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(仏教ぶっきょう)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
仏教ぶっきょう用語ようご
パーリ dukkha
(Dev: दुक्ख)
サンスクリット duḥkha
(Dev: दुःख)
日本語にほんご
英語えいご suffering, pain, unsatisfactoriness, etc.
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仏教ぶっきょうにおける(く、ともえ: dukkha: दुःख, duḥkhaぞう: sdug pa)とは、くるしみやなや[1]精神せいしん肉体にくたいなやませる状態じょうたい[2]対義語たいぎごらく

仏教ぶっきょう無常むじょう無我むがみっつでさんそう形成けいせいする[3]四諦したいよっつすべてはかんする真理しんりである[4]仏教ぶっきょうは、この滅尽めつじんをめざす学問がくもん体系たいけいである。

語源ごげん

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「ドゥッカ」の「ドゥッ」(duḥ = dus)は、「わるい」という意味いみ、「カ」(kha) は「空間くうかん」、「あな」の意味いみである。ウィンスロップ・サージェント(Winthrop Sargeant)によれば、「ドゥッカ」という言葉ことば車軸しゃじくなかとおっておらず、心地ごこちわるよう由来ゆらいするという。サージェントによれば、ドゥッカとは、もともと「わる車軸しゃじくあな」というような意味いみをもち、てんじて「不快ふかい」を意味いみした[5]

四苦八苦しくはっく

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四諦したいのひとつ、たいかれたもの[6]

  • なま
  • ろう
  • 病苦びょうく
  • 愛別離苦あいべつりく
  • 怨憎かい
  • もとめとく
  • 蘊取蘊

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このような精神せいしんてき肉体にくたいてきとは、人間にんげん自身じしん内的ないてきであるから、これをうちといい、他人たにんから迫害はくがいされたり、自然しぜんちからによってなやまされたりするふうあめさむねつなどのそととよぶ場合ばあいもある。

さん

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様相ようそう状態じょうたい(dukkhatā)をさんといい、、壊苦(えく)、くだりみっつである。

Tisso imā āvuso dukkhatā, dukkhadukkhatā saṅkhāradukkhatā vipariṇāmadukkhatā. Imā kho āvuso tisso dukkhatāti.

ともよ、にはさんそうがある。しょうくだりしょう、壊苦しょうともよ、これがさんしょうである。

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(くく、duḥkha-duḥkha) とは、「苦痛くつうとする状態じょうたい」を意味いみする。「ごとるによって成立せいりつする」などと説明せつめいされ、「さむねつかつえによってしょうずる」といわれるから、外的がいてきな、感覚かんかくてきである。このような人間にんげんにとってだいいち段階だんかいで、自然しぜんてき基礎きそてきなものである。[独自どくじ研究けんきゅう?]

壊苦(えく、vipariṇāma-duḥkha) とは「壊滅かいめつ状態じょうたい」である。「ヴィパリナーマ」とは「わるほう変化へんかする」という意味いみであるから、このましくない状態じょうたいをあらわすのである。「らくごとるによってなりずる」とも説明せつめいされる。「壊滅かいめつ」とは、そのてんで「らくさかい壊滅かいめつ」(らくきょうえめつ)の意味いみであるという。すなわち、人間にんげんにとってこのもしいとかんずる対象たいしょうが、次々つぎつぎとこわされてゆくときかんずるである。このだいなかに、人間にんげん一般いっぱんかんずるふくまれる。[独自どくじ研究けんきゅう?]

vi+pariṇāmapariṇāmaは、唯識ゆいしきでいう「識の転変てんぺん(vijñāna-pariṇāma)」とほぼおな意味いみ使つかわれていることからも、この壊苦は「しん変化へんかおうじてしょうずるくるしみ」のことしている、とかんがえられる。[独自どくじ研究けんきゅう?]

くだり

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くだり(ぎょうく、saṃskāra-duḥkha) とは生起せいき状態じょうたい」といわれる[よう出典しゅってん]くだりサンカーラ)の意味いみは、「つくられたもの」ということで、生存せいぞんしていること自体じたいしているから、一切いっさい存在そんざい無常むじょうであることによって遷りながれてゆくところにかんじとられるである。とくに、人間にんげん生存せいぞん無常むじょうという事実じじつなかかんずるであるから、生存せいぞんきること自身じしんであることをしめした。[よう出典しゅってん]

したがって、も壊苦も、このくだり根本こんぽんとしてってくるといえる。[独自どくじ研究けんきゅう?]その意味いみで、くだり五蘊ごうんもりは、人間にんげん根本こんぽんてきしめす。仏教ぶっきょうは、根本こんぽんてきにはきていること自体じたいであるという形而上学けいじじょうがくてきかんがかたをもととして、人間にんげんの「自分じぶんが」という我執がしゅうこそ根本こんぽんであるとう。

様々さまざま解釈かいしゃく

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「dukkha」と「くるしみ」はことなり、「くるしみ」は、dukkhaの一部いちぶにすぎないとする立場たちばもある[7]アルボムッレ・スマナサーラによると、釈迦しゃかくdukkhaは、現代げんだいの「」とは別物べつものである。現代げんだい具体ぐたいてきには、肉体にくたいてき苦痛くつう精神せいしんてき苦痛くつうとがあるが、スマナサーラによれば仏教ぶっきょうくdukkhaには、「くるしみ」、「むなしいこと」、「不完全ふかんぜんであること」、「無常むじょうであること」の4つの意味いみふくまれるという[8]

英訳えいやくについて

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仏教ぶっきょう経典きょうてん現代げんだいてき翻訳ほんやくしゃは、さまざまな英単語えいたんご使用しようして duḥkha の側面そくめんつたえている。初期しょき西洋せいよう経典きょうてん翻訳ほんやくしゃ(1970年代ねんだい以前いぜん)は、一般いっぱんてきにパーリの dukkha をsufferingと翻訳ほんやくしていた。翻訳ほんやくしゃは、sufferingでは duḥkha という用語ようご翻訳ほんやく限定げんていてきすぎることを強調きょうちょうし、duḥkha と翻訳ほんやくのままにするか、anxiety、stress、frustration、unease、unsatisfactorinessなどの用語ようごでその翻訳ほんやく明確めいかくにすることをこのんだ[9][10]おおくの現代げんだい学者がくしゃ翻訳ほんやくしゃは、unsatisfactorinessという用語ようご使用しようしてdukkhaの微妙びみょう側面そくめん強調きょうちょうしている[11][12][13][14][15]

  • Suffering (Harvey, Williams, Keown, Anderson, Gombrich, Thich Nhat Hanh, Ajahn Succito, Chogyam Trungpa, Rupert Gethin, Dalai Lama, et al.)
  • Pain (Harvey, Williams, Keown, Anderson, Huxter, Gombrich, et al)
  • Unsatisfactoriness (Dalai Lama, Bhikkhu Bodhi, Rupert Gethin, et al.)
  • Stress (Thanissaro Bhikkhu[16][17])
  • Sorrow
  • Anguish
  • Affliction (Brazier)
  • Dissatisfaction (Pema Chodron, Chogyam Trunpa)
  • Distress (Walpola Rahula)
  • Frustration (Dalai Lama, Four Noble Truths, p. 38)
  • Misery
  • Anxiety (Chogyam Trungpa, The Truth of Suffering, pp. 8–10)
  • Uneasiness (Chogyam Trungpa)
  • Unease (Rupert Gethin)
  • Unhappiness

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 三枝さえぐさたかしとく」 - 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)小学しょうがくかん
  2. ^ 」 - 大辞林だいじりん だいさんはん三省堂さんせいどう
  3. ^ アルボムッレ・スマナサーラ 2015, Kindleばん位置いちNo.ぜん2025ちゅう 3 / 0%.
  4. ^ アルボムッレ・スマナサーラ 2015, Kindleばん位置いちNo.ぜん2025ちゅう 134 / 7%.
  5. ^ Sargeant, Winthrop , The Bhagavad Gita, SUNY Press, 2009. p.303
  6. ^ みなみでん大蔵経だいぞうきょう, 律蔵りつぞうだい犍度
  7. ^ アルボムッレ・スマナサーラ無我むが見方みかた』サンガ、2012ねん、Kindleばん位置いちNo.ぜん1930ちゅう 134 / 7%。ISBN 978-4905425069 
  8. ^ アルボムッレ・スマナサーラ 2015, Kindleばん位置いちNo.ぜん2025ちゅう 1078 / 53%.
  9. ^ Prebish 1993, [よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう].
  10. ^ Keown 2003, [よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう].
  11. ^ Dalai Lama 1998, p. 38.
  12. ^ Gethin 1998, p. 61.
  13. ^ Smith & Novak 2009, Kindle location 2769[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう].
  14. ^ Keown 2000, Kindle Locations 932-934[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう].
  15. ^ Bhikkhu Bodhi 2011, p. 6.
  16. ^ https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn56/sn56.011.than.html
  17. ^ https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn22/sn22.086.than.html bottom

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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