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真言しんごんりつむね

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真言しんごんりつむね宗務しゅうむしょ西大寺さいだいじ境内けいだい

真言しんごんりつむね(しんごんりっしゅう)は、真言しんごん密教みっきょう宗義しゅうぎもとづいて「根本ねもと仏教ぶっきょう」の出家しゅっけ戒である『具足ぐそく』と、きむつよしじょう戒律かいりつである『三昧ざんまい耶戒』を修学しゅうがくする一派いっぱ。また、南都なんとろくむねの1つであるりつむね精神せいしん再興さいこう意義いぎあわせてゆうしている。

宗祖しゅうそ

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西大寺さいだいじ叡尊えいぞんきょうせい菩薩ぼさつ)を中興ちゅうこうとする。なお、空海くうかい高祖こうそとしてとくあおいでいる。

沿革えんかく

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鎌倉かまくら時代ときよ

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叡尊えいそん荒廃こうはいした既存きそん仏教ぶっきょうたいする批判ひはんからりつむねさとしもりとともに、これまで国家こっかさだめた手続てつづきによる方法ほうほうしかみとめられていなかった出家しゅっけ戒の授戒じゅかいみずからのおこなった(ちかい授戒じゅかい)。その戒律かいりつたいするかんがかたちがいからさとしもり一線いっせんかくするが、かれ依頼いらいによる西大寺さいだいじ再興さいこうけて、つづいて海龍かいりゅう王寺おうじ法華寺ほっけじ般若寺はんにゃじなどの再興さいこう従事じゅうじして、朝廷ちょうてい許可きょかなくして独自どくじ戒壇かいだん設置せっちした。[1]

つづいて弟子でし忍性にんしょう登場とうじょうして叡尊えいそん十分じゅうぶんたっせられなかった民衆みんしゅうへの布教ふきょう才覚さいかくしめして、鎌倉かまくら極楽寺ごくらくじ建立こんりゅうした。

これが真言しんごんりつむね起源きげんであるが、当初とうしょ叡尊えいそん自身じしんやその門人もんじん真言宗しんごんしゅう再興さいこう一環いっかんとして出家しゅっけ戒をもととするりつむね再興さいこうはかったものであり、みずからを真言宗しんごんしゅう一派いっぱである「西大寺さいだいじりゅう」として規定きていして行動こうどうしていた。しかし、当時とうじにおいてはりつむね新派しんぱられていた。なお、叡尊えいそん行動こうどう通説つうせつではきゅう仏教ぶっきょう内部ないぶからの改革かいかく運動うんどう位置いちづけられているが、近年きんねんではこれを真言宗しんごんしゅうりつむねわくえたしん宗派しゅうはであるとして「鎌倉かまくらしん仏教ぶっきょう」の1つとせつもある(「鎌倉かまくら仏教ぶっきょう参照さんしょう)。

後継こうけいしゃであるしんむなし忍性にんしょう朝廷ちょうてい信任しんにんあつく、諸国しょこく国分寺こくぶんじ再建さいけん勧進かんじん)をめいじられてこれを末寺まつじするなど、教派きょうは拡大かくだいつとめた。自身じしん厳格げんかく寺院じいん再建さいけんのノウハウをんだ真言しんごんりつむね僧侶そうりょ主導しゅどう勧進かんじん活動かつどうたいする評価ひょうか上昇じょうしょうはやがてりつむね諸派しょは再興さいこううごきをうながし、一時いちじ真言しんごんりつむねふくめたりつむね禅宗ぜんしゅう浄土宗じょうどしゅうなどと勢力せいりょくけて日蓮にちれんより「りつ国賊こくぞく」との非難ひなんけるほどであった。

特筆とくひつされるべきこと叡尊えいそん忍性にんしょうによる救済きゅうさい活動かつどう非人ひにん貧民ひんみんらいびょう患者かんじゃたいするものであり、そのかずすうまんにんたっしていたことであろう。またもと寇におけるもとぐん撃退げきたい叡尊えいそん忍性にんしょう呪法じゅほうによるものであったと認識にんしきされていた。

室町むろまち以降いこう

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室町むろまち時代ときよ後期こうき以後いごいち衰微すいびしたものの、江戸えど時代じだい前期ぜんきあかりにん再興さいこううごきをせ、その門人もんじんにあたるきよしいむはじめておおやけに「真言しんごんりつむね」という名乗なのりをもちいた。

1872ねん明治めいじ5ねん)、明治めいじ政府せいふしょ宗派しゅうは整理せいり断行だんこう、そのさいりつむねけい最大さいだい勢力せいりょくであった真言しんごんりつむねもと真言宗しんごんしゅうながれをむことからちょんただしそう諸派しょは真言宗しんごんしゅうれられた。

そのりつむねけい諸派しょははいずれも真言宗しんごんしゅうからの独立どくりつもとめ、西大寺さいだいじでも佐伯さえきひろしきよし(64せい長老ちょうろう)が運動うんどうおこなった。その甲斐かいがあり、1895ねん明治めいじ28ねん)にりつむねけい諸派しょは真言宗しんごんしゅうからの独立どくりつゆるされて、そのさい真言しんごんりつむね真言宗しんごんしゅうから独立どくりつする。ただし、明治めいじ以前いぜん真言しんごんりつむねであった寺院じいんなかには独立どくりつしたがわずに真言宗しんごんしゅう寺院じいんとしてのみちあゆんだものもあった。

以後いご西大寺さいだいじ総本山そうほんざんとしてその住職じゅうしょくである西大寺さいだいじ長老ちょうろう真言しんごんりつむね管長かんちょう兼務けんむする慣例かんれいとなっている。

西大寺さいだいじ長老ちょうろう歴代れきだい

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  1. きょうせい菩薩ぼさつ叡尊えいぞん
  2. 慈真和尚おしょうしんむなし
  3. せん
  4. しずかしか
  5. けんぜん
  6. きよしこころ
  7. 信昭のぶあき
  8. もと耀
  9. じん
  10. 清算せいさん
  11. さとしじょう
  12. 貞祐ていゆう
  13. しんみこと
  14. 堯基
  15. さだいずみ
  16. ぜんほまれ
  17. 慈朝
  18. ふかいずみ
  19. りょう耀
  20. こうじん
  21. あきらそら
  22. えい
  23. えいげん
  24. もとそら
  25. さかえしゅう
  26. こううみ
  27. りょうちかい
  28. げんきよし
  29. こうさん
  30. せんめぐみ
  31. しゅう
  32. りょうけい
  33. みことうみ
  34. こうなか
  35. 高森たかもり
  36. 玄海げんかい
  37. こうみのる
  38. ひかりあつし
  39. こうたま
  40. みことたま
  41. こうきょう
  42. みことけい
  43. しこりうみ
  44. 高秀たかひで
  45. 高久たかく
  46. こうせん
  47. みことさとし
  48. 高喜たかよし
  49. けん
  50. こうえん
  51. 尊信そんしん
  52. こうさん
  53. みことさとし
  54. みことさかえ
  55. ひろしけい
  56. こう
  57. とうとしずか
  58. 尊堂そんどう
  59. みこといん
  60. けい
  61. えいどう
  62. みこととし
  63. こうばん
  64. 佐伯さえきひろしきよし
  65. ぶくかきおう
  66. 佐伯さえきさとるりゅう
  67. 駒岡こまおかじょうえん
  68. 瀬木せき俊明としあき
  69. 松本まつもとみのるどう
  70. 谷口たにぐち光明こうめい
  71. 大矢おおやみのるえん
  72. 松村まつむらたかしほまれ

宗務しゅうむ組織そしき

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  • 管長かんちょう
  • 宗務しゅうむちょう
  • 庶務しょむ
  • 財務ざいむ 
  • 教学きょうがく
  • そう議会ぎかい
    • そう会議かいぎいん(10めい
    • 議長ぎちょう
    • ふく議長ぎちょう

関連かんれん組織そしき

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  • てらぞく婦人ふじんかい

寺格じかく順不同じゅんふどう

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教育きょういく機関きかん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ 仏教ぶっきょうおしえから仏像ぶつぞう葬式そうしき知識ちしきまで今日きょうから役立やくだ仏教ぶっきょう』74ぺーじ[よう追加ついか記述きじゅつ]

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 岩井いわいけんあきら叡尊えいそん教団きょうだんにおける戒律かいりつ復興ふっこう運動うんどう』(「歴史れきし研究けんきゅう」、№36)、大阪教育大学おおさかきょういくだいがく歴史れきしがく研究けんきゅうしつ、1999年刊ねんかん

関連かんれん項目こうもく

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