アーユルヴェーダ (梵 : आयुर्वेद 、ラテン翻 こぼし 字 じ :Āyurveda )は、インド亜 あ 大陸 たいりく の伝統 でんとう 的 てき 医学 いがく である。ユナニ医学 いがく (ギリシャ・アラビア医学 いがく )、中国 ちゅうごく 医学 いがく と共 とも に世界 せかい 三 さん 大 だい 伝統 でんとう 医学 いがく の一 ひと つであり、相互 そうご に影響 えいきょう し合 あ って発展 はってん した。トリ・ドーシャと呼 よ ばれる3つの要素 ようそ (体液 たいえき 、病 やまい 素 もと )のバランスが崩 くず れると病気 びょうき になると考 かんが えられており、これがアーユルヴェーダの根本 こんぽん 理論 りろん である。
その名 な は寿命 じゅみょう 、生気 せいき 、生命 せいめい を意味 いみ するサンスクリット語 ご の「アーユス」(梵 : आयुस् 、ラテン翻 こぼし 字 じ :Āyus )と知識 ちしき 、学 がく を意味 いみ する「ヴェーダ 」(梵 : वेद 、ラテン翻 こぼし 字 じ :Veda )の複合語 ふくごうご である。医学 いがく のみならず、生活 せいかつ の知恵 ちえ 、生命 せいめい 科学 かがく 、哲学 てつがく の概念 がいねん も含 ふく んでおり、病気 びょうき の治療 ちりょう と予防 よぼう だけでなく、より善 よ い人生 じんせい を目指 めざ すものである。健康 けんこう の維持 いじ ・増進 ぞうしん や若返 わかがえ り、さらには幸福 こうふく な人生 じんせい 、不幸 ふこう な人生 じんせい とは何 なに かまでを追求 ついきゅう する[1] 。文献 ぶんけん の研究 けんきゅう から、一 ひと つの体系 たいけい としてまとめられたのは早 はや くても紀元前 きげんぜん 5 - 6世紀 せいき と考 かんが えられている[2] 。古代 こだい ペルシア 、古代 こだい ギリシア 、チベット医学 いがく など各地 かくち の医学 いがく に影響 えいきょう を与 あた え、インド占星術 せんせいじゅつ 、錬金術 れんきんじゅつ とも深 ふか い関 かか わりがある。
体系 たいけい 化 か には、宇宙 うちゅう の根本 こんぽん 原理 げんり を追求 ついきゅう した古層 こそう のウパニシャッド (奥義 おうぎ 書 しょ ,ヴェーダの関連 かんれん 書物 しょもつ )が重要 じゅうよう な役割 やくわり を果 は たし、バラモン教 ばらもんきょう ・六 ろく 派 は 哲学 てつがく に数 かぞ えられるサーンキヤ学派 がくは の二元論 にげんろん 、ヴァイシェーシカ学派 がくは の自然 しぜん 哲学 てつがく 、ニヤーヤ学派 がくは の論理 ろんり 学 がく [3] も大 おお いに利用 りよう された。
インドではイスラーム 勢力 せいりょく の拡大 かくだい 以降 いこう 、支配 しはい 者 しゃ 層 そう や都市 とし 部 ぶ でユナニ医学 いがく が主流 しゅりゅう となり、その隆盛 りゅうせい はテュルク系 けい イスラーム王朝 おうちょう のムガル帝国 ていこく (1526 - 1858年 ねん )時代 じだい に最高潮 さいこうちょう に達 たっ した。一方 いっぽう アーユルヴェーダは衰退 すいたい し[4] 、周辺 しゅうへん 部 ぶ や貧 まず しい人々 ひとびと の間 あいだ に受 う け継 つ がれた。20世紀 せいき 初頭 しょとう になると、イギリス帝国 ていこく のインド支配 しはい に対抗 たいこう するナショナリスト や、欧米 おうべい のオリエンタリストたちによって、アーユルヴェーダは「インド伝統 でんとう 医学 いがく 」として復興 ふっこう し、西洋 せいよう 近代 きんだい 医学 いがく に対抗 たいこう して教育 きょういく 制度 せいど が整備 せいび された[2] 。
現代 げんだい のインドにおいては政府 せいふ にアユシュ省 しょう (インド伝統 でんとう 医療 いりょう 省 しょう )が設置 せっち されており、公認 こうにん の医学 いがく 体系 たいけい の一部 いちぶ である[5] 。約 やく 600種類 しゅるい の薬草 やくそう から医薬品 いやくひん や健康 けんこう 食品 しょくひん が製造 せいぞう されている[6] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では、ニューエイジ運動 うんどう (1970 - 80年代 ねんだい )で、アーユルヴェーダをはじめとする様々 さまざま な伝統 でんとう 医学 いがく ・ホリスティック医学 いがく が注目 ちゅうもく された[7] 。1998年 ねん にアメリカ国立 こくりつ 衛生 えいせい 研究所 けんきゅうじょ (NIH)に国立 こくりつ 補完 ほかん 代替 だいたい 医療 いりょう センター (NCCAM)ができたことをきっかけに広 ひろ まり[8] 、世界 せかい 各地 かくち で現代 げんだい 医学 いがく を補完 ほかん ・代替 だいたい する医療 いりょう として利用 りよう されている。また、アーユルヴェーダに興味 きょうみ を持 も ったヒッピー 達 いたる がインドに滞在 たいざい した影響 えいきょう で、外国 がいこく 人 じん 向 む けにアレンジされたアーユルヴェーダ・マッサージが人気 にんき となり、現在 げんざい では医療 いりょう ツーリズム が隆盛 りゅうせい している[9] 。インドでは、アーユルヴェーダ医師 いし (BAMS)の資格 しかく は国家 こっか 資格 しかく であり、現代 げんだい 医学 いがく と並 なら んで治療 ちりょう が行 おこな われている。一方 いっぽう 、商業 しょうぎょう 化 か されたアーユルヴェーダの世界 せかい 的 てき な普及 ふきゅう や、アーユルヴェーダ薬 やく がサプリメントとして流通 りゅうつう することで、様々 さまざま な問題 もんだい も起 お こっている。
バンガロール ・アーユルヴェーダエキスポのダンヴァンタリ象 ぞう 。ダンヴァンタリ (英語 えいご 版 ばん ) は、アーユルヴェーダの始祖 しそ とされるブラフマー神 しん の化身 けしん 。カーシー の王 おう で、『スシュルタ・サンヒター』に登場 とうじょう する。
アーユルヴェーダは、心 しん 、体 からだ 、行動 こうどう や環境 かんきょう も含 ふく めた全体 ぜんたい としての調和 ちょうわ が、健康 けんこう にとって重要 じゅうよう とみる。このような心身 しんしん のバランス・調和 ちょうわ を重視 じゅうし する考 かんが え方 かた を、全体 ぜんたい 観 かん (英 えい : holism )の医学 いがく という。古代 こだい ギリシアの医師 いし ヒポクラテス に始 はじ まり、四 よん 体液 たいえき の調和 ちょうわ を重視 じゅうし するギリシャ・アラビア医学 いがく (ユナニ医学 いがく )や、陰陽 いんよう ・五 ご 行 ぎょう のバランスを重視 じゅうし する中国 ちゅうごく 医学 いがく など、伝統 でんとう 医学 いがく の多 おお くが全体 ぜんたい 観 かん の医学 いがく である。
病気 びょうき になってからそれを治 なお すことより、病気 びょうき になりにくい心身 しんしん を作 つく ることを重 おも んじており、病気 びょうき を予防 よぼう して健康 けんこう を維持 いじ する予防 よぼう 医学 いがく の考 かんが え方 かた に立 た っている。心身 しんしん のより良 よ いバランスを保 たも つことで、健康 けんこう が維持 いじ されると考 かんが えた。具体 ぐたい 的 てき には、五大 ごだい (5つの祖 そ 大 だい 元素 げんそ )からなるヴァータ(風 ふう )、ピッタ(胆汁 たんじゅう ・熱 ねつ )及 およ びカパ(粘液 ねんえき ・痰 たん )のトリ・ドーシャ(3つの体液 たいえき 、病 やまい 素 もと )のバランスが取 と れていること、食物 しょくもつ の消化 しょうか 、老廃 ろうはい 物 ぶつ の生成 せいせい ・排泄 はいせつ が順調 じゅんちょう で、サプタ・ダートゥ(肉体 にくたい の7つの構成 こうせい 要素 ようそ )が良 よ い状態 じょうたい であることが挙 あ げられる。
また、古典 こてん 医学 いがく 書 しょ 『チャラカ・サンヒター 』では、生命 せいめい (アーユス)は「身体 しんたい (シャリーラ)・感覚 かんかく 機能 きのう (インドリヤ、五感 ごかん )・精神 せいしん (サットヴァ)、我 わが (アートマン 、自己 じこ 、魂 たましい 、真 ま 我 が )」の結合 けつごう したものであると述 の べられており[2] 、身体 しんたい や感覚 かんかく 器官 きかん だけでなく、精神 せいしん 面 めん 、さらに魂 たましい と表現 ひょうげん されるような根源 こんげん 的 てき な面 めん が良 よ い状態 じょうたい であることも健康 けんこう の条件 じょうけん となる[1] 。特 とく に食事 しょくじ が重要 じゅうよう 視 し されており、生活 せいかつ 指導 しどう も行 おこな われる。睡眠 すいみん や排泄 はいせつ 、セックス などの自然 しぜん な欲求 よっきゅう を我慢 がまん することは、病気 びょうき につながるとして戒 いまし めている。
治療 ちりょう には大 おお きく2つがあり、1つは食事 しょくじ 、薬 くすり 、調 しらべ 気 き 法 ほう や行動 こうどう の改善 かいぜん でドーシャのバランスを整 ととの える緩和 かんわ 療法 りょうほう (鎮静 ちんせい 療法 りょうほう )、もう1つは増大 ぞうだい ・増悪 ぞうあく したドーシャ(体液 たいえき )やアーマ(未 み 消化 しょうか 物 ぶつ )、マラ(老廃 ろうはい 物 ぶつ )などの病因 びょういん 要素 ようそ を排泄 はいせつ する減 げん 弱 じゃく 療法 りょうほう (排出 はいしゅつ 療法 りょうほう , 浄化 じょうか 療法 りょうほう )である。減 げん 弱 じゃく 療法 りょうほう では、パンチャカルマ(5つの代表 だいひょう 的 てき な治療 ちりょう 法 ほう 、2種類 しゅるい の浣腸 かんちょう ・油剤 ゆざい ・下剤 げざい ・吐剤 とざい )と呼 よ ばれる治療 ちりょう 法 ほう がよく知 し られている。根源 こんげん 的 てき ・霊的 れいてき な面 めん の治療 ちりょう として、ジョーティシャ(インド占星術 せんせいじゅつ )やマントラ (呪文 じゅもん )、宝石 ほうせき を使 つか った治療 ちりょう がある[10] 。
トリ・ドーシャ(三 さん 体液 たいえき , 三 さん 病 びょう 素 もと ) [ 編集 へんしゅう ]
トリ・ドーシャと五大 ごだい (パンチャ・マハーブータ)の関係 かんけい (使用 しよう された色 いろ は任意 にんい )
トリ・ドーシャ(त्रिदोष )説 せつ は、生 い きているものは全 すべ て、ヴァータ(वात ・風 ふう 、運動 うんどう エネルギー)、ピッタ(पित्त ・胆汁 たんじゅう または熱 ねつ [11] 、変換 へんかん エネルギー)、カパ(कफ ・粘液 ねんえき または痰 たん [11] 、結合 けつごう エネルギー)という3要素 ようそ を持 も っており、身体 しんたい のすべての生理 せいり 機能 きのう が支配 しはい されているとする説 せつ [10] である。ドーシャは五大 ごだい (五大 ごだい 元素 げんそ 、五 ご 祖 そ 大 だい 元素 げんそ 、マハーブータ )で構成 こうせい される。五大 ごだい とは、土 ど 大 だい (Pṛthvī , プリティヴィーもしくはBhūmi , ブーミ)・水 みず 大 だい (Āpa , アーパもしくはJala , ジャラ)・火 ひ 大 だい (Agni , アグニもしくはTejas , テージャス)・風 ふう 大 だい (Vāyu , ヴァーユ)の4元素 げんそ に、元素 げんそ に存在 そんざい と運動 うんどう の場 ば を与 あた える空 そら 大 だい (Ākāśa , アーカーシャ , 虚空 こくう )を加 くわ えた5つで、古代 こだい インド哲学 てつがく に由来 ゆらい する考 かんが え方 かた である[12] 。ヴァータは風 ふう 大 だい ・空 そら 大 だい 、ピッタは火 ひ 大 だい ・水 みず 大 だい 、カパは水 みず 大 だい ・土 ど 大 だい の組 く み合 あ わせである。
ドーシャ(दोष )は、サンスクリット語 ご で「不純 ふじゅん なもの、増 ふ えやすいもの、体液 たいえき 、病 やまい 素 もと [8] 、病気 びょうき の発生 はっせい に基本 きほん 的 てき なレベルで関係 かんけい する要素 ようそ 、病気 びょうき を引 ひ き起 お こす最 もっと も根本 こんぽん 的 てき な原因 げんいん [10] 」などを意味 いみ し、体液 たいえき もしくは生体 せいたい エネルギーを指 さ す[13] 。その異常 いじょう が「病気 びょうき のもと」となるため、病 やまい 素 もと とも訳 やく される[10] 。3つのドーシャは、さらに15の下位 かい ドーシャに分 わ けられ、それぞれに場所 ばしょ と機能 きのう がある。
ドーシャは正常 せいじょう な状態 じょうたい では生命 せいめい を維持 いじ して健康 けんこう を守 まも るエネルギーであるが、増大 ぞうだい ・増悪 ぞうあく すると病気 びょうき を引 ひ き起 お こす[10] 。病気 びょうき とは、15の下位 かい ドーシャの機能 きのう の悪化 あっか による、トリ・ドーシャのバランスの崩 くず れと考 かんが えられるが、一般 いっぱん にヴァータの増大 ぞうだい ・増悪 ぞうあく は呼吸 こきゅう 器 き 系 けい 疾患 しっかん 、精神 せいしん ・神経 しんけい 疾患 しっかん 、循環 じゅんかん 器 き 障害 しょうがい を、ピッタの増大 ぞうだい ・増悪 ぞうあく は消化 しょうか 器 き 系 けい 疾患 しっかん 、肝 きも ・胆 きも ・膵 疾患 しっかん 、皮膚 ひふ 病 びょう を、カパの増大 ぞうだい ・増悪 ぞうあく は気管支 きかんし 疾患 しっかん 、糖尿 とうにょう 病 びょう や肥満 ひまん 、関節 かんせつ 炎 えん 、アレルギー 症状 しょうじょう を引 ひ き起 お こすと考 かんが えられている[1] 。
ドーシャのバランスを崩 くず す原因 げんいん としては、体質 たいしつ 、時間 じかん 、日常 にちじょう 生活 せいかつ 、場所 ばしょ 、天体 てんたい が挙 あ げられ、特 とく に体質 たいしつ (プラクリティ)が重視 じゅうし される。人間 にんげん は個人 こじん により、先天的 せんてんてき ・後天的 こうてんてき に各 かく ドーシャの強 つよ さが異 こと なり、性格 せいかく や体質 たいしつ の違 ちが いとして現 あらわ れる。体質 たいしつ は個性 こせい であると同時 どうじ に、その人 ひと の病気 びょうき へのかかりやすさも意味 いみ する[1] 。アーユルヴェーダでは、各人 かくじん の体質 たいしつ に合 あ わせた食事 しょくじ 、生活 せいかつ 、病気 びょうき の治療 ちりょう 法 ほう があると考 かんが え、指導 しどう や治療 ちりょう を行 おこな う。
ドーシャは1日 にち のなかで、6時 じ から4時 じ 間 あいだ ごとにカパ→ピッタ→ヴァータの順 じゅん で変化 へんか のサイクルがある。また1年 ねん のなかでも(インドの季 き 節 ぶし では)、春 はる はカパが増悪 ぞうあく 、夏 なつ はヴァータが増大 ぞうだい 、秋 あき はピッタが増悪 ぞうあく 、冬 ふゆ はカパが増大 ぞうだい する。インドには雨季 うき があるが、雨期 うき にはヴァータが悪化 あっか 、ピッタが増大 ぞうだい する[1] 。人 ひと の一生 いっしょう の中 なか でも、カパは若年 じゃくねん 期 き (0 - 30歳 さい )に、ピッタは壮年 そうねん 期 き (30 - 60歳 さい )に、ヴァータは老年 ろうねん 期 き に増 ふ えやすい。その人 ひと の体質 たいしつ 上 じょう 偏 かたよ っているドーシャが増 ふ えやすい時期 じき ・時間 じかん に、ドーシャのバランスを崩 くず しやすいと考 かんが えられる。また、食 た べ物 もの や日常 にちじょう の行動 こうどう などでも、ドーシャの量 りょう は変化 へんか する。
現在 げんざい のアーユルヴェーダではドーシャは3つとされるが、外科 げか が取 と り入 い れられた古典 こてん 『スシュルタ・サンヒター』では、第 だい 4の体液 たいえき として血液 けつえき が挙 あ げられている[13] 。この「血液 けつえき ・粘液 ねんえき ・胆汁 たんじゅう ・風 ふう 」がペルシャ経由 けいゆ でギリシャに伝 つた わり、「血液 けつえき ・粘液 ねんえき ・黄 き 胆汁 たんじゅう ・黒 くろ 胆汁 たんじゅう 」を人間 にんげん の基本 きほん 体液 たいえき とする四 よん 体液 たいえき 説 せつ の基 もと になったともいわれる。
トリ・グナ(三 さん 要素 ようそ 、三 さん 特性 とくせい 、三徳 さんとく ) [ 編集 へんしゅう ]
サーンキヤ学派 がくは の特徴 とくちょう の一 ひと つにトリ・グナ説 せつ があるが(後述 こうじゅつ )、この理論 りろん は他 た への影響 えいきょう が大 おお きかった。トリ・グナが拮抗 きっこう し互 たが いにバランスを取 と ることで、自然 しぜん 界 かい の諸 しょ 現象 げんしょう や、人間 にんげん の心身 しんしん の状態 じょうたい 、性格 せいかく の違 ちが いなどが生 う まれると説明 せつめい された[12] 。トリ・グナは、アーユルヴェーダでは心 しん の状態 じょうたい を左右 さゆう するものと考 かんが えられ、トリ・ドーシャ説 せつ と関連付 かんれんづ けられ重視 じゅうし された。アーユルヴェーダでは、心 しん が身体 しんたい より上位 じょうい だと考 かんが えられており、トリ・ドーシャの内 うち にトリ・グナが含 ふく まれていると喩 たと えられる[8] 。
トリ・グナとトリ・ドーシャへの影響 えいきょう
要素 ようそ
本性 ほんしょう
作用 さよう
色 いろ
増加 ぞうか によるドーシャへの影響 えいきょう
サットヴァ(純 じゅん 質 しつ )
喜楽 きらく
照明 しょうめい
白色 はくしょく
3つのドーシャの調和 ちょうわ
ラジャス(激 げき 質 しつ )
苦 く 憂 う
衝撃 しょうげき ・活動 かつどう
赤色 あかいろ
ヴァータ、ピッタを乱 みだ す
タマス(闇 やみ 質 しつ )
暗愚 あんぐ
抑制 よくせい ・隠 かくれ 覆 くつがえ
黒色 こくしょく
カパを乱 みだ す
ドーシャは、「同 おな じ性質 せいしつ のものが同 おな じ性質 せいしつ のものを増 ふ やす」という法則 ほうそく で変化 へんか する。動 どう 性 せい を持 も つラジャスが増加 ぞうか すると、怒 いか りやイライラがつのり、動 どう 性 せい を持 も つドーシャであるヴァータとピッタを増加 ぞうか させる。安定 あんてい 性 せい ・惰性 だせい を持 も つタマスが増加 ぞうか すると、怠惰 たいだ になり精神 せいしん 活動 かつどう は停滞 ていたい し、カパを増加 ぞうか させる[8] 。このように、ラジャスとタマスの増加 ぞうか は、心身 しんしん に悪影響 あくえいきょう を及 およ ぼす。
一方 いっぽう 、トリ・グナの一 ひと つであるサットヴァは純粋 じゅんすい 性 せい を持 も ち、ドーシャ(不純 ふじゅん なもの)を増大 ぞうだい させることはない。サットヴァの増大 ぞうだい はトリ・ドーシャのバランスを安定 あんてい させ、精神 せいしん 的 てき には愛情 あいじょう や優 やさ しさ、正 ただ しい知性 ちせい 、心身 しんしん の健康 けんこう をもたらす[8] 。
サプタ・ダートゥ(七 なな 構成 こうせい 要素 ようそ ) [ 編集 へんしゅう ]
ダートゥ(Dhātu )は身体 しんたい を構成 こうせい する要素 ようそ で、食物 しょくもつ が消化 しょうか されることで生 しょう じる。ドーシャとは違 ちが い目 め に見 み える物質 ぶっしつ であり、身体 しんたい に形 かたち を与 あた える[10] 。この質 しつ が健康 けんこう 状態 じょうたい に深 ふか く関 かか わると考 かんが えられており、その質 しつ が優 すぐ れていることをサーラと言 い う。摂取 せっしゅ した食物 しょくもつ は消化 しょうか されてダートゥが作 つく られ、そのダートゥの一部 いちぶ から別 べつ のダートゥが作 つく られる。生成 せいせい の順序 じゅんじょ は次 つぎ のとおりである[10] 。
ラサ:乳 ちち 糜、にゅうび。身体 しんたい に栄養 えいよう を与 あた える体液 たいえき 。機能 きのう は「滋養 じよう 」
ラクタ:血液 けつえき 組織 そしき 。機能 きのう は「命 いのち の維持 いじ 」
マーンサ:筋肉 きんにく 組織 そしき 。機能 きのう は「塗 ぬ り包 つつ む」
メーダス:脂肪 しぼう 組織 そしき 。機能 きのう は「潤滑 じゅんかつ 」
アスティ:骨 ほね 組織 そしき 。機能 きのう は「形 かたち を保 たも つ」
マッジャー:骨髄 こつづい 組織 そしき 。機能 きのう は「充填 じゅうてん 」
シュックラ:生殖 せいしょく 組織 そしき 。機能 きのう は「繁殖 はんしょく 」
以上 いじょう の順 じゅん で、食物 しょくもつ から組織 そしき が作 つく られる。これらのダートゥを変換 へんかん するためにはアグニ(消化 しょうか の火 ひ )が働 はたら く。
アグニ(消化 しょうか の火 ひ )が正常 せいじょう に働 はたら いていれば、食物 しょくもつ はうまく消化 しょうか されてオージャス(活気 かっき 、活力 かつりょく 素 もと )が生 う み出 だ され、生 い き生 い きとした健康 けんこう な状況 じょうきょう となる。オージャスはサプタ・ダートゥの髄質 ずいしつ で、各 かく ダートゥの生成 せいせい 過程 かてい で少 すこ しずつ作 つく られるが、シュックラ(生殖 せいしょく 組織 そしき )ができる段階 だんかい で一番 いちばん 多 おお く生成 せいせい され、心臓 しんぞう に蓄積 ちくせき される[8] 。オージャスと共 とも に、マラ(汗 あせ 、尿 にょう 、便 びん 、爪 つめ 、髪 かみ などの排泄 はいせつ 物 ぶつ )が生成 せいせい される。アグニが正常 せいじょう に働 はたら かないとアーマ(未 み 消化 しょうか 物 ぶつ , 毒素 どくそ )が生成 せいせい され、排泄 はいせつ に異変 いへん が起 お きる。アーマは粘着 ねんちゃく 性 せい が強 つよ く、体内 たいない のスロータス(経路 けいろ 、通路 つうろ )を閉塞 へいそく させて病気 びょうき を引 ひ き起 お こす[10] 。
また、トリ・ドーシャはサプタ・ダートゥに依存 いぞん している。ヴァータはアスティ(骨 ほね 組織 そしき )に、ピッタはラクタ(血液 けつえき 組織 そしき )に、カパはそれ以外 いがい のダートゥに左右 さゆう される。アスティが減少 げんしょう すると空間 くうかん が増 ふ えるため、ヴァータが増 ふ え、ラクタが増加 ぞうか するとピッタが増 ふ え、それ以外 いがい のダートゥが増加 ぞうか するとカパが増 ふ える[10] 。
アシュターンガ(八 はち 科目 かもく ) [ 編集 へんしゅう ]
白内障 はくないしょう の人 ひと の目 め 。『チャラカ・サンヒター』では、jabamukhi salakaという歪曲 わいきょく した特殊 とくしゅ な針 はり を使 つか った、白内障 はくないしょう の治療 ちりょう 法 ほう が説明 せつめい されている[14] 。
ナーガールジュナという人物 じんぶつ は、大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう を創始 そうし したナーガールジュナ (2世紀 せいき )が高名 こうみょう であるが、インドの伝承 でんしょう では医学 いがく 書 しょ 『スシュルタ・サンヒター』の改訂 かいてい 者 しゃ とされ[15] 、インドでは僧 そう としてより医師 いし ・錬金術 れんきんじゅつ 師 し ・呪術 じゅじゅつ 師 し として知 し られる。モーリッツ・ヴィンターニッツ は、仏教 ぶっきょう 、タントラ (密教 みっきょう )、医学 いがく 、錬金術 れんきんじゅつ の4人 にん のナーガールジュナの存在 そんざい を想定 そうてい している[15] 。実在 じつざい の錬金術 れんきんじゅつ 師 し ナーガールジュナ (錬金術 れんきんじゅつ ) (英語 えいご 版 ばん ) (10世紀 せいき )は、『ラサラトナーラカ』(Rasaratnakara )など多 おお くの錬金術 れんきんじゅつ 書 しょ を著 あらわ した[16]
古典 こてん 『チャラカ・サンヒター』では、医学 いがく は八 はち 科目 かもく (アシュターンガ)[1] からなると述 の べられ、現代 げんだい でも同 おな じように8つに分類 ぶんるい されている。
治 ち 病 びょう 医学 いがく
内科 ないか (Kāya-cikitsā , カーヤ・チキットサー):身体 しんたい 全般 ぜんぱん における病気 びょうき の治療 ちりょう 。婦人 ふじん 科 か も含 ふく まれる[10] 。
小児科 しょうにか (Kaumāra-bhṛtya , カウマーラ・ブリティヤー[11] ):産科 さんか も含 ふく まれる[10] 。
鬼神 きじん 学 がく (Bhūta-vidyā , ブータ・ヴィディヤー):精神 せいしん 科学 かがく 。現代 げんだい でいう精神病 せいしんびょう は、魔物 まもの が憑りつくことで起 お こると考 かんが えられていた[2] 。
鎖骨 さこつ より上部 じょうぶ の専門 せんもん 科 か (Śālākya-tantra , シャーラーキヤ・タントラ):頭 あたま と中心 ちゅうしん とする鎖骨 さこつ より上部 じょうぶ の治療 ちりょう で、特殊 とくしゅ な針 はり などの器具 きぐ を用 もち いるため「特殊 とくしゅ 外科 げか 学 がく 」と呼 よ ばれた[2] 。眼科 がんか ・耳鼻咽喉科 じびいんこうか ・歯科 しか も含 ふく まれる[10] 。
外科 げか (Śālya-cikitsā , シャーリヤ・チキットサー):異物 いぶつ の摘出 てきしゅつ 。腫瘍 しゅよう の治療 ちりょう [1] 。
毒物 どくぶつ 学 がく (Agada-tantra , アガダ・タントラ):毒物 どくぶつ ・体 からだ 毒 どく ・誤 あやま った食 た べ合 あ わせによる異常 いじょう に関 かん する治療 ちりょう 法 ほう [2] 。
予防 よぼう 医学 いがく
不老 ふろう 長寿 ちょうじゅ 法 ほう (Rasāyana-tantra , ラサーヤナ・タントラ):老年 ろうねん 医学 いがく 、健康 けんこう 延命 えんめい 法 ほう 。化学 かがく 的 てき ・錬金術 れんきんじゅつ 的 てき な処理 しょり を含 ふく む[1] 。
強 つよ 精 しらげ 法 ほう (Vājīkaraṇa-tantra , ヴァージーカラナ・タントラ):催淫剤 ざい と性的 せいてき 若返 わかがえ りの研究 けんきゅう [1] 。
このように8科目 かもく を数 かぞ えるようになったのがいつなのかははっきりしないが、原始 げんし 仏典 ぶってん やジャイナ教 きょう の経典 きょうてん に、毒物 どくぶつ 学 がく ・不老 ふろう 長寿 ちょうじゅ 法 ほう ・強 つよし 精 せい 法 ほう を欠 か く五 ご 科目 かもく を列挙 れっきょ したものがあるという[2] 。
インド錬金術 れんきんじゅつ と医学 いがく [ 編集 へんしゅう ]
インドは古代 こだい から中国 ちゅうごく と交流 こうりゅう があり、仏教 ぶっきょう が中国 ちゅうごく に伝 つた わる過程 かてい でさらに関係 かんけい が深 ふか くなった。中国 ちゅうごく の錬金術 れんきんじゅつ (錬 ね 丹 に 術 じゅつ )が伝 つた えられ、インドでも発展 はってん したと考 かんが えられている。錬 ね 丹 に 術 じゅつ は道教 どうきょう の不老 ふろう 長寿 ちょうじゅ 法 ほう の一種 いっしゅ で、水銀 すいぎん が含 ふく まれる鉱物 こうぶつ ・丹 に 砂 すな (硫化 りゅうか 水銀 すいぎん )を主 おも 原料 げんりょう とする丹 に 薬 やく の服用 ふくよう などが行 おこな われた[16] 。
インドの不老 ふろう 長寿 ちょうじゅ 法 ほう ・ラサーヤナ (医療 いりょう ) (英語 えいご 版 ばん ) にはインド錬金術 れんきんじゅつ が含 ふく まれる。元々 もともと は薬草 やくそう 学 がく であり、古典 こてん 『チャラカ・サンヒター』の段階 だんかい では、鉱物 こうぶつ 薬 やく は限定 げんてい 的 てき にしか使用 しよう されず、水銀 すいぎん の内服 ないふく もなかった[2] 。中国 ちゅうごく 錬金術 れんきんじゅつ の影響 えいきょう で、水銀 すいぎん や鉱物 こうぶつ 薬 やく を扱 あつか う錬金術 れんきんじゅつ も含 ふく まれるようになったと考 かんが えられている。ラサーナヤという言葉 ことば は、薬草 やくそう 学 がく だけでなく、錬金術 れんきんじゅつ や、錬金術 れんきんじゅつ で作 つく られた霊薬 れいやく も指 さ すようになり、ラサまたはラサーヤナ(生命 せいめい の薬草 やくそう 霊薬 れいやく )、マハーラサ(金 かね の薬草 やくそう 霊薬 れいやく )、サットヴァ(金 かね の水銀 すいぎん 霊薬 れいやく )、サルヴァ・サーットヴィカ(金 かね の総合 そうごう 的 てき 鉱物 こうぶつ 霊薬 れいやく 、賢者 けんじゃ の石 いし )などの用語 ようご が生 う まれた[16] 。ただし、水銀 すいぎん には毒性 どくせい があるため、中国 ちゅうごく 同様 どうよう 、中世 ちゅうせい 後期 こうき には水銀 すいぎん を用 もち いた錬金術 れんきんじゅつ は衰 おとろ えた。
医者 いしゃ は、自 みずか らの五感 ごかん による直接 ちょくせつ 知覚 ちかく (プラティヤクシャ)、推論 すいろん (アヌーマナ)、信頼 しんらい できる人 ひと の教示 きょうし ・証言 しょうげん (シャブダ)に拠 よ って患者 かんじゃ の状態 じょうたい を認識 にんしき する。(参考 さんこう :ページ下部 かぶ ・ニヤーヤ学派 がくは )診察 しんさつ は次 つぎ のステップで行 おこな われる[17] 。
視診 ししん (ダルシャナ)
触診 しょくしん (スパルシャナ)
問診 もんしん (プラシュナ)
視診 ししん には、舌 した 診 み (ジフワ・パリクシャー)、眼球 がんきゅう の検査 けんさ (ネートラ・パリークシャー)、肉体 にくたい 的 てき 特徴 とくちょう の観察 かんさつ などがあり、触診 しょくしん には、脈 みゃく 診 み (ナーディ・パリークシャー)などがある。トリ・ドーシャ説 せつ は体液 たいえき 病理 びょうり 説 せつ 的 てき な考 かんが え方 かた であるため、ユナニ医学 いがく 同様 どうよう 、脈 みゃく 診 み と共 とも に糞便 ふんべん 検査 けんさ (マラ・パリークシャー)、痰 たん などの排泄 はいせつ 物 ぶつ の観察 かんさつ も重 おも んじられた。聞診(聴覚 ちょうかく ・嗅覚 きゅうかく を用 もち いた観察 かんさつ )、皮膚 ひふ の検査 けんさ 、爪 つめ の検査 けんさ なども行 おこな われる[1] 。プラクリティ(体質 たいしつ ・気質 きしつ )、ヴィクリティ(病気 びょうき の性質 せいしつ )、サーラ(組織 そしき 要素 ようそ の状態 じょうたい の良 よ さ)、サンハティ(またはサンハナナ、体格 たいかく )、ムラマーナ(身長 しんちょう などの測定 そくてい 値 ち )、サットヴァ(意志 いし の強 つよ さ)、サートミヤ(摂生 せっせい の度合 どあ い、ライフスタイル)、ヴァヤハ(年齢 ねんれい )も詳 くわ しく把握 はあく され、総合 そうごう して診断 しんだん を下 くだ す[17] 。
脈 みゃく 診 み は、右手 みぎて の人差 ひとさ し指 ゆび 、中指 なかゆび 、薬指 くすりゆび を使 つか って行 おこな われ、患者 かんじゃ が男性 だんせい の場合 ばあい は右手 みぎて 、女性 じょせい の場合 ばあい は左手 ひだりて の脈 みゃく が診 み られる[1] 。ヴァータの状態 じょうたい は人差 ひとさ し指 ゆび 、ピッタは中指 なかゆび 、カパは薬指 くすりゆび で感 かん じられ[17] 、脈 みゃく を感 かん じる深 ふか さによって、患者 かんじゃ のドーシャの先天的 せんてんてき なバランスと現在 げんざい の状態 じょうたい を判断 はんだん する。
緩和 かんわ 療法 りょうほう としては、睡眠 すいみん 時間 じかん や食事 しょくじ の改善 かいぜん 、ヴィクリティ(ドーシャの増大 ぞうだい )に対 たい する煎 せん じ薬 ぐすり 、心 しん を鎮 しず めるための瞑想 めいそう などが行 おこな われ、アーマ対策 たいさく として運動 うんどう やアグニの活性 かっせい 化 か が目指 めざ される。消化 しょうか に関 かん しては2つの治療 ちりょう があり、過剰 かじょう なダートゥを減 へ らす絶食 ぜっしょく 療法 りょうほう と、不足 ふそく したダートゥを補 おぎな う栄養 えいよう 療法 りょうほう (滋養 じよう 療法 りょうほう )がある[1] 。
古典 こてん 『チャラカ・サンヒター』でも、健康 けんこう ・病気 びょうき の原因 げんいん として食事 しょくじ が挙 あ げられており、内容 ないよう だけでなく、食事 しょくじ を楽 たの しみ満足 まんぞく することも重要 じゅうよう と考 かんが えられている。
食物 しょくもつ や飲 の み物 もの は、アーユルヴェーダ薬物 やくぶつ と同 おな じようにトリ・ドーシャ、トリ・グナのバランスに影響 えいきょう を与 あた えると考 かんが えられている。薬効 やっこう は、ラサ(味 あじ 、味覚 みかく の対象 たいしょう )、ヴィルーヤ(性質 せいしつ )、属性 ぞくせい (グナ)、ヴィパーカ(消化 しょうか 後 ご の味 あじ )を総合 そうごう して判断 はんだん される[1] 。ラサは五大 ごだい のうち2つが結合 けつごう したものとされ、甘 あま (地 ち 大 だい と水 みず 大 だい )・酸 さん (水 みず 大 だい と火 ひ 大 だい )・鹹(塩味 しおあじ 、地 ち 大 だい と火 ひ 大 だい )・辛 からし (風 ふう 大 だい と火 ひ 大 だい )・苦 く (風 ふう 大 だい と空 そら 大 だい )・渋 しぶ (風 ふう 大 だい と地 ち 大 だい )の6つである。ヴィルーヤは、「熱性 ねっせい ・冷性 ひえしょう ・どちらでもないもの」がある。属性 ぞくせい は、「寒 かん ・熱 ねつ ・油 あぶら ・乾 いぬい ・重 じゅう ・軽 けい ・鈍 どん ・鋭 するど 」の8種類 しゅるい 、または、これら8つに「滑 すべり ・荒 あら ・固 かたま ・液 えき ・軟・硬 かた ・静 しず ・動 どう ・微細 びさい ・粗 あら ・粘 ねば 凋(濁 にご )・清澄 きよすみ (純 じゅん )」を加 くわ えた20種類 しゅるい である[1] 。ヴィパーカは、消化 しょうか の際 さい に6つのラサが変化 へんか したもので、「甘 あま 、酸 さん 、辛 からし 」の3つである。食物 しょくもつ のトリ・ドーシャやトリ・グナへの影響 えいきょう は、これらを考慮 こうりょ して判断 はんだん される。増大 ぞうだい したドーシャと反対 はんたい の性質 せいしつ の食物 しょくもつ をとり、同 おな じ性質 せいしつ のものを避 さ けることで心身 しんしん のバランスの回復 かいふく を目指 めざ す。ドーシャのバランスを改善 かいぜん するために、ヴァータが優勢 ゆうせい な場合 ばあい は胡麻油 ごまあぶら 、ピッタが優勢 ゆうせい な場合 ばあい はギー (バターオイルの一種 いっしゅ )、カパが優勢 ゆうせい の場合 ばあい は蜂蜜 はちみつ が与 あた えられる[1] 。また、サットヴァを高 たか める食物 しょくもつ はドーシャのバランスの回復 かいふく をもたらすため、米 べい や牛乳 ぎゅうにゅう などサットヴァの豊富 ほうふ な食物 しょくもつ をとるよう勧 すす めている。
薬物 やくぶつ の処方 しょほう [ 編集 へんしゅう ]
アーユルヴェーダの薬 くすり は、天然 てんねん に由来 ゆらい する動 どう 植 うえ 鉱物 こうぶつ からなる薬物 やくぶつ (生薬 きぐすり )が使 つか われる。約 やく 2,000〜2,500種 しゅ の薬物 やくぶつ があり、これらにはそれぞれ薬効 やっこう (カルマ)があり、ドーシャやダートゥ、マラなどへの作用 さよう もそれぞれ決 き まっている[1] 。薬物 やくぶつ は食物 しょくもつ 同様 どうよう 、ラサやヴィルーヤなどを総合 そうごう して薬効 やっこう が判断 はんだん される。病気 びょうき の原因 げんいん はドーシャの増大 ぞうだい ・増悪 ぞうあく であるが、症状 しょうじょう と属性 ぞくせい がある。治療 ちりょう は個々 ここ の患者 かんじゃ の状態 じょうたい を考慮 こうりょ して、ドーシャのバランスを回復 かいふく させる薬物 やくぶつ 、症状 しょうじょう を治 なお す薬物 やくぶつ 、反対 はんたい の属性 ぞくせい をもつ薬物 やくぶつ が使 つか われる。薬剤 やくざい は単体 たんたい で使 つか われることもあるが、複 ふく 合 ごう 薬 やく として処方 しょほう (ヨガ )される場合 ばあい が多 おお い[1] 。人口 じんこう の増大 ぞうだい と伝統 でんとう 医療 いりょう の普及 ふきゅう で、世界 せかい 的 てき に薬物 やくぶつ の乱獲 らんかく と枯渇 こかつ が問題 もんだい になっている[18] 。
また、近年 きんねん では一部 いちぶ の生薬 きぐすり が現代 げんだい 医学 いがく の視点 してん から作用 さよう 機 き 序 じょ が研究 けんきゅう されており、一 いち 例 れい として産業 さんぎょう 技術 ぎじゅつ 総合 そうごう 研究所 けんきゅうじょ の動物 どうぶつ 実験 じっけん にてアシュワガンダ の強 つよ い抗 こう がん作用 さよう が発見 はっけん された[19] 。海外 かいがい ではホットミルクにアシュワガンダ などのハーブやスパイスを入 い れ、ムーンミルク と呼 よ ばれるドリンクが流行 りゅうこう している。
減 げん 弱 じゃく 療法 りょうほう [ 編集 へんしゅう ]
減 げん 弱 じゃく 療法 りょうほう の段階 だんかい と種類 しゅるい [ 編集 へんしゅう ]
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "アーユルヴェーダ" – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2014年 ねん 8月 がつ )
アーユルヴェーダの減 げん 弱 じゃく 療法 りょうほう (浄化 じょうか 法 ほう )は、可能 かのう な限 かぎ り身体 しんたい に負担 ふたん を掛 か けないように時間 じかん を掛 か けて行 おこな う。過剰 かじょう なドーシャやアーマを身体 しんたい 外 がい に排泄 はいせつ させるために1.前 ぜん 処置 しょち →2.中心 ちゅうしん 処置 しょち →3.後 こう 処置 しょち の順番 じゅんばん で施 ほどこ される。
プールヴァカルマ:前 ぜん 処置 しょち
アーマパーチャナ:アーマ(毒素 どくそ )の消化 しょうか 法 ほう
スネーハナ・カルマ:油剤 ゆざい 法 ほう
シローダーラー:頭部 とうぶ の浄化 じょうか 、中枢 ちゅうすう 神経 しんけい の強壮 きょうそう 、精神 せいしん 疾患 しっかん などの治療 ちりょう
アビヤンガ(Abhyaṅga ):塗布 とふ するという意味 いみ で、オイルマッサージのこと。目的 もくてき によって異 こと なるオイルが使 つか われる。
ピリツイル:スネーハナカルマ + スウェーダナ・カルマ(発汗 はっかん 法 ほう のこと)。王様 おうさま の治療 ちりょう 法 ほう と呼 よ ばれ、熱 あつ い数 すう リットルのオイルを全身 ぜんしん に振 ふ り掛 か けマッサージする。麻痺 まひ 、リューマチなどの難治 なんじ 性 せい 疾患 しっかん に効果 こうか があるとされる。
エーラキリ:スネーハナカルマ+スウェーダナ・カルマ。関節 かんせつ 痛 つう 、リューマチに効果 こうか があるとされる。
ナバラキリ(スウェーダナカルマ):ナバラライス(薬 くすり 米 まい )と Bala などの生薬 きぐすり と牛乳 ぎゅうにゅう を使用 しよう する
プラダーナ・カルマ:中心 ちゅうしん 処置 しょち 、パンチャカルマ
ヴァマナ(催吐法 ほう ・主 おも に胃 い ・肺 はい ・食道 しょくどう ・喉 のど の浄化 じょうか を目的 もくてき とする):Vamana
ヴィレーチャナ(催下法 ほう 、下剤 げざい ):Virecana
バスティ(浣腸 かんちょう 法 ほう ):Basti
ナスヤ(点 てん 鼻 はな 法 ほう ・主 おも に喉 のど ・頭部 とうぶ ・顔面 がんめん を浄化 じょうか することを目的 もくてき とする):Navan 、Nasya
ラクタ・モークシャ(瀉血 しゃけつ 療法 りょうほう ):Rakta Mokṣa
パシュチャートカルマ:後 こう 処置 しょち
シャマナ鎮静 ちんせい 法 ほう :ドーシャのバランシングとアグニの正常 せいじょう 化 か
サンサルジャナ:食事 しょくじ 療法 りょうほう
ラサーヤナ:不老 ふろう 長寿 ちょうじゅ 法 ほう 。生薬 きぐすり や鉱物 こうぶつ で作 つく られた薬品 やくひん を摂 と る。(Chavanapurash が有名 ゆうめい )
ヴァジーカラナ:強 つよし 精 せい 法 ほう 。良 よ い子孫 しそん を作 つく るための方法 ほうほう ラサーヤナ同様 どうよう 、薬品 やくひん を摂 と る。
アーユルヴェーダのマッサージ [ 編集 へんしゅう ]
頭部 とうぶ のオイルマッサージ
アーユルヴェーダの治療 ちりょう では薬草 やくそう 療法 りょうほう が大 おお きな位置 いち を占 し めており、薬物 やくぶつ を煎 せん じた薬用 やくよう 油 ゆ (タイラ)も治療 ちりょう に使用 しよう される。アーユルヴェーダにおけるマッサージはパンチャ・カルマの補助 ほじょ 療法 りょうほう で、薬草 やくそう 療法 りょうほう の一種 いっしゅ であり、7つのチャクラへの刺激 しげき も行 おこな われる[20] 。マッサージのベースオイルには、温 あたた かい胡麻油 ごまあぶら が使用 しよう される。胡麻油 ごまあぶら は皮膚 ひふ に浸透 しんとう しやすく、抗 こう 酸化 さんか 作用 さよう が強 つよ いオイルで、塗布 とふ すると発汗 はっかん が促進 そくしん される。マッサージの手技 しゅぎ はペルシャの医学 いがく やユナニ医学 いがく が取 と り入 い れられた歴史 れきし から、東洋 とうよう ・西洋 せいよう のテクニックが混在 こんざい し、日本 にっぽん 伝統 でんとう の手技 しゅぎ と相 そう 通 つう じる部分 ぶぶん もある[20] 。次 つぎ のようなマッサージが知 し られている。
アビヤンガ:全身 ぜんしん オイルマッサージで、過剰 かじょう なヴァータを排出 はいしゅつ するためのバスティ(浣腸 かんちょう 法 ほう )の前 ぜん 処置 しょち である。2人 ふたり の施術 しじゅつ 者 しゃ によって、左右 さゆう 同時 どうじ に同 おな じストロークでマッサージされ、ヴァータを大腸 だいちょう に集 あつ めるために、心臓 しんぞう から末端 まったん に向 む かって行 おこな われる。(これとは逆 ぎゃく に、スウェーデンマッサージに代表 だいひょう される西洋 せいよう のマッサージは、体液 たいえき 病理 びょうり 説 せつ (四 よん 体液 たいえき 説 せつ )を背景 はいけい とし、体液 たいえき の循環 じゅんかん を促進 そくしん するために末梢 まっしょう から心臓 しんぞう に向 む かって行 おこな われる[20] 。)アビヤンガの前 まえ には、食事 しょくじ 療法 りょうほう と緩和 かんわ 療法 りょうほう が必要 ひつよう である。
シローアビヤンガ:ナスヤの前 ぜん 処置 しょち で、頭部 とうぶ と顔 かお のマッサージが行 おこな われる。脱毛 だつもう を防 ふせ いで育毛 いくもう を促 うなが し、薬草 やくそう オイルの種類 しゅるい によっては、頭部 とうぶ の緊張 きんちょう を緩和 かんわ しのぼせや不眠 ふみん を改善 かいぜん したり、肌 はだ の状態 じょうたい を良 よ くする。
パーダビヤンガ:足 あし のマッサージで、足 あし 底 そこ にオイルをすり込 こ むことで、血液 けつえき 循環 じゅんかん の改善 かいぜん ・内臓 ないぞう の活性 かっせい 化 か ・足 あし の機能 きのう の改善 かいぜん ・緊張 きんちょう の緩和 かんわ などが目指 めざ される。脚 あし までマッサージすることで、腰痛 ようつう や便秘 べんぴ を防 ふせ ぐ。この後 のち にシロダーラーや入浴 にゅうよく をすると、さらに効果 こうか が高 たか まる。
パンチャ・カルマの補助 ほじょ 療法 りょうほう として薬用 やくよう 油 ゆ (タイラ)を塗布 とふ する治療 ちりょう がある一方 いっぽう 、「アーユルヴェーダ・マッサージ」と呼 よ ばれるものの多 おお くは、外国 がいこく 人 じん 向 む けにアレンジし直 なお されたものである。インド・コーバラム海岸 かいがん に滞在 たいざい したアメリカ人 じん ヒッピー たちがアーユルヴェーダに関心 かんしん を持 も っていたことから、地元 じもと の若者 わかもの がアーユルヴェーダの治療 ちりょう 者 しゃ から知識 ちしき ・技術 ぎじゅつ を集 あつ め青空 あおぞら マッサージを始 はじ め、外国 がいこく 人 じん 向 む けの「アーユルヴェーダ・マッサージ」が行 おこな われるようになった。(当時 とうじ コーバラムで医療 いりょう といえばナダ・チキッツァ(地域 ちいき の医療 いりょう )であり、アーユルヴェーダの存在 そんざい を村人 むらびと は知 し らなかった。多 た 民族 みんぞく ・多 た 宗教 しゅうきょう のインド伝統 でんとう 医療 いりょう は、アーユルヴェーダに限 かぎ られず多様 たよう である。)[9] 現在 げんざい では、インドの外国 がいこく 人 じん 向 む け治療 ちりょう 施設 しせつ やヘルス関連 かんれん 施設 しせつ でマッサージが教 おし えられており、多 おお くの外国 がいこく 人 じん がインドで学 まな び、自国 じこく に持 も ち帰 かえ っている[9] 。インドやスリランカ などで行 おこな われる医療 いりょう ツーリズム では、旅行 りょこう 者 しゃ の目的 もくてき はリラクゼーションや健康 けんこう 増進 ぞうしん が主 おも であり、マッサージが治療 ちりょう の中心 ちゅうしん で、1回 かい のみ行 おこな われることも多 おお い。1週間 しゅうかん 以上 いじょう 滞在 たいざい する場合 ばあい でも、期間 きかん や旅行 りょこう 者 しゃ の嗜好 しこう に合 あ わせて治療 ちりょう がアレンジされ、浣腸 かんちょう 法 ほう や催吐法 ほう などの苦痛 くつう を伴 ともな う治療 ちりょう はあまり行 おこな われない。継続 けいぞく 性 せい もないため、抜本 ばっぽん 的 てき な治療 ちりょう にならないことも少 すく なくない[9] 。日本 にっぽん では、アーユルヴェーダを名乗 なの るエスティックサロンなどで、オイルマッサージのみが行 おこな われることが多 おお く、アーユルヴェーダとはインド式 しき オイルエステであるという短絡 たんらく 的 てき な認識 にんしき が持 も たれている。
霊的 れいてき な治療 ちりょう [ 編集 へんしゅう ]
岩 いわ に書 か かれたマントラ
根源 こんげん 的 てき ・霊的 れいてき な面 めん の治療 ちりょう の背景 はいけい には『ウパニシャッド』などのインド思想 しそう があり、患者 かんじゃ 本来 ほんらい の力 ちから を引出 ひきだ し、宇宙 うちゅう の根源 こんげん 的 てき なエネルギーを用 もち いて、心身 しんしん の調和 ちょうわ を取 と り戻 もど すことを目的 もくてき とする。様々 さまざま な方法 ほうほう が用 もち いられるが、患者 かんじゃ のアートマンの活性 かっせい 化 か を目指 めざ しており、治療 ちりょう 者 しゃ は援助 えんじょ に徹 てっ する。患者 かんじゃ の生 い き方 かた を変 か えるような根本 こんぽん 的 てき な治療 ちりょう のため、多 おお くの場合 ばあい 時間 じかん がかかるが、短期間 たんきかん で劇的 げきてき に効果 こうか が現 あらわ れることもあるという[10] 。
占星術 せんせいじゅつ などで病気 びょうき がカルマ(行為 こうい ・行動 こうどう )によるとわかった場合 ばあい 、悪 わる いカルマ(業 ぎょう )をなくすために善行 ぜんこう が奨励 しょうれい される。また、ジョーティシャ(インド占星術 せんせいじゅつ )でホロスコープを見 み て、悪 わる い惑星 わくせい の影響 えいきょう を考慮 こうりょ した薬草 やくそう 療法 りょうほう 、マントラ(呪文 じゅもん )や宝石 ほうせき を使 つか った治療 ちりょう も行 おこな われる。例 たと えば、パンチャカルマを行 おこな う日時 にちじ が、占星術 せんせいじゅつ によって決 き められることもある。ただし、マントラ(呪文 じゅもん )や宝石 ほうせき を使 つか った治療 ちりょう は現在 げんざい ではあまり行 おこな われず、占星術 せんせいじゅつ の知識 ちしき を持 も つ治療 ちりょう 者 しゃ も僅 わず かであるという[10] 。根源 こんげん 的 てき ・霊的 れいてき な治療 ちりょう としては、インド思想 しそう に基 もと づく風水 ふうすい ・ヴァーストゥ・シャーストラ 、聖 せい なる火 ひ を起 お こしてマントラを唱 とな え、供物 くもつ を捧 ささ げる治療 ちりょう の儀式 ぎしき ・ヤジュニャ、聖典 せいてん に由来 ゆらい する言葉 ことば であるマントラ、大 だい 宇宙 うちゅう と小宇宙 しょううちゅう (人間 にんげん )の関係 かんけい を視覚 しかく 的 てき に表現 ひょうげん した聖 せい なる図 ず ・ヤントラなども治療 ちりょう に使 つか われる[10] 。
効能 こうのう の測定 そくてい [ 編集 へんしゅう ]
キャンサー・リサーチUK による初期 しょき 的 てき な実験 じっけん では、アーユルヴェーダを用 もち いた癌 がん の予防 よぼう ならびに治療 ちりょう に対 たい する人体 じんたい への効果 こうか は確認 かくにん されなかった。
2015年 ねん の文献 ぶんけん レビューは、約 やく 40%のアーユルヴェーダ専門 せんもん 研究 けんきゅう 雑誌 ざっし の記事 きじ がデータベースに索引 さくいん 付 づ けされているとした[21] 。
ランダム化 か 比較 ひかく 試験 しけん のシステマティックレビューは、複数 ふくすう 行 おこな われている。
アメリカ政府 せいふ が2008年 ねん に行 い った調査 ちょうさ では、インターネット で購入 こうにゅう した193個 こ のアーユルヴェーダ関連 かんれん の商品 しょうひん のうち、全体 ぜんたい の2割 わり 強 きょう (21%)の商品 しょうひん で基準 きじゅん 値 ち を超 こ える鉛 なまり ・水銀 すいぎん ・ヒ素 ひそ の存在 そんざい が測定 そくてい された。また、アーユルヴェーダで使用 しよう される植物 しょくぶつ の成分 せいぶん がその他 た の医薬 いやく 製品 せいひん と人体 じんたい 内 ない でどのように反応 はんのう するかなどの確認 かくにん が行 おこな われていないため、副作用 ふくさよう の危険 きけん が指摘 してき されている。アーユルヴェーダで使用 しよう される植物 しょくぶつ の中 なか にはkava のような国家 こっか によっては違法 いほう とされる成分 せいぶん や摂取 せっしゅ 量 りょう によっては毒性 どくせい を示 しめ すものもあるため、注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。
バラモン教 ばらもんきょう の経典 きょうてん 「ヴェーダ 」として、4つの主 おも なヴェーダ『リグ・ヴェーダ 』(紀元前 きげんぜん 15世紀 せいき 頃 ごろ ?)、『サーマ・ヴェーダ 』『ヤジュル・ヴェーダ 』『アタルヴァ・ヴェーダ 』があり、ヴェーダから生命 せいめい に関 かん する知識 ちしき を集大成 しゅうたいせい したウパ・ヴェーダが『アーユルヴェーダ』である。人類 じんるい の初期 しょき の医学 いがく ・薬学 やくがく は呪術 じゅじゅつ と結 むす びついたものだが、こういった記述 きじゅつ が見 み られるのは、『リグ・ヴェーダ』と『アタルヴァ・ヴェーダ』だけである。ウパ・ヴェーダは他 た に 『ガンダルヴァ・ヴェーダ 』(歌舞 かぶ 学 がく [22] ・芸術 げいじゅつ 学 がく [8] )、『ダヌル・ヴェーダ (英語 えいご 版 ばん ) 』(兵法 ひょうほう ・弓 ゆみ の科学 かがく [22] )、『スターパティア・ヴェーダ 』(建築 けんちく 学 がく ・都市 とし 設計 せっけい )がある。サンスクリット語 ご で書 か かれており、バラモンなど知的 ちてき エリートの間 あいだ で受 う け継 つ がれた。
アーユルヴェーダの最古 さいこ の文献 ぶんけん としては、『アグニヴェーシャ・タントラ』(紀元前 きげんぜん 8世紀 せいき 頃 ごろ ?)があったと伝 つた えられる。『チャラカ・サンヒター 』は、『アグニヴェーシャ・タントラ』を医師 いし チャラカが改編 かいへん したものといわれ、その作業 さぎょう は1 - 2世紀 せいき までには終 お わったと考 かんが えられている。『アタルヴァ・ヴェーダ』に医学 いがく に関 かん する内容 ないよう が多 おお く、『チャラカ・サンヒター』は、『アタルヴァ・ヴェーダ』のウパンガ(副 ふく 肢 し )とされた。4 - 5世紀 せいき にジャイナ教 きょう 、仏教 ぶっきょう といった新 あたら しい宗教 しゅうきょう や、六 ろく 派 は 哲学 てつがく が発展 はってん して医学 いがく に影響 えいきょう を与 あた え、呪術 じゅじゅつ と医学 いがく が切 き り離 はな されて、経験 けいけん 的 てき ・合理 ごうり 的 てき な医学 いがく が始 はじ まったと考 かんが えられる。これがチャラカ、スシュルタの名 な で纏 まと められた医学 いがく 体系 たいけい である。『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』『アシュターンガ・フリダヤ・サンヒター』などの古典 こてん の段階 だんかい で、医学 いがく 体系 たいけい として完成 かんせい しており、これらの医学 いがく 書 しょ は現在 げんざい まで実用 じつよう 的 てき なテキストとして参照 さんしょう されている。古典 こてん が現在 げんざい でも重要 じゅうよう 視 し されているため、一見 いっけん 進歩 しんぽ が否定 ひてい されているように見 み えるが、実際 じっさい には中国 ちゅうごく 医学 いがく の脈 みゃく 診 み や、ペルシャやギリシャ・アラビア医学 いがく (ユナニ医学 いがく )も取 と り入 い れられ、アーユルヴェーダの薬草 やくそう 類 るい にはインド国外 こくがい のものも取 と り入 い れられており、柔軟 じゅうなん に折衷 せっちゅう されている。『チャラカ・サンヒター』をサンスクリット語 ご から翻訳 ほんやく したインド数学 すうがく ・インド占星術 せんせいじゅつ 研究 けんきゅう 者 しゃ の矢野 やの 道雄 みちお によれば、新 あたら しく取 と り込 こ まれたものも、サンスクリット化 か されテキストに組 く み込 こ まれると古代 こだい からあったものとして扱 あつか われるため、インドでは、『チャラカ・サンヒター』の段階 だんかい では見 み られない脈 みゃく 診 み や水銀 すいぎん の内服 ないふく も、インド起源 きげん と思 おも われているという[23] [2] 。
古典 こてん 医学 いがく 書 しょ の成立 せいりつ [ 編集 へんしゅう ]
『西遊 せいゆう 記 き 』のモデルになった玄奘三蔵 げんしょうさんぞう は、正確 せいかく な仏教 ぶっきょう 経典 きょうてん を手 て に入 い れるために629年 ねん に陸路 りくろ インドに向 む かい、645年 ねん に帰国 きこく した。当時 とうじ のインドの仏教 ぶっきょう の状況 じょうきょう や、仏教 ぶっきょう 大学 だいがく であるナーランダー大学 だいがく で教 おし えられた医学 いがく 、六 ろく 派 は 哲学 てつがく などを記録 きろく している。
アーユルヴェーダを代表 だいひょう する古典 こてん 『チャラカ・サンヒター 』(チャラカ本 ほん 集 しゅう )では、アーユルヴェーダはブラフマー 神 かみ (梵天 ぼんてん )によって最初 さいしょ に説 と かれ、幾 いく 柱 はしら かの神 かみ を介 かい してインドラ 神 かみ に伝 つた えられた。そしてバラドヴァージャ という仙人 せんにん がインドラ神 しん の元 もと に赴 おもむ き、教 おし えを受 う けたと述 の べられている。『チャラカ・サンヒター』は『アタルヴァ・ヴェーダ』を根拠 こんきょ とし、三 さん 人 にん の仙人 せんにん が風 ふう 、水 みず 、火 ひ について述 の べることで三 さん 元素 げんそ を解説 かいせつ している [要 よう 出典 しゅってん ] 。学術 がくじゅつ 的 てき には、『チャラカ・サンヒタ』ーは2世紀 せいき 頃 ころ に成立 せいりつ し(文献 ぶんけん と成立 せいりつ 年代 ねんだい は矛盾 むじゅん しているが、不祥 ふしょう の太古 たいこ 、無限 むげん 遠 とお 、未来 みらい を説明 せつめい する場合 ばあい であっても、便宜 べんぎ 的 てき に数字 すうじ を置 お く慣行 かんこう がある。仏教 ぶっきょう も同様 どうよう である。[要 よう 出典 しゅってん ] )ダスグプタ博士 はかせ は、哲学 てつがく 的 てき な見地 けんち から『チャラカ・サンヒター』を分析 ぶんせき し、第 だい 1巻 かん (総論 そうろん )第 だい 1章 しょう ではヴァイシェーシカ学派 がくは 、第 だい 3巻 かん (判断 はんだん 論 ろん )第 だい 8章 しょう ではニヤーヤ学派 がくは 、第 だい 4巻 かん (身体 しんたい 論 ろん )第 だい 1章 しょう ではサーンキヤ学派 がくは の思想 しそう が説明 せつめい されていると説明 せつめい した[2] 。
一貫 いっかん して内科 ないか を扱 あつか う『チャラカ・サンヒター』に対 たい し、クシャトリア(武士 ぶし 王族 おうぞく )と関係 かんけい が深 ふか かったとされる『スシュルタ・サンヒター (英語 えいご 版 ばん ) 』(スシュルタ本 ほん 集 しゅう )は外科 げか も扱 あつか い、最終 さいしゅう 的 てき な成立 せいりつ は3 - 4世紀 せいき と考 かんが えられている[2] 。神 かみ 々からもたらされたとされ、ブラフマー神 しん の化身 けしん と言 い われるカーシー の王 おう ダンヴァンタリがスシュルタに話 はな しかける形 かたち で医学 いがく が説 と かれる。両 りょう 書 しょ とも基本 きほん 理論 りろん に違 ちが いはなく、内科 ないか を重視 じゅうし し、トリ・ドーシャの不 ふ 均衡 きんこう が病気 びょうき を引 ひ き起 お こすと説明 せつめい している。
古代 こだい インドの文献 ぶんけん のほとんどは正確 せいかく な年代 ねんだい が不明 ふめい であり、アーユルヴェーダ最古 さいこ の文献 ぶんけん 『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』の成立 せいりつ 年代 ねんだい はわからず、相互 そうご に言及 げんきゅう されていないため前後 ぜんご 関係 かんけい も不明 ふめい である。その作者 さくしゃ とされるチャラカ、スシュルタが生 い きた時代 じだい も不明 ふめい であり、スシュルタなど紀元前 きげんぜん 6世紀 せいき とする説 せつ もあれば、紀元 きげん 後 ご 4世紀 せいき とする説 せつ もある[2] 。ただし、『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』は特定 とくてい の個人 こじん が書 か いたものではなく、多 おお くの人間 にんげん が関 かか わって長 なが い間 あいだ 改編 かいへん され続 つづ け、現在 げんざい の形 かたち になるまで10世紀 せいき 近 ちか くかかったと考 かんが えられている[2] 。
のちに、両 りょう 書 しょ を折衷 せっちゅう した『アシュターンガフリダヤ・サンヒター (英語 えいご 版 ばん ) 』(八 はち 科 か 精髄 せいずい 集 しゅう )がヴァーグバダによって書 か かれたが、これは読 よ みやすい医書 いしょ でインド国外 こくがい まで広 ひろ く普及 ふきゅう した。またマーダヴァ (医者 いしゃ ) (英語 えいご 版 ばん ) は、インド医学 いがく で初 はじ めて一 ひと つのテーマを専門 せんもん 的 てき に論 ろん じた『病因 びょういん 論 ろん 』(Roga-viniścaya , または『ニダーナ 』)を書 か いた。これらの医学 いがく 書 しょ は、時代 じだい ・地域 ちいき に合 あ わせて注釈 ちゅうしゃく を施 ほどこ され、現在 げんざい までアーユルヴェーダのテキストとして使 つか われている。
古典 こてん に影響 えいきょう を与 あた えた思想 しそう [ 編集 へんしゅう ]
「チャラカ・サンヒター」における人間 にんげん 観 かん
紀元前 きげんぜん 5・6世紀 せいき 頃 ごろ から、バラモン教 ばらもんきょう の祭祀 さいし 至上 しじょう 主義 しゅぎ を打 う ち破 やぶ ろうと自由 じゆう 思想家 しそうか 達 たち が活躍 かつやく し、ヴェーダの権威 けんい を否定 ひてい する仏教 ぶっきょう 、ジャイナ教 きょう のような新 しん 宗教 しゅうきょう が起 お こり、ウパニシャッド の哲人 てつじん たちが活躍 かつやく し、4世紀 せいき 頃 ごろ には六 ろく 派 は 哲学 てつがく が隆盛 りゅうせい した。こうした時代 じだい の中 なか で、医学 いがく から呪術 じゅじゅつ 性 せい が排除 はいじょ され体系 たいけい 化 か され、アーユルヴェーダと呼 よ ばれるようになった。『アタルヴァ・ヴェーダ』などに見 み られる呪術 じゅじゅつ 的 てき な医療 いりょう は、ウパニシャッドや六 ろく 派 は 哲学 てつがく ・サーンキヤ学派 がくは の二元論 にげんろん 、ヴァイシェーシカ学派 がくは の自然 しぜん 哲学 てつがく 、ニヤーヤ学派 がくは の論理 ろんり 学 がく の活用 かつよう によって、呪術 じゅじゅつ 性 せい を排 はい したひとつの体系 たいけい に整理 せいり されたのである。
ウパニシャッド(奥義 おうぎ 書 しょ )は、広義 こうぎ のヴェーダ文献 ぶんけん の最後 さいご を構成 こうせい する書物 しょもつ である。主 おも なウパニシャッドだけでも13あり、紀元前 きげんぜん 500年 ねん 前後 ぜんこう の数 すう 百 ひゃく 年間 ねんかん に成立 せいりつ したと考 かんが えられている。全 すべ ていずれかのヴェーダに属 ぞく するとされ、ヴェーダ聖典 せいてん を伝承 でんしょう する各 かく 学派 がくは によって伝 つた えられた。
その基本 きほん 思想 しそう は、多様 たよう で変化 へんか し続 つづ けるこの現象 げんしょう 世界 せかい には、唯一 ゆいいつ の不変 ふへん な実体 じったい (ブラフマン、梵)が本質 ほんしつ として存在 そんざい し、それが個人 こじん の本質 ほんしつ (アートマン、我 が )と同 おな じであるという「梵我一如 いちにょ 」である。ブラフマンは客観 きゃっかん 的 てき 、中性 ちゅうせい の原理 げんり であり、それに対 たい しアートマンは主体 しゅたい 的 てき ・人格 じんかく 的 てき な原理 げんり である。アートマンは元々 もともと 「息 いき 」「気息 きそく 」を意味 いみ し、転 てん じて「生気 せいき 」「身体 しんたい 」「自身 じしん 」「自我 じが 」「自己 じこ 」「霊魂 れいこん 」などを意味 いみ するようになった。ウパニシャッド哲学 てつがく の全 ぜん 思想 しそう は、すべて梵我一如 いちにょ の概念 がいねん の周辺 しゅうへん で展開 てんかい する。
4世紀 せいき にマガダ国 こく から起 お こったグプタ朝 あさ の元 もと で、世情 せじょう は安定 あんてい し豊 ゆた かなインドの古典 こてん 文化 ぶんか が花開 はなひら いた。バラモン教 ばらもんきょう (ばらもん教 きょう 、婆羅門教 ばらもんきょう , ヒンドゥー教 きょう の前身 ぜんしん となる古代 こだい インドの宗教 しゅうきょう )が国教 こっきょう とされ、サンスクリット語 ご が公用 こうよう 語 ご として用 もち いられた。(なお「バラモン教 ばらもんきょう 」は近代 きんだい にヨーロッパ人 じん がつけた造語 ぞうご で、元々 もともと バラモン教 ばらもんきょう 全体 ぜんたい を指 さ す呼称 こしょう はなかった。)古来 こらい より伝 つた わるバラモン教 ばらもんきょう 学 がく が整備 せいび され、さまざまな学問 がくもん の系統 けいとう が確立 かくりつ し、スートラ (根本 こんぽん 経典 きょうてん )がまとめられた[12] 。インドの学問 がくもん のほとんどは、輪廻 りんね からの解脱 げだつ を目的 もくてき とし、宗教 しゅうきょう と哲学 てつがく がほとんど区別 くべつ できない点 てん に特徴 とくちょう がある。この時代 じだい の正統 せいとう バラモン教 ばらもんきょう の哲学 てつがく 学派 がくは には6系統 けいとう があり、六 ろく 派 は 哲学 てつがく と呼 よ ばれた。サーンキヤ学派 がくは 、ヴァイシェーシカ学派 がくは 、ニヤーヤ学派 がくは は六 ろく 派 は 哲学 てつがく に数 かぞ えられる。
サーンキヤ哲学 てつがく における世界 せかい 展開 てんかい (二 に 十 じゅう 五 ご 諦 たい )[12] [24]
世界 せかい を精神 せいしん 原理 げんり と物質 ぶっしつ 原理 げんり に二分 にぶん する、厳密 げんみつ な二元論 にげんろん を特徴 とくちょう とする(精神 せいしん と肉体 にくたい の二元論 にげんろん ではない)。精神 せいしん 原理 げんり としての「神 かみ 我 が 」(プルシャ , 純粋 じゅんすい 精神 せいしん , 自己 じこ , アートマンとほぼ同意 どうい [24] )と、物質 ぶっしつ 原理 げんり としての「自性 じしょう 」(プラクリティ , 根本 ねもと 原質 げんしつ )の2つを世界 せかい の根源 こんげん だと想定 そうてい した[12] 。物質 ぶっしつ 世界 せかい は全 すべ て自性 じしょう から開 ひらけ 展 てん して生 しょう じ、思考 しこう 器官 きかん (意 い )や自我 じが 意識 いしき (我慢 がまん )といった心 しん も、精神 せいしん ではなく物質 ぶっしつ であり、人間 にんげん の身体 しんたい の一 いち 器官 きかん にすぎないと考 かんが えられた[12] 。
アーユルヴェーダに影響 えいきょう を与 あた えたサーンキヤの思想 しそう に、トリ・グナ説 せつ がある。世界 せかい が展開 てんかい する前 まえ の自性 じしょう は、サットヴァ(純 じゅん 質 しつ )、ラジャス(激 げき 質 しつ )、タマス(闇 やみ 質 しつ )というトリ・グナ(3つの特性 とくせい )が均衡 きんこう した静止 せいし 状態 じょうたい にある。神 かみ 我 が の観照 かんしょう (関心 かんしん 、観察 かんさつ )によってラジャスの活動 かつどう が起 お こると、トリ・グナのバランスが崩 くず れて世界 せかい が開 ひらけ 展 てん (流出 りゅうしゅつ )する。開 ひらき 展 てん の過程 かてい は図 ず の通 とお りである。一方 いっぽう 、神 かみ 我 が は一切 いっさい 変化 へんか しない。
「神 かみ 我 わが 、自性 じしょう 、覚 さとし (大 だい とも)、我慢 がまん 、十 じゅう 一 いち 根 ね (意 い ・五知 ごち 根 ね ・五 ご 作根 さくね )、五 ご 唯 ただ 、五大 ごだい 」を合 あ わせて「二 に 十 じゅう 五 ご 諦 たい 」(二 に 十 じゅう 五 ご の原理 げんり )と呼 よ ぶ[12] [25] 。(「諦 たい (Tattva)」は真理 しんり を意味 いみ する[26] 。)神 かみ 我 が はそもそも解脱 げだつ した清浄 せいじょう なものなので、輪廻 りんね から解脱 げだつ するには、自 みずか らの神 かみ 我 が を清 きよ めてその本性 ほんしょう を現出 げんしゅつ させなければならない。そのためには、二 に 十 じゅう 五 ご 諦 たい を正 ただ しく理解 りかい し、ヨーガの修行 しゅぎょう を行 おこな わなければならないとされた[12] 。解脱 げだつ のためのヨーガの実 じつ 修 おさむ は、サーンキヤ学派 がくは だけでなく、古代 こだい インド哲学 てつがく ・宗教 しゅうきょう のほとんどで行 おこな われていた[12] 。
六 ろく 派 は 哲学 てつがく の一 ひと つであるヨーガ学派 がくは は、サーンキヤ学派 がくは に大 おお きな影響 えいきょう を受 う けている。現代 げんだい のアメリカや日本 にっぽん では、アーユルヴェーダはヨーガと共 とも に語 かた られることも多 おお い(ただし現代 げんだい のヨーガの多 おお くは、ヨーガの密教 みっきょう 版 ばん ともいうべきハタ・ヨーガの系統 けいとう である)。しかし、インドで人生 じんせい の四 よん 目的 もくてき とされる法 ほう (ダルマ)、財 ざい (アルタ)、愛 あい (カーマ)、解脱 げだつ (モークシャ)のうち、解脱 げだつ は医学 いがく の説 と くところではなく[2] 、アーユルヴェーダとヨーガはインドでは別々 べつべつ のものとみなされている[8] 。
ヴァイシェーシカ学派 がくは [ 編集 へんしゅう ]
ヴァイシェーシカ学派 がくは は、この世界 せかい が複数 ふくすう の構成 こうせい 要素 ようそ (原子 げんし )から形成 けいせい されているとする「アーランバ・ヴァーダ」(積 せき 集 しゅう 説 せつ )を代表 だいひょう する学派 がくは である。根本 こんぽん 経典 きょうてん は、『チャラカ・サンヒター』と近 ちか い時代 じだい に成立 せいりつ したと考 かんが えられている[2] 。
この学派 がくは では、「実体 じったい (実 み )、属性 ぞくせい (徳 とく )、運動 うんどう (業 ぎょう )、普遍 ふへん (同 どう )、特殊 とくしゅ (異 こと )、内属 ないぞく (和合 わごう )」の6つのパダールタ(六 ろく 句 く 義 よし 、六 ろく 原理 げんり 、6つの範疇 はんちゅう )を想定 そうてい して世界 せかい を分析 ぶんせき ・解明 かいめい しようとした。実体 じったい は、「四大 しだい と虚空 こくう 、時間 じかん 、方角 ほうがく 、アートマン(我 が )、マナス(意 い )」からなり、四 よん 元素 げんそ は直接 ちょくせつ 知覚 ちかく することのできない原子 げんし (極微 きょくび )からなると考 かんが えた。原子 げんし が2つ以上 いじょう 結合 けつごう して複 ふく 合体 がったい となり、知覚 ちかく できるものとなるが、これらの複 ふく 合体 がったい は無常 むじょう であり、破壊 はかい され変化 へんか する。パダールタは、さまざまな範疇 はんちゅう を設定 せってい して詳細 しょうさい に分析 ぶんせき され、世界 せかい の説明 せつめい が試 こころ みられたが、こういった分析 ぶんせき 方法 ほうほう は『チャラカ・サンヒター』でも用 もち いられている。
インドにおいて、正 ただ しい論証 ろんしょう 方法 ほうほう ・論理 ろんり 学 がく は古 ふる くから研究 けんきゅう され、『チャラカ・サンヒター』でも、医師 いし の心得 こころえ として「論議 ろんぎ の道 みち 」が44項目 こうもく にわたって分類 ぶんるい ・検討 けんとう されている。ニヤーヤ学派 がくは の世界 せかい 観 かん は、その多 おお くをヴァイシェーシカ学派 がくは に拠 よ っており、独自 どくじ 性 せい は論証 ろんしょう 方法 ほうほう の研究 けんきゅう にある。インドの論理 ろんり 学 がく は認識 にんしき 論 ろん と密接 みっせつ な関係 かんけい にあり、ニヤーヤ学派 がくは も「正 ただ しい認識 にんしき とはいかにあるべきか」をメインテーマとし、「直接 ちょくせつ 知覚 ちかく 」「推論 すいろん 」「類比 るいひ 」「信頼 しんらい できる人 ひと の教示 きょうし ・証言 しょうげん 」の4つの認識 にんしき 方法 ほうほう を提示 ていじ した。また、他者 たしゃ との論争 ろんそう において、推論 すいろん は「主張 しゅちょう (宗 むね )」「理由 りゆう (因 よし )」「実例 じつれい (喩 たとえ )」「適合 てきごう (合 ごう )」「結論 けつろん (結 ゆい )」の「五 ご 分 ふん 作法 さほう 」にしたがって立証 りっしょう されなければならないと考 かんが えた。論争 ろんそう では、それぞれが五 ご 分 ふん 作法 さほう にしたがって論議 ろんぎ ・検討 けんとう し、ある事柄 ことがら が妥当 だとう だと確定 かくてい した場合 ばあい 、真実 しんじつ が知 し られたといえる、とされた。
ムガル帝国 ていこく の最大 さいだい 版図 はんと (1707年 ねん 、第 だい 6代 だい 皇帝 こうてい アウラングゼーブ死亡 しぼう 時 じ )
インドにイスラム教 いすらむきょう が伝 つた えられたことで、アーユルヴェーダにはユナニ医学 いがく の要素 ようそ が加 くわ わった。逆 ぎゃく にユナニ医学 いがく には、多 おお くのアーユルヴェーダ薬物 やくぶつ が取 と り入 い れられている。
ユナニ医学 いがく はイスラーム勢力 せいりょく の拡大 かくだい で広 ひろ がり、ムガル帝国 ていこく 時代 じだい にその勢力 せいりょく は最高潮 さいこうちょう に達 たっ した。アーユルヴェーダとユナニ医学 いがく は、理論 りろん 的 てき に近 ちか いものがあり、対立 たいりつ するよりむしろ共存 きょうぞん し、互 たが いの知識 ちしき ・技術 ぎじゅつ を取 と り入 い れあったようである。一般 いっぱん に、イスラム教徒 きょうと が支配 しはい する都市 とし 部 ぶ や宮廷 きゅうてい 、富裕 ふゆう 層 そう ではユナニ医学 いがく が中心 ちゅうしん となり、アーユルヴェーダは衰退 すいたい したが、ヒンズー教徒 きょうと が住 す む周辺 しゅうへん 部 ぶ 、貧 まず しい人々 ひとびと の間 あいだ で命脈 めいみゃく を保 たも っていた。アーユルヴェーダ復古 ふっこ 主義 しゅぎ 者 しゃ の間 あいだ では、ユナニ医学 いがく は西洋 せいよう 医学 いがく と共 とも に、アーユルヴェーダ没落 ぼつらく の原因 げんいん であるといわれるが、実際 じっさい にはユナニ医学 いがく がアーユルヴェーダを生 い きながらえさせたと考 かんが えられている[2] 。多 た 民族 みんぞく ・多 た 宗教 しゅうきょう 社会 しゃかい であるインドでは、現代 げんだい 医学 いがく 、アーユルヴェーダ以外 いがい に、ユナニ医学 いがく 、シッダ医学 いがく など様々 さまざま な伝統 でんとう 医学 いがく ・民俗 みんぞく 療法 りょうほう が現在 げんざい も行 おこな われている。
西洋 せいよう 近代 きんだい 医学 いがく [ 編集 へんしゅう ]
1909年 ねん 当時 とうじ のイギリス領 りょう インド帝国 ていこく 。イギリスによる直接 ちょくせつ 統治 とうち 下 か に置 お かれた地域 ちいき はピンク、藩 はん 王国 おうこく は黄色 おうしょく で示 しめ されている。
典型 てんけい 的 てき なアーユルヴェーダ薬局 やっきょく , Rishikesh 。
16世紀 せいき 初 はじ めにインドに進出 しんしゅつ してきたヨーロッパ人 じん たちは、アーユルヴェーダ・ユナニ医学 いがく 共 ども に原始 げんし 的 てき で未熟 みじゅく な医学 いがく として軽蔑 けいべつ した。しかし18世紀 せいき の終 お わりに、サンスクリット語 ご で書 か かれたインドの伝統 でんとう 的 てき 学問 がくもん がヨーロッパの学者 がくしゃ の関心 かんしん を集 あつ めると、サンスクリット語 ご による医学 いがく 書 しょ も注目 ちゅうもく された。
19世紀 せいき 中頃 なかごろ から近代 きんだい 教育 きょういく が広 ひろ がると、インドの伝統 でんとう 的 てき な学者 がくしゃ (バンディット)たちは自 みずか らの伝統 でんとう に目覚 めざ め、復古 ふっこ 主義 しゅぎ 的 てき 運動 うんどう が起 お こった。西洋 せいよう 医学 いがく を教 おし える大学 だいがく がインドに開 ひら かれた後 のち に、それに対抗 たいこう する形 かたち でアーユルヴェーダの教育 きょういく 制度 せいど も整 ととの えられていった。それに伴 ともな い、家族 かぞく や師弟 してい を通 とお した伝承 でんしょう は少 すく なくなっていった。アーユルヴェーダは、愛国心 あいこくしん の高 たか まりとともに「インド伝統 でんとう 医学 いがく 」として復興 ふっこう ・普及 ふきゅう し、20世紀 せいき の独立 どくりつ 運動 うんどう と共 とも にさらに盛 さか んになった。
アーユルヴェーダの隆盛 りゅうせい には、莫大 ばくだい な人口 じんこう を抱 かか え貧困 ひんこん 層 そう も多 おお いインドでは、高額 こうがく な西洋 せいよう 医学 いがく で全 すべ ての人 ひと の医療 いりょう を賄 まかな えないことも関係 かんけい している。また、保守 ほしゅ 的 てき な国民 こくみん 性 せい のため、西洋 せいよう 医学 いがく になじめない人 ひと も多 おお いという。
新型 しんがた コロナウイルス感染 かんせん 症 しょう (COVID-19)に対 たい しても、アーユルヴェーダに基 もと づく医薬品 いやくひん や健康 けんこう 食品 しょくひん が投入 とうにゅう されている。インド政府 せいふ も推奨 すいしょう しているが、現代 げんだい 医学 いがく の医師 いし からの批判 ひはん も起 お きている[6] [5] 。
折衷 せっちゅう 主義 しゅぎ と復古 ふっこ 主義 しゅぎ [ 編集 へんしゅう ]
西洋 せいよう 医学 いがく がインドに伝 つた えられ、その有効 ゆうこう 性 せい が示 しめ されると、アーユルヴェーダの医者 いしゃ は折衷 せっちゅう 派 は と復古 ふっこ 派 は に分 わ かれた。折衷 せっちゅう 派 は は西洋 せいよう 医学 いがく を取 と り入 い れた治療 ちりょう を行 おこな い、現代 げんだい の機器 きき を用 もち いた診断 しんだん も行 おこな う。一方 いっぽう 復古 ふっこ 主義 しゅぎ 者 しゃ は、イスラムとイギリスの支配 しはい によってアーユルヴェーダは堕落 だらく したと考 かんが え、ユナニ医学 いがく ・西洋 せいよう 医学 いがく を排 はい して純粋 じゅんすい なアーユルヴェーダに戻 もど れば西洋 せいよう 医学 いがく に優 まさ ると主張 しゅちょう する[2] 。
両者 りょうしゃ は激 はげ しく争 あらそ っており、特 とく にスリランカで顕著 けんちょ である。1957年 ねん に、スリランカの伝統 でんとう 医学 いがく 委員 いいん 会 かい 委員 いいん 長 ちょう であった自治 じち 大臣 だいじん が暗殺 あんさつ され、これは狂信 きょうしん 的 てき なアーユルヴェーダ復古 ふっこ 主義 しゅぎ 者 しゃ の犯行 はんこう だといわれる[2] 。
アーユルヴェーダ医師 いし (BAMS) [ 編集 へんしゅう ]
現在 げんざい インドでは現代 げんだい 医学 いがく で治療 ちりょう を行 おこな う医師 いし の他 ほか に、アーユルヴェーダ医師 いし の国家 こっか 資格 しかく (Bachelor of Ayurvedic Medicine and Surgery , BAMS)がある。大学 だいがく で学 まな んで資格 しかく を取得 しゅとく すれば、開業 かいぎょう して治療 ちりょう を行 おこな うことができる。アーユルヴェーダを教 おし える大学 だいがく はインドでは100を越 こ え、大学院 だいがくいん が併設 へいせつ された大学 だいがく もある。BAMSの教育 きょういく 期間 きかん は、1年 ねん の研修 けんしゅう を含 ふく めて5年 ねん 半 はん で、現代 げんだい 医学 いがく ・アーユルヴェーダ両方 りょうほう を学 まな ぶ。
スリランカには、紀元前 きげんぜん 3世紀 せいき にインドから仏教 ぶっきょう が伝 つた わった際 さい に、共 とも にアーユルヴェーダが伝来 でんらい したといわれる。その前 まえ にはデーシャチキッサという固有 こゆう の伝統 でんとう 医学 いがく があり、アーユルヴェーダはこれと混 ま ざり合 あ って発展 はってん した。現在 げんざい でもアーユルヴェーダと共有 きょうゆう しないスリランカ固有 こゆう の治療 ちりょう 法 ほう は、デーシャチキッサの名 な で残 のこ されている[27] 。
イギリス統治 とうち 下 か に西洋 せいよう 近代 きんだい 医学 いがく が導入 どうにゅう され、広 ひろ く普及 ふきゅう した。アーユルヴェーダは国 くに の支援 しえん を失 うしな って衰退 すいたい したが、ナショナリズムの高 たか まりで仏教 ぶっきょう や伝統 でんとう 文化 ぶんか と共 とも に注目 ちゅうもく されるようになり、独立 どくりつ 前 まえ の1928年 ねん に伝統 でんとう 医療 いりょう 委員 いいん 会 かい が設立 せつりつ された。1961年 ねん にはアーユルヴェーダ法 ほう が制定 せいてい されて公的 こうてき に医療 いりょう として認 みと められ、1980年 ねん には伝統 でんとう 医療 いりょう 省 しょう が設立 せつりつ された。スリランカは民族 みんぞく ではシンハラ人 じん 、宗教 しゅうきょう では仏教 ぶっきょう が多数 たすう を占 し めるが、多 た 民族 みんぞく ・多 た 宗教 しゅうきょう の国家 こっか であり、伝統 でんとう 医療 いりょう 省 しょう ではアーユルヴェーダだけでなく、シッダ医学 いがく 、ユナニ医学 いがく 、デーシャチキッサなどの伝統 でんとう 医学 いがく も保護 ほご ・発展 はってん の対象 たいしょう にしている[27] 。
スリランカは、イギリスの植民 しょくみん 地 ち 支配 しはい から脱 だっ した8年 ねん 後 ご 、少数 しょうすう 民族 みんぞく タミル人 じん を排除 はいじょ する「シンハラ唯一 ゆいいつ 政策 せいさく 」(1956年 ねん )をきっかけに内戦 ないせん 状態 じょうたい に陥 おちい った 。2009年 ねん に終結 しゅうけつ 宣言 せんげん がされたが、長期 ちょうき の内戦 ないせん のために観光 かんこう 産業 さんぎょう は振 ふ るわなかった。そのため、外資 がいし 獲得 かくとく の手段 しゅだん として、ホテルでアーユルヴェーダを行 おこな う外国 がいこく 人 じん 向 む けの医療 いりょう ツーリズム が取 と り入 い れられ、観光 かんこう 客 きゃく は年々 ねんねん 増加 ぞうか している[28] 。
1972年 ねん 以降 いこう 、国立 こくりつ 大学 だいがく で教育 きょういく が行 おこな われており、2008年 ねん の段階 だんかい で国民 こくみん の15%はアーユルヴェーダによる治療 ちりょう を受 う けている。現代 げんだい 医学 いがく を教 おし える大学 だいがく は8校 こう あり、対 たい してアーユルヴェーダは4校 こう である。現代 げんだい 医学 いがく の医師 いし は2万 まん 人 にん 、アーユルヴーダの医師 いし は1万 まん 5,000人 にん 存在 そんざい する[28] 。そのうち大学 だいがく でのアーユルヴェーダ教育 きょういく を受 う けた者 もの は4,000人 にん で、他 た には代々 だいだい アーユルヴェーダを受 う け継 つ ぐ家 いえ の治療 ちりょう 者 しゃ や、寺院 じいん でアーユルヴェーダを受 う けつぐ僧 そう などがある。アーユルヴェーダの治療 ちりょう が有効 ゆうこう と思 おも われるジャンルは関節 かんせつ 炎 えん 、麻痺 まひ 症状 しょうじょう 、狂犬病 きょうけんびょう 、蛇 へび に噛 か まれた時 とき の治療 ちりょう などであるが、伝統 でんとう 的 てき なアーユルヴェーダ医 い の家 いえ には、それぞれ得意 とくい とする分野 ぶんや がある[27] 。また、半 はん 世紀 せいき 前 まえ には占星術 せんせいじゅつ を用 もち いた治療 ちりょう も行 おこな われたが、現在 げんざい ではそういった知識 ちしき を持 も つ治療 ちりょう 者 しゃ は稀 まれ だという[27] 。治療 ちりょう の上 うえ で、現代 げんだい 医療 いりょう とアーユルヴェーダが互 たが いを紹介 しょうかい することも行 おこな われ、統合 とうごう 医療 いりょう が目指 めざ されている[28] 。
仏教 ぶっきょう 医学 いがく 伝来 でんらい から昭和 しょうわ まで[ 編集 へんしゅう ]
アーユルヴェーダで利用 りよう される薬物 やくぶつ は、仏教 ぶっきょう と共 とも に中国 ちゅうごく に伝 つた えられ、7 - 8世紀 せいき 頃 ごろ には遣唐使 けんとうし らによって日本 にっぽん に伝来 でんらい した。正 せい 倉 くら 院 いん に伝 つた わる薬物 やくぶつ の中 なか には、アーユルヴェーダ薬物 やくぶつ を起源 きげん とするものが多数 たすう あると言 い われる。また、日本 にっぽん 最古 さいこ の医学 いがく 書 しょ 『医 い 心 しん 方 かた 』(982 - 984年 ねん )には、アーユルヴェーダに強 つよ い影響 えいきょう を受 う けた仏教 ぶっきょう 医学 いがく が多少 たしょう 説明 せつめい されている[29] 。ただ日本 にっぽん の医療 いりょう は、5世紀 せいき 初頭 しょとう に中国 ちゅうごく 医学 いがく が伝来 でんらい して以来 いらい 、漢方 かんぽう (和 わ 法 ほう )として独自 どくじ に発展 はってん を遂 と げ、明治 めいじ までそれが主流 しゅりゅう であった。現在 げんざい でも漢方 かんぽう は代替 だいたい 医療 いりょう として、医師 いし 、鍼灸 しんきゅう 師 し 、柔道 じゅうどう 整復 せいふく 師 し らによって広 ひろ く行 おこな われている。一方 いっぽう アーユルヴェーダが本格 ほんかく 的 てき に日本 にっぽん に紹介 しょうかい されるのは、江戸 えど 時代 じだい の鎖国 さこく の関係 かんけい もあり、大正 たいしょう になってからである。
日本 にっぽん でのインド医学 いがく の研究 けんきゅう は、1921年 ねん (大正 たいしょう 10年 ねん )に泉 いずみ 芳 かおる 環 たまき 「印度 いんど の医方 いほう 及 およ び薬物 やくぶつ ─ヘルンの図書 としょ の解説 かいせつ として─」(『仏教 ぶっきょう 研究 けんきゅう 』2巻 かん 4号 ごう )が研究 けんきゅう 誌 し に初 はじ めて掲載 けいさい され、続 つづ いていくつかの論文 ろんぶん が発表 はっぴょう された[29] 。
昭和 しょうわ 以降 いこう の研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
昭和 しょうわ に入 はい ってからは、大地 だいち 原 はら 誠 まこと 玄 げん によるアーユルヴェーダ古典 こてん の翻訳 ほんやく 「国 くに 訳 やく 古代 こだい 印度 いんど 医 い 典 てん チャラカ本 ほん 集 しゅう 」(『立命館大学 りつめいかんだいがく 』1巻 かん 10〜4巻 かん 3号 ごう までの7編 へん )、「スシュルタ医学 いがく 」(『大乗 だいじょう 』13巻 かん 4号 ごう 〜14巻 かん 4号 ごう )が発表 はっぴょう され、1941年 ねん (昭和 しょうわ 16年 ねん )には、の大地 だいち 原 はら 誠 まこと 玄 げん によるサンスクリット語 ご から翻訳 ほんやく 『ススルタ本 ほん 集 しゅう 』が出版 しゅっぱん された[29] 。
本格 ほんかく 的 てき な研究 けんきゅう は、1967年 ねん (昭和 しょうわ 42年 ねん )のインド伝承 でんしょう 医学 いがく 研究 けんきゅう 会 かい の設立 せつりつ に始 はじ まる。研究 けんきゅう 会 かい 設立 せつりつ 後 ご 、研究 けんきゅう 会誌 かいし が発刊 はっかん され、現在 げんざい まで580編 へん 以上 いじょう 、3,400ページ以上 いじょう にわたる多 おお くの論文 ろんぶん が書 か かれた[29] 。同 どう 研究 けんきゅう 会 かい は、幡 はた 井 い 勉 つとむ (東邦大学 とうほうだいがく 医学部 いがくぶ 教授 きょうじゅ )、丸山 まるやま 昌郎 まさお (日本 にっぽん 民族 みんぞく 医学 いがく 研究所 けんきゅうじょ )らによって設立 せつりつ され、1968年 ねん (昭和 しょうわ 43年 ねん )にインド伝承 でんしょう 医学 いがく 研究 けんきゅう 調査 ちょうさ 視察 しさつ 団 だん が丸山 まるやま 博 ひろし (大阪大学 おおさかだいがく 医学部 いがくぶ 教授 きょうじゅ )、幡 はた 井 い 勉 つとむ 、石原 いしはら 明 あきら 、岡部 おかべ 索道 さくどう ら9名 めい がインドを訪問 ほうもん し[29] 、インドのグジャラート・アーユルヴェーダ大学 だいがく [30] や研究所 けんきゅうじょ を視察 しさつ した。翌年 よくねん 1969年 ねん (昭和 しょうわ 44年 ねん )には、丸山 まるやま 博 ひろし 教授 きょうじゅ が所属 しょぞく する大阪大学 おおさかだいがく で、アーユルヴェーダセミナーが初 はじ めて開講 かいこう された[29] 。
1970年 ねん (昭和 しょうわ 45年 ねん )には、丸山 まるやま 博 ひろし 教授 きょうじゅ らの呼 よ びかけでアーユルヴェーダ研究 けんきゅう 会 かい が設立 せつりつ された(会長 かいちょう :丸山 まるやま 博 ひろし 、事務 じむ 局 きょく :大阪大学 おおさかだいがく 医学部 いがくぶ 衛生 えいせい 学 がく 教室 きょうしつ )[29] 。幡 はた 井 い 勉 つとむ は、東洋 とうよう 伝承 でんしょう 医学 いがく 研究所 けんきゅうじょ 、ハタイクリニックを設立 せつりつ し、アーユルヴェーダと現代 げんだい 医学 いがく 医 い を統合 とうごう して治療 ちりょう を行 おこな った。また、稲村 いなむら 晃 あきら 江 こう はグジャラート・アーユルヴェーダ大学 だいがく に入学 にゅうがく し、5年間 ねんかん の教学 きょうがく 課程 かてい を修了 しゅうりょう し日本人 にっぽんじん として初 はじ めてインド国家 こっか 認定 にんてい アーユルヴェーダ医師 いし として認 みと められ、さらに大学院 だいがくいん も修了 しゅうりょう した[30] 。
1980年代 ねんだい には、アーユルヴェーダ医師 いし ウパディヤヤ・カリンジェ・クリシュナが、東洋 とうよう 伝承 でんしょう 医学 いがく 研究所 けんきゅうじょ の副 ふく 所長 しょちょう として活動 かつどう し、日本語 にほんご のアーユヴェーダの教科書 きょうかしょ を著 あらわ した。1994年 ねん には、東洋 とうよう 伝承 でんしょう 医学 いがく 研究所 けんきゅうじょ で、専門 せんもん 家 か 向 む け・素人 しろうと 向 む けの2本立 ほんだ てでアーユルヴェーダの教育 きょういく プログラムが開始 かいし した[30] 。
1985年 ねん (昭和 しょうわ 60年 ねん )第 だい 7回 かい 日本 にっぽん アーユルヴェーダ研究 けんきゅう 会 かい 総会 そうかい で、日本 にっぽん 初 はつ のアーユルヴェーダの臨床 りんしょう 応用 おうよう としてクシャーラ・スートラ(痔瘻 じろう の治療 ちりょう )[31] の臨床 りんしょう 成績 せいせき が報告 ほうこく された[29] 。1987年 ねん (昭和 しょうわ 62年 ねん )には日本 にっぽん アーユルヴェーダ研究 けんきゅう 会 かい にヨーガ療法 りょうほう の研究 けんきゅう 者 しゃ も加 くわ わり、学術 がくじゅつ 発表 はっぴょう の範囲 はんい も大 おお きく変化 へんか した[30] 。
一般 いっぱん への普及 ふきゅう と現状 げんじょう [ 編集 へんしゅう ]
ヒンディー語 ご でトゥルシー (tulsi)、英語 えいご でホーリーバジル(holy basil)、有名 ゆうめい なアーユルヴェーダの薬草 やくそう )。
1989年 ねん (平成 へいせい 元年 がんねん )には、NHK で『中国 ちゅうごく ・インド伝承 でんしょう 医学 いがく 』が放映 ほうえい され、一般 いっぱん に広 ひろ く浸透 しんとう した。1998年 ねん 、アーユルヴェーダ研究 けんきゅう 会 かい は日本 にっぽん アーユルヴェーダ学会 がっかい (The Society of Ayurveda in Japan)に名称 めいしょう を改 あらた めた[29] 。
2008年 ねん (平成 へいせい 20年 ねん )、第 だい 30回 かい 日本 にっぽん アーユルヴェーダ学会 がっかい 総会 そうかい が開催 かいさい され、会長 かいちょう の稲村 いなむら 晃 あきら 江 こう (アーユルヴェーダ医師 いし )
の尽力 じんりょく で、日本 にっぽん アーユルヴェーダ研究 けんきゅう 会誌 かいし 全 ぜん 37巻 かん から優 すぐ れた論文 ろんぶん を抜粋 ばっすい した論文 ろんぶん 集 しゅう が発刊 はっかん され、過去 かこ の日本 にっぽん アーユルヴェーダ研究 けんきゅう が集大成 しゅうたいせい された[29] 。
日本 にっぽん アーユルヴェーダ学会 がっかい は、日本 にっぽん の医療 いりょう 制度 せいど の中 なか でアーユルヴェーダ医学 いがく の役割 やくわり を明 あき らかにし、広 ひろ く治療 ちりょう をこなうために、「アーユルヴェーダの標準 ひょうじゅん 化 か と資格 しかく 制度 せいど 」に取 と り組 く んでいる[29] 。現在 げんざい 日本 にっぽん においてアーユルヴェーダの国家 こっか 資格 しかく は存在 そんざい しないが、催吐法 ほう 、催下法 ほう などのパンチャカルマ(浄化 じょうか 療法 りょうほう )、ネートラタルパナ(薬草 やくそう オイルを点眼 てんがん する眼 め の治療 ちりょう )のような点眼 てんがん および目 め の洗浄 せんじょう 、診断 しんだん ・薬剤 やくざい の処方 しょほう など、治療 ちりょう の多 おお くは医 い 行為 こうい に当 あ たると考 かんが えられ[32] 、医師 いし がアーユルヴェーダを行 おこな う少数 しょうすう の病院 びょういん でしか治療 ちりょう を受 う けることはできない(インドのアーユルヴェーダ医師 いし の免許 めんきょ を持 も っていても、日本 にっぽん での治療 ちりょう には医師 いし 免許 めんきょ が必須 ひっす である)。医師 いし 向 む けのアーユルヴェーダの教育 きょういく 機関 きかん もごくわずかしか存在 そんざい せず[30] 、注目 ちゅうもく を集 あつ めつつあるとはいえ、日本 にっぽん では広 ひろ く治療 ちりょう が行 おこな われているとは言 い えない。
アーユルヴェーダは、アメリカ経由 けいゆ で日本 にっぽん に紹介 しょうかい されたヨーガの人気 にんき に伴 ともな い、1990年代 ねんだい に一時 いちじ 的 てき にブームとなった。現在 げんざい 日本 にっぽん では、その名 な を冠 かん したマッサージサロン、エステティックサロンが多 おお く存在 そんざい する。こういったサロンでは、アーユルヴェーダのマッサージや、シロダーラー、薬 くすり 茶 ちゃ など、ごく一部 いちぶ の療法 りょうほう を用 もち いて施術 しじゅつ を行 おこな っている。そのため、アーユルヴェーダは「インド式 しき オイルエステ」などの別名 べつめい で呼 よ ばれることもあり、痩身 そうしん マッサージやエステティックの一種 いっしゅ だという短絡 たんらく 的 てき な認識 にんしき が広 ひろ まっている[33] 。また、週刊 しゅうかん 誌 し で風俗 ふうぞく マッサージ店 てん がアーユルヴェーダを名乗 なの るなどの記事 きじ もあり、本来 ほんらい の全体 ぜんたい 的 てき な生命 せいめい 科学 かがく としてのアーユルヴェーダとは正 せい 反対 はんたい の用例 ようれい が数多 かずおお くみられる[33] 。日本 にっぽん のサロンで行 おこな われるアーユルヴェーダは、その名 な に反 はん してエステティックもしくはリラクゼーションの一種 いっしゅ であり、伝統 でんとう 医療 いりょう としてのアーユルヴェーダとは区別 くべつ して考 かんが える必要 ひつよう がある。
アーユルヴェーダ薬物 やくぶつ は、日本 にっぽん では健康 けんこう 食品 しょくひん や健康 けんこう 茶 ちゃ として徐々 じょじょ に人気 にんき となっており、そのほとんどは輸入 ゆにゅう に頼 たよ っている。しかし、薬事 やくじ 法 ほう 違反 いはん の危険 きけん 性 せい があるような販売 はんばい 方法 ほうほう がされたり、薬 くすり 食 しょく 同 どう 源 みなもと ・方 ぽう 剤 ざい 原理 げんり が忘 わす れられ、単一 たんいつ の薬草 やくそう だけの効果 こうか がアピールされるなど、様々 さまざま な問題 もんだい が生 しょう じている[33] 。また、漢方薬 かんぽうやく 同様 どうよう 、現代 げんだい 医学 いがく の枠 わく ぐみの中 なか で薬効 やっこう や処方 しょほう が判断 はんだん されてしまうことも多 おお い[33] 。
日本 にっぽん にはアーユルヴェーダの研究 けんきゅう 施設 しせつ はほとんどない。1999年 ねん に設立 せつりつ された富山 とやま 県 けん 国際 こくさい 伝統 でんとう 医学 いがく センターでは、アーユルヴェーダを含 ふく めた世界中 せかいじゅう の代替 だいたい 医療 いりょう が研究 けんきゅう されていたが、2008年 ねん から研究 けんきゅう は富山大学 とやまだいがく に移管 いかん され、センターは2010年 ねん に廃止 はいし された[34] 。横浜市立大学 よこはましりつだいがく 長寿 ちょうじゅ 科学 かがく 研究 けんきゅう 室 しつ では、アーユルヴェーダハーブの生理 せいり 活性 かっせい 作用 さよう について研究 けんきゅう されている[35] 。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「インド医学 いがく 」 小松 こまつ かつ子 こ 民族 みんぞく 薬物 やくぶつ 資料 しりょう 館 かん
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 矢野 やの 道雄 みちお 『科学 かがく の名著 めいちょ インド医学 いがく 概論 がいろん チャラカ・サンヒター』朝日出版社 あさひしゅっぱんしゃ 、1988年 ねん
^ 鷲尾 わしお 倭文 しず 「インド人 じん の生命 せいめい 観 かん (2) : アーユル・ヴェーダの生命 せいめい 観 かん 」『跡見学園短期大学 あとみがくえんたんきだいがく 紀要 きよう 』24号 ごう 1988年 ねん pp.A13-A24, ISSN 0287-4164
^ 長濱 ながはま 善夫 よしお 『東洋 とうよう 医学 いがく 概説 がいせつ 』1961年 ねん 、創 つく 元 もと 社 しゃ
^ a b 「政府 せいふ 推奨 すいしょう のコロナ伝統 でんとう 療法 りょうほう 、医師 いし から非難 ひなん の声 こえ 続々 ぞくぞく 、インド/アーユルベーダ医学 いがく の薬草 やくそう 療法 りょうほう がワクチン不足 ふそく で無料 むりょう に、効果 こうか は不明 ふめい 」 ナショナルジオグラフィック 日本語 にほんご サイト(2021年 ねん 6月 がつ 4日 にち )2021年 ねん 7月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん
^ a b 健康 けんこう 食品 しょくひん 、コロナで50種 しゅ 超 ちょう 投入 とうにゅう /印 しるし ダブール、伝統 でんとう 医学 いがく で「予防 よぼう 効果 こうか 」『日経 にっけい 産業 さんぎょう 新聞 しんぶん 』2021年 ねん 6月 がつ 24日 にち グローバル面 めん
^ “This is Not Ayurveda”New Age Ayurveda in the context of Ayurveda’s Globalization: between labeling and reinvention Patricia Junge Heidelberg, september 2010
^ a b c d e f g h 上 うえ 馬場 ばば 和夫 かずお ・西川 にしかわ 眞知子 まちこ 『インド伝統 でんとう 医学 いがく で健康 けんこう に!アーユルヴェーダ入門 にゅうもん 』地球 ちきゅう 丸 まる 、2006年 ねん
^ a b c d 加瀬 かせ 澤 さわ 雅人 まさと 「「アーユルヴェーダ」をいかに現代 げんだい に活 い かすか : インド、アメリカ、日本 にっぽん における実践 じっせん からの一 いち 考察 こうさつ 」『Kyoto Working Papers on Area Studies: G-COE Series』 2009年 ねん 16巻 かん , hdl :2433/155782 , 京都大学 きょうとだいがく 東南 とうなん アジア研究所 けんきゅうじょ
^ a b c d e f g h i j k l m n o ウパディヤヤ・カリンジェ・クリシュナ, 加藤 かとう 幸雄 ゆきお (共著 きょうちょ ) 『アーユルヴェーダで治 なお すアトピー』 出帆 しゅっぱん 新 しん 社 しゃ 〈アーユルヴェーダ叢書 そうしょ 〉、2002年 ねん
^ a b c 武田 たけだ 豊四郎 とよしろう 「古代 こだい 印度 いんど の文化 ぶんか 」 磐 いわ 余山 よやま 東光寺 とうこうじ 住職 じゅうしょく 山内 さんない 宥 なだめ 厳 いむ ブログ「磐 いわ 余山 よやま 東光寺 とうこうじ 日誌 にっし 」
^ a b c d e f g h i 川崎 かわさき 定信 さだのぶ 『インドの思想 しそう 』 放送大学 ほうそうだいがく 教育 きょういく 振興 しんこう 会 かい 、1993年 ねん 3月 がつ
^ a b 梶田 かじた 昭 あきら 『医学 いがく の歴史 れきし 』 講談社 こうだんしゃ 〈講談社 こうだんしゃ 学術 がくじゅつ 文庫 ぶんこ 〉、2003年 ねん
^ Finger, Stanley (2001). Origins of Neuroscience: A History of Explorations into Brain Function. Oxford, England/New York, NY: Oxford University Press.
^ a b 山野 やまの 智恵 ちえ 著 ちょ 「ナーガールジュナと医術 いじゅつ ─『龍 りゅう 樹 いつき 眼 め 論 ろん 』の成立 せいりつ と展開 てんかい ─ 」 『蓮花寺 れんげじ 佛教 ぶっきょう 研究所 けんきゅうじょ 紀要 きよう 』第 だい 四 よん 号 ごう
^ a b c 草野 くさの 巧 たくみ 『図解 ずかい 錬金術 れんきんじゅつ 』新 しん 紀元 きげん 社 しゃ 、2008年 ねん
^ a b c バグワン・ダス、マンフレッド・ジュニアス 著 ちょ 、アーユルヴェーダ研究 けんきゅう 会 かい 監修 かんしゅう 『入門 にゅうもん アーユルヴェーダ』平河 ひらかわ 出版 しゅっぱん 社 しゃ 、1990年 ねん
^ 北陸大学 ほくりくだいがく 薬学部 やくがくぶ
^ がん細胞 さいぼう の増殖 ぞうしょく 抑 おさ えるインドの薬草 やくそう 産 さん 総研 そうけん が効果 こうか 確認 かくにん
^ a b c 浅井 あさい 隆彦 たかひこ 『世界 せかい のマッサージ』フレグランスジャーナル社 しゃ 、2009年 ねん
^ Aggithaya MG, Narahari SR (2015). “Literature searches on Ayurveda: An update” . Ayu (3): 238–53. doi :10.4103/0974-8520.182754 . PMC 4895749 . PMID 27313409 . https://doi.org/10.4103/0974-8520.182754 .
^ a b ヴェールを脱 ぬ いだインド武術 ぶじゅつ .出帆 しゅっぱん 新 しん 社 しゃ
^ インド哲学 てつがく 者 しゃ ・仏教 ぶっきょう 研究 けんきゅう 者 しゃ の中村 なかむら 元 はじめ は、偽書 ぎしょ は西洋 せいよう でも製作 せいさく され、中国 ちゅうごく にも相当 そうとう 多 おお いが、インドはそれと比較 ひかく にならないほど多 おお く、著者 ちょしゃ 名 めい の記載 きさい はたいていの場合 ばあい 虚偽 きょぎ であると言 い ってよいかもしれないと述 の べている。これは、インドでは個 こ ではなく普遍 ふへん 的 てき な真理 しんり が問題 もんだい とされるような傾向 けいこう があり、著者 ちょしゃ が誰 だれ であるかより真理 しんり を語 かた っていることが重要 じゅうよう であると考 かんが えられたためで、その真理 しんり は古代 こだい の偉人 いじん や神 かみ 々に帰 かえ せられた。「仏 ふつ が説 と いたから真理 しんり であるのではなく、真理 しんり であるから仏 ふつ が説 と いたはずである」と考 かんが えられたため、真理 しんり である教 きょう 説 せつ を仏 ふつ に帰 き することはやましいことではなく、当 あ たり前 まえ に行 おこな われていたという。出典 しゅってん :『中村 なかむら 元 もと 選集 せんしゅう 決定 けってい 版 ばん 第 だい 1巻 かん 東洋 とうよう 人 じん の思惟 しい 方法 ほうほう / インド人 じん の思惟 しい 方法 ほうほう 』春秋 しゅんじゅう 社 しゃ 、1988年 ねん 。
^ a b 宮元 みやもと 啓一 けいいち 『インドの「二元論 にげんろん 哲学 てつがく 」を読 よ む』春秋 しゅんじゅう 社 しゃ 、2008年 ねん
^ 『井上 いのうえ 円了 えんりょう 選集 せんしゅう 第 だい 7巻 かん 』「印度 いんど 哲学 てつがく 綱要 こうよう 」 井上 いのうえ 円了 えんりょう 東洋大学 とうようだいがく 国際 こくさい 哲学 てつがく 研究 けんきゅう センター
^ 「「真実 しんじつ 」―梵語 ぼんご 合成 ごうせい 語 ご satya-kriyā をめぐりて―」原 はら 実 みのる 龍谷大 りゅうこくだい 学 がく 現代 げんだい インド研究 けんきゅう センター
^ a b c d 岩瀬 いわせ 幸代 さちよ 『緑 みどり の島 しま スリランカのアーユルヴェーダ』晶文社 しょうぶんしゃ 、2005年 ねん
^ a b c 梶浦 かじうら 志保子 しおこ 「西洋 せいよう 近代 きんだい 医療 いりょう と代替 だいたい 医療 いりょう : アーユルヴェーダを推進 すいしん するスリランカからの学 まな び 」『京都 きょうと 光華女子大学 こうかじょしだいがく 研究 けんきゅう 紀要 きよう 』46巻 かん 2008年 ねん pp.315-331, 京都 きょうと 光華女子大学 こうかじょしだいがく
^ a b c d e f g h i j k 田澤 たざわ 賢次 けんじ 「日本 にっぽん アーユルヴェーダ学会 がっかい の歩 あゆ みと具現 ぐげん 化 か への道 みち 」『日本 にっぽん 統合 とうごう 医療 いりょう 学会 がっかい 誌 し 』第 だい 3巻 かん 第 だい 1号 ごう 2010年 ねん p.79-89, NAID 40017135881
^ a b c d e 「日本 にっぽん におけるアーユルヴェーダの現状 げんじょう と将来 しょうらい 」上 じょう 馬場 ばば 和夫 かずお . 富山 とやま 県 けん 国際 こくさい 伝統 でんとう 医学 いがく センター次長 じちょう
^ クシャーラ・スートラとは|肛門 こうもん 科 か . 洛 らく 和会 かずえ 音羽 おとわ 病院 びょういん [リンク切 き れ ]
^ 医 い 行為 こうい とされた凡例 はんれい 医 い 行為 こうい とは . 新長田 しんながた 眼科 がんか 病院 びょういん 眼科 がんか 医 い 専門 せんもん ページ
^ a b c d 「日本 にっぽん アーユルヴェーダ学会 がっかい 資格 しかく 認定 にんてい 制度 せいど 」上 じょう 馬場 ばば 和夫 かずお . 日本 にっぽん アーユルヴェーダ学会 がっかい [リンク切 き れ ]
^ 事業 じぎょう 評価 ひょうか 表 ひょう 国際 こくさい 伝統 でんとう 医学 いがく センター運営 うんえい 管理 かんり 費 ひ . 富山 とやま 県 けん
^ “長寿 ちょうじゅ 科学 かがく 研究 けんきゅう 室 しつ ”. 2023年 ねん 11月1日 にち 閲覧 えつらん 。
大地 だいち 原 はら 誠 まこと 玄 げん (訳 わけ )「国 くに 訳 やく 古代 こだい 印度 いんど 医 い 典 てん チャラカ本 ほん 集 しゅう 」『立命館大学 りつめいかんだいがく 』1巻 かん 10〜4巻 かん 3号 ごう までの7編 へん , 第 だい 1巻 かん 第 だい 16章 しょう までをサンスクリット語 ご から和訳 わやく
大地 だいち 原 はら 誠 まこと 玄 げん (訳 わけ )「スシュルタ医学 いがく 」『大乗 だいじょう 』」13巻 かん 4号 ごう 〜14巻 かん 4号 ごう , サンスクリット語 ご から和訳 わやく
大地 だいち 原 はら 誠 まこと 玄 げん (訳 わけ )『スシュルタ本 ほん 集 しゅう 』1971年 ねん ・アーユルヴェーダ研究 けんきゅう 会 かい , 昭和 しょうわ 54年 ねん ・臨川 りんせん 書店 しょてん , サンスクリット語 ご から和訳 わやく
矢野 やの 道雄 みちお (訳 わけ )『インド医学 いがく 概論 がいろん 』1988年 ねん ・朝日出版社 あさひしゅっぱんしゃ , 『チャラカ・サンヒター』第 だい 1巻 かん 「医学 いがく 概論 がいろん 」をサンスクリット語 ご から和訳 わやく 。付 づけ 論 ろん 「『チャラカ・サンヒター』「身体 しんたい 論 ろん 」第 だい 1章 しょう とヴァイシェーシカ哲学 てつがく 』アントネッラ・コンバ
クンジャ・ラル・ビシャグラットナ(英訳 えいやく )、伊東 いとう 弥 わたる 恵 めぐみ 治 ち (原 はら 訳 やく )、鈴木 すずき 正夫 まさお (補 ほ 訳 やく ) 『ススルタ大 だい 医 い 典 てん 』全 ぜん 3巻 かん ;ススルタ大 だい 医 い 典 てん 出版 しゅっぱん 委員 いいん 会 かい ・1971年 ねん , 人間 にんげん と歴史 れきし 社 しゃ ・2005年 ねん 10月 がつ , 英訳 えいやく 本 ほん 『THE SUSHRUTA SAMHITA』(1907)からの重訳 じゅうやく , ISBN 489007158X
山下 やました 勤 つとむ 「インド伝統 でんとう 医学 いがく 書 しょ 『チャラカ・サンヒター』における病理 びょうり 論 ろん ―『チャラカ・サンヒター』第 だい 二 に 篇 へん 第 だい 一 いち 章 しょう 第 だい 一 いち 〜十 じゅう 五 ご 節 せつ 訳解 やっかい ―」「日本 にっぽん 医 い 史学 しがく 雑誌 ざっし 」第 だい 52巻 かん 第 だい 3号 ごう ・2006年 ねん
日本 にっぽん アーユルヴェーダ学会 がっかい (訳 わけ )『チャラカ本 ほん 集 しゅう 総論 そうろん 篇 へん ―インド伝承 でんしょう 医学 いがく 』2011年 ねん ・せせらぎ出版 しゅっぱん , P.V.Sharma英訳 えいやく 本 ほん を底本 ていほん とした重訳 じゅうやく 。サンスクリット語 ご ロ ろ ーマ字 まじ 表記 ひょうき ・英語 えいご ・日本語 にほんご の3ヵ国 かこく 語 ご 併記 へいき 。ISBN 9784884162047
なお、『アシュターンガフリダヤ・サンヒター』のスートラスターナ(第 だい 1巻 かん )は、かつて出版 しゅっぱん が企画 きかく され矢野 やの 道雄 みちお によって翻訳 ほんやく されているが、現在 げんざい まで出版 しゅっぱん されていない。
アーユルヴェーダ関連 かんれん
クリュシナ・U・K著 ちょ 『アーユルヴェーダ入門 にゅうもん 』東方 とうほう 出版 しゅっぱん ・1993年 ねん
蓮村 はすむら 誠 まこと 『ファンタスティック・アーユルヴェーダ』住宅 じゅうたく 新報 しんぽう 社 しゃ ・1995年 ねん 10月 がつ 、知 ち 玄 げん 舎 しゃ ・2010年 ねん 9月 がつ 、ISBN 4434140450
上 うえ 馬塲 ばば 和夫 かずお 、西川 にしかわ 眞知子 まちこ 『インドの生命 せいめい 科学 かがく アーユルヴェーダ』農 のう 山 やま 漁村 ぎょそん 文化 ぶんか 協会 きょうかい 、1996年 ねん 4月 がつ ISBN 4540950878
青山 あおやま 圭 けい 秀 しゅう 『大 おお いなる生命 せいめい 学 がく ―アーユルヴェーダの精髄 せいずい 』三 さん 五 ご 館 かん 、1997年 ねん 12月 ISBN 4883201341
デイビッド・フローリー、ヴァサント・ラッド、上 うえ 馬塲 ばば 和夫 かずお 『アーユルヴェーダのハーブ医学 いがく 東西 とうざい 融合 ゆうごう の薬草 やくそう 治療 ちりょう 学 がく 』出帆 しゅっぱん 新 しん 社 しゃ 、2000年 ねん 5月 がつ ISBN 491549747X
幡 はた 井 い 勉 つとむ 『新版 しんぱん アーユルヴェーダの世界 せかい ―統合 とうごう 医療 いりょう へ向 む けて』出帆 しゅっぱん 新 しん 社 しゃ 、2003年 ねん 10月 がつ ISBN 486103003X
デイヴィッド・フローリー、スバーシュ・ラナーデ、アヴィナーシュ・レーレ著 ちょ 、上 うえ 馬塲 ばば 和夫 かずお 著 ちょ ・監修 かんしゅう 『改訂 かいてい アーユルヴェーダとマルマ療法 りょうほう 』西川 にしかわ 眞知子 まちこ 監修 かんしゅう 、大田 おおた 直子 なおこ 訳 やく 、産 さん 調 ちょう 出版 しゅっぱん 、2009年 ねん 3月 がつ ISBN 4882826976
その他 た
川崎 かわさき 定信 さだのぶ 『インドの思想 しそう 』放送大学 ほうそうだいがく 教育 きょういく 振興 しんこう 会 かい 、1993年 ねん 3月 がつ
海野 うみの 弘 ひろし 『世紀 せいき 末 まつ シンドローム ニューエイジの光 ひかり と闇 やみ 』新 しん 曜社、1998年 ねん 4月 がつ
ウィキメディア・コモンズには、
アーユルヴェーダ に
関連 かんれん するカテゴリがあります。
基本 きほん 教義 きょうぎ 宗派 しゅうは 人物 じんぶつ 哲学 てつがく 聖典 せいてん
神 かみ 々・英雄 えいゆう
リシ
修行 しゅぎょう 法 ほう 地域 ちいき 社会 しゃかい ・生活 せいかつ 文化 ぶんか ・芸術 げいじゅつ