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そう

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高僧こうそうから転送てんそう
仏教ぶっきょう用語ようご
そう(そう)
タイのサンガ
パーリ Saṅgha
サンスクリット संघ Saṃgha
チベット དགེ་འདུན་
(dge 'dun[1])
中国ちゅうごく そう, そうとぎ, 和合わごう
日本語にほんご そうとぎ
(マ字まじ: sanga)
朝鮮ちょうせん 승가
そうとぎ

(RR: seungga)
英語えいご Sangha
クメール សង្ឃ
(UNGEGN: sângkh; ALA-LC: sanggh)
シンハラ සංඝයා
タミル சங்கம்
タイ (พระ)สงฆ์
ベトナム Tăng đoàn
Tăng già
僧團そうだん
そうとぎ
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そう(そう、: संघ Saṃgha)は、サンガをおとうつした「そうとぎ」のりゃく仏教ぶっきょう戒律かいりつまも男性だんせい出家しゅっけ修行しゅぎょうしゃである「比丘びく(びく)」と女性じょせい出家しゅっけ修行しゅぎょうしゃである「比丘尼びくに(びくに)」の集団しゅうだんのこと[2]仏教ぶっきょう三宝さんぽうひと[3]在家ありいえ信者しんじゃふくめた教団きょうだんそう(サンガ)とはばず、出家しゅっけしゃよんにん以上いじょうあつまったときそうとなる[2]男性だんせい出家しゅっけ修行しゅぎょうしゃ集団しゅうだん比丘びくそうといい、女性じょせい場合ばあい比丘尼びくにそうという[2]しゅうあるいは和合わごうしゅやくされる[3]

そうとぎぞくする人々ひとびと」のである僧侶そうりょ(そうりょ)がてんじて個人こじんそうぶことがおおくなっていったが、原義げんぎとしてそうとは戒師によりしたしく具足ぐそくなみひさげまた)をさづけられ(=受戒じゅかい)、これをまも出家しゅっけ修行しゅぎょうしゃたちの集団しゅうだんそのものを集合しゅうごうてき[4][ちゅう 1]

古代こだいインドでは、仏教ぶっきょうかぎらず、婆羅門ばらもん以外いがい出家しゅっけしゃ遊行ゆぎょうしゃのことを、一般いっぱんに「沙門しゃもん」とぶ。そのなかでもこの仏教ぶっきょうそうとぎ正式せいしき構成こうせいいんは、男性だんせいであれば比丘びく(びく、乞食こじき)、女性じょせいであれば比丘尼びくに(びくに)とあらわされる。

サンガ(そうとぎ)とは

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そうとぎ(サンガ)は、一般いっぱんに「僧団そうだん」といかえられてもいるが、釈迦しゃか当時とうじ時代じだいから現代げんだいまで上座かみざ仏教ぶっきょう大乗だいじょう仏教ぶっきょう密教みっきょうわず、在家ありいえ信者しんじゃふくまない純粋じゅんすいな、出家しゅっけしゃたちの共同きょうどうたいである(比丘びくそうとぎ[4]

だい迦葉サーリプッタなど仏弟子ぶつでしたちは、みな釈迦しゃか以下いかねがいをうったえ、みとめられて子弟していとなっている(さん帰依きえ[4]

Esāhaṃ bhante bhagavantaṃ saraṇaṃ gacchāmi dhammañca bhikkhusaṅghañca.
Labheyyāhaṃ bhante bhagavato santike pabbajjaṃ, labheyyaṃ upasampadanti".

わたしは、世尊せそんほう比丘びくそうとぎ(bhikkhusaṅghañca)へ帰依きえいたします。
尊者そんじゃよ、ねがいわくば世尊せそんゆるしにて、出家しゅっけすることを具足ぐそく戒をんことを。

元々もともと意味いみ集団しゅうだん集会しゅうかいであり、仏教ぶっきょう以前いぜん時代じだい古代こだいインドでは、自治じち組織そしきをもつどう業者ぎょうしゃ組合くみあいや、貴族きぞくによる共和きょうわ政体せいたいなどもサンガとんだ[5]

比丘びく比丘尼びくに

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比丘びく比丘尼びくには、出家しゅっけしゃにおける男女だんじょ区別くべつによるが、いずれも具足ぐそく戒をうけた出家しゅっけ修行しゅぎょうしゃ[4]比丘びく(Bhikkhu)の原義げんぎは「乞食こじき」(こつじき)を意味いみしている。出家しゅっけしゃとしてまった生産せいさん従事じゅうじしない比丘びく比丘尼びくには、他者たしゃから布施ふせされるものによって、生活せいかつ維持いじしている。ころもくそ掃衣ちゃくし、しょくは「托鉢たくはつ」によってたものをしょくし、じゅう森林しんりんえんりん生活せいかつしたのが、これら出家しゅっけしゃであり、現在げんざいでも比較的ひかくてきこれらにちか生活せいかつ形態けいたいは、東南とうなんアジアの上座かみざ仏教ぶっきょうけんられる。少数しょうすうながら大乗だいじょう仏教ぶっきょうけんでもられることがある。

これら比丘びく比丘尼びくに女犯にょぼん戒によって結婚けっこんはおろか接触せっしょくもできないのが伝統でんとうてき姿勢しせいであるが、チベット主流しゅりゅうであるゲルク以外いがい宗派しゅうは日本にっぽん当初とうしょ各派かくは沙弥さや比丘びくのいずれにしても妻帯さいたいまった問題もんだいがいのこと」としていたが、時代じだいくだるととも許容きょようするようになる[6]とうでは妻帯さいたいによる世襲せしゅうおこなっており[7]タイミャンマーでは儀礼ぎれいとして一時いちじ出家しゅっけした僧侶そうりょがすぐに還俗げんぞくしてすことがめずらしくない[8]

沙弥さや沙弥さやあま

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そうとぎぞくしてはいるが、具足ぐそく戒(なみひさげまた)をまださづけられておらず、そうとぎ正式せいしきなメンバーとなっていない「見習みならそう小僧こぞう」は、男性だんせい少年しょうねん)であれば「沙弥さや」(しゃみ)、女性じょせい少女しょうじょ)であれば「沙弥さやあま」(しゃみに)とばれる。

仏教ぶっきょう在家ありいえ信徒しんとは、「さん帰依きえ」をちかい、通常つうじょうは「五戒ごかい」、「はち斎戒さいかい」の種類しゅるいの戒をまもることがもとめられるが、この沙弥さや沙弥さやあまには、わりに「さん帰依きえ」をちかったのち沙弥さやの「十戒じっかい」や、沙弥さやあまの「じゅう八戒はっかい」がさづけられる。かれらは通常つうじょう、20さいになって、具足ぐそくなみひさげまた)をさづけられることで、正式せいしきそうとぎのメンバーである「比丘びく」や「比丘尼びくに」となることができる。

現代げんだいにおいて

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しかしながら、日本にっぽん仏教ぶっきょうチベット仏教ぶっきょうにおいて妻帯さいたいみとめるニンマカギュは、実態じったいいても[ちゅう 2]教義きょうぎじょうからも[ちゅう 3]、これらの宗派しゅうはでは具足ぐそく完全かんぜんまもられているとはえず[7]定義ていぎじょうそうとぎではないときもある。日本にっぽん影響えいきょうにある、韓国かんこく仏教ぶっきょう少数しょうすう太古たこはじめでもおなじである。しかし、チベット仏教ぶっきょう主流しゅりゅうであるゲルク[9]、および韓国かんこく仏教ぶっきょう最大さいだい宗派しゅうは曹渓むね妻帯さいたいみとめていない。

日本にっぽんネパールにおけるネワール仏教ぶっきょうグバジュ(Gubhaju)など、世襲せしゅう仏教ぶっきょう特権とっけん階級かいきゅうから具足ぐそく戒を(破戒はかいによってうしなわれない戒体として)形式けいしきてきにのみけるケースもられるが、儀礼ぎれいてきなもので実践じっせんされるものではない。

歴史れきし

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初期しょき仏教ぶっきょう

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釈迦しゃか布教ふきょうによってかれおしえに帰依きえする出家しゅっけ修行しゅぎょうしゃ増加ぞうかしていき、それぞれ5にんから20にん程度ていどしょう単位たんいかれて活動かつどうおこなうようになった。このような集団しゅうだん現前げんぜんそうとぎぶ。ところが、現前げんぜんそうとぎ活動かつどう活発かっぱつになると、そうとぎ自身じしん統制とうせい、さらに相互そうご連絡れんらくとう必要ひつようしょうじ、やがて四方しほうそうとぎばれるようなそうとぎ全体ぜんたい組織そしき必要ひつようとなってきた。これが今日きょう一般いっぱんてき意味いみにおけるそうとぎである。

仏教ぶっきょう

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釈迦しゃかから100ねんだいかい結集けっしゅうにおける根本こんぽん分裂ぶんれつ以降いこう、それぞれのかんがえのちがいからそうとぎ分裂ぶんれつしてき、仏教ぶっきょう時代じだいはいる。各部かくぶはそれぞれに独自どくじアビダルマろんしょ)をあらわして教義きょうぎ明確めいかくしてき、最終さいしゅうてきやく20程度ていど成立せいりつすることになった。

大乗だいじょう仏教ぶっきょう

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そう構成こうせいいんはすべてりつ遵守じゅんしゅし、インドにおいては大乗だいじょう出家しゅっけしゃでさえ在来ざいらい仏教ぶっきょう所属しょぞくし、それぞれのりつしたがっていた[10]純粋じゅんすい大乗だいじょう教団きょうだんつチベットでは、在来ざいらいそうを「声聞しょうもんそうとぎ」(しょうもんそうぎゃ)とび、大乗だいじょうそうを「菩薩ぼさつそうとぎ」とぶようになった[11]

日本にっぽん仏教ぶっきょうにおけるそうとぎ

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古代こだい中世ちゅうせい

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日本にっぽん仏教ぶっきょうにおいては、奈良なら時代じだいいたり、とうからりつむね鑑真がんじんによってもたらされた法蔵ほうぞうの『よんふんりつ』と、それにもとづく戒壇かいだん授戒じゅかい制度せいどにより、正式せいしきそうとぎ成立せいりつした。朝廷ちょうてい租税そぜい軍役ぐんえきのがれのわたしそうまるために、それを積極せっきょくてき活用かつようした。

しかし、平安へいあん時代じだいいたり、中国ちゅうごくから天台宗てんだいしゅう移植いしょくした日本にっぽん天台宗てんだいしゅう開祖かいそ最澄さいちょうが、大乗だいじょう経典きょうてんの『梵網けい』の書面しょめんと、それまで中国ちゅうごく天台宗てんだいしゅうにはなかった解釈かいしゃくもとづく戒法を法華ほっけさんけいかぞえる『かん普賢菩薩ふげんぼさつ行法ぎょうほうけい』(大正たいしょうぞう:№277)[12]もとにして、ふでにより感得かんとくして提唱ていしょうし、とき朝廷ちょうてい出願しゅつがんした。最澄さいちょう没後ぼつごひろしひとし13ねん(822ねん)に最澄さいちょうへの追悼ついとう意味いみから朝廷ちょうてい公認こうにん勅許ちょっきょて、翌年よくねんひろじん14ねん延暦寺えんりゃくじいちじょう止観しかんいんにおいて弟子でしひかりじょう筆頭ひっとうとする14めい大乗だいじょう戒壇かいだんによる授戒じゅかいおこなわれた[ちゅう 4]。これより、比叡山ひえいざんでは旧来きゅうらい戒律かいりつである具足ぐそく数種類すうしゅるい大乗だいじょう戒を併用へいようする体系たいけいてきな戒法を無視むしした、ばとわけとする『梵網けい』による大乗だいじょう戒の「梵網戒」(えんひたぶる)のみにもとづく大乗だいじょう戒壇かいだんによる授戒じゅかいおこなうようになり、いわゆる日本にっぽん仏教ぶっきょう独自どくじの「具足ぐそく」をたない宗派しゅうはまれた。

ただし、最澄さいちょうとなえた大乗だいじょう戒壇かいだん基礎きそとなる、大乗だいじょうの『梵網けい』にはじゅうじゅうきんとして、殺生せっしょうによりものころすことと、その原因げんいんとなるすべての行為こうい禁止きんし[13]女犯にょぼんとその原因げんいんとなるすべての行為こうい禁止きんし[14]さけ売買ばいばい飲酒いんしゅ原因げんいんとなるすべての行為こうい禁止きんし[15]さらにそれらをふくじゅうじゅうきんのどれかに違反いはんしたさいには、僧籍そうせきくわえてすべての資格しかくうしな仏教徒ぶっきょうとではなくなる[ちゅう 5]としている。また、かつての比叡山ひえいざんにおいては、大乗だいじょう戒壇かいだん出家しゅっけしたそうは、12ねんわた籠山かごやま(ろうざん)ののち[ちゅう 6]下山げざんするさいに「具足ぐそく」をさずかってから、比叡山ひえいざんはなれるのが通例つうれいとなっていた。それゆえ「梵網戒」(えんひたぶる戒)がきていた時代じだいには、女犯にょぼん妻帯さいたい)や飲酒いんしゅひとし行為こういは、大乗だいじょう戒壇かいだんそうには最澄さいちょう直筆ちょくひつによる『山家やまや学生がくせいしき』により、あってはならない行為こうい規定きていされていた。

やがて、鎌倉かまくら時代ときよいたると、天台宗てんだいしゅうから派生はせいしたかく宗派しゅうは鎌倉かまくら仏教ぶっきょう)が普及ふきゅうするにしたがって、えんひたぶるなどのみ受持うけもちする僧侶そうりょおおあらわれた。そのなかでも日蓮にちれん(1222-1282)は、最澄さいちょう仮託かたくされる『末法まっぽうとう明記めいき[17][ちゅう 7]しんじ、それを典拠てんきょとして「末法まっぽう」を主張しゅちょうし、いわゆる末法まっぽうなかにおいてはあらゆる戒律かいりつ必要ひつようとせず、ただ題目だいもくとなえることを主張しゅちょうした。また、三宝さんぼうのうちのそうとぎともなわない[ちゅう 8]浄土真宗じょうどしんしゅうのような宗派しゅうはしょうじた。それにならって、本来ほんらいは「具足ぐそく」をまもるはずの宗派しゅうは戒律かいりつ形骸けいがいいちじるしく、男色なんしょくおこない、くわえて妻帯さいたいする僧侶そうりょ数多かずおおくいた[ちゅう 9]。しかし、その一方いっぽう叡尊えいぞんとする真言しんごんりつむねのように、自得じとくの戒である『ちかい授戒じゅかい』による「具足ぐそく」を復興ふっこうしようとするうごきも[19]一部いちぶではあったが、鎌倉かまくら時代ときよ以降いこう戒律かいりつ形骸けいがいする全体ぜんたいながれをえるまでにはいたらなかった。

江戸えど時代じだい

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江戸えど時代じだいいたると、政治せいじてきには統制とうせいきびしい江戸えど幕府ばくふした僧職そうしょくしゃ肉食にくしょく妻帯さいたい女犯にょぼん)が国法こくほうなどではきんじられ、仏教ぶっきょうがわからは叡尊えいぞん以来いらい戒律かいりつ復興ふっこう運動うんどうむすかたち最低限さいていげん規律きりつまもられるようになったが、本来ほんらい戒律かいりつ(「具足ぐそく」を基礎きそとする体系たいけいてきな戒法)やそうとぎ復興ふっこうするまでにはいたらなかったとの評価ひょうかもある。

この時代じだい戒律かいりつ復興ふっこう運動うんどうおこなった人物じんぶつとしては、禅宗ぜんしゅうでは黄檗宗おうばくしゅう開祖かいそであり、中国ちゅうごく皇帝こうていでありながら鑑真がんじん同様どうよう栄誉えいよてて日本にっぽん渡来とらいして、「ぜんみつそうおさむ」や「ぜんきよしそうおさむ」(念仏ねんぶつぜんとう特色とくしょく中国ちゅうごくぜんくわえて、当時とうじ出家しゅっけ戒をつたえた隠元いんげん禅師ぜんじげられる。隠元いんげん禅師ぜんじつたえた中国ちゅうごくりゅうの「具足ぐそく戒」と「出家しゅっけ作法さほう」は、京都きょうと中心ちゅうしんとする一帯いったい仏教ぶっきょう教派きょうは注目ちゅうもくあつめ、曹洞宗そうとうしゅう臨済宗りんざいしゅう復興ふっこう役立やくだっただけではなく、招来しょうらい文物ぶんぶつ書道しょどう煎茶せんちゃどう普茶料理ふちゃりょうり隠元豆いんげんまめひとしてつ和尚おしょうの『黄檗おうばくばん大蔵経だいぞうきょう[ちゅう 10]とも日本にっぽん仏教ぶっきょう多大ただい影響えいきょうあたえた。

せい法律ほうりつ』を提唱ていしょうした慈雲じうん尊者そんじゃや、『如法にょほう真言しんごんりつ』を提唱ていしょうしたきよしいむさとし彦が活躍かつやくした。

きん現代げんだい

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近代きんだい明治めいじ時代じだい)にいたり、日本にっぽんでは明治めいじ政府せいふ明治めいじ5ねん4がつ25にち公布こうふ太政官だじょうかん布告ふこくだい133ごう僧侶そうりょ肉食妻帯にくじきさいたい蓄髪ちくはつ等差とうさもとこと」を布告ふこく僧侶そうりょ妻帯さいたい女犯にょぼん)・肉食にくしょく蓄髪ちくはつ法要ほうよう以外いがいでの平服へいふく着用ちゃくようとう公的こうてき許可きょかした。こうして僧職そうしょくしゃたいする国法こくほうによる他律たりつてきしばりはなくなり、職業しょくぎょうしたり世襲せしゅうしたもの僧侶そうりょとして公然こうぜん存在そんざいすることができるようになった。

なお、戦前せんぜん戒律かいりつそうとぎ復興ふっこう運動うんどうおこなった人物じんぶつとしては、真言宗しんごんしゅうしゃく雲照うんしょうさらには、そのおいスリランカ留学りゅうがくし、日本人にっぽんじんはつ上座かみざ仏教ぶっきょうとなって日本にっぽんで「釈尊しゃくそん正風しょうふうかい」を組織そしきしたしゃくきょうしかがいる[20]

近年きんねんでは、『日本にっぽんテーラワーダ仏教ぶっきょう協会きょうかい』や『龍蔵りゅうぞういんデプン・ゴマン学堂がくどう日本にっぽん別院べついん』のように、上座かみざ仏教ぶっきょうチベット仏教ぶっきょうけい僧院そういん輸入ゆにゅう移植いしょくされ、そのそうとぎ構成こうせいいんである比丘びく比丘尼びくにもいる。このように、現在げんざい上座かみざ仏教ぶっきょうチベット仏教ぶっきょうけいそうとぎ日本にっぽん存在そんざいし、それらのそう指導しどうもとづく各種かくしゅ正式せいしき戒律かいりつまなぶことができる。また、事実じじつとして既成きせい伝統でんとう仏教ぶっきょうはなれ、上座かみざ仏教ぶっきょうやチベット仏教ぶっきょうもとづく日本人にっぽんじん正式せいしき受戒じゅかいしゃ僧侶そうりょ仏教徒ぶっきょうとが、正統せいとう戒律かいりつあらたに活動かつどうしている。

一方いっぽうで、日本にっぽん仏教ぶっきょうにおいては、平安へいあん時代じだい最澄さいちょう以降いこう戒律かいりつ具足ぐそくなみひさげまた)の戒脈や、それをもとにしたそうとぎ伝統でんとうは、基本きほんてき途絶とだえており、具足ぐそく戒を受持うけもちする出家しゅっけしゃ修行しゅぎょうしゃは、他国たこくそうとぎ受戒じゅかいしたごく少数しょうすうしゃのぞいて、現代げんだい日本にっぽん仏教ぶっきょうかく宗派しゅうはには存在そんざいしない。

しかしながら現状げんじょう肯定こうていするあたらしい解釈かいしゃくによって、職業しょくぎょうとして儀式ぎしきのみをおこない、具足ぐそく遵守じゅんしゅしない、伝統でんとう宗派しゅうはにおけるこれらの僧職そうしょくしゃまゆみ信徒しんとのみで構成こうせいされる「在家ありいえ教団きょうだん」をそうとぎ(サンガ)と做すべきであるという意見いけんもある。だが、この場合ばあいかつてはわたしそう分類ぶんるいされたであろう自称じしょう僧侶そうりょ宗教しゅうきょう祈祷きとう仏教ぶっきょうけいしん宗教しゅうきょう出家しゅっけしゃ教団きょうだん職員しょくいんとの区別くべつ基準きじゅん既得きとく権益けんえきのみであることにもなりかねない。

よんふんりつ

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上座かみざ仏教ぶっきょうにおいて、歴史れきしてきひろもちいられてきたりつである。比丘びくひゃく十戒じっかい遵守じゅんしゅする。正式せいしきな戒師がないひとし理由りゆう自国じこくでの授戒じゅかいむずかしい場合ばあい国外こくがいから戒師を招来しょうらいする必要ひつようがある。

戒律かいりつ条項じょうこう以下いかとおりである[21]

  • なみえびすほう[よんヶ条かじょう](これをおかした場合ばあいすべての資格しかく財産ざいさん剥奪はくだつされたうえそうとぎとあらゆる仏教ぶっきょう教団きょうだんから追放ついほうされ、2年間ねんかん一切いっさい宗教しゅうきょう活動かつどう禁止きんしされたうえ二度にど僧侶そうりょとなることは出来できないもの;「なみえびすざい」ともいう)
    1. いん : いかなる性行為せいこういおこなってはならない。
    2. ぬすめ : 盗心とうしんをもってあたえられていないものをってはならない。
    3. 殺人さつじん : 殺人さつじんおかしてはならない。
    4. だい妄語もうご : いまだその境地きょうちていないのにさとりをたなどとうそをついてはならない。ただし自信じしん過剰かじょうによるおもがりの場合ばあいのぞく。また、仏教ぶっきょう教団きょうだんとしてのそうとぎ調和ちょうわいちじるしくみだすようなことや、そのありかたえてはならない。
  • そうざんほう [じゅうさんヶ条かじょう]
  • 不定ふていほう [ヶ条かじょう]
  • あま薩耆いっひさげほう [さんじゅうヶ条かじょう]
  • なみいっひさげほう [きゅうじゅうヶ条かじょう]
  • なみひさげひさげしゃあまほう [よんヶ条かじょう]
  • しゅうがくほう [ひゃくヶ条かじょう]
  • めついさかいほう [ななヶ条かじょう]

剃髪ていはつ

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僧侶そうりょ規律きりつとして剃髪ていはつがある。また、剃髪ていはつした僧侶そうりょが、還俗げんぞくしてかみばすことは蓄髪ちくはつ(ちくはつ)という[22]

ちなみに、『小事しょうじ犍度』には、にしたぶさ梵志(バラモン教ばらもんきょう僧侶そうりょ)は頭髪とうはつばして、それをあたまうえにしてめていた。しかし仏教ぶっきょうでは「そう長髪ちょうはつもたすべからず。カ月かげつもしくはゆびあいだゆるす」とつたえ、『よんふんりつ』では、「おうひげかみるべし。きょくちょうながりょうゆび、もしくはカ月かげついちする。これはきょくちょうなり」としるし、『じゅう誦律』は、「ろくぐん比丘びくかみめてかしめ、めてながくしていたときに、かみめてながからしめるべからず」といた。ただし、人気にんきのないしずかな場所ばしょどくじゅうして修行しゅぎょうするはやしじゅう比丘びく[ちゅう 11]場合ばあいながすんやく6cm)までは無罪むざいであるとする。[23]

大衆たいしゅうりつには、釈尊しゃくそんは「よんカ月かげついち剃髪ていはつをされた」[24]伝承でんしょうされている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 「サンガとは、中国ちゅうごくで「しゅう」という意味いみである。「戒律かいりつまも出家しゅっけしゃ比丘びく)がいちしょ和合わごうすること、これをサンガというのである。」原文げんぶん:「そうとぎはたしゅうという。おおくの比丘びくいちしょ和合わごうする。これをそうとぎとなずく」(『大智たいちろん 』)
  2. ^ 鑑真がんじん和上わじょうの戒や、その中国ちゅうごく伝来でんらいの戒につながる真言宗しんごんしゅう真言しんごんりつむね南都なんとろくむねりつむね法相ほうしょうむねなどは本来ほんらい具足ぐそく保持ほじすべきである。チベット仏教ぶっきょうも、主要しゅようよんニンマカギュサキャゲルクすべ具足ぐそく戒をさずかるが、ニンマとカギュ妻帯さいたいみと[7]、サキャ教団きょうだん法主ほっしゅ歴代れきだい世襲せしゅうせいであり、
  3. ^ 天台宗てんだいしゅうおよびそこから派生はせいした諸宗しょしゅう基本きほんてき具足ぐそく戒を伝授でんじゅされない。カギュ具足ぐそく戒よりタントラの実践じっせんヨーガを重視じゅうしし、女犯にょぼん戒や飲酒いんしゅ不問ふもんとするのが現状げんじょうとなっている。
  4. ^ このとき嵯峨天皇さがてんのうさづけた授戒じゅかい証明しょうめいしょである『ひかりてい戒牒』(国宝こくほうひろじん14ねん4がつ14にちづけ)が比叡山ひえいざんのこされている。
  5. ^ これらの戒をやぶれば大乗だいじょう戒の「なみえびすざい」となる。[16]
  6. ^ 比叡山ひえいざん結界けっかいない、または特定とくてい寺院じいんないこもって、そこからそとることを禁止きんしし、学問がくもん修行しゅぎょう完成かんせい尽力じんりょくした。
  7. ^ インド仏教ぶっきょうにはない、「終末しゅうまつ思想しそう」にもとづく中国ちゅうごく仏教ぶっきょう独自どくじ末法まっぽうかん背景はいけいとした日本にっぽんぬきしょ最澄さいちょう死後しごの400ねんて、出典しゅってんけいめいあやまりがおお誤字ごじ脱字だつじられるので、最澄さいちょう仮託かたくされるも文献ぶんけんがくまとには「偽書ぎしょ」とされる。ぬきしょとしての性格せいかくから鎌倉かまくら仏教ぶっきょうあたえた影響えいきょうおおきく、法然ほうねん(1133-1212)の『逆修ぎゃくしゅ説法せっぽうとうをはじめとして、日蓮にちれんの『よんしんひん』、親鸞しんらん(1173-1263)の『教行信証きょうぎょうしんしょう』、栄西えいさい(1141-1215)の『きょうぜん護国ごこくろん』にようするところから、かく宗派しゅうはそうまなぶにおいては神聖しんせいされ、最澄さいちょう著作ちょさくとしてうたがうことをゆるさない。いわゆるぬきしょ時代じだいわり出現しゅつげんし、中国ちゅうごくでは革命かくめい思想しそうけともなったが、このしょ本来ほんらい目的もくてきはなれて、日本にっぽん仏教ぶっきょうにおける戒律かいりつ否定ひていおおきな原因げんいんとなった。
  8. ^ 浄土真宗じょうどしんしゅうには、開祖かいそ親鸞しんらん還俗げんぞくしたのを先例せんれいとして、正式せいしきそうはいない。現在げんざい実質じっしつじょう僧侶そうりょぶべき人々ひとびとはいるが、浄土真宗じょうどしんしゅうでは受戒じゅかいはまったくおこなわず、形式けいしきじょうも、実践じっせんてきにも僧侶そうりょではない。
  9. ^ とく男色なんしょく弊害へいがいしめ好例こうれいとして、みずからの男性だんせい遍歴へんれき告白こくはくする文書ぶんしょのこした東大寺とうだいじ僧侶そうりょむねせいをあげることができる[18]
  10. ^ このはん明代あきよの『大蔵経だいぞうきょう』にもとづくもので、別名べつめいを『てつばん大蔵経だいぞうきょう』ともばれる。
  11. ^ ともえ: āraññika-bhikkhu, おもねねり比丘びく

出典しゅってん

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  1. ^ Buswell, Robert Jr.; Lopez, Donald S. Jr., eds (2013). Princeton Dictionary of Buddhism. Princeton, NJ: Princeton University Press. ISBN 9780691157863 
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  5. ^ 宮元みやもと 2005, p. 87.
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  9. ^ 四津よつたに 2003, p. 97.
  10. ^ 小林こばやし 2000, p. 39.
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  13. ^ 『梵網菩薩戒ぼさつかいけい』(四季しきしゃ)、pp.21-23。『梵網けい』(大蔵おおくら出版しゅっぱん)、pp.75-76。
  14. ^ 『梵網菩薩戒ぼさつかいけい』(四季しきしゃ)、pp.25-27。『梵網けい』(大蔵おおくら出版しゅっぱん)、pp.88-89。
  15. ^ 『梵網菩薩戒ぼさつかいけい』(四季しきしゃ)、pp.30-31。『梵網戒』(大蔵おおくら出版しゅっぱん)、pp.99-100。
  16. ^ めぐみたに 1976, p. 46.
  17. ^ 末法まっぽうとう明記めいき』(安居あんきょ事務所じむしょ)、[引用いんよう]p9、[末法まっぽうとう明記めいき原文げんぶん]pp.176-205。
  18. ^ 松尾まつお 2008, pp. 70–80, 95–96.
  19. ^ 叡尊えいそん教団きょうだんにおける戒律かいりつ復興ふっこう運動うんどう』、p21-41。
  20. ^ 東元ひがしもと 1982, pp. 52–54, 56.
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  22. ^ 蓄髪ちくはつ」 - 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん小学しょうがくかん
  23. ^ ふつざいおうしゃじょう。(…)なんじろくぐん比丘びくとめかみれいちょうふつごとおうとめかみれいちょうわかとめしゃ突吉わかおもねねり比丘びくちょういたりすん無罪むざい。」(『じゅう誦律』まきだいさんじゅうなな
  24. ^ ふくふつじゅうしゃまもるじょうこうせつ如上じょじょうなんじ世尊せそんよんがついち剃髪ていはつ世人せじん聞仏剃髪ていはつおく種種しゅじゅ供養くよう」(『訶僧祇律』じゅうはち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 浅井あさいしょうぜん ちょ初心しょしん修行しゅぎょうしゃ戒律かいりつ - 訳註やくちゅう教戒きょうかい律儀りちぎ」- 』(中川なかがわよしきょう校訂こうてい教誡きょうかいしんがく比丘びくぎょうまもる律儀りちぎ」)、高野山こうのやま出版しゅっぱんしゃ、2010年刊ねんかん
  • 鈴木すずき修学しゅうがく ちょ仏説ぶっせつかん普賢菩薩ふげんぼさつ行法ぎょうほうけい』、青山あおやま書院しょいん昭和しょうわ57年刊ねんかん
  • 岩井いわいけんあきら ちょ叡尊えいそん教団きょうだんにおける戒律かいりつ復興ふっこう運動うんどう』(「歴史れきし研究けんきゅう」、№36)、大阪教育大学おおさかきょういくだいがく歴史れきしがく研究けんきゅうしつ、1999年刊ねんかん
  • 『梵網菩薩戒ぼさつかいけい』、株式会社かぶしきがいしゃ 四季しきしゃ、2002年刊ねんかん
  • 石田いしだみずほすり ちょ 『梵網けい』、大蔵おおくら出版しゅっぱん株式会社かぶしきがいしゃ、2002年刊ねんかん
  • 壬生みぶだいしゅん ちょ日本にっぽん仏教ぶっきょう だいさんかん叡山えいざん新風しんぷう山家やまや学生がくせいしき最澄さいちょう)、入唐にっとう求法ぐほう巡礼じゅんれい円仁えんにん)」、筑摩書房ちくましょぼう昭和しょうわ42ねん(1977ねんかん
  • めぐみたにたかしえんひたぶる概説がいせつ浄土宗じょうどしゅう宗務庁しゅうむちょう、1976ねん 
  • 松原まつばらゆうぜん ちょ末法まっぽうとう明記めいき』(非売品ひばいひん)、安居あんきょ事務所じむしょ昭和しょうわ35ねん(1960ねんかん
    • 松原まつばらゆうよし ちょ末法まっぽうとう明記めいき研究けんきゅう』、法蔵館ほうぞうかん、1978年刊ねんかん。[上記じょうき再版さいはん
  • 中村なかむらもと岩波いわなみ仏教ぶっきょう辞典じてん』(だい2はん岩波書店いわなみしょてん、1989ねんISBN 4-00-080072-8 
  • 柴山しばやまぜんけい秋月あきづきりゅう珉『講座こうざ ぜん だいかん ぜん実践じっせん筑摩書房ちくましょぼう、1967ねん 
  • 東元ひがしもと, 慶喜よしのぶ (1982). 釈尊しゃくそん正風しょうふうかいのひとびと〔含 しゃくきょうしかりゃく年譜ねんぷ〕”. 駒沢大学こまざわだいがく仏教ぶっきょう学部がくぶ研究けんきゅう紀要きよう (駒澤大学こまざわだいがく) (40): 51-61. https://ci.nii.ac.jp/naid/110007014839. 
  • 小林こばやし, 信彦のぶひこ (2000). 教団きょうだんほう(戒律かいりつ)と心掛こころがけ(戒) : 日本人にっぽんじんづかなかった区別くべつ. 桃山学院大学ももやまがくいんだいがく総合そうごう研究所けんきゅうじょ紀要きよう (桃山学院大学ももやまがくいんだいがく総合そうごう研究所けんきゅうじょ) 25 (2): 35-50. http://id.nii.ac.jp/1420/00001029/. 
  • 松尾まつおつよし破戒はかい男色なんしょく仏教ぶっきょう平凡社へいぼんしゃ平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ〉、2008ねん 
  • よん津谷つや孝道たかみち「チベット仏教ぶっきょうにおける継承けいしょう相続そうぞく」『日本にっぽん仏教ぶっきょう学会がっかい年報ねんぽうだい69かん日本にっぽん仏教ぶっきょう学会がっかい西部せいぶ事務所じむしょ、2003ねん、95-103ぺーじ 

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