庭園 ていえん に坐 ましま すヨーギー
ヨーガ またはヨガ (サンスクリット : योग ; 発音 はつおん [joːɡɐ] (聞 き くⓘ ) )は、古代 こだい インド発祥 はっしょう の伝統 でんとう 的 てき な宗教 しゅうきょう 的 てき 行 ぎょう 法 ほう であり、瞑想 めいそう を主 おも とする。現代 げんだい においては身体 しんたい 的 てき エクササイズ も含 ふく まれる。
元来 がんらい は、心身 しんしん 、感覚 かんかく 器官 きかん を鍛錬 たんれん によって制御 せいぎょ し、精神 せいしん を統一 とういつ し、心 しん の働 はたら きを止 とめ 滅 ほろぼ させ(不動 ふどう 心 しん )、古代 こだい インドの人生 じんせい 究極 きゅうきょく の目標 もくひょう である輪廻 りんね からの「解脱 げだつ (モークシャ)」に至 いた ろうとするものである。
漢 かん 訳 やく は相合 そうごう 、成 なり 、摂 と 、成就 じょうじゅ 、精勤 せいきん 修行 しゅぎょう など、音訳 おんやく は瑜伽 ゆが (ゆが)。仏教 ぶっきょう とヒンドゥー教 きょう の修行 しゅぎょう 法 ほう の源流 げんりゅう であり、インドでは宗教 しゅうきょう ・宗派 しゅうは の違 ちが いを超 こ え、インドの諸 しょ 宗教 しゅうきょう と深 ふか く結 むす びつき、バラモン教 ばらもんきょう 、ヒンドゥー教 きょう 、仏教 ぶっきょう 、ジャイナ教 きょう 等 ひとし の修行 しゅぎょう 法 ほう として行 おこな われ、多様 たよう な展開 てんかい を見 み た。ヨーガは、インド的 てき ・仏教 ぶっきょう 的 てき な伝統 でんとう において、悟 さと りに至 いた るための精神 せいしん 集中 しゅうちゅう や心 しん の統一 とういつ を伴 ともな う行法 ぎょうほう 自体 じたい と、その世界 せかい をトータルに表 あらわ す言葉 ことば である。
静的 せいてき な瞑想 めいそう であるヨーガの流 なが れとは別 べつ に、密教 みっきょう ではタントラ 的 てき ヨーガが行 おこな われた。仏教 ぶっきょう がヨーガを重視 じゅうし することでヒンドゥー教 きょう のヨーガとの融合 ゆうごう が進 すす み、10-13世紀 せいき には、活動 かつどう 的 てき ・身体 しんたい 的 てき 変容 へんよう 論 ろん を含 ふく む、タントラ的 てき で動的 どうてき なヨーガであるハタ・ヨーガ がある程度 ていど 完成 かんせい をみている。
また、智慧 ちえ のヨーガ、神 かみ への信愛 しんあい のヨーガ、行為 こうい のヨーガといった宗教 しゅうきょう 実践 じっせん の道 みち の意味 いみ でも用 もち いられる。
1990年代 ねんだい 後半 こうはん から世界 せかい 的 てき に流行 りゅうこう している、身体 しんたい 的 てき ポーズ(アーサナ )を中心 ちゅうしん にしたフィットネス のような「現代 げんだい のヨーガ 」は、宗教 しゅうきょう 色 しょく を排 はい した身体 しんたい 的 てき なエクササイズ として行 おこな われているが、宗教 しゅうきょう 的 てき 実践 じっせん である「本来 ほんらい のヨーガ」とは別 べつ の潮流 ちょうりゅう である。
森林 しんりん に入 はい り樹下 じゅか などで沈思 ちんし 黙考 もっこう に浸 ひた る修行 しゅぎょう 形態 けいたい は、インドでは紀元前 きげんぜん に遡 さかのぼ る古 ふる い時代 じだい から行 おこな われていたと言 い われている。古 いにしえ ウパニシャッド の『カタ・ウパニシャッド 』では、感覚 かんかく 器官 きかん (インドリヤ、感官 かんかん )の堅固 けんご な総 そう 持 じ (制御 せいぎょ )がヨーガであるとされており、インドの宗教 しゅうきょう ・仏教 ぶっきょう の研究 けんきゅう 者 しゃ 奈良 なら 康明 やすあき は、ヨーガを簡潔 かんけつ に説明 せつめい すると、呼吸 こきゅう を調整 ちょうせい しながら、あるものを思念 しねん 瞑想 めいそう し、ついには恍惚 こうこつ 状態 じょうたい となってその対象 たいしょう と合体 がったい する技法 ぎほう であるとしている。インド哲学 てつがく 研究 けんきゅう 者 しゃ の島 しま 岩 いわ は、基本 きほん 的 てき に意識 いしき を一 いち 点 てん に集中 しゅうちゅう する瞑想 めいそう の技法 ぎほう であり、心 しん の働 はたら きを止 とめ 滅 ほろぼ させることを目的 もくてき とすると説明 せつめい している。インド思想 しそう 研究 けんきゅう 者 しゃ の保坂 ほさか 俊司 しゅんじ は、インド的 てき ・仏教 ぶっきょう 的 てき な伝統 でんとう においては、悟 さと りに至 いた るための精神 せいしん 集中 しゅうちゅう や心 しん の統一 とういつ を伴 ともな う行法 ぎょうほう 自体 じたい と、その世界 せかい をトータルに表 あらわ す言葉 ことば として「ヨーガ」があり、密教 みっきょう の手法 しゅほう を含 ふく めた瞑想 めいそう 法 ほう 、念仏 ねんぶつ 、唱題 、座禅 ざぜん [ † 1] など 仏教 ぶっきょう の行 くだり のすべてはヨーガの範疇 はんちゅう に入 はい るとしている。
ヨーガは元々 もともと 、肉体 にくたい の訓練 くんれん と精神 せいしん の修練 しゅうれん が固 かた く結 むす びついた宗教 しゅうきょう 的 てき 救済 きゅうさい 技術 ぎじゅつ であり、解脱 げだつ や宗教 しゅうきょう 的 てき 至福 しふく を目的 もくてき とする。身心 しんしん の諸 しょ 訓練 くんれん と健康 けんこう の保持 ほじ を目的 もくてき とする実際 じっさい 的 てき な「技術 ぎじゅつ 」という性格 せいかく が強 つよ いが、当初 とうしょ は健康 けんこう を目的 もくてき とはしていなかった。
梵我一如 いちにょ を達成 たっせい し再度 さいど の死 し (輪廻 りんね )を脱 だっ する解脱 げだつ は、伝統 でんとう 的 てき に特定 とくてい のバラモン のみが行 おこな える祭式 さいしき の力 ちから によって可能 かのう になるとされていたが、誰 だれ でも実践 じっせん できる修行 しゅぎょう 、苦行 くぎょう によって、のちにヨーガ(静的 せいてき なヨーガ)によって達成 たっせい できると考 かんが えられるようになった。ヨーガの伝統 でんとう は紀元前 きげんぜん 7 - 6世紀 せいき 頃 ごろ に萌芽 ほうが がみられるが、ヨーガという言葉 ことば 及 およ び思想 しそう は、インドの長 なが い歴史 れきし においては比較的 ひかくてき 新 あたら しいものである。
ヨーガはインドの諸 しょ 宗教 しゅうきょう で行 おこな われており、仏教 ぶっきょう 各派 かくは でもそれぞれ独自 どくじ の修行 しゅぎょう 法 ほう が発展 はってん した。紀元前 きげんぜん 4 - 6世紀 せいき には、仏教 ぶっきょう の開祖 かいそ であるブッダ (ガウタマ・シッダールタ、釈迦 しゃか )、ジャイナ教 きょう の開祖 かいそ マハーヴィーラ (大雄 たいゆう )が、当時 とうじ はまだ未 み 発達 はったつ だったヨーガの伝統 でんとう に沿 そ って瞑想 めいそう 修行 しゅぎょう を行 おこな っており、ジャイナ教 きょう でもヨーガの修行 しゅぎょう は必須 ひっす となっている[ 22] 。
仏教 ぶっきょう でいう禅定 ぜんじょう や止観 しかん 、またはマンダラ を用 もち いた瞑想 めいそう 法 ほう なども広義 こうぎ のヨーガといえ、ヨーガの行法 ぎょうほう は中国 ちゅうごく ・日本 にっぽん にも伝 つた えられた。
初期 しょき 仏教 ぶっきょう - 大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう におけるヨーガ
個体 こたい の精神 せいしん 的 てき 至福 しふく を追求 ついきゅう するヨーガの行法 ぎょうほう は、初期 しょき 仏教 ぶっきょう において重視 じゅうし された。仏教 ぶっきょう が誕生 たんじょう し衰退 すいたい するまでの5・6世紀 せいき - 10・13世紀 せいき には、インドのヨーガにおいて仏教 ぶっきょう のヨーガが主流 しゅりゅう もしくは大動脈 だいどうみゃく の一 ひと つであった。古 こ ウパニシャッド時代 じだい の初期 しょき には、正統 せいとう バラモン階級 かいきゅう は解脱 げだつ の可能 かのう 性 せい は祭式 さいしき によって生 しょう じるものだと考 かんが えており、個人 こじん がヨーガの実践 じっせん を通 とお して智慧 ちえ を得 え て解脱 げだつ する道 みち は、仏教 ぶっきょう のような(正統 せいとう バラモン階級 かいきゅう から見 み て)異端 いたん の集団 しゅうだん でまず重視 じゅうし されるようになった。保坂 ほさか 俊司 しゅんじ によると、ブッダはヨーガを万 まん 人 にん に解放 かいほう された智慧 ちえ による解脱 げだつ の道 みち として重視 じゅうし して再 さい 構成 こうせい し、大 だい 転換 てんかん をもたらした。
ヒンドゥー教 きょう (バラモン教 ばらもんきょう )の古典 こてん ヨーガの発展 はってん に先行 せんこう し、3 - 5世紀 せいき のインドの大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう では、ヨーガの実 じつ 修 おさむ を好 この む瑜伽 ゆが 師 し (ゆがし、ヨーガ行者 ぎょうじゃ )によって、般若 はんにゃ の空 そら の思想 しそう と修行 しゅぎょう 者 しゃ のヨーガの最中 さいちゅう の体験 たいけん をベースに、徹底 てってい した主観 しゅかん 的 てき 観念論 かんねんろん の哲学 てつがく 体系 たいけい を構築 こうちく した瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は (瑜伽 ゆが 行 ぎょう 派 は 、ヨーガチャーラ)が生 う まれた[ 28] [ 22] 。彼 かれ らはヨーガの実 じつ 修 おさむ を通 つう じ、人間 にんげん が日常 にちじょう 的 てき に経験 けいけん する事象 じしょう はすべて心 しん が作 つく り出 だ したイメージでしかなく、心 こころ そのものは存在 そんざい せず、根源 こんげん 的 てき な心 しん 識のみが唯一 ゆいいつ の実在 じつざい である(唯識 ゆいしき )と説 と き、この唯識 ゆいしき 観 かん を理解 りかい し己 おのれ のものとし最終 さいしゅう 的 てき に悟 さと りの境地 きょうち に到達 とうたつ するには、ヨーガによる段階 だんかい 的 てき な実践 じっせん があってはじめて可能 かのう になるとした[ 30] 。
日本 にっぽん には仏教 ぶっきょう の修行 しゅぎょう 法 ほう としてヨーガが伝 つた わり、長 なが い伝統 でんとう を持 も つが、日本人 にっぽんじん の伝統 でんとう 精神 せいしん がインドのヨーガに通 つう じていると認識 にんしき している日本人 にっぽんじん はほとんどいない。
バラモン教 ばらもんきょう (ヒンドゥー教 きょう )の古典 こてん ヨーガ
勢 いきお いが衰 おとろ えていたヴェーダの宗教 しゅうきょう が仏教 ぶっきょう や土着 どちゃく の信仰 しんこう を取 と り入 い れて生 しょう じたバラモン教 ばらもんきょう (ヒンドゥー教 きょう )もまた、個体 こたい の精神 せいしん 的 てき 至福 しふく の追及 ついきゅう を重視 じゅうし するようになった。正統 せいとう バラモン教 ばらもんきょう のヨーガ(古典 こてん ヨーガ)は、4-6世紀 せいき 頃 ごろ に体系 たいけい 化 か されたと考 かんが えられている。古典 こてん ヨーガによる解脱 げだつ を目指 めざ すヨーガ学派 がくは (瑜伽 ゆが 派 は )の教典 きょうてん 『ヨーガ・スートラ (瑜伽 ゆが 経 けい )』が現在 げんざい に残 のこ されているが、ヨーガの萌芽 ほうが がみられた紀元前 きげんぜん 6-7世紀 せいき から1000年 ねん 以上 いじょう 後 のち に成立 せいりつ している。ヨーガの発祥 はっしょう からかなりの時間 じかん が経過 けいか しており、ヨーガ学派 がくは の伝統 でんとう の中 なか には様々 さまざま な瞑想 めいそう 体系 たいけい が取 と り入 はい りこまれ、仏教 ぶっきょう の影響 えいきょう がうかがえる。仏教 ぶっきょう の理論 りろん がバラモン教 ばらもんきょう のヨーガの体系 たいけい 付 づ けに取 と り入 い れられたと考 かんが えられており、バラモン教 ばらもんきょう と仏教 ぶっきょう は相互 そうご の影響 えいきょう が強 つよ く、不可分 ふかぶん の関係 かんけい であるといえる。しかし、『ヨーガ・スートラ』が仏教 ぶっきょう の影響 えいきょう を受 う けていることは、インドのヨーガ関係 かんけい 者 しゃ の間 あいだ ではあまり重視 じゅうし されていない。
『ヨーガ・スートラ』前後 ぜんこう に成立 せいりつ した後期 こうき の古 こ ウパニシャッドは、ヨーガの実践 じっせん を説 と くことが大 おお きな特徴 とくちょう の一 ひと つであり、正統 せいとう バラモン教 ばらもんきょう ではヨーガ学派 がくは に限 かぎ られずヨーガが行 おこな われた[ † 2] 。ウパニシャッド の梵我一如 いちにょ 思想 しそう の流 なが れをくむ解脱 げだつ への道 みち ジュニャーナ・マールガ(智 さとし 道 どう 、知識 ちしき の道 みち )では、感覚 かんかく 器官 きかん を抑制 よくせい し、輪廻 りんね の根源 こんげん となる行為 こうい 、さらにその根源 こんげん である欲望 よくぼう を断 た つ必要 ひつよう があったため、感覚 かんかく 器官 きかん と心 しん の動 うご きを抑制 よくせい するヨーガは解脱 げだつ への手段 しゅだん として重視 じゅうし された[ † 3] 。とはいえ、ヨーガ学派 がくは はヨーガ自体 じたい を解脱 げだつ への方法 ほうほう と見 み 做したが、ヒンドゥー教 きょう 全般 ぜんぱん で見 み ると、ヨーガは解脱 げだつ への道 みち の一種 いっしゅ の補助 ほじょ 的 てき な手段 しゅだん に過 す ぎない。
中世 ちゅうせい のタントラ的 てき ヨガ
ヒンドゥー教 きょう の修行 しゅぎょう 者 しゃ は苦行 くぎょう を行 おこな ったが、苦行 くぎょう は苦行 くぎょう 者 しゃ だけでなく、祭祀 さいし においても浄 きよし め等 とう のために行 おこな われたので、祭祀 さいし を通 つう じて一般 いっぱん 化 か し、ヨーガも影響 えいきょう を受 う け、後代 こうだい では苦行 くぎょう が採用 さいよう されるようになった。
ヒンドゥー教 きょう での救 すく いへの道 みち は上位 じょうい カーストの男子 だんし に限 かぎ られ、中世 ちゅうせい には、下層 かそう 民 みん にも救済 きゅうさい の道 みち を開 ひら こうと、人格 じんかく 神 しん への熱狂 ねっきょう 的 てき 信愛 しんあい であるバクティ 、現世 げんせい を肯定 こうてい し欲望 よくぼう を解脱 げだつ のエネルギーに変換 へんかん しようという民衆 みんしゅう のタントラの宗教 しゅうきょう 的 てき 潮流 ちょうりゅう が生 しょう じた[ 36] 。タントラ化 か した仏教 ぶっきょう である密教 みっきょう では象徴 しょうちょう を用 もち いて仏 ふつ と合一 ごういつ (ヨーガ)することが目指 めざ されたが、8世紀 せいき になると、ヒンドゥー教 きょう シャークタ派 は やシャクティ (性 せい 力 りょく )信仰 しんこう から影響 えいきょう を受 う けたとされる男性 だんせい 原理 げんり と女性 じょせい 原理 げんり の合一 ごういつ を目指 めざ すタントラ仏教 ぶっきょう (後期 こうき 密教 みっきょう )が登場 とうじょう し、性 せい ヨーガも実践 じっせん された。
タントラの潮流 ちょうりゅう の中 なか で、ヒンドゥー教 きょう ヨーガもタントラ化 か し、性的 せいてき ・動的 どうてき な要素 ようそ を持 も つヨーガとなった。肉体 にくたい 的 てき ・生理 せいり 的 てき な鍛錬 たんれん (苦行 くぎょう )を重視 じゅうし し、気 き の流 なが れを論 ろん じ、肉体 にくたい の能力 のうりょく の限界 げんかい に挑 いど み、大 だい 宇宙 うちゅう の絶対 ぜったい 者 しゃ ブラフマン との合一 ごういつ を目指 めざ すハタ・ヨーガ とそのヴァリエーションである。「ハタ」は「力 ちから 、暴力 ぼうりょく 、頑固 がんこ 」などを意味 いみ する。ハタ・ヨーガの教義 きょうぎ 的 てき 意味 いみ は、シヴァとシャクティ、太陽 たいよう と月 つき 、個体 こたい と宇宙 うちゅう などの二元 にげん を速成 そくせい なる統合 とうごう を行 おこな う「速成 そくせい の」ヨーガである。ハタ・ヨーガはヨーガの密教 みっきょう 版 はん ともいうべきもので、11-12世紀 せいき のシヴァ派 は ナータ派 は (英語 えいご 版 ばん ) (ナート派 は )のゴーラクシャナータ (英語 えいご 版 ばん ) (ヒンディー語 ご でゴーラクナート)を祖 そ とし、ナータ派 は は半 はん 仏教徒 ぶっきょうと 的 てき な、半 はん シヴァ派 は 的 てき な両者 りょうしゃ の混 ま じり合 あ った形態 けいたい だった。ムドラー (印 しるし 相 しょう )や、プラーナーヤーマ (調 しらべ 息 いき 、呼吸 こきゅう 法 ほう )、シャットカルマ(浄化 じょうか 法 ほう )などの身体 しんたい 的 てき 修練 しゅうれん を重視 じゅうし し、肉体 にくたい こそ解脱 げだつ を現 げん 証 しょう すべき聖地 せいち であり、肉体 にくたい の鍛錬 たんれん が唯一 ゆいいつ の儀礼 ぎれい であると説 と いて、正統 せいとう 派 は ヒンドゥー教 きょう の神像 しんぞう の礼拝 れいはい 儀礼 ぎれい や聖地 せいち 巡礼 じゅんれい を形骸 けいがい 化 か した形式 けいしき 主義 しゅぎ と批判 ひはん した。
ハタ・ヨーガの主張 しゅちょう はヒンドゥー教 きょう のシヴァ派 は やタントラ仏教 ぶっきょう (後期 こうき 密教 みっきょう )の聖典 せいてん 群 ぐん (タントラ )、『バルドゥ・トェ・ドル(チベット死者 ししゃ の書 しょ )』の説 せつ と共通 きょうつう 点 てん が多 おお く、プラーナ (生命 せいめい の風 ふう 、気 き )、ナーディー (脈 みゃく 管 かん )、チャクラ (ナーディーの叢 くさむら )が重要 じゅうよう な概念 がいねん となっている。ハタ・ヨーガとチャクラの理論 りろん が密接 みっせつ に結 むす びついているのに対 たい し、古典 こてん ヨーガとチャクラの理論 りろん に直接 ちょくせつ の関係 かんけい はない[ 40] [ 41] 。仏教 ぶっきょう もタントラを取 と り入 い れ密教 みっきょう (仏教 ぶっきょう タントラ)が生 しょう じたが、ヒンドゥー教 きょう のタントラより密教 みっきょう の様々 さまざま な教派 きょうは が先行 せんこう して発展 はってん おり[ 42] 、ハタ・ヨーガの身心 しんしん 観 かん は、密教 みっきょう のヨーガにもみられる。性的 せいてき 観念 かんねん を用 もち いる密教 みっきょう の性 せい ヨーガは、インド密教 みっきょう からチベット密教 みっきょう に受 う け継 つ がれた。
現代 げんだい のヨーガ
今日 きょう ヨーガと呼 よ ばれるものの多 おお く動的 どうてき なヨーガだが、伝統 でんとう 的 てき なハタ・ヨーガの流 なが れとは別 べつ である。1990年代 ねんだい 後半 こうはん から、身体 しんたい 的 てき ポーズ(アーサナ )に重点 じゅうてん を置 お いたヨーガがアメリカ、イギリスなどの英語 えいご 圏 けん を中心 ちゅうしん に世界 せかい 的 てき に流行 りゅうこう している[ 43] 。現代 げんだい では、一般 いっぱん に“ヨーガ(ヨガ)”または“ハタ・ヨーガ“と呼 よ ばれるものの多 おお くは、このヨーガを指 さ している。この近 きん 現代 げんだい のヨーガは、日本 にっぽん においてもアメリカなどの影響 えいきょう により、今世紀 こんせいき に入 はい って爆発 ばくはつ 的 てき な広 ひろ がりを見 み せている。その特徴 とくちょう は「アーサナ(ポーズ)」の実践 じっせん にある。宗教 しゅうきょう 学者 がくしゃ のエリザベス・ド・ミシェリスはこうしたヨーガを「現代 げんだい 体操 たいそう ヨーガ(Modern Postural Yoga)」と呼 よ んでいる[ 44] 。この現代 げんだい の「ヨーガ教室 きょうしつ 」等 とう で教 おし えられているヨーガは、20世紀 せいき 前半 ぜんはん のインドで西洋 せいよう の体操 たいそう やボディビルディングなどの外来 がいらい の身体 しんたい 鍛錬 たんれん (英語 えいご 版 ばん ) を取 と り入 い れてインド人 じん のための国産 こくさん エクササイズを作 つく ろうとする動 うご きから生 う まれた「創 つく られた伝統 でんとう 」を直接的 ちょくせつてき な起源 きげん としており、マーク・シングルトン (英語 えいご 版 ばん ) は、現代 げんだい のヨーガと元来 がんらい のヨーガにおける「yoga」とは似 に て非 ひ なる「同音 どうおん 異義 いぎ 語 ご 」であると評 ひょう している。
このヨーガは、アメリカで「スピリチュアル な実践 じっせん 」とも解釈 かいしゃく されている[ 43] 。多 おお くの現代 げんだい 人 じん はヨーガに「インド古来 こらい の、何 なに か難 むずか しいポーズをとる、健康 けんこう に良 よ いらしいもの」というイメージを持 も っており、現代 げんだい ヨーガは流派 りゅうは によって練習 れんしゅう 内容 ないよう が異 こと なりはしても、「古代 こだい インドの修行 しゅぎょう 法 ほう 」「アーサナ(ポーズ)・呼吸 こきゅう (プラーナーヤーマ =調 しらべ 息 いき )・瞑想 めいそう 」」、「科学 かがく 的 てき に検証 けんしょう された健康 けんこう に良 よ い効果 こうか 」という3点 てん から構成 こうせい され、この神話 しんわ 的 てき 要素 ようそ ともいえる3つの絡 から み合 あ いが魅力 みりょく になり、人気 にんき を博 はく しているという論 ろん がある。しかし、現代 げんだい ヨーガのチャクラ理論 りろん は、西洋 せいよう 人 じん オカルティストによってハタ・ヨーガの身心 しんしん 論 ろん をもとに20世紀 せいき にアレンジされたものであり、古代 こだい インドの概念 がいねん ではない。ヨーガの歴史 れきし は、古来 こらい より続 つづ く、時代 じだい を超越 ちょうえつ した一 ひと つの伝統 でんとう 的 てき な修行 しゅぎょう 法 ほう というロマンティックな物語 ものがたり として、一般 いっぱん に(特 とく にマーケティング戦略 せんりゃく として)かなり広 ひろ まっているが、こうした物語 ものがたり は西洋 せいよう 人 じん のロマンティックなオリエンタリズム や東洋 とうよう 学 がく の影響 えいきょう を受 う けている[ 48] 。もともと宗教 しゅうきょう 的 てき 実践 じっせん であったヨーガは対価 たいか を払 はら って習 なら うような「商品 しょうひん 」ではなかったが、広 ひろ くブームになっている現代 げんだい のヨーガは、専門 せんもん スタジオやフィットネス・クラブにおいて有料 ゆうりょう で提供 ていきょう される「商品 しょうひん 」となっている。
近 きん 現代 げんだい のヨーガの歴史 れきし に関 かん する研究 けんきゅう は、エリザベス・ド・ミシェリス、ジョセフ・アルター (英語 えいご 版 ばん ) 、マーク・シングルトンなどの学者 がくしゃ によって、この20年 ねん の間 あいだ に着実 ちゃくじつ に発展 はってん してきた[ 48] 。主 おも にインドのイギリス植民 しょくみん 地 ち 時代 じだい の最盛 さいせい 期 き からの発展 はってん と変容 へんよう に焦点 しょうてん を当 あ て、18世紀 せいき から21世紀 せいき までの実践 じっせん と思想 しそう の流 なが れを探求 たんきゅう し、今日 きょう 一般 いっぱん 的 てき にみられるヨーガがどのように徐々 じょじょ に形成 けいせい されたのか解明 かいめい されてきた[ 48] 。こうした研究 けんきゅう により、ヘンリー・トーマス・コールブルック のような東洋 とうよう 学者 がくしゃ 、ヴィヴェーカーナンダ といったインドの著名 ちょめい 人 じん 、そして神 かみ 智学 ちがく 協会 きょうかい 、ヨーロッパのボディビル や体操 たいそう のグループまで、多様 たよう な団体 だんたい の影響 えいきょう が明 あき らかになってきている[ 48] 。
健康 けんこう への効果 こうか と危険 きけん 性 せい
現代 げんだい ヨーガは、健康 けんこう 法 ほう として多 おお くの効果 こうか が喧伝 けんでん される一方 いっぽう 、心身 しんしん に対 たい する様々 さまざま な危険 きけん 性 せい も指摘 してき されている[ 51] 。
現代 げんだい ヨーガの利便 りべん 性 せい と危険 きけん 性 せい
また現代 げんだい では、様々 さまざま な文献 ぶんけん が翻訳 ほんやく ・執筆 しっぴつ され容易 ようい に入手 にゅうしゅ できるので、書籍 しょせき や映像 えいぞう により独習 どくしゅう されることも少 すく なくない。ヨーガを取 と り入 い れていたオウム真理教 おうむしんりきょう の教祖 きょうそ 麻原 あさはら 彰晃 しょうこう は、正規 せいき のグルにつかず文献 ぶんけん を基 もと に独学 どくがく で修行 しゅぎょう しているが(インドのガンゴトリのパイロット・ババのもとで修業 しゅぎょう していたことがあるが途中 とちゅう で自分 じぶん は悟 さと ったとして一方 いっぽう 的 てき に帰国 きこく している [要 よう 出典 しゅってん ] )、このことがのちに様々 さまざま な問題 もんだい を生 しょう ぜしめた要因 よういん の一 ひと つであるとも言 い われている[ 52] [ 53] 。その一方 いっぽう 、アヌサラ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) やビクラム・ヨーガ といった巨大 きょだい ヨーガ教室 きょうしつ のトップがセクハラ、パワハラ、性 せい 犯罪 はんざい で告発 こくはつ されるなどの権力 けんりょく の乱用 らんよう もあり、商業 しょうぎょう 化 か された現代 げんだい のヨーガで、指導 しどう 者 しゃ に帰依 きえ することは妥当 だとう かどうか疑問 ぎもん も持 も たれている[ 54] 。
欧米 おうべい ・日本 にっぽん における女性 じょせい 化 か
ヨーガはインドでは伝統 でんとう 的 てき におおむね男性 だんせい のものであり、現在 げんざい もインドでは指導 しどう 者 しゃ の大 だい 部分 ぶぶん が男性 だんせい であるといわれるが、欧米 おうべい では指導 しどう 者 しゃ も実践 じっせん 者 しゃ も主 おも に女性 じょせい で、女性 じょせい 的 てき な実践 じっせん として受容 じゅよう されている。日本 にっぽん では、オウム真理教 おうむしんりきょう 事件 じけん 後 ご にイメージを一新 いっしん しようとフィットネス的 てき ヨーガを若 わか い女性 じょせい にターゲット広 ひろ め、流行 りゅうこう したため、この傾向 けいこう がさらに顕著 けんちょ であり、都市 とし 部 ぶ より地方 ちほう で極端 きょくたん に女性 じょせい 実践 じっせん 者 しゃ が多 おお い。現代 げんだい 日本 にっぽん のヨーガでは、「美 よし 」の観念 かんねん が強調 きょうちょう され、マタニティ・ヨーガや親子 おやこ ヨーガなど妊娠 にんしん ・出産 しゅっさん という生殖 せいしょく を中心 ちゅうしん とした女性 じょせい 身体 しんたい への意味 いみ づけをめぐる実践 じっせん が活況 かっきょう である。また、ヨーガは伝統 でんとう 的 てき に性 せい とのつながりが強 つよ く、欧米 おうべい ではヨーガの実践 じっせん でセックスが向上 こうじょう するという考 かんが えはよく見 み られ、それを目的 もくてき にヨーガを行 おこな う人 ひと も少 すく なくないが、日本 にっぽん では生殖 せいしょく に直結 ちょっけつ する文脈 ぶんみゃく を除 のぞ き、性的 せいてき な要素 ようそ はほぼ完全 かんぜん に排除 はいじょ されている。
サンスクリット語 ご のヨーガ (योग) は、「牛馬 ぎゅうば にくびきをつけて車 くるま につなぐ」という意味 いみ の動詞 どうし 根 ね √yuj(ユジュ)から派生 はせい した名詞 めいし で、「結 むす びつける」という意味 いみ もある。つまり語源 ごげん 的 てき に見 み ると、牛馬 ぎゅうば を御 ぎょ するように心身 しんしん を制御 せいぎょ するということを示唆 しさ しており、「軛 くびき (くびき) 」を意味 いみ する英語 えいご yokeと同根 どうこん である。『リグ・ヴェーダ 』では、精神 せいしん 統一 とういつ や瞑想 めいそう を意味 いみ する yoga の用法 ようほう はほとんど見 み られない。バラモン階級 かいきゅう を中心 ちゅうしん に伝承 でんしょう されたのは祭式 さいしき (祭儀 さいぎ )や呪術 じゅじゅつ を中心 ちゅうしん とする信仰 しんこう であり、アーリア人 じん が祭祀 さいし に行 おこな うことで目指 めざ したのは yoga-kṣema(労働 ろうどう と休息 きゅうそく 、獲得 かくとく と所有 しょゆう )であり、一般 いっぱん 的 てき に言 い うと「幸 しあわ せ」「快適 かいてき 」であったといえる。この場合 ばあい の yoga は、幸 しあわ せを獲得 かくとく することであった。「牛馬 ぎゅうば にくびきをつけて車 くるま につなぐ」から派生 はせい し、乗 の り物 もの 、実施 じっし 、適用 てきよう 、手段 しゅだん 、方策 ほうさく 、策略 さくりゃく 、魔術 まじゅつ 、合一 ごういつ 、接触 せっしょく 、結合 けつごう 、集中 しゅうちゅう 、努力 どりょく 、心 しん の統一 とういつ 、瞑想 めいそう 、静 しずか 慮 おもんばか (じょうりょ)という意味 いみ がある。最初 さいしょ は具体 ぐたい 的 てき にものを結 むす び付 つ けるという意味 いみ で使 つか われ、次 つ いで抽象 ちゅうしょう 的 てき なものの結 むす びつきについて使 つか われるようになり、さらに心 しん と対象 たいしょう との結 むす びつきを意味 いみ するようになったと考 かんが えられる。
ヨーガが発展 はってん し体系 たいけい 化 か していった初期 しょき には、心 しん を三昧 ざんまい に結 むす び付 つ けるというように「結合 けつごう 」「合一 ごういつ 」を意味 いみ しており、『ヨーガ・スートラ』は「ヨーガとは心 しん の作用 さよう のニローダである」(第 だい 1章 しょう 2節 せつ )と定義 ていぎ している(ニローダは静止 せいし 、制御 せいぎょ の意 い )。森本 もりもと 達雄 たつお によると、それは、実践 じっせん 者 しゃ がすすんで森林 しんりん 樹下 じゅか の閑静 かんせい な場所 ばしょ に座 ざ し、牛馬 ぎゅうば に軛 くびき をかけて奔放 ほんぽう な動 うご きをコントロールするように、自 みずか らの感覚 かんかく 器官 きかん を制御 せいぎょ し、瞑想 めいそう によって精神 せいしん を集中 しゅうちゅう する(結 むす びつける)ことを通 つう じて「(日常 にちじょう 的 てき な)心 しん の作用 さよう を止 とめ 滅 めっ する」ことを意味 いみ する。
ヨーギニー女神 めがみ の像 ぞう 、10世紀 せいき
日本 にっぽん では一般 いっぱん に「ヨガ」という名 な で知 し られているが、サンスクリット では「यो」(ヨー)の字 じ は常 つね に長 ちょう 母音 ぼいん なので「ヨーガ」と発音 はつおん される[ † 4] 。漢 かん 訳 やく は相合 そうごう 、成 なり 、摂 と 、成就 じょうじゅ 、精勤 せいきん 修行 しゅぎょう など、音訳 おんやく は瑜伽 ゆが (ゆが)。中国 ちゅうごく で瑜伽 ゆが は瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は の呼称 こしょう でもあったため、区別 くべつ のためか、修行 しゅぎょう 法 ほう としてのヨーガを指 さ す言葉 ことば としてはあまり使 つか われていない。
古典 こてん ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)やハタ・ヨーガという時 とき のヨーガが指 さ しているのは、行 くだり 法 ほう でありその体系 たいけい であった。古典 こてん ヨーガの経典 きょうてん 『ヨーガ・スートラ』よりも新 あたら しいヨーガを伝 つた える『バガヴァッド・ギーター 』はヨーガの聖典 せいてん でもあるが、ここでのヨーガの用法 ようほう は『ヨーガ・スートラ』より広 ひろ く、宗教 しゅうきょう 実践 じっせん の道 みち や方法 ほうほう 、修行 しゅぎょう 全般 ぜんぱん をも意味 いみ すると解釈 かいしゃく できる。仏教 ぶっきょう ではヨーガという言葉 ことば は、修行 しゅぎょう の正 ただ しいあり方 かた といった意味 いみ でも使 つか われていた[ 62] 。
ヨーガの行者 ぎょうじゃ は日本 にっぽん では一般 いっぱん にヨーギーまたはヨギと呼 よ ばれるが、ヨーガ行者 ぎょうじゃ を指 さ すサンスクリットの名詞 めいし 語幹 ごかん は男性 だんせい 名詞 めいし としてはヨーギン (योगिन्、瑜祇)、女性 じょせい 名詞 めいし としてはヨーギニー (योगिनी、瑜伽 ゆが 女 おんな ) であり、ヨーギーはヨーギンの単数 たんすう 主格 しゅかく 形 がた (日本語 にほんご にすると「一人 ひとり の男性 だんせい 行者 ぎょうじゃ は」)に当 あ たる。インド研究 けんきゅう 家 か の伊藤 いとう 武 たけし によると、サンスクリット語 ご のヨーギニーに「ヨーガをする女性 じょせい 」の意味 いみ はない[ 64] 。現代 げんだい 日本 にっぽん ではヨーガを行 おこな う女性 じょせい を俗 ぞく にヨギーニと呼 よ ぶことがあるが、前述 ぜんじゅつ のようにサンスクリットでは「ヨー」は常 つね に長 ちょう 母音 ぼいん なので、女性 じょせい 名詞 めいし はヨーギニー (yoginī ) であってヨギーニではない。ヨギーニは英語 えいご 読 よ みに由来 ゆらい する発音 はつおん だと説明 せつめい する本 ほん もあるが[ 66] 、英語 えいご の発音 はつおん は /'joʊgəni/ (ヨウギニ)または /'joʊgəniː/ (ヨウギニー)である。ヨギーニという日本 にっぽん 固有 こゆう の新 あたら しい呼称 こしょう には、ヨーガに付 つ いたオウム真理教 おうむしんりきょう のイメージを払拭 ふっしょく しようというヨーガ関係 かんけい 者 しゃ の意図 いと があるようである。
修行 しゅぎょう 者 しゃ は男性 だんせい であった[ † 5] 。タントリズム の性的 せいてき ヨーガにおいて、男性 だんせい 行者 ぎょうじゃ の性行為 せいこうい の相手 あいて をする女性 じょせい がヨーギニーと呼 よ ばれていた[ † 6] 。南 みなみ インドで、親 おや が娘 むすめ を神殿 しんでん や神 かみ (デーヴァ )に嫁 とつ がせる宗教 しゅうきょう 上 じょう の風習 ふうしゅう デーヴァダーシー (神 かみ の召使 めしつか い)の対象 たいしょう となった女性 じょせい もヨーギニーと呼 よ ばれた。彼女 かのじょ たちは伝統 でんとう 舞踊 ぶよう を伝承 でんしょう する巫女 ふじょ であり[ 76] 、神聖 しんせい 娼婦 しょうふ 、上位 じょうい カーストのための娼婦 しょうふ であった[ 77] (1988年 ねん まで合法 ごうほう であった)。
紀元前 きげんぜん 2500-1500年 ねん 頃 ごろ の彫像 ちょうぞう
ヨーガの起源 きげん には不明 ふめい な点 てん が多 おお く、その成立 せいりつ 時期 じき を確定 かくてい することは難 むずか しい。ヨーガの起源 きげん を最 もっと も古 ふる くに見 み るものは、紀元前 きげんぜん 2500年 ねん -1800年 ねん のインダス文明 ぶんめい に、その遠 とお い起源 きげん を持 も つとするもので、これは20世紀 せいき 初頭 しょとう の考古 こうこ 学者 がくしゃ 達 たち によって考 かんが え出 だ されたものである。1921年 ねん にモヘンジョ・ダロ とハラッパー の遺跡 いせき を発掘 はっくつ した考古 こうこ 学者 がくしゃ のジョン・マーシャルらは、発掘 はっくつ された印章 いんしょう に彫 ほ られた図像 ずぞう を、坐 すわ 法 ほう を行 おこな っているシヴァ神 しん の原型 げんけい であると解釈 かいしゃく した。そこから宗教 しゅうきょう 学者 がくしゃ エリアーデ も、これを「塑造された最初 さいしょ 期 き のヨーガ行者 ぎょうじゃ の表象 ひょうしょう 」であるとした。近代 きんだい に至 いた るヨーガの歴史 れきし を研究 けんきゅう したマーク・シングルトンは、この印章 いんしょう がのちにヨーガと呼 よ ばれたものであるかは、かなり疑 うたが わしいものであったが、古代 こだい のヨーガの起源 きげん としてたびたび引用 いんよう されるようになった、と述 の べている。日本 にっぽん で出版 しゅっぱん されているヨーガに関 かん する書物 しょもつ でも、インダス文明 ぶんめい にヨーガの起源 きげん をみるとする立場 たちば を取 と るものも多 おお い。
しかし、佐 さ 保田 やすだ 鶴治 つるじ も指摘 してき するように、このような解釈 かいしゃく は、あくまで推論 すいろん の域 いき を出 で ないものであるという。インダス文明 ぶんめい には、文字 もじ らしきものはあっても解読 かいどく には至 いた っておらず、文字 もじ によって文献 ぶんけん 的 てき に証明 しょうめい することのできない、物言 ものい わぬ考古学 こうこがく 的 てき な史料 しりょう であり、全 すべ ては「推測 すいそく 」以上 いじょう に進 すす むことはできない、と佐 さ 保田 やすだ は述 の べている。また、インド学者 がくしゃ のドリス・スリニヴァサンも、この印章 いんしょう に彫 ほ られた像 ぞう をシヴァ神 しん とすることには無理 むり があり、これをヨーガ行法 ぎょうほう の源流 げんりゅう と解 げ することに否定 ひてい 的 てき であるとしている。近年 きんねん 、このようなインダス文明 ぶんめい 起源 きげん 説 せつ に終止符 しゅうしふ を打 う とうとした宗教 しゅうきょう 人類 じんるい 学者 がくしゃ のジェフリー・サミュエルは、このような遺物 いぶつ からインダス文明 ぶんめい の人々 ひとびと の宗教 しゅうきょう 的 てき 実践 じっせん がどのようなものであったかを知 し る手 て がかりはほとんど無 な いとし、現代 げんだい に行 おこな われているヨーガ実践 じっせん を見 み る眼 め で過去 かこ の遺物 いぶつ を見 み ているのであり、考古学 こうこがく 的 てき な遺物 いぶつ のなかに過去 かこ の行法 ぎょうほう 実践 じっせん を読 よ み解 と くことはできないとしており、具体 ぐたい 的 てき 証拠 しょうこ に全 まった く欠 か ける研究 けんきゅう の難 むずか しさを物語 ものがた っている。
インダス文明 ぶんめい は、アーリア人 じん のインド侵入 しんにゅう とともに衰退 すいたい したともいわれる。アーリア人 じん が紀元前 きげんぜん 12世紀 せいき 頃 ころ に編纂 へんさん した『リグ・ヴェーダ 』などのヴェーダ の時代 じだい には、「ヨーガ」やその動詞 どうし 形 がた の「ユジュ」といった単語 たんご がよく登場 とうじょう するが、これは「結合 けつごう する」「家畜 かちく を繋 つな ぐ」といった即 そく 物的 ぶってき な意味 いみ で、行法 ぎょうほう としてのヨーガを指 さ す用例 ようれい はない。比較 ひかく 宗教 しゅうきょう 学者 がくしゃ のマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義 きょうぎ のヴェーダの時代 じだい )と述 の べている。その後 ご 、先住民 せんじゅうみん (ドラヴィダ人 じん )の土着 どちゃく 信仰 しんこう がアーリア人 じん の正統 せいとう バラモン思想 しそう 圏 けん に取 と り入 い れられる中 なか で、瞑想 めいそう や修行 しゅぎょう を基礎 きそ とする宗教 しゅうきょう 的 てき な行為 こうい としてのヨーガの思想 しそう 実践 じっせん が発展 はってん していったと思 おも われる。
広義 こうぎ のヴェーダ文献 ぶんけん の最後 さいご に当 あ たるのが、ウパニシャッド (奥義 おうぎ 書 しょ )であり、バラモン教 ばらもんきょう の一群 いちぐん の聖典 せいてん を指 さ す言葉 ことば である。ウパニシャッドの基本 きほん 思想 しそう は、多様 たよう 多彩 たさい で変化 へんか し続 つづ けるこの現象 げんしょう 世界 せかい には、唯一 ゆいいつ 不変 ふへん の実体 じったい (ブラフマン、梵)がその本質 ほんしつ として存在 そんざい し、人間 にんげん の個体 こたい の本質 ほんしつ (アートマン、我 が )はブラフマンと同一 どういつ であるという梵我一如 いちにょ の思想 しそう である。個人 こじん の本体 ほんたい は大 だい 宇宙 うちゅう の本体 ほんたい と同一 どういつ であり、何 なん らかけたところのない自身 じしん の本体 ほんたい を把握 はあく する者 もの は、大 だい 宇宙 うちゅう の本体 ほんたい を我 わ が物 もの とできると考 かんが えられた。こうした実感 じっかん は、ウパニシャッドの哲人 てつじん たちにより詩 し のような形 かたち で断片 だんぺん 的 てき に語 かた られていたが、徐々 じょじょ に論理 ろんり 的 てき に整理 せいり されていった。
ウパニシャッド の時代 じだい では、単語 たんご としての「ヨーガ」が見出 みいだ される最 もっと も古 ふる い書物 しょもつ は、紀元前 きげんぜん 500年 ねん -紀元前 きげんぜん 400年 ねん の「古 いにしえ ウパニシャッド 初期 しょき 」に成立 せいりつ した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド 』である。この書 しょ では、ヨーガという語 かたり は「ヨーガ・アートマー」という複合語 ふくごうご として記述 きじゅつ されているが、そのヨーガの意味 いみ は「不明 ふめい 」であるという。紀元前 きげんぜん 6世紀 せいき から4世紀 せいき に成立 せいりつ したと考 かんが えられる『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド 』では、ヨーガの実践 じっせん はまだ明確 めいかく に定義 ていぎ されていない[ 86] 。
紀元前 きげんぜん 5世紀 せいき には、ガンジス川 がわ 平地 ひらち で政治 せいじ 的 てき 経済 けいざい 的 てき な発展 はってん があり、小 ちい さな国 くに の首領 しゅりょう だったものクシャトリア (王族 おうぞく ・武士 ぶし )階級 かいきゅう は、新 あら たに生 う まれた都市 とし の支配 しはい 者 しゃ 層 そう になり、ヴァイシャ (商人 しょうにん )階級 かいきゅう は、経済 けいざい 発展 はってん に伴 ともな って富 とみ を蓄積 ちくせき し力 りょく を得 え た。世襲 せしゅう の祭祀 さいし 階級 かいきゅう であったバラモンは、諸 しょ 神 かみ 崇拝 すうはい の祭祀 さいし ・呪術 じゅじゅつ を担 にな っていたが、その祭祀 さいし 主義 しゅぎ は形式 けいしき 化 か し、それまでの権威 けんい を失 うしな っていた。クシャトリアとヴァイシャは、バラモン階級 かいきゅう の人々 ひとびと と同様 どうよう またはそれ以上 いじょう の社会 しゃかい 的 てき 地位 ちい を彼 かれ らに与 あた える新 あたら しい宗教 しゅうきょう に関心 かんしん を持 も った。世俗 せぞく を離 はな れて出家 しゅっけ しさまざまな新 あたら しい思想 しそう を展開 てんかい する宗教 しゅうきょう 者 しゃ たちが現 あらわ れ、彼 かれ らは沙門 しゃもん (サマナ、励 はげ む人 ひと の意味 いみ )と呼 よ ばれた。このような中 なか 生 う まれたのが、仏教 ぶっきょう とジャイナ教 きょう であり、開祖 かいそ のブッダ (ガウタマ・シッダールタ、釈迦 しゃか 。紀元前 きげんぜん 5世紀 せいき 頃 ごろ )とマハーヴィーラ はともにクシャトリヤ出身 しゅっしん で、紀元前 きげんぜん 5世紀 せいき 頃 ごろ の人物 じんぶつ である。仏教 ぶっきょう とジャイナ教 きょう は、ともに正統 せいとう バラモン教 ばらもんきょう からは異端 いたん とされている。
ブッダの像 ぞう
ブッダは当時 とうじ 禅定 ぜんじょう の第一人者 だいいちにんしゃ と言 い われていた二人 ふたり のバラモンから、無 む 所有 しょゆう 処 しょ 定 じょう (心 しん を静 しず めて何 なん らこだわるところがないという禅定 ぜんじょう (精神 せいしん 集中 しゅうちゅう のヨーガの瞑想 めいそう ))と、非 ひ 想 そう 非 ひ 非 ひ 想 そう 処 しょ 定 じょう (何 なに かを心 しん の中 なか に思 おも っているのではなく、また思 おも っていないのでもないという禅定 ぜんじょう )に学 まな び、すぐに師 し と同 おな じレベルに達 たっ した。しかし、この種 たね の精神 せいしん 集中 しゅうちゅう のヨーガ、集中 しゅうちゅう による無念 むねん 無想 むそう の無 む 思考 しこう は、心理 しんり 的 てき な心 しん の鍛錬 たんれん ではあり、瞑想 めいそう の間 あいだ だけは無 む 欲望 よくぼう になるが、それ自体 じたい は盲目的 もうもくてき であり、瞑想 めいそう 中 ちゅう にあたかも「不動 ふどう の境地 きょうち を得 え た(悟 さと り)」または「不動 ふどう の真理 しんり に合一 ごういつ した」と感 かん じても、瞑想 めいそう が終 お われば再 ふたた び心 しん は動揺 どうよう してしまう。一時 いちじ 的 てき なものであり、ブッダはこのやり方 かた では安 やす らぎの境地 きょうち (涅槃 ねはん )、世界 せかい 存在 そんざい の根本 こんぽん を貫 つらぬ く真実 しんじつ である悟 さと りに達 たっ することはできないと感 かん じ、師 し の元 もと を離 はな れた。
続 つづ いて6年 ねん の間 あいだ 、禅定 ぜんじょう と並 なら ぶ実践 じっせん 修行 しゅぎょう であった苦行 くぎょう (タパス)を行 おこな った。呼吸 こきゅう の抑制 よくせい 法 ほう 、断食 だんじき などの苦行 くぎょう と共 とも に瞑想 めいそう も行 おこな い、これまで以上 いじょう に精神 せいしん 統一 とういつ を行 おこな ったが、満足 まんぞく できる境地 きょうち に至 いた ることはできなかった。青年 せいねん 時代 じだい に父 ちち と主 おも に農耕 のうこう の祭 まつ りに外出 がいしゅつ した際 さい に、樹 き の下 した に坐 ましま して初 はつ 禅 ぜん (身心 しんしん 一致 いっち し安定 あんてい した状態 じょうたい )に達 たっ したことを思 おも い出 だ し、体 からだ を癒 いや し、菩提樹 ぼだいじゅ の木 こ の下 した で瞑想 めいそう し、悟 さと りに至 いた った。
心 しん の働 はたら きを止 とめ 滅 ほろぼ させるヨーガの瞑想 めいそう を「止 とめ (サマタ)」と呼 よ ぶが[ 22] 、ブッダはこの行法 ぎょうほう により、人間 にんげん の「苦 く 」の根本 こんぽん 原因 げんいん が「無明 むみょう 」であることを自覚 じかく し、「十 じゅう 二 に 因縁 いんねん 」を順逆 じゅんぎゃく に観想 かんそう する「観 かん (ヴィパッサナー)」によって「無明 むみょう 」を脱 だっ したとされる[ 22] 。経蔵 きょうぞう 中部 ちゅうぶ の『聖 ひじり 求 もとむ 経 けい 』に説 と かれるところによると、ブッダが悟 さと りに至 いた るまでの段階 だんかい は、尋 ひろ (省察 せいさつ 作用 さよう )・伺 (考察 こうさつ 作用 さよう )・喜 き (喜 よろこ び)・安楽 あんらく (安 やす らぎ)のある瞑想 めいそう から、不 ふ 苦 く ・不 ふ 楽 らく ・自然 しぜん 清浄 せいじょう に至 いた るまでの4段階 だんかい の四 よん 禅 ぜん と、無 む 変 へん な虚空 こくう を思 おも い念 ねん ずる境地 きょうち (虚空 こくう 無辺 むへん 処 しょ )、認識 にんしき 作用 さよう の無辺 むへん さを思 おも い念 ねん ずる境地 きょうち (識無辺 べ 処 しょ )、無 む 所有 しょゆう を思 おも い念 ねん ずる境地 きょうち (無 む 所有 しょゆう 処 しょ )、非 ひ 想 そう 非 ひ 非 ひ 想 そう 処 しょ 定 じょう 、思 おも いや感覚 かんかく の働 はたら きが止 とめ 滅 ほろぼ し、智慧 ちえ によって観 かん じ煩悩 ぼんのう が完全 かんぜん に滅 ほろぼ した境地 きょうち (想 そう 受滅)までの9段階 だんかい に整理 せいり されるであろうと考 かんが えられる。ブッダの悟 さと りの内容 ないよう には複数 ふくすう の伝承 でんしょう があるが、平木 ひらき 光 ひかり 二 に は、要 よう するに智慧 ちえ と慈悲 じひ 心 こころ を獲得 かくとく し解脱 げだつ に至 いた ったと説明 せつめい している。悟 さと りの内容 ないよう については諸説 しょせつ がある。
仏教 ぶっきょう は、ヴェーダの祭祀 さいし 思想 しそう を個人 こじん 化 か 、内面 ないめん 化 か した先 さき に成立 せいりつ した。当時 とうじ の修行 しゅぎょう 者 しゃ の多 おお くは、呪力 じゅりょく の獲得 かくとく 、天界 てんかい への再生 さいせい 、無限 むげん の至福 しふく の獲得 かくとく といった現実 げんじつ 的 てき で個人 こじん 的 てき な目的 もくてき をもって修業 しゅうぎょう を始 はじ めたが、ブッダは「善 ぜん 」という抽象 ちゅうしょう 的 てき かつ普遍 ふへん 的 てき なものを求 もと めて出家 しゅっけ し、そこには個人 こじん 的 てき 救済 きゅうさい 観 かん を超 こ えた普遍 ふへん 性 せい があった。これは、彼 かれ が王子 おうじ であったことが大 おお きく影響 えいきょう していると思 おも われる。ブッダの意識 いしき の中 なか に倫理 りんり 性 せい を問題 もんだい としない現世 げんせい 利益 りえき や来世 らいせ 利益 りえき を追求 ついきゅう する呪術 じゅじゅつ 的 てき なヨーガはなかったと思 おも われ、仏教 ぶっきょう はバラモン教 ばらもんきょう のような祭祀 さいし を認 みと めず、祭祀 さいし 文献 ぶんけん は一切 いっさい 受 う け継 つ がなかった(ただし、のちにタントラを取 と り入 い れた密教 みっきょう は祭祀 さいし を行 おこな うようになった)。
呪術 じゅじゅつ 性 せい が強 つよ く、集中 しゅうちゅう の行 くだり であったヨーガは、ブッダによって、徹底 てってい 観察 かんさつ ・考察 こうさつ を目指 めざ す、智慧 ちえ の獲得 かくとく のための行 くだり というパラダイムの転換 てんかん がなされた。仏教 ぶっきょう の瑜伽 ゆが 行 ぎょう (ヨーガ)は、ブッダが悟 さと った「止 とめ 」と「観 かん 」が同時 どうじ に行 おこな われる止観 しかん である[ 22] 。ヨーガ観法 かんぽう (瞑想 めいそう 法 ほう )を取 と り入 い れて、この祈 いの りと瞑想 めいそう の技術 ぎじゅつ が多様 たよう に発展 はってん したことが、仏教 ぶっきょう の特徴 とくちょう であるといえる。また、バラモン教 ばらもんきょう に先行 せんこう して、哲学 てつがく 的 てき 思索 しさく を深 ふか め教理 きょうり 体系 たいけい (論蔵 ろんぞう =アビダルマ )を作 つく り上 あ げている。
仏教 ぶっきょう で出家 しゅっけ 者 しゃ は、日常 にちじょう 生活 せいかつ において従 したが うべき実践 じっせん 的 てき 規律 きりつ 「戒 (シーラ)」を守 まも り身心 しんしん を拘束 こうそく することで欲望 よくぼう の制御 せいぎょ を学 まな び、瞑想 めいそう すなわちヨーガ観法 かんぽう 「定 じょう (サマーディ。静 しずか 慮 おもんばか 、禅 ぜん 那 な 、禅定 ぜんじょう 、思惟 しい 修 おさむ とも)」を実践 じっせん するという2つの「修行 しゅぎょう 」の過程 かてい を経 へ 、仏教 ぶっきょう 哲学 てつがく の理論 りろん 「慧 とし 」(パンニャー、般若 はんにゃ )を学 まな ぶ。この「三 さん 学 がく 」によって悟 さと りを得 え ることを目指 めざ す。仏教 ぶっきょう では、悟 さと りに導 みちび く智慧 ちえ (聞思修 おさむ 、洞察 どうさつ )を修行 しゅぎょう の段階 だんかい によって分類 ぶんるい しており、他人 たにん から教 おし えを聞 き いて了解 りょうかい する智慧 ちえ (聞所 ききどころ 成 なり 慧 とし )、道理 どうり を考察 こうさつ して生 しょう ずる智慧 ちえ (思 おもえ 所 しょ 成 なり 慧 とし )、瞑想 めいそう の実践 じっせん によって体得 たいとく する正 ただ しい智慧 ちえ (修 おさむ 所 しょ 成 なり 慧 とし 、観想 かんそう )の3つがある。悟 さと りは思考 しこう で到達 とうたつ できるものではなく、瞑想 めいそう の実践 じっせん によって生 しょう じる智慧 ちえ によって到達 とうたつ できると考 かんが えられているため、修 おさむ 所 しょ 成 なり 慧 とし が最 もっと も重視 じゅうし されている。
瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は の開祖 かいそ といわれるマイトレーヤナータ (弥勒 みろく )
西暦 せいれき 前 まえ 3世紀 せいき 半 なか ばからの約 やく 550年間 ねんかん 、根本 こんぽん 分裂 ぶんれつ の後 のち に生 う まれた部 ぶ 派 は 仏教 ぶっきょう の繁栄 はんえい と、大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう の発展 はってん がみられた。3 - 5世紀 せいき のインドの大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう では、ヨーガの実 じつ 修 おさむ を好 この む瑜伽 ゆが 師 し (ゆがし、ヨーガ行者 ぎょうじゃ )によって、般若 はんにゃ の空 そら の思想 しそう と、修行 しゅぎょう 者 しゃ のヨーガ行 ぎょう の最中 さいちゅう の体験 たいけん 、外界 がいかい の存在 そんざい や心象 しんしょう が消 き えうせ根源 こんげん 的 てき な心 しん 識のみが唯一 ゆいいつ の実在 じつざい として残 のこ る(唯識 ゆいしき )体験 たいけん を教義 きょうぎ のベースとした思想 しそう 体系 たいけい が生 う まれた[ 22] 。この学派 がくは は瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は (瑜伽 ゆが 行 ぎょう 派 は 、ヨーガチャーラ)と呼 よ ばれ(ヨーガ学派 がくは と呼 よ ばれることもあるが、バラモン教 ばらもんきょう のヨーガ学派 がくは とは別 べつ である)、中 ちゅう 観 かん 派 は と並 なら び大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう 思想 しそう の中核 ちゅうかく の一 いち であった(中 ちゅう 観 かん 派 は では観 かん 行 ぎょう という行法 ぎょうほう が行 おこな われた)。瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は の基本 きほん 的 てき 論 ろん 書 しょ として『ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ(瑜伽 ゆが 師 し 地 ち 論 ろん )』がある[ 28] 。『ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ』では「信 しん ・欲 よく ・精進 しょうじん ・方便 ほうべん 」がヨーガであるとされ、正行 まさゆき (悟 さと りを得 え るために実践 じっせん しなければならない正 ただ しい修行 しゅぎょう )の要件 ようけん がすべて含 ふく まれるとされる[ 62] 。
瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は は、外界 がいかい の対象 たいしょう の存在 そんざい を否定 ひてい し、人間 にんげん が日常 にちじょう 的 てき に経験 けいけん する事象 じしょう はすべて心 しん が作 つく り出 だ したイメージ(相 そう )にすぎず、心 こころ そのものは存在 そんざい せず、全 すべ てはイメージを作 つく るものと作 つく られるものの仕組 しく みに還元 かんげん されるという徹底 てってい した主観 しゅかん 的 てき 観念論 かんねんろん の哲学 てつがく 体系 たいけい を作 つく り、諸 しょ 事象 じしょう を現象 げんしょう せしめる原動力 げんどうりょく としてアーラヤ識(阿 おもね 頼 よりゆき 耶識 、根本 こんぽん 蔵 ぞう 識)を創案 そうあん した[ 22] [ 28] 。瑜伽 ゆが 行者 ぎょうじゃ の止観 しかん 行 ぎょう の深 ふか まりのプロセスとして、「資 し 糧 かて 位 い 」・「加 か 行 ゆき 位 い 」・「通達 つうたつ 位 い 」・「修習 しゅうしゅう 位 い 」・「究竟 きゅうきょう 位 い 」の「五 ご 位 い 」が説 と かれた[ 99] 。
瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は は、中国 ちゅうごく の玄 げん 奘 ・基 もと を通 つう じ、日本 にっぽん の法相 ほうしょう 宗 むね の伝統 でんとう に連 つら なる[ 22] 。
7世紀 せいき の法相 ほうしょう 宗 むね の僧 そう である円 えん 測 はか (玄 げん 奘の門下 もんか )は『解 かい 深 ふか 密 みつ 経 けい 疏』で、一切 いっさい 乗 じょう (上座 かみざ 部 ぶ 仏教 ぶっきょう と大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう )の境 さかい (対象 たいしょう )・行 ぎょう (方法 ほうほう )・果 はて (結果 けっか )のすべてが広義 こうぎ の瑜伽 ゆが に含 ふく まれ、狭義 きょうぎ には止観 しかん であるとしている[ 62] 。
この
節 ふし の
加筆 かひつ が
望 のぞ まれています。
(2020年 ねん 10月 がつ )
ヨーガを本格 ほんかく 的 てき に扱 あつか うウパニシャッドは、仏教 ぶっきょう の影響 えいきょう を受 う けて成立 せいりつ しており、ブッダ以後 いご に成立 せいりつ した「中期 ちゅうき ウパニシャッド」では、ヨーガの技法 ぎほう と初期 しょき ウパニシャッド以来 いらい の形而上学 けいじじょうがく が合 あ わさり、ウパニシャッドで初 はじ めて禅定 ぜんじょう や三昧 ざんまい などの行法 ぎょうほう が記載 きさい された。紀元前 きげんぜん 350年 ねん -紀元前 きげんぜん 300年 ねん 頃 ころ に成立 せいりつ したのではないかとされる「中期 ちゅうき ウパニシャッド」の『カタ・ウパニシャッド (カータカ・ウパニシャッド)』には、ヨーガの最古 さいこ の説明 せつめい が見 み い出 だ すことができる。ヨーガが初 はじ めて内面 ないめん 的 てき 修養 しゅうよう 法 ほう をはっきりと指 さ すようになり、知覚 ちかく 器官 きかん 、マナス 、ブッディが徹底的 てっていてき に統御 とうぎょ された状態 じょうたい がヨーガであり、それが最上 さいじょう 最高 さいこう の境地 きょうち であり、自己 じこ 認識 にんしき がヨーガの崇高 すうこう なる目的 もくてき であるとされている[ 86] 。『その原因 げんいん が、サーンキヤとヨーガによって到達 とうたつ されるべきものである神 かみ と知 し って、一切 いっさい の束縛 そくばく から解放 かいほう される。』という記述 きじゅつ があり、サーンキヤとヨーガが解脱 げだつ へ導 みちび く方法 ほうほう の一 ひと つであると考 かんが えられていたと推察 すいさつ される。その後 ご 、後期 こうき ウパニシャッドの 『Cvetacvatara-Upanisad』において、呼吸 こきゅう の統御 とうぎょ について書 か かれ、コントロールが困難 こんなん な馬 うま を繋 つな いだ車 くるま を御 ぎょ するようにマナスを抑制 よくせい し、呼吸 こきゅう を統御 とうぎょ し、整 ととの えながら、鼻 はな から息 いき を吐 は くという方法 ほうほう が示 しめ された。
『バガヴァッド・ギーター』はヨーガの聖典 せいてん でもあるが、ヨーガ行者 ぎょうじゃ は一人 ひとり で修業 しゅぎょう すべきであり、節度 せつど ある生活 せいかつ をし、ヨーガ修行 しゅぎょう が進 すす んで心 しん が統一 とういつ されると、理想 りそう 的 てき な寂静 じゃくじょう に至 いた ると説 と かれている。仏教 ぶっきょう と同 おな じく苦行 くぎょう は否定 ひてい されており、ウパニシャッドよりもさらに中庸 ちゅうよう である。『バガヴァッド・ギーター』では、カルマ・ヨーガ(行為 こうい の道 みち )、ジュニヤーナ・ヨーガ(知 ち の道 みち )、バクティ・ヨーガ(信 しん の道 みち )が説 と かれ、これらは独立 どくりつ した道 みち として説 と かれていると思 おも われがちだが、3つのヨーガの総合 そうごう が理想 りそう として提示 ていじ されている。
しかし、ヨーガの目的 もくてき が崇高 すうこう なものであるとされるにもかかわらず、宗教 しゅうきょう 学者 がくしゃ のエリック・デントンによると、ほとんどの初期 しょき のサンスクリット文学 ぶんがく では、ヨーガによって超 ちょう 自然 しぜん 力 りょく (シッディ (英語 えいご 版 ばん ) 、超 ちょう 能力 のうりょく )を備 そな えたヨーギーたちは、悪役 あくやく として描 えが かれている[ 86] 。ヨーガを通 とお して「アートマンとブラフマンが同一 どういつ である」と悟 さと る前 まえ に、かなりの超 ちょう 自然 しぜん 力 りょく が身 み につくと考 かんが えられており、ヨーギーが持 も つ力 ちから として、人間 にんげん や動物 どうぶつ の体 からだ や死体 したい に入 はい り込 こ んでコントロールする力 ちから がよく知 し られていた[ 86] 。他 た に、飛 と ぶ、心 しん を読 よ む、透明 とうめい になる、過去 かこ の命 いのち を呼 よ び覚 さ ますといった能力 のうりょく を持 も つヨーギーが描 えが かれているが、超 ちょう 自然 しぜん 的 てき な力 ちから はほぼ悪用 あくよう されて描 えが かれていた[ 86] 。17世紀 せいき までヨーギーは、おおむね黒 くろ 魔術 まじゅつ 師 し や魔法使 まほうつか いとして描 えが かれており、恐 おそ れられていたことがうかがえる[ 86] 。
パタンジャリの典型 てんけい 的 てき な像 ぞう
ウパニシャッド聖典 せいてん において業 ごう (カルマ)と解脱 げだつ の思想 しそう が確立 かくりつ してからは、それにさまざまに哲学 てつがく 的 てき 解釈 かいしゃく が試 こころ みられ、紀元 きげん 前後 ぜんこう にはヴェーダの権威 けんい をある程度 ていど 認 みと めるブラフマンたちによって、古典 こてん ヨーガを体系 たいけい 化 か し実践 じっせん したヨーガ学派 がくは 、ヨーガ学派 がくは の兄弟 きょうだい 学派 がくは といわれるサーンキヤ学派 がくは など、いくつかの学派 がくは (宗派 しゅうは )が成立 せいりつ した[ † 7] 。
記録 きろく に残 のこ るヨーガの最初 さいしょ の体系 たいけい は、『マイトリー・ウパニシャッド 』に記 しる されている六 ろく 支 ささえ の体系 たいけい であると考 かんが えられる。六 ろく 支 ささえ はプラーナーヤーマ (調 しらべ 気 き 法 ほう )、プラティヤーハーラ(制 せい 感 かん )、ディヤーナ (静 しずか 慮 おもんばか )、ダーラナー(凝 しこり 念 ねん )、サマーディ(三昧 ざんまい )の5つがのちの『ヨーガ・スートラ (瑜伽 ゆが 経 けい )』の八 はち 支 ささえ と共通 きょうつう で、ヤマ(禁 きん 戒)、ニヤーマ(抑制 よくせい )、アーサナ (座 ざ 法 ほう )は存在 そんざい せず、代 か わりにタルカ(思慮 しりょ )が含 ふく まれる。つまり、元々 もともと ヨーガ行者 ぎょうじゃ が生活 せいかつ において守 まも るべき節制 せっせい や瞑想 めいそう を行 おこな う際 さい の外的 がいてき な条件 じょうけん はなく、後 ご から付 つ け加 くわ えられたということである。
紀元 きげん 後 ご 4-5世紀 せいき 頃 ごろ には、『ヨーガ・スートラ (瑜伽 ゆが 経 けい )』が編纂 へんさん された[ 110] 。同書 どうしょ はヨーガ学派 がくは の教典 きょうてん である。瞑想 めいそう を主 おも な命題 めいだい とし、簡潔 かんけつ な短文 たんぶん で構成 こうせい されており、4章 しょう から成 な る。この書 しょ の成立 せいりつ を紀元 きげん 後 ご 3世紀 せいき 以前 いぜん に遡 さかのぼ らせることは、文献 ぶんけん 学 がく 的 てき な証拠 しょうこ から困難 こんなん であるという。『ヨーガ・スートラ』の編纂 へんさん 者 しゃ はパタンジャリ とされているが、彼 かれ のことはよくわかっていない。『ヨーガ・スートラ』は、ヨーガの萌芽 ほうが がみられた紀元前 きげんぜん 6-7世紀 せいき から1000年 ねん 以上 いじょう 後 のち に成立 せいりつ しており、ヨーガ学派 がくは のヨーガには様々 さまざま な瞑想 めいそう 体系 たいけい が取 と り入 はい りこまれている。内容 ないよう は様々 さまざま な素材 そざい や群小 ぐんしょう 教典 きょうてん をまとめたものと考 かんが えられ、主 おも に心 しん の形而上学 けいじじょうがく 的 てき 問題 もんだい を扱 あつか う第 だい 4章 しょう は、仏教 ぶっきょう 、特 とく に大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう の瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は (瑜伽 ゆが 行 ぎょう 派 は 、ヨーガチャーラ)への反論 はんろん がなされているため、ほかの3章 しょう より後 のち にできたという意見 いけん もある。
サーンキヤ学派 がくは の世界 せかい 観 かん 。プルシャの観照 かんしょう を契機 けいき にプラクリティから現象 げんしょう 世界 せかい (物質 ぶっしつ 世界 せかい )が展開 てんかい している。ヨーガ学派 がくは は、ヨーガによりプルシャとプラクリティの関係 かんけい を断 た ち独 どく 存 そん の状態 じょうたい に戻 もど すことを目指 めざ す。
ヨーガ学派 がくは のヨーガの目的 もくてき は、ヨーガにより輪廻 りんね から解脱 げだつ することである。ヨーガ学派 がくは の世界 せかい 観 かん ・形而上学 けいじじょうがく は、大 だい 部分 ぶぶん をサーンキヤ学派 がくは に依拠 いきょ しており、プルシャ(純粋 じゅんすい 精神 せいしん 、神 かみ 我 が )とプラクリティ(根本 こんぽん 物質 ぶっしつ 、自性 じしょう )の二元論 にげんろん である。ヨーガ学派 がくは では最高 さいこう 神 しん イーシュヴァラ の存在 そんざい を認 みと める点 てん が、サーンキヤ学派 がくは と異 こと なっている。『ヨーガ・スートラ』と同 どう 時期 じき と思 おも われる4-5世紀 せいき に編纂 へんさん されたサーンキヤ学派 がくは の『サーンキヤ・カーリカー』が残 のこ されており、これが現存 げんそん するサーンキヤ学派 がくは の最古 さいこ の原典 げんてん である。ヨーガ学派 がくは には、仏教 ぶっきょう 、ジャイナ教 きょう 、サーンキヤ学派 がくは の影響 えいきょう がみられ、さらに最高 さいこう 神 しん イーシュヴァラへの祈念 きねん であるイーシュヴァラ・プラニダーナ (英語 えいご 版 ばん ) に念 ねん 神 しん 思想 しそう が認 みと められ、非常 ひじょう に複雑 ふくざつ な成 な り立 た ちであることが分 わ かる。『ヨーガ・スートラ』の思想 しそう は、仏教 ぶっきょう 思想 しそう からも多大 ただい な影響 えいきょう や刺激 しげき を受 う けており、仏教 ぶっきょう の理論 りろん はヨーガの体系 たいけい の構築 こうちく に用 もち いられた。石橋 いしばし 丈史 たけし はヨーガ学派 がくは と瑜伽 ゆが 行 ぎょう 唯識 ゆいしき 派 は の文献 ぶんけん を分析 ぶんせき し、両者 りょうしゃ に親密 しんみつ な交流 こうりゅう があった可能 かのう 性 せい を指摘 してき している。
『ヨーガ・スートラ』は、現代 げんだい のヨーガへの理解 りかい に多大 ただい な影響 えいきょう を与 あた えており、国内外 こくないがい のヨーガ研究 けんきゅう 者 しゃ や実践 じっせん 者 しゃ のなかには、この『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本 きほん 教典 きょうてん 」であるとするものがある。マーク・シングルトンは、『ヨーガ・スートラ』は当時 とうじ 数多 かずおお くあった修行 しゅぎょう 書 しょ のひとつに過 す ぎないのであって、かならずしもヨーガに関 かん する「唯一 ただいち 」の「聖典 せいてん 」のような種類 しゅるい のものではないと指摘 してき し、『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本 きほん 教典 きょうてん 」とする理解 りかい に注意 ちゅうい を促 うなが している。佐 さ 保田 やすだ 鶴治 つるじ は、サーンキヤ・ヨーガの思想 しそう を伝 つた えるためのテキストや教典 きょうてん は、同 おな じ時期 じき に多 おお くの支 ささえ 派 は の師家 しか の手 て で作 つく られており、そのなかでたまたま今日 きょう に伝 つた えられているのが『ヨーガ・スートラ』であると述 の べている。雲井 くもい 昭善 あきよし は、ヨーガ学派 がくは の設立 せつりつ には、ヴィヤーサ(Vyasa、5 - 6世紀 せいき )の註釈 ちゅうしゃく 書 しょ 『ヨーガ・バーシャ』(バーシヤ、Yoga-bhashya)の影響 えいきょう も大 おお きく、同書 どうしょ は『ヨーガ・シャーストラ』と呼 よ ばれ『ヨーガ・スートラ』と同 おな じくらい重 おも んじられたと述 の べている。『ヨーガ・バーシャ』や、これに対 たい するヴァーチャスパティ・ミシュラ (英語 えいご 版 ばん ) (10世紀 せいき 頃 ごろ )の復 ふく 注 ちゅう である『タットヴァ・ヴァイシャーラディー』には、仏教 ぶっきょう 、ジャイナ教 きょう と共 とも にサーンキヤ学派 がくは の影響 えいきょう が濃 こ くみられる。ヨーガ学派 がくは は、『ヨーガ・スートラ』とこれらを含 ふく めた数多 すうた の注釈 ちゅうしゃく 類 るい を含 ふく めて言 い うのが一般 いっぱん 的 てき である。
『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガを次 つぎ のように定義 ていぎ している。
ヨーガとは心 しん の作用 さよう を止 とめ 滅 めっ することである (『ヨーガ・スートラ』1-2)
その時 とき 、純粋 じゅんすい 観照 かんしょう 者 しゃ たる真 ま 我 が は、自己 じこ 本来 ほんらい の姿 すがた にとどまることになる (『ヨーガ・スートラ』1-3)
心 しん の作用 さよう を止 とめ 滅 めっ することは、古典 こてん ヨーガのオリジナルの教 おし えではなく、インドにおいては早 はや くからウパニシャッドに見 み られ、仏教 ぶっきょう やサーンキヤ学派 がくは (数 かず 論 ろん 派 は )など、伝統 でんとう ある多 おお くの教 おし えで重要 じゅうよう な課題 かだい として取 と り組 く まれてきた。心 しん の働 はたら きを止 とめ 滅 ほろぼ させると、感覚 かんかく 器官 きかん (五官 ごかん )によって認識 にんしき される外界 がいかい の対象 たいしょう 、物理 ぶつり 的 てき 現実 げんじつ 、身体 しんたい が消 き え去 さ り、次 つ いで苦楽 くらく や欲望 よくぼう などの内的 ないてき な対象 たいしょう も感 かん じなくなり、内 うち 官 かん (「私 わたし 」という意識 いしき の拠 よ り所 どころ としての自我 じが 意識 いしき )も、内 うち 官 かん の活動 かつどう によって生 しょう じた「私 わたし 」という意識 いしき も消 き え去 さ り、主客 しゅかく 未 ひつじ 分 ぶん の境地 きょうち に至 いた る。心 しん の作用 さよう を止 とめ 滅 ほろぼ し、根本 ねもと 物質 ぶっしつ (プラクリティ)から生 しょう じた心 こころ 作用 さよう がプルシャ(純粋 じゅんすい 精神 せいしん )であるとする誤認 ごにん を正 ただ し、心 しん 作用 さよう と同化 どうか しているプルシャ(純粋 じゅんすい 精神 せいしん )を清 きよ めて本来 ほんらい の在 あ り方 かた に立 た ち返 かえ らせ、プルシャがプラクリティと無関係 むかんけい になり独 どく 存 そん することで、輪廻 りんね からの解脱 げだつ に至 いた ると考 かんが えられた。ヨーガ学派 がくは は、絶 た えず揺 ゆ れ動 うご く心 しん の作用 さよう について探求 たんきゅう し、記憶 きおく や意識 いしき 下 か の潜在 せんざい 印象 いんしょう が煩悩 ぼんのう を形成 けいせい する原因 げんいん になると考 かんが えて、潜在 せんざい 印象 いんしょう についても深 ふか く考察 こうさつ した。上記 じょうき の引用 いんよう でいう心 しん の作用 さよう は、日常 にちじょう 経験 けいけん の心 しん の作用 さよう とそれを形成 けいせい する潜在 せんざい 印象 いんしょう (サンスカーラ )、業 ごう (カルマ)の潜在 せんざい 余力 よりょく (カルマサーヤ)、および残存 ざんそん 印象 いんしょう (ヴァサーナ、薫 かおる 習 )も含 ふく めた、いわゆる現代 げんだい の用語 ようご でいう広義 こうぎ の深層 しんそう 心理 しんり での心 しん の作用 さよう を意味 いみ する。
ヨーガ学派 がくは のヨーガは、主 おも に観想 かんそう 法 ほう (瞑想 めいそう )によるヨーガ、静的 せいてき なヨーガであり、それゆえ後世 こうせい では「ラージャ・ヨーガ 」(=王 おう ・ヨーガ)と呼 よ ばれるようになった。
『ヨーガ・スートラ』は、次 つぎ の3系統 けいとう の瞑想 めいそう 説 せつ が複 ふく 合 あい 的 てき に統合 とうごう されていると考 かんが えられる。後 うし ろ2つは、三昧 ざんまい の状態 じょうたい に関 かん する系統 けいとう の異 こと なる2つの教 きょう 説 せつ であり、仏教 ぶっきょう の瞑想 めいそう 説 せつ との関 かか わりが深 ふか い。
八 はち 支 ささえ (アシタ・アンガーニ。アシュターンガ・ヨーガ、八 はち 階梯 かいてい のヨーガ) :心 こころ 作用 さよう の止 とめ 滅 めつ と規定 きてい されたヨーガであり、八 やっ つの段階 だんかい 的 てき な実践 じっせん と瞑想 めいそう への展開 てんかい を想定 そうてい し、マニュアル的 てき な構成 こうせい になっている。八 はち 支 ささえ ヨーガは、ヤマ(禁 きん 戒)、ニヤーマ (抑制 よくせい 、勧戒 かんかい )、アーサナ (座 ざ 法 ほう )、プラーナーヤーマ (調 しらべ 気 き 法 ほう 、呼吸 こきゅう 法 ほう を伴 ともな ったプラーナ 調 しらべ 御 お )、プラティヤーハーラ(制 せい 感 かん 、感覚 かんかく 制御 せいぎょ )、ダーラナー(凝 しこり 念 ねん 、精神 せいしん 集中 しゅうちゅう )、ディヤーナ(静 しずか 慮 おもんばか 、瞑想 めいそう )、サマーディ(三昧 ざんまい )の8つの段階 だんかい で構成 こうせい される。仏教 ぶっきょう の八 はち 正道 せいどう を基礎 きそ にまとめられていると考 かんが えられ、少 すく なくとも八 はち 正道 せいどう と八 はち 支 ささえ には強 つよ い類似 るいじ 性 せい がみられる。『ヨーガ・スートラ』には仏教 ぶっきょう と重複 じゅうふく する用語 ようご が頻出 ひんしゅつ し、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディなどの言葉 ことば は仏教 ぶっきょう では同義語 どうぎご としてあまり区別 くべつ されずに使 つか われていたが、『ヨーガ・スートラ』では明確 めいかく に区別 くべつ されている。この3つは同一 どういつ の対象 たいしょう に行 おこな われるのでサンヤーマ(綜制) と総称 そうしょう される。サンヤーマは純粋 じゅんすい に心的 しんてき な行 くだり 法 ほう であり、心 しん の作用 さよう の止 とめ 滅 めつ に直接 ちょくせつ に働 はたら く。三昧 ざんまい が最 もっと も心 しん の作用 さよう の止 とめ 滅 めつ に関 かん して重視 じゅうし され、ディヤーナと同 おな じ対象 たいしょう だけが顕 あらわ れていて、本性 ほんしょう が無 な くなったかのような状態 じょうたい であるとされる。注釈 ちゅうしゃく 者 しゃ のヴィヤーサは、「ヨーガは三昧 ざんまい である」と述 の べている。『マイトリー・ウパニシャッド』の六 ろく 支 ささえ ヨガ、正統 せいとう 思想 しそう の伝統 でんとう 的 てき な瞑想 めいそう を引 ひ き継 つ いでおり、瞑想 めいそう が体系 たいけい 的 てき に発展 はってん する前 まえ の原初 げんしょ 的 てき な姿 すがた を残 のこ していると考 かんが えられる。
サンプラジュニャータ・サマーディ(有 ゆう 想 そう 三昧 ざんまい )・アサンプラジュニャータ・サマーディ(無想 むそう 三昧 ざんまい ) :三昧 ざんまい に関 かん する教 きょう 説 せつ で、心 しん の諸 しょ 作用 さよう を「止 とめ 滅 ほろぼ させる想念 そうねん 」を修習 しゅうしゅう する、またはイーシュヴァラ・プラニダーナ(自在 じざい 神 しん 祈念 きねん 、念 ねん 神 しん )によって、自意識 じいしき などの想念 そうねん がまだ残 のこ っている有 ゆう 想 そう 三昧 ざんまい から、想念 そうねん はなくなったが未 いま だ潜在 せんざい 印象 いんしょう の残 のこ る無想 むそう 三昧 ざんまい へと進 すす む。『ヨーガ・スートラ』では無想 むそう 三昧 ざんまい が最 もっと も存在 そんざい 感 かん を持 も って語 かた られており、中心 ちゅうしん 的 てき 位置 いち づけとなっていると思 おも われる。
サビージャ・サマーディ(有 ゆう 種子 しゅし 三昧 ざんまい )・ニルビージャ・サマーディ(無 む 種子 しゅし 三昧 ざんまい ) :三昧 ざんまい に関 かん する教 きょう 説 せつ で、心 しん の境 さかい 位 い (心 しん の状態 じょうたい )が詳細 しょうさい に説明 せつめい されている。煩悩 ぼんのう を作 つく る原因 げんいん がまだ残 のこ っている有 ゆう 種子 しゅし 三昧 ざんまい (さらに4段階 だんかい に分 わ かれる)から、対象 たいしょう がすべてが消 き え去 さ った無 む 種子 しゅし 三昧 ざんまい へと進 すす む。有 ゆう 種子 しゅし 三昧 ざんまい の段階 だんかい を上 のぼ り詰 つ めると三昧 ざんまい 知 ち (直 ちょく 感知 かんち )が生 しょう じ、これからも潜在 せんざい 印象 いんしょう が生 しょう じるが、すでに煩悩 ぼんのう が消滅 しょうめつ しているため、心 しん の作用 さよう が生 しょう じることはなく、これが無 む 種子 しゅし 三昧 ざんまい であり真 しん の解脱 げだつ であるとされる。
八 はち 支 ささえ ヨーガにおける三昧 ざんまい は「対象 たいしょう だけが顕 あらわ れていて本性 ほんしょう が無 な くなったかのよう」と説明 せつめい されているが、これは有 ゆう 種子 しゅし 三昧 ざんまい のなかの無 む 尋 ひろ 定 じょう (ニルヴィタルカ・サマーパティ)とまったく同 おな じ表現 ひょうげん である。八 はち 支 ささえ ヨーガの三昧 ざんまい は、無 む 種子 しゅし 三昧 ざんまい の外的 がいてき 部門 ぶもん とされている。
瞑想 めいそう への直接的 ちょくせつてき な手段 しゅだん 作法 さほう 、三昧 ざんまい (無想 むそう 三昧 ざんまい )に至 いた る手段 しゅだん として、イーシュヴァラ・プラニダーナ (英語 えいご 版 ばん ) (自在 じざい 神 しん 祈念 きねん 、念 ねん 神 しん ) と スヴァディアーヤ (読誦 とくしょう ) が説明 せつめい されている。イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在 じざい 神 しん 祈念 きねん 、念 ねん 神 しん )とは、最高 さいこう 神 しん イーシュヴァラへの祈念 きねん であり、クリヤー・ヨーガ(実践 じっせん ヨーガ、行事 ぎょうじ ヨーガ)、ニヤーマ(抑制 よくせい 、勧戒 かんかい )のひとつの方法 ほうほう である。自在 じざい 神 しん 祈念 きねん と読誦 とくしょう に苦行 くぎょう (タパス)を加 くわ えたものが、ラージャ・ヨーガに対 たい してクリヤー・ヨーガ(実践 じっせん ヨーガ、行事 ぎょうじ ヨーガ)と呼 よ ばれる。イーシュヴァラ・プラニダーナは三昧 ざんまい (無想 むそう 三昧 ざんまい )に到達 とうたつ する方法 ほうほう の一 ひと つであり、最 もっと も手近 てぢか な方法 ほうほう であるとされる。イーシュヴァラは、ヨーガ行者 ぎょうじゃ にとって理想 りそう 像 ぞう であり、古 いにしえ の師 し たちの師 し 、行者 ぎょうじゃ にとっての師 し であり、行者 ぎょうじゃ が合一 ごういつ を目指 めざ したり一切 いっさい の行為 こうい をゆだねる対象 たいしょう ではない。イーシュヴァラは業 ごう (カルマ )や果報 かほう の影響 えいきょう を受 う けない特殊 とくしゅ なプルシャであり、聖 せい 音 おと 「オーム」に象徴 しょうちょう されるもので、心 しん を集中 しゅうちゅう させるために念 ねん ずる一 いち 実在 じつざい 、対象 たいしょう であると考 かんが えられる。よって、イーシュヴァラ・プラニダーナはダーラナー(凝 しこり 念 ねん )と同列 どうれつ に考 かんが えることができる。
スヴァディアーヤ(読誦 とくしょう )とは聖 ひじり 句 く を声 こえ に出 だ して低 ひく く唱 とな えることであり、解脱 げだつ へ導 みちび く聖典 せいてん を学習 がくしゅう することである。『ヨーガ・スートラ』の注釈 ちゅうしゃく 書 しょ 『ヨーガ・バーシャ』では、聖 きよし 句 く を唱 とな え、その対象 たいしょう 、意味 いみ を念 ねん 想 そう することで、1つの対象 たいしょう に心 しん を深 ふか く統一 とういつ する心 しん 一 いち 境 さかい 性 せい が可能 かのう になるとされる。自在 じざい 神 しん 祈念 きねん によって無想 むそう 三昧 ざんまい に到達 とうたつ し、読誦 とくしょう によって心 しん 一 いち 境 さかい 性 せい が実現 じつげん すると考 かんが えられた。
アーサナ (座 ざ 法 ほう ) 、プラーナーヤーマ (調 しらべ 気 き 法 ほう ) は、瞑想 めいそう への架 か け橋 はし であると明言 めいげん されていないが、文脈 ぶんみゃく からそうであろうと考 かんが えられる。
『ヨーガ・スートラ』には、後 ご のハタ・ヨーガのような一元論 いちげんろん 的 てき な、個我 こが と真 しん 我 わが (アートマン)が合一 ごういつ し全 すべ ての観念 かんねん が消 き え去 さ った状態 じょうたい という明確 めいかく で普遍 ふへん 性 せい を持 も った解脱 げだつ の感覚 かんかく は見 み られない。一章 いっしょう を丸々 まるまる 使 つか ってヨーギーに備 そな わる超 ちょう 自然 しぜん 力 りょく (シッディ)の説明 せつめい がされているが、ヨーガの目的 もくてき はあくまで「心 しん の作用 さよう を止 とめ 滅 めっ すること」とされており、超 ちょう 自然 しぜん 力 りょく の習得 しゅうとく が最 さい 重視 じゅうし されているわけではない[ 86] 。
イーシュヴァラ・プラニダーナは、熱狂 ねっきょう 的 てき な神 かみ への帰依 きえ である後世 こうせい のバクティ とは別 べつ 系統 けいとう の思想 しそう であると考 かんが えられるが、のちに注釈 ちゅうしゃく 家 か たちによってバクティやサンニヤーサ (英語 えいご 版 ばん ) (行為 こうい の厭離 えんり ・放擲 ほうてき (ほうてき))、行為 こうい の結果 けっか への無 む 関心 かんしん と関連 かんれん づけて解説 かいせつ された。10世紀 せいき には古典 こてん インド哲学 てつがく 体系 たいけい が完成 かんせい したが、それを作 つく り上 あ げた哲人 てつじん の一人 ひとり ヴァーチャスパティ・ミシュラ (英語 えいご 版 ばん ) (9-10世紀 せいき )による『ヨーガ・スートラ』の註解 ちゅうかい には、ハタ・ヨーガの述語 じゅつご が使 つか われており、ハタ・ヨーガ的 てき 解釈 かいしゃく が施 ほどこ されている。ヴァーチャスパティ・ミシュラは、『ヨーガ・スートラ』で説明 せつめい される3種類 しゅるい のプラーナーヤーマは、ハタ・ヨーガのレーチャカ、プーラカ、クンバカに当 あ たるとしている。ただし、こうした注釈 ちゅうしゃく 家 か たちの後世 こうせい の思想 しそう に引 ひ き寄 よ せた『ヨーガ・スートラ』の解釈 かいしゃく は正確 せいかく な理解 りかい とはいいがたく、問題 もんだい があると指摘 してき されている。
古典 こてん ヨーガの世界 せかい 観 かん のベースである二元論 にげんろん のサーンキヤ学派 がくは の思想 しそう は、インドの宗教 しゅうきょう 哲学 てつがく の初期 しょき には根本 こんぽん 的 てき な影響 えいきょう を与 あた え、隆盛 りゅうせい したが、6世紀 せいき を過 す ぎると徐々 じょじょ にその思想 しそう を拒否 きょひ する者 もの もあらわれ、10世紀 せいき を過 す ぎると衰退 すいたい した。後世 こうせい にヨーガ学派 がくは やサーンキヤ学派 がくは を名乗 なの った修行 しゅぎょう 者 しゃ たちの多 おお くは、シヴァ神 しん やヴィシュヌ神 しん を信仰 しんこう していたことが知 し られている。サーンキヤ学派 がくは の思想 しそう は、種々 しゅじゅ の思想 しそう と折衷 せっちゅう され、有神論 ゆうしんろん 的 てき 一元論 いちげんろん に傾斜 けいしゃ して一元論 いちげんろん のヴェーダーンタ学派 がくは の教義 きょうぎ に融合 ゆうごう されていき、統合 とうごう 的 てき で包括 ほうかつ 的 てき なヒンドゥー教 きょう の「超越 ちょうえつ 的 てき 体系 たいけい 」が完成 かんせい されていった。ヴィシュヌ派 は のシャクティ 思想 しそう の文献 ぶんけん には、サーンキヤ学派 がくは の二元論 にげんろん とヴェーダーンタ学派 がくは の一元論 いちげんろん が共 とも に取 と り入 い れられ、シャクティを讃 たた える言葉 ことば として用 もち いられた。
『ヨーガ・スートラ』は15世紀 せいき にはほとんど忘 わす れ去 さ られていたが、イギリス人 じん インド学者 がくしゃ のヘンリー・トーマス・コールブルック (1765年 ねん - 1837年 ねん )の著作 ちょさく によってふたたび知 し られるようになった[ 48] 。
『ヨーガ・スートラ』は、ヨーロッパ人 じん 研究 けんきゅう 者 しゃ の知見 ちけん に影響 えいきょう を受 う けながら、20世紀 せいき になって英語 えいご 圏 けん のヨーガ実践 じっせん 者 しゃ たちによって、また、ヴィヴェーカーナンダ やH・P・ブラヴァツキー などの近代 きんだい ヨーガの推進 すいしん 者 しゃ たちによって、「基本 きほん 教典 きょうてん 」としての権威 けんい を与 あた えられていった。
チャクラ、ナーディが描 えが かれた瞑想 めいそう するタントラ行者 ぎょうじゃ の図 ず
バラモン教 ばらもんきょう で説 と かれた解脱 げだつ には、膨大 ぼうだい なヴェーダ聖典 せいてん の学習 がくしゅう が必要 ひつよう であり、学習 がくしゅう は上部 じょうぶ 3カーストの男子 だんし にしか許 ゆる されていなかった。ヴェーダの祭式 さいしき は王侯 おうこう や司祭 しさい 階級 かいきゅう バラモンたちが独占 どくせん し、ウパニシャッドに説 と かれる自己 じこ と宇宙 うちゅう に関 かん する深遠 しんえん な哲学 てつがく は、知的 ちてき エリートだけのものであり、民衆 みんしゅう と女性 じょせい は救 すく いへの道 みち から締 し め出 だ されていた[ 133] 。農業 のうぎょう 生産 せいさん 拡大 かくだい 政策 せいさく で農民 のうみん であるシュードラ (隷属 れいぞく 民 みん )の人口 じんこう が増大 ぞうだい し、彼 かれ らの重要 じゅうよう 性 せい が増 ま したが、領主 りょうしゅ へと成長 せいちょう を遂 と げていたバラモンや仏教 ぶっきょう の比丘 びく 僧院 そういん は、シュードラの成長 せいちょう を抑圧 よくあつ し、彼 かれ らからの租税 そぜい 徴収 ちょうしゅう のために、自分 じぶん たちに比 くら べシュードラがいかに宗教 しゅうきょう 的 てき 資質 ししつ に劣 おと っているかを説 と き、彼 かれ らを救済 きゅうさい の儀礼 ぎれい の枠 わく から遠 とお ざけることによって自 みずか らを正統 せいとう 化 か しようとした[ 36] 。こうした聖職 せいしょく 者 しゃ たちに反発 はんぱつ し、彼 かれ らの行 おこな いを批判 ひはん し、農民 のうみん を中心 ちゅうしん とするシュードラなどの下層 かそう 民 みん に救済 きゅうさい の道 みち を開 ひら こうとする宗教 しゅうきょう 運動 うんどう として、神 かみ に絶対 ぜったい 的 てき な敬愛 けいあい を捧 ささ げひたすらに称 たた えることで恩寵 おんちょう により解脱 げだつ に至 いた るとするバクティ 運動 うんどう (人格 じんかく 神 しん への献身 けんしん の道 みち であるバクティ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) (バクティ・マールガ、信愛 しんあい の道 みち ))や、現世 げんせい を肯定 こうてい し欲望 よくぼう を解脱 げだつ のエネルギーに変換 へんかん しようという民衆 みんしゅう のタントラが盛 も り上 あ がっていったのである[ 36] 。
仏教 ぶっきょう で瞑想 めいそう 修業 しゅうぎょう は出家 しゅっけ 者 しゃ のみに求 もと められることだったが、大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう が発展 はってん すると、世俗 せぞく で生 い きながら仏教 ぶっきょう の修行 しゅぎょう を行 おこな う「居士 こじ (こじ)」が現 あらわ れ、その生 い き方 かた が称賛 しょうさん を得 え るようになっていった。バクティ運動 うんどう の指導 しどう 者 しゃ である新鋭 しんえい のバラモンや民衆 みんしゅう 密教 みっきょう の指導 しどう 者 しゃ である脱俗 だつぞく の修行 しゅぎょう 者 しゃ は、シュードラなどの下層 かそう 民 みん もバラモンあるいは比丘 びく と同等 どうとう の宗教 しゅうきょう 的 てき 境地 きょうち へ到達 とうたつ することができると考 かんが え、シュードラ出身 しゅっしん の成就 じょうじゅ 者 しゃ (シッダ)も多 おお く記録 きろく されている[ 36] 。『バガヴァッド・ギーター』においてバクティは解脱 げだつ に至 いた る三 みっ つの道 みち のうちの一 ひと つにすぎなかったが、南 みなみ インドに伝 つた わって土着 どちゃく の「地上 ちじょう の神 かみ 」観念 かんねん と結 むす びついて、神 かみ 々に熱烈 ねつれつ な参加 さんか をささげる宗教 しゅうきょう 詩人 しじん たちが生 う まれ、彼 かれ らの中 なか には下層 かそう 出身 しゅっしん 者 しゃ や女性 じょせい も含 ふく まれていた。バクティ思想 しそう は現象 げんしょう 世界 せかい を神 かみ の力 ちから の顕 あらわ れたものと見 み るタントラ 思想 しそう と結 むす びつき、10世紀 せいき 頃 ごろ には人格 じんかく 神 しん との情熱 じょうねつ 的 てき な愛情 あいじょう 関係 かんけい こそが最高 さいこう の境地 きょうち であるという『バーガヴァタ・プラーナ (英語 えいご 版 ばん ) 』が生 う まれた。絶対 ぜったい 者 しゃ への個人 こじん の存在 そんざい の解消 かいしょう という従来 じゅうらい の解脱 げだつ 観 かん は意義 いぎ を失 うしな い、バクティ思想 しそう は民衆 みんしゅう 的 てき な宗教 しゅうきょう 思想 しそう として完成 かんせい し、ナータ派 は が浸透 しんとう していた北 きた インド各地 かくち を席巻 せっけん した。バクティ運動 うんどう は盛 も り上 あ がり、バクティがヒンドゥー教 きょう の主流 しゅりゅう となった[ 133] 。バクティにはヴィシュヌ派 は の信徒 しんと が多 おお い[ 133] 。
日本 にっぽん の密教 みっきょう の曼荼羅 まんだら (マンダラ)。密教 みっきょう の曼荼羅 まんだら などは、ヨーガの実 じつ 修 おさむ によって体感 たいかん された瞑想 めいそう 世界 せかい を表現 ひょうげん したもの。
インドではグプタ朝 あさ (320年 ねん から550年 ねん 頃 ごろ )以後 いご ヒンドゥー教 きょう が興隆 こうりゅう し、仏教 ぶっきょう の勢力 せいりょく は下降 かこう していたが、ヒンドゥー教 きょう と重複 じゅうふく する様々 さまざま な民衆 みんしゅう 宗教 しゅうきょう の要素 ようそ を取 と り入 い れる仏教 ぶっきょう 再興 さいこう への挑戦 ちょうせん が起 お こり、ヒンドゥーの思想 しそう やタントラ、土着 どちゃく の信仰 しんこう を取 と り込 こ んだ密教 みっきょう が大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう から生 しょう じた[ 137] 。密教 みっきょう は瑜伽 ゆが 教 きょう 、密教 みっきょう の真言宗 しんごんしゅう は瑜伽 ゆが 宗 むね または瑜伽 ゆが 密宗 みっしゅう 、または相応 そうおう 宗 しゅう とも呼 よ ばれる。密教 みっきょう では、修行 しゅぎょう 者 しゃ 自 みずか らが象徴 しょうちょう 的 てき に仏 ふつ そのものになり、仏 ふつ と合一 ごういつ することがヨーガ(瑜伽 ゆが )であるとされ、中期 ちゅうき インド密教 みっきょう では、真言 しんごん (マントラ)、印 しるし 契 ちぎり (ムドラー)やマンダラ を用 もち いる三 さん 密 みつ 行 くだり を通 とお して仏 ふつ となることができるとする瑜伽 ゆが の思想 しそう と実践 じっせん がみられた[ 62] 。大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう 、特 とく に密教 みっきょう では、儀礼 ぎれい の執行 しっこう 、呪術 じゅじゅつ 的 てき な密教 みっきょう 儀式 ぎしき が非常 ひじょう に隆盛 りゅうせい したが、ヨーガの修行 しゅぎょう で超 ちょう 自然 しぜん 力 りょく (シッディ、神通力 じんずうりき 、呪術 じゅじゅつ 的 てき 能力 のうりょく )を得 え た人間 にんげん が行 おこな うことで呪術 じゅじゅつ 的 てき 儀礼 ぎれい が効果 こうか を持 も つと考 かんが えられ、修行 しゅぎょう による超 ちょう 自然 しぜん 力 りょく の獲得 かくとく が重視 じゅうし され、ハタ・ヨーガのチャクラの理論 りろん を含 ふく む擬似 ぎじ 生理学 せいりがく 的 てき な行法 ぎょうほう や性的 せいてき 行 ぎょう 法 ほう が密教 みっきょう に取 と り入 い れられた。密教 みっきょう (仏教 ぶっきょう タントラ)がヒンドゥー教 きょう のタントラの様々 さまざま な教派 きょうは より先行 せんこう して発展 はってん おり、密教 みっきょう の神 かみ 々がのちにヒンドゥーの神 かみ 々に同化 どうか されたと考 かんが える学者 がくしゃ が多 おお い[ 42] 。
8世紀 せいき になると、ヒンドゥー教 きょう シャークタ派 は のタントラやシャクティ (性 せい 力 りょく )信仰 しんこう から影響 えいきょう を受 う けたとされる、男性 だんせい 原理 げんり (精神 せいしん ・理性 りせい ・方便 ほうべん )と女性 じょせい 原理 げんり (肉体 にくたい ・感情 かんじょう ・般若 はんにゃ )との合一 ごういつ を目指 めざ す密教 みっきょう が登場 とうじょう した。これを後期 こうき 密教 みっきょう といい、後期 こうき 密教 みっきょう は無上 むじょう 瑜伽 ゆが 密教 みっきょう 、タントラ仏教 ぶっきょう と呼 よ ばれる。なお、後期 こうき 密教 みっきょう は儒教 じゅきょう の強 つよ い中国 ちゅうごく では左 ひだり 道 どう 密教 みっきょう と批判 ひはん され受 う け入 い れられなかったため、日本 にっぽん には伝 つた わっていない。
ヤブユム (男女 だんじょ 合体 がったい 尊 みこと )、18世紀 せいき チベット
チベット密教 みっきょう シチュー派 は の開祖 かいそ でチュー (英語 えいご 版 ばん ) の行法 ぎょうほう を創始 そうし したマチク・ラプドゥンマ (英語 えいご 版 ばん ) (1055 - 1143)。仏教 ぶっきょう の宗派 しゅうは の開祖 かいそ になった唯一 ゆいいつ の女性 じょせい 。タムパ・サンゲ (英語 えいご 版 ばん ) (? - 1117)のパートナーとして性 せい ヨーガを実践 じっせん し彼女 かのじょ 自身 じしん も悟 さと りを得 え た、または無名 むめい の男性 だんせい 行者 ぎょうじゃ との性 せい ヨーガを通 とお し圧倒的 あっとうてき な霊的 れいてき 力 りょく を開花 かいか させたとも伝承 でんしょう される。
世俗 せぞく のあらゆる存在 そんざい は、無分別 むふんべつ を性質 せいしつ とし絶対 ぜったい 的 てき な「清浄 せいじょう 」さを持 も つ「真 ま 実在 じつざい 」、「空 そら なる心性 しんせい (心 しん の本来 ほんらい 的 てき なあり方 かた )」(空 そら 性 せい )を内 うち に持 も っている、つまり世俗 せぞく 内 ない の存在 そんざい は全 すべ て清浄 せいじょう であり、生 う まれながらにして真理 しんり を内 うち に持 も っていると考 かんが えられるようになり、この「心性 しんせい 」の性質 せいしつ を知 し り、その中 なか へ「帰 かえり 入 いれ 」することが悟 さと り・成就 じょうじゅ であるとされた。インドには、性 せい の恍惚 こうこつ 境 さかい の感受 かんじゅ であるカーマは万 まん 人 にん が経験 けいけん でき万 まん 人 にん の内 うち にあるという意味 いみ で遍在 へんざい しているという「遍在 へんざい するカーマ 」の観念 かんねん 」があり、真 ま 実在 じつざい は伝統 でんとう 的 てき に性 せい の恍惚 こうこつ の境地 きょうち と結 むす びついており[ 36] 、後期 こうき 密教 みっきょう の諸 しょ タントラにおいて、多 おお くの場合 ばあい 「真 ま 実在 じつざい 」への到達 とうたつ 、悟 さと り・成就 じょうじゅ は、性的 せいてき 合一 ごういつ をモデルとした性 せい ヨーガによって達成 たっせい されると考 かんが えられた。
後期 こうき 密教 みっきょう は、解脱 げだつ のためにあらゆる手段 しゅだん が肯定 こうてい される解脱 げだつ 至上 しじょう 主義 しゅぎ であり、酒 さけ と肉食 にくしょく (悪食 あくじき )、糞 くそ や尿 にょう といった不浄 ふじょう 物 ぶつ の摂取 せっしゅ 、貪欲 どんよく 行 ぎょう (性 せい ヨーガ)などの儀礼 ぎれい を行 おこな う秘密 ひみつ 集会 しゅうかい が仏教 ぶっきょう の正統 せいとう な修法 しゅほう ・行 ぎょう 法 ほう として定期 ていき 的 てき に行 おこな われた。性 せい ヨーガは、男女 だんじょ の集団 しゅうだん で、または師 し と弟子 でし とマハームドラー(カルマ・ムドラー (英語 えいご 版 ばん ) 、明 あかり 妃 ひ 、ヨーギニー、瑜伽 ゆが 女 おんな 。性 せい ヨーガの相手 あいて として選別 せんべつ された被 ひ 差別 さべつ 階級 かいきゅう (不可 ふか 触 さわ 民 みん 、アウトカースト)の女性 じょせい )、修行 しゅぎょう 者 しゃ とマハームドラーによって行 おこな われた。8世紀 せいき の『秘密 ひみつ 集会 しゅうかい タントラ 』の冒頭 ぼうとう では、「ブッダは、一切 いっさい 如来 にょらい たちの身 み 語意 ごい の源泉 げんせん たる諸々 もろもろ の金剛 こんごう 女 おんな 陰 かげ に住 じゅう したもうた(ブッダは女性 じょせい たちと性的 せいてき ヨーガを行 ぎょう じておられた)」と説 と かれ、1000年 ねん 頃 ごろ のインドではこの経典 きょうてん を典拠 てんきょ とする聖者 せいじゃ 流 りゅう の修行 しゅぎょう 法 ほう が流行 りゅうこう した。男性 だんせい 修行 しゅぎょう 者 しゃ たちが女性 じょせい との性 せい ヨーガを必要 ひつよう としたのは、女性 じょせい の生命 せいめい 力 りょく で自身 じしん の生命 せいめい 力 りょく を活性 かっせい 化 か し過酷 かこく な修行 しゅぎょう を乗 の り切 き るため、また、究極 きゅうきょく の把握 はあく 対象 たいしょう であり、死 し ぬときに現 あらわ れ、その把握 はあく にはたとえようもない快楽 かいらく が伴 ともな う「歓喜 かんき 」であるとされた「空 そら 性 せい 」を、男女 だんじょ の性行為 せいこうい が孕 はら むであろう「死 し の先取 さきど り」を通 とお して体得 たいとく するためであると考 かんが えられる。性 せい ヨーガなどを行 おこな う秘密 ひみつ 集会 しゅうかい に専心 せんしん することで、死後 しご ではなく生 い きている間 あいだ に悟 さと ることができる(即身成仏 そくしんじょうぶつ )と説 と かれ、象徴 しょうちょう を用 もち いた儀礼 ぎれい が悟 さと りに有用 ゆうよう であるとされ、象徴 しょうちょう するものと象徴 しょうちょう されるものとは同一 どういつ であり、自己 じこ の構造 こうぞう を象徴 しょうちょう 操作 そうさ を通 つう じて絶対 ぜったい 者 しゃ と相似 そうじ な状態 じょうたい に再 さい 構築 こうちく することで自己 じこ が絶対 ぜったい 者 しゃ と合一 ごういつ (ヨーガ)することができると考 かんが えられた[ 137] 。
男性 だんせい と女性 じょせい の性的 せいてき ヨーガの状態 じょうたい が、そのまま悟 さと り(菩提 ぼだい )を象徴 しょうちょう されるようになり、チベット密教 みっきょう では悟 さと りそのものを男女 だんじょ の性行為 せいこうい の形態 けいたい で象徴 しょうちょう 的 てき に表現 ひょうげん する像 ぞう や図 ず が作成 さくせい された[ 137] 。8世紀 せいき 以降 いこう の仏教 ぶっきょう では、男性 だんせい の精液 せいえき は「菩提心 ぼだいしん 」(悟 さと りを求 もと めようとする根源 こんげん 的 てき な心 しん )の象徴 しょうちょう であると考 かんが えられたため、射精 しゃせい は菩提心 ぼだいしん の放出 ほうしゅつ であるとみなされ、密教 みっきょう の修行 しゅぎょう 者 しゃ は、師 し の僧 そう が性 せい ヨーガの女性 じょせい パートナーと性交 せいこう し、精液 せいえき と女性 じょせい の愛 あい 液 えき の混 ま ざったものを菩提心 ぼだいしん として弟子 でし の口 くち の中 なか に入 い れる灌頂 儀礼 ぎれい の他 ほか は、射精 しゃせい することは強 つよ く禁止 きんし されていた。
1000年 ねん 頃 ごろ のインドでは、修行 しゅぎょう 者 しゃ たちは『秘密 ひみつ 集会 しゅうかい タントラ』等 とう に書 か かれた通 とお りの行 くだり を実践 じっせん していたようである。おそらく仏教 ぶっきょう では女性 じょせい が悟 さと りを得 え ることは元々 もともと 考 かんが えになかったが、性 せい ヨーガを実践 じっせん する場合 ばあい は女性 じょせい パートナーの力 ちから が大 おお きく関与 かんよ したため、後期 こうき 密教 みっきょう は他 た の仏教 ぶっきょう と女性 じょせい に対 たい する見解 けんかい が異 ことな ったと思 おも われ、性 せい ヨーガでの女性 じょせい の優 すぐ れた指導 しどう 者 しゃ や女性 じょせい の成就 じょうじゅ 者 しゃ (悟 さと った人 ひと )の記録 きろく が残 のこ されている。密教 みっきょう の修行 しゅぎょう 者 しゃ には、家庭 かてい と世俗 せぞく の職業 しょくぎょう を捨 す てた脱俗 だつぞく の行者 ぎょうじゃ (遊行 ゆぎょう 者 しゃ )、家庭 かてい や職業 しょくぎょう を持 も つ在俗 ざいぞく の行者 ぎょうじゃ 、頭 あたま を剃 す って出家 しゅっけ し仏教 ぶっきょう 僧院 そういん の中 なか で瞑想 めいそう に専念 せんねん する比丘 びく (僧 そう )がいた。出家 しゅっけ 者 しゃ が行 おこな う性 せい ヨーガは性的 せいてき な観念 かんねん を用 もち いたもので実際 じっさい の性行為 せいこうい は伴 ともな わないと考 かんが えられるが、こうした性行為 せいこうい の形態 けいたい の仏像 ぶつぞう の姿 すがた を再現 さいげん し性行為 せいこうい を伴 ともな う性 せい ヨーガを行 おこな うこともあったといわれる[ 140] 。性的 せいてき 実践 じっせん は主 おも に在家 ありいえ の密教 みっきょう 行者 ぎょうじゃ によって行 おこな われていたと考 かんが えられているが、出家 しゅっけ 者 しゃ が女性 じょせい 在家 ありいえ 信者 しんじゃ に性 せい ヨーガの相手 あいて を強要 きょうよう することもあったといわれる[ 140] 。
後期 こうき 密教 みっきょう の、どのような身分 みぶん の人 ひと であれ「真 ま 実在 じつざい 」と神秘 しんぴ 的 てき 合一 ごういつ を達成 たっせい するならば、出家 しゅっけ せずとも、在俗 ざいぞく のままでも等 ひと しく解脱 げだつ できるという考 かんが えは、バクティと同 おな じく下層 かそう 民 みん に救済 きゅうさい の道 みち を開 ひら こうとする宗教 しゅうきょう 運動 うんどう の一部 いちぶ をなしている。
ハタ・ヨーガの祖 そ ゴーラクシャナータ(およそ11-12世紀 せいき )
マユラサーラ(孔雀 くじゃく のポーズ)。ナータ派 は のヨーガ行者 ぎょうじゃ の壁画 へきが (19世紀 せいき 初頭 しょとう )
チベット仏教 ぶっきょう 寺院 じいん におけるバクティの様子 ようす
『バガヴァッドギーター』にも『ヨーガスートラ』にもアーサナの記述 きじゅつ はあるものの、10世紀 せいき に入 はい ってからアーサナの詳 くわ しい説明 せつめい のある文献 ぶんけん が現 あらわ れた[ 86] 。ハタ・ヨーガは、ちょうど後期 こうき 密教 みっきょう と同 どう 時期 じき に現 あらわ れた。ヒンドゥー教 きょう でもタントラが隆盛 りゅうせい し、12世紀 せいき -13世紀 せいき には、タントラ 的 てき な身体 しんたい 観 かん を基礎 きそ として、動的 どうてき なヨーガが出現 しゅつげん した。これはハタ・ヨーガ (力 ちから 〔ちから〕ヨーガ)と呼 よ ばれている。内容 ないよう としては印 しるし 相 しょう (ムドラー)や調 しらべ 気 き 法 ほう (プラーナーヤーマ)などを重視 じゅうし し、超 ちょう 自然 しぜん 力 りょく (超 ちょう 能力 のうりょく )や三昧 ざんまい を追求 ついきゅう する傾向 けいこう もある。
教典 きょうてん としてはスヴァートマーラー『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 』(16 - 17 世紀 せいき )、『ゲーランダ・サンヒター (英語 えいご 版 ばん ) 』(16 - 17 世紀 せいき )、『シヴァ・サンヒター (英語 えいご 版 ばん ) 』がある。「心 しん のはたら
きの止 とめ 滅 めつ 」の土台 どだい 作 づく りのための身体 しんたい 技法 ぎほう (アーサナ、呼吸 こきゅう 法 ほう 、浄化 じょうか 法 ほう 、食事 しょくじ 法 ほう など)がまとめられた『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』に記載 きさい された具体 ぐたい 的 てき なアーサナは、座 ざ 法 ほう も含 ふく めて15種類 しゅるい 、『ゲーランダ・サンヒター』でも32種類 しゅるい に過 す ぎず、これらの教典 きょうてん で示 しめ されるアーサナは、あくまでも三昧 ざんまい に至 いた る道程 どうてい の一部 いちぶ に過 す ぎない。どちらの経典 きょうてん にも、現代 げんだい ヨーガでよく実践 じっせん されるアーサナ(頭 あたま 立 だ ちのポーズ、肩 かた 立 だ ちのポーズ、バックベント等 とう )の記述 きじゅつ は全 まった く存在 そんざい せず、ハタ・ヨーガは動的 どうてき といっても、一種 いっしゅ の瞑想 めいそう 法 ほう であり、今日 きょう のような様々 さまざま なポーズによる体操 たいそう 的 てき な身体 しんたい 技法 ぎほう が中心 ちゅうしん であったわけではない。
仏教徒 ぶっきょうと であったといわれるマッツェーンドラナート (英語 えいご 版 ばん ) の弟子 でし で、ヒンドゥー教 きょう シヴァ派 は の一派 いっぱ ナータ派 は (英語 えいご 版 ばん ) の開祖 かいそ であるゴーラクシャナータ (英語 えいご 版 ばん ) (ゴーラクナート)が、ヨーガの実 じつ 修法 しゅほう を整備 せいび してハタ・ヨーガの体系 たいけい を確立 かくりつ した。ゴーラクシャナータの史料 しりょう はほとんどなく、実像 じつぞう はほぼ不明 ふめい だが、仏教 ぶっきょう 側 がわ の伝承 でんしょう 等 とう からおよそ11-12世紀 せいき の人物 じんぶつ と考 かんが えられ、8世紀 せいき のシャンカラ の後 のち に中世 ちゅうせい において最大 さいだい の影響 えいきょう 力 りょく を持 も った聖者 せいじゃ である。ゴーラクシャナータは師 し の認識 にんしき 論 ろん 、宇宙 うちゅう 生成 せいせい 論 ろん をほぼそのまま受 う け継 つ ぎ、純粋 じゅんすい 精神 せいしん である「最高 さいこう のシヴァ神 しん 」に創造 そうぞう の意欲 いよく という「シャクティ」が生 しょう じ、その結果 けっか としてこの二 に 大 だい 原理 げんり から因 いん 中有 ちゅうう 果 はて 論 ろん に従 したが って残 のこ りの原理 げんり が展開 てんかい し、「束縛 そくばく されたシヴァ」が個我 こが (ジーヴァ)として顕現 けんげん するとした。人間 にんげん は個我 こが を形成 けいせい するレベルの低 てい 次 つぎ のシャクティによって体 からだ を維持 いじ しており、会 かい 陰部 いんぶ に「クンダリニー」(とぐろを巻 ま いた蛇 へび )として眠 ねむ るこのシャクティをハタ・ヨーガによって目覚 めざ めさせ、頭頂 とうちょう にあるとされる「至高 しこう のシヴァ神 しん 」の元 もと に上 のぼ らせ、この二元 にげん を合一 ごういつ させ至高 しこう の歓喜 かんき を得 え ることを説 と いた。マッツェーンドラナートはヨーガの実 じつ 修 おさむ に女性 じょせい を伴 ともな い禁忌 きんき とされた五 ご 種 しゅ の物質 ぶっしつ を使用 しよう する左 ひだり 道 どう 派 は となったが、ゴーラクシャナータが師 し をそこから救 すく い出 だ したと伝 つた えられ、左 ひだり 道 どう 化 か していたヨーガ行 ぎょう を純化 じゅんか し立 た ち直 なお らせた業績 ぎょうせき を讃 たた える伝承 でんしょう であると思 おも われる。ナータ派 は は仏教 ぶっきょう とシヴァ派 は が混 こん 然 しか となったような形態 けいたい で、正統 せいとう 派 は のヒンドゥー教 きょう の儀礼 ぎれい や巡礼 じゅんれい を形式 けいしき 主義 しゅぎ と批判 ひはん したこともあり、社会 しゃかい における階層 かいそう は低 ひく い。バクティの在家 ありいえ の宗教 しゅうきょう 詩人 しじん たちは、ナータ派 は の思想 しそう の流 なが れを汲 く んでいる。
ハタ・ヨーガの考 かんが え方 かた の基礎 きそ には、性的 せいてき エネルギーの変換 へんかん と昇華 しょうか によって悟 さと りに至 いた るという考 かんが え方 かた がみられ、人間 にんげん の体 からだ にあるチャクラという見 み えない輪 わ に意識 いしき を集中 しゅうちゅう して瞑想 めいそう し、低級 ていきゅう な性的 せいてき エネルギーである「オジャズ」(生理学 せいりがく 的 てき に解釈 かいしゃく するなら「精液 せいえき 」)を宇宙 うちゅう 的 てき な創造 そうぞう の力 ちから である「シャクティ (性 せい 力 りょく )」に変換 へんかん することを原則 げんそく とする。人体 じんたい を宇宙 うちゅう と同一 どういつ 視 し し、ヨーガによって人体 じんたい に眠 ねむ るクンダリニー の蛇 へび (シャクティ)を目覚 めざ めさせ、シャクティとシヴァ を合一 ごういつ させることで梵我一如 いちにょ を実体験 じつたいけん し、解脱 げだつ することを目指 めざ し、これはタントラ・ヨーガと呼 よ ばれる。
ハタ・ヨーガでは、人間 にんげん の強 つよ い性的 せいてき な欲望 よくぼう は、神 かみ 々の境地 きょうち に昇華 しょうか されるためのエネルギーと位置付 いちづ けられ、肯定 こうてい されている。シャクティとシヴァの合体 がったい はしばしばセックスにたとえられ、またはセックスそのものであるとされ、タントラ・ヨーガはセックス・ヨーガとも呼 よ ばれる。タントラを構成 こうせい する4つの主要 しゅよう な要素 ようそ として、礼拝 れいはい の次第 しだい に関 かん する「チャリヤー」、神像 しんぞう や寺院 じいん の作成 さくせい に関 かん する「クリヤー」、セックス・ヨーガの実践 じっせん に必要 ひつよう な心身 しんしん を準備 じゅんび するための「ヨーガ」、セックス・ヨーガやヤントラ (英語 えいご 版 ばん ) 、マントラ (真言 しんごん )などを用 もち いて宇宙 うちゅう 精神 せいしん そのものを直接 ちょくせつ 認識 にんしき し、自身 じしん を神 かみ そのものと同一 どういつ 化 か して神 かみ を供養 くよう する「ジュニャーナ」がある。経典 きょうてん には実際 じっさい の性行為 せいこうい を含 ふく む儀礼 ぎれい が記載 きさい されている。ただし、そうした性 せい 儀式 ぎしき が文字通 もじどお りに実践 じっせん されていたかは不明 ふめい であり、否定 ひてい 的 てき な見方 みかた もある。
他 た に中世 ちゅうせい ヒンドゥー教 きょう のヨーガの流派 りゅうは としては、古典 こてん ヨーガの流 なが れを汲 く むラージャ・ヨーガ、社会 しゃかい 生活 せいかつ を通 つう じて解脱 げだつ を目指 めざ すカルマ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) (カルマ・マールガ、行為 こうい の道 みち )、哲学 てつがく 的 てき な思索 しさく の道 みち であるジュニャーナ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) (ジュニャーナ・マールガ、知識 ちしき の道 みち )があるとされる(カルマ・マールガ、バクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガは19世紀 せいき 末 まつ にヴィヴェーカーナンダ によって、『バガヴァッド・ギーター 』の三 みっ つのヨーガとして提示 ていじ された)。
8世紀 せいき にはイスラームのインドへの波及 はきゅう が始 はじ まり、11世紀 せいき のガズナ朝 あさ から本格 ほんかく 化 か 、16世紀 せいき のムガール帝国 ていこく がほぼ北 きた インドを征服 せいふく した[ 148] 。仏教 ぶっきょう は僧院 そういん 中心 ちゅうしん 主義 しゅぎ であり、世俗 せぞく 的 てき な儀礼 ぎれい にも否定 ひてい 的 てき であったことから、ヒンドゥー教 きょう 隆盛 りゅうせい の一方 いっぽう 世俗 せぞく の世界 せかい での魅力 みりょく を失 うしな い、仏教 ぶっきょう 再興 さいこう の試 こころ みもあったが、イスラームのインド侵攻 しんこう で僧院 そういん が破壊 はかい されると、インドでは急速 きゅうそく に衰退 すいたい した。北 きた インドでは10世紀 せいき からイスラーム政権 せいけん による実質 じっしつ 支配 しはい が続 つづ き、イスラーム神秘 しんぴ 主義 しゅぎ のスーフィー の活動 かつどう がバクティ運動 うんどう と結 むす びついてインドで受 う け入 い れられた[ 148] 。また、イスラームの「アッラーの前 まえ にすべての人間 にんげん は平等 びょうどう である」という教 おし えは、インドの民衆 みんしゅう にとって、カースト やヒンドゥー教 きょう と結 むす びついたさまざまな習慣 しゅうかん による抑圧 よくあつ から解放 かいほう してくれるという面 めん もあり、インドにおけるイスラームを一概 いちがい に否定 ひてい 的 てき のとらえることはできない[ 148] 。イスラーム商人 しょうにん との交易 こうえき で都市 とし が広 ひろ がり、ムガール帝国 ていこく ではインド=イスラーム文化 ぶんか が栄 さか えた[ 148] 。ムガール帝国 ていこく は19世紀 せいき まで存続 そんぞく した。
18世紀 せいき 後半 こうはん の時点 じてん で、インドにおけるサンスクリット 語 かたり や聖典 せいてん 、古典 こてん の研究 けんきゅう は事実 じじつ 上 じょう 途絶 とだ えており、サンスクリット語 ご を理解 りかい できる人 ひと はほとんどいなくなっていた。19世紀 せいき 半 なか ばには、インドの伝統 でんとう 的 てき なヨーガの実践 じっせん と、『ヨーガ・スートラ』の体系 たいけい のつながりはすでになくなっており、古典 こてん ヨーガの体系 たいけい について教 おし えることのできるインド人 じん の学者 がくしゃ はいなかったという。インドはイギリスの植民 しょくみん 地 ち として支配 しはい 下 か に置 お かれ、インド人 じん 知識 ちしき 人 じん たちはそこから抜 ぬ け出 だ そうともがき、西欧 せいおう 人 じん に蔑視 べっし されるインドにも誇 ほこ れる文化 ぶんか があることを示 しめ そうと、西洋 せいよう の知的 ちてき 伝統 でんとう によってインド哲学 てつがく のヨーガ学派 がくは 、古典 こてん ヨーガの有効 ゆうこう 性 せい を示 しめ そうと試 こころ み、『ヨーガ・スートラ』はインドの文化 ぶんか 的 てき ナショナリズムと関 かか わる形 かたち で注目 ちゅうもく され、復権 ふっけん し、重視 じゅうし されるようになった。
インドには、ヨーガで心身 しんしん を鍛 きた えた戦闘 せんとう 的 てき サンニヤーシン(托鉢 たくはつ 修行 しゅぎょう 僧 そう 、遊行 ゆぎょう 者 しゃ )の長 なが い伝統 でんとう があり、ハタ・ヨーガと武術 ぶじゅつ 訓練 くんれん とは結 むす びついていた。15世紀 せいき 頃 ごろ にナータ派 は から武装 ぶそう した宗教 しゅうきょう 集団 しゅうだん が登場 とうじょう した。彼 かれ らはカーストにも社会 しゃかい 秩序 ちつじょ にも縛 しば られず野放図 のほうず な振 ふ る舞 ま いをし、異様 いよう とも見 み える苦行 くぎょう で心身 しんしん を鍛 きた え、裸体 らたい で武器 ぶき をもって略奪 りゃくだつ を行 おこな った。交易 こうえき ルートを支配 しはい して、18世紀 せいき にはムガール帝国 ていこく からインドの支配 しはい 権 けん を奪 うば いつつあったイギリス東 ひがし インド会社 かいしゃ を脅 おびや かすほどの勢力 せいりょく となっていた。伊藤 いとう 武 たけし は、マーク・シングルトンは彼 かれ らを武装 ぶそう したヨーギーの集団 しゅうだん としているが、ナータ派 は に帰依 きえ した土豪 どごう の兵 へい というのが正 ただ しいと思 おも われ、イギリスの侵略 しんりゃく に対 たい する抵抗 ていこう 運動 うんどう であると述 の べている[ 153] 。ナータ派 は 武装 ぶそう 集団 しゅうだん による略奪 りゃくだつ 行為 こうい 、抵抗 ていこう 運動 うんどう は失敗 しっぱい に終 お わった[ 153] 。
棘 とげ の上 うえ に座 すわ り苦行 くぎょう を見 み せるヨーギー
ヨーギーは支配 しはい 層 そう からは忌 い み嫌 きら われ恐 おそ れられ、1773年 ねん にはベンガル で最初 さいしょ にヨーギーの放浪 ほうろう が規制 きせい されて、警察 けいさつ の監視 かんし 下 か で非 ひ 武装 ぶそう 化 か と定住 ていじゅう 化 か が促進 そくしん されるようになり、ヨーガはサーカスのような見世物 みせもの として生 い き延 の び、怪力 かいりき や綱渡 つなわた り、心臓 しんぞう 停止 ていし などがヨーガとして行 おこな われていた。インドを訪 おとず れたヨーロッパ人 じん たちには、貧 まず しく奇妙 きみょう ないでたちのヨーギー達 たち は、物乞 ものご いや貧民 ひんみん と区別 くべつ できず、ヨーギーはしばしば黒 くろ 魔術 まじゅつ 、性的 せいてき 放蕩 ほうとう 、不潔 ふけつ さ、飢餓 きが などのイメージがもたれ、これはヨーロッパ人 じん が暗黒 あんこく 時代 じだい と呼 よ ぶ中世 ちゅうせい ヨーロッパのイメージとも重 かさ なるものがあったようである。イギリス人 じん や西洋 せいよう 的 てき 教育 きょういく を受 う けたインド人 じん の知識 ちしき 人 じん から見 み れば、ヨーギーは「曲芸 きょくげい を見 み せてお金 かね を取 と り、淫 みだ らな悪巧 わるだく みをする社会 しゃかい 的 てき パラサイト」であった。これらの行者 ぎょうじゃ のなかには、かなり暴力 ぼうりょく 的 てき な方法 ほうほう で物乞 ものご いをする者 もの 達 たち もおり、一般 いっぱん の人々 ひとびと から恐 おそ れられていたという。正統 せいとう 派 は ヒンドゥー教徒 きょうと 、西洋 せいよう 人 じん やインド人 じん の知識 ちしき 人 じん たちからは、社会 しゃかい の寄生虫 きせいちゅう として蔑視 べっし され、インド文化 ぶんか の陰 かげ の部分 ぶぶん として忌 い まれていた。
ヴィヴェーカーナンダ
オーロビンド・ゴーシュ
マーク・シングルトンによれば、こうした経緯 けいい により近代 きんだい インドでは、ハタ・ヨーガは望 のぞ ましくない、危険 きけん なものとして避 さ けられる傾向 けいこう にあった。ヨーロッパの人々 ひとびと は、現在 げんざい ではラージャ・ヨーガと呼 よ ばれる古典 こてん ヨーガやヴェーダーンタなどの思想 しそう には東洋 とうよう の深遠 しんえん な知 ち の体系 たいけい として高 たか い評価 ひょうか を与 あた えたが、行法 ぎょうほう としてのヨーガとヨーガ行者 ぎょうじゃ には不審 ふしん の眼 め を向 む けた。それは、17世紀 せいき 以降 いこう インドを訪 おとず れた欧州 おうしゅう の人々 ひとびと が遭遇 そうぐう した現実 げんじつ のハタ・ヨーガの行者 ぎょうじゃ 等 とう が、不潔 ふけつ と奇妙 きみょう なふるまい、悪 あ しき行為 こうい 、時 とき には暴力 ぼうりょく 的 てき な行為 こうい におよんだことなどが要因 よういん であるという。インド研究 けんきゅう の第一人者 だいいちにんしゃ マックス・ミュラー は、ハタ・ヨーガのポーズを自 みずか らへの「拷問 ごうもん 」と呼 よ んで糾弾 きゅうだん し、文献 ぶんけん のなかのサーンキヤ学派 がくは やヴェーダーンータ学派 がくは の深遠 しんえん な哲学 てつがく から卑俗 ひぞく な実践 じっせん へと退化 たいか しており、「ハタ・ヨーガ」の「いかさま行者 ぎょうじゃ 」達 たち こそ、本来 ほんらい のヨーガ思想 しそう を堕落 だらく させたと批判 ひはん した。
インド人 じん は、こうしたヨーガの負 まけ のイメージを払拭 ふっしょく しようと様々 さまざま に努力 どりょく した。ヴィヴェーカーナンダ やオーロビンド・ゴーシュ 、ラマナ・マハルシ ら近代 きんだい の聖者 せいじゃ とされる指導 しどう 者 しゃ たちは、ラージャ・ヨーガやバクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどのみを語 かた っていて、高度 こうど に精神 せいしん 的 てき な働 はたら きや鍛錬 たんれん のことだけを対象 たいしょう としており、ハタ・ヨーガは危険 きけん か浅薄 せんばく なものとして扱 あつか われた[ † 8] 。このように、19世紀 せいき 末 まつ から20 世紀 せいき 初頭 しょとう において、身体 しんたい 技法 ぎほう としてのヨーガの実践 じっせん は、西洋 せいよう 人 じん にとっては深遠 しんえん な教 おし えの堕落 だらく であり、先進 せんしん 的 てき なインド人 じん にとっては取 と り除 のぞ きたい過去 かこ の遺物 いぶつ という扱 あつか いだった。
『現代 げんだい ヨーガの歴史 れきし (A History of Modern Yoga )』の著者 ちょしゃ で宗教 しゅうきょう 学者 がくしゃ のエリザベス・ド・ミシェリス(Elizabeth de Michelis)は、主 おも にインドの宗教 しゅうきょう に関心 かんしん のある西洋 せいよう 人 じん と西洋 せいよう の影響 えいきょう を受 う けたインド人 じん との相互 そうご 作用 さよう によって過去 かこ 150年間 ねんかん に形成 けいせい されたヨーガの潮流 ちょうりゅう を「現代 げんだい ヨーガ」(modern yoga)と呼 よ び、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー (おそらく超絶 ちょうぜつ 主義 しゅぎ 者 しゃ ラルフ・ワルド・エマーソン の図書 としょ 室 しつ でヨーガを知 し ったと思 おも われる)が「私 わたし もヨーギーである」と友人 ゆうじん への手紙 てがみ に書 か いた1849年 ねん と、ヴィヴェーカーナンダが『ラージャ・ヨーガ』を出版 しゅっぱん した1896年 ねん を、「現代 げんだい 的 てき ヨーガ」の重要 じゅうよう の節目 ふしめ であるとみなしている[ 158] [ 159] [ 160] 。
西洋 せいよう で講演 こうえん し人気 にんき を博 はく したヴィヴェーカーナンダは、シャンカラ 的 てき な幻想 げんそう 主義 しゅぎ 的 てき 一元論 いちげんろん のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ 思想 しそう (不 ふ 二 に 一元論 いちげんろん )に基 もと づく普遍 ふへん 主義 しゅぎ 的 てき な教 おし えを説 と き、「インド人 じん には鉄 てつ の筋肉 きんにく と鉄 てつ の心 しん が欠 か けている」として身体 しんたい 鍛錬 たんれん 文化 ぶんか を支持 しじ し、西洋 せいよう を外遊 がいゆう しインドに帰国 きこく した後 のち 「筋肉 きんにく 的 てき ヒンドゥー教 きょう 」ともいえる立場 たちば を取 と り、影響 えいきょう を与 あた えた。
また、インド独立 どくりつ 運動 うんどう の志士 しし であったオーロビンド・ゴーシュ (1872 - 1950)は、シャンカラ的 てき なアドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想 しそう に基 もと づいて、絶対 ぜったい 者 しゃ ブラフマン を有 ゆう ・知 ち ・歓喜 かんき が統合 とうごう されたものであると考 かんが え、インテグラル(綜合 そうごう )・ヨーガを創始 そうし した。彼 かれ はインドの精神 せいしん 的 てき 伝統 でんとう の正統 せいとう な後継 こうけい 者 しゃ を自任 じにん したが、インド嫌 ぎら いの父 ちち によって完全 かんぜん に英語 えいご でイギリス風 ふう の教育 きょういく を受 う け、大学生 だいがくせい になるまでインド的 てき なものに触 ふ れる機会 きかい がなく、彼 かれ のヨーガは西洋 せいよう の進歩 しんぽ 的 てき 歴史 れきし 観 かん 、当時 とうじ 西洋 せいよう で流行 りゅうこう していた俗説 ぞくせつ 的 てき 進化 しんか 論 ろん をベースにしている。人類 じんるい はブラフマンをヨーガによって体験 たいけん することで、自己 じこ が変容 へんよう してさらなる進化 しんか を遂 と げ超人 ちょうじん になることができ、病気 びょうき や苦痛 くつう 、死 し から解放 かいほう され、あの世 よ や天国 てんごく ではなくこの世 よ で天国 てんごく 的 てき な永遠 えいえん の生 せい を得 え ることができると説 と いた。このような超人 ちょうじん が世 よ に増 ふ えることで、世界 せかい が救済 きゅうさい されるという。オーロビンドは国際 こくさい 的 てき に有名 ゆうめい となり、アジア東洋 とうよう 学院 がくいん の教授 きょうじゅ ハリダース・チョードリ (英語 えいご 版 ばん ) によってアメリカでわかりやすく紹介 しょうかい された。
左 ひだり からスワミ・サッチダーナンダ (英語 えいご 版 ばん ) 、B.K.S.アイアンガー 、アムリット・デサイ (英語 えいご 版 ばん ) 、クマラ・スワミ、ディレンドラ・ブラフマチャリ (英語 えいご 版 ばん ) 、B・I・アートレーヤ博士 はかせ 。科学 かがく 的 てき ヨーガに関 かん する世界 せかい 会議 かいぎ (the World Conference on Scientific Yoga)、1970年 ねん 、ニューデリー
多 おお くのヨーガの流派 りゅうは で行 おこな われている弓 ゆみ のポーズ。1934年 ねん のシヴァーナンダ (英語 えいご 版 ばん ) の本 ほん により広 ひろ く普及 ふきゅう した[ 166] 。
19世紀 せいき 後半 こうはん から20世紀 せいき 前半 ぜんはん に、西洋 せいよう で身体 しんたい 鍛錬 たんれん (英語 えいご 版 ばん ) 運動 うんどう が発達 はったつ し、20世紀 せいき 初 はじ めまでに植民 しょくみん 地下 ちか のインドにスウェーデン体操 たいそう などの西洋 せいよう 式 しき 体操 たいそう が導入 どうにゅう された。アーサナを健康 けんこう 体操 たいそう としてとらえようとする動 うご きが生 しょう じ、アーサナがスウェーデン体操 たいそう などと比較 ひかく して解説 かいせつ され、またヨーガをボディビル として、ボディビルをヨーガとして捉 とら えようとする者 もの もあらわれた。身体 しんたい 鍛錬 たんれん 運動 うんどう に由来 ゆらい するさまざまなポーズ(アーサナ )がインド独自 どくじ のものとして「ハタ・ヨーガ」の名 な によって体系 たいけい 化 か されたが、この時点 じてん では、西洋 せいよう 的 てき な体操 たいそう 的 てき 技法 ぎほう をインド古来 こらい の文化 ぶんか のなかから見出 みいだ して編纂 へんさん した「インド流 りゅう スウェーデン体操 たいそう 」のようなものだった。このヨーガ体操 たいそう が近 きん 現代 げんだい のヨーガのベースとなっており、現在 げんざい 世界中 せかいじゅう に普及 ふきゅう しているヨーガは、この新 あたら しい「現代 げんだい のハタ・ヨーガ」がベースとなっている。現代 げんだい ヨーガの立役者 たてやくしゃ のひとりであるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ (英語 えいご 版 ばん ) (1888年 ねん - 1989年 ねん )は、アーサナを西洋 せいよう 式 しき 体操 たいそう に取 と り入 い れたハリー・クロウ・バック (英語 えいご 版 ばん ) らのYMCA の体育 たいいく 教育 きょういく の影響 えいきょう も受 う け、西洋 せいよう 式 しき 体操 たいそう を取 と り入 い れてハタ・ヨーガの技法 ぎほう としてアレンジした[ 43] [ † 9] 。
インド伝統 でんとう のエクササイズ(健康 けんこう 体操 たいそう )と喧伝 けんでん されることで、アーサナが中心 ちゅうしん となったハタ・ヨーガの名前 なまえ が近 きん 現代 げんだい に復権 ふっけん することになった。医療 いりょう 人類 じんるい 学者 がくしゃ のジョセフ・アルター (英語 えいご 版 ばん ) は、体 からだ を動 うご かす運動 うんどう としてのヨーガの発展 はってん に、ヒンドゥー至上 しじょう 主義 しゅぎ の民族 みんぞく 義勇 ぎゆう 団 だん の影響 えいきょう があると指摘 してき している。
バンキム・チャンドラ・チャートパーディヤーエ (英語 えいご 版 ばん ) の愛国 あいこく 小説 しょうせつ 『アノンドの僧院 そういん (英語 えいご 版 ばん ) 』(1884年 ねん )やV・D・サヴァルカール (英語 えいご 版 ばん ) のノンフィクション『1857年 ねん インド独立 どくりつ 戦争 せんそう (セポイの乱 らん )』(1908年 ねん )などの作品 さくひん もあり、外国 がいこく の勢力 せいりょく と戦 たたか うヨーギーのイメージは高 たか まった。身体 しんたい 文化 ぶんか の活動 かつどう 家 か でヨーガで鍛 きた え怪力 かいりき を得 え たというK・ラマムルティ (英語 えいご 版 ばん ) や世界 せかい チャンピオンになったインド人 じん レスラーは、自由 じゆう への闘争 とうそう の英雄 えいゆう 的 てき シンボルになった。ヨーガ、身体 しんたい 文化 ぶんか の実践 じっせん 者 しゃ たちは、西洋 せいよう の身体 しんたい 文化 ぶんか とインドの伝統 でんとう 的 てき な鍛練 たんれん 法 ほう であるヨーガを融合 ゆうごう し、それを身体 しんたい 文化 ぶんか と見 み ることもあれば、ヨーガと捉 とら えることもあり、全 すべ てインド由来 ゆらい と主張 しゅちょう しインドの身体 しんたい 文化 ぶんか の方法 ほうほう の優越 ゆうえつ 性 せい を説 と くこともあった。ヨーガの指導 しどう 、練習 れんしゅう は戦闘 せんとう 訓練 くんれん の隠 かく れ蓑 みの としても行 おこな われた。
2016年 ねん 、ユネスコ が推進 すいしん する無形 むけい 文化 ぶんか 遺産 いさん にインド申請 しんせい 枠 わく で登録 とうろく された[ 168] 。それに先立 さきだ つ2014年 ねん 、モディ政権 せいけん は政府 せいふ に「ヨーガ・アーユルヴェーダ・伝統 でんとう 医学 いがく 担当 たんとう 省 しょう 」(AYUSH省 しょう )[ † 10] を設立 せつりつ するとともに、国連 こくれん 加盟 かめい 各国 かっこく に働 はたら きかけて夏至 げし の6月 がつ 21日 にち を「国際 こくさい ヨガの日 ひ 」として国連 こくれん 総会 そうかい で定 さだ めることに成功 せいこう した[ 169] 。インドの身体 しんたい 文化 ぶんか の世界 せかい 的 てき 盛況 せいきょう は、年間 ねんかん 約 やく 450万 まん 人 にん の外国 がいこく 人 じん 観光 かんこう 客 きゃく が訪 おとず れるインド国内 こくない の観光 かんこう 産業 さんぎょう にも波及 はきゅう しており、インド政府 せいふ は観光 かんこう 資源 しげん の最大 さいだい の目玉 めだま と位置 いち づけ、「国家 こっか プロジェクト」として、旅行 りょこう 者 しゃ の誘致 ゆうち をしている[ 170] 。インド政府 せいふ 観光 かんこう 局 きょく のキャンペーン・ポスターには、ヨーガのポーズをした女性 じょせい の写真 しゃしん が使 つか われることが多 おお くなっている。
グローバルに展開 てんかい する現代 げんだい のヨーガの流行 りゅうこう は、ヨーガの発祥 はっしょう 地 ち であるインドにも影響 えいきょう を与 あた えている。インドにおいてヨーガは伝統 でんとう 的 てき に、宗教 しゅうきょう の修行 しゅぎょう 者 しゃ やヒンドゥー教 きょう の僧侶 そうりょ 、上位 じょうい カーストのバラモン階級 かいきゅう などにほぼ限定 げんてい された宗教 しゅうきょう 文化 ぶんか であり、インドでは修行 しゅぎょう 者 しゃ のような一部 いちぶ の人々 ひとびと に実践 じっせん され、一般 いっぱん の人々 ひとびと からは近寄 ちかよ りがたく思 おも われ敬遠 けいえん されていた。近年 きんねん 、欧米 おうべい の流行 りゅうこう からの逆 ぎゃく 輸入 ゆにゅう としてヨーガが再 さい 評価 ひょうか され、肥満 ひまん 問題 もんだい の深刻 しんこく 化 か する都市 とし 部 ぶ の新興 しんこう 富裕 ふゆう 層 そう や中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう を中心 ちゅうしん に、ヨーガのリバイバルが起 お きている[ 170] 。ヨーガ指導 しどう 者 しゃ のラムデヴ (英語 えいご 版 ばん ) (1965年 ねん - )は、ヨーガの難解 なんかい な理論 りろん をあえて避 さ けてわかりやすく教 おし えを説 と き、簡単 かんたん なポーズを1日 にち 30分 ふん 実践 じっせん する手法 しゅほう を提案 ていあん して健康 けんこう やストレス解消 かいしょう を求 もと める中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう を取 と り込 こ んで、ヨーガを一般 いっぱん の人々 ひとびと に広 ひろ めた。彼 かれ は、経験 けいけん 豊富 ほうふ な師 し から指導 しどう を受 う けるべき非 ひ 初心者 しょしんしゃ 向 む けの秘 ひ 儀 ぎ 的 てき 実践 じっせん と考 かんが えられてきた複雑 ふくざつ なプラーナ―ヤーマ等 とう を、慣例 かんれい を破 やぶ ってヨーガ・キャンプで初心者 しょしんしゃ に教 おし えた。糖尿 とうにょう 病 びょう やエイズ、がんを患 わずら う人 ひと に、現代 げんだい 治療 ちりょう を受 う け高 たか い治療 ちりょう 費 ひ を払 はら うよりプラーナ―ヤーマを実践 じっせん することを勧 すす めた。アーユルヴェーダ ビジネスを積極 せっきょく 的 てき に展開 てんかい し、何 なん 百 ひゃく 万 まん ものインド人 じん が彼 かれ のアーユルヴェーダ薬 やく を利用 りよう しており、ヨーガ道場 どうじょう や薬局 やっきょく チェーンの経営 けいえい で約 やく 200億 おく 円 えん の事業 じぎょう 収入 しゅうにゅう を持 も つといわれる[ 171] 。人々 ひとびと がラムデヴに教 おそ わったヨーガでよい効果 こうか があったと語 かた ることで、彼 かれ の「病 やまい を治癒 ちゆ する」という権威 けんい が高 たか まり、現代 げんだい インドのヨーガのカリスマとなった。彼 かれ はテレビでもヨーガを教 おし え、インドのテレビ業界 ぎょうかい で最 もっと も視聴 しちょう 率 りつ を稼 かせ ぐことができる人物 じんぶつ の一人 ひとり とみなされている。
欧米 おうべい で改良 かいりょう されたエクササイズ的 てき なヨーガは、今日 きょう ではインドでも広 ひろ く受 う け入 い れられており、インド都市 とし 部 ぶ の中 なか 間 あいだ 層 そう 向 む けのヨーガ教室 きょうしつ やフィットネスジムは、「NY 直輸入 ちょくゆにゅう 」「NY スタイル」「ハリウッドスタイル」等 とう と称 しょう して人気 にんき を集 あつ め、街 まち の書店 しょてん ではヨーガのDVDやアメリカのヨーガ専門 せんもん 誌 し が並 なら んでいる[ 170]
また、現代 げんだい ではインドのカトリック教会 きょうかい でもヨーガが取 と り入 い れられ、クリスチャン・ヨーガとして実践 じっせん されている。
インドで段階 だんかい 的 てき に発展 はってん した仏教 ぶっきょう は中国 ちゅうごく に伝 つた えられたが、距離 きょり がかなり離 はな れているため、インドの各 かく 教団 きょうだん の思想 しそう や行法 ぎょうほう は随時 ずいじ 伝 つた わらず、時 とき 系列 けいれつ やコンテクストが分 わ からない状態 じょうたい で、脈絡 みゃくらく なく伝来 でんらい した。中国 ちゅうごく では、いわば無秩序 むちつじょ に伝 つた わった仏教 ぶっきょう を整理 せいり して、理解 りかい できるよう再 さい 編成 へんせい する必要 ひつよう があった。文献 ぶんけん 中心 ちゅうしん で流入 りゅうにゅう したため、ヨーガ行 ぎょう (定 じょう 、修行 しゅぎょう 法 ほう )がどれだけ正確 せいかく に伝 つた えられ、実践 じっせん され理解 りかい されたのかはわからない。仏教 ぶっきょう の基本 きほん は戒 (日常 にちじょう での実践 じっせん 的 てき 規律 きりつ )、定 じょう (ヨーガ行 ぎょう )、慧 とし (仏教 ぶっきょう 哲学 てつがく の理論 りろん )の三 さん 学 がく を学 まな ぶことであり、定 じょう を経 へ なければ戒も慧 とし も意味 いみ がないが、文献 ぶんけん によって修行 しゅぎょう 法 ほう の統一 とういつ 性 せい ・一貫 いっかん 性 せい がなく、いかに定 じょう (禅 ぜん 、禅定 ぜんじょう )の体系 たいけい を確立 かくりつ するかというのが中国 ちゅうごく 仏教 ぶっきょう の重要 じゅうよう の課題 かだい だった。天台宗 てんだいしゅう の開祖 かいそ 智 さとし 顗 (538-597年 ねん )らは、中国人 ちゅうごくじん の思想 しそう を通 とお して経典 きょうてん の教 おし えの深 ふか さを計 はか って体系 たいけい 化 か して再 さい 統合 とうごう を行 おこな い(これを教 きょう 判 ばん という)、中国 ちゅうごく の大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう の修行 しゅぎょう 法 ほう を体系 たいけい 化 か し、定 じょう 学 がく を発展 はってん させていった。
智 さとし 顗はヨーガや禅 ぜん 那 な 、三昧 ざんまい ではなく「止観 しかん 」という言葉 ことば を重視 じゅうし し、インド仏教 ぶっきょう で行 おこな われていた実践 じっせん 的 てき な修行 しゅぎょう 法 ほう の全 すべ てを止観 しかん として統合 とうごう したため、止観 しかん が中国 ちゅうごく 仏教 ぶっきょう においてヨーガの瞑想 めいそう を象徴 しょうちょう する重要 じゅうよう な用語 ようご 、東 ひがし アジア仏教 ぶっきょう を代表 だいひょう する瞑想 めいそう (修行 しゅぎょう )法 ほう となった。仏教 ぶっきょう は中国 ちゅうごく で道教 どうきょう と儒教 じゅきょう と密接 みっせつ な関係 かんけい をもって土着 どちゃく 化 か し、涅槃 ねはん の目的 もくてき は仏性 ぶっしょう を得 え ることであるとされるようになった。天台宗 てんだいしゅう の修行 しゅぎょう 法 ほう は、中国 ちゅうごく で6世紀 せいき までに普及 ふきゅう していた陰陽 いんよう 五 ご 行 ぎょう 説 せつ に基 もと づく気 き の生理学 せいりがく ・身体 しんたい 観 かん をベースに、インドの四大 しだい 理論 りろん (三 さん 大 だい 理論 りろん )に基 もと づく身体 しんたい 観 かん が統合 とうごう されている。
また、禅宗 ぜんしゅう が隆盛 りゅうせい したことで、「禅 ぜん 」という用語 ようご も東 ひがし アジアの仏教 ぶっきょう で、瞑想 めいそう や悟 さと りの境地 きょうち を表 あらわ す重要 じゅうよう な言葉 ことば になった。禅 ぜん は道教 どうきょう (老 ろう 荘 そう 思想 しそう )の影響 えいきょう を受 う けて、徐々 じょじょ にインド的 てき 要素 ようそ を基礎 きそ としながらも、その制約 せいやく から離 はな れて独自 どくじ に発展 はってん した。禅 ぜん は瞑想 めいそう の宗派 しゅうは であり、悟 さと りの方法 ほうほう として直感 ちょっかん を信頼 しんらい し、瞑想 めいそう の実 じつ 修 おさむ を究極 きゅうきょく の真理 しんり への手段 しゅだん として他 ほか の宗派 しゅうは より特 とく に重視 じゅうし する。禅宗 ぜんしゅう では、涅槃 ねはん の目的 もくてき である仏性 ぶっしょう は言語 げんご 表現 ひょうげん を超 こ えるものであり、恣意 しい 的 てき に求 もと めて得 え ることはできないとされ、一切 いっさい に思慮 しりょ 分別 ふんべつ を捨 す てた禅 ぜん の実 じつ 修 おさむ により、究極 きゅうきょく の真理 しんり である空 そら に到達 とうたつ できるとした。禅 ぜん はアーサナ(坐 すわ 法 ほう )を前提 ぜんてい に行 おこな われたことから、座禅 ざぜん と呼 よ ばれるようになったと言 い われる。中国 ちゅうごく での禅宗 ぜんしゅう の拡大 かくだい により、止観 しかん も広 ひろ い意味 いみ で禅 ぜん の一部 いちぶ に組 く み込 こ まれた。
8世紀 せいき ごろには、インドからヒンドゥー教 きょう ヨーガと融合 ゆうごう 関係 かんけい にある密教 みっきょう が入 はい ったが、中国 ちゅうごく ではあまり受 う け入 い れられず、中国 ちゅうごく から伝 つた わった日本 にっぽん の方 ほう が影響 えいきょう が大 おお きかった。
ヨーガのもう一 ひと つの形態 けいたい である念仏 ねんぶつ や観 かん 仏 ほとけ といったヨーガは、浄土 じょうど 教 きょう 団 だん によって重視 じゅうし され、禅 ぜん と念仏 ねんぶつ は別々 べつべつ の行法 ぎょうほう として行 おこな われるようになった。
この
節 ふし の
加筆 かひつ が
望 のぞ まれています。
(2020年 ねん 10月 がつ )
この
節 ふし の
加筆 かひつ が
望 のぞ まれています。
(2020年 ねん 10月 がつ )
ラマナ・マハルシ
チャールズ・W・レッドビーター
近世 きんせい に入 はい って、インドが西欧 せいおう の文化 ぶんか に接触 せっしょく すると、ヒンドゥー教 きょう に改革 かいかく の機運 きうん が生 しょう じ、ブラフモ・サマージ 、アーリヤ・サマージ 、神 かみ 智学 ちがく 協会 きょうかい がつくられ、さらに19世紀 せいき には現在 げんざい でも知 し られるヨーガ行者 ぎょうじゃ が何人 なんにん も現 あらわ れた。また、キリスト教 きょう の異端 いたん 的 てき 潮流 ちょうりゅう であるニューソートの実践 じっせん 家 か で心霊 しんれい 研究 けんきゅう 家 か 、弁護士 べんごし のアメリカ人 じん ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン (英語 えいご 版 ばん ) (1862年 ねん - 1932年 ねん )は、ヨギ・ラマチャラカのペンネームでインド人 じん を偽 いつわ り、西洋 せいよう のオカルティズムの生命 せいめい エネルギー概念 がいねん 、ニューソート思想 しそう 、メスメリズム (動物 どうぶつ 磁気 じき 療法 りょうほう )などの思想 しそう をベースに、インド思想 しそう の用語 ようご を使 つか い、伝統 でんとう 的 てき なハタ・ヨーガの技法 ぎほう 、当時 とうじ の欧米 おうべい の健康 けんこう 法 ほう (運動 うんどう 食事 しょくじ や入浴 にゅうよく 法 ほう など)、体操 たいそう (北欧 ほくおう 体操 たいそう から借用 しゃくよう したと思 おも われる)など、東西 とうざい の技法 ぎほう を混 こん えて再 さい 構成 こうせい したものを「ハタ・ヨーガ」として紹介 しょうかい した。彼 かれ の著作 ちょさく はアメリカでベストセラーになっており、これがヴィヴェーカーナンダが受 う けれられた素地 そじ になっている。アトキンソンの著作 ちょさく は日本 にっぽん にも翻訳 ほんやく され、近代 きんだい 日本 にっぽん の民間 みんかん 療法 りょうほう に影響 えいきょう を与 あた えている。
ヴィヴェーカーナンダは、1893年 ねん にシカゴ万国博覧会 ばんこくはくらんかい にともない2週間 しゅうかん 近 ちか くにわたって開催 かいさい された万国 ばんこく 宗教 しゅうきょう 会議 かいぎ (英語 えいご 版 ばん ) に出席 しゅっせき し、続 つづ いて1896年 ねん 末 まつ まで欧米 おうべい 各地 かくち でインドの思想 しそう を説 と いてまわった。『バガヴァッド・ギーター 』やヨーガ学派 がくは の思想 しそう を再 さい 編成 へんせい し、ヴェーダーンタ を再 さい 解釈 かいしゃく し、単純 たんじゅん 化 か し、近代 きんだい 化 か して、ヨーガの名 な によって説 と いた(ネオ・ヴェーダーンタ (英語 えいご 版 ばん ) )。ヴィヴェーカーナンダのヨーガの最終 さいしゅう 目標 もくひょう はジュニャーナ・ヨーガ(智慧 ちえ の道 みち ) であると考 かんが えられているが、アメリカで人気 にんき となったのは、プラーナ(呼吸 こきゅう )とプラーナーヤーマ(調 しらべ 息 いき )に関 かん してハタ・ヨーガの生理学 せいりがく 的 てき 要素 ようそ を取 と り入 い れた、プラクティカルなラージャ・ヨーガ(心身 しんしん 統一 とういつ の道 みち )であった。個人 こじん が自力 じりき で霊的 れいてき な高 たか みに上 のぼ る方法 ほうほう 論 ろん として受容 じゅよう され、ロマン・ロラン によれば、人 ひと びとは「世界 せかい 征服 せいふく の幼稚 ようち 不健全 ふけんぜん な秘密 ひみつ を求 もと めて力 ちから のヨーガ‐ラージャ・ヨーガ‐に飛 と びついた」のである。
このヴィヴェーカーナンダの活動 かつどう を手始 てはじ めとして、ヨーガ行者 ぎょうじゃ たちはアメリカやヨーロッパに渡航 とこう して指導 しどう するようになり、ヨーガが欧米 おうべい の一般 いっぱん 社会 しゃかい に次第 しだい に紹介 しょうかい されるようになった。オーロビンド・ゴーシュ や、シャンカラ 的 てき なアドヴァイタ・ヴェーダーンタ 思想 しそう を学 まな ぶことなく自 みずか らの神秘 しんぴ 体験 たいけん を通 とお してその境地 きょうち に到達 とうたつ したラマナ・マハルシ などの思想 しそう も書物 しょもつ などによって欧米 おうべい に知 し られるようになった。ラマナ・マハルシのもとには、カール・グスタフ・ユング などヨーロッパの著名 ちょめい 人 じん も訪 おとず れている。
また、ニューヨークで設立 せつりつ された「神 かみ 智学 ちがく 協会 きょうかい 」は、創設 そうせつ 者 しゃ のブラヴァツキー夫人 ふじん とオルコット大佐 たいさ が、1879年 ねん にインドに本部 ほんぶ を移 うつ し[ 188] 、『ヨーガ・スートラ』などの文献 ぶんけん の翻訳 ほんやく 、チャクラなどの概念 がいねん を欧米 おうべい に紹介 しょうかい し、ヨーガへの貢献 こうけん が大 おお きかった。神智 しんち 学 がく 協会 きょうかい は、ヨーガはレムリア 大陸 たいりく やアトランティス 大陸 たいりく から伝 つた えられた霊的 れいてき 進化 しんか のための行 くだり 法 ほう であると主張 しゅちょう している。オカルト活動 かつどう の一方 いっぽう 、インド独立 どくりつ 運動 うんどう も支援 しえん した[ 190] 。
ビートルズ
ミック・ジャガー 、ブライアン・ジョーンズ 、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
ラム・ダス
近代 きんだい ヨーガは西洋 せいよう 文化 ぶんか の影響 えいきょう をうけ、体操 たいそう 的 てき な意味合 いみあ いが強 つよ くなっていたが、アメリカに渡 わた り、行 い き過 す ぎた近代 きんだい 主義 しゅぎ や西洋 せいよう 主義 しゅぎ に反発 はんぱつ し、東洋 とうよう 的 てき でスピリチュアルな実践 じっせん を求 もと めるアメリカ人 じん の影響 えいきょう を受 う け、再 ふたた びスピリチュアルな意味合 いみあ いをもつようになっていった。
1960年代 ねんだい に対抗 たいこう 文化 ぶんか がはじまり、主流 しゅりゅう 文化 ぶんか に反抗 はんこう する若者 わかもの たちは、東洋 とうよう 思想 しそう や薬物 やくぶつ 使用 しよう による脳 のう の覚醒 かくせい 、高次 こうじ への覚醒 かくせい を目指 めざ すサイケデリック に傾倒 けいとう した。60年代 ねんだい 初期 しょき にはカリフォルニアのエスリン研究所 けんきゅうじょ 等 ひとし の前衛 ぜんえい 的 てき な「成長 せいちょう センター」で、心理 しんり 劇 げき 、エンカウンターグループ 、ゲシュタルト療法 りょうほう 等 ひとし のグループ・セラピー、ホロトロピック・ブレスワーク 、ボディワーク などの心身 しんしん 技法 ぎほう と共 とも に、瞑想 めいそう やヨーガが個人 こじん 変容 へんよう ・自己 じこ 啓発 けいはつ のテクニックとして教 おし えられるようになり、これらのセンターはヒューマンポテンシャル運動 うんどう の中心 ちゅうしん となっていった。こうした潮流 ちょうりゅう から、アメリカから「ニューエイジ 運動 うんどう 」が起 お こった[ 192] 。行 い き過 す ぎた近代 きんだい 主義 しゅぎ や西洋 せいよう 中心 ちゅうしん 主義 しゅぎ に対抗 たいこう するニューエイジ・ムーヴメントは、東洋 とうよう 思想 しそう や神秘 しんぴ 主義 しゅぎ 、エコロジーなどを取 と り入 い れて、精神 せいしん 性 せい を追求 ついきゅう し、平和 へいわ や調和 ちょうわ を掲 かか げた[ 193] 。
サイケデリック文化 ぶんか の主要 しゅよう 人物 じんぶつ ティモシー・リアリー は、人類 じんるい の意識 いしき で眠 ねむ っている回路 かいろ をヨーガの訓練 くんれん やドラッグによる神経 しんけい の活性 かっせい 化 か によって目覚 めざ めさせることができ、さらに完全 かんぜん な覚醒 かくせい のためには宇宙 うちゅう への移住 いじゅう が必要 ひつよう だと説 と いた。LSD の実験 じっけん を繰 く り返 かえ したリアリーは、ドラッグ体験 たいけん をグッドトリップにするための手引 てびき 書 しょ として、チベット密教 みっきょう ニンマ派 は の経典 きょうてん 『チベット死者 ししゃ の書 しょ 』を用 もち いることを提案 ていあん し、本書 ほんしょ をヒッピーの経典 きょうてん 的 てき な存在 そんざい にした。快適 かいてき なドラッグ体験 たいけん のために、本書 ほんしょ を翻案 ほんあん してドラッグのセッションの際 さい に唱 とな える文言 もんごん を集 あつ めた書籍 しょせき を刊行 かんこう し、ヒッピーたちから絶大 ぜつだい な支持 しじ を得 え た。ヒッピーの運動 うんどう は世界 せかい に広 ひろ まり、先進 せんしん 諸国 しょこく の若者 わかもの たちはインドやネパールに大勢 おおぜい 押 お し寄 よ せ、ドラッグやフリーセックス、ヨーガや瞑想 めいそう に浸 ひた る生活 せいかつ を送 おく った。リアリーの同僚 どうりょう でユダヤ人 じん のリチャード・アルパートは、LSD体験 たいけん でこの世界 せかい は作 つく り出 だ された虚構 きょこう のゲームに過 す ぎないと悟 さと り、LSD体験 たいけん の意味 いみ を求 もと めてインドを放浪 ほうろう し、ヒンドゥー教 きょう のグルであるニーム・カロリ・ババ (英語 えいご 版 ばん ) (通称 つうしょう マハラジ)に出会 であ い、帰依 きえ した。アルパートはラム・ダス (英語 えいご 版 ばん ) と名乗 なの り、ヨーガのアーシュラムで数 すう 年 ねん 修行 しゅぎょう し、アメリカに帰国 きこく 後 ご 自 みずか らの回心 かいしん 体験 たいけん やヨーガの修行 しゅぎょう 法 ほう をまとめた『ビー・ヒア・ナウ (英語 えいご 版 ばん ) 』を出版 しゅっぱん し、ニューエイジ思想 しそう の聖典 せいてん として強 つよ い支持 しじ を得 え た。ヒッピーやニューエイジャーによるコミューンが多 おお く作 つく られたインドでは、様々 さまざま な聖者 せいじゃ 、カリスマが崇拝 すうはい され、その中 なか にはアメリカに移住 いじゅう して多 おお くの信者 しんじゃ を集 あつ めるものもおり、こうした状況 じょうきょう は「グルはインドの主要 しゅよう な輸出 ゆしゅつ 品 ひん である」と揶揄 やゆ されることもあった。
ニューエイジの初期 しょき の象徴 しょうちょう 的 てき なイベント、モントレーのフェスティバル では、インド人 じん のラヴィ・シャンカル がシタールを演奏 えんそう した。また、その規模 きぼ を拡大 かくだい したのがウッドストック・フェスティバル であった。この時代 じだい のヨーガに多大 ただい な影響 えいきょう を与 あた えたのは、ビートルズ であった。1968年 ねん にビートルズはインドに渡 わた り、超越 ちょうえつ 瞑想 めいそう を広 ひろ めたインド人 じん グルのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー が主催 しゅさい するリシケーシュ のアーシュラム(道場 どうじょう )を訪問 ほうもん し、2ヶ月 かげつ に渡 わた って瞑想 めいそう やヨーガを実践 じっせん した[ 200] 。この時 とき ビートルズは、ガールフレンドや友人 ゆうじん 、マネージャー、リポーター等 とう 総勢 そうぜい 200人 にん 以上 いじょう を引 ひ き連 つ れており、インドに渡 わた ったメディアも「ヨーガ」に注目 ちゅうもく し、流行 りゅうこう を後押 あとお しした[ 200] 。1970年代 ねんだい には、インド人 じん のビクラム・チョードリー (英語 えいご 版 ばん ) が、アメリカのビバリーヒルズにビクラムヨーガ (ホットヨーガの一種 いっしゅ )のスタジオを開設 かいせつ している。1960-70年代 ねんだい は、欧米 おうべい の第 だい 一 いち 次 じ ヨーガブームと呼 よ べるような流行 りゅうこう を見 み せ、ビートルズや彼 かれ らに注目 ちゅうもく したメディアもそれを後押 あとお しする形 かたち となった。
1980年 ねん には、ニューエイジの論客 ろんかく ケン・ウィルバー がトランスパーソナル心理 しんり 学 がく の理論 りろん 書 しょ 『アートマン・プロジェクト』を出版 しゅっぱん したが、トランスパーソナル心理 しんり 学 がく は、「宇宙 うちゅう 的 てき 存在 そんざい に触 ふ れることで本当 ほんとう の自分 じぶん に目覚 めざ める」というモチーフを骨子 こっし とするユング心理 しんり 学 がく の体系 たいけい と神 かみ 智学 ちがく 的 てき なヨーガ論 ろん を融合 ゆうごう させたものと考 かんが えられる。
ヨーガの普及 ふきゅう は先鋭 せんえい 的 てき な若者 わかもの たちに限 かぎ られていたが、当時 とうじ アメリカに600万 まん 人 にん のヨーガ人口 じんこう があり、イギリス内 ない でのヨーガ教室 きょうしつ は全国 ぜんこく にまたがり数 すう 千 せん カ所 かしょ に及 およ び、ドイツ、スイス、フランスでも盛 さか んにおこなわれていた。
スポーツジムのヨーガ教室 きょうしつ
プラーナーヤーマを試 こころ みる男性 だんせい
1980年代 ねんだい には、欧米 おうべい で空前 くうぜん のフィットネスブームがあった[ 204] 。西洋 せいよう とインドの身体 しんたい 文化 ぶんか がシンクロする形 かたち で生 う まれた「アーサナ 体操 たいそう 」は、1980-90年代 ねんだい 、特 とく に1990年代 ねんだい 後半 こうはん 以降 いこう にアメリカをはじめとする世界 せかい 各国 かっこく に広 ひろ がり、「スピリチュアル を喚起 かんき するインドの伝統 でんとう 的 てき な身体 しんたい 技法 ぎほう 」として受容 じゅよう されるようになった[ 43] [ 204] 。1990年代 ねんだい 初頭 しょとう のアシュタンガ・ヨーガやパワー・ヨーガの台頭 たいとう である。アメリカでは、ヨーガ・マットを肩 かた からさげて、モダンな雰囲気 ふんいき のヨーガ・スタジオに行 い くことが、新 あたら しいカルチャーになろうとしているという[ 206] 。
1983年 ねん になると、バーチ夫妻 ふさい とブライアン・ケスト (英語 えいご 版 ばん ) が、インドのアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) (通称 つうしょう アシュタンガ・ヨーガ)に筋肉 きんにく トレーニングの要素 ようそ を加 くわ え、フィットネス仕様 しよう (ワークアウト )にアレンジしたパワー・ヨーガを開発 かいはつ した。
スワミ・サッチダーナンダの弟子 でし で、カリフォルニア大学 だいがく サンフランシスコ校 こう 医学部 いがくぶ 教授 きょうじゅ のディーン・オーニッシュは、心臓 しんぞう 病 びょう の回復 かいふく にヨーガが役立 やくだ ちうるという研究 けんきゅう 結果 けっか を発表 はっぴょう し、ヨーガは代替 だいたい 医療 いりょう としても注目 ちゅうもく を集 あつ め、オーニッシュのヨーガプログラムを取 と り入 い れる病院 びょういん も出 で てきた[ 204] 。欧米 おうべい の近 きん 現代 げんだい ヨーガの初期 しょき の指導 しどう 者 しゃ たちは、インドで時間 じかん をかけて修行 しゅぎょう し学 まな び、教 おし える立場 たちば に立 た ったが、ヨーガへの急激 きゅうげき な注目 ちゅうもく の高 たか まりで指導 しどう 者 しゃ の需要 じゅよう が急増 きゅうぞう し、数日 すうじつ で指導 しどう 者 しゃ を養成 ようせい することが望 のぞ まれるようになった[ 204] 。ヨーガのコミュニティは、指導 しどう 者 しゃ の質 しつ の低下 ていか や、ジムや病院 びょういん 、保険 ほけん 会社 かいしゃ 、政府 せいふ 機関 きかん が指導 しどう 基準 きじゅん を作 つく り、ヨーガ業界 ぎょうかい に押 お し付 つ けることを危惧 きぐ するようになり、熟練 じゅくれん の指導 しどう 者 しゃ たちによるヨガアライアンス(YA)は、1999年 ねん に数 すう 十 じゅう 年間 ねんかん インドのアシュラムで行 おこな われていた1カ月 かげつ の研修 けんしゅう プログラムの時間 じかん に基 もと づき、生徒 せいと を安全 あんぜん に指導 しどう するための最低 さいてい トレーニング時間 じかん を200時 じ 間 あいだ とすることに決 き めた[ 204]
アメリカでフィットネス仕様 しよう にアレンジされた新 あたら しいヨーガが、マドンナ などハリウッドのセレブリティ(セレブ)が実践 じっせん していたことで脚光 きゃっこう を浴 あ び、アメリカで広範 こうはん な人気 にんき を得 え たことで、アメリカ発 はつ の爆発 ばくはつ 的 てき で世界 せかい 的 てき な大 だい 流行 りゅうこう をするに至 いた っている。2005年 ねん の統計 とうけい によれば、アメリカのヨーガ人口 じんこう は1650万 まん 人 にん となり、特 とく に18-24歳 さい の若者 わかもの 達 たち に限 かぎ れば、年 とし に50パーセント近 ちか い割合 わりあい で増加 ぞうか したという。
日本 にっぽん には、道教 どうきょう の影響 えいきょう を受 う けた中国 ちゅうごく 経由 けいゆ の仏教 ぶっきょう が伝来 でんらい した(仏教 ぶっきょう 公 おおやけ 伝 でん は6世紀 せいき 半 なか ば)。この頃 ころ どのような修行 しゅぎょう 法 ほう が行 おこな われたかわからないが、朝鮮 ちょうせん から仏教 ぶっきょう 僧 そう が渡来 とらい するようになると、瞑想 めいそう を中心 ちゅうしん とする仏教 ぶっきょう の行 くだり が行 おこな われたと考 かんが えられる。この時代 じだい の修行 しゅぎょう 者 しゃ は、渡来 とらい 僧 そう 、中国 ちゅうごく で学 まな び帰国 きこく した僧 そう 、聖徳太子 しょうとくたいし などの一部 いちぶ のエリートに限 かぎ られていた。
8世紀 せいき には、バラモン僧正 そうじょう とも呼 よ ばれたボーディセーナ(菩提 ぼだい 僊那 )が南 みなみ インドから渡来 とらい し、仏教 ぶっきょう の教義 きょうぎ とインド直伝 じきでん のヨーガを日本 にっぽん にもたらした。彼 かれ が在籍 ざいせき した大安寺 だいあんじ は独自 どくじ の行法 ぎょうほう を伝 つた え、東大寺 とうだいじ 初代 しょだい 別当 べっとう の良弁 りょうべん 、空海 くうかい の師 し ともいわれる勤 つとむ 操 みさお 、止観 しかん をよくした最澄 さいちょう などの人物 じんぶつ を輩出 はいしゅつ し、呪術 じゅじゅつ 的 てき 傾向 けいこう の強 つよ い山岳 さんがく 信仰 しんこう の形成 けいせい にも大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた。
空海 くうかい
古代 こだい から中世 ちゅうせい においての仏教 ぶっきょう ヨーガの実践 じっせん 者 しゃ として、代表 だいひょう 的 てき な人物 じんぶつ は空海 くうかい である。空海 くうかい は勤 つとむ 操 みさお とされる僧 そう に、記憶 きおく 力 りょく 増進 ぞうしん のためにマントラを百 ひゃく 万 まん 遍 へん 唱 とな える行 くだり (ヒンドゥー・ヨーガではマントラ・ヨーガに当 あ たる)「虚空蔵 こくぞう 求 もとめ 聞持の法 ほう 」を教 おそ わって実践 じっせん した。さらに唐 とう に渡 わた り、インド人 じん 僧侶 そうりょ の般若 はんにゃ 三蔵 さんぞう などから直接 ちょくせつ 教 おし えを受 う け、禅 ぜん 法 ほう (中国 ちゅうごく の禅宗 ぜんしゅう の座禅 ざぜん ではなく、インド式 しき のヨーガ瞑想 めいそう 法 ほう )を習 なら い、死 し ぬまで熱心 ねっしん にこれを実践 じっせん していた。大同 だいどう 元年 がんねん (806年 ねん )に唐 とう より帰国 きこく して中期 ちゅうき 密教 みっきょう のヨーガを伝 つた え、智慧 ちえ のヨーガにヒンドゥー教 きょう 的 てき 呪術 じゅじゅつ 性 せい が加 くわ わった密教 みっきょう の根本 こんぽん 道場 どうじょう として、高野山 こうのやま を開 ひら いた。空海 くうかい の教 おし えは、直接 ちょくせつ インド人 じん 僧 そう から教 おし えを受 う けたため、瞑想 めいそう だけでなく呪術 じゅじゅつ ・祭式 さいしき 含 ふく め、ヒンドゥー系 けい ヨーガの色 いろ が強 つよ い。密教 みっきょう の修行 しゅぎょう 、ヨーガの行 くだり による神秘 しんぴ 体験 たいけん によって、死後 しご でなく生 い きたまま仏 ふつ と合一 ごういつ し、仏 ふつ となる即身成仏 そくしんじょうぶつ を説 と いた。
空海 くうかい の先輩 せんぱい にあたり比叡山 ひえいざん を開 ひら いた天台宗 てんだいしゅう の最澄 さいちょう は、仏教 ぶっきょう ヨーガの中国 ちゅうごく 的 てき 展開 てんかい といえる止観 しかん を熱心 ねっしん に行 おこな い、弟子 でし たちに推奨 すいしょう した。天台宗 てんだいしゅう では念仏 ねんぶつ も盛 さか んにおこなわれた。
法然 ほうねん
日本 にっぽん 仏教 ぶっきょう では、密教 みっきょう と別 べつ の大 おお きな系統 けいとう として、浄土 じょうど 教 きょう 系 けい の仏教 ぶっきょう がある。日本 にっぽん の浄土 じょうど 教 きょう の祖 そ といえる法然 ほうねん は、諸行 しょぎょう をすべて捨 す てて「称名 しょうみょう 」のみを選択 せんたく し、念仏 ねんぶつ に専念 せんねん した。一心 いっしん に阿弥陀 あみだ の名 な を唱 とな える念仏 ねんぶつ は、バクティ・ヨーガの道 みち と同 おな じ考 かんが え方 かた である。日蓮 にちれん もまたバクティ・ヨーガの流 なが れにあり、マントラ・ヨーガ行者 ぎょうじゃ であるともいえる。一遍 いっぺん の踊念仏 おどりねんぶつ もバクティとの共通 きょうつう 性 せい が深 ふか い。明恵 あきえ はインド仏教 ぶっきょう のヨーガ瞑想 めいそう 法 ほう が達 たっ した最高 さいこう 境地 きょうち を表 あらわ した『華厳経 けごんきょう 』を拠 よ り所 どころ に、ヨーガ瞑想 めいそう 法 ほう を中心 ちゅうしん とする修行 しゅぎょう を行 おこな った。道元 どうげん は禅宗 ぜんしゅう として禅 ぜん を仏教 ぶっきょう の本道 ほんどう から独立 どくりつ させようとする考 かんが えに異 こと を唱 とな え、ブッダへの回帰 かいき を目指 めざ し禅 ぜん の教 おし えを説 と いた。
また、ヒンドゥー系 けい ヨーガで強調 きょうちょう されたカルマ・ヨーガ(行為 こうい のヨーガ)は、日本 にっぽん ではかなり独自 どくじ の発展 はってん を遂 と げた。世俗 せぞく の諸 しょ 芸道 げいどう を修行 しゅぎょう の道 みち と同 どう 置 おけ して宗教 しゅうきょう 的 てき な意味 いみ を与 あた え、芸道 げいどう や武道 ぶどう の「道 みち 」に邁進 まいしん することが悟 さと りの修行 しゅぎょう であるとした。こうした教 おし えは、日本 にっぽん では特 とく に禅宗 ぜんしゅう の道元 どうげん が強調 きょうちょう し、さらに江戸 えど 初期 しょき の鈴木 すずき 正三 しょうさん が一段 いちだん 深化 しんか させ、すべての職業 しょくぎょう の実践 じっせん を悟 さと りへの道 みち に結 むす び付 つ けた。
東京 とうきょう 都 と 世田谷 せたがや 区 く の南西 なんせい 部 ぶ に発音 はつおん の似 に た「用賀 ようが (Yōga)」という地名 ちめい (玉川 たまがわ 地域 ちいき の大字 だいじ ) があるが、12世紀 せいき にこの地 ち (当時 とうじ は「勢田 せた 郷 きょう 」と呼 よ ばれていた)により「瑜伽 ゆが 」の道場 どうじょう が開設 かいせつ され、16世紀 せいき に真言宗 しんごんしゅう 真福寺 しんふくじ によって道場 どうじょう が所有 しょゆう されていたことが「用賀 ようが 」という地名 ちめい の由来 ゆらい と云 い われている[ 217] 。
このように、日本 にっぽん には仏教 ぶっきょう の修行 しゅぎょう 法 ほう としてヨーガが伝 つた わり、長 なが い伝統 でんとう を持 も つが、日本 にっぽん ではそれはほとんど認識 にんしき されていない。インド思想 しそう 研究 けんきゅう 者 しゃ の保坂 ほさか 俊司 しゅんじ は、明治 めいじ ・大正 たいしょう の日本人 にっぽんじん が、脱亜入欧 だつあにゅうおう ・西洋 せいよう 近代 きんだい 化 か を目指 めざ し、仏教 ぶっきょう などの既存 きそん の日本 にっぽん の文化 ぶんか との連続 れんぞく 性 せい を断 た とうとした行動 こうどう が、近代 きんだい 以降 いこう に日本 にっぽん に入 はい ったインド思想 しそう やヨーガと仏教 ぶっきょう の伝統 でんとう に連続 れんぞく 性 せい があっても自覚 じかく できず、訳語 やくご の不 ふ 適当 てきとう ・曖昧 あいまい さゆえに、翻訳 ほんやく 元 もと の本来 ほんらい の意味 いみ や内容 ないよう を正確 せいかく に把握 はあく できないという弊害 へいがい をもたらしたと指摘 してき している。哲学 てつがく 者 しゃ の井上 いのうえ 哲次郎 てつじろう は、欧米 おうべい の思想 しそう の翻訳 ほんやく の際 さい に仏教 ぶっきょう 関連 かんれん 用語 ようご を意図 いと 的 てき に避 さ けており、そのため瞑想 めいそう 関連 かんれん の訳語 やくご には混乱 こんらん がみられる。こうした事情 じじょう のため、日本人 にっぽんじん はインド思想 しそう やヨーガ(ヨガ)と日本 にっぽん の仏教 ぶっきょう や伝統 でんとう 精神 せいしん の連続 れんぞく 性 せい ・関連 かんれん 性 せい をほとんど自覚 じかく していない。
アメリカから書籍 しょせき で日本 にっぽん に紹介 しょうかい され影響 えいきょう のあったヨーガは自称 じしょう インド人 じん も多 おお く、戦前 せんぜん はアメリカ白人 はくじん のものが中心 ちゅうしん だった[ 219] 。曹洞宗 そうとうしゅう 僧侶 そうりょ で駒沢大学 こまざわだいがく 初代 しょだい の学長 がくちょう の忽滑谷 ぬかりや 快 かい 天 てん は、仏教 ぶっきょう だけでなく、修養 しゅうよう 法 ほう や心霊 しんれい 術 じゅつ 、オカルトに関心 かんしん を持 も っており、ヨギ・ラマチャラカ(ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)のアメリカにおけるニューソート やスピリチュアリズム の中 なか で再 さい 構成 こうせい されたヨーガの技法 ぎほう 、ラーマクリシュナ の弟子 でし のアベダーナンダ (英語 えいご 版 ばん ) とヴィヴェーカーナンダの著作 ちょさく などの内容 ないよう をまとめた『養 やしなえ 気 き 及 およ び錬 ね 心 しん の実験 じっけん 』(1915年 ねん 出版 しゅっぱん 。1925年 ねん に『錬 ね 心術 しんじゅつ 』として再販 さいはん )で、日本 にっぽん ではじめてクンダリニー・ヨーガを紹介 しょうかい した。
近代 きんだい 日本 にっぽん における本格 ほんかく 的 てき なヨーガの受容 じゅよう は、1919年 ねん に中村 なかむら 天風 てんぷう が天風 てんぷう 会 かい を設立 せつりつ し、各界 かくかい で説法 せっぽう したことに始 はじ まる。ただし、天風 てんぷう は「ヨーガ」という言葉 ことば をほとんど使用 しよう せず教 おし えを説 と いており、自 みずか らの技法 ぎほう を「心身 しんしん 統一 とういつ 法 ほう 」としている。ヨギ・ラマチャラカ(ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)は天 てん 風 ふう に大 おお きく影響 えいきょう を与 あた えたといわれている。その後 ご 、1940-50年代 ねんだい に神智 しんち 学者 がくしゃ の三浦 みうら 関造 かんぞう が竜王 りゅうおう 会 かい を主宰 しゅさい し、「綜合 そうごう ヨガ」の研修 けんしゅう 会 かい でアーサナや呼吸 こきゅう 法 ほう を指導 しどう した。この二人 ふたり が、日本 にっぽん のヨーガの「草分 くさわ け的 てき 存在 そんざい 」とされる。
実際 じっさい にヨーガを広 ひろ めたのは、1950年代 ねんだい より活動 かつどう を始 はじ めた二人 ふたり の人物 じんぶつ である。一人 ひとり は、沖 おき ヨガの創始 そうし 者 しゃ 沖 おき 正弘 まさひろ で、ヨーガを体系 たいけい 的 てき に指導 しどう した先駆 せんく 者 しゃ であり、多 おお くの後進 こうしん を育 そだ てたことから「日本 にっぽん ヨガの父 ちち 」とも呼 よ ばれる。沖 おき のヨーガは、英語 えいご 圏 けん で隆盛 りゅうせい した近代 きんだい ヨーガのアーサナを取 と り入 い れているが、アーサナ中心 ちゅうしん ではなく、東洋 とうよう 医学 いがく や禅 ぜん も取 と り入 い れた、いわば「日本 にっぽん 的 てき 」なスタイルとなっている。沖 おき と双璧 そうへき とされるのが、インド哲学 てつがく の権威 けんい 佐 さ 保田 やすだ 鶴治 つるじ で、『ヨーガ・スートラ』などのヨーガ文献 ぶんけん の翻訳 ほんやく とヨーガの思想 しそう をまとめあげ、60歳 さい を過 す ぎてから本格 ほんかく 的 てき な実践 じっせん を始 はじ めて、多 おお くの人 ひと に受 う け入 い れられるヨーガを紹介 しょうかい した。戦前 せんぜん から戦後 せんご にかけてのヨーガは、政治 せいじ 家 か や知識 ちしき 人 じん 、経営 けいえい 者 しゃ などの一部 いちぶ のエリート層 そう に限 かぎ られて行 おこな われており、ヨーガの思想 しそう を学 まな んだり、座禅 ざぜん のような瞑想 めいそう を中心 ちゅうしん とするようなものであったらしい。
霊 れい 能 のう 者 しゃ の母 はは に育 そだ てられ幼少 ようしょう 期 き から修業 しゅうぎょう を実践 じっせん し神秘 しんぴ 体験 たいけん を経験 けいけん したという本山 もとやま 博 ひろし は、自 みずか らの経験 けいけん を科学 かがく 的 てき に検証 けんしょう することを目指 めざ し、1963年 ねん に『宗教 しゅうきょう 経験 けいけん の世界 せかい 』を出版 しゅっぱん し、ヨーガ行者 ぎょうじゃ や霊 れい 能力 のうりょく 者 しゃ の主観 しゅかん 的 てき な超 ちょう 感覚 かんかく 的 てき 体験 たいけん を、ESPテストや神経 しんけい 機能 きのう 検査 けんさ による実証 じっしょう 的 てき 検証 けんしょう や深層 しんそう 心理 しんり 学 がく により理論 りろん 的 てき に把握 はあく する必要 ひつよう 性 せい を主張 しゅちょう した。
1970年代 ねんだい には、アメリカに端 はし を発 はっ したニューエイジ・ムーヴメントが紹介 しょうかい されるようになり、日本 にっぽん でヨーガも含 ふく めた「精神 せいしん 世界 せかい 」として受 う け入 い れられるようになった[ 223] 。これは、精神 せいしん 性 せい や心 しん 、自然 しぜん との調和 ちょうわ を重視 じゅうし する思想 しそう を核 かく とするが[ 223] 、なにか「宇宙 うちゅう 的 てき なもの」を感 かん じされるものが何 なん でも取 と り込 こ まれた、ニューエイジ以上 いじょう に雑多 ざった なジャンルであった。具体 ぐたい 的 てき には、東西 とうざい の神秘 しんぴ 主義 しゅぎ 、錬金術 れんきんじゅつ 、魔術 まじゅつ 、ヨーガ、密教 みっきょう 、禅 ぜん 、仙道 せんどう 、輪廻 りんね 転生 てんせい 、超 ちょう 能力 のうりょく 、占星術 せんせいじゅつ 、チャネリング 、深層 しんそう 心理 しんり 学 がく 、UFO 、古代 こだい 偽 にせ 史 し などがあり、人間 にんげん の内面 ないめん 世界 せかい の潜在 せんざい 的 てき 可能 かのう 性 せい を探 さぐ る実践 じっせん として、現在 げんざい まで続 つづ いている[ 223] 。この対抗 たいこう 文化 ぶんか の影響 えいきょう を受 う けたヨーガは青年 せいねん 層 そう が中心 ちゅうしん であり、自己 じこ 鍛錬 たんれん により精神 せいしん の向上 こうじょう を目指 めざ す「修行 しゅぎょう 」のイメージの強 つよ いものであった[ 206] 。
阿含宗 あごんしゅう の教祖 きょうそ 桐山 きりやま 靖雄 やすお は、1971年 ねん の著作 ちょさく で、密教 みっきょう の修行 しゅぎょう とは潜在 せんざい 能力 のうりょく 開発 かいはつ 法 ほう であり、このトレーニングで誰 だれ でも超 ちょう 能力 のうりょく 者 しゃ になれると説 と いてベストセラーになり、さらに1972年 ねん の著作 ちょさく では、三浦 みうら 関造 かんぞう や佐 さ 保田 やすだ 鶴治 つるじ 、チャールズ・ウェブスター・レッドビータ の著作 ちょさく を参照 さんしょう しながら、クンダリニー・ヨーガこそが人間 にんげん の超 ちょう 能力 のうりょく を目覚 めざ めさせる最 もっと も優 すぐ れた方法 ほうほう であると主張 しゅちょう し、クンダリニーの覚醒 かくせい により人間 にんげん は「ホモ・サピエンス」から「ホモ・エクセレンス(卓越 たくえつ した人類 じんるい )」に進化 しんか すると唱 とな えた。人間 にんげん の進化 しんか は行 い き詰 づ まっているため、「ホモ・エクセレンス」に進化 しんか できなければ人類 じんるい は滅亡 めつぼう の危機 きき に瀕 ひん するとし、1981年 ねん の著作 ちょさく でノストラダムスの終末 しゅうまつ 論 ろん ブーム に乗 の り、悪 あ しきカルマの増大 ぞうだい による世界 せかい の終末 しゅうまつ を唱 とな えた。桐山 きりやま の主張 しゅちょう はセンセーショナルかつ分 わ かりやすいものであったため、多 おお くの関心 かんしん を集 あつ めた。
本山 もとやま 博 ひろし はクンダリニー・ヨーガの技法 ぎほう の紹介 しょうかい し、道場 どうじょう を開 ひら いて指導 しどう を行 おこな った。1978年 ねん に『密教 みっきょう ヨーガ』を刊行 かんこう し、ヨーガの修行 しゅぎょう の方法 ほうほう が詳細 しょうさい に紹介 しょうかい され、クンダリニーと7つのチャクラを覚醒 かくせい させることで「宇宙 うちゅう との一体化 いったいか 」が実現 じつげん できると説 と かれ、自 みずか らのクンダリニー覚醒 かくせい による空中 くうちゅう 浮揚 ふよう 体験 たいけん が紹介 しょうかい された。桐山 きりやま 靖雄 やすお と本山 もとやま 博 ひろし は、日本 にっぽん にクンダリニー・ヨーガが広 ひろ く浸透 しんとう するうえで大 おお きな役割 やくわり を果 は たした
1981年 ねん には、宗教 しゅうきょう 学者 がくしゃ の中沢 なかざわ 新一 しんいち が、阿含宗 あごんしゅう 系 けい の出版 しゅっぱん 社 しゃ から『虹 にじ の階梯 かいてい -チベット仏教 ぶっきょう の瞑想 めいそう 修行 しゅぎょう 』を刊行 かんこう し、チベット仏教 ぶっきょう ニンマ派 は での約 やく 1年 ねん 半 はん の瞑想 めいそう 修行 しゅぎょう の経験 けいけん を紹介 しょうかい した。中沢 なかざわ は、ニンマ派 は の修行 しゅぎょう 「大 だい 究竟 きゅうきょう (ゾクチェン)」で心 しん の幻影 げんえい をすべて打破 だは するに至 いた るまでの修行 しゅぎょう の段階 だんかい の内容 ないよう ・方法 ほうほう を詳細 しょうさい に記述 きじゅつ し、自 みずか らの意志 いし を放棄 ほうき しグルの教 おし えと指示 しじ に徹底的 てっていてき に従 したが い帰依 きえ する「グル・ヨーガ」の重要 じゅうよう 性 せい を強調 きょうちょう した。また、「大 だい 究竟 きゅうきょう (ゾクチェン)」の成就 じょうじゅ 者 しゃ は、意識 いしき を生身 なまみ の肉体 にくたい から外 そと または霊的 れいてき な肉体 にくたい に移 うつ し替 か える「ポア (英語 えいご 版 ばん ) )」が可能 かのう であり、ポアにより生前 せいぜん の修行 しゅぎょう が十分 じゅうぶん でなかった死者 ししゃ を追 お い解脱 げだつ またはより高 たか い世界 せかい に導 みちび くことができるため、生前 せいぜん にグルを見出 みいだ し十 じゅう 分 ふん に帰依 きえ することが大切 たいせつ であるとされた。研究 けんきゅう 者 しゃ である中沢 なかざわ が、日本 にっぽん で左 ひだり 道 どう 密教 みっきょう と考 かんが えられていたチベット密教 みっきょう やその神秘 しんぴ 体験 たいけん をポジティブに語 かた ったことは、社会 しゃかい 的 てき に影響 えいきょう が大 おお きかった。
テレビ番組 ばんぐみ 「ハイ!土曜日 どようび です 」で美容 びよう 健康 けんこう 体操 たいそう としてのヨーガを紹介 しょうかい する松島 まつしま 茂雄 しげお (1979年 ねん )
また、1970年代 ねんだい 半 なか ば以降 いこう カルチャー・センター が人気 にんき を得 え るようになると、そのなかでヨーガ教室 きょうしつ も開 ひら かれるようになった。ヨーガは一種 いっしゅ の「健康 けんこう 体操 たいそう 」として、比較的 ひかくてき 高齢 こうれい の人 ひと びとに受容 じゅよう されたが、まだ十分 じゅうぶん に浸透 しんとう するには至 いた らなかった。同 どう 時期 じき 、1978年 ねん テレビで「ヨガ美 び 療教室 しつ 」がスタートし、毎回 まいかい 健康 けんこう 上 じょう の悩 なや みを取 と り上 あ げ、それに適 てき するアーサナを紹介 しょうかい し、メディアで取 と り上 あ げられる機会 きかい も増 ふ えた。書籍 しょせき の出版 しゅっぱん やメディア出演 しゅつえん が行 おこな われるようになったが、当時 とうじ は30代 だい から50代 だい の方 ほう が大半 たいはん で、現在 げんざい のように若者 わかもの 中心 ちゅうしん ではなかった。1980年代 ねんだい にはエアロビクスブームに乗 の り、レオタードに網 あみ タイツというスタイルで、緩 ゆる やかなエクササイズとしてのヨーガが行 おこな われるようになり、若者 わかもの 向 む けのメディアや新聞 しんぶん にも広 ひろ く取 と り上 あ げられるようになり、「健康 けんこう と美容 びよう 」で全 ぜん 世代 せだい に浸透 しんとう するようになった。このブームの契機 けいき となったのは、ヨーガ指導 しどう 者 しゃ の綿 めん 本 ほん 昇 のぼり (綿 めん 本 もと 彰 あきら の父 ちち )である。このヨーガの流行 りゅうこう に、精神 せいしん 世界 せかい 的 てき な要素 ようそ は見 み られない。
こうしてヨーガは、一定 いってい の支持 しじ 者 しゃ を獲得 かくとく していた。この頃 ころ のヨーガは、中高年 ちゅうこうねん を対象 たいしょう にした単発 たんぱつ ポーズを行 おこな うソフトなヨーガか、インドから直輸入 ちょくゆにゅう した本格 ほんかく 的 てき なヨーガであった。
そのような時期 じき 、1995年 ねん に、オウム真理教 おうむしんりきょう による「地下鉄 ちかてつ サリン事件 じけん 」を始 はじ めとする一連 いちれん の事件 じけん が発生 はっせい した。
麻原 あさはら 彰晃 しょうこう が率 ひき いたオウム真理教 おうむしんりきょう は、「オウム神仙 しんせん の会 かい 」と名 な のる小 ちい さなヨーガ道場 どうじょう から始 はじ まり、無 む 差別 さべつ テロに至 いた った、前代未聞 ぜんだいみもん の宗教 しゅうきょう 団体 だんたい である。麻原 あさはら は視覚 しかく に障害 しょうがい を持 も ち、6歳 さい から20歳 さい まで盲学校 もうがっこう の寄宿舎 きしゅくしゃ で暮 く らした。22-30歳 さい ごろに、神 かみ 智学 ちがく 系 けい のクンダリニー・ヨーガの理論 りろん などの精神 せいしん 世界 せかい やヒトラーの人心 じんしん コントロール術 じゅつ などの雑多 ざった テーマを遍歴 へんれき し、特 とく にヨーガの修行 しゅぎょう による超 ちょう 能力 のうりょく の獲得 かくとく に興味 きょうみ を持 も った。1980年 ねん に阿含宗 あごんしゅう に約 やく 3年 ねん 入信 にゅうしん して修行 しゅぎょう したが満足 まんぞく する成果 せいか が出 で ず、その後 ご 、空中 くうちゅう 浮揚 ふよう ができるようになるとアピールしていた超越 ちょうえつ 瞑想 めいそう のクラスにも出入 でい りした。1984年 ねん にヨーガ道場 どうじょう 「オウム神仙 しんせん の会 かい 」を開設 かいせつ 。当初 とうしょ の雰囲気 ふんいき は明 あか るく宗教 しゅうきょう 色 しょく もなく、集 あつ まったメンバーは真面目 まじめ にヨーガの修行 しゅぎょう に取 と り組 く んでいたという[ 231] 。麻原 あさはら は阿含宗 あごんしゅう での修行 しゅぎょう の後 のち 、『ヨーガ・スートラ』に出会 であ い、佐保 さほ 田鶴 たづ 治 ち が訳 やく したハタ・ヨーガのテキスト『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 』、『ゲーランダ・サンヒター (英語 えいご 版 ばん ) 』、『シヴァ・サンヒター (英語 えいご 版 ばん ) 』を読 よ んでヨーガを独学 どくがく し、1985年 ねん に空中 くうちゅう 浮揚 ふよう するまでに至 いた ったという。
阿含宗 あごんしゅう は1970年代 ねんだい の超 ちょう 能力 のうりょく 獲得 かくとく の路線 ろせん から、1980年代 ねんだい になると祖先 そせん 崇拝 すうはい に大 おお きく路線 ろせん 変更 へんこう し、超 ちょう 能力 のうりょく を重視 じゅうし する信者 しんじゃ たちがこれに失望 しつぼう して離脱 りだつ し、超越 ちょうえつ 瞑想 めいそう や本山 もとやま 博 ひろし のヨーガ道場 どうじょう に移 うつ った。麻原 あさはら の空中 くうちゅう 浮揚 ふよう の写真 しゃしん がオカルト雑誌 ざっし に掲載 けいさい されると、それを見 み た若者 わかもの や、超 ちょう 能力 のうりょく 獲得 かくとく のためにさらに過激 かげき な修行 しゅぎょう を求 もと める元 もと 阿含宗 あごんしゅう 信者 しんじゃ が集 あつ まり入信 にゅうしん したといわれる。麻原 あさはら は1985年 ねん に、戦前 せんぜん の反 はん ユダヤ主義 しゅぎ のオカルティストのハルマゲドン (最終 さいしゅう 戦争 せんそう )の予言 よげん を知 し って影響 えいきょう を受 う け、1986年 ねん にはインドに渡航 とこう しヒマラヤで解脱 げだつ したとされる。
オウム真理教 おうむしんりきょう は、ヨーガや密教 みっきょう の修行 しゅぎょう 、特 とく にクンダリニー・ヨーガを重視 じゅうし し、宇宙 うちゅう の支配 しはい 者 しゃ であるシヴァ神 しん との性的 せいてき な合一 ごういつ を究極 きゅうきょく の目的 もくてき とした。修行 しゅぎょう によって進化 しんか して超 ちょう 能力 のうりょく を獲得 かくとく し、生死 せいし を超 こ えた神 かみ 的 てき 存在 そんざい 「神仙 しんせん 民族 みんぞく 」になることができると説 と き、超 ちょう 能力 のうりょく 開発 かいはつ ができない宗教 しゅうきょう はすべて偽物 にせもの であると主張 しゅちょう した。現代 げんだい 日本 にっぽん はユダヤ =フリーメイソン に裏 うら から支配 しはい され洗脳 せんのう されているとし、「神仙 しんせん 民族 みんぞく 」による千 せん 年 ねん 王国 おうこく の建設 けんせつ が目指 めざ された。
信者 しんじゃ の日常 にちじょう は、グルである麻原 あさはら やシヴァ神 しん への帰依 きえ の文句 もんく を何 なん 万 まん 回 かい と唱 とな える「立 だて 位 い 礼拝 れいはい 」が修行 しゅぎょう の大 だい 部分 ぶぶん であり、日常 にちじょう 生活 せいかつ では教団 きょうだん のための労働 ろうどう が多 おお くを占 し めていたが、選別 せんべつ された修行 しゅぎょう 者 しゃ は、グルや神 かみ 々と意識 いしき を合一 ごういつ させる「秘 ひ 儀 ぎ 瞑想 めいそう 」、激 はげ しい呼吸 こきゅう と限界 げんかい までの止 とめ 息 いき を行 おこな う「調 しらべ 気 き 法 ほう 」、集中 しゅうちゅう しながらひたすら歩 ある く「経 けい 行 ぎょう 」、体 からだ をリラックスさせ湧 わ き出 で るイメージをひたすら観察 かんさつ する「究竟 きゅうきょう の瞑想 めいそう 」といった修行 しゅぎょう に参加 さんか した(オウム真理教 おうむしんりきょう の修行 しゅぎょう )。こうした修行 しゅぎょう はまともな睡眠 すいみん や食事 しょくじ をとらずに行 おこな われ、参加 さんか 者 しゃ は様々 さまざま な神秘 しんぴ 体験 たいけん や変性 へんせい 意識 いしき 状態 じょうたい を体験 たいけん したといわれる。1994年 ねん 以降 いこう には、LSD 等 ひとし の覚醒剤 かくせいざい ・幻覚 げんかく 剤 ざい を用 もち いた瞑想 めいそう によるイニシエーション も行 おこな われたが、こうした強烈 きょうれつ な神秘 しんぴ 体験 たいけん に薬物 やくぶつ が用 もち いられていることは信者 しんじゃ には知 し らされていなかった。
また、クンダリニーの覚醒 かくせい は個人 こじん の努力 どりょく だけでは難 むずか しいが、「シャクティーパット [ † 11] 」という技法 ぎほう で麻原 あさはら が弟子 でし にシャクティを注入 ちゅうにゅう し、弟子 でし のクンダリニーを覚醒 かくせい させ超 ちょう 能力 のうりょく を目覚 めざ めさせることができると喧伝 けんでん され、教団 きょうだん の拡大 かくだい とグルへの絶対 ぜったい 的 てき な帰依 きえ が加速 かそく した。麻原 あさはら は、弟子 でし が自己 じこ を空 から っぽにしグルに盲目的 もうもくてき かつ絶対 ぜったい に帰依 きえ することで(グル・ヨーガ)、グルのエネルギーで満 み たされる「ヴァジラヤーナ(金 きむ 剛 つよし 乗 じょう )」の教 おし えを説 と いた。さらに、これにチベット密教 みっきょう の「ポア」の理論 りろん を合体 がったい させ、生 い きるべき人間 にんげん と死 し ぬべき人間 にんげん を判断 はんだん する権限 けんげん は解脱 げだつ 者 しゃ にあり、悪 あ しきカルマに染 そ まり死後 しご は人間 にんげん 以下 いか に転生 てんせい することが確実 かくじつ だとグルが判断 はんだん した人々 ひとびと を、グルの指示 しじ に従 したが い殺害 さつがい し救済 きゅうさい する善行 ぜんこう として、慈悲 じひ 殺人 さつじん 「ポア 」が説 と かれた。これがオウム真理教 おうむしんりきょう の最終 さいしゅう 教義 きょうぎ 「タントラ・ヴァジラヤーナ」である。1988年 ねん 9月 がつ に信者 しんじゃ の事故死 じこし を隠蔽 いんぺい したことを契機 けいき に、1989年 ねん 2月 がつ には脱退 だったい しようとした信者 しんじゃ が殺害 さつがい され、教団 きょうだん に反発 はんぱつ する信者 しんじゃ の殺害 さつがい 、教団 きょうだん の敵 てき の殺害 さつがい と、殺人 さつじん ・テロ行為 こうい が繰 く り返 かえ され、ポアのための化学 かがく 兵器 へいき の開発 かいはつ が行 おこな われた。1989年 ねん 11月には教団 きょうだん と対立 たいりつ する坂本 さかもと 弁護士 べんごし とその家族 かぞく を殺害 さつがい し、1994年 ねん 6月 がつ には猛毒 もうどく のサリンをまき死者 ししゃ 8人 にん ・負傷 ふしょう 者 しゃ 約 やく 140人 にん を出 だ した松本 まつもと サリン事件 じけん を起 お こし(被害 ひがい 者 しゃ が犯人 はんにん 扱 あつか いされた冤罪 えんざい 事件 じけん でもある)、1995年 ねん 3月 がつ には東京 とうきょう の地下鉄 ちかてつ でサリンを使 つか った日本 にっぽん 社会 しゃかい への無 む 差別 さべつ テロが実行 じっこう され、この地下鉄 ちかてつ サリン事件 じけん は死者 ししゃ 13人 にん ・負傷 ふしょう 者 しゃ 5,800人 にん 以上 いじょう [ † 12] という甚大 じんだい な被害 ひがい を出 だ し、日本 にっぽん 及 およ び世界 せかい を震撼 しんかん させた。
オウム真理教 おうむしんりきょう が元々 もともと ヨーガ道場 どうじょう であり、信者 しんじゃ を集 あつ める手段 しゅだん としてヨーガ教室 きょうしつ が用 もち いられたこと、教義 きょうぎ にヨーガが含 ふく まれること、その思想 しそう がインドの伝統 でんとう 思想 しそう を基礎 きそ にし、ヒンドゥー語 ご やサンスクリット語 ご に起源 きげん する用語 ようご 、ヨーガの用語 ようご を多用 たよう したこと(「オウム」は聖 せい 音 おと 「オーム」、慈悲 じひ 殺人 さつじん 「ポア」はチベット密教 みっきょう の「ポワ」を基 もと にしている)、もあり、聖 せい 音 おと (オーム)や瞑想 めいそう 、ヨーガという言葉 ことば には、オウム真理教 おうむしんりきょう のイメージがつきまとうようになった。この教団 きょうだん による一連 いちれん の事件 じけん が日本 にっぽん のヨーガに与 あた えた影響 えいきょう はきわめて大 おお きく、「ヨーガ=洗脳 せんのう 」という強 つよ い負 まけ のイメージ、宗教 しゅうきょう への恐 おそ れが人々 ひとびと に刻 きざ まれた。オウム真理教 おうむしんりきょう の仏教 ぶっきょう 解釈 かいしゃく やヨーガの思想 しそう ・行 ぎょう 法 ほう の利用 りよう は極 きわ めて独善 どくぜん 的 てき で恣意 しい 的 てき であったが、仏教 ぶっきょう 関係 かんけい 者 しゃ にもヨーガ関係 かんけい 者 しゃ にも、それを正面 しょうめん 切 き って糾 ただ す人 ひと はほとんど出 で ず、彼 かれ らのこうした消極 しょうきょく 的 てき な態度 たいど が、一般人 いっぱんじん の仏教 ぶっきょう やヨーガへの失望 しつぼう をさらに強 つよ め、理解 りかい を損 そこ なうことにもなった。看板 かんばん からヨーガの文字 もじ が外 はず されたり、生徒 せいと のいないクラスがあるなど、ヨーガは下火 したび となり、廃業 はいぎょう する教室 きょうしつ も少 すく なくなかった。当時 とうじ 嫌 いや がらせの電話 でんわ を受 う けるなど、苦 にが い経験 けいけん を持 も つヨーガ関係 かんけい 者 しゃ も少 すく なくない。こうした状況 じょうきょう の中 なか 、オウム真理教 おうむしんりきょう 事件 じけん 以前 いぜん からあるヨーガ道場 どうじょう は、地道 じみち な活動 かつどう を続 つづ けていった。
日本 にっぽん では、1980年代 ねんだい からエアロビクスを中心 ちゅうしん に女性 じょせい 向 む けエクササイズがフィットネス・クラブを中心 ちゅうしん に広 ひろ がって定着 ていちゃく していたが、それでも、オウム真理教 おうむしんりきょう 事件 じけん の影響 えいきょう があったため、アメリカで1990年代 ねんだい 後半 こうはん には既 すで に流行 りゅうこう していたフィットネス的 てき なヨーガは、すぐには日本 にっぽん に入 はい ってこなかった。今回 こんかい のヨーガの流行 りゅうこう は、アメリカにおけるそれから10年 ねん 近 ちか く遅 おく れた。
ヨーガはメディアに無視 むし されていたことで、多 おお くの人々 ひとびと に「新 あたら しいもの」というイメージで捉 とら えられることとなった。ヨーガ関係 かんけい 者 しゃ は、ヨーガからオウム真理教 おうむしんりきょう を連想 れんそう させないよう、新 あたら しいエクササイズとして受 う け入 い れられるよう、「アーサナ」ではなく「ポーズ」という言葉 ことば を使 つか い、ヨーガ実践 じっせん 者 しゃ を Yogini(ヨギーニ)という日本 にっぽん 式 しき の造語 ぞうご で呼 よ ぶなど、細心 さいしん の注意 ちゅうい を払 はら った。2003年 ねん にアメリカから入 はい ってきたパワー・ヨーガやアシュタンガ・ヨーガは、マドンナ やクリスティー・ターリントン に象徴 しょうちょう されるセレブリティな雰囲気 ふんいき から爆発 ばくはつ 的 てき な人気 にんき となった。インドのヨーガは、アメリカを経由 けいゆ して新 あら たな装 よそお いで洗練 せんれん されたイメージとなり、こうした流行 りゅうこう の最先端 さいせんたん をいく人 にん たちの実践 じっせん によって、ヨーガの普及 ふきゅう にさらなる拍車 はくしゃ をかけることになった[ 206] 。2004年 ねん には、「YOGA フェスタ東京 とうきょう 」と雑誌 ざっし 『Yogini』の創刊 そうかん があり、東京 とうきょう に30以上 いじょう のヨーガスタジオがオープンし、ここからブームが盛 も り上 あ がっていった。「YOGA フェスタ東京 とうきょう 」はケン・ハラクマ が綿 めん 本 もと 彰 あきら に提案 ていあん し、アメリカで行 おこな われているようなヨガの大 だい 規模 きぼ イベントを日本 にっぽん で試 こころ みようと企画 きかく された。2004年 ねん の段階 だんかい で日本 にっぽん のヨーガ実践 じっせん 者 しゃ には、女性 じょせい が多 おお かったことから、さらに若 わか い女性 じょせい にアピールする目的 もくてき で女優 じょゆう の千葉 ちば 麗子 れいこ を主催 しゅさい 者 しゃ に据 す えたことで、成功 せいこう をおさめ、毎年 まいとし 開催 かいさい されるようになった。ストレスの概念 がいねん が注目 ちゅうもく されることで、ストレス緩和 かんわ の方法 ほうほう としてもヨーガは注目 ちゅうもく された。入江 いりえ 恵子 けいこ は、「ヨガの『もともとの』教 おし えにある心身 しんしん 一体 いったい を目指 めざ す点 てん はホリスティックなものとして、また、ストレッチ効果 こうか による精神 せいしん 面 めん や身体 しんたい 面 めん への効果 こうか などは「癒 いや し」として、スピリチュアルブームと親和 しんわ 性 せい が高 たか かったことがブームを加速 かそく させた一因 いちいん であると考 かんが えられる」と分析 ぶんせき している。ヨーガは消費 しょうひ 文化 ぶんか であるスピリチュアル文化 ぶんか に取 と り入 い れられ、生徒 せいと が「癒 いや し」や「リラックス」などの様々 さまざま な目的 もくてき に合 あ わせてヨーガの講座 こうざ を購入 こうにゅう し受講 じゅこう するシステムが普及 ふきゅう した。
日本 にっぽん のヨーガブームは、消費 しょうひ 文化 ぶんか としてのLOHAS ブームや江原 えばら 啓之 ひろゆき が広 ひろ めたスピリチュアル ブームとも並行 へいこう しており、フィットネスであると同時 どうじ に、スピリチュアルを好 この む女性 じょせい の需要 じゅよう に合 あ うような雰囲気 ふんいき や精神 せいしん 性 せい もアピールされているが、オウム真理教 おうむしんりきょう を連想 れんそう させるような宗教 しゅうきょう を感 かん じさせないよう、スピリチュアルな演出 えんしゅつ にも注意 ちゅうい が払 はら われている。2006年 ねん の『ヨガのすべてがわかる本 ほん 』では、日本 にっぽん のヨーガはもはや宗教 しゅうきょう ではないと繰 く り返 かえ し主張 しゅちょう されている。
日本 にっぽん でヨーガが実践 じっせん される場所 ばしょ として、現在 げんざい のヨーガ・ブームの中心 ちゅうしん であり、2003年 ねん 以降 いこう に設立 せつりつ された主 おも にアメリカ式 しき のフィットネス様式 ようしき のヨーガが行 おこな われるヨーガ専門 せんもん スタジオ、フィットネス・クラブのヨーガ・プログラム、伝統 でんとう 的 てき ヨーガ道場 どうじょう がある。フィットネス・クラブでは2003年 ねん 以前 いぜん には、ヨーガが提供 ていきょう されることはあっても、エアロビクスやフィットネスに付随 ふずい する軽 けい いの運動 うんどう という扱 こ いで、さほど重視 じゅうし されていなかった。現在 げんざい ではヨーガは主力 しゅりょく プログラムになっている。オウム真理教 おうむしんりきょう 事件 じけん 以前 いぜん からある「ヨーガ道場 どうじょう 」の多 おお くは経営 けいえい 者 しゃ 兼 けん 指導 しどう 者 しゃ が個人 こじん 経営 けいえい しており、彼 かれ らは実際 じっさい にインドで修行 しゅぎょう をした経験 けいけん を持 も つ場合 ばあい が多 おお い。アメリカ式 しき ヨーガ専門 せんもん スタジオの件数 けんすう は東京 とうきょう と主要 しゅよう 都市 とし が多 おお く、日本 にっぽん における現代 げんだい ヨーガの流行 りゅうこう は都市 とし が中心 ちゅうしん となっている[ 240] 。
体重 たいじゅう を落 お としたい、スタイルがよくなりたいという若 わか い女性 じょせい の願望 がんぼう をつかむことで、日本 にっぽん でヨーガを習 なら う人 ひと は圧倒的 あっとうてき に若 わか い女性 じょせい が多 おお く、世界 せかい に比 くら べて男性 だんせい のヨーガ実践 じっせん 者 しゃ は極端 きょくたん に少 すく ない[ 241] 。日本 にっぽん のヨーガには、美 び の概念 がいねん の追求 ついきゅう (「癒 いや し」、「リラックス」などもこれに含 ふく まれる)、妊娠 にんしん しやすくなるヨーガ、マタニティヨーガ、親子 おやこ ヨーガ、生理 せいり や子宮 しきゅう をよりよくコントロールしようする「月経 げっけい 血 ち コントロールヨガ」「子宮 しきゅう 美人 びじん ヨガ」等 とう 、「生殖 せいしょく 」を中心 ちゅうしん とした女性 じょせい 身体 しんたい への意味 いみ づけ、出産 しゅっさん ・生殖 せいしょく にまつわるヨーガの活況 かっきょう が特筆 とくひつ される。また、伝統 でんとう 的 てき にヨーガは性 せい と強 つよ い関連 かんれん 性 せい を持 も ち、現代 げんだい ヨーガ、特 とく に欧米 おうべい 諸国 しょこく では、性 せい 機能 きのう の向 こう 上 うわ やより良 よ いセックスという意味 いみ 付 づ けがなされ、ヨーガを行 おこな う目的 もくてき にもなっている。アメリカのヨーガ教室 きょうしつ では、セックスとヨーガに関 かん する書籍 しょせき が見 み られることも少 すく なくないが、日本 にっぽん では性的 せいてき な要素 ようそ はほぼ排除 はいじょ されており、言及 げんきゅう される場合 ばあい は「妊娠 にんしん 力 りょく を高 たか める」というように、妊娠 にんしん ・生殖 せいしょく に直轄 ちょっかつ する文脈 ぶんみゃく に限 かぎ られている。
美 うつく しくなるため、癒 いや しとして、内省 ないせい の時間 じかん として(ある意味 いみ では、ヨーガの教義 きょうぎ を利用 りよう して怒 いか りなどの心 しん の動 うご きを「時間 じかん の無駄 むだ 」として止 とめ 滅 ほろぼ させ、ビジネスライクに自己 じこ を「効率 こうりつ 化 か 」する社会 しゃかい 的 てき 適応 てきおう のツールとして)、フィットネスとして、身心 しんしん のメンテナンスとして、妊娠 にんしん やよりよい出産 しゅっさん のため等 ひとし 、現代 げんだい の女性 じょせい たちに受 う け入 い れられている。
日本 にっぽん では、仏教 ぶっきょう 伝来 でんらい から近年 きんねん まで、上記 じょうき の異 こと なる時期 じき に発達 はったつ したヨーガが、重層 じゅうそう 構造 こうぞう を形成 けいせい しつつ展開 てんかい しているものと理解 りかい される[ 206] 。
また、2016年 ねん よりインド政府 せいふ 認可 にんか のヨガ検定 けんてい が一般 いっぱん 社団 しゃだん 法人 ほうじん 全日本 ぜんにほん ヨガ連盟 れんめい によって実施 じっし されている[ 242] 。
静的 せいてき なヨーガでは、緊張 きんちょう を緩 ゆる めて体 からだ を楽 らく に保 たも ち、心 しん を無限 むげん 性 せい に集中 しゅうちゅう させ瞑想 めいそう にふけるために、座 ざ 法 ほう の熟達 じゅくたつ が目指 めざ される。『ヨーガ・スートラ』では座 ざ 法 ほう の名前 なまえ は挙 あ げられていないが、ヴィヤーサの『注解 ちゅうかい 』では蓮華 れんげ 座 ざ (結跏趺坐 けっかふざ に相当 そうとう )、英雄 えいゆう 座 ざ など12種類 しゅるい があり、後世 こうせい になるとますます増 ふ えて84種類 しゅるい にもなっている。
インド最古 さいこ の文献 ぶんけん 『リグ・ヴェーダ 』には幻覚 げんかく 作用 さよう のある植物 しょくぶつ とみられるソーマ が登場 とうじょう し、祭祀 さいし で重要 じゅうよう な役目 やくめ をはたしていたが、アーリア人 じん はインド移住 いじゅう によってソーマを入手 にゅうしゅ できなくなったと思 おも われ、意識 いしき の変性 へんせい を引 ひ き起 お こす苦行 くぎょう とヨーガが発展 はってん していった。
梵我一如 いちにょ を達成 たっせい するための修行 しゅぎょう は、始 はじ めは肉体 にくたい を酷使 こくし する苦行 くぎょう (tapas、熱 ねつ の意 い 。難行 なんぎょう ・荒行 あらぎょう )であったが、のちに精神 せいしん 統一 とういつ や集中 しゅうちゅう 、人間 にんげん の内面 ないめん の探求 たんきゅう や分析 ぶんせき を重視 じゅうし するヨーガが主流 しゅりゅう となっていった。苦行 くぎょう が肉体 にくたい を苦 くる しめることで強 つよ い緊張 きんちょう を伴 ともな う精神 せいしん 状態 じょうたい を生 しょう じるのに対 たい し、ヨーガ(静的 せいてき なヨーガ)は平静 へいせい な観想 かんそう を本質 ほんしつ とするものであり、両者 りょうしゃ は多 おお くの関係 かんけい があるが、同一 どういつ であるとは言 い い難 がた い。ハタ・ヨーガはヨーガが苦行 くぎょう を取 と り入 い れて生 しょう じた。
インドでは、インドリヤ(感官 かんかん 、感覚 かんかく 器官 きかん )は積極 せっきょく 的 てき に対象 たいしょう をとらえるもので、感官 かんかん が対象 たいしょう をとらえることで、欲望 よくぼう 、執着 しゅうちゃく が起 お こると考 かんが えられた。感官 かんかん は外部 がいぶ の情報 じょうほう を受 う け取 と る受動 じゅどう 的 てき な器官 きかん であるという現代 げんだい 的 てき な理解 りかい とは非常 ひじょう に異 こと なる。対象 たいしょう を捉 とら えようといわば暴走 ぼうそう している感官 かんかん を制御 せいぎょ することが重要 じゅうよう であり、インドでは心 しん がどっしりとして冷静 れいせい で落 お ち着 つ いている人 ひと を「感官 かんかん を制御 せいぎょ した人 ひと 」(ジーテンドリヤ)と呼 よ んで高 たか く評価 ひょうか する。感官 かんかん の制御 せいぎょ は、現代 げんだい 的 てき に言 い うと自制心 じせいしん に近 ちか い。
ヨーガの技術 ぎじゅつ ・身心 しんしん 観 かん は複雑 ふくざつ 多様 たよう であるが、あくまで瞑想 めいそう の経験 けいけん ・実証 じっしょう をベースとする。インドの思想 しそう は極 きわ めて形而上学 けいじじょうがく 的 てき な印象 いんしょう を与 あた えるが、ヨーガの徹底的 てっていてき な経験 けいけん と実証 じっしょう によって哲学 てつがく 的 てき ・宗教 しゅうきょう 的 てき 思索 しさく が構築 こうちく されており、言葉 ことば による思索 しさく をヨーガの実践 じっせん に落 お とし込 こ んだわけではない。サーンキヤ学派 がくは 、ヴェーダーンタ学派 がくは 等 とう のインドの宗教 しゅうきょう 諸派 しょは の中心 ちゅうしん 的 てき 信念 しんねん は、高度 こうど な精神 せいしん 集中 しゅうちゅう による非 ひ 日常 にちじょう 的 てき な意識 いしき 状態 じょうたい によって体験 たいけん されるもので、思索 しさく とは別 べつ の心 しん の働 はたら き方 かた といえる。インド思想 しそう の、物質 ぶっしつ 的 てき な現実 げんじつ は幻想 げんそう (マーヤー )であり、自分 じぶん の心 しん の内 うち から開示 かいじ されていく世界 せかい こそ真 しん の存在 そんざい であり、高次 こうじ の現実 げんじつ であるという考 かんが え方 かた は、ヨーガの瞑想 めいそう の体験 たいけん がベースになっている。
古典 こてん ヨーガの哲学 てつがく がサーンキヤ 哲学 てつがく の世界 せかい 観 かん をベースとし精神 せいしん と物質 ぶっしつ の二元論 にげんろん であるのに対 たい し、ハタ・ヨーガは一元論 いちげんろん のヴェーダーンタ 哲学 てつがく により近 ちか い概念 がいねん を採用 さいよう している。ハタ・ヨーガにおける三昧 ざんまい は、塩 しお が水 みず に溶 と けて一体 いったい になるがごとく個我 こが (ジーヴァートマン)と最高 さいこう 我 わが (パラマートマン)が合一 ごういつ することとされたが、こうした考 かんが えは、精神 せいしん と物質 ぶっしつ が完全 かんぜん に無関係 むかんけい になった状態 じょうたい を三昧 ざんまい とするヨーガ学派 がくは の教 きょう 説 せつ とはかなり異 こと なっている。
純粋 じゅんすい に精神 せいしん 的 てき な最高 さいこう 実在 じつざい である純粋 じゅんすい 精神 せいしん は無 む 活動 かつどう であると考 かんが えられていたが、タントラ思想 しそう のハタ・ヨーガではこれに力 ちから (シャクティ)を認 みと め、この力 ちから が現象 げんしょう 世界 せかい を形成 けいせい するとしており、逆 ぎゃく の立場 たちば をとる。
ヨーガは、超越 ちょうえつ することで得 え られるであろう個人 こじん 、個体 こたい の精神 せいしん 的 てき 至福 しふく を確信 かくしん し、それを追求 ついきゅう する行 くだり 法 ほう であり、生 い きながら物質 ぶっしつ 的 てき な現実 げんじつ 世界 せかい とその生 せい を否定 ひてい するという面 めん がある。初期 しょき 仏教 ぶっきょう のヨーガ、古典 こてん ヨーガ、禅 ぜん などが心 しん の働 はたら きを止 とめ 滅 ほろぼ させることを目指 めざ す一方 いっぽう 、後期 こうき に生 しょう じたヒンドゥー教 きょう のハタ・ヨーガ、密教 みっきょう のヨーガは心 しん の働 はたら きを活性 かっせい 化 か させるもので、現世 げんせい 肯定 こうてい 的 てき である。
インドにはタントラ 、タントリズムと呼 よ ばれる潮流 ちょうりゅう があり、定義 ていぎ は困難 こんなん であるが、ウパニシャッド の梵我一如 いちにょ に表 あらわ される大 だい 宇宙 うちゅう と小宇宙 しょううちゅう の相関 そうかん 符合 ふごう の神秘 しんぴ 思想 しそう によって世界 せかい 観 かん が基礎 きそ づけられており、絶対 ぜったい 的 てき 最高 さいこう 原理 げんり を認 みと め、これと融合 ゆうごう ・合一 ごういつ することで生前 せいぜん 解脱 げだつ することを目指 めざ し、現世 げんせい を肯定 こうてい してそれを自在 じざい に支配 しはい しようという教義 きょうぎ と実践 じっせん の体系 たいけい であると言 い える。ハタ・ヨーガはタントリズムの一部 いちぶ である。
タントリズムでは、解脱 げだつ と現世 げんせい の享受 きょうじゅ が主 おも な関心事 かんしんじ であり、解脱 げだつ と共 とも に神通力 じんずうりき ・神秘 しんぴ 力 りょく の体得 たいとく がもてはやされ、タントリズム特有 とくゆう の行法 ぎょうほう の秘 ひ 儀 ぎ ・神秘 しんぴ 的 てき 人体 じんたい 学 がく が発達 はったつ した。宇宙 うちゅう 生命 せいめい 力 りょく としてのプラーナ が、人体 じんたい のナーディー(脈 みゃく 管 かん )を循環 じゅんかん し、チャクラに集約 しゅうやく されると考 かんが えられた。ヨーガによって会 かい 陰部 いんぶ のムーラダーラ・チャクラのクンダリニー女神 めがみ を目覚 めざ めさせ、頭頂 とうちょう のサハスラーラのシヴァ神 しん と合一 ごういつ することで法悦 ほうえつ に浸 ひた るとされ、このヨーガに関連 かんれん して、マンダラ、ヤントラ、チャクラ、ムドラーといった神秘 しんぴ 的 てき 道具 どうぐ 、附属 ふぞく 物 ぶつ が考案 こうあん され、グルによる入信 にゅうしん 聖 ひじり 別 べつ 式 しき は秘密 ひみつ 性 せい を深 ふか めた。
秘 ひ 儀 ぎ 性 せい は常識 じょうしき を超 こ えた社会 しゃかい 的 てき 禁忌 きんき へと接近 せっきん させ、肉食 にくしょく 、飲酒 いんしゅ 、乱交 らんこう の勧 すす めともなった。タントリズムでは、女神 めがみ から魔女 まじょ まで女性 じょせい に帰 かえ せられる宇宙 うちゅう のエネルギーであるシャクティ が重視 じゅうし され、解脱 げだつ の障碍 しょうがい にも宇宙 うちゅう 支配 しはい の具 ぐ ともなるシャクティをなだめ支配 しはい する必要 ひつよう があるとされ、これは性 せい の謳歌 おうか に通 つう じたが、退廃 たいはい の危険 きけん 性 せい をはらみ、淫乱 いんらん ・狂 きょう 操 みさお という性格 せいかく も持 も っていた。人身 じんしん 供 きょう 儀 ぎ のような、血 ち なまぐさく陰惨 いんさん な側面 そくめん もみられた。
6つのチャクラの図 ず 、18世紀 せいき
レッドビータに始 はじ まる虹色 にじいろ チャクラ説 せつ のチャクラの色 いろ と場所 ばしょ 。
チャクラとそれに関連 かんれん する信仰 しんこう は、タントラ的 てき ・密教 みっきょう 的 てき な伝統 でんとう の中 なか で重視 じゅうし されてきたが、古典 こてん ヨーガ(主流 しゅりゅう のヨーガ)とは直接 ちょくせつ 関係 かんけい はない[ 40] [ 41] 。インド学者 がくしゃ のエドウィン・ブライアントらによると、解脱 げだつ 、悟 さと りなどと呼 よ ばれるヨーガの目標 もくひょう である霊的 れいてき 解放 かいほう は、古典 こてん ヨーガでは、チャクラを採用 さいよう するタントラ的 てき なシステムとは全 まった く異 こと なる方法 ほうほう で達成 たっせい され、チャクラ、ナーディ、クンダリニーといったタントラの生理学 せいりがく は、古典 こてん ヨーガにおいて周辺 しゅうへん 的 てき なものにすぎないとしている[ 40] [ 41] 。
ハタ・ヨーガの実践 じっせん はチャクラ 理論 りろん に依拠 いきょ しており、これはタントラ的 てき な身体 しんたい 観 かん である。こうしたタントラ的 てき な身体 しんたい 観 かん はヒンドゥー・ヨーガ、密教 みっきょう 、チベット仏教 ぶっきょう に見 み られるが、そのチャクラの数 かず 、言及 げんきゅう される色 いろ は一定 いってい していない。
チャクラを7つに固定 こてい し、各 かく チャクラのプラーナ の色 いろ に虹 にじ の7色 しょく をあてる考 かんが えが現代 げんだい では普及 ふきゅう しているが、これは伝統 でんとう 的 てき なものではなくインド思想 しそう を取 と り入 い れ近代 きんだい 神 かみ 智学 ちがく を唱 とな えた神 かみ 智学 ちがく 協会 きょうかい のメンバーであるチャールズ・ウェブスター・レッドビータ (1854年 ねん - 1934年 ねん )が20世紀 せいき に考案 こうあん したものである。
神通力 じんずうりき (超 ちょう 能力 のうりょく )の獲得 かくとく [ 編集 へんしゅう ]
ヨーガの実践 じっせん で神通力 じんずうりき (超 ちょう 自然 しぜん 力 りょく 、超 ちょう 能力 のうりょく 、自在 じざい 力 りょく )が身 み につくと考 かんが えられていた。古 こ ウパニシャッドの『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』では、ヨーガの修練 しゅうれん によって「ヨーガの火 ひ より成 な る」身体 しんたい を得 え たヨーガ行者 ぎょうじゃ は、まず軽快 けいかい 、無病 むびょう 、無欲 むよく 、喜色 きしょく 、美声 びせい 、妙香 みょうこう 、排泄 はいせつ 物 ぶつ が少 すく なくなるなどの生理 せいり 的 てき 変化 へんか が起 お こり、不老不死 ふろうふし さえ得 え られるとされた。
古典 こてん ヨーガでは、修行 しゅぎょう の途中 とちゅう で直観 ちょっかん 知 ち や識別 しきべつ 知 ち などのなどの特別 とくべつ な知 ち と共 とも に、様々 さまざま な超 ちょう 能力 のうりょく が身 み につくとされた。ヴィヤーサ の『ヨーガ・スートラ』の註、『マハーバーラタ 』でヨーガで身 み につくとされたのは次 つぎ の8種 しゅ の神通力 じんずうりき である。
微細 びさい 化 か :極微 きょくび になることであり、それにより石 いし にさえも進入 しんにゅう する。
軽 けい 化 か :軽 かる くなることであり、それにより、太陽光 たいようこう 線 せん を掴 つか み、太陽 たいよう 界 かい に至 いた る。
大化 たいか :大 おお きな状態 じょうたい であり、それにより、大 おお きくなる。
獲得 かくとく :それにより、指先 ゆびさき で月 つき に触 ふ れることである。
意欲 いよく 自在 じざい :意志 いし が妨害 ぼうがい されないことであり、それにより、水 みず においてのごとくに、地面 じめん に現 あらわ れたり、潜 もぐ ったりできる。
支配 しはい :それにより、存在 そんざい 物 ぶつ と〔それから〕生 う まれたものを確実 かくじつ に支配 しはい することである。
統御 とうぎょ :存在 そんざい 物 ぶつ と〔それから〕生 う まれたものの生成 せいせい ・配置 はいち ・帰 かえり 滅 めつ を統御 とうぎょ する。
望 のぞ み通 どお りの決定 けってい (欲望 よくぼう の抑制 よくせい ):真実 しんじつ 〔を実現 じつげん させる〕意志 いし であり、それにより、ある人 ひと が存在 そんざい 物 ぶつ に対 たい し意志 いし があるならば、まさに存在 そんざい 物 ぶつ がその通 とお りに成 な る。
古典 こてん ヨーガでは、こうした超 ちょう 能力 のうりょく は修行 しゅぎょう が特定 とくてい の段階 だんかい まで進 すす むと自然 しぜん と発現 はつげん するとされ、自 みずか らの修行 しゅぎょう の段階 だんかい を知 し る材料 ざいりょう にもなるが、究極 きゅうきょく 的 てき な三昧 ざんまい に至 いた るには妨 さまた げになると考 かんが えられた。一方 いっぽう ハタ・ヨーガでは、超 ちょう 能力 のうりょく の獲得 かくとく が重要 じゅうよう な目的 もくてき となっている。
近 きん 現代 げんだい のオカルティストで神 かみ 智学 ちがく 協会 きょうかい に所属 しょぞく したチャールズ・ウェブスター・レッドビータ は、ハタ・ヨーガにより「透視 とうし 力 ちから 」を得 え ると、オーラ の感知 かんち 、さらにはアカシック・レコード と呼 よ ばれる霊的 れいてき な記憶 きおく の場 ば にアクセスすることによる過去 かこ 視 し ・未来 みらい 視 し が可能 かのう になるとしている[ 258] 。
パタンジャリの彫像 ちょうぞう (ハリドワール)
心 しん の作用 さよう の止 とめ 滅 めつ を目指 めざ す静的 せいてき なヨーガである。教典 きょうてん はパタンジャリ の『ヨーガ・スートラ 』(紀元 きげん 後 ご 4-5世紀 せいき 頃 ごろ )。サーンキヤ学派 がくは 同様 どうよう に、宇宙 うちゅう の究極 きゅうきょく 的 てき な原理 げんり として純粋 じゅんすい 精神 せいしん (プルシャ)と根本 こんぽん 物質 ぶっしつ (プラクリティ)とを認 みと める二元論 にげんろん であり、根本 ねもと 物質 ぶっしつ から統覚 とうかく 器官 きかん ・自我 じが 意識 いしき ・思考 しこう 器官 きかん という心 こころ (心理 しんり ・認識 にんしき 機能 きのう を司 つかさど る器官 きかん )を含 ふく め、一切 いっさい が展開 てんかい するとみなす。よって、心 しん は本来 ほんらい の自己 じこ である純粋 じゅんすい 精神 せいしん とは本質 ほんしつ が異 こと なる物質 ぶっしつ 的 てき なものであるとする。心 しん の作用 さよう には煩悩 ぼんのう 性 せい があり、煩悩 ぼんのう を原因 げんいん とする経験 けいけん によって業 ごう が心 しん の中 なか に蓄積 ちくせき するため、苦行 くぎょう ・学習 がくしゅう ・最高 さいこう 神 しん (イーシュヴァラ 、自在 じざい 神 しん )への祈念 きねん という行作 ぎょうさく ヨーガ(クリヤー・ヨーガ、『ヨーガ・スートラ』2:1。クリヤーは行為 こうい の意 い )の実践 じっせん で煩悩 ぼんのう を弱 よわ め、禅定 ぜんじょう によって煩悩 ぼんのう の活動 かつどう をし止 とめ 滅 ほろぼ させることで、作用 さよう を伴 ともな う心 しん は根本 こんぽん 物質 ぶっしつ に帰 かえ り、輪廻 りんね は消滅 しょうめつ し、肉体 にくたい の死 し とともに完全 かんぜん な解脱 げだつ が実現 じつげん できるとされた。古典 こてん ヨーガは、後世 こうせい ではラージャ・ヨーガとも呼 よ ばれた。
『ヨーガ・スートラ』第 だい 2章 しょう 29節 せつ は、実 じつ 修法 しゅほう として以下 いか の八 はち 部門 ぶもん が説 と かれている。
ヤマ (禁 きん 戒):不 ふ 殺生 せっしょう ・真実 しんじつ ・不 ふ 盗 ぬすめ ・不 ふ 淫 いん ・無 む 所有 しょゆう の五戒 ごかい の実践 じっせん
ニヤマ(勧戒 かんかい )・内外 ないがい の清浄 せいじょう ・満足 まんぞく ・苦行 くぎょう ・学習 がくしゅう (読誦 とくしょう )・最高 さいこう 神 しん への祈念 きねん
アーサナ (座 ざ 法 ほう )
プラーナーヤーマ (調 しらべ 気 き 、調 しらべ 息 いき )
プラティヤーハーラ(制 せい 感 かん )
ダーラナー(凝 しこり 念 ねん ):心 しん を特定 とくてい の場所 ばしょ に縛 しば りつけること。縛 しば り付 つ ける対象 たいしょう は『ヨーガ・スートラ』には実例 じつれい は挙 あ げられていないが、へその輪 わ 、心臓 しんぞう の蓮華 れんげ 、頭蓋 とうがい の光明 こうみょう 、鼻 はな の先 さき 、舌 した の先 さき や外部 がいぶ の対象 たいしょう などがあるとされる。ディヤーナへのプロセスである。
ディヤーナ(静 しずか 慮 おもんばか 、禅定 ぜんじょう ):ダーラナーと同一 どういつ の対象 たいしょう に想念 そうねん を集中 しゅうちゅう すること。サマーディへのプロセスである。
サマーディ(三昧 ざんまい ):ディヤーナと同 おな じ対象 たいしょう だけが顕 あらわ れていて、本性 ほんしょう が無 な くなったかのような状態 じょうたい 。
第 だい 1段階 だんかい と第 だい 2段階 だんかい は、当時 とうじ の宗教 しゅうきょう や哲学 てつがく 体系 たいけい で説 と かれた実践 じっせん 徳目 とくもく と共通 きょうつう するものが多 おお い。第 だい 2段階 だんかい (ニヤマ)のうち、タパス(苦行 くぎょう )、スヴァディアーヤ(読誦 とくしょう )、イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在 じざい 神 しん 祈念 きねん 、念 ねん 神 しん )の3つはクリヤー・ヨーガ(実践 じっせん ヨーガ、行事 ぎょうじ ヨーガ)と呼 よ ばれ、準備 じゅんび 段階 だんかい に当 あ たる。安定 あんてい した座 ざ 法 ほう で(アーサナ)呼吸 こきゅう を調整 ちょうせい し(プラーナーヤーマ)、外界 がいかい の支配 しはい から感覚 かんかく を引 ひ き離 はな して対象 たいしょう と感覚 かんかく を切 き り離 はな すことで、感覚 かんかく 器官 きかん を支配 しはい 下 か に置 お く(プラティヤーハーラ)。心 しん を一 いち か所 しょ に集中 しゅうちゅう し(ダーラナー)、さらに他 た の観念 かんねん に妨 さまた げられずに中断 ちゅうだん することなく持続 じぞく し(ディヤーナ)、ついに集中 しゅうちゅう する対象 たいしょう のみとなって自身 じしん が対象 たいしょう そのものであるかのようになる(サマーディ)。第 だい 6から8段階 だんかい は同一 どういつ の対象 たいしょう に対 たい して行 おこな い、これをサンヤーマ(綜制)と言 い い、熟達 じゅくたつ することで真 しん の智 さとし の輝 かがや きに達 たっ し、解放 かいほう されると考 かんが えられた。
実 じつ 修法 しゅほう は8つの段階 だんかい で構成 こうせい されることから、ラージャ・ヨーガをアシュターンガ・ヨーガ(八 はち 支 ささえ ヨーガ)[ † 13] とも言 い う。ハタ・ヨーガをラージャ・ヨーガの準備 じゅんび 段階 だんかい として用 もち いることもある。
『ヨーガ・スートラ』に先行 せんこう し紀元 きげん 前後 ぜんこう に成立 せいりつ した『バガヴァッド・ギーター 』では、ヨーガ思想 しそう と結合 けつごう したサーンキヤ説 せつ (ヨーガ学派 がくは )としてサーンキヤ・ヨーガ説 せつ がみられ、サーンキヤ・ヨーガはジュニャーナ・ヨーガとも呼 よ ばれている。サーンキヤ・ヨーガによって「行為 こうい (カルマ)の束縛 そくばく を断 た つ」ことが目指 めざ されており、「ある者 もの は、静 しずか 慮 おもんばか (dhyāna 禅定 ぜんじょう )によってアートマンの中 なか に、アートマンによって、アートマンを見 み る。他 た の人々 ひとびと は,サーンキヤ・ヨーガ〔の知 ち 〕によって、また他 た の人々 ひとびと は、カルマ・ヨーガ〔の行 くだり 〕によって〔アートマンを見 み る〕。」と説 と かれている。サーンキヤ・ヨーガとカルマ・ヨーガは二 ふた つの立脚 りっきゃく 地 ち であるが、両者 りょうしゃ は同一 どういつ であるともされており、どちらの道 みち を進 すす んでも両者 りょうしゃ の果報 かほう を得 え ると述 の べられている。
二元論 にげんろん のサーンキヤ学派 がくは ・ヨーガ学派 がくは は、6世紀 せいき を過 す ぎると徐々 じょじょ に支持 しじ を弱 よわ め、10世紀 せいき を過 す ぎると衰退 すいたい した。19世紀 せいき 半 なか ば時点 じてん で、古典 こてん ヨーガを体系 たいけい 的 てき に指導 しどう できるインド人 じん はすでにいなかったようである
ラージャ・ヨーガ(राज योग、心理 しんり 的 てき ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
「ラージャ」は「王 おう の」という意味 いみ である。「マハー(偉大 いだい な)・ヨーガ」とも呼 よ ばれる。ヴィヴェーカーナンダ は19世紀 せいき 末 まつ にジュニャーナ、バクティ、カルマ、ハタを四 よん 大 だい ヨーガとして、その総称 そうしょう をラージャ・ヨーガとしたが、後 のち にラージャ・ヨーガは第 だい 5のヨーガを指 さ す言葉 ことば とされるようになった。今日 きょう ではラージャ・ヨーガは『ヨーガ・スートラ』に示 しめ される古典 こてん ヨーガと同義 どうぎ とされる。ただし、ラージャ・ヨーガという言葉 ことば の文献 ぶんけん 上 じょう の初出 しょしゅつ はハタ・ヨーガの教典 きょうてん 『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 』にある[ † 14] 。
インドの宗教 しゅうきょう 哲学 てつがく の研究 けんきゅう 者 しゃ 中村 なかむら 元 はじめ は、佐 さ 保田 やすだ 鶴治 つるじ のヨーガの特徴 とくちょう の解説 かいせつ をベースに、ラージャ・ヨーガを心理 しんり 的 てき 、ジュニャーナ・ヨーガ(知 ち 慧 とし のヨーガ)を哲学 てつがく 的 てき と特徴 とくちょう を説明 せつめい している。『バガヴァッド・ギーター』においてジュニャーナ・ヨーガとはサーンキヤ・ヨーガであるため、ジュニャーナ・ヨーガとラージャ・ヨーガを区別 くべつ することが可能 かのう なのかはわからない。
クリヤー・ヨーガ(क्रिया योग、実践 じっせん ヨーガ、行事 ぎょうじ ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
『ヨーガ・スートラ』において、イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在 じざい 神 しん 祈念 きねん 、念 ねん 神 しん )、スヴァディアーヤ(読誦 とくしょう )、タパス(苦行 くぎょう )の3つが、クリヤー・ヨーガ(実践 じっせん ヨーガ、行事 ぎょうじ ヨーガ)と呼 よ ばれる。三昧 ざんまい を修習 しゅうしゅう し煩悩 ぼんのう を弱 よわ めるためのもので、三昧 ざんまい を達成 たっせい するために欠 か かせないヨーガである。
ジュニャーナ・ヨーガ (ज्ञान योग、哲学 てつがく 的 てき ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
ジュニャーナ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) は知 ち のヨーガである。ここでのヨーガは、行法 ぎょうほう 体系 たいけい ではなく、宗教 しゅうきょう 実践 じっせん の道 みち や方法 ほうほう を意味 いみ している。超越 ちょうえつ 的 てき な真理 しんり の認識 にんしき を重 おも んじ、霊肉 れいにく の関係 かんけい を正 ただ しく分別 ふんべつ することを学 まな ぶ。
『バガヴァッド・ギーター』で説 と かれた解脱 げだつ に至 いた る3つの道 みち のうちの一 ひと つであり、ジュニャーナ・マールガ(知識 ちしき の道 みち )は、正 ただ しい知識 ちしき を学 まな び、正 まさ しく認識 にんしき することによって解脱 げだつ に到達 とうたつ するとされている。『バガヴァッド・ギーター』で言 い われるジュニャーナ・ヨーガは、無 む 神 かみ 論 ろん ・二元論 にげんろん のヨーガであるサーンキヤ ・ヨーガ学派 がくは のことである。静 しず かに座 ざ して観法 かんぽう すること主 おも とする、非 ひ 行動 こうどう 的 てき な、哲学 てつがく 的 てき ヨーガである。
真 ま 我 が (観照 かんしょう 能力 のうりょく )と自性 じしょう (宇宙 うちゅう 的 てき 普遍 ふへん 存在 そんざい )の一致 いっち による解脱 げだつ を目的 もくてき とした。絶対 ぜったい 者 しゃ との本質 ほんしつ 的 てき 合一 ごういつ を己 おのれ の精神 せいしん の中 なか に確立 かくりつ することを目指 めざ すもので、ウパニシャッド の梵我一如 いちにょ の思想 しそう の流 なが れを汲 く むものとなっている。唯 ただ 一 いち 絶対 ぜったい なる存在 そんざい への帰一 きいつ を目指 めざ すものと理解 りかい されるようになり、ヴェーダーンタ 学派 がくは 、特 とく にシャンカラに由来 ゆらい する不 ふ 二 に 一元論 いちげんろん 派 は で重視 じゅうし されている)。シャンカラは著書 ちょしょ 『バガヴァッド・ギーター註解 ちゅうかい 』で、祭祀 さいし の実行 じっこう といった世俗 せぞく 的 てき な繁栄 はんえい をもたらす「活動 かつどう を促 うなが すことを特徴 とくちょう とするダルマ」は心 しん の浄化 じょうか を通 つう じて間接 かんせつ 的 てき に解脱 げだつ につながるものにすぎず、ウパニシャッド に説 と かれる梵我一如 いちにょ の知識 ちしき である「活動 かつどう を止 とめ 滅 ほろぼ させることを特徴 とくちょう とするダルマ」ジュニャーナ・マールガこそが至福 しふく すなわち解脱 げだつ への道 みち であり、『バガヴァッド・ギーター』が真 しん に意図 いと するところであるとしている。
カルマ・ヨーガ (कर्म योग、倫理 りんり 的 てき ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
ティラク
カルマ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) は行 こう のヨーガであり、ここでのヨーガは、行法 ぎょうほう 体系 たいけい ではなく、宗教 しゅうきょう 実践 じっせん の道 みち や方法 ほうほう を意味 いみ している。日常 にちじょう 生活 せいかつ を修行 しゅぎょう の場 ば ととらえ、行為 こうい (カルマ)の結果 けっか としての報酬 ほうしゅう を求 もと めず、願 ねが いを持 も たず、ただ各自 かくじ の義務 ぎむ ・本務 ほんむ (ダルマ )を行 おこな う実践 じっせん 倫理 りんり のヨーガである。バール・ガンガーダル・ティラク など、インド独立 どくりつ 運動 うんどう の志士 しし たちが重視 じゅうし した。
この語 かたり はウパニシャッドには見 み られず、『バガヴァッド・ギーター 』で初 はじ めて強調 きょうちょう され、解脱 げだつ に至 いた る3つの道 みち のうちの一 ひと つとして説 と かれた。『バガヴァッド・ギーター』には、サーンキヤ・ヨーガ(ジュニャーナ・ヨーガ )と対比 たいひ されるヨーガ行者 ぎょうじゃ の行法 ぎょうほう としての用法 ようほう がみられる。サンニヤーサ・ヨーガ(行為 こうい の厭離 えんり ・放擲 ほうてき (ほうてき))とカルマ・ヨーガ(行為 こうい の実践 じっせん による心 しん 統一 とういつ )が比較 ひかく され、カルマ・ヨーガの方 ほう がより優 すぐ れるとも説 と かれた。
カルマ・マールガ(行為 こうい の道 みち 、実践 じっせん の道 みち )は、先祖 せんぞ 祭祀 さいし の実行 じっこう 、正 ただ しい日常 にちじょう 生活 せいかつ 、正 ただ しいヨーガを学 まな んで実践 じっせん することで、心身 しんしん を清 きよ め、解脱 げだつ に到達 とうたつ するものとされている。各 かく ヴァルナ (身分 みぶん )の義務 ぎむ の遂行 すいこう を説 と いており、出家 しゅっけ 者 しゃ 向 む けでなく在家 ざいけ 者 しゃ のための教 おし えであると理解 りかい されている。ただし、シャンカラはこれを一段 いちだん 低 ひく いヨーガとみなしていた。
サンニヤーサ・ヨーガ(行為 こうい の厭離 えんり ・放擲 ほうてき )[ 編集 へんしゅう ]
カルマ・サンニヤーサ (英語 えいご 版 ばん ) とも。『バガヴァッド・ギーター』で説 と かれるヨーガである。行為 こうい の放棄 ほうき であり、行為 こうい の結果 けっか を他者 たしゃ に委 ゆだ ねるということを、さらには「知 ち 」を最高 さいこう 神 しん (ブラフマン)あるいはヴィシュヌ神 しん に、または自身 じしん の奥 おく にあるプルシャに全 すべ て委 ゆだ ねることである[ 273] 。サンニヤーサ(厭離 えんり )のためにはジュニャーナ・ヨーガ(サーンキヤ・ヨーガ、知 ち のヨーガ)に続 つづ き、カルマ・ヨーガ(行為 こうい のヨーガ)が必要 ひつよう であるとされる[ 273] 。
サンニヤーサ(厭離 えんり )によって行為 こうい (カルマ)の離脱 りだつ という最高 さいこう の完成 かんせい に到達 とうたつ すると説 と かれているが、「サンニヤーサ(厭離 えんり )のみによって完成 かんせい に至 いた ることはない」とも説 と かれ、行為 こうい の離脱 りだつ には行為 こうい が必要 ひつよう とされている。『バガヴァッド・ギーター』では、行為 こうい の厭離 えんり よりも行為 こうい の実行 じっこう が重 おも んじられている。サンニヤーサによって自身 じしん のこだわりをクリシュナに、ヴィシュヌに、またはブラフマンに委 ゆだ ね、本性 ほんしょう によって定 さだ められた行為 こうい に徹 てっ すれば(カルマ・ヨーガ)、人 ひと は罪 つみ に至 いた ることはないとされた。一切 いっさい の行為 こうい を神 かみ に委 ゆだ ねることによって信頼 しんらい (バクティ)が生 しょう じるため、そう感 かん じられるよう知識 ちしき をヨーガ(ジュニャーナ・ヨーガ)するよう勧 すす められている[ 273] 。
「サンニヤーサ」は、のちにサンニヤーシン“出家 しゅっけ 者 しゃ ”という意味 いみ でつかわれるようになった[ 273] 。
ハタ・ヨーガ (हठयोग、生理 せいり 的 てき ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
ナーディー、チャクラ、クンダリニーの図 ず
「ハタ」は「力 ちから 」(ちから)を意味 いみ する。教義 きょうぎ 上 じょう 、「ハ」は太陽 たいよう 、「タ」は月 つき をそれぞれ意味 いみ すると説明 せつめい されることもある[ † 15] 。アーサナ (姿勢 しせい )、プラーナーヤーマ (呼吸 こきゅう 法 ほう )、ムドラー(印 しるし ・手 て 印 しるし や象徴 しょうちょう 的 てき な体位 たいい のこと)、クリヤー/シャットカルマ(浄化 じょうか 法 ほう )、バンダ(制御 せいぎょ ・締 し め付 つ け)などの肉体 にくたい 的 てき 操作 そうさ により、深 ふか い瞑想 めいそう の条件 じょうけん となる強健 きょうけん で清浄 せいじょう な心身 しんしん を作 つく り出 だ すヨーガ。その萌芽 ほうが は8-9世紀 せいき ないし9-10世紀 せいき 頃 ころ に遡 さかのぼ り、13世紀 せいき のゴーラクシャナータによって確立 かくりつ したとされる[ † 16] 。『ハタ・ヨーガ』と『ゴーラクシャ・シャタカ』という教典 きょうてん を書 か き残 のこ したと言 い われているが、前者 ぜんしゃ は現存 げんそん していない。インドにおいて社会 しゃかい が荒廃 こうはい していた時期 じき に密教 みっきょう (タントラ)化 か した集団 しゅうだん がハタ・ヨーガの起源 きげん と言 い われる場合 ばあい もある。欧米 おうべい など世界 せかい 的 てき に学習 がくしゅう されているハタ・ヨーガの大半 たいはん は、伝統 でんとう 的 てき なハタ・ヨーガとは別 べつ 系統 けいとう である。アーサナ が中心 ちゅうしん で、身体 しんたい 的 てき なエクササイズの側面 そくめん が重視 じゅうし されている。(→#現代 げんだい のハタ・ヨーガ )
近代 きんだい インドでは、ハタ・ヨーガ(あるいはクンダリニー・ヨーガ)とその実践 じっせん 者 しゃ は、不審 ふしん で望 のぞ ましくない、危険 きけん なものとして避 さ けられる傾向 けいこう にあった。(#中世 ちゅうせい を参照 さんしょう )
ラヤ・ヨーガ (クンダリニー・ヨーガ、心霊 しんれい 的 てき ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
ラヤ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義 おうぎ とされ、ラヤとは帰 かえり 入 いれ する、没入 ぼつにゅう するという意味 いみ である。クンダリニーとの合一 ごういつ を目指 めざ し、これをクンダリニー ・ヨーガともいう。クンダリニー・ヨーガの行法 ぎょうほう はハタ・ヨーガからタントラ・ヨーガの諸 しょ 流派 りゅうは が派生 はせい していくなかで発達 はったつ した。ムーラーダーラに眠 ねむ るというクンダリニーを覚醒 かくせい させ、身体中 からたじゅう のナーディーやチャクラ を活性 かっせい 化 か させ、悟 さと り を目指 めざ すヨーガ。密教 みっきょう の軍 ぐん 荼利明王 みょうおう は、性 せい 力 りょく (シャクティ)を表 あら わすクンダリー(軍 ぐん 荼利)を神格 しんかく 化 か したものであると言 い われることもある。クンダリニーの上昇 じょうしょう を感 かん じたからヨーガが成就 じょうじゅ したというのは早計 そうけい で、その時点 じてん ではまだ「初期 しょき 」の段階 だんかい にすぎない。「火 ひ の呼吸 こきゅう 」と呼 よ ばれる呼吸 こきゅう 法 ほう はクンダリニー・ヨーガの側面 そくめん もあるがイコールではない。
今日 きょう では超 ちょう 心理 しんり 学 がく 的 てき な現象 げんしょう を出現 しゅつげん させるヨーガと考 かんが えられ、注目 ちゅうもく されている。
クンダリニー・ヨーガに相似 そうじ するものとしては、チベット仏教 ぶっきょう のゾクリム(究竟 きゅうきょう 次第 しだい )などがある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
バクティ・ヨーガ (भक्ति योग、宗教 しゅうきょう 的 てき ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
クリシュナが『バガヴァッド・ギーター 』をアルジュナに説 と く場面 ばめん
バクティ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) は、信 しん のヨーガであり、ここでのヨーガは、行法 ぎょうほう 体系 たいけい ではなく、宗教 しゅうきょう 実践 じっせん の道 みち や方法 ほうほう を意味 いみ している。呪法 じゅほう 祭祀 さいし 主義 しゅぎ のバラモン教 ばらもんきょう を否定 ひてい して登場 とうじょう した、バクティ(信愛 しんあい )を精神 せいしん 的 てき 支柱 しちゅう とし、ヨーガを実践 じっせん 的 てき 支柱 しちゅう とする、ヨーガの歴史 れきし の中 なか では比較的 ひかくてき 新 あたら しい運動 うんどう である。有神論 ゆうしんろん のヨーガであり、神 かみ への絶対 ぜったい 帰依 きえ と全 ぜん き信愛 しんあい を重視 じゅうし する宗教 しゅうきょう 的 てき なヨーガである。バクティ・ヨーガは神 かみ を招 まね く方法 ほうほう でもあり、三昧 ざんまい の境地 きょうち で神 かみ と一体化 いったいか することを目指 めざ す。
ヴェーダ聖典 せいてん 一般 いっぱん 、古 こ ウパニシャッドの中 なか にこの語 かたり は見 み られない。『バガヴァッド・ギーター』で説 と かれた解脱 げだつ に至 いた る3つの道 みち のうちの一 ひと つであり、バクティ・マールガ(信愛 しんあい の道 みち )は、神 かみ の恩寵 おんちょう によって解脱 げだつ に到達 とうたつ するものとされている。『バガヴァッド・ギーター』では3つの道 みち のうち最後 さいご に挙 あ げられ、最 もっと も重 おも んじられている。ヒンドゥー教 きょう の諸派 しょは で重視 じゅうし される道 みち である。
マントラ・ヨーガ (मंत्र योग、呪法 じゅほう 的 てき ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
聖 せい 音 おと オーム
神聖 しんせい な呪 のろい 句 く 、特 とく に呪術 じゅじゅつ 的 てき 効果 こうか があると考 かんが えられる神聖 しんせい な音節 おんせつ (種子 しゅし (しゅじ))を唱 とな えることによって解脱 げだつ が得 え られるというヨーガである[ 140] 。マントラ(真言 しんごん )としてはブラフマンを表 あらわ す「オーム」が広 ひろ く知 し られているが、心 しん の平安 へいあん を意味 いみ する「シャンティ」もよく用 もち いられる[ 140] 。ガーヤトリー・マントラ をはじめ、マハー・マントラ、ハレークリシュナ・マントラ等 とう 、主 おも にサンスクリット語 ご のインヴォケーション・マントラ(神 かみ を讃 たた えるマントラ)などがある。音 おと (ヴァイブレーション=振動 しんどう )のヨーガである、ナーダ・ヨーガ (नादयोग)の一種 いっしゅ 。仏教 ぶっきょう の中 なか でも、種子 しゅし を重 おも んじる真言 しんごん 密教 みっきょう と密接 みっせつ な関係 かんけい がある。
マントラに簡単 かんたん なメロディをつけ、コール・アンド・レスポンス (初 はじ めに一人 ひとり が一節 いっせつ を歌 うた い、次 つぎ に参加 さんか 者 しゃ が同様 どうよう に歌 うた う)方式 ほうしき で、複数 ふくすう 人 じん から大勢 おおぜい で歌 うた うものをキールタン (कीर्तन)という。キールタンと混同 こんどう されやすいものにバジャン (भजन) がある。
現代 げんだい では、ヒンドゥー教 きょう 系 けい 新 しん 宗教 しゅうきょう とも言 い われる超越 ちょうえつ 瞑想 めいそう で、マントラを心 しん の中 なか で唱 とな えて雑念 ざつねん を追 お い払 はら う瞑想 めいそう (超越 ちょうえつ 瞑想 めいそう )が行 おこな われる。
基本 きほん 的 てき には、数珠 じゅず を用 もち いて定数 ていすう のマントラを唱 とな えるヨーガ。紙 かみ に定数 ていすう のマントラの文字 もじ を書 か いてゆくものを、リキタ・ジャパという。
数珠 じゅず を繰 く りながら神 かみ 名 めい を繰 く り返 かえ す方法 ほうほう は、インドからヨーロッパに伝 つた えられている。
ヴィヤーヤーマ・ヨーガ(Vyāyāma-yoga、体育 たいいく 的 てき ヨーガ)[ 編集 へんしゅう ]
体育 たいいく を主 おも とするヨーガである。ヨーガの古典 こてん には登場 とうじょう しない。
ブッダが菩提樹 ぼだいじゅ の下 した で行 おこな い悟 さと りを開 ひら いた瞑想 めいそう の一 いち 形態 けいたい で、仏教 ぶっきょう における瞑想 めいそう の基本形 きほんけい である。実践 じっせん することで到達 とうたつ できる心 しん の境地 きょうち を四 よん 段階 だんかい のレベルに分 わ けている。仏教 ぶっきょう では、ブッダ独自 どくじ の瞑想 めいそう 法 ほう であるとみなされているが、ブッダと同 どう 時代 じだい の修行 しゅぎょう 者 しゃ (サマナ、沙門 しゃもん )たちが実践 じっせん していた禅定 ぜんじょう が原型 げんけい であるだろうと考 かんが えられている。
初 はつ 禅 ぜん :もろもろの感覚 かんかく 的 てき な欲望 よくぼう ・不健全 ふけんぜん な状態 じょうたい (欲界 よくかい )から遠 とお 離 はな し、初 はつ 禅 ぜん (瞑想 めいそう 状態 じょうたい )に入 はい る。粗 あら い思考 しこう (対象 たいしょう を志向 しこう する思考 しこう )と微細 びさい な思考 しこう (対象 たいしょう に定着 ていちゃく して観察 かんさつ する思考 しこう )をまだ伴 ともな っているが、遠 とお 離 はなれ によって生 しょう じる喜 よろこ び・安 やす らぎがある状態 じょうたい となる。
第 だい 二 に 禅 ぜん :粗 あら い思考 しこう と微細 びさい な思考 しこう が修 おさ まると、次 つぎ のステージである第 だい 二 に 禅 ぜん に移 うつ る。内心 ないしん が清浄 せいじょう となり、心 しん が統一 とういつ し、心 しん の安定 あんてい によって生 しょう じた喜 よろこ び・安 やす らぎがある状態 じょうたい となる。
第 だい 三 さん 禅 ぜん :喜楽 きらく が静 しず まると、平静 へいせい で、正念 しょうねん (正 ただ しい気 き づき)・正 せい 見 み (正 ただ しい知 ち ・自覚 じかく )があり、身体 しんたい で安 やす らぎを感受 かんじゅ する状態 じょうたい となる。
第 だい 四 よん 禅 ぜん :すでに安楽 あんらく や苦 くる しみ、喜 よろこ びや悲 かな しみもないため、苦 くる しみ・安 やす らぎもなく、心 しん の平静 へいせい さによって気 き づきが純粋 じゅんすい な状態 じょうたい となる。これが正 ただ しい集中 しゅうちゅう である。
止観 しかん (サマタ・バーヴァナーとヴィパッサナー・バーヴァナー)は、三 さん 学 がく の定 じょう と慧 とし にそれぞれ相当 そうとう する。
呼吸 こきゅう など、心 しん を何 なに か一 ひと つのものに集中 しゅうちゅう し(心 しん を結 むす びつけ)、心 しん を静 しず める瞑想 めいそう 法 ほう 。
身体 しんたい の感覚 かんかく 機能 きのう で感 かん じること、五蘊 ごうん と呼 よ ばれる心 しん の働 はたら き等 とう を対象 たいしょう に、複数 ふくすう の対象 たいしょう を次々 つぎつぎ と気 き づきながら、頭 あたま で考 かんが えるのではなく、精神 せいしん を集中 しゅうちゅう し、物事 ものごと の本質 ほんしつ を洞察 どうさつ し、対象 たいしょう を判断 はんだん せず、言葉 ことば を用 もち いずありのままに見 み 、心 しん を振 ふ り向 む けることを通 とお し、無分別 むふんべつ と呼 よ ばれる境地 きょうち を目指 めざ す。パーリ仏典 ぶってん の念 ねん 処 しょ に相当 そうとう すると考 かんが えられる。
心 しん の働 はたら きを観察 かんさつ する時 とき に心 しん を結 むす びつける対象 たいしょう は、カンマッターナ(業 ごう 処 しょ )と呼 よ ばれ、初期 しょき には、歩 ある く動作 どうさ などの身体 しんたい の動 うご き(身 み )、苦楽 くらく などの感受 かんじゅ (受)、心 しん の働 はたら き(心 しん )、誰 だれ もが持 も つ心 しん の働 はたら き(法 ほう 、一般 いっぱん には五 ご 蓋 ぶた と五蘊 ごうん )の四 よっ つに分類 ぶんるい されていた。やがて言葉 ことば も対象 たいしょう となり、短 みじか い言葉 ことば を唱 とな えること、文章 ぶんしょう に心 しん を結 むす びつけることというように言葉 ことば も対象 たいしょう となり、東 ひがし アジア世界 せかい では称名 しょうみょう 念仏 ねんぶつ や唱題 が盛 さか んにおこなわれた。
慈悲 じひ の瞑想 めいそう は現代 げんだい でも大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう で広 ひろ く実践 じっせん されているが、止観 しかん の観点 かんてん から見 み ると、観 かん に入 はい る準備 じゅんび 段階 だんかい と位置付 いちづ けられる。
真言宗 しんごんしゅう の伝統 でんとう 的 てき な瞑想 めいそう 法 ほう で、僧侶 そうりょ の鍛錬 たんれん の方法 ほうほう である。仏 ふつ と行者 ぎょうじゃ の一体 いったい を観想 かんそう するものが、阿字 あじ の観法 かんぽう である[ 284] 。正式 せいしき な阿字 あじ 観 かん への言及 げんきゅう は、弘法大師 こうぼうだいし 空海 くうかい が口述 こうじゅつ したものを、その弟子 でし 実 じつ 慧 とし が記録 きろく したといわれる「阿字 あじ 観 かん 用心 ようじん 口 こう 決 けつ 」が最初 さいしょ といわれる[ 285] 。本尊 ほんぞん である大日如来 だいにちにょらい の象徴 しょうちょう である阿字 あじ 観 かん 掛 か け軸 じく (大 おお きな月輪 げつりん (がちりん)の中 なか に梵字 ぼんじ の「阿 おもね 」が蓮華 れんげ の花 はな の上 うえ に鎮座 ちんざ している図 ず ・曼荼羅 まんだら )の前 まえ に座禅 ざぜん し、半眼 はんがん または目 め を閉 と じて阿字 あじ 観 かん 本尊 ほんぞん を観 み じ、曼荼羅 まんだら 世界 せかい に入 はい っていく[ 285] [ 286] 。
本来 ほんらい 出家 しゅっけ 者 しゃ の修行 しゅぎょう 法 ほう であるが、近年 きんねん では高野山 こうのやま に外部 がいぶ から瞑想 めいそう はないのかという問 と い合 あ わせがあり、一般 いっぱん 向 む けにも指導 しどう が行 おこな われるようになった[ 284] 。僧侶 そうりょ の指導 しどう の下 した で行 おこな われる。
インド後期 こうき 密教 みっきょう ・チベット密教 みっきょう [ 編集 へんしゅう ]
様々 さまざま なタントラ・ヨーガを行 おこな うシッダ (大 だい 成就 じょうじゅ 者 しゃ (英語 えいご 版 ばん ) )達 たち
チベット語 ご ではヨーガのことを ワイリー方式 ほうしき :rnal 'byor (ネンジョル、ネージョル、ナルジョル)という。インド後期 こうき 密教 みっきょう を受 う け継 つ いだチベット密教 みっきょう にもさまざまなヨーガが伝承 でんしょう されている。
夢 ゆめ のヨーガ(英語 えいご 版 ばん ) 、夢 ゆめ ヨーガ (チベット語 ご : rmi-lam もしくは nyilam ; サンスクリット : स्वप्नदर्शन , svapnadarśana )は、チベット仏教 ぶっきょう の密教 みっきょう の階梯 かいてい で行 おこな われるもの。チベット仏教 ぶっきょう では伝統 でんとう 的 てき に、明晰 めいせき 夢 ゆめ を訓練 くんれん で導 みちび き出 だ す技術 ぎじゅつ を養 やしな ってきた。最初 さいしょ は夢 ゆめ の中 なか で、次 つぎ は夢 ゆめ のない睡眠 すいみん の中 なか で、さらに24時間 じかん 常 つね にはっきり覚醒 かくせい した状態 じょうたい を保 たも つ訓練 くんれん を行 おこな い、最終 さいしゅう 的 てき に通常 つうじょう の覚醒 かくせい そのものが夢 ゆめ であるという認識 にんしき を目指 めざ す。
世界 せかい を構成 こうせい する森羅万象 しんらばんしょう が究極 きゅうきょく の存在 そんざい である仏 ふつ たちの顕現 けんげん であることを体得 たいとく する修行 しゅぎょう で、曼陀羅 まんだら の観想 かんそう 法 ほう (瞑想 めいそう 法 ほう )や本尊 ほんぞん 瑜伽 ゆが とも類似 るいじ している。
後期 こうき 密教 みっきょう が究極 きゅうきょく の修行 しゅぎょう 法 ほう として開発 かいはつ した、快楽 かいらく と叡智 えいち の究極 きゅうきょく の関係 かんけい をベースにした性 せい 瑜伽 ゆが にまつわる修行 しゅぎょう 法 ほう で、インドの後期 こうき 密教 みっきょう とそれを受 う け継 つ ぐチベット密教 みっきょう に独特 どくとく のものである。生起 せいき 次第 しだい と、究竟 きゅうきょう 次第 しだい の準備 じゅんび に当 あ たる微細 びさい 瑜伽 ゆが に続 つづ いて行 おこな われるが、チベット密教 みっきょう の究極 きゅうきょく の修行 しゅぎょう 法 ほう で、秘伝 ひでん であり、ごく少 しょう 人数 にんずう にしか伝 つた えられてこなかった。
ヨガマット
ハタ・ヨーガの練習 れんしゅう をする人々 ひとびと
スポーツジムのヨーガ教室 きょうしつ
近 きん 現代 げんだい に創 つく られた、新 あら たな「ハタ・ヨーガ 」にフィットネス等 とう の要素 ようそ を取 と り入 い れ改良 かいりょう を加 くわ えたものが、現代 げんだい 人 じん に人気 にんき である。B.K.S.アイアンガー (1918年 ねん - 2014年 ねん )によって、滑 すべ らない個人 こじん 用 よう のマット上 じょう で実施 じっし することや[ 288] 、補助 ほじょ 具 ぐ を利用 りよう して安全 あんぜん 性 せい や運動 うんどう の効果 こうか を高 たか める工夫 くふう がなされた[ 289] [ 290] 。
現代 げんだい になってティルマライ・クリシュナマチャーリヤ (英語 えいご 版 ばん ) が重視 じゅうし したといわれる「シールシャーサナ」(頭 あたま 立 だ ちのポーズ、ヘッドスタンド)[ 291] 。
現代 げんだい の英語 えいご 圏 けん ではアーサナ に重点 じゅうてん を置 お いた体操 たいそう 的 てき なヨーガがハタ・ヨーガと呼 よ ばれて広 ひろ まっているが、マーク・シングルトンの研究 けんきゅう によると、それは中世 ちゅうせい のハタ・ヨーガが連綿 れんめん と現代 げんだい に伝 つた えられたものではない。その直接的 ちょくせつてき な起源 きげん は、西洋 せいよう の身体 しんたい 鍛錬 たんれん 文化 ぶんか (英語 えいご 版 ばん ) や体操 たいそう 法 ほう の影響 えいきょう を受 う けて20世紀 せいき 初頭 しょとう の数 すう 十 じゅう 年間 ねんかん にインドで形成 けいせい された「創 つく られた伝統 でんとう 」であった。
現在 げんざい 世界 せかい 的 てき に普及 ふきゅう している体操 たいそう 的 てき なヨーガのポーズの多 おお くは、イギリスの筋肉 きんにく 的 てき キリスト教 きりすときょう などを背景 はいけい に19世紀 せいき 後半 こうはん から20世紀 せいき 前半 ぜんはん に西洋 せいよう で発達 はったつ した身体 しんたい 鍛錬 たんれん 運動 うんどう に由来 ゆらい しており、それらはキリスト教 きりすときょう を伝道 でんどう するYMCA やイギリス陸軍 りくぐん によってインドに輸入 ゆにゅう されたものである[ 43] 。宗教 しゅうきょう 社会 しゃかい 学者 がくしゃ の伊藤 いとう 雅之 まさゆき は、この西洋 せいよう 身体 しんたい 鍛錬 たんれん に由来 ゆらい するヨーガ体操 たいそう はハタ・ヨーガと呼 よ ばれるが、現在 げんざい のハタ・ヨーガのアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表 だいひょう される伝統 でんとう 的 てき な古典 こてん ヨーガや中世 ちゅうせい 以降 いこう 発展 はってん した(本来 ほんらい の)ハタ・ヨーガとのつながりは極 きわ めて弱 よわ いと指摘 してき している[ 43] 。イギリス人 じん はインド人 じん とインド社会 しゃかい は肉体 にくたい 的 てき 、道徳 どうとく 的 てき 、精神 せいしん 的 てき に堕落 だらく しているという脆弱 ぜいじゃく 神話 しんわ を唱 とな えてインド支配 しはい を正当 せいとう 化 か しようとし、インド人 じん も脆弱 ぜいじゃく 神話 しんわ を内面 ないめん 化 か していたため、インド人 じん 知識 ちしき 人 じん たちは身体 しんたい 鍛錬 たんれん 文化 ぶんか に興味 きょうみ を持 も ち、肉体 にくたい を強化 きょうか して個人 こじん と社会 しゃかい の堕落 だらく と言 い われる状態 じょうたい を克服 こくふく しようとし、またイギリスとの武力 ぶりょく 闘争 とうそう の闘士 とうし を育 そだ てようとした。1920-30年代 ねんだい に、西洋 せいよう の身体 しんたい 鍛錬 たんれん から発生 はっせい した多様 たよう な体操 たいそう 法 ほう などが融合 ゆうごう してインド伝統 でんとう のハタ・ヨーガの技法 ぎほう として確立 かくりつ した[ 43] 。
「現代 げんだい ヨーガの父 ちち 」と呼 よ ばれるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ (英語 えいご 版 ばん ) (1888年 ねん - 1989年 ねん )も、西洋 せいよう 式 しき 体操 たいそう の影響 えいきょう を受 う けた身体 しんたい 技法 ぎほう を自 みずか らのヨーガ・クラスに取 と り入 い れ、思想 しそう 面 めん にヴィヴェーカーナンダ (1863年 ねん - 1902年 ねん )などのヒンドゥー 復興 ふっこう 運動 うんどう の思想 しそう と『ヨーガ・スートラ 』を援用 えんよう した[ 43] 。現代 げんだい のハタ・ヨーガはアーサナ(ポーズ)主体 しゅたい で、解剖 かいぼう 学 がく を修 おさ め、『ヨーガ・スートラ』を聖典 せいてん とし[ 153] 、現代 げんだい の多 おお くのヨーガのアーサナは、現代 げんだい のハタ・ヨーガがベースになっている[ 43] 。シールシャーサナ (英語 えいご 版 ばん ) (頭 あたま 立 だ ちのポーズ)やサルヴァンガーサナ (英語 えいご 版 ばん ) (肩 かた 立 だ ちのポーズ)はクリシュナマチャーリヤが重要 じゅうよう 視 し したものといわれ、現代 げんだい のほとんどのヨーガ教師 きょうし は、クリシャナマチャーリヤとは別 べつ 系統 けいとう の人々 ひとびと も含 ふく め、直接的 ちょくせつてき ・間接 かんせつ 的 てき に彼 かれ の影響 えいきょう を受 う けていると言 い われる[ 291] 。
現在 げんざい のパワー・ヨーガの源流 げんりゅう ともなっているヨーガ。呼吸 こきゅう と共 とも にアーサナ を行 おこな う。
現在 げんざい 、一般 いっぱん 的 てき にヨーガのシーンで「アシュタンガ・ヨガ」と呼 よ ばれているものは正式 せいしき には「アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) 」(アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ)という(本来 ほんらい は、アシュターンガ・ヨーガという語 かたり は『ヨーガ・スートラ 』第 だい 2章 しょう 29節 せつ に記述 きじゅつ されている八 はち 部門 ぶもん ないし八 はち 階梯 かいてい からなる修行 しゅぎょう 体系 たいけい を指 さ す)。ティルマライ・クリシュナマチャーリヤに教 おし えを受 う けたパッタビ・ジョイス (英語 えいご 版 ばん ) がこのヨーガの創始 そうし 者 しゃ である。現在 げんざい は継承 けいしょう 者 しゃ でパッタビ・ジョイスの孫 まご であるシャラスが指導 しどう している。
マハー・アヴァター・ババジ からラヒリ・マハサヤ (英語 えいご 版 ばん ) 、パラマハンサ・ヨガナンダ へと、グルから弟子 でし への伝統 でんとう によって伝 つた えられたとされるヨーガも、『ヨーガ・スートラ』におけるクリヤー・ヨーガと同 おな じくクリヤー・ヨーガと呼 よ ばれている。
「パワー・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) 」(パワーヨガ)は、アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガをベースにしたヨーガで、アーサナ を実践 じっせん することで脂肪 しぼう を燃焼 ねんしょう させ、美 うつく しい肉体 にくたい を作 つく ることを目的 もくてき として主 おも にアメリカで開発 かいはつ された。ハリウッドスターを中心 ちゅうしん に一大 いちだい ブームとなり先進 せんしん 諸国 しょこく に広 ひろ がったことから「ハリウッド・ヨーガ」ともいう。
ハタ・ヨーガ (ヨーガ体操 たいそう )が、1つのポーズをとったまま一定 いってい 時間 じかん 静止 せいし した上 うえ で次 つぎ のポーズに移行 いこう するのに比 くら べ、アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガをベースにしたパワー・ヨーガは、各種 かくしゅ ポーズをストレッチのように一連 いちれん の流 なが れの中 なか で行 おこな うのが特徴 とくちょう である。アイソメトリックな運動 うんどう によるフィットネス が主 おも な目的 もくてき である。
ホット・ヨーガ 、ホットヨガは、室温 しつおん 35〜39度 ど 前後 ぜんこう 、湿度 しつど 60%前後 ぜんご に保 たも たれた室内 しつない でアーサナ を中心 ちゅうしん としたエクササイズを行 おこな うヨーガである[ 292] 。実施 じっし する室内 しつない 環境 かんきょう は、ヨーガ発祥 はっしょう の地 ち インド の気候 きこう を模 も したとも言 い われる[ 293] 。パワー・ヨーガ、ビクラム・ヨーガ (40度 ど 以上 いじょう で行 おこな う)、フォレスト・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) などの形態 けいたい がある。アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 西海岸 にしかいがん で1970年代 ねんだい に始 はじ まり、日本 にっぽん では2009年 ねん ごろから広 ひろ まった[ 293] 。2015年 ねん 時点 じてん で日本 にっぽん で30万 まん 人 にん が行 おこな っているとも言 い われる(出典 しゅってん のデータが何 なん の統計 とうけい によるかは不明 ふめい )[ 293] 。
オウム真理教 おうむしんりきょう におけるヨーガによる自己 じこ 変容 へんよう 体験 たいけん の悪用 あくよう [ 編集 へんしゅう ]
オウム真理教 おうむしんりきょう には、ヨーガがきっかけになって入信 にゅうしん した信者 しんじゃ が多 おお かった。教祖 きょうそ の麻原 あさはら 彰晃 しょうこう は、阿含宗 あごんしゅう での修行 しゅぎょう ののちに『ヨーガ・スートラ』に出合 であ い、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 』、『ゲーランダ・サンヒター 』、『シヴァ・サンヒター 』(いずれも佐 さ 保田 やすだ 鶴治 つるじ 訳 わけ )と教典 きょうてん をもとに独学 どくがく し、空中 くうちゅう 浮揚 ふよう するまでに至 いた ったという。新 しん 宗教 しゅうきょう を研究 けんきゅう する沼田 ぬまた 健 けん 哉 は、このように正規 せいき のグル につかずに修行 しゅぎょう をしていたことで、いわゆる「魔境 まきょう 」に陥 おちい った可能 かのう 性 せい を指摘 してき し、のちに様々 さまざま な問題 もんだい を生 しょう ぜしめた要因 よういん のひとつであると述 の べている[ 52] [ 53] 。オウム真理教 おうむしんりきょう ではヨーガによるクンダリニー 覚醒 かくせい の実践 じっせん が中心 ちゅうしん 的 てき な位置 いち を占 し めており、沼田 ぬまた は、「ヨーガによる自己 じこ 変容 へんよう としての解脱 げだつ 体験 たいけん こそ、80年代 ねんだい 前半 ぜんはん の麻原 あさはら の宗教 しゅうきょう 的 てき アイデンティティの柱 はしら の一 ひと つとみなしうる」と述 の べている。本来 ほんらい ヨーガや瞑想 めいそう によって常人 じょうじん にない能力 のうりょく を得 え ることは否定 ひてい されてはいないが、オウム真理教 おうむしんりきょう の信者 しんじゃ には超 ちょう 能力 のうりょく を獲得 かくとく することを主 おも な目的 もくてき とする者 もの も少 すく なくなかった[ 52] 。
ヨーガや瞑想 めいそう などの修行 しゅぎょう 法 ほう 、断食 だんじき などの苦行 くぎょう も、本来 ほんらい は真 しん の自己 じこ を見出 みいだ すためのセルフ・コントロールの一種 いっしゅ である。沼田 ぬまた は、破壊 はかい 的 てき カルト と呼 よ ばれるような新 しん 宗教 しゅうきょう の教団 きょうだん で行 おこな われている行為 こうい と、東洋 とうよう の伝統 でんとう 的 てき なヨーガや瞑想 めいそう などの修行 しゅぎょう 法 ほう は似 に ている部分 ぶぶん が少 すく なくないが、行 おこな われるコンテクストが異 こと なっていると反対 はんたい の結果 けっか を生 しょう じうると述 の べている。またオウム真理教 おうむしんりきょう にみられる強固 きょうこ な教祖 きょうそ = グル崇拝 すうはい は、麻原 あさはら や幹部 かんぶ による洗脳 せんのう やマインドコントロールをより容易 ようい にしたことを指摘 してき している[ 52] 。
指導 しどう 者 しゃ の無 む 資格 しかく 問題 もんだい ・講習 こうしゅう の質 しつ と時間 じかん [ 編集 へんしゅう ]
ヨーガの指導 しどう 者 しゃ になるのに定 さだ まった資格 しかく はなく、だれでもなることができるが、全米 ぜんべい ヨガアライアンス(YA)200時間 じかん (週末 しゅうまつ 10-12回分 かいぶん )のYoga Teacher Training(YTT)[ 294] の修了 しゅうりょう がスタジオやジムで教 おし えるための必須 ひっす 条件 じょうけん であることが多 おお いため、これを受講 じゅこう する人 ひと は多 おお い[ 295] 。200時 じ 間 あいだ YTTを行 おこな うYA認定 にんてい 校 こう は5500以上 いじょう 、YA認定 にんてい 指導 しどう 者 しゃ は6万 まん 人 にん 以上 いじょう にのぼる。2016年 ねん には世界中 せかいじゅう で10万 まん 人 にん 以上 いじょう が年間 ねんかん 平均 へいきん 3000ドルを200時 じ 間 あいだ YTTに投資 とうし した。200時 じ 間 あいだ YTTは、インドである程度 ていど 長 なが い時間 じかん を費 つい やしてヨーガを習得 しゅうとく した初期 しょき のアメリカの熟練 じゅくれん の講師 こうし たちによって、講師 こうし の短期間 たんきかん での育成 いくせい を防 ふせ ぐために設定 せってい された。しかし、200時 じ 間 あいだ は初期 しょき の欧米 おうべい のヨーガの指導 しどう 者 しゃ たちが教 おし える立場 たちば になるまでに費 つい やした時間 じかん とは比 くら べ物 もの にならないほど短 みじか く、たった200時 じ 間 あいだ のトレーニングで十分 じゅうぶん なのかという疑問 ぎもん の声 こえ もある。200時 じ 間 あいだ YTTでは、生徒 せいと の安全 あんぜん を図 はか るための解剖 かいぼう 学 がく に十分 じゅうぶん な時間 じかん を費 つい やしておらず、クラスの作 つく り方 かた や生徒 せいと の生徒 せいと の肉体 にくたい 的 てき 、精神 せいしん 的 てき ニーズへの理解 りかい 、ヨーガの伝統 でんとう を十分 じゅうぶん 学 まな ぶことは難 むずか しい。YTT修了 しゅうりょう 者 しゃ には、コースの内容 ないよう が指導 しどう 者 しゃ になるには不十分 ふじゅうぶん と感 かん じ、生徒 せいと をサポートし安全 あんぜん に指導 しどう できないと考 かんが え、指導 しどう 者 しゃ になることをあきらめる人 ひと も少 すく なくない[ 204] 。
全米 ぜんべい ヨガアライアンスの調 しら べでは、ヨーガの指導 しどう が主要 しゅよう な収入 しゅうにゅう 源 げん となっているインストラクターは30%にも満 み たない[ 296] 。そのため、コロラド州 しゅう 議会 ぎかい では、ヨーガ講師 こうし は職業 しょくぎょう として認 みと められないという論争 ろんそう があった[ 204] 。
近年 きんねん では、ヨーガ教室 きょうしつ で、指導 しどう 者 しゃ が生徒 せいと や関係 かんけい 者 しゃ に不適切 ふてきせつ な性 せい 関係 かんけい を強 し いたり、セクシャルハラスメント をしたり、生徒 せいと のアジャスト(姿勢 しせい の調整 ちょうせい )の際 さい に性的 せいてき な接触 せっしょく を行 おこな ったり、セラピーと称 しょう して性行為 せいこうい 、性 せい 儀式 ぎしき を行 おこな うといったスキャンダルが相次 あいつ いでいる。「ヨガジャーナル」の記者 きしゃ は、ヨーガの歴史 れきし の中 なか で、ヨガの流派 りゅうは やしきたり、またはヨーガ道場 どうじょう や関連 かんれん の組織 そしき のなかで、違法 いほう な性的 せいてき 行為 こうい の問題 もんだい は正 まさ しく認識 にんしき されないことが多 おお く、対策 たいさく も講 こう じられてこなかったと指摘 してき している[ 297] 。
後期 こうき 密教 みっきょう で行 おこな われた女性 じょせい を性 せい ヨーガの相手 あいて に行 おこな う貪欲 どんよく 行 ぎょう について、高野山大学 こうやさんだいがく 密教 みっきょう 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ の静 せい 春樹 はるき は、性 せい ヨーガの相手 あいて を務 つと める女性 じょせい にとって貪欲 どんよく 行 ぎょう は男性 だんせい 修行 しゅぎょう 者 しゃ と同 おな じ意味 いみ を持 も つのか、貪欲 どんよく 行 ぎょう は女性 じょせい が理論 りろん 構築 こうちく しイニシアチブを取 と るわけではなく、性 せい ヨーガの相手 あいて の女性 じょせい は男性 だんせい 修行 しゅぎょう 者 しゃ が悟 さと るための手段 しゅだん としてだけでなく、彼女 かのじょ にとっても成就 じょうじゅ の手段 しゅだん であるのか、女神 めがみ 崇拝 すうはい の大 おお きな潮流 ちょうりゅう の影響 えいきょう を受 う け女性 じょせい 性 せい を重視 じゅうし しているが、むしろそれが男女 だんじょ の権力 けんりょく 関係 かんけい 、男性 だんせい による女性 じょせい 支配 しはい 、女性 じょせい 差別 さべつ を隠 かく す装置 そうち になっていないかと問 と いかけている。後期 こうき 密教 みっきょう で、出家 しゅっけ 者 しゃ は性的 せいてき ヨーガを主 おも に性的 せいてき イメージを用 もち いる観想 かんそう として行 い ったと考 かんが えられているが、時 とき には男性 だんせい 出家 しゅっけ 者 しゃ が在家 ありいえ の女性 じょせい 信者 しんじゃ に対 たい し、「我 わ が身 み を捧 ささ げる無上 むじょう の供養 くよう 」として性 せい ヨーガの相手 あいて を強要 きょうよう する破戒 はかい 行為 こうい に及 およ ぶこともあった[ 140] 。
現代 げんだい のヨーガの世界 せかい でも、男性 だんせい 指導 しどう 者 しゃ を教祖 きょうそ や聖者 せいじゃ であるかのように思 おも わせる、カリスマ的 てき な物語 ものがたり があふれている[ 299] 。
現代 げんだい ハタ・ヨーガの一種 いっしゅ であるアヌサラ・ヨーガ (英語 えいご 版 ばん ) の創始 そうし 者 しゃ ジョン・フレンド (英語 えいご 版 ばん ) は、ウイッカ のカブン で魔術 まじゅつ 的 てき な性 せい 関係 かんけい を持 も ち(セックス・ヨーガを含 ふく むタントラ ・ヨーガ(ネオタントラ )を指導 しどう していたと言 い われるが、伝統 でんとう 的 てき なものではないと言 い われる[ 300] [ 301] [ 302] )、既婚 きこん 者 しゃ を含 ふく む関係 かんけい 者 しゃ や生徒 せいと と不適切 ふてきせつ な性 せい 関係 かんけい を持 も っていると告発 こくはつ された。このスキャンダルで教師 きょうし は次々 つぎつぎ 辞職 じしょく し、ジョン・フレンドは指導 しどう 者 しゃ の地位 ちい を退 しりぞ いている[ 303] [ 304] [ 302] (加 くわ えて、被 ひ 雇用 こよう 者 しゃ の年金 ねんきん 等 とう の雇用 こよう 条件 じょうけん に関 かん する違法 いほう 行為 こうい の疑惑 ぎわく がある[ 303] [ 302] )。
現代 げんだい ハタ・ヨーガ、ホット・ヨーガの一種 いっしゅ であるビクラムヨガ では、創始 そうし 者 しゃ で巨大 きょだい ヨーガスクールを経営 けいえい し世界 せかい 的 てき にフランチャイズ展開 てんかい していたビクラム・チョードリー (英語 えいご 版 ばん ) が、生徒 せいと からセクハラ、パワハラ、性 せい 犯罪 はんざい で民事 みんじ 告訴 こくそ された[ 305] [ 306] 。
2017年 ねん の#MeToo 運動 うんどう の盛 も り上 あ がりの際 さい には、ヨーガ教師 きょうし で企業 きぎょう 家 か のレイチェル・ブラゼンが、ヨーガ教室 きょうしつ ・コミュニティ内 ない で女性 じょせい が受 う けた性的 せいてき 虐待 ぎゃくたい 、セクシャルハラスメント、性的 せいてき 暴行 ぼうこう の経験 けいけん の告白 こくはく を300件 けん 以上 いじょう 集 あつ め、ヨーガの世界 せかい に衝撃 しょうげき を与 あた えた[ 307] 。ブラゼンは、このような被害 ひがい の申 もう し立 た ては比較的 ひかくてき 最近 さいきん に始 はじ まったが(2018年 ねん 時点 じてん )、「何 なん 十 じゅう 年 ねん もの間 あいだ 、ヨガのコミュニティ内 ない での虐待 ぎゃくたい については皆 みな 知 し っていました」と述 の べ、長年 ながねん 続 つづ く問題 もんだい であると指摘 してき した[ 307] 。「少 すく なくとも、虐待 ぎゃくたい を行 おこな ったティーチャーが信用 しんよう を失 うしな う仕組 しく みが必要 ひつよう です」と苦言 くげん を呈 てい しており、生徒 せいと や関係 かんけい 者 しゃ の女性 じょせい に性的 せいてき 虐待 ぎゃくたい を行 おこな ったヨーガ指導 しどう 者 しゃ が信用 しんよう を失 うしな うことなく講師 こうし を続 つづ け、被害 ひがい 者 しゃ が泣 な き寝入 ねい りをしている現状 げんじょう がうかがえる[ 307] 。ヨーガの生徒 せいと には、社会 しゃかい 的 てき な立場 たちば が弱 よわ く、心 しん のバランスや静 しず けさを求 もと めて学 まな びに来 く る人 ひと も多 おお く、虐待 ぎゃくたい の被害 ひがい 者 しゃ は、神聖 しんせい で安全 あんぜん であると考 かんが えていた場所 ばしょ で、尊敬 そんけい する教師 きょうし やメンバーから暴行 ぼうこう されたことで非常 ひじょう に大 おお きなショックを受 う けているという[ 297] [ 307] 。ヨーガ産業 さんぎょう の中心 ちゅうしん に君臨 くんりん するアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガを創始 そうし したパッタビ・ジョイス (英語 えいご 版 ばん ) は、慈悲 じひ 深 ふか い父親 ちちおや 的 てき 存在 そんざい として尊敬 そんけい を集 あつ めてきたが、生前 せいぜん も死後 しご もヨーガの指導 しどう での性的 せいてき 虐待 ぎゃくたい の噂 うわさ があり、#MeToo運動 うんどう で性的 せいてき な不正 ふせい 行為 こうい および性的 せいてき 暴行 ぼうこう を繰 く り返 かえ していたとして、指導 しどう 者 しゃ や生徒 せいと から告発 こくはつ があった[ 299] [ 297] 。
スピリチュアルな世界 せかい では、権力 けんりょく の乱用 らんよう による虐待 ぎゃくたい は珍 めずら しい話 はなし ではない[ 297] 。Kripalu Center for Yoga & Healthの元 もと CEOであるリプシウスは、性的 せいてき 虐待 ぎゃくたい のヨーガ界 かい への影響 えいきょう は壊滅 かいめつ 的 てき なものであり、加害 かがい 者 しゃ が追放 ついほう されても被害 ひがい 者 しゃ の後遺症 こういしょう が数 すう 十 じゅう 年間 ねんかん も続 つづ く現実 げんじつ を見 み てきたという[ 297] 。全米 ぜんべい ヨガアライアンスは、被害 ひがい 者 しゃ のためのホットラインと支援 しえん を始 はじ め、状況 じょうきょう の改善 かいぜん を試 こころ みている[ 297] [ 307] 。
現代 げんだい ヨーガの健康 けんこう への影響 えいきょう と研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
エクササイズとしての現代 げんだい のヨーガの健康 けんこう への影響 えいきょう がさまざまに研究 けんきゅう されてきたが、多 おお くの研究 けんきゅう は対象 たいしょう が少 すく なすぎるなどの問題 もんだい があり質 しつ が低 ひく いため、ほとんどの場合 ばあい 、健康 けんこう 管理 かんり のために有望 ゆうぼう であると言 い えるが、効果 こうか があると科学 かがく 的 てき に証明 しょうめい されているわけではない[ 308] 。ヨーガを行 おこな う場合 ばあい 、個々人 ここじん の健康 けんこう 状態 じょうたい に合 あ わせてインストラクターや医療 いりょう 従事 じゅうじ 者 しゃ と話 はな し合 あ うべきであるが、適切 てきせつ に行 おこな われれば健康 けんこう な人 ひと にとっては一般 いっぱん 的 てき に安全 あんぜん であると考 かんが えられている[ 308] 。
2012年 ねん のアメリカの全国 ぜんこく 調査 ちょうさ によると、実践 じっせん 者 しゃ の多 おお くはヨーガが一般 いっぱん 的 てき な健康 けんこう 問題 もんだい を改善 かいぜん すると信 しん じており、ストレス管理 かんり 、バランス、メンタルヘルス などの健康 けんこう を助 たす け、健全 けんぜん な食生活 しょくせいかつ と運動 うんどう の習慣 しゅうかん の向上 こうじょう に役立 やくだ つというエビデンスも出 で 始 はじ めている[ 308] 。腰痛 ようつう や首 くび の痛 いた みを和 やわ らげ、糖尿 とうにょう 病 びょう 患者 かんじゃ の血糖 けっとう 値 ち をコントロールするのに役立 やくだ ち、太 ふと りすぎ、肥満 ひまん の人 ひと が体重 たいじゅう を減 へ らす助 たす けになると考 かんが えられている[ 308] 。がん、多発 たはつ 性 せい 硬化 こうか 症 しょう 、慢性 まんせい 閉塞 へいそく 性 せい 肺 はい 疾患 しっかん などの慢性 まんせい 疾患 しっかん を持 も つ人々 ひとびと の症状 しょうじょう の管理 かんり 、生活 せいかつ の質 しつ の向上 こうじょう の援助 えんじょ に役立 やくだ つ可能 かのう 性 せい があるという有望 ゆうぼう な証拠 しょうこ がある[ 308] 。女性 じょせい の更年期 こうねんき 障害 しょうがい の肉体 にくたい 的 てき ・精神 せいしん 的 てき な症状 しょうじょう の改善 かいぜん を助 たす け、睡眠 すいみん 障害 しょうがい の改善 かいぜん 、禁煙 きんえん の実行 じっこう を助 たす ける可能 かのう 性 せい が示唆 しさ されている[ 308] 。人生 じんせい の困難 こんなん な状況 じょうきょう における不安 ふあん や気分 きぶん の落 お ち込 こ みの改善 かいぜん に役立 やくだ つかもしれないが、不安 ふあん 障害 しょうがい 、うつ病 びょう 、または心 しん 的 てき 外傷 がいしょう 後 ご ストレス障害 しょうがい の管理 かんり に役立 やくだ つという証拠 しょうこ はない[ 308] 。Oxidative Medicine and Cellular Longevity に掲載 けいさい された研究 けんきゅう では、12週間 しゅうかん 、週 しゅう 5日 にち 、動作 どうさ ・呼吸 こきゅう 法 ほう ・瞑想 めいそう を含 ふく む90分 ぶん のヨーガを実践 じっせん することで、炎症 えんしょう レベルの低下 ていか とコルチゾール レベルの大幅 おおはば な低下 ていか の兆候 ちょうこう が見 み られ、細胞 さいぼう の老化 ろうか を遅 おく らせることが示 しめ された[ 309] 。この研究 けんきゅう では、ヨーガプログラム後 ご に脳 のう 由来 ゆらい 神経 しんけい 栄養 えいよう 因子 いんし (BDNF)のレベルが高 たか くなることもわかり、ヨーガが脳 のう を守 まも る効果 こうか がある可能 かのう 性 せい が示唆 しさ された[ 309] 。
男性 だんせい と女性 じょせい では、ヨーガのポーズが筋肉 きんにく に与 あた える影響 えいきょう が異 こと なるというエビデンスがある[ 308] 。ヨーガを行 おこな っている人 ひと の3分 ぶん の2は、そのことを医療 いりょう 従事 じゅうじ 者 しゃ に話 はな していなかった[ 308] 。
アメリカのヨーガの研究 けんきゅう は、主 おも にヨーガが最 もっと も人気 にんき がある層 そう 、比較的 ひかくてき 裕福 ゆうふく で高度 こうど な教育 きょういく を受 う けた白人 はくじん 女性 じょせい のグループが対象 たいしょう で、他 た の人々 ひとびと 、特 とく に少数 しょうすう 民族 みんぞく のグループやより収入 しゅうにゅう の少 すく ない人々 ひとびと は過小 かしょう 評価 ひょうか されている[ 308] 。
後 こう 屈 こごめ のポーズ
現代 げんだい の一般 いっぱん 的 てき なヨーガは、十分 じゅうぶん に訓練 くんれん されたインストラクターの指導 しどう の下 した で適切 てきせつ に行 おこな われる場合 ばあい 、健康 けんこう な人 ひと にとっては安全 あんぜん な身体 しんたい 運動 うんどう であるとみなされているが、他 た の運動 うんどう 同様 どうよう に怪我 けが のリスクはあり、スポーツ障害 しょうがい と同様 どうよう の肉体 にくたい 的 てき な損傷 そんしょう が生 しょう じうるポーズがある[ 310] [ 311] [ 312] [ 313] 。ヨーガが原因 げんいん の怪我 けが で最 もっと も一般 いっぱん 的 てき なものは捻挫 ねんざ と肉離 にくばな れである[ 308] 。65歳 さい 以上 いじょう の怪我 けが の割合 わりあい は、若年 じゃくねん 者 しゃ より多 おお い[ 308] 。衝撃 しょうげき の大 おお きなスポーツより怪我 けが のリスクは低 ひく く、重傷 じゅうしょう はまれである[ 308] 。
オーストラリアのヨーガ関係 かんけい 者 しゃ の調査 ちょうさ によると、回答 かいとう 者 しゃ の約 やく 20%が練習 れんしゅう 中 ちゅう に何 なん らかの身体 しんたい 的 てき 傷害 しょうがい を負 お っていた[ 310] 。過去 かこ 12か月 げつ 間 あいだ で、回答 かいとう 者 しゃ の4.6%が長期 ちょうき 的 てき な痛 いた みのある、または医療 いりょう による治療 ちりょう が必要 ひつよう な怪我 けが を負 お っていた[ 311] 。頭立 かしらだ ち、肩 かた 立 た ち、蓮華 れんげ 座 ざ 及 およ び半 はん 蓮華 れんげ 座 ざ 、前 ぜん 屈 こごめ 、後 こう 屈 こごめ 、倒立 とうりつ が最 もっと も多 おお く負傷 ふしょう 者 しゃ を出 だ していた[ 310] 。
専門 せんもん 家 か が指摘 してき するヨーガの悪影響 あくえいきょう は、初心者 しょしんしゃ の競争心 きょうそうしん とインストラクターに資格 しかく がないことが理由 りゆう として挙 あ げられる[ 311] 。教室 きょうしつ の需要 じゅよう が高 たか まるにつれて、多 おお くの人 ひと が各々 おのおの の組織 そしき や教室 きょうしつ でヨーガ・インストラクターとして独自 どくじ に認定 にんてい されたが、インストラクターになるのに特別 とくべつ な資格 しかく は必要 ひつよう なく[ 314] 、骨格 こっかく や筋肉 きんにく など、体 からだ の仕組 しく みについての専門 せんもん 知識 ちしき を学 まな ぶことは義務 ぎむ づけられていない[ 315] 。新 あたら しいインストラクターのすべてが、教室 きょうしつ の初心者 しょしんしゃ 全員 ぜんいん に十分 じゅうぶん 目 め を配 くば り、けがを防 ふせ ぐのに適切 てきせつ な指導 しどう を行 おこな えるわけではない[ 311] 。同様 どうよう に初心者 しょしんしゃ は、自分 じぶん の身体 しんたい 能力 のうりょく を過大 かだい 評価 ひょうか し、ポーズを行 おこな うの十分 じゅうぶん な柔軟 じゅうなん 性 せい や筋力 きんりょく を備 そな える前 まえ に、高度 こうど なポーズができるよう間違 まちが った努力 どりょく をしがちである[ 311] 。『メディカルヨガ(原題 げんだい :Yoga as Medicine)』の著者 ちょしゃ で、「ヨガジャーナル」の編集 へんしゅう 者 しゃ である医学 いがく 博士 はかせ のティモシー・マッコールは、生徒 せいと は怪我 けが をしても「先生 せんせい を慕 した っているから、歯 は を食 く いしばって大丈夫 だいじょうぶ だと言 い う。だがひそかに整形 せいけい 外科 げか に通 かよ っているんだ」、そのため、指導 しどう 者 しゃ は生徒 せいと の怪我 けが の問題 もんだい を把握 はあく できず、生徒 せいと を管理 かんり しきれないだろうと語 かた っている[ 204] 。なお、初心者 しょしんしゃ や生徒 せいと だけでなく、指導 しどう する方 かた ・される方 ほう の双方 そうほう がベテランの指導 しどう 者 しゃ であっても、不適切 ふてきせつ なアジャストで大 だい 怪我 けが を負 お うこともある[ 316] 。
ヨーガの練習 れんしゅう で裂傷 れっしょう が生 しょう じる可能 かのう 性 せい のある頸部動脈 どうみゃく
血液 けつえき を脳 のう に供給 きょうきゅう する頸部動脈 どうみゃく の裂傷 れっしょう である椎骨 ついこつ 動脈 どうみゃく 解離 かいり (英語 えいご 版 ばん ) は、首 くび を伸 の ばしながら回 まわ すことで起 お こる可能 かのう 性 せい があり、幾 いく つかのヨガのポーズで起 お こりうる。これは非常 ひじょう に深刻 しんこく な症状 しょうじょう であり、血管 けっかん の裂 さ ける場所 ばしょ や程度 ていど によっては、脳 のう 梗塞 こうそく 、脳卒中 のうそっちゅう 、くも膜 まく 下 か 出血 しゅっけつ 等 ひとし を引 ひ き起 お こすこともある[ 317] [ 318] [ 319] 。
大腿 だいたい 骨 こつ と股関節 こかんせつ を結 むす ぶ股関節 こかんせつ 唇 くちびる (こかんせつしん:臼 うす 蓋 ぶた 部分 ぶぶん を覆 おお う軟骨 なんこつ の一種 いっしゅ )損傷 そんしょう は、股関節 こかんせつ を大 おお きく開 ひら く動 うご きをするスポーツなどで多 おお く見受 みう けられるが、ヨーガの練習 れんしゅう で生 しょう じたという報告 ほうこく がある[ 320] [ 321] 。ヨーガの練習 れんしゅう で股関節 こかんせつ に筋 すじ 断 だん 裂 きれ 、大腿 だいたい 骨 こつ 骨 こつ 挫傷 ざしょう 、股関節 こかんせつ 唇 くちびる 損傷 そんしょう の大 だい 怪我 けが を負 お った現役 げんえき 講師 こうし は、原因 げんいん はポーズの指導 しどう で受 う けた強 つよ いアジャストであり、指導 しどう 者 しゃ によるアジャストの負荷 ふか が自分 じぶん の限界 げんかい を超 こ えていたことはわかったが、強 つよ い力 ちから で固定 こてい されて逃 に げ場 ば がなく、痛 いた みを訴 うった える言葉 ことば もき流 きなが されてしまったと語 かた っている[ 316] [ 315] 。
日本 にっぽん でもヨーガのブームによる教室 きょうしつ の急増 きゅうぞう で被害 ひがい の訴 うった えが増加 ぞうか しており、国民 こくみん 生活 せいかつ センター には、「肩 かた の腱 けん 板 ばん (肩 かた 甲 かぶと 骨 こつ と腕 うで の骨 ほね をつなぐ重要 じゅうよう な腱 けん )を損傷 そんしょう した」、「運動 うんどう 中 ちゅう に圧迫 あっぱく 骨折 こっせつ した」など、重大 じゅうだい な怪我 けが をしたという相談 そうだん があり、ホットヨーガで「アレルギー症状 しょうじょう が出 で た」、「じんましんになった」、「皮膚 ひふ がただれた」等 とう の訴 うった えもある[ 315] 。
国際医療福祉大学 こくさいいりょうふくしだいがく の岡 おか 孝和 こうわ は、2013年 ねん に厚生 こうせい 労働省 ろうどうしょう の研究 けんきゅう 班 はん の代表 だいひょう としてヨーガの効果 こうか や安全 あんぜん 性 せい を調査 ちょうさ し、全国 ぜんこく 200か所 しょ 余 あま りの教室 きょうしつ で、ヨーガを行 おこな った直後 ちょくご の2508人 にん の生徒 せいと にき取 きと りをしたところ、3割 わり 近 ちか くが心身 しんしん に何 なん らかの異常 いじょう を訴 うった えていた。岡 おか 孝和 こうわ は、国民 こくみん 生活 せいかつ センターに寄 よ せられた相談 そうだん 件数 けんすう について「氷山 ひょうざん の一角 いっかく にすぎないと思 おも います」と述 の べている[ 315] 。
ホット・ヨーガは様々 さまざま な利点 りてん が主張 しゅちょう されているが、エクササイズやダイエットの効果 こうか は通常 つうじょう のヨーガと変 か わらないと指摘 してき されており、高温 こうおん 多湿 たしつ の環境 かんきょう で行 おこな うことが肉体 にくたい に悪 わる い影響 えいきょう を及 およ ぼすこともある[ 322] 。
健康 けんこう に問題 もんだい がある人 ひと 、年配 ねんぱい の人 ひと 、妊娠 にんしん 中 ちゅう の女性 じょせい は、いくつかのヨーガのポーズや練習 れんしゅう を避 さ けるか、修正 しゅうせい して行 おこな う必要 ひつよう があると考 かんが えられている[ 308] [ 323] 。
近 きん 現代 げんだい ヨーガに関連 かんれん する著名 ちょめい な人物 じんぶつ [ 編集 へんしゅう ]
存命 ぞんめい 人物 じんぶつ
^ 禅定 ぜんじょう はヨーガの一種 いっしゅ であるが、禅宗 ぜんしゅう の坐禅 ざぜん とインドの古典 こてん ヨーガの瞑想 めいそう は、思想 しそう ・方法 ほうほう とも、必 かなら ずしも同 おな じというわけではない。
^ 唯物 ゆいぶつ 論 ろん のチャールヴァーカ と祭事 さいじ に専念 せんねん するミーマーンサー学派 がくは を除 のぞ く。
^ 「カタ・ウパニシャッド 」では、「感官 かんかん (感覚 かんかく 器官 きかん )の彼方 かなた に対象 たいしょう あり、対象 たいしょう の彼方 かなた に意 い あり…未 み 顕現 けんげん の彼方 かなた に純粋 じゅんすい 精神 せいしん あり。純粋 じゅんすい 精神 せいしん の彼方 かなた には何 なに ものもなし。」とサーンキヤ哲学 てつがく (数 かず 論 ろん 学派 がくは 。ヨーガ学派 がくは との関係 かんけい が深 ふか い)の諸 しょ 原理 げんり が説 と かれており、今西 いまにし 順吉 じゅんきち によると、これはヨーガによる精神 せいしん の沈潜 ちんせん の深 ふか まりに対応 たいおう すると考 かんが えられる。
^ ただし、日本語 にほんご の長 ちょう 母音 ぼいん はサンスクリット語 ご の三 さん 倍 ばい 母音 ぼいん なので長 なが くのばしすぎるのも問題 もんだい である。インド人 じん の発音 はつおん を聞 き くとヨゥガと言 い っているように聞 き こえる。
^ 『マヌ法典 ほうてん 』では、女性 じょせい はどのヴァルナ (身分 みぶん )であっても、入門 にゅうもん 式 しき (ウパナヤナ)を受 う けてヴェーダを学 まな ぶ男子 だんし として「再生 さいせい 」するドヴィジャ (二 に 度 ど 生 う まれる者 もの 、再生 さいせい 族 ぞく )ではなく、入門 にゅうもん 式 しき を受 う けられず一 いち 度 ど 生 う まれるだけのエーカージャ (一生 いっしょう 族 ぞく )とされていたシュードラ (隷民)と同等 どうとう 視 し され、女性 じょせい は再生 さいせい 族 ぞく である夫 おっと と食事 しょくじ を共 とも にすることはなく、祭祀 さいし を主催 しゅさい したり、マントラ を唱 とな えることも禁止 きんし されていた。
^ 伊藤 いとう 武 たけし によると、ヨーギニーという言葉 ことば は本来 ほんらい 、尸 しかばね 林 りん (英語 えいご 版 ばん ) (シュマシャーナ)で土俗 どぞく 信仰 しんこう の女神 めがみ を祀 まつ り特異 とくい な儀礼 ぎれい にたずさわった巫女 ふじょ たちを指 さ す言葉 ことば で、魔女 まじょ の意味合 いみあ いを帯 お びるようになった。その多 おお くは被 ひ 差別 さべつ カーストの出身 しゅっしん であった。性 せい ヨーガの相手 あいて をする女性 じょせい たちは特殊 とくしゅ な階級 かいきゅう に属 ぞく し、母 はは から娘 むすめ へと特殊 とくしゅ な性的 せいてき テクニックを伝承 でんしょう する娼婦 しょうふ だったともいわれる。母系 ぼけい 制 せい 社会 しゃかい を形成 けいせい していた彼女 かのじょ たちは、中世 ちゅうせい インドの後期 こうき 密教 みっきょう の時代 じだい にヨーギニー(瑜伽 ゆが 女 おんな )またはダーキニー(拏吉尼 あま )と呼 よ ばれた。密教 みっきょう で説 と かれる性 せい ヨーガの相手 あいて のステレオタイプは16歳 さい の処女 しょじょ であるが、男 おとこ を食 く い殺 ころ すような獰猛 どうもう な女 おんな とも描写 びょうしゃ される。経典 きょうてん では同時 どうじ 的 てき に複数 ふくすう の女性 じょせい を愛 あい せとも説 と かれるが、実践 じっせん 者 しゃ の記録 きろく では、おおむね一人 ひとり の女性 じょせい と長期 ちょうき 的 てき に性 せい ヨーガを行 おこな ったようである。彼女 かのじょ らは男性 だんせい 行者 ぎょうじゃ を導 みちび く師 し の役割 やくわり を演 えん じることもあり、9-12世紀 せいき 頃 ごろ のインドの後期 こうき 密教 みっきょう 時代 じだい に活躍 かつやく した大 だい 成就 じょうじゅ 者 しゃ (英語 えいご 版 ばん ) たちの伝記 でんき である『八 はち 十 じゅう 四 よん 成就 じょうじゅ 者 しゃ 伝 でん 』には悟 さと りを得 え た女性 じょせい が5名 めい 登場 とうじょう する。後期 こうき 密教 みっきょう の性的 せいてき 儀礼 ぎれい における男性 だんせい 行者 ぎょうじゃ の相手 あいて の女性 じょせい はムドラー(印 しるし 契 ちぎり )とも呼 よ ばれた。『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、ヴァジュローリー・ムドラーでラジャス(性 せい 分泌 ぶんぴつ 物 ぶつ と解 かい される)を再 さい 吸収 きゅうしゅう し、保持 ほじ することのできる女性 じょせい をヨーギニーと呼 よ んでいる。
^ これらは正統 せいとう バラモン教 ばらもんきょう とも呼 よ ばれるが、ヴェーダ聖典 せいてん の権威 けんい と明確 めいかく に対立 たいりつ していない学派 がくは に対 たい するおおざっぱなくくりであり、名目 めいもく 的 てき な分類 ぶんるい に過 す ぎない。ヨーガ学派 がくは は、現代 げんだい ではダルシャナ(インド哲学 てつがく )のうちシャド・ダルシャナ(六 ろく 派 は 哲学 てつがく )の1つに位置 いち づけられている。六 ろく 派 は 哲学 てつがく という言葉 ことば は古 ふる いが、もともと取 と り上 あ げられる六 ろく 派 は は一定 いってい しておらず、サーンキヤ学派 がくは 、ヨーガ学派 がくは 、ミーマーンサー学派 がくは 、バイシェーシカ学派 がくは 、ニヤーヤ学派 がくは 、ヴェーダーンダ学派 がくは を六 ろく 派 は 哲学 てつがく と呼 よ ぶことは、おそらくフリードリヒ・マックス・ミュラー や木村 きむら 泰賢 たいけん に始 はじ まると思 おも われる[ 107] 。
^ 例 たと えば、近代 きんだい インドを代表 だいひょう する聖者 せいじゃ であるラマナ・マハルシ [ 156] の『あるがままに - ラマナ・マハルシの教 おし え』は、修練 しゅうれん 方法 ほうほう としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ を勧 すす めている。ラマナは、霊 れい 性 せい の向上 こうじょう は「心 しん 」そのものを扱 あつか うことで解決 かいけつ ができるという基本 きほん 的 てき 前提 ぜんてい から、ハタ・ヨーガには否定 ひてい 的 てき であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在 せんざい 的 てき に危険 きけん であり必要 ひつよう もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達 とうたつ したとしても真 ま 我 が の実現 じつげん は起 お こらないと発言 はつげん している[ 157] 。
^ 伊藤 いとう 雅之 まさゆき はこれを1920年代 ねんだい から1930年代 ねんだい のこととしているが、シングルトン 2014 によれば、少 すく なくともクリシュナマチャーリヤに関 かん して言 い えば1930年代 ねんだい 以降 いこう のことである。伊藤 いとう 論文 ろんぶん では西洋 せいよう 式 しき 体操 たいそう から編 あ み出 だ された近代 きんだい ハタ・ヨーガをひとりクリシュナマチャーリヤのみに帰 かえ しているような記述 きじゅつ となっているが[ 43] 、シングルトンによれば同 どう 時代 じだい のスワーミー・クヴァラヤーナンダ (英語 えいご 版 ばん ) とシュリー・ヨーゲーンドラ (英語 えいご 版 ばん ) も重要 じゅうよう であり、クヴァラヤーナンダの活動 かつどう はクリシュナマチャーリヤに先行 せんこう している。また、伊藤 いとう は近代 きんだい ハタ・ヨーガにはインド伝統 でんとう 武術 ぶじゅつ に由来 ゆらい する要素 ようそ もあるとしているが、シングルトンの著書 ちょしょ にはそれを示唆 しさ する記述 きじゅつ はない。
^ AYUSHは、次 つぎ の頭文字 かしらもじ をとった略語 りゃくご 。AはAyurveda(アーユルヴェーダ )、YはYoga&Naturopathy(ヨーガとナチュロパシー=自然 しぜん 療法 りょうほう )、UはUnani(ユナニ医学 いがく )、SはSiddha(シッダ医学 いがく )、HはHomeopathy(ホメオパシー )。
^ 宗教 しゅうきょう 学者 がくしゃ の大田 おおた 俊寛 としひろ は、「シャクティーパット 」を一言 ひとこと でいうと催眠 さいみん 術 じゅつ であり、フランツ・アントン・メスメル のメスメリズム (動物 どうぶつ 磁気 じき 療法 りょうほう )の方法 ほうほう と酷似 こくじ していると述 の べている。
^ オウム真理教 おうむしんりきょう 犯罪 はんざい 被害 ひがい 者 しゃ 等 とう を救済 きゅうさい するための給付 きゅうふ 金 きん の支給 しきゅう に関 かん する法律 ほうりつ に基 もと づき給付 きゅうふ 金 きん の支給 しきゅう を受 う けた被害 ひがい 者 しゃ 数 すう (公安調査庁 こうあんちょうさちょう )
^ アシュタ=8つ、アンガ=枝 えだ 、支 ささえ 分 ぶん 、部門 ぶもん 。
^ 伊藤 いとう 武 たけし の解釈 かいしゃく するところによると、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』のいうラージャ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義 おうぎ を意味 いみ し、ラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)のことを指 さ している。
^ 印度 いんど 哲学 てつがく 研究 けんきゅう 者 しゃ の山下 やました 博司 ひろし によると、これは通俗 つうぞく 語源 ごげん 的 てき な解釈 かいしゃく である。
^ ゴーラクシャを山下 やました は10-12世紀 せいき 、伊藤 いとう は12世紀 せいき 前半 ぜんはん の人物 じんぶつ とする。
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