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占星術せんせいじゅつ

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占星術せんせいじゅつ(せんせいじゅつ)またはうらないほしがく(せんせいがく)は、太陽系たいようけいうち太陽たいようつき惑星わくせい小惑星しょうわくせいなどの天体てんたい位置いちうごきなどと人間にんげん社会しゃかいのありかた経験けいけんてきむすびつけてうらなう(うらな)。古代こだいバビロニア発祥はっしょうとするとされ、ギリシアインドアラブヨーロッパ発展はってんした西洋せいよう占星術せんせいじゅつインド占星術せんせいじゅつと、中国ちゅうごくなどひがしアジア発展はってんした東洋とうよう占星術せんせいじゅつ大別たいべつすることができる。占星術せんせいじゅつ科学かがくてきであるおも理由りゆうとしては反証はんしょう可能かのうせいがないためである[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

発祥はっしょう[編集へんしゅう]

古代こだいバビロニアでおこなわれただい規模きぼ天体てんたい観測かんそく起源きげんであり、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパ・中国ちゅうごくつたわったといわれている。おもに国家こっか王家おうけ吉凶きっきょう判断はんだん使つかわれた。バビロニア占星術せんせいじゅつ紀元前きげんぜん3世紀せいきころにギリシアにつたわり、個人こじん運勢うんせいうらなホロスコープ占星術せんせいじゅつ発展はってんした。占星術せんせいじゅつ単語たんごは、古典こてんギリシアのアストロロギア(astrologia)に由来ゆらいする。アストロロギア(astrologia)のアストロ(astro)という接頭せっとう古典こてんギリシアの astron ぼしでありastrologiaとはほしについてかんがえたことという意味いみになる。アストロノミア(astronomia、英語えいごのastronomy)天文学てんもんがくとはastrologiaのなかでほしうごきなどについての学問がくもんであった(nomos は秩序ちつじょ意味いみ)。ちなみに、astrologistは占星術せんせいじゅつしゃである。

中東ちゅうとう・ヨーロッパ[編集へんしゅう]

西洋せいよう占星術せんせいじゅつ起源きげんバビロニアにあった。バビロニアでは、紀元前きげんぜん2千年紀せんねんきてんほし々とかみ々をむすびつけることがおこなわれ、てんしるし地上ちじょう出来事できごと前兆ぜんちょうしめすというかんがえもまれた。『エヌーマ・アヌ・エンリル』(Enuma anu enlil, 紀元前きげんぜん1000ねんごろ)はそうした前兆ぜんちょうをまとめたものである。ただし、当時とうじ前兆ぜんちょうむすけられていた出来事できごとは、もっぱ君主くんしゅ国家こっかかかわる物事ものごとばかりで、そのりもほしえがいてうらなうものではなく、ほしにこめた象徴しょうちょうてき意味いみ火星かせい軍神ぐんしんネルガル対応たいおうしていたから凶兆きょうちょうとするなど)をるものにぎなかった。 ぜん332ねんにアレキサンダー大王だいおうによって占領せんりょうされたのち、エジプトはギリシャの支配しはいにあった。そして、ヘレニズム文化ぶんかさかえるなかで、はじめて本格ほんかくてきにホロスコープをもちいる占星術せんせいじゅつあらわれた。出生しゅっしょうにおけるほし々の位置いちから個人こじんほしをトレースするこころみが普及ふきゅうしたことは、西洋せいよう占星術せんせいじゅつへのギリシャじん最大さいだい貢献こうけんである。このシステムは「ホロスコープ占星術せんせいじゅつ」と名付なづけられた。アセンダント(後述こうじゅつ)はギリシャで「ホロスコポス」ともばれていたからである(ほしそのものを「ホロスコープ」とぶようになったのは、これが語源ごげんである)。ギリシャでおおいに発展はってんしたとはいえ、そのだい部分ぶぶんはバビロニアからもたらされたものであった。

インド[編集へんしゅう]

インド占星術せんせいじゅつは、ナクシャトラもちいたインド固有こゆう占星術せんせいじゅつで、はくみちうえつき位置いち着目ちゃくもくし、てん黄道こうどうを27分割ぶんかつけたものうらな占星術せんせいじゅつだったが、ヘレニズム時代じだい太陽たいようつき、5惑星わくせいとラーフ、ケートゥといった九曜くよう十二宮じゅうにきゅうじゅうしつもとづくホロスコープ方式ほうしき占星術せんせいじゅつれて、現在げんざいナクシャトラはくみちじゅうなな宿しゅく)と黄道こうどう十二宮じゅうにきゅう併用へいようしたかたちになったとわれているが、ふる時代じだいのことなのではっきりしたことはわかっていない。 また仏教ぶっきょうれられたものは、簡略かんりゃくつき厳密げんみつ度数どすうめず、1にちに1つというようにてる)・仏教ぶっきょうし 『宿やど曜経』 にまとめられ、密教みっきょう一部いちぶとして中国ちゅうごくつたえられた。さらに、平安へいあん時代じだいには日本にっぽんにもつたえられて宿やど曜道となった。

中国ちゅうごく[編集へんしゅう]

古代こだい中国ちゅうごくにおいて「天文てんもん」とは、古代こだい世界せかいほか文明ぶんめいでもそうであったように、狭義きょうぎ天文学てんもんがく観測かんそくされる天象てんしょうによるうらないとが渾然一体こんぜんいったいとなったものであった。バビロニア占星術せんせいじゅつとはことなり、天体てんたい配置はいちではなく日食にっしょく月食げっしょく流星りゅうせい彗星すいせい新星しんせい超新星ちょうしんせい出現しゅつげん、そしてほしかたなど天変てんぺん現象げんしょう注目ちゅうもくしたものであった。これは天変てんぺんてんあたえる警告けいこくであるという「わざわい異説いせつ」の思想しそうのっとったものである。これは現代げんだい天変てんぺん占星術せんせいじゅつとよぶひともいる。

ただしバビロニア起源きげんかんがえられる黄道こうどう十二宮じゅうにきゅう使つかった占星術せんせいじゅつ影響えいきょうけて成立せいりつしたとかんがえられるろくみずのえかみ基本きほん構造こうぞう戦国せんごく-はた-かん時代じだいには確立かくりつしていた。ろくみずのえかみしきばんサインハウス構成こうせいされたホロスコープに中国ちゅうごく独自どくじ十二天じゅうにてんしょう配布はいふしたものを表現ひょうげんしている。こののちとう時代じだいにインド占星術せんせいじゅつかんやくした『宿やど曜経』が伝来でんらいし、ななせいよんあまりとなった。『宿やど曜経』は当時とうじ日本にっぽんでも受容じゅようされ宿やど曜道となった。しかしその実際じっさい天文てんもん観測かんそく情報じょうほう国家こっか独占どくせんされたこともあり、煩雑はんざつ天文てんもん計算けいさん必要ひつようがないこよみをベースとしたうらないじゅつ主流しゅりゅうとなってく。

現代げんだい[編集へんしゅう]

現代げんだいではおも自身じしん性格せいかくやそれにもとづいた相性あいしょうるために利用りようするひとがいる。現代げんだい心理しんりがくにはビッグファイブといったものがあるが、占星術せんせいじゅつほん天文学てんもんがくほんよりもよくれていて、1997ねん12月27にちにはイギリス最大さいだい発行はっこう部数ぶすうほこ新聞しんぶんの『デイリー・メイル』は、いちめんトップで占星術せんせいじゅつ記事きじせたことがある[2]

あるアンケート調査ちょうさによれば、新聞しんぶんほしうらないをんでも実際じっさいにはしんじていないひとだい多数たすうで、ぼしうらないはたんなるたのしみであるという[3]。しかし、信頼しんらいのできそうな報告ほうこくによると、これとはことなる結果けっかしめし、かなりのかず人々ひとびと本当ほんとうほしうらないをしんじ、それにしたがって行動こうどうをしているという[3]

また、占星術せんせいじゅつ新聞しんぶん雑誌ざっし仕事しごとおこなうことがあるが、その仕事しごと内容ないようは、ほとんど訓練くんれん技術ぎじゅつ必要ひつようとしないため、ひまあましたわか記者きしゃまわされることがおお[4]

ジャーナリストとしてはじめてやった仕事しごとは、くだらない女性じょせいほしうらないをくことでした。あの作業さぎょうまって新入しんにゅう社員しゃいんがやらされます。つまらなくて簡単かんたんで、当時とうじわたしみたいなケツのあおいやつにもできる仕事しごとなんですよ。 — ジャン・モワール、ガーディアン(1994ねん10がつ06にち

たようなはなし合理ごうり主義しゅぎしゃ手品てじなであるジェームズ・ランディのわかころのものがある。ランディはゾランというペンネームで、モントリオールで発行はっこうされている新聞しんぶん占星術せんせいじゅつしょくた。ランディは、むかしほしうらないの雑誌ざっしってきて、その予言よげんをはさみでり、適当てきとうにかきぜて、12の星座せいざのもとにランダムにけ、予言よげんとして紙面しめんせていた。ランディはあるとき、2人組にんぐみのサラリーマンが昼休ひるやすみにカフェで、「ゾラン」のうらないを熱心ねっしんみつつ会話かいわをしているところをみみにした[4]

その二人ふたりれは、運勢うんせいならんでいるのをうれしい悲鳴ひめいげていた。わたしはどうしたことかとかれらにたずねたが、こんなこたえがかえってきた。「ゾランは先週せんしゅう本当ほんとうにぴたっとてたんです。」わたしは、自分じぶんがそのゾランであるなどとはおもえなかった。……手紙てがみでの反響はんきょうじつ面白おもしろいものだった。おかげでわたし確信かくしんした。神秘しんぴちからつとしんじている人物じんぶつ言葉ことばであれば、どんな内容ないようであっても、じんはそれをれる。そして都合つごうよく解釈かいしゃくしてくれるものなのだ、と。このときゾランはハサミとのりをしまいみ、仕事しごとのちにしたのだった。 — ジェームズ・ランディ、『ぺてん』1992ねん

代表だいひょうてき書物しょもつ[編集へんしゅう]

占星術せんせいじゅつ科学かがく[編集へんしゅう]

もともと、占星術せんせいじゅつ(astrology)と天文学てんもんがく(astronomy)はふか関係かんけいがあった。さまざまな経緯けいいて、ながなが時代じだいて、徐々じょじょ距離きょりができ、現代げんだいでは占星術せんせいじゅつ天文学てんもんがくべつのものになっている。天文学てんもんがくは、途中とちゅうまで占星術せんせいじゅつとともに、プトレマイオス以来いらい地球ちきゅう中心ちゅうしんせつ天動説てんどうせつ)の宇宙うちゅうかんのもとに発展はってんした。途中とちゅうからコペルニクスの『地動説ちどうせつ』が登場とうじょうし、そのあたりから分化ぶんかはじまったのである。やがて伝統でんとうてき占星術せんせいじゅつすたれ、現代げんだい占星術せんせいじゅつとして復活ふっかつすることとなる。

天文学てんもんがくとの関連かんれん[編集へんしゅう]

占星術せんせいじゅつ天文学てんもんがく母胎ぼたいでもあった。ケプラーの法則ほうそく有名ゆうめいヨハネス・ケプラー天文学てんもんがくしゃ数学すうがくしゃであると同時どうじに、占星術せんせいじゅつでもあった[6]ドイツ観念論かんねんろん代表だいひょうする哲学てつがくものヘーゲルは、大学だいがく教師きょうししょくくための就職しゅうしょく論文ろんぶんDissertatio philosophica de Orbitis Planetarum. (『惑星わくせい軌道きどうかんする哲学てつがくてき論考ろんこう通称つうしょう惑星わくせい軌道きどうろん[7])において、惑星わくせい運動うんどう本質ほんしつてき解明かいめいしたのは、物理ぶつりがくてき解析かいせきしたニュートンよりもむしろケプラーであるとひょうした[8]

そしてケプラーは「このおろかなむすめ占星術せんせいじゅつは、一般いっぱんからは評判ひょうばんのよくない職業しょくぎょう従事じゅうじして、その利益りえきによってかしこいがまずしいはは天文学てんもんがくやしなっている」といた[9]権力けんりょくしゃは、自分じぶん運命うんめい選択せんたくしに興味きょうみがあるので、それについてこたえてくれるとかんがえられた占星術せんせいじゅつのほうに金銭きんせんし、その金銭きんせん結果けっかとして、ほし観察かんさつ観測かんそくする天文学てんもんがくささえるという効果こうかがあった、という意味いみである[注釈ちゅうしゃく 1]

占星術せんせいじゅつ自然しぜん科学かがく[編集へんしゅう]

ほしがどのような周期しゅうきてきうごきをするものであるかに関心かんしんがあった時代じだいでは、占星術せんせいじゅつ天文学てんもんがく分化ぶんかこんしか一体いったい状態じょうたいであった。現代げんだいのような自然しぜん科学かがくは19世紀せいきになってようやく誕生たんじょうしたものである[注釈ちゅうしゃく 2]。それ以前いぜんは、自然しぜんについての考察こうさつ自然しぜん哲学てつがくという体系たいけいおこなわれていた。アイザック・ニュートンによる1687ねん著作ちょさく自然しぜん哲学てつがく数学すうがくてきしょ原理げんり』によって分離ぶんりがすすみ、けっして一足飛いっそくとびにではなく、徐々じょじょに、占星術せんせいじゅつ自然しぜん科学かがく距離きょりはなれていったのである。現代げんだい天文学てんもんがくしゃは、一般いっぱんに、天体てんたい配置はいちうごきをもちいて予想よそうしようとするのは、あくまで天体てんたい位置いちうごきであり、けっして人間にんげん性格せいかく運勢うんせい国家こっか未来みらいなどではない。

現代げんだいおおくの占星術せんせいじゅつ専門せんもんが、惑星わくせい位置いちもちいて予想よそうしようとするのは、あくまでひと運命うんめいなどであって、かれらは現代げんだい自然しぜん科学かがくもちいて、より正確せいかく惑星わくせい位置いちなどを予測よそくすることには興味きょうみい。このように、占星術せんせいじゅつ天文学てんもんがくは、現代げんだいでは、目的もくてき手法しゅほうも、原則げんそくてきべつのものになっているのである。

ただし、若干じゃっかん例外れいがいはあり、占星術せんせいじゅつ自然しぜん科学かがくかさなるような、微妙びみょう領域りょういきでの研究けんきゅうがいくつかある。

  • ソルボンヌ大学そるぼんぬだいがく心理しんり学者がくしゃ統計とうけいがくものミッシェル・ゴークランフランス語ふらんすごばんは、誕生たんじょう火星かせい位置いちひと職業しょくぎょう膨大ぼうだい統計とうけいをとり、両者りょうしゃには相関そうかん関係かんけいがある、と結論けつろんづける論文ろんぶん発表はっぴょう(SCICOP サイコップ初期しょきメンバーはこの論文ろんぶん否定ひていできるとめつけて活動かつどうしたものの、調査ちょうさして結果けっかは、かれらの予想よそうはんして、この論文ろんぶん不本意ふほんいながら追認ついにんせざるをない結果けっかになり、サイコップない紛糾ふんきゅうしょうじ、サイコップの歴史れきし汚点おてんともなった)。
    • これは、当時とうじのドイツの異常いじょう社会しゃかい状態じょうたい関係かんけいがあり、政治せいじてき圧力あつりょく学問がくもん世界せかいにまでひずみをあたえていた、という事例じれいである。
  • ソルボンヌ大学そるぼんぬだいがくのディーン・ルディアはユング占星術せんせいじゅつ、すなわち「占星術せんせいじゅつ心理しんりがくてきアプローチ」にたいし、「心理しんりがく占星術せんせいじゅつてきアプローチ」をおこない、西洋せいよう占星術せんせいじゅつにおける「サビアン占星術せんせいじゅつ」に貢献こうけんした[よう出典しゅってん]

占星術せんせいじゅつ心理しんりがく[編集へんしゅう]

心理しんりがく歴史れきしをたどると、カール・ユングなど、心理しんり学者がくしゃ一部いちぶは、占星術せんせいじゅつ積極せっきょくてきんだ[10]。ユングは「シンクロニシティ」あるいは「意味いみのある偶然ぐうぜん一致いっち」というかんがかたしめそうとして、占星術せんせいじゅつ援用えんようした。この事情じじょうもあり、現代げんだい占星術せんせいじゅつなかでもイギリス中心ちゅうしんとして占星術せんせいじゅつ研究けんきゅうしょうする人々ひとびとなかには、心理しんりがく援用えんようしようとこころみているひともいる。

1970年代ねんだい欧米おうべいで、心理しんり療法りょうほう分野ぶんや研究けんきゅうをしながら占星術せんせいじゅつまなひとえたことにより心理しんりうらないほしがく発達はったつしたといわれている。人間にんげんしんあつか研究けんきゅう古代こだい占星術せんせいじゅつあつかうテーマのひとつであったともいわれている。先駆せんくしゃとしてディーン・ルディアリズ・グリーンなどがあげられている。

占星術せんせいじゅつ未来みらい予測よそく関係かんけい[編集へんしゅう]

西欧せいおう中世ちゅうせいスコラ哲学すこらてつがくしゃトマス・アクィナスは「ほしいざなえど、強制きょうせいせず」と含蓄がんちくある表現ひょうげん指摘してきした。占星術せんせいじゅつはいくつもの意味いみづけ・解釈かいしゃく提供ていきょうするもので、複数ふくすう意味いみづけ・解釈かいしゃくのどれを採用さいようすべきなのかめられないようなかたち提供ていきょうするようなものである(ものにすぎない)、ということをべている。

学者がくしゃによる検証けんしょう[編集へんしゅう]

パリで一人ひとり科学かがくしゃ無料むりょう占星術せんせいじゅつ広告こうこく新聞しんぶん掲載けいさい応募おうぼ要綱ようこうには出生しゅっしょう出生しゅっしょう時間じかん条件じょうけん付記ふき、この応募おうぼに150つう手紙てがみせられた。“条件じょうけん”とはフランスの連続れんぞく殺人さつじんはん同一どういつのものであるが、それは差出人さしだしにんにはせて占星術せんせいじゅつ結果けっかをアンケート用紙ようし同封どうふうして報告ほうこく応募おうぼしゃの94%が「うらないはたっている」と返答へんとうした。[11]

惑星わくせい定義ていぎ見直みなおしによる影響えいきょう[編集へんしゅう]

惑星わくせい定義ていぎ見直みなおしによる影響えいきょうは、西洋せいよう占星術せんせいじゅつこう参照さんしょう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ケプラーは、アスペクトをサインあいだ角度かくどから惑星わくせいあいだ角度かくどさい定義ていぎするなど、占星術せんせいじゅつたいしても後世こうせいのこ貢献こうけんたしている。
  2. ^ 「scientist 科学かがくしゃ」という言葉ことば造語ぞうごされたのは、あくまで19世紀せいきになってからである。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Philosophy of Science - Philosophy of Science & Theory”. Coursera. 2023ねん7がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ リチャード・ドーキンス 2001, p. 161-162.
  3. ^ a b リチャード・ドーキンス 2001, p. 172.
  4. ^ a b リチャード・ドーキンス 2001, p. 171.
  5. ^ テトラビブロス(コトバンク 参照さんしょう:2018.6.4.)
  6. ^ クリストファー・ヒル しる小野おのいさおせい箭川せんかわおさむえんがつ勝博かつひろ やくじゅうなな世紀せいきイギリスの民衆みんしゅう思想しそう People and Ideas in 17th Century England』 クリストファー・ヒル評論ひょうろんしゅう 3、法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく〈ウニベルシタス〉、1998ねん11月(原著げんちょ1986ねん)。ISBN 4-588-00620-7  ,せいづか晴康はるやす啓蒙けいもう自然しぜん(4)」『大阪教育大学おおさかきょういくだいがく紀要きよう (0xF9C1)人文じんぶん科学かがくだい49かんだい1ごう大阪教育大学おおさかきょういくだいがく、2000ねん8がつ、1-19ぺーじISSN 03893448NAID 110000119130 引用いんようちゅうによる
  7. ^ ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル ちょ村上むらかみ恭一きょういち やく惑星わくせい軌道きどうろん Dissertatio philosophica de Orbitis Planetarum.法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく〈ウニベルシタス〉、1991ねん1がつ原著げんちょ1801ねん)。ISBN 9784588003240 
  8. ^ Nishikawa. “定年ていねん読書どくしょノート 惑星わくせい軌道きどうろん”. 2009ねん7がつ25にち閲覧えつらん
  9. ^ ケネス・J・デラノ ちょ市場いちば泰男やすお やく『エピソード占星術せんせいじゅつ うそかまことか Astrology-fact or fiction ?社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ〉、1980ねん8がつ原著げんちょ1973ねん)、94ぺーじISBN 4-390-11024-1 における、ウォルター・W・ブライアント『ケプラー』1920ねんからの引用いんようによる。
  10. ^ ピーター・バーク 2015, p. 240.
  11. ^ カール・セーガン しる青木あおきかおる やく『カール・セーガン 科学かがく悪霊あくりょうかたる』新潮社しんちょうしゃ、1997ねん平成へいせい9ねん)9がつ、247ぺーじISBN 4105192035 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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