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ハルマゲドン(アルマゲドン、ハーマゲドン、アーマゲドンと表記される場合もある、古代ギリシャ語: Ἁρμαγεδών、Harmagedōn、英: Armageddon、日本語では最終戦争)とは、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地[1]。世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す(戦争を終わらせる最後の戦争。一説では大艱難の頂点がハルマゲドンとも言われている)。
「ヨハネの黙示録」(『新約聖書』)に出てくる言葉であり、ヘブライ語でイスラエル北部に実在する「メギドの丘」を意味する地名(テル・メギド)が語源である。ヘブライ語のテル・メギトが古代ギリシャ語でハルマゲドンと訛って転訛されてヨハネ16:16で記載された。その聖書によれば、将来起きる世界最終戦争の地(あるいは世界最終戦争の代名詞)として使用されているが、ここで語られる「終末」は、必ずしも未来のこととは限らないと解釈する者も居た。(後述)。また、実在する語源となった地名(イスラエル)と関係するとも、あくまで比喩でしかないとも様々な解釈が乱立しており、一定しない。同書が成立したのは西暦90年前後とみられる。
「ヨハネの黙示録」成立時の状況
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「ヨハネの黙示録」の成立時(紀元90年前後)は、ローマ帝国がキリスト教を弾圧した時期だった。ヨハネが記した「神の裁き」は、ローマ皇帝に対する制裁を願望として表現しているとされる。
ヨハネの黙示録16章にはこのように書かれている[4][5]。
それから、
大きな
声が
聖所から
出て、
七人の
御使にむかい、「さあ
行って、
神の
激しい
怒りの
七つの
鉢を、
地に
傾けよ」と
言うのを
聞いた。そして、
第一の
者が
出て
行って、その
鉢を
地に
傾けた。すると、
獣の
刻印を
持つ
人々と、その
像を
拝む
人々とのからだに、ひどい
悪性のでき
物ができた。
第二の
者が、その
鉢を
海に
傾けた。すると、
海は
死人の
血のようになって、その
中の
生き
物がみな
死んでしまった。
第三の
者がその
鉢を
川と
水の
源とに
傾けた。すると、みな
血になった。それから、
水をつかさどる
御使がこう
言うのを、
聞いた、「
今いまし、
昔いませる
聖なる
者よ。このようにお
定めになったあなたは、
正しいかたであります。
聖徒と
預言者との
血を
流した
者たちに、
血をお
飲ませになりましたが、それは
当然のことであります」。わたしはまた
祭壇がこう
言うのを
聞いた、「
全能者にして
主なる
神よ。しかり、あなたのさばきは
真実で、かつ
正しいさばきであります」。
第四の
者が、その
鉢を
太陽に
傾けた。すると、
太陽は
火で
人々を
焼くことを
許された。
人々は、
激しい
炎熱で
焼かれたが、これらの
災害を
支配する
神の
御名を
汚し、
悔い
改めて
神に
栄光を
帰することをしなかった。
第五の
者が、その
鉢を
獣の
座に
傾けた。すると、
獣の
国は
暗くなり、
人々は
苦痛のあまり
舌をかみ、その
苦痛とでき
物とのゆえに、
天の
神をのろった。そして、
自分の
行いを
悔い
改めなかった。
第六の
者が、その
鉢を
大ユウフラテ
川に
傾けた。すると、その
水は、
日の
出る
方から
来る
王たちに
対し
道を
備えるために、かれてしまった。また
見ると、
龍の
口から、
獣の
口から、にせ
預言者の
口から、かえるのような
三つの
汚れた
霊が
出てきた。これらは、しるしを
行う
悪霊の
霊であって、
全世界の
王たちのところに
行き、
彼らを
召集したが、それは、
全能なる
神の
大いなる
日に、
戦いをするためであった。(
見よ、わたしは
盗人のように
来る。
裸のままで
歩かないように、また、
裸の
恥を
見られないように、
目をさまし
着物を
身に
着けている
者は、さいわいである。)
三つの
霊は、ヘブル
語でハルマゲドンという
所に、
王たちを
召集した。
第七の
者が、その
鉢を
空中に
傾けた。すると、
大きな
声が
聖所の
中から、
御座から
出て、「
事はすでに
成った」と
言った。すると、いなずまと、もろもろの
声と、
雷鳴とが
起り、また
激しい
地震があった。それは
人間が
地上にあらわれて
以来、かつてなかったようなもので、それほどに
激しい
地震であった。
大いなる
都は
三つに
裂かれ、
諸国民の
町々は
倒れた。
神は
大いなるバビロンを
思い
起し、これに
神の
激しい
怒りのぶどう
酒の
杯を
与えられた。
島々はみな
逃げ
去り、
山々は
見えなくなった。また
一タラントの
重さほどの
大きな雹が、
天から
人々の
上に
降ってきた。
人々は、この雹の
災害のゆえに
神をのろった。その
災害が、
非常に
大きかったからである。
— ヨハネの黙示録16章1節から21節(口語訳)
キリスト教終末論の相違点
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二つの終末戦争をハルマゲドンの戦いと、ゴグ・マゴグの戦いについて、前千年王国説では、二つの異なる戦いとし、無千年王国説と後千年王国説 では同一の戦いとする[6]。
岡山英雄は注意すべき点として「獣と地上の王たちとその軍勢」と「キリストとその軍勢」の戦いであること、戦いの武器は、「鋭い剣」、「神のことば」であること、この戦いによって、すべての悪が滅亡するのは目的の一つに過ぎず、キリストの花嫁である教会の結婚こそが重要であるとする[7]。
尾山令仁は、悪霊の支配下にある地上の支配者たちとの軍勢と、主の軍勢との戦いであるので、この世のいかなる戦争とも異なる戦いであり、メギドの丘で行われるわけではなく、悪とその勢力が滅ぼされるキリスト勝利の戦いであるとする[8]。
奥山実はハルとメギドという二つの言葉からできているこの語は「虐殺の丘」を意味し、竜であるサタンと獣である独裁者と偽預言者からの悪霊に集められた者が、主の軍勢と戦い、子羊の軍勢が勝利すると説明する[9]。
ウィリアム・ヘンドリクセンは、反キリストのリーダーシップのもとに、汚れた者たちが教会に恐ろしい迫害を加える時がハルマゲドンであると教える。ヘンドリクセンによれば、反キリストは目的をとげられず、邪悪な者たちの軍勢に神の怒りが注がれ、悪魔が「火と硫黄の池に投げ込まれ」るという。[10]
ハルマゲドンの後に起こることについては、教派によって解釈が異なる。ハルマゲドンは最後の審判と直接の関係はないが、キリスト教の教理では、最後の審判の後に、キリスト者にとって天国に行く喜びのときだが、不信者は地獄に落ちるとされる[11]。
しかし、おくびょうな
者、
信じない
者、
忌むべき
者、
人殺し、
姦淫を
行う
者、まじないをする
者、
偶像を
拝む
者、すべて
偽りを
言う
者には、
火と
硫黄の
燃えている
池が、
彼らの受くべき
報いである。これが
第二の
死である」。
— ヨハネの黙示録21章8節(口語訳)
比較宗教学によれば、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地を表す言葉。ヘブライ語で「メギドの丘」を意味すると考えられている。メギドは北イスラエルの地名で戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった(著名なものに、トトメス3世のメギドの戦いなど)。このことから「メギドの丘」という言葉がこの意味で用いられたと考えられている。世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す言葉である。
歴史上、ハルマゲドンを含む終末思想は、しばしばカルトの信者獲得や教祖の自己実現に利用されやすく、アメリカ合衆国でのブランチ・ダビディアンによる事件や、日本での地下鉄サリン事件など、オウム真理教による一連の事件などドゥームズデー・カルトを引き起こすことが少なからずあった。
SF小説・SFアニメ・SF映画などサイエンス・フィクション作品、特に終末ものにもこの構図は使われつづけている。
五島勉の著書による『ノストラダムスの大予言』本がブームになり、オウム真理教が、教義においてハルマゲドンの到来を主張し、1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件以降、ワイドショーで度々報じられ、幅広い年代にまで「誤ったハルマゲドン」が広く知られるようになった。
- 『デビルマン』
- 日本では、1972年(昭和47年)に連載の始まった永井豪の漫画。ハルマゲドンを扱っていたものの、当時はこの言葉の意味を知る人は少なかったようである(永井談)。
- 『幻魔大戦』
- 1983年(昭和58年)に公開された、角川春樹制作のアニメ映画。「ハルマゲドン接近」というキャッチコピーがテレビや雑誌で多用され、キリスト教信者でない日本の若者にもこの単語が普及する。
- 『アルマゲドン』
- 1998年に公開された映画。20世紀末に地球の大気圏を流星雨が突破して地球環境が致命的な打撃を受ける恐れが判明する。被害が生じる前に宇宙飛行士らが決死の覚悟で厳しい任務に当たるストーリー。善と悪の決戦を描いたものではない。
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