ロシア語 ご (ロシアご、русский язык 、[ˈruskʲɪj jɪˈzɨk] ( 音声 おんせい ファイル ) )は、インド・ヨーロッパ語族 ごぞく のスラヴ語 ご 派 は 東 ひがし スラヴ語 ご 群 ぐん に属 ぞく する言語 げんご 。露 ろ 語 ご (ろご)とも略 りゃく され、ロシア連邦 れんぽう の公用 こうよう 語 ご 。ロシア連邦 れんぽう の国語 こくご 表記 ひょうき には、キリル文字 もじ を使用 しよう することが必要 ひつよう である。
話 はな し言葉 ことば と文語 ぶんご として、ロシア語 ご は(ウクライナ語 ご とベラルーシ語 ご とともに)古 ふる いロシア語 ご から発展 はってん した。ロシア語 ご の書 か き方 かた は、古代 こだい スラヴ語 ご のキリル文字 もじ に基 もと づいている。近 きん 縁 えん の言語 げんご にウクライナ語 ご とベラルーシ語 ご がある。
ロシア語 ご はヨーロッパ で最 もっと も母語 ぼご 話者 わしゃ が多 おお い言語 げんご であり、母語 ぼご 話者 わしゃ 数 すう では世界 せかい で8番目 ばんめ に多 おお く、第 だい 二 に 言語 げんご の話者 わしゃ 数 すう も含 ふく めると世界 せかい で4番目 ばんめ に多 おお い。国際 こくさい 連合 れんごう においては、英語 えいご 、フランス語 ふらんすご 、中国 ちゅうごく 語 ご 、スペイン語 ご 、アラビア語 ご と並 なら ぶ、6つの公用 こうよう 語 ご の1つである。
ロシア語 ご の起源 きげん については諸説 しょせつ あるが、東 ひがし スラヴ人 じん が使 つか っていた古 こ 東 ひがし スラヴ語 ご (10世紀 せいき - 15世紀 せいき )から発展 はってん したという説 せつ が最 もっと もよく知 し られている。13世紀 せいき にキエフ大公 たいこう 国 こく が崩壊 ほうかい した後 のち 、ルーシ の地 ち はモンゴル帝国 ていこく に支配 しはい (タタールのくびき )されており、現代 げんだい ロシア語 ご にも財政 ざいせい や金融 きんゆう に関 かか わる単語 たんご を中心 ちゅうしん に、タタール語 ご などのテュルク諸語 しょご やモンゴル語 ご の影響 えいきょう が残 のこ っている。その後 ご 、北東 ほくとう ルーシの辺境 へんきょう (現在 げんざい のヨーロッパ・ロシア )でモスクワ大公 たいこう 国 こく が成立 せいりつ し、この国 くに の公用 こうよう 語 ご がロシア語 ご として独自 どくじ に発展 はってん していった。
ロシア帝国 ていこく の時代 じだい には、1708年 ねん にピョートル1世 せい によってアルファベットが単純 たんじゅん 化 か されたのを皮切 かわき りに、ロシア語 ご の改革 かいかく が盛 さか んとなった。18世紀 せいき 後半 こうはん にはミハイル・ロモノーソフ が初 はじ めてロシア語 ご の文法 ぶんぽう 書 しょ を著 あらわ し、標準 ひょうじゅん 語 ご の形成 けいせい に大 おお きく寄与 きよ した。19世紀 せいき 初頭 しょとう にはアレクサンドル・プーシキン によって近代 きんだい 的 てき な文語 ぶんご が確立 かくりつ した。また、宮廷 きゅうてい は西欧 せいおう 諸国 しょこく を模範 もはん として近代 きんだい 化 か を進 すす めたことから、大量 たいりょう の専門 せんもん 語彙 ごい がオランダ語 ご 、フランス語 ふらんすご 、ドイツ語 ご などから取 と り入 い れられた。その一方 いっぽう で、当時 とうじ の上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう はフランス語 ふらんすご を日常 にちじょう 的 てき に使用 しよう しており[1] 、19世紀 せいき の小説 しょうせつ (レフ・トルストイ の『戦争 せんそう と平和 へいわ 』など)はフランス語 ふらんすご を交 まじ えて書 か かれた作品 さくひん が多 おお い。
ソビエト連邦 れんぽう ではロシア語 ご が事実 じじつ 上 じょう の公用 こうよう 語 ご であり、ロシア・ソビエト連邦 れんぽう 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 共和 きょうわ 国 こく を除 のぞ くソビエト連邦 れんぽう 構成 こうせい 共和 きょうわ 国 こく において共通 きょうつう 語 ご として機能 きのう していたが、公式 こうしき には公用 こうよう 語 ご は存在 そんざい しなかった。テュルク系 けい のチュヴァシ人 じん を祖先 そせん に持 も つレーニン がオーストロ・マルキシズム やカウツキー の影響 えいきょう のもと、1914年 ねん の論文 ろんぶん 『強制 きょうせい 的 てき な国家 こっか 語 ご は必要 ひつよう か?』において国家 こっか 語 ご の制定 せいてい を批判 ひはん した。また、自身 じしん も少数 しょうすう 民族 みんぞく グルジア人 じん の出自 しゅつじ を持 も つスターリン も民族 みんぞく 問題 もんだい の専門 せんもん 家 か として民族 みんぞく 語 ご 奨励 しょうれい 政策 せいさく を採用 さいよう した結果 けっか 、ソ連 それん はその崩壊 ほうかい にいたるまで、ロシア語 ご を正式 せいしき な公用 こうよう 語 ご の地位 ちい につけることはついになかった(ちなみに、オットー・バウアー から借用 しゃくよう した「形式 けいしき は民族 みんぞく 的 てき 、内容 ないよう は社会 しゃかい 主義 しゅぎ 的 てき な文化 ぶんか の建設 けんせつ 」というスターリンのテーゼはまず言語 げんご 問題 もんだい にまつわる1925年 ねん の演説 えんぜつ 『母語 ぼご による教育 きょういく 』において現 あらわ れた)。それゆえ、ロシア語 ご が公的 こうてき に国家 こっか 語 ご 化 か したのはロシア連邦 れんぽう 成立 せいりつ 後 ご である[2] 。
1918年 ねん には、アレクセイ・シャフマトフ (ロシア語 ご 版 ばん ) が準備 じゅんび していたアルファベット改革 かいかく 案 あん がボリシェヴィキ によって実行 じっこう に移 うつ され、現在 げんざい のロシア語 ご の正書法 せいしょほう が成立 せいりつ した。ただし、Ё はこの時点 じてん でまだ正式 せいしき なアルファベットとして認 みと められておらず、正式 せいしき に組 く み入 い れられたのは1942年 ねん のことである。なお、1964年 ねん にもソ連 それん 科学 かがく アカデミー によって正書法 せいしょほう の改革 かいかく 案 あん が作 つく られたが、こちらは実施 じっし されなかった。
1991年 ねん 末 すえ のソビエト連邦 れんぽう の崩壊 ほうかい で、ソ連 それん を構成 こうせい していた各 かく 共和 きょうわ 国 こく はそれぞれ独立 どくりつ し、それまでロシア語 ご との併用 へいよう という形 かたち を採 と っていたそれぞれの民族 みんぞく 語 ご が第 だい 一 いち の公用 こうよう 語 ご へと昇格 しょうかく したが、その後 ご の言語 げんご 状況 じょうきょう に関 かん しては様々 さまざま である。
バルト三 さん 国 こく と呼 よ ばれるエストニア ・ラトビア ・リトアニア では、ソ連 それん からの独立 どくりつ 以降 いこう 急速 きゅうそく に各 かく 民族 みんぞく 語 ご (エストニア語 ご ・ラトビア語 ご ・リトアニア語 ご )が使用 しよう される機会 きかい が増 ふ えている。もちろんソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご 30年 ねん 程 ほど しか経過 けいか しておらず、またロシア系 けい 住民 じゅうみん が多 おお い地域 ちいき などではロシア語 ご が今 いま でも使 つか われるが、ソ連 それん 時代 じだい と比 くら べるとロシア語 ご はそれほど使 つか われなくなっていると言 い える。特 とく にこの3か国 こく が2004年 ねん にEU に加盟 かめい してからは、英語 えいご やドイツ語 ご がより広 ひろ く学 まな ばれるようになっている。ただし、ソ連 それん 時代 じだい 後期 こうき にロシア語 ご 人口 じんこう がラトビア語 ご 人口 じんこう を逆転 ぎゃくてん するのではないかと言 い われたラトビアでは、独立 どくりつ 回復 かいふく 後 ご に制定 せいてい した国籍 こくせき 法 ほう で国籍 こくせき 取得 しゅとく 要件 ようけん にラトビア語 ご の習得 しゅうとく を義務付 ぎむづ けたという経緯 けいい がある。これによって多 おお くのロシア系 けい 住民 じゅうみん をロシアへ移住 いじゅう させる事 こと に成功 せいこう したが、国籍 こくせき を与 あた えられない残留 ざんりゅう ロシア人 じん の権利 けんり が阻害 そがい されているとするロシア政府 せいふ からの抗議 こうぎ を受 う け、さらに欧州 おうしゅう 委員 いいん 会 かい からもこの言語 げんご 規定 きてい が市民 しみん の平等 びょうどう を定 さだ める欧州 おうしゅう 憲法 けんぽう に違反 いはん しているという指摘 してき を受 う けた。2018年 ねん 4月 がつ には、教育 きょういく 法 ほう が改正 かいせい され、ロシア系 けい 住民 じゅうみん が通 かよ う学校 がっこう であっても、小学校 しょうがっこう は50%以上 いじょう 、中学校 ちゅうがっこう は80%、高校 こうこう は100%の科目 かもく をラトビア語 ご で教育 きょういく することが義務付 ぎむづ けられた[3] 。
モルドバ においては、ロシア語 ご が国内 こくない 共通 きょうつう 語 ご と法定 ほうてい されてきたが、2018年 ねん 6月 がつ に失効 しっこう が確認 かくにん された[3] 。
また、ロシア影響 えいきょう 圏 けん からの離脱 りだつ を模索 もさく するウクライナ やジョージア でも、ロシア語 ご ではなくウクライナ語 ご やグルジア語 ご がより広範 こうはん に使 つか われている。ウクライナでは、西部 せいぶ を中心 ちゅうしん に従来 じゅうらい よりほとんどウクライナ語 ご のみが使用 しよう されている地域 ちいき がある一方 いっぽう で、ウクライナ語 ご とロシア語 ご 両方 りょうほう が使 つか われている地域 ちいき もあり、また東部 とうぶ やクリミア半島 くりみあはんとう ではロシア語 ご の使用 しよう 者 しゃ が大勢 おおぜい である地域 ちいき もあり、地域 ちいき によっては将来 しょうらい 的 てき にもロシア語 ご は当分 とうぶん 使 つか われ続 つづ けると推定 すいてい されている。一方 いっぽう で、都市 とし 部 ぶ を中心 ちゅうしん に伝統 でんとう 的 てき にウクライナ語 ご とロシア語 ご の混交 こんこう が起 お こっていたが、ソ連 それん の崩壊 ほうかい 以降 いこう 、それまでロシア語 ご が優勢 ゆうせい であった地域 ちいき を中心 ちゅうしん にウクライナ語 ご にロシア語 ご の要素 ようそ が混 ま じった「スールジク (混血 こんけつ )」と呼 よ ばれる混交 こんこう 言語 げんご が広 ひろ まりを見 み せている。現在 げんざい でも、ウクライナ西部 せいぶ を除 のぞ く広範囲 こうはんい でロシア語 ご は使用 しよう 、理解 りかい されており、ロシア語 ご をウクライナ語 ご に次 つ ぐ第 だい 二 に 公用 こうよう 語 ご に加 くわ える動 うご きもあるなど、今 いま までのロシア語 ご 排除 はいじょ の動 うご きから転換 てんかん 点 てん を迎 むか えようとしている。
ジョージアもまた長年 ながねん ロシア語 ご による支配 しはい を受 う けてきた国 くに であった。ジョージア政府 せいふ はロシア語 ご 教育 きょういく を廃止 はいし し、ロシア語 ご 読 よ みに基 もと づいた国名 こくめい である日本語 にほんご の「グルジア」を英語 えいご 読 よ みの「ジョージア」に変更 へんこう することを要請 ようせい しており(グルジア語 ご 名 めい では「サカルトヴェロ」)、日本 にっぽん 政府 せいふ も承諾 しょうだく している。また、ロシアに多 おお くのジョージア人 じん が住 す んでいることなどからロシア語 ご は今 いま でもよく使 つか われている。
それ以外 いがい の地域 ちいき に関 かん しては、今 いま でもロシア語 ご が幅広 はばひろ く使 つか われ続 つづ けている。ベラルーシ やカザフスタン ・キルギス ・ウズベキスタン ・トルクメニスタン などでは非 ひ ロシア人 じん でもロシア語 ご しか喋 しゃべ れない人 ひと も多 おお く、また多 た 民族 みんぞく が入 はい り混 ま じって生活 せいかつ する中央 ちゅうおう アジア諸国 しょこく では、ロシア語 ご が民族 みんぞく を超 こ えた共通 きょうつう 語 ご として使 つか われている。カフカース 地域 ちいき 、及 およ びモルドバ でも、現地 げんち 人 じん 同士 どうし の日常 にちじょう 会話 かいわ には現地 げんち 語 ご が用 もち いられることが増 ふ えてきたものの、ロシア語 ご で会話 かいわ する人々 ひとびと は少 すく なくない。なお、ロシアとの統合 とうごう に積極 せっきょく 的 てき なアレクサンドル・ルカシェンコ 大統領 だいとうりょう の独裁 どくさい 体制 たいせい が続 つづ くベラルーシでは、ベラルーシ語 ご とロシア語 ご が公用 こうよう 語 ご に指定 してい されているが、隣国 りんごく ウクライナとは逆 ぎゃく にロシア語 ご 使用 しよう が奨励 しょうれい され、本来 ほんらい の民族 みんぞく 語 ご であるベラルーシ語 ご が軽視 けいし される傾向 けいこう にある。
ポーランド やブルガリア など旧 きゅう 共産 きょうさん 圏 けん 諸国 しょこく では、共産 きょうさん 主義 しゅぎ 体制 たいせい ではロシア語 ご が広 ひろ く学習 がくしゅう されていたが、民主 みんしゅ 化 か 後 ご は英語 えいご やドイツ語 ご (歴史 れきし 的 てき にはチェコ やハンガリー など、オーストリア帝国 ていこく の支配 しはい 下 か にあった国 くに も少 すく なくない)など西欧 せいおう の言語 げんご に押 お されて、ロシア語 ご 学習 がくしゅう は下火 したび になった。またバルト三 さん 国 こく や東側 ひがしがわ 諸国 しょこく はハンガリー動乱 どうらん やプラハの春 はる などでソ連 それん 軍 ぐん による民主 みんしゅ 化 か 弾圧 だんあつ などがあったために、かつて第 だい 一 いち 外国 がいこく 語 ご だったロシア語 ご を使 つか う事 こと も拒 こば んでいる者 もの もいる。
一方 いっぽう 、ウラジーミル・プーチン 政権 せいけん で経済 けいざい の立 た て直 なお しに成功 せいこう したロシアがBRICS と呼 よ ばれる経済 けいざい 成長 せいちょう 地域 ちいき の一 ひと つに加 くわ わり、天然 てんねん 資源 しげん を核 かく にした諸 しょ 外国 がいこく との経済 けいざい 関係 かんけい が再 ふたた び拡大 かくだい すると共 とも に、ロシア語 ご の需要 じゅよう は再 ふたた び高 たか まりつつある。バルト三 さん 国 こく などでもロシア語 ご に対 たい するマイナスイメージもソ連 それん 時代 じだい を経験 けいけん していない若 わか い世代 せだい を中心 ちゅうしん に徐々 じょじょ に薄 うす れてきており、ロシア語 ご は英語 えいご やドイツ語 ご などと共 とも に、ビジネスなどで必要 ひつよう な言語 げんご ととらえる人 ひと も増 ふ えてきている。また、宇宙 うちゅう 開発 かいはつ においては国際 こくさい 宇宙 うちゅう ステーション の公用 こうよう 語 ご になるなど、英語 えいご と並 なら んで必要 ひつよう 不可欠 ふかけつ な言語 げんご の1つとなっている。
ロシア国内 こくない では急速 きゅうそく な資本 しほん 主義 しゅぎ 化 か や新 しん 技術 ぎじゅつ の導入 どうにゅう に伴 ともな い、今 いま まで存在 そんざい しなかった概念 がいねん や用語 ようご が大量 たいりょう に導入 どうにゅう された。これにロシア語 ご の造語 ぞうご 能力 のうりょく が追 お いつかず、特 とく に英語 えいご を中心 ちゅうしん とした外来 がいらい 語 ご がそのままロシア語 ご に導入 どうにゅう される例 れい が多 おお くなっている。
例 れい :コンピュータ - ロシア語 ご では外来 がいらい 語 ご の компьютер (カンピユーテル)がスラヴ語 ご 的 てき な вычислитель (ヴィチスリーチェリ=数字 すうじ 出力 しゅつりょく 物 ぶつ )より頻出 ひんしゅつ 。компьютер では本来 ほんらい のロシア語 ご 発音 はつおん では「イェ」になる「е 」が「エ(э )」と発音 はつおん される点 てん にも、外来 がいらい 語 ご 的 てき な特徴 とくちょう がよく表 あらわ れている。
ロシア語 ご 話者 わしゃ の分布 ぶんぷ 公用 こうよう 語 ご として用 もち いられている
人口 じんこう の3割 わり 以上 いじょう が第 だい 一 いち あるいは第 だい 二 に 言語 げんご として話 はな す
事実 じじつ 上 じょう 独立 どくりつ した地域 ちいき
その他 た の地域 ちいき または州 しゅう
国際 こくさい 機関 きかん
人口 じんこう の3割 わり 以上 いじょう が第 だい 一 いち 、第 だい 二 に 言語 げんご [ 編集 へんしゅう ]
18世紀 せいき には、すでに「北 きた 槎聞略 りゃく 」という書物 しょもつ があり、「大黒屋 だいこくや 光太夫 こうだゆう 」の口述 こうじゅつ による、キリル文字 もじ 、一部 いちぶ のロシア語 ご の単語 たんご 、文 ぶん などの記載 きさい も見 み られる[4] 。本格 ほんかく 的 てき なロシア語 ご 研究 けんきゅう が始 はじ まるのは、1804年 ねん から1811年 ねん にロシア使節 しせつ からもたらされた公文書 こうぶんしょ の翻訳 ほんやく が必要 ひつよう となった江戸 えど 幕府 ばくふ の命 いのち により、蘭 らん 語 ご 通詞 つうじ の馬場 ばば 貞 さだ 由 ゆかり (左 ひだり 十郎 じゅうろう ) らがゴローニン事件 じけん によって松前 まさき 藩 はん に幽閉 ゆうへい されていたゴローニン から学 まな んだのが最初 さいしょ [5] 。
1868年 ねん に成立 せいりつ した明治 めいじ 政府 せいふ は文明開化 ぶんめいかいか 政策 せいさく の規範 きはん を欧米 おうべい 諸国 しょこく に取 と り、イギリス・ドイツ・フランス・アメリカなどから多 おお くの技術 ぎじゅつ や思想 しそう を導入 どうにゅう した。西欧 せいおう よりも産業 さんぎょう 発展 はってん が遅 おく れていたロシアはその対象 たいしょう から外 はず れたため、通常 つうじょう の学校 がっこう 教育 きょういく での採用 さいよう では英語 えいご ・ドイツ語 ご ・フランス語 ふらんすご に次 つ ぐものとして扱 あつか われた。その中 なか で東京 とうきょう 外国 がいこく 語 ご 学校 がっこう では1873年 ねん の第 だい 一 いち 次 じ 創設 そうせつ から魯(露 ろ )語学 ごがく 科 か が設置 せっち され[注 ちゅう 1] 、東京 とうきょう 商業 しょうぎょう 学校 がっこう への統合 とうごう を経 へ て1899年 ねん に再 さい 設置 せっち されると二葉亭四迷 ふたばていしめい が露 ろ 語 ご 学科 がっか の教授 きょうじゅ として就任 しゅうにん して、同校 どうこう はロシア語 ご やロシア文学 ぶんがく の研究 けんきゅう 拠点 きょてん となっていった。また、開港 かいこう 地 ち としてロシア領事館 りょうじかん が置 お かれた函館 はこだて などから布教 ふきょう が広 ひろ がった日本 にっぽん ハリストス正教会 せいきょうかい もキリスト教 きりすときょう (正教会 せいきょうかい )の聖職 せいしょく 者 しゃ 育成 いくせい とともにロシア語 ご 教育 きょういく が重視 じゅうし された。ゴローニンの『日本 にっぽん 幽囚 ゆうしゅう 記 き 』で日本 にっぽん に興味 きょうみ を持 も ったニコライ (イヴァン・カサートキン)が日本 にっぽん 大 だい 主教 しゅきょう としてロシアから派遣 はけん 後 ご の1891年 ねん に建設 けんせつ された東京 とうきょう 復活 ふっかつ 大 だい 聖堂 せいどう (ニコライ堂 どう )に設 もう けられた正教 せいきょう 神学校 しんがっこう では昇 のぼり 曙夢 しょむ が活躍 かつやく して、自身 じしん を含 ふく んだロシア文学 ぶんがく 研究 けんきゅう 者 しゃ の育成 いくせい に貢献 こうけん した。
一方 いっぽう 、南下 なんか 政策 せいさく をとるロシア帝国 ていこく は大日本帝国 だいにっぽんていこく にとって仮想 かそう 敵国 てきこく の筆頭 ひっとう にあり、実際 じっさい に1904年 ねん からは日 にち 露 ろ 戦争 せんそう が勃発 ぼっぱつ 、1905年 ねん からは樺太 からふと の北緯 ほくい 50度 ど 線 せん で陸上 りくじょう 国境 こっきょう で接 せっ するようになったため[注 ちゅう 2] 、日本 にっぽん 軍 ぐん にとってロシア語 ご を習得 しゅうとく する必要 ひつよう は一貫 いっかん して高 たか く、陸軍 りくぐん の教育 きょういく 機関 きかん である陸軍 りくぐん 幼年 ようねん 学校 がっこう や陸軍 りくぐん 大 だい 学校 がっこう 、海軍 かいぐん の海軍 かいぐん 大 だい 学校 がっこう ではロシア語 ご が科目 かもく に含 ふく まれた。陸軍 りくぐん の東郷 とうごう 正延 まさのぶ や海軍 かいぐん の井桁 いげた 貞敏 さだとし らは第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 後 ご のロシア語 ご 教育 きょういく でも大 おお きな役割 やくわり を担 にな った。
1920年 ねん には早稲田大学 わせだだいがく 文学部 ぶんがくぶ に露 ろ 文学 ぶんがく 科 か が設置 せっち され[6] [注 ちゅう 3] 、1921年 ねん 設立 せつりつ の大阪 おおさか 外国 がいこく 語 ご 学校 がっこう [注 ちゅう 4] や1925年 ねん 設立 せつりつ の天理 てんり 外国 がいこく 語 ご 学校 がっこう [注 ちゅう 5] でも当初 とうしょ からロシア語 ご の学科 がっか が置 お かれた[7] 。1917年 ねん にロシア革命 かくめい が始 はじ まり、ソビエト連邦 れんぽう が成立 せいりつ 、日本 にっぽん とは新 あら たな緊張 きんちょう 関係 かんけい が生 う まれた。ソ連 それん の国家 こっか イデオロギーである社会 しゃかい 主義 しゅぎ や共産 きょうさん 主義 しゅぎ は天皇 てんのう 制 せい を奉 ほう じる日本 にっぽん では危険 きけん 思想 しそう とみなされ、その事実 じじつ 上 じょう の公用 こうよう 語 ご であるロシア語 ご 学習 がくしゅう 者 しゃ は「アカ 」などの蔑称 べっしょう で呼 よ ばれることが多 おお く、1937年 ねん には早稲田大学 わせだだいがく の露 ろ 文学 ぶんがく 科 か が閉鎖 へいさ された[6] 。また正教会 せいきょうかい はロシア本国 ほんごく ではソ連 それん 政府 せいふ による弾圧 だんあつ 、日本 にっぽん ではソ連 それん (ロシア)への利敵 りてき 者 しゃ とみなされる偏見 へんけん という二 に 重 じゅう の苦境 くきょう に立 た ち、その影響 えいきょう 力 りょく とともにロシア語 ご 教育 きょういく への余力 よりょく も減退 げんたい した。一方 いっぽう 、日本 にっぽん が勢力 せいりょく を伸 の ばした満州 まんしゅう では実務 じつむ 面 めん でもロシア語 ご 教育 きょういく の必要 ひつよう 性 せい が高 たか く、1920年 ねん にハルピン市 し に設置 せっち された日 にち 露 ろ 協会 きょうかい 学校 がっこう は後 のち にハルピン学院 がくいん となり、1940年 ねん からは満州 まんしゅう 国 こく 立大 りつだい 学 がく となったが、1945年 ねん 8月 がつ のソ連 それん 対 たい 日 にち 参戦 さんせん とそれに続 つづ く第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん での日本 にっぽん の敗北 はいぼく で消滅 しょうめつ した。赤軍 せきぐん (ソビエト連邦 れんぽう 軍 ぐん )に降伏 ごうぶく した日本 にっぽん 軍 ぐん の将兵 しょうへい はシベリア抑留 よくりゅう の対象 たいしょう となってソ連 それん 国内 こくない [注 ちゅう 6] の収容 しゅうよう 所 しょ に連行 れんこう されて、赤軍 せきぐん が進駐 しんちゅう した満州 まんしゅう や朝鮮半島 ちょうせんはんとう 北部 ほくぶ 、ソ連 それん が日本 にっぽん からの領土 りょうど 編入 へんにゅう を宣言 せんげん したサハリン南部 なんぶ (南 みなみ 樺太 からふと )や千島 ちしま 列島 れっとう 南部 なんぶ [注 ちゅう 7] ではソ連 それん 軍人 ぐんじん や一般 いっぱん 国民 こくみん と混 こん 住 じゅう 状態 じょうたい になった日本人 にっぽんじん が日常 にちじょう 的 てき にロシア語 ご を使 つか う状況 じょうきょう となったが、民間 みんかん 人 じん は一部 いちぶ の残留 ざんりゅう 者 しゃ を除 のぞ いて1948年 ねん までに日本 にっぽん へ帰国 きこく し、シベリア抑留 よくりゅう 者 しゃ の送還 そうかん も1956年 ねん に終了 しゅうりょう して、この状態 じょうたい は短期間 たんきかん で終 お わった。
1946年 ねん に早稲田大学 わせだだいがく の露 ろ 文学 ぶんがく 科 か は再開 さいかい され[6] 、1949年 ねん にはソ連 それん との友好 ゆうこう 促進 そくしん を目指 めざ す民間 みんかん 団体 だんたい として(旧 きゅう )日 にち ソ親善 しんぜん 協会 きょうかい が設立 せつりつ されてロシア語 ご 教室 きょうしつ が開催 かいさい されるなど、戦後 せんご のロシア語 ご 教育 きょういく は東西 とうざい 冷戦 れいせん の影響 えいきょう も受 う けながら徐々 じょじょ に拡大 かくだい された。1956年 ねん 10月 がつ に日 にち ソ共同 きょうどう 宣言 せんげん で両国 りょうこく 間 あいだ の国交 こっこう 回復 かいふく が決 き まると同年 どうねん 11月 がつ からNHKラジオでロシア語 ご 講座 こうざ が開講 かいこう され、1957年 ねん には同年 どうねん に日 にち ソ親善 しんぜん 協会 きょうかい から改称 かいしょう した日 ひ ソ協会 きょうかい 系 けい の日 にち ソ学院 がくいん によってロシア語 ご 能力 のうりょく 検定 けんてい 試験 しけん が開始 かいし された。同年 どうねん はスプートニク1号 ごう による史上 しじょう 初 はつ の宇宙 うちゅう 飛行 ひこう も行 おこな われ(スプートニク・ショック )、ソ連 それん の高 たか い自然 しぜん 科学 かがく 力 りょく を背景 はいけい にした理工 りこう 系 けい 教員 きょういん からの要望 ようぼう を受 う けて1962年 ねん には東京大学 とうきょうだいがく の教養 きょうよう 学部 がくぶ に在籍 ざいせき する1年生 ねんせい と2年生 ねんせい の一部 いちぶ を対象 たいしょう にロシア語 ご が第 だい 二 に 外国 がいこく 語 ご に加 くわ えられ[8] 、ソ連 それん 政府 せいふ からの独立 どくりつ 性 せい を維持 いじ した正教会 せいきょうかい 系 けい のニコライ学院 がくいん を含 ふく め、高等 こうとう ・専門 せんもん 教育 きょういく ではロシア語 ご 教育 きょういく の機会 きかい が増 ふ えていった。
1960年代 ねんだい までは上記 じょうき のようにロシア語 ご の研究 けんきゅう 論文 ろんぶん を読 よ む必要 ひつよう がある自然 しぜん 科学 かがく 系 けい の研究 けんきゅう 者 しゃ 、共産 きょうさん 主義 しゅぎ を支持 しじ する人々 ひとびと を中心 ちゅうしん にロシア文化 ぶんか への関心 かんしん は比較的 ひかくてき 高 たか かった。しかしながら、レオニード・ブレジネフ 体制 たいせい 下 か でのソ連 それん 文化 ぶんか の硬直 こうちょく 化 か や科学 かがく 技術 ぎじゅつ の停滞 ていたい 、中 ちゅう ソ対立 たいりつ などにも影響 えいきょう された日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう や日本 にっぽん 社会党 しゃかいとう などの日本 にっぽん の左派 さは (革新 かくしん )政党 せいとう とソ連 それん 共産党 きょうさんとう の関係 かんけい の混乱 こんらん などを背景 はいけい にソ連 それん (ロシア)への関心 かんしん は低下 ていか した。1985年 ねん にソ連 それん で始 はじ まったペレストロイカ によって経済 けいざい 交流 こうりゅう や文化 ぶんか 的 てき 関心 かんしん は高 たか まり、ロシア語 ご 学習 がくしゅう 者 しゃ も一時 いちじ 的 てき に増加 ぞうか したが、1991年 ねん のソ連 それん 崩壊 ほうかい 前後 ぜんこう の経済 けいざい 混乱 こんらん はその熱 ねつ を冷 さ まし、1996年 ねん には19世紀 せいき からの伝統 でんとう を持 も つニコライ学院 がくいん が閉校 へいこう に追 お い込 こ まれた[9] 。
その後 ご は日 にち ソ学院 がくいん が改称 かいしょう してロシア語 ご 能力 のうりょく 検定 けんてい 試験 しけん の主催 しゅさい を続 つづ ける東京 とうきょう ロシア語 ご 学院 がくいん や、こちらも改称 かいしょう しながら同 どう 学院 がくいん との友好 ゆうこう 関係 かんけい を維持 いじ する日本 にっぽん ユーラシア協会 きょうかい の独自 どくじ 講座 こうざ 、ロシア連邦 れんぽう 教育 きょういく 科学 かがく 省 しょう の認定 にんてい 試験 しけん として日本 にっぽん 対外 たいがい 文化 ぶんか 協会 きょうかい が窓口 まどぐち となって行 おこな われているロシア語 ご 検定 けんてい 試験 しけん (ТРКИ)、各 かく 大学 だいがく で続 つづ けられるロシア語 ご ・ロシア文学 ぶんがく 関係 かんけい の講座 こうざ 、それにNHKの語学 ごがく 番組 ばんぐみ 改革 かいかく の中 なか で2017年 ねん からEテレで始 はじ まった「ロシアゴスキー 」やラジオ第 だい 2放送 ほうそう の「まいにちロシア語 ご 」の放送 ほうそう などで日本 にっぽん におけるロシア語 ご 教育 きょういく が継続 けいぞく されている。しかしながら、放送大学 ほうそうだいがく におけるロシア語 ご 講座 こうざ 開設 かいせつ が2007年度 ねんど 限 かぎ りで終了 しゅうりょう するなど、その退潮 たいちょう 傾向 けいこう は続 つづ いている。ただ、伝統 でんとう 的 てき にロシアが強国 きょうこく であるフィギュアスケートでは浅田 あさだ 真央 まお や羽生 はぶ 結 ゆい 弦 つる などの日本 にっぽん 選手 せんしゅ もロシア人 じん 指導 しどう 者 しゃ のコーチを受 う けてきた事 こと もあり、ここからロシア語 ご への関心 かんしん を持 も つ例 れい も見 み られる。あるいは後述 こうじゅつ するアニメ・漫画 まんが などのサブカルチャー分野 ぶんや の人気 にんき 作品 さくひん 内 ない でロシア語 ご が使用 しよう される例 れい もあり、2020年 ねん 4月 がつ に京都外国語大学 きょうとがいこくごだいがく がロシア語 ご 学科 がっか を新設 しんせつ するなど、一定 いってい の状況 じょうきょう 変化 へんか も見 み られる。
ロシアとの交流 こうりゅう は北海道 ほっかいどう や日本海 にほんかい 側 がわ の一部 いちぶ の地域 ちいき を除 のぞ くと盛 さか んではなく、貿易 ぼうえき 額 がく で示 しめ される経済 けいざい 的 てき なつながりもロシアと同様 どうよう の近隣 きんりん 諸国 しょこく である中国 ちゅうごく や韓国 かんこく 、あるいは多 おお くの面 めん で緊密 きんみつ な関係 かんけい を維持 いじ しているアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく より薄 うす い。そのため、日本 にっぽん (特 とく に西日本 にしにほん )においてロシア語 ご の重要 じゅうよう 性 せい は低 ひく い。英語 えいご や中国 ちゅうごく 語 ご 、朝鮮 ちょうせん 語 ご に比 くら べて語学 ごがく 教材 きょうざい も恵 めぐ まれておらず、改訂 かいてい も進 すす まない結果 けっか 、内容 ないよう がソ連 それん 時代 じだい のままである教材 きょうざい も少 すく なくない。
しかし、上記 じょうき のように第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご も日本 にっぽん とソ連 それん は軍事 ぐんじ 的 てき 対立 たいりつ が続 つづ き、冷戦 れいせん 終結 しゅうけつ とソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご も日 にち ロ間 あいだ では領土 りょうど 問題 もんだい などでの対立 たいりつ が残 のこ ったほか、漁船 ぎょせん 操業 そうぎょう や国際 こくさい 協力 きょうりょく などでの実務 じつむ 的 てき 必要 ひつよう もある。したがって海上保安庁 かいじょうほあんちょう では第 だい 二 に 外国 がいこく 語 ご として中国 ちゅうごく 語 ご ・朝鮮 ちょうせん 語 ご と並 なら びロシア語 ご が学 まな ばれており、自衛隊 じえいたい でも第 だい 二 に 外国 がいこく 語 ご として学 まな ばれているほか、北海道 ほっかいどう の一部 いちぶ の高校 こうこう では地理 ちり 的 てき に近 ちか いということもありロシア語 ご の授業 じゅぎょう が行 おこな われている。さらに稚内 わっかない や根室 ねむろ 、紋 もん 別 べつ や新 しん 千歳空港 ちとせくうこう ではロシア語 ご 表記 ひょうき の看板 かんばん が見 み られるなど、隣国 りんごく としてのロシアの姿 すがた が実感 じっかん できる。同様 どうよう に、新潟 にいがた 東港 ひがしこう を通 つう じての対 たい ロ貿易 ぼうえき の日本海 にほんかい 側 がわ 拠点 きょてん である新潟 にいがた 市 し でも日本語 にほんご の他 た 英語 えいご とロシア語 ご を併記 へいき した看板 かんばん を見 み ることができる。新潟 にいがた 市 し ではこれ以外 いがい にもロシア語 ご スピーチコンテスト を行 おこな うなどしている。同 おな じく対 たい 露 ろ 貿易 ぼうえき の多 おお い富山 とやま 県 けん 伏木 ふしき 富山 とやま 港 こう 周辺 しゅうへん でもロシア語 ご 表記 ひょうき の看板 かんばん が見 み られ、新潟 にいがた 県 けん や富山 とやま 県 けん でもロシア語 ご の授業 じゅぎょう を開講 かいこう する高校 こうこう がある。また、2010年代 ねんだい に入 はい り「ガールズ&パンツァー 」「ゴールデンカムイ 」[注 ちゅう 8] などロシア語 ご の台詞 せりふ が多 おお い漫画 まんが ・アニメーションの人気 にんき 作品 さくひん が制作 せいさく され、ここからロシア語 ご に興味 きょうみ を持 も った人 ひと が若者 わかもの が生 う まれたという指摘 してき もある。上記 じょうき のNHKテレビロシア語 ご 講座 こうざ 「ロシアゴスキー」では2013年 ねん から放送 ほうそう が始 はじ まった放送 ほうそう シリーズで「ガールズ&パンツァー」に出演 しゅつえん したロシア出身 しゅっしん の声優 せいゆう であるジェーニャ [注 ちゅう 9] を起用 きよう している。
江戸 えど 時代 じだい まで遡 さかのぼ る日 ひ ロ両国 りょうこく 間 あいだ の政治 せいじ 交渉 こうしょう 、ロシア文学 ぶんがく や共産 きょうさん 主義 しゅぎ 思想 しそう の受容 じゅよう 、宇宙 うちゅう 工学 こうがく を中心 ちゅうしん とした多 おお くの自然 しぜん 科学 かがく 分野 ぶんや における重要 じゅうよう 性 せい の存在 そんざい などの様々 さまざま な理由 りゆう から、今 いま でも日本 にっぽん の多 おお くの大学 だいがく の第 だい 二 に 外国 がいこく 語 ご でロシア語 ご を学 まな ぶことができるものの、日本人 にっぽんじん (特 とく に西日本 にしにほん 在住 ざいじゅう 者 しゃ )でロシア語 ご を学 まな ぶ人々 ひとびと は少 すく ない。その中 なか で、近畿 きんき 地方 ちほう (関西 かんさい 圏 けん )における日本海 にほんかい 側 がわ の最 さい 重要 じゅうよう 港湾 こうわん 都市 とし としてソ連 それん 時代 じだい から貿易 ぼうえき 拠点 きょてん となっていた舞鶴 まいづる 市 し では北陸 ほくりく 地方 ちほう の各 かく 都市 とし と類似 るいじ したロシア語 ご への接触 せっしょく 環境 かんきょう があり、その舞鶴 まいづる 市 し がある京都 きょうと 府 ふ では2020年 ねん 4月 がつ に京都外国語大学 きょうとがいこくごだいがく がロシア語 ご 学科 がっか を新設 しんせつ している[注 ちゅう 10] [10] 。
また、2022年 ねん 3月 がつ 31日 にち 、ロシアによるウクライナへの軍事 ぐんじ 侵攻 しんこう を受 う け、外務省 がいむしょう はウクライナ国内 こくない の地名 ちめい をロシア語 ご からウクライナ語 ご に合 あ わせた日本語 にほんご 表記 ひょうき に変更 へんこう すると発表 はっぴょう した。[11]
例 れい :キエフ (Kiev) → キーウ (kyiv)
このほかに、JR東日本 ひがしにっぽん の恵比寿 えびす 駅 えき でもロシア語 ご の看板 かんばん を撤去 てっきょ するというような事案 じあん が発生 はっせい している。
[12]
ロシア語 ご の学科 がっか がある主 おも な大学 だいがく は以下 いか の通 とお りである。このうち1994年 ねん に設立 せつりつ されたロシア極東 きょくとう 連邦 れんぽう 総合大学 そうごうだいがく 函館 はこだて 校 こう は他校 たこう とは違 ちが って日本 にっぽん の教育 きょういく 制度 せいど の中 なか では専修 せんしゅう 学校 がっこう として扱 あつか われ、外国 がいこく 大学 だいがく の日本 にっぽん 校 こう として指定 してい されている。一方 いっぽう 、ロシアではウラジオストクにある極東 きょくとう 連邦 れんぽう 大学 だいがく の正式 せいしき な分校 ぶんこう として扱 あつか われ、本校 ほんこう への留学 りゅうがく も含 ふく んだロシア語 ご 教育 きょういく が重点的 じゅうてんてき に行 おこな われている。
ウクライナ 東部 とうぶ や南部 なんぶ ではロシア語 ご が広 ひろ く使 つか われている。また、ウクライナ語 ご とロシア語 ご の社会 しゃかい 方言 ほうげん が混 ま じった口語 こうご の混合 こんごう 言語 げんご であるスルジク(суржик) も使 つか われている。ウクライナではソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご 、言語 げんご 問題 もんだい がしばしば発生 はっせい している。2014年 ねん にはロシア語 ご 話者 わしゃ の多 おお いクリミア共和 きょうわ 国 こく とセヴァストポリ特別 とくべつ 市 し が独立 どくりつ を宣言 せんげん し、それらのロシアへの編入 へんにゅう の宣言 せんげん に至 いた った(クリミア危機 きき )。それと同時 どうじ に東部 とうぶ のドンバス でも紛争 ふんそう が発生 はっせい し、一部 いちぶ 地域 ちいき がドネツク人民 じんみん 共和 きょうわ 国 こく 、ルガンスク人民 じんみん 共和 きょうわ 国 こく として事実 じじつ 上 じょう 独立 どくりつ した。2022年 ねん にロシアによるウクライナ侵攻 しんこう に発展 はってん し、同年 どうねん 9月30日 にち にロシアはドネツク・ルガンスクの両 りょう 共和 きょうわ 国 こく 及 およ びザポロージェ州 しゅう とヘルソン州 しゅう の併合 へいごう を宣言 せんげん した。
東部 とうぶ や南部 なんぶ とは対称 たいしょう にロシア語 ご 話者 わしゃ が少 すく ない西部 せいぶ のリヴィウ州 しゅう では、議会 ぎかい が2018年 ねん 9月 がつ 18日 にち 、ロシア語 ご による歌曲 かきょく を公共 こうきょう の場 ば で流 なが したり、書籍 しょせき を出版 しゅっぱん したりすることを禁 きん じる条例 じょうれい を可決 かけつ した
[13] 。
ソ連 それん 崩壊 ほうかい 後 ご 、1994年 ねん にルカシェンコ が大統領 だいとうりょう に選出 せんしゅつ された翌年 よくねん の1995年 ねん にロシア語 ご にベラルーシ語 ご と同 おな じ地位 ちい が与 あた える国民 こくみん 投票 とうひょう が行 おこな われ、可決 かけつ された。現在 げんざい 、これまでにない規模 きぼ でロシア語 ご 化 か が推 お し進 すす められている。また、2019年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ では、総 そう 人口 じんこう 9530.8万 まん 人 にん 中 ちゅう ベラルーシ語 ご の母語 ぼご 話者 わしゃ は53.2%、対 たい してロシア語 ご の母語 ぼご 話者 わしゃ は41.5%となっている。総 そう 人口 じんこう の4分 ぶん の3に当 あ たる都市 とし 住民 じゅうみん の間 あいだ ではベラルーシ語 ご の母語 ぼご 話者 わしゃ は44.1%、家庭 かてい 内 ない での使用 しよう 割合 わりあい は11.3%に過 す ぎず、ロシア語 ご 化 か が大 おお きく進行 しんこう している事 こと が示 しめ されている。
ロシアとの歴史 れきし 的 てき な関係 かんけい からエストニア国内 こくない にはエストニア語 ご を解 ほぐ さないロシア語 ご 話者 わしゃ が一 いち 定数 ていすう 存在 そんざい する。エストニア政府 せいふ は度重 たびかさ なる「言語 げんご 法 ほう 」の改訂 かいてい によって彼 かれ らの排除 はいじょ 、あるいは社会 しゃかい 統合 とうごう を企図 きと し、その甲斐 かい あって若年 じゃくねん 層 そう のロシア人 じん (英語 えいご 版 ばん )はエストニア語 ご 能力 のうりょく に向上 こうじょう を見 み せた。しかし、エストニア語 ご 能力 のうりょく を有 ゆう さない住民 じゅうみん は北東 ほくとう 部 ぶ イダ=ヴィル県 けん を中心 ちゅうしん に未 いま だ多 おお く存在 そんざい し、その社会 しゃかい 統合 とうごう は課題 かだい として残 のこ されている。
2000年 ねん 国勢調査 こくせいちょうさ におけるロシア語 ご 話者 わしゃ の分布 ぶんぷ
ロシア との国境 こっきょう に近 ちか い北東 ほくとう 部 ぶ イダ=ヴィル県 けん ナルヴァ ではロシア語 ご 話者 わしゃ の割合 わりあい が95パーセント以上 いじょう を占 し め、その他 た イダ=ヴィル県 けん にはロシア語 ご 話者 わしゃ が過半数 かはんすう を占 し める都市 とし が散見 さんけん される[14] 。
エストニアの言語 げんご 法 ほう 第 だい 11条 じょう には、「全 ぜん 定住 ていじゅう 者 しゃ のうち過半数 かはんすう の使用 しよう する言語 げんご がエストニア語 ご でない地方自治体 ちほうじちたい においては、自治体 じちたい 内 ない の実務 じつむ 言語 げんご として〔中略 ちゅうりゃく 〕エストニア語 ご に加 くわ えて全 ぜん 定住 ていじゅう 者 しゃ のうち過半数 かはんすう を形成 けいせい する少数 しょうすう 民族 みんぞく の言語 げんご を使用 しよう することができる」との条文 じょうぶん があり、ロシア人 じん が95パーセント以上 いじょう を占 し めるナルヴァ市議会 しぎかい は、これに基 もと づいて議会 ぎかい でのロシア語 ご 使用 しよう 許可 きょか を申請 しんせい している[15] 。政府 せいふ は、同市 どうし におけるエストニア語 ご の使用 しよう が未 いま だ保障 ほしょう されていない、として申請 しんせい を却下 きゃっか したが、ロシア人 じん の側 がわ は、非合法 ひごうほう 状態 じょうたい にはありながら公的 こうてき 領域 りょういき においてもロシア語 ご の使用 しよう を続 つづ けている[15] 。
また、過去 かこ には首都 しゅと のタリン でもロシア系 けい 住民 じゅうみん とエストニア政府 せいふ との間 あいだ で大 だい 規模 きぼ な暴動 ぼうどう が起 お きた。
カザフスタン ではソ連 それん から独立 どくりつ した後 のち も他 た の中央 ちゅうおう アジア諸国 しょこく に比 くら べてロシア語 ご が使用 しよう されることが多 おお く、カザフ語 ご は国家 こっか 語 ご 、ロシア語 ご は実質 じっしつ 的 てき な共通 きょうつう 語 ご としての地位 ちい を確立 かくりつ し、都市 とし 部 ぶ ではカザフ語 ご よりもロシア語 ご を得意 とくい とするカザフ人 じん は少 すく なくない[16] 。こうした状況 じょうきょう 下 か で、カザフスタン政府 せいふ はカザフ語 ご の振興 しんこう を掲 かか げていて[17] 、カザフ語 ご の急速 きゅうそく な台頭 たいとう とロシア語 ご の重要 じゅうよう 性 せい の低下 ていか に対 たい して抵抗 ていこう を感 かん じる人間 にんげん がいる一方 いっぽう で、マスメディアにおけるロシア語 ご の支配 しはい 的 てき な地位 ちい を疑問 ぎもん 視 し する意見 いけん も投 な げかけられている[16] 。
だが、近年 きんねん ではロシア語 ご 離 ばな れの動 うご きがあると報 ほう じられている。具体 ぐたい 的 てき には、カザフ語 ご の表記 ひょうき がキリル文字 もじ からラテン文字 もじ へ移行 いこう する草案 そうあん が提出 ていしゅつ された[18] 。しかし、この移行 いこう は国民 こくみん の間 あいだ では一般 いっぱん に普及 ふきゅう していない。
また、カザフ語 ご 自体 じたい もロシア語 ご からの借用 しゃくよう 語 ご が多 おお い[19] 。
ウズベキスタン では独立 どくりつ 以降 いこう しばらくはウズベク語 ご とロシア語 ご が公的 こうてき な文書 ぶんしょ において使用 しよう されていた[20] が、1995年 ねん 12月に憲法 けんぽう が改正 かいせい され、ウズベキスタン憲法 けんぽう 第 だい 四 よん 条 じょう [21] 及 およ び「国家 こっか 言語 げんご 法 ほう 」により[22] ウズベク語 ご が公用 こうよう 語 ご の地位 ちい を獲得 かくとく することになった。
ウズベク・ソビエト社会 しゃかい 主義 しゅぎ 共和 きょうわ 国 こく 時代 じだい はウズベク語 ご とロシア語 ご が公用 こうよう 語 ご の地位 ちい を獲得 かくとく していた。現在 げんざい 、ウズベキスタンではウズベク語 ご とロシア語 ご の他 ほか に、主 おも にウズベク人 じん 以外 いがい の少数 しょうすう 民族 みんぞく によってタジク語 ご やキルギス語 ご 、トルクメン語 ご 、カザフ語 ご 、カラカルパク語 ご 、タタール語 ご 、ノガイ語 ご などのテュルク諸語 しょご の他 ほか 、アゼルバイジャン語 ご 、ウイグル語 ご などの言語 げんご が話 はな されている。地方 ちほう ではウズベク語 ご を母語 ぼご とする者 もの の割合 わりあい が高 たか いが、首都 しゅと タシュケント では人口 じんこう の約 やく 半数 はんすう がロシア語 ご 話者 わしゃ であり、ロシア語 ご が日常 にちじょう 的 てき に使用 しよう されている[23] 。また、大学 だいがく ではウズベク語 ご とロシア語 ご による講義 こうぎ が行 おこな われており、研究 けんきゅう 活動 かつどう を行 おこな う者 もの はほぼロシア語 ご 環境 かんきょう で研究 けんきゅう を行 おこ なっている。一方 いっぽう で、英語 えいご が通 つう じることは少 すく なく[23] 、2005年 ねん 時点 じてん の調査 ちょうさ では、英語 えいご を話 はな すことができると答 こた えた人々 ひとびと の割合 わりあい は9%にすぎず、ロシア語 ご を話 はな すことができると答 こた えた人々 ひとびと の割合 わりあい は中央 ちゅうおう アジア全体 ぜんたい で80%を超 こ えている[24] 。
現在 げんざい 、ロシア語 ご は全 ぜん 人口 じんこう の14.2%に当 あ たる人々 ひとびと が第 だい 一 いち 言語 げんご として使用 しよう しており、その他 た の人々 ひとびと もその多 おお くがロシア語 ご を第 だい 二 に 言語 げんご として使用 しよう しているなど異 い 民族 みんぞく 間 あいだ の共通 きょうつう 語 ご ・準 じゅん 公用 こうよう 語 ご 的 てき な地位 ちい にある。
タジキスタン ではロシア語 ご は帝政 ていせい ロシア ~ソビエト連邦 れんぽう 時代 じだい の共通 きょうつう 語 ご であったため、現在 げんざい でも第 だい 二 に 言語 げんご として教育 きょういく ・ビジネス等 とう で多 おお く使用 しよう されている。ただし、2009年 ねん 10月から国語 こくご 法 ほう が成立 せいりつ し、公文書 こうぶんしょ や看板 かんばん 、新聞 しんぶん はタジク語 ご を用 もち いることを義務 ぎむ づけられた[25] 。
また、ソビエト連邦 れんぽう の崩壊 ほうかい 後 のち に起 お きたタジキスタン内戦 ないせん によるロシア人 じん の大量 たいりょう 国外 こくがい 流出 りゅうしゅつ によりロシア語 ご の通用 つうよう 度 ど が急激 きゅうげき に低 ひく くなったが、現在 げんざい では出稼 でかせ ぎ先 さき の大半 たいはん はロシアであることと、高等 こうとう 教育 きょういく にはロシア語 ご 習得 しゅうとく が不可欠 ふかけつ であることから、ロシア語 ご 教育 きょういく も重要 じゅうよう 視 し されつつあり[25] 、国民 こくみん の間 あいだ ではロシア語 ご 学習 がくしゅう 熱 ねつ が強 つよ い。
キルギス ではロシア語 ご が公用 こうよう 語 ご 、キルギス語 ご が国家 こっか 語 ご とされている (憲法 けんぽう 第 だい 10条 じょう 第 だい 1項 こう 、第 だい 2項 こう [26] )。
2017年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ によると、母語 ぼご 話者 わしゃ の割合 わりあい はキルギス語 ご が55.2%、ウズベク語 ご が4.7%、ロシア語 ご が34.0%となっている。
独立 どくりつ 以降 いこう 公用 こうよう 語 ご から除外 じょがい されたウズベキスタンなどとは違 ちが い、引 ひ き続 つづ き公用 こうよう 語 ご に制定 せいてい されている。これは、国 くに の中枢 ちゅうすう を占 し めていたロシア人 じん などのロシア語 ご 系 けい 住民 じゅうみん の国外 こくがい 流出 りゅうしゅつ (頭脳 ずのう 流出 りゅうしゅつ )を防 ふせ ぐためであり、現在 げんざい でも山岳 さんがく 部 ぶ を除 のぞ く全土 ぜんど で通用 つうよう し、教育 きょういく 、ビジネスや政府 せいふ 機関 きかん で幅広 はばひろ く使用 しよう される。また医療 いりょう 用語 ようご などはロシア語 ご にしか翻訳 ほんやく されていない単語 たんご があるため、ロシア語 ご が理解 りかい できないと生活 せいかつ に苦労 くろう する場合 ばあい もある。
首都 しゅと ビシュケクとその周辺 しゅうへん では多 おお くの住民 じゅうみん はロシア語 ご を使 つか って生活 せいかつ しており、キルギス語 ご が上手 じょうず に話 はな せないキルギス人 じん も少 すく なくない。このため、現地 げんち 生 う まれのロシア人 じん はキルギス語 ご を話 はな せない人 ひと がほとんどを占 し めている。
エストニア の他 ほか に同 おな じくヨーロッパ連合 れんごう 加盟 かめい 国 こく となったラトビア 、リトアニア などの旧 きゅう ソ連 それん 諸国 しょこく でも、公用 こうよう 語 ご にこそなっていないもののロシア系 けい 住民 じゅうみん を中心 ちゅうしん に広 ひろ く使 つか われているがEUの公用 こうよう 語 ご には加 くわ わっていない。2018年 ねん には、ロシアに対 たい する反感 はんかん や地位 ちい 低下 ていか を背景 はいけい に、先述 せんじゅつ したウクライナ、カザフスタンのほかにラトビア 、モルドバ でロシア語 ご 離 ばな れの動 うご きがあるとも報 ほう じられている[27] 。その中 なか ではカザフ語 ご やアゼルバイジャン語 ご の表記 ひょうき がキリル文字 もじ からラテン文字 もじ へ変更 へんこう されたことが挙 あ げられている。ただし、ソ連 それん 時代 じだい からロシア人 じん の居住 きょじゅう 比率 ひりつ が10%程度 ていど だったリトアニアを除 のぞ くと上記 じょうき の各国 かっこく でロシア系 けい 住民 じゅうみん の比率 ひりつ は相対 そうたい 的 てき に高 たか く、特 とく に中央 ちゅうおう アジアにおいては相対 そうたい 的 てき に賃金 ちんぎん 水準 すいじゅん の高 たか いロシアの都市 とし 部 ぶ へ出稼 でかせ ぎ労働 ろうどう 者 しゃ が流出 りゅうしゅつ を続 つづ ける状況 じょうきょう もあって、ロシア語 ご が対 たい ロシア、および地域 ちいき 諸 しょ 国内 こくない の商業 しょうぎょう ・行政 ぎょうせい 面 めん における共通 きょうつう 言語 げんご (リングワ・フランカ )として現在 げんざい でも使用 しよう され続 つづ けている。
1999年 ねん のデータではイスラエルへの旧 きゅう ソ連 それん からの移民 いみん は75万 まん 人 にん にのぼり、ロシア語 ご のテレビ・ラジオ放送 ほうそう 局 きょく もある。イスラエルの公用 こうよう 語 ご はヘブライ語 ご だけだが公用 こうよう 語 ご ではない英語 えいご にならび移民 いみん の影響 えいきょう でロシア語 ご も広 ひろ く使 つか われている。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく におけるロシア語 ご 話者 わしゃ には2類型 るいけい ある。政治 せいじ 的 てき な理由 りゆう でロシア帝国 ていこく やソビエト連邦 れんぽう から移住 いじゅう した人々 ひとびと やその子孫 しそん である「ロシア系 けい アメリカ人 じん 」、そしてロシア統治 とうち 時代 じだい のアラスカ 住民 じゅうみん の子孫 しそん である。
ロシア帝国 ていこく ではロマノフ朝 あさ との関係 かんけい が非常 ひじょう に強 つよ かったロシア正教会 せいきょうかい の主流 しゅりゅう 派 は が絶大 ぜつだい な権力 けんりょく を持 も ち、正教 せいきょう の反 はん 主流 しゅりゅう 派 は である古 こ 儀式 ぎしき 派 は やモロカン派 は 、そして少数 しょうすう 民族 みんぞく となったユダヤ人 じん が信仰 しんこう を守 まも るユダヤ教 きょう などを抑 おさ える体制 たいせい ができていた。特 とく にユダヤ人 じん に対 たい しては「ポグロム 」と呼 よ ばれる大量 たいりょう 虐殺 ぎゃくさつ が一般 いっぱん 民衆 みんしゅう の手 て で頻発 ひんぱつ したため、1880年代 ねんだい 以降 いこう にユダヤ人 じん がアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく への集団 しゅうだん 移住 いじゅう が始 はじ まった。彼 かれ らはニューヨークやサンフランシスコなどの都市 とし 部 ぶ に集 しゅう 住 じゅう した。
続 つづ いて、1917年 ねん のロシア革命 かくめい により社会 しゃかい 主義 しゅぎ 体制 たいせい のボリシェヴィキ政権 せいけん が誕生 たんじょう し、ロシア内戦 ないせん を経 へ て1922年 ねん にソビエト連邦 れんぽう が成立 せいりつ したことで、貴族 きぞく 、地主 じぬし 、教会 きょうかい 関係 かんけい 者 しゃ などの旧 きゅう 支配 しはい 層 そう 、さらに政治 せいじ 的 てき 混乱 こんらん と迫害 はくがい を恐 おそ れた一般 いっぱん 民衆 みんしゅう が多 おお くロシアを脱出 だっしゅつ し、その一部 いちぶ が既 すで にロシア系 けい コミュニティが成立 せいりつ していたアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく を目指 めざ した。これらの亡命 ぼうめい 者 しゃ は「白 しろ 系 けい ロシア人 じん 」とも呼 よ ばれ、多 おお くの文化 ぶんか 人 じん も含 ふく まれていたことから、アメリカでのロシア語 ご 及 およ びロシア文化 ぶんか の伝達 でんたつ を促進 そくしん した。ソ連 それん 成立 せいりつ 後 ご も合法 ごうほう 的 てき な出国 しゅっこく を認 みと められる文化 ぶんか 人 じん は少数 しょうすう ながら存在 そんざい し、彼 かれ らからも1933年 ねん にソ連 それん との国交 こっこう を樹立 じゅりつ したアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく へ移住 いじゅう する例 れい が生 う まれた。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 こう は東西 とうざい 冷戦 れいせん が激化 げきか し、ソ連 それん からアメリカへの移住 いじゅう は厳 きび しく制限 せいげん され、ごく少数 しょうすう の亡命 ぼうめい 者 しゃ を除 のぞ けば人口 じんこう 移動 いどう は起 お きなかったが、1970年代 ねんだい に入 はい るとソ連 それん 政府 せいふ は自 じ 国民 こくみん のユダヤ人 じん がイスラエルへ移住 いじゅう することを一定 いってい の範囲 はんい で認 みと めるようになり、その一部 いちぶ がアメリカへ再 さい 移住 いじゅう した。そして1980年代 ねんだい のペレストロイカ政策 せいさく によるソ連 それん の自由 じゆう 化 か 、そして1991年 ねん のソビエト連邦 れんぽう 崩壊 ほうかい によるロシア連邦 れんぽう の成立 せいりつ により、ロシア人 じん の国外 こくがい 出国 しゅっこく は容易 ようい となり、アメリカへの移住 いじゅう 者 しゃ が再 ふたた び増加 ぞうか した。移住 いじゅう 理由 りゆう には、国内 こくない での民族 みんぞく 対立 たいりつ を背景 はいけい とした政治 せいじ 的 てき 亡命 ぼうめい 、より豊 ゆた かな生活 せいかつ を求 もと める経済 けいざい 移民 いみん 、ソビエト体制 たいせい での高 たか い教育 きょういく 水準 すいじゅん で育成 いくせい された技術 ぎじゅつ 者 しゃ のアメリカ企業 きぎょう による雇用 こよう などがあり、ロシアン・マフィア による非合法 ひごうほう 移住 いじゅう 、英語 えいご では「メールオーダーブライド (英語 えいご 版 ばん ) 」とも呼 よ ばれる、業者 ぎょうしゃ を介 かい した簡易 かんい な国際 こくさい 結婚 けっこん によるロシア人 じん 女性 じょせい の渡米 とべい なども含 ふく まれる。
彼 かれ らもアメリカにおけるロシア語 ご 人口 じんこう の増加 ぞうか に寄与 きよ し、21世紀 せいき に入 はい ってその数 かず は減少 げんしょう したとされるものの、2000年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ では70万 まん 人 にん がロシア語 ご 話者 わしゃ と答 こた え、ロシア系 けい アメリカ人 じん 自体 じたい はアメリカ全体 ぜんたい の人口 じんこう の約 やく 1%である約 やく 300万 まん 人 にん とされる。
一方 いっぽう 、ロシア帝国 ていこく は16世紀 せいき から進 すす めたシベリア 征服 せいふく の結果 けっか 、ベ べ ーリング海 りんぐかい 峡 かい を越 こ えて北米 ほくべい 大陸 たいりく の北西 ほくせい 端 はし にあるアラスカに到達 とうたつ していた。1784年 ねん にはアラスカ南部 なんぶ のコディアック島 とう に根拠地 こんきょち を置 お き、1799年 ねん にアラスカ領有 りょうゆう を宣言 せんげん 、1821年 ねん には正式 せいしき に「ロシア領 りょう アメリカ 」が成立 せいりつ していたが、ロシア帝国 ていこく にとってアラスカはあまりに遠 とお く、有効 ゆうこう な植民 しょくみん 地 ち 統治 とうち は困難 こんなん だった。これは逆 ぎゃく に、帝国 ていこく 内 ない での迫害 はくがい から逃 のが れたい古 こ 儀式 ぎしき 派 は にとっては好都合 こうつごう だった。1867年 ねん にアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく がロシアからアラスカを購入 こうにゅう すると、ロシア帝国 ていこく の役人 やくにん や毛皮 けがわ 商 しょう などは本国 ほんごく へ帰還 きかん したが、古 こ 儀式 ぎしき 派 は は帰国 きこく を拒否 きょひ し、自 みずか らの信仰 しんこう が保証 ほしょう されるアメリカ国民 こくみん になることを選択 せんたく した。その際 さい に「ロシア語 ご ネイティブのアメリカ人 じん 」が生 う まれ、さらにソビエト政権 せいけん の成立 せいりつ 後 ご にアラスカとシベリアとの交流 こうりゅう が断絶 だんぜつ したため、アラスカのごく一部 いちぶ ではロシア帝国 ていこく 時代 じだい からの古 こ 儀式 ぎしき 派 は 信仰 しんこう とロシア語 ご が保存 ほぞん された。特 とく にアラスカ本土 ほんど 、コディアック島 とう から約 やく 250km離 はな れたニニルチク (英語 えいご 版 ばん ) ( 露 ろ : Нинилчик ) では下記 かき の「方言 ほうげん 」で記 しる す通 とお りに発音 はつおん や性 せい の構造 こうぞう などで現在 げんざい の標準 ひょうじゅん ロシア語 ご との差異 さい があるとされ、同地 どうち では20世紀 せいき 末 まつ からモスクワ大学 だいがく などの研究 けんきゅう 者 しゃ が言語 げんご 収集 しゅうしゅう を行 おこな っている[28] 。
ロシア語 ご では以下 いか の33個 こ のキリル文字 もじ が用 もち いられている。音 おと 価 か は固有 こゆう 語 ご におけるもののみに限 かぎ って紹介 しょうかい するが、外来 がいらい 語 ご の中 なか では延長線 えんちょうせん 上 じょう の軟音化 か ・硬 かた 音 おと 化 か が行 おこな われる場合 ばあい もある。またロシア語 ご における母音 ぼいん 弱化 じゃっか は非常 ひじょう に複雑 ふくざつ な変化 へんか をもたらすため、この表 ひょう では概 おおむ ねそれに触 ふ れない。
文字 もじ
文字 もじ の名称 めいしょう
音 おと 価 か (IPA )
発音 はつおん 上 じょう の注意 ちゅうい 等 とう
大 だい
小 しょう
露 ろ 文 ぶん
羅 ら 文 あや
カナ
硬 かた 音 おん
軟音
А
а
а
a
ア
/a/
Я に同 おな じ
Б
б
бэ
be
ベ
/b/
/bʲ/
В
в
вэ
ve
ヴェ
/v/
/vʲ/
語末 ごまつ では [f] と発音 はつおん 。またしっかりしていない発音 はつおん では特 とく に母音 ぼいん に挟 はさ まれた в は「ワ」に似 に たような音 おと 価 か [ʋ] などで発音 はつおん されることがある
Г
г
гэ
ge
ゲ
/g/
/gʲ/
形容詞 けいようし ・代名詞 だいめいし の活用 かつよう の語尾 ごび の中 なか では в と読 よ むものがある。また特定 とくてい の感動 かんどう 詞 し や教会 きょうかい スラブ語 ご 由来 ゆらい の言葉 ことば では伝統 でんとう 的 てき に [ɣ] で発音 はつおん される
Д
д
дэ
de
デ
/d/
/dʲ/
軟音は実際 じっさい に舌端 ぜったん 音 おん の [d̻ʲzʲ ] といったように発音 はつおん される
Е
е
е
je
イェ
Э に同 おな じ
/je/
「イェ」に近 ちか い 外来 がいらい 語 ご では不規則 ふきそく 的 てき に子音 しいん 後 ご で硬 かた 音 おと 化 か するものがある
Ё
ё
ё
jo
ヨ
О に同 おな じ
/jo/
「ヨ」に近 ちか い(母音 ぼいん の実際 じっさい の音 おと 価 か は [ɵ] )。多 おお くの場合 ばあい トレマ 無 む 表記 ひょうき で E と同 おな じく書 か かれるが読 よ み方 かた には影響 えいきょう しない
Ж
ж
жэ
zhe
ジェ
/ʐ/
-
そり舌 した 気味 ぎみ で発音 はつおん される [z] 。日本語 にほんご にないが、例 たと えば中国 ちゅうごく 語 ご の「肉 にく 」(ròu ) の発音 はつおん [ʐoʊ̯˥˩] の [ʐ] はこれに近 ちか い。
※正書法 せいしょほう における жж や зж は伝統 でんとう 的 てき に別 べつ の、唯一 ゆいいつ 固有 こゆう の文字 もじ を持 も たない基本 きほん 音素 おんそ /ʑː/ を表 あらわ すものが多 おお い(例 れい : жжет [ʑːɵt] 、езжу [ˈjeʑːʊ] 、但 ただ し разжать 等 ひとし はこの音素 おんそ を含 ふく んでいないため [rɐˈʐːatʲ] )。20世紀 せいき 以来 いらい に本来 ほんらい [ʑː] と読 よ むべきところを「書 か かれたまま」 [ʐː] と読 よ むのが普及 ふきゅう したため、この音素 おんそ はロシア語 ご 話者 わしゃ の間 あいだ では珍 めずら しくなっている。日本語 にほんご に喩 たと えて音 おと を説明 せつめい すると「家事 かじ 」[ka̠ʑi] の [ʑ] がやや長 なが めに発音 はつおん された感 かん じになる。
З
з
зэ
ze
ゼ
/z/
/zʲ/
同 おな じスラヴ語 ご 派 は のポーランド語 ご と違 ちが って軟音化 か のときは [zʲ] になる程度 ていど であって、日本語 にほんご の「家事 かじ 」[ka̠ʑi] における子音 しいん [ʑ] にまでなることはない
И
и
и
i
イ
Ы に同 おな じ
/i/
Й
й
и краткое
i kratkoje
イ クラトコイェ[* 1]
-
/j/
半母音 はんぼいん の [j] (短 みじか い「イ」)[* 2]
К
к
ка
ka
カ
/k/
/kʲ/
日本語 にほんご と違 ちが って、「き」が「ち」のような発音 はつおん [ci] になるといった訛 なま り方 かた に相当 そうとう する現象 げんしょう はロシア語 ご には存在 そんざい せず、ロシア語 ご 話者 わしゃ にもっぱら ть や ч に聞 き こえ誤解 ごかい を招 まね き得 え る
Л
л
эль
el'
エル
/ɫ/
/lʲ/
硬 かた 音 おん はアメリカ英語 えいご の L の発音 はつおん に、軟音はイタリア語 ご ・フランス語 ふらんすご ・ドイツ語 ご における L の発音 はつおん にそれぞれ似 に ている
М
м
эм
em
エム
/m/
/mʲ/
Н
н
эн
en
エヌ
/n/
/nʲ/
硬 かた 音 おん は常 つね に、環境 かんきょう によらず「ナ」の子音 しいん [n] であり、日本語 にほんご の「ン」とは実際 じっさい にかなり違 ちが う。特 とく に多 おお くの言語 げんご とは対照 たいしょう 的 てき に [ŋ] になることさえない
О
о
о
o
オ
/o/
Ё に同 おな じ
アクセントがない場合 ばあい は a と同 おな じく発音 はつおん する(ただし радио [ˈradʲɪo] のような例外 れいがい もある)
П
п
пэ
pe
ペ
/p/
/pʲ/
Р
р
эр
er
エル
/r/
/rʲ/
巻 ま き舌 じた [r] で発音 はつおん される。軟音化 か すると口蓋 こうがい 化 か した [rʲ] になり、発音 はつおん の仕組 しく みの特徴 とくちょう から [r] に対 たい して [rʲ] は若干 じゃっかん ふるえにくい。
С
с
эс
es
エス
/s/
/sʲ/
同 おな じスラヴ語 ご 派 は のポーランド語 ご と違 ちが って軟音化 か のときは [sʲ] になる程度 ていど であって、日本語 にほんご の「シ」の子音 しいん [ɕ] にまでなることはない
Т
т
тэ
te
テ
/t/
/tʲ/
軟音は実際 じっさい に舌端 ぜったん 音 おん の [t̻ʲsʲ ] といったように発音 はつおん される
У
у
у
u
ウ
/u/
Ю に同 おな じ
日本語 にほんご の「う」よりも口 くち を丸 まる めて発音 はつおん
Ф
ф
эф
ef
エフ
/f/
/fʲ/
英語 えいご や中国 ちゅうごく 語 ご にも見 み られる音声 おんせい [f] 日本語 にほんご の「フ」の子音 しいん [ɸ] ではない 文字 もじ としてもっぱら外来 がいらい 語 ご に登場 とうじょう する
Х
х
ха
kha
ハ
/x/
/xʲ/
「カ」のように発音 はつおん される「ハ」 であるが、軟音化 か すると日本語 にほんご の標準 ひょうじゅん 的 てき な「ヒ」の子音 しいん とさほど変 か わらない
Ц
ц
цэ
tse
ツェ
/ʦ/
-
「ツァ」「ツ」「ツォ」
Ч
ч
че
che
チェ
-
/ʨ/
「チャ」「チュ」「チョ」
Ш
ш
ша
sha
シャ
/ʂ/
-
そり舌 した 気味 ぎみ で発音 はつおん される [s] 。日本語 にほんご にないが、例 たと えば中国 ちゅうごく 語 ご やサンスクリット (梵語 ぼんご )における音素 おんそ /ʂ/ はこのような音 おと である(例 れい : 中国 ちゅうごく 語 ご 「上海 しゃんはい 」shànghǎi [ʂâŋ.xài] 、梵語 ぼんご कृष्ण [ˈkr̩ʂɳɐ] 「クリシュナ 」などの [ʂ] )
Щ
щ
ща
shcha
シシャ(シチャ)
-
/ɕː/
「ッシ」(「シ 」の子音 しいん [ɕ] に似 に ているが、やや長 なが め)
Ъ
ъ
твёрдый знак
tvjordɨj znak
トヴョルドゥイズナク
-
-
硬 かた 音 おん 記号 きごう 、非 ひ 口蓋 こうがい 化 か する[* 3] [* 4]
Ы
ы
ы
ɨ
ウィ
/ɨ/
-
カタカナ表記 ひょうき にもかかわらず、あくまで「イ」でも「ウ」でもない単純 たんじゅん 母音 ぼいん である。日本語 にほんご に無 な く、例 たと えば中国 ちゅうごく 語 ご の「吃 ども 」(chī ) の発音 はつおん [tʂʰɨ˥] の母音 ぼいん [ɨ] はこのような音 おと である
Ь
ь
мягкий знак
mjagkij znak
ミャグキイズナク[* 5]
-
-
軟音 記号 きごう 、口蓋 こうがい 化 か する[* 3] [* 6]
Э
э
э
e
エ
/e/
-
日本語 にほんご の「え」よりも広 ひろ めに発音 はつおん される(実際 じっさい の音 おと 価 か は [ɛ] ) 文字 もじ としては主 おも に外来 がいらい 語 ご に使用 しよう
Ю
ю
ю
ju
ユ
У に同 おな じ
/ju/
「ユ」 両側 りょうがわ に軟子音 おん に挟 はさ まれてはさらに軟母音 おん 化 か して [ʉ] と発音 はつおん
Я
я
я
ja
ヤ
А に同 おな じ
/ja/
「ヤ」 両側 りょうがわ に軟子音 おん に挟 はさ まれてはさらに軟母音 おん 化 か して [æ] と発音 はつおん
^ アクセントのないоは[ɐ~ə]、еは[ɪ~ɪ̯ə~ə]に弱化 じゃっか するため、正確 せいかく にはイ クラトカヤ[ˈi ˈkratkəɪ̯ə] 。
^ 半母音 はんぼいん の й は、主 おも に母音 ぼいん の後 うし ろでのみあらわれ、日本語 にほんご のヤ、ユ、ヨのように [j] の音 おと の後 うし ろに母音 ぼいん が続 つづ く場合 ばあい は е , ё , ю , я を用 もち いる。
^ a b 硬 かた 音 おん の子音 しいん は微妙 びみょう に「ウ」の音感 おんかん 、軟音の子音 しいん は微妙 びみょう に「イ」の音感 おんかん を伴 ともな う。
^ 硬 かた 音 おと 記号 きごう は、現在 げんざい では軟母音 おん で始 はじ まる単語 たんご の前 まえ に硬 かた 子音 しいん で終 お わる接頭 せっとう 辞 じ が付加 ふか される場合 ばあい (例 れい : под + ехать → подъехать )にしか用 もち いられない。ただし日本語 にほんご をロシア語 ご 式 しき に音訳 おんやく する際 さい 、[n] と後続 こうぞく の母音 ぼいん を分 わ けて発音 はつおん することを明示 めいじ する必要 ひつよう がある場合 ばあい など(例 れい :欽一 きんいち の「きんい ち」が「きに ち」にならないようにする)、外国 がいこく 語 ご の表記 ひょうき に用 もち いることがある。
^ к、т、чの前 まえ のгは/х/となるため、正確 せいかく にはミャフキイズナク[ˈmʲæxʲkʲɪɪ̯ znak] 。
^ 軟音記号 きごう はそれが伴 ともな う直前 ちょくぜん の子音 しいん が軟音であることを現 あらわ す。
日本語 にほんご のアクセント (高低 こうてい アクセント )とは異 こと なり、強弱 きょうじゃく アクセント である。アクセントのある音 おと は長 なが く、強 つよ く発音 はつおん する。
疑問 ぎもん 詞 し のない疑問 ぎもん 文 ぶん では、一番 いちばん 聞 き きたい部分 ぶぶん の単語 たんご のアクセントでイントネーション を上 あ げて発音 はつおん する。
ロシア語 ご には /w/ という子音 しいん がないため、外来 がいらい 語 ご における /w/ は /v/ で置 お き換 か えられる。ただし発音 はつおん のまま文字 もじ があてられたものもある。(例 れい :Туалет トゥアリェートゥ←toilette(フランス語 ふらんすご より))
子音 しいん 字 じ й は通常 つうじょう 、語頭 ごとう および子音 しいん 字 じ の直後 ちょくご には置 お かないが、特 とく に外来 がいらい 語 ご では Йокога́ма (ヨコガマ=横浜 よこはま )のように単語 たんご の先頭 せんとう に置 お くこともある。
軟子音 おん (硬 かた 口蓋 こうがい 化 か 子音 しいん )と硬 かた 子音 しいん (非 ひ 硬 かた 口蓋 こうがい 化 か 子音 しいん )が明確 めいかく に区別 くべつ される。なお日本 にっぽん で出版 しゅっぱん されているロシア語 ご の参考 さんこう 書 しょ では /jV/ (V は母音 ぼいん ) という音 おと およびその文字 もじ を「軟母音 おん (字 じ )」と呼 よ び、それに対 たい して単 たん なる母音 ぼいん を「硬 かた 母音 ぼいん 」と呼 よ ぶことが多 おお いが、この用語 ようご は日本 にっぽん 特有 とくゆう のものであり本来 ほんらい ロシア語 ご にこのような母音 ぼいん の硬軟 こうなん の区別 くべつ は存在 そんざい しない。
硬 かた 子音 しいん の前 まえ の軟子音 おん は硬 かた 音 おと 化 か し、軟子音 おん の前 まえ と単語 たんご の末尾 まつび にある硬 かた 子音 しいん は軟音化 か する。但 ただ し、接続詞 せつぞくし や助詞 じょし は直後 ちょくご の単語 たんご と連結 れんけつ して発音 はつおん される。
ё には必 かなら ずアクセントがある(アクセントがなくなった場合 ばあい 、文字 もじ 上 じょう はе に変化 へんか する)。
у 以外 いがい の母音 ぼいん はアクセントが無 な いと音 おと が弱化 じゃっか する。アクセントの前後 ぜんご 、位置 いち で音 おと は変 か わる。а , о は[ə] 、и とэ は[ɪ] (и скло́нно к э 「イがエに傾 かたむ く」)、я とе は[jɪ] になる(ただし、厳密 げんみつ には音節 おんせつ によって弱化 じゃっか の度合 どあ いが異 こと なり、従 したが って実際 じっさい の発音 はつおん も異 こと なる)。そのため、アクセントのない о , е はそれぞれ「ア」、「イ」のように聞 き こえる(例 れい : хорошо́ ハラショー )。ロシアにおける標準 ひょうじゅん 語 ご の発音 はつおん とされるが、元 もと はモスクワの方言 ほうげん であり、地方 ちほう や個人 こじん によっては о , е をそのまま「オ」、「イェ」で発音 はつおん することもある。また、е, и の発音 はつおん が「ヤ」気味 ぎみ になる方言 ほうげん が存在 そんざい する。
西欧 せいおう 語 ご にはない [zn] や [nr] など、子音 しいん 連続 れんぞく が多様 たよう である
例 れい : зна́ние [zna-] (知識 ちしき )
語頭 ごとう に現 あらわ れるもの
зв, зд, зн, зл, зм, зр, мгл, мгн, мл, мн, нр ... など
一部 いちぶ の子音 しいん は派生 はせい 語 かたり などで規則 きそく 的 てき に別 べつ の子音 しいん に変化 へんか する。
音素 おんそ [j] は母音 ぼいん が後 のち に続 つづ き、かつアクセントがある場合 ばあい 、摩擦音 まさつおん が生 しょう じ[ʝ] で発音 はつおん される傾向 けいこう がある。
正書法 せいしょほう の規則 きそく により、г ,к, х, ж, ч, ш, щ の後 のち には я, ы, ю を置 お かず、代 か わりにそれぞれ а, и, у を用 もち いる。ただし、この規則 きそく が適用 てきよう されないケースもある。
主語 しゅご がない無 む 人称 にんしょう 文 ぶん (ru:Безличные предложения )がある。無 む 人称 にんしょう 文 ぶん では意味 いみ 上 じょう の主語 しゅご は与格 よかく で表 あらわ される。
不定 ふてい 人称 にんしょう 文 ぶん (ru:Неопределённо-личные предложения )では動詞 どうし は三人称 さんにんしょう 複数 ふくすう となる。
普遍 ふへん 人称 にんしょう 文 ぶん (ru:Обобщённо-личные предложения )では動詞 どうし は二人称 ににんしょう 単数 たんすう となる。
名詞 めいし は、男性 だんせい 、中性 ちゅうせい 、女性 じょせい の3つの性 せい に分 わ かれている。ロシア語 ご の名詞 めいし は、例外 れいがい はあるものの総 そう じて、単数 たんすう 主格 しゅかく 形 がた について男性 だんせい 名詞 めいし は子音 しいん 字 じ または軟音記号 きごう -ь で、女性 じょせい 名詞 めいし は母 はは 音字 おんじ -а, -я または軟音記号 きごう -ь で、中性 ちゅうせい 名詞 めいし は母 はは 音字 おんじ -о, -е または -мя で終 お わる。そのため、名詞 めいし の性 せい の判別 はんべつ が比較的 ひかくてき 容易 ようい である。これに加 くわ えて名詞 めいし は言葉 ことば の意味 いみ によって、人 ひと や動物 どうぶつ を表 あらわ す活動 かつどう 体 たい とそれ以外 いがい のものを表 あらわ す不 ふ 活動 かつどう 体 たい に分 わ けられる。
数 かず は、単数 たんすう と複数 ふくすう の区別 くべつ を有 ゆう する。複数 ふくすう では性 せい の対立 たいりつ は薄 うす れ、主格 しゅかく ・生 なま 格 かく ・対格 たいかく を除 のぞ くとどの性 せい の名詞 めいし も同一 どういつ の格 かく 語尾 ごび を有 ゆう する。複数 ふくすう 主格 しゅかく の男性 だんせい 及 およ び女性 じょせい 名詞 めいし は -ы または -и で終 お わり、中性 ちゅうせい 名詞 めいし は -а または -я で終 お わる。歴史 れきし 的 てき には単数 たんすう ・複数 ふくすう の他 ほか に双 そう 数 すう (目 め 、手 て 、足 あし など、二 ふた つ一 いち 組 くみ のものに用 もち いられる数 かず )が存在 そんざい したが、現在 げんざい は数詞 すうし два「2」との結合 けつごう (男性 だんせい 名詞 めいし のかつての双 そう 数 すう 主格 しゅかく の語尾 ごび -а が後 のち に単数 たんすう 生 せい 格 かく の語尾 ごび -а と解釈 かいしゃく され、それが一般 いっぱん 化 か された結果 けっか どの性 せい の名詞 めいし に対 たい しても数詞 すうし два は後 うし ろに単数 たんすう 生 せい 格 かく を要求 ようきゅう するようになった)あるいは берег「岸 きし 」の複数 ふくすう 主格 しゅかく берега(本来 ほんらい 想定 そうてい される複数 ふくすう 主格 しゅかく は *береги)などに痕跡 こんせき 的 てき に見 み られるのみである。
名詞 めいし の格 かく は主格 しゅかく 、生 なま 格 かく 、与格 よかく 、対格 たいかく 、造 みやつこ 格 かく 、前 ぜん 置 おけ 格 かく の6種類 しゅるい である。一部 いちぶ には呼 よび 格 かく (例 れい :Боже! 神 かみ よ!)、処 しょ 格 かく 、物 もの 主格 しゅかく (притяжательный падеж )、分離 ぶんり 格 かく (разделительный падеж )が残 のこ る。格 かく 変化 へんか は語尾 ごび によって表 あらわ され、性 せい ・数 かず ・体 からだ に合 あ わせて変化 へんか を見 み せる。例外 れいがい 的 てき に語尾 ごび が変化 へんか しない名詞 めいし もあるが、ほとんどは語順 ごじゅん で格 かく を示 しめ す必要 ひつよう がないため、語順 ごじゅん は比較的 ひかくてき 自由 じゆう に変 か えられる。
他 ほか にも大 おお きな特徴 とくちょう として出没 しゅつぼつ 母音 ぼいん がある。これは語形 ごけい 変化 へんか に合 あ わせて出現 しゅつげん あるいは消滅 しょうめつ する母音 ぼいん であり、主 おも にо, е が用 もち いられる。例 たと えば、пирожок (ピロシキ )を複数 ふくすう 形 がた にすると、最後 さいご のо が消滅 しょうめつ してпирожки になる。
名詞 めいし の格 かく 変化 へんか の基本 きほん パターンは以下 いか の通 とお りであるが、特 とく に活動 かつどう 体 たい と不 ふ 活動 かつどう 体 たい の男性 だんせい 名詞 めいし の対格 たいかく の区別 くべつ は注意 ちゅうい すべきである。また、重 じゅう 音 おと の移動 いどう 、出没 しゅつぼつ 母音 ぼいん や正書法 せいしょほう の制約 せいやく などによる不規則 ふきそく 変化 へんか も多 おお いほか、外来 がいらい 語 ご などに不 ふ 変化 へんか の名詞 めいし もある。
男性 だんせい 名詞 めいし
語尾 ごび は子音 しいん (самолёт 飛行機 ひこうき )
語尾 ごび は子音 しいん (студент 男子 だんし 大学生 だいがくせい )
語尾 ごび は - й (музей 博物館 はくぶつかん )
語尾 ごび は - ь (словарь 辞書 じしょ )
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
主格 しゅかく
самолёт
самолёты
студент
студенты
музей
музеи
словарь
словари
生 なま 格 かく
самолётa
самолётов
студентa
студентов
музея
музеев
словаря
словарей
与格 よかく
самолёту
самолётaм
студенту
студентaм
музею
музеям
словарю
словарям
対格 たいかく
самолёт
самолёты
студентa
студентов
музей
музеи
словарь
словари
造 みやつこ 格 かく
самолётом
самолётaми
студентом
студентaми
музеем
музеями
словарём
словарями
前 ぜん 置 おけ 格 かく
самолёте
самолётaх
студенте
студентaх
музее
музеях
словаре
словарях
女性 じょせい 名詞 めいし
語尾 ごび は -а (машина 車 くるま )
語尾 ごび は --а (рыба 魚 さかな )
語尾 ごび は --я (станция 駅 えき )
語尾 ごび は --ь (тетрадь 手帳 てちょう )
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
主格 しゅかく
машина
машины
рыба
рыбы
станция
станции
тетрадь
тетради
生 なま 格 かく
машины
машин
рыбы
рыб
станции
станций
тетради
тетрадей
与格 よかく
машине
машинам
рыбе
рыбам
станции
станциям
тетради
тетрадям
対格 たいかく
машину
машины
рыбу
рыб
станцию
станции
тетрадь
тетради
造 みやつこ 格 かく
машиной
машинами
рыбой
рыбами
станцией
станциями
тетрадью
тетрадями
前 ぜん 置 おけ 格 かく
машине
машинах
рыбе
рыбах
станции
станциях
тетради
тетрадях
中性 ちゅうせい 名詞 めいし
語尾 ごび は -о (вино ワイン)
語尾 ごび は -е (море 海 うみ )
語尾 ごび は -мя (имя 名前 なまえ )
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
主格 しゅかく
вино
вина
море
моря
имя
имена
生 なま 格 かく
вина
вин
моря
морей
имени
имён
与格 よかく
вину
винам
морю
морям
имени
именам
対格 たいかく
вино
вина
море
моря
имя
имена
造 みやつこ 格 かく
вином
винами
морем
морями
именем
именами
前 ぜん 置 おけ 格 かく
вине
винах
море
морях
имени
именах
数詞 すうし とそれに関連 かんれん する名詞 めいし は特殊 とくしゅ な変化 へんか をみせる。1 は単数 たんすう 主格 しゅかく だが、2-4 は単数 たんすう 生 せい 格 かく 、5以上 いじょう が複数 ふくすう 生 せい 格 かく をとる。2-4 の単数 たんすう 生 せい 格 かく は古 ふる い双 そう 数 すう 形 かたち の名残 なご りである。
男性 だんせい 名詞 めいし (сантиметр センチ)
女性 じょせい 名詞 めいし (деревня 村 むら )
中性 ちゅうせい 名詞 めいし (яблоко リンゴ)
複数 ふくすう 名詞 めいし (сани 橇 そり )
1
один сантиметр
одна деревня
одно яблоко
одни сани
2
два сантиметра
две деревни
два яблока
двое саней
5
пять сантиметров
пять деревень
пять яблок
пятеро саней
12
двенадцать сантиметров
двенадцать деревень
двенадцать яблок
двенадцать саней
22
двадцать два сантиметра
двадцать две деревни
двадцать два яблока
двадцать двое саней
単数 たんすう
複数 ふくすう
再帰 さいき
一人称 いちにんしょう
二人称 ににんしょう
三人称 さんにんしょう
一人称 いちにんしょう
二人称 ににんしょう
三人称 さんにんしょう
男性 だんせい
女性 じょせい
中性 ちゅうせい
(日本語 にほんご )
私 わたし
君 きみ
彼 かれ
彼女 かのじょ
それ
私 わたし たち
あなた、あなたたち
彼 かれ ら、彼女 かのじょ ら、それら
自分 じぶん 自身 じしん
主格 しゅかく
я
ты
он
она
оно
мы
вы
они
生 なま 格 かく
меня
тебя
его
её
его
нас
вас
их
себя
与格 よかく
мне
тебе
ему
ей
ему
нам
вам
им
себе
対格 たいかく
меня
тебя
его
её
его
нас
вас
их
себя
造 みやつこ 格 かく
мной (мною )
тобой (тобою )
им
ей (ею )
им
нами
вами
ими
собой (собою )
前 ぜん 置 おけ 格 かく
мне
тебе
нём
ней
нём
нас
вас
них
себе
его の г は「в 」と発音 はつおん する。
三人称 さんにんしょう の生 なま 格 かく ・与格 よかく ・対格 たいかく ・造 みやつこ 格 かく は、前置詞 ぜんちし があると、前 まえ に н を付 つ ける(例 れい :у него 、с неё )。
敬称 けいしょう としての вы は、文中 ぶんちゅう でも Вы のように大文字 おおもじ で書 か き始 はじ めることがある。なお、ロシア語 ご ではほとんどの動詞 どうし が語尾 ごび から人称 にんしょう と数 かず がわかるので、特 とく に必要 ひつよう がなければ主格 しゅかく 人称 にんしょう 代名詞 だいめいし は省略 しょうりゃく できる(例 れい :Читаю книгу. 「(私 わたし は)本 ほん を読 よ む」)。
動詞 どうし は1回 かい 限 かぎ りの動作 どうさ や、その開始 かいし と終了 しゅうりょう がはっきりと意識 いしき できるひとまとまりの動作 どうさ など(日本語 にほんご で言 い えば「食 た べてしまう」「読 よ み切 き る」のような)を表 あらわ す完了 かんりょう 体 たい (совершенный вид )と、進行 しんこう ・継続 けいぞく ・反復 はんぷく する動作 どうさ または動作 どうさ そのものなど(「食 た べている」「読 よ む」のような)を表 あらわ す不 ふ 完了 かんりょう 体 たい (несовершенный вид )(未 み 完了 かんりょう 体 からだ とも)の2つの体 からだ (相 そう (言語 げんご 学 がく )参照 さんしょう )に分類 ぶんるい され、多 おお くの動詞 どうし で対 たい になっている。一部 いちぶ には対 たい になる体 からだ をもたないものや、完了 かんりょう 体 たい でもあり不 ふ 完了 かんりょう 体 たい でもあるものなど、変則 へんそく 的 てき な動詞 どうし も存在 そんざい しているが、いずれにも属 ぞく さない動詞 どうし は存在 そんざい しない。
時制 じせい は、単純 たんじゅん に過去 かこ ・現在 げんざい ・未来 みらい の3つだけである。基本 きほん 的 てき に全 すべ ての動詞 どうし は過去 かこ 形 かたち と現在 げんざい 形 がた しかもたない(唯一 ゆいいつ の例外 れいがい は英語 えいご のbe動詞 どうし に当 あ たる быть であって、過去 かこ 形 がた ・現在 げんざい 形 がた ・未来 みらい 形 がた の3形態 けいたい をもつ)。現在 げんざい 形 がた は主語 しゅご の人称 にんしょう ・数 すう により、過去 かこ 形 がた は性 せい ・数 すう によって変化 へんか する。未来 みらい 形 がた は完了 かんりょう 体 たい と不 ふ 完了 かんりょう 体 たい で表現 ひょうげん の方法 ほうほう が異 こと なり、完了 かんりょう 体 たい の場合 ばあい は、その現在 げんざい 形 がた がそのまま意味 いみ 上 じょう の未来 みらい を表 あらわ すのに対 たい し、不 ふ 完了 かんりょう 体 たい では助動詞 じょどうし быть の未来 みらい 形 がた との結合 けつごう で表 あらわ される。
動詞 どうし の過去 かこ 形 がた の語形 ごけい 変化 へんか の基本 きほん パターンは1つしかないが、不規則 ふきそく なものがある。
動詞 どうし の過去 かこ 形 がた の語形 ごけい 変化 へんか
一般 いっぱん (читать 読 よ む)
特殊 とくしゅ (идти 行 い く)
語尾 ごび は -ся (строиться 建設 けんせつ する)
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
男性 だんせい
он читал
они читали
он шёл
они шли
он строил ся
они строили сь
女性 じょせい
она читала
она шла
она строила сь
中性 ちゅうせい
оно читало
оно шло
оно строило сь
動詞 どうし の現在 げんざい 形 がた の語形 ごけい 変化 へんか の基本 きほん パターンは2種類 しゅるい があるが、不規則 ふきそく なものも多 おお い。
動詞 どうし の現在 げんざい 形 がた の語形 ごけい 変化 へんか
第 だい 一式 いっしき 変化 へんか (читать 読 よ む)
第 だい 二 に 式 しき 変化 へんか (смотреть 見 み る)
語尾 ごび は -ся (строиться 建設 けんせつ する)
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
単数 たんすう
複数 ふくすう
一人称 いちにんしょう
я читаю
мы читаем
я смотрю
мы смотрим
я строю сь
мы строим ся
二人称 ににんしょう
ты читаешь
вы читаете
ты смотришь
вы смотрите
ты строишь ся
вы строите сь
三人称 さんにんしょう
он/она/оно читает
они читают
он/она/оно смотрит
они смотрят
он/она/оно строит ся
они строят ся
быть の未来 みらい 形 がた の語形 ごけい 変化 へんか
単数 たんすう
複数 ふくすう
一人称 いちにんしょう
я буду
мы будем
二人称 ににんしょう
ты будешь
вы будете
三人称 さんにんしょう
он/она/оно будет
они будут
コピュラ 動詞 どうし (…である )быть の現在 げんざい 形 がた は基本 きほん 的 てき には明示 めいじ されない(例 れい :Я чайка. 「私 わたし はかもめ」)。かつては、主語 しゅご の人称 にんしょう と数 かず に一致 いっち した быть が用 もち いられていたが、そのような機能 きのう は現在 げんざい の быть からはほぼ完全 かんぜん に失 うしな われており、現在 げんざい 形 がた が用 もち いられる局面 きょくめん は、所有 しょゆう を表 あらわ す場合 ばあい に限定 げんてい されると言 い っても過言 かごん ではない。その際 さい には、所有 しょゆう される側 がわ が文法 ぶんぽう 的 てき な主語 しゅご に当 あ たるので、быть の三人称 さんにんしょう 単数 たんすう 形 がた есть (例 れい :У меня есть сын. 「私 わたし には息子 むすこ がいる(私 わたし の許 もと には息子 むすこ がいる)」)を用 もち いることになる。所有 しょゆう される側 がわ が複数 ふくすう の場合 ばあい 、以前 いぜん は быть の三人称 さんにんしょう 複数 ふくすう 形 がた に当 あ たる суть を使用 しよう していたが、現在 げんざい では数 かず に関係 かんけい なく есть を使 つか う傾向 けいこう にあるようである。
さらに、есть は存在 そんざい だけを問題 もんだい としているので、存在 そんざい することが前提 ぜんてい となっている場合 ばあい は不要 ふよう になる(例 れい :У меня маленький сын. 「私 わたし には小 ちい さな息子 むすこ がいる」→息子 むすこ の有無 うむ についてではなく、それがどのような息子 むすこ なのかが問題 もんだい となっている)。
なお、否定 ひてい の表現 ひょうげん (…がない 、…がいない )は нет を使 つか い、存在 そんざい を否定 ひてい する名詞 めいし を生 なま 格 かく に変 か える(例 れい :У меня нет сына. 「私 わたし に息子 むすこ はいない」)。この нет は、не есть の音便 おんびん 形 がた であり、"Да (はい)"、"Нет (いいえ)" の "Нет " とは、別物 べつもの である。
動詞 どうし が変化 へんか したものとして形 かたち 動詞 どうし (西欧 せいおう 語 ご の分詞 ぶんし のように形容詞 けいようし の働 はたら きをする)や副 ふく 動詞 どうし (副詞 ふくし の働 はたら き)がある。ся 動詞 どうし と呼 よ ばれる一群 いちぐん の動詞 どうし (語尾 ごび に再帰 さいき 代名詞 だいめいし ся がつく)はフランス語 ふらんすご などの再帰 さいき 動詞 どうし と同様 どうよう に用 もち いられ、また相互 そうご の動作 どうさ や受動 じゅどう 表現 ひょうげん にも用 もち いられる。
形 かたち 動詞 どうし (男性 だんせい 単数 たんすう 主格 しゅかく 形 がた )と副 ふく 動詞 どうし
第 だい 一式 いっしき 変化 へんか (читать / прочитать 読 よ む)
第 だい 二 に 式 しき 変化 へんか (смотреть / посмотреть 見 み る)
語尾 ごび は -ся (строиться / построиться 建設 けんせつ する)
不 ふ 完了 かんりょう 体 たい
完了 かんりょう 体 たい
不 ふ 完了 かんりょう 体 たい
完了 かんりょう 体 たい
不 ふ 完了 かんりょう 体 たい
完了 かんりょう 体 たい
能動 のうどう 形 がた 現在 げんざい
читающий
смотрящий
строящий ся
能動 のうどう 形 がた 過去 かこ
читавший
прочитавший
смотревший
посмотревший
строивший ся
построивший ся
受動 じゅどう 形 がた 現在 げんざい
читаемый
смотримый
受動 じゅどう 形 がた 過去 かこ
прочитанный
посмотренный
прочитан
посмотрен
副 ふく 動詞 どうし
читая
прочитав
смотря
посмотрев
строя сь
построивши сь
形容詞 けいようし は名詞 めいし と同様 どうよう に性 せい ・数 かず ・格 かく によって変化 へんか し、限定 げんてい 的 てき 用法 ようほう (名詞 めいし につく場合 ばあい )はそれらが一致 いっち する。叙述 じょじゅつ 的 てき 用法 ようほう では語尾 ごび が短 みじか い「短 たん 語尾 ごび 形 がた 」も用 もち いられる。
形容詞 けいようし の格 かく 変化 へんか の基本形 きほんけい は以下 いか の通 とお りである。なお、ロシア人 じん の形容詞 けいようし 型 がた の姓 せい (チャイコフスキー 、トルストイ など)も同 おな じ格 かく 変化 へんか になる。
硬 かた 音 おと 型 がた (новый 新 あたら しい)
単数 たんすう
複数 ふくすう
男性 だんせい
女性 じょせい
中性 ちゅうせい
主格 しゅかく
новый
новая
новое
новые
生 なま 格 かく
нового
новой
нового
новых
与格 よかく
новому
новой
новому
новым
対格 たいかく
новый または нового
новую
новое
новые または новых
造 みやつこ 格 かく
новым
новой
новым
новыми
前 ぜん 置 おけ 格 かく
новом
новой
новом
новых
短 たん 語尾 ごび 形 がた
нов
нова
ново
новы
軟音型 がた (синий 青 あお い)
単数 たんすう
複数 ふくすう
男性 だんせい
女性 じょせい
中性 ちゅうせい
主格 しゅかく
синий
синяя
синее
синие
生 なま 格 かく
синего
синей
синего
синих
与格 よかく
синему
синей
синему
синим
対格 たいかく
синий または синего
синюю
синее
синие または синих
造 みやつこ 格 かく
синим
синей
синим
синими
前 ぜん 置 おけ 格 かく
синем
синей
синем
синих
短 たん 語尾 ごび 形 がた
синь
синя
сине
сини
男性 だんせい および複数 ふくすう の対格 たいかく は、名詞 めいし が活動 かつどう 体 たい であれば生 なま 格 かく と同 おな じになり、不 ふ 活動 かつどう 体 たい であれば主格 しゅかく と同 おな じになる。
ロシア語 ご の方言 ほうげん 図 ず (1915年 ねん )
12.
ベラルーシ語 ご の
影響 えいきょう を
受 う けたロシア
北部 ほくぶ の
訛 なま り
14. ロシア
語 ご の
影響 えいきょう を
受 う けたウクライナ
語 ご の
草原 そうげん (
クバーニ )の
訛 なま り
ロシア領 りょう 時代 じだい からアラスカに残存 ざんそん するロシア語 ご 方言 ほうげん [ 編集 へんしゅう ]
上記 じょうき の通 とお り、アラスカがロシアの領土 りょうど であった時代 じだい にニニルチク (英語 えいご 版 ばん ) (露 ろ : Нинилчик ) 村 むら に定住 ていじゅう して現地 げんち の民族 みんぞく と融合 ゆうごう したロシア人 じん は、1867年 ねん のアラスカ購入 こうにゅう 以降 いこう ロシアとの接触 せっしょく が減少 げんしょう し、さらには1917年 ねん の十 じゅう 月 がつ 革命 かくめい によるロシアの共産 きょうさん 化 か によって接触 せっしょく 機会 きかい が完全 かんぜん になくなったため、標準 ひょうじゅん 語 ご のロシア語 ご から完全 かんぜん に隔離 かくり された状態 じょうたい で約 やく 100年 ねん にわたって独自 どくじ の発達 はったつ を遂 と げてきた。シベリア の方言 ほうげん 、英語 えいご 、エスキモー諸語 しょご 、アサバスカ諸語 しょご の単語 たんご が混 ま ざり、中性 ちゅうせい 名詞 めいし が消 き えていて、女性 じょせい 名詞 めいし もかなり少 すく なくなっている。2013年 ねん 現在 げんざい 、ニニルチク村 むら では英語 えいご が使 つか われていて、ロシア語 ご を覚 おぼ えている住人 じゅうにん はわずか20人 にん であり、全員 ぜんいん が75歳 さい 以上 いじょう となっている[29] 。
日本語 にほんご
ロシア語 ご
備考 びこう
こんにちは
Здравствуйте !( ズドラーストヴイチェ )
ひとつめのвは黙 だま 字 じ 。
やあ!
Привет .( プリヴィェート )
親 した しみを込 こ めた「こんにちは」
やあ!
Здравствуй .( ズドラーストヴイ )
親 した しみを込 こ めた「こんにちは」
はじめまして
Очень приятно .( オーチニ プリヤートナ )
名前 なまえ を言 い った後 のち に言 い う
おはよう
Доброе утро .( ドーブライェ ウートラ )
こんにちは
Добрый день .( ドーブルィイ ヂェーニ )
こんばんは
Добрый вечер .( ドーブルィイ ヴィェーチェル )
お休 やす みなさい
Спокойной ночи .( スパコーイナイ ノーチ )
さようなら
До свидания !( ダスヴィダーニヤ )
「また会 あ いましょう、また会 あ うときまで」
さようなら
Прощайте .( プラシャーイチェ )
当分 とうぶん 会 あ えない場合 ばあい
さようなら
До завтра .( ダザーフトラ )
「また明日 あした 」
ありがとう
Спасибо !( スパシーバ )
すばらしい
Хорошо .( ハラショー )
はい
Да .( ダー )
いいえ
Нет .( ニェート )
すいません 、ごめんなさい
Извините .( イズヴィニーチェ )
「許 ゆる してください」の意 い 。
どういたしまして
Не за что .( ニェー ザ シュトー )
「全 まった くない」という意味 いみ 。(英語 えいご : Not At All )
お名前 なまえ は?
Как вас зовут ?( カーク ヴァース ザヴート )
私 わたし は…です。
Меня зовут ….( ミニャー ザヴート )
「…」の部分 ぶぶん は名前 なまえ
私 わたし はあなたを愛 あい しています。
Я тебя люблю .( ヤー チビャー リュブリュー )
тебя を取 と って最後 さいご に名詞 めいし の対格 たいかく を持 も ってくると「~が好 す きです」という意味 いみ になる。
おかえりなさい
С возвращением .( ス ヴァズヴラシェーニイム )
喜 よろこ んで
С удовольствием .( スダヴォーリストヴイム )
英語 えいご : With pleasure
残念 ざんねん ながら
К сожалению.
幸 さいわ いなことに
К счастью.
夕食 ゆうしょく はいつか?
Когда ужин?
これをロシア語 ご で何 なに という?
Как это по-русски?
以下 いか に日本語 にほんご かなのキリル文字 もじ 表記 ひょうき を示 しめ す[30] 。
日本語 にほんご かなのキリル文字 もじ 表記 ひょうき
あ列 れつ а
い列 れつ и
う列 れつ у
え列 れつ э
お列 れつ о
ゃ列 れつ я
ゅ列 れつ ю
ょ列 れつ ё
あ行 くだり
あа
いи
うу
えэ
おо
か行 こう к
かка
きки
くку
けкэ
こко
きゃкя
きゅкю
きょкё
さ行 ぎょう с
さса
しси
すсу
せсэ
そсо
しゃся
しゅсю
しょсё
た行 こう т
たта
ちти
つцу
てтэ
とто
ちゃтя
ちゅтю
ちょтё
な行 くだり н
なна
にни
ぬну
ねнэ
のно
にゃня
にゅню
にょнё
は行 こう х
はха
ひхи
ふфу
へхэ
ほхо
ひゃхя
ひゅхю
ひょхё
ま行 くだり м
まма
みми
むму
めмэ
もмо
みゃмя
みゅмю
みょмё
や行 くだり й
やя
N/A
ゆю
N/A
よё
N/A
N/A
N/A
ら行 ぎょう р
らра
りри
るру
れрэ
ろро
りゃря
りゅрю
りょрё
わ行 くだり
わва
N/A
N/A
N/A
をо
N/A
N/A
N/A
が行 くだり г
がга
ぎги
ぐгу
げгэ
ごго
ぎゃгя
ぎゅгю
ぎょгё
ざ行 ぎょう дз
ざдза
じдзи
ずдзу
ぜдзэ
ぞдзо
じゃдзя
じゅдзю
じょдзё
だ行 こう д
だда
ぢдзи
づдзу
でдэ
どдо
ぢゃдзя
ぢゅдзю
ぢょдзё
ば行 ぎょう б
ばба
びби
ぶбу
べбэ
ぼбо
びゃбя
びゅбю
びょбё
ぱ行 ぎょう п
ぱпа
ぴпи
ぷпу
ぺпэ
ぽпо
ぴゃпя
ぴゅпю
ぴょпё
撥音 はつおん
んн /м
N/A
N/A
N/A
N/A
N/A
N/A
N/A
母音 ぼいん の後 のち に続 つづ く「い」は и ではなく й を用 もち いる。例 たと えば愛知 あいち ( あいち ) は Аити ではなく Айти である。
ロシア語 ご 由来 ゆらい の日本語 にほんご 外来 がいらい 語 ご [ 編集 へんしゅう ]
日本語 にほんご
ロシア語 ご
意味 いみ および備考 びこう
アジト
агитпункт
扇動 せんどう 本部 ほんぶ
イクラ
икра
魚 さかな 卵 たまご
インテリ (インテリゲンツィア、インテリゲンチャとも)
интеллигенция
知識 ちしき 層 そう
ウォッカ
водка
蒸留酒 じょうりゅうしゅ
カチューシャ
Катюша
女性 じょせい 名 めい ・エカテリーナの愛称 あいしょう 。※ヘアバンドを意味 いみ するものは日本 にっぽん 独自 どくじ の呼称 こしょう
カンパ
кампания
キャンペーン
グラスノスチ
гласность
情報 じょうほう 公開 こうかい
コミンテルン
Коминтерн
国際 こくさい 共産党 きょうさんとう ・第 だい 三 さん インター。Ком мунистический интерн ационал の略語 りゃくご 。
コルホーズ
колхоз
集団 しゅうだん 農場 のうじょう 。кол лективное хоз яйство の略語 りゃくご 。
コンビナート
комбинат
企業 きぎょう 集団 しゅうだん
サモワール
самовар
ロシア式 しき 湯沸 ゆわ かし器 き
ステップ
степь
草原 そうげん
セイウチ
сивуч
トド
ソビエト (ソヴィエト、ソヴェトとも)
Совет
会議 かいぎ
ソフホーズ
совхоз
ソビエトの農場 のうじょう 。 сов етское хоз яйство の略語 りゃくご
ソユーズ
союз
ソビエト連邦 れんぽう とロシアの宇宙船 うちゅうせん 。本来 ほんらい は同盟 どうめい 、連合 れんごう の意 い
タイガ
тайга
密林 みつりん
チェルノーゼム
чернозём
黒土 こくど :地理 ちり 用語 ようご
ツァーリ (ツァーとも)
царь
皇帝 こうてい ・王 おう
ツンドラ
тундра
(本来 ほんらい はサーミ語 ご からロシア語 ご を経由 けいゆ したもの)
テトリス
тетрис
コンピュータゲーム
トーチカ
точка
点 てん 、地点 ちてん
トロイカ
тройка
3つ組 くみ 、3頭 とう 立 だ ての馬車 ばしゃ
トロツキスト
троцкист
(しばしば軽蔑 けいべつ の意味 いみ をこめて言 い われる)
ノーメンクラトゥーラ
номенклатура
支配 しはい 的 てき 階級 かいきゅう に属 ぞく する人々 ひとびと
ノルマ
норма
生産 せいさん や製造 せいぞう の基準 きじゅん 量 りょう
バラライカ
балалайка
ピロシキ
пирожки
ヴ・ナロード
в народ
人民 じんみん の中 なか へ
ペチカ
печка
暖炉 だんろ 、ストーブ
ペレストロイカ
перестройка
建 た て直 なお し
ポドゾル
подзол
シベリア地方 ちほう に見 み られる酸性 さんせい 土壌 どじょう (地理 ちり 用語 ようご )
ボリシェヴィキ (ボルシェヴィキとも)
большевики
多数 たすう 派 は
メンシェヴィキ (メニシェヴィキとも)
меньшевики
少数 しょうすう 派 は
ロシア語 ご から日本語 にほんご に入 はい った単語 たんご は、18世紀 せいき 以降 いこう の両国 りょうこく 間 あいだ の接触 せっしょく によってロシアの文物 ぶんぶつ が日本 にっぽん に紹介 しょうかい されたものと、1917年 ねん のロシア革命 かくめい とその後 ご のソビエト体制 たいせい の成立 せいりつ によって社会 しゃかい 主義 しゅぎ (共産 きょうさん 主義 しゅぎ )思想 しそう と共 とも に日本 にっぽん に導入 どうにゅう されたものの2種類 しゅるい が多 おお い。前者 ぜんしゃ は日常 にちじょう 生活 せいかつ の中 なか で使用 しよう されている例 れい があるが(イクラなど)、後者 こうしゃ はむしろソ連 それん ・ロシア社会 しゃかい の特定 とくてい の組織 そしき や現象 げんしょう を指 さ す固有名詞 こゆうめいし としてとらえられるものが多 おお い(コルホーズ、ペレストロイカなど)。ただし、後者 こうしゃ にもロシアから離 はな れ、日本 にっぽん 社会 しゃかい の事象 じしょう を説明 せつめい するときに使 つか われる用語 ようご もある(コンビナート、ノルマなど)。文字 もじ в [v] は、古 ふる くから入 はい った外来 がいらい 語 ご の場合 ばあい 「ワ・ウィ・ウ・ウェ・ウォ」と転写 てんしゃ し、比較的 ひかくてき 新 あたら しいものは「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」と転写 てんしゃ する。ただし、女性 じょせい の姓 せい 末尾 まつび の -ва は現在 げんざい でも「ワ」と転写 てんしゃ する慣用 かんよう が残 のこ っている(例 れい :マリア・シャラポワ )。
日本語 にほんご からロシア語 ご への単語 たんご 移入 いにゅう は、日本 にっぽん 文化 ぶんか の文物 ぶんぶつ がロシアで紹介 しょうかい された時 とき に単語 たんご が使 つか われる場合 ばあい が多 おお く、技術 ぎじゅつ 用語 ようご や学術 がくじゅつ 用語 ようご では例 れい が少 すく ない。
^ 公的 こうてき なロシア語 ご 教育 きょういく の起源 きげん は1871年 ねん に外務省 がいむしょう が設置 せっち した「独 どく 魯清語学 ごがく 所 しょ 」で、これは東京 とうきょう 外国 がいこく 語 ご 学校 がっこう に統合 とうごう された。
^ 同年 どうねん のポーツマス条約 じょうやく で日本 にっぽん が南 みなみ 樺太 からふと を領有 りょうゆう 。サハリンをロシアと南北 なんぼく 分割 ぶんかつ する。1910年 ねん の韓国 かんこく 併合 へいごう で日本 にっぽん 領 りょう となった朝鮮 ちょうせん 北東 ほくとう 端 はし の日本海 にほんかい 沿岸 えんがん 部分 ぶぶん が、ロシアの沿海 えんかい 地方 ちほう と豆満江 とうまんこう 河口 かこう 部 ぶ で接 せっ した。
^ 杉山 すぎやま は1916年 ねん を同 どう 大学 だいがく 露 ろ 語 ご 学科 がっか の設置 せっち 年 ねん としている。
^ 戦後 せんご の学制 がくせい 改革 かいかく で大阪外国語大学 おおさかがいこくごだいがく となり、2007年 ねん に大阪大学 おおさかだいがく へ統合 とうごう 。ロシア語 ご 教育 きょういく の部署 ぶしょ は同 どう 大学 だいがく 外国 がいこく 語 ご 学部 がくぶ ロシア語 ご 専攻 せんこう としてその後 ご も残存 ざんそん 。
^ 現在 げんざい の天理大学 てんりだいがく 。2020年 ねん 現在 げんざい ではロシア語 ご やロシア文学 ぶんがく の単独 たんどく 学科 がっか はなく、同 どう 大学 だいがく 国際 こくさい 学部 がくぶ 地域 ちいき 文化 ぶんか 学科 がっか ヨーロッパ・アフリカ研究 けんきゅう コースにロシア語 ご 担当 たんとう の教員 きょういん が在籍 ざいせき 。
^ 一部 いちぶ はソ連 それん とともに日本 にっぽん と戦 たたか ったモンゴル人民 じんみん 共和 きょうわ 国 こく 領内 りょうない の収容 しゅうよう 所 しょ へ送 おく られた。
^ 千島 ちしま 列島 れっとう 南部 なんぶ の国後島 くなしりとう や択捉島 えとろふとう 、北海道 ほっかいどう 東方 とうほう の色丹島 しこたんとう などでは日本 にっぽん 政府 せいふ が領有 りょうゆう 権 けん の残存 ざんそん を主張 しゅちょう している(北方領土 ほっぽうりょうど 問題 もんだい )。
^ 「ゴールデンカムイ」は日 にち 露 ろ 戦争 せんそう 後 ご の北海道 ほっかいどう が主 おも な舞台 ぶたい となる作品 さくひん で、登場 とうじょう 人物 じんぶつ は作品 さくひん 中 ちゅう でサハリンに渡航 とこう し、戦後 せんご に日本 にっぽん 領 りょう となった南 みなみ 樺太 からふと とロシア領 りょう にとどまった北 きた 樺太 からふと の双方 そうほう を訪 おとず れる。詳細 しょうさい は当該 とうがい 項目 こうもく 参照 さんしょう 。
^ ノヴォシビルスク 出身 しゅっしん 、現在 げんざい は日本 にっぽん 在住 ざいじゅう の女性 じょせい 声優 せいゆう 。本名 ほんみょう はイヴギェーニヤ・ダヴィデューク。
^ 但 ただ し同 どう 大学 だいがく が本拠地 ほんきょち を置 お く京都 きょうと 市 し はウクライナの首都 しゅと キーウ と姉妹 しまい 提携 ていけい を結 むす んでおり、京都 きょうと 市 し においても、ロシア・ウクライナ危機 きき を受 う け、ウクライナ国内 こくない の地名 ちめい をロシア語 ご ではなく、ウクライナ語 ご での表記 ひょうき を行 おこな っている。
^ 「ヤカガーマ」古 ふる い時期 じき の表記 ひょうき でハ行 ぎょう 音 おん にхでなくгを使用 しよう している
杉山 すぎやま 秀子 ひでこ 、『日本 にっぽん におけるロシア語 ご 教育 きょういく (戦前 せんぜん )』、駒澤大学 こまざわだいがく 外国 がいこく 語部 かたりべ 論集 ろんしゅう (55)、137-152、2001-09
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