(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ネストリウス派 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ネストリウス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
サウジアラビア東部とうぶしゅうジュバイルにあるネストリウス教会きょうかいあと

ネストリウス英語えいご: Nestorianism, ギリシア: Νεστοριανισμός)、またはひがしシリア教会きょうかいは、古代こだいキリスト教きりすときょう教派きょうはの1つ。コンスタンティノポリスそう主教しゅきょうネストリオス[注釈ちゅうしゃく 1]によりかれたキリスト教きりすときょう一派いっぱで、東方とうほう教会きょうかい東方とうほうしょ教会きょうかい)にふくまれる。431ねんエフェソスこう会議かいぎにおいて異端いたん認定にんていされ、排斥はいせきされた。これにより、ネストリウスサーサーンあさペルシア帝国ていこく亡命ぼうめいし、7世紀せいきごろには中央ちゅうおうアジアモンゴル中国ちゅうごくへとつたわった[1]とうだい中国ちゅうごくにおいてはけいきょうばれる。のちにはイラク拠点きょてんとする一派いっぱアッシリア東方とうほう教会きょうかいなどが継承けいしょうした。

ネストリウス見解けんかい。キリストの神格しんかく人格じんかく分離ぶんりしている[2]

その教義きょうぎにおいては、三位一体さんみいったいせつおよびイエス・キリスト両性りょうせいせつみとめるものの、キリストのかくは1つではなく、神格しんかく人格じんかくとの2つのかく分離ぶんりされるとし、さらに、イエスの神性しんせいは受肉によって人性じんせい統合とうごうされたとかんがえる。このため、人性じんせいにおいてイエスをんだマリアを「かみはは」(テオトコス Θεοτοκος)とぶことを否定ひていし、「キリストのはは」(クリストトコス Χριστοτόκος)とんだ。これは、マリアはイエス・キリストの人格じんかくにおいてのみのおもであるという教理きょうりもとづくものであり、マリア神学しんがくというよりはキリストろん根幹こんかんである。このネストリオスのきょうせつは、431ねんエフェソスこう会議かいぎにおいて異端いたんとされた。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

アレクサンドリア学派がくは出身しゅっしんアレクサンドリアそう主教しゅきょうキュリロスアンティオキア学派がくは出身しゅっしんネストリウスあいだでの対立たいりつからはじまる。ネストリウスは、それまでの古代こだい教父きょうふらが使用しようしていた聖母せいぼマリアたいする称号しょうごうかみはは Θεοτοκοςかみ θεοςもの τοκος)」を否定ひていし、マリアは「クリストトコス Χριστοτόκος(キリスト Χριστοςもの τοκος)」であるといた。その理由りゆうは、キリストは神性しんせい人性じんせいにおいて2つかく(ヒュポスタシス υποστασις)であり、マリアはあくまで人間にんげんてきかく人格じんかく)をんだにぎないとした。一方いっぽう、キュリロスは、キリストの本性ほんしょう(ピュシス φυσις)は神性しんせい人性じんせいとに区別くべつされるが、かくとしては唯一ゆいいつである(かくてき結合けつごう:hypostatic union, ένωσις καθ΄ υπόστασιν)ととなえて反論はんろんした。ネストリウスはエフェソスこう会議かいぎへの出席しゅっせき拒否きょひしている。

ネストリウスがおおやけ会議かいぎ破門はもんされたのち、その一派いっぱサーサーンあさペルシア帝国ていこく亡命ぼうめいし、「クテシフォンセレウキア」にあたらしいそう主教しゅきょうてたと説明せつめいされることもある。しかし、いわゆる「ネストリウス」の母体ぼたいとなったシリアキリスト教徒きりすときょうとコミュニティーは2世紀せいきちゅうすでパルティア領内りょうない成立せいりつし、おおやけ会議かいぎ動向どうこう関係かんけいなくサーサーンあさないでも存続そんぞく拡大かくだいしており、この教会きょうかい共同きょうどうたいが5世紀せいきにネストリウスとおな立場たちば人々ひとびとざらになったものである。このため、ネストリウスが開祖かいそであるような印象いんしょうあたえる「ネストリウス」という呼称こしょうけるべきであるという指摘してきもある[3]事実じじつ、ペルシア領内りょうないキリスト教きりすときょう教会きょうかいはネストリウス問題もんだいこるまえの410ねんセレウキアクテシフォン主教しゅきょうがサーサーンあさ皇帝こうていヤズデギルド1せい庇護ひごのもと開催かいさいされた会議かいぎで「東方とうほうぜんキリスト教徒きりすときょうとちょう」の称号しょうごうあたえられ、426ねんにはアンティオキアそう主教しゅきょう管轄かんかつからはずれ、そのちょうが「カトリコス」(のちに「そう主教しゅきょう」)を名乗なのることが決議けつぎされている[4]。サーサーンあさ歴代れきだい皇帝こうていによる保護ほごに、ビザンツ帝国ていこくおよびその正統せいとう教会きょうかい(カルケドン)による「ネストリウス」の異端いたんかかわってくるのは、5世紀せいき後半こうはん以降いこうのことにすぎない。486ねんには、カトリコス・アカキオスが開催かいさいしたセレウキア教会きょうかい会議かいぎでネストリウスのであるモプスエスティアのテオドロスおしえにもとづく神学しんがく採択さいたくされている[5]。7世紀せいき中期ちゅうきまでのペルシャ一帯いったいにおけるネストリウスキリストきょうについては『シイルト年代ねんだい』にくわしい[6]

現状げんじょう

[編集へんしゅう]

ネストリウス中心ちゅうしんてき教派きょうはであるアッシリア東方とうほう教会きょうかいギリシャ正教せいきょうともばれる正教会せいきょうかいとはべつ系統けいとう)は、現在げんざいイラク北部ほくぶアッシリア地域ちいき点在てんざいするほかアメリカオーストラリア移民いみん中心ちゅうしんとする信徒しんとがいる。

アッシリア東方とうほう教会きょうかい一部いちぶは、1553ねんローマ教皇きょうこうちょう帰一きいつし、カルデア典礼てんれいカトリック教会きょうかい東方とうほう典礼てんれいカトリック教会きょうかい帰一きいつ教会きょうかいのひとつ)とばれている。

アッシリア東方とうほう教会きょうかいとカルデア典礼てんれいカトリック教会きょうかいりょう教会きょうかいが、現在げんざい中東ちゅうとうアメリカとう活動かつどうしている。また、インドにもネストリウスながれをトマスばれる集団しゅうだんがあったが、アッシリア東方とうほう教会きょうかい教会きょうかいであるカルデア・シリア教会きょうかい英語えいごばんと、東方とうほう典礼てんれいカトリック教会きょうかいであるシリア=マラバル典礼てんれいカトリック教会きょうかい英語えいごばんのぞいて、おおくはカルケドン正教会せいきょうかいシリア正教会せいきょうかい)の傘下さんかはいり、さらにそこから東方とうほう典礼てんれいカトリック教会きょうかいとなったり、せい公会こうかいプロテスタントフル・コミュニオン関係かんけいになるなどした。

かく教派きょうは学界がっかいでのあつか

[編集へんしゅう]

カトリック正教会せいきょうかいプロテスタントひとし、キリスト教主きょうしゅ流派りゅうはでは、ネストリウス異端いたんとされる。しかしプロテスタント教会きょうかい一部いちぶ原理げんり主義しゅぎてき教派きょうはでは、カトリック教会きょうかい聖母せいぼ崇敬すうけいへの反発はんぱつからか、ネストリウス支持しじするうごきもられる。日本にっぽん基督教きりすときょうだんたばねせいあきらは、ネストリウス異端いたんではなく、カリスマ運動うんどうだったと主張しゅちょうしている。ただし、本来ほんらいのネストリウスには聖母せいぼ崇敬すうけい否定ひていする意図いとはなく、現代げんだいのアッシリア東方とうほう教会きょうかいなどでも聖母せいぼ崇敬すうけいおこなわれている[7]。また、原理げんり主義しゅぎてき教派きょうはアポリナリオス主義しゅぎてき説明せつめい(キリストは肉体にくたいのみが人性じんせい霊魂れいこん人性じんせいでなく神性しんせいである)がられ、神学しんがくてき厳密げんみつせいとぼしい[8]

近年きんねんでは、ネストリウスとエウテュケス英語えいごばんきょうせつかんしては、キリストきょう教理きょうり根幹こんかんかかわるものではないとし、アリウスアポリナリオス主義しゅぎなど教理きょうり根幹こんかんかかわる異端いたん同列どうれつ議論ぎろん排除はいじょするのはおおきな問題もんだいであるとする研究けんきゅうもある。この研究けんきゅうによると、ネストリウスの異端いたん宣告せんこくには、アレクサンドリア学派がくはとアンティオキア学派がくはとの政治せいじてき対立たいりつ背景はいけいにあり、さらにはたがいの神学しんがく用語ようご哲学てつがく用語ようご使用しようにずれが見受みうけられ、その理由りゆうからもさい評価ひょうか必要ひつようだとされている[9]

東洋とうようへの伝播でんぱ

[編集へんしゅう]

中国ちゅうごくにおけるけいきょう

[編集へんしゅう]

中国ちゅうごくへは、とうふとしむね時代じだいペルシアじん司祭しさいおもねほん」(アラボン、オロボン、アロペンとう複数ふくすうせつがある)らによってつたえられ、けいきょうばれた。けいきょうとは中国ちゅうごくひかり信仰しんこうという意味いみであり、けいきょう教会きょうかいとう時代じだい大秦たいしんてらという名称めいしょう建造けんぞうされた。

しかしとうだい末期まっき王朝おうちょう伝統でんとうてき中華ちゅうか王朝おうちょう位置いちづける意識いしきつよまって以降いこう弾圧だんあつされ消滅しょうめつした(参考さんこうかいあきらはいぼとけ)。

モンゴル帝国ていこくのち構成こうせいすることになるいくつかの北方ほっぽう遊牧民ゆうぼくみんにも布教ふきょうされ、チンギス・ハーンいえ一部いちぶ家系かけいや、これらと姻戚いんせき関係かんけいにありモンゴル帝国ていこく政治せいじてき中枢ちゅうすう構成こうせいする一族いちぞくにもこれを熱心ねっしん信仰しんこうする遊牧ゆうぼく集団しゅうだんおおかった。そのため、もと時代じだい一時いちじ中国ちゅうごく本土ほんどでも復活ふっかつすることになった。ただし、モンゴル帝国ていこく中枢ちゅうすう構成こうせいするしょ遊牧ゆうぼく集団しゅうだんは、モンゴル帝国ていこく崩壊ほうかい西方せいほうではイスラム教いすらむきょうトルコけい言語げんご受容じゅようしてテュルクトルコじん)を自称じしょうするようになり、東方とうほうでは、それぞれチベット仏教ぶっきょう信仰しんこうしてモンゴル系統けいとう言語げんご維持いじするモンゴル自称じしょうつづける勢力せいりょくオイラトしょうする勢力せいりょくだい勢力せいりょくかれていき、ネストリウスキリスト教きりすときょう信仰しんこうする遊牧ゆうぼく集団しゅうだんはそのあいだ埋没まいぼつ消滅しょうめつしていった。

日本にっぽんへの伝播でんぱかんする諸説しょせつ

[編集へんしゅう]
栖雲てら所蔵しょぞう十字架じゅうじか捧持ほうじマニぞう

日本にっぽん多大ただい影響えいきょうあたえたとう隆盛りゅうせいしていたため、けいきょうなんらかのかたち日本にっぽんにまで伝播でんぱし、影響えいきょうあたえていたはずだと主張しゅちょうする言説げんせつ複数ふくすう存在そんざいする(おなじくどう時代じだいさんえびすきょうけいきょう祆教あまきょう〉の1つである祆教〈ゾロアスターきょう〉にかんしても、おなじような主張しゅちょうがある)。

明治めいじすえ来日らいにちしたアジア研究けんきゅう英国えいこくじんであるE・A・ゴードン夫人ふじんは、真言宗しんごんしゅうけいきょう関連かんれんせい確信かくしんし、高野山こうのやま中国ちゅうごく西安しーあん長安ながやす)にあったけいきょう記念きねん大秦たいしんけいきょう流行りゅうこう中国ちゅうごく」のレプリカを建立こんりゅうした。この記念きねんは、いま高野たかのさん現存げんそんしている(夫人ふじんはかもそのとなりにある)。空海くうかい中国ちゅうごくけいきょうについてもまなんだとされる[10]

山梨やまなしけん甲州こうしゅう大和やまとまち木賊とくさ栖雲てら(せいうんじ)所蔵しょぞうの「十字架じゅうじか捧持ほうじマニぞう」(もとだい)はてらでんでは虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつぞうとされているが、十字架じゅうじかえがかれており、けいきょうとの関連かんれん指摘してきされており[11][12]、アメリカのメトロポリタン美術館びじゅつかんでも展示てんじされた[13]。しかし研究けんきゅう進展しんてんにより、ほん画像がぞうのマニきょう絵画かいが図像ずぞう一致いっちすることが確認かくにんされ、栖雲寺本てらもとはマニぞう可能かのうせいたか[14]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ ネストリウス(Nestorius)はラテン語らてんごしき表記ひょうきで、ネストリオス(Νεστόριος)はギリシアしき

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 日本人にっぽんじんとしてまなんでおきたい世界せかい宗教しゅうきょう呉善花おぞんふぁ、PHP研究所けんきゅうじょ, Jul 4, 2013
  2. ^ Hogan, Dissent from the Creed. pages 123–125.
  3. ^ 浜田はまだはなねり文庫ぶんこばん解説かいせつ」389ぺーじ, 森安もりやす達也たつや東方とうほうキリスト教きりすときょう世界せかい』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ, 2022.
  4. ^ 高橋たかはしえいかい「アッシリア東方とうほう教会きょうかい」, 三代川みよかわ寛子ひろこ東方とうほうキリスト教きりすときょうしょ教会きょうかい 研究けんきゅう案内あんない基礎きそデータ』明石書店あかししょてん, 2017, 323-4ぺーじ
  5. ^ 高橋たかはしえいかい「アッシリア東方とうほう教会きょうかい」324ぺーじ
  6. ^ 「イスラーム国家こっかにおける異教徒いきょうと統治とうち制度せいど研究けんきゅう研究けんきゅう成果せいか概要がいよう国立こくりつ情報じょうほうがく研究所けんきゅうじょ平成へいせい22ねん3がつ7にち
  7. ^ 中世ちゅうせい思想しそう原典げんてん集成しゅうせい後期こうきギリシア教父きょうふ・ビザンティン思想しそう)、上智大学じょうちだいがく中世ちゅうせい思想しそう研究所けんきゅうじょへんやく監修かんしゅう平凡社へいぼんしゃ、1994.8
  8. ^ プロテスタント教理きょうり渡辺わたなべ 信夫しのぶ、キリスト新聞しんぶんしゃ、2006.6
  9. ^ 古代こだいキリストろんあゆ ハンス・ユルゲン・マルクス。
  10. ^ ザビエル宣教せんきょう霊魂れいこん不滅ふめつ問題もんだい根占ねじめけんじいち学習院女子短期大学がくしゅういんじょしたんきだいがく紀要きようだい34ごう 1996.12.25
  11. ^ いずみ武夫たけおけいきょうひじりぞう可能かのうせい --栖雲てらぞうでん虚空蔵こくぞう画像がぞうについて--」『國華こっかだい1330ごうだい112へんだい1さつ、2006ねん8がつ所収しょしゅう
  12. ^ 東京とうきょう新聞しんぶん 2010ねん9がつ27にち 「マニきょう宇宙うちゅう国内こくないに 京大きょうだい教授きょうじゅ世界せかいはつ確認かくにん
  13. ^ [1]
  14. ^ 吉田よしだゆたかやすしのマニきょうはな いわゆる「六道ろくどう」の解釈かいしゃくをめぐって」、Zsuzsanna Gulasci/田中たなか健一けんいちやなぎうけたまわちんやく大和やまとぶんはなかんマニきょう絵画かいがにみられる中央ちゅうおうアジアらいげん要素ようそについて」(ともに『大和やまとぶんはなだい119ごう、2009ねん2がつ所収しょしゅう)。

関連かんれん文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]