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明王みょうおう

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仏教ぶっきょう用語ようご
明王みょうおう
サンスクリット विद्याराज
(IAST: Vidyārāja)
チベット རིག་པའི་རྒྱལ་པོ་
(rig pa'i rgyal po)
中国ちゅうごく 明王みょうおう
(拼音Míngwáng)
日本語にほんご 明王みょうおう
(マ字まじ: Myōō)
英語えいご Wisdom King
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ぐん荼利明王みょうおう
愛染明王あいぜんみょうおう鎌倉かまくら時代ときよ、13世紀せいき重要じゅうよう文化財ぶんかざい東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう内山うちやま永久寺えいきゅうじきゅうぞう

明王みょうおう(みょうおう、: विद्याराज vidyā-rāja[1])は、密教みっきょうにおけるみことかくおよ称号しょうごうで、如来にょらい変化へんかともされる[2]明王みょうおうには女性じょせいみことかくもある。

語義ごぎ

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明王みょうおうの「あきら」は、本来ほんらい サンスクリット विद्याvidyā)であらわし、「知識ちしき(ज्ञान)」「学問がくもん」を意味いみする一般いっぱんてき名詞めいしである。密教みっきょう文脈ぶんみゃくにおいては、とくふついた真言しんごん呪文じゅもんのことをし、あきらあるいはあかりのろいかんやくされる。そして「明王みょうおう」という言葉ことばは、「呪文じゅもん王者おうじゃ」を意味いみ[3]真言しんごん別名べつめいであるが、一般いっぱんてきには密教みっきょう特有とくゆうみことかく意味いみもちいられる[2]

概要がいよう

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一般いっぱんに、密教みっきょうにおける最高さいこうふつみこと大日如来だいにちにょらいいのちけ、仏教ぶっきょういま帰依きえしない民衆みんしゅう帰依きえさせようとする役割やくわりになったふつみことす。このみことかくつよつよしなん衆生しゅじょうおしえにみちび役割やくわりっているためきょうれい(きょうりょうしん)あるいはきょうれい(きょうりょうりんじん)というばれる。あるいはすべての明王みょうおうは、大日如来だいにちにょらい仏教ぶっきょう帰依きえしない強情ごうじょう民衆みんしゅうちからずくでも帰依きえさせるためみずか変化へんかしたほとけであるともつたえられる。そのため、ふつおしえに従順じゅうじゅんでないものたちにたいしておそろしげな姿すがたがたあらわして調伏ちょうぶくし、また教化きょうかするふつとして存在そんざいしている。

明王みょうおう一般いっぱんてきに「てん」とてんかみ毘沙門天びしゃもんてん帝釈天たいしゃくてん弁才天べんざいてんひとし)と同様どうように、古代こだいインド神話しんわ登場とうじょうするかみ々、とく夜叉やしゃ阿修羅あしゅらばれたあく鬼神きじん仏教ぶっきょう包括ほうかつされてぜんかみとなったものおおいのが特徴とくちょうである。明王みょうおうはもともと古代こだいインド神話しんわにおいても「てん」よりたか見地けんち所在しょざいしていた存在そんざいであることがおおく、仏教ぶっきょう包括ほうかつされたのちも「てん」はふつ世界せかいささえる須弥山しゅみせんというやま守護しゅご主役しゅやくわりとし、明王みょうおう民衆みんしゅうきょうれいおもとするひとし、その役割やくわりちがいがあらわれている。

明王みょうおう一般いっぱんてき忿怒ふんど(ふんぬ)のそう火炎かえん背負せおい、かみいかりによって逆立さかだち、ほう装飾そうしょくひん極力きょくりょくけず、法衣ほうえかたそでやぶってうごやすくし、武器ぶきるいった姿すがた表現ひょうげんされることがおおい。ただし孔雀くじゃく明王みょうおうのような例外れいがいもある。憤怒ふんぬそうたんなるいかりを表現ひょうげんしたものではなく、

  • 仏教ぶっきょう帰依きえしない民衆みんしゅう畏怖いふさせてでもおしえに帰依きえさせんとする気迫きはくあらわしたもの
  • 仏教ぶっきょう帰依きえせず、かり快楽かいらくしんかれている民衆みんしゅうさましんくだよう丁度ちょうど親不孝おやふこうしゃ一人ひとり息子むすこ将来しょうらいしんくだいた父親ちちおや内心ないしんごとかなしみをあらわしたもの
  • 仏界ぶっかいおびやかす煩悩ぼんのうおしえをみにじるあくたいする護法ごほういか

ひとし表現ひょうげんしたものであり、人々ひとびと仏性ぶっしょう開発かいはつあくちからった明王みょうおうならではのものである。

これらのことから、てんたいして区別くべつするため、明王みょうおうあるいは、忿怒ふんどといわれる。

日本にっぽんには奈良なら時代じだい明王みょうおうかんする経典きょうてん請来しょうらいされているが、体系たいけいてき伝来でんらいしたのは、真言宗しんごんしゅう系統けいとうでは空海くうかい天台宗てんだいしゅうけいでは円珍えんちん円仁えんにん以降いこう平安へいあん時代じだいになってからのことである。

おも明王みょうおう

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明王みょうおうパンテオンギメ東洋とうよう美術館びじゅつかんパリ

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 瓜生うりゅうちゅう『あなたをまも菩薩ぼさつ如来にょらい明王みょうおうがわかるほん』2009ねん、PHP研究所けんきゅうじょ、28ぺーじ

関連かんれん項目こうもく

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