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ヨーガ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
庭園ていえんましますヨーギー

ヨーガまたはヨガサンスクリット: योग; 発音はつおん [joːɡɐ] ())は、古代こだいインド発祥はっしょう伝統でんとうてき宗教しゅうきょうてきぎょうほうであり、瞑想めいそうおもとする。現代げんだいにおいては身体しんたいてきエクササイズふくまれる。

元来がんらいは、心身しんしん感覚かんかく器官きかん鍛錬たんれんによって制御せいぎょし、精神せいしん統一とういつし、しんはたらきをとめほろぼさせ(不動ふどうしん)、古代こだいインドの人生じんせい究極きゅうきょく目標もくひょうである輪廻りんねからの「解脱げだつ(モークシャ)」にいたろうとするものである[1][2][3]

かんやく相合そうごうなり成就じょうじゅ精勤せいきん修行しゅぎょうなど、音訳おんやく瑜伽ゆが(ゆが)[4]仏教ぶっきょうヒンドゥーきょう修行しゅぎょうほう源流げんりゅうであり、インドでは宗教しゅうきょう宗派しゅうはちがいをえ、インドのしょ宗教しゅうきょうふかむすびつき、バラモン教ばらもんきょうヒンドゥーきょう仏教ぶっきょうジャイナきょうひとし修行しゅぎょうほうとしておこなわれ、多様たよう展開てんかい[5][6]。ヨーガは、インドてき仏教ぶっきょうてき伝統でんとうにおいて、さとりにいたるための精神せいしん集中しゅうちゅうしん統一とういつともな行法ぎょうほう自体じたいと、その世界せかいをトータルにあらわ言葉ことばである[7][5][6]

静的せいてき瞑想めいそうであるヨーガのながれとはべつに、密教みっきょうではタントラてきヨーガがおこなわれた。仏教ぶっきょうがヨーガを重視じゅうしすることでヒンドゥーきょうのヨーガとの融合ゆうごうすす[8]、10-13世紀せいきには、活動かつどうてき身体しんたいてき変容へんようろんふくむ、タントラてき動的どうてきなヨーガであるハタ・ヨーガがある程度ていど完成かんせいをみている[9][10][11]

また、智慧ちえのヨーガ、かみへの信愛しんあいのヨーガ、行為こういのヨーガといった宗教しゅうきょう実践じっせんみち意味いみでももちいられる。

1990年代ねんだい後半こうはんから世界せかいてき流行りゅうこうしている、身体しんたいてきポーズ(アーサナ)を中心ちゅうしんにしたフィットネスのような「現代げんだいのヨーガ」は、宗教しゅうきょうしょくはいした身体しんたいてきエクササイズとしておこなわれているが、宗教しゅうきょうてき実践じっせんである「本来ほんらいのヨーガ」とはべつ潮流ちょうりゅうである[6]

概説がいせつ

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森林しんりんはい樹下じゅかなどで沈思ちんし黙考もっこうひた修行しゅぎょう形態けいたいは、インドでは紀元前きげんぜんさかのぼふる時代じだいからおこなわれていたとわれている[12]いにしえウパニシャッドの『カタ・ウパニシャッド』では、感覚かんかく器官きかん(インドリヤ、感官かんかん)の堅固けんごそう制御せいぎょ)がヨーガであるとされており[13]、インドの宗教しゅうきょう仏教ぶっきょう研究けんきゅうしゃ奈良なら康明やすあきは、ヨーガを簡潔かんけつ説明せつめいすると、呼吸こきゅう調整ちょうせいしながら、あるものを思念しねん瞑想めいそうし、ついには恍惚こうこつ状態じょうたいとなってその対象たいしょう合体がったいする技法ぎほうであるとしている[14]。インド哲学てつがく研究けんきゅうしゃしまいわは、基本きほんてき意識いしきいちてん集中しゅうちゅうする瞑想めいそう技法ぎほうであり、しんはたらきをとめほろぼさせることを目的もくてきとすると説明せつめいしている[3]。インド思想しそう研究けんきゅうしゃ保坂ほさか俊司しゅんじは、インドてき仏教ぶっきょうてき伝統でんとうにおいては、さとりにいたるための精神せいしん集中しゅうちゅうしん統一とういつともな行法ぎょうほう自体じたいと、その世界せかいをトータルにあらわ言葉ことばとして「ヨーガ」があり、密教みっきょう手法しゅほうふくめた瞑想めいそうほう念仏ねんぶつ唱題座禅ざぜん[† 1]など 仏教ぶっきょうくだりのすべてはヨーガの範疇はんちゅうはいるとしている[7]

ヨーガは元々もともと肉体にくたい訓練くんれん精神せいしん修練しゅうれんかたむすびついた宗教しゅうきょうてき救済きゅうさい技術ぎじゅつであり、解脱げだつ宗教しゅうきょうてき至福しふく目的もくてきとする[16]身心しんしんしょ訓練くんれん健康けんこう保持ほじ目的もくてきとする実際じっさいてきな「技術ぎじゅつ」という性格せいかくつよいが、当初とうしょ健康けんこう目的もくてきとはしていなかった[17][18]

梵我一如いちにょ達成たっせい再度さいど輪廻りんね)をだっする解脱げだつは、伝統でんとうてき特定とくていバラモンのみがおこなえる祭式さいしきちからによって可能かのうになるとされていたが、だれでも実践じっせんできる修行しゅぎょう苦行くぎょうによって、のちにヨーガ(静的せいてきなヨーガ)によって達成たっせいできるとかんがえられるようになった[19]。ヨーガの伝統でんとう紀元前きげんぜん7 - 6世紀せいきごろ萌芽ほうががみられるが、ヨーガという言葉ことばおよ思想しそうは、インドのなが歴史れきしにおいては比較的ひかくてきあたらしいものである[20][21]

ヨーガはインドのしょ宗教しゅうきょうおこなわれており、仏教ぶっきょう各派かくはでもそれぞれ独自どくじ修行しゅぎょうほう発展はってんした[5]紀元前きげんぜん4 - 6世紀せいきには、仏教ぶっきょう開祖かいそであるブッダ(ガウタマ・シッダールタ、釈迦しゃか)、ジャイナきょう開祖かいそマハーヴィーラ大雄たいゆう)が、当時とうじはまだ発達はったつだったヨーガの伝統でんとう沿って瞑想めいそう修行しゅぎょうおこなっており、ジャイナきょうでもヨーガの修行しゅぎょう必須ひっすとなっている[2][22]仏教ぶっきょうでいう禅定ぜんじょう止観しかん、またはマンダラもちいた瞑想めいそうほうなども広義こうぎのヨーガといえ、ヨーガの行法ぎょうほう中国ちゅうごく日本にっぽんにもつたえられた[23]

初期しょき仏教ぶっきょう - 大乗だいじょう仏教ぶっきょうにおけるヨーガ

個体こたい精神せいしんてき至福しふく追求ついきゅうするヨーガの行法ぎょうほうは、初期しょき仏教ぶっきょうにおいて重視じゅうしされた[24]仏教ぶっきょう誕生たんじょう衰退すいたいするまでの5・6世紀せいき - 10・13世紀せいきには、インドのヨーガにおいて仏教ぶっきょうのヨーガが主流しゅりゅうもしくは大動脈だいどうみゃくひとつであった[25]ウパニシャッド時代じだい初期しょきには、正統せいとうバラモン階級かいきゅう解脱げだつ可能かのうせい祭式さいしきによってしょうじるものだとかんがえており、個人こじんがヨーガの実践じっせんとおして智慧ちえ解脱げだつするみちは、仏教ぶっきょうのような(正統せいとうバラモン階級かいきゅうからて)異端いたん集団しゅうだんでまず重視じゅうしされるようになった[26]保坂ほさか俊司しゅんじによると、ブッダはヨーガをまんにん解放かいほうされた智慧ちえによる解脱げだつみちとして重視じゅうししてさい構成こうせいし、だい転換てんかんをもたらした[27]

ヒンドゥーきょうバラモン教ばらもんきょう)の古典こてんヨーガの発展はってん先行せんこうし、3 - 5世紀せいきのインドの大乗だいじょう仏教ぶっきょうでは、ヨーガのじつおさむこの瑜伽ゆが(ゆがし、ヨーガ行者ぎょうじゃ)によって、般若はんにゃそら思想しそう修行しゅぎょうしゃのヨーガの最中さいちゅう体験たいけんをベースに、徹底てっていした主観しゅかんてき観念論かんねんろん哲学てつがく体系たいけい構築こうちくした瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき瑜伽ゆがぎょう、ヨーガチャーラ)がまれた[28][29][22]かれらはヨーガのじつおさむつうじ、人間にんげん日常にちじょうてき経験けいけんする事象じしょうはすべてしんつくしたイメージでしかなく、こころそのものは存在そんざいせず、根源こんげんてきしん識のみが唯一ゆいいつ実在じつざいである(唯識ゆいしき)とき、この唯識ゆいしきかん理解りかいおのれのものとし最終さいしゅうてきさとりの境地きょうち到達とうたつするには、ヨーガによる段階だんかいてき実践じっせんがあってはじめて可能かのうになるとした[30]

日本にっぽんには仏教ぶっきょう修行しゅぎょうほうとしてヨーガがつたわり、なが伝統でんとうつが、日本人にっぽんじん伝統でんとう精神せいしんがインドのヨーガにつうじていると認識にんしきしている日本人にっぽんじんはほとんどいない[25]

バラモン教ばらもんきょう(ヒンドゥーきょう)の古典こてんヨーガ

いきおいがおとろえていたヴェーダの宗教しゅうきょう仏教ぶっきょう土着どちゃく信仰しんこうれてしょうじたバラモン教ばらもんきょうヒンドゥーきょう)もまた、個体こたい精神せいしんてき至福しふく追及ついきゅう重視じゅうしするようになった[24]正統せいとうバラモン教ばらもんきょうのヨーガ(古典こてんヨーガ)は、4-6世紀せいきごろ体系たいけいされたとかんがえられている[31]古典こてんヨーガによる解脱げだつ目指めざヨーガ学派がくは瑜伽ゆが)の教典きょうてんヨーガ・スートラ瑜伽ゆがけい)』が現在げんざいのこされているが、ヨーガの萌芽ほうががみられた紀元前きげんぜん6-7世紀せいきから1000ねん以上いじょうのち成立せいりつしている[20]。ヨーガの発祥はっしょうからかなりの時間じかん経過けいかしており、ヨーガ学派がくは伝統でんとうなかには様々さまざま瞑想めいそう体系たいけいはいりこまれ、仏教ぶっきょう影響えいきょうがうかがえる[20][24]仏教ぶっきょう理論りろんバラモン教ばらもんきょうのヨーガの体系たいけいけにれられたとかんがえられており、バラモン教ばらもんきょう仏教ぶっきょう相互そうご影響えいきょうつよく、不可分ふかぶん関係かんけいであるといえる[32]。しかし、『ヨーガ・スートラ』が仏教ぶっきょう影響えいきょうけていることは、インドのヨーガ関係かんけいしゃあいだではあまり重視じゅうしされていない[33]

『ヨーガ・スートラ』前後ぜんこう成立せいりつした後期こうきウパニシャッドは、ヨーガの実践じっせんくことがおおきな特徴とくちょうひとつであり、正統せいとうバラモン教ばらもんきょうではヨーガ学派がくはかぎられずヨーガがおこなわれた[34][† 2]ウパニシャッド梵我一如いちにょ思想しそうながれをくむ解脱げだつへのみちジュニャーナ・マールガ(さとしどう知識ちしきみち)では、感覚かんかく器官きかん抑制よくせいし、輪廻りんね根源こんげんとなる行為こうい、さらにその根源こんげんである欲望よくぼう必要ひつようがあったため、感覚かんかく器官きかんしんうごきを抑制よくせいするヨーガは解脱げだつへの手段しゅだんとして重視じゅうしされた[14][† 3]。とはいえ、ヨーガ学派がくははヨーガ自体じたい解脱げだつへの方法ほうほう做したが、ヒンドゥーきょう全般ぜんぱんると、ヨーガは解脱げだつへのみち一種いっしゅ補助ほじょてき手段しゅだんぎない[14]

中世ちゅうせいのタントラてきヨガ

ヒンドゥーきょう修行しゅぎょうしゃ苦行くぎょうおこなったが、苦行くぎょう苦行くぎょうしゃだけでなく、祭祀さいしにおいてもきよしとうのためにおこなわれたので、祭祀さいしつうじて一般いっぱんし、ヨーガも影響えいきょうけ、後代こうだいでは苦行くぎょう採用さいようされるようになった[35]

ヒンドゥーきょうでのすくいへのみち上位じょういカーストの男子だんしかぎられ、中世ちゅうせいには、下層かそうみんにも救済きゅうさいみちひらこうと、人格じんかくしんへの熱狂ねっきょうてき信愛しんあいであるバクティ現世げんせい肯定こうてい欲望よくぼう解脱げだつのエネルギーに変換へんかんしようという民衆みんしゅうのタントラの宗教しゅうきょうてき潮流ちょうりゅうしょうじた[36]。タントラした仏教ぶっきょうである密教みっきょうでは象徴しょうちょうもちいてふつ合一ごういつ(ヨーガ)することが目指めざされたが、8世紀せいきになると、ヒンドゥーきょうシャークタシャクティせいりょく信仰しんこうから影響えいきょうけたとされる男性だんせい原理げんり女性じょせい原理げんり合一ごういつ目指めざすタントラ仏教ぶっきょう後期こうき密教みっきょう)が登場とうじょうし、せいヨーガも実践じっせんされた。

タントラの潮流ちょうりゅうなかで、ヒンドゥーきょうヨーガもタントラし、性的せいてき動的どうてき要素ようそつヨーガとなった。肉体にくたいてき生理せいりてき鍛錬たんれん苦行くぎょう)を重視じゅうしし、ながれをろんじ、肉体にくたい能力のうりょく限界げんかいいどみ、だい宇宙うちゅう絶対ぜったいしゃブラフマンとの合一ごういつ目指めざハタ・ヨーガ[2]とそのヴァリエーションである[37]。「ハタ」は「ちから暴力ぼうりょく頑固がんこ」などを意味いみする[37]。ハタ・ヨーガの教義きょうぎてき意味いみは、シヴァとシャクティ、太陽たいようつき個体こたい宇宙うちゅうなどの二元にげん速成そくせいなる統合とうごうおこなう「速成そくせいの」ヨーガである[38]。ハタ・ヨーガはヨーガの密教みっきょうはんともいうべきもので、11-12世紀せいきシヴァナータ英語えいごばん(ナート)のゴーラクシャナータ英語えいごばん(ヒンディーでゴーラクナート)をとし[37]、ナータはん仏教徒ぶっきょうとてきな、はんシヴァてき両者りょうしゃじりった形態けいたいだった。ムドラーしるししょう)や、プラーナーヤーマ調しらべいき呼吸こきゅうほう)、シャットカルマ(浄化じょうかほう)などの身体しんたいてき修練しゅうれん重視じゅうしし、肉体にくたいこそ解脱げだつげんしょうすべき聖地せいちであり、肉体にくたい鍛錬たんれん唯一ゆいいつ儀礼ぎれいであるといて、正統せいとうヒンドゥーきょう神像しんぞう礼拝れいはい儀礼ぎれい聖地せいち巡礼じゅんれい形骸けいがいした形式けいしき主義しゅぎ批判ひはんした[39]

ハタ・ヨーガの主張しゅちょうはヒンドゥーきょうシヴァやタントラ仏教ぶっきょう後期こうき密教みっきょう)の聖典せいてんぐんタントラ)、『バルドゥ・トェ・ドル(チベット死者ししゃしょ)』のせつ共通きょうつうてんおおく、プラーナ生命せいめいふう)、ナーディーみゃくかん)、チャクラ(ナーディーのくさむら)が重要じゅうよう概念がいねんとなっている[2]。ハタ・ヨーガとチャクラの理論りろん密接みっせつむすびついているのにたいし、古典こてんヨーガとチャクラの理論りろん直接ちょくせつ関係かんけいはない[40][41]仏教ぶっきょうもタントラを密教みっきょう仏教ぶっきょうタントラ)がしょうじたが、ヒンドゥーきょうのタントラより密教みっきょう様々さまざま教派きょうは先行せんこうして発展はってんおり[42]、ハタ・ヨーガの身心しんしんかんは、密教みっきょうのヨーガにもみられる。性的せいてき観念かんねんもちいる密教みっきょうせいヨーガは、インド密教みっきょうからチベット密教みっきょうがれた。

現代げんだいのヨーガ

今日きょうヨーガとばれるもののおお動的どうてきなヨーガだが、伝統でんとうてきなハタ・ヨーガのながれとはべつである。1990年代ねんだい後半こうはんから、身体しんたいてきポーズ(アーサナ)に重点じゅうてんいたヨーガがアメリカ、イギリスなどの英語えいごけん中心ちゅうしん世界せかいてき流行りゅうこうしている[43]現代げんだいでは、一般いっぱんに“ヨーガ(ヨガ)”または“ハタ・ヨーガ“とばれるもののおおくは、このヨーガをしている。このきん現代げんだいのヨーガは、日本にっぽんにおいてもアメリカなどの影響えいきょうにより、今世紀こんせいきはいって爆発ばくはつてきひろがりをせている。その特徴とくちょうは「アーサナ(ポーズ)」の実践じっせんにある。宗教しゅうきょう学者がくしゃのエリザベス・ド・ミシェリスはこうしたヨーガを「現代げんだい体操たいそうヨーガ(Modern Postural Yoga)」とんでいる[44]。この現代げんだいの「ヨーガ教室きょうしつとうおしえられているヨーガは、20世紀せいき前半ぜんはんのインドで西洋せいよう体操たいそうやボディビルディングなどの外来がいらい身体しんたい鍛錬たんれん英語えいごばんれてインドじんのための国産こくさんエクササイズをつくろうとするうごきからまれた「つくられた伝統でんとう」を直接的ちょくせつてき起源きげんとしており、マーク・シングルトン英語えいごばんは、現代げんだいのヨーガと元来がんらいのヨーガにおける「yoga」とはなる「同音どうおん異義いぎ」であるとひょうしている[45]

このヨーガは、アメリカで「スピリチュアル実践じっせん」とも解釈かいしゃくされている[43]おおくの現代げんだいじんはヨーガに「インド古来こらいの、なにむずかしいポーズをとる、健康けんこういらしいもの」というイメージをっており、現代げんだいヨーガは流派りゅうはによって練習れんしゅう内容ないようことなりはしても、「古代こだいインドの修行しゅぎょうほう」「アーサナ(ポーズ)・呼吸こきゅうプラーナーヤーマ調しらべいき)・瞑想めいそう」」、「科学かがくてき検証けんしょうされた健康けんこう効果こうか」という3てんから構成こうせいされ、この神話しんわてき要素ようそともいえる3つのからいが魅力みりょくになり、人気にんきはくしているというろんがある[46]。しかし、現代げんだいヨーガのチャクラ理論りろんは、西洋せいようじんオカルティストによってハタ・ヨーガの身心しんしんろんをもとに20世紀せいきにアレンジされたものであり、古代こだいインドの概念がいねんではない[47]。ヨーガの歴史れきしは、古来こらいよりつづく、時代じだい超越ちょうえつしたひとつの伝統でんとうてき修行しゅぎょうほうというロマンティックな物語ものがたりとして、一般いっぱんに(とくにマーケティング戦略せんりゃくとして)かなりひろまっているが、こうした物語ものがたり西洋せいようじんのロマンティックなオリエンタリズム東洋とうようがく影響えいきょうけている[48]。もともと宗教しゅうきょうてき実践じっせんであったヨーガは対価たいかはらってならうような「商品しょうひん」ではなかったが、ひろくブームになっている現代げんだいのヨーガは、専門せんもんスタジオやフィットネス・クラブにおいて有料ゆうりょう提供ていきょうされる「商品しょうひん」となっている[49]

きん現代げんだいのヨーガの歴史れきしかんする研究けんきゅうは、エリザベス・ド・ミシェリス、ジョセフ・アルター英語えいごばん、マーク・シングルトンなどの学者がくしゃによって、この20ねんあいだ着実ちゃくじつ発展はってんしてきた[48]おもにインドのイギリス植民しょくみん時代じだい最盛さいせいからの発展はってん変容へんよう焦点しょうてんて、18世紀せいきから21世紀せいきまでの実践じっせん思想しそうながれを探求たんきゅうし、今日きょう一般いっぱんてきにみられるヨーガがどのように徐々じょじょ形成けいせいされたのか解明かいめいされてきた[48]。こうした研究けんきゅうにより、ヘンリー・トーマス・コールブルックのような東洋とうよう学者がくしゃヴィヴェーカーナンダといったインドの著名ちょめいじん、そしてかみ智学ちがく協会きょうかい、ヨーロッパのボディビル体操たいそうのグループまで、多様たよう団体だんたい影響えいきょうあきらかになってきている[48]

健康けんこうへの効果こうか危険きけんせい

現代げんだいヨーガは、健康けんこうほうとしておおくの効果こうか喧伝けんでんされる一方いっぽう心身しんしんたいする様々さまざま危険きけんせい指摘してきされている[50][51]

現代げんだいヨーガの利便りべんせい危険きけんせい

また現代げんだいでは、様々さまざま文献ぶんけん翻訳ほんやく執筆しっぴつされ容易ようい入手にゅうしゅできるので、書籍しょせき映像えいぞうにより独習どくしゅうされることもすくなくない。ヨーガをれていたオウム真理教おうむしんりきょう教祖きょうそ麻原あさはら彰晃しょうこうは、正規せいきのグルにつかず文献ぶんけんもと独学どくがく修行しゅぎょうしているが(インドのガンゴトリのパイロット・ババのもとで修業しゅぎょうしていたことがあるが途中とちゅう自分じぶんさとったとして一方いっぽうてき帰国きこくしている[よう出典しゅってん])、このことがのちに様々さまざま問題もんだいしょうぜしめた要因よういんひとつであるともわれている[52][53]。その一方いっぽうアヌサラ・ヨーガ英語えいごばんビクラム・ヨーガといった巨大きょだいヨーガ教室きょうしつのトップがセクハラ、パワハラ、せい犯罪はんざい告発こくはつされるなどの権力けんりょく乱用らんようもあり、商業しょうぎょうされた現代げんだいのヨーガで、指導しどうしゃ帰依きえすることは妥当だとうかどうか疑問ぎもんたれている[54]

欧米おうべい日本にっぽんにおける女性じょせい

ヨーガはインドでは伝統でんとうてきにおおむね男性だんせいのものであり、現在げんざいもインドでは指導しどうしゃだい部分ぶぶん男性だんせいであるといわれるが、欧米おうべいでは指導しどうしゃ実践じっせんしゃおも女性じょせいで、女性じょせいてき実践じっせんとして受容じゅようされている[55][56]日本にっぽんでは、オウム真理教おうむしんりきょう事件じけんにイメージを一新いっしんしようとフィットネスてきヨーガをわか女性じょせいにターゲットひろめ、流行りゅうこうしたため、この傾向けいこうがさらに顕著けんちょであり、都市としより地方ちほう極端きょくたん女性じょせい実践じっせんしゃおお[56]現代げんだい日本にっぽんのヨーガでは、「よし」の観念かんねん強調きょうちょうされ、マタニティ・ヨーガや親子おやこヨーガなど妊娠にんしん出産しゅっさんという生殖せいしょく中心ちゅうしんとした女性じょせい身体しんたいへの意味いみづけをめぐる実践じっせん活況かっきょうである[56]。また、ヨーガは伝統でんとうてきせいとのつながりがつよく、欧米おうべいではヨーガの実践じっせんでセックスが向上こうじょうするというかんがえはよくられ、それを目的もくてきにヨーガをおこなひとすくなくないが、日本にっぽんでは生殖せいしょく直結ちょっけつする文脈ぶんみゃくのぞき、性的せいてき要素ようそはほぼ完全かんぜん排除はいじょされている[56]

「ヨーガ」という言葉ことば

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サンスクリットのヨーガ (योग) は、「牛馬ぎゅうばにくびきをつけてくるまにつなぐ」という意味いみ動詞どうし √yuj(ユジュ)から派生はせいした名詞めいしで、「むすびつける」という意味いみもある[12]。つまり語源ごげんてきると、牛馬ぎゅうばぎょするように心身しんしん制御せいぎょするということを示唆しさしており、「くびき(くびき)」を意味いみする英語えいごyokeと同根どうこんである。『リグ・ヴェーダ』では、精神せいしん統一とういつ瞑想めいそう意味いみする yoga の用法ようほうはほとんどられない[57]。バラモン階級かいきゅう中心ちゅうしん伝承でんしょうされたのは祭式さいしき祭儀さいぎ)や呪術じゅじゅつ中心ちゅうしんとする信仰しんこうであり、アーリアじん祭祀さいしおこなうことで目指めざしたのは yoga-kṣema(労働ろうどう休息きゅうそく獲得かくとく所有しょゆう)であり、一般いっぱんてきうと「しあわせ」「快適かいてき」であったといえる[57]。この場合ばあいの yoga は、しあわせを獲得かくとくすることであった[57]。「牛馬ぎゅうばにくびきをつけてくるまにつなぐ」から派生はせいし、もの実施じっし適用てきよう手段しゅだん方策ほうさく策略さくりゃく魔術まじゅつ合一ごういつ接触せっしょく結合けつごう集中しゅうちゅう努力どりょくしん統一とういつ瞑想めいそうしずかおもんばか(じょうりょ)という意味いみがある[4]最初さいしょ具体ぐたいてきにものをむすけるという意味いみ使つかわれ、いで抽象ちゅうしょうてきなもののむすびつきについて使つかわれるようになり、さらにしん対象たいしょうとのむすびつきを意味いみするようになったとかんがえられる[4]

ヨーガが発展はってん体系たいけいしていった初期しょきには、しん三昧ざんまいむすけるというように「結合けつごう」「合一ごういつ」を意味いみしており、『ヨーガ・スートラ』は「ヨーガとはしん作用さようのニローダである」(だい1しょう2せつ)と定義ていぎしている[16][58](ニローダは静止せいし制御せいぎょ[59])。森本もりもと達雄たつおによると、それは、実践じっせんしゃがすすんで森林しんりん樹下じゅか閑静かんせい場所ばしょし、牛馬ぎゅうばくびきをかけて奔放ほんぽううごきをコントロールするように、みずからの感覚かんかく器官きかん制御せいぎょし、瞑想めいそうによって精神せいしん集中しゅうちゅうする(むすびつける)ことをつうじて「(日常にちじょうてきな)しん作用さようとめめっする」ことを意味いみする[12]

ヨーギニー女神めがみぞう、10世紀せいき

日本にっぽんでは一般いっぱんに「ヨガ」というられているが、サンスクリットでは「यो」(ヨー)のつねちょう母音ぼいんなので「ヨーガ」と発音はつおんされる[† 4]かんやく相合そうごうなり成就じょうじゅ精勤せいきん修行しゅぎょうなど、音訳おんやく瑜伽ゆが(ゆが)[4]中国ちゅうごく瑜伽ゆが瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき呼称こしょうでもあったため、区別くべつのためか、修行しゅぎょうほうとしてのヨーガを言葉ことばとしてはあまり使つかわれていない[60]

古典こてんヨーガ(ラージャ・ヨーガ)やハタ・ヨーガというときのヨーガがしているのは、くだりほうでありその体系たいけいであった。古典こてんヨーガの経典きょうてん『ヨーガ・スートラ』よりもあたらしいヨーガをつたえる『バガヴァッド・ギーター』はヨーガの聖典せいてんでもあるが、ここでのヨーガの用法ようほうは『ヨーガ・スートラ』よりひろく、宗教しゅうきょう実践じっせんみち方法ほうほう修行しゅぎょう全般ぜんぱんをも意味いみすると解釈かいしゃくできる[61][16]仏教ぶっきょうではヨーガという言葉ことばは、修行しゅぎょうただしいありかたといった意味いみでも使つかわれていた[62]

ヨーガの行者ぎょうじゃ日本にっぽんでは一般いっぱんにヨーギーまたはヨギとばれるが、ヨーガ行者ぎょうじゃすサンスクリットの名詞めいし語幹ごかん男性だんせい名詞めいしとしてはヨーギン (योगिन्、瑜祇)、女性じょせい名詞めいしとしてはヨーギニー (योगिनी、瑜伽ゆがおんな) であり、ヨーギーはヨーギンの単数たんすう主格しゅかくがた日本語にほんごにすると「一人ひとり男性だんせい行者ぎょうじゃは」)にたる[63]。インド研究けんきゅう伊藤いとうたけしによると、サンスクリットのヨーギニーに「ヨーガをする女性じょせい」の意味いみはない[64]現代げんだい日本にっぽんではヨーガをおこな女性じょせいぞくにヨギーニとぶことがあるが、前述ぜんじゅつのようにサンスクリットでは「ヨー」はつねちょう母音ぼいんなので、女性じょせい名詞めいしはヨーギニー (yoginī) であってヨギーニではない[65]。ヨギーニは英語えいごみに由来ゆらいする発音はつおんだと説明せつめいするほんもあるが[66]英語えいご発音はつおん/'joʊgəni/ (ヨウギニ)または /'joʊgəniː/ (ヨウギニー)である。ヨギーニという日本にっぽん固有こゆうあたらしい呼称こしょうには、ヨーガにいたオウム真理教おうむしんりきょうのイメージを払拭ふっしょくしようというヨーガ関係かんけいしゃ意図いとがあるようである[49]

修行しゅぎょうしゃ男性だんせいであった[† 5]タントリズム性的せいてきヨーガにおいて、男性だんせい行者ぎょうじゃ性行為せいこうい相手あいてをする女性じょせいがヨーギニーとばれていた[† 6]みなみインドで、おやむすめ神殿しんでんかみデーヴァ)にとつがせる宗教しゅうきょうじょう風習ふうしゅうデーヴァダーシーかみ召使めしつかい)の対象たいしょうとなった女性じょせいもヨーギニーとばれた[75]彼女かのじょたちは伝統でんとう舞踊ぶよう伝承でんしょうする巫女ふじょであり[76]神聖しんせい娼婦しょうふ上位じょういカーストのための娼婦しょうふであった[75][77](1988ねんまで合法ごうほうであった[75])。

インドの歴史れきし

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ヨーガ以前いぜん

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紀元前きげんぜん2500-1500ねんごろ彫像ちょうぞう

ヨーガの起源きげんには不明ふめいてんおおく、その成立せいりつ時期じき確定かくていすることはむずかしい。ヨーガの起源きげんもっとふるくにるものは、紀元前きげんぜん2500ねん-1800ねんインダス文明ぶんめいに、そのとお起源きげんつとするもので、これは20世紀せいき初頭しょとう考古こうこ学者がくしゃたちによってかんがされたものである[78]。1921ねんモヘンジョ・ダロハラッパー遺跡いせき発掘はっくつした考古こうこ学者がくしゃのジョン・マーシャルらは、発掘はっくつされた印章いんしょうられた図像ずぞうを、すわほうおこなっているシヴァしん原型げんけいであると解釈かいしゃくした[78]。そこから宗教しゅうきょう学者がくしゃエリアーデも、これを「塑造された最初さいしょのヨーガ行者ぎょうじゃ表象ひょうしょう」であるとした[78]近代きんだいいたるヨーガの歴史れきし研究けんきゅうしたマーク・シングルトンは、この印章いんしょうがのちにヨーガとばれたものであるかは、かなりうたがわしいものであったが、古代こだいのヨーガの起源きげんとしてたびたび引用いんようされるようになった、とべている[78]日本にっぽん出版しゅっぱんされているヨーガにかんする書物しょもつでも、インダス文明ぶんめいにヨーガの起源きげんをみるとする立場たちばるものもおおい。

しかし、保田やすだ鶴治つるじ指摘してきするように、このような解釈かいしゃくは、あくまで推論すいろんいきないものであるという[79]。インダス文明ぶんめいには、文字もじらしきものはあっても解読かいどくにはいたっておらず、文字もじによって文献ぶんけんてき証明しょうめいすることのできない、物言ものいわぬ考古学こうこがくてき史料しりょうであり、すべては「推測すいそく以上いじょうすすむことはできない、と保田やすだべている[79]。また、インド学者がくしゃのドリス・スリニヴァサンも、この印章いんしょうられたぞうをシヴァしんとすることには無理むりがあり、これをヨーガ行法ぎょうほう源流げんりゅうすることに否定ひていてきであるとしている[80]近年きんねん、このようなインダス文明ぶんめい起源きげんせつ終止符しゅうしふとうとした宗教しゅうきょう人類じんるい学者がくしゃのジェフリー・サミュエルは、このような遺物いぶつからインダス文明ぶんめい人々ひとびと宗教しゅうきょうてき実践じっせんがどのようなものであったかをがかりはほとんどいとし、現代げんだいおこなわれているヨーガ実践じっせん過去かこ遺物いぶつているのであり、考古学こうこがくてき遺物いぶつのなかに過去かこ行法ぎょうほう実践じっせんくことはできないとしており[81]具体ぐたいてき証拠しょうこまったける研究けんきゅうむずかしさを物語ものがたっている。

インダス文明ぶんめいは、アーリアじんのインド侵入しんにゅうとともに衰退すいたいしたともいわれる。アーリアじん紀元前きげんぜん12世紀せいきころ編纂へんさんした『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ時代じだいには、「ヨーガ」やその動詞どうしがたの「ユジュ」といった単語たんごがよく登場とうじょうするが、これは「結合けつごうする」「家畜かちくつなぐ」といったそく物的ぶってき意味いみで、行法ぎょうほうとしてのヨーガを用例ようれいはない[82]比較ひかく宗教しゅうきょう学者がくしゃのマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義きょうぎのヴェーダの時代じだい)とべている[83]。その先住民せんじゅうみんドラヴィダじん)の土着どちゃく信仰しんこうがアーリアじん正統せいとうバラモン思想しそうけんれられるなかで、瞑想めいそう修行しゅぎょう基礎きそとする宗教しゅうきょうてき行為こういとしてのヨーガの思想しそう実践じっせん発展はってんしていったとおもわれる[16]

広義こうぎのヴェーダ文献ぶんけん最後さいごたるのが、ウパニシャッド奥義おうぎしょ)であり、バラモン教ばらもんきょう一群いちぐん聖典せいてん言葉ことばである[84]。ウパニシャッドの基本きほん思想しそうは、多様たよう多彩たさい変化へんかつづけるこの現象げんしょう世界せかいには、唯一ゆいいつ不変ふへん実体じったい(ブラフマン、梵)がその本質ほんしつとして存在そんざいし、人間にんげん個体こたい本質ほんしつ(アートマン、)はブラフマンと同一どういつであるという梵我一如いちにょ思想しそうである[84]個人こじん本体ほんたいだい宇宙うちゅう本体ほんたい同一どういつであり、なんらかけたところのない自身じしん本体ほんたい把握はあくするものは、だい宇宙うちゅう本体ほんたいものとできるとかんがえられた[84]。こうした実感じっかんは、ウパニシャッドの哲人てつじんたちによりのようなかたち断片だんぺんてきかたられていたが、徐々じょじょ論理ろんりてき整理せいりされていった[84]

ウパニシャッド時代じだいでは、単語たんごとしての「ヨーガ」が見出みいだされるもっとふる書物しょもつは、紀元前きげんぜん500ねん-紀元前きげんぜん400ねんの「いにしえウパニシャッド初期しょき」に成立せいりつした『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』である[85]。このしょでは、ヨーガというかたりは「ヨーガ・アートマー」という複合語ふくごうごとして記述きじゅつされているが、そのヨーガの意味いみは「不明ふめい」であるという[85]紀元前きげんぜん6世紀せいきから4世紀せいき成立せいりつしたとかんがえられる『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』では、ヨーガの実践じっせんはまだ明確めいかく定義ていぎされていない[86]

紀元前きげんぜん5世紀せいきには、ガンジスがわ平地ひらち政治せいじてき経済けいざいてき発展はってんがあり、ちいさなくに首領しゅりょうだったものクシャトリア王族おうぞく武士ぶし階級かいきゅうは、あらたにまれた都市とし支配しはいしゃそうになり、ヴァイシャ商人しょうにん階級かいきゅうは、経済けいざい発展はってんともなってとみ蓄積ちくせきりょく[87]世襲せしゅう祭祀さいし階級かいきゅうであったバラモンは、しょかみ崇拝すうはい祭祀さいし呪術じゅじゅつになっていたが、その祭祀さいし主義しゅぎ形式けいしきし、それまでの権威けんいうしなっていた[87]。クシャトリアとヴァイシャは、バラモン階級かいきゅう人々ひとびと同様どうようまたはそれ以上いじょう社会しゃかいてき地位ちいかれらにあたえるあたらしい宗教しゅうきょう関心かんしんった[87]世俗せぞくはなれて出家しゅっけしさまざまなあたらしい思想しそう展開てんかいする宗教しゅうきょうしゃたちがあらわれ、かれらは沙門しゃもん(サマナ、はげひと意味いみ)とばれた[87]。このようななかまれたのが、仏教ぶっきょうジャイナきょうであり、開祖かいそブッダ(ガウタマ・シッダールタ、釈迦しゃか紀元前きげんぜん5世紀せいきごろ)とマハーヴィーラはともにクシャトリヤ出身しゅっしんで、紀元前きげんぜん5世紀せいきごろ人物じんぶつである[87]仏教ぶっきょうとジャイナきょうは、ともに正統せいとうバラモン教ばらもんきょうからは異端いたんとされている。

仏教ぶっきょう

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ブッダのぞう

ブッダは当時とうじ禅定ぜんじょう第一人者だいいちにんしゃわれていた二人ふたりのバラモンから、所有しょゆうしょじょうしんしずめてなんらこだわるところがないという禅定ぜんじょう精神せいしん集中しゅうちゅうのヨーガの瞑想めいそう))と、そうそうしょじょうなにかをしんなかおもっているのではなく、またおもっていないのでもないという禅定ぜんじょう)にまなび、すぐにおなじレベルにたっした[88]。しかし、このたね精神せいしん集中しゅうちゅうのヨーガ、集中しゅうちゅうによる無念むねん無想むそう思考しこうは、心理しんりてきしん鍛錬たんれんではあり、瞑想めいそうあいだだけは欲望よくぼうになるが、それ自体じたい盲目的もうもくてきであり、瞑想めいそうちゅうにあたかも「不動ふどう境地きょうちた(さとり)」または「不動ふどう真理しんり合一ごういつした」とかんじても、瞑想めいそうわればふたたしん動揺どうようしてしまう[89][90]一時いちじてきなものであり、ブッダはこのやりかたではやすらぎの境地きょうち涅槃ねはん)、世界せかい存在そんざい根本こんぽんつらぬ真実しんじつであるさとりにたっすることはできないとかんじ、もとはなれた[88][89]

つづいて6ねんあいだ禅定ぜんじょうなら実践じっせん修行しゅぎょうであった苦行くぎょう(タパス)をおこなった[88]呼吸こきゅう抑制よくせいほう断食だんじきなどの苦行くぎょうとも瞑想めいそうおこない、これまで以上いじょう精神せいしん統一とういつおこなったが、満足まんぞくできる境地きょうちいたることはできなかった[91]青年せいねん時代じだいちちおも農耕のうこうまつりに外出がいしゅつしたさいに、したましましてはつぜん身心しんしん一致いっち安定あんていした状態じょうたい)にたっしたことをおもし、からだいやし、菩提樹ぼだいじゅした瞑想めいそうし、さとりにいたった[88]

しんはたらきをとめほろぼさせるヨーガの瞑想めいそうを「とめ(サマタ)」とぶが[22]、ブッダはこの行法ぎょうほうにより、人間にんげんの「」の根本こんぽん原因げんいんが「無明むみょう」であることを自覚じかくし、「じゅう因縁いんねん」を順逆じゅんぎゃく観想かんそうする「かん(ヴィパッサナー)」によって「無明むみょう」をだっしたとされる[22]経蔵きょうぞう中部ちゅうぶの『ひじりもとむけい』にかれるところによると、ブッダがさとりにいたるまでの段階だんかいは、ひろ省察せいさつ作用さよう)・考察こうさつ作用さよう)・よろこび)・安楽あんらくやすらぎ)のある瞑想めいそうから、らく自然しぜん清浄せいじょういたるまでの4段階だんかいよんぜんと、へん虚空こくうおもねんずる境地きょうち虚空こくう無辺むへんしょ)、認識にんしき作用さよう無辺むへんさをおもねんずる境地きょうち(識無しょ)、所有しょゆうおもねんずる境地きょうち所有しょゆうしょ)、そうそうしょじょうおもいや感覚かんかくはたらきがとめほろぼし、智慧ちえによってかん煩悩ぼんのう完全かんぜんほろぼした境地きょうちそう受滅)までの9段階だんかい整理せいりされるであろうとかんがえられる[92]。ブッダのさとりの内容ないようには複数ふくすう伝承でんしょうがあるが、平木ひらきひかりは、ようするに智慧ちえ慈悲じひこころ獲得かくとく解脱げだついたったと説明せつめいしている[88]さとりの内容ないようについては諸説しょせつがある。

仏教ぶっきょうは、ヴェーダの祭祀さいし思想しそう個人こじん内面ないめんしたさき成立せいりつした[93]当時とうじ修行しゅぎょうしゃおおくは、呪力じゅりょく獲得かくとく天界てんかいへの再生さいせい無限むげん至福しふく獲得かくとくといった現実げんじつてき個人こじんてき目的もくてきをもって修業しゅうぎょうはじめたが、ブッダは「ぜん」という抽象ちゅうしょうてきかつ普遍ふへんてきなものをもとめて出家しゅっけし、そこには個人こじんてき救済きゅうさいかんえた普遍ふへんせいがあった[94]。これは、かれ王子おうじであったことがおおきく影響えいきょうしているとおもわれる[94]。ブッダの意識いしきなか倫理りんりせい問題もんだいとしない現世げんせい利益りえき来世らいせ利益りえき追求ついきゅうする呪術じゅじゅつてきなヨーガはなかったとおもわれ[95]仏教ぶっきょうバラモン教ばらもんきょうのような祭祀さいしみとめず、祭祀さいし文献ぶんけん一切いっさいがなかった(ただし、のちにタントラをれた密教みっきょう祭祀さいしおこなうようになった)[93]

呪術じゅじゅつせいつよく、集中しゅうちゅうくだりであったヨーガは、ブッダによって、徹底てってい観察かんさつ考察こうさつ目指めざす、智慧ちえ獲得かくとくのためのくだりというパラダイムの転換てんかんがなされた[89][91]仏教ぶっきょう瑜伽ゆがぎょう(ヨーガ)は、ブッダがさとった「とめ」と「かん」が同時どうじおこなわれる止観しかんである[22]。ヨーガ観法かんぽう瞑想めいそうほう)をれて、このいのりと瞑想めいそう技術ぎじゅつ多様たよう発展はってんしたことが、仏教ぶっきょう特徴とくちょうであるといえる[96]。また、バラモン教ばらもんきょう先行せんこうして、哲学てつがくてき思索しさくふか教理きょうり体系たいけい論蔵ろんぞうアビダルマ)をつくげている[93]

仏教ぶっきょう出家しゅっけしゃは、日常にちじょう生活せいかつにおいてしたがうべき実践じっせんてき規律きりつ(シーラ)」をまも身心しんしん拘束こうそくすることで欲望よくぼう制御せいぎょまなび、瞑想めいそうすなわちヨーガ観法かんぽうじょう(サマーディ。しずかおもんばかぜん禅定ぜんじょう思惟しいおさむとも)」を実践じっせんするという2つの「修行しゅぎょう」の過程かてい仏教ぶっきょう哲学てつがく理論りろんとし」(パンニャー、般若はんにゃ)をまな[97]。この「さんがく」によってさとりをることを目指めざ[97][96]仏教ぶっきょうでは、さとりにみちび智慧ちえ(聞思おさむ洞察どうさつ)を修行しゅぎょう段階だんかいによって分類ぶんるいしており、他人たにんからおしえをいて了解りょうかいする智慧ちえ聞所ききどころなりとし)、道理どうり考察こうさつしてしょうずる智慧ちえおもえしょなりとし)、瞑想めいそう実践じっせんによって体得たいとくするただしい智慧ちえおさむしょなりとし観想かんそう)の3つがある[98]さとりは思考しこう到達とうたつできるものではなく、瞑想めいそう実践じっせんによってしょうじる智慧ちえによって到達とうたつできるとかんがえられているため、おさむしょなりとしもっと重視じゅうしされている[98]

瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき開祖かいそといわれるマイトレーヤナータ弥勒みろく

西暦せいれきまえ3世紀せいきなかばからのやく550年間ねんかん根本こんぽん分裂ぶんれつのちまれた仏教ぶっきょう繁栄はんえいと、大乗だいじょう仏教ぶっきょう発展はってんがみられた。3 - 5世紀せいきのインドの大乗だいじょう仏教ぶっきょうでは、ヨーガのじつおさむこの瑜伽ゆが(ゆがし、ヨーガ行者ぎょうじゃ)によって、般若はんにゃそら思想しそうと、修行しゅぎょうしゃのヨーガぎょう最中さいちゅう体験たいけん外界がいかい存在そんざい心象しんしょうえうせ根源こんげんてきしん識のみが唯一ゆいいつ実在じつざいとしてのこる(唯識ゆいしき体験たいけん教義きょうぎのベースとした思想しそう体系たいけいまれた[22]。この学派がくは瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき瑜伽ゆがぎょう、ヨーガチャーラ)とばれ(ヨーガ学派がくはばれることもあるが、バラモン教ばらもんきょうのヨーガ学派がくはとはべつである[32])、ちゅうかんなら大乗だいじょう仏教ぶっきょう思想しそう中核ちゅうかくいちであった(ちゅうかんではかんぎょうという行法ぎょうほうおこなわれた)。瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき基本きほんてきろんしょとして『ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ(瑜伽ゆがろん)』がある[28]。『ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ』では「しんよく精進しょうじん方便ほうべん」がヨーガであるとされ、正行まさゆきさとりをるために実践じっせんしなければならないただしい修行しゅぎょう)の要件ようけんがすべてふくまれるとされる[62]

瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしきは、外界がいかい対象たいしょう存在そんざい否定ひていし、人間にんげん日常にちじょうてき経験けいけんする事象じしょうはすべてしんつくしたイメージ(そう)にすぎず、こころそのものは存在そんざいせず、すべてはイメージをつくるものとつくられるものの仕組しくみに還元かんげんされるという徹底てっていした主観しゅかんてき観念論かんねんろん哲学てつがく体系たいけいつくり、しょ事象じしょう現象げんしょうせしめる原動力げんどうりょくとしてアーラヤ識(おもねよりゆき耶識根本こんぽんぞう識)を創案そうあんした[29][22][28]瑜伽ゆが行者ぎょうじゃ止観しかんぎょうふかまりのプロセスとして、「かて」・「ゆき」・「通達つうたつ」・「修習しゅうしゅう」・「究竟きゅうきょう」の「」がかれた[99]

瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしきは、中国ちゅうごくげんもとつうじ、日本にっぽん法相ほうしょうむね伝統でんとうつらなる[29][22]

7世紀せいき法相ほうしょうむねそうであるえんはかげん奘の門下もんか)は『かいふかみつけい疏』で、一切いっさいじょう上座かみざ仏教ぶっきょう大乗だいじょう仏教ぶっきょう)のさかい対象たいしょう)・ぎょう方法ほうほう)・はて結果けっか)のすべてが広義こうぎ瑜伽ゆがふくまれ、狭義きょうぎには止観しかんであるとしている[62]

ジャイナきょう

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古典こてんヨーガ以前いぜん

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ヨーガを本格ほんかくてきあつかうウパニシャッドは、仏教ぶっきょう影響えいきょうけて成立せいりつしており、ブッダ以後いご成立せいりつした「中期ちゅうきウパニシャッド」では、ヨーガの技法ぎほう初期しょきウパニシャッド以来いらい形而上学けいじじょうがくわさり、ウパニシャッドではじめて禅定ぜんじょう三昧ざんまいなどの行法ぎょうほう記載きさいされた[100][101]紀元前きげんぜん350ねん-紀元前きげんぜん300ねんころ成立せいりつしたのではないかとされる「中期ちゅうきウパニシャッド」の『カタ・ウパニシャッド(カータカ・ウパニシャッド)』には、ヨーガの最古さいこ説明せつめいすことができる[102]。ヨーガがはじめて内面ないめんてき修養しゅうようほうをはっきりとすようになり、知覚ちかく器官きかんマナス、ブッディが徹底的てっていてき統御とうぎょされた状態じょうたいがヨーガであり、それが最上さいじょう最高さいこう境地きょうちであり[20]自己じこ認識にんしきがヨーガの崇高すうこうなる目的もくてきであるとされている[86]。『その原因げんいんが、サーンキヤとヨーガによって到達とうたつされるべきものであるかみって、一切いっさい束縛そくばくから解放かいほうされる。』という記述きじゅつがあり、サーンキヤとヨーガが解脱げだつみちび方法ほうほうひとつであるとかんがえられていたと推察すいさつされる[103]。その後期こうきウパニシャッドの 『Cvetacvatara-Upanisad』において、呼吸こきゅう統御とうぎょについてかれ、コントロールが困難こんなんうまつないだくるまぎょするようにマナスを抑制よくせいし、呼吸こきゅう統御とうぎょし、ととのえながら、はなからいきくという方法ほうほうしめされた[20]

『バガヴァッド・ギーター』はヨーガの聖典せいてんでもあるが、ヨーガ行者ぎょうじゃ一人ひとり修業しゅぎょうすべきであり、節度せつどある生活せいかつをし、ヨーガ修行しゅぎょうすすんでしん統一とういつされると、理想りそうてき寂静じゃくじょういたるとかれている[104]仏教ぶっきょうおなじく苦行くぎょう否定ひていされており、ウパニシャッドよりもさらに中庸ちゅうようである[104]。『バガヴァッド・ギーター』では、カルマ・ヨーガ(行為こういみち)、ジュニヤーナ・ヨーガ(みち)、バクティ・ヨーガ(しんみち)がかれ、これらは独立どくりつしたみちとしてかれているとおもわれがちだが、3つのヨーガの総合そうごう理想りそうとして提示ていじされている[105]

しかし、ヨーガの目的もくてき崇高すうこうなものであるとされるにもかかわらず、宗教しゅうきょう学者がくしゃのエリック・デントンによると、ほとんどの初期しょきのサンスクリット文学ぶんがくでは、ヨーガによってちょう自然しぜんりょくシッディ英語えいごばんちょう能力のうりょく)をそなえたヨーギーたちは、悪役あくやくとしてえがかれている[86]。ヨーガをとおして「アートマンとブラフマンが同一どういつである」とさとまえに、かなりのちょう自然しぜんりょくにつくとかんがえられており、ヨーギーがちからとして、人間にんげん動物どうぶつからだ死体したいはいんでコントロールするちからがよくられていた[86]に、ぶ、しんむ、透明とうめいになる、過去かこいのちますといった能力のうりょくつヨーギーがえがかれているが、ちょう自然しぜんてきちからはほぼ悪用あくようされてえがかれていた[86]。17世紀せいきまでヨーギーは、おおむねくろ魔術まじゅつ魔法使まほうつかいとしてえがかれており、おそれられていたことがうかがえる[86]

古典こてんヨーガ

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パタンジャリの典型てんけいてきぞう

ウパニシャッド聖典せいてんにおいてごう(カルマ)と解脱げだつ思想しそう確立かくりつしてからは、それにさまざまに哲学てつがくてき解釈かいしゃくこころみられ、紀元きげん前後ぜんこうにはヴェーダの権威けんいをある程度ていどみとめるブラフマンたちによって、古典こてんヨーガを体系たいけい実践じっせんしたヨーガ学派がくは、ヨーガ学派がくは兄弟きょうだい学派がくはといわれるサーンキヤ学派がくはなど、いくつかの学派がくは宗派しゅうは)が成立せいりつした[106][† 7]

記録きろくのこるヨーガの最初さいしょ体系たいけいは、『マイトリー・ウパニシャッド』にしるされているろくささえ体系たいけいであるとかんがえられる[20]ろくささえプラーナーヤーマ調しらべほう)、プラティヤーハーラ(せいかん)、ディヤーナしずかおもんばか)、ダーラナー(しこりねん)、サマーディ(三昧ざんまい)の5つがのちの『ヨーガ・スートラ瑜伽ゆがけい)』のはちささえ共通きょうつうで、ヤマ(きん戒)、ニヤーマ(抑制よくせい)、アーサナほう)は存在そんざいせず、わりにタルカ(思慮しりょ)がふくまれる[108]。つまり、元々もともとヨーガ行者ぎょうじゃ生活せいかつにおいてまもるべき節制せっせい瞑想めいそうおこなさい外的がいてき条件じょうけんはなく、からくわえられたということである[108]

紀元きげん4-5世紀せいきごろには、『ヨーガ・スートラ瑜伽ゆがけい)』が編纂へんさんされた[109][110]同書どうしょはヨーガ学派がくは教典きょうてんである。瞑想めいそうおも命題めいだいとし、簡潔かんけつ短文たんぶん構成こうせいされており、4しょうからる。このしょ成立せいりつ紀元きげん3世紀せいき以前いぜんさかのぼらせることは、文献ぶんけんがくてき証拠しょうこから困難こんなんであるという[109]。『ヨーガ・スートラ』の編纂へんさんしゃパタンジャリとされているが、かれのことはよくわかっていない。『ヨーガ・スートラ』は、ヨーガの萌芽ほうががみられた紀元前きげんぜん6-7世紀せいきから1000ねん以上いじょうのち成立せいりつしており、ヨーガ学派がくはのヨーガには様々さまざま瞑想めいそう体系たいけいはいりこまれている[20]内容ないよう様々さまざま素材そざい群小ぐんしょう教典きょうてんをまとめたものとかんがえられ、おもしん形而上学けいじじょうがくてき問題もんだいあつかだい4しょうは、仏教ぶっきょうとく大乗だいじょう仏教ぶっきょう瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき瑜伽ゆがぎょう、ヨーガチャーラ)への反論はんろんがなされているため、ほかの3しょうよりのちにできたという意見いけんもある[111]

サーンキヤ学派がくは世界せかいかん。プルシャの観照かんしょう契機けいきにプラクリティから現象げんしょう世界せかい物質ぶっしつ世界せかい)が展開てんかいしている。ヨーガ学派がくはは、ヨーガによりプルシャとプラクリティの関係かんけいどくそん状態じょうたいもどすことを目指めざす。

ヨーガ学派がくはのヨーガの目的もくてきは、ヨーガにより輪廻りんねから解脱げだつすることである。ヨーガ学派がくは世界せかいかん形而上学けいじじょうがくは、だい部分ぶぶんサーンキヤ学派がくは依拠いきょしており、プルシャ(純粋じゅんすい精神せいしんかみ)とプラクリティ(根本こんぽん物質ぶっしつ自性じしょう)の二元論にげんろんである。ヨーガ学派がくはでは最高さいこうしんイーシュヴァラ存在そんざいみとめるてんが、サーンキヤ学派がくはことなっている[2]。『ヨーガ・スートラ』とどう時期じきおもわれる4-5世紀せいき編纂へんさんされたサーンキヤ学派がくはの『サーンキヤ・カーリカー』がのこされており、これが現存げんそんするサーンキヤ学派がくは最古さいこ原典げんてんである[112]。ヨーガ学派がくはには、仏教ぶっきょうジャイナきょう、サーンキヤ学派がくは影響えいきょうがみられ、さらに最高さいこうしんイーシュヴァラへの祈念きねんであるイーシュヴァラ・プラニダーナ英語えいごばんねんしん思想しそうみとめられ、非常ひじょう複雑ふくざつちであることがかる[113][111]。『ヨーガ・スートラ』の思想しそうは、仏教ぶっきょう思想しそうからも多大ただい影響えいきょう刺激しげきけており[114][115]仏教ぶっきょう理論りろんはヨーガの体系たいけい構築こうちくもちいられた[32]石橋いしばし丈史たけしはヨーガ学派がくは瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき文献ぶんけん分析ぶんせきし、両者りょうしゃ親密しんみつ交流こうりゅうがあった可能かのうせい指摘してきしている[116]

『ヨーガ・スートラ』は、現代げんだいのヨーガへの理解りかい多大ただい影響えいきょうあたえており、国内外こくないがいのヨーガ研究けんきゅうしゃ実践じっせんしゃのなかには、この『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本きほん教典きょうてん」であるとするものがある。マーク・シングルトンは、『ヨーガ・スートラ』は当時とうじ数多かずおおくあった修行しゅぎょうしょのひとつにぎないのであって、かならずしもヨーガにかんする「唯一ただいち」の「聖典せいてん」のような種類しゅるいのものではないと指摘してきし、『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本きほん教典きょうてん」とする理解りかい注意ちゅういうながしている[117]保田やすだ鶴治つるじは、サーンキヤ・ヨーガの思想しそうつたえるためのテキストや教典きょうてんは、おな時期じきおおくのささえ師家しかつくられており、そのなかでたまたま今日きょうつたえられているのが『ヨーガ・スートラ』であるとべている[118]雲井くもい昭善あきよしは、ヨーガ学派がくは設立せつりつには、ヴィヤーサ(Vyasa、5 - 6世紀せいき)の註釈ちゅうしゃくしょ『ヨーガ・バーシャ』(バーシヤ、Yoga-bhashya)の影響えいきょうおおきく、同書どうしょは『ヨーガ・シャーストラ』とばれ『ヨーガ・スートラ』とおなじくらいおもんじられたとべている[119]。『ヨーガ・バーシャ』や、これにたいするヴァーチャスパティ・ミシュラ英語えいごばん(10世紀せいきごろ)のふくちゅうである『タットヴァ・ヴァイシャーラディー』には、仏教ぶっきょう、ジャイナきょうともにサーンキヤ学派がくは影響えいきょうくみられる[120]。ヨーガ学派がくはは、『ヨーガ・スートラ』とこれらをふくめた数多すうた注釈ちゅうしゃくるいふくめてうのが一般いっぱんてきである[120]

『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガをつぎのように定義ていぎしている。

ヨーガとはしん作用さようとめめっすることである (『ヨーガ・スートラ』1-2)
そのとき純粋じゅんすい観照かんしょうしゃたるは、自己じこ本来ほんらい姿すがたにとどまることになる (『ヨーガ・スートラ』1-3)[121]

しん作用さようとめめっすることは、古典こてんヨーガのオリジナルのおしえではなく、インドにおいてははやくからウパニシャッドにられ、仏教ぶっきょうやサーンキヤ学派がくはかずろん)など、伝統でんとうあるおおくのおしえで重要じゅうよう課題かだいとしてまれてきた[122]しんはたらきをとめほろぼさせると、感覚かんかく器官きかん五官ごかん)によって認識にんしきされる外界がいかい対象たいしょう物理ぶつりてき現実げんじつ身体しんたいり、いで苦楽くらく欲望よくぼうなどの内的ないてき対象たいしょうかんじなくなり、うちかん(「わたし」という意識いしきどころとしての自我じが意識いしき)も、うちかん活動かつどうによってしょうじた「わたし」という意識いしきり、主客しゅかくひつじぶん境地きょうちいた[123]しん作用さようとめほろぼし、根本ねもと物質ぶっしつ(プラクリティ)からしょうじたこころ作用さようがプルシャ(純粋じゅんすい精神せいしん)であるとする誤認ごにんただし、しん作用さよう同化どうかしているプルシャ(純粋じゅんすい精神せいしん)をきよめて本来ほんらいかたかえらせ、プルシャがプラクリティと無関係むかんけいになりどくそんすることで、輪廻りんねからの解脱げだついたるとかんがえられた[124]。ヨーガ学派がくはは、えずうごしん作用さようについて探求たんきゅうし、記憶きおく意識いしき潜在せんざい印象いんしょう煩悩ぼんのう形成けいせいする原因げんいんになるとかんがえて、潜在せんざい印象いんしょうについてもふか考察こうさつした[125]上記じょうき引用いんようでいうしん作用さようは、日常にちじょう経験けいけんしん作用さようとそれを形成けいせいする潜在せんざい印象いんしょうサンスカーラ)、ごう(カルマ)の潜在せんざい余力よりょく(カルマサーヤ)、および残存ざんそん印象いんしょう(ヴァサーナ、かおる)もふくめた、いわゆる現代げんだい用語ようごでいう広義こうぎ深層しんそう心理しんりでのしん作用さよう意味いみする[113]

ヨーガ学派がくはのヨーガは、おも観想かんそうほう瞑想めいそう)によるヨーガ、静的せいてきなヨーガであり、それゆえ後世こうせいでは「ラージャ・ヨーガ」(=おう・ヨーガ)とばれるようになった。

『ヨーガ・スートラ』は、つぎの3系統けいとう瞑想めいそうせつふくあいてき統合とうごうされているとかんがえられる[20]うしろ2つは、三昧ざんまい状態じょうたいかんする系統けいとうことなる2つのきょうせつであり、仏教ぶっきょう瞑想めいそうせつとのかかわりがふか[20][126]

  • はちささえ(アシタ・アンガーニ。アシュターンガ・ヨーガ、はち階梯かいていのヨーガ)こころ作用さようとめめつ規定きていされたヨーガであり、やっつの段階だんかいてき実践じっせん瞑想めいそうへの展開てんかい想定そうていし、マニュアルてき構成こうせいになっている[20]はちささえヨーガは、ヤマ(きん戒)、ニヤーマ抑制よくせい勧戒かんかい)、アーサナほう)、プラーナーヤーマ調しらべほう呼吸こきゅうほうともなったプラーナ調しらべ)、プラティヤーハーラ(せいかん感覚かんかく制御せいぎょ)、ダーラナー(しこりねん精神せいしん集中しゅうちゅう)、ディヤーナ(しずかおもんばか瞑想めいそう)、サマーディ(三昧ざんまい)の8つの段階だんかい構成こうせいされる[121][127]仏教ぶっきょうはち正道せいどう基礎きそにまとめられているとかんがえられ、すくなくともはち正道せいどうはちささえにはつよ類似るいじせいがみられる[128]。『ヨーガ・スートラ』には仏教ぶっきょう重複じゅうふくする用語ようご頻出ひんしゅつ[113]、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディなどの言葉ことば仏教ぶっきょうでは同義語どうぎごとしてあまり区別くべつされずに使つかわれていたが、『ヨーガ・スートラ』では明確めいかく区別くべつされている[20]。この3つは同一どういつ対象たいしょうおこなわれるのでサンヤーマ(綜制)総称そうしょうされる[20]。サンヤーマは純粋じゅんすい心的しんてきくだりほうであり、しん作用さようとめめつ直接ちょくせつはたらく。三昧ざんまいもっとしん作用さようとめめつかんして重視じゅうしされ、ディヤーナとおな対象たいしょうだけがあらわれていて、本性ほんしょうくなったかのような状態じょうたいであるとされる[20]注釈ちゅうしゃくしゃのヴィヤーサは、「ヨーガは三昧ざんまいである」とべている[124]。『マイトリー・ウパニシャッド』のろくささえヨガ、正統せいとう思想しそう伝統でんとうてき瞑想めいそういでおり、瞑想めいそう体系たいけいてき発展はってんするまえ原初げんしょてき姿すがたのこしているとかんがえられる[20]
  • サンプラジュニャータ・サマーディ(ゆうそう三昧ざんまい)・アサンプラジュニャータ・サマーディ(無想むそう三昧ざんまい三昧ざんまいかんするきょうせつで、しんしょ作用さようを「とめほろぼさせる想念そうねん」を修習しゅうしゅうする、またはイーシュヴァラ・プラニダーナ(自在じざいしん祈念きねんねんしん)によって、自意識じいしきなどの想念そうねんがまだのこっているゆうそう三昧ざんまいから、想念そうねんはなくなったがいま潜在せんざい印象いんしょうのこ無想むそう三昧ざんまいへとすす[20][126]。『ヨーガ・スートラ』では無想むそう三昧ざんまいもっと存在そんざいかんってかたられており、中心ちゅうしんてき位置いちづけとなっているとおもわれる[20]
  • サビージャ・サマーディ(ゆう種子しゅし三昧ざんまい)・ニルビージャ・サマーディ(種子しゅし三昧ざんまい三昧ざんまいかんするきょうせつで、しんさかいしん状態じょうたい)が詳細しょうさい説明せつめいされている。煩悩ぼんのうつく原因げんいんがまだのこっているゆう種子しゅし三昧ざんまい(さらに4段階だんかいかれる)から、対象たいしょうがすべてがった種子しゅし三昧ざんまいへとすす[20][126]ゆう種子しゅし三昧ざんまい段階だんかいのぼめると三昧ざんまいちょく感知かんち)がしょうじ、これからも潜在せんざい印象いんしょうしょうじるが、すでに煩悩ぼんのう消滅しょうめつしているため、しん作用さようしょうじることはなく、これが種子しゅし三昧ざんまいでありしん解脱げだつであるとされる[126]

はちささえヨーガにおける三昧ざんまいは「対象たいしょうだけがあらわれていて本性ほんしょうくなったかのよう」と説明せつめいされているが、これはゆう種子しゅし三昧ざんまいのなかのひろじょう(ニルヴィタルカ・サマーパティ)とまったくおな表現ひょうげんである[20]はちささえヨーガの三昧ざんまいは、種子しゅし三昧ざんまい外的がいてき部門ぶもんとされている[20]

瞑想めいそうへの直接的ちょくせつてき手段しゅだん作法さほう三昧ざんまい無想むそう三昧ざんまい)にいた手段しゅだんとして、イーシュヴァラ・プラニダーナ英語えいごばん自在じざいしん祈念きねんねんしんスヴァディアーヤ読誦とくしょう説明せつめいされている。イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在じざいしん祈念きねんねんしん)とは、最高さいこうしんイーシュヴァラへの祈念きねんであり、クリヤー・ヨーガ(実践じっせんヨーガ、行事ぎょうじヨーガ)、ニヤーマ(抑制よくせい勧戒かんかい)のひとつの方法ほうほうである[113]自在じざいしん祈念きねん読誦とくしょう苦行くぎょう(タパス)をくわえたものが、ラージャ・ヨーガにたいしてクリヤー・ヨーガ(実践じっせんヨーガ、行事ぎょうじヨーガ)とばれる[113]。イーシュヴァラ・プラニダーナは三昧ざんまい無想むそう三昧ざんまい)に到達とうたつする方法ほうほうひとつであり、もっと手近てぢか方法ほうほうであるとされる[113][129]。イーシュヴァラは、ヨーガ行者ぎょうじゃにとって理想りそうぞうであり、いにしえたちの行者ぎょうじゃにとってのであり、行者ぎょうじゃ合一ごういつ目指めざしたり一切いっさい行為こういをゆだねる対象たいしょうではない[113][129]。イーシュヴァラはごうカルマ)や果報かほう影響えいきょうけない特殊とくしゅなプルシャであり、せいおと「オーム」に象徴しょうちょうされるもので、しん集中しゅうちゅうさせるためにねんずるいち実在じつざい対象たいしょうであるとかんがえられる[113][129]。よって、イーシュヴァラ・プラニダーナはダーラナー(しこりねん)と同列どうれつかんがえることができる[129]

スヴァディアーヤ(読誦とくしょう)とはひじりこえしてひくとなえることであり、解脱げだつみちび聖典せいてん学習がくしゅうすることである[113]。『ヨーガ・スートラ』の注釈ちゅうしゃくしょ『ヨーガ・バーシャ』では、きよしとなえ、その対象たいしょう意味いみねんそうすることで、1つの対象たいしょうしんふか統一とういつするしんいちさかいせい可能かのうになるとされる[113]自在じざいしん祈念きねんによって無想むそう三昧ざんまい到達とうたつし、読誦とくしょうによってしんいちさかいせい実現じつげんするとかんがえられた[113]

アーサナほうプラーナーヤーマ調しらべほうは、瞑想めいそうへのはしであると明言めいげんされていないが、文脈ぶんみゃくからそうであろうとかんがえられる[113]

『ヨーガ・スートラ』には、のハタ・ヨーガのような一元論いちげんろんてきな、個我こがしんわが(アートマン)が合一ごういつすべての観念かんねんった状態じょうたいという明確めいかく普遍ふへんせいった解脱げだつ感覚かんかくられない[130]一章いっしょう丸々まるまる使つかってヨーギーにそなわるちょう自然しぜんりょく(シッディ)の説明せつめいがされているが、ヨーガの目的もくてきはあくまで「しん作用さようとめめっすること」とされており、ちょう自然しぜんりょく習得しゅうとくさい重視じゅうしされているわけではない[86]

イーシュヴァラ・プラニダーナは、熱狂ねっきょうてきかみへの帰依きえである後世こうせいバクティとはべつ系統けいとう思想しそうであるとかんがえられるが、のちに注釈ちゅうしゃくたちによってバクティやサンニヤーサ英語えいごばん行為こうい厭離えんり放擲ほうてき(ほうてき))、行為こうい結果けっかへの関心かんしん関連かんれんづけて解説かいせつされた[113]。10世紀せいきには古典こてんインド哲学てつがく体系たいけい完成かんせいしたが、それをつくげた哲人てつじん一人ひとりヴァーチャスパティ・ミシュラ英語えいごばん(9-10世紀せいき)による『ヨーガ・スートラ』の註解ちゅうかいには、ハタ・ヨーガの述語じゅつご使つかわれており、ハタ・ヨーガてき解釈かいしゃくほどこされている。ヴァーチャスパティ・ミシュラは、『ヨーガ・スートラ』で説明せつめいされる3種類しゅるいのプラーナーヤーマは、ハタ・ヨーガのレーチャカ、プーラカ、クンバカにたるとしている[131]。ただし、こうした注釈ちゅうしゃくたちの後世こうせい思想しそうせた『ヨーガ・スートラ』の解釈かいしゃく正確せいかく理解りかいとはいいがたく、問題もんだいがあると指摘してきされている[113][129]

古典こてんヨーガの世界せかいかんのベースである二元論にげんろんのサーンキヤ学派がくは思想しそうは、インドの宗教しゅうきょう哲学てつがく初期しょきには根本こんぽんてき影響えいきょうあたえ、隆盛りゅうせいしたが、6世紀せいきぎると徐々じょじょにその思想しそう拒否きょひするものもあらわれ、10世紀せいきぎると衰退すいたいした[103]後世こうせいにヨーガ学派がくはやサーンキヤ学派がくは名乗なのった修行しゅぎょうしゃたちのおおくは、シヴァしんヴィシュヌしん信仰しんこうしていたことがられている[132]。サーンキヤ学派がくは思想しそうは、種々しゅじゅ思想しそう折衷せっちゅうされ、有神論ゆうしんろんてき一元論いちげんろん傾斜けいしゃして一元論いちげんろんヴェーダーンタ学派がくは教義きょうぎ融合ゆうごうされていき、統合とうごうてき包括ほうかつてきなヒンドゥーきょうの「超越ちょうえつてき体系たいけい」が完成かんせいされていった[103]ヴィシュヌシャクティ思想しそう文献ぶんけんには、サーンキヤ学派がくは二元論にげんろんとヴェーダーンタ学派がくは一元論いちげんろんともれられ、シャクティをたたえる言葉ことばとしてもちいられた[103]

『ヨーガ・スートラ』は15世紀せいきにはほとんどわすられていたが、イギリスじんインド学者がくしゃヘンリー・トーマス・コールブルック(1765ねん - 1837ねん)の著作ちょさくによってふたたびられるようになった[48]

『ヨーガ・スートラ』は、ヨーロッパじん研究けんきゅうしゃ知見ちけん影響えいきょうけながら、20世紀せいきになって英語えいごけんのヨーガ実践じっせんしゃたちによって、また、ヴィヴェーカーナンダH・P・ブラヴァツキーなどの近代きんだいヨーガの推進すいしんしゃたちによって、「基本きほん教典きょうてん」としての権威けんいあたえられていった[117]

中世ちゅうせい

[編集へんしゅう]
チャクラ、ナーディがえがかれた瞑想めいそうするタントラ行者ぎょうじゃ

バラモン教ばらもんきょうかれた解脱げだつには、膨大ぼうだいなヴェーダ聖典せいてん学習がくしゅう必要ひつようであり、学習がくしゅう上部じょうぶ3カーストの男子だんしにしかゆるされていなかった。ヴェーダの祭式さいしき王侯おうこう司祭しさい階級かいきゅうバラモンたちが独占どくせんし、ウパニシャッドにかれる自己じこ宇宙うちゅうかんする深遠しんえん哲学てつがくは、知的ちてきエリートだけのものであり、民衆みんしゅう女性じょせいすくいへのみちからされていた[133]農業のうぎょう生産せいさん拡大かくだい政策せいさく農民のうみんであるシュードラ隷属れいぞくみん)の人口じんこう増大ぞうだいし、かれらの重要じゅうようせいしたが、領主りょうしゅへと成長せいちょうげていたバラモンや仏教ぶっきょう比丘びく僧院そういんは、シュードラの成長せいちょう抑圧よくあつし、かれらからの租税そぜい徴収ちょうしゅうのために、自分じぶんたちにくらべシュードラがいかに宗教しゅうきょうてき資質ししつおとっているかをき、かれらを救済きゅうさい儀礼ぎれいわくからとおざけることによってみずからを正統せいとうしようとした[36]。こうした聖職せいしょくしゃたちに反発はんぱつし、かれらのおこないを批判ひはんし、農民のうみん中心ちゅうしんとするシュードラなどの下層かそうみん救済きゅうさいみちひらこうとする宗教しゅうきょう運動うんどうとして、かみ絶対ぜったいてき敬愛けいあいささげひたすらにたたえることで恩寵おんちょうにより解脱げだついたるとするバクティ運動うんどう人格じんかくしんへの献身けんしんみちであるバクティ・ヨーガ英語えいごばん(バクティ・マールガ、信愛しんあいみち))や、現世げんせい肯定こうてい欲望よくぼう解脱げだつのエネルギーに変換へんかんしようという民衆みんしゅうのタントラががっていったのである[36]

仏教ぶっきょう瞑想めいそう修業しゅうぎょう出家しゅっけしゃのみにもとめられることだったが、大乗だいじょう仏教ぶっきょう発展はってんすると、世俗せぞくきながら仏教ぶっきょう修行しゅぎょうおこなう「居士こじ(こじ)」があらわれ、そのかた称賛しょうさんるようになっていった[134]。バクティ運動うんどう指導しどうしゃである新鋭しんえいのバラモンや民衆みんしゅう密教みっきょう指導しどうしゃである脱俗だつぞく修行しゅぎょうしゃは、シュードラなどの下層かそうみんもバラモンあるいは比丘びく同等どうとう宗教しゅうきょうてき境地きょうち到達とうたつすることができるとかんがえ、シュードラ出身しゅっしん成就じょうじゅしゃ(シッダ)もおお記録きろくされている[36]。『バガヴァッド・ギーター』においてバクティは解脱げだついたみっつのみちのうちのひとつにすぎなかったが、みなみインドにつたわって土着どちゃくの「地上ちじょうかみ観念かんねんむすびついて、かみ々に熱烈ねつれつ参加さんかをささげる宗教しゅうきょう詩人しじんたちがまれ、かれらのなかには下層かそう出身しゅっしんしゃ女性じょせいふくまれていた[135]。バクティ思想しそう現象げんしょう世界せかいかみちからあらわれたものとタントラ思想しそうむすびつき、10世紀せいきごろには人格じんかくしんとの情熱じょうねつてき愛情あいじょう関係かんけいこそが最高さいこう境地きょうちであるという『バーガヴァタ・プラーナ英語えいごばん』がまれた[135]絶対ぜったいしゃへの個人こじん存在そんざい解消かいしょうという従来じゅうらい解脱げだつかん意義いぎうしない、バクティ思想しそう民衆みんしゅうてき宗教しゅうきょう思想しそうとして完成かんせいし、ナータ浸透しんとうしていたきたインド各地かくち席巻せっけんした[135]。バクティ運動うんどうがり、バクティがヒンドゥーきょう主流しゅりゅうとなった[133]。バクティにはヴィシュヌ信徒しんとおお[133]

日本にっぽん密教みっきょう曼荼羅まんだら(マンダラ)。密教みっきょう曼荼羅まんだらなどは、ヨーガのじつおさむによって体感たいかんされた瞑想めいそう世界せかい表現ひょうげんしたもの[136]

インドではグプタあさ(320ねんから550ねんごろ以後いごヒンドゥーきょう興隆こうりゅうし、仏教ぶっきょう勢力せいりょく下降かこうしていたが、ヒンドゥーきょう重複じゅうふくする様々さまざま民衆みんしゅう宗教しゅうきょう要素ようそれる仏教ぶっきょう再興さいこうへの挑戦ちょうせんこり、ヒンドゥーの思想しそうやタントラ、土着どちゃく信仰しんこうんだ密教みっきょう大乗だいじょう仏教ぶっきょうからしょうじた[137]密教みっきょう瑜伽ゆがきょう密教みっきょう真言宗しんごんしゅう瑜伽ゆがむねまたは瑜伽ゆが密宗みっしゅう、または相応そうおうしゅうともばれる[32]密教みっきょうでは、修行しゅぎょうしゃみずからが象徴しょうちょうてきふつそのものになり、ふつ合一ごういつすることがヨーガ(瑜伽ゆが)であるとされ、中期ちゅうきインド密教みっきょうでは、真言しんごん(マントラ)、しるしちぎり(ムドラー)やマンダラもちいるさんみつくだりとおしてふつとなることができるとする瑜伽ゆが思想しそう実践じっせんがみられた[62]大乗だいじょう仏教ぶっきょうとく密教みっきょうでは、儀礼ぎれい執行しっこう呪術じゅじゅつてき密教みっきょう儀式ぎしき非常ひじょう隆盛りゅうせいしたが、ヨーガの修行しゅぎょうちょう自然しぜんりょく(シッディ、神通力じんずうりき呪術じゅじゅつてき能力のうりょく)を人間にんげんおこなうことで呪術じゅじゅつてき儀礼ぎれい効果こうかつとかんがえられ、修行しゅぎょうによるちょう自然しぜんりょく獲得かくとく重視じゅうしされ[138]、ハタ・ヨーガのチャクラの理論りろんふく擬似ぎじ生理学せいりがくてき行法ぎょうほう性的せいてきぎょうほう密教みっきょうれられた。密教みっきょう仏教ぶっきょうタントラ)がヒンドゥーきょうのタントラの様々さまざま教派きょうはより先行せんこうして発展はってんおり、密教みっきょうかみ々がのちにヒンドゥーのかみ々に同化どうかされたとかんがえる学者がくしゃおお[42]

8世紀せいきになると、ヒンドゥーきょうシャークタのタントラやシャクティせいりょく信仰しんこうから影響えいきょうけたとされる、男性だんせい原理げんり精神せいしん理性りせい方便ほうべん)と女性じょせい原理げんり肉体にくたい感情かんじょう般若はんにゃ)との合一ごういつ目指めざ密教みっきょう登場とうじょうした。これを後期こうき密教みっきょうといい、後期こうき密教みっきょう無上むじょう瑜伽ゆが密教みっきょう、タントラ仏教ぶっきょうばれる。なお、後期こうき密教みっきょう儒教じゅきょうつよ中国ちゅうごくではひだりどう密教みっきょう批判ひはんされれられなかったため、日本にっぽんにはつたわっていない[139]

ヤブユム男女だんじょ合体がったいみこと)、18世紀せいきチベット
チベット密教みっきょうシチュー開祖かいそチュー英語えいごばん行法ぎょうほう創始そうししたマチク・ラプドゥンマ英語えいごばん (1055 - 1143)。仏教ぶっきょう宗派しゅうは開祖かいそになった唯一ゆいいつ女性じょせいタムパ・サンゲ英語えいごばん(? - 1117)のパートナーとしてせいヨーガを実践じっせん彼女かのじょ自身じしんさとりをた、または無名むめい男性だんせい行者ぎょうじゃとのせいヨーガをとお圧倒的あっとうてき霊的れいてきりょく開花かいかさせたとも伝承でんしょうされる[69]

世俗せぞくのあらゆる存在そんざいは、無分別むふんべつ性質せいしつとし絶対ぜったいてきな「清浄せいじょう」さをつ「実在じつざい」、「そらなる心性しんせいしん本来ほんらいてきなありかた)」(そらせい)をうちっている、つまり世俗せぞくない存在そんざいすべ清浄せいじょうであり、まれながらにして真理しんりうちっているとかんがえられるようになり、この「心性しんせい」の性質せいしつり、そのなかへ「かえりいれ」することがさとり・成就じょうじゅであるとされた。インドには、せい恍惚こうこつさかい感受かんじゅであるカーマはまんにん経験けいけんできまんにんうちにあるという意味いみ遍在へんざいしているという「遍在へんざいするカーマ」の観念かんねん」があり、実在じつざい伝統でんとうてきせい恍惚こうこつ境地きょうちむすびついており[36]後期こうき密教みっきょうしょタントラにおいて、おおくの場合ばあい実在じつざい」への到達とうたつさとり・成就じょうじゅは、性的せいてき合一ごういつをモデルとしたせいヨーガによって達成たっせいされるとかんがえられた。

後期こうき密教みっきょうは、解脱げだつのためにあらゆる手段しゅだん肯定こうていされる解脱げだつ至上しじょう主義しゅぎであり、さけ肉食にくしょく悪食あくじき)、くそ尿にょうといった不浄ふじょうぶつ摂取せっしゅ貪欲どんよくぎょうせいヨーガ)などの儀礼ぎれいおこな秘密ひみつ集会しゅうかい仏教ぶっきょう正統せいとう修法しゅほうぎょうほうとして定期ていきてきおこなわれた。せいヨーガは、男女だんじょ集団しゅうだんで、または弟子でしとマハームドラー(カルマ・ムドラー英語えいごばんあかり、ヨーギニー、瑜伽ゆがおんなせいヨーガの相手あいてとして選別せんべつされた差別さべつ階級かいきゅう不可ふかさわみん、アウトカースト)の女性じょせい)、修行しゅぎょうしゃとマハームドラーによっておこなわれた。8世紀せいきの『秘密ひみつ集会しゅうかいタントラ』の冒頭ぼうとうでは、「ブッダは、一切いっさい如来にょらいたちの語意ごい源泉げんせんたる諸々もろもろ金剛こんごうおんなかげじゅうしたもうた(ブッダは女性じょせいたちと性的せいてきヨーガをぎょうじておられた)」とかれ、1000ねんごろのインドではこの経典きょうてん典拠てんきょとする聖者せいじゃりゅう修行しゅぎょうほう流行りゅうこうした[69]男性だんせい修行しゅぎょうしゃたちが女性じょせいとのせいヨーガを必要ひつようとしたのは、女性じょせい生命せいめいりょく自身じしん生命せいめいりょく活性かっせい過酷かこく修行しゅぎょうるため、また、究極きゅうきょく把握はあく対象たいしょうであり、ぬときにあらわれ、その把握はあくにはたとえようもない快楽かいらくともなう「歓喜かんき」であるとされた「そらせい」を、男女だんじょ性行為せいこういはらむであろう「先取さきどり」をとおして体得たいとくするためであるとかんがえられる[69]せいヨーガなどをおこな秘密ひみつ集会しゅうかい専心せんしんすることで、死後しごではなくきているあいださとることができる(即身成仏そくしんじょうぶつ)とかれ、象徴しょうちょうもちいた儀礼ぎれいさとりに有用ゆうようであるとされ、象徴しょうちょうするものと象徴しょうちょうされるものとは同一どういつであり、自己じこ構造こうぞう象徴しょうちょう操作そうさつうじて絶対ぜったいしゃ相似そうじ状態じょうたいさい構築こうちくすることで自己じこ絶対ぜったいしゃ合一ごういつ(ヨーガ)することができるとかんがえられた[137]

男性だんせい女性じょせい性的せいてきヨーガの状態じょうたいが、そのままさとり(菩提ぼだい)を象徴しょうちょうされるようになり、チベット密教みっきょうではさとりそのものを男女だんじょ性行為せいこうい形態けいたい象徴しょうちょうてき表現ひょうげんするぞう作成さくせいされた[137]。8世紀せいき以降いこう仏教ぶっきょうでは、男性だんせい精液せいえきは「菩提心ぼだいしん」(さとりをもとめようとする根源こんげんてきしん)の象徴しょうちょうであるとかんがえられたため、射精しゃせい菩提心ぼだいしん放出ほうしゅつであるとみなされ、密教みっきょう修行しゅぎょうしゃは、そうせいヨーガの女性じょせいパートナーと性交せいこうし、精液せいえき女性じょせいあいえきざったものを菩提心ぼだいしんとして弟子でしくちなかれる灌頂儀礼ぎれいほかは、射精しゃせいすることはつよ禁止きんしされていた[69]

1000ねんごろのインドでは、修行しゅぎょうしゃたちは『秘密ひみつ集会しゅうかいタントラ』とうかれたとおりのくだり実践じっせんしていたようである[69]。おそらく仏教ぶっきょうでは女性じょせいさとりをることは元々もともとかんがえになかったが、せいヨーガを実践じっせんする場合ばあい女性じょせいパートナーのちからおおきく関与かんよしたため、後期こうき密教みっきょう仏教ぶっきょう女性じょせいたいする見解けんかいことなったとおもわれ、せいヨーガでの女性じょせいすぐれた指導しどうしゃ女性じょせい成就じょうじゅしゃさとったひと)の記録きろくのこされている[69]密教みっきょう修行しゅぎょうしゃには、家庭かてい世俗せぞく職業しょくぎょうてた脱俗だつぞく行者ぎょうじゃ遊行ゆぎょうしゃ)、家庭かてい職業しょくぎょう在俗ざいぞく行者ぎょうじゃあたまって出家しゅっけ仏教ぶっきょう僧院そういんなか瞑想めいそう専念せんねんする比丘びくそう)がいた。出家しゅっけしゃおこなせいヨーガは性的せいてき観念かんねんもちいたもので実際じっさい性行為せいこういともなわないとかんがえられるが、こうした性行為せいこうい形態けいたい仏像ぶつぞう姿すがた再現さいげん性行為せいこういともなせいヨーガをおこなうこともあったといわれる[140]性的せいてき実践じっせんおも在家ありいえ密教みっきょう行者ぎょうじゃによっておこなわれていたとかんがえられているが、出家しゅっけしゃ女性じょせい在家ありいえ信者しんじゃせいヨーガの相手あいて強要きょうようすることもあったといわれる[140]

後期こうき密教みっきょうの、どのような身分みぶんひとであれ「実在じつざい」と神秘しんぴてき合一ごういつ達成たっせいするならば、出家しゅっけせずとも、在俗ざいぞくのままでもひとしく解脱げだつできるというかんがえは、バクティとおなじく下層かそうみん救済きゅうさいみちひらこうとする宗教しゅうきょう運動うんどう一部いちぶをなしている。

ハタ・ヨーガのゴーラクシャナータ(およそ11-12世紀せいき
マユラサーラ(孔雀くじゃくのポーズ)。ナータのヨーガ行者ぎょうじゃ壁画へきが(19世紀せいき初頭しょとう
チベット仏教ぶっきょう寺院じいんにおけるバクティの様子ようす

『バガヴァッドギーター』にも『ヨーガスートラ』にもアーサナの記述きじゅつはあるものの、10世紀せいきはいってからアーサナのくわしい説明せつめいのある文献ぶんけんあらわれた[86]。ハタ・ヨーガは、ちょうど後期こうき密教みっきょうどう時期じきあらわれた。ヒンドゥーきょうでもタントラが隆盛りゅうせいし、12世紀せいき-13世紀せいきには、タントラてき身体しんたいかん基礎きそとして、動的どうてきなヨーガが出現しゅつげんした。これはハタ・ヨーガちから〔ちから〕ヨーガ)とばれている。内容ないようとしてはしるししょう(ムドラー)や調しらべほう(プラーナーヤーマ)などを重視じゅうしし、ちょう自然しぜんりょくちょう能力のうりょく)や三昧ざんまい追求ついきゅうする傾向けいこうもある。

教典きょうてんとしてはスヴァートマーラー『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』(16 - 17 世紀せいき)、『ゲーランダ・サンヒター英語えいごばん』(16 - 17 世紀せいき)、『シヴァ・サンヒター英語えいごばん』がある。「しんのはたら きのとめめつ」の土台どだいづくりのための身体しんたい技法ぎほう(アーサナ、呼吸こきゅうほう浄化じょうかほう食事しょくじほうなど)がまとめられた『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』に記載きさいされた具体ぐたいてきなアーサナは、ほうふくめて15種類しゅるい、『ゲーランダ・サンヒター』でも32種類しゅるいぎず、これらの教典きょうてんしめされるアーサナは、あくまでも三昧ざんまいいた道程どうてい一部いちぶぎない[49]。どちらの経典きょうてんにも、現代げんだいヨーガでよく実践じっせんされるアーサナ(あたまちのポーズ、かたちのポーズ、バックベントとう)の記述きじゅつまった存在そんざいせず、ハタ・ヨーガは動的どうてきといっても、一種いっしゅ瞑想めいそうほうであり、今日きょうのような様々さまざまなポーズによる体操たいそうてき身体しんたい技法ぎほう中心ちゅうしんであったわけではない[49]

仏教徒ぶっきょうとであったといわれるマッツェーンドラナート英語えいごばん弟子でしで、ヒンドゥーきょうシヴァ一派いっぱナータ英語えいごばん開祖かいそであるゴーラクシャナータ英語えいごばん(ゴーラクナート)が、ヨーガのじつ修法しゅほう整備せいびしてハタ・ヨーガの体系たいけい確立かくりつした[141]。ゴーラクシャナータの史料しりょうはほとんどなく、実像じつぞうはほぼ不明ふめいだが、仏教ぶっきょうがわ伝承でんしょうとうからおよそ11-12世紀せいき人物じんぶつかんがえられ、8世紀せいきシャンカラのち中世ちゅうせいにおいて最大さいだい影響えいきょうりょくった聖者せいじゃである[142]。ゴーラクシャナータは認識にんしきろん宇宙うちゅう生成せいせいろんをほぼそのままぎ、純粋じゅんすい精神せいしんである「最高さいこうのシヴァしん」に創造そうぞう意欲いよくという「シャクティ」がしょうじ、その結果けっかとしてこのだい原理げんりからいん中有ちゅううはてろんしたがってのこりの原理げんり展開てんかいし、「束縛そくばくされたシヴァ」が個我こが(ジーヴァ)として顕現けんげんするとした[142]人間にんげん個我こが形成けいせいするレベルのていつぎのシャクティによってからだ維持いじしており、かい陰部いんぶに「クンダリニー」(とぐろをいたへび)としてねむるこのシャクティをハタ・ヨーガによって目覚めざめさせ、頭頂とうちょうにあるとされる「至高しこうのシヴァしん」のもとのぼらせ、この二元にげん合一ごういつさせ至高しこう歓喜かんきることをいた[141]。マッツェーンドラナートはヨーガのじつおさむ女性じょせいともな禁忌きんきとされたしゅ物質ぶっしつ使用しようするひだりどうとなったが、ゴーラクシャナータがをそこからすくしたとつたえられ、ひだりどうしていたヨーガぎょう純化じゅんかなおらせた業績ぎょうせきたたえる伝承でんしょうであるとおもわれる[141]。ナータ仏教ぶっきょうとシヴァこんしかとなったような形態けいたいで、正統せいとうのヒンドゥーきょう儀礼ぎれい巡礼じゅんれい形式けいしき主義しゅぎ批判ひはんしたこともあり、社会しゃかいにおける階層かいそうひく[39]。バクティの在家ありいえ宗教しゅうきょう詩人しじんたちは、ナータ思想しそうながれをんでいる[39]

ハタ・ヨーガのかんがかた基礎きそには、性的せいてきエネルギーの変換へんかん昇華しょうかによってさとりにいたるというかんがかたがみられ、人間にんげんからだにあるチャクラというえない意識いしき集中しゅうちゅうして瞑想めいそうし、低級ていきゅう性的せいてきエネルギーである「オジャズ」(生理学せいりがくてき解釈かいしゃくするなら「精液せいえき」)を宇宙うちゅうてき創造そうぞうちからである「シャクティせいりょく)」に変換へんかんすることを原則げんそくとする[143]人体じんたい宇宙うちゅう同一どういつし、ヨーガによって人体じんたいねむクンダリニーへび(シャクティ)を目覚めざめさせ、シャクティとシヴァ合一ごういつさせることで梵我一如いちにょ実体験じつたいけんし、解脱げだつすることを目指めざし、これはタントラ・ヨーガとばれる[144]

ハタ・ヨーガでは、人間にんげんつよ性的せいてき欲望よくぼうは、かみ々の境地きょうち昇華しょうかされるためのエネルギーと位置付いちづけられ、肯定こうていされている[145]。シャクティとシヴァの合体がったいはしばしばセックスにたとえられ、またはセックスそのものであるとされ、タントラ・ヨーガはセックス・ヨーガともばれる[144]。タントラを構成こうせいする4つの主要しゅよう要素ようそとして、礼拝れいはい次第しだいかんする「チャリヤー」、神像しんぞう寺院じいん作成さくせいかんする「クリヤー」、セックス・ヨーガの実践じっせん必要ひつよう心身しんしん準備じゅんびするための「ヨーガ」、セックス・ヨーガやヤントラ英語えいごばんマントラ真言しんごん)などをもちいて宇宙うちゅう精神せいしんそのものを直接ちょくせつ認識にんしきし、自身じしんかみそのものと同一どういつしてかみ供養くようする「ジュニャーナ」がある[144]経典きょうてんには実際じっさい性行為せいこういふく儀礼ぎれい記載きさいされている[145]。ただし、そうしたせい儀式ぎしき文字通もじどおりに実践じっせんされていたかは不明ふめいであり、否定ひていてき見方みかたもある[145]

中世ちゅうせいヒンドゥーきょうのヨーガの流派りゅうはとしては、古典こてんヨーガのながれをむラージャ・ヨーガ、社会しゃかい生活せいかつつうじて解脱げだつ目指めざカルマ・ヨーガ英語えいごばん(カルマ・マールガ、行為こういみち)、哲学てつがくてき思索しさくみちであるジュニャーナ・ヨーガ英語えいごばん(ジュニャーナ・マールガ、知識ちしきみち)があるとされる[146](カルマ・マールガ、バクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガは19世紀せいきまつヴィヴェーカーナンダによって、『バガヴァッド・ギーター』のみっつのヨーガとして提示ていじされた[147])。

8世紀せいきにはイスラームのインドへの波及はきゅうはじまり、11世紀せいきガズナあさから本格ほんかく、16世紀せいきムガール帝国ていこくがほぼきたインドを征服せいふくした[148]仏教ぶっきょう僧院そういん中心ちゅうしん主義しゅぎであり、世俗せぞくてき儀礼ぎれいにも否定ひていてきであったことから、ヒンドゥーきょう隆盛りゅうせい一方いっぽう世俗せぞく世界せかいでの魅力みりょくうしない、仏教ぶっきょう再興さいこうこころみもあったが、イスラームのインド侵攻しんこう僧院そういん破壊はかいされると、インドでは急速きゅうそく衰退すいたいした[24]きたインドでは10世紀せいきからイスラーム政権せいけんによる実質じっしつ支配しはいつづき、イスラーム神秘しんぴ主義しゅぎスーフィー活動かつどうがバクティ運動うんどうむすびついてインドでれられた[148]。また、イスラームの「アッラーのまえにすべての人間にんげん平等びょうどうである」というおしえは、インドの民衆みんしゅうにとって、カーストやヒンドゥーきょうむすびついたさまざまな習慣しゅうかんによる抑圧よくあつから解放かいほうしてくれるというめんもあり、インドにおけるイスラームを一概いちがい否定ひていてきのとらえることはできない[148]。イスラーム商人しょうにんとの交易こうえき都市としひろがり、ムガール帝国ていこくではインド=イスラーム文化ぶんかさかえた[148]。ムガール帝国ていこくは19世紀せいきまで存続そんぞくした。

きん現代げんだい

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18世紀せいき後半こうはん時点じてんで、インドにおけるサンスクリットかたり聖典せいてん古典こてん研究けんきゅう事実じじつじょう途絶とだえており、サンスクリット理解りかいできるひとはほとんどいなくなっていた[149]。19世紀せいきなかばには、インドの伝統でんとうてきなヨーガの実践じっせんと、『ヨーガ・スートラ』の体系たいけいのつながりはすでになくなっており、古典こてんヨーガの体系たいけいについておしえることのできるインドじん学者がくしゃはいなかったという[150]。インドはイギリスの植民しょくみんとして支配しはいかれ、インドじん知識ちしきじんたちはそこからそうともがき、西欧せいおうじん蔑視べっしされるインドにもほこれる文化ぶんかがあることをしめそうと、西洋せいよう知的ちてき伝統でんとうによってインド哲学てつがくのヨーガ学派がくは古典こてんヨーガの有効ゆうこうせいしめそうとこころみ、『ヨーガ・スートラ』はインドの文化ぶんかてきナショナリズムとかかわるかたち注目ちゅうもくされ、復権ふっけんし、重視じゅうしされるようになった[150]

インドには、ヨーガで心身しんしんきたえた戦闘せんとうてきサンニヤーシン(托鉢たくはつ修行しゅぎょうそう遊行ゆぎょうしゃ)のなが伝統でんとうがあり、ハタ・ヨーガと武術ぶじゅつ訓練くんれんとはむすびついていた[151]。15世紀せいきごろにナータから武装ぶそうした宗教しゅうきょう集団しゅうだん登場とうじょうした[152]かれらはカーストにも社会しゃかい秩序ちつじょにもしばられず野放図のほうずいをし、異様いようともえる苦行くぎょう心身しんしんきたえ、裸体らたい武器ぶきをもって略奪りゃくだつおこなった[152]交易こうえきルートを支配しはいして、18世紀せいきにはムガール帝国ていこくからインドの支配しはいけんうばいつつあったイギリスひがしインド会社かいしゃおびやかすほどの勢力せいりょくとなっていた[152]伊藤いとうたけしは、マーク・シングルトンはかれらを武装ぶそうしたヨーギーの集団しゅうだんとしているが、ナータ帰依きえした土豪どごうへいというのがただしいとおもわれ、イギリスの侵略しんりゃくたいする抵抗ていこう運動うんどうであるとべている[153]。ナータ武装ぶそう集団しゅうだんによる略奪りゃくだつ行為こうい抵抗ていこう運動うんどう失敗しっぱいわった[153]

とげうえすわ苦行くぎょうせるヨーギー

ヨーギーは支配しはいそうからはきらわれおそれられ、1773ねんにはベンガル最初さいしょにヨーギーの放浪ほうろう規制きせいされて、警察けいさつ監視かんし武装ぶそう定住ていじゅう促進そくしんされるようになり、ヨーガはサーカスのような見世物みせものとしてび、怪力かいりき綱渡つなわたり、心臓しんぞう停止ていしなどがヨーガとしておこなわれていた[152]。インドをおとずれたヨーロッパじんたちには、まずしく奇妙きみょうないでたちのヨーギーたちは、物乞ものごいや貧民ひんみん区別くべつできず、ヨーギーはしばしばくろ魔術まじゅつ性的せいてき放蕩ほうとう不潔ふけつさ、飢餓きがなどのイメージがもたれ、これはヨーロッパじん暗黒あんこく時代じだい中世ちゅうせいヨーロッパのイメージともかさなるものがあったようである[49]。イギリスじん西洋せいようてき教育きょういくけたインドじん知識ちしきじんかられば、ヨーギーは「曲芸きょくげいせておかねり、みだらな悪巧わるだくみをする社会しゃかいてきパラサイト」であった[152]。これらの行者ぎょうじゃのなかには、かなり暴力ぼうりょくてき方法ほうほう物乞ものごいをするものたちもおり、一般いっぱん人々ひとびとからおそれられていたという[154]正統せいとうヒンドゥー教徒きょうと西洋せいようじんやインドじん知識ちしきじんたちからは、社会しゃかい寄生虫きせいちゅうとして蔑視べっしされ、インド文化ぶんかかげ部分ぶぶんとしてまれていた[154][152]

ヴィヴェーカーナンダ
オーロビンド・ゴーシュ

マーク・シングルトンによれば、こうした経緯けいいにより近代きんだいインドでは、ハタ・ヨーガはのぞましくない、危険きけんなものとしてけられる傾向けいこうにあった[155]。ヨーロッパの人々ひとびとは、現在げんざいではラージャ・ヨーガとばれる古典こてんヨーガやヴェーダーンタなどの思想しそうには東洋とうよう深遠しんえん体系たいけいとしてたか評価ひょうかあたえたが、行法ぎょうほうとしてのヨーガとヨーガ行者ぎょうじゃには不審ふしんけた。それは、17世紀せいき以降いこうインドをおとずれた欧州おうしゅう人々ひとびと遭遇そうぐうした現実げんじつのハタ・ヨーガの行者ぎょうじゃとうが、不潔ふけつ奇妙きみょうなふるまい、しき行為こういときには暴力ぼうりょくてき行為こういにおよんだことなどが要因よういんであるという[154]。インド研究けんきゅう第一人者だいいちにんしゃマックス・ミュラーは、ハタ・ヨーガのポーズをみずからへの「拷問ごうもん」とんで糾弾きゅうだんし、文献ぶんけんのなかのサーンキヤ学派がくはやヴェーダーンータ学派がくは深遠しんえん哲学てつがくから卑俗ひぞく実践じっせんへと退化たいかしており、「ハタ・ヨーガ」の「いかさま行者ぎょうじゃたちこそ、本来ほんらいのヨーガ思想しそう堕落だらくさせたと批判ひはんした[49]

インドじんは、こうしたヨーガのまけのイメージを払拭ふっしょくしようと様々さまざま努力どりょくした[49]ヴィヴェーカーナンダオーロビンド・ゴーシュラマナ・マハルシ近代きんだい聖者せいじゃとされる指導しどうしゃたちは、ラージャ・ヨーガやバクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどのみをかたっていて、高度こうど精神せいしんてきはたらきや鍛錬たんれんのことだけを対象たいしょうとしており、ハタ・ヨーガは危険きけん浅薄せんばくなものとしてあつかわれた[155][† 8]。このように、19世紀せいきまつから20 世紀せいき初頭しょとうにおいて、身体しんたい技法ぎほうとしてのヨーガの実践じっせんは、西洋せいようじんにとっては深遠しんえんおしえの堕落だらくであり、先進せんしんてきなインドじんにとってはのぞきたい過去かこ遺物いぶつというあつかいだった[49]

現代げんだいヨーガの歴史れきしA History of Modern Yoga)』の著者ちょしゃ宗教しゅうきょう学者がくしゃのエリザベス・ド・ミシェリス(Elizabeth de Michelis)は、おもにインドの宗教しゅうきょう関心かんしんのある西洋せいようじん西洋せいよう影響えいきょうけたインドじんとの相互そうご作用さようによって過去かこ150年間ねんかん形成けいせいされたヨーガの潮流ちょうりゅうを「現代げんだいヨーガ」(modern yoga)とび、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(おそらく超絶ちょうぜつ主義しゅぎしゃラルフ・ワルド・エマーソン図書としょしつでヨーガをったとおもわれる)が「わたしもヨーギーである」と友人ゆうじんへの手紙てがみいた1849ねんと、ヴィヴェーカーナンダが『ラージャ・ヨーガ』を出版しゅっぱんした1896ねんを、「現代げんだいてきヨーガ」の重要じゅうよう節目ふしめであるとみなしている[158][159][160]

西洋せいよう講演こうえん人気にんきはくしたヴィヴェーカーナンダは、シャンカラてき幻想げんそう主義しゅぎてき一元論いちげんろんアドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想しそう一元論いちげんろん)にもとづく普遍ふへん主義しゅぎてきおしえをき、「インドじんにはてつ筋肉きんにくてつしんけている」として身体しんたい鍛錬たんれん文化ぶんか支持しじし、西洋せいよう外遊がいゆうしインドに帰国きこくしたのち筋肉きんにくてきヒンドゥーきょう」ともいえる立場たちばり、影響えいきょうあたえた[161][162]

また、インド独立どくりつ運動うんどう志士ししであったオーロビンド・ゴーシュ(1872 - 1950)は、シャンカラてきなアドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想しそうもとづいて、絶対ぜったいしゃブラフマンゆう歓喜かんき統合とうごうされたものであるとかんがえ、インテグラル(綜合そうごう)・ヨーガを創始そうしした[162]かれはインドの精神せいしんてき伝統でんとう正統せいとう後継こうけいしゃ自任じにんしたが、インドぎらいのちちによって完全かんぜん英語えいごでイギリスふう教育きょういくけ、大学生だいがくせいになるまでインドてきなものにれる機会きかいがなく、かれのヨーガは西洋せいよう進歩しんぽてき歴史れきしかん当時とうじ西洋せいよう流行りゅうこうしていた俗説ぞくせつてき進化しんかろんをベースにしている[163][164]人類じんるいはブラフマンをヨーガによって体験たいけんすることで、自己じこ変容へんようしてさらなる進化しんか超人ちょうじんになることができ、病気びょうき苦痛くつうから解放かいほうされ、あの天国てんごくではなくこの天国てんごくてき永遠えいえんせいることができるといた[164][162]。このような超人ちょうじんえることで、世界せかい救済きゅうさいされるという[162]。オーロビンドは国際こくさいてき有名ゆうめいとなり、アジア東洋とうよう学院がくいん教授きょうじゅハリダース・チョードリ英語えいごばんによってアメリカでわかりやすく紹介しょうかいされた[165]

ひだりからスワミ・サッチダーナンダ英語えいごばんB.K.S.アイアンガーアムリット・デサイ英語えいごばん、クマラ・スワミ、ディレンドラ・ブラフマチャリ英語えいごばん、B・I・アートレーヤ博士はかせ科学かがくてきヨーガにかんする世界せかい会議かいぎ(the World Conference on Scientific Yoga)、1970ねん、ニューデリー
おおくのヨーガの流派りゅうはおこなわれているゆみのポーズ。1934ねんシヴァーナンダ英語えいごばんほんによりひろ普及ふきゅうした[166]

19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいき前半ぜんはんに、西洋せいよう身体しんたい鍛錬たんれん英語えいごばん運動うんどう発達はったつし、20世紀せいきはじめまでに植民しょくみん地下ちかのインドにスウェーデン体操たいそうなどの西洋せいようしき体操たいそう導入どうにゅうされた[49]。アーサナを健康けんこう体操たいそうとしてとらえようとするうごきがしょうじ、アーサナがスウェーデン体操たいそうなどと比較ひかくして解説かいせつされ、またヨーガをボディビルとして、ボディビルをヨーガとしてとらえようとするものもあらわれた[49]身体しんたい鍛錬たんれん運動うんどう由来ゆらいするさまざまなポーズ(アーサナ)がインド独自どくじのものとして「ハタ・ヨーガ」のによって体系たいけいされたが、この時点じてんでは、西洋せいようてき体操たいそうてき技法ぎほうをインド古来こらい文化ぶんかのなかから見出みいだして編纂へんさんした「インドりゅうスウェーデン体操たいそう」のようなものだった[49]。このヨーガ体操たいそうきん現代げんだいのヨーガのベースとなっており、現在げんざい世界中せかいじゅう普及ふきゅうしているヨーガは、このあたらしい「現代げんだいのハタ・ヨーガ」がベースとなっている。現代げんだいヨーガの立役者たてやくしゃのひとりであるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ英語えいごばん(1888ねん - 1989ねん)は、アーサナを西洋せいようしき体操たいそうれたハリー・クロウ・バック英語えいごばんらのYMCA体育たいいく教育きょういく影響えいきょうけ、西洋せいようしき体操たいそうれてハタ・ヨーガの技法ぎほうとしてアレンジした[49][43][† 9]

インド伝統でんとうのエクササイズ(健康けんこう体操たいそう)と喧伝けんでんされることで、アーサナが中心ちゅうしんとなったハタ・ヨーガの名前なまえきん現代げんだい復権ふっけんすることになった[167]医療いりょう人類じんるい学者がくしゃジョセフ・アルター英語えいごばんは、からだうごかす運動うんどうとしてのヨーガの発展はってんに、ヒンドゥー至上しじょう主義しゅぎ民族みんぞく義勇ぎゆうだん影響えいきょうがあると指摘してきしている。

バンキム・チャンドラ・チャートパーディヤーエ英語えいごばん愛国あいこく小説しょうせつアノンドの僧院そういん英語えいごばん』(1884ねん)やV・D・サヴァルカール英語えいごばんのノンフィクション『1857ねんインド独立どくりつ戦争せんそう(セポイのらん)』(1908ねん)などの作品さくひんもあり、外国がいこく勢力せいりょくたたかうヨーギーのイメージはたかまった[161]身体しんたい文化ぶんか活動かつどうでヨーガできた怪力かいりきたというK・ラマムルティ英語えいごばん世界せかいチャンピオンになったインドじんレスラーは、自由じゆうへの闘争とうそう英雄えいゆうてきシンボルになった[161]。ヨーガ、身体しんたい文化ぶんか実践じっせんしゃたちは、西洋せいよう身体しんたい文化ぶんかとインドの伝統でんとうてき鍛練たんれんほうであるヨーガを融合ゆうごうし、それを身体しんたい文化ぶんかることもあれば、ヨーガととらえることもあり、すべてインド由来ゆらい主張しゅちょうしインドの身体しんたい文化ぶんか方法ほうほう優越ゆうえつせいくこともあった[161]。ヨーガの指導しどう練習れんしゅう戦闘せんとう訓練くんれんかくみのとしてもおこなわれた[161]

2016ねんユネスコ推進すいしんする無形むけい文化ぶんか遺産いさんにインド申請しんせいわく登録とうろくされた[168]。それに先立さきだつ2014ねんモディ政権せいけん政府せいふに「ヨーガ・アーユルヴェーダ・伝統でんとう医学いがく担当たんとうしょう」(AYUSHしょう[† 10]設立せつりつするとともに、国連こくれん加盟かめい各国かっこくはたらきかけて夏至げしの6がつ21にちを「国際こくさいヨガの」として国連こくれん総会そうかいさだめることに成功せいこうした[169]。インドの身体しんたい文化ぶんか世界せかいてき盛況せいきょうは、年間ねんかんやく450まんにん外国がいこくじん観光かんこうきゃくおとずれるインド国内こくない観光かんこう産業さんぎょうにも波及はきゅうしており、インド政府せいふ観光かんこう資源しげん最大さいだい目玉めだま位置いちづけ、「国家こっかプロジェクト」として、旅行りょこうしゃ誘致ゆうちをしている[170][55]。インド政府せいふ観光かんこうきょくのキャンペーン・ポスターには、ヨーガのポーズをした女性じょせい写真しゃしん使つかわれることがおおくなっている[55]

グローバルに展開てんかいする現代げんだいのヨーガの流行りゅうこうは、ヨーガの発祥はっしょうであるインドにも影響えいきょうあたえている[55]。インドにおいてヨーガは伝統でんとうてきに、宗教しゅうきょう修行しゅぎょうしゃやヒンドゥーきょう僧侶そうりょ上位じょういカーストのバラモン階級かいきゅうなどにほぼ限定げんていされた宗教しゅうきょう文化ぶんかであり、インドでは修行しゅぎょうしゃのような一部いちぶ人々ひとびと実践じっせんされ、一般いっぱん人々ひとびとからは近寄ちかよりがたくおもわれ敬遠けいえんされていた[55]近年きんねん欧米おうべい流行りゅうこうからのぎゃく輸入ゆにゅうとしてヨーガがさい評価ひょうかされ、肥満ひまん問題もんだい深刻しんこくする都市とし新興しんこう富裕ふゆうそう中産ちゅうさん階級かいきゅう中心ちゅうしんに、ヨーガのリバイバルがきている[55][170]。ヨーガ指導しどうしゃラムデヴ英語えいごばん(1965ねん - )は、ヨーガの難解なんかい理論りろんをあえてけてわかりやすくおしえをき、簡単かんたんなポーズを1にち30ふん実践じっせんする手法しゅほう提案ていあんして健康けんこうやストレス解消かいしょうもとめる中産ちゅうさん階級かいきゅうんで、ヨーガを一般いっぱん人々ひとびとひろめた[55]かれは、経験けいけん豊富ほうふから指導しどうけるべき初心者しょしんしゃけのてき実践じっせんかんがえられてきた複雑ふくざつなプラーナ―ヤーマとうを、慣例かんれいやぶってヨーガ・キャンプで初心者しょしんしゃおしえた[55]糖尿とうにょうびょうやエイズ、がんをわずらひとに、現代げんだい治療ちりょうたか治療ちりょうはらうよりプラーナ―ヤーマを実践じっせんすることをすすめた[55]アーユルヴェーダビジネスを積極せっきょくてき展開てんかいし、なんひゃくまんものインドじんかれのアーユルヴェーダやく利用りようしており、ヨーガ道場どうじょう薬局やっきょくチェーンの経営けいえいやく200おくえん事業じぎょう収入しゅうにゅうつといわれる[55][171]人々ひとびとがラムデヴにおそわったヨーガでよい効果こうかがあったとかたることで、かれの「やまい治癒ちゆする」という権威けんいたかまり、現代げんだいインドのヨーガのカリスマとなった。かれはテレビでもヨーガをおしえ、インドのテレビ業界ぎょうかいもっと視聴しちょうりつかせぐことができる人物じんぶつ一人ひとりとみなされている[55]

欧米おうべい改良かいりょうされたエクササイズてきなヨーガは、今日きょうではインドでもひろれられており、インド都市としなかあいだそうけのヨーガ教室きょうしつやフィットネスジムは、「NY 直輸入ちょくゆにゅう」「NY スタイル」「ハリウッドスタイル」とうしょうして人気にんきあつめ、まち書店しょてんではヨーガのDVDやアメリカのヨーガ専門せんもんならんでいる[49][55][170][172]

また、現代げんだいではインドのカトリック教会きょうかいでもヨーガがれられ、クリスチャン・ヨーガとして実践じっせんされている[173]

世界せかいへの伝播でんぱ

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中国ちゅうごく

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インドで段階だんかいてき発展はってんした仏教ぶっきょう中国ちゅうごくつたえられたが、距離きょりがかなりはなれているため、インドのかく教団きょうだん思想しそう行法ぎょうほう随時ずいじつたわらず、とき系列けいれつやコンテクストがからない状態じょうたいで、脈絡みゃくらくなく伝来でんらいした[174]中国ちゅうごくでは、いわば無秩序むちつじょつたわった仏教ぶっきょう整理せいりして、理解りかいできるようさい編成へんせいする必要ひつようがあった[174]文献ぶんけん中心ちゅうしん流入りゅうにゅうしたため、ヨーガぎょうじょう修行しゅぎょうほう)がどれだけ正確せいかくつたえられ、実践じっせんされ理解りかいされたのかはわからない[174]仏教ぶっきょう基本きほん日常にちじょうでの実践じっせんてき規律きりつ)、じょう(ヨーガぎょう)、とし仏教ぶっきょう哲学てつがく理論りろん)のさんがくまなぶことであり、じょうなければ戒もとし意味いみがないが、文献ぶんけんによって修行しゅぎょうほう統一とういつせい一貫いっかんせいがなく、いかにじょうぜん禅定ぜんじょう)の体系たいけい確立かくりつするかというのが中国ちゅうごく仏教ぶっきょう重要じゅうよう課題かだいだった[175]天台宗てんだいしゅう開祖かいそさとし(538-597ねん)らは、中国人ちゅうごくじん思想しそうとおして経典きょうてんおしえのふかさをはかって体系たいけいしてさい統合とうごうおこない(これをきょうばんという)[174]中国ちゅうごく大乗だいじょう仏教ぶっきょう修行しゅぎょうほう体系たいけいし、じょうがく発展はってんさせていった[176][175]

さとし顗はヨーガやぜん三昧ざんまいではなく「止観しかん」という言葉ことば重視じゅうしし、インド仏教ぶっきょうおこなわれていた実践じっせんてき修行しゅぎょうほうすべてを止観しかんとして統合とうごうしたため、止観しかん中国ちゅうごく仏教ぶっきょうにおいてヨーガの瞑想めいそう象徴しょうちょうする重要じゅうよう用語ようごひがしアジア仏教ぶっきょう代表だいひょうする瞑想めいそう修行しゅぎょうほうとなった[174][176]仏教ぶっきょう中国ちゅうごく道教どうきょう儒教じゅきょう密接みっせつ関係かんけいをもって土着どちゃくし、涅槃ねはん目的もくてき仏性ぶっしょうることであるとされるようになった[177]天台宗てんだいしゅう修行しゅぎょうほうは、中国ちゅうごくで6世紀せいきまでに普及ふきゅうしていた陰陽いんようぎょうせつもとづく生理学せいりがく身体しんたいかんをベースに、インドの四大しだい理論りろんさんだい理論りろん)にもとづく身体しんたいかん統合とうごうされている[178]

また、禅宗ぜんしゅう隆盛りゅうせいしたことで、「ぜん」という用語ようごひがしアジアの仏教ぶっきょうで、瞑想めいそうさとりの境地きょうちあらわ重要じゅうよう言葉ことばになった[174]ぜん道教どうきょうろうそう思想しそう)の影響えいきょうけて、徐々じょじょにインドてき要素ようそ基礎きそとしながらも、その制約せいやくからはなれて独自どくじ発展はってんした[174]ぜん瞑想めいそう宗派しゅうはであり、さとりの方法ほうほうとして直感ちょっかん信頼しんらいし、瞑想めいそうじつおさむ究極きゅうきょく真理しんりへの手段しゅだんとしてほか宗派しゅうはよりとく重視じゅうしする[179]禅宗ぜんしゅうでは、涅槃ねはん目的もくてきである仏性ぶっしょう言語げんご表現ひょうげんえるものであり、恣意しいてきもとめてることはできないとされ、一切いっさい思慮しりょ分別ふんべつてたぜんじつおさむにより、究極きゅうきょく真理しんりであるそら到達とうたつできるとした[179]ぜんはアーサナ(すわほう)を前提ぜんていおこなわれたことから、座禅ざぜんばれるようになったとわれる[174]中国ちゅうごくでの禅宗ぜんしゅう拡大かくだいにより、止観しかんひろ意味いみぜん一部いちぶまれた[174]

8世紀せいきごろには、インドからヒンドゥーきょうヨーガと融合ゆうごう関係かんけいにある密教みっきょうはいったが、中国ちゅうごくではあまりれられず、中国ちゅうごくからつたわった日本にっぽんほう影響えいきょうおおきかった[174]

ヨーガのもうひとつの形態けいたいである念仏ねんぶつかんほとけといったヨーガは、浄土じょうどきょうだんによって重視じゅうしされ、ぜん念仏ねんぶつ別々べつべつ行法ぎょうほうとしておこなわれるようになった[174]

チベット

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モンゴル

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欧米おうべいへの紹介しょうかい

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ラマナ・マハルシ
チャールズ・W・レッドビーター

近世きんせいはいって、インドが西欧せいおう文化ぶんか接触せっしょくすると、ヒンドゥーきょう改革かいかく機運きうんしょうじ、ブラフモ・サマージアーリヤ・サマージかみ智学ちがく協会きょうかいがつくられ、さらに19世紀せいきには現在げんざいでもられるヨーガ行者ぎょうじゃ何人なんにんあらわれた[180]。また、キリストきょう異端いたんてき潮流ちょうりゅうであるニューソートの実践じっせん心霊しんれい研究けんきゅう弁護士べんごしのアメリカじんウィリアム・ウォーカー・アトキンソン英語えいごばん (1862ねん - 1932ねん)は、ヨギ・ラマチャラカのペンネームでインドじんいつわり、西洋せいようのオカルティズムの生命せいめいエネルギー概念がいねん、ニューソート思想しそうメスメリズム動物どうぶつ磁気じき療法りょうほう)などの思想しそうをベースに、インド思想しそう用語ようご使つかい、伝統でんとうてきなハタ・ヨーガの技法ぎほう当時とうじ欧米おうべい健康けんこうほう運動うんどう食事しょくじ入浴にゅうよくほうなど)、体操たいそう北欧ほくおう体操たいそうから借用しゃくようしたとおもわれる)など、東西とうざい技法ぎほうこんえてさい構成こうせいしたものを「ハタ・ヨーガ」として紹介しょうかいした[181]かれ著作ちょさくはアメリカでベストセラーになっており、これがヴィヴェーカーナンダがけれられた素地そじになっている。アトキンソンの著作ちょさく日本にっぽんにも翻訳ほんやくされ、近代きんだい日本にっぽん民間みんかん療法りょうほう影響えいきょうあたえている[181]

ヴィヴェーカーナンダは、1893ねんシカゴ万国博覧会ばんこくはくらんかいにともない2週間しゅうかんちかくにわたって開催かいさいされた万国ばんこく宗教しゅうきょう会議かいぎ英語えいごばん出席しゅっせきし、つづいて1896ねんまつまで欧米おうべい各地かくちでインドの思想しそういてまわった[182]。『バガヴァッド・ギーター』やヨーガ学派がくは思想しそうさい編成へんせいし、ヴェーダーンタさい解釈かいしゃくし、単純たんじゅんし、近代きんだいして、ヨーガのによっていた[183]ネオ・ヴェーダーンタ英語えいごばん)。ヴィヴェーカーナンダのヨーガの最終さいしゅう目標もくひょうはジュニャーナ・ヨーガ(智慧ちえみち) であるとかんがえられているが、アメリカで人気にんきとなったのは、プラーナ(呼吸こきゅう)とプラーナーヤーマ(調しらべいき)にかんしてハタ・ヨーガの生理学せいりがくてき要素ようそれた、プラクティカルなラージャ・ヨーガ(心身しんしん統一とういつみち)であった[184]個人こじん自力じりき霊的れいてきたかみにのぼ方法ほうほうろんとして受容じゅようされ、ロマン・ロランによれば、ひとびとは「世界せかい征服せいふく幼稚ようち不健全ふけんぜん秘密ひみつもとめてちからのヨーガ‐ラージャ・ヨーガ‐にびついた」のである[183]

このヴィヴェーカーナンダの活動かつどう手始てはじめとして、ヨーガ行者ぎょうじゃたちはアメリカやヨーロッパに渡航とこうして指導しどうするようになり、ヨーガが欧米おうべい一般いっぱん社会しゃかい次第しだい紹介しょうかいされるようになった[185]オーロビンド・ゴーシュや、シャンカラてきアドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想しそうまなぶことなくみずからの神秘しんぴ体験たいけんとおしてその境地きょうち到達とうたつしたラマナ・マハルシなどの思想しそう書物しょもつなどによって欧米おうべいられるようになった[186][162]。ラマナ・マハルシのもとには、カール・グスタフ・ユングなどヨーロッパの著名ちょめいじんおとずれている[187]

また、ニューヨークで設立せつりつされた「かみ智学ちがく協会きょうかい」は、創設そうせつしゃブラヴァツキー夫人ふじんオルコット大佐たいさが、1879ねんにインドに本部ほんぶうつ[188]、『ヨーガ・スートラ』などの文献ぶんけん翻訳ほんやく、チャクラなどの概念がいねん欧米おうべい紹介しょうかいし、ヨーガへの貢献こうけんおおきかった[189]神智しんちがく協会きょうかいは、ヨーガはレムリア大陸たいりくアトランティス大陸たいりくからつたえられた霊的れいてき進化しんかのためのくだりほうであると主張しゅちょうしている。オカルト活動かつどう一方いっぽうインド独立どくりつ運動うんどう支援しえんした[190]

ニューエイジ・対抗たいこう文化ぶんか

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ビートルズ
ミック・ジャガーブライアン・ジョーンズ、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
ラム・ダス


近代きんだいヨーガは西洋せいよう文化ぶんか影響えいきょうをうけ、体操たいそうてき意味合いみあいがつよくなっていたが、アメリカにわたり、ぎた近代きんだい主義しゅぎ西洋せいよう主義しゅぎ反発はんぱつし、東洋とうようてきでスピリチュアルな実践じっせんもとめるアメリカじん影響えいきょうけ、ふたたびスピリチュアルな意味合いみあいをもつようになっていった[49]

1960年代ねんだい対抗たいこう文化ぶんかがはじまり、主流しゅりゅう文化ぶんか反抗はんこうする若者わかものたちは、東洋とうよう思想しそう薬物やくぶつ使用しようによるのう覚醒かくせい高次こうじへの覚醒かくせい目指めざサイケデリック傾倒けいとうした。60年代ねんだい初期しょきにはカリフォルニアのエスリン研究所けんきゅうじょひとし前衛ぜんえいてきな「成長せいちょうセンター」で、心理しんりげきエンカウンターグループゲシュタルト療法りょうほうひとしのグループ・セラピー、ホロトロピック・ブレスワークボディワークなどの心身しんしん技法ぎほうともに、瞑想めいそうやヨーガが個人こじん変容へんよう自己じこ啓発けいはつのテクニックとしておしえられるようになり、これらのセンターはヒューマンポテンシャル運動うんどう中心ちゅうしんとなっていった[191]。こうした潮流ちょうりゅうから、アメリカから「ニューエイジ運動うんどう」がこった[192]ぎた近代きんだい主義しゅぎ西洋せいよう中心ちゅうしん主義しゅぎ対抗たいこうするニューエイジ・ムーヴメントは、東洋とうよう思想しそう神秘しんぴ主義しゅぎ、エコロジーなどをれて、精神せいしんせい追求ついきゅうし、平和へいわ調和ちょうわかかげた[193]

サイケデリック文化ぶんか主要しゅよう人物じんぶつティモシー・リアリーは、人類じんるい意識いしきねむっている回路かいろをヨーガの訓練くんれんやドラッグによる神経しんけい活性かっせいによって目覚めざめさせることができ、さらに完全かんぜん覚醒かくせいのためには宇宙うちゅうへの移住いじゅう必要ひつようだといた[194]LSD実験じっけんかえしたリアリーは、ドラッグ体験たいけんをグッドトリップにするための手引てびきしょとして、チベット密教みっきょうニンマ経典きょうてんチベット死者ししゃしょ』をもちいることを提案ていあんし、本書ほんしょをヒッピーの経典きょうてんてき存在そんざいにした[195]快適かいてきなドラッグ体験たいけんのために、本書ほんしょ翻案ほんあんしてドラッグのセッションのさいとなえる文言もんごんあつめた書籍しょせき刊行かんこうし、ヒッピーたちから絶大ぜつだい支持しじ[195]。ヒッピーの運動うんどう世界せかいひろまり、先進せんしん諸国しょこく若者わかものたちはインドやネパールに大勢おおぜいせ、ドラッグやフリーセックス、ヨーガや瞑想めいそうひた生活せいかつおくった。リアリーの同僚どうりょうでユダヤじんのリチャード・アルパートは、LSD体験たいけんでこの世界せかいつくされた虚構きょこうのゲームにぎないとさとり、LSD体験たいけん意味いみもとめてインドを放浪ほうろうし、ヒンドゥーきょうのグルであるニーム・カロリ・ババ英語えいごばん通称つうしょうマハラジ)に出会であい、帰依きえした[196]。アルパートはラム・ダス英語えいごばん名乗なのり、ヨーガのアーシュラムですうねん修行しゅぎょうし、アメリカに帰国きこくみずからの回心かいしん体験たいけんやヨーガの修行しゅぎょうほうをまとめた『ビー・ヒア・ナウ英語えいごばん』を出版しゅっぱんし、ニューエイジ思想しそう聖典せいてんとしてつよ支持しじ[196]。ヒッピーやニューエイジャーによるコミューンがおおつくられたインドでは、様々さまざま聖者せいじゃ、カリスマが崇拝すうはいされ、そのなかにはアメリカに移住いじゅうしておおくの信者しんじゃあつめるものもおり、こうした状況じょうきょうは「グルはインドの主要しゅよう輸出ゆしゅつひんである」と揶揄やゆされることもあった[196]

ニューエイジの初期しょき象徴しょうちょうてきなイベント、モントレーのフェスティバルでは、インドじんラヴィ・シャンカルがシタールを演奏えんそうした[197]。また、その規模きぼ拡大かくだいしたのがウッドストック・フェスティバルであった[197]。この時代じだいのヨーガに多大ただい影響えいきょうあたえたのは、ビートルズであった[198]。1968ねんにビートルズはインドにわたり、超越ちょうえつ瞑想めいそうひろめたインドじんグルのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー主催しゅさいするリシケーシュのアーシュラム(道場どうじょう)を訪問ほうもんし、2ヶ月かげつわたって瞑想めいそうやヨーガを実践じっせんした[199][200]。このときビートルズは、ガールフレンドや友人ゆうじん、マネージャー、リポーターとう総勢そうぜい200にん以上いじょうれており、インドにわたったメディアも「ヨーガ」に注目ちゅうもくし、流行りゅうこう後押あとおしした[198][200]。1970年代ねんだいには、インドじんビクラム・チョードリー英語えいごばんが、アメリカのビバリーヒルズにビクラムヨーガ(ホットヨーガの一種いっしゅ)のスタジオを開設かいせつしている[49]。1960-70年代ねんだいは、欧米おうべいだいいちヨーガブームとべるような流行りゅうこうせ、ビートルズやかれらに注目ちゅうもくしたメディアもそれを後押あとおしするかたちとなった[49]

1980ねんには、ニューエイジの論客ろんかくケン・ウィルバートランスパーソナル心理しんりがく理論りろんしょ『アートマン・プロジェクト』を出版しゅっぱんしたが、トランスパーソナル心理しんりがくは、「宇宙うちゅうてき存在そんざいれることで本当ほんとう自分じぶん目覚めざめる」というモチーフを骨子こっしとするユング心理しんりがく体系たいけいかみ智学ちがくてきなヨーガろん融合ゆうごうさせたものとかんがえられる[201]

ヨーガの普及ふきゅう先鋭せんえいてき若者わかものたちにかぎられていたが[202]当時とうじアメリカに600まんにんのヨーガ人口じんこうがあり、イギリスないでのヨーガ教室きょうしつ全国ぜんこくにまたがりすうせんカ所かしょおよび、ドイツ、スイス、フランスでもさかんにおこなわれていた[203]

世界せかいてきだい流行りゅうこう

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スポーツジムのヨーガ教室きょうしつ
プラーナーヤーマをこころみる男性だんせい

1980年代ねんだいには、欧米おうべい空前くうぜんのフィットネスブームがあった[204]西洋せいようとインドの身体しんたい文化ぶんかがシンクロするかたちまれた「アーサナ体操たいそう」は、1980-90年代ねんだいとくに1990年代ねんだい後半こうはん以降いこうにアメリカをはじめとする世界せかい各国かっこくひろがり、「スピリチュアル喚起かんきするインドの伝統でんとうてき身体しんたい技法ぎほう」として受容じゅようされるようになった[43][204]。1990年代ねんだい初頭しょとうのアシュタンガ・ヨーガやパワー・ヨーガの台頭たいとうである[205]。アメリカでは、ヨーガ・マットをかたからさげて、モダンな雰囲気ふんいきのヨーガ・スタジオにくことが、あたらしいカルチャーになろうとしているという[206]

1983ねんになると、バーチ夫妻ふさいブライアン・ケスト英語えいごばんが、インドのアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ英語えいごばん通称つうしょう アシュタンガ・ヨーガ)に筋肉きんにくトレーニングの要素ようそくわえ、フィットネス仕様しようワークアウト)にアレンジしたパワー・ヨーガを開発かいはつした[49]

スワミ・サッチダーナンダの弟子でしで、カリフォルニア大学だいがくサンフランシスコこう医学部いがくぶ教授きょうじゅのディーン・オーニッシュは、心臓しんぞうびょう回復かいふくにヨーガが役立やくだちうるという研究けんきゅう結果けっか発表はっぴょうし、ヨーガは代替だいたい医療いりょうとしても注目ちゅうもくあつめ、オーニッシュのヨーガプログラムをれる病院びょういんてきた[204]欧米おうべいきん現代げんだいヨーガの初期しょき指導しどうしゃたちは、インドで時間じかんをかけて修行しゅぎょうまなび、おしえる立場たちばったが、ヨーガへの急激きゅうげき注目ちゅうもくたかまりで指導しどうしゃ需要じゅよう急増きゅうぞうし、数日すうじつ指導しどうしゃ養成ようせいすることがのぞまれるようになった[204]。ヨーガのコミュニティは、指導しどうしゃしつ低下ていかや、ジムや病院びょういん保険ほけん会社かいしゃ政府せいふ機関きかん指導しどう基準きじゅんつくり、ヨーガ業界ぎょうかいけることを危惧きぐするようになり、熟練じゅくれん指導しどうしゃたちによるヨガアライアンス(YA)は、1999ねんすうじゅう年間ねんかんインドのアシュラムでおこなわれていた1カ月かげつ研修けんしゅうプログラムの時間じかんもとづき、生徒せいと安全あんぜん指導しどうするための最低さいていトレーニング時間じかんを200あいだとすることにめた[204]

アメリカでフィットネス仕様しようにアレンジされたあたらしいヨーガが、マドンナなどハリウッドのセレブリティ(セレブ)が実践じっせんしていたことで脚光きゃっこうび、アメリカで広範こうはん人気にんきたことで、アメリカはつ爆発ばくはつてき世界せかいてきだい流行りゅうこうをするにいたっている[205][172]。2005ねん統計とうけいによれば、アメリカのヨーガ人口じんこうは1650まんにんとなり、とくに18-24さい若者わかものたちかぎれば、としに50パーセントちか割合わりあい増加ぞうかしたという[172]

日本にっぽん状況じょうきょう

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仏教ぶっきょう伝来でんらい

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日本にっぽんには、道教どうきょう影響えいきょうけた中国ちゅうごく経由けいゆ仏教ぶっきょう伝来でんらいした(仏教ぶっきょうおおやけでんは6世紀せいきなかば)。このころどのような修行しゅぎょうほうおこなわれたかわからないが、朝鮮ちょうせんから仏教ぶっきょうそう渡来とらいするようになると、瞑想めいそう中心ちゅうしんとする仏教ぶっきょうくだりおこなわれたとかんがえられる[7]。この時代じだい修行しゅぎょうしゃは、渡来とらいそう中国ちゅうごくまな帰国きこくしたそう聖徳太子しょうとくたいしなどの一部いちぶのエリートにかぎられていた[207]

8世紀せいきには、バラモン僧正そうじょうともばれたボーディセーナ(菩提ぼだい僊那)がみなみインドから渡来とらいし、仏教ぶっきょう教義きょうぎとインド直伝じきでんのヨーガを日本にっぽんにもたらした。かれ在籍ざいせきした大安寺だいあんじ独自どくじ行法ぎょうほうつたえ、東大寺とうだいじ初代しょだい別当べっとう良弁りょうべん空海くうかいともいわれるつとむみさお止観しかんをよくした最澄さいちょうなどの人物じんぶつ輩出はいしゅつし、呪術じゅじゅつてき傾向けいこうつよ山岳さんがく信仰しんこう形成けいせいにもおおきな影響えいきょうあたえた[208]

空海くうかい

古代こだいから中世ちゅうせいにおいての仏教ぶっきょうヨーガの実践じっせんしゃとして、代表だいひょうてき人物じんぶつ空海くうかいである[208]空海くうかいつとむみさおとされるそうに、記憶きおくりょく増進ぞうしんのためにマントラをひゃくまんへんとなえるくだり(ヒンドゥー・ヨーガではマントラ・ヨーガにたる)「虚空蔵こくぞうもとめ聞持のほう」をおそわって実践じっせんした[209]。さらにとうわたり、インドじん僧侶そうりょ般若はんにゃ三蔵さんぞうなどから直接ちょくせつおしえをけ、ぜんほう中国ちゅうごく禅宗ぜんしゅう座禅ざぜんではなく、インドしきのヨーガ瞑想めいそうほう)をならい、ぬまで熱心ねっしんにこれを実践じっせんしていた[209]大同だいどう元年がんねん806ねん)にとうより帰国きこくして中期ちゅうき密教みっきょうのヨーガをつたえ、智慧ちえのヨーガにヒンドゥーきょうてき呪術じゅじゅつせいくわわった密教みっきょう根本こんぽん道場どうじょうとして、高野山こうのやまひらいた[209]空海くうかいおしえは、直接ちょくせつインドじんそうからおしえをけたため、瞑想めいそうだけでなく呪術じゅじゅつ祭式さいしきふくめ、ヒンドゥーけいヨーガのいろつよ[209]密教みっきょう修行しゅぎょう、ヨーガのくだりによる神秘しんぴ体験たいけんによって、死後しごでなくきたままふつ合一ごういつし、ふつとなる即身成仏そくしんじょうぶついた[210]

空海くうかい先輩せんぱいにあたり比叡山ひえいざんひらいた天台宗てんだいしゅう最澄さいちょうは、仏教ぶっきょうヨーガの中国ちゅうごくてき展開てんかいといえる止観しかん熱心ねっしんおこない、弟子でしたちに推奨すいしょうした[211]天台宗てんだいしゅうでは念仏ねんぶつさかんにおこなわれた[211]

法然ほうねん

日本にっぽん仏教ぶっきょうでは、密教みっきょうべつおおきな系統けいとうとして、浄土じょうどきょうけい仏教ぶっきょうがある。日本にっぽん浄土じょうどきょうといえる法然ほうねんは、諸行しょぎょうをすべててて「称名しょうみょう」のみを選択せんたくし、念仏ねんぶつ専念せんねんした[212]一心いっしん阿弥陀あみだとなえる念仏ねんぶつは、バクティ・ヨーガのみちおなかんがかたである[212]日蓮にちれんもまたバクティ・ヨーガのながれにあり、マントラ・ヨーガ行者ぎょうじゃであるともいえる[213]一遍いっぺん踊念仏おどりねんぶつもバクティとの共通きょうつうせいふか[213]明恵あきえはインド仏教ぶっきょうのヨーガ瞑想めいそうほうたっした最高さいこう境地きょうちあらわした『華厳経けごんきょう』をどころに、ヨーガ瞑想めいそうほう中心ちゅうしんとする修行しゅぎょうおこなった[214]道元どうげん禅宗ぜんしゅうとしてぜん仏教ぶっきょう本道ほんどうから独立どくりつさせようとするかんがえにこととなえ、ブッダへの回帰かいき目指めざぜんおしえをいた[215]

また、ヒンドゥーけいヨーガで強調きょうちょうされたカルマ・ヨーガ(行為こういのヨーガ)は、日本にっぽんではかなり独自どくじ発展はってんげた[216]世俗せぞくしょ芸道げいどう修行しゅぎょうみちどうおけして宗教しゅうきょうてき意味いみあたえ、芸道げいどう武道ぶどうの「みち」に邁進まいしんすることがさとりの修行しゅぎょうであるとした[216]。こうしたおしえは、日本にっぽんではとく禅宗ぜんしゅう道元どうげん強調きょうちょうし、さらに江戸えど初期しょき鈴木すずき正三しょうさん一段いちだん深化しんかさせ、すべての職業しょくぎょう実践じっせんさとりへのみちむすけた[216]

東京とうきょう世田谷せたがや南西なんせい発音はつおんた「用賀ようが (Yōga)」という地名ちめい (玉川たまがわ地域ちいき大字だいじ) があるが、12世紀せいきにこの当時とうじは「勢田せたきょう」とばれていた)により「瑜伽ゆが」の道場どうじょう開設かいせつされ、16世紀せいき真言宗しんごんしゅう真福寺しんふくじによって道場どうじょう所有しょゆうされていたことが「用賀ようが」という地名ちめい由来ゆらいわれている[217]

このように、日本にっぽんには仏教ぶっきょう修行しゅぎょうほうとしてヨーガがつたわり、なが伝統でんとうつが、日本にっぽんではそれはほとんど認識にんしきされていない[25]。インド思想しそう研究けんきゅうしゃ保坂ほさか俊司しゅんじは、明治めいじ大正たいしょう日本人にっぽんじんが、脱亜入欧だつあにゅうおう西洋せいよう近代きんだい目指めざし、仏教ぶっきょうなどの既存きそん日本にっぽん文化ぶんかとの連続れんぞくせいとうとした行動こうどうが、近代きんだい以降いこう日本にっぽんはいったインド思想しそうやヨーガと仏教ぶっきょう伝統でんとう連続れんぞくせいがあっても自覚じかくできず、訳語やくご適当てきとう曖昧あいまいさゆえに、翻訳ほんやくもと本来ほんらい意味いみ内容ないよう正確せいかく把握はあくできないという弊害へいがいをもたらしたと指摘してきしている[218]哲学てつがくしゃ井上いのうえ哲次郎てつじろうは、欧米おうべい思想しそう翻訳ほんやくさい仏教ぶっきょう関連かんれん用語ようご意図いとてきけており、そのため瞑想めいそう関連かんれん訳語やくごには混乱こんらんがみられる[218]。こうした事情じじょうのため、日本人にっぽんじんはインド思想しそうやヨーガ(ヨガ)と日本にっぽん仏教ぶっきょう伝統でんとう精神せいしん連続れんぞくせい関連かんれんせいをほとんど自覚じかくしていない[25]

近代きんだいヨーガの受容じゅよう

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アメリカから書籍しょせき日本にっぽん紹介しょうかいされ影響えいきょうのあったヨーガは自称じしょうインドじんおおく、戦前せんぜんはアメリカ白人はくじんのものが中心ちゅうしんだった[219]曹洞宗そうとうしゅう僧侶そうりょ駒沢大学こまざわだいがく初代しょだい学長がくちょう忽滑谷ぬかりやかいてんは、仏教ぶっきょうだけでなく、修養しゅうようほう心霊しんれいじゅつ、オカルトに関心かんしんっており、ヨギ・ラマチャラカ(ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)のアメリカにおけるニューソートスピリチュアリズムなかさい構成こうせいされたヨーガの技法ぎほうラーマクリシュナ弟子でしアベダーナンダ英語えいごばん とヴィヴェーカーナンダの著作ちょさくなどの内容ないようをまとめた『やしなえおよしん実験じっけん』(1915ねん出版しゅっぱん。1925ねんに『心術しんじゅつ』として再販さいはん)で、日本にっぽんではじめてクンダリニー・ヨーガを紹介しょうかいした[181]

近代きんだい日本にっぽんにおける本格ほんかくてきなヨーガの受容じゅようは、1919ねん中村なかむら天風てんぷう天風てんぷうかい設立せつりつし、各界かくかい説法せっぽうしたことにはじまる[220]。ただし、天風てんぷうは「ヨーガ」という言葉ことばをほとんど使用しようせずおしえをいており、みずからの技法ぎほうを「心身しんしん統一とういつほう」としている[181]。ヨギ・ラマチャラカ(ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)はてんふうおおきく影響えいきょうあたえたといわれている[181]。その、1940-50年代ねんだい神智しんち学者がくしゃ三浦みうら関造かんぞう竜王りゅうおうかい主宰しゅさいし、「綜合そうごうヨガ」の研修けんしゅうかいでアーサナや呼吸こきゅうほう指導しどうした[220]。この二人ふたりが、日本にっぽんのヨーガの「草分くさわてき存在そんざい」とされる[220]

実際じっさいにヨーガをひろめたのは、1950年代ねんだいより活動かつどうはじめた二人ふたり人物じんぶつである[220]一人ひとりは、おきヨガの創始そうししゃおき正弘まさひろで、ヨーガを体系たいけいてき指導しどうした先駆せんくしゃであり、おおくの後進こうしんそだてたことから「日本にっぽんヨガのちち」ともばれる[220]おきのヨーガは、英語えいごけん隆盛りゅうせいした近代きんだいヨーガのアーサナをれているが、アーサナ中心ちゅうしんではなく、東洋とうよう医学いがくぜんれた、いわば「日本にっぽんてき」なスタイルとなっている[181]おき双璧そうへきとされるのが、インド哲学てつがく権威けんい保田やすだ鶴治つるじで、『ヨーガ・スートラ』などのヨーガ文献ぶんけん翻訳ほんやくとヨーガの思想しそうをまとめあげ、60さいぎてから本格ほんかくてき実践じっせんはじめて、おおくのひとれられるヨーガを紹介しょうかいした[221]戦前せんぜんから戦後せんごにかけてのヨーガは、政治せいじ知識ちしきじん経営けいえいしゃなどの一部いちぶのエリートそうかぎられておこなわれており、ヨーガの思想しそうまなんだり、座禅ざぜんのような瞑想めいそう中心ちゅうしんとするようなものであったらしい[49]

れいのうしゃははそだてられ幼少ようしょうから修業しゅうぎょう実践じっせん神秘しんぴ体験たいけん経験けいけんしたという本山もとやまひろしは、みずからの経験けいけん科学かがくてき検証けんしょうすることを目指めざし、1963ねんに『宗教しゅうきょう経験けいけん世界せかい』を出版しゅっぱんし、ヨーガ行者ぎょうじゃれい能力のうりょくしゃ主観しゅかんてきちょう感覚かんかくてき体験たいけんを、ESPテストや神経しんけい機能きのう検査けんさによる実証じっしょうてき検証けんしょう深層しんそう心理しんりがくにより理論りろんてき把握はあくする必要ひつようせい主張しゅちょうした[222]

精神せいしん世界せかい潮流ちょうりゅう

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1970年代ねんだいには、アメリカにはしはっしたニューエイジ・ムーヴメントが紹介しょうかいされるようになり、日本にっぽんでヨーガもふくめた「精神せいしん世界せかい」としてれられるようになった[223]。これは、精神せいしんせいしん自然しぜんとの調和ちょうわ重視じゅうしする思想しそうかくとするが[223]、なにか「宇宙うちゅうてきなもの」をかんじされるものがなんでもまれた、ニューエイジ以上いじょう雑多ざったなジャンルであった[224]具体ぐたいてきには、東西とうざい神秘しんぴ主義しゅぎ錬金術れんきんじゅつ魔術まじゅつ、ヨーガ、密教みっきょうぜん仙道せんどう輪廻りんね転生てんせいちょう能力のうりょく占星術せんせいじゅつチャネリング深層しんそう心理しんりがくUFO古代こだいにせなどがあり、人間にんげん内面ないめん世界せかい潜在せんざいてき可能かのうせいさぐ実践じっせんとして、現在げんざいまでつづいている[223][224]。この対抗たいこう文化ぶんか影響えいきょうけたヨーガは青年せいねんそう中心ちゅうしんであり、自己じこ鍛錬たんれんにより精神せいしん向上こうじょう目指めざす「修行しゅぎょう」のイメージのつよいものであった[206]

阿含宗あごんしゅう教祖きょうそ桐山きりやま靖雄やすおは、1971ねん著作ちょさくで、密教みっきょう修行しゅぎょうとは潜在せんざい能力のうりょく開発かいはつほうであり、このトレーニングでだれでもちょう能力のうりょくしゃになれるといてベストセラーになり、さらに1972ねん著作ちょさくでは、三浦みうら関造かんぞう保田やすだ鶴治つるじチャールズ・ウェブスター・レッドビータ著作ちょさく参照さんしょうしながら、クンダリニー・ヨーガこそが人間にんげんちょう能力のうりょく目覚めざめさせるもっとすぐれた方法ほうほうであると主張しゅちょうし、クンダリニーの覚醒かくせいにより人間にんげんは「ホモ・サピエンス」から「ホモ・エクセレンス(卓越たくえつした人類じんるい)」に進化しんかするととなえた[225]人間にんげん進化しんかまっているため、「ホモ・エクセレンス」に進化しんかできなければ人類じんるい滅亡めつぼう危機ききひんするとし、1981ねん著作ちょさくノストラダムスの終末しゅうまつろんブームり、しきカルマの増大ぞうだいによる世界せかい終末しゅうまつとなえた[225]桐山きりやま主張しゅちょうはセンセーショナルかつかりやすいものであったため、おおくの関心かんしんあつめた[225]

本山もとやまひろしはクンダリニー・ヨーガの技法ぎほう紹介しょうかいし、道場どうじょうひらいて指導しどうおこなった。1978ねんに『密教みっきょうヨーガ』を刊行かんこうし、ヨーガの修行しゅぎょう方法ほうほう詳細しょうさい紹介しょうかいされ、クンダリニーと7つのチャクラを覚醒かくせいさせることで「宇宙うちゅうとの一体化いったいか」が実現じつげんできるとかれ、みずからのクンダリニー覚醒かくせいによる空中くうちゅう浮揚ふよう体験たいけん紹介しょうかいされた[222]桐山きりやま靖雄やすお本山もとやまひろしは、日本にっぽんにクンダリニー・ヨーガがひろ浸透しんとうするうえでおおきな役割やくわりたした[226]

1981ねんには、宗教しゅうきょう学者がくしゃ中沢なかざわ新一しんいちが、阿含宗あごんしゅうけい出版しゅっぱんしゃから『にじ階梯かいてい-チベット仏教ぶっきょう瞑想めいそう修行しゅぎょう』を刊行かんこうし、チベット仏教ぶっきょうニンマでのやく1ねんはん瞑想めいそう修行しゅぎょう経験けいけん紹介しょうかいした[227]中沢なかざわは、ニンマ修行しゅぎょうだい究竟きゅうきょう(ゾクチェン)」でしん幻影げんえいをすべて打破だはするにいたるまでの修行しゅぎょう段階だんかい内容ないよう方法ほうほう詳細しょうさい記述きじゅつし、みずからの意志いし放棄ほうきしグルのおしえと指示しじ徹底的てっていてきしたが帰依きえする「グル・ヨーガ」の重要じゅうようせい強調きょうちょうした[227]。また、「だい究竟きゅうきょう(ゾクチェン)」の成就じょうじゅしゃは、意識いしき生身なまみ肉体にくたいからそとまたは霊的れいてき肉体にくたいうつえる「ポア英語えいごばん)」が可能かのうであり、ポアにより生前せいぜん修行しゅぎょう十分じゅうぶんでなかった死者ししゃ解脱げだつまたはよりたか世界せかいみちびくことができるため、生前せいぜんにグルを見出みいだじゅうふん帰依きえすることが大切たいせつであるとされた[227]研究けんきゅうしゃである中沢なかざわが、日本にっぽんひだりどう密教みっきょうかんがえられていたチベット密教みっきょうやその神秘しんぴ体験たいけんをポジティブにかたったことは、社会しゃかいてき影響えいきょうおおきかった[227]

メディアでの紹介しょうかい普及ふきゅう

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テレビ番組ばんぐみハイ!土曜日どようびです」で美容びよう健康けんこう体操たいそうとしてのヨーガを紹介しょうかいする松島まつしま茂雄しげお(1979ねん

また、1970年代ねんだいなか以降いこうカルチャー・センター人気にんきるようになると、そのなかでヨーガ教室きょうしつひらかれるようになった[228]。ヨーガは一種いっしゅの「健康けんこう体操たいそう」として、比較的ひかくてき高齢こうれいひとびとに受容じゅようされたが、まだ十分じゅうぶん浸透しんとうするにはいたらなかった[228]どう時期じき、1978ねんテレビで「ヨガ療教しつ」がスタートし、毎回まいかい健康けんこうじょうなやみをげ、それにてきするアーサナを紹介しょうかいし、メディアでげられる機会きかいえた[49]書籍しょせき出版しゅっぱんやメディア出演しゅつえんおこなわれるようになったが、当時とうじは30だいから50だいほう大半たいはんで、現在げんざいのように若者わかもの中心ちゅうしんではなかった[228]1980年代ねんだいにはエアロビクスブームにり、レオタードにあみタイツというスタイルで、ゆるやかなエクササイズとしてのヨーガがおこなわれるようになり、若者わかものけのメディアや新聞しんぶんにもひろげられるようになり、「健康けんこう美容びよう」でぜん世代せだい浸透しんとうするようになった[228]。このブームの契機けいきとなったのは、ヨーガ指導しどうしゃ綿めんほんのぼり綿めんもとあきらちち)である[56]。このヨーガの流行りゅうこうに、精神せいしん世界せかいてき要素ようそられない。

こうしてヨーガは、一定いってい支持しじしゃ獲得かくとくしていた[229]。このころのヨーガは、中高年ちゅうこうねん対象たいしょうにした単発たんぱつポーズをおこなうソフトなヨーガか、インドから直輸入ちょくゆにゅうした本格ほんかくてきなヨーガであった[49]

そのような時期じき、1995ねんに、オウム真理教おうむしんりきょうによる「地下鉄ちかてつサリン事件じけん」をはじめとする一連いちれん事件じけん発生はっせいした[229]

オウム真理教おうむしんりきょう

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麻原あさはら彰晃しょうこうひきいたオウム真理教おうむしんりきょうは、「オウム神仙しんせんかい」とのるちいさなヨーガ道場どうじょうからはじまり、差別さべつテロにいたった、前代未聞ぜんだいみもん宗教しゅうきょう団体だんたいである。麻原あさはら視覚しかく障害しょうがいち、6さいから20さいまで盲学校もうがっこう寄宿舎きしゅくしゃらした。22-30さいごろに、かみ智学ちがくけいのクンダリニー・ヨーガの理論りろんなどの精神せいしん世界せかいやヒトラーの人心じんしんコントロールじゅつなどの雑多ざったテーマを遍歴へんれきし、とくにヨーガの修行しゅぎょうによるちょう能力のうりょく獲得かくとく興味きょうみった[230]。1980ねん阿含宗あごんしゅうやく3ねん入信にゅうしんして修行しゅぎょうしたが満足まんぞくする成果せいかず、その空中くうちゅう浮揚ふようができるようになるとアピールしていた超越ちょうえつ瞑想めいそうのクラスにも出入でいりした[230]。1984ねんにヨーガ道場どうじょう「オウム神仙しんせんかい」を開設かいせつ当初とうしょ雰囲気ふんいきあかるく宗教しゅうきょうしょくもなく、あつまったメンバーは真面目まじめにヨーガの修行しゅぎょうんでいたという[231]麻原あさはら阿含宗あごんしゅうでの修行しゅぎょうのち、『ヨーガ・スートラ』に出会であい、佐保さほ田鶴たづやくしたハタ・ヨーガのテキスト『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』、『ゲーランダ・サンヒター英語えいごばん』、『シヴァ・サンヒター英語えいごばん』をんでヨーガを独学どくがくし、1985ねん空中くうちゅう浮揚ふようするまでにいたったという[232]

阿含宗あごんしゅうは1970年代ねんだいちょう能力のうりょく獲得かくとく路線ろせんから、1980年代ねんだいになると祖先そせん崇拝すうはいおおきく路線ろせん変更へんこうし、ちょう能力のうりょく重視じゅうしする信者しんじゃたちがこれに失望しつぼうして離脱りだつし、超越ちょうえつ瞑想めいそう本山もとやまひろしのヨーガ道場どうじょううつった[230]麻原あさはら空中くうちゅう浮揚ふよう写真しゃしんがオカルト雑誌ざっし掲載けいさいされると、それを若者わかものや、ちょう能力のうりょく獲得かくとくのためにさらに過激かげき修行しゅぎょうもとめるもと阿含宗あごんしゅう信者しんじゃあつまり入信にゅうしんしたといわれる[230][232]麻原あさはらは1985ねんに、戦前せんぜんはんユダヤ主義しゅぎのオカルティストのハルマゲドン最終さいしゅう戦争せんそう)の予言よげんって影響えいきょうけ、1986ねんにはインドに渡航とこうしヒマラヤで解脱げだつしたとされる[232]

オウム真理教おうむしんりきょうは、ヨーガや密教みっきょう修行しゅぎょうとくにクンダリニー・ヨーガを重視じゅうしし、宇宙うちゅう支配しはいしゃであるシヴァしんとの性的せいてき合一ごういつ究極きゅうきょく目的もくてきとした[233]修行しゅぎょうによって進化しんかしてちょう能力のうりょく獲得かくとくし、生死せいしえたかみてき存在そんざい神仙しんせん民族みんぞく」になることができるとき、ちょう能力のうりょく開発かいはつができない宗教しゅうきょうはすべて偽物にせものであると主張しゅちょうした[234]現代げんだい日本にっぽんユダヤ=フリーメイソンうらから支配しはいされ洗脳せんのうされているとし、「神仙しんせん民族みんぞく」によるせんねん王国おうこく建設けんせつ目指めざされた[234][235]

信者しんじゃ日常にちじょうは、グルである麻原あさはらやシヴァしんへの帰依きえ文句もんくなんまんかいとなえる「だて礼拝れいはい」が修行しゅぎょうだい部分ぶぶんであり、日常にちじょう生活せいかつでは教団きょうだんのための労働ろうどうおおくをめていたが、選別せんべつされた修行しゅぎょうしゃは、グルやかみ々と意識いしき合一ごういつさせる「瞑想めいそう」、はげしい呼吸こきゅう限界げんかいまでのとめいきおこなう「調しらべほう」、集中しゅうちゅうしながらひたすらあるく「けいぎょう」、からだをリラックスさせるイメージをひたすら観察かんさつする「究竟きゅうきょう瞑想めいそう」といった修行しゅぎょう参加さんかした[236]オウム真理教おうむしんりきょう修行しゅぎょう)。こうした修行しゅぎょうはまともな睡眠すいみん食事しょくじをとらずにおこなわれ、参加さんかしゃ様々さまざま神秘しんぴ体験たいけん変性へんせい意識いしき状態じょうたい体験たいけんしたといわれる[236]。1994ねん以降いこうには、LSDひとし覚醒剤かくせいざい幻覚げんかくざいもちいた瞑想めいそうによるイニシエーションおこなわれたが、こうした強烈きょうれつ神秘しんぴ体験たいけん薬物やくぶつもちいられていることは信者しんじゃにはらされていなかった[237]

また、クンダリニーの覚醒かくせい個人こじん努力どりょくだけではむずかしいが、「シャクティーパット[† 11]」という技法ぎほう麻原あさはら弟子でしにシャクティを注入ちゅうにゅうし、弟子でしのクンダリニーを覚醒かくせいさせちょう能力のうりょく目覚めざめさせることができると喧伝けんでんされ、教団きょうだん拡大かくだいとグルへの絶対ぜったいてき帰依きえ加速かそくした。麻原あさはらは、弟子でし自己じこからっぽにしグルに盲目的もうもくてきかつ絶対ぜったい帰依きえすることで(グル・ヨーガ)、グルのエネルギーでたされる「ヴァジラヤーナ(きむつよしじょう)」のおしえをいた[239]。さらに、これにチベット密教みっきょうの「ポア」の理論りろん合体がったいさせ、きるべき人間にんげんぬべき人間にんげん判断はんだんする権限けんげん解脱げだつしゃにあり、しきカルマにまり死後しご人間にんげん以下いか転生てんせいすることが確実かくじつだとグルが判断はんだんした人々ひとびとを、グルの指示しじしたが殺害さつがい救済きゅうさいする善行ぜんこうとして、慈悲じひ殺人さつじんポア」がかれた[239]。これがオウム真理教おうむしんりきょう最終さいしゅう教義きょうぎ「タントラ・ヴァジラヤーナ」である[239]。1988ねん9がつ信者しんじゃ事故死じこし隠蔽いんぺいしたことを契機けいきに、1989ねん2がつには脱退だったいしようとした信者しんじゃ殺害さつがいされ、教団きょうだん反発はんぱつする信者しんじゃ殺害さつがい教団きょうだんてき殺害さつがいと、殺人さつじん・テロ行為こういかえされ、ポアのための化学かがく兵器へいき開発かいはつおこなわれた。1989ねん11月には教団きょうだん対立たいりつする坂本さかもと弁護士べんごしとその家族かぞく殺害さつがいし、1994ねん6がつには猛毒もうどくのサリンをまき死者ししゃ8にん負傷ふしょうしゃやく140にんした松本まつもとサリン事件じけんこし(被害ひがいしゃ犯人はんにんあつかいされた冤罪えんざい事件じけんでもある)、1995ねん3がつには東京とうきょう地下鉄ちかてつでサリンを使つかった日本にっぽん社会しゃかいへの差別さべつテロが実行じっこうされ、この地下鉄ちかてつサリン事件じけん死者ししゃ13にん負傷ふしょうしゃ5,800にん以上いじょう[† 12]という甚大じんだい被害ひがいし、日本にっぽんおよ世界せかい震撼しんかんさせた。

オウム真理教おうむしんりきょう元々もともとヨーガ道場どうじょうであり、信者しんじゃあつめる手段しゅだんとしてヨーガ教室きょうしつもちいられたこと、教義きょうぎにヨーガがふくまれること、その思想しそうがインドの伝統でんとう思想しそう基礎きそにし、ヒンドゥーやサンスクリット起源きげんする用語ようご、ヨーガの用語ようご多用たようしたこと(「オウム」はせいおと「オーム」、慈悲じひ殺人さつじん「ポア」はチベット密教みっきょうの「ポワ」をもとにしている)、もあり、せいおと(オーム)や瞑想めいそう、ヨーガという言葉ことばには、オウム真理教おうむしんりきょうのイメージがつきまとうようになった[229][49][56]。この教団きょうだんによる一連いちれん事件じけん日本にっぽんのヨーガにあたえた影響えいきょうはきわめておおきく、「ヨーガ=洗脳せんのう」というつよまけのイメージ、宗教しゅうきょうへのおそれが人々ひとびときざまれた[229][56]オウム真理教おうむしんりきょう仏教ぶっきょう解釈かいしゃくやヨーガの思想しそうぎょうほう利用りようきわめて独善どくぜんてき恣意しいてきであったが、仏教ぶっきょう関係かんけいしゃにもヨーガ関係かんけいしゃにも、それを正面しょうめんってただひとはほとんどず、かれらのこうした消極しょうきょくてき態度たいどが、一般人いっぱんじん仏教ぶっきょうやヨーガへの失望しつぼうをさらにつよめ、理解りかいそこなうことにもなった[100]看板かんばんからヨーガの文字もじはずされたり、生徒せいとのいないクラスがあるなど、ヨーガは下火したびとなり、廃業はいぎょうする教室きょうしつすくなくなかった[229]当時とうじいやがらせの電話でんわけるなど、にが経験けいけんつヨーガ関係かんけいしゃすくなくない[49]。こうした状況じょうきょうなかオウム真理教おうむしんりきょう事件じけん以前いぜんからあるヨーガ道場どうじょうは、地道じみち活動かつどうつづけていった[49]

21世紀せいきのヨーガの流行りゅうこう

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日本にっぽんでは、1980年代ねんだいからエアロビクスを中心ちゅうしん女性じょせいけエクササイズがフィットネス・クラブを中心ちゅうしんひろがって定着ていちゃくしていたが、それでも、オウム真理教おうむしんりきょう事件じけん影響えいきょうがあったため、アメリカで1990年代ねんだい後半こうはんにはすで流行りゅうこうしていたフィットネスてきなヨーガは、すぐには日本にっぽんはいってこなかった[229][49]今回こんかいのヨーガの流行りゅうこうは、アメリカにおけるそれから10ねんちかおくれた[229]

ヨーガはメディアに無視むしされていたことで、おおくの人々ひとびとに「あたらしいもの」というイメージでとらえられることとなった[229]。ヨーガ関係かんけいしゃは、ヨーガからオウム真理教おうむしんりきょう連想れんそうさせないよう、あたらしいエクササイズとしてれられるよう、「アーサナ」ではなく「ポーズ」という言葉ことば使つかい、ヨーガ実践じっせんしゃを Yogini(ヨギーニ)という日本にっぽんしき造語ぞうごぶなど、細心さいしん注意ちゅういはらった[49]。2003ねんにアメリカからはいってきたパワー・ヨーガやアシュタンガ・ヨーガは、マドンナクリスティー・ターリントン象徴しょうちょうされるセレブリティな雰囲気ふんいきから爆発ばくはつてき人気にんきとなった[229]。インドのヨーガは、アメリカを経由けいゆしてあらたなよそおいで洗練せんれんされたイメージとなり、こうした流行りゅうこう最先端さいせんたんをいくにんたちの実践じっせんによって、ヨーガの普及ふきゅうにさらなる拍車はくしゃをかけることになった[206]。2004ねんには、「YOGA フェスタ東京とうきょう」と雑誌ざっし『Yogini』の創刊そうかんがあり、東京とうきょうに30以上いじょうのヨーガスタジオがオープンし、ここからブームががっていった[49]。「YOGA フェスタ東京とうきょう」はケン・ハラクマ綿めんもとあきら提案ていあんし、アメリカでおこなわれているようなヨガのだい規模きぼイベントを日本にっぽんこころみようと企画きかくされた。2004ねん段階だんかい日本にっぽんのヨーガ実践じっせんしゃには、女性じょせいおおかったことから、さらにわか女性じょせいにアピールする目的もくてき女優じょゆう千葉ちば麗子れいこ主催しゅさいしゃえたことで、成功せいこうをおさめ、毎年まいとし開催かいさいされるようになった[49][56]。ストレスの概念がいねん注目ちゅうもくされることで、ストレス緩和かんわ方法ほうほうとしてもヨーガは注目ちゅうもくされた[56]入江いりえ恵子けいこは、「ヨガの『もともとの』おしえにある心身しんしん一体いったい目指めざてんはホリスティックなものとして、また、ストレッチ効果こうかによる精神せいしんめん身体しんたいめんへの効果こうかなどは「いやし」として、スピリチュアルブームと親和しんわせいたかかったことがブームを加速かそくさせた一因いちいんであるとかんがえられる」と分析ぶんせきしている[56]。ヨーガは消費しょうひ文化ぶんかであるスピリチュアル文化ぶんかれられ、生徒せいとが「いやし」や「リラックス」などの様々さまざま目的もくてきわせてヨーガの講座こうざ購入こうにゅう受講じゅこうするシステムが普及ふきゅうした[56]

日本にっぽんのヨーガブームは、消費しょうひ文化ぶんかとしてのLOHASブームや江原えばら啓之ひろゆきひろめたスピリチュアルブームとも並行へいこうしており、フィットネスであると同時どうじに、スピリチュアルをこの女性じょせい需要じゅよううような雰囲気ふんいき精神せいしんせいもアピールされているが、オウム真理教おうむしんりきょう連想れんそうさせるような宗教しゅうきょうかんじさせないよう、スピリチュアルな演出えんしゅつにも注意ちゅういはらわれている[49]。2006ねんの『ヨガのすべてがわかるほん』では、日本にっぽんのヨーガはもはや宗教しゅうきょうではないとかえ主張しゅちょうされている[56]

日本にっぽんでヨーガが実践じっせんされる場所ばしょとして、現在げんざいのヨーガ・ブームの中心ちゅうしんであり、2003ねん以降いこう設立せつりつされたおもにアメリカしきのフィットネス様式ようしきのヨーガがおこなわれるヨーガ専門せんもんスタジオ、フィットネス・クラブのヨーガ・プログラム、伝統でんとうてきヨーガ道場どうじょうがある。フィットネス・クラブでは2003ねん以前いぜんには、ヨーガが提供ていきょうされることはあっても、エアロビクスやフィットネスに付随ふずいするけいいの運動うんどうといういで、さほど重視じゅうしされていなかった。現在げんざいではヨーガは主力しゅりょくプログラムになっている。オウム真理教おうむしんりきょう事件じけん以前いぜんからある「ヨーガ道場どうじょう」のおおくは経営けいえいしゃけん指導しどうしゃ個人こじん経営けいえいしており、かれらは実際じっさいにインドで修行しゅぎょうをした経験けいけん場合ばあいおおい。アメリカしきヨーガ専門せんもんスタジオの件数けんすう東京とうきょう主要しゅよう都市としおおく、日本にっぽんにおける現代げんだいヨーガの流行りゅうこう都市とし中心ちゅうしんとなっている[49][240]

体重たいじゅうとしたい、スタイルがよくなりたいというわか女性じょせい願望がんぼうをつかむことで、日本にっぽんでヨーガをならひと圧倒的あっとうてきわか女性じょせいおおく、世界せかいくらべて男性だんせいのヨーガ実践じっせんしゃ極端きょくたんすくない[49][241]日本にっぽんのヨーガには、概念がいねん追求ついきゅう(「いやし」、「リラックス」などもこれにふくまれる)、妊娠にんしんしやすくなるヨーガ、マタニティヨーガ、親子おやこヨーガ、生理せいり子宮しきゅうをよりよくコントロールしようする「月経げっけいコントロールヨガ」「子宮しきゅう美人びじんヨガ」とう、「生殖せいしょく」を中心ちゅうしんとした女性じょせい身体しんたいへの意味いみづけ、出産しゅっさん生殖せいしょくにまつわるヨーガの活況かっきょう特筆とくひつされる[56]。また、伝統でんとうてきにヨーガはせいつよ関連かんれんせいち、現代げんだいヨーガ、とく欧米おうべい諸国しょこくでは、せい機能きのうこううわやよりいセックスという意味いみけがなされ、ヨーガをおこな目的もくてきにもなっている[56]。アメリカのヨーガ教室きょうしつでは、セックスとヨーガにかんする書籍しょせきられることもすくなくないが、日本にっぽんでは性的せいてき要素ようそはほぼ排除はいじょされており、言及げんきゅうされる場合ばあいは「妊娠にんしんりょくたかめる」というように、妊娠にんしん生殖せいしょく直轄ちょっかつする文脈ぶんみゃくかぎられている[56]

うつくしくなるため、いやしとして、内省ないせい時間じかんとして(ある意味いみでは、ヨーガの教義きょうぎ利用りようしていかりなどのしんうごきを「時間じかん無駄むだ」としてとめほろぼさせ、ビジネスライクに自己じこを「効率こうりつ」する社会しゃかいてき適応てきおうのツールとして)、フィットネスとして、身心しんしんのメンテナンスとして、妊娠にんしんやよりよい出産しゅっさんのためひとし現代げんだい女性じょせいたちにれられている[49][56]

日本にっぽんでは、仏教ぶっきょう伝来でんらいから近年きんねんまで、上記じょうきことなる時期じき発達はったつしたヨーガが、重層じゅうそう構造こうぞう形成けいせいしつつ展開てんかいしているものと理解りかいされる[206]

また、2016ねんよりインド政府せいふ認可にんかのヨガ検定けんてい一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん全日本ぜんにほんヨガ連盟れんめいによって実施じっしされている[242]

内容ないよう

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ほう

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静的せいてきなヨーガでは、緊張きんちょうゆるめてからだらくたもち、しん無限むげんせい集中しゅうちゅうさせ瞑想めいそうにふけるために、ほう熟達じゅくたつ目指めざされる[243]。『ヨーガ・スートラ』ではほう名前なまえげられていないが、ヴィヤーサの『注解ちゅうかい』では蓮華れんげ結跏趺坐けっかふざ相当そうとう)、英雄えいゆうなど12種類しゅるいがあり、後世こうせいになるとますますえて84種類しゅるいにもなっている[243]

苦行くぎょう

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インド最古さいこ文献ぶんけんリグ・ヴェーダ』には幻覚げんかく作用さようのある植物しょくぶつとみられるソーマ登場とうじょうし、祭祀さいし重要じゅうよう役目やくめをはたしていたが、アーリアじんはインド移住いじゅうによってソーマを入手にゅうしゅできなくなったとおもわれ、意識いしき変性へんせいこす苦行くぎょうとヨーガが発展はってんしていった[244]

梵我一如いちにょ達成たっせいするための修行しゅぎょうは、はじめは肉体にくたい酷使こくしする苦行くぎょう(tapas、ねつ難行なんぎょう荒行あらぎょう)であったが、のちに精神せいしん統一とういつ集中しゅうちゅう人間にんげん内面ないめん探求たんきゅう分析ぶんせき重視じゅうしするヨーガが主流しゅりゅうとなっていった[19]苦行くぎょう肉体にくたいくるしめることでつよ緊張きんちょうともな精神せいしん状態じょうたいしょうじるのにたいし、ヨーガ(静的せいてきなヨーガ)は平静へいせい観想かんそう本質ほんしつとするものであり、両者りょうしゃおおくの関係かんけいがあるが、同一どういつであるとはがた[35]。ハタ・ヨーガはヨーガが苦行くぎょうれてしょうじた。

インドリヤ(感官かんかん感覚かんかく器官きかん

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インドでは、インドリヤ(感官かんかん感覚かんかく器官きかん)は積極せっきょくてき対象たいしょうをとらえるもので、感官かんかん対象たいしょうをとらえることで、欲望よくぼう執着しゅうちゃくこるとかんがえられた[245]感官かんかん外部がいぶ情報じょうほう受動じゅどうてき器官きかんであるという現代げんだいてき理解りかいとは非常ひじょうことなる[245]対象たいしょうとらえようといわば暴走ぼうそうしている感官かんかん制御せいぎょすることが重要じゅうようであり、インドではしんがどっしりとして冷静れいせいいているひとを「感官かんかん制御せいぎょしたひと」(ジーテンドリヤ)とんでたか評価ひょうかする[245]感官かんかん制御せいぎょは、現代げんだいてきうと自制心じせいしんちか[245]

インド思想しそう

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ヨーガの技術ぎじゅつ身心しんしんかん複雑ふくざつ多様たようであるが、あくまで瞑想めいそう経験けいけん実証じっしょうをベースとする[17]。インドの思想しそうきわめて形而上学けいじじょうがくてき印象いんしょうあたえるが、ヨーガの徹底的てっていてき経験けいけん実証じっしょうによって哲学てつがくてき宗教しゅうきょうてき思索しさく構築こうちくされており、言葉ことばによる思索しさくをヨーガの実践じっせんとしんだわけではない[17]。サーンキヤ学派がくは、ヴェーダーンタ学派がくはとうのインドの宗教しゅうきょう諸派しょは中心ちゅうしんてき信念しんねんは、高度こうど精神せいしん集中しゅうちゅうによる日常にちじょうてき意識いしき状態じょうたいによって体験たいけんされるもので、思索しさくとはべつしんはたらかたといえる[246]。インド思想しそうの、物質ぶっしつてき現実げんじつ幻想げんそうマーヤー)であり、自分じぶんしんうちから開示かいじされていく世界せかいこそしん存在そんざいであり、高次こうじ現実げんじつであるというかんがかたは、ヨーガの瞑想めいそう体験たいけんがベースになっている[247]

世界せかいかん

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古典こてんヨーガの哲学てつがくサーンキヤ哲学てつがく世界せかいかんをベースとし精神せいしん物質ぶっしつ二元論にげんろんであるのにたいし、ハタ・ヨーガは一元論いちげんろんヴェーダーンタ哲学てつがくによりちか概念がいねん採用さいようしている[9]。ハタ・ヨーガにおける三昧ざんまいは、しおみずけて一体いったいになるがごとく個我こが(ジーヴァートマン)と最高さいこうわが(パラマートマン)が合一ごういつすることとされたが、こうしたかんがえは、精神せいしん物質ぶっしつ完全かんぜん無関係むかんけいになった状態じょうたい三昧ざんまいとするヨーガ学派がくはきょうせつとはかなりことなっている[23]

純粋じゅんすい精神せいしんてき最高さいこう実在じつざいである純粋じゅんすい精神せいしん活動かつどうであるとかんがえられていたが、タントラ思想しそうのハタ・ヨーガではこれにちから(シャクティ)をみとめ、このちから現象げんしょう世界せかい形成けいせいするとしており、ぎゃく立場たちばをとる[248]

ヨーガは、超越ちょうえつすることでられるであろう個人こじん個体こたい精神せいしんてき至福しふく確信かくしんし、それを追求ついきゅうするくだりほうであり、きながら物質ぶっしつてき現実げんじつ世界せかいとそのせい否定ひていするというめんがある[249][24]初期しょき仏教ぶっきょうのヨーガ、古典こてんヨーガ、ぜんなどがしんはたらきをとめほろぼさせることを目指めざ一方いっぽう後期こうきしょうじたヒンドゥーきょうのハタ・ヨーガ、密教みっきょうのヨーガはしんはたらきを活性かっせいさせるもので[250]現世げんせい肯定こうていてきである[145]

タントラ

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インドにはタントラ、タントリズムとばれる潮流ちょうりゅうがあり、定義ていぎ困難こんなんであるが、ウパニシャッド梵我一如いちにょあらわされるだい宇宙うちゅう小宇宙しょううちゅう相関そうかん符合ふごう神秘しんぴ思想しそうによって世界せかいかん基礎きそづけられており、絶対ぜったいてき最高さいこう原理げんりみとめ、これと融合ゆうごう合一ごういつすることで生前せいぜん解脱げだつすることを目指めざし、現世げんせい肯定こうていしてそれを自在じざい支配しはいしようという教義きょうぎ実践じっせん体系たいけいであるとえる[251]。ハタ・ヨーガはタントリズムの一部いちぶである。

タントリズムでは、解脱げだつ現世げんせい享受きょうじゅおも関心事かんしんじであり、解脱げだつとも神通力じんずうりき神秘しんぴりょく体得たいとくがもてはやされ、タントリズム特有とくゆう行法ぎょうほう神秘しんぴてき人体じんたいがく発達はったつした。宇宙うちゅう生命せいめいりょくとしてのプラーナが、人体じんたいのナーディー(みゃくかん)を循環じゅんかんし、チャクラに集約しゅうやくされるとかんがえられた[252]。ヨーガによってかい陰部いんぶのムーラダーラ・チャクラのクンダリニー女神めがみ目覚めざめさせ、頭頂とうちょうのサハスラーラのシヴァしん合一ごういつすることで法悦ほうえつひたるとされ、このヨーガに関連かんれんして、マンダラ、ヤントラ、チャクラ、ムドラーといった神秘しんぴてき道具どうぐ附属ふぞくぶつ考案こうあんされ、グルによる入信にゅうしんひじりべつしき秘密ひみつせいふかめた[252]

せい常識じょうしきえた社会しゃかいてき禁忌きんきへと接近せっきんさせ、肉食にくしょく飲酒いんしゅ乱交らんこうすすめともなった[252]。タントリズムでは、女神めがみから魔女まじょまで女性じょせいかえせられる宇宙うちゅうのエネルギーであるシャクティ重視じゅうしされ、解脱げだつ障碍しょうがいにも宇宙うちゅう支配しはいともなるシャクティをなだめ支配しはいする必要ひつようがあるとされ、これはせい謳歌おうかつうじたが、退廃たいはい危険きけんせいをはらみ、淫乱いんらんきょうみさおという性格せいかくっていた[253]人身じんしんきょうのような、なまぐさく陰惨いんさん側面そくめんもみられた[251]

チャクラ

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6つのチャクラの、18世紀せいき
レッドビータにはじまる虹色にじいろチャクラせつのチャクラのいろ場所ばしょ[254]

チャクラとそれに関連かんれんする信仰しんこうは、タントラてき密教みっきょうてき伝統でんとうなか重視じゅうしされてきたが、古典こてんヨーガ(主流しゅりゅうのヨーガ)とは直接ちょくせつ関係かんけいはない[40][41]。インド学者がくしゃのエドウィン・ブライアントらによると、解脱げだつさとりなどとばれるヨーガの目標もくひょうである霊的れいてき解放かいほうは、古典こてんヨーガでは、チャクラを採用さいようするタントラてきなシステムとはまったことなる方法ほうほう達成たっせいされ、チャクラ、ナーディ、クンダリニーといったタントラの生理学せいりがくは、古典こてんヨーガにおいて周辺しゅうへんてきなものにすぎないとしている[40][41]

ハタ・ヨーガの実践じっせんチャクラ理論りろん依拠いきょしており、これはタントラてき身体しんたいかんである。こうしたタントラてき身体しんたいかんはヒンドゥー・ヨーガ、密教みっきょう、チベット仏教ぶっきょうられるが、そのチャクラのかず言及げんきゅうされるいろ一定いっていしていない。

チャクラを7つに固定こていし、かくチャクラのプラーナいろにじの7しょくをあてるかんがえが現代げんだいでは普及ふきゅうしているが、これは伝統でんとうてきなものではなくインド思想しそう近代きんだいかみ智学ちがくとなえたかみ智学ちがく協会きょうかいのメンバーであるチャールズ・ウェブスター・レッドビータ(1854ねん - 1934ねん)が20世紀せいき考案こうあんしたものである[47]

神通力じんずうりきちょう能力のうりょく)の獲得かくとく

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ヨーガの実践じっせん神通力じんずうりきちょう自然しぜんりょくちょう能力のうりょく自在じざいりょく)がにつくとかんがえられていた。ウパニシャッドの『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』では、ヨーガの修練しゅうれんによって「ヨーガのよりる」身体しんたいたヨーガ行者ぎょうじゃは、まず軽快けいかい無病むびょう無欲むよく喜色きしょく美声びせい妙香みょうこう排泄はいせつぶつすくなくなるなどの生理せいりてき変化へんかこり、不老不死ふろうふしさえられるとされた[255]

古典こてんヨーガでは、修行しゅぎょう途中とちゅう直観ちょっかん識別しきべつなどのなどの特別とくべつともに、様々さまざまちょう能力のうりょくにつくとされた[256]ヴィヤーサの『ヨーガ・スートラ』の註、『マハーバーラタ』でヨーガでにつくとされたのはつぎの8しゅ神通力じんずうりきである[103]

  1. 微細びさい極微きょくびになることであり、それによりいしにさえも進入しんにゅうする。
  2. けいかるくなることであり、それにより、太陽光たいようこうせんつかみ、太陽たいようかいいたる。
  3. 大化たいかおおきな状態じょうたいであり、それにより、おおきくなる。
  4. 獲得かくとく:それにより、指先ゆびさきつきれることである。
  5. 意欲いよく自在じざい意志いし妨害ぼうがいされないことであり、それにより、みずにおいてのごとくに、地面じめんあらわれたり、もぐったりできる。
  6. 支配しはい:それにより、存在そんざいぶつと〔それから〕まれたものを確実かくじつ支配しはいすることである。
  7. 統御とうぎょ存在そんざいぶつと〔それから〕まれたものの生成せいせい配置はいちかえりめつ統御とうぎょする。
  8. のぞどおりの決定けってい欲望よくぼう抑制よくせい):真実しんじつ〔を実現じつげんさせる〕意志いしであり、それにより、あるひと存在そんざいぶつたい意志いしがあるならば、まさに存在そんざいぶつがそのとおりにる。[103]

古典こてんヨーガでは、こうしたちょう能力のうりょく修行しゅぎょう特定とくてい段階だんかいまですすむと自然しぜん発現はつげんするとされ、みずからの修行しゅぎょう段階だんかい材料ざいりょうにもなるが、究極きゅうきょくてき三昧ざんまいいたるにはさまたげになるとかんがえられた[257]一方いっぽうハタ・ヨーガでは、ちょう能力のうりょく獲得かくとく重要じゅうよう目的もくてきとなっている[257]

きん現代げんだいのオカルティストでかみ智学ちがく協会きょうかい所属しょぞくしたチャールズ・ウェブスター・レッドビータは、ハタ・ヨーガにより「透視とうしちから」をると、オーラ感知かんち、さらにはアカシック・レコードばれる霊的れいてき記憶きおくにアクセスすることによる過去かこ未来みらい可能かのうになるとしている[258]

種類しゅるい

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バラモン教ばらもんきょう・ヒンドゥーきょう

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古典こてんヨーガ

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パタンジャリの彫像ちょうぞう(ハリドワール)

しん作用さようとめめつ目指めざ静的せいてきなヨーガである[259]教典きょうてんパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』(紀元きげん4-5世紀せいきごろ)。サーンキヤ学派がくは同様どうように、宇宙うちゅう究極きゅうきょくてき原理げんりとして純粋じゅんすい精神せいしん(プルシャ)と根本こんぽん物質ぶっしつ(プラクリティ)とをみとめる二元論にげんろんであり、根本ねもと物質ぶっしつから統覚とうかく器官きかん自我じが意識いしき思考しこう器官きかんというこころ心理しんり認識にんしき機能きのうつかさど器官きかん)をふくめ、一切いっさい展開てんかいするとみなす[260]。よって、しん本来ほんらい自己じこである純粋じゅんすい精神せいしんとは本質ほんしつことなる物質ぶっしつてきなものであるとする[260]しん作用さようには煩悩ぼんのうせいがあり、煩悩ぼんのう原因げんいんとする経験けいけんによってごうしんなか蓄積ちくせきするため、苦行くぎょう学習がくしゅう最高さいこうしんイーシュヴァラ自在じざいしん)への祈念きねんという行作ぎょうさくヨーガ(クリヤー・ヨーガ、『ヨーガ・スートラ』2:1[261]。クリヤーは行為こうい)の実践じっせん煩悩ぼんのうよわめ、禅定ぜんじょうによって煩悩ぼんのう活動かつどうをしとめほろぼさせることで、作用さようともなしん根本こんぽん物質ぶっしつかえり、輪廻りんね消滅しょうめつし、肉体にくたいとともに完全かんぜん解脱げだつ実現じつげんできるとされた[260]古典こてんヨーガは、後世こうせいではラージャ・ヨーガともばれた。

『ヨーガ・スートラ』だい2しょう29せつは、じつ修法しゅほうとして以下いかはち部門ぶもんかれている[260]

  1. ヤマきん戒):殺生せっしょう真実しんじつぬすめいん所有しょゆう五戒ごかい実践じっせん[260]
  2. ニヤマ(勧戒かんかい)・内外ないがい清浄せいじょう満足まんぞく苦行くぎょう学習がくしゅう読誦とくしょう)・最高さいこうしんへの祈念きねん[260]
  3. アーサナほう
  4. プラーナーヤーマ調しらべ調しらべいき
  5. プラティヤーハーラ(せいかん
  6. ダーラナー(しこりねん):しん特定とくてい場所ばしょしばりつけること。しばける対象たいしょうは『ヨーガ・スートラ』には実例じつれいげられていないが、へその心臓しんぞう蓮華れんげ頭蓋とうがい光明こうみょうはなさきしたさき外部がいぶ対象たいしょうなどがあるとされる[20]。ディヤーナへのプロセスである[20]
  7. ディヤーナ(しずかおもんばか禅定ぜんじょう):ダーラナーと同一どういつ対象たいしょう想念そうねん集中しゅうちゅうすること[20]。サマーディへのプロセスである[20]
  8. サマーディ(三昧ざんまい):ディヤーナとおな対象たいしょうだけがあらわれていて、本性ほんしょうくなったかのような状態じょうたい[20]

だい1段階だんかいだい2段階だんかいは、当時とうじ宗教しゅうきょう哲学てつがく体系たいけいかれた実践じっせん徳目とくもく共通きょうつうするものがおお[260]だい2段階だんかい(ニヤマ)のうち、タパス(苦行くぎょう)、スヴァディアーヤ(読誦とくしょう)、イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在じざいしん祈念きねんねんしん)の3つはクリヤー・ヨーガ(実践じっせんヨーガ、行事ぎょうじヨーガ)とばれ、準備じゅんび段階だんかいたる。安定あんていしたほうで(アーサナ)呼吸こきゅう調整ちょうせいし(プラーナーヤーマ)、外界がいかい支配しはいから感覚かんかくはなして対象たいしょう感覚かんかくはなすことで、感覚かんかく器官きかん支配しはいく(プラティヤーハーラ)[243]しんいちしょ集中しゅうちゅうし(ダーラナー)、さらに観念かんねんさまたげられずに中断ちゅうだんすることなく持続じぞくし(ディヤーナ)、ついに集中しゅうちゅうする対象たいしょうのみとなって自身じしん対象たいしょうそのものであるかのようになる(サマーディ)。だい6から8段階だんかい同一どういつ対象たいしょうたいしておこない、これをサンヤーマ(綜制)とい、熟達じゅくたつすることでしんさとしかがやきにたっし、解放かいほうされるとかんがえられた[243]

じつ修法しゅほうは8つの段階だんかい構成こうせいされることから、ラージャ・ヨーガをアシュターンガ・ヨーガ(はちささえヨーガ)[† 13]ともう。ハタ・ヨーガをラージャ・ヨーガの準備じゅんび段階だんかいとしてもちいることもある[262]

『ヨーガ・スートラ』に先行せんこう紀元きげん前後ぜんこう成立せいりつした『バガヴァッド・ギーター』では、ヨーガ思想しそう結合けつごうしたサーンキヤせつ(ヨーガ学派がくは)としてサーンキヤ・ヨーガせつがみられ、サーンキヤ・ヨーガはジュニャーナ・ヨーガともばれている[263]。サーンキヤ・ヨーガによって「行為こうい(カルマ)の束縛そくばくつ」ことが目指めざされており、「あるものは、しずかおもんばか(dhyāna 禅定ぜんじょう)によってアートマンのなかに、アートマンによって、アートマンをる。人々ひとびとは,サーンキヤ・ヨーガ〔の〕によって、また人々ひとびとは、カルマ・ヨーガ〔のくだり〕によって〔アートマンをる〕。」とかれている[263]。サーンキヤ・ヨーガとカルマ・ヨーガはふたつの立脚りっきゃくであるが、両者りょうしゃ同一どういつであるともされており、どちらのみちすすんでも両者りょうしゃ果報かほうるとべられている[263]

二元論にげんろんのサーンキヤ学派がくは・ヨーガ学派がくはは、6世紀せいきぎると徐々じょじょ支持しじよわめ、10世紀せいきぎると衰退すいたいした[103]。19世紀せいきなか時点じてんで、古典こてんヨーガを体系たいけいてき指導しどうできるインドじんはすでにいなかったようである[150]

ラージャ・ヨーガ(राज योग、心理しんりてきヨーガ)
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「ラージャ」は「おうの」という意味いみである。「マハー(偉大いだいな)・ヨーガ」ともばれる。ヴィヴェーカーナンダは19世紀せいきまつにジュニャーナ、バクティ、カルマ、ハタをよんだいヨーガとして、その総称そうしょうをラージャ・ヨーガとしたが[264]のちにラージャ・ヨーガはだい5のヨーガを言葉ことばとされるようになった[265]今日きょうではラージャ・ヨーガは『ヨーガ・スートラ』にしめされる古典こてんヨーガと同義どうぎとされる[266]。ただし、ラージャ・ヨーガという言葉ことば文献ぶんけんじょう初出しょしゅつはハタ・ヨーガの教典きょうてんハタ・ヨーガ・プラディーピカー』にある[† 14]

インドの宗教しゅうきょう哲学てつがく研究けんきゅうしゃ中村なかむらはじめは、保田やすだ鶴治つるじのヨーガの特徴とくちょう解説かいせつをベースに、ラージャ・ヨーガを心理しんりてき、ジュニャーナ・ヨーガ(としのヨーガ)を哲学てつがくてき特徴とくちょう説明せつめいしている[165]。『バガヴァッド・ギーター』においてジュニャーナ・ヨーガとはサーンキヤ・ヨーガであるため、ジュニャーナ・ヨーガとラージャ・ヨーガを区別くべつすることが可能かのうなのかはわからない。

クリヤー・ヨーガ(क्रिया योग、実践じっせんヨーガ、行事ぎょうじヨーガ)

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『ヨーガ・スートラ』において、イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在じざいしん祈念きねんねんしん)、スヴァディアーヤ(読誦とくしょう)、タパス(苦行くぎょう)の3つが、クリヤー・ヨーガ(実践じっせんヨーガ、行事ぎょうじヨーガ)とばれる[113]三昧ざんまい修習しゅうしゅう煩悩ぼんのうよわめるためのもので、三昧ざんまい達成たっせいするためにかせないヨーガである[268]

ジュニャーナ・ヨーガ (ज्ञान योग、哲学てつがくてきヨーガ)

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ジュニャーナ・ヨーガ英語えいごばんのヨーガである[269]。ここでのヨーガは、行法ぎょうほう体系たいけいではなく、宗教しゅうきょう実践じっせんみち方法ほうほう意味いみしている[16]超越ちょうえつてき真理しんり認識にんしきおもんじ、霊肉れいにく関係かんけいただしく分別ふんべつすることをまなぶ。

『バガヴァッド・ギーター』でかれた解脱げだついたる3つのみちのうちのひとつであり、ジュニャーナ・マールガ(知識ちしきみち)は、ただしい知識ちしきまなび、まさしく認識にんしきすることによって解脱げだつ到達とうたつするとされている[270]。『バガヴァッド・ギーター』でわれるジュニャーナ・ヨーガは、かみろん二元論にげんろんのヨーガであるサーンキヤ・ヨーガ学派がくはのことである。しずかにして観法かんぽうすることおもとする、行動こうどうてきな、哲学てつがくてきヨーガである[269]

観照かんしょう能力のうりょく)と自性じしょう宇宙うちゅうてき普遍ふへん存在そんざい)の一致いっちによる解脱げだつ目的もくてきとした[269]絶対ぜったいしゃとの本質ほんしつてき合一ごういつおのれ精神せいしんなか確立かくりつすることを目指めざすもので、ウパニシャッド梵我一如いちにょ思想しそうながれをむものとなっている[14]ただいち絶対ぜったいなる存在そんざいへの帰一きいつ目指めざすものと理解りかいされるようになり、ヴェーダーンタ学派がくはとくにシャンカラに由来ゆらいする一元論いちげんろん重視じゅうしされている[165][259]。シャンカラは著書ちょしょ『バガヴァッド・ギーター註解ちゅうかい』で、祭祀さいし実行じっこうといった世俗せぞくてき繁栄はんえいをもたらす「活動かつどううながすことを特徴とくちょうとするダルマ」はしん浄化じょうかつうじて間接かんせつてき解脱げだつにつながるものにすぎず、ウパニシャッドかれる梵我一如いちにょ知識ちしきである「活動かつどうとめほろぼさせることを特徴とくちょうとするダルマ」ジュニャーナ・マールガこそが至福しふくすなわち解脱げだつへのみちであり、『バガヴァッド・ギーター』がしん意図いとするところであるとしている[271]

カルマ・ヨーガ (कर्म योग、倫理りんりてきヨーガ)

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ティラク

カルマ・ヨーガ英語えいごばんこうのヨーガであり[269]、ここでのヨーガは、行法ぎょうほう体系たいけいではなく、宗教しゅうきょう実践じっせんみち方法ほうほう意味いみしている[16]日常にちじょう生活せいかつ修行しゅぎょうととらえ、行為こうい(カルマ)の結果けっかとしての報酬ほうしゅうもとめず、ねがいをたず、ただ各自かくじ義務ぎむ本務ほんむダルマ)をおこな実践じっせん倫理りんりのヨーガである[272][269]バール・ガンガーダル・ティラクなど、インド独立どくりつ運動うんどう志士ししたちが重視じゅうしした[165]

このかたりはウパニシャッドにはられず、『バガヴァッド・ギーター』ではじめて強調きょうちょうされ、解脱げだついたる3つのみちのうちのひとつとしてかれた[165]。『バガヴァッド・ギーター』には、サーンキヤ・ヨーガ(ジュニャーナ・ヨーガ )と対比たいひされるヨーガ行者ぎょうじゃ行法ぎょうほうとしての用法ようほうがみられる[263]。サンニヤーサ・ヨーガ(行為こうい厭離えんり放擲ほうてき(ほうてき))とカルマ・ヨーガ(行為こうい実践じっせんによるしん統一とういつ)が比較ひかくされ、カルマ・ヨーガのほうがよりすぐれるともかれた[263]

カルマ・マールガ(行為こういみち実践じっせんみち)は、先祖せんぞ祭祀さいし実行じっこうただしい日常にちじょう生活せいかつただしいヨーガをまなんで実践じっせんすることで、心身しんしんきよめ、解脱げだつ到達とうたつするものとされている[270]かくヴァルナ身分みぶん)の義務ぎむ遂行すいこういており、出家しゅっけしゃけでなく在家ざいけしゃのためのおしえであると理解りかいされている[272]。ただし、シャンカラはこれを一段いちだんひくいヨーガとみなしていた[165]

サンニヤーサ・ヨーガ(行為こうい厭離えんり放擲ほうてき

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カルマ・サンニヤーサ英語えいごばんとも。『バガヴァッド・ギーター』でかれるヨーガである。行為こうい放棄ほうきであり、行為こうい結果けっか他者たしゃゆだねるということを、さらには「」を最高さいこうしん(ブラフマン)あるいはヴィシュヌしんに、または自身じしんおくにあるプルシャにすべゆだねることである[273]。サンニヤーサ(厭離えんり)のためにはジュニャーナ・ヨーガ(サーンキヤ・ヨーガ、のヨーガ)につづき、カルマ・ヨーガ(行為こういのヨーガ)が必要ひつようであるとされる[273]

サンニヤーサ(厭離えんり)によって行為こうい(カルマ)の離脱りだつという最高さいこう完成かんせい到達とうたつするとかれているが、「サンニヤーサ(厭離えんり)のみによって完成かんせいいたることはない」ともかれ、行為こうい離脱りだつには行為こうい必要ひつようとされている[263]。『バガヴァッド・ギーター』では、行為こうい厭離えんりよりも行為こうい実行じっこうおもんじられている[263]。サンニヤーサによって自身じしんのこだわりをクリシュナに、ヴィシュヌに、またはブラフマンにゆだね、本性ほんしょうによってさだめられた行為こういてっすれば(カルマ・ヨーガ)、ひとつみいたることはないとされた[263]一切いっさい行為こういかみゆだねることによって信頼しんらい(バクティ)がしょうじるため、そうかんじられるよう知識ちしきをヨーガ(ジュニャーナ・ヨーガ)するようすすめられている[273]

「サンニヤーサ」は、のちにサンニヤーシン“出家しゅっけしゃ”という意味いみでつかわれるようになった[273]

ハタ・ヨーガ (हठयोग、生理せいりてきヨーガ)

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ナーディー、チャクラ、クンダリニーの

「ハタ」は「ちから」(ちから)を意味いみする。教義きょうぎじょう、「ハ」は太陽たいよう、「タ」はつきをそれぞれ意味いみすると説明せつめいされることもある[† 15][274]アーサナ姿勢しせい)、プラーナーヤーマ呼吸こきゅうほう)、ムドラー(しるししるし象徴しょうちょうてき体位たいいのこと)、クリヤー/シャットカルマ(浄化じょうかほう)、バンダ(制御せいぎょけ)などの肉体にくたいてき操作そうさにより、ふか瞑想めいそう条件じょうけんとなる強健きょうけん清浄せいじょう心身しんしんつくすヨーガ。その萌芽ほうがは8-9世紀せいき[275]ないし9-10世紀せいきころ[276]さかのぼり、13世紀せいきのゴーラクシャナータによって確立かくりつしたとされる[275][† 16]。『ハタ・ヨーガ』と『ゴーラクシャ・シャタカ』という教典きょうてんのこしたとわれているが、前者ぜんしゃ現存げんそんしていない[11]。インドにおいて社会しゃかい荒廃こうはいしていた時期じき密教みっきょう(タントラ)した集団しゅうだんがハタ・ヨーガの起源きげんわれる場合ばあいもある。欧米おうべいなど世界せかいてき学習がくしゅうされているハタ・ヨーガの大半たいはんは、伝統でんとうてきなハタ・ヨーガとはべつ系統けいとうである。アーサナ中心ちゅうしんで、身体しんたいてきなエクササイズの側面そくめん重視じゅうしされている。(→#現代げんだいのハタ・ヨーガ

近代きんだいインドでは、ハタ・ヨーガ(あるいはクンダリニー・ヨーガ)とその実践じっせんしゃは、不審ふしんのぞましくない、危険きけんなものとしてけられる傾向けいこうにあった。(#中世ちゅうせい参照さんしょう

ラヤ・ヨーガ (クンダリニー・ヨーガ、心霊しんれいてきヨーガ)
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ラヤ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義おうぎとされ、ラヤとはかえりいれする、没入ぼつにゅうするという意味いみである[165]。クンダリニーとの合一ごういつ目指めざ[165]、これをクンダリニー・ヨーガともいう[277]。クンダリニー・ヨーガの行法ぎょうほうはハタ・ヨーガからタントラ・ヨーガのしょ流派りゅうは派生はせいしていくなかで発達はったつした[278]。ムーラーダーラにねむるというクンダリニーを覚醒かくせいさせ、身体中からたじゅうのナーディーやチャクラ活性かっせいさせ、さと目指めざすヨーガ。密教みっきょうぐん荼利明王みょうおうは、せいりょく(シャクティ)をあらわすクンダリー(ぐん荼利)を神格しんかくしたものであるとわれることもある[279]。クンダリニーの上昇じょうしょうかんじたからヨーガが成就じょうじゅしたというのは早計そうけいで、その時点じてんではまだ「初期しょき」の段階だんかいにすぎない。「呼吸こきゅう」とばれる呼吸こきゅうほうはクンダリニー・ヨーガの側面そくめんもあるがイコールではない。

今日きょうではちょう心理しんりがくてき現象げんしょう出現しゅつげんさせるヨーガとかんがえられ、注目ちゅうもくされている[165]

クンダリニー・ヨーガに相似そうじするものとしては、チベット仏教ぶっきょうのゾクリム(究竟きゅうきょう次第しだい)などがある[よう出典しゅってん]

バクティ・ヨーガ (भक्ति योग、宗教しゅうきょうてきヨーガ)

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クリシュナが『バガヴァッド・ギーター』をアルジュナに場面ばめん

バクティ・ヨーガ英語えいごばんは、しんのヨーガであり[269]、ここでのヨーガは、行法ぎょうほう体系たいけいではなく、宗教しゅうきょう実践じっせんみち方法ほうほう意味いみしている[16]呪法じゅほう祭祀さいし主義しゅぎバラモン教ばらもんきょう否定ひていして登場とうじょうした、バクティ(信愛しんあい)を精神せいしんてき支柱しちゅうとし、ヨーガを実践じっせんてき支柱しちゅうとする、ヨーガの歴史れきしなかでは比較的ひかくてきあたらしい運動うんどうである[269]有神論ゆうしんろんのヨーガであり、かみへの絶対ぜったい帰依きえぜん信愛しんあい重視じゅうしする宗教しゅうきょうてきなヨーガである[269]。バクティ・ヨーガはかみまね方法ほうほうでもあり、三昧ざんまい境地きょうちかみ一体化いったいかすることを目指めざ[269]

ヴェーダ聖典せいてん一般いっぱんウパニシャッドのなかにこのかたりられない[165]。『バガヴァッド・ギーター』でかれた解脱げだついたる3つのみちのうちのひとつであり、バクティ・マールガ(信愛しんあいみち)は、かみ恩寵おんちょうによって解脱げだつ到達とうたつするものとされている[270]。『バガヴァッド・ギーター』では3つのみちのうち最後さいごげられ、もっとおもんじられている[270]。ヒンドゥーきょう諸派しょは重視じゅうしされるみちである[165]

マントラ・ヨーガ (मंत्र योग、呪法じゅほうてきヨーガ)

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せいおとオーム

神聖しんせいのろいとく呪術じゅじゅつてき効果こうかがあるとかんがえられる神聖しんせい音節おんせつ種子しゅし(しゅじ))をとなえることによって解脱げだつられるというヨーガである[140]。マントラ(真言しんごん)としてはブラフマンをあらわす「オーム」がひろられているが、しん平安へいあん意味いみする「シャンティ」もよくもちいられる[140]ガーヤトリー・マントラをはじめ、マハー・マントラ、ハレークリシュナ・マントラとうおもにサンスクリットのインヴォケーション・マントラ(かみたたえるマントラ)などがある。おと(ヴァイブレーション=振動しんどう)のヨーガである、ナーダ・ヨーガ(नादयोग)の一種いっしゅ仏教ぶっきょうなかでも、種子しゅしおもんじる真言しんごん密教みっきょう密接みっせつ関係かんけいがある[165]

マントラに簡単かんたんなメロディをつけ、コール・アンド・レスポンスはじめに一人ひとり一節いっせつうたい、つぎ参加さんかしゃ同様どうよううたう)方式ほうしきで、複数ふくすうじんから大勢おおぜいうたうものをキールタン(कीर्तन)という。キールタンと混同こんどうされやすいものにバジャン (भजन) がある。

現代げんだいでは、ヒンドゥーきょうけいしん宗教しゅうきょうともわれる超越ちょうえつ瞑想めいそうで、マントラをしんなかとなえて雑念ざつねんはら瞑想めいそう超越ちょうえつ瞑想めいそう)がおこなわれる。

ジャパ・ヨーガ (जप योग)
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基本きほんてきには、数珠じゅずもちいて定数ていすうのマントラをとなえるヨーガ。かみ定数ていすうのマントラの文字もじいてゆくものを、リキタ・ジャパという。

数珠じゅずりながらかみめいかえ方法ほうほうは、インドからヨーロッパにつたえられている[280]

ヴィヤーヤーマ・ヨーガ(Vyāyāma-yoga、体育たいいくてきヨーガ)

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体育たいいくおもとするヨーガである[165]。ヨーガの古典こてんには登場とうじょうしない[165]

仏教ぶっきょう

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よんぜん

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ブッダが菩提樹ぼだいじゅしたおこなさとりをひらいた瞑想めいそういち形態けいたいで、仏教ぶっきょうにおける瞑想めいそう基本形きほんけいである。実践じっせんすることで到達とうたつできるしん境地きょうちよん段階だんかいのレベルにけている[98]仏教ぶっきょうでは、ブッダ独自どくじ瞑想めいそうほうであるとみなされているが、ブッダとどう時代じだい修行しゅぎょうしゃ(サマナ、沙門しゃもん)たちが実践じっせんしていた禅定ぜんじょう原型げんけいであるだろうとかんがえられている[98]

  • はつぜん:もろもろの感覚かんかくてき欲望よくぼう不健全ふけんぜん状態じょうたい欲界よくかい)からとおはなし、はつぜん瞑想めいそう状態じょうたい)にはいる。あら思考しこう対象たいしょう志向しこうする思考しこう)と微細びさい思考しこう対象たいしょう定着ていちゃくして観察かんさつする思考しこう)をまだともなっているが、とおはなれによってしょうじるよろこび・やすらぎがある状態じょうたいとなる[98][92]
  • だいぜんあら思考しこう微細びさい思考しこうおさまると、つぎのステージであるだいぜんうつる。内心ないしん清浄せいじょうとなり、しん統一とういつし、しん安定あんていによってしょうじたよろこび・やすらぎがある状態じょうたいとなる[98][92]
  • だいさんぜん喜楽きらくしずまると、平静へいせいで、正念しょうねんただしいづき)・せいただしい自覚じかく)があり、身体しんたいやすらぎを感受かんじゅする状態じょうたいとなる[98][92]
  • だいよんぜん:すでに安楽あんらくくるしみ、よろこびやかなしみもないため、くるしみ・やすらぎもなく、しん平静へいせいさによってづきが純粋じゅんすい状態じょうたいとなる[98][92]。これがただしい集中しゅうちゅうである[98]

止観しかん

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止観しかん(サマタ・バーヴァナーとヴィパッサナー・バーヴァナー)は、さんがくじょうとしにそれぞれ相当そうとうする[281]

とめ(サマタ・バーヴァナー)
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呼吸こきゅうなど、しんなにひとつのものに集中しゅうちゅうし(しんむすびつけ)、しんしずめる瞑想めいそうほう[282]

やす般那ねん(アーナーパーナ・サティ)
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(ヴィパッサナー・バーヴァナー)
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身体しんたい感覚かんかく機能きのうかんじること、五蘊ごうんばれるしんはたらとう対象たいしょうに、複数ふくすう対象たいしょう次々つぎつぎづきながら、あたまかんがえるのではなく、精神せいしん集中しゅうちゅうし、物事ものごと本質ほんしつ洞察どうさつし、対象たいしょう判断はんだんせず、言葉ことばもちいずありのままにしんけることをとおし、無分別むふんべつばれる境地きょうち目指めざ[282][281]パーリ仏典ぶってんねんしょ相当そうとうするとかんがえられる[282]

しんはたらきを観察かんさつするときしんむすびつける対象たいしょうは、カンマッターナ(ごうしょ)とばれ、初期しょきには、ある動作どうさなどの身体しんたいうごき()、苦楽くらくなどの感受かんじゅ(受)、しんはたらき(しん)、だれもがしんはたらき(ほう一般いっぱんにはぶた五蘊ごうん)のよっつに分類ぶんるいされていた[282]。やがて言葉ことば対象たいしょうとなり、みじか言葉ことばとなえること、文章ぶんしょうしんむすびつけることというように言葉ことば対象たいしょうとなり、ひがしアジア世界せかいでは称名しょうみょう念仏ねんぶつ唱題さかんにおこなわれた[282]

慈悲じひ瞑想めいそう現代げんだいでも大乗だいじょう仏教ぶっきょうひろ実践じっせんされているが、止観しかん観点かんてんからると、かんはい準備じゅんび段階だんかい位置付いちづけられる[283]

阿字あじかん
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真言宗しんごんしゅう伝統でんとうてき瞑想めいそうほうで、僧侶そうりょ鍛錬たんれん方法ほうほうである。ふつ行者ぎょうじゃ一体いったい観想かんそうするものが、阿字あじ観法かんぽうである[284]正式せいしき阿字あじかんへの言及げんきゅうは、弘法大師こうぼうだいし空海くうかい口述こうじゅつしたものを、その弟子でしじつとし記録きろくしたといわれる「阿字あじかん用心ようじんこうけつ」が最初さいしょといわれる[285]本尊ほんぞんである大日如来だいにちにょらい象徴しょうちょうである阿字あじかんじくおおきな月輪げつりん(がちりん)のなか梵字ぼんじの「おもね」が蓮華れんげはなうえ鎮座ちんざしている曼荼羅まんだら)のまえ座禅ざぜんし、半眼はんがんまたはじて阿字あじかん本尊ほんぞんじ、曼荼羅まんだら世界せかいはいっていく[285][286]

本来ほんらい出家しゅっけしゃ修行しゅぎょうほうであるが、近年きんねんでは高野山こうのやま外部がいぶから瞑想めいそうはないのかというわせがあり、一般いっぱんけにも指導しどうおこなわれるようになった[284]僧侶そうりょ指導しどうしたおこなわれる。

念仏ねんぶつ

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インド後期こうき密教みっきょう・チベット密教みっきょう

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様々さまざまなタントラ・ヨーガをおこなシッダだい成就じょうじゅしゃ英語えいごばんたち

チベットではヨーガのことを ワイリー方式ほうしきrnal 'byor (ネンジョル、ネージョル、ナルジョル)という。インド後期こうき密教みっきょういだチベット密教みっきょうにもさまざまなヨーガが伝承でんしょうされている。

ゆめのヨーガ

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ゆめのヨーガ英語えいごばんゆめヨーガ (チベット: rmi-lam もしくは nyilam; サンスクリット: स्वप्नदर्शन, svapnadarśana)は、チベット仏教ぶっきょう密教みっきょう階梯かいていおこなわれるもの。チベット仏教ぶっきょうでは伝統でんとうてきに、明晰めいせきゆめ訓練くんれんみちび技術ぎじゅつやしなってきた[287]最初さいしょゆめなかで、つぎゆめのない睡眠すいみんなかで、さらに24時間じかんつねにはっきり覚醒かくせいした状態じょうたいたも訓練くんれんおこない、最終さいしゅうてき通常つうじょう覚醒かくせいそのものがゆめであるという認識にんしき目指めざ[287]

生起せいき次第しだい(キェーリム)

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世界せかい構成こうせいする森羅万象しんらばんしょう究極きゅうきょく存在そんざいであるふつたちの顕現けんげんであることを体得たいとくする修行しゅぎょうで、曼陀羅まんだら観想かんそうほう(瞑想めいそうほう)や本尊ほんぞん瑜伽ゆがとも類似るいじしている[69]

究竟きゅうきょう次第しだい(ゾクリム)

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後期こうき密教みっきょう究極きゅうきょく修行しゅぎょうほうとして開発かいはつした、快楽かいらく叡智えいち究極きゅうきょく関係かんけいをベースにしたせい瑜伽ゆがにまつわる修行しゅぎょうほうで、インドの後期こうき密教みっきょうとそれをぐチベット密教みっきょう独特どくとくのものである[69]生起せいき次第しだいと、究竟きゅうきょう次第しだい準備じゅんびたる微細びさい瑜伽ゆがつづいておこなわれるが、チベット密教みっきょう究極きゅうきょく修行しゅぎょうほうで、秘伝ひでんであり、ごくしょう人数にんずうにしかつたえられてこなかった[69]

近年きんねん種類しゅるい

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ヨガマット
ハタ・ヨーガの練習れんしゅうをする人々ひとびと
スポーツジムのヨーガ教室きょうしつ

きん現代げんだいつくられた、あらたな「ハタ・ヨーガ」にフィットネスとう要素ようそ改良かいりょうくわえたものが、現代げんだいじん人気にんきである。B.K.S.アイアンガー(1918ねん - 2014ねん)によって、すべらない個人こじんようのマットじょう実施じっしすることや[288]補助ほじょ利用りようして安全あんぜんせい運動うんどう効果こうかたかめる工夫くふうがなされた[289][290]

ハタ・ヨーガ(ヨーガ体操たいそう

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現代げんだいになってティルマライ・クリシュナマチャーリヤ英語えいごばん重視じゅうししたといわれる「シールシャーサナ」(あたまちのポーズ、ヘッドスタンド)[291]

現代げんだい英語えいごけんではアーサナ重点じゅうてんいた体操たいそうてきなヨーガがハタ・ヨーガとばれてひろまっているが、マーク・シングルトンの研究けんきゅうによると、それは中世ちゅうせいのハタ・ヨーガが連綿れんめん現代げんだいつたえられたものではない。その直接的ちょくせつてき起源きげんは、西洋せいよう身体しんたい鍛錬たんれん文化ぶんか英語えいごばん体操たいそうほう影響えいきょうけて20世紀せいき初頭しょとうすうじゅう年間ねんかんにインドで形成けいせいされた「つくられた伝統でんとう」であった[45]

現在げんざい世界せかいてき普及ふきゅうしている体操たいそうてきなヨーガのポーズのおおくは、イギリスの筋肉きんにくてきキリスト教きりすときょうなどを背景はいけいに19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいき前半ぜんはん西洋せいよう発達はったつした身体しんたい鍛錬たんれん運動うんどう由来ゆらいしており、それらはキリスト教きりすときょう伝道でんどうするYMCAやイギリス陸軍りくぐんによってインドに輸入ゆにゅうされたものである[43][151]宗教しゅうきょう社会しゃかい学者がくしゃ伊藤いとう雅之まさゆきは、この西洋せいよう身体しんたい鍛錬たんれん由来ゆらいするヨーガ体操たいそうはハタ・ヨーガとばれるが、現在げんざいのハタ・ヨーガのアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表だいひょうされる伝統でんとうてき古典こてんヨーガや中世ちゅうせい以降いこう発展はってんした(本来ほんらいの)ハタ・ヨーガとのつながりはきわめてよわいと指摘してきしている[43]。イギリスじんはインドじんとインド社会しゃかい肉体にくたいてき道徳どうとくてき精神せいしんてき堕落だらくしているという脆弱ぜいじゃく神話しんわとなえてインド支配しはい正当せいとうしようとし、インドじん脆弱ぜいじゃく神話しんわ内面ないめんしていたため、インドじん知識ちしきじんたちは身体しんたい鍛錬たんれん文化ぶんか興味きょうみち、肉体にくたい強化きょうかして個人こじん社会しゃかい堕落だらくわれる状態じょうたい克服こくふくしようとし、またイギリスとの武力ぶりょく闘争とうそう闘士とうしそだてようとした[151]。1920-30年代ねんだいに、西洋せいよう身体しんたい鍛錬たんれんから発生はっせいした多様たよう体操たいそうほうなどが融合ゆうごうしてインド伝統でんとうのハタ・ヨーガの技法ぎほうとして確立かくりつした[43]

現代げんだいヨーガのちち」とばれるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ英語えいごばん(1888ねん - 1989ねん)も、西洋せいようしき体操たいそう影響えいきょうけた身体しんたい技法ぎほうみずからのヨーガ・クラスにれ、思想しそうめんヴィヴェーカーナンダ(1863ねん - 1902ねん)などのヒンドゥー復興ふっこう運動うんどう思想しそうと『ヨーガ・スートラ』を援用えんようした[43]現代げんだいのハタ・ヨーガはアーサナ(ポーズ)主体しゅたいで、解剖かいぼうがくおさめ、『ヨーガ・スートラ』を聖典せいてんとし[153]現代げんだいおおくのヨーガのアーサナは、現代げんだいのハタ・ヨーガがベースになっている[43]シールシャーサナ英語えいごばんあたまちのポーズ)やサルヴァンガーサナ英語えいごばんかたちのポーズ)はクリシュナマチャーリヤが重要じゅうようしたものといわれ、現代げんだいのほとんどのヨーガ教師きょうしは、クリシャナマチャーリヤとはべつ系統けいとう人々ひとびとふくめ、直接的ちょくせつてき間接かんせつてきかれ影響えいきょうけているとわれる[291]

アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ

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現在げんざいのパワー・ヨーガの源流げんりゅうともなっているヨーガ。呼吸こきゅうともアーサナおこなう。

現在げんざい一般いっぱんてきにヨーガのシーンで「アシュタンガ・ヨガ」とばれているものは正式せいしきには「アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ英語えいごばん」(アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ)という(本来ほんらいは、アシュターンガ・ヨーガというかたりは『ヨーガ・スートラだい2しょう29せつ記述きじゅつされているはち部門ぶもんないしはち階梯かいていからなる修行しゅぎょう体系たいけいす)。ティルマライ・クリシュナマチャーリヤにおしえをけたパッタビ・ジョイス英語えいごばんがこのヨーガの創始そうししゃである。現在げんざい継承けいしょうしゃでパッタビ・ジョイスのまごであるシャラスが指導しどうしている。

クリヤー・ヨーガ

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マハー・アヴァター・ババジからラヒリ・マハサヤ英語えいごばんパラマハンサ・ヨガナンダへと、グルから弟子でしへの伝統でんとうによってつたえられたとされるヨーガも、『ヨーガ・スートラ』におけるクリヤー・ヨーガとおなじくクリヤー・ヨーガとばれている。

パワー・ヨーガ

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パワー・ヨーガ英語えいごばん」(パワーヨガ)は、アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガをベースにしたヨーガで、アーサナ実践じっせんすることで脂肪しぼう燃焼ねんしょうさせ、うつくしい肉体にくたいつくることを目的もくてきとしておもにアメリカで開発かいはつされた。ハリウッドスターを中心ちゅうしん一大いちだいブームとなり先進せんしん諸国しょこくひろがったことから「ハリウッド・ヨーガ」ともいう。

ハタ・ヨーガ(ヨーガ体操たいそう)が、1つのポーズをとったまま一定いってい時間じかん静止せいししたうえつぎのポーズに移行いこうするのにくらべ、アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガをベースにしたパワー・ヨーガは、各種かくしゅポーズをストレッチのように一連いちれんながれのなかおこなうのが特徴とくちょうである。アイソメトリックな運動うんどうによるフィットネスおも目的もくてきである。

ホット・ヨーガ

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ホット・ヨーガ、ホットヨガは、室温しつおん35〜39前後ぜんこう湿度しつど60%前後ぜんごたもたれた室内しつないアーサナ中心ちゅうしんとしたエクササイズをおこなうヨーガである[292]実施じっしする室内しつない環境かんきょうは、ヨーガ発祥はっしょうインド気候きこうしたともわれる[293]。パワー・ヨーガ、ビクラム・ヨーガ(40以上いじょうおこなう)、フォレスト・ヨーガ英語えいごばんなどの形態けいたいがある。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく西海岸にしかいがんで1970年代ねんだいはじまり、日本にっぽんでは2009ねんごろからひろまった[293]。2015ねん時点じてん日本にっぽんで30まんにんおこなっているともわれる(出典しゅってんのデータがなん統計とうけいによるかは不明ふめい[293]

マインドフルネス

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論争ろんそう問題もんだい

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オウム真理教おうむしんりきょうにおけるヨーガによる自己じこ変容へんよう体験たいけん悪用あくよう

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オウム真理教おうむしんりきょうには、ヨーガがきっかけになって入信にゅうしんした信者しんじゃおおかった。教祖きょうそ麻原あさはら彰晃しょうこうは、阿含宗あごんしゅうでの修行しゅぎょうののちに『ヨーガ・スートラ』に出合であい、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』(いずれも保田やすだ鶴治つるじわけ)と教典きょうてんをもとに独学どくがくし、空中くうちゅう浮揚ふようするまでにいたったという。しん宗教しゅうきょう研究けんきゅうする沼田ぬまたけんは、このように正規せいきグルにつかずに修行しゅぎょうをしていたことで、いわゆる「魔境まきょう」におちいった可能かのうせい指摘してきし、のちに様々さまざま問題もんだいしょうぜしめた要因よういんのひとつであるとべている[52][53]オウム真理教おうむしんりきょうではヨーガによるクンダリニー覚醒かくせい実践じっせん中心ちゅうしんてき位置いちめており、沼田ぬまたは、「ヨーガによる自己じこ変容へんようとしての解脱げだつ体験たいけんこそ、80年代ねんだい前半ぜんはん麻原あさはら宗教しゅうきょうてきアイデンティティのはしらひとつとみなしうる」とべている。本来ほんらいヨーガや瞑想めいそうによって常人じょうじんにない能力のうりょくることは否定ひていされてはいないが、オウム真理教おうむしんりきょう信者しんじゃにはちょう能力のうりょく獲得かくとくすることをおも目的もくてきとするものすくなくなかった[52]

ヨーガや瞑想めいそうなどの修行しゅぎょうほう断食だんじきなどの苦行くぎょうも、本来ほんらいしん自己じこ見出みいだすためのセルフ・コントロールの一種いっしゅである。沼田ぬまたは、破壊はかいてきカルトばれるようなしん宗教しゅうきょう教団きょうだんおこなわれている行為こういと、東洋とうよう伝統でんとうてきなヨーガや瞑想めいそうなどの修行しゅぎょうほうている部分ぶぶんすくなくないが、おこなわれるコンテクストがことなっていると反対はんたい結果けっかしょうじうるとべている。またオウム真理教おうむしんりきょうにみられる強固きょうこ教祖きょうそ = グル崇拝すうはいは、麻原あさはら幹部かんぶによる洗脳せんのうやマインドコントロールをより容易よういにしたことを指摘してきしている[52]

指導しどうしゃ資格しかく問題もんだい講習こうしゅうしつ時間じかん

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ヨーガの指導しどうしゃになるのにさだまった資格しかくはなく、だれでもなることができるが、全米ぜんべいヨガアライアンス(YA)200時間じかん週末しゅうまつ10-12回分かいぶん)のYoga Teacher Training(YTT)[294]修了しゅうりょうがスタジオやジムでおしえるための必須ひっす条件じょうけんであることがおおいため、これを受講じゅこうするひとおお[295]。200あいだYTTをおこなうYA認定にんていこうは5500以上いじょう、YA認定にんてい指導しどうしゃは6まんにん以上いじょうにのぼる。2016ねんには世界中せかいじゅうで10まんにん以上いじょう年間ねんかん平均へいきん3000ドルを200あいだYTTに投資とうしした。200あいだYTTは、インドである程度ていどなが時間じかんついやしてヨーガを習得しゅうとくした初期しょきのアメリカの熟練じゅくれん講師こうしたちによって、講師こうし短期間たんきかんでの育成いくせいふせぐために設定せっていされた。しかし、200あいだ初期しょき欧米おうべいのヨーガの指導しどうしゃたちがおしえる立場たちばになるまでについやした時間じかんとはくらものにならないほどみじかく、たった200あいだのトレーニングで十分じゅうぶんなのかという疑問ぎもんこえもある。200あいだYTTでは、生徒せいと安全あんぜんはかるための解剖かいぼうがく十分じゅうぶん時間じかんついやしておらず、クラスのつくかた生徒せいと生徒せいと肉体にくたいてき精神せいしんてきニーズへの理解りかい、ヨーガの伝統でんとう十分じゅうぶんまなぶことはむずかしい。YTT修了しゅうりょうしゃには、コースの内容ないよう指導しどうしゃになるには不十分ふじゅうぶんかんじ、生徒せいとをサポートし安全あんぜん指導しどうできないとかんがえ、指導しどうしゃになることをあきらめるひとすくなくない[204]

指導しどうしゃてい収入しゅうにゅう

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全米ぜんべいヨガアライアンスの調しらべでは、ヨーガの指導しどう主要しゅよう収入しゅうにゅうげんとなっているインストラクターは30%にもたない[296]。そのため、コロラドしゅう議会ぎかいでは、ヨーガ講師こうし職業しょくぎょうとしてみとめられないという論争ろんそうがあった[204]

女性じょせいへの性的せいてき虐待ぎゃくたい

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近年きんねんでは、ヨーガ教室きょうしつで、指導しどうしゃ生徒せいと関係かんけいしゃ不適切ふてきせつせい関係かんけいいたり、セクシャルハラスメントをしたり、生徒せいとのアジャスト(姿勢しせい調整ちょうせい)のさい性的せいてき接触せっしょくおこなったり、セラピーとしょうして性行為せいこういせい儀式ぎしきおこなうといったスキャンダルが相次あいついでいる。「ヨガジャーナル」の記者きしゃは、ヨーガの歴史れきしなかで、ヨガの流派りゅうはやしきたり、またはヨーガ道場どうじょう関連かんれん組織そしきのなかで、違法いほう性的せいてき行為こうい問題もんだいまさしく認識にんしきされないことがおおく、対策たいさくこうじられてこなかったと指摘してきしている[297]

後期こうき密教みっきょうおこなわれた女性じょせいせいヨーガの相手あいておこな貪欲どんよくぎょうについて、高野山大学こうやさんだいがく密教みっきょう文化ぶんか研究所けんきゅうじょせい春樹はるきは、せいヨーガの相手あいてつとめる女性じょせいにとって貪欲どんよくぎょう男性だんせい修行しゅぎょうしゃおな意味いみつのか、貪欲どんよくぎょう女性じょせい理論りろん構築こうちくしイニシアチブをるわけではなく、せいヨーガの相手あいて女性じょせい男性だんせい修行しゅぎょうしゃさとるための手段しゅだんとしてだけでなく、彼女かのじょにとっても成就じょうじゅ手段しゅだんであるのか、女神めがみ崇拝すうはいおおきな潮流ちょうりゅう影響えいきょう女性じょせいせい重視じゅうししているが、むしろそれが男女だんじょ権力けんりょく関係かんけい男性だんせいによる女性じょせい支配しはい女性じょせい差別さべつかく装置そうちになっていないかといかけている[298]後期こうき密教みっきょうで、出家しゅっけしゃ性的せいてきヨーガをおも性的せいてきイメージをもちいる観想かんそうとしてったとかんがえられているが、ときには男性だんせい出家しゅっけしゃ在家ありいえ女性じょせい信者しんじゃたいし、「ささげる無上むじょう供養くよう」としてせいヨーガの相手あいて強要きょうようする破戒はかい行為こういおよぶこともあった[140]

現代げんだいのヨーガの世界せかいでも、男性だんせい指導しどうしゃ教祖きょうそ聖者せいじゃであるかのようにおもわせる、カリスマてき物語ものがたりがあふれている[299]

現代げんだいハタ・ヨーガの一種いっしゅであるアヌサラ・ヨーガ英語えいごばん創始そうししゃジョン・フレンド英語えいごばんは、ウイッカカブン魔術まじゅつてきせい関係かんけいち(セックス・ヨーガをふくタントラ・ヨーガ(ネオタントラ)を指導しどうしていたとわれるが、伝統でんとうてきなものではないとわれる[300][301][302])、既婚きこんしゃふく関係かんけいしゃ生徒せいと不適切ふてきせつせい関係かんけいっていると告発こくはつされた。このスキャンダルで教師きょうし次々つぎつぎ辞職じしょくし、ジョン・フレンドは指導しどうしゃ地位ちい退しりぞいている[303][304][302]くわえて、雇用こようしゃ年金ねんきんとう雇用こよう条件じょうけんかんする違法いほう行為こうい疑惑ぎわくがある[303][302])。

現代げんだいハタ・ヨーガ、ホット・ヨーガの一種いっしゅであるビクラムヨガでは、創始そうししゃ巨大きょだいヨーガスクールを経営けいえい世界せかいてきにフランチャイズ展開てんかいしていたビクラム・チョードリー英語えいごばんが、生徒せいとからセクハラ、パワハラ、せい犯罪はんざい民事みんじ告訴こくそされた[305][306]

2017ねん#MeToo運動うんどうがりのさいには、ヨーガ教師きょうし企業きぎょうのレイチェル・ブラゼンが、ヨーガ教室きょうしつ・コミュニティない女性じょせいけた性的せいてき虐待ぎゃくたい、セクシャルハラスメント、性的せいてき暴行ぼうこう経験けいけん告白こくはくを300けん以上いじょうあつめ、ヨーガの世界せかい衝撃しょうげきあたえた[307]。ブラゼンは、このような被害ひがいもうては比較的ひかくてき最近さいきんはじまったが(2018ねん時点じてん)、「なんじゅうねんものあいだ、ヨガのコミュニティないでの虐待ぎゃくたいについてはみなっていました」とべ、長年ながねんつづ問題もんだいであると指摘してきした[307]。「すくなくとも、虐待ぎゃくたいおこなったティーチャーが信用しんよううしな仕組しくみが必要ひつようです」と苦言くげんていしており、生徒せいと関係かんけいしゃ女性じょせい性的せいてき虐待ぎゃくたいおこなったヨーガ指導しどうしゃ信用しんよううしなうことなく講師こうしつづけ、被害ひがいしゃ寝入ねいりをしている現状げんじょうがうかがえる[307]。ヨーガの生徒せいとには、社会しゃかいてき立場たちばよわく、しんのバランスやしずけさをもとめてまなびにひとおおく、虐待ぎゃくたい被害ひがいしゃは、神聖しんせい安全あんぜんであるとかんがえていた場所ばしょで、尊敬そんけいする教師きょうしやメンバーから暴行ぼうこうされたことで非常ひじょうおおきなショックをけているという[297][307]。ヨーガ産業さんぎょう中心ちゅうしん君臨くんりんするアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガを創始そうししたパッタビ・ジョイス英語えいごばんは、慈悲じひふか父親ちちおやてき存在そんざいとして尊敬そんけいあつめてきたが、生前せいぜん死後しごもヨーガの指導しどうでの性的せいてき虐待ぎゃくたいうわさがあり、#MeToo運動うんどう性的せいてき不正ふせい行為こういおよび性的せいてき暴行ぼうこうかえしていたとして、指導しどうしゃ生徒せいとから告発こくはつがあった[299][297]

スピリチュアルな世界せかいでは、権力けんりょく乱用らんようによる虐待ぎゃくたいめずらしいはなしではない[297]。Kripalu Center for Yoga & HealthのもとCEOであるリプシウスは、性的せいてき虐待ぎゃくたいのヨーガかいへの影響えいきょう壊滅かいめつてきなものであり、加害かがいしゃ追放ついほうされても被害ひがいしゃ後遺症こういしょうすうじゅう年間ねんかんつづ現実げんじつてきたという[297]全米ぜんべいヨガアライアンスは、被害ひがいしゃのためのホットラインと支援しえんはじめ、状況じょうきょう改善かいぜんこころみている[297][307]

現代げんだいヨーガの健康けんこうへの影響えいきょう研究けんきゅう

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エクササイズとしての現代げんだいのヨーガの健康けんこうへの影響えいきょうがさまざまに研究けんきゅうされてきたが、おおくの研究けんきゅう対象たいしょうすくなすぎるなどの問題もんだいがありしつひくいため、ほとんどの場合ばあい健康けんこう管理かんりのために有望ゆうぼうであるとえるが、効果こうかがあると科学かがくてき証明しょうめいされているわけではない[308]。ヨーガをおこな場合ばあい個々人ここじん健康けんこう状態じょうたいわせてインストラクターや医療いりょう従事じゅうじしゃはなうべきであるが、適切てきせつおこなわれれば健康けんこうひとにとっては一般いっぱんてき安全あんぜんであるとかんがえられている[308]

2012ねんのアメリカの全国ぜんこく調査ちょうさによると、実践じっせんしゃおおくはヨーガが一般いっぱんてき健康けんこう問題もんだい改善かいぜんするとしんじており、ストレス管理かんり、バランス、メンタルヘルスなどの健康けんこうたすけ、健全けんぜん食生活しょくせいかつ運動うんどう習慣しゅうかん向上こうじょう役立やくだつというエビデンスもはじめている[308]腰痛ようつうくびいたみをやわらげ、糖尿とうにょうびょう患者かんじゃ血糖けっとうをコントロールするのに役立やくだち、ふとりすぎ、肥満ひまんひと体重たいじゅうらすたすけになるとかんがえられている[308]。がん、多発たはつせい硬化こうかしょう慢性まんせい閉塞へいそくせいはい疾患しっかんなどの慢性まんせい疾患しっかん人々ひとびと症状しょうじょう管理かんり生活せいかつしつ向上こうじょう援助えんじょ役立やくだ可能かのうせいがあるという有望ゆうぼう証拠しょうこがある[308]女性じょせい更年期こうねんき障害しょうがい肉体にくたいてき精神せいしんてき症状しょうじょう改善かいぜんたすけ、睡眠すいみん障害しょうがい改善かいぜん禁煙きんえん実行じっこうたすける可能かのうせい示唆しさされている[308]人生じんせい困難こんなん状況じょうきょうにおける不安ふあん気分きぶんみの改善かいぜん役立やくだつかもしれないが、不安ふあん障害しょうがい、うつびょう、またはしんてき外傷がいしょうストレス障害しょうがい管理かんり役立やくだつという証拠しょうこはない[308]Oxidative Medicine and Cellular Longevity掲載けいさいされた研究けんきゅうでは、12週間しゅうかんしゅう5にち動作どうさ呼吸こきゅうほう瞑想めいそうふくむ90ぶんのヨーガを実践じっせんすることで、炎症えんしょうレベルの低下ていかコルチゾールレベルの大幅おおはば低下ていか兆候ちょうこうられ、細胞さいぼう老化ろうかおくらせることがしめされた[309]。この研究けんきゅうでは、ヨーガプログラムのう由来ゆらい神経しんけい栄養えいよう因子いんし(BDNF)のレベルがたかくなることもわかり、ヨーガがのうまも効果こうかがある可能かのうせい示唆しさされた[309]

男性だんせい女性じょせいでは、ヨーガのポーズが筋肉きんにくあたえる影響えいきょうことなるというエビデンスがある[308]。ヨーガをおこなっているひとの3ぶんの2は、そのことを医療いりょう従事じゅうじしゃはなしていなかった[308]

アメリカのヨーガの研究けんきゅうは、おもにヨーガがもっと人気にんきがあるそう比較的ひかくてき裕福ゆうふく高度こうど教育きょういくけた白人はくじん女性じょせいのグループが対象たいしょうで、人々ひとびととく少数しょうすう民族みんぞくのグループやより収入しゅうにゅうすくない人々ひとびと過小かしょう評価ひょうかされている[308]

怪我けが身心しんしんへの悪影響あくえいきょう

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こうこごめのポーズ

現代げんだい一般いっぱんてきなヨーガは、十分じゅうぶん訓練くんれんされたインストラクターの指導しどうした適切てきせつおこなわれる場合ばあい健康けんこうひとにとっては安全あんぜん身体しんたい運動うんどうであるとみなされているが、運動うんどう同様どうよう怪我けがのリスクはあり、スポーツ障害しょうがい同様どうよう肉体にくたいてき損傷そんしょうしょうじうるポーズがある[310][311][312][313]。ヨーガが原因げんいん怪我けがもっと一般いっぱんてきなものは捻挫ねんざ肉離にくばなれである[308]。65さい以上いじょう怪我けが割合わりあいは、若年じゃくねんしゃよりおお[308]衝撃しょうげきおおきなスポーツより怪我けがのリスクはひくく、重傷じゅうしょうはまれである[308]

オーストラリアのヨーガ関係かんけいしゃ調査ちょうさによると、回答かいとうしゃやく20%が練習れんしゅうちゅうなんらかの身体しんたいてき傷害しょうがいっていた[310]過去かこ12かげつあいだで、回答かいとうしゃの4.6%が長期ちょうきてきいたみのある、または医療いりょうによる治療ちりょう必要ひつよう怪我けがっていた[311]頭立かしらだち、かたち、蓮華れんげおよはん蓮華れんげぜんこごめこうこごめ倒立とうりつもっとおお負傷ふしょうしゃしていた[310]

専門せんもん指摘してきするヨーガの悪影響あくえいきょうは、初心者しょしんしゃ競争心きょうそうしんとインストラクターに資格しかくがないことが理由りゆうとしてげられる[311]教室きょうしつ需要じゅようたかまるにつれて、おおくのひと各々おのおの組織そしき教室きょうしつでヨーガ・インストラクターとして独自どくじ認定にんていされたが、インストラクターになるのに特別とくべつ資格しかく必要ひつようなく[314]骨格こっかく筋肉きんにくなど、からだ仕組しくみについての専門せんもん知識ちしきまなぶことは義務ぎむづけられていない[315]あたらしいインストラクターのすべてが、教室きょうしつ初心者しょしんしゃ全員ぜんいん十分じゅうぶんくばり、けがをふせぐのに適切てきせつ指導しどうおこなえるわけではない[311]同様どうよう初心者しょしんしゃは、自分じぶん身体しんたい能力のうりょく過大かだい評価ひょうかし、ポーズをおこなうの十分じゅうぶん柔軟じゅうなんせい筋力きんりょくそなえるまえに、高度こうどなポーズができるよう間違まちがった努力どりょくをしがちである[311]。『メディカルヨガ(原題げんだい:Yoga as Medicine)』の著者ちょしゃで、「ヨガジャーナル」の編集へんしゅうしゃである医学いがく博士はかせのティモシー・マッコールは、生徒せいと怪我けがをしても「先生せんせいしたっているから、いしばって大丈夫だいじょうぶだとう。だがひそかに整形せいけい外科げかかよっているんだ」、そのため、指導しどうしゃ生徒せいと怪我けが問題もんだい把握はあくできず、生徒せいと管理かんりしきれないだろうとかたっている[204]。なお、初心者しょしんしゃ生徒せいとだけでなく、指導しどうするかた・されるほう双方そうほうがベテランの指導しどうしゃであっても、不適切ふてきせつなアジャストでだい怪我けがうこともある[316]

ヨーガの練習れんしゅう裂傷れっしょうしょうじる可能かのうせいのある頸部動脈どうみゃく

血液けつえきのう供給きょうきゅうする頸部動脈どうみゃく裂傷れっしょうである椎骨ついこつ動脈どうみゃく解離かいり英語えいごばんは、くびばしながらまわすことでこる可能かのうせいがあり、いくつかのヨガのポーズでこりうる。これは非常ひじょう深刻しんこく症状しょうじょうであり、血管けっかんける場所ばしょ程度ていどによっては、のう梗塞こうそく脳卒中のうそっちゅうくもまく出血しゅっけつひとしこすこともある[317][318][319]

大腿だいたいこつ股関節こかんせつむす股関節こかんせつくちびる(こかんせつしん:うすぶた部分ぶぶんおお軟骨なんこつ一種いっしゅ損傷そんしょうは、股関節こかんせつおおきくひらうごきをするスポーツなどでおお見受みうけられるが、ヨーガの練習れんしゅうしょうじたという報告ほうこくがある[320][321]。ヨーガの練習れんしゅう股関節こかんせつすじだんきれ大腿だいたいこつこつ挫傷ざしょう股関節こかんせつくちびる損傷そんしょうだい怪我けがった現役げんえき講師こうしは、原因げんいんはポーズの指導しどうけたつよいアジャストであり、指導しどうしゃによるアジャストの負荷ふか自分じぶん限界げんかいえていたことはわかったが、つよちから固定こていされてがなく、いたみをうったえる言葉ことばもききながされてしまったとかたっている[316][315]

日本にっぽんでもヨーガのブームによる教室きょうしつ急増きゅうぞう被害ひがいうったえが増加ぞうかしており、国民こくみん生活せいかつセンターには、「かたけんばんかたかぶとこつうでほねをつなぐ重要じゅうようけん)を損傷そんしょうした」、「運動うんどうちゅう圧迫あっぱく骨折こっせつした」など、重大じゅうだい怪我けがをしたという相談そうだんがあり、ホットヨーガで「アレルギー症状しょうじょうた」、「じんましんになった」、「皮膚ひふがただれた」とううったえもある[315]

国際医療福祉大学こくさいいりょうふくしだいがくおか孝和こうわは、2013ねん厚生こうせい労働省ろうどうしょう研究けんきゅうはん代表だいひょうとしてヨーガの効果こうか安全あんぜんせい調査ちょうさし、全国ぜんこく200かしょあまりの教室きょうしつで、ヨーガをおこなった直後ちょくごの2508にん生徒せいとにききとりをしたところ、3わりちかくが心身しんしんなんらかの異常いじょううったえていた。おか孝和こうわは、国民こくみん生活せいかつセンターにせられた相談そうだん件数けんすうについて「氷山ひょうざん一角いっかくにすぎないとおもいます」とべている[315]

ホット・ヨーガは様々さまざま利点りてん主張しゅちょうされているが、エクササイズやダイエットの効果こうか通常つうじょうのヨーガとわらないと指摘してきされており、高温こうおん多湿たしつ環境かんきょうおこなうことが肉体にくたいわる影響えいきょうおよぼすこともある[322]

健康けんこう問題もんだいがあるひと年配ねんぱいひと妊娠にんしんちゅう女性じょせいは、いくつかのヨーガのポーズや練習れんしゅうけるか、修正しゅうせいしておこな必要ひつようがあるとかんがえられている[308][323]

きん現代げんだいヨーガに関連かんれんする著名ちょめい人物じんぶつ

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存命ぞんめい人物じんぶつ

脚注きゃくちゅう

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補注ほちゅう

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  1. ^ 禅定ぜんじょうはヨーガの一種いっしゅであるが[14]禅宗ぜんしゅう坐禅ざぜんとインドの古典こてんヨーガの瞑想めいそうは、思想しそう方法ほうほうとも、かならずしもおなじというわけではない[15]
  2. ^ 唯物ゆいぶつろんチャールヴァーカ祭事さいじ専念せんねんするミーマーンサー学派がくはのぞ[2]
  3. ^ カタ・ウパニシャッド」では、「感官かんかん感覚かんかく器官きかん)の彼方かなた対象たいしょうあり、対象たいしょう彼方かなたあり…顕現けんげん彼方かなた純粋じゅんすい精神せいしんあり。純粋じゅんすい精神せいしん彼方かなたにはなにものもなし。」とサーンキヤ哲学てつがくかずろん学派がくは。ヨーガ学派がくはとの関係かんけいふかい)のしょ原理げんりかれており、今西いまにし順吉じゅんきちによると、これはヨーガによる精神せいしん沈潜ちんせんふかまりに対応たいおうするとかんがえられる[13]
  4. ^ ただし、日本語にほんごちょう母音ぼいんはサンスクリットさんばい母音ぼいんなのでながくのばしすぎるのも問題もんだいである。インドじん発音はつおんくとヨゥガとっているようにこえる。
  5. ^ マヌ法典ほうてん』では、女性じょせいはどのヴァルナ身分みぶん)であっても、入門にゅうもんしき(ウパナヤナ)をけてヴェーダをまな男子だんしとして「再生さいせい」するドヴィジャまれるもの再生さいせいぞく)ではなく、入門にゅうもんしきけられずいちまれるだけのエーカージャ一生いっしょうぞく)とされていたシュードラ(隷民)と同等どうとうされ、女性じょせい再生さいせいぞくであるおっと食事しょくじともにすることはなく、祭祀さいし主催しゅさいしたり、マントラとなえることも禁止きんしされていた[67]
  6. ^ 伊藤いとうたけしによると、ヨーギニーという言葉ことば本来ほんらいしかばねりん英語えいごばん(シュマシャーナ)で土俗どぞく信仰しんこう女神めがみまつ特異とくい儀礼ぎれいにたずさわった巫女ふじょたちを言葉ことばで、魔女まじょ意味合いみあいをびるようになった。そのおおくは差別さべつカーストの出身しゅっしんであった[68]せいヨーガの相手あいてをする女性じょせいたちは特殊とくしゅ階級かいきゅうぞくし、ははからむすめへと特殊とくしゅ性的せいてきテクニックを伝承でんしょうする娼婦しょうふだったともいわれる[69]母系ぼけいせい社会しゃかい形成けいせいしていた彼女かのじょたちは、中世ちゅうせいインドの後期こうき密教みっきょう時代じだいにヨーギニー(瑜伽ゆがおんな)またはダーキニー(拏吉あま)とばれた[70]密教みっきょうかれるせいヨーガの相手あいてのステレオタイプは16さい処女しょじょであるが、おとこころすような獰猛どうもうおんなとも描写びょうしゃされる[69]経典きょうてんでは同時どうじてき複数ふくすう女性じょせいあいせともかれるが、実践じっせんしゃ記録きろくでは、おおむね一人ひとり女性じょせい長期ちょうきてきせいヨーガをおこなったようである[69]彼女かのじょらは男性だんせい行者ぎょうじゃみちび役割やくわりえんじることもあり[71]、9-12世紀せいきごろのインドの後期こうき密教みっきょう時代じだい活躍かつやくしただい成就じょうじゅしゃ英語えいごばんたちの伝記でんきである『はちじゅうよん成就じょうじゅしゃでん』にはさとりを女性じょせいが5めい登場とうじょうする[72][69]後期こうき密教みっきょう性的せいてき儀礼ぎれいにおける男性だんせい行者ぎょうじゃ相手あいて女性じょせいはムドラー(しるしちぎり)ともばれた[73]。『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、ヴァジュローリー・ムドラーでラジャス(せい分泌ぶんぴつぶつかいされる)をさい吸収きゅうしゅうし、保持ほじすることのできる女性じょせいをヨーギニーとんでいる[74]
  7. ^ これらは正統せいとうバラモン教ばらもんきょうともばれるが、ヴェーダ聖典せいてん権威けんい明確めいかく対立たいりつしていない学派がくはたいするおおざっぱなくくりであり、名目めいもくてき分類ぶんるいぎない[106]。ヨーガ学派がくはは、現代げんだいではダルシャナ(インド哲学てつがく)のうちシャド・ダルシャナ(ろく哲学てつがく)の1つに位置いちづけられている。ろく哲学てつがくという言葉ことばふるいが、もともとげられるろく一定いっていしておらず、サーンキヤ学派がくは、ヨーガ学派がくは、ミーマーンサー学派がくは、バイシェーシカ学派がくは、ニヤーヤ学派がくは、ヴェーダーンダ学派がくはろく哲学てつがくぶことは、おそらくフリードリヒ・マックス・ミュラー木村きむら泰賢たいけんはじまるとおもわれる[107]
  8. ^ たとえば、近代きんだいインドを代表だいひょうする聖者せいじゃであるラマナ・マハルシ[156]の『あるがままに - ラマナ・マハルシのおしえ』は、修練しゅうれん方法ほうほうとしてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガすすめている。ラマナは、れいせい向上こうじょうは「しん」そのものをあつかうことで解決かいけつができるという基本きほんてき前提ぜんていから、ハタ・ヨーガには否定ひていてきであった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在せんざいてき危険きけんであり必要ひつようもないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達とうたつしたとしても実現じつげんこらないと発言はつげんしている[157]
  9. ^ 伊藤いとう雅之まさゆきはこれを1920年代ねんだいから1930年代ねんだいのこととしているが、シングルトン 2014によれば、すくなくともクリシュナマチャーリヤにかんしてえば1930年代ねんだい以降いこうのことである。伊藤いとう論文ろんぶんでは西洋せいようしき体操たいそうからされた近代きんだいハタ・ヨーガをひとりクリシュナマチャーリヤのみにかえしているような記述きじゅつとなっているが[43]、シングルトンによればどう時代じだいスワーミー・クヴァラヤーナンダ英語えいごばんシュリー・ヨーゲーンドラ英語えいごばん重要じゅうようであり、クヴァラヤーナンダの活動かつどうはクリシュナマチャーリヤに先行せんこうしている。また、伊藤いとう近代きんだいハタ・ヨーガにはインド伝統でんとう武術ぶじゅつ由来ゆらいする要素ようそもあるとしているが、シングルトンの著書ちょしょにはそれを示唆しさする記述きじゅつはない。
  10. ^ AYUSHは、つぎ頭文字かしらもじをとった略語りゃくご。AはAyurveda(アーユルヴェーダ)、YはYoga&Naturopathy(ヨーガとナチュロパシー=自然しぜん療法りょうほう)、UはUnani(ユナニ医学いがく)、SはSiddha(シッダ医学いがく)、HはHomeopathy(ホメオパシー)。
  11. ^ 宗教しゅうきょう学者がくしゃ大田おおた俊寛としひろは、「シャクティーパット」を一言ひとことでいうと催眠さいみんじゅつであり、フランツ・アントン・メスメルメスメリズム動物どうぶつ磁気じき療法りょうほう)の方法ほうほう酷似こくじしているとべている[238]
  12. ^ オウム真理教おうむしんりきょう犯罪はんざい被害ひがいしゃとう救済きゅうさいするための給付きゅうふきん支給しきゅうかんする法律ほうりつもとづき給付きゅうふきん支給しきゅうけた被害ひがいしゃすう公安調査庁こうあんちょうさちょう
  13. ^ アシュタ=8つ、アンガ=えだささえぶん部門ぶもん
  14. ^ 伊藤いとうたけし解釈かいしゃくするところによると、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』のいうラージャ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義おうぎ意味いみし、ラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)のことをしている[267]
  15. ^ 印度いんど哲学てつがく研究けんきゅうしゃ山下やました博司ひろしによると、これは通俗つうぞく語源ごげんてき解釈かいしゃくである。
  16. ^ ゴーラクシャを山下やましたは10-12世紀せいき[10]伊藤いとうは12世紀せいき前半ぜんはん人物じんぶつとする[11]
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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