エローラ石窟 せっくつ 寺院 じいん のトリムールティ像 ぞう 。マハーラーシュトラ州 しゅう 。
三神 みかみ 一体 いったい (さんしんいったい)またはトリムールティ (サンスクリット : त्रिमूर्तिः trimūrti 、"3つの形 かたち "の意 い )は、ブラフマー とヴィシュヌ とシヴァ は同一 どういつ であり、これらの神 かみ は力 ちから 関係 かんけい の上 うえ では同等 どうとう であり、単一 たんいつ の神聖 しんせい な存在 そんざい から顕現 けんげん する機能 きのう を異 こと にする3つの様相 ようそう に過 す ぎないというヒンドゥー教 きょう の理論 りろん である[ 1] 。すなわち、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱 はしら は、宇宙 うちゅう の創造 そうぞう 、維持 いじ 、破壊 はかい という3つの機能 きのう が3人組 にんぐみ という形 かたち で神格 しんかく 化 か されたものであるとする。一般 いっぱん 的 てき にはブラフマー 、ヴィシュヌ 、シヴァ がそれぞれ創造 そうぞう 、維持 いじ 、破壊 はかい /再生 さいせい を担 にな うとされるが[ 3] [ 4] 、宗派 しゅうは によってバリエーションが存在 そんざい する。
トリムールティはコンセプトであるが、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神 かみ を融合 ゆうごう した形 かたち で象徴 しょうちょう 的 てき に偶像 ぐうぞう 化 か されることがある。1つの首 くび から3つの頭 あたま が伸 の びるデザインや、1つの頭 あたま に3つの顔 かお を持 も つというバリエーションが存在 そんざい し、エレファンタ石窟 せっくつ 群 ぐん のトリムールティ像 ぞう が有名 ゆうめい である。また、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神 かみ の集合 しゅうごう 名 めい として「トリムールティ」が用 もち いられることもある。これら3柱 はしら の神格 しんかく が1つのアヴァターラ として顕現 けんげん したものがダッタートレーヤ (英語 えいご 版 ばん ) である[ 5] 。
「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱 はしら が単一 たんいつ の神聖 しんせい な存在 そんざい から顕現 けんげん する、それぞれ創造 そうぞう 、維持 いじ 、破壊 はかい という別 べつ の機能 きのう を有 ゆう する3つの様相 ようそう である」とするトリムールティの理論 りろん は、ヴェーダの時代 じだい 以降 いこう 、すなわち紀元前 きげんぜん 500年 ねん 以降 いこう に定着 ていちゃく したと考 かんが えられている。しかしブラフマン(至高 しこう の存在 そんざい 、宇宙 うちゅう の根本 こんぽん 原理 げんり )が3つの様相 ようそう を持 も つというアイデア、神 かみ 々を3つのグループに大別 たいべつ するというアイデア、神 かみ が全 すべ て同一 どういつ であるとするアイデアなど、トリムールティ理論 りろん の要素 ようそ はヒンドゥー哲学 てつがく の中 なか に古 ふる くから存在 そんざい する。
ヤン・ホンダ [ 7] はリグ・ヴェーダ 時代 じだい (およそ紀元前 きげんぜん 1700-1100年 ねん )、すなわちヒンドゥー教 きょう (バラモン教 ばらもんきょう )の最 もっと も古 ふる い時代 じだい の最高 さいこう 神 しん 、火 ひ の神 かみ アグニ の持 も つ3つの性格 せいかく からトリムールティが発展 はってん したのではないかとしている。アグニはリグ・ヴェーダでは3つの体 からだ と地位 ちい を持 も つとされ、地上 ちじょう では火 ひ として、大気 たいき では雷 かみなり として、空 そら では太陽 たいよう としてヴェーダの世界 せかい に存在 そんざい した。
神 かみ 々に火 ひ 、大気 たいき 、太陽 たいよう を、そこから発展 はってん して地上 ちじょう 、大気 たいき (または水 みず )、天界 てんかい を代表 だいひょう させるという考 かんが え方 かた はヴェーダ時代 じだい (およそ紀元前 きげんぜん 1500-500年 ねん )の早 はや い段階 だんかい から存在 そんざい し、例 たと えばそれはヴェーダ初期 しょき にはアグニ、ヴァーユ (風 ふう )、アーディティヤ(Aditya太陽 たいよう )であったり、アグニ、インドラ (雷 かみなり )、スーリヤ (太陽 たいよう )であったりと様々 さまざま な文献 ぶんけん で別々 べつべつ の神 かみ 々の組 く み合 あ わせが見 み られる[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。後 のち にトリムールティの3神 かみ となるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれ、アグニ、スーリヤ、インドラから発展 はってん したとも考 かんが えられており、この見方 みかた をするとトリムールティの3神 かみ も地 ち 、天 てん 、大気 たいき を象徴 しょうちょう する神 かみ 々という分類 ぶんるい ができる[ 注釈 ちゅうしゃく 2] 。
マイトリー・ウパニシャッド (紀元前 きげんぜん 10世紀 せいき の後半 こうはん )にはトリムールティの3神 かみ が1組 くみ として触 ふ れられており、トリムールティの起原 きげん としてしばしば言及 げんきゅう される。例 たと えば4章 しょう の5節 せつ では、何 なに について瞑想 めいそう するのが一番 いちばん 良 よ いかという議論 ぎろん が展開 てんかい される。瞑想 めいそう する対象 たいしょう として上 あ がるのが、アグニ(火 ひ )、ヴァーユ(大気 たいき )、アーディティヤ(日 ひ )、カーラ(時間 じかん )、プラーナ(呼吸 こきゅう 、あるいは活力 かつりょく )、アンナ(食 た べ物 もの )、そしてブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラの9つである。ヤン・ホンダによれば、アグニ、ヴァーユ、アーディティヤはヴェーダ時代 じだい 初期 しょき の主要 しゅよう な3柱 はしら であり、それぞれ地上 ちじょう 、大気 たいき 、天界 てんかい を代表 だいひょう する。次 つぎ の時間 じかん 、活力 かつりょく 、食 た べ物 もの はブラフマンの、中 なか でも早 はや い段階 だんかい の顕現 けんげん ではないかという議論 ぎろん をウパニシャッド期 き の初期 しょき に見 み ることができる。この並 なら びを考慮 こうりょ すると、マイトリー・ウパニシャッドの著者 ちょしゃ はブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラ(すなわちシヴァ)に相互 そうご 補完 ほかん 関係 かんけい を見 み ていたようにも読 よ み取 と れ、この視点 してん はトリムールティ理論 りろん にも含 ふく まれている。
また、クツァーヤナ賛歌 さんか (Kutsayana)と呼 よ ばれる5章 しょう 1節 せつ でもこれら3神 かみ が触 ふ れられ、その後 ご の5章 しょう 2節 せつ で説明 せつめい が展開 てんかい されている。汎神論 はんしんろん をテーマとするクツァーヤナ賛歌 さんか は人 ひと の魂 たましい をブラフマン であると主張 しゅちょう し、その絶対 ぜったい 的 てき 現実 げんじつ 、普遍 ふへん の神 かみ は生 い きとし生 い けるすべての存在 そんざい の中 なか に宿 やど るとしている。アートマン (魂 たましい 、我 が )はブラフマーをはじめとするブラフマンの様々 さまざま な顕現 けんげん であることと同等 どうとう であると展開 てんかい する。いわく、「汝 なんじ はブラフマーである。汝 なんじ はヴィシュヌである。汝 なんじ はルドラ (シヴァ)である、汝 なんじ はアグニ 、ヴァルナ 、ヴァーユ 、インドラ であり、汝 なんじ は全 すべ てである」。
マイトリー・ウパニシャッドの5章 しょう 2節 せつ ではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれが3つのグナと関連 かんれん づけられている。グナとはすべての生物 せいぶつ に見 み いだすことのできる性質 せいしつ 、精神 せいしん 、生来 せいらい の傾向 けいこう であるとされ、世界 せかい は翳 かげ 質 しつ (タマス)から生 しょう じたと語 かた られている。その後 ご 世界 せかい はそれ自体 じたい の作用 さよう により活動 かつどう し激 げき 質 しつ (ラジャス)となり、そして精錬 せいれん 、純化 じゅんか され純 じゅん 質 しつ (サットヴァ)となった。これら3つのグナのうち、ブラフマーはラジャス(激 げき 質 しつ )、ヴィシュヌはサットヴァ(純 じゅん 質 しつ )、ルドラ(シヴァの前身 ぜんしん )はタマス(翳 かげ 質 しつ )をそれぞれ受 う け持 も っている。ただしマイトリー・ウパニシャッドは3柱 はしら をトリグナ理論 りろん のそれぞれの要素 ようそ に当 あ てはめてはいるものの、トリムールティの3柱 はしら が持 も つとされている3つの役割 やくわり については言及 げんきゅう していない。
ヒンドゥー教 きょう はその後 ご ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド (紀元前 きげんぜん およそ700年 ねん )の頃 ころ から、重視 じゅうし される神 かみ を徐々 じょじょ に減 へ らしていく。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは哲人 てつじん ヤージュニャヴァルキヤ が「存在 そんざい するのは単一 たんいつ のブラフマンのみである」という梵我一如 いちにょ の理論 りろん を展開 てんかい している[ 21] 。このヒンドゥー教 きょう における一元論 いちげんろん (不 ふ 二 に 一元論 いちげんろん )的 てき な思想 しそう の発現 はつげん がトリムールティの形成 けいせい に少 すく なからず影響 えいきょう を及 およ ぼしたと考 かんが えられている。
トリムールティ理論 りろん はオリジナルのマハーバーラタ(紀元前 きげんぜん 4世紀 せいき [ 注釈 ちゅうしゃく 3] )には登場 とうじょう しないと一般 いっぱん 的 てき には考 かんが えられている。つまりマハーバーラタの著者 ちょしゃ はトリムールティ理論 りろん を意識 いしき していなかったように思 おも われる。しかし後 のち に編集 へんしゅう されたマハーバーラタの付録 ふろく にはトリムールティ理論 りろん を感 かん じされる文言 もんごん が含 ふく まれている。
至高 しこう の魂 たましい は3つの様相 ようそう を持 も つ。ブラフマーの姿 すがた は世界 せかい を創造 そうぞう する者 もの であり、ヴィシュヌの姿 すがた は世界 せかい を維持 いじ する者 もの であり、ルドラの姿 すがた は世界 せかい を破壊 はかい する者 もの である。 3つの様相 ようそう を持 も つブラジャーパティはトリムールティである。
—
マハーバーラタ 3.272.47 および 3.270.47[ 26]
加 くわ えて、間違 まちが いなくトリムールティの理論 りろん を意識 いしき して書 か かれたと考 かんが えられている記述 きじゅつ は、マハーバーラタの補遺 ほい とされるハリヴァンシャ (英語 えいご 版 ばん ) (紀元前 きげんぜん 1-2世紀 せいき )に見 み つけられる[ 1] 。[ 注釈 ちゅうしゃく 4]
ヴィシュヌとされる者 もの はルドラである。ルドラとされる者 もの はピタマハー(ブラフマー)である。本質 ほんしつ は1つ、神 かみ は3つ、ルドラ、ヴィシュヌ、ピタマハーである。
ヴァーユプラーナ(シヴァ派 は 、300-500年 ねん 。プラーナとしては最古 さいこ の物 もの )は5章 しょう 17節 せつ でトリムールティに触 ふ れている。ヤン・ホンダは、ブラフマンの3つの顕現 けんげん という考 かんが えがしっかりとした教義 きょうぎ になったのはこれが初 はじ めてではないかとしている。
ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァをひとつの存在 そんざい として同一 どういつ 視 し するというアイデアはクールマ・プラーナ (8世紀 せいき 頃 ごろ )にて大 おお いに強調 きょうちょう されている。1章 しょう の6節 せつ ではブラフマンはトリムールティであるとして崇 あが められる。特 とく に1章 しょう の9節 せつ では3柱 はしら の神 かみ の統合 とうごう を、1章 しょう 26節 せつ でも同 おな じ主題 しゅだい を繰 く り返 かえ し語 かた っている[ 28] 。
創造 そうぞう 、維持 いじ 、破壊 はかい /再生 さいせい という3つの役割 やくわり [ 編集 へんしゅう ]
トリムールティの役割 やくわり 分担 ぶんたん がどのようにして決 き まったのかについては議論 ぎろん が残 のこ る。原始 げんし 的 てき なトリムールティでは3柱 はしら が完全 かんぜん に同格 どうかく であり、それぞれの役割 やくわり は交換 こうかん 可能 かのう だったとする考 かんが え方 かた もある。
ホンダの見方 みかた では、ヴィシュヌとシヴァのキャラクターは古代 こだい のインド人 じん が自然 しぜん に感 かん じた神性 しんせい を象徴 しょうちょう しているとする。ヴィシュヌには全 すべ ての生物 せいぶつ がそこに依存 いぞん せざるをえない宇宙 うちゅう を遍 あまね く満 み たす、力強 ちからづよ く、慈悲 じひ 深 ふか いエネルギーが表現 ひょうげん されており、一方 いっぽう のルドラ・シヴァには粗野 そや で御 ぎょ しがたく、気 き まぐれで、危険 きけん な自然 しぜん が表現 ひょうげん されている。そこからそれぞれのキャラクター、英雄 えいゆう 譚 たん は発展 はってん し西暦 せいれき 前 まえ までに出来上 できあ がっているとする。
ベイリーはブラフマー神 しん はブラフマンを神格 しんかく 化 か したものだとしている。また彼 かれ によれば、マハーバーラタではブラフマーが創造 そうぞう の役割 やくわり を担 にな い、ヴィシュヌが維持 いじ の役割 やくわり を担 にな うとする言及 げんきゅう が随所 ずいしょ にみられるが、シヴァの破壊 はかい という役割 やくわり に関 かん してははっきりと描写 びょうしゃ されていない。破壊 はかい 的 てき な属性 ぞくせい を感 かん じさせるエピソードはあるものの、ほのめかしにとどまっている。そのためベイリーは、シヴァの役割 やくわり はマハーバーラタの後 のち に徐々 じょじょ に固 かた まっていったのではないかとしている。
アンゲロ・デ・グベルナティス (英語 えいご 版 ばん ) はプラーナ文献 ぶんけん に見 み られる3柱 はしら のキャラクターについて、ブラフマーは自分 じぶん の神秘 しんぴ 的 てき な力 ちから を、ヴィシュヌは自分 じぶん の英雄 えいゆう 的 てき 資質 ししつ を、シヴァは精力 せいりょく と富 とみ を享受 きょうじゅ している、と表現 ひょうげん している。加 くわ えて順 じゅん に賢者 けんじゃ 、強者 きょうしゃ 、金持 かねも ちといった社会 しゃかい 的 てき 立場 たちば に対応 たいおう するとも記 しる している。ベイリーによればデ・グベルナティスの示 しめ す神秘 しんぴ 的 てき な力 ちから 、英雄 えいゆう 的 てき 資質 ししつ 、繁殖 はんしょく 力 りょく というそれぞれのキャラクターはそれぞれのカルパ (宇宙 うちゅう の寿命 じゅみょう )においてトリムールティが担 にな う創造 そうぞう 、維持 いじ 、破壊 はかい という3柱 はしら の役割 やくわり と矛盾 むじゅん しない。しかしそれでもなお、シヴァの役割 やくわり には曖昧 あいまい さが残 のこ るとも語 かた っている。シヴァの役割 やくわり は破壊 はかい であり再生 さいせい であるとされ、プラーナの神話 しんわ に描 えが かれるシヴァは繁殖 はんしょく 力 りょく を象徴 しょうちょう することが多 おお い。シンボルとされるリンガ もやはり繁殖 はんしょく 力 りょく を象徴 しょうちょう している。一方 いっぽう でシヴァは色欲 しきよく とは無縁 むえん のヨーガ修行 しゅぎょう 者 しゃ としての顔 かお も持 も つ。このことに関 かん してベイリーはシヴァの受 う け持 も つ第 だい 3フェイズの役割 やくわり は一言 ひとこと で説明 せつめい しきれないからではないかとしている。
トリムールティとトリデーヴィー 。
ハレビドゥ (英語 えいご 版 ばん ) のホイサレスワラ寺院 じいん に見 み られるトリムールティ。左 ひだり から、ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌ。
トリムールティ。アーンドラ・プラデーシュ州 しゅう 。
「ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一 どういつ であり、これらの神 かみ は力 ちから 関係 かんけい の上 うえ では同等 どうとう であり、単一 たんいつ の神聖 しんせい な存在 そんざい から顕現 けんげん する機能 きのう を異 こと にする3つの様相 ようそう に過 す ぎない」というトリムールティの理論 りろん がヒンドゥー教 きょう の文献 ぶんけん の中 なか に現 あらわ れることは稀 まれ であり[ 37] 、このコンセプトが宗教 しゅうきょう 美術 びじゅつ のテーマとされることも珍 めずら しく、生 い きた信仰 しんこう としてはヒンドゥー教 きょう に受 う け入 い れられてこなかった[ 39] [ 40] 。
トリムールティ理論 りろん が登場 とうじょう した背景 はいけい には、ヴェーダ後 ご の時代 じだい に顕在 けんざい 化 か してきた宗派 しゅうは 間 あいだ の争 あらそ いを調停 ちょうてい しようという意図 いと があったのではないかという見方 みかた が存在 そんざい する[ 41] 。
ダヴァモニーによれば、マハーバーラタの中 なか でも古 ふる い時代 じだい に書 か かれた部分 ぶぶん ではブラフマーが最高 さいこう 神 しん とされているが、時代 じだい が下 くだ るにつれてヴィシュヌとシヴァが目立 めだ つようになってくる。そして12巻 かん のシャンティ・パルヴァン (英語 えいご 版 ばん ) には、この3柱 はしら の本質 ほんしつ がひとつであると宣言 せんげん することによって、それを調停 ちょうてい しようする意図 いと が読 よ み取 と れる記述 きじゅつ があるとする[ 注釈 ちゅうしゃく 6] 。マハーバーラタが記 しる されたのは、古 ふる い部分 ぶぶん ではBC8-9世紀 せいき 、完成 かんせい したのは4世紀 せいき 頃 ごろ と考 かんが えられている。
歴史 れきし 学者 がくしゃ ラメシュ・チャンドラ・マジュンダル (英語 えいご 版 ばん ) はヴィシュヌ派 は とシヴァ派 は にとどまらず、このプラーナ文献 ぶんけん の時代 じだい (300-1200年 ねん )に表 あらわ れる様々 さまざま な宗派 しゅうは の間 あいだ に見 み ることのできる協調 きょうちょう と調和 ちょうわ の精神 せいしん に注目 ちゅうもく している[ 41] 。
マジュンダルによれば、この時代 じだい は宗教 しゅうきょう 的 てき な均質 きんしつ 性 せい を欠 か き、ヴェーダ時代 じだい の信仰 しんこう の名残 なごり としての正統 せいとう 派 は バラモン教 ばらもんきょう を含 ふく めて様々 さまざま な宗派 しゅうは が混在 こんざい した。中 なか でもシヴァ派 は 、ヴィシュヌ派 は 、シャクティ派 は が代表 だいひょう 的 てき で、これらは正統 せいとう 派 は に分類 ぶんるい されるものの、それぞれ独自 どくじ の信仰 しんこう を形 かたち づくっていた[ 42] 。この信仰 しんこう 間 あいだ の協調 きょうちょう に関 かん してマジュンダルは以下 いか のように述 の べている。
その(
協調 きょうちょう の)
最 もっと も
重要 じゅうよう な
成果 せいか はトリムールティという
神学 しんがく 的 てき コンセプトに
見 み られる。すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという3
柱 はしら の
形 かたち での
最高 さいこう 神 しん の
顕現 けんげん である。(
中略 ちゅうりゃく )しかしのこ
試 こころ みは
大 だい 成功 せいこう を
収 おさ めたとはみなされていない。ブラフマーはシヴァやヴィシュヌと
比較 ひかく して
支配 しはい 的 てき な
立場 たちば を
確立 かくりつ することに
失敗 しっぱい している。さらには
各 かく 宗派 しゅうは はしばしばトリムールティを、
自分 じぶん たちの
宗派 しゅうは が
信仰 しんこう する
絶対 ぜったい 的 てき な
神 かみ 、あるいは
ブラフマン であるとする
神 かみ が、3
柱 はしら の
神 かみ の
姿 すがた に
顕現 けんげん したものであるという
立場 たちば をとろうとする。
[ 39]
ニコラス・サットンは以下 いか のように語 かた る。
ヒンドゥー
教 きょう の
伝統 でんとう のなかで、ブラフマーがヴィシュヌやシヴァのような
信仰 しんこう を
集 あつ めたことがあったのか、ブラフマーが
最高 さいこう 神 しん であると
見 み なされたことが
一 いち 度 ど でもあったのだろうかという
疑問 ぎもん を
抱 いだ くのは
当然 とうぜん である。
[ 43]
歴史 れきし 家 か のアーサー・ルエリン・バシャム (英語 えいご 版 ばん ) はトリムールティというコンセプトの背景 はいけい を以下 いか のように語 かた っている。
西洋 せいよう の
初期 しょき の
研究 けんきゅう 者 しゃ たちはヒンドゥー
教 きょう と
キリスト教 きりすときょう の
双方 そうほう に
存在 そんざい する
トリニティ (すなわち
三神 みかみ 一体 いったい と
三位一体 さんみいったい )という
共通 きょうつう 点 てん に
心 しん ひかれた。しかしこの
共通 きょうつう 点 てん は
実際 じっさい にはそれほど
近 ちか いものではない。ヒンドゥー
教 きょう のトリニティは、キリスト
教 きょう のトリニティとは
違 ちが い、
広 ひろ く
受 う け
入 い れられることが
無 な かった。ヒンドゥー
教 きょう のすべてのトリニティ
主義 しゅぎ はいずれか
一 ひと つの
神 かみ に
肩入 かたい れしたがる
傾向 けいこう がある。この
文脈 ぶんみゃく からすると
カーリダーサ によるトリムールティに
捧 ささ げられた
賛歌 さんか は、その
実 じつ 最高 さいこう 神 しん ブラフマーに
向 む けられたものである。トリムールティというコンセプトは
実際 じっさい のところ
意図 いと 的 てき に
仕掛 しか けられたものであり、ほとんど
影響 えいきょう をもたらさなかった。
[ 40]
一方 いっぽう でヤン・ホンダは、「トリムールティはシヴァ派 は とヴィシュヌ派 は の対立 たいりつ 関係 かんけい を調停 ちょうてい するために意図 いと 的 てき に作 つく られたものである」という印象 いんしょう を抱 いだ くべきではないと強調 きょうちょう する。彼 かれ はトリムールティとは、この時代 じだい のヒンドゥー教 きょう において、一元論 いちげんろん 的 てき な、あるいはほぼ一元論 いちげんろん 的 てき な傾向 けいこう が強 つよ くなる中 なか で、もともとあった3人組 にんぐみ 的 てき なコンセプト、加 くわ えてブラフマンは1つであり、始 はじ まりも終 お わりもないという由緒 ゆいしょ ある思想 しそう をリフォームしようとした結果 けっか であり、徐々 じょじょ に広 ひろ まるヴィシュヌ信仰 しんこう と、それとは相 あい いれないシヴァ信仰 しんこう という両者 りょうしゃ の関係 かんけい の中 なか に、ブラフマンの象徴 しょうちょう であるブラフマーを加 くわ えた3柱 はしら の補完 ほかん 関係 かんけい を見出 みいだ し、これらを統合 とうごう しようとした結果 けっか であるとする。ホンダによればトリムールティは、たしかに宗派 しゅうは ごとに信仰 しんこう する神 かみ を上位 じょうい に立 た たせようとする傾向 けいこう はあるものの、少 すく なくとも「単一 たんいつ の至高 しこう の存在 そんざい の3つの顕現 けんげん 」というアイデアからは逸脱 いつだつ していない。この理論 りろん は、3つの神 かみ の地位 ちい を還元 かんげん してひとつの神 かみ の様相 ようそう とすることによって宗教 しゅうきょう 的 てき 包括 ほうかつ 主義 しゅぎ を促進 そくしん した。すなわち他人 たにん の宗教 しゅうきょう や人生 じんせい 観 かん 、世界 せかい 、信条 しんじょう 、教義 きょうぎ をネクスト・ベストと考 かんが えて、拒絶 きょぜつ するのではなく適応 てきおう させるというヒンドゥー教 きょう の特色 とくしょく の形成 けいせい に貢献 こうけん している。
また、フリーダ・マチェット(Freda Matchett)はトリムールティを、様々 さまざま な神格 しんかく を異 こと なる基準 きじゅん で取 と り込 こ むことができるという、ヒンドゥー教 きょう がいくつか備 そな えている枠組 わくぐ みの内 うち のひとつであると表現 ひょうげん している[ 46] 。
8世紀 せいき までにはトリムールティを奉 たてまつ る寺院 じいん が複数 ふくすう 現 あらわ れている。3柱 はしら の並 なら びも寺院 じいん によってさまざまである。現代 げんだい でもいくつかの寺院 じいん ではトリムールティが信仰 しんこう されている。
^ リグ・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダでは33の神 かみ がおり、天 てん と地 ち とその他 た に属 ぞく する11柱 はしら ずつ3つのグループに分 わ けられるという記述 きじゅつ がある。
^ ヴィシュヌはスーリヤ、ヴァルナ、ミトラ と、シヴァはインドラ、ヴァーユ、マルト神 かみ 群 ぐん 、ルドラ とそれぞれ関連付 かんれんづ けられる。アグニは生命 せいめい の創造 そうぞう 者 しゃ という性格 せいかく を持 も っており、創造 そうぞう 神 しん ブラフマーを連想 れんそう できる。
^ 古 ふる い部分 ぶぶん はBC8-9世紀 せいき 、完成 かんせい したのは4世紀 せいき 頃 ごろ と考 かんが えられている。
^ マハーバーラタに「トリムールティ」という言葉 ことば が見 み つかるからと言 い ってトリムールティ理論 りろん と直結 ちょっけつ するわけではない。
^ 10660 ffもよく引 ひ き合 あ いにだされる。"I perceive thereby no difference between Siva who exists in the form of Vishnu, and Vishnu who exists in the form of Siva, I shall declare to thee that form composed of Hari and Hara combined, which is without beginning, or middle, or end, imperishable undecaying. He who is Vishnu is Rudra; he who is Rudra is Pitamaha: the substance is one, the gods are three, Rudra, Vishnu, and Pitamaha."
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