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ゾロアスターきょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ゾロアスターきょう(ゾロアスターきょう、ペルシア: دین زردشتDîn-e Zardoštドイツ: die Lehre des Zoroaster/Zarathustra英語えいご: Zoroastrianism)、祆教(けんきょう、拼音: xiān jiào シェンジャオ)またははいきょう(はいかきょう)は、古代こだいペルシア起源きげんの、ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)がアフラ・マズダー信仰しんこう対象たいしょうとして創設そうせつした宗教しゅうきょうである。ネオペイガニズムのぞ現存げんそんする宗教しゅうきょうなかでは最長さいちょう歴史れきしつとされる。聖典せいてんは『アヴェスター』。

概要がいよう

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聖火せいかだいあと(イラン)
チャクチャク (ヤズドしゅう)

イラン高原こうげんんでいた古代こだいアーリアじんミスラヴァーユなど様々さまざまかみ信仰しんこうする多神教たしんきょうはらイラン多神教たしんきょう[1])であった[2]。このはらイラン多神教たしんきょうもとに、ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)がアフラ・マズダー信仰しんこう対象たいしょうとして紀元前きげんぜん7世紀せいきごろ創設そうせつしたのがゾロアスターきょうのルーツである[3]

紀元前きげんぜん6世紀せいきアケメネスあさペルシア成立せいりつすで王家おうけ王国おうこく中枢ちゅうすうをなすペルシアじんのほとんどが信奉しんぽうする宗教しゅうきょうであったともわれている[4]。これにたいし、3世紀せいきサーサーンあさ成立せいりつまで、ながらくアーリアじんしょ宗教しゅうきょう一派いっぱぎなかったとする見方みかたもある。このため21世紀せいき初頭しょとうのゾロアスター研究けんきゅうでは、古代こだいアーリアじんしょ宗教しゅうきょう記述きじゅつすることでアーリアじん民族みんぞく宗教しゅうきょう研究けんきゅう奥行おくゆきをたせようとする傾向けいこうがある[5]紀元前きげんぜん3世紀せいき成立せいりつしたアルサケスあさパルティアでもヘレニズム影響えいきょうつよけつつアーリアじん信仰しんこうまもられた。3世紀せいき初頭しょとう成立せいりつしたサーサーンあさペルシアでは国教こっきょうとされ、王権おうけん支配しはい正当せいとうせいささえる重要じゅうようはしらとみなされた[4]。サーサーンちょうには聖典せいてんアヴェスター』が整備せいびされた。また、活発かっぱつなペルシア商人しょうにん交易こうえき活動かつどうによって中央ちゅうおうアジア中国ちゅうごくへも伝播でんぱしていった。

7世紀せいき後半こうはん以降いこうアラブじんイスラム教徒きょうと支配しはいでゾロアスターきょう衰退すいたいし、その活動かつどう中心ちゅうしんインドうつった。17世紀せいき以降いこうイギリスアジア進出しんしゅつのなかで、イギリスひがしインド会社かいしゃとインドのゾロアスター教徒きょうと関係かんけいふかまり、現在げんざい少数しょうすうながらインド経済けいざい社会しゃかいすくなからぬ影響えいきょうりょく[6]聖地せいちはイラン、ヤズド近郊きんこう位置いちするチャクチャク[7]

ゾロアスターきょうひかりぜん)の象徴しょうちょうとしての純粋じゅんすいな「」(アータルアヴェスター: ātar‎)をとうとぶため、はいきょう(はいかきょう)ともばれる。ゾロアスターきょうぜん神殿しんでんには、ザラスシュトラが点火てんかしたとされるえることなくつづけ、神殿しんでんないには偶像ぐうぞうはなく、信者しんじゃほのおかって礼拝れいはいする[6]中国ちゅうごくでは祆教(けんきょう)とも筆写ひっしゃされ、とうだいには「さんえびすきょう」のひとつとして隆盛りゅうせいした。他称たしょうとしてはさらに、アフラ・マズダー信仰しんこうするところからマズダーきょう呼称こしょうがある。ただし、アケメネスあさ宗教しゅうきょうを「ゾロアスターきょう」とはべないという立場たちば(たとえばエミール・バンヴェニスト)からすると、ゾロアスターきょうはマズダーきょう一種いっしゅである。また、この宗教しゅうきょうがペルシア起源きげんであることから、インド大陸たいりくでは「ペルシア」を意味いみする「パールシー(パースィー、パーシー)」のかたりもちいて、パールシーきょうないしパーシーきょうともしょうされる。

今日きょう世界せかいにおけるゾロアスターきょう信者しんじゃやく10まんにん推計すいけいされている[6]。インド・イラン・欧米おうべいけんなどにも信者しんじゃ存在そんざいするが、それぞれの地域ちいき少数しょうすうにとどまっている。

その来世らいせかん終末しゅうまつろんセムてき一神教いっしんきょう仏教ぶっきょうなどに影響えいきょうあたえたというせつもある[8]ぜんあく二元論にげんろん特徴とくちょうとするが、ぜん勝利しょうり優位ゆうい確定かくていされている。「世界せかい最古さいこ一神教いっしんきょう」ともわれることもある。

教義きょうぎ

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ザラスシュトラのおしえ(はらゾロアスターきょう)がどのようなものだったのか、聖典せいてんアヴェスター』がきわめて難解なんかいなことから、今日きょうでは正確せいかくにはかっていない。様々さまざま宗教しゅうきょう影響えいきょうけて、6~9世紀せいきにようやく教義きょうぎ確立かくりつしたとするきもある。

ここではゾロアスターきょうおも教義きょうぎ記述きじゅつしたのち、その教義きょうぎについて概観がいかんする。

儀式ぎしき

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ゾロアスターきょうさい重要じゅうよう儀式ぎしきとされるのがジャシャンである。これは、「感謝かんしゃ儀式ぎしき」ともばれ、物質ぶっしつかい精神せいしんかい平和へいわ秩序ちつじょをもたらすとかんがえられている[6]。ゾロアスター教徒きょうとは、この儀式ぎしき参加さんかすることできていることの感謝かんしゃあらわし、儀式ぎしきのなかでも感謝かんしゃねんささげる[6]。ゾロアスターきょう祭司さいしは、白衣はくいをまとい、伝統でんとうてき帽子ぼうしをかぶり聖火せいかよごさぬようしろマスクをして儀式ぎしきのぞ[6]。ここでは清浄せいじょうさがもとめられる。

7さいから12さいころまでにかけてゾロアスターきょう入信にゅうしん儀式ぎしきナオジョテ(ナヴヨテ)」がおこなわれる。儀式ぎしき入信にゅうしんしゃ純潔じゅんけつ新生しんせい象徴しょうちょうであるしろいと(クスティ)と神聖しんせい肌着はだぎ(スドラ)をにつけ、教義きょうぎ道徳どうとくとをまもることを誓願せいがんする[6]

守護しゅごれい

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ペルセポリスにのこされたゾロアスターきょう守護しゅごれいフラワシぞう

ゾロアスターきょう守護しゅごれいは、ぜんあらわし、ぜんのためにはたらく「フラワシ」である[6]。フラワシはこの森羅万象しんらばんしょう宿やどり、あらゆる自然しぜん現象げんしょうこす霊的れいてき存在そんざいとしてかみ神髄しんずいあらわし、たすけをもとめるひとすくうであろうとしんじられている[6]

礼拝れいはい

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ゾロアスターきょう礼拝れいはいは、「はい神殿しんでん」としょうされる礼拝れいはいしょおこなわれる。神殿しんでん信者しんじゃ以外いがい立入禁止たちいりきんしで、信者しんじゃ礼拝れいはいしょはいまえかおきよめ、クスティばれるいのりの儀式ぎしきをおこなう。クスティののち履物はきものいで建物たてものはい聖火せいかまえすすんで、そのはい自分じぶんかおってせいなるたいして礼拝れいはいささげる[6]

葬送そうそう

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ヤズド(イラン)の「沈黙ちんもくとう

ゾロアスターきょう葬送そうそうは、とりそう風葬ふうそうである[6]。この葬送そうそうは、遺体いたい埋納まいのうせず野原のはらなどに放置ほうちし、風化ふうかないし、とりがついばむなど自然しぜんまかせるもので、そのための施設しせつもうけられることもある[6]。この施設しせつ一般いっぱんに「沈黙ちんもくとう(ダフマ)」とばれ、屋根やねもうけず、石板せきばんうえ死者ししゃ遺体いたいき、上空じょうくうからとり降下こうかして死体したいをついばむ構造こうぞうとなっている[6]。ゾロアスターきょう教義きょうぎじょう人間にんげんはその肉体にくたいもアフラ・マズダーなどぜんかみぐん守護しゅごのもとにあるため、清浄せいじょう創造そうぞうぶつである遺体いたいたいして不浄ふじょうがもたらされないよう、とりそう風葬ふうそうがされると説明せつめいされている[6]

最近さいきんおやこん

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ゾロアスターきょう聖典せいてんアヴェスター』のヴェンディダードじょしょ)などでは、自分じぶんおや兄弟きょうだい姉妹しまいまじわる最近さいきんおやこんを「フヴァエトヴァダタ」とび、最大さいだい善徳ぜんとくいた。アケメネスちょう伝承でんしょうつづった『アルダー・ウィーラーフのしょ』では、ニーシャープール聖職せいしょくしゃウィーラーフの高徳こうとくなかで、もっと称賛しょうさんされるのが7にん姉妹しまい近親きんしんこんしたこととされる[9]。また、かれ冥界めいかいたびなか天国てんごくひかかがやものたちたが、そのなかまうものとして近親きんしんこんおこなったもの姿すがたがあった。反対はんたいに、近親きんしんこん破算はさんにしたおんな地獄じごくへびさいなまれている記述きじゅつがあり、その苦痛くつう永遠えいえんつづくという。ゾロアスターきょう影響えいきょうにあった古代こだいペルシャでは、王族おうぞく僧侶そうりょ平民へいみんなど階級かいきゅう区別くべつなく親子おやこ兄弟きょうだい姉妹しまいあいだ近親きんしんこんおこなわれていた。

善悪ぜんあく二元論にげんろんとゾロアスターきょうかみ

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ゾロアスターきょう教義きょうぎ最大さいだい特色とくしょくは、善悪ぜんあく二元論にげんろん終末しゅうまつろんである[6]世界せかい至高しこうしんアフラ・マズダーひきいるスプンタ・マンユあくれいアンラ・マンユ(アフリマン)、およびそれにひきいられるぜんかみぐんアムシャ・スプンタ)と悪神あくじんぐんダエーワ)のりょう勢力せいりょくたがいにあらそで、生命せいめいひかりやみとの闘争とうそうとされる[6][注釈ちゅうしゃく 1]

最初さいしょに2つの対立たいりつするれいがあり、両者りょうしゃ相互そうご存在そんざいづいたとき、ぜんれい知恵ちえあるじアフラ・マズダー)が生命せいめい真理しんりなどをえらび、それにたいしてもう一方いっぽう対立たいりつれいアンラ・マンユ)は虚偽きょぎえらんだ[12]。アフラ・マズダーは、たたかいがけられないことをさとり、たたかいのとそのになとしてたかしみず大地だいち植物しょくぶつ動物どうぶつ人間にんげんの7段階だんかいからなるこの世界せかい創造そうぞうした。かく造物ぞうぶつはアフラ・マズダーの7つの倫理りんりてき側面そくめんにより、特別とくべつ守護しゅごされた[12]たいしてアンラ・マンユは大地だいち砂漠さばくに、大海たいかい塩水えんすいにし、植物しょくぶつらして人間にんげん動物どうぶつころし、けがすという攻撃こうげきくわえた。しかしアフラ・マズダーは世界せかい浄化じょうかし、動物どうぶつ人間にんげんやすなど、不断ふだん努力どりょくでアンラ・マンユのまきらす衰亡すいぼう邪悪じゃあく汚染おせんなどの害悪がいあくを、きものにえていった。このように、歴史れきし創造そうぞうされた「この世界せかい」を舞台ぶたいとした2だい勢力せいりょくたたかいと理解りかいした。

アフラ・マズダーとぜんかみぐん

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アフラ・マズダー(みぎ)より王権おうけん象徴しょうちょう授受じゅじゅされるサーサーンあさアルダシール1せいひだり)のレリーフ(ナクシェ・ロスタム

アフラ・マズダーは、ゾロアスターきょう主神しゅしん。みずからの属性ぞくせいを7つのアムシャ・スプンタ(ななだい天使てんし不滅ふめつなる利益りえきしゃたち)というかみ々として実体じったいさせ、天空てんくうみず大地だいち植物しょくぶつ動物どうぶつひと順番じゅんばん創成そうせいした、世界せかい創造そうぞうしゃである[6]

アフラ・マズダーを補佐ほさするぜんしん(アムシャ・スプンタ)としては、つぎの7かみがある。

  • スプンタ・マンユ : 人類じんるい守護神しゅごじん。「聖霊せいれい」を意味いみする。アフラ・マズダーと同一どういつされることもある[6]
  • ウォフ・マナフ : 動物どうぶつかい統治とうちしゃ。「ぜんなる意思いし」を意味いみし、アフラ・マズダーの言葉ことば人類じんるい伝達でんたつする役割やくわりつね人間にんげん行為こうい記録きろくし、やがておとずれる「最後さいご審判しんぱん」でその記録きろくみあげるとされる[6]
  • アシャ・ワヒシュタ(アシャ) : 「せいなる」の守護神しゅごじん。「宇宙うちゅうまさしく秩序ちつじょづける正義まさよし」に由来ゆらいし、天体てんたい運行うんこうぶしうつわりをつかさどる。虚偽きょぎ悪魔あくまドゥルジに対峙たいじする[6]
  • スプンタ・アールマティ : 大地だいち守護神しゅごじん代表だいひょうてき女神めがみ女性じょせい天使てんし)。「献身けんしん」「敬虔けいけん」のとおり、宗教しゅうきょうてき調和ちょうわ信仰しんこうしんつよさ、さらに信仰しんこうそのものを顕現けんげんする。「背教はいきょう」と「推測すいそく」の悪魔あくまタローマティと対立たいりつする[6]
  • クシャスラ(フシャスラ・ワルヤ) : 金属きんぞく鉱物こうぶつ守護神しゅごじん。「理想りそうてき領土りょうどないし統治とうち」に由来ゆらいし、「てん王権おうけん」を象徴しょうちょうする。アフラ・マズダーによる「ぜん王国おうこく建設けんせつのために尽力じんりょくする[6]
  • ハルワタート : みず守護神しゅごじん。「完璧かんぺき」を意味いみする女性じょせいだい天使てんし。アムルタートとは密接みっせつ不可分ふかぶんとされる[6]
  • アムルタート : 植物しょくぶつ守護しゅご天使てんし主神しゅしんアフラ・マズダーのは「不死ふし」にる。ハルワタートとちからわせて地上ちじょう降雨こううをもたらす[6]また、ぜんしん象徴しょうちょうほのおとされ、そこから崇拝すうはいまれている

アンラ・マンユと悪神あくじんぐん

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悪神あくじんアエーシュマ影響えいきょう成立せいりつしたとかんがえられる。 ぜんしん対峙たいじする悪魔あくまは、以下いかとおり。

  • アンラ・マンユ別名べつめい:アフリマン、アーリマン) : ゾロアスターきょうにおけるだい魔王まおう虚偽きょぎ狂気きょうき凶暴きょうぼう病気びょうきなど、あらゆるあく害毒がいどく創造そうぞうする[6]
  • アエーシュマ : いかりと欲望よくぼうつかさどり、人間にんげん悪行あくぎょうにいざなう。天使てんしスラオシャとは対立たいりつ関係かんけいにある[6][注釈ちゅうしゃく 2]
  • アジ・ダハーカ : 3とう3くちゆうし、くちからはどくす。残忍ざんにんでずるかしこく、地上ちじょうにあっては人間にんげん姿すがたをして善人ぜんにんをそそのかす悪魔あくまである[6]
  • ジャヒー : おんな悪魔あくま売春ばいしゅん支配しはいしゃ婦人ふじん月経げっけいくるしみをあたえたとされる[6]
  • タローマティ : アヴェスターで「背教はいきょう」を意味いみする。女性じょせい天使てんしアールマティと対立たいりつ関係かんけいにある[6]
  • ドゥルジ : 疫病えきびょうをもたらすおんな悪魔あくま天体てんたい運行うんこうをになうアシャとは対立たいりつ関係かんけいにある[6]
  • パリカー : おんな悪魔あくま総称そうしょう。ドゥルズーヤー、クナンサティー、ムーシュは、そのなかでも「さんだいパリカー」として恐怖きょうふ対象たいしょうとなった[6]

終末しゅうまつろん三徳さんとく

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ゾロアスターきょう歴史れきしかんでは、宇宙うちゅうはじまりからわりまでの期間きかんは1まん2000ねんとされ、3000ねんずつ4つに区切くぎられ、「(霊的れいてき物質ぶっしつてき創造そうぞう(ブンダヒシュン)」「混合こんごう(グメーズィシュン)」「分離ぶんり(ウィザーリシュン)」の3けられ、現在げんざいは「混合こんごう時代じだい」とされる。アフラ・マズダーによる「創造そうぞう」によってはじまった「創造そうぞう時代じだい」は完璧かんぺき世界せかいだったが、アンラ・マンユの攻撃こうげきは「混合こんごう時代じだい」にはいり、善悪ぜんあくはいじってたがいに闘争とうそうする時代じだいとなる。ぜん人類じんるい人生じんせいにおいてこのたたかいに否応いやおうなく参加さんかすることになり、アフラ・マズダーやアムシャ・スプンタを崇拝すうはいして悪徳あくとくみずからのなかからし、ぜんつようかみ々とともにあく努力どりょくをしなければならない。死後しご楽土らくどかう「チンワトきょう選別せんべつしゃはし)」でミスラの審判しんぱんけて善行ぜんこうんできたものは、自分じぶん自身じしん意識いしきかたちとなったうつくしい少女しょうじょダエーナーみちびかれて[13]楽土らくど天国てんごく)へわたり、あくえらんだものはしからちて地獄じごくかう。そして将来しょうらいてきには「治癒ちゆ」(フラショー・クルティ、フラシェギルド)とばれるぜん勝利しょうり歴史れきし終末しゅうまつこり、それ以後いごの「分離ぶんり時代じだい」には善悪ぜんあく完全かんぜん分離ぶんりし、アンラ・マンユとあくえらんだものたちは消滅しょうめつし、世界せかいふたた完璧かんぺき理想りそうてきなものとなって、「分離ぶんり時代じだい」は永遠えいえんつづくとかんがえられた。

ゾロアスターきょうでは、ぜんかみぐん悪神あくじんたちとの闘争とうそう最後さいご審判しんぱんぜん勢力せいりょく勝利しょうりするとかんがえられ、そのあたらしい理想りそう世界せかいへの転生てんせいかれる[6]。そして、そのなかでひとは、生涯しょうがいにおいてぜんおもえぜん善行ぜんこうの3つのとく三徳さんとく)の実践じっせんもとめられる。ひとはその実践じっせんおうじて、臨終りんじゅうさばきをけて、死後しご天国てんごく地獄じごくのいずれかへか旅立たびだつとしんじられた[6]世界せかい終末しゅうまつにはそう審判しんぱん(「最後さいご審判しんぱん」)がなされる。そこでは、死者ししゃ生者しょうじゃあらためて選別せんべつされ、すべてのあくほろぼしたのちのしん世界せかいで、最後さいご救世主きゅうせいしゅによって永遠えいえん生命せいめいをあたえられる[6]

自然しぜん崇拝すうはいてき要素ようそ

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ゾロアスターきょう自然しぜん崇拝すうはいはらイラン多神教たしんきょう母体ぼたいとし、ザラスシュトラがそれを体系たいけいしたとかんがえられる[14]はらイラン多神教たしんきょうてんかみヴァルナの信仰しんこうは、ザラスシュトラらによって道徳どうとくてき意味いみ付与ふよされアフラ・マズダーという宇宙うちゅう創造そうぞう至高しこうしん地位ちいをあたえられた[14]。ゾロアスターきょうにおいては、のみならず、みず空気くうきもまた神聖しんせいなものととらえられている[14]

教義きょうぎ

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はらゾロアスターきょう教義きょうぎ[15]
ザラスシュトラはアヴェスター口伝くでん『アヴェスター』の『ガーサー』部分ぶぶんのこしているが、その正確せいかく意味いみ現在げんざいではうしなわれている。また『ガーサー』は世界せかい秩序ちつじょをもたらす呪文じゅもんぎず、まとまった思想しそう内容ないよう見出みいだすのは困難こんなんである。以下いかにザラスシュトラがいたとおもわれる思想しそう記述きじゅつするが、これがどこまでザラスシュトラ本人ほんにんによるものかはからない。紀元前きげんぜん500ねんごろ(アヴェスター口語こうごとして機能きのうしていたとかんがえられる最後さいご時期じき)、神官しんかんたちによって口伝くでんアヴェスターが一貫いっかんしたストーリーとして編集へんしゅうされ、以下いかのストーリーを成立せいりつさせたとするせつもある
最高さいこうしんアフラ・マズダーからぜんれいスプンタ・マンユあくれいアンラ・マンユまれ、そうあらそう。アフラ・マズダーは、混沌こんとんとした宇宙うちゅう秩序ちつじょをもたらそうと苦労くろうする存在そんざいとしてえがかれ、スペンタとアンラのあらそいも傍観ぼうかんしているだけである。はらイラン多神教たしんきょうかみ々はぜんがわあくがわ再編さいへんされ、それぞれスペンタとアンラにつかえる存在そんざいとさせられた。人間にんげんはそのどちらかにつく自由じゆう意志いしであり、ぜんにつけば天国てんごくあくけば地獄じごく死後しごかうとさだめられた。
なお、ザラスシュトラはアフラ・マズダーのみをあがめるはい一神教いっしんきょうてきおしえをいたが、弟子でしたちによってはらイラン多神教たしんきょうかみ々がれられたとするせつもある[16]
マゴス神官しんかんだん影響えいきょう後述こうじゅつ
イラン高原こうげんんでいたメディア王国おうこくでは、マゴスぞく(マゴス神官しんかんだん)が祭儀さいぎになっていた。ヘロドトスストラボンによるとマゴスはとりそう清浄せいじょう儀礼ぎれいあくなる生物せいぶつ殺害さつがい最近さいきんおやこんなど独自どくじ儀式ぎしきっていた。これらの教義きょうぎがゾロアスターきょう混入こんにゅうした可能かのうせい指摘してきされている
ズルワーンきょう教義きょうぎ参照さんしょう
サーサーンあさ時代じだいには狭義きょうぎのゾロアスターきょう(ザラスシュトラのおしえ)が国教こっきょうとなるが、外国がいこく資料しりょうではズルワーン最高さいこうしんとしてえがかれる。アフラ・マズダーはスペンタ・マンユと混同こんどうし、ぜんしんオフルマズドとして悪神あくじんアフレマン(アンラ・マンユ)と同格どうかくになった。ズルワーンきょうにはヘレニズムやインド思想しそう影響えいきょう指摘してきされている。
二元論にげんろんてきゾロアスターきょう教義きょうぎ[17]
6~9世紀せいき、ゾロアスターきょうから中立ちゅうりつ最高さいこうしん消滅しょうめつし、ぜんなる最高さいこうしんオフルマズドとあく最高さいこうしんアフレマンが並立へいりつする純粋じゅんすい二元論にげんろん成立せいりつする。この教義きょうぎ豊富ほうふなパフレヴィー資料しりょうによって現代げんだいまで詳細しょうさいつたわっており、善悪ぜんあく二元論にげんろんとして一般いっぱんてきにイメージされるゾロアスターきょうもこれにちかいとおもわれる。
また、近年きんねんではマニきょうから二元論にげんろんれたとするせつもある[18]

聖典せいてん

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ゾロアスターきょう聖典せいてんは『アヴェスター』である。ザラスシュトラの言葉ことばかれ死後しご叙述じょじゅつされた部分ぶぶん構成こうせいされ、サーサーンちょう編纂へんさんされたとかんがえられる。ぜん21かんとされ、そのうちやく4ぶんの1が現存げんそんする[6][8]書籍しょせきにあたり、古代こだいアヴェスターパフラヴィー文字もじえるとき、表記ひょうきできないおとったため、キリストきょうパフラヴィー文字もじギリシア文字もじ借用しゃくようして、あらたにアヴェスター文字もじつくられた。アヴェスターほうはるかにふるいものの、表記ひょうきよう文字もじ発明はつめいされたのはパフラヴィー後塵こうじんはいした[19]。しかし、『聖書せいしょ』や『クルアーン』のように当初とうしょから教徒きょうとあいだひろくその権威けんいみとめられたわけではなかった。『アヴェスター』がかれたペルシアしゅう遠方えんぽうでは、8世紀せいきになっても一般いっぱん信徒しんとあいだで『アヴェスター』の存在そんざいられておらず(または理性りせいてきかた聖典せいてんとはられておらず)、ザラスシュトラも(すくなくとも預言よげんしゃとしては)認識にんしきされていなかった。さらに神官しんかんでも『アヴェスター』をらず、それとかなりことなる教義きょうぎしんじていたふしがある[19]

メソポタミア神話しんわエジプト神話しんわギリシア神話しんわ信仰しんこううしなわれた今日きょう、ゾロアスターきょうヒンドゥーきょうなら現存げんそんする世界せかい最古さいこ体系たいけいてき宗教しゅうきょう経典きょうてん宗教しゅうきょうともわれる[14]。ただし、聖典せいてん確立かくりつ明確めいかく教義きょうぎ整備せいびというてんでは、後発こうはつキリスト教きりすときょう仏教ぶっきょう・マニきょうなどにすう世紀せいきおくれをとった[19]

歴史れきし

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資料しりょう

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ゾロアスターきょうかんする資料しりょう以下いかの3時代じだいかたよって存在そんざいする[20]

  • はらゾロアスターきょう時代じだい紀元前きげんぜん1000ねん前後ぜんこうすう世紀せいき) - 原始げんし教団きょうだんによって保存ほぞんされ、6世紀せいき文字もじされた『アヴェスター』(アヴェスター
  • ズルワーンきょう時代じだい(3〜5世紀せいき) - 外部がいぶ資料しりょうパフレヴィーアルメニアシリアアラビア)とわずかな内部ないぶ資料しりょう(ペルシア
  • 二元論にげんろんてきゾロアスターきょう時代じだい(6〜10世紀せいき) - 豊富ほうふなパフレヴィー資料しりょう

このうちはらゾロアスターきょう研究けんきゅういま安定あんてい段階だんかいたっしておらず、『アヴェスター』そのなかでもとくにザラスシュトラ直伝じきでんおもわれる「ガーザー」の解釈かいしゃくについては決定的けっていてきせつ存在そんざいしない。ズルワーン主義しゅぎについても内部ないぶ資料しりょうすくないため正確せいかくなことはかっていないが、現代げんだいにまでつたわる二元論にげんろんてきゾロアスターきょうとはかなりがあるとかんがえられる[20]

分類ぶんるい

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アーリアじん宗教しゅうきょうには様々さまざま形態けいたいがあり、時代じだいによっておおきな変化へんかげ、また地域ちいきおおきかったとかんがえられている[5][21][1]。ここでは、アーリアじんしょ宗教しゅうきょうについて想定そうていされる宗派しゅうは一覧いちらんする。

崇拝すうはい対象たいしょうによる分類ぶんるい
名称めいしょう 崇拝すうはい対象たいしょう 備考びこう 出典しゅってん
はらイラン多神教たしんきょう アフラ・マズダー
ミスラ
ヴァルナなど
古代こだいアーリアじんによって信仰しんこうされた宗教しゅうきょう
マズダーきょうはらゾロアスターきょうなどの源流げんりゅうとして想定そうていされている
後述こうじゅつ
マズダーきょう アフラ・マズダー アーリアじん宗教しゅうきょうのうち、とくにアフラ・マズダーを崇拝すうはいした宗教しゅうきょう
はらゾロアスターきょう源流げんりゅうとしても想定そうていされる
アケメネスあさ国教こっきょうとするせつもある
[1]
ミスラきょう ミスラ アーリアじん宗教しゅうきょうのうち、とくにミスラを崇拝すうはいした宗教しゅうきょう
パルティア・アルメニアなどの国教こっきょうとするせつもある
後述こうじゅつ
ズルワーンきょう ズルワーン アーリアじん宗教しゅうきょうのうち、とくにズルワーンを最高さいこうしんとして崇拝すうはいした宗教しゅうきょう
サーサーンあさ国教こっきょうとするせつもある
地理ちり時代じだい民族みんぞくによる分類ぶんるい
名称めいしょう 崇拝すうはい対象たいしょう 備考びこう 出典しゅってん
はらゾロアスターきょう アフラ・マズダー ザラスシュトラによってひらかれたゾロアスターきょうのルーツ
ナオラタ部族ぶぞく国家こっか国教こっきょう
狭義きょうぎのゾロアスターきょうはこのながれを宗派しゅうはのみを
後述こうじゅつ
アケメネスあさ国教こっきょう アフラ・マズダー アケメネス信仰しんこうされたマズダーきょう
狭義きょうぎのゾロアスターきょうであるかは議論ぎろんがある
後述こうじゅつ
インドのイランけい宗教しゅうきょう ミヒラ(ミスラ?)など インドのイランけいアーリアじんによって信仰しんこうされた宗教しゅうきょう
パールシー以前いぜん2、3の集団しゅうだんについて記録きろくのこっている
後述こうじゅつ
パルティア国教こっきょう
パルティアてきゾロアスターきょう
ミスラなど? アルサケス信仰しんこうされたアーリアじん宗教しゅうきょう
アルメニアの国教こっきょうきんえんとされる
狭義きょうぎのゾロアスターきょうであるかは議論ぎろんがある
後述こうじゅつ
アルメニア国教こっきょう
アルメニアてきゾロアスターきょう
ミスラなど ぜん1世紀せいき - こう4世紀せいきにアルメニアの王族おうぞくたち信仰しんこうされたアーリアじん宗教しゅうきょう
ミスラの地位ちいたかいため、ミスラきょうともされる
アルメニアのキリスト教きりすときょうともな衰退すいたい
ミヒラきょう ミヒラ(ミスラ?) アーリアけい遊牧ゆうぼく国家こっかエフタルおうミヒラクラ信仰しんこうした宗教しゅうきょう
太陽たいよう崇拝すうはいともなうミスラ崇拝すうはいおもわれる
インドにのこった集団しゅうだんはガンダーラ・ブラーフマガとばれた
[22]
サーサーンあさ国教こっきょう
ペルシアてきゾロアスターきょう
アフラ・マズダー サーサーン信仰しんこうされた狭義きょうぎのゾロアスターきょう
ペルシアのイスラムともな衰退すいたい
後述こうじゅつ
二元論にげんろんてきゾロアスターきょう オフルマズド 一神教いっしんきょうてき要素ようそ排除はいじょしたゾロアスターきょう
ぜん最高さいこうしんオフルマズド(アフラ・マズダー)をあがめる
サーサーンあさ後期こうき成立せいりつしたとおもわれる
後述こうじゅつ
メソポタミアてきゾロアスターきょう ズール(ズルワーン?) サーサーンあさメソポタミア信仰しんこうされたとおもわれるゾロアスターきょう(ズルワーンきょう?)
ズールなるかみ生贄いけにえささげる
ホラーサーンてきゾロアスターきょう イスラム統治とうち時代じだい初期しょきホラーサーン信仰しんこうされたとおもわれるゾロアスターきょう
預言よげんしゃけいてんもないとされるため、二元論にげんろんてきゾロアスターきょうとはことなる
[注釈ちゅうしゃく 3]
パールシー アフラ・マズダー イスラムの支配しはいのがれインドにうつったゾロアスター教徒きょうとのグループ
狭義きょうぎのゾロアスターきょう国教こっきょうながれを
後述こうじゅつ
ソグドてきゾロアスターきょう ソグドじん信仰しんこうされたアーリアじん宗教しゅうきょう
中国ちゅうごくでは祆教ばれた
中央ちゅうおうアジアからとうだい中国ちゅうごくまでひろがった
中央ちゅうおうアジアのイスラムにより衰退すいたい
後述こうじゅつ
そうだいかん民族みんぞくてきゾロアスターきょう ソグドてきゾロアスターきょうそうだいまでにかんしたもの
つづき祆教とばれた
後述こうじゅつ
クルド人的じんてきゾロアスターきょう クルドじん信仰しんこうされていたアーリアじん宗教しゅうきょう
詳細しょうさい不明ふめい
のちイスラム教いすらむきょう混濁こんだくしてヤズィーディー変化へんかする
後述こうじゅつ

はらイラン多神教たしんきょう

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ザラスシュトラはまったあたらしい宗教しゅうきょう創設そうせつしたわけではなく、既存きそん宗教しゅうきょうはらイラン多神教たしんきょう)の祭司さいしとして『アヴェスター』でえがかれる。この宗教しゅうきょうは、「インド・イランじん宗教しゅうきょう」や「アーリアじん宗教しゅうきょう」、「ヴェーダかた多神教たしんきょう」、「さきガーサー宗教しゅうきょう(pre-Gathic religion)」などともばれ、多神教たしんきょう太陽たいようみずかみなりあらしなどを崇拝すうはいしていた。インド古代こだい宗教しゅうきょうとの類似るいじてん指摘してきされる[1]。そして「さんだいアフラ」として叡智えいちかみアフラ・マズダーかみミスラみずかみヴァルナ存在そんざいしていた[注釈ちゅうしゃく 4][注釈ちゅうしゃく 5]

メアリー・ボイスによれば、アフラ・マズダー(アスラ)、ミスラ、ヴァルナの3はしらの「あるじ」は、きわめて倫理りんりてき存在そんざいで、「自然しぜん法則ほうそく」(イランではアシャ、インドではリタ、としょうする)を擁護ようごしつつ、みずからもこれにしたがう。こういった高度こうど観念かんねんは、はらインド・イラン語族ごぞくはやくも石器せっき時代じだい発展はってんさせたものとかんがえられ、その末裔まつえい宗教しゅうきょうふかまれているとかんがえられる[24]。そのため、たんにアフラ・マズダーやミスラを信仰しんこうするだけでは、厳密げんみつにはゾロアスター教徒きょうとえない。

異教いきょう時代じだい」とばれる過去かこのイランじん区別くべつするための判断はんだん基準きじゅんは、ゾロアスターきょう信仰しんこう告白こくはくフラワラーネ」にあらわれる。そこでは5条件じょうけんげられた[注釈ちゅうしゃく 6]。すなわち、

  1. アフラ・マズダーを礼拝れいはいすること
  2. ゾロアスターの信奉しんぽうしゃであること
  3. 好戦こうせんてき不道徳ふどうとくかみダエーワ敵対てきたいすること
  4. アフラ・マズダーが創造そうぞうした偉大いだいな7つ(ないし6つ)の存在そんざいアムシャ・スプンタ(「せいなる死者ししゃ」)を礼拝れいはいすること
  5. すべてのぜんをアフラ・マズダーにすること

である。

この5つにくわえ、アフラ・マズダー創造そうぞうぬしとらえたことが、はらイラン多神教たしんきょういちじるしくことなる。[注釈ちゅうしゃく 7]

はらイラン多神教たしんきょうがいつどのようにザラスシュトラの創設そうせつした「はらゾロアスターきょう」へがれたのかは学説がくせつかれている。「2段階だんかいせつ」では、はらイラン多神教たしんきょうがザラスシュトラに直接ちょくせつがれたことになっている。これにたいしてザラスシュトラ以前いぜんからアフラ・マズダーを崇拝すうはいしたマズダーきょう存在そんざいしたとして、はらイラン多神教たしんきょう→マズダーきょうはらゾロアスターきょうじゅん成立せいりつしたとる「3段階だんかいせつ」もある。このせつしたがえば、ザラスシュトラ以降いこう、3しゃ並存へいそんした時期じきがある可能かのうせいもある[1]

はらゾロアスターきょう

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はらゾロアスターきょう最高さいこうしん二元論にげんろん[27]


 
 
 
 
 
ぜんれいスプンタ・マンユ
 
 
 
叡智えいちかみアフラ・マズダー
 
 
 
 
 
 
あくれいアンラ・マンユ
 
 


太字ふとじ最高さいこうしん

中立ちゅうりつてきなアフラ・マズダーが宇宙うちゅう秩序ちつじょ
そのしたぜんれいあくれいあらそ
ザラスシュトラの肖像しょうぞう3世紀せいき)。「ゾロアスターきょう」の呼称こしょうかれ由来ゆらいするが、その生涯しょうがいいまとなっては不明ふめい部分ぶぶんおお[6][8]

ゾロアスターきょう開祖かいそザラスシュトラ・スピターマやゾロアスターきょう成立せいりつかんしては、不明ふめい部分ぶぶんすくなくない[8]。ザラスシュトラの誕生たんじょうは、アゼルバイジャンせつスィースターンせつ中央ちゅうおうアジアせつなどがある。活動かつどう時期じき言語げんごがくてき見地けんちから紀元前きげんぜん1000ねん以前いぜんとするせつ伝承でんしょうなどから紀元前きげんぜん1000ねん-ぜん6世紀せいきとするせつがある。ザラスシュトラは、はらイラン多神教たしんきょう改革かいかくし、倫理りんりてき要素ようそ付加ふかした二元論にげんろん終末しゅうまつろんじくとするしん宗教しゅうきょうはらゾロアスターきょう)を創設そうせつした[1]

ハエーチャスパぞく神官しんかん一家いっかまれたザラスシュトラは、20さい放浪ほうろうたび[28]かれは、唯一ゆいいつかみアフラ・マズダーの啓示けいじつたえる使者ししゃ名乗なのり、この世界せかい善悪ぜんあくかみあらそいのであるといた[12]。このような世界せかいかんは、一神教いっしんきょうてき二元論にげんろんともわれる[29]

ザラスシュトラが42さいとき、ナオラタぞくおうカウィ・ウィーシュタースパに登用とうようされ、宰相さいしょうとも婚姻こんいん関係かんけいむす権力けんりょくうしたてた。ザラスシュトラの死後しごむすめ婿むこ宰相さいしょう)のジャーマースパ・フウォーグワが教団きょうだんいだ。教祖きょうそんでも国家こっか権力けんりょく背景はいけいとしていた教団きょうだんらぐことはかったとられている[28]。ゾロアスターきょう発祥はっしょうしんじられているアフガニスタン北部ほくぶ古代こだいバルフ(Balkh、ダリーペルシアبلخ)に、ザラスシュトラが埋葬まいそうされたとつたえられている。このはゾロアスター教徒きょうとから神聖しんせいされてきた。

ジャーマースパ以降いこう教団きょうだん指導しどうきょうぜい拡大かくだいのためにザラスシュトラの急進きゅうしんてきおしえを軟化なんかさせ、はらイラン多神教たしんきょうかみ々に独自どくじ機能きのうとそれにささげる伝統でんとうてき呪文じゅもんみとめた。これによりはらイラン多神教たしんきょうはらゾロアスターきょう融和ゆうわはかったが、両者りょうしゃ区別くべつはあいまいになった[16]

その、ナオラタ部族ぶぞく国家こっか歴史れきしから姿すがたした。ゾロアスター教団きょうだん権力けんりょく基盤きばんうしない、よわ立場たちばたされたとられている。歴史れきし資料しりょうにザラスシュトラが登場とうじょうするのは、ぜん5世紀せいきのギリシア文献ぶんけんに「偉人いじんゾロアストレス」として言及げんきゅうされるまでたなければならない[30]

アーリアじんしょ宗教しゅうきょう展開てんかい

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宗教しゅうきょうへの影響えいきょう同様どうよう、ゾロアスターきょう政治せいじへの影響えいきょうりょくおおきさも、研究けんきゅうしゃによって意見いけんかれる。一般いっぱん古代こだい政治せいじ-宗教しゅうきょう関係かんけい密接みっせつであったため、宗教しゅうきょうへの影響えいきょうおおきいとかんがえる研究けんきゅうしゃほど、その政治せいじてき影響えいきょうつよかったとかんがえる傾向けいこうにある。歴代れきだい王朝おうちょうでゾロアスターきょうつね国教こっきょうてき役割やくわりになったとかんがえるものもいるが、見解けんかい統一とういつされていない。青木あおきけんは、古代こだいアーリアじんしょ宗教しゅうきょうとゾロアスターきょう境界きょうかい曖昧あいまいで、サーサーンあさ成立せいりつまで、そのどちらともれるようなしょ宗教しゅうきょう人々ひとびと幅広はばひろ受容じゅようされていたとしかえないと指摘してきしている[31]

マゴス神官しんかんだん台頭たいとう

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ギリシア歴史れきしヘロドトスによるとアーリアけいメディア王国おうこくぜん715ねんごろ - ぜん550ねんごろ)にはマゴスぞくとよばれる神官しんかんたちがいた。かれらははい儀礼ぎれいとりそう清浄せいじょう儀礼ぎれいあくなる生物せいぶつカエルサソリヘビなど)の殺害さつがい最近さいきんおやこんうし犠牲ぎせいじゅうさいといったメディアじん宗教しゅうきょう行為こういになっていたが、はい儀礼ぎれい犠牲ぎせいじゅうさい以外いがいはらイラン多神教たしんきょうられない独自どくじ風習ふうしゅうであるとされる。インド・ヨーロッパ語族ごぞくてき名称めいしょうち、独特どくとく風習ふうしゅうつことから、マゴスはアゼルバイジャン付近ふきん土着どちゃく民族みんぞくであったとするせつもある。東方とうほうからメディアにたとおもわれるゾロアスター教団きょうだんはマゴス神官しんかんだん権勢けんせい圧倒あっとうされ、爬虫類はちゅうるい殺害さつがい最近さいきんおやこんれ、葬式そうしき土葬どそうからとりそう犠牲ぎせいじゅうさいひつじからうし転換てんかんしたとみられている[15]

メディア王家おうけくペルシアおうキュロス2せい大王だいおう在位ざいいまえ550ねん - ぜん529ねん)は紀元前きげんぜん550ねんにメディアをほろぼし、アケメネスあさペルシアぜん550ねん-ぜん330ねん)を建国けんこくした。キュロスはしょうアジアから中央ちゅうおうアジアいた空前くうぜんだい帝国ていこく建設けんせつし、史上しじょうはじめてイラン高原こうげんとメソポタミア平原へいげん両方りょうほう支配しはいした[32]

キュロス王家おうけ信仰しんこう不明ふめいなところがおおい。ボイスはキュロスがゾロアスター教徒きょうとであったと主張しゅちょうしている。また、考古学こうこがくてき見地けんちからはキュロスの建造けんぞうしたはいだんキュロスのはかバビロニアてき要素ようそふくまれているとされる。一方いっぽう、キュロスの息子むすこカンビュセス2せい在位ざいいまえ529ねんごろ - ぜん522ねん)は実姉じっしアトッサ実妹じつまいロクサーナ近親きんしんこんしており、マゴス神官しんかんだん影響えいきょうがうかがえる。また「マゴス神官しんかんだんガウマータ」が王族おうぞくスメルディスりすましたとされていることから、キュロス王家おうけではマゴス神官しんかんだん重用じゅうようされていたとみるきもある[33]

ただしキュロス王家おうけ臣民しんみんたちに改宗かいしゅう強制きょうせいせず、キュロスがバビロン征服せいふくした紀元前きげんぜん536ねんには、バビロンしゅうにあっていたユダヤじんたちを解放かいほうしている。また、すすんだ文明ぶんめいつメソポタミアやエジプト信仰しんこう尊重そんちょうし、政治せいじてき中央ちゅうおう集権しゅうけん文化ぶんかてき地方ちほう分権ぶんけんいたとされる[34]。このようなことから、キュロス王家おうけがゾロアスター教徒きょうとだったとしても「支配しはいしゃ宗教しゅうきょう」という意味いみ限定げんていされる。この結果けっかシンクレティズムうながされてユダヤきょうエッセネ隆盛りゅうせいし、キリスト教きりすときょう継承けいしょうされたともわれる[注釈ちゅうしゃく 8]。アケメネスちょうのギリシアにおけるピタゴラス教団きょうだんオルフェウスきょう、さらにペルシャ高原こうげん東部とうぶでは大乗だいじょう仏教ぶっきょう伝播でんぱにともなう弥勒菩薩みろくぼさつ信仰しんこうむすびつき、マニきょうもゾロアスターきょう影響えいきょうつよけたとされる[注釈ちゅうしゃく 9]イスラム教いすらむきょうもまたマニきょうならんでゾロアスターきょう影響えいきょうけており、けいてんクルアーン』(コーラン)にもゾロアスター教徒きょうと登場とうじょうする。

マズダー崇拝すうはい台頭たいとう

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ダレイオス1せいによるベヒストゥン碑文ひぶんみずからの即位そくい経緯けいい正当せいとうせい主張しゅちょうする文章ぶんしょうとレリーフがきざまれている

キュロスの後継こうけいしゃカンビュセス2せいいもうとつまのロクサーナを「殺害さつがい」、その自殺じさつ」した。後継こうけいしゃとしておうおとうとスメルディス(にそっくりの神官しんかんガウマータ)が即位そくいするも、カンビュセスのもと親衛隊しんえいたいちょうダレイオスに「偽物にせもの見破みやぶられ」、殺害さつがいされる。その、アケメネスあさ傍流ぼうりゅう名乗なのるダレイオスは、9にんのライバルをたおし、ダレイオス1せい在位ざいいまえ522ねん - ぜん486ねん)として大王だいおう皇帝こうてい諸王しょおうおう)に即位そくいした。これによりアケメネスあさ直系ちょっけいのキュロス王家おうけ途絶とだえ、ダレイオス王位おういうつった[37]

ダレイオス王家おうけ大王だいおうたちはアーリアじん宗教しゅうきょう信仰しんこうしていた形跡けいせきがあるが、その一派いっぱであるザラスシュトラのおしえ(狭義きょうぎのゾロアスターきょう)に帰依きえしていたかどうかには議論ぎろんがある。なお、アケメネスあさ碑文ひぶんにはアフラ・マズダー(正確せいかくにはアウラマズダー)のほか、ミスラやエラムメソポタミアかみ々の登場とうじょうし、しょ民族みんぞく多様たよう宗教しゅうきょう配慮はいりょしていたことがうかがえる。かりにザラスシュトラのおしえがそのなかふくまれていても、かずあるなかひとつにぎなかったとかんがえられる[38]


ダレイオス王家おうけ歴代れきだい大王だいおうたちが、狭義きょうぎのゾロアスターきょう帰依きえしていたとする根拠こんきょには以下いかのものがある。

  • ダレイオス1せいおおくの碑文ひぶんのこし、みずから「アフラ・マズダーのめぐみによって、おうとなりえた」と神権しんけん授受じゅじゅ意味いみする告知こくちしるした[8][12][39]
  • ペルセポリス宮殿きゅうでんにはアフラ・マズダーのシンボルやフラワシをきざんだ浮彫うきぼり彫刻ちょうこくレリーフ)がほどこされた[8][39]
  • せいなる」の祭壇さいだん遺跡いせき多数たすう存在そんざいする[8]

これらの根拠こんきょたいして、以下いかのような反論はんろん提出ていしゅつされている。

  • アケメネスあさ遺構いこう遺物いぶつは、ダレイオス1せいがアフラ・マズダーを信仰しんこうする「マズダー教徒きょうと」だった証拠しょうこにはなっても、「ゾロアスター教徒きょうと」であった証拠しょうことはならない[8][注釈ちゅうしゃく 10]
  • 祭壇さいだんは、ザラスシュトラ以前いぜんからはらイラン多神教たしんきょうもちいられる[注釈ちゅうしゃく 11]
  • アケメネスあさ古代こだいペルシア碑文ひぶんにはザラスシュトラのが1あらわれない[42]

ダレイオス1せいまごアルタクセルクセス1せい在位ざいいまえ465ねんぜん424ねん)はダエーワ崇拝すうはい禁止きんしした。これについてはペルシアじん崇拝すうはい対象たいしょうをアフラ・マズダーに限定げんていしたと解釈かいしゃくできる[43]。この政策せいさくアルタクセルクセス2せい在位ざいいまえ404ねん - ぜん358ねん)のころ変更へんこうされ、アナーヒターやミスラへの崇拝すうはい奨励しょうれいされるようになった[44]アルタクセルクセス3せい在位ざいいまえ359ねんぜん338ねん)のだいにはアナーヒター崇拝すうはい省略しょうりゃくされ、アフラ・マズダーとミスラへの崇拝すうはい奨励しょうれいされた[45]

なお、歴史れきしヘロドトスは、「ペルシアじんはこどもに真実しんじつうようにおしえる」「ペルシアじん偶像ぐうぞうをはじめ、神殿しんでん祭壇さいだんてるという風習ふうしゅうをもたない」としるしている[12]。しかし、古代こだいメソポタミアイシュタル信仰しんこうがペルシアにも影響えいきょうしてアナーヒター信仰しんこう同一どういつされたのもこの時期じきである。アナーヒターぞういた神殿しんでんきずかれ、それまでかまど日々ひび儀式ぎしき使つかい、祭礼さいれいでは野外やがいあつまっていたペルシアじんも、メソポタミアの偶像ぐうぞう神殿しんでんともな信仰しんこう対抗たいこうして、やす常設じょうせつ祭壇さいだんもうけた特別とくべつ建物たてものつくるようになった。やがて、こうした建物たてもの神聖しんせいされるのである(ただし、ゾロアスターきょう寺院じいん偶像ぐうぞう崇拝すうはいみとめられたのは、ギリシア文明ぶんめいインド文明ぶんめい影響えいきょうとするせつもある[46])。

ミスラ崇拝すうはい台頭たいとう

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名前なまえにミスラをふくむパルティア大王だいおうミトラダテス1せいのコイン

紀元前きげんぜん4世紀せいき後半こうはんマケドニア王国おうこくアレクサンドロス3せい大王だいおう在位ざいいまえ336ねん - ぜん323ねん)によってアケメネスあさほろぼされた。後世こうせい資料しりょうではアレクサンドロスによって『アヴェスター』と『ザンド』の写本しゃほんかれたとされているが、アケメネスあさでは文字もじ使用しよう一般いっぱんしていなかったため、創作そうさくおもわれる。またギリシア神話しんわとアーリアじん宗教しゅうきょう混濁こんだくし、ゼウスとアフラ・マズダー、アポロンとミスラなどが同一どういつされた。大王だいおう死後しご、その王国おうこく四分五裂しぶんごれつし、セレウコス1せいによってしょうアジアからペルシアにいたヘレニズム国家こっかセレウコスあさシリア(ぜん312ねん-ぜん63ねん)が建国けんこくされた。セレウコスあさ歴史れきしは、東方とうほうにおけるギリシアじん政治せいじ勢力せいりょく後退こうたい歴史れきしでもあった。なお、ギリシアじんによると、このころのマゴス神官しんかんだんはゾーロアストレース(ザラスシュトラ)、ヒュスタスペオス(カウィ・ウィーシュタースパ)、オスタネス(正体しょうたい不明ふめい)のおしえをほうじていたという[47]

紀元前きげんぜん3世紀せいき、ペルシアじん同系どうけいであるパルティアじん族長ぞくちょうアルサケス1せいがセレウコスあさ支配しはいから自立じりつし、ミフルダートキルト周辺しゅうへんアルサケスあさパルティア紀元前きげんぜん247ねん-紀元きげん226ねん)を建国けんこくした。5代目だいめミトラダテス1せいのときに東西とうざい領土りょうどひろげ、共和きょうわせいローマ侵攻しんこうマカバイ戦争せんそう忙殺ぼうさつされていたセレウコスあさからメディアとメソポタミアをうばった。そしてセレウコスあさ中核ちゅうかく都市としだったセレウキア対岸たいがんしん首都しゅとクテシフォン建設けんせつした[48]

パルティアの君主くんしゅたちはアーリアじん宗教しゅうきょう信仰しんこうしていた。しかしパルティアの宗教しゅうきょう資料しりょうとぼしく、「ゾロアスターきょう」としょうしうる宗教しゅうきょう信仰しんこうされていたかは、なおも見解けんかいかれる[49]。アルサケスあさにはティリダテス、ミトラダデス、アルタバノスなど、それぞれ「水星すいせい」、「ミフル(ミスラかみ)」、「てんそく」の意味いみつ、はらイラン多神教たしんきょうてきがみられる。また、アレクサンドロスの影響えいきょうでアルサケスあさ君主くんしゅたちはかみ自称じしょうするようになり、後世こうせいのサーサーンあさにも影響えいきょうあたえた。ただし、アルサケスあさみずからの信仰しんこう住民じゅうみんたちに強制きょうせいせず、その影響えいきょう王族おうぞく私的してき領域りょういきとどまったとかんがえられている[50]

紀元前きげんぜん1世紀せいき以降いこう、アナトリアのカッパドキアティアナなどでしょ言語げんごによってミスラしんささげた碑文ひぶんのこされている。古典こてんてきせつによれば、アナトリアに侵攻しんこうしたローマへいたちがミスラしんミトラスきょう発展はってんした[51]

アルメニアてきゾロアスターきょうかみ


すべてのちちアラマズド
アフラ・マズダー
 
貴婦人きふじんアナヒット
アナーヒター
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ナナイ
(ナネー)
 
ミフル
ミスラ

太字ふとじ最高さいこうしん

かみ々の家族かぞく関係かんけい強調きょうちょう
とくにミフルがあがめられた

パルティアの宗教しゅうきょう隣国りんごくアルメニア王国おうこくではかみ々の一族いちぞく関係かんけい重視じゅうしされ、「すべてのちち」としょうされていたアラマズド(アフラ・マズダー)とアナヒット(アナーヒター)が夫婦ふうふ、ミフル(ミスラ)とナナイ(ナネー)はその息子むすこむすめとされた。ミフルはとく重要じゅうよう地位ちいめていた。アルサケスのアルメニア国王こくおうティリダテス1せい在位ざいい52ねん – 58ねん、62ねん - 82ねん)は、3000にんのパルティアへい護衛ごえいされながらローマ皇帝こうていネロ在位ざいい54ねん - 68ねん)と謁見えっけんしたとき、ひざまずいてギリシアでミフルをあがめるようにローマ皇帝こうていあがめると演説えんぜつした。また、終末しゅうまつにはヴァンひそむミフルが救世主きゅうせいしゅとしてあらわれるとしんじられていた。ヴァハグン(ウルスラグナ)にはミフルとおな太陽たいようしん役割やくわりあたえられたため、混同こんどうしょうじてしまった[49]

青木あおきけんは、パルティアの宗教しゅうきょうがアルメニア王国おうこく宗教しゅうきょう非常ひじょうちかいものであったと指摘してきしている。アルメニアの宗教しゅうきょうにはパルティア借用しゃくよう多用たようされ、66ねん以降いこうはアルサケスがアルメニア王位おういめていたからである。また両国りょうこくでは、のゾロアスターきょうではけられる偶像ぐうぞう礼拝れいはい土葬どそうおこなわれていたとられている[49]青木あおきはアルメニアの宗教しゅうきょう分析ぶんせきし、アフラ・マズダーが尊崇そんすう対象たいしょうとなっているてんではゾロアスターきょうのようにもみえると前置まえおきしつつ、ヤシュトの段階だんかいでやっと復権ふっけんしたヴァハグン(ウルスラグナ)やミフル(ミスラ)も崇拝すうはい対象たいしょうになっていると指摘してきした。とく宗主そうしゅこくローマ皇帝こうていをミスラになぞらえたてん重視じゅうしし、アルメニアてきゾロアスターきょう≒パルティアてきゾロアスターきょう主神しゅしんはミスラであり、厳密げんみつには「ゾロアスターきょう」でなく「ミスラきょう」としょうすべき信仰しんこうであったとろんじている[49]

4世紀せいきにアルメニアはキリスト教きりすときょう合性あいしょうろんアルメニア使徒しと教会きょうかい)を国教こっきょうして、アルメニアてきゾロアスターきょう衰退すいたいしたが、近親きんしんこんなどの風習ふうしゅうは20世紀せいきまでのこっていたとわれている[49]

ゾロアスターきょう国教こっきょう

[編集へんしゅう]
ナクシェ・ロスタム(イラン)に所在しょざいする「ゾロアスターのカアバ英語えいごばん」としょうされる遺構いこう建物たてもの用途ようと不明ふめいだが、下部かぶ壁面へきめんカルティールによってかれた長大ちょうだいパフラヴィー中世ちゅうせいペルシア碑文ひぶんがある

ペルシアしゅうエスタフルのはい神殿しんでん神官しんかんであったサーサーンは、ペルシス王国おうこく有力ゆうりょく豪族ごうぞくバーズランギー婚姻こんいん関係かんけいむすび、興隆こうりゅう基礎きそた。その息子むすこパーパクはパルティアに反乱はんらんこし、さらにその息子むすこアルダシール1せい在位ざいい226ねん - 242ねん)はクテシフォンを征服せいふくしてサーサーンあさペルシア226ねん-651ねん)を建国けんこくした[52]。。

サーサーンあさはアケメネスあさ後継こうけいしゃという地位ちいとゾロアスターきょう正統せいとうせいもとめた。そしてペルシアてき異邦いほうじん王朝おうちょうパルティアをたおして伝統でんとうてき信仰しんこう復興ふっこうしたと主張しゅちょうした。実際じっさいにはパルティアの貴族きぞく階級かいきゅう政治せいじ機構きこう文化ぶんか社会しゃかいおおくのてんでサーサーンあさがれていたが、このアケメネスあさ-サーサーンあさ正統せいとうとする歴史れきしかん後世こうせいのイラン世界せかいにもおおきな影響えいきょうあたえた。なお、この時代じだい口語こうごパフラヴィー変質へんしつし、古代こだいペルシア口伝くでん『アヴェスター』「ガーサー」はすで解読かいどく困難こんなんだったとかんがえられる。この時代じだい隊商たいしょうなどペルシア商人しょうにん活発かっぱつ活動かつどうで、中央ちゅうおうアジア中国ちゅうごくへゾロアスターきょう伝播でんぱし、西方せいほうたいしてはマ帝国まていこくなど地中海ちちゅうかい世界せかいとの交流こうりゅう抗争こうそうにより、教義きょうぎめんなどでたがいの影響えいきょうけたとかんがえられる。

サーサーンあさでは実際じっさい機能きのうしたかはさだかではないが、神官しんかんたちはうえからじゅんに「神官しんかん」「軍人ぐんじん貴族きぞく」「農民のうみん」「商人しょうにん職人しょくにん」の階級かいきゅう想定そうていしていた。このなか神官しんかん官僚かんりょうそうである上級じょうきゅうのモウベド神官しんかん神殿しんでん管理かんり庶民しょみん宗教しゅうきょう教育きょういくたずさわる下級かきゅうのヘールベド神官しんかんけられた。農民のうみんたちは大地だいちたがやすとして称賛しょうさんされていた一方いっぽうで、商人しょうにん職人しょくにんたちは神官しんかんから蔑視べっしされていた。そのためアーリアじんゾロアスター教徒きょうとからあまり商人しょうにん職人しょくにん輩出はいしゅつされず、セムけいやローマじん、ソグドじんなどにたよっていた。また、このことが商人しょうにん職人しょくにんそうキリスト教きりすときょう改宗かいしゅう促進そくしんしためんもある[53]。260ねん、サーサーンあさマ帝国まていこくからキリストきょう文化ぶんか中心ちゅうしん都市としエデッサうばり、国内こくないおおくのキリスト教徒きりすときょうとかかえた。キリスト教会きょうかいなが歳月さいげつをかけてつちかわれたセムじん書籍しょせき文化ぶんかとギリシアじん活発かっぱつ知的ちてき活動かつどう成果せいかいでおり、聖典せいてん書籍しょせき神学しんがく発展はってん知的ちてき水準すいじゅんなどのめんでゾロアスターきょう神官しんかんだん劣勢れっせいたされ、ゾロアスター教徒きょうとキリスト教きりすときょう改宗かいしゅう相次あいついだ(ぎゃくにローマでキリスト教徒きりすときょうとがゾロアスター教徒きょうと改宗かいしゅうしたという記録きろく存在そんざいしない)。[54]。このことが国教こっきょうであるゾロアスターきょうにとっておおきな脅威きょういであり、4世紀せいき(ローマでのキリスト教きりすときょう公認こうにん以降いこう国家こっか権力けんりょく背景はいけいとした迫害はくがい(339ねん-379ねん、420ねん-484ねん)やゾロアスターきょう改革かいかくなどがおこなわれた。

皇帝こうてい崇拝すうはい台頭たいとう

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ナクシェ・ラジャブすりがけレリーフのカルティールの肖像しょうぞう
70ねんわた君臨くんりんしたシャープール2せい胸像きょうぞう

サーサーンあさはアーリアじん宗教しゅうきょう信仰しんこうしていた形跡けいせきがあるが、その一派いっぱであるザラスシュトラのおしえ(狭義きょうぎのゾロアスターきょう)に一貫いっかんして帰依きえしていたかはなおも異論いろんがある。すくなくとも初期しょきにおいてはザラスシュトラにかんする記録きろくのこされていないが、アルダシールが「マズダー崇拝すうはいしゃかみなるアルダシール、アーリア民族みんぞくシャーハンシャーかみ々の末裔まつえい」ときざんだコインを発行はっこうした[55]ことから、マズダー崇拝すうはいしゃ詳細しょうさい不明ふめい)のシャーハンシャー(皇帝こうてい諸王しょおうおう)をかみとしていたことはかっている[56]

アルダシール1せいだい神官しんかんタンサールもと、ゾロアスターきょう体系たいけいされたとされる。サーサーンあさ君主くんしゅ発行はっこうする貨幣かへい裏面りめんはいだん刻印こくいんされ、ゾロアスターきょう世俗せぞく支配しはいでも重要じゅうよう役割やくわりになっていたと推測すいそくされる[8]

アルダシールの息子むすこシャープール1せい在位ざいい242ねん - 270ねん)はアルサケスあさおなじく首都しゅとをメソポタミアのクテシフォンにさだめた。しかしメソポタミアではセムけい多数たすうめ、ユダヤきょうキリスト教きりすときょうマンダきょうグノーシス主義しゅぎといった様々さまざま宗教しゅうきょう団体だんたい乱立らんりつしていた(結局けっきょくメソポタミアのセムけい庶民しょみんにゾロアスターきょう定着ていちゃくすることなかったとおもわれる)。穀倉こくそう地帯ちたい政治せいじてき経済けいざいてき重要じゅうようせいたかいメソポタミアを安定あんていてき統治とうちするため、シャープールは穏当おんとう宗教しゅうきょう政策せいさくをとった。そしてニシビスのユダヤじん指導しどうしゃ新興しんこう宗教しゅうきょうのちマニきょうばれる)の教祖きょうそマニまねき、かれらの宗教しゅうきょう活動かつどう容認ようにんした[57]

サーサーンあさシャーハンシャーたちは先祖せんぞ伝来でんらいペルシアしゅうみがけがけレリーフつくり、叙任じょにん儀式ぎしきおこなっていた[52]バハラーム1せいのリレーフにはオフルマズド(アフラ・マズダー)から支配しはいけんゆだねられた姿すがたえがかれている。バハラーム2せいつくったリレーフには、叔父おじのアルメニア国王こくおうナルセ(ナルセ1せい)らサーサーン面々めんめんならび、神官しんかんぎないカルティールが、それもかなりたか席次せきじえがかれていた。このことからシャープールの死後しご、カルティールひきいる神官しんかんだん台頭たいとうしていたことがうかがえる。権勢けんせいくわえたカルティールは「バハラームの霊魂れいこん救済きゅうさいするオフルマズド・モウベド神官しんかん」「エスタフルのアナーヒターはい神殿しんでん神官しんかん」の称号しょうごうた。シャーハンシャーの霊魂れいこん左右さゆうし、サーサーンあさ祖先そせんつとめていた神殿しんでん神官しんかんしょく名乗なのるようになったのである。また、かれはマニを処刑しょけいするなど異教いきょう弾圧だんあつ熱心ねっしんで「ユダヤ教徒きょうと仏教徒ぶっきょうと・ヒンドゥー教徒きょうと・シリアけいキリスト教きりすときょう・ギリシアけいキリスト教徒きりすときょうと洗礼せんれい教徒きょうと・マニ教徒きょうと」を駆逐くちくしたとする碑文ひぶん帝国ていこく各地かくちてた。そして帝国ていこく各地かくち聖火せいか神官しんかんたちを派遣はけんしたときしているが、具体ぐたいてきにどのようなおしえをしんじていたのかは記録きろくがない[58]

ナルセがシャーハンシャーになるとカルティールは失脚しっきゃくしたとみられる。「エスタフルのアナーヒターはい神殿しんでん神官しんかん」の称号しょうごうはナルセにがれた[59]

カルティールの死後しごもゾロアスター国教こっきょう路線ろせん維持いじされた。9代目だいめシャープール2せい在位ざいい309ねん - 379ねん)の時代じだいには、だい神官しんかんアードゥルバードのもと、口伝くでんアヴェスター結集けっしゅう教義きょうぎ確立かくりつおこなわれた[60]。また、シャープールはひとかぎられるレリーフをつくるよりも、自身じしんえがかれたぎん食器しょっき胸像きょうぞう帝国ていこく各地かくちにばらまくことに積極せっきょくてきだった。これによりサーサーンとペルシアの関係かんけいせいうすれ、シャーハンシャーの神秘しんぴせいはかえってうしなわれたとかんがえられている[61]

ズルワーン崇拝すうはい台頭たいとう

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ゾロアスターきょうズルワーン主義しゅぎ最高さいこうしん二元論にげんろん[27]


 
 
 
 
 
ぜんしんオフルマズド
アフラ・マズダー
 
 
 
 
時間じかんかみズルワーン
 
 
 
 
 
 
悪神あくじんアフレマン
アンラ・マンユ
 
 


太字ふとじ最高さいこうしん

アフラ・マズダーがぜんしん降格こうかく
中立ちゅうりつてき最高さいこうしんズルワーンのもとぜんしん悪神あくじんあらそ

ただし国教こっきょうによっても、古来こらいからつづ帝国ていこくない多様たようなアーリアじんしょ宗教しゅうきょう均一きんいつされなかった。周辺しゅうへん外国がいこく文献ぶんけんによれば、サーサーンあさ初期しょき~5世紀せいきごろまで、時間じかんかみズルワーン崇拝すうはいされていた。このズルワーンきょうばれるアーリアじん宗教しゅうきょう一派いっぱは、9~10世紀せいきのゾロアスターきょう文献ぶんけん記述きじゅつがなく、両者りょうしゃ関係かんけいかっていない。インド思想しそうカーラ、ギリシア思想しそうアイオーン影響えいきょう指摘してきされる。完全かんぜん独立どくりつした宗教しゅうきょうであるというせつから、サーサーンあさ初期しょき中期ちゅうき国教こっきょうであったというせつまで様々さまざま見解けんかい存在そんざいする[54]

ジャーヒリーヤ時代じだい以降いこうかれたアラビア古詩こしには、バタバタと独特どくとくあるかたをしながら、ズーンなる偶像ぐうぞうしんうしささげ、熱心ねっしんいのるメソポタミアのゾロアスターきょう神官しんかん姿すがた描写びょうしゃされている。ズーンとはアラビアで信仰しんこうされたさかなかみ、またはズルワーンがアラビア省略しょうりゃくされたかたちであるとみられる。いずれにしろペルシアてきゾロアスターきょうとはかなりことなる「メソポタミアてきゾロアスターきょう」が信仰しんこうされていたとおもわれる。その地域ちいきにも独自どくじ宗教しゅうきょう存在そんざいしたとかんがえられ、ペルシアしゅうかんだん頂点ちょうてんにアーリアじんしょ宗教しゅうきょうをゾロアスターきょうゆるやかに統合とうごうしていたとするせつもある[21]

ザラスシュトラ伝説でんせつ台頭たいとう

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サーサーンあさだいだい)とクシャーノ・サーサーンあさあおむらさき)の領域りょういき

サーサーンあさ分家ぶんけクシャーノ・サーサーンあさでは、シャーのバハラーム2せい在位ざいい360ねんごろ)が「カイ・バハラーム・クーシャン・シャー」ときざんだコインを発行はっこうしていた。「カイ」とは、『アヴェスター』にかんする伝承でんしょう登場とうじょうするザラスシュトラの庇護ひごしゃカウィ王朝おうちょう中世ちゅうせいペルシアである。このことから、クシャーノ・サーサーンあさでは、ザラスシュトラ伝説でんせつ王権おうけん正当せいとうせいささえるイデオロギーとして採用さいようしたとかんがえられている[62]

その本家ほんけサーサーンあさヤズデギルド2せい在位ざいい438ねん - 457ねん)も「マズダー崇拝すうはいかみたるカイ」と銘打めいうったコインを発行はっこうしている。ヤズデギルドは東方とうほう遠征えんせいかえしたり、きたたかし中国ちゅうごく)に使節しせつだんおくって貿易ぼうえき促進そくしんしようとするなど東方とうほうへの関心かんしんつよかった。こうしたなかで、中央ちゅうおうアジアにのこされたザラスシュトラ伝説でんせつやクシャーノ・サーサーンあさ国家こっかイデオロギーにれたものとおもわれる。こうしてシャーハンシャーはかみ々の末裔まつえい名乗なのることをめ、ザラスシュトラの庇護ひごしゃ末裔まつえいしょうするようになった[62]

二元論にげんろん確立かくりつ

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二元論にげんろんてきゾロアスターきょうにおける最高さいこうしん二元論にげんろん[27]


 
 
 
 
ぜん最高さいこうしんオフルマズド
もとアフラ・マズダーズルワーン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あく最高さいこうしんアフレマン
もとアンラ・マンユ
 
 


太字ふとじ最高さいこうしん

中立ちゅうりつてき最高さいこうしん消滅しょうめつ
ぜん最高さいこうしんあく最高さいこうしんあらそ

6世紀せいきのサーサーンあさは、ビザンツ帝国ていこく借金しゃっきんをして東方とうほう遊牧ゆうぼく国家こっかエフタル朝貢ちょうこうするほど国力こくりょくおとろえた。カワード1せい在位ざいい488ねん - 496ねん、498ねん - 531ねん)はマズダクきょうとなえたマズダク宰相さいしょう登用とうようして改革かいかくこころみた。カワードは平等びょうどうくマズダクきょう利用りようしてゾロアスターきょう神官しんかんだんおさもうとしておおきな反発はんぱつらい、かえって混乱こんらんふかめた[63]

カワードの息子むすこホスロー1せい在位ざいい531ねん - 579ねん)は税制ぜいせい軍制ぐんせい改革かいかく成功せいこうし、サーサーンあさ中興ちゅうこうたした。ホスローのもとでキリスト教きりすときょうパフレヴィー文字もじ参考さんこうアヴェスター文字もじ発明はつめいされ、口伝くでん『アヴェスター』とそのパフレヴィー注釈ちゅうしゃく『ザンド』が書籍しょせきされた。さらに西方せいほうからギリシア哲学てつがくを、東方とうほうからインド哲学てつがくをゾロアスターきょうれ、知的ちてき水準すいじゅんにおいてもキリスト教会きょうかい対抗たいこうできる体制たいせいととのえた[63]

ホスロー1せいころにゾロアスターきょう一神教いっしんきょうてき要素ようそ最高さいこうしんとしてのアフラ・マズダー、またはズルワーン)が排除はいじょされ、ぜんしんオフルマズド(アフラ・マズダー)と悪神あくじんアフレマン(アンラ・マンユ)の対立たいりつじくとしたしん意味いみ二元論にげんろんてき教義きょうぎ確立かくりつしたとみられている。ゾロアスターきょう神官しんかんだんはこれによってあく存在そんざい説明せつめいでき、そのてんセムてき一神教いっしんきょう優位ゆういてるとかんがえた。またズルワーンきょう悲観ひかんてき世界せかいかん人間にんげんかんからだっし、物質ぶっしつ存在そんざい肯定こうてい楽観らっかんてき終末しゅうまつろんとなえられた[20]。このような世界せかいかん楽天的らくてんてき善悪ぜんあく二元論にげんろんともばれ、台頭たいとうする一神教いっしんきょうキリスト教きりすときょう対抗たいこうるするために、一神教いっしんきょう要素ようそ排除はいじょして二元論にげんろん強調きょうちょうしたとする見方みかたもある[64]

東方とうほうでの展開てんかい

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ソグドてきゾロアスターきょう

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ソグディアナはザラスシュトラの出身しゅっしんちかいとかんがえられており、ペルシアよりもそのおしえがふるかたちのこっていたとかんがえられている。また、ソグド資料しりょうにはザラシュストラの物語ものがたりかれており、『アヴェスター』の散逸さんいつ部分ぶぶんのソグドばんである可能かのうせいもある。また、ソグドじんはアフラ・マズダーやズルヴァーン、ミスラのほか、ヒンドゥーきょうかみ々もまつっていた[65]

敦煌とんこう出土しゅつど祆教の女神めがみぞう広東かんとんばん

5世紀せいき6世紀せいきころ交易こうえき活動かつどうのために多数たすうペルシアじんトルキスタンから現在げんざい甘粛かんせいしょう中国ちゅうごくわたり、華北かほくきたあまねきたひとしにゾロアスターきょうひろまったという[66]信者しんじゃ相当そうとうすういたものとおもわれ、とうだいには「祆教(けんきょう)」としょうされた[66]。「薩宝(さっぽう)」「薩甫(さっぽ)」ないし「薩保(さほ)」(詳細しょうさい不明ふめい)を指導しどうしゃとする教団きょうだん存在そんざいした[66]ずいとう時代じだい、薩宝(薩甫、薩保)は官職かんしょくみとめられ、ペルシアじんやイランけい西域せいいき出身しゅっしんしゃソグドじんなど)に官位かんいさづけられ、祆教寺院じいん礼拝れいはいしょ(祆祠)の管理かんりまかされた[66]首都しゅと長安ながやす洛陽らくよう敦煌とんこうりょうしゅうといった都市とし寺院じいんほこらもうけられ、長安ながやすには5カ所かしょ洛陽らくようには3カ所かしょ祆祠(けんし)があったとわれている。しかし、ゾロアスター教徒きょうと中国ちゅうごくにおいてはほとんど伝道でんどう活動かつどうをおこなわなかったらしい[4]

とうにおいては、けいきょうネストリウスキリスト教きりすときょう)・マニきょうとあわせてさんえびすきょう、そのてらさんえびすてらび、国際こくさい都市とし長安ながやす中心ちゅうしんおおくの信者しんじゃゆうした。西北せいほく居住きょじゅうするトルコぞくくにウイグルかい鶻、現在げんざい新疆しんきょうウイグル自治じち)では、マニきょうとともにゾロアスターきょうひろ信仰しんこうされた。

吐火しゃまもるなどのペルシアじん古代こだい日本にっぽんにもおとずれており、なんらかのかたちでの伝来でんらいかんがえられている。松本まつもと清張せいちょう古代こだいミステリーの代表だいひょうてき長編ちょうへんみち』でゾロアスターきょう日本にっぽんていたのではないかという仮説かせつれている。イラン学者がくしゃ伊藤いとう義教よしのりは、来朝らいちょうペルシアじん比定ひてい研究けんきゅうなどをふまえて、しん真言宗しんごんしゅう作法さほうみずときおこなわれるたち陀の行法ぎょうほうは、ゾロアスターきょう影響えいきょうけているのではないかとするせつ提出ていしゅつしている[67]

中国ちゅうごくにおける祆教の信者しんじゃは、おおくの場合ばあいペルシアじん西域せいいき出身しゅっしんしゃだったが、当初とうしょ隊商たいしょう商人しょうにん多数たすうめ、のちにはとう亡命ぼうめい政府せいふ樹立じゅりつしたサーサーンあさからの難民なんみんなどがくわわったものとおもわれる[66]

たけはじめはいぼとけかいあきらはいぼとけ)のときに、仏教ぶっきょうとともにさんえびすきょう弾圧だんあつけ、以後いご衰退すいたいしていった。また、西域せいいきでは11世紀せいき - 13世紀せいき西域せいいきのイスラム進行しんこうした。

そう時代じだいになるとになかんすすみ、「そうだいかん民族みんぞくてきゾロアスターきょう」ともいえる形態けいたい変化へんかした[5]

祆教は、14世紀せいきころまで開封かいふう鎮江などにのこっていたと記録きろくされているが、その消息しょうそくつかめていない[66]。なお、とうだいからもとだいにかけて対外たいがい貿易ぼうえきこうだった福建ふっけんしょう泉州せんしゅう郊外こうがいなみ斯荘というむらがあり、現在げんざいでもペルシアじん末裔まつえいらしているという。かれらは現在げんざい言語げんご形質けいしつめんではかんぞく同化どうかしているが、イスラム教いすらむきょうほうじておりかいぞく認定にんていされている。かれらの宗教しゅうきょう儀式ぎしきにはゾロアスターきょう名残なごりがみられるともいわれる[よう出典しゅってん]

ゾロアスターきょう衰退すいたい

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ホスロー1せいまごホスロー2せい在位ざいい590ねん、591ねん - 628ねん)は国力こくりょく余裕よゆうのある状態じょうたいでシャーハンシャーになることができた。しかし、即位そくい当初とうしょから部下ぶか反逆はんぎゃくい、求心力きゅうしんりょくたかめるためにあらたな皇帝こうていイデオロギーを創出そうしゅつする必要ひつよう牲にせまられた。そこでかれキリスト教きりすときょう国家こっかひがしマ帝国まていこく戦争せんそう(602ねん-628ねん)を開始かいしし、エルサレム攻略こうりゃくによってイエス・キリスト磔刑たっけいしょせられたとされる「ゴルゴタせい十字架じゅうじか」を奪取だっしゅし、穀倉こくそう地帯ちたいエジプトも占領せんりょう首都しゅとコンスタンティノープル対岸たいがんカルケドンまで進軍しんぐんしてひがしマ帝国まていこく滅亡めつぼう寸前すんぜんいやった。このだい勝利しょうりによってシャーハンシャーの威信いしん絶頂ぜっちょうむかえ、ホスローがアフラ・マズダーよりも一段いちだん上位じょうい台座だいざつレリーフが建造けんぞうされた[52]

なお、このころはゾロアスターきょうからキリストきょうへの改宗かいしゅう相次あいついでいた。とくにゾロアスターきょうから軽蔑けいべつされていた商人しょうにん職人しょくにんそう顕著けんちょで、職人しょくにん団体だんたいちょうにもキリスト教徒きりすときょうとおおかった[68]

ひがしローマ皇帝こうてい即位そくいしたヘラクレイオス在位ざいい610ねん - 641ねん)は反転はんてん攻勢こうせいたが、シリア・メソポタミアからクテシフォン方面ほうめんかうことはせず、623ねんタウルス山脈さんみゃく沿いに進軍しんぐんしてシーズを急襲きゅうしゅうはいだん破壊はかいされ、「シーズの聖火せいか」のみかろうじてクテシフォン近郊きんこう避難ひなんされた。これによりサーサーンあさ威信いしんおおいにらいだ[52]。この戦争せんそうによりりょう大国たいこくちから消耗しょうもう周辺しゅうへんこくでは自立じりつうごきが活性かっせいした。国力こくりょく浪費ろうひさせたホスローは皇太子こうたいしによって暗殺あんさつされ、内乱ないらんおちいった[69]

サーサーンあさ内乱ないらんなにとか平定へいていしたホスロー2せいまごヤズデギルド3せい在位ざいい632ねん - 651ねん)は、633ねんよりアラビア半島はんとう新興しんこう世界せかい宗教しゅうきょうイスラム教いすらむきょうほうじるアラブじん侵攻しんこう直面ちょくめんした。サーサーンちょうがわ長年ながねん内戦ないせん疲弊ひへいしており、637ねんには首都しゅとクテシフォンをうばわれた。ヤズデギルドは税収ぜいしゅうの3わりになっていたメソポタミアを放棄ほうきし、イラン高原こうげん体制たいせいなおしをはかった。イラン高原こうげん進軍しんぐんしたイスラムぐん連戦れんせんかさね、ニハーヴァンドのたたかでサーサーンあさやぶった。このとき落馬らくばして捕虜ほりょとなれば身代金みのしろきんはらって解放かいほうされるという当時とうじ慣例かんれいしたがっておおくの将兵しょうへい封建ほうけん領主りょうしゅ自由じゆう農民のうみんからる)がわざと落馬らくばしたが、アラブじんはこのルールをらず、必要ひつよう以上いじょうおおくのペルシアぐん虐殺ぎゃくさつされた。これによってサーサーンあさ軍事ぐんじ組織そしきとペルシアじん経済けいざい社会しゃかいシステムは崩壊ほうかいし、サーサーンあさはイスラム勢力せいりょく抵抗ていこうするちからうしなった。ヤズデギルドは逃亡とうぼうちゅうの651ねんメルブころされ、キリスト教徒きりすときょうとシーリーンまごであることから現地げんちみんによってキリストきょうしき埋葬まいそうされたという。ヤズデギルドの息子むすこペーローズ3せいまごナルシエフとうのがれ、やましりょう所在しょざい不明ふめい)にサーサーンあさ亡命ぼうめい政府せいふくも、アラブじんイスラム教徒きょうと占領せんりょうされ、ペルシア帝国ていこく復活ふっかつのぞみは完全かんぜんたれた[70]

恭順きょうじゅん

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アラブじんイスラム教徒きょうとによる侵攻しんこうに、旧来きゅうらい支配しはい階級かいきゅうだったアーリアじんたちは「イスラム教いすらむきょうへの改宗かいしゅう」「みつぎおさめ」「徹底てってい抗戦こうせん」の選択肢せんたくし余儀よぎなくされた。改宗かいしゅうしゃすくなく、おおくがみつぎおさめによって信仰しんこう維持いじしたといわれる。アラブじんたちは宗教しゅうきょうてき放任ほうにんさくで、従来じゅうらい信仰しんこうはおおむね維持いじされた[71]

サーサーンあさ崩壊ほうかいから8世紀せいきまでゾロアスターきょうかんする資料しりょうはほとんどのこっていない。しかし8世紀せいきになるとフーデーン・ペーショーバーイ中心ちゅうしんとするゾロアスターきょう神官しんかんだんたちがパフレヴィー文献ぶんけん精力せいりょくてき執筆しっぴつし、「パフレヴィー文学ぶんがくルネッサンス」とばれる文化ぶんかてき発展はってんむかえた。られるかぎ最初さいしょのフーデーン・ペーショーバーイであるアードゥル・ファッローバイは、イラン高原こうげん全体ぜんたいのゾロアスター教徒きょうと指導しどうしており、『デーンカルド最初さいしょ著者ちょしゃでもあった。かれ後継こうけいしゃたちも書簡しょかんしゅう『リバーヤト』、『ブンダヒシュン』、『宗教しゅうきょう問答もんどうしゅう』など様々さまざま文献ぶんけんのこしている。10世紀せいきになるとアラビア文献ぶんけんでしかフーデーン・ペーショーバーイのられなくなる。そして936ねん処刑しょけいされた祖父そふあといだエーメードを最後さいごに、フーデーン・ペーショーバーイの記録きろくのこっていない[72]

なお、9~10世紀せいき文献ぶんけんには二元論にげんろんてきゾロアスターきょう世界せかいかんえがかれており、5世紀せいきまで外国がいこく文献ぶんけん度々たびたび描写びょうしゃされていたズルワーン崇拝すうはいかんする記述きじゅつ存在そんざいしないため、様々さまざま議論ぎろんんでいる[73]

ゾロアスター神官しんかんだん経済けいざいてきささえたのは、アルダフシール・ファッラフ-シーラーフつな通商つうしょうであった。このはサーサーンあさ崩壊ほうかいてられたはい神殿しんでんつらなり、神官しんかんだん商人しょうにんたちによって共同きょうどう管理かんりされたとみられている。しかしこのルートがブワイフあさ国家こっか管理かんりかれたことでさびれてしまい、10世紀せいき後半こうはん地震じしんでシーラーフが壊滅かいめつしたことによりとどめをされた。かつての通商つうしょうには廃墟はいきょしたはい神殿しんでん点在てんざいする不毛ふもうとなり、経済けいざいてき基盤きばんうしなったゾロアスターきょう神官しんかんだん消滅しょうめつした。それによりパフレヴィー文学ぶんがくルネッサンスは終焉しゅうえんむかえ、『アヴェスター』も大半たいはん散逸さんいつした[74]

反乱はんらん

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ウマイヤあさからアッバースあさ転換期てんかんきアッバース革命かくめい)、アーリアじん宗教しゅうきょう信者しんじゃたちによる反乱はんらん相次あいついだ。このころ、ゾロアスターきょう神官しんかんのベフ・アーフリードが活躍かつやくした[75]

反乱はんらんこしたイランじんにはホラーサーン周辺しゅうへん原始げんしてきゾロアスターきょう太陽たいよう崇拝すうはい、マズダクきょう旗頭はたがしらにすることがおおく、サーサーンあさ崩壊ほうかいには様々さまざまなアーリアじんしょ宗教しゅうきょう台頭たいとうしていた可能かのうせいがある。しかし9世紀せいきなか以降いこうはんイスラムをかかげた反乱はんらんこらなくなる[76]

衰退すいたい

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イスラム教徒きょうと支配しはいでゾロアスター教徒きょうとたちは経済けいざいてき利益りえき安全あんぜんのため次々つぎつぎ改宗かいしゅうしていった。イスラムがわかれらを改宗かいしゅうさせるため、ヤズデギルド3せいむすめたち正統せいとうカリフアリー・イブン・アビー・ターリブ一族いちぞく結婚けっこんしたという説話せつわ流布るふさせた。ゴムではアーリアじんへの虐殺ぎゃくさつ追放ついほうおこなわれ、わりにアラブじん移住いじゅう促進そくしんされた。これによってこのまちはシーア一大いちだい拠点きょてんとなった。10世紀せいきにはゾロアスターきょう牙城がじょうだったペルシアしゅうでゾロアスター教徒きょうとくイスラム教徒きょうとのガーゼルーニーが布教ふきょう活動かつどうおこなった。ゾロアスターきょう神官しんかんだんかれ暗殺あんさつ逮捕たいほしようとしたが失敗しっぱいし、最後さいご基盤きばんくずされていった。12世紀せいきにはこの農村のうそんにもモスクがつようになり、ペルシアのイスラム可逆かぎゃくてきすすんだ。これにともない、アーリアじん伝統でんとうてき階級かいきゅう社会しゃかい解体かいたいされ、民族みんぞくほこりもうしなわれて自称じしょうが「アジャム(アラブ)」と主体性しゅたいせいのないものにえられた。サーサーンあさゆたかな文化ぶんかはイスラム文化ぶんか吸収きゅうしゅうされた(イラン・イスラーム文化ぶんか[77]

近代きんだいいたり、イラン社会しゃかい世俗せぞくながれのなかでジズヤが廃止はいしされ、ようやくムスリムとは法的ほうてき対等たいとう権利けんりた。

パールシー

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ムンバイ(インド)に建設けんせつされた「沈黙ちんもくとう

イラン高原こうげん政治せいじ勢力せいりょくインド大陸たいりく度々どど進出しんしゅつしており、インドの歴史れきししょでは好戦こうせんてきなパルサヴァぞく(アケメネスあさのペルシアじん?、ぜん5世紀せいき)、アーリアじん祭祀さいし無視むしクシャトリヤから格下かくさげされたパフラヴァぞく(パルティアじん?、ぜん2・3世紀せいき以降いこう)、ムレーッチャ(塞外さいがい民族みんぞく)のパーラスィーカぞく(サーサーンあさのペルシアじん?、4世紀せいき以降いこう)などとして記録きろくされている。そうしたなかで、インドにもイランけいアーリアじん宗教しゅうきょうしんじる集団しゅうだんがいくつか確認かくにんされている。サーサーンあさ滅亡めつぼうまでに以下いか集団しゅうだんがインドにおいて存在そんざいしていた[22]

  • マガ・ブラーフマガ - ぜん1世紀せいきごろ、イラン高原こうげん東部とうぶからインドに移住いじゅうはらイラン多神教たしんきょうながれをむミスラ崇拝すうはいしゃおもわれる
  • ボージャカ - 6世紀せいき前半ぜんはん-7世紀せいきまつにインド移住いじゅうはらゾロアスターきょうながれをむ。マガ・ブラーフマガと融合ゆうごう
  • ガンダーラ・ブラーフマガ - 5世紀せいきなかば-567ねんきたインドを支配しはいしたエフタルの「ミヒラきょう祭司さいし集団しゅうだん残党ざんとう。マガ・ブラーフマガと同一どういつ集団しゅうだん?

サーサーンあさ滅亡めつぼう、イランのゾロアスター教徒きょうとにはインド西海岸にしかいがんグジャラート退避たいひする集団しゅうだんがあった。かれらをパールシー(「ペルシアじん」の)という。Qissa-i Sanjan伝承でんしょうでは、ホラーサーンサンジャーン英語えいごばんから、4、5せきふねりグジャラート南部なんぶサンジャーン英語えいごばんにたどりき、現地げんち支配しはいしたヒンドゥー教徒きょうとおうジャーディ・ラーナーの保護ほごて、周辺しゅうへん地域ちいき定住ていじゅうしたとわれる[78]。グジャラートのサンジャーンに5年間ねんかん定住ていじゅうした神官しんかんだんは、使者ししゃ陸路りくろイラン高原こうげんホラーサーン派遣はけんし、同地どうちアータシュ・バフラームきゅう聖火せいかをサンジャーンに移転いてんさせたとわれている[79]

パールシーのコミュニティーは以後いご1000年間ねんかん信仰しんこうまもつづけている。かれらはイランではおお農業のうぎょういとなんでいたとわれるが、移住いじゅう契機けいきしょう工業こうぎょう進出しんしゅつし、土地とち風習ふうしゅうれてインドしていった[46]。それにともなグジャラート使用しようするようになったかれらのおおくは、旧来きゅうらいのゾロアスターきょう資料しりょうめなくなった。二元論にげんろん終末しゅうまつろんといった教義きょうぎへの探求たんきゅうはほとんどおこなわれなり、わりに神官しんかんだん一般いっぱん信徒しんとにとって重要じゅうようだった祭儀さいぎ継承けいしょうちからそそいだ。また知的ちてき活動かつどうささえる余裕よゆうくなったため、祭儀さいぎかんするものとのこされた書籍しょせき写本しゃほん作成さくせいのぞいて、文献ぶんけん執筆しっぴつはほとんどおこなわれなくなった[79]

パールシーはカーストせいまれ、ひとつのカーストとしてパールシーのコミュニティない婚姻こんいんするようになった。このカーストとぞくないこんによってパールシーの人々ひとびと同化どうか圧力あつりょくつよいヒンドゥーきょう社会しゃかいなか独自どくじせい維持いじすることができた[79]

ヤズィーディーきょう

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ヤズィーディーきょうはらイラン多神教たしんきょう12世紀せいきスーフィー指導しどうしゃアディー・イブン・ムサーフィル英語えいごばんつくったアダウィーア教団きょうだんおしえが融合ゆうごうしたクルドじん宗教しゅうきょうである。クルドじん言語げんごがくてき古代こだいアーリアじん分派ぶんぱであり、ザラスシュトラ以前いぜんおしえを保存ほぞんしているとかんがえられている。ヤズィーディーきょう聖典せいてんにははらイラン多神教たしんきょうとよく教義きょうぎ物語ものがたりおお登場とうじょうするが、固有名詞こゆうめいしがイスラムふうのものにわっているものがすくなくない。インドにおいては口伝くでんなかにいくつもかみ々の名前なまえ登場とうじょうさせ、改竄かいざんができないよう注意ちゅういはらわれていたが、おなじアーリアけいでもイランではそのような注意ちゅういいていたことが原因げんいんであるとされている[80]

現代げんだいのゾロアスターきょう

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信者しんじゃ分布ぶんぷ

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トビリシグルジア共和きょうわこく)のゾロアスター神殿しんでん

近代きんだい以前いぜんからゾロアスターきょう信仰しんこうされていた地域ちいきは、以下いかとおりである。

  1. イラン:かつてゾロアスターきょう国教こっきょうとしたサーサーンあさペルシア帝国ていこく中心ちゅうしんヤズド中心ちゅうしん信徒しんとすう3まん~6まんにん[81]
  2. インド:10世紀せいきごろにイランを脱出だっしゅつしたゾロアスター教徒きょうとグジャラートしゅう移住いじゅう。ペルシアじん意味いみするパールシー教徒きょうと)とばれる。現在げんざいはパールシーの経済けいざい的中てきちゅう心地ごこち・ボンベイ(ムンバイ)をしゅたる拠点きょてんとして、信徒しんとすう7まん5せんにん[81]
  3. パキスタンえいりょうインドインド共和きょうわこくパキスタン分離ぶんりして独立どくりつこくとなったさい、2,500にんから6,000にんのパールシーがパキスタンの領域りょういきんでおり、パキスタン国民こくみんとなった。中心ちゅうしんカラチである[81]
  4. アゼルバイジャンジョージアこくイラク若干じゃっかんめい

近代きんだい以降いこうおおくのパールシー教徒きょうと英語えいごけん各地かくちに、イラン本国ほんごくのゾロアスター教徒きょうとドイツ移民いみんとして移住いじゅうしたことにより、信者しんじゃ分布ぶんぷ地域ちいき拡大かくだいしていった[81]

  1. イギリスやく5,000にん[81]
  2. 北米ほくべい大陸たいりくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくカナダ):やく10,000にん[81]
  3. オーストラリア:やく2,500にん[81]
  4. シンガポール香港ほんこん日本にっぽんドイツ若干じゃっかんめい[81]
ヤズドのゾロアスターきょう神殿しんでん

イランのゾロアスターきょうは、イスラム進展しんてんによって少数しょうすう転落てんらくした。今日きょう小規模しょうきぼ信徒しんと共同きょうどうたい残存ざんそんし、現代げんだいペルシアで「ゾロアスターのおしディーネ・ザルドゥシュトدین زردشت)」とばれる。イラン中央ちゅうおうヤズド南東なんとうケルマン地区ちく中心ちゅうしんすうまんにん信者しんじゃ存在そんざいする。ヤズドでは人口じんこう(30まんにん)のやく1わりがゾロアスター教徒きょうととされる。ヤズド近郊きんこうにはゾロアスター教徒きょうとむらがいくつかあり、はい神殿しんでん信者しんじゃ以外いがいにも開放かいほうされ、1500ねんまえからつづけているという「聖火せいか」をることができる。

ダフメ(daχかいmah いわゆる「沈黙ちんもくとう」)によるとりそうは、1930年代ねんだいパフラヴィーあさレザー・シャーにより禁止きんしされ、以後いごイスラム教いすらむきょうとう同様どうよう土葬どそうとなった。現在げんざい活用かつようされず、観光かんこう施設しせつとしてのこされるにとどまる。

ゾロアスター教徒きょうと近代きんだい進展しんてんによりムスリムと同等どうとう法的ほうてき権利けんり獲得かくとくしたが、イスラム革命かくめいによりふたた隷属れいぞくてき地位ちいにおかれてしまう。

かつての世界せかい宗教しゅうきょう・ゾロアスターきょうイスラーム教徒きょうとによる宗教しゅうきょうてき迫害はくがいによって信徒しんと資格しかく血縁けつえんもとめる民族みんぞく部族ぶぞく宗教しゅうきょうへと後退こうたいした。現在げんざい、ゾロアスターきょうでは信徒しんとおやたないもの入信にゅうしんれていない。

一方いっぽうで、シーア政治せいじ権力けんりょくにぎ人々ひとびと抑圧よくあつしているにもかかわらず、おおくのシーア水面すいめんで棄教・改宗かいしゅうしたとする調査ちょうさもある。それによればイスラム教いすらむきょうシーア自認じにんするひとは3ぶんの1にたず、国民こくみんの8%がゾロアスター教徒きょうと自称じしょうした(イラン政府せいふ公式こうしき発表はっぴょうでは2まん3000にん)。かれらはイラン発祥はっしょうのゾロアスターきょうほこりをち、アラブじんんだとしてイスラム教いすらむきょう反発はんぱつするものもいる。また、まわりでいのりをささげるゾロアスターしき結婚式けっこんしき流行りゅうこうしたため、当局とうきょくによって禁止きんしされている(2019ねん)。水面すいめんではキリスト教きりすときょうシーアイスラム教いすらむきょう拡大かくだいしており、イラン政府せいふ厳格げんかく宗教しゅうきょう政策せいさくかえってシーアから人々ひとびととおざけているとみられている[82]

インドとパキスタン

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インドにおけるパールシー入信にゅうしんナオジョテ儀式ぎしき[注釈ちゅうしゃく 12]

現在げんざい、インドはゾロアスター教徒きょうとすうもっとおおくにである。今日きょうではおな西海岸にしかいがんマハーラーシュトラしゅうムンバイ旧称きゅうしょうボンベイ)にゾロアスターきょう中心ちゅうしんがあり、開祖かいそザラスシュトラが点火てんかしたとつたえられるほのおえることなくつづけている。ゾロアスターきょうは、インドではペルシアじん意味いみする「パールシー」とばれ、パールシー同士どうしだけで婚姻こんいんし、周囲しゅういとはことなるパールシー共同きょうどうたい形成けいせいしている[14]少数しょうすうながら商業しょうぎょう貿易ぼうえき知的ちてき職業しょくぎょうひとおおく、裕福ゆうふくそう政治せいじりょくをもった人々ひとびと割合わりあいおお[14]。インド国内こくない少数しょうすうながら富裕ふゆうそうおお社会しゃかいてき活躍かつやくするひとおおてんは、シクきょう類似るいじし、インド2だい財閥ざいばつのひとつタタ・グループは、パールシーの財閥ざいばつである。パールシーはおな教徒きょうと同士どうし堅固けんご結合けつごう相互そうご扶助ふじょもあって、かれらの社会しゃかいには生活せいかつにおいて貧窮ひんきゅうするものがいないとわれる[14]

神殿しんでんマハラシュトラしゅうのムンバイとプネーにいくつかあり、ゾロアスターきょう共同きょうどうたいつくっている。神殿しんでんにはゾロアスター教徒きょうとのみがはいることができ、異教徒いきょうとりはきんじられている。神聖しんせいほのおすべての神殿しんでんにあり、ペルシアからはこばれたほのおからけられたものである。神殿しんでんないには偶像ぐうぞうはなく、ほのお礼拝れいはいする。パールシーのほとんどはムンバイとプネーに在住ざいじゅうしている。またグジャラートしゅうアフマダーバードスーラトにも神殿しんでんがあり、周辺しゅうへん信者しんじゃにより運営うんえいされている。

一方いっぽう、パキスタン(人口じんこう1おく3,000まんにん)のゾロアスター教徒きょうとは5000にんで、おもカラチ一帯いったい居住きょじゅうしており、イランからの信者しんじゃ流入りゅうにゅうにより教徒きょうとすう増加ぞうか傾向けいこうにある。

ひがしアジア

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19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいき前半ぜんはんにかけては上海しゃんはい広州こうしゅうなどにインド大陸たいりくから渡来とらいしたパールシー商人しょうにんが、租界そかい中心ちゅうしん独自どくじのコミュニティをきずいていた。現在げんざいでも香港ほんこんには「白頭はくとう教徒きょうと」とばれるすうひゃくにんのパールシーが定住ていじゅうし、コーズウェイベイ銅鑼どらわん)の商業しょうぎょうビル(ぜんらくほどこせだい厦)の一角いっかくはい神殿しんでんが、ハッピーバレー(跑馬)に専用せんよう墓地ぼち存在そんざいする。マカオには現在げんざいパールシーは居住きょじゅうしていないが、東洋とうようもちやまに「白頭はくとうふんじょう」とばれる墓地ぼちがあり、香港ほんこん貿易ぼうえき拠点きょてんとして発展はってんする以前いぜんはパールシー商人しょうにん居留きょりゅうしていたものとかんがえられる[よう出典しゅってん]

近代きんだい日本にっぽんでは、戦前せんぜんからインド・ゾロアスター教徒きょうとにより、神戸こうべ在住ざいじゅう貿易ぼうえきしょうとして定住ていじゅうがはじまり、その子孫しそん人々ひとびと現在げんざいでも健在けんざいである。在日ざいにちも3世代せだいないし4世代せだいとなり、日本にっぽんまれの日本にっぽんそだちとしてすっかり日本にっぽん文化ぶんかにとけんでいるが、国籍こくせきインド維持いじし、祭祀さいしさいなどにはムンバイかえってゾロアスターきょう儀礼ぎれい参加さんかしている[84]

1990年代ねんだい後半こうはんにプロの霊感れいかんうらなみき秀樹ひでき[85]によって日本にっぽんゾロアスター教団きょうだん[86]設立せつりつされたが、2017ねん現在げんざいその活動かつどう確認かくにんすることが出来できなくなっている。

欧米おうべい

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19世紀せいき以降いこう、インドからのパールシーの移住いじゅうともない、北米ほくべいには18,000-25,000にんみなみアジア・イランけい信者しんじゃ、オーストラリア(おもシドニー)には3,500にん信者しんじゃ在住ざいじゅうしている。

1990ねん、アリー・A・ジャファリーによって、ロサンゼルスにおいてゾロアスターきょうけい新興しんこう教団きょうだんザラスシュトリアン・アッセンブリーが設立せつりつされた[87]。ガーサーのみを聖典せいてんとし、入信にゅうしん儀式ぎしきれば民族みんぞく国籍こくせきわずにだれでも会員かいいんとなることができるとされている[88]

歴代れきだい指導しどうしゃ

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原始げんし教団きょうだん

  1. ザラスシュトラ - 教祖きょうそ
  2. ジャーマースパ・フォーグワ - ザラスシュトラのむすめ婿むこ

以後いご記録きろくなし

だい神官しんかん(サーサーンあさ時代じだい[89]

  • カルティール -
  • アードゥルバード - シャープール2せい時代じだい
  • ザルドシュルト - アードゥルバードの息子むすこ?
  • アードゥルバード - ザルドシュルトの息子むすこ?。5世紀せいき
  • アードゥル・ファッローバイ - ヤズデギルド2せい時代じだい
  • フダード - ヤズデギルド2せい時代じだい
  • アードゥル・ボーセード
  • マルドブード -ペーローズ1せい時代じだい
  • アードゥルバード - マルドブードの息子むすこ

フーデーン・ペーショーバーイ(イスラム支配しはい時代じだい[90]

  • アードゥル・ファッローバイ -アッバースあさマアムーン時代じだい
  • ザルドシュルト - アードゥル・ファッローバイの息子むすこイスラム教いすらむきょう改宗かいしゅう
  • ジュワーンジャム
  • マヌシュチフル - ジュワーンジャムの息子むすこ
  • エーメード - ジュワーンジャムのまご
  • アードゥルバード
  • エスファンディヤール - アードゥルバードの息子むすこ。アッバースあさラーディーにより936ねん処刑しょけい
  • エーメード - エスファンディヤールのまご

以後いご記録きろくなし

パールシー出身しゅっしん著名ちょめいじん

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逸話いつわ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ なお、ゾロアスターきょう影響えいきょうけたマニきょう徹底てっていした二元論にげんろんてき教義きょうぎゆうし、宇宙うちゅうひかりよし精神せいしんやみあく肉体にくたいの2つの原理げんり対立たいりつもとづき、それぞれ画然かくぜんけられていた始原しげん宇宙うちゅうへの回帰かいきと、マニきょう独自どくじ救済きゅうさいとを教義きょうぎ核心かくしんとする[10][11]
  2. ^ アエーシュマは、『旧約きゅうやく聖書せいしょ』に登場とうじょうするアスモデウス前身ぜんしんともかんがえられる[よう出典しゅってん]
  3. ^ イスラム統治とうち時代じだい初期しょきホラーサーンでは、イスラム教いすらむきょうとの比較ひかくで「我々われわれには理性りせいてきかたけいてんかみからつかわされたあずかしゃしゃもない」とかたるゾロアスター教徒きょうとヘラート貴族きぞく発言はつげんのこされている(パフレヴィー文献ぶんけんではザラスシュトラが預言よげんしゃとされている)。そしてホラーサーンからはらゾロアスターきょうとマゴス神官しんかんだんおしえを峻別しゅんべつし、後者こうしゃきんじたベフ・アーフリードが登場とうじょうする。さらにかれは『アヴェスター』の存在そんざい無視むしして、それとはべつ聖典せいてん独自どくじこうとしていた。これらのことから、『アヴェスター』をじくとした国教こっきょうたるペルシアてきゾロアスターきょうはイラン高原こうげん南部なんぶでのみでしか浸透しんとうしておらず、ホラーサーンには独自どくじの「ホラーサーンてきゾロアスターきょう」が存在そんざいしていた可能かのうせい指摘してきされている。[21]
  4. ^ ゾロアスターきょう至高しこうしんアフラ・マズダーは、バラモン教ばらもんきょう聖典せいてんリグ・ヴェーダ』で「アスラ(Asura)=あるじ」としるされたかみで、『リグ・ヴェーダ』の詩句しくでは、このミスラとヴァルナの下位かいの「あるじ」は、つぎのような言葉ことばかたりかけている。「あなたたちかみは、アスラのちょう自然しぜんてきりょくとおしてそらあめらせる。…あなたたちかみは、アスラのちょう自然しぜんてきりょくとおして、あなたたちのほうまもる。リタ(=自然しぜん法則ほうそく)をとおして宇宙うちゅう支配しはいする」(『リグ・ヴェーダ』5:6,3:7)
  5. ^ 青木あおきけんは、アフラ・マズダーをザラスシュトラが創案そうあんした神格しんかくであるとべている[23]
  6. ^ ヤスナにしるされたフラワラーネは「わたしみずから、マズダーの礼拝れいはいしゃであり、ゾロアスターの信奉しんぽうしゃであり、ダエーワを拒否きょひし、アフラの教義きょうぎれることを告白こくはくします。アムシャ・スプンタを礼拝れいはいします。ぜんにしてたからにみちたアフラ・マズダーに、すべてのきものをさせます」というものである[25]
  7. ^ ボイスによれば、ゾロアスターきょう信仰しんこう告白こくはくにおいて、アフラ・マズダーは創造そうぞうぬしとしてたっとばれているが、異教いきょう時代じだいのイランじんにとって創造そうぞうぬしとみなされていたとはかんがえられない、という。もし異教いきょう時代じだいのイランじんが、どれか1つのかみ創造そうぞうてき活動かつどうになわせようとするならば、そのかみさんだいアフラのなかでおそらくはもっととおはなれてある「叡智えいちあるじ」の命令めいれい実行じっこうするかみヴァルナであったろうというのがボイスの見解けんかいである。さらに、このことがゾロアスターの教義きょうぎのなかでも際立きわだった特徴とくちょうのひとつであったとも指摘してきしている[26]
  8. ^ ボイスによれば、キュロスの宗教しゅうきょうてき寛容かんようさくにより、「ユダヤじんはこののちもペルシアじん好感こうかんつづけ、ゾロアスターきょう影響えいきょう一層いっそう受容じゅようしやすくなった」という[35]。ただし、ボイスが自著じちょでその前提ぜんてい条件じょうけんつぎてんげた。ザラスシュトラ出生しゅっしょう紀元前きげんぜん1500ねん~1200ねんであること、キュロスがゾロアスター教徒きょうとであったこと、そしてこのときすでにゾロアスターきょう救済きゅうさいぬし思想しそう成立せいりつしていたことである[36]。ただし、こうした前提ぜんてい条件じょうけんは、見解けんかい相違そういするところでもある。
  9. ^ こうした影響えいきょうかんする最新さいしん論文ろんぶんとして Werner Sundermann, 2008, Zoroastrian Motifs in Non-Zoroastrian Traditions, Journal of the Royal Asiatic Society vol.18, Iss.2, pp. 155-165を参照さんしょう
  10. ^ ゾロアスター教徒きょうと信仰しんこう告白こくはく一節いっせつに「マズダー教徒きょうとでありゾロアスター教徒きょうとであるわたしは」といういいまわしがある[26]。マズダーはザラスシュトラ以前いぜんからアーリアじん信仰しんこうされており、マズダー崇拝すうはいだけではゾロアスター教徒きょうと断定だんていできない。またP・R.ハーツは、著書ちょしょ『ゾロアスターきょう』で、ダレイオス1せいをゾロアスター教徒きょうととみなしている。しかし、訳者やくしゃ奥西おくにし俊介しゅんすけは「訳者やくしゃあとがき」でつぎのように指摘してきしている。げんゾロアスター教徒きょうと自分じぶんたちの守護しゅごれいフラワシのぞうとみなしているゆうつばさ円盤えんばん人物じんぶつぞうは、アケメネスあさ遺跡いせきおお確認かくにんされる。しかし、おおくの研究けんきゅうしゃゆうつばさ円盤えんばん人物じんぶつぞうをアフラ・マズダーぞうとみなしており、ダレイオス1せいがマズダー信者しんじゃだったとしても、ゾロアスター教徒きょうとであったかどうかは明白めいはくではない[40]
  11. ^ ボイスは、ザラスシュトラ以前いぜんよりイランじん祭司さいしかみ々にたいして礼拝れいはいしきささげたが、みずたいまった供物くもつささげる儀礼ぎれい自体じたいわらなかったのではないかとしている[41]
  12. ^ 19世紀せいきからつづ神官しんかん一族いちぞくジャーマースプ・アーサーだい6だいカイ・ホスロウによる入信にゅうしんしき[83]

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん書籍しょせき

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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