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瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき学派がくは

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唯識ゆいしきから転送てんそう
仏教ぶっきょう用語ようご
瑜伽ゆがぎょう, Yogachara
チベット རྣལ་འབྱོར་སྤྱོད་པ་
(rnal 'byor spyod pa)
中国ちゅうごく 唯識ゆいしき瑜伽ゆがぎょう
(拼音Wéishí Yúqiexíng Pài)
日本語にほんご 瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき
(マ字まじ: Yugagyō Yuishiki Ha)
朝鮮ちょうせん 유식유가행파
(RR: Yusik-Yugahaeng-pa)
英語えいご representation-only, Yoga Practice School, Consciousness-Only School, Subjective Realism, Mind-Only School
ベトナム Du-già Hành Tông
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瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき学派がくは(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗だいじょう仏教ぶっきょう学派がくはのひとつで、唯識ゆいしき教学きょうがく唱導しょうどうした学派がくはである。 唯識ゆいしき瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき: विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽ゆがぎょう (: योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)ともう。

ヨーガ(=瑜伽ゆが(ゆが))の実践じっせんなか唯識ゆいしき体験たいけん教理きょうりにまとめた。 とりあえずこころ(識)だけはかり存在そんざいするとかんがえ、深層しんそう意識いしきおもねよりゆき耶識自分じぶん意識いしき外界がいかいにあると認識にんしきされるものもしているとかんがえ(唯識ゆいしきさかい)、最終さいしゅうてきにはおもね耶識もまたそらであるとする(さかい識倶泯)。

沿革えんかく

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弥勒みろく(マイトレーヤ)をとし、ちょ(アサンガ)・おや(ヴァスバンドゥ)が教学きょうがく大成たいせいした。のち、論理ろんりがく完成かんせいしたちん(ディグナーガ)、『なり唯識ゆいしきろん』の思想しそう展開てんかいした護法ごほう(ダルマパーラ)などがている。

瑜伽ゆがぎょうは、インド大乗だいじょう仏教ぶっきょう史上しじょうそらちゅうかんとともにだい思潮しちょう形成けいせいしたが、6-7世紀せいきごろからなかかんとのあいだによく論争ろんそうおこなわれるようになり、一方いっぽう教学きょうがくじょう統合とうごううごきもあった。後代こうだいにはインド一般いっぱんには「唯識ゆいしき」とばれた。

ひがしアジアにはとう時代じだいげん三蔵さんぞう法師ほうし)の仏典ぶってん請来しょうらいにより体系たいけいがもたらされ、唯識ゆいしきもと法相ほうしょうむねてられた。日本にっぽんへは奈良なら時代じだい伝来でんらいした。興福寺こうふくじ薬師寺やくしじつたわっている。

おも系譜けいふ

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初期しょき
あい唯識ゆいしき ゆうしょう唯識ゆいしき
中期ちゅうき


唯識ゆいしきじゅうだいろん


唯識ゆいしきじゅうだいろん


脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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