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ちょ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ちょちゃく
310ねん - 390ねんころ395ねん - 470ねんころ
興福寺こうふくじちょぞう
尊称そんしょう ちょ菩薩ぼさつ
生地きじ インド
宗派しゅうは 唯識ゆいしき
弥勒みろく
弟子でし おや
著作ちょさく大乗だいじょうろん
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ちょちゃく むじゃく / むぢゃく、: Asaṅga アサンガ、ぞう: thogs med)は、インド大乗だいじょう仏教ぶっきょう唯識ゆいしき学者がくしゃなま没年ぼつねんしょうである[1]

経歴けいれき

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かつてインド西北せいほく位置いちしたガンダーラくに現在げんざいのパキスタン、ペシャーワル地方ちほう)にバラモン階級かいきゅうとして誕生たんじょうちちはカウシカ(Kauśika、憍尸迦)、はははヴィリンチ(Viriñci比隣ひりん)であったとされ、おとうとが2にんおり、3にん兄弟きょうだい長男ちょうなんであったとされる[2]実弟じっていうち次男じなんほうせつ一切いっさいゆうから唯識ゆいしき転向てんこうして大成たいせいしたおや(ヴァスバンドゥ)。三男さんなんほうせつ一切いっさいゆう阿羅漢あらかんヴィリンチヴァッツァ(比隣ひりんばつしゃば[3]Viriñcivatsa[3])。兄弟きょうだい全員ぜんいんおや(ヴァスバンドゥ)という名前なまえであるが、長男ちょうなんはアサンガ(ちょ)、三男さんなんはヴィリンチヴァッツァという別名べつめいばれるため、「おや」というもっぱ次男じなんのことをす。

はじ仏教ぶっきょうにおいて出家しゅっけ[ちゅう 1]瞑想めいそうもとづく欲望よくぼうからの離脱りだつほう修得しゅうとくした。「そら」の教理きょうり理解りかいできないため自殺じさつしようとなやんでいたとき、東方とうほう、ヴィデーハこく現在げんざいのビハールしゅう北部ほくぶ)のピンドーラ(Piṇḍolaまろうどあたま阿羅漢あらかん出会であい、ようやくそらかんをも体得たいとくした。

しかし、これに満足まんぞくできないちょは、インド中部ちゅうぶアヨーディヤー現在げんざいのアウド)におもむき、大乗だいじょう仏教ぶっきょう修行しゅぎょうひとつである瑜伽ゆがぎょうつとめ、大乗だいじょう仏教徒ぶっきょうととなった。伝説でんせつによるとこのときかれ神通力じんずうりきかぶとりつてんかい、そこで弥勒みろくマイトレーヤ)から大乗だいじょう仏教ぶっきょうそら思想しそうまなんだのだという[5]。また、人々ひとびとにも、弥勒みろく直接ちょくせつ瑜伽ゆがろん』(『じゅうななけい』)をくように要請ようせいし、ちょがその解説かいせつをすることにした。これが唯識ゆいしき思想しそう流布るふ端緒たんしょとされる。かれ弥勒みろくから日光にっこう三昧ざんまいおしえられていたので、大乗だいじょう教義きょうぎ容易ようい理解りかいし、記憶きおくすることができたという。晩年ばんねんには、大乗だいじょう誹謗ひぼうするおやをアヨーディヤーにせ、転向てんこうさせた。おやあにとともに偉大いだいなる大乗だいじょう仏教ぶっきょうしゃとしてられるようになった。

おも著作ちょさく

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  • 大乗だいじょうろん』(しょうだいじょうろん)
  • 顕揚けんよう聖教せいきょうろん』(けんようしょうぎょうろん、: Śāsanasphūrti [6][7])
  • 大乗だいじょうおもね達磨だるましゅうろん』(だいじょうあびだつまじゅうろん)
  • じゅんちゅうろんよしにゅうだい般若はんにゃ波羅蜜はらみつけいはつひん法門ほうもん』(じゅんちゅうろんぎにゅうだいはんにゃはらみつきょうしょぼんほうもん)-※『じゅんちゅうろん』とりゃくされる。
  • ろくもん教授きょうじゅ習定ろん』(ろくもんきょうじゅしゅうじょうろん)
  • きむつよし般若はんにゃろん』(こんごうはんにゃろん)
  • 大乗だいじょう荘厳しょうごん経論きょうろん[8](だいじょうしょうごんきょうろん)- ※かんやくでは著作ちょさくとされるが、チベットやくでは韻文いんぶん弥勒みろくさく散文さんぶんおやさくとされる。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん』では、「310 - 390ねんころ」としているが、中村なかむらはじめへん、『岩波いわなみ 仏教ぶっきょう辞典じてん だいはん』では、「395-470ごろ」としている。
  2. ^ ちょ」 - 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん
  3. ^ a b Funayama 2008, p. 174.
  4. ^ はかまたに憲昭のりあきちょ」 - 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)小学しょうがくかん
  5. ^ 唯識ゆいしきこうすみてらホームページ)
  6. ^ Jong-Nam Choi - Die dreifache Schulung (Śikṣā) im frühen Yogācāra: Der 7. Band des Hsien-yang shêng-chiao lun (Alt- und Neu-Indische Studien, Band 54) , Franz Steiner Verlag, 2001, p.5
  7. ^ 松田まつだ 1982, p. 420.
  8. ^ 大乗だいじょう荘厳しょうごん経論きょうろん』『大乗だいじょうろんしゃくこう註本は「新国にいくにやく大蔵経だいぞうきょう 瑜伽ゆが唯識ゆいしき大蔵おおくら出版しゅっぱん にある

参考さんこう文献ぶんけん

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