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阿弥陀如来あみだにょらい

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阿弥陀如来あみだにょらい
どうづくり阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう
高徳院こうとくいん鎌倉かまくら大仏だいぶつ

阿弥陀如来あみだにょらい
梵名 「アミターバ」
अमिताभ, Amitābha
「アミターユス」
अमितायुस्, Amitāyus
ぞうめい 「オパクメ」
(འོད་དཔག་མེད་ 'od dpag med)
別名べつめい 阿弥陀あみだほとけ
無量むりょう寿ことぶき如来にょらい
無量むりょう寿ことぶきふつ
無量むりょうこうほとけ
無辺むへんこうほとけ
無礙むげこうほとけ
たいひかりふつ
ほのおおうひかりふつひかりえんおうふつ
清浄せいじょうこうほとけ
歓喜かんきこうほとけ
智恵ちえひかりふつ
不断ふだんこうほとけ
なんおもえこうほとけなんおもえほとけ
しょうこうほとけ
ちょう日月じつげつこうほとけ
不可思議ふかしぎこうほとけ
かん自在じざいおう如来にょらい
甘露かんろおう如来にょらい
たね  キリーク
 アン
真言しんごん陀羅尼だらに オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン
阿弥陀如来あみだにょらい根本こんぽん陀羅尼だらに ひとし
#真言しんごん陀羅尼だらに参照さんしょう
経典きょうてん仏説ぶっせつ無量むりょう寿ことぶきけい
仏説ぶっせつかん無量むりょう寿ことぶきけい
仏説ぶっせつ阿弥陀あみだけい
主要しゅよう経典きょうてん注釈ちゅうしゃくしょ無量むりょう寿ことぶきけいゆうばばひさげしゃねがいせい
無量むりょう寿ことぶきけいゆうばばひさげしゃねがいせい
安楽あんらくしゅう
かん無量むりょう寿ことぶきけい
信仰しんこう 浄土じょうどきょう
融通ゆうずう念仏宗ねんぶつしゅう
浄土宗じょうどしゅう
浄土真宗じょうどしんしゅう
時宗じしゅう
密教みっきょう
真言宗しんごんしゅう
天台宗てんだいしゅう
じゅうさんふつ信仰しんこう
浄土じょうど 西方せいほう極楽浄土ごくらくじょうど
関連かんれん項目こうもく 観音かんのん菩薩ぼさつ
勢至菩薩せいしぼさつ
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阿弥陀如来あみだにょらい(あみだにょらい)は、大乗だいじょう仏教ぶっきょうにおける信仰しんこう対象たいしょうである如来にょらいいちみこと浄土じょうどきょうけい仏教ぶっきょうでは、「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」という称名しょうみょう念仏ねんぶつにより浄土じょうど往生おうじょうできるという阿弥陀あみだ信仰しんこうく。西方せいほうにある極楽浄土ごくらくじょうどというふつ国土こくど浄土じょうど)の教主きょうしゅとされる(東方とうほう薬師やくし如来にょらい)。五智ごち如来にょらいにおいては、西方せいほう位置いちするかん自在じざいおう如来にょらい同一どういつするが、真言宗しんごんしゅうでは阿弥陀あみだ法蔵ほうぞう菩薩ぼさつであったときに師事しじしたふつとして、べつみこととする。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

梵名アミターバअमिताभ, Amitābha)、あるいはアミターユスअमितायुस्, Amitāyus)といい、それを阿弥陀あみだおとうつしする。阿弥陀あみだほとけ阿弥陀あみだふつ)ともいい、またりゃくしてわたる陀仏ともいう。

梵名のアミターバは「りょうはかりしれないひかりもの[1]、アミターユスは「はかりしれない寿命じゅみょうもの[1]意味いみ[2]、これをかんやくして・無量むりょうこうほとけ無量むりょう寿ことぶきふつともいう。

経典きょうてん[編集へんしゅう]

浄土じょうどさんけい[編集へんしゅう]

浄土じょうどさんけい」のうち、『無量むりょう寿ことぶきけい』と『阿弥陀あみだけい』の成立せいりつ時期じきについては、無量むりょう寿ことぶきけい成立せいりつ時期じき編纂へんさんしゃ参照さんしょう

かん無量むりょう寿ことぶきけい』については、サンスクリット原典げんてんが2011ねん現在げんざい発見はっけんされていない。中央ちゅうおうアジアで作成さくせいされたとかんがえられる。

仏説ぶっせつ無量むりょう寿ことぶきけい
一切いっさい衆生しゅじょう救済きゅうさいのために王位おういてて、自在じざいおうほとけのもとで法蔵ほうぞう菩薩ぼさつ名乗なの修行しゅぎょうし、衆生しゅじょう救済きゅうさいのためのこう思惟しい[注釈ちゅうしゃく 1]し、浄土じょうどへの往生おうじょう手立てだてを見出みいだし、衆生しゅじょう救済きゅうさいのための「よんじゅうはちねがい」を発願ほつがんしたのち、あらためてちかいを修行しゅぎょうし、それが成就じょうじゅふつとなったむくいふつかれる。また、現在げんざいふつ国土こくどである「極楽ごくらく」で説法せっぽうをしているとかれている。
とく浄土じょうどきょう諸宗しょしゅうにおいては、「よんじゅうはちねがい」のうち「だいじゅうはちねがい」を重要じゅうようする。
仏説ぶっせつ阿弥陀あみだけい
極楽ごくらく」のありさまと、阿弥陀あみだふつとくかれる。東方とうほう南方なんぽう西方せいほう北方ほっぽう下方かほう上方かみがた世界せかいガンジスかわすなかずほどのしょふつから賞賛しょうさんされているとかれる。そして「極楽ごくらく」にまれる方法ほうほう[注釈ちゅうしゃく 2]かれる。

信仰しんこう[編集へんしゅう]

浄土真宗じょうどしんしゅう[編集へんしゅう]

浄土真宗じょうどしんしゅうにおいては、阿弥陀如来あみだにょらいいちほとけ本尊ほんぞんとする。中心ちゅうしん教義きょうぎ阿弥陀如来あみだにょらいほん願力がんりき[注釈ちゅうしゃく 3]にのみ帰依きえすることとする(詳細しょうさいは、他力本願たりきほんがん参照さんしょう)。真宗しんしゅうにおいては、『かん無量むりょう寿ことぶきけい』の「じゅうりつ空中くうちゅうみこと」という表現ひょうげんから、立像りつぞうであるべきとされる。

末法まっぽう濁世じょくせ衆生しゅじょうは、煩悩ぼんのう具足ぐそく凡夫ぼんぷであり、みずからのちから自力じりき[注釈ちゅうしゃく 4])では、いかなるぜん完遂かんすいしえないとする。そのため「他力たりき[注釈ちゅうしゃく 5]」によってのみ救済きゅうさいされるとする。

釈尊しゃくそんが「浄土じょうどさんけい」によってかれたことに由来ゆらいし、善導ぜんどうは『かん無量むりょう寿ことぶきけい』にて、法然ほうねんは『選択せんたく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう』(『選択せんたくしゅう』)にて注釈ちゅうしゃくし、それらをけた親鸞しんらんが『あらわ浄土じょうど真実しんじつきょうぎょう証文しょうもんるい』(『教行信証きょうぎょうしんしょう』)において引用いんよう注釈ちゅうしゃくする。このことは『歎異しょう』のだいしょうに、はしてきべられている。

もっとすぐれたふつとしての阿弥陀あみだほとけ[編集へんしゅう]

浄土じょうどきょう諸宗しょしゅうにおいておももちいられる『仏説ぶっせつ無量むりょう寿ことぶきけい』では、「無量むりょう寿ことぶきふつかみ光明こうめいさいみことだいいちにして、諸仏しょぶつ光明こうみょうおよぶことあたわざるところなり」、親鸞しんらん著書ちょしょあらわ浄土じょうど真実しんじつきょうぎょう証文しょうもんるい』では、「十方じっぽうつねすなしょふつ如来にょらい、みなとも無量むりょう寿ことぶきふつしん功徳くどく不可思議ふかしぎなるをたたえ嘆したまう。またげんわく、無量むりょう寿ことぶきふつしんきわまりなし。十方じっぽう世界せかい無量むりょう無辺むへん不可思議ふかしぎしょふつ如来にょらいかれたたえ嘆せざるはなし」「諸仏しょぶつちゅうおうなり、光明こうみょうちゅうきょくみことなり」とする。[4]

根本ねもとふつとしての阿弥陀あみだほとけ[編集へんしゅう]

西山にしやま深草ふかくさあらわは、阿弥陀如来あみだにょらい一切いっさいふつ根本こんぽんとし、諸仏しょぶつ阿弥陀あみだほとけぬしとすると主張しゅちょうする。この理解りかいきょうしょうとしてあらわは、善導ぜんどうが『般舟けい』に依拠いきょしていた言葉ことばである「さんせいしょふつねんわたる三昧ざんまい[注釈ちゅうしゃく 6]によって正覚しょうがくた」をあげる。しかし、鎮西ちんぜい良忠よしただは「ねん阿弥陀あみだふつ三昧ざんまい」は『般舟けい』においてはかれず、一切いっさいほとけ阿弥陀あみだほとけねんじて成仏じょうぶつしたわけではないとし、「念仏三昧ねんぶつざんまい」を「ねん阿弥陀あみだふつ三昧ざんまい」とする理解りかい阿弥陀あみだほとけを「法門ほうもんあるじ」とするための善導ぜんどう独自どくじ解釈かいしゃくだとする[5]

チベット仏教ぶっきょう[編集へんしゅう]

チベット仏教ぶっきょうでは、無量むりょう寿ことぶきふつ無量むりょうこうほとけ区別くべつされている。また、ゲルクだいパンチェン・ラマ無量むりょうこうふつ化身けしんとされる。チベット死者ししゃしょによれば、(大日如来だいにちにょらいおもね如来にょらい宝生ほうしょう如来にょらいつづいて)死後しごの4にちたましい救済きゅうさいあらわれるとされる。

その経典きょうてんにおける阿弥陀如来あみだにょらい[編集へんしゅう]

浄土じょうどさんけい以外いがいにも阿弥陀如来あみだにょらいおおくの大乗だいじょう経典きょうてん登場とうじょうする。 法華経ほけきょうくすりおう菩薩ぼさつほんことひんにも阿弥陀如来あみだにょらい登場とうじょうし、サンスクリット原文げんぶんにおいては法華経ほけきょう観世音菩薩かんぜおんぼさつもんひんにも阿弥陀如来あみだにょらいについて言及げんきゅうされている。 仏説ぶっせつ出生しゅっしょう菩提心ぼだいしんけいにおいても阿弥陀如来あみだにょらい願力がんりき言及げんきゅうされている。 大乗だいじょうはなれ文字もじひろし光明こうみょうぞうけいにおいても、大乗だいじょうはなれ文字もじひろし光明こうみょうぞうけい持経じきょうしゃ阿弥陀如来あみだにょらい来迎らいごうることがかれている。

成立せいりつ年代ねんだい[編集へんしゅう]

阿弥陀あみだふつ信仰しんこう成立せいりつ年代ねんだいとその地域ちいきについては、仏像ぶつぞうにせよ、文献ぶんけんにせよ、特定とくていがかりとなるものがすくない。しかし、浄土じょうどけい経典きょうてんもちいられる仏教ぶっきょう用語ようご仏教ぶっきょう用語ようご下敷したじきとしており、すくなくとも仏教ぶっきょう確立かくりつより以後いご成立せいりつかんがえられる。また浄土じょうどけい経典きょうてんかん訳者やくしゃ出身しゅっしん西域せいいきおよびきたインドがおおいことから、これらの地域ちいき阿弥陀あみだふつ信仰しんこうさかんであったことがうかがえる。

また、アレクサンドロス大王だいおう東方とうほう遠征えんせい以降いこう、ギリシアけいインド・グリークあさやイランけいクシャーナあさなどの支配しはいのもと、きたインドと西方せいほう世界せかい交流こうりゅうがあったことを背景はいけいに、ゾロアスターきょうミトラきょう、あるいはキリスト教きりすときょうなどが阿弥陀あみだふつ信仰しんこう成立せいりつ影響えいきょうしたとのせつ[6]一部いちぶられるが、いまだ客観きゃっかんてき根拠こんきょとぼしい。

碑文ひぶんしるされた阿弥陀あみだぼとけ最古さいこれいは、きたインドのマトゥラー近郊きんこう出土しゅつどあしだけをのこほとけ台座だいざ(マトゥラー博物館はくぶつかん所蔵しょぞう)である。めいによると、クシャーナあさフヴィシカおうの28ねん(西暦せいれき2世紀せいき後半こうはん)に、隊商たいしょうにより奉献ほうけんされたものである。

阿弥陀あみだぼとけ言及げんきゅうした経典きょうてん現存げんそんする最古さいこれいは、こうかん末期まっき西暦せいれき179ねん西域せいいきそうささえ婁迦讖によってかんやくされた『仏説ぶっせつ般舟三昧ざんまいけい』である。また西暦せいれき148ねんにはすでに安世やすよだかが『無量むりょう寿ことぶきけい』をかんやくしたとつたえられるが、欠本けっぽんとなっており現存げんそんしない。

西暦せいれき2世紀せいきまつになってこれらの彫刻ちょうこく文献ぶんけん出現しゅつげんすることから、阿弥陀あみだふつ信仰しんこう教義きょうぎはクシャーナあさ前期ぜんき西暦せいれき1世紀せいきから2世紀せいきあいだ発達はったつしたと推測すいそくされる。

真言しんごん陀羅尼だらに[編集へんしゅう]

  • しょう咒は、オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン[注釈ちゅうしゃく 7]oṃ amṛta-teje hara hūṃ)。
  • だい咒(無量むりょう寿ことぶき如来にょらい根本こんぽん陀羅尼だらに)は、ノウボウ・アラタンノウトラヤーヤ・ノウマク・アリヤーミターバーヤ・タタギャタヤアラカテイ・サンミャクサンボダヤー・タニャタ・オン・アミリテイ・アミリトウドバンベイ・アミリタサンバンベイ・アミリタギャラベイ・アミリタシッテイ・アミリタテイセイ・アミリタビキランデイ・アミリタビキランダギャミネイ・アミリタギャギャノウキチキャレイ・アミリタドンドビソワレイ・サラバアラタサダニエイ・サラバキャラマキレイシャキシャヨウキャレイ・ソワカ
  • チベット伝承でんしょうの「無量むりょうこう仏心ほとけごころ咒」は、オーン・アミターバ・フリーヒoṃ amitābha hrīḥ[7]
    • またはオーン・アミデーヴァ・フリーヒ (oṃ amideva hrīḥ)[8]ཨོཾ་ཨ་མི་དྷེ་ཝ་ཧྲཱིཿ
  • チベット伝承でんしょうの「無量むりょう寿ことぶき仏心ほとけごころ咒」は、オーン・アマーラニ・ジーヴァーンティーイェー・スヴァーハーoṃ amāraṇi jīvāntīye svāhā[7]

曼荼羅まんだら[編集へんしゅう]

垂迹すいじゃくしん[編集へんしゅう]

ぞうがた[編集へんしゅう]

絹本けんぽんちょしょく山越やまごえ阿弥陀あみだ
京都きょうと禅林寺ぜんりんじ永観堂えいかんどう所蔵しょぞう
阿弥陀如来あみだにょらいぞうりゅうもん石窟せっくつせんけい寺洞てらぼらぬしみことから時代じだい
ぐん石窟せっくつ阿弥陀あみださん尊像そんぞう韓国かんこく慶尚南道けいしょうなんどうしん統一とういつ時代じだい 7世紀せいき

三昧ざんまい耶形はちすはな金剛こんごうかい曼荼羅まんだらでは開花かいかした蓮華れんげ、胎蔵曼荼羅まんだらではひらきかけた蓮華れんげ)。種子しゅし種子しゅし)は ह्रीः (キリーク、hrīḥ)。

造形ぞうけいされたときは、装身具そうしんぐけない質素しっそ服装ふくそう如来にょらいがたで、しるししょうていしるし説法せっぽうしるし来迎らいごうしるしなどがある(くわしくはしるししょう参照さんしょうのこと)。

阿弥陀あみださんみこととしてまつられるときは、わきさむらい観音かんのん菩薩ぼさつ勢至菩薩せいしぼさつはいする。

密教みっきょうにおいては、ほとけ五智ごち如来にょらい)のいち如来にょらいとして尊崇そんすうされる。ぞうよう一般いっぱんてきには上記じょうき顕教けんぎょうのものとおなじだが、一部いちぶには装身具そうしんぐにつけたものもある。

密教みっきょうしき阿弥陀如来あみだにょらいのうち、べに玻璃はりしょく阿弥陀如来あみだにょらいばれるものはまげたかげて宝冠ほうかんいただからだしょくあかいのが特徴とくちょうである。おも真言宗しんごんしゅう伝承でんしょうされる。 また宝冠ほうかん阿弥陀如来あみだにょらいというものもあり、こちらは天台宗てんだいしゅう常行つねゆき三昧ざんまい本尊ほんぞんとしてまつられる。べに玻璃はりしょく阿弥陀如来あみだにょらいおなじく宝冠ほうかんなどの装身具そうしんぐにつけ、金剛こんごうほう菩薩ぼさつ金剛こんごうとし菩薩ぼさつ金剛こんごういん菩薩ぼさつ金剛こんごう菩薩ぼさつよん菩薩ぼさつ眷属けんぞくとする。

日本にっぽんにおけるおも作例さくれい[編集へんしゅう]

阿弥陀あみださん尊像そんぞう兵庫ひょうご浄土寺じょうどじ
国宝こくほう

日本語にほんごへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

鎌倉かまくら時代ときよ以降いこう日本にっぽんでは浄土じょうどきょう隆盛りゅうせいけて、阿弥陀如来あみだにょらい関連かんれんした単語たんごやいいまわしが登場とうじょうするようになる。

十八番じゅうはちばん(おはこ)
前述ぜんじゅつのとおり、浄土じょうどきょうにおいてよんじゅうはちねがいのうちだいじゅうはちねがい本願ほんがんとして重要じゅうようすることから、もっとも得意とくいなことをす。(市川いちかわいえげい歌舞伎かぶきじゅうはちばん台本だいほん箱入はこいりで保存ほぞんしたことからとするせつもある)
あみだくじ
あみだくじのかたち元々もともとせん中心ちゅうしんからまわりに放射状ほうしゃじょういたものであり、それが阿弥陀如来あみだにょらいぞう光背こうはいていたことから[24]
あみだこうむ
帽子ぼうしやヘルメットを後頭部こうとうぶにひっかけるようにあさこうむること。上記じょうきおなじく光背こうはいていることから。
他力本願たりきほんがん
前述ぜんじゅつのとおり努力どりょくしないことや無責任むせきにんであることを表現ひょうげんするのに使つかわれるが、本来ほんらい意味いみ誤解ごかい誤用ごようしたかたりである。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ こう思惟しい(ごこうしい)…「こう」とは、無限むげんちかい、非常ひじょうなが期間きかんのこと。思惟しいとは、「さく思惟しい」とは、しん集中しゅうちゅうし、物事ものごと道筋みちすじててふかねがいすすむこと。
  2. ^ まれる方法ほうほう浄土じょうどきょう諸宗しょしゅう各々おのおので、「浄土じょうどさんけい」の解釈かいしゃくことなるため、このことにかんしての詳細しょうさい省略しょうりゃくする。それぞれの宗旨しゅうし宗派しゅうはのページを参照さんしょう
  3. ^ 阿弥陀如来あみだにょらいほん願力がんりき阿弥陀如来あみだにょらいのはたらき。
  4. ^ 自力じりき」とは、「自己じこそなわった能力のうりょく」をいう。「ふつ菩薩ぼさつなどのはたらきを意味いみ」する「他力たりき」にたいする[3]
  5. ^ ここでの「他力たりき」は、阿弥陀あみだふつ本願ほんがんりょく(はたらき)のこと。
  6. ^ 阿弥陀あみだほとけねんずることによる精神せいしん統一とういつ
  7. ^ しん真言宗しんごんしゅうひとし一部いちぶ宗派しゅうはでは『オン・アミリタ・テイイ・カラ・ウン』と

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 阿弥陀あみだふつ」 - 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)
  2. ^ 『うちのおてら浄土宗じょうどしゅう』2015ねん双葉ふたば文庫ぶんこ、14ページ。
  3. ^ 岩波いわなみ仏教ぶっきょう辞典じてん岩波書店いわなみしょてん、2002ねん、560ぺーじより引用いんよう
  4. ^ 聖教せいきょう電子でんし研究けんきゅうかい 仏説ぶっせつ無量むりょう寿ことぶき経巻きょうかんじょう p.30聖教せいきょう電子でんし研究けんきゅうかい 仏説ぶっせつ無量むりょう寿ことぶき経巻きょうかんじょう p.158聖教せいきょう電子でんし研究けんきゅうかい 仏説ぶっせつ無量むりょう寿ことぶき経巻きょうかんじょう p.323
  5. ^ 中村なかむられいふとし法然ほうねん門流もんりゅうにおけるわたる陀法むくいせつ検討けんとう」『現代げんだい親鸞しんらんだい30かん真宗しんしゅう大谷おおや 親鸞しんらん仏教ぶっきょうセンター、2015ねん、19-22ぺーじdoi:10.24694/shinran.30.0_2ISSN 1347-4316 
  6. ^ 筑波大学つくばだいがく教授きょうじゅ平山ひらやま朝治あさじは、阿弥陀あみだ信仰しんこう成立せいりつにはキリスト教きりすときょうのインド西漸せいぜん影響えいきょうがあり、阿弥陀あみだという由来ゆらいせいトマス遺骨いこつがある都市としアミダ(Amida)」にもとめている(平山ひらやま朝治あさじ大乗だいじょう仏教ぶっきょう誕生たんじょうとキリストきょう」、『筑波大学つくばだいがく経済けいざいがく論集ろんしゅうだい57ごう (2007ねん3がつ)p.155)
  7. ^ a b 阿彌陀あみだ佛心ほとけごころ咒及いのり請文 - ほうまつ
  8. ^ Buddha Amitabha mantra and seed syllable in Siddham and Tibetan - including Amitayus mantra, the Shingon Amitabha Mantra, and the Nembutsu. (Jayarava ATTWOOD)
  9. ^ 金色きんいろ堂堂どうどうないしょぞう天蓋てんがい - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  10. ^ どうづくり阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  11. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞうていちょうさく/(鳳凰堂ほうおうどう安置あんち)〉 - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  12. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう講堂こうどう安置あんち - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  13. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい及両わきさむらいぞう金堂こんどう安置あんち - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  14. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう阿弥陀堂あみだどう安置あんち - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  15. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい及両わき侍坐じざぞう往生おうじょう極楽ごくらくいん阿弥陀堂あみだどう安置あんち - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  16. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい及両わき侍坐じざぞう(棲霞てらきゅう本尊ほんぞん - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  17. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう本堂ほんどう安置あんち - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  18. ^ どうづくり阿弥陀如来あみだにょらい及両わきさむらいぞうでんたちばな夫人ふじん念持仏ねんじぶつ - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  19. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい及両わき侍立じりつぞう浄土じょうどどう安置あんち - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  20. ^ 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう  - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  21. ^ 絹本けんぽんちょしょく山越やまごえ阿弥陀あみだ - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  22. ^ 絹本けんぽんちょしょく山越やまごえ阿弥陀あみだ - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  23. ^ 絹本けんぽんちょしょく阿弥陀あみだじゅう菩薩ぼさつ来迎らいごう〈/(来迎らいごう)〉 - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  24. ^ 宇津野うつのぜんあきら 『よくわかる仏像ぶつぞう見方みかたJTB

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 中村なかむらはじめ福永ふくなが光司こうじ田村たむら芳朗よしろう今野こんの いたる末木すえきぶん へん へん岩波いわなみ仏教ぶっきょう辞典じてん だいはん岩波書店いわなみしょてん、1995ねんISBN 4-00-080205-4 
  • 浄土真宗じょうどしんしゅう教学きょうがく編集へんしゅうしょ 浄土真宗じょうどしんしゅう聖典せいてん編纂へんさん委員いいんかい 編纂へんさん『<浄土真宗じょうどしんしゅう聖典せいてん>浄土じょうどさんけい -現代げんだいばん-』本願寺ほんがんじ出版しゅっぱんしゃ、1996ねんISBN 4-89416-601-1 
  • 真宗しんしゅう大谷おおや宗務しゅうむしょ出版しゅっぱん へん『歎異しょう』(だい3はん真宗しんしゅう大谷おおや宗務しゅうむしょ出版しゅっぱん、2005ねんISBN 4-8341-0037-5 
  • 中村なかむら はじめ福永ふくなが光司こうじ田村たむら芳朗よしろう末木すえきぶん今野こんの いたる へん岩波いわなみ仏教ぶっきょう辞典じてん』(だいはん岩波書店いわなみしょてん、2002ねんISBN 4-00-080205-4 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]