三神みかみ一体いったい

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エローラ石窟せっくつ寺院じいんのトリムールティぞうマハーラーシュトラしゅう

三神みかみ一体いったい(さんしんいったい)またはトリムールティサンスクリット: त्रिमूर्तिः trimūrti、"3つのかたち"の)は、ブラフマーヴィシュヌシヴァ同一どういつであり、これらのかみちから関係かんけいうえでは同等どうとうであり、単一たんいつ神聖しんせい存在そんざいから顕現けんげんする機能きのうことにする3つの様相ようそうぎないというヒンドゥーきょう理論りろんである[1][2]。すなわち、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3はしらは、宇宙うちゅう創造そうぞう維持いじ破壊はかいという3つの機能きのうが3人組にんぐみというかたち神格しんかくされたものであるとする。一般いっぱんてきにはブラフマーヴィシュヌシヴァがそれぞれ創造そうぞう維持いじ破壊はかい/再生さいせいになうとされるが[3][4]宗派しゅうはによってバリエーションが存在そんざいする。

トリムールティはコンセプトであるが、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3かみ融合ゆうごうしたかたち象徴しょうちょうてき偶像ぐうぞうされることがある[2]。1つのくびから3つのあたまびるデザインや、1つのあたまに3つのかおつというバリエーションが存在そんざい[2]エレファンタ石窟せっくつぐんのトリムールティぞう有名ゆうめいである。また、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3かみ集合しゅうごうめいとして「トリムールティ」がもちいられることもある。これら3はしら神格しんかくが1つのアヴァターラとして顕現けんげんしたものがダッタートレーヤ英語えいごばんである[5]

歴史れきし背景はいけい[編集へんしゅう]

「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3はしら単一たんいつ神聖しんせい存在そんざいから顕現けんげんする、それぞれ創造そうぞう維持いじ破壊はかいというべつ機能きのうゆうする3つの様相ようそうである」とするトリムールティの理論りろんは、ヴェーダの時代じだい以降いこう、すなわち紀元前きげんぜん500ねん以降いこう定着ていちゃくしたとかんがえられている[6]。しかしブラフマン(至高しこう存在そんざい宇宙うちゅう根本こんぽん原理げんり)が3つの様相ようそうつというアイデア、かみ々を3つのグループに大別たいべつするというアイデア、かみすべ同一どういつであるとするアイデアなど、トリムールティ理論りろん要素ようそはヒンドゥー哲学てつがくなかふるくから存在そんざいする[6]

ヤン・ホンダ[7]リグ・ヴェーダ時代じだい(およそ紀元前きげんぜん1700-1100ねん)、すなわちヒンドゥーきょうバラモン教ばらもんきょう)のもっとふる時代じだい最高さいこうしんかみアグニつ3つの性格せいかくからトリムールティが発展はってんしたのではないかとしている[8]。アグニはリグ・ヴェーダでは3つのからだ地位ちいつとされ[8]地上ちじょうではとして、大気たいきではかみなりとして、そらでは太陽たいようとしてヴェーダの世界せかい存在そんざいした[9]

かみ々に大気たいき太陽たいようを、そこから発展はってんして地上ちじょう大気たいき(またはみず)、天界てんかい代表だいひょうさせるというかんがかたはヴェーダ時代じだい(およそ紀元前きげんぜん1500-500ねん)のはや段階だんかいから存在そんざいし、たとえばそれはヴェーダ初期しょきにはアグニ、ヴァーユふう)、アーディティヤ(Aditya太陽たいよう)であったり[10]、アグニ、インドラかみなり)、スーリヤ太陽たいよう)であったりと[9][11]様々さまざま文献ぶんけん別々べつべつかみ々のわせがられる[12][注釈ちゅうしゃく 1]のちにトリムールティの3かみとなるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれ、アグニ、スーリヤ、インドラから発展はってんしたともかんがえられており、この見方みかたをするとトリムールティの3かみてん大気たいき象徴しょうちょうするかみ々という分類ぶんるいができる[11][6][注釈ちゅうしゃく 2]

マイトリー・ウパニシャッド[編集へんしゅう]

マイトリー・ウパニシャッド紀元前きげんぜん10世紀せいき後半こうはん)にはトリムールティの3かみが1くみとしてれられており、トリムールティの起原きげんとしてしばしば言及げんきゅうされる[13]たとえば4しょうの5せつでは、なにについて瞑想めいそうするのが一番いちばんいかという議論ぎろん展開てんかいされる[10][14]瞑想めいそうする対象たいしょうとしてがるのが、アグニ()、ヴァーユ(大気たいき)、アーディティヤ()、カーラ(時間じかん)、プラーナ(呼吸こきゅう、あるいは活力かつりょく)、アンナ(もの)、そしてブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラの9つである[10][14]。ヤン・ホンダによれば、アグニ、ヴァーユ、アーディティヤはヴェーダ時代じだい初期しょき主要しゅような3はしらであり、それぞれ地上ちじょう大気たいき天界てんかい代表だいひょうする[10]つぎ時間じかん活力かつりょくものはブラフマンの、なかでもはや段階だんかい顕現けんげんではないかという議論ぎろんをウパニシャッド初期しょきることができる[10]。このならびを考慮こうりょすると、マイトリー・ウパニシャッドの著者ちょしゃはブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラ(すなわちシヴァ)に相互そうご補完ほかん関係かんけいていたようにもれ、この視点してんはトリムールティ理論りろんにもふくまれている[10]

また、クツァーヤナ賛歌さんか(Kutsayana)とばれる5しょう1せつでもこれら3かみれられ、そのの5しょう2せつ説明せつめい展開てんかいされている[15]汎神論はんしんろんをテーマとするクツァーヤナ賛歌さんかひとたましいブラフマンであると主張しゅちょうし、その絶対ぜったいてき現実げんじつ普遍ふへんかみきとしけるすべての存在そんざいなか宿やどるとしている。アートマンたましい)はブラフマーをはじめとするブラフマンの様々さまざま顕現けんげんであることと同等どうとうであると展開てんかいする。いわく、「なんじはブラフマーである。なんじはヴィシュヌである。なんじルドラ(シヴァ)である、なんじアグニヴァルナヴァーユインドラであり、なんじすべてである」[15][16]

マイトリー・ウパニシャッドの5しょう2せつではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれが3つのグナと関連かんれんづけられている[13]。グナとはすべての生物せいぶついだすことのできる性質せいしつ精神せいしん生来せいらい傾向けいこうであるとされ[17]世界せかいかげしつ(タマス)からしょうじたとかたられている[16]。その世界せかいはそれ自体じたい作用さようにより活動かつどうげきしつ(ラジャス)となり、そして精錬せいれん純化じゅんかされじゅんしつ(サットヴァ)となった[15][16]。これら3つのグナのうち、ブラフマーはラジャス(げきしつ)、ヴィシュヌはサットヴァ(じゅんしつ)、ルドラ(シヴァの前身ぜんしん)はタマス(かげしつ)をそれぞれっている[18]。ただしマイトリー・ウパニシャッドは3はしらをトリグナ理論りろんのそれぞれの要素ようそてはめてはいるものの、トリムールティの3はしらつとされている3つの役割やくわりについては言及げんきゅうしていない[19]

梵我一如いちにょ理論りろん登場とうじょう[編集へんしゅう]

ヒンドゥーきょうはそのブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド紀元前きげんぜんおよそ700ねん)のころから、重視じゅうしされるかみ徐々じょじょらしていく[20]。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは哲人てつじんヤージュニャヴァルキヤが「存在そんざいするのは単一たんいつのブラフマンのみである」という梵我一如いちにょ理論りろん展開てんかいしている[21]。このヒンドゥーきょうにおける一元論いちげんろん一元論いちげんろんてき思想しそう発現はつげんがトリムールティの形成けいせいすくなからず影響えいきょうおよぼしたとかんがえられている[22]

トリムールティ理論りろん発現はつげん[編集へんしゅう]

トリムールティ理論りろんはオリジナルのマハーバーラタ(紀元前きげんぜん4世紀せいき[注釈ちゅうしゃく 3])には登場とうじょうしないと一般いっぱんてきにはかんがえられている[23]。つまりマハーバーラタの著者ちょしゃはトリムールティ理論りろん意識いしきしていなかったようにおもわれる。しかしのち編集へんしゅうされたマハーバーラタの付録ふろくにはトリムールティ理論りろんかんじされる文言もんごんふくまれている[23][24]

至高しこうたましいは3つの様相ようそうつ。ブラフマーの姿すがた世界せかい創造そうぞうするものであり、ヴィシュヌの姿すがた世界せかい維持いじするものであり、ルドラの姿すがた世界せかい破壊はかいするものである。
3つの様相ようそうつブラジャーパティはトリムールティである。
マハーバーラタ 3.272.47 および 3.270.47[26]

くわえて、間違まちがいなくトリムールティの理論りろん意識いしきしてかれたとかんがえられている記述きじゅつは、マハーバーラタの補遺ほいとされるハリヴァンシャ英語えいごばん紀元前きげんぜん1-2世紀せいき)につけられる[25][13][1][注釈ちゅうしゃく 4]

ヴィシュヌとされるものはルドラである。ルドラとされるものはピタマハー(ブラフマー)である。本質ほんしつは1つ、かみは3つ、ルドラ、ヴィシュヌ、ピタマハーである。
ハリヴァンシャ 10662[27][注釈ちゅうしゃく 5]

ヴァーユプラーナ(シヴァ、300-500ねん。プラーナとしては最古さいこもの)は5しょう17せつでトリムールティにれている[23]。ヤン・ホンダは、ブラフマンの3つの顕現けんげんというかんがえがしっかりとした教義きょうぎになったのはこれがはじめてではないかとしている[23]

プラーナ文献ぶんけんられるトリムールティ[編集へんしゅう]

ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァをひとつの存在そんざいとして同一どういつするというアイデアはクールマ・プラーナ(8世紀せいきごろ)にておおいに強調きょうちょうされている。1しょうの6せつではブラフマンはトリムールティであるとしてあがめられる。とくに1しょうの9せつでは3はしらかみ統合とうごうを、1しょう26せつでもおな主題しゅだいかえかたっている[28]

創造そうぞう維持いじ破壊はかい/再生さいせいという3つの役割やくわり[編集へんしゅう]

トリムールティの役割やくわり分担ぶんたんがどのようにしてまったのかについては議論ぎろんのこる。原始げんしてきなトリムールティでは3はしら完全かんぜん同格どうかくであり、それぞれの役割やくわり交換こうかん可能かのうだったとするかんがかたもある[29]

ホンダの見方みかたでは、ヴィシュヌとシヴァのキャラクターは古代こだいのインドじん自然しぜんかんじた神性しんせい象徴しょうちょうしているとする[30]。ヴィシュヌにはすべての生物せいぶつがそこに依存いぞんせざるをえない宇宙うちゅうあまねたす、力強ちからづよく、慈悲じひふかいエネルギーが表現ひょうげんされており、一方いっぽうのルドラ・シヴァには粗野そやぎょしがたく、まぐれで、危険きけん自然しぜん表現ひょうげんされている[30]。そこからそれぞれのキャラクター、英雄えいゆうたん発展はってん西暦せいれきまえまでに出来上できあがっているとする[30]

ベイリーはブラフマーしんはブラフマンを神格しんかくしたものだとしている[31]。またかれによれば、マハーバーラタではブラフマーが創造そうぞう役割やくわりにない、ヴィシュヌが維持いじ役割やくわりになうとする言及げんきゅう随所ずいしょにみられるが、シヴァの破壊はかいという役割やくわりかんしてははっきりと描写びょうしゃされていない[32]破壊はかいてき属性ぞくせいかんじさせるエピソードはあるものの、ほのめかしにとどまっている[32]。そのためベイリーは、シヴァの役割やくわりはマハーバーラタののち徐々じょじょかたまっていったのではないかとしている[32]

アンゲロ・デ・グベルナティス英語えいごばんはプラーナ文献ぶんけんられる3はしらのキャラクターについて、ブラフマーは自分じぶん神秘しんぴてきちからを、ヴィシュヌは自分じぶん英雄えいゆうてき資質ししつを、シヴァは精力せいりょくとみ享受きょうじゅしている、と表現ひょうげんしている[33]くわえてじゅん賢者けんじゃ強者きょうしゃ金持かねもちといった社会しゃかいてき立場たちば対応たいおうするともしるしている[33]。ベイリーによればデ・グベルナティスのしめ神秘しんぴてきちから英雄えいゆうてき資質ししつ繁殖はんしょくりょくというそれぞれのキャラクターはそれぞれのカルパ宇宙うちゅう寿命じゅみょう)においてトリムールティがにな創造そうぞう維持いじ破壊はかいという3はしら役割やくわり矛盾むじゅんしない[34]。しかしそれでもなお、シヴァの役割やくわりには曖昧あいまいさがのこるともかたっている[35]。シヴァの役割やくわり破壊はかいであり再生さいせいであるとされ、プラーナの神話しんわえがかれるシヴァは繁殖はんしょくりょく象徴しょうちょうすることがおおい。シンボルとされるリンガもやはり繁殖はんしょくりょく象徴しょうちょうしている。一方いっぽうでシヴァは色欲しきよくとは無縁むえんのヨーガ修行しゅぎょうしゃとしてのかお[35]。このことにかんしてベイリーはシヴァのだい3フェイズの役割やくわり一言ひとこと説明せつめいしきれないからではないかとしている[36]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

トリムールティとトリデーヴィー
ハレビドゥ英語えいごばんのホイサレスワラ寺院じいんられるトリムールティ。ひだりから、ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌ。
トリムールティ。アーンドラ・プラデーシュしゅう

「ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一どういつであり、これらのかみちから関係かんけいうえでは同等どうとうであり、単一たんいつ神聖しんせい存在そんざいから顕現けんげんする機能きのうことにする3つの様相ようそうぎない」というトリムールティの理論りろんがヒンドゥーきょう文献ぶんけんなかあらわれることはまれであり[37][38]、このコンセプトが宗教しゅうきょう美術びじゅつのテーマとされることもめずらしく[38]きた信仰しんこうとしてはヒンドゥーきょうれられてこなかった[22][39][40]

トリムールティ理論りろん登場とうじょうした背景はいけいには、ヴェーダ時代じだい顕在けんざいしてきた宗派しゅうはあいだあらそいを調停ちょうていしようという意図いとがあったのではないかという見方みかた存在そんざいする[41][29]

ダヴァモニーによれば、マハーバーラタのなかでもふる時代じだいかれた部分ぶぶんではブラフマーが最高さいこうしんとされているが、時代じだいくだるにつれてヴィシュヌとシヴァが目立めだつようになってくる[29]。そして12かんシャンティ・パルヴァン英語えいごばんには、この3はしら本質ほんしつがひとつであると宣言せんげんすることによって、それを調停ちょうていしようする意図いとれる記述きじゅつがあるとする[29][注釈ちゅうしゃく 6]。マハーバーラタがしるされたのは、ふる部分ぶぶんではBC8-9世紀せいき完成かんせいしたのは4世紀せいきごろかんがえられている。

歴史れきし学者がくしゃラメシュ・チャンドラ・マジュンダル英語えいごばんはヴィシュヌとシヴァにとどまらず、このプラーナ文献ぶんけん時代じだい(300-1200ねん)にあらわれる様々さまざま宗派しゅうはあいだることのできる協調きょうちょう調和ちょうわ精神せいしん注目ちゅうもくしている[41]

マジュンダルによれば、この時代じだい宗教しゅうきょうてき均質きんしつせいき、ヴェーダ時代じだい信仰しんこう名残なごりとしての正統せいとうバラモン教ばらもんきょうふくめて様々さまざま宗派しゅうは混在こんざいした。なかでもシヴァヴィシュヌシャクティ代表だいひょうてきで、これらは正統せいとう分類ぶんるいされるものの、それぞれ独自どくじ信仰しんこうかたちづくっていた[42]。この信仰しんこうあいだ協調きょうちょうかんしてマジュンダルは以下いかのようにべている。

その(協調きょうちょうの)もっと重要じゅうよう成果せいかはトリムールティという神学しんがくてきコンセプトにられる。すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという3はしらかたちでの最高さいこうしん顕現けんげんである。(中略ちゅうりゃく)しかしのここころみはだい成功せいこうおさめたとはみなされていない。ブラフマーはシヴァやヴィシュヌと比較ひかくして支配しはいてき立場たちば確立かくりつすることに失敗しっぱいしている。さらにはかく宗派しゅうははしばしばトリムールティを、自分じぶんたちの宗派しゅうは信仰しんこうする絶対ぜったいてきかみ、あるいはブラフマンであるとするかみが、3はしらかみ姿すがた顕現けんげんしたものであるという立場たちばをとろうとする。[39]

ニコラス・サットンは以下いかのようにかたる。

ヒンドゥーきょう伝統でんとうのなかで、ブラフマーがヴィシュヌやシヴァのような信仰しんこうあつめたことがあったのか、ブラフマーが最高さいこうしんであるとなされたことがいちでもあったのだろうかという疑問ぎもんいだくのは当然とうぜんである。[43]

歴史れきしアーサー・ルエリン・バシャム英語えいごばんはトリムールティというコンセプトの背景はいけい以下いかのようにかたっている。

西洋せいよう初期しょき研究けんきゅうしゃたちはヒンドゥーきょうキリスト教きりすときょう双方そうほう存在そんざいするトリニティ(すなわち三神みかみ一体いったい三位一体さんみいったい)という共通きょうつうてんしんひかれた。しかしこの共通きょうつうてん実際じっさいにはそれほどちかいものではない。ヒンドゥーきょうのトリニティは、キリストきょうのトリニティとはちがい、ひろれられることがかった。ヒンドゥーきょうのすべてのトリニティ主義しゅぎはいずれかひとつのかみ肩入かたいれしたがる傾向けいこうがある。この文脈ぶんみゃくからするとカーリダーサによるトリムールティにささげられた賛歌さんかは、そのじつ最高さいこうしんブラフマーにけられたものである。トリムールティというコンセプトは実際じっさいのところ意図いとてき仕掛しかけられたものであり、ほとんど影響えいきょうをもたらさなかった。[40]

一方いっぽうでヤン・ホンダは、「トリムールティはシヴァとヴィシュヌ対立たいりつ関係かんけい調停ちょうていするために意図いとてきつくられたものである」という印象いんしょういだくべきではないと強調きょうちょうする[22]かれはトリムールティとは、この時代じだいのヒンドゥーきょうにおいて、一元論いちげんろんてきな、あるいはほぼ一元論いちげんろんてき傾向けいこうつよくなるなかで、もともとあった3人組にんぐみてきなコンセプト、くわえてブラフマンは1つであり、はじまりもわりもないという由緒ゆいしょある思想しそうをリフォームしようとした結果けっかであり、徐々じょじょひろまるヴィシュヌ信仰しんこうと、それとはあいいれないシヴァ信仰しんこうという両者りょうしゃ関係かんけいなかに、ブラフマンの象徴しょうちょうであるブラフマーをくわえた3はしら補完ほかん関係かんけい見出みいだし、これらを統合とうごうしようとした結果けっかであるとする[22]。ホンダによればトリムールティは、たしかに宗派しゅうはごとに信仰しんこうするかみ上位じょういたせようとする傾向けいこうはあるものの、すくなくとも「単一たんいつ至高しこう存在そんざいの3つの顕現けんげん」というアイデアからは逸脱いつだつしてない[44]。この理論りろんは、3つのかみ地位ちい還元かんげんしてひとつのかみ様相ようそうとすることによって宗教しゅうきょうてき包括ほうかつ主義しゅぎ促進そくしんした[45]。すなわち他人たにん宗教しゅうきょう人生じんせいかん世界せかい信条しんじょう教義きょうぎをネクスト・ベストとかんがえて、拒絶きょぜつするのではなく適応てきおうさせるというヒンドゥーきょう特色とくしょく形成けいせい貢献こうけんしている[45]

また、フリーダ・マチェット(Freda Matchett)はトリムールティを、様々さまざま神格しんかくことなる基準きじゅんむことができるという、ヒンドゥーきょうがいくつかそなえている枠組わくぐみのうちのひとつであると表現ひょうげんしている[46]

トリムールティ寺院じいん[編集へんしゅう]

8世紀せいきまでにはトリムールティをたてまつ寺院じいん複数ふくすうあらわれている。3はしらならびも寺院じいんによってさまざまである。現代げんだいでもいくつかの寺院じいんではトリムールティが信仰しんこうされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ リグ・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダでは33のかみがおり、てんとそのぞくする11はしらずつ3つのグループにけられるという記述きじゅつがある[10]
  2. ^ ヴィシュヌはスーリヤ、ヴァルナ、ミトラと、シヴァはインドラ、ヴァーユ、マルトかみぐんルドラとそれぞれ関連付かんれんづけられる[6]。アグニは生命せいめい創造そうぞうしゃという性格せいかくっており、創造そうぞうしんブラフマーを連想れんそうできる[6]
  3. ^ ふる部分ぶぶんはBC8-9世紀せいき完成かんせいしたのは4世紀せいきごろかんがえられている。
  4. ^ マハーバーラタに「トリムールティ」という言葉ことばつかるからとってトリムールティ理論りろん直結ちょっけつするわけではない。
  5. ^ 10660 ffもよくいにだされる。"I perceive thereby no difference between Siva who exists in the form of Vishnu, and Vishnu who exists in the form of Siva, I shall declare to thee that form composed of Hari and Hara combined, which is without beginning, or middle, or end, imperishable undecaying. He who is Vishnu is Rudra; he who is Rudra is Pitamaha: the substance is one, the gods are three, Rudra, Vishnu, and Pitamaha."[25]
  6. ^ 12.342

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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  26. ^ "The supreme Spirit has three conditions. In the form of Brahma he is the creator, and in the form of Vishnu he is the preserver, and in his form as Rudra, he is the destroyer of the universe", "Prajapati whose three avasthah are the trimurti".[25]
  27. ^ "He who is Vishnu is Rudra; he who is Rudra is Pitamaha (Brahma): the substance is one, the gods are three, Rudra, Vishnu, Pitamaha."[25]
  28. ^ For references to Kūrma Purana see: Winternitz, volume 1, p. 573, note 2.
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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