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文殊もんじゅ菩薩ぼさつ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
9世紀せいきのインド北西ほくせいパーラあさつくられた石仏いしぼとけ文殊もんじゅ菩薩ぼさつぞう

文殊もんじゅ菩薩ぼさつ(もんじゅぼさつ、: mañjuśrī〈マンジュシュリー〉、: mañjughoṣa[1]〈マンジュゴーシャ〉、ぞう: 'jam dpal〈ジャンペル〉)は、大乗だいじょう仏教ぶっきょう崇拝すうはい対象たいしょうである菩薩ぼさついちみこと一般いっぱん智慧ちえつかさどふつとされる[2]。その非人ひにん救済きゅうさいなどの慈善じぜん事業じぎょうつかさどるほか、日本にっぽん真言しんごんりつむねでは慈母じぼ供養くよう象徴しょうちょうとしてのいちめん重視じゅうしされた。

文殊もんじゅ文殊もんじゅ(もんじゅしり)の略称りゃくしょう。またみょう吉祥きっしょう菩薩ぼさつ(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊まんしゅしつとうともおとうつし、みょうとく菩薩ぼさつ(みょうとくぼさつ)、みょうくび菩薩ぼさつなどともやくす。ぶんたま菩薩ぼさつともく。 三昧ざんまい耶形あお蓮華れんげあお熱帯ねったい睡蓮すいれんはな)、利剣りけん、梵篋(椰子やしかれた経典きょうてん)など。たねはマン (मँ maṃ) 。

概要がいよう[編集へんしゅう]

西にしなつ1038ねん - 1227ねん)でえがかれた文殊もんじゅぞうにれりんくつ中国ちゅうごく甘粛かんせいしょう

文殊もんじゅ般涅槃経』によると、しゃまもるこく聚落しゅうらくの梵徳というバラモンいえまれたとされる。また『大智たいちろん』によれば、釈迦如来しゃかにょらいめつ弥勒菩薩みろくぼさつおもねがた共同きょうどうして大乗だいじょう経典きょうてん結集けっしゅうしたとされる[ちゅう 1][4]。『維摩けい』には、維摩居士こじ問答もんどうでかなうものがいなかったとき居士こじ病床びょうしょう釈迦しゃか代理だいりとして見舞みまった文殊もんじゅ菩薩ぼさつのみが対等たいとう問答もんどうまじえたとしるされ、智慧ちえ菩薩ぼさつとしての性格せいかく際立きわだたせている。このきょうせつもとづき、維摩居士こじ相対あいたいした場面ばめんあらわした造形ぞうけいおこなわれている。

文殊もんじゅ菩薩ぼさつ登場とうじょうするのは初期しょき大乗だいじょう経典きょうてんとく般若はんにゃ経典きょうてんである。ここでは釈迦しゃかぼとけかわって般若はんにゃの「そら(くう)」をいている。『華厳経けごんきょう』ではぜんざい童子どうじ仏法ぶっぽう求道きゅうどうたびさそ重要じゅうようやくえがかれることなどからもわかるように、文殊もんじゅ菩薩ぼさつ徳性とくせいさといた重要じゅうよう要素ようそ般若はんにゃ智慧ちえである。なお本来ほんらいさとりへいたるための智慧ちえという側面そくめん延長線えんちょうせんじょうとして、一般いっぱんてき知恵ちえあたまさや知識ちしきすぐれること)の象徴しょうちょうともなり、これがのちに「さんにんれば文殊もんじゅ智恵ちえ」ということわざむことになった。

上記じょうきたいする反論はんろん

まずはじめに、般若はんにゃけい文殊もんじゅとの関係かんけいについて一言いちげんしておきたい。一般いっぱんには、文殊もんじゅ菩薩ぼさつさとりの智慧ちえげんわす菩薩ぼさつであるとられ、般若はんにゃ波羅蜜はらみつ密接みっせつ関係かんけいがあるとられているようである。すなわち文殊もんじゅ菩薩ぼさつ般若はんにゃ教徒きょうとによつて信奉しんぽうせられ、はつのうせしめられたとかんがえられやすい。しかし実際じっさいには、文殊もんじゅ菩薩ぼさつふる般若はんにゃけいとは関係かんけいすくないのである。それゆえ般若はんにゃけいなかから、文殊もんじゅ菩薩ぼさつあらわれたとはかんががたい。

大乗だいじょう仏教ぶっきょう興起こうき文殊もんじゅ菩薩ぼさつ 平川ひらかわあきら 引用いんよう

中国ちゅうごくとうだいそうもと法相ほうしょうむね)とたたえしか天台宗てんだいしゅう)は、文殊もんじゅ菩薩ぼさつ本来ほんらいりゅうしゅじょう尊王そんのうぼとけであったとする。[ちゅう 2][ちゅう 3]

文殊もんじゅ菩薩ぼさつが、ゆうはまおう仏陀ぶっだ三蔵さんぞうぜんざい童子どうじ大聖たいせい老人ろうじん(あるいはさいかち老人ろうじんばばやぶ)のよんみことともにえがかれた文殊もんじゅみことは、中国ちゅうごく日本にっぽんなどでよくえがかれた。

文殊もんじゅ菩薩ぼさつ使者ししゃとして、たぶさしつらえあまがらすたぶさしつらえあましつとし、請召、がげられる。 文殊もんじゅ菩薩ぼさつはち童子どうじとして、ひかりつなとし垢光あかびかり不思議ふしぎ、請召、たぶさしつらえあま救護きゅうごとしがらすたぶさしつらえあまげられる。

文殊もんじゅ菩薩ぼさつみつごうは、吉祥きっしょう金剛こんごう、あるいは般若はんにゃ金剛こんごうとされる。

文殊もんじゅ菩薩ぼさつえがいたおも経典きょうてんには、『文殊もんじゅ般涅槃経』、『文殊もんじゅといけい』、『文殊もんじゅきよしりつけい』、『伽耶かや山頂さんちょうけい』などがある。 また、『文殊もんじゅ利発りはつねがいけい』、『文殊もんじゅ悔過けい』、『文殊もんじゅげん宝蔵ほうぞうけい』、『仏説ぶっせつ文殊もんじゅ巡行じゅんこう』、『みょう吉祥きっしょう菩薩ぼさつしょとい大乗だいじょうほうけい』、『せんはち文殊もんじゅいちひゃくはちめいさん』、『大聖たいせい文殊もんじゅ菩薩ぼさつさん仏法ぶっぽうれい』、『聖者せいじゃ文殊もんじゅ利発りはつ菩提心ぼだいしん願文がんもん』、『文殊もんじゅ菩薩ぼさつしょうじゅうれい』、『大聖たいせい文殊もんじゅ菩薩ぼさつ仏刹ぶっさつ功徳くどく荘厳しょうごんけい』などがある。

ぞうよう[編集へんしゅう]

はち文殊もんじゅ菩薩ぼさつおよはちだい童子どうじぞう鎌倉かまくら時代じだいMOA美術館びじゅつかんぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい
奈良なら西大寺さいだいじ文殊もんじゅ尊像そんぞう侍者じしゃかってひだりからゆうはまおうさいかち老人ろうじん仏陀ぶっだぜんざい童子どうじ

普賢菩薩ふげんぼさつとともに釈迦如来しゃかにょらいわきさむらいとなる(参照さんしょう釈迦三尊しゃかさんぞん)ほか、単独たんどくでもひろ信仰しんこうされている。

文殊もんじゅ菩薩ぼさつぞう造形ぞうけいはほぼ一定いっていしている。獅子しし蓮華れんげ結跏趺坐けっかふざし、右手みぎて智慧ちえ象徴しょうちょうする利剣りけん宝剣ほうけん)、左手ひだりて経典きょうてんせたあお蓮華れんげつ。密教みっきょうでは清浄せいじょう精神せいしんあらわ童子どうじがたとなり、たぶさう。このたぶさかずぞうによっていちろくはちよん種類しゅるいがあり、それぞれいち増益ぞうえき敬愛けいあいろく調伏ちょうぶくはち息災そくさい修法しゅほう本尊ほんぞんとされる。

また、獅の文殊もんじゅ先導せんどうやくぜんざい童子どうじ獅子しし手綱たづなにぎゆうはまおう仏陀ぶっださいかち老人ろうじんしたがえる文殊もんじゅ尊像そんぞう造形ぞうけいされた。

また禅宗ぜんしゅうにおいては、修行しゅぎょうそう完全かんぜん姿すがたあらわす「せいそう」(しょうそう)として僧堂そうどう安置あんちされ、剃髪ていはつ坐禅ざぜん僧形そうぎょうとなる。この場合ばあい文殊もんじゅだい(だいし)とぶことがある。[よう出典しゅってん]

日本にっぽんにおける作例さくれいとしては、奈良なら興福寺こうふくじ東金とうがねどう坐像ざぞうていけいさく国宝こくほう)や安倍あべ文殊もんじゅいん尊像そんぞう快慶かいけいさく国宝こくほう)、高知こうち竹林たけばやしてら尊像そんぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)などがられる。

受容じゅよう[編集へんしゅう]

文観もんかんぼうひろしんことおん絹本けんぽんちょしょく文殊もんじゅぞう』(南北なんぼくあさ時代じだい奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい

中国ちゅうごくでの受容じゅよう[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく娯楽ごらく小説しょうせつふうしん演義えんぎ』にはひろしけん真人しんじん文殊もんじゅこうほうてんみことという仙人せんにん登場とうじょうしており、彼等かれらのち仏門ぶつもん帰依きえしそれぞれ普賢菩薩ふげんぼさつ文殊もんじゅ菩薩ぼさつとなったという設定せっていになっているが、これは後世こうせいまったくの創作そうさくである。

中国ちゅうごくにおいては、山西さんせいしょう五台山ごだいさん文殊もんじゅ菩薩ぼさつ浄土じょうどとしてふるくよりひろ信仰しんこうあつめており[6]円仁えんにんによって日本にっぽんにもつたえられている。

また中国ちゅうごく天台宗てんだいしゅうけい史書ししょである『仏祖ぶっそすべまき29には、「文殊もんじゅいまおわり南山なんざんきゅうえり。もりじゅん和上わじょうはこれなり」と、中国ちゅうごく華厳宗けごんしゅうであるもりじゅん文殊もんじゅ菩薩ぼさつまれわりであるとしている。

きよし皇帝こうていチベットからは文殊もんじゅ菩薩ぼさつ化身けしんなされていた(→詳細しょうさい文殊もんじゅ皇帝こうてい参照さんしょう)。

日本にっぽんでの受容じゅよう[編集へんしゅう]

文殊もんじゅ菩薩ぼさつ立像りつぞう、13世紀せいき鎌倉かまくら時代ときよ東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう

平安へいあん時代じだい初期しょきに、つとむみさおたいぜんらの僧侶そうりょ文殊もんじゅ菩薩ぼさつ法要ほうよう貧者ひんじゃ病者びょうしゃのためのほどこしをおこなう「文殊もんじゅかい」をはじめ、最初さいしょ私的してきもよおしだったものが、朝廷ちょうてい援助えんじょるようになり、828ねん7がつ太政官だじょうかんによって文殊もんじゅかいおこなうようになった。 毎年まいとしなながつはちにち朝廷ちょうてい一定いってい税収ぜいしゅうから文殊もんじゅかい費用ひよう拠出きょしゅつし、東寺とうじ西寺にしてら中心ちゅうしんさかんにおこなわれ、貧者ひんじゃ病者びょうしゃたいする布施ふせさかんになされた。 このことは、日本にっぽん福祉ふくし歴史れきしにおいても重要じゅうよう一幕ひとまくえるが、律令りつりょう国家こっか没落ぼつらくとともに文殊もんじゅかい衰退すいたいし、やがておこなわれなくなった。 それを鎌倉かまくら時代じだい復興ふっこうしたのが、西大寺さいだいじ叡尊えいそん忍性にんしょうらであった。

鎌倉かまくら時代じだい真言しんごんりつむねそう叡尊えいぞんきょうせい菩薩ぼさつ開祖かいそ)・忍性にんしょう忍性にんしょう菩薩ぼさつハンセン病はんせんびょう患者かんじゃらの救済きゅうさい尽力じんりょく)・文観もんかんぼうことおん文観もんかん上人しょうにん後醍醐天皇ごだいごてんのう護持ごじそう)らはふか文殊もんじゅ菩薩ぼさつ帰依きえし、1240ねん以後いご各地かくち文殊もんじゅ供養くようだい規模きぼ非人ひにん布施ふせおこなった。

1976ねん上田うえださちによって、真言しんごんりつむね文殊もんじゅ信仰しんこうには、非人ひにん布施ふせだけではなく、追善ついぜん供養くよう側面そくめんがあることが指摘してきされた[7]。1987ねんに、金子かねこ啓明ひろあきは、忍性にんしょうほろびはは供養くよう文殊もんじゅ信仰しんこうである叡尊えいぞんがわうごかされてほろびはは供養くようとしての文殊もんじゅ受容じゅようひろまったことを指摘してきし、その河原かわはら由雄よしおもこれを追認ついにんした[7]。これらをけて、悲母ひぼ供養くようとしての文殊もんじゅ信仰しんこうもっと詳細しょうさい研究けんきゅうおこなったのが内田うちだ啓一けいいちで、『きむつよし仏子ぶっし叡尊えいぞんかんがく正記まさき』(叡尊えいぞん自伝じでん)・「般若寺はんにゃじ文殊もんじゅ菩薩ぼさつ造立ぞうりゅう願文がんもん」などの文献ぶんけん精査せいさし、さらにその理論りろんてき核心かくしんに『だい乗本のりもとせい心地ここちかんけい』の報恩ほうおん思想しそうがあることを指摘してきした[8]

真言しんごんりつむね文殊もんじゅ信仰しんこうもとづき、叡尊えいそん忍性にんしょう文観もんかんらの監修かんしゅうによっておおくの文殊もんじゅ菩薩ぼさつ作品さくひんつくられた[9]文観もんかんはまたそうとしても複数ふくすう文殊もんじゅ画像がぞう自筆じひつ作例さくれいのこしたが、それらにはほろびははへの追善ついぜん意図いとがあることが明記めいきされており、前節ぜんせつ報恩ほうおん思想しそうもとづくほろびはは供養くようながれをむことが、内田うちだによって指摘してきされている[10]文観もんかん文殊もんじゅ画像がぞう代表だいひょうさくには、『絹本けんぽんちょしょく文殊もんじゅぞう』(奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)などがある[11]

真言しんごん[編集へんしゅう]

オン・アラハシャノウ[12]

oṃ arapacana [dhīḥ]

ギャラリー[編集へんしゅう]

日本にっぽん国外こくがい[編集へんしゅう]

日本にっぽん国内こくない[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ふく有人ゆうじんごと:如摩訶迦はたしょ比丘びくざい耆闍崛山中さんちゅうしゅう三藏さんぞう佛滅ぶつめつ文殊もんじゅしかばね彌勒みろくしょだい菩薩ぼさつまたはたおもねなんしゅう訶衍。」[3]
  2. ^ けいうん 文殊もんじゅほう王子おうじおもねいっ菩薩ぼさつ さん曰(…)またうん過去かこためりゅうしゅじょう尊王そんのうふつ華嚴經けごんきょうせつざい淸涼せいりょう五臺山與一萬菩薩倶法王子者」(『阿弥陀あみだけいどおりさん疏』まきのぼる[5]
  3. ^ 文殊もんじゅほんりゅうしゅじょう尊王そんのうぼとけ。」(『法華ほっけ文句もんく』)

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Mañjughoṣa (Skt.). ‘Sweet Voice’; an alternative name for the Bodhisattva Mañjuśrī.」 (Damien Keown「A Dictionary of Buddhism」、Oxford University Press、2004ねん。)
  2. ^ 菩薩ぼさつワールド文殊もんじゅ菩薩ぼさつ 本来ほんらいは、学問がくもんなどの「知恵ちえ」をつかさどるのは虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ物事ものごとのありかたただしく見極みきわめるちから判断はんだんりょく意味いみする「知恵ちえ」をつかさどるのが文殊もんじゅ菩薩ぼさつ
  3. ^ T25n1509_100 大智たいちろん だい100かん | CBETA 漢文かんぶん大藏經だいぞうきょう
  4. ^ 人見ひとみ 2009, p. 967.
  5. ^ 窺基『仏説ぶっせつ阿弥陀あみだけいどおりさん』、浄土宗じょうどしゅう全書ぜんしょ. だい5かん浄土宗じょうどしゅうてん刊行かんこうかい昭和しょうわ3-9ねん、p.593
  6. ^ 江島えじまめぐみきょう文殊もんじゅ菩薩ぼさつ」 - 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)小学しょうがくかん
  7. ^ a b 磯貝いそがい 2018, p. 133.
  8. ^ 磯貝いそがい 2018, pp. 133–134.
  9. ^ 磯貝いそがい 2018.
  10. ^ 磯貝いそがい 2018, pp. 134–135.
  11. ^ 田村たむら 1966, pp. 10–11.
  12. ^ 仏像ぶつぞうワールド文殊もんじゅ菩薩ぼさつ 文殊もんじゅ菩薩ぼさつ真言しんごん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 磯貝いそがいまこと ちょ文殊もんじゅ尊像そんぞう」、大橋おおはしいちしょう; 松原まつばら智美ともみ へん西大寺さいだいじ美術びじゅつ研究けんきゅうのあゆみ─』さとぶん出版しゅっぱん、2018ねん、119–144ぺーじISBN 978-4898064603 
  • 田村たむらたかしあきら文観もんかんぼうひろしん文殊もんじゅ信仰しんこう」『密教みっきょう文化ぶんかだい76ごう、1966ねん、1–13ぺーじdoi:10.11168/jeb1947.1966.76_1  閲覧は自由
  • 人見ひとみまきせい大乗だいじょう経典きょうてん結集けっしゅうしゃをめぐるいち伝承でんしょう」『印度いんどがく佛教ぶっきょうがく研究けんきゅうだい57かんだい2ごう、2009ねん、970-966ぺーじdoi:10.4259/ibk.57.2_970  閲覧は自由

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]