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ケルトじん

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ケルトじん分布ぶんぷ
- 紀元前きげんぜん1500ねんから紀元前きげんぜん1000ねん
- 紀元前きげんぜん400ねん

ケルトじん(ケルトじん、英語えいご: Celt, Kelt [ˈkɛlt], Celt では [ˈsɛlt] とも)は、以前いぜん黒海こっかい沿岸えんがんからうま車輪しゃりんきのもの戦車せんしゃ馬車ばしゃ)をってヨーロッパ渡来とらいしたインド・ヨーロッパ語族ごぞくケルト言語げんごもちいていた民族みんぞくであるとかんがえられていた。ケルトとは古代こだいローマで「未知みちひと」を意味いみし、もともとは民族みんぞくしめ言葉ことばではない。

現在げんざいのケルトという言葉ことばは、言語げんご文化ぶんか区分くぶんしめすためのきん現代げんだいになってからつくられた用語ようごであり、古代こだいから中世ちゅうせいにおいてみぎあらわされている地域ちいき住民じゅうみんが「ケルトじん」として一体いったいてき民族みんぞく意識いしきっていたとはかんがえられていない。そのため歴史れきしがくなどでは、「ケルトじん (Celts) 」という言葉ことば使つかわず、「ケルトけい (Celtic) 」という言葉ことば便宜べんぎてき使つかっている。ケルトじん移動いどうつづ定住ていじゅうせず[1]文化ぶんかてきにも様々さまざまで、そのためキリスト教きりすときょう進出しんしゅつ以前いぜんにヨーロッパにいて、ゲルマンじんのようにはキリスト教きりすときょう帰依きえしなかった民族みんぞく総称そうしょうだという表現ひょうげんをされることもある。井村いむら君江きみえつよいていえば「ケルト語族ごぞく言語げんごはな人々ひとびと」としている[1]

古代こだいローマひとからはガリアじんともばれていたが、「ケルトじん」と「ガリアじん」はかならずしも同義どうぎではなく、ガリア地域ちいき居住きょじゅうしてガリアまたはゴールはなした人々ひとびとのみが「ガリアじん」なのだともかんがえられる。

ひがし現在げんざいポーランドから西にし現在げんざいのアイルランドとうまでとヨーロッパの広範囲こうはんい居住きょじゅうしていた民族みんぞくだが、現在げんざいブリテン諸島しょとうアイルランドスコットランドウェールズコーンウォール、コーンウォールから移住いじゅうしたブルターニュブルトンじんなどに言語げんご現存げんそんしている。

大陸たいりく

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ケルトじんはおそらく青銅器せいどうき時代じだい中部ちゅうぶヨーロッパひろがり、そのから鉄器てっき時代じだい初期しょきにかけて、ハルシュタット文化ぶんか紀元前きげんぜん1200ねん - 紀元前きげんぜん500ねん)を発展はってんさせたとかんがえられてきた。当時とうじ欧州おうしゅう文明ぶんめい中心ちゅうしんであったギリシャエトルリアからの圧倒的あっとうてき影響えいきょうで、ハルシュタット文化ぶんかラ・テーヌ文化ぶんか紀元前きげんぜん500ねん - 紀元前きげんぜん200ねん)に発展はってんする。ちなみに、イギリスの世界せかい遺産いさんであるストーンヘンジはよりふるしん石器せっき時代じだい青銅器せいどうき時代じだい(紀元前きげんぜん3せんねん~2せんねん) の建造けんぞう以前いぜんかんがえられていた。

ケルトの社会しゃかい鋭利えいり鉄製てつせい武器ぶきけ、うまかれた戦車せんしゃった戦士せんし階級かいきゅう支配しはいされ、欧州おうしゅう各地かくち分立ぶんりつした。かれらは南欧なんおう文明ぶんめい社会しゃかいとしきりに交易こうえきおこない、その武力ぶりょくによって傭兵ようへいとしてやとわれることもあり、ギリシャ・ローマの文献ぶんけん記録きろくのこされている。紀元前きげんぜん400ねんごろにはマケドニア金貨きんか影響えいきょうされて、各地かくちでケルト金貨きんか製造せいぞうするようになった。また、ケルトじん一部いちぶバルカン半島ばるかんはんとう進出しんしゅつし、マケドニア、テッサリアなどを征服せいふくギリシャじんかれらをガラティアじんんだ。紀元前きげんぜん3世紀せいきはいると、さらにダーダネルス海峡かいきょう経由けいゆしてしょうアジア侵入しんにゅうし、現在げんざいアンカラ付近ふきん中心ちゅうしんしょうアジア各地かくち席巻せっけんした。

やがて紀元前きげんぜん1世紀せいきごろはいると、各地かくちのケルトじん民族みんぞく支配しはいはいるようになる。ゲルマンじん圧迫あっぱくけたケルトじんは、西にしフランススペイン移動いどうし、紀元前きげんぜん1世紀せいきにはローマのガイウス・ユリウス・カエサルらによって征服せいふくされる。カエサルの『ガリア戦記せんき』はガリア(ゴール)のケルト社会しゃかいかんする貴重きちょう文献ぶんけんである。やがて500ねんにわたってマ帝国まていこく支配しはいけたガリアのケルトじんフランス語ふらんすごではゴールじん)は、支配しはいそうとしてぞくラテン語らてんごはなすようになり、ローマ文化ぶんかしたがい、中世ちゅうせいにはゲルマンけいフランクじん吸収きゅうしゅうされフランスじん変質へんしつしていく。

ブリテン諸島しょとう

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ケルトじんがいつブリテン諸島しょとう渡来とらいしたかははっきりせず、以前いぜん鉄製てつせい武器ぶきをもつケルト戦士せんし集団しゅうだんによって征服せいふくされたとされていたが、遺伝子いでんしなどの研究けんきゅうからしん石器せっき時代じだい先住民せんじゅうみん(ケルト以前いぜん巨石きょせき文化ぶんかにな)が大陸たいりく文化ぶんかてき影響えいきょうによって変質へんしつしたとするせつもある。いずれにしてもマ帝国まていこく征服せいふくされる以前いぜんブリテンとうには戦車せんしゃり、鉄製てつせい武器ぶきをもつ部族ぶぞく社会しゃかい展開てんかいしていたがこれらはケルトじんとはいえない。

西暦せいれき1世紀せいきイングランドウェールズはローマの支配しはいけ、この地方ちほうはローマするが、5世紀せいきゲルマンじんガリア侵入しんにゅうすると、マ帝国まていこくブリタンニア支配しはい放棄ほうきし、ローマ軍団ぐんだん大陸たいりくげた。この間隙かんげきいてアングロ・サクソンじんうみわたってイングランドに侵入しんにゅうし、アングロサクソンの支配しはいしたでローマ文明ぶんめいわすられた。

しかし、おなじブリテンとうでも西部せいぶウェールズはアングロサクソンの征服せいふくおよばず、ケルトの言語げんご残存ざんそんした。スコットランドアイルランドはもともとローマの支配しはいすらけなかった地域ちいきであるとわれていたが、じつは、ローマと直接ちょくせつ交流こうりゅうしていた形跡けいせきつかっている。

ギリシャじんとローマじんは、しまのケルトじんを「たか金髪きんぱつあるいはあかみのかかったかみはだしろい」と表現ひょうげんしていた。しかし、現代げんだい大陸たいりくのケルトじんはどちらかというとひく浅黒あさぐろはだひとおおい。これは大陸たいりくのケルトとしまのケルトがおな文化ぶんか言語げんご共有きょうゆうしているものの生物せいぶつ学的がくてきには同一どういつではないことをしめしている[2]

宗教しゅうきょう

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当初とうしょ宗教しゅうきょう自然しぜん崇拝すうはい多神教たしんきょうであり、ドルイドばれる神官しんかんがそれをつかさどっていた。 初期しょきのドルイドは、祭祀さいしのみでなく、政治せいじ司法しほうなどにもかかわっていた。 ドルイドの予言よげん儀式ぎしきでは人身じんしんきょうおこなわれていることを、おおくの古典こてん古代こだい著述ちょじゅつたちが記述きじゅつしている[3]。ドルイドの教義きょうぎでは現世げんせい来世らいせ連続れんぞくてきであるとされ、ケルトじん輪廻りんね転生てんせい霊魂れいこん不滅ふめつしんじていた[4]。ポンポニウス・メラやユリウス・カエサルは、ケルトじんたたかいにおける勇敢ゆうかんさや人命じんめいへの軽視けいしとケルトじん死生しせいかんむすびつけてかんがえた。また、ドルイドきょうとの関係かんけい不明ふめいだが、未来みらいにおいててんってくることをこわれていることがしるされているひとし一定いってい宗教しゅうきょうてき観念かんねんひろまっていたとみられる[5]

また、アイルランドには人頭じんとう崇拝すうはい風習ふうしゅうがあった。ひと頭部とうぶたましい住処すみかとなる神性しんせいびた部位ぶいであり、独自どくじ存在そんざいるものとかんがえた[6]てき首級しゅきゅう所有しょゆうすることでその人物じんぶつ人格じんかくたましい支配しはいできるとしんじ、戦争せんそうられた首級しゅきゅうもんなどのれがましい場所ばしょかざられたり、神殿しんでんへの供物くもつ家宝かほうとしてあつかわれた。ケルト芸術げいじゅつには人頭じんとうのモチーフがおおくみられ、アイルランドではキリスト教きりすときょう改宗かいしゅう教会きょうかいひじりしょ装飾そうしょくおおくの人頭じんとうがあしらわれている。

ブリテンとうでは、4世紀せいきにはキリスト教きりすときょうづいた。そのヴァイキング侵入しんにゅうノルマン・コンクエスト影響えいきょうで、ケルトじんキリストきょうはしだいに一時いちじ衰退すいたいした。

アイルランドでは、6世紀せいきすえ8世紀せいきはじめにキリスト教化きょうかする方針ほうしんられた。アイルランドでのキリスト教きりすときょうは、9~10世紀せいきヴァイキング侵入しんにゅうによって衰退すいたいした。

文化ぶんか

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鉄器てっき時代じだいのケルトの銀器ぎんき (グンデストルブのだいなべ)

儀式ぎしきおこなうのはドルイドであったかもしれないがよくかっていない。

碑文ひぶんなどのげん表記ひょうきをするさいのちギリシアラテン語らてんご参考さんこうにして、アイルランド独自どくじオガム文字もじまれた。これは4世紀せいきから7世紀せいきごろまで碑文ひぶんひとし表記ひょうきをするさい使用しようされたが、基本きほんてきには文字もじたない文化ぶんかであった。後世こうせいにアイルランドがキリスト教きりすときょうすると、オガム文字もじラテン文字もじってわられた。

アイルランドのそれまでの文化ぶんかはキリストきょう融合ゆうごうした。(各項かくこう参照さんしょう。)

現代げんだいのケルトけいしょ言語げんご

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ケルト分布ぶんぷ変化へんか
  紀元前きげんぜん6世紀せいきごろの、ハルシュタット文明ぶんめいとしてさかえたケルトじんのいた地域ちいき
  紀元前きげんぜん3世紀せいきごろ、ケルトじん最大さいだい分布ぶんぷ
  ケルトじんがいた可能かのうせいがある、イベリア半島はんとうなかルシタニアひとのいた地域ちいき
  近世きんせいにある程度ていどのケルトじんがいたとされる6つのくにからなるケルト国家こっかぐん (en)
  現在げんざいケルトけい言語げんごひろ使つかわれている地域ちいき

ケルト言語げんごはなされるくにはアイルランド、スコットランド、マンとう、ウェールズ、およびブルターニュである(これにコーンウォールくわえることもある)。しかし、その5ヶ国かこく人々ひとびとなかで、まだケルトけい言語げんご使つかって日常にちじょうてき生活せいかつおくひとかずは30%程度ていどえない。

しかし近年きんねん様々さまざまなケルト再生さいせい運動うんどうがそれらの言語げんご衰退すいたいめることを目的もくてきとしておこなわれている。この再生さいせい運動うんどう有効ゆうこうれいとして、ウェールズにおいてウェールズおしえる学校がっこう政府せいふから公金こうきんけ、その学校がっこうすうえてたということがげられる。

現存げんそんするケルト言語げんごとそれぞれの話者わしゃ人口じんこうは、以下いかとおりである。

遺伝子いでんし

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ケルトじん関連かんれんする遺伝子いでんしとしてハプログループR-S116げられる。ハプログループR-S116はイタリックとも関連かんれんしており、イタロ・ケルト仮説かせつ支持しじするものである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 『ワールドミステリーツァー13』(株)かぶしきがいしゃ同朋どうほうしゃ、2000ねん3がつ10日とおか、28ぺーじ 
  2. ^ 図説ずせつケルト」p111 サイモン・ジェームズちょ 東京書籍とうきょうしょせき 2000ねん6がつだいいちさつ発行はっこう
  3. ^ つきがわ 1997, pp. 41–50.
  4. ^ つきがわ 1997, pp. 37–41.
  5. ^ k.mitiko. “ケルトあれこれ”. ピアノ調律ちょうりつのサロン. もりわきピアノクリニック. 2024ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  6. ^ カンリフ 1998, pp. 133–145.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • ベルンハルト マイヤー 平島ひらしま直一郎なおいちろう鶴岡つるおか真弓まゆみ わけ『ケルト事典じてんつくもとしゃ ISBN 4422230042
  • 鶴岡つるおか真弓まゆみ村松むらまつ一男かずお図説ずせつ ケルトの歴史れきし文化ぶんか美術びじゅつ神話しんわをよむ』ふくろうのほん 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ ISBN 4309726143
  • クリスチアーヌ エリュエール 田辺たなべ希久子きくこ松田まつだ廸子、湯川ゆかわ史子ふみこ やく『ケルトじんえるヨーロッパ「まぼろしみん」 「さい発見はっけん双書そうしょ そうもとしゃ ISBN 4422210858
  • フランソワーズ ベック、エレーヌ シュー 遠藤えんどうゆかり、鶴岡つるおか真弓まゆみ やく『ケルト文明ぶんめいマ帝国まていこく』 「さい発見はっけん双書そうしょ そうもとしゃ ISBN 4422211749
  • 中央大学ちゅうおうだいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ へん『ケルト口承こうしょう文化ぶんか水脈すいみゃく中央大学ちゅうおうだいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ研究けんきゅう叢書そうしょ38 ISBN 4-8057-5327-7
  • ジョン ヘイウッド 井村いむら君江きみえ倉嶋くらしま雅人まさと やく 『ケルト歴史れきし地図ちず東京書籍とうきょうしょせき ISBN 4487797381
  • 鶴岡つるおか真弓まゆみ 『ケルト/装飾そうしょくてき思考しこう筑摩書房ちくましょぼう ISBN 4480871349 どう文庫ぶんこばんちくま学芸がくげい文庫ぶんこISBN 4480080945
  • ヴァンセスラス・クルータ 鶴岡つるおか真弓まゆみやく 『ケルトじん白水しろみずしゃ文庫ぶんこクセジュ) ISBN 4560057206
  • T.G.E.パウエル 笹田ささだ公明こうめい やく『ケルトじん世界せかい東京書籍とうきょうしょせき ISBN 4487760895
  • 田中たなか美穂みほ 『「しまのケルト」再考さいこう』(史学しがく雑誌ざっし 111へん10ごう、56~78ぺーじ
  • つきがわ, 和雄かずお ちょ「ドルイドとはだれか」、中沢なかざわ新一しんいち へん『ケルトの宗教しゅうきょう ドルイディズム』岩波書店いわなみしょてん、1997ねんISBN 4000006452 
  • カンリフ, バリー ちょ蔵持くらもち三也みつや わけ図説ずせつ ケルト文化ぶんかはら書房しょぼう、1998ねんISBN 456203145X 

関連かんれん項目こうもく

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