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イコン 「イヴェルスカヤの生神 うるかみ 女 おんな 」(ロシア正教会 せいきょうかい )
神 かみ の母 はは (かみのはは、ギリシャ語 ご : Θεοτόκος , ラテン文字 もじ 転写 てんしゃ : Theotókos 、テオトコスもしくはセオトコスと転写 てんしゃ )とは、キリスト教 きょう の用語 ようご でイエス・キリスト の母 はは マリア (聖母 せいぼ マリア )に対 たい する称号 しょうごう 。
マリアが神 かみ の母 はは であるとは、キリストの神 かみ 的 てき 位 い 格 かく (υπόστασις )を生 う む母 はは であることを意味 いみ し、キリストを神 かみ の本性 ほんしょう (φύσις )において生 う んだ母 はは という意味 いみ ではないとしている。ここでいう位 い 格 かく (自立 じりつ 存在 そんざい ともいわれる)とは、他 た の存在 そんざい に依存 いぞん することなく存在 そんざい するものをいう。アレクサンドリアのアタナシオス はマリアをロゴス (λόγος :神 かみ の御 ご 言葉 ことば )の母 はは と称 しょう していた。つまり、マリアは神 かみ の位 い 格 かく のひとつロゴス(子 こ なる神 かみ 、神子 みこ :かみこ)の母 はは であるとの意味 いみ である。
これに対 たい して、コンスタンディヌーポリ総 そう 主教 しゅきょう のネストリオス は、この称号 しょうごう を否定 ひてい して人的 じんてき 位 い 格 かく を生 う んだクリストトコス(Χριστοτόκος :救世主 きゅうせいしゅ (Χριστός )を産 う む者 もの (τόκος ))という新 あら たな称号 しょうごう を提唱 ていしょう し、聖人 せいじん ではあるが神 かみ の母 はは ではないと主張 しゅちょう した。この争 あらそ いを調停 ちょうてい するため、エフェソス公 こう 会議 かいぎ が召集 しょうしゅう され、ネストリオスの教義 きょうぎ は異端 いたん と宣告 せんこく され、マリアが神 かみ の母 はは であることが宣言 せんげん された。
正教会 せいきょうかい の一員 いちいん たる日本 にっぽん ハリストス正教会 せいきょうかい (日本 にっぽん 正教会 せいきょうかい )では生神 うるかみ 女 おんな (しょうしんじょ)と呼 よ ばれる頻度 ひんど が多 おお い。ギリシャ語 ご のテオトコス(Θεοτόκος )は神 かみ (Θεός )を産 う む者 もの (τόκος )の意味 いみ であり、直訳 ちょくやく すれば「神 かみ 産 う み」という称号 しょうごう であるがゆえに男性 だんせい 形 がた 語尾 ごび を保 たも つ女性 じょせい 名詞 めいし であるが、スラヴ語 ご に訳 やく されたときに「神 かみ を産 う む女 おんな 」(ロシア語 ご : Богородица )という言葉 ことば になった。「生神 うるかみ 女 おんな 」という訳語 やくご はスラヴ語 ご の流 なが れを汲 く むものである。
日本 にっぽん 正教会 せいきょうかい の祈祷 きとう 文 ぶん においても「神 かみ の母 はは 」の語 かたり は用 もち いられ、イエスの母 はは マリアを指 さ す正式 せいしき な訳語 やくご のひとつであるが、"The Mother of God"には「神 かみ の母 はは 」の訳語 やくご を当 あ て、"Theotokos"には「生神 うるかみ 女 おんな 」の訳語 やくご をそれぞれ当 あ てる定訳 ていやく として基本 きほん 的 てき に使 つか い分 わ けられている(聖堂 せいどう 名 な の翻訳 ほんやく などにはこうした定訳 ていやく が当 あ てはまらない場合 ばあい もある)。
ローマ・カトリック教会 きょうかい は、1931年 ねん エフェソス公 こう 会議 かいぎ 1500周年 しゅうねん に際 さい し、教皇 きょうこう ピウス11世 せい により1月 がつ 1日 にち を「神 かみ の母 はは 」の祝日 しゅくじつ と制定 せいてい した。尚 なお 、1月 がつ 1日 にち は降誕祭 こうたんさい の8日 にち 目 め にあたり(ユダヤ教 きょう の律 りつ 法 ほう は、生後 せいご 8日 にち 目 め に男子 だんし に割礼 かつれい を施 ほどこ し命名 めいめい することを規定 きてい している)、キリストの割礼 かつれい 日 び を祝 しゅく する日 ひ (主 おも の割礼 かつれい 祭 さい )でもある。