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こうせんねん王国おうこくせつ

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こうせんねん王国おうこくせつ(こうせんねんおうこくせつ、えい: postmillenialism)は、キリスト教きりすときょう終末しゅうまつろん立場たちばのひとつ。イエス・キリストの再臨さいりんせんねん王国おうこく成立せいりつこるとする。千年ちとせ再臨さいりんせつう。再臨さいりんせんねん王国おうこく以後いごかんがえるという意味いみからこの名称めいしょうばれる。黙示録もくしろく20しょう解釈かいしゃくにおいてぜんせんねん王国おうこくせつ対照たいしょうてきであり、せんねん王国おうこくせつとも立場たちばことにする。

概略がいりゃく

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キリスト教きりすときょうにおけるせんねん解釈かいしゃく比較ひかく

このせつではせんねん王国おうこくとらかたはばみとめられる。具体ぐたいてきせん年間ねんかんつづくものとなす論者ろんしゃがある一方いっぽうおおくの場合ばあい漠然ばくぜんとした長期間ちょうきかん意味いみする象徴しょうちょうてき表現ひょうげんとして解釈かいしゃくされており、このてんではせんねん王国おうこくせつ共通きょうつうてんゆうする。千年ちとせ象徴しょうちょうとする解釈かいしゃくでは、それがすではじまっているとなされるのが通常つうじょうである。この場合ばあい、キリストの再臨さいりんぜんせんねん王国おうこくせつかんがえられるほどに突如とつじょとしたものではなく、またせんねんもそれほど明瞭めいりょう際立きわだった時代じだい区分くぶんとはなされない。

またこのせつによれば、かみ王国おうこくはキリストの再臨さいりんいたるまで歴史れきしつうじて徐々じょじょ進展しんてんし、かみ敵対てきたいするちからはこれにともなって漸次ぜんじ衰退すいたいするとされる。こうした意思いし徐々じょじょあく勝利しょうりするという信仰しんこうから、このせつとなえるものせんねん王国おうこくせつにおける楽観らっかん主義しゅぎしゃ (optimillennialist) とばれることがある。この文脈ぶんみゃくでは、ぜんせんねん王国おうこくせつせんねん王国おうこくせつ支持しじするものせんねん王国おうこくせつにおける悲観ひかん主義しゅぎしゃ (pessimillennialist) となる。

こうせんねん王国おうこくせつものなかには、聖書せいしょちゅう終末しゅうまつしめせ過去かこのものとして解釈かいしゃくする過去かこ解釈かいしゃく (過去かこ主義しゅぎ) を支持しじするものおおい。

こうせんねん王国おうこくせつろんしゃは、黙示録もくしろく20しょうせんねん王国おうこくせつ論者ろんしゃほど象徴しょうちょうてきにはとらない。けれども、細部さいぶかんしては、かならずしも字義じぎどおりのものとはかんがえない。ゆえに、殉教者じゅんきょうしゃ復活ふっかつや、せんねんキリストがからだをもってこの地上ちじょう存在そんざいするようなことが、実際じっさいこるわけではないとしている。

キリストの再臨さいりんときちかづけばちかづくほど、内在ないざいてきかみちからは、かみのもろもろのてきたいして、より強力きょうりょくかたち発揮はっきされ、そのような教会きょうかい黄金おうごん時代じだいせんねん)ののちみじか背教はいきょう、つまりぜんちからあくちからあいだこうそうがあり、ついでキリストの再臨さいりん死人しにんなかから復活ふっかつ最後さいご審判しんぱんという出来事できごとこるとかんがえられている。

歴史れきし

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  • 17世紀せいきになるとイギリスで綿密めんみつ終末しゅうまつろん研究けんきゅうがなされるようになった。改革かいかく神学しんがくしゃたちも、聖書せいしょ字義じぎどおりとるぜんせんねん王国おうこくせつ主張しゅちょうした。1658ねんクロムウェル死去しきょして清教徒せいきょうと共和きょうわ政治せいじわり、スチュアートあさ復活ふっかつすると、その時勢じせい影響えいきょうで、ぜんせんねん王国おうこくせつすたれていった。かわりに、こうせんねん王国おうこくせつ台頭たいとうしてきた。最初さいしょ一部いちぶ清教徒せいきょうと神学しんがくしゃ著作ちょさくられた。英国えいこく国教こっきょうかい聖書せいしょ註解ちゅうかいしゃダニエル・ホウィットビがこのせつ形成けいせいおおきく貢献こうけんした。
  • 19世紀せいきになると、ぜんせんねん王国おうこくせついきおいをかえしてきた。また、この時期じきディスペンセーション主義しゅぎというかんがえがひろまり、ぜんせんねん王国おうこくせつあたらしい要素ようそくわえられた。とくに、南北戦争なんぼくせんそう以降いこうアメリカではディスペンセーション主義しゅぎぜんせんねん王国おうこくせつさかんになった。
  • 19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいきはじめにかけて、進化しんか思想しそうつよ影響えいきょうで、こうせんねん王国おうこくせつひろれられた。
  • 20世紀せいき改革かいかく主義しゅぎ神学しんがくしゃたちがこの立場たちばをとったが、世界せかい大戦たいせんのちは、この楽天らくてん主義しゅぎてきのちせんねん王国おうこく立場たちばすくなくなった[1]
  • キリスト教きりすときょう再建さいけん主義しゅぎこうせんねん王国おうこく強調きょうちょうする。

批判ひはん

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  • 再臨さいりんまえ黄金おうごん時代じだいるという思想しそうは、このわりについての聖書せいしょ破局はきょくてき描写びょうしゃ矛盾むじゅんする(マタイ24しょうとう)。この批判ひはんたいして、こうせんねん王国おうこくせつではマタイ24しょうなどの破局はきょくてき描写びょうしゃはこの世界せかい終末しゅうまつかんする預言よげんではなく、実際じっさい紀元きげん70ねんきた、使徒しとたちにとって間近まぢかせまりつつあるイスラエルにたいするさばかんする預言よげんであるととなえる。マタイ24しょう34せつ「まことに、あなたがたにげます。これらのことが全部ぜんぶこってしまうまでは、この時代じだいりません」において、これらの破局はきょくてき出来事できごとがイエスの時代じだいきるとべられている。(「時代じだい」の原語げんご「ゲネア」は「時代じだい、30~33ねん時間じかん」を意味いみする:The KJV New Testament Greek Lexicon)。
  • 聖書せいしょによれば、悪魔あくま今日きょう頻繁ひんぱん活動かつどうしている(だいいちペテロ5しょう8せつ)。この批判ひはんたいして、こうせんねん王国おうこくせつでは、終末しゅうまつまでのせんねん教会きょうかい悪魔あくまとのたたかいの時期じき定義ていぎするので悪魔あくま活動かつどう当然とうぜん終末しゅうまつまでつづくとかんがえる。カルヴァンいわく「ここ(黙示録もくしろく20しょう)でわれているせん年間ねんかんは、教会きょうかい永遠えいえん祝福しゅくふくについてべているのではなく、このにおいてたたか教会きょうかいちうけている様々さまざま困難こんなんについてべているのである」(キリストきょう綱要こうようだい3かん25・5)。

このせつ支持しじする学者がくしゃ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 尾山おやまれいじん聖書せいしょ教理きょうりひつじぐんしゃ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 島田しまだぶくやすせんねん」『しんキリスト教きりすときょう辞典じてん』いのちのことばしゃ、1991ねん、861-865ページ

関連かんれん項目こうもく

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