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ダルマ (インド発祥はっしょう宗教しゅうきょう)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダルマ
通過つうか典礼てんれい[1]
ヨーガ(個人こじん品行ひんこう[2]
アヒンサー暴力ぼうりょく)などのとく[3]
ほう正義まさよし[4]
サンニヤーサとよんじゅう[5]
教師きょうしからまなぶなどの義務ぎむ[6]

ダルマ: धर्म dharma 発音はつおん [dʱəɾmə] ( 音声おんせいファイル); ともえ: धम्म dhamma)はヒンドゥーきょう仏教ぶっきょうジャイナきょうシクきょうといったインド発祥はっしょう宗教しゅうきょうにおいて、多種たしゅ多様たよう意味いみ主要しゅよう概念がいねんである[7]西洋せいよう言語げんごではダルマを一語いちごやくすることはできない[8]

ヒンドゥーきょうではダルマは生命せいめい宇宙うちゅう可能かのうにする秩序ちつじょであるリタ英語えいごばんしたが行為こういあらわすとされ[9][note 1]義務ぎむ権利けんりほう行為こういとく、「生命せいめいせいしきどう」をふくんでいる[10]仏教ぶっきょうではダルマは「宇宙うちゅうほう秩序ちつじょ」をあらわしていて[9]仏陀ぶっだおしえにも適用てきようされている[9]仏教ぶっきょう哲学てつがくではダルマ(ダンマ)は「現象げんしょう」のため用語ようごでもある[11][note 2]ジャイナきょうのダルマティールタンカラ(ジナ)のきょうえと[9]人類じんるい浄化じょうか道徳どうとくてき変容へんようかんする教義きょうぎしている。シク教徒きょうとにとっては、ダルムという言葉ことばは、ただしいみち適切てきせつ宗教しゅうきょうてき実践じっせん意味いみしている[12]

ダルマという言葉ことばふるくはヴェーダの宗教しゅうきょうにもられ、その意味いみ概念がいねんひろがりは、すうせんねんにわたって展開てんかいしていったものである[13]。ダルマの対義語たいぎごは、アダルマ英語えいごばんである。

語源ごげん[編集へんしゅう]

アショーカおう碑文ひぶんアショーカおうによりきざまれたブラーフミー文字もじの「ダンマ」𑀥𑀁𑀫サンスクリット:ダルマधर्म)(紀元前きげんぜん3世紀せいき

古典こてんサンスクリット名詞めいしダルマ(धर्म)やプラークリットのダンマ(𑀥𑀁𑀫)は、「保有ほゆうする、維持いじする、たもつ」をあらわ語根ごこんdhṛからの派生はせいしていて[note 3]、「創設そうせつしたり安定あんていするもの」したがって「ほう」の意味いみがある。リタ英語えいごばんめんとしておもえが宗教しゅうきょうじょう感覚かんかくにおいて「運搬うんぱんじん支持しじしゃ」の文字通もじどおりの意味いみふるヴェーダn語幹ごかんdharman-から派生はせいしている[15]

リグ・ヴェーダでは言葉ことばは(くしやぼう文字通もじどおりの感覚かんかくで)「創設そうせつしたり安定あんていするもの」を理解りかいする意味いみ範囲はんいn語幹ごかんdhárman-としてあらわれる。比喩ひゆとして(かみの)「支持しじしゃ」と「支援しえんしゃ」をあらわしている。意味いみうえでは(「天命てんめい法令ほうれいほう確定かくていした」)ギリシャのテミスている[16]古典こてんサンスクリットでは名詞めいし語幹ごかんdharma-になる。

dharmaという単語たんごは、インド・ヨーロッパ祖語そごから派生はせいしている。

  • サンスクリットではクラス1[よう説明せつめい]dhṛとしてあらわされる*dʰer-(「保有ほゆうする」)[17]語源ごげんがくじょうアヴェスターのdar-(「保有ほゆうする」)やラテン語らてんごfirmus(「確固かっことした、安定あんていした、強力きょうりょくな」)、リトアニアderė́ti(「相応ふさわしい、てきした」)、リトアニアdermė(「合意ごうい」)[18]darna(「調和ちょうわ」)、古代こだい教会きょうかいスラヴdrъžati(「保有ほゆうする、所有しょゆうする」)に関連かんれんしている。
  • 古典こてんサンスクリットのdharmasという単語たんごは、インド・ヨーロッパ祖語そごdʰer-mo-s(「保有ほゆう」)からのラテン語らてんごのo語幹ごかん公式こうしき合致がっちしていて、ふるいリグ・ヴェーダのn語幹ごかんから歴史れきしてき発展はってんしなかった。

古典こてんサンスクリットやアタルヴァ・ヴェーダヴェーダでは語幹ごかんdhárma-デーヴァナーガリー:धर्म)である。プラークリットパーリではdhammaあらわしている。一部いちぶ現代げんだいのインドの言語げんご方言ほうげんではわりにdharmとしてあらわれている。

古代こだい翻訳ほんやく

マウリヤあさアショーカおう紀元前きげんぜん3世紀せいきにダルマという単語たんごを(プラークリットのダンマという単語たんごもちいた)ギリシャとアラム翻訳ほんやくしたさいに、カンダハールのじゅう言語げんごいわ碑文ひぶん英語えいごばんカンダハールギリシャ布告ふこく英語えいごばん敬虔けいけんεいぷしろんὐσέβεια、敬神けいしん精神せいしんてき発達はったつ神聖しんせい)を、カンダハールのじゅう言語げんごいわ碑文ひぶん英語えいごばんアラムQsyt(「真理しんり」)をもちいた[19]

定義ていぎ[編集へんしゅう]

ダルマはインド哲学てつがく宗教しゅうきょう中心ちゅうしんとなる重要じゅうよう観念かんねんである[20]。ヒンドゥーきょう仏教ぶっきょう、ジャイナきょうにおける多種たしゅ多様たよう意味いみがある[7]。この言葉ことばなが多様たよう歴史れきしがあり複雑ふくざつ一連いちれん意味いみ解釈かいしゃくにまたがるためにダルマにたいして単一たんいつ簡潔かんけつ定義ていぎしめすのは困難こんなんである[21]西洋せいよう言語げんごにダルマにたいする単一たんいつしめせる同義語どうぎごはない[8]

ドイツ英語えいごフランス語ふらんすごへダルマという単語たんごとも古代こだいサンスクリット文学ぶんがく翻訳ほんやくしようという数多すうた相反あいはんするこころみがあった。ポール・ホルシュが[22]観念かんねんは、現代げんだい評論ひょうろん翻訳ほんやく格別かくべつ困難こんなんもたらしている。たとえばグラスマンの[23]リグ・ヴェーダの翻訳ほんやくがダルマの7つのことなる意味いみしめ一方いっぽうでリグ・ヴェーダの翻訳ほんやくカール・フリードリヒ・ゲルトナーはダルマにその用語ようごなかに「ほう」や「秩序ちつじょ」、「義務ぎむ」、「習慣しゅうかん」、「品質ひんしつ」、「模範もはん」のような意味いみなど20のことなる翻訳ほんやく採用さいようしている[22]。しかしダルマという単語たんごは、英語えいごひろれられた借用しゃくようになっていて、現代げんだいすべてのえいえいだい辞典じてんふくまれている。

ダルマという単語たんご根源こんげんは、「支援しえんするや保有ほゆうする、はこぶ」を意味いみする「dhri」である。変化へんかくわわらないことで変化へんか道筋みちすじ規定きていするものであるが、一定いってい不変ふへんのままでいる主題しゅだいである[24]。サンスクリット定義ていぎ説明せつめいやヒンドゥーきょう観念かんねんたいする手段しゅだんひろ引用いんようしたモニアー=ウィリアムズは、確固かっことした天命てんめい法令ほうれいほう実践じっせん習慣しゅうかん義務ぎむ権利けんり正義まさよしとく道徳どうとくりつ倫理りんり宗教しゅうきょう宗教しゅうきょうじょう利益りえきおこない、本質ほんしつ人格じんかく品質ひんしつ所有しょゆうであるもののようにダルマという単語たんご数多すうた定義ていぎ提唱ていしょうしている[25]依然いぜんとしてこの翻訳ほんやく結合けつごうがこの言葉ことば全体ぜんたいてき感覚かんかくつたえていない一方いっぽう各々おのおののこの定義ていぎ不完全ふかんぜんである。共通きょうつう用語ようごとしてダルマは「生命せいめいせいしきどう」や「廉直れんちょくみち」を意味いみしている[24]

ダルマという単語たんご意味いみは、状況じょうきょうによりちがい、その意味いみはヒンドゥーきょう思想しそう歴史れきしつうじて発展はってんしたように進化しんかした。最初さいしょ文献ぶんけんやヒンドゥーきょう古代こだい神話しんわではダルマは典礼てんれい同様どうよう混沌こんとんから宇宙うちゅう創造そうぞうした支配しはいである宇宙うちゅうほう意味いみし、ヴェーダウパニシャッドプラーナ文献ぶんけん叙事詩じょじし英語えいごばんでは意味いみ洗練せんれんされゆたかになり複雑ふくざつし、この言葉ことば多様たよう文献ぶんけん応用おうようされた[13]。ある場面ばめんではダルマは個人こじん段階だんかいにおけると同様どうよう本質ほんしつ社会しゃかい家族かぞくぜん生活せいかつ必要ひつよう混沌こんとん行為こうい活動かつどうふせ主題しゅだいである宇宙うちゅうのものの秩序ちつじょ必要ひつようとみなされる人間にんげん行為こうい意味いみしている[9][13][26][note 1]。ダルマは適切てきせつまさしく倫理りんりてき高潔こうけつとみなされる義務ぎむ権利けんり人格じんかく解放かいほう宗教しゅうきょう習慣しゅうかん、あらゆる行為こういのような思想しそう網羅もうらしている[27]

ダルマの対義語たいぎごは、「ダルマではない」ことを意味いみするアダルマ英語えいごばん(サンスクリット:अधर्म)である[28]。ダルマとともにアダルマという単語たんごおおくの思想しそうふく暗示あんじし、共通きょうつう用語ようごとしてアダルマは本質ほんしつはん道徳どうとくはん倫理りんりてきわる違法いほうであることを意味いみしている[29]

仏教ぶっきょうでは、ダルマは仏教ぶっきょう教祖きょうそ釈迦しゃかおしえと教義きょうぎふくんでいる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

権威けんいあるほんダルマシャーストラの歴史れきし英語えいごばんによると、リグ・ヴェーダの賛歌さんかにダルマという単語たんごは、形容詞けいようし名詞めいしとしてすくなくとも56かいあらわれている。ポール・ホルシュによると[22]、ダルマという単語たんごは、ヴェーダのヒンドゥーきょう神話しんわにその起源きげんがある。(あらゆるかみつくげた)ブラーフマンは混沌こんとんから宇宙うちゅう創造そうぞうし、地球ちきゅう太陽たいようほしけて保持ほじし(dhar-)、地球ちきゅうからけて対照たいしょうてきそら支援しえんし(dhar-)、振動しんどうするやま平地ひらち安定あんていさせている(dhar-)とリグ・ヴェーダの賛歌さんか[22][30]かみ々、おもインドラはそのさい無秩序むちつじょから秩序ちつじょを、混沌こんとんから調和ちょうわを、不安定ふあんていから安定あんていをもたらし保持ほじする(ダルマという単語たんご根源こんげんともにヴェーダにさい引用いんようされる行動こうどう[13]神話しんわ調ちょうにより構成こうせいされる神話しんわでは、ダルマという単語たんごは、宇宙うちゅう主題しゅだいとして拡張かくちょうされた意味いみがあり、かみから独立どくりつしたあらわれる。たとえば主題しゅだいつうじて原因げんいん効果こうかにつながる宇宙うちゅうほうとなるアタルヴァ・ヴェーダだい規模きぼ機能きのうてき感覚かんかくがある観念かんねん進化しんかするとポール・ホルシュは[22]。この古代こだい文献ぶんけんで、ダルマは儀礼ぎれいてき意味いみもある。儀式ぎしき宇宙うちゅう関係かんけいし、かみ無秩序むちつじょから秩序ちつじょを、混沌こんとんから世界せかい創造そうぞうするのにもちいた主題しゅだい儀礼ぎれいてき信仰しんこう同一どういつされている[31]現在げんざい世界せかい神話しんわてき宇宙うちゅう関連付かんれんづけるダルマの儀礼ぎれいてき感覚かんかく宇宙うちゅうてき感覚かんかくつうじて観念かんねん人類じんるいたがいや生命せいめい形態けいたい関連付かんれんづける倫理りんり社会しゃかいてき感覚かんかく拡大かくだいする。ほう観念かんねんとしてのダルマがヒンドゥーきょうあらわれるのは、ここである[32][33]

ダルマや関連かんれんする単語たんごは、のヴェーダやウパニシャッド、プラナ、叙事詩じょじしというヒンドゥーきょう最古さいこのヴェーダ文学ぶんがく見出みいだされ、ダルマという単語たんごは、仏教ぶっきょうやジャイナきょうのようにのち創設そうせつされたインドのほか宗教しゅうきょうでも中心ちゅうしんてき役割やくわりえんじている[13]。ブレレトンによると[34]、ダルマンはリグ・ヴェーダに63かいあらわれ、くわえてたとえばdharmakrtとして1かいsatyadharmanとして6かいdharmavantとして1かいdharmavantとして1かいdharmanとして4かいdharimanとして2かいというようにダルマンに関連かんれんする単語たんごもリグ・ヴェーダにあらわれている。

「ダルマ」にとっての印欧語いんおうごがくてき類似るいじてんられているが、唯一ゆいいつのイラン同義語どうぎごは、「ダルマ」という単語たんごインド・イラン時代じだい英語えいごばん主要しゅよう役割やくわりたさなかったことを示唆しさするむしインドぐんdhármanからのぞかれることを意味いみする古代こだいペルシャdarmān救済きゅうさい」であり、おもにごく最近さいきんヴェーダの伝統でんとうした発展はってんした[34]。しかし「不変ふへんほう」「宗教しゅうきょう」をも意味いみするゾロアスターきょうダエーナーがサンスクリットの「ダルマ」と関係かんけいしているとかんがえられている[35]。ダルマにかさなる部分ぶぶんにおける思想しそうは、中国ちゅうごくみちやエジプトマアト、シュメールメーのように古代こだい文化ぶんか見出みいだされる[24]

敬虔けいけんとダルマ[編集へんしゅう]

カンダハールじゅう言語げんごいわ碑文ひぶん英語えいごばん紀元前きげんぜん258ねんのインドのアショーカおうからのもので、アフガニスタン発見はっけんされた。碑文ひぶん人間にんげん社会しゃかいにとっての精神せいしんてき成熟せいじゅく信仰しんこう敬神けいしん義務ぎむ崇敬すうけい意味いみする古代こだいインドのダルマを示唆しさしながらギリシャ敬虔けいけんとしてサンスクリットのダルマをあらわしている[36]

20世紀せいきなかば、紀元前きげんぜん258ねんからのインドのアショーカおう碑文ひぶんがアフガニスタンで発見はっけんされた(カンダハールじゅう言語げんごいわ碑文ひぶん英語えいごばん)。このいわ碑文ひぶんは、ギリシア文献ぶんけんアラム文献ぶんけんふくんでいる。パウル・ハッカードイツばんによると[36]いわには敬虔けいけんという言葉ことばであるサンスクリットのダルマという単語たんごあらわすギリシャあらわれている[36]。ヘレニズム時代じだいのギリシャの学者がくしゃは、敬虔けいけんふくあいてき観念かんねん表現ひょうげんしている。敬虔けいけんかみうやまうだけでなく生命せいめいたいするうやうやしい態度たいどである精神せいしんてき成熟せいじゅくうやまうことを意味いみし、両親りょうしん兄弟きょうだい姉妹しまい子供こどもたいするただしい行為こういおっとつまあいだただしい行為こうい生命せいめいてき無関係むかんけい人々ひとびとあいだただしい行為こういふくんでいる。このいわ碑文ひぶんは、やく2300ねんまえにインドでダルマを示唆しさし、中心ちゅうしんてき観念かんねんであり、宗教しゅうきょうじょう思想しそうばかりでなく人間にんげん社会しゃかいたいする権利けんり福利ふくり義務ぎむ思想しそう意味いみしたとパウル・ハッカーは結論けつろんけている[36][37]

リタとマーヤー、ダルマ[編集へんしゅう]

ヒンドゥーきょう進化しんかする文学ぶんがくは、ダルマをリタとマーヤーというふたつの重要じゅうよう観念かんねん関連付かんれんづけていた。ヴェーダのリタ英語えいごばんは、そのなか宇宙うちゅうすべての運用うんよう規定きていまとめる真理しんり宇宙うちゅう主題しゅだいである[38][39]。リグ・ヴェーダや文学ぶんがくマーヤーは、あざむ無秩序むちつじょ創造そうぞうする幻想げんそう詐欺さぎうそ魔法まほう意味いみしていて[40]したがって秩序ちつじょ予言よげん調和ちょうわ現実げんじつほう支配しはいとは相容あいいれない。ポール・ホルシュは[22]リタとダルマは並行へいこうする観念かんねんであり、前者ぜんしゃ宇宙うちゅう主題しゅだいであり、後者こうしゃ道義どうぎてき社会しゃかいめんであり、マーヤーとダルマが類似るいじした観念かんねんである一方いっぽうで、前者ぜんしゃほう道義どうぎてき生活せいかつ堕落だらくさせるものであり、後者こうしゃほう道義どうぎてき生活せいかつ強化きょうかするものであると示唆しさしている[39][41]

デイはダルマがリタの顕現けんげんであると提案ていあんしているが、非線形ひせんけい風俗ふうぞくにおけるときえて古代こだいインドで発展はってんした思想しそうとしてリタはダルマのさらふくあいてき観念かんねん包含ほうがんされているかもれないと示唆しさしている[42]リグ・ヴェーダつぎ詩歌しかは、リタとダルマが関連かんれんしているれいである。

おおインドラ、われらをリタのみちにあらゆるあくたいするせいしきどうみちびきたまえ。
RV 10.133.6

ヒンドゥーきょう[編集へんしゅう]

ダルマは宇宙うちゅうすべてやその一部いちぶたいして無生物むせいぶつあいだ同様どうよう人類じんるい自然しぜんとの相互そうご作用さようにおいて単独たんどく人類じんるい適用てきようするヒンドゥーきょう系統けいとうだった主題しゅだいである[24]生命せいめい宇宙うちゅう可能かのうにする秩序ちつじょ習慣しゅうかんけ、社会しゃかい倫理りんり支配しはいする行為こうい儀式ぎしき支配しはいふくんでいる[9][note 1]。ヒンドゥーのダルマには社会しゃかいてき秩序ちつじょただしい行為こうい高潔こうけつであるものを可能かのうにする行為こうい同様どうよう各々おのおの宗教しゅうきょうてき義務ぎむ道徳どうとくてき権利けんり義務ぎむがある[43]。ファン・ブイテネンによると[44]、ダルマはあらゆる存在そんざいぶつ世界せかい調和ちょうわ秩序ちつじょ維持いじするため受容じゅよう敬意けいいはらわなければならないものである。行動こうどう結果けっかではないが、行動こうどうみちび世界せかい混沌こんとん防止ぼうしする結果けっかつく自然しぜんほうである。存在そんざいつく固有こゆう特徴とくちょうである。自然しぜん追求ついきゅう遂行すいこう本当ほんとうつよ欲求よっきゅうであり宇宙うちゅうかなでる世界せかい自己じこ役割やくわりえんじるとファン・ブイテネンは主張しゅちょうする。ヒンドゥーきょうでは蜂蜜はちみつつくはちのダルマであり牛乳ぎゅうにゅうあたえるうしのダルマであり日光にっこう輻射ふくしゃする太陽たいようのダルマでありながれるかわのダルマである[44]人間にんげんせいかんしてダルマはあらゆる生命せいめい供給きょうきゅう相互そうご関連かんれん影響えいきょうであり実在じつざいとしての必要ひつようせいである[24][36]

ヒンドゥーきょうではダルマにはダルマの全般ぜんぱんてき不変ふへん永続えいぞくてき主題しゅだいであり変化へんかけにくいサナータナダルマ英語えいごばんとヒンドゥーの伝統でんとうによりつくられたような時代じだい年代ねんだいであるユガ効力こうりょくのあるユガダルマ英語えいごばんめんがある。

ヴェーダとウパニシャッド[編集へんしゅう]

この記事きじ歴史れきしぶしは、ヴェーダにおけるダルマの観念かんねん発展はってんろんじている。この発展はってんはウパニシャッドやのヒンドゥーきょう古代こだい文献ぶんけんつづいた。ウパニシャッドではダルマの観念かんねんほう秩序ちつじょ調和ちょうわ真理しんり普遍ふへんてき主題しゅだいとしてつづいている。宇宙うちゅう規定きていされる道徳どうとくてき主題しゅだいとして行動こうどうする。高潔こうけつほうとして説明せつめいされ、ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドの賛歌さんか1.4.14ではつぎのようにたい(サンスクリット:सत्यं、真理しんり)と[45][46]ひとしくしている。

धर्मः तस्माद्धर्मात् परं नास्त्य् अथो अबलीयान् बलीयाँसमाशँसते धर्मेण यथा राज्ञैवम् ।
यो वै स धर्मः सत्यं वै तत् तस्मात्सत्यं वदन्तमाहुर् धर्मं वदतीति धर्मं वा वदन्तँ सत्यं वदतीत्य् एतद्ध्येवैतदुभयं भवति ।।

はダルマよりたかい。よわさはおうえるものとしてダルマによりつよきものにつ。まさしくそのダルマは真理しんりSatya)であり、したがってひと真理しんりはなとき、「ダルマをかたっている」とい、ダルマをかたるなら、「真理しんりかたっている!」とう。だからふたつはひとつである。

叙事詩じょじし[編集へんしゅう]

ヒンドゥーの宗教しゅうきょう哲学てつがくは、個人こじん実践じっせんてき道徳どうとくおも重視じゅうししているとダニエル・インガルス英語えいごばん主張しゅちょうする[47]。サンスクリットの叙事詩じょじしではこの心配しんぱいはどこにでもあるものである。

たとえばラーマーヤナだい2かんでは農民のうみんおうにダルマが道徳どうとくてき要求ようきゅうすることをおこなうようもとめ、おう同意どういし、たとえダルマのほうしたがうことが非常ひじょうたかいものについてもおこなっている。同様どうようにダルマはラーマーヤナのラーマやシーター、ラクシュマンの生活せいかつにおける主要しゅよう事件じけんすべての中心ちゅうしんにあるとダニエル・インガルスは主張しゅちょうする[48]。ラーマーヤナのそれぞれのはなしは、象徴しょうちょうてき関係かんけいにおける生活せいかつ条件じょうけん倫理りんりてき問題もんだいもたらしている。問題もんだい登場とうじょう人物じんぶつにより議論ぎろんされ、最終さいしゅうてき正義せいぎあくぜん悪魔あくまっている。そのためヒンドゥーの叙事詩じょじしではぜん道徳どうとくてき高潔こうけつ遵法じゅんぽうてきおうは、「ダルマラジャ」とみなされている[49]

べつ主要しゅようなインド叙事詩じょじしマハーバーラタでは同様どうようにダルマは中心ちゅうしんであり象徴しょうちょう隠喩いんゆともあらわれている。叙事詩じょじしわりころ文献ぶんけんでダルマとして引用いんようされているヤマのかみは、動物どうぶつのように天国てんごくはいるのがむずかしいとわれるユディシュティラのふか同情どうじょうためいぬ姿すがたをしてえがかれているが、そこでダルマにより賞賛しょうさんされる決定けっていため仲間なかま見捨みすてることを拒否きょひしている[50]。マハーバーラタの価値かちけは、インドの形而上学けいじじょうがく雄弁ゆうべんにサンスクリットの経典きょうてんあらわれているために、さほど複雑ふくざつではなく、だい12かん形而上学けいじじょうがく表出ひょうしゅつかされてはいないとインガルスは主張しゅちょうし、ラーマーヤナのようにマハーバーラタの主張しゅちょうは、インガルスによると通常つうじょうあたえられた3つのこたえがある一連いちれん道徳どうとくじょう問題もんだい生活せいかつ状態じょうたい表出ひょうしゅつにある[48]こたえのひとつは、唯物ゆいぶつろん利己りこ主義しゅぎ自己じこ表出ひょうしゅつする独自どくじ角度かくどである暴力ぼうりょくこたえであるビーマであり、番目ばんめこたえは、つね社会しゃかいてきとく伝統でんとう敬神けいしんかみへのうったえであるユディシュティラであり、さん番目ばんめこたえは、ふたつの両極端りょうきょくたんおちい象徴しょうちょうてきひともっとうつくしい道徳どうとくてきしつあらわすとインガルスが主張しゅちょうする内省ないせいてきアルジュナである。ヒンドゥーきょう叙事詩じょじしは、ダルマの生命せいめいとく習慣しゅうかん道徳どうとく倫理りんりほうなどのめんについての象徴しょうちょうてき専門せんもんしょである[51]。ヒンドゥーきょう叙事詩じょじしには個人こじん段階だんかいにおける広大こうだいなダルマにかんする討論とうろんがあるとダニエル・インガルス英語えいごばんべていて、たとえば悲嘆ひたん挫折ざせつかん自然しぜん運命うんめいかたむ一方いっぽうで、つよさや繁栄はんえい自然しぜん自由じゆう意志いし支持しじすることを最終さいしゅうてき断定だんていしながら、いつ、何故なぜ人類じんるいがいずれか一方いっぽうしんじるかという自由じゆう意志いし運命うんめいもとづくものである[52]

4世紀せいきのヴァーツヤーヤナによる見解けんかい[編集へんしゅう]

クラウス・クロスターマイアー英語えいごばんによると、4世紀せいきのヒンドゥー学者がくしゃヴァーツヤーヤナ英語えいごばんはアダルマと対比たいひすることでダルマを説明せつめいした[53]。ヴァーツヤーヤナはダルマはその行動こうどうのみならずったりいたりする言葉ことば思想しそう存在そんざいすることを示唆しさした。ヴァーツヤーヤナによればこうなる[53][54]

  1. 身体しんたいのアダルマ:ヒンサ(暴力ぼうりょく)、ステヤ(ぬすみ)、プラティシッダ・マイトゥナ(自己じこのパートナー以外いがいとの性的せいてき耽溺たんでき
  2. 身体しんたいのダルマ:ダナ(慈善じぜん)、パリトラナ(困窮こんきゅう援助えんじょしゃ)、パリカラナ(他社たしゃへの奉仕ほうし提供ていきょう
  3. ったりいたりする言葉ことばからのアダルマ:ミテャ(欺瞞ぎまん)、パルサ(どくのあるいいぐさ)、スカナ(中傷ちゅうしょう)、アサンバッダ(不条理ふじょうり発言はつげん
  4. ったりいたりする言葉ことばからのダルマ:サテャ(真実しんじつ事実じじつ)、ヒタヴァカナ(意図いと発言はつげん)、プリヤヴァカナ(おだやかで寛容かんよう発言はつげん)、スヴァデャヤ(自己じこ学習がくしゅう
  5. しんのアダルマ:パラドロハ(だれかにたいするんだ意志いし)、パラソラヴャビプサ(貪欲どんよく)、ナステャキャ(道徳どうとく敬虔けいけん存在そんざい否定ひてい
  6. しんのダルマ:ダヤ(おもいやり)、アスプラ(公平こうへい無私むし)、スラッダ(信頼しんらい

パタンジャリのヨーガによる見解けんかい[編集へんしゅう]

ヨーガの体系たいけいではダルマは実在じつざいし、ヴェーダーンタでは存在そんざいしない[55]

ダルマはヨーガ一部いちぶであることをパタンジャリは示唆しさし、ヒンドゥーダルマの基本きほん要素ようそは、ヨガの特質とくしつ資質ししつ外見がいけんである[55]。パタンジャリはヤマ(抑制よくせい)とニヤマ(慣例かんれい)というしゅのダルマを説明せつめいした[53]

パタンジャリによると、5つのヤマは、きとしけるものすべてにたいする傷害しょうがいからの自制じせい暴力ぼうりょくアヒンサー)や欺瞞ぎまんからの自制じせい正直しょうじき;サティヤ)、他人たにん価値かちあるもののみとめられない横領おうりょうからの自制じせいぬすめ;アステーヤ)、パートナーにたいする不当ふとうのぞみや浮気うわきからの自制じせい他人たにんからのおくものもとめたりることからの自制じせいである[56]。5つのヤマは、行動こうどう演説えんぜつしんてはまる。ヤマを説明せつめいするにあたりパタンジャリはある仕事しごと状況じょうきょう行為こういにおける適性てきせいようする可能かのうせいがあることを明確めいかくにしている。たとえば漁師りょうしさかなきずつけなければならないがさかなたいするすくなくともトラウマをもってこれにたる意図いとたねばならずりょうをするようにものきずつけようとしてはならない[57]

5つのニヤマ(慣例かんれい)は、きれいなものべ(傲慢ごうまん嫉妬しっとやうぬぼれのような)不純ふじゅんかんがえや直面ちょくめんする環境かんきょう研究けんきゅう歴史れきしてき知識ちしき追求ついきゅうかかわらず自己じこ手法しゅほう仲裁ちゅうさいしずかな自省じせいにおける安堵あんど精神せいしん集中しゅうちゅう完成かんせいげる最高さいこう教師きょうしたいするあらゆる行動こうどう忠誠ちゅうせいのぞくことによる清潔せいけつである[58]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

ヒンドゥーきょう一部いちぶ文献ぶんけんによるとダルマはあらゆる男女だんじょにとって経験けいけんじょう疑問ぎもんである[36][59]たとえばアパスタンバ・ダルマスートラ英語えいごばんう。

ダルマとアダルマは、「それは我々われわれである。」かみ々やガンドハーヴァスや先祖せんぞがダルマとはなにかアダルマとはなにかを宣言せんげんしないとうことはない。
アパスタンバ・ダルマスートラ[60]

文献ぶんけんではヒンドゥーきょうのダルマを発見はっけんする3つの出典しゅってん手法しゅほうべられている。パウル・ハッカードイツばんによると、つぎとおりである[61]だいいち教師きょうしたすけをてヴェーダやウパニシャッド、叙事詩じょじしなどのサンスクリット文学ぶんがくのような歴史れきしてき知識ちしきまなぶこと。だい人々ひとびと行為こういたとえを観察かんさつすること。だいさん出典しゅってんは、模範もはんとならない行為こういであるだれかの教育きょういくたとえがられるときてはまる。この場合ばあい内面ないめん感覚かんかくであるしん満足まんぞくさせるものや意欲いよくがあるとかんじるものを投影とうえいしたがひとである「アトマトゥスティ英語えいごばん」は、ヒンドゥーきょうのダルマの出典しゅってんである[61]

ダルマと生命せいめい段階だんかい社会しゃかい階層かいそう[編集へんしゅう]

ヒンドゥーきょう一部いちぶ文献ぶんけんは、社会しゃかいとしてのまた個人こじんとしてのダルマを略述りゃくじゅつしている。このうちもっと引用いんようしているのは、権利けんり義務ぎむである4つのヴァルナにれているマヌ法典ほうてんである[62]。しかしヒンドゥーきょうほとんどの文献ぶんけんは、ヴァルナ(カースト英語えいごばん)に言及げんきゅうすることなくダルマをろんじている[63]のダルマの文献ぶんけんやスムリティスは、ヴァルナの本質ほんしつ構造こうぞうかんしてマヌ法典ほうてんとはちがっている[62]依然いぜんとして文献ぶんけんは、まさしくヴァルナの存在そんざい疑問ぎもんしている。たとえば叙事詩じょじしではブリグぞくはダルマはいかなるヴァルナもようしないという理論りろんしめしている[64]実際じっさい中世ちゅうせいインドは職業しょくぎょうぞくないこんをするそれぞれの社会しゃかい階層かいそうとも社会しゃかいてき階層かいそうかれた社会しゃかいであるとひろしんじられている。ヴァルナはヒンドゥーダルマでは絶対ぜったいではなく、解脱げだつ探索たんさくたっては生命せいめいアーシュラマ同様どうよう個人こじんにはヴァルナを放棄ほうき権利けんりがあった[62][65]。ヒンドゥーきょうのマヌ法典ほうてん後継こうけいのスムリティスがいまだにヴァルナダルマ(ヴァルナスのダルマということ)やヴァルナスラマダルマ(ヴァルナスとアーシュラマのダルマということ)という単語たんごもちいない一方いっぽうで、マヌ法典ほうてんかんする学術がくじゅつてき論評ろんぴょうはこの言葉ことばもちい、したがってダルマをインドのヴァルナ制度せいど関連付かんれんづけている[62][66]。6世紀せいきのインドでは仏教徒ぶっきょうとおうさえみずからをヴァルナのダルマであり生命せいめいのアーシュラマである「ヴァルナスラマダルマの擁護ようごしゃ」とんだ[62][67]

個人こじん段階だんかいではヒンドゥーきょう一部いちぶ文献ぶんけんは、4つのアーシュラマ個人こじんのダルマとしての人生じんせい段階だんかい)を略述りゃくじゅつしている。以下いかとおりである[68]。(1)ブラフマチャーリヤ英語えいごばん学生がくせい学生がくせいとして準備じゅんびする生活せいかつ)(2)グリハスタ英語えいごばんいえじゅう家族かぞくなどの社会しゃかいてき役割やくわり世帯せたいぬし生活せいかつ)(3)ヴァーナプラスタ英語えいごばんまたはアラニャカ(はやしじゅう世界せかいてき職業しょくぎょうから反省はんせい自制じせい移行いこうする森林しんりん居住きょじゅうしゃ生活せいかつ)(4)サンニヤーサ英語えいごばん遊行ゆぎょう隠遁いんとんしゃ精神せいしんてき要素ようそである解脱げだつへの帰依きえとなるぜん財産ざいさんあたえる生活せいかつ)。

ヒンドゥーきょうによると、人生じんせいの4つの段階だんかいは、生命せいめいにおける人間にんげんの4つの努力どりょく完成かんせいさせる[69]。ダルマは個人こじん適法てきほう調和ちょうわのとれた生命せいめいでありおこないをしひとになり高潔こうけつ宗教しゅうきょうじょう利益りえき他人たにんたいして有益ゆうえき成功裏せいこうり社会しゃかいとも努力どりょくであるきと秩序ちつじょため努力どりょく満足まんぞくさせることが可能かのうである。の3つの努力どりょくは、食糧しょくりょう住居じゅうきょ権力けんりょく保安ほあんものざいなどのような生命せいめい道具どうぐため努力どりょくであるアルタ英語えいごばんせい欲求よっきゅう享楽きょうらくあい情緒じょうちょてき達成たっせいかんなどのため努力どりょくであるカーマ精神せいしんてき意味合いみあいや輪廻りんねからの解脱げだつ、この生命せいめいにおける自己じこ実現じつげんなどのため努力どりょくである解脱げだつである。4つの段階だんかいは、ヒンドゥーダルマにおいて独立どくりつしてもいないし排他はいたてきでもない[69]

ダルマと貧困ひんこん[編集へんしゅう]

ヒンドゥーダルマ経典きょうてんによると、個人こじん社会しゃかいにとって必要ひつようである一方いっぽうで、ダルマは社会しゃかい貧困ひんこん繁栄はんえいによってもちがう。たとえばアダム・ボールズによると[70]シャタパタ・ブラーフマナ11.1.6.24はみずつうじた社会しゃかい繁栄はんえいとダルマに関連かんれんしている。みずあめからて、あめ豊富ほうふだと地上ちじょう繁栄はんえいがあり、この繁栄はんえい人々ひとびと道徳どうとく適法てきほう生活せいかつであるダルマにしたがうことが可能かのうになると主張しゅちょうする。なげきや旱魃かんばつ貧困ひんこんときにダルマによるとすべては人類じんるい人類じんるいきる能力のうりょくあいだ関係かんけいふくめて痛手いたでこうむ[70]

ラジャダルマパルヴァン91.34-8では貧困ひんこんとダルマのあいだ関係かんけいは、十分じゅうぶんえんたっしている。よわ道徳どうとく適法てきほう生活せいかつのある土地とちは、なげきをもたらし、なげきがこうじると、さらなげきをさら不道徳ふどうとく不法ふほう生活せいかつもたら[70][71]。このことが社会しゃかい個人こじんがダルマにしたが繁栄はんえいたっすることができるために、権力けんりょくにあるものは、(支配しはいしゃのダルマである)ラジャダルマにしたがわなければならない[72]

ダルマとほう[編集へんしゅう]

義務ぎむ作法さほうとしてのダルマの観念かんねんは、古代こだいインドのほう宗教しゅうきょうかんする文献ぶんけん見出みいだされる。ヒンドゥー哲学てつがくでは正義せいぎ社会しゃかい調和ちょうわ幸福こうふく人々ひとびとがダルマごとにきることを要求ようきゅうしている。ダルマ・シャーストラはこの指針ししん規則きそく記録きろくである[73]られる証拠しょうこは、インドがかつ文学ぶんがく(スートラやシャーストラ)に関連かんれんするダルマを大量たいりょう収集しゅうしゅうしていたことを示唆しさし、スートラのうち4つが現存げんそんし、このもの現在げんざいダルマスートラとして言及げんきゅうされている[74]。ダルマスートラのマヌのほうともにナラダなどの古代こだい学者がくしゃのようにほう平行へいこうしながらことなる要約ようやく存在そんざいしている[75][76]。このことなる矛盾むじゅんしたほうかんするほんは、排他はいたてきでなければ、ヒンドゥーきょうべつ出典しゅってんってわってもいない。このダルマスートラには道徳どうとく同様どうよう若者わかもの教育きょういく通過つうか儀式ぎしき習慣しゅうかん宗教しゅうきょうじょう儀式ぎしきやしきたり、夫婦ふうふあいだ権利けんり義務ぎむ祖先そせんかかわる儀式ぎしきほう正義せいぎ執行しっこう犯罪はんざい処罰しょばつ支配しはい証拠しょうこ種類しゅるいおう義務ぎむかんする指示しじがある[74]

仏教ぶっきょう[編集へんしゅう]

仏教ぶっきょうではダルマは宇宙うちゅうほう秩序ちつじょ意味いみするが[9]釈迦しゃかおしえにも応用おうようされている[9]仏教ぶっきょう哲学てつがくではダンマ・ダルマは「現象げんしょう」をあらわ用語ようごでもある[11]ひがしアジアではダルマの翻訳ほんやくは、中国ちゅうごく発音はつおんするほうやチベットのチュー ཆོས་、朝鮮ちょうせんの법、日本語にほんごほう、ベトナムphápがある。しかしダルマという用語ようごは、もとかたちからなおされている。

釈迦しゃかおし[編集へんしゅう]

敬虔けいけん仏教徒ぶっきょうとにとって釈迦しゃかダルマとして東方とうほうつうじてひろられるとくにダルマとしてダルマへの言及げんきゅうは、一般いっぱん釈迦しゃかおしえを意味いみしている。とく寓話ぐうわたいするように(四諦したいはち正道せいどうのような)基本きほんてき規範きはんかんするはないがある。

ダルマの身分みぶんは、ことなる仏教徒ぶっきょうと伝統でんとうによりことなってくるとられている。ある程度ていど異教徒いきょうとのギリシャじんキリスト教きりすときょうロゴスのように「三界さんがい」や「六道ろくどう」をえてよこたわる根源こんげんてき真実しんじつかあらゆるもののみなもととみなすひとがいる。このことはほうとしてられている。釈迦しゃか完全かんぜん啓蒙けいもうされたひととみなしているが、個人こじん性向せいこう才能さいのうもと釈迦しゃか様々さまざま種類しゅるいひとあたえた「84000のことなるおしえのめん」の本質ほんしつとダルマをている。

ダルマは釈迦しゃかうことだけでなく様々さまざま宗派しゅうは釈迦しゃかおしえを説明せつめいする手助てだすけとし展開てんかいするため発展はってんしている後世こうせい解説かいせつ追加ついか伝統でんとうにも言及げんきゅうしている。ひとにとって依然いぜんダルマを「真理しんり」や「実在じつざいするみち」の根源こんげんてき存在そんざい言及げんきゅうするものとている。

ダルマは仏教ぶっきょう実践じっせんしゃ保護ほごもとめたり永久えいきゅう幸福こうふくたよ仏教ぶっきょう帰依きえひとつである。仏教ぶっきょう帰依きえは、しん啓蒙けいもう完成かんせい意味いみする仏陀ぶっだ釈迦しゃかおしえや手法しゅほう意味いみするダルマ釈迦しゃかしたがものへの指導しどう支援しえんおこな僧侶そうりょ社会しゃかい意味いみするサンガである。

ぜん仏教ぶっきょう[編集へんしゅう]

ダルマは正統せいとう教義きょうぎ理解りかい菩薩ぼさつ伝達でんたつ関連かんれんする特定とくてい状況じょうきょうぜん仏教ぶっきょう英語えいごばん従事じゅうじし、印可いんかによりみとめられる。

ジャイナきょう[編集へんしゅう]

ジャイナきょう

ジャイナきょうにおけるダルマという単語たんごは、あらゆる主要しゅよう文献ぶんけん見出みいだされる。文献ぶんけんじょう意味いみがあり、数多すうた思想しそう言及げんきゅうしている。広義こうぎにはジナのおし[9]矛盾むじゅんする宗派しゅうはおし[77]最高さいこうみち[78]社会しゃかい宗教しゅうきょうてき義務ぎむ[79]最高さいこうのマンガラ(きよし)であるものを意味いみする[80]

6つのドラヴィヤ本質ほんしつまたは現実げんじつ)の理論りろん一環いっかんとしてダルマという単語たんごは、ジャイナきょうでは特定とくてい存在そんざいろんてき救済きゅうさいろんてき意味いみもある。ジャイナの伝統でんとうでは存在そんざいはジーヴァ(霊魂れいこん、アートマン)やアジーヴァ(霊魂れいこんでないもの)をふくみ、後者こうしゃ活性かっせい無意識むいしき原子げんし物質ぶっしつ(プドガラ)や空間くうかん(アーカーシャ)、時間じかん(カーラ)、運動うんどう主題しゅだい(ダルマ)、やすらぎの主題しゅだい(アダルマ)の5つの分野ぶんやふくんでいる[81][82]運動うんどう意味いみ存在そんざいろんてき下位かい分類ぶんるい言及げんきゅうするのにダルマという用語ようごもちいることは、ジャイナきょう特有とくゆうのもので、仏教ぶっきょう形而上学けいじじょうがくやヒンドゥーきょう様々さまざま宗派しゅうはにはせない[82]

主要しゅようジャイナ文学ぶんがく英語えいごばんタトヴァルタスートラは「10の高潔こうけつとく」のあるダスダルマに言及げんきゅうしている。このものは忍耐にんたい謙遜けんそん率直そっちょく純粋じゅんすい正直しょうじき克己こっき質素しっそ自制じせい禁欲きんよくである[83]。ジャイナ文学ぶんがくプルシャールタシデュパーヤの著者ちょしゃアカーリャ・アムリタカンドラは[84]

ただしい信者しんじゃは、あらゆる相容あいいれない傾向けいこうから霊魂れいこんまもため最高さいこう謙遜けんそんのようにダルマのとくについてえず瞑想めいそうすべきである。他人たにん短所たんしょかくすべきである。
プルシャールタシデュパーヤ(27)

シクきょう[編集へんしゅう]

シクきょう

シク教徒きょうとにとってダルマという言葉ことばは、高潔こうけつみちであり妥当だとう宗教しゅうきょうじょう実践じっせん意味いみする[12]賛歌さんか1353のグル・グラント・サーヒブは、義務ぎむとしてのダルマを暗示あんじしている[85]。あるシク教徒きょうと信仰しんこう含意がんいする西洋せいよう文化ぶんか3HO英語えいごばんは、宗教しゅうきょう道徳どうとくじょう義務ぎむ生活せいかつ方法ほうほう構成こうせいするすべてとしてひろくシクきょうのダルマを規定きていしている[86]

象徴しょうちょうとしてのダルマ[編集へんしゅう]

インドのはた中央ちゅうおうは、ダルマをあらわしている。

インドの世論せろんたいするダルマの重要じゅうようせいは、そのはた中央ちゅうおうのモチーフとして法輪ほうりん(「ダルマの」)の描写びょうしゃであるアショカチャクラふくむ1947ねんのインドの決定けっていにより説明せつめいされている[87]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

ちゅう[編集へんしゅう]

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  2. ^ デヴィッド・カルパハナ:「ブッダはダルマという使つかふるされたインドの言葉ことば従前じゅうぜんのとおり現象げんしょう事物じぶつすものとしてもちいた。しかしこのダルマを「ってしょうじた現象げんしょう」(paticca-samuppanna-dhamma)として定義ていぎすることにはつねに慎重しんちょうであった……ダルマというかたり存在そんざいろんてき意味いみにおいて実体じったいわが; atman)を意味いみするというインドの観念かんねんから、このダンマの概念がいねん区別くべつするために、ブッダは結果けっか帰結きけつ、あるいは果実かじつattha, Sk. artha)という概念がいねん利用りようしてダンマの実際じっさいてき意味いみあかるみにした。」[11]
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参照さんしょう[編集へんしゅう]

引用いんよう[編集へんしゅう]

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  51. ^ There is considerable amount of literature on dharma-related discussion in Hindu Epics: of Egoism versus Altruism, Individualism versus Social Virtues and Tradition; for examples, see:
    • Johann Jakob Meyer (1989), Sexual life in ancient India, ISBN 8120806387, Motilal Banarsidass, pp. 92–93; Quote – "In Indian literature, especially in Mahabharata over and over again is heard the energetic cry – Each is alone. None belongs to anyone else, we are all but strangers to strangers; (...), none knows the other, the self belongs only to self. Man is born alone, alone he lives, alone he dies, alone he tastes the fruit of his deeds and his ways, it is only his work that bears him company. (...) Our body and spiritual organism is ever changing; what belongs, then, to us? (...) Thus, too, there is really no teacher or leader for anyone, each is his own Guru, and must go along the road to happiness alone. Only the self is the friend of man, only the self is the foe of man; from others nothing comes to him. Therefore what must be done is to honor, to assert one's self..."; Quote – "(in parts of the epic), the most thoroughgoing egoism and individualism is stressed..."
    • Raymond F. Piper (1954), "In Support of Altruism in Hinduism", Journal of Bible and Religion, Vol. 22, No. 3 (Jul., 1954), pp. 178–183
    • J Ganeri (2010), A Return to the Self: Indians and Greeks on Life as Art and Philosophical Therapy, Royal Institute of Philosophy supplement, 85(66), pp. 119–135.
  52. ^ Daniel H. H. Ingalls, "Dharma and Moksa", Philosophy East and West, Vol. 7, No. 1/2 (Apr. – Jul., 1957), pp. 44–45; Quote – "(...)In the Epic, free will has the upper hand. Only when a man's effort is frustrated or when he is overcome with grief does he become a predestinarian (believer in destiny)."; Quote – "This association of success with the doctrine of free will or human effort (purusakara) was felt so clearly that among the ways of bringing about a king's downfall is given the following simple advice: 'Belittle free will to him, and emphasise destiny.'" (Mahabharata 12.106.20).
  53. ^ a b c Klaus Klostermaier, A survey of Hinduism, SUNY Press, ISBN 0-88706-807-3, Chapter 3: "Hindu dharma".
  54. ^ Jha, Nyayasutras with Vatsyayana Bhasya, 2 vols, Oriental Books (1939).
  55. ^ a b The yoga-system of Patanjali The ancient Hindu doctrine of concentration of mind, embracing the mnemonic rules, called Yoga-sutras, James Haughton Woods (1914), Harvard University Press
  56. ^ The yoga-system of Patanjali Yoga-sutras, James Haughton Woods (1914), Harvard University Press, pp. 178–180.
  57. ^ The yoga-system of Patanjali Yoga-sutras, James Haughton Woods (1914), Harvard University Press, pp. 180–181.
  58. ^ The yoga-system of Patanjali Yoga-sutras, James Haughton Woods (1914), Harvard University Press, pp. 181–191.
  59. ^ Kumarila, Tantravarttika, Anandasramasamskrtagranthavalih, Vol. 97, pp. 204–205; For an English Translation, see Jha (1924), Bibliotheca Indica, Vol. 161, Vol. 1.
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  65. ^ see:
    • Van Buitenen, J. A. B. (1957). "Dharma and Moksa". Philosophy East and West, Volume 7, Number 1/2 (April – July 1957), pp. 38–39
    • Koller, J. M. (1972), "Dharma: an expression of universal order", Philosophy East and West, 22(2), pp. 131–144.
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  68. ^ Alban G. Widgery, "The Principles of Hindu Ethics", International Journal of Ethics, Vol. 40, No. 2 (Jan., 1930), pp. 232–245.
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    • Karl H. Potter (1958), "Dharma and Mokṣa from a Conversational Point of View", Philosophy East and West, Vol. 8, No. 1/2 (April – July 1958), pp. 49–63.
    • William F. Goodwin, "Ethics and Value in Indian Philosophy", Philosophy East and West, Vol. 4, No. 4 (Jan. 1955), pp. 321–344.
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  80. ^ Cort, John E. (2001). Jains in the World: Religious Values and Ideology in India. Oxford University Press. pp. 192–194. ISBN 978-0-19-803037-9. https://books.google.com/books?id=PZk-4HOMzsoC&pg=PA192 
  81. ^ Cort, John E. (1998). Open Boundaries: Jain Communities and Cultures in Indian History. State University of New York Press. pp. 10–11. ISBN 978-0-7914-3786-5. https://books.google.com/books?id=WWfnXbVWjKcC 
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出典しゅってん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]