四諦
パーリ |
चत्तारि अरियसच्चानि (cattāri ariyasaccāni) |
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チベット |
འཕགས་པའི་བདེན་པ་བཞི་ (Wylie: 'phags pa'i bden pa bzhi THL: pakpé denpa shyi) |
ビルマ |
သစ္စာလေးပါး (IPA: [ |
(拼音: sìshèngdì) | |
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Хутагт дөрвөн үнэн (Khutagt durvun unen) |
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Tứ Diệu Đế ( |
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/40/Astasahasrika_Prajnaparamita_Dharmacakra_Discourse.jpeg/320px-Astasahasrika_Prajnaparamita_Dharmacakra_Discourse.jpeg)
苦 諦 (くたい) -迷 いのこの世 は一切 が苦 (ドゥッカ)であるという真実 [4][5][7]。集 諦 (じったい) -苦 の原因 は煩悩 ・妄執 、求 めて飽 かない愛執 であるという真実 [4][5][7]。滅 諦 (めったい) -苦 の原因 の滅 という真実 [4]。無常 の世 を超 え、執着 を断 つことが、苦 しみを滅 した悟 りの境地 であるということ[4][7]。道 諦 (どうたい) -悟 りに導 く実践 という真実 [4]。悟 りに至 るためには八 正道 によるべきであるということ[4][5][7]。
四 つの真理 [編集 ]
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苦 諦 [編集 ]
愛別離苦 (あいべつりく) -愛 する対象 と別 れること- 怨憎
会 苦 (おんぞうえく) -憎 む対象 に出会 うこと 求 不 得 苦 (ぐふとっく) -求 めても得 られないこと五蘊 盛 苦 (ごうんじょうく) -五蘊 (身体 ・感覚 ・概念 ・決心 ・記憶 )に執着 すること
集 諦 [編集 ]
滅 諦 [編集 ]
道 諦 [編集 ]
宗派 ごとの扱 い[編集 ]
有 部 教学 の修 証 論 [編集 ]
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大乗 仏教 [編集 ]
仏典 における扱 い[編集 ]
パーリ仏典 [編集 ]
パーリ
示 (Saccañāṅa; これこそ苦 であるなどと四諦 をそれぞれ示 すこと)勧 (Kiccañāṅa;苦 は知 るべきものであるなどと四諦 の修行 を勧 めること)証 (Katañāṅa;私 はすでに苦 を知 ったなどと四諦 を証 したことを明 らかにすること)
Yato ca kho me bhikkhave, imesu catusu ariyasaccesu evaṃ tiparivaṭṭaṃ dvādasākāraṃ yathābhūtaṃ ñāṇadassanaṃ suvisuddhaṃ ahosi. Athāhaṃ bhikkhave, sadevake loke samārake sabuhmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya anuttaraṃ sammāsambodhiṃ abhisambudadho paccaññāsiṃ
比丘 たちよ、私 はこれら四諦 の三 段階 (tiparivaṭṭaṃ)十 二 側面 (dvādasākāraṃ)の、如実 な知見 (ñāṇadassanaṃ)を得 て清浄 となったので、それゆえ私 は、天 部 、悪魔 、沙門 婆羅門 の人々 、天人 らが達 したことがない、無 上正 等 覚 (sammāsambodhiṃ)に至 ったと宣言 したのである。
三 転 十 二 行 相 :真理 を理解 する、真理 に対 するアクションを示 す、そのアクションを実践 する[9]。苦 諦 :生 は苦 であると真理 を知 る。苦 の真理 は理解 可能 である。苦 の真理 を理解 する。集 諦 :苦 の原因 は渇愛だと知 る。渇愛は滅 すべきと知 る。渇愛を滅 することを目指 す。滅 諦 :苦 を滅 した境地 が涅槃 だと知 る。涅槃 を達成 すべきと知 る。涅槃 の達成 に努 める。道 諦 :涅槃 への道 は八 正道 だと知 る。八 正道 を実践 すべきと知 る。八 正道 の完成 を目指 す。
パーリ
大 般涅槃経[編集 ]
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苦 聖 諦 - この
世 の苦 を明 らかに徹 見 し、如来 常住 の真理 を会得 すること。また常住 の法 身 を信 じないことが生死 の苦 の根源 であると知 ること。 集 聖 諦 苦 の根源 は煩悩 妄執 であることを徹 見 し、それに対 して如来 の深 法 は常住 にして不変 易 であり、窮 まりないと證 知 すること。また非 法 を先 とし正法 を断滅 することが生死 の苦悩 を受 け集 める原因 であると知 ること。滅 聖 諦 苦 の原因 である一切 の煩悩 を除 き、苦 を滅 することが悟 りの境地 であるが、如来 の秘密 蔵 (ひみつぞう)を正 しく知 り修 智 (しゅち)すれば、煩悩 があっても除 くことができる。また、衆生 の一人 一 人 が自己 に内蔵 する如来 蔵 (にょらいぞう)(仏性 )を信 ずる一念 が苦 を滅 するということ。道 聖 諦 仏道 修行 を通 して一体 三宝 (仏法僧 は差別 なく一体 である)と解脱 涅槃 の常住 不変 易 を知 り、修習 すること。また如来 が常住 不変 易 であるから、三宝 の一体 、解脱 は涅槃 経 の2つも常住 不変 易 であると知 ること。
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
出典 [編集 ]
- ^ a b c d e f g h
岩波 仏教 辞典 1989, p. 360. - ^
水野 弘 元 『増補 改訂 パーリ語 辞典 』春秋 社 、2013年 3月 、増補 改訂 版 第 4刷 、p.124 - ^ a b
中村 元 『広 説 佛教 語 大 辞典 』中 巻 東京書籍 、2001年 6月 、680頁 。 - ^ a b c d e f g h
中村 元 『広 説 佛教 語 大 辞典 』中 巻 東京書籍 、2001年 6月 、670頁 。 - ^ a b c d e f g h i j k l m
総合 仏教 大 辞典 編集 委員 会 『総合 仏教 大 辞典 』法蔵館 、1988年 1月 、550-551頁 。 - ^ a b c d e アルボムッレ・スマナサーラ 2015, Kindle
版 、位置 No.全 2025中 134 / 7%. - ^ a b c d e f “
四諦 (シタイ)とは - コトバンク”.朝日新聞社 . 2017年 7月 23日 閲覧 。 - ^ a b c d
今枝 2015, p. 92. - ^ a b アルボムッレ・スマナサーラ『テーラワーダ
仏教 「自 ら確 かめる」ブッダの教 え』(kindle)Evolving、2018年 、Chapt.22。ISBN 978-4804613574。 - ^
岩波 仏教 辞典 1989, p. 325. - ^ パーリ
仏典 ,律蔵 大 品 犍度 1.大 犍度, Sri Lanka Tripitaka Project - ^ a b
中村 元 『ゴータマ・ブッダ :釈尊 の生涯 』春秋 社 、1969年 。 - ^
長尾 雅人 (責任 編集 ) 『世界 の名著 1 バラモン経典 原始 仏典 』中央公論社 、1969年 、503-537頁 。 - ^
三枝 2009, p. 197~198.
参考 文献 [編集 ]
中村 元 他 『岩波 仏教 辞典 』(第 2版 )岩波書店 、1989年 。ISBN 4-00-080072-8。今枝 由郎 訳 『ダンマパダ ブッダの<真理 の言葉 >』(改訂 第 1刷 )トランスビュー、2015年 。ISBN 978-4-7987-0142-4。中村 元 、三枝 充 悳 『バウッダ(佛教 )』講談社 学術 文庫 、2009年 。ISBN 978-4-06-291973-9。- アルボムッレ・スマナサーラ『
苦 の見方 』サンガ、2015年 。ISBN 978-4865640199。