 胴 2口 黒 漆 螺鈿 卓 (しょく)彩絵 鼓 胴 彩絵 鼓 胴 寛 喜 四 年 修理 銘 五 獅子 如意 (伝 聖 宝 所持 )玳瑁 如意 (たいまいにょい)- 二月堂練行衆盤 11
枚 うち10枚 永 仁 六 年 銘 木製 黒 漆 油 壺 2口 元 徳 二 年 銘 木造 西 大門 勅額 石 燈籠 (法華 堂 前 所在 )建 長 六 年 銘
- (
書跡 ・典籍 )
東大寺 聖教 (しょうぎょう) 1,806点 [47]華厳経 巻 第 一 、第 四 、第 五 、第 六 、第 九 、第 十 一 6巻 巻 第 一 に貞元 十 四 年 訳 場 列 位 あり(唐 時代 )願文 集 寛 元 三 年 宗 性 跋 虚空蔵 経 自 巻 第 一 至 巻 第 八 8巻 (附 同 経 巻 第 六 (首 欠 )1巻 )金光 明 最 勝 王 経 註釈 巻 第 五 、第 九 金 剛 般若 経 讃 述 巻 上 (白 点 本 )承 和 十 一 年 延 厳 書写 高僧 伝 六 種 宗 性 筆 (日本 高僧 伝 要 文 抄 3冊 、日本 高僧 伝 指示 抄 1冊 、大 宋 高僧 伝 要 文 抄 2冊 、大 宋 高僧 伝 指示 抄 1冊 、名僧 伝 要 文 抄 1冊 、名僧 伝 指示 抄 1冊 )高 麗 版 華厳経 随 疏演義 鈔 40巻 紺 紙 金字 華厳経 80巻 紺 紙 銀 字 華厳経 残 巻 (二 月 堂 焼経 )20巻 細字 金光 明 最 勝 王 経 自 巻 第 六 至 巻 第 十 1巻 続 華厳 略 経 疏刊定 記 巻 第 二 、第 九 上下 、第 十 三 上下 5巻 大 威徳 陀羅尼 経 自 巻 第 一 至 巻 第 十 (天平 十 二 年 五 月 一 日 光明皇后 願 経 )10巻 (附 経 帙 1枚 )大 般涅槃経自 巻 第 一 至 巻 第 四 十 40巻 大 毘婆沙 論 巻 第 廿 三 (天平 十 二 年 五 月 一 日 光明皇后 願 経 )大方 等 大 集 菩薩 念仏三昧 経 自 巻 第 一 至 巻 第 十 10巻 (附 経 帙 1枚 、経 籤 1箇)- 百法顕幽抄
巻 第 一 末 (朱 点 本 )会 昌 三 年 書写 法華 統 略 巻 上 弥 沙 塞 羯磨本 (みしゃそくこんまぼん)瑜伽 師 地 論 巻 第 十 二 、第 十 三 、第 十 四 、第 十 七 (天平 十 二 年 五 月 一 日 光明皇后 願 経 )4巻 - 羯磨(こんま)2
巻 新 修 浄土 往生 伝 巻 下 保 元 三 年 弁 昭 書写 奥書 円 照 上人 行状 記 凝然 筆 3巻 正安 四 年 奥書 東大寺 凝然 撰述 章 疏類自筆 本 (九 種 )146巻 東大寺 宗 性 筆 聖教 并抄録 本 (二 百 十 四 種 )99巻 、347冊 東大寺 要録 10冊 東大寺 要録 続 録 9冊 賢 劫 経 紙 本 墨書 巻物 (所在 不明 )[注 7]
- (
古文書 、歴史 資料 )
栄西 自筆 唐墨 筆 献上 状 建 永 二 年 六 月 廿 一 日 越前 国 田 使 解 (桑原 庄 券 第 二 、第 三 )2巻 天平 勝 宝 八 、九 年 元久 二 年 重 源 上人 勧進 状 阿弥陀 悔過料 資財 帳 神護 景 雲 元年 八 月 周防 国 阿弥陀寺 領 田畠 注文 正治 二 年 十 一 月 日 重 源 加 判 宣旨 延 暦 二 十 四 年 九 月 二 十 四 日 菅野 眞道 自署 ・太政官 宣旨 延 暦 二 十 四 年 二 月 二 十 五 日 菅野 眞道 自署 僧 某 逆修 願 文案 貞慶 筆 建 久 九 年 四 月 十 五 日 東大寺 大 勧進 僧 行 勇 自筆 書状 九 月 十 六 日 年 預 五 師 宛 東大寺 奴婢 見 来 帳 天平 勝 宝 三 年 - 二月堂修二会記録文書 293
冊 、2,107通 (附 手 継 箱 3合 ) 東大寺 戒壇 院 指図
木造 四天王 立像 (新 禅 院 伝来 )
附 像 内 納入 品 持国天 像 像 内 納入 品 木製 五輪 塔 1基 金光 明 経 四天王 品 第 六 1巻 弘安 四 年 三 月 東大寺 新 禅 院 聖 守 の願文 がある持国天 神呪 ・般若心経 1巻
増長天 像 像 内 納入 品 木製 五輪 塔 1基 金光 明 経 四天王 品 第 六 1巻 弘安 四 年 三 月 聖 守 の願文 がある増長天 神呪 ・般若心経 1巻
広目天 像 像 内 納入 品 木製 五輪 塔 1基 金光 明 経 四天王 品 第 六 1巻 聖 守 の願文 がある広目天 神呪 ・般若心経 1巻 包 紙 (願文 がある)1枚
多聞天 像 像 内 納入 品 木製 五輪 塔 1基 金光 明 経 四天王 品 第 六 1巻 聖 守 の願文 がある多聞天 神呪 ・般若心経 1巻 聖 守 の願文 がある願文 1通 弘安 四 年 三 月 、聖 守 等 の記 がある包 紙 (願文 がある)1枚
-
本 坊 経 庫 (国宝 ) -
金堂 鎮壇具 (国宝 )のうち銀製 鍍金 狩猟 文 小 壺 -
伎楽 面 30面 (重要 文化財 )のうち酔 胡 従 -
浄 影 大師 像 (重要 文化財 ) -
木造 弥勒 仏 坐像 (国宝 ) -
華厳 海 会 善 知識 曼荼羅 図 (重要 文化財 ) -
華厳 五 十 五 所 絵巻 (部分 )(国宝 ) -
葡萄 唐草 文 染 韋(そめかわ)(国宝 ) -
四聖 御影 (ししょうのみえい)永 和本 (重要 文化財 ) -
倶舎
曼荼羅 図 (国宝 ) -
五輪 塔 (重要 文化財 )奈良 市 川上 町 所在 (重 源 墓 ) -
大仏殿 西 回廊 と西 楽 門 (重要 文化財 ) -
三昧 堂 (左 の二 重 屋根 )、開山 堂 (その右 の宝 形 屋根 )、奥 に大仏殿 を望 む(二 月 堂 から見 る) -
大 湯屋 (重要 文化財 ) -
大仏殿 東 回廊 と東 楽 門 (重要 文化財 ) -
法華 堂 北門 (重要 文化財 ) -
真言 院 (中央 は地蔵堂 )
国 指定 史跡
[国 指定 天然記念物
[奈良 県 指定 有形 文化財
[東大寺 真言 院 6棟 - 灌頂
堂 表門 地蔵堂 神 護 殿 - 閼伽
井 屋 南 門
- 灌頂
戒壇 院 戒壇 堂 東大寺 二 月 堂 湯屋 二 月 堂 曼荼羅 図 木造 不動明王 坐像 金銅 宝塔 東大寺 戒壇 院 所用 厨房 用具 3口
奈良 県 指定 天然記念物
[東大寺 鏡池 棲息 ワタカ
奈良 市 指定 有形 文化財
[絹本 著 色 釈迦三尊 十 六 羅漢 像 1幅
年中 行事
[- 1
月 1日 除夜 の鐘 (鐘楼 ) - 1
月 1日 – 3日 正月 三 が日 (大仏殿 ・二 月 堂 ) - 1
月 7日 修正 会 (大仏殿 ) 悔過法要 が行 われる。 - 2
月 3日 節分 ・星祭 り(二 月 堂 )日 中 、「還 宮 (げんぐう)」と「節分 豆 まき」が行 われる。還 宮 とは古 くなったお札 やお守 り等 を火 にあげる儀式 のこと。節分 豆 まきは、午後 2時 ごろ、二 月 堂 の舞台 の上 から行 われる。「星祭 り」は、星 に「除 災 与楽 」を祈 る法会 。夕刻 、二 月 堂本 堂 に万 灯明 を灯 し、「星 曼荼羅 」を掲 げてこの法会 を勤 める。 - 3月1
日 – 14日 修二 会 (お水 取 り)(二 月 堂 )詳細 は「修二 会 」の項 を参照 。奈良 時代 、実 忠 和尚 によって始 められた東大寺 の代表 的 行事 。11人 の練 行 衆 と呼 ばれる僧侶 が精進潔斎 して合宿 生活 を送 り、二 月 堂 の本尊 十 一面観 音 に罪 を懺悔 し、国家 安泰 、万民 豊楽 等 を願 う。内陣 の中 では過去 帳 読誦 、走 りの行法 、韃靼 の行法 などの行事 が行 われる。二 月 堂 の上 で松明 を振 り回 す「お松明 」は3月 1日 以降 連日 行 われる。若狭 井 から水 を汲 み本尊 に備 える「お水 取 り」は3月12日 深夜 (13日 未明 )に行 われる。 - 3月15
日 涅槃 講 釈迦 の入 涅槃 を記念 する法要 。 - 4
月 8日 仏 生 会 (大仏殿 )釈迦 の誕生 を祝 う。 - 4
月 24日 華厳 知識 供 (開山 堂 )一山 の僧侶 が開山 堂 に参集 し、良弁 僧正 の厨子 の前 に華厳 五 十 五 聖 善智識 曼荼羅 をかけ、華厳経 を講 じ、法会 を行 う。 - 5月2
日 – 3日 聖武天皇 祭 聖武天皇 の御忌 法要 。 - 7
月 5日 俊 乗 忌 (俊 乗 堂 )鎌倉 時代 に大仏 を復興 した重 源 の法要 。法要 終了 後 (11時 ごろ)から午後 4時 ごろまで日 ごろ非公開 の秘仏 重 源 上人 坐像 (国宝 )が一般 公開 される。 - 7
月 28日 解除 会 (けじょえ、げじょえ)(大仏殿 ) 901年 (延喜 元年 )に始 まる、夏越 の祓 と深 い関係 のある法会 。法要 と茅 の輪 くぐりが行 われる[48][49]。 - 8
月 7日 大仏 お身 拭 い(大仏殿 ) 200人 程 の僧侶 や関係 者 が、早朝 より二 月 堂 の湯屋 で身 を清 め、白装束 に藁 草履 姿 で大仏殿 に集合 し、午前 7時 より撥 遣 作法 が行 われた後 、全員 でお経 を唱 え、年 に1度 の大仏 さまの「お身 拭 い」を行 う。 - 8
月 9日 およく(二 月 堂 ) この日 参詣 すると46,000回 参詣 したのと同 じ功徳 が得 られると伝 えられている。 - 8
月 15日 万 灯 供養 会 (大仏殿 )盂蘭盆 (うらぼん)の最終 日 、8月 15日 の夜 、大仏 に多 くの灯籠 をお供 えする。お盆 に帰省 できない方々 にもせめて御 先祖 の供養 をしていただけるようにという趣旨 で、1985年 に始 められた。 - 9月17
日 十 七 夜 (二 月 堂 )観世音菩薩 の縁日 で、法要 のほか二 月 堂前 広場 で盆踊 りが行 われる。 - 10月5
日 転 害 会 東大寺 の鎮守 の手向 山 八幡宮 の祭礼 。 - 10月15
日 大仏 さま秋 の祭 り(大仏殿 ) - 12月14
日 仏 名 会 (二 月 堂 )三 千 仏 の画像 を掛 け仏 名 を唱 えて礼拝 し、年内 の罪障 消滅 を祈願 。 - 12月16
日 良弁 忌 (開山 堂 )東大寺 開山 良弁 僧正 の法要 。秘仏 ・良弁 僧正 坐像 、執 金剛 神立 像 が公開 される。 - 12月16
日 方 広 会 (法華 堂 )研学 竪 義 (けんがくりゅうぎ)と呼 ばれる口頭 試問 が行 われる。寺内 の華厳 と三 論 を学 ぶものが学僧 として認 められるためにはこれに合格 しなければならない。現在 は形式 化 している。 - 12月18
日 香水 下 げ渡 し お水 取 りで汲 まれた若狭 井 の水 が信者 に分 け与 えられる。
このほか、2002
著名 な別当
[上司 海雲 :第 206世 別当 。観音 院 サロンを形成 した。清水 公 照 :第 207・208世 別当 。大仏殿 昭和大 修理 を完成 。平岡 定 海 :第 213世 別当 。歴史 学者 。守屋 弘 斎 :第 214世 別当 。修二 会 の最多 参籠 記録 保持 者 。新藤 晋 海 :第 216世 別当 。日本 ユニセフ協会 奈良 県 支部 の設立 発起人 。森本 公 誠 :第 218世 別当 。イスラム学者 としても有名 。北河原 公 敬 :第 220世 別当 。東日本 大震災 時 の別当 。学校 法人 東大寺 学園 理事 長 。
前後 の札所
[法然 上人 二 十 五 霊 跡 - 10
法然 寺 - 11東大寺 指図 堂 - 12 欣浄寺 大和 北部 八 十 八 ヶ所 霊場 - 11
圓 證 寺 - 12東大寺 真言 院 - 13崇 徳 寺 南都七大寺 - 1
東大寺 - 2興福寺 神仏 霊場 巡拝 の道 - 13
金剛峯寺 - 14東大寺 - 15春日大社
拝観
[国宝 ・金堂 (大仏殿 ・中門 回廊 より内側 )・国宝 ・法華 堂 (三 月 堂 )の堂 内 ・戒壇 院 戒壇 堂 ・東大寺 ミュージアムは、通年 有料 で拝観 できる。- なお、
戒壇 院 戒壇 堂 は2020年 7月 から約 3年間 の修理 および耐震 化 工事 に入 り、拝観 停止 となっている。内部 に安置 されている国宝 の四天王 像 は東大寺 ミュージアムに移 される。また、その間 は戒壇 院 千手堂 が代 わりに有料 で特別 公開 される。 拝観 料 は2018年 1月 から、17年 ぶりに値上 げ(有料 拝観 箇所 1ヶ所 あたり大人 500円 →600円 )された。外国 人 観光 客 の増加 で参拝 ・見学 者 が年間 300万 人 を超 えるようになったことに伴 う防犯 ・防火 対策 や伽藍 の修繕 、史跡 整備 の費用 に充 てるためとしている[50][51]。また、2024年 4月 から再 び値上 げ(有料 拝観 箇所 1ヶ所 あたり大人 600円 →800円 )された。大仏殿 と東大寺 ミュージアムの2箇所 のみ共通 割引 券 がある(大人 1,200円 )。なお、シーズン中 は大仏殿 の拝観 券 売 り場 に長蛇 の列 ができることがある。このような時 も東大寺 ミュージアムで共通 券 を購入 済 みの人 は優先 入場 ができる。- 「
東大寺 友 の会 」に入会 すると、年会 費 5000円 で4月 開始 の1年間 、後述 の秘仏 有料 拝観 も含 めて、すべての有料 拝観 箇所 に何 回 でも入場 できるので、1年度 の間 に7回 以上 入場 するなら有利 となる。また、大仏殿 の入場 口 の混雑 時 も優先 入場 ができる。公式 HPから申込 可能 である。年度 途中 で入会 しても有効 期限 は3月 31日 までであることに注意 。 大仏殿 は毎年 1月 1日 の深夜 0時 から午前 8時 までは普段 は閉 じている中門 が開 かれ、無料 で拝観 できる。この間 は普段 は閉 じている大仏殿 の唐破風 下 の観相 窓 が開 かれ、中門 から大仏 の顔 を拝 むことができる。- 8
月 15日 の万 灯 供養 会 の夜 は19時 から22時 の間 有料 で大仏殿 の拝観 ができ、この日 も大仏殿 の唐破風 下 の観相 窓 が開 かれる。 大仏殿 は日本 の寺院 では珍 しく、堂 内 で自由 に大仏 を始 めとする仏像 の撮影 ができる。ただし、三脚 の使用 は、禁止 されている。[52]。国宝 ・法華 堂 (三 月 堂 )背面 に安置 されている国宝 ・執 金剛 神 の開 扉 は年 1回 (12/16)である。法華 堂 の拝観 料 (大人 600円 )で参拝 できる。この日 は普段 は立 ち入 る事 ができない内陣 の裏側 に入 ることができるので、普段 から拝観 できる仏像 群 を違 う角度 から見 ることができる。
- なお、
国宝 ・二 月 堂 は、修二 会 のお水 取 り行事 などが行 われている時 を除 き、1年 中 無料 で24時 間 舞台 造 の堂 の上 に上 がることができる。俊 乗 堂 は普段 は閉扉しているが、7月 5日 の俊 乗 忌 、12月16日 の良弁 忌 には、国宝 ・俊 乗 上人 (重 源 上人 )坐像 、重要 文化財 ・愛染明王 坐像 、重要 文化財 ・阿弥陀如来 立像 などを有料 (大人 600円 )で参拝 することができる。国宝 ・開山 堂 は通常 は中 へは入 れないが、12月16日 の良弁 忌 には国宝 ・良弁 僧正 坐像 などを有料 (大人 600円 )で拝観 することができる。勧進 所 は通常 は中 へは入 れないが、10月5日 の転 害 会 には勧進 所 八幡 殿 に安置 されている国宝 ・僧形 八幡 神像 が開 扉 され、勧進 所 阿弥陀堂 に安置 の重要 文化財 ・五 刧思惟 阿弥陀如来 像 、勧進 所 公 慶 堂 に安置 の重要 文化財 ・公 慶 上人 像 と共 に、有料 (大人 600円 )で拝観 することができる。勧進 所 公 慶 堂 は2010年 から公開 されるようになった。以来 4月 12日 には公 慶 堂 のみ、10月5日 には前述 の3堂 が公開 されていたが、2019年 から10月 5日 のみの公開 となった。また、2020年 10月 5日 は公 慶 堂 のみ修理 のため拝観 停止 となり、残 る2堂 のみの拝観 となった。
重要 文化財 ・三昧 堂 (四 月 堂 )は無料 で堂 内 を拝観 できるため、重要 文化財 ・阿弥陀如来 坐像 、重要 文化財 ・十 一 面 観音 立像 などを自由 に拝観 できる。重要 文化財 ・念仏 堂 は無料 で堂 内 を拝観 できるため、重要 文化財 ・地蔵 菩薩 坐像 を拝観 できるが、堂 内 に入 るためには隣 の寺務 所 の係員 の許可 を取 る必要 がある。二 月 堂 の裏手 にある不動堂 は無料 で堂 内 を拝観 できるため、不動明王 像 をはじめとする五大 明王 像 を拝観 できるが、堂 内 に入 るためには隣 の寺務 所 の係員 の許可 を取 る必要 がある。毎月 10日 午前 10時 、18日 午後 1時 、28日 午前 10時 から堂 内 で護摩 行 が行 われており、誰 でも参列 できる。指図 堂 は法然 上人 二 十 五 霊場 の札所 となっているため、主 に土 ・休日 に無料 で堂 内 を拝観 でき、法然 上人 画像 や隣接 する写経 場 の庭園 などを拝観 できるほか、朱印 の押印 にも対応 している。10月5日 の転 害 会 の日 や、お水 取 り期間 等 の大 きな行事 のある時 も開 く。逆 に年末年始 は閉堂する。閉堂時 の法然 上人 二 十 五 霊場 の朱印 押印 は本 坊 ・事務所 で行 う。本 坊 は普段 は指図 堂 閉堂時 に法然 上人 二 十 五 霊場 の朱印 押印 や各種 質問 のために事務所 に立 ち入 ること以外 の一般 公開 はされていないが、毎年 5月 2日 の聖武天皇 祭 (命日 の法要 )の際 は8時 頃 から14時 頃 まで国宝 の本 坊 経 庫 の外観 や天皇 殿 の外観 、庭園 などが無料 で公開 される。これとは別 に不定期 に年 1回 (春季 が多 い)3日 ほど有料 で襖 絵 が公開 され、この時 は一部 の建物 内 に入 ることができる。重要 文化財 ・大 湯屋 は完全 に非公開 だったが、2017年 に初 の特別 公開 が行 われ、内部 の重要 文化財 ・鉄 湯船 なども公開 された。塔頭 ・知足 院 の本堂 は普段 は扉 が閉 まっており、本尊 である重要 文化財 ・木造 地蔵 菩薩 立像 も非公開 であるが、毎年 7月 24日 の地蔵 会 の時 だけはごく短時間 であるが無料 で公開 される。朝 8時 頃 から法要 が行 われ、離 れたところから像 を望 むことができ、1時 間 余 りの法要 終了 後 の約 30分 ほどは間近 で拝観 できる。拝観 者 が少 なくなったタイミングで閉扉される。境内 の通路 は24時 間 自由 に通行 できる。従 って、国宝 ・南大門 と国宝 ・金剛力士 像 や国宝 ・法華 堂 (三 月 堂 )の外観 、国宝 ・鐘楼 と国宝 ・梵鐘 、中門 の外観 、国宝 ・転 害 門 などはいつでも自由 に拝観 できる。国宝 ・梵鐘 は普段 は撞 いていないが、除夜 の鐘 の時 のみ撞 く。22時 30分 頃 から配布 する整理 券 を手 に入 れた一般 の参拝 者 が、除夜 の鐘 撞 きに参加 できる。1回 につき8人 で同時 に小 綱 を引 いて撞 くので、108×8=864人 の人 が参加 できる。毎年 7月 中頃 から9月 末 頃 まで大仏殿 と南大門 のライトアップが行 われる。12月31日 の夜 から元日 の夜明 けまでも夏 ほどの規模 ではないが、大仏殿 と南大門 のライトアップが行 われる。東大寺 ミュージアム内 には、無料 で入 れるミュージアムショップと喫茶店 がある。
大仏 による水銀 公害 説
[『
2006
社会 事業
[東大寺 福祉 療育 病院 肢体 不自由 児 施設 「東大寺 整 肢 園 」、重症 心身 障害 児 施設 「東大寺 光明 園 」、および重症 心身 障害 児 (者 )通所 施設 「華 の明 」からなり、障害 を持 つ子供 たちの療育 を行 っている。一般 の整形 外科 等 の外来 や入院 手術 、リハビリテーションなども行 っている。東大寺 総合 文化 センターの西 隣 に所在 する。学校 法人 東大寺 学園
中高 一貫 の男子 教育 を行 っている。初代 校長 は別当 も務 めた清水 公 照 。南大門 の西 隣 にあったが、現在 は山陵 町 に移転 している。
- 2
歳児 からの保育 。戒壇 堂 の北 隣 に所在 する。
- 2
東大寺 図書館 主 として仏教 関係 図書 、仏教 美術 、古書 、古文書 、考古 資料 等 を蒐集 保存 し、一般 の閲覧 に供 している。南都 諸 寺 に伝 わる文物 が明治 の廃仏毀釈 運動 で散逸 ・消失 されることを防 ぐため設 けられ、現在 は東大寺 総合 文化 センター内 に所在 する。東大寺 史 を軸 にした「ザ・グレイトブッダ・シンポジウム」を、2003年 より毎年 行 っている(論集 は2019年 現在 17号 発行 、法蔵館 )
周辺 の施設 ・名所
[アクセス
[鉄道
[バス
[自動車
[参考 文献
[足立 巻一 ・清水 公 照 著 、井上 靖 ・塚本 善隆 監修 『古寺 巡礼 奈良 14東大寺 』淡 交社、1980年 川村 知行 『日本 の古寺 美術 6東大寺 I(古代 )』保育 社 、1986年 浅井 和春 ・浅井 京子 『日本 の古寺 美術 7東大寺 II(中世 以降 )』保育 社 、1986年 東大寺 監修 、東大寺 南大門 仁王 尊像 保存 修理 委員 会 編 『仁王 像 大 修理 』朝日新聞社 、1997年 - 『
週刊 朝日 百科 日本 の国宝 』51 - 53号 (東大寺 1 - 3、手向 山 神社 )朝日新聞社 、1998年 奈良 国立 博物館 、東大寺 、朝日新聞社 編 『東大寺 のすべて』(特別 展 図録 )朝日新聞社 、2002年 東大寺 編 『東大寺 』学生 社 、1999年 ISBN 4311408072
脚注
[注釈
[- ^
東大寺 の記録 には良弁 以来 の歴代 別当 が記録 されているが、奈良 時代 期 の重要 決定 ・文書 が別当 ではなく三綱 の名義 で出 されていることなど矛盾 も多 く、良弁 が東大寺 の初代 の住持 であったのは事実 であるが、実際 に彼 が就任 したのは「造 東大寺 司 」の別当 であり、東大寺 の代表 者 としての別当 職 の成立 は「造 東大寺 司 」が廃 された平安 時代 初期 ごろと推定 されている。 - ^
仏教 語 の「金光 明 」は呉音 で「こんこうみょう」と読 むことが多 いが、東大寺 では公式 サイトで「きんこうみょう - 」を正式 の読 みとしている(参照 :「東大寺 の歴史 」(東大寺 公式 サイト)。 - ^
大和 国分寺 は一般 に総 国分寺 の東大寺 とされるが、『大和 志 』では橿原 市 の国分寺 に比定 する(「国分寺 」『日本 歴史 地名 大系 30奈良 県 の地名 』平凡社 、1981年 )。 - ^ もっとも、
華厳宗 は開山 ・良弁 ゆかりの宗派 として重要 視 され、近代 以前 においても日本 における華厳宗 研究 の中心 地 として、多数 の優 れた学僧 を輩出 していた。 - ^
東西 の七 重 塔 に関 しては、一時 、再建 が検討 されたが、木造 による完全 復元 は建築 基準 法 に抵触 するため、再建 は見送 られた。 - ^
尊 勝 院 は東大寺 別当 を務 めた光 智 が天 暦 9年 (955年 )に創建 したもので、寺内 における華厳 教学 の拠点 であり、東南 院 と並 ぶ有力 な院 家 であった。転 害 門 の東北 にあったが、室町 時代 に廃絶 し、跡地 は惣持 院 となった。現在 の奈良 市立 鼓 阪 (つざか)小学校 が跡地 である。 - ^ 「
賢 劫 経 」は1897年 に重要 文化財 (旧 国宝 )に指定 されているが所在 不明 。写真 も残 っていない。 - ^
仏教 美術 史家 の杉山 二郎 も『大仏 以後 』(学生 社 )で同様 に提起 している。続編 に『大仏 再興 』。
出典
[- ^
外国 人 にわかりやすい地図 表現 検討 会 (2016年 1月 6日 公表 ) (PDF).地名 の英語 表記 及 び外国 人 にわかりやすい地図 記号 について.国土 地理 院 . p. 17 - ^ “(ひと)
橋村 公英 さん 4月 に奈良 ・東大寺 の第 224世 別当 に就 いた”.朝日新聞 . (2022年 5月 31日 ) 2022年 8月 5日 閲覧 。 - ^ a b
黒田 龍二 ・石田 理恵 「東大寺 大仏 殿内 建 地割 板 図 について」(『奈良 国立 博物館 研究 紀要 』6号 、2004年 ) - ^
薬師寺 君子 『写真 ・図解 日本 の仏像 この一 冊 ですべてがわかる』(西東 社 、 2016年 )p.170 - ^ 「
古都 奈良 の文化財 」の概要 奈良 市役所 (2018年 6月 20日 ) - ^
村山 修一 『京都 大仏 御殿 盛衰 記 』法藏館 、2003年 、 p.159 - ^ ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー『ケンペルと
徳川 綱吉 ドイツ人 医師 と将軍 との交流 』(中央公論社 、1994年 )p.95 - ^ ケンペル
著 ・斎藤 信 訳 『江戸 参府 旅行 日記 』(平凡社 、1977年 )pp.228-231 - ^ 「
東大寺 を戦乱 に巻 き込 むな」…信長 の書状 発見 YOMIURI ONLINE(2014年 12月12日 )のインターネットアーカイブ - ^
河内 将 芳 『秀吉 の大仏 造立 』(法藏館 、2008年 )p.19 - ^ NIKKEI STYLE
古 きを歩 けば(47)「豊臣 の盛衰 刻 んだ大仏 の梵鐘 」日本経済新聞 (2013年 2月 26日 )記事 中 での河内 将 芳 による解説 。 - ^ a b
村山 修一 『京都 大仏 御殿 盛衰 記 』法藏館 、2003年 - ^
井上 和人 『新編 日本 古典 文学 全集 64仮名 草子 集 』注釈 書 (1999年 )pp.22-24 - ^
丸山 俊明 『京 は大火 !大 地震 ‼そのとき京 人 は、どうふるまったのか』(びわこ学院 大学 出版 専門 委員 会 、2019年 )pp.12-14 - ^
奈良 国立 博物館 『特別 展 東大寺 公 慶 上人 江戸 時代 の大仏 復興 と奈良 』2005年 - ^ a b
大林組 『秀吉 が京都 に建立 した世界 最大 の木造 建築 方広寺 大仏殿 の復元 』2016年 - ^ a b
麻生 磯 次 校 注 『東海道 中 膝栗毛 ]』下 (岩波書店 、1983年 )p.172 - ^ a b c 『
本 居 宣長 全集 第 16巻 』1974年 出版 在京 日記 宝 暦 七 年 の条 p.136 - ^ 『
本 居 宣長 全集 第 16巻 』1974年 出版 在京 日記 宝 暦 七 年 の条 p.106 - ^ 『
南都 佛教 』2007年 12月89号 、杉本 和江 (古 美術 修復 家 )「元禄 開眼 会 の大 華 瓶 」、池坊 HP「いけばなの歴史 江戸 時代 (中期 )東大寺 大仏 の立花 」2018年 1月 30日 閲覧 - ^ a b
東大寺 (平成 28年 1月 ).東大寺 - ^
伊藤 信二 「八角 燈籠 の歴史 と評価 」奈良 国立 博物館 編 『東大寺 大仏 天平 の至宝 』(展覧 会 図録 、2010年 )pp.187 - 192 - ^ 『
仁王 像 大 修理 』pp.87 - 88, 115 - ^ 『
仁王 像 大 修理 』pp.19 - 21 - ^ 『
仁王 像 大 修理 』pp.112 - 115 - ^ 「
七 重 の東 塔 」再建 に向 け発掘 へ東大寺 、過去 2回 焼失 47NEWS(2010年 4月 2日 ) - ^
東大寺 「東 塔 」調査 結果 は アーカイブ 2015年 11月 20日 - ウェイバックマシン毎日放送 - ^
東大寺 の焼 けた東 塔 、巨大 な土台 跡 を確認 国内 最大 級 か アーカイブ 2015年 11月 20日 - ウェイバックマシン朝日新聞 デジタル - ^
東大 寺東 塔 跡 :高 さ70m超 ?鎌倉 期 の基壇 27m四方 アーカイブ 2015年 11月 20日 - ウェイバックマシン毎日新聞 - ^ a b c d e f g
東大 寺東 塔 の復元 研究 の成果 について記者 発表 資料 -奈良 文化財 研究所 (2024年 4月 24日 、添付 のPDFを参照 ) - ^
箱崎 和久 「東大寺 七 重 塔 考 」『東大寺 創建 前後 ザ・グレイトブッダ・シンポジウム論集 第 二 号 』東大寺 、2004年 - ^ “100m?それとも70m?
東大 寺東 塔 の高 さ、長年 の論争 に決着 ”.朝日新聞 . (2024年 4月 25日 ) 2024年 5月 5日 閲覧 。 - ^ a b “
現存 しない東大寺 の東 塔 高 さ論争 に決着 高 さは70メートルか”.毎日新聞 . (2024年 4月 25日 ) 2024年 5月 5日 閲覧 。 - ^ “
東大 寺東 塔 創建 時 の高 さは国内 最大 級 の68メートルか”. NHK奈良放送局 . (2024年 4月 25日 ) 2024年 5月 5日 閲覧 。 - ^ 4/25に
行 われた奈良 文化財 研究所 による「東大 寺東 塔 の復元 研究 」に係 る報道 発表 に当 たって -東大寺 (2024年 4月 30日 )2024年 5月 5日 閲覧 。 - ^ a b c d e f g h 『
東大寺 』発行 ・編集 :東大寺 、印刷 :凸版印刷 株式会社 、2016年 1月 発行 - ^
宮武 外骨 編 『日本 擬人 名 辞典 』37頁 (成光 館 、1930年 ) - ^
平成 27年 9月 4日 文部 科学 省 告示 第 134号 - ^
令 和 元年 7月 23日 文部 科学 省 告示 第 26号 - ^
文化 審議 会 答申 〜国宝 ・重要 文化財 (美術 工芸 品 )の指定 及 び登録 有形 文化財 (美術 工芸 品 )の登録 について〜文化庁 サイト(2019年 3月 18日 発表 ) - ^
平成 23年 6月 27日 文部 科学 省 告示 第 101号 - ^
平成 25年 6月 19日 文部 科学 省 告示 第 110号 - ^
平成 17年 6月 9日 文部 科学 省 告示 第 85号 - ^
厨子 は2015年 追加 指定 、平成 27年 9月 4日 文部 科学 省 告示 第 143号 - ^
平成 19年 6月 8日 文部 科学 省 告示 第 97号 - ^
令 和 4年 3月 22日 文部 科学 省 告示 第 44号 。 - ^
平成 23年 6月 27日 文部 科学 省 告示 第 103号 - ^
解除 会 .年中 行事 東大寺 、2021年 11月28日 閲覧 - ^ “
無病 息災 を願 う茅 の輪 くぐり東大寺 で「解除 会 」”.産経新聞 . (2016年 7月 30日 ) 2021年 11月28日 閲覧 。 - ^ “
入 堂 料 ・入 堂 時間 改定 のお知 らせ”.東大寺 ホームページ. 2017年 4月 27日 閲覧 。 - ^ “
東大寺 、17年 ぶり拝観 料 上 げ修繕 費 など負担 増 ”.日本経済新聞 朝刊 . (2017年 4月 25日 ) - ^
東大寺 HP大仏殿 2019年 10月 15日 閲覧 - ^
テレビ朝日 |素敵 な宇宙船 地球 号 「水銀 の不思議 」 〜毒 か?薬 か?ナゾの液体 金属 〜 - ^ “
東大寺 (とうだいじ)”. スポット情報 奈良 市内 エリア.近畿日本鉄道 . 2022年 8月 22日 閲覧 。
関連 文献
[梅原 猛 監修 狹 川 宗 玄 ・吉岡 幸雄 『新版 古寺 巡礼 奈良 3東大寺 』淡 交社、2010年 ISBN 978-4-473-03633-9筒井 寛 昭 ・梶谷 亮治 ・坂東 俊彦 『もっと知 りたい東大寺 の歴史 』東京 美術 〈アート・ビギナーズ・コレクション〉、2010年 ISBN 978-4-8087-0889-4平岡 定 海 『大仏 勧進 ものがたり』吉川弘文館 、2014年 ISBN 978-4-642-06579-5森本 公 誠 『東大寺 のなりたち』岩波 新書 、2018年 鶴見 泰 寿 『東大寺 の考古学 よみがえる天平 の大 伽藍 』吉川弘文館 、2021年 堀池 春 峰 、東大寺 監修 『東大寺 史 へのいざない』昭和堂 、2004年 ISBN 4812203422永村 真 『中世 東大寺 の組織 と経営 』塙 書房 、1989年 ISBN 482731036X- 『
日本 歴史 地名 大系 30奈良 県 の地名 』平凡社 - 『
角川 日本 地名 大 辞典 29奈良 県 』角川書店 - 『
国史 大 辞典 』吉川弘文館
関連 項目
[法華寺 :光明皇后 が開基 した総 国分 尼寺 。西大寺 (奈良 市 )帯解 寺 :東大寺 末寺 。安産 祈願 の寺 として有名 。日本 の寺院 一覧 国宝 一覧 安宅 (能 )/勧進 帳 :奥州 へ落 ち延 びる源義経 と弁慶 の主従 が、東大寺 勧進 を名目 に関所 を通 る場面 がある。伊良湖 東大寺 瓦 窯 跡 :愛知 県 田原 市 の窯 跡 。鎌倉 時代 の再建 時 に瓦 が焼 かれた。- 万富東大寺瓦窯跡:
岡山 市 の窯 跡 。伊良湖 東大寺 瓦 窯 跡 と同様 、鎌倉 時代 の再建 時 に瓦 が焼 かれた。 蘭奢 待 :正 倉 院 御物 の香木 。部首 に「東 」「大 」「寺 」を含 む。