占星術 せんせいじゅつ (せんせいじゅつ)または占 うらない 星 ほし 学 がく (せんせいがく)は、太陽系 たいようけい 内 うち の太陽 たいよう ・月 つき ・惑星 わくせい ・小惑星 しょうわくせい などの天体 てんたい の位置 いち や動 うご きなどと人間 にんげん ・社会 しゃかい のあり方 かた を経験 けいけん 的 てき に結 むす びつけて占 うらな う(占 うらな い )。古代 こだい バビロニア を発祥 はっしょう とするとされ、ギリシア ・インド ・アラブ ・ヨーロッパ で発展 はってん した西洋 せいよう 占星術 せんせいじゅつ ・インド占星術 せんせいじゅつ と、中国 ちゅうごく など東 ひがし アジア で発展 はってん した東洋 とうよう 占星術 せんせいじゅつ に大別 たいべつ することができる。占星術 せんせいじゅつ が非 ひ 科学 かがく 的 てき である主 おも な理由 りゆう としては反証 はんしょう 可能 かのう 性 せい がないためである[1] 。
古代 こだい バビロニアで行 おこな われた大 だい 規模 きぼ な天体 てんたい 観測 かんそく が起源 きげん であり、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパ・中国 ちゅうごく へ伝 つた わったといわれている。おもに国家 こっか や王家 おうけ の吉凶 きっきょう 判断 はんだん に使 つか われた。バビロニア占星術 せんせいじゅつ は紀元前 きげんぜん 3世紀 せいき 頃 ころ にギリシアに伝 つた わり、個人 こじん の運勢 うんせい を占 うらな うホロスコープ 占星術 せんせいじゅつ に発展 はってん した。占星術 せんせいじゅつ を指 さ す単語 たんご は、古典 こてん ギリシア語 ご のアストロロギア(astrologia)に由来 ゆらい する。アストロロギア(astrologia)のアストロ(astro)という接頭 せっとう 辞 じ は古典 こてん ギリシア語 ご の astron 星 ぼし でありastrologiaとは星 ほし について考 かんが えたことという意味 いみ になる。アストロノミア(astronomia、英語 えいご のastronomy)天文学 てんもんがく とはastrologiaのなかで星 ほし の動 うご きなどについての学問 がくもん であった(nomos は秩序 ちつじょ の意味 いみ )。ちなみに、astrologistは占星術 せんせいじゅつ 者 しゃ である。
中東 ちゅうとう ・ヨーロッパ[ 編集 へんしゅう ]
西洋 せいよう 占星術 せんせいじゅつ の起源 きげん はバビロニア にあった。バビロニアでは、紀元前 きげんぜん 2千年紀 せんねんき に天 てん の星 ほし 々と神 かみ 々を結 むす びつけることが行 おこな われ、天 てん の徴 しるし が地上 ちじょう の出来事 できごと の前兆 ぜんちょう を示 しめ すという考 かんが えも生 う まれた。『エヌーマ・アヌ・エンリル』(Enuma anu enlil , 紀元前 きげんぜん 1000年 ねん 頃 ごろ )はそうした前兆 ぜんちょう をまとめたものである。ただし、当時 とうじ 前兆 ぜんちょう と結 むす び付 つ けられていた出来事 できごと は、専 もっぱ ら君主 くんしゅ や国家 こっか に関 かか わる物事 ものごと ばかりで、その読 よ み取 と りも星 ほし 位 い を描 えが いて占 うらな うものではなく、星 ほし にこめた象徴 しょうちょう 的 てき な意味 いみ (火星 かせい は軍神 ぐんしん ネルガル に対応 たいおう していたから凶兆 きょうちょう とするなど)を読 よ み取 と るものに過 す ぎなかった。
前 ぜん 332年 ねん にアレキサンダー大王 だいおう によって占領 せんりょう された後 のち 、エジプトはギリシャの支配 しはい 下 か にあった。そして、ヘレニズム文化 ぶんか が栄 さか える中 なか で、初 はじ めて本格 ほんかく 的 てき にホロスコープを用 もち いる占星術 せんせいじゅつ が現 あらわ れた。出生 しゅっしょう 時 じ における星 ほし 々の位置 いち から個人 こじん の星 ほし 位 い 図 ず をトレースする試 こころ みが普及 ふきゅう したことは、西洋 せいよう 占星術 せんせいじゅつ へのギリシャ人 じん の最大 さいだい の貢献 こうけん である。このシステムは「ホロスコープ占星術 せんせいじゅつ 」と名付 なづ けられた。アセンダント(後述 こうじゅつ )はギリシャ語 ご で「ホロスコポス」とも呼 よ ばれていたからである(星 ほし 位 い 図 ず そのものを「ホロスコープ」と呼 よ ぶようになったのは、これが語源 ごげん である)。ギリシャで大 おお いに発展 はってん したとはいえ、その大 だい 部分 ぶぶん はバビロニアからもたらされたものであった。
インド占星術 せんせいじゅつ は、ナクシャトラ を用 もち いたインド固有 こゆう の占星術 せんせいじゅつ で、白 はく 道 みち 上 うえ の月 つき の位置 いち に着目 ちゃくもく し、天 てん の黄道 こうどう を27分割 ぶんかつ に分 わ けた物 もの で占 うらな う占星術 せんせいじゅつ だったが、ヘレニズム 時代 じだい に太陽 たいよう と月 つき 、5惑星 わくせい とラーフ、ケートゥといった九曜 くよう 、十二宮 じゅうにきゅう と十 じゅう 二 に 室 しつ に基 もと づくホロスコープ 方式 ほうしき の占星術 せんせいじゅつ を取 と り入 い れて、現在 げんざい のナクシャトラ (白 はく 道 みち 二 に 十 じゅう 七 なな 宿 しゅく )と黄道 こうどう 十二宮 じゅうにきゅう を併用 へいよう した形 かたち になったと言 い われているが、古 ふる い時代 じだい のことなのではっきりしたことはわかっていない。
また仏教 ぶっきょう に取 と り入 い れられたものは、簡略 かんりゃく 化 か (月 つき の厳密 げんみつ な度数 どすう で決 き めず、1日 にち に1つというように割 わ り当 あ てる)・仏教 ぶっきょう 化 か し 『宿 やど 曜経 』 にまとめられ、密教 みっきょう の一部 いちぶ として中国 ちゅうごく に伝 つた えられた。さらに、平安 へいあん 時代 じだい には日本 にっぽん にも伝 つた えられて宿 やど 曜道 となった。
古代 こだい 中国 ちゅうごく において「天文 てんもん 」とは、古代 こだい 世界 せかい の他 ほか の文明 ぶんめい でもそうであったように、狭義 きょうぎ の天文学 てんもんがく と観測 かんそく される天象 てんしょう による占 うらな いとが渾然一体 こんぜんいったい となったものであった。バビロニア占星術 せんせいじゅつ とは異 こと なり、天体 てんたい の配置 はいち ではなく日食 にっしょく 、月食 げっしょく 、流星 りゅうせい 、彗星 すいせい 、新星 しんせい や超新星 ちょうしんせい の出現 しゅつげん 、そして星 ほし の見 み え方 かた など天変 てんぺん 現象 げんしょう に注目 ちゅうもく したものであった。これは天変 てんぺん は天 てん が与 あた える警告 けいこく であるという「災 わざわい 異説 いせつ 」の思想 しそう に則 のっと ったものである。これは現代 げんだい で天変 てんぺん 占星術 せんせいじゅつ とよぶ人 ひと もいる。
ただしバビロニア起源 きげん と考 かんが えられる黄道 こうどう 十二宮 じゅうにきゅう を使 つか った占星術 せんせいじゅつ の影響 えいきょう を受 う けて成立 せいりつ したと考 かんが えられる六 ろく 壬 みずのえ 神 かみ 課 か の基本 きほん 構造 こうぞう が戦国 せんごく -秦 はた -漢 かん の時代 じだい には確立 かくりつ していた。六 ろく 壬 みずのえ 神 かみ 課 か の式 しき 盤 ばん はサイン とハウス で構成 こうせい されたホロスコープに中国 ちゅうごく 独自 どくじ の十二天 じゅうにてん 将 しょう を配布 はいふ したものを表現 ひょうげん している。この後 のち 、唐 とう の時代 じだい にインド占星術 せんせいじゅつ を漢 かん 訳 やく した『宿 やど 曜経 』が伝来 でんらい し、七 なな 政 せい 四 よん 餘 あまり となった。『宿 やど 曜経』は当時 とうじ の日本 にっぽん でも受容 じゅよう され宿 やど 曜道 となった。しかしその後 ご は実際 じっさい の天文 てんもん 観測 かんそく 情報 じょうほう が国家 こっか に独占 どくせん されたこともあり、煩雑 はんざつ な天文 てんもん 計算 けいさん の必要 ひつよう がない暦 こよみ をベースとした占 うらない 術 じゅつ が主流 しゅりゅう となって行 い く。
現代 げんだい では主 おも に自身 じしん の性格 せいかく やそれに基 もと づいた相性 あいしょう を知 し るために利用 りよう する人 ひと がいる。現代 げんだい 心理 しんり 学 がく にはビッグファイブといったものがあるが、占星術 せんせいじゅつ の本 ほん は天文学 てんもんがく の本 ほん よりもよく売 う れていて、1997年 ねん 12月27日 にち にはイギリス最大 さいだい の発行 はっこう 部数 ぶすう を誇 ほこ る新聞 しんぶん の『デイリー・メイル 』は、一 いち 面 めん トップで占星術 せんせいじゅつ の記事 きじ を載 の せたことがある。
あるアンケート調査 ちょうさ によれば、新聞 しんぶん の星 ほし 占 うらな いを読 よ んでも実際 じっさい には信 しん じていない人 ひと が大 だい 多数 たすう で、星 ぼし 占 うらな いは単 たん なる楽 たの しみであるという。しかし、信頼 しんらい のできそうな報告 ほうこく によると、これとは異 こと なる結果 けっか を示 しめ し、かなりの数 かず の人々 ひとびと が本当 ほんとう に星 ほし 占 うらな いを信 しん じ、それに従 したが って行動 こうどう をしているという。
また、占星術 せんせいじゅつ 師 し は新聞 しんぶん や雑誌 ざっし で仕事 しごと を行 おこな うことがあるが、その仕事 しごと 内容 ないよう は、ほとんど訓練 くんれん や技術 ぎじゅつ を必要 ひつよう としないため、暇 ひま を持 も て余 あま した若 わか い記者 きしゃ に回 まわ されることが多 おお い。
ジャーナリストとして初 はじ めてやった仕事 しごと は、くだらない女性 じょせい 誌 し に星 ほし 占 うらな いを書 か くことでした。あの作業 さぎょう は決 き まって新入 しんにゅう 社員 しゃいん がやらされます。つまらなくて簡単 かんたん で、当時 とうじ の私 わたし みたいなケツの青 あお いやつにもできる仕事 しごと なんですよ。 — ジャン・モワール、ガーディアン紙 し (1994年 ねん 10月 がつ 06日 にち )
似 に たような話 はなし に合理 ごうり 主義 しゅぎ 者 しゃ の手品 てじな 師 し であるジェームズ・ランディの若 わか い頃 ころ のものがある。ランディはゾランというペンネームで、モントリオールで発行 はっこう されている新聞 しんぶん の占星術 せんせいじゅつ 師 し の職 しょく を得 え た。ランディは、昔 むかし の星 ほし 占 うらな いの雑誌 ざっし を持 も ってきて、その予言 よげん をはさみで切 き り取 と り、適当 てきとう にかき混 ま ぜて、12の星座 せいざ のもとにランダムに貼 は り付 づ け、予言 よげん として紙面 しめん に載 の せていた。ランディはあるとき、2人組 にんぐみ のサラリーマンが昼休 ひるやす みにカフェで、「ゾラン」の占 うらな いを熱心 ねっしん に読 よ みつつ会話 かいわ をしているところを耳 みみ にした。
その二人 ふたり 連 づ れは、良 よ い運勢 うんせい が並 なら んでいるのを見 み て嬉 うれ しい悲鳴 ひめい を上 あ げていた。私 わたし はどうしたことかと彼 かれ らに尋 たず ねたが、こんな答 こた えが返 かえ ってきた。「ゾランは先週 せんしゅう 、本当 ほんとう にぴたっと当 あ てたんです。」私 わたし は、自分 じぶん がそのゾランであるなどとは思 おも えなかった。……手紙 てがみ での反響 はんきょう も実 じつ に面白 おもしろ いものだった。おかげで私 わたし は確信 かくしん した。神秘 しんぴ の力 ちから を持 も つと信 しん じている人物 じんぶつ の言葉 ことば であれば、どんな内容 ないよう であっても、人 じん はそれを受 う け入 い れる。そして都合 つごう よく解釈 かいしゃく してくれるものなのだ、と。この時 とき ゾランはハサミとのりをしまい込 こ み、仕事 しごと を後 のち にしたのだった。 — ジェームズ・ランディ、『ぺてん』1992年 ねん
代表 だいひょう 的 てき な書物 しょもつ [ 編集 へんしゅう ]
占星術 せんせいじゅつ と科学 かがく [ 編集 へんしゅう ]
もともと、占星術 せんせいじゅつ (astrology)と天文学 てんもんがく (astronomy)は深 ふか い関係 かんけい があった。さまざまな経緯 けいい を経 へ て、長 なが い長 なが い時代 じだい を経 へ て、徐々 じょじょ に距離 きょり ができ、現代 げんだい では占星術 せんせいじゅつ と天文学 てんもんがく は別 べつ のものになっている。天文学 てんもんがく は、途中 とちゅう まで占星術 せんせいじゅつ とともに、プトレマイオス 以来 いらい の地球 ちきゅう 中心 ちゅうしん 説 せつ (天動説 てんどうせつ )の宇宙 うちゅう 観 かん のもとに発展 はってん した。途中 とちゅう からコペルニクス の『地動説 ちどうせつ 』が登場 とうじょう し、そのあたりから分化 ぶんか が始 はじ まったのである。やがて伝統 でんとう 的 てき 占星術 せんせいじゅつ は廃 すた れ、現代 げんだい 占星術 せんせいじゅつ として復活 ふっかつ することとなる。
天文学 てんもんがく との関連 かんれん [ 編集 へんしゅう ]
占星術 せんせいじゅつ は天文学 てんもんがく の母胎 ぼたい でもあった。ケプラーの法則 ほうそく で有名 ゆうめい なヨハネス・ケプラー は天文学 てんもんがく 者 しゃ ・数学 すうがく 者 しゃ であると同時 どうじ に、占星術 せんせいじゅつ 師 し でもあった[6] 。ドイツ観念論 かんねんろん を代表 だいひょう する哲学 てつがく 者 もの ヘーゲル は、大学 だいがく 教師 きょうし の職 しょく に就 つ くための就職 しゅうしょく 論文 ろんぶん Dissertatio philosophica de Orbitis Planetarum.
(『惑星 わくせい の軌道 きどう に関 かん する哲学 てつがく 的 てき 論考 ろんこう 』通称 つうしょう 『惑星 わくせい 軌道 きどう 論 ろん 』[7] )において、惑星 わくせい の運動 うんどう を本質 ほんしつ 的 てき に解明 かいめい したのは、物理 ぶつり 学 がく 的 てき に解析 かいせき したニュートン よりもむしろケプラーであると評 ひょう した[8] 。
そしてケプラーは「このおろかな娘 むすめ 、占星術 せんせいじゅつ は、一般 いっぱん からは評判 ひょうばん のよくない職業 しょくぎょう に従事 じゅうじ して、その利益 りえき によって賢 かしこ いが貧 まず しい母 はは 、天文学 てんもんがく を養 やしな っている」と書 か いた[9] 。権力 けんりょく 者 しゃ は、自分 じぶん の運命 うんめい や選択 せんたく の良 よ し悪 あ しに興味 きょうみ があるので、それについて答 こた えてくれると考 かんが えられた占星術 せんせいじゅつ のほうに金銭 きんせん を出 だ し、その金銭 きんせん が結果 けっか として、星 ほし を観察 かんさつ ・観測 かんそく する天文学 てんもんがく を支 ささ えるという効果 こうか があった、という意味 いみ である[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
占星術 せんせいじゅつ と自然 しぜん 科学 かがく [ 編集 へんしゅう ]
星 ほし がどのような周期 しゅうき 的 てき な動 うご きをするものであるかに関心 かんしん があった時代 じだい では、占星術 せんせいじゅつ と天文学 てんもんがく は未 み 分化 ぶんか で混 こん 然 しか 一体 いったい の状態 じょうたい であった。現代 げんだい のような自然 しぜん 科学 かがく は19世紀 せいき になってようやく誕生 たんじょう したものである[注釈 ちゅうしゃく 2] 。それ以前 いぜん は、自然 しぜん についての考察 こうさつ は自然 しぜん 哲学 てつがく という体系 たいけい で行 おこな われていた。アイザック・ニュートン による1687年 ねん の著作 ちょさく 『自然 しぜん 哲学 てつがく の数学 すうがく 的 てき 諸 しょ 原理 げんり 』によって分離 ぶんり がすすみ、決 けっ して一足飛 いっそくと びにではなく、徐々 じょじょ に、占星術 せんせいじゅつ と自然 しぜん 科学 かがく の距離 きょり が離 はな れていったのである。現代 げんだい の天文学 てんもんがく 者 しゃ は、一般 いっぱん に、天体 てんたい の配置 はいち や動 うご きを用 もち いて予想 よそう しようとするのは、あくまで天体 てんたい の位置 いち や動 うご きであり、決 けっ して人間 にんげん の性格 せいかく ・運勢 うんせい 、国家 こっか の未来 みらい などではない。
現代 げんだい の多 おお くの占星術 せんせいじゅつ 専門 せんもん 家 か が、惑星 わくせい の位置 いち を用 もち いて予想 よそう しようとするのは、あくまで人 ひと の運命 うんめい などであって、彼 かれ らは現代 げんだい 自然 しぜん 科学 かがく を用 もち いて、より正確 せいかく な惑星 わくせい の位置 いち などを予測 よそく することには興味 きょうみ が無 な い。このように、占星術 せんせいじゅつ と天文学 てんもんがく は、現代 げんだい では、目的 もくてき も手法 しゅほう も、原則 げんそく 的 てき に別 べつ のものになっているのである。
ただし、若干 じゃっかん の例外 れいがい はあり、占星術 せんせいじゅつ と自然 しぜん 科学 かがく が重 かさ なるような、微妙 びみょう な領域 りょういき での研究 けんきゅう がいくつかある。
ソルボンヌ大学 そるぼんぬだいがく の心理 しんり 学者 がくしゃ ・統計 とうけい 学 がく 者 もの ミッシェル・ゴークラン (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) は、誕生 たんじょう 時 じ の火星 かせい の位置 いち と人 ひと の職業 しょくぎょう の膨大 ぼうだい な統計 とうけい をとり、両者 りょうしゃ には相関 そうかん 関係 かんけい がある、と結論 けつろん づける論文 ろんぶん を発表 はっぴょう (SCICOP サイコップ の初期 しょき メンバーはこの論文 ろんぶん を否定 ひてい できると決 き めつけて活動 かつどう したものの、調査 ちょうさ して得 え た結果 けっか は、彼 かれ らの予想 よそう に反 はん して、この論文 ろんぶん を不本意 ふほんい ながら追認 ついにん せざるを得 え ない結果 けっか になり、サイコップ内 ない で紛糾 ふんきゅう が生 しょう じ、サイコップの歴史 れきし の汚点 おてん ともなった)。
これは、当時 とうじ のドイツの異常 いじょう な社会 しゃかい 状態 じょうたい と関係 かんけい があり、政治 せいじ 的 てき な圧力 あつりょく が学問 がくもん の世界 せかい にまでひずみを与 あた えていた、という事例 じれい である。
ソルボンヌ大学 そるぼんぬだいがく のディーン・ルディアはユング占星術 せんせいじゅつ 、すなわち「占星術 せんせいじゅつ の心理 しんり 学 がく 的 てき アプローチ」に対 たい し、「心理 しんり 学 がく の占星術 せんせいじゅつ 的 てき アプローチ」を行 おこな い、後 ご の西洋 せいよう 占星術 せんせいじゅつ における「サビアン占星術 せんせいじゅつ 」に貢献 こうけん した[要 よう 出典 しゅってん ] 。
占星術 せんせいじゅつ と心理 しんり 学 がく [ 編集 へんしゅう ]
心理 しんり 学 がく の歴史 れきし をたどると、カール・ユング など、心理 しんり 学者 がくしゃ の一部 いちぶ は、占星術 せんせいじゅつ に積極 せっきょく 的 てき に取 と り組 く んだ。ユングは「シンクロニシティ 」あるいは「意味 いみ のある偶然 ぐうぜん の一致 いっち 」という考 かんが え方 かた を示 しめ そうとして、占星術 せんせいじゅつ を援用 えんよう した。この事情 じじょう もあり、現代 げんだい の占星術 せんせいじゅつ 師 し の中 なか でもイギリス を中心 ちゅうしん として占星術 せんせいじゅつ 研究 けんきゅう 家 か と称 しょう する人々 ひとびと の中 なか には、心理 しんり 学 がく を援用 えんよう しようと試 こころ みている人 ひと もいる。
1970年代 ねんだい に欧米 おうべい で、心理 しんり 療法 りょうほう の分野 ぶんや の研究 けんきゅう をしながら占星術 せんせいじゅつ を学 まな ぶ人 ひと が増 ふ えたことにより心理 しんり 占 うらない 星 ほし 学 がく が発達 はったつ したといわれている。人間 にんげん の心 しん を扱 あつか う研究 けんきゅう は古代 こだい の占星術 せんせいじゅつ が扱 あつか うテーマのひとつであったともいわれている。先駆 せんく 者 しゃ としてディーン・ルディア 、リズ・グリーン などがあげられている。
占星術 せんせいじゅつ と未来 みらい 予測 よそく の関係 かんけい [ 編集 へんしゅう ]
西欧 せいおう 中世 ちゅうせい のスコラ哲学 すこらてつがく 者 しゃ トマス・アクィナス は「星 ほし は誘 いざな えど、強制 きょうせい せず」と含蓄 がんちく ある表現 ひょうげん で指摘 してき した。占星術 せんせいじゅつ はいくつもの意味 いみ づけ・解釈 かいしゃく を提供 ていきょう するもので、複数 ふくすう の意味 いみ づけ・解釈 かいしゃく のどれを採用 さいよう すべきなのか決 き められないような形 かたち で提供 ていきょう するようなものである(ものにすぎない)、ということを述 の べている。
学者 がくしゃ による検証 けんしょう [ 編集 へんしゅう ]
パリで一人 ひとり の科学 かがく 者 しゃ が無料 むりょう 占星術 せんせいじゅつ の広告 こうこく を新聞 しんぶん に掲載 けいさい 。応募 おうぼ 要綱 ようこう には出生 しゅっしょう 地 ち と出生 しゅっしょう 時間 じかん を条件 じょうけん に付記 ふき 、この応募 おうぼ に150通 つう の手紙 てがみ が寄 よ せられた。“条件 じょうけん ”とはフランスの連続 れんぞく 殺人 さつじん 犯 はん と同一 どういつ のものであるが、それは差出人 さしだしにん には伏 ふ せて占星術 せんせいじゅつ の結果 けっか をアンケート用紙 ようし を同封 どうふう して報告 ほうこく 。応募 おうぼ 者 しゃ の94%が「占 うらな いは当 あ たっている」と返答 へんとう した。[11]
惑星 わくせい の定義 ていぎ 見直 みなお しによる影響 えいきょう [ 編集 へんしゅう ]
惑星 わくせい の定義 ていぎ 見直 みなお しによる影響 えいきょう は、西洋 せいよう 占星術 せんせいじゅつ の項 こう を参照 さんしょう 。
^ ケプラーは、アスペクトをサイン 間 あいだ の角度 かくど から惑星 わくせい 間 あいだ の角度 かくど に再 さい 定義 ていぎ するなど、占星術 せんせいじゅつ に対 たい しても後世 こうせい に残 のこ る貢献 こうけん を果 は たしている。
^ 「scientist 科学 かがく 者 しゃ 」という言葉 ことば が造語 ぞうご されたのは、あくまで19世紀 せいき になってからである。
^ “Philosophy of Science - Philosophy of Science & Theory ”. Coursera . 2023年 ねん 7月 がつ 25日 にち 閲覧 えつらん 。
^ テトラビブロス (コトバンク 参照 さんしょう 日 び :2018.6.4.)
^ クリストファー・ヒル 著 しる 、小野 おの 功 いさお 生 せい 、箭川 せんかわ 修 おさむ 、圓 えん 月 がつ 勝博 かつひろ 訳 やく 『十 じゅう 七 なな 世紀 せいき イギリスの民衆 みんしゅう と思想 しそう People and Ideas in 17th Century England 』 クリストファー・ヒル評論 ひょうろん 集 しゅう 3、法政大学 ほうせいだいがく 出版 しゅっぱん 局 きょく 〈ウニベルシタス〉、1998年 ねん 11月(原著 げんちょ 1986年 ねん )。ISBN 4-588-00620-7 。 ,正 せい 塚 づか 晴康 はるやす 「啓蒙 けいもう と自然 しぜん (4) 」『大阪教育大学 おおさかきょういくだいがく 紀要 きよう (0xF9C1)人文 じんぶん 科学 かがく 』第 だい 49巻 かん 第 だい 1号 ごう 、大阪教育大学 おおさかきょういくだいがく 、2000年 ねん 8月 がつ 、1-19頁 ぺーじ 、ISSN 03893448 、NAID 110000119130 。 の引用 いんよう 注 ちゅう による
^ ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 著 ちょ 、村上 むらかみ 恭一 きょういち 訳 やく 『惑星 わくせい 軌道 きどう 論 ろん Dissertatio philosophica de Orbitis Planetarum. 』法政大学 ほうせいだいがく 出版 しゅっぱん 局 きょく 〈ウニベルシタス〉、1991年 ねん 1月 がつ (原著 げんちょ 1801年 ねん )。ISBN 9784588003240 。
^ Nishikawa. “定年 ていねん 後 ご の読書 どくしょ ノート 惑星 わくせい 軌道 きどう 論 ろん ”. 2009年 ねん 7月 がつ 25日 にち 閲覧 えつらん 。
^ ケネス・J・デラノ 著 ちょ 、市場 いちば 泰男 やすお 訳 やく 『エピソード占星術 せんせいじゅつ 嘘 うそ かまことか Astrology-fact or fiction ? 』社会 しゃかい 思想 しそう 社 しゃ 〈現代 げんだい 教養 きょうよう 文庫 ぶんこ 〉、1980年 ねん 8月 がつ (原著 げんちょ 1973年 ねん )、94頁 ぺーじ 。ISBN 4-390-11024-1 。 における、ウォルター・W・ブライアント『ケプラー』1920年 ねん からの引用 いんよう による。
^ カール・セーガン 著 しる 、青木 あおき 薫 かおる 訳 やく 『カール・セーガン 科学 かがく と悪霊 あくりょう を語 かた る』新潮社 しんちょうしゃ 、1997年 ねん (平成 へいせい 9年 ねん )9月 がつ 、247頁 ぺーじ 。ISBN 4105192035 。
ウィキメディア・コモンズには、占星術 せんせいじゅつ に関 かん するカテゴリがあります。