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ガリアじん

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ガリアじん(ガリアじん、ラテン語らてんご: Gallī ガッリー、フランス語ふらんすご:Gaulois ゴロワ)は、ケルトはなすいわゆるケルトじんのうち、ガリア地域ちいき居住きょじゅうしてガリアあるいはゴールはなしたもろ部族ぶぞく人々ひとびとす。

古代こだいローマじんは、ローマがわによる呼称こしょう「ガリアじん」 (Gallī)と「ケルトじん」 (Celtae) をおおむね同義どうぎとしてあつかった。しかし、いわゆるケルトじんなかでも、しょうアジア移住いじゅうしたケルトじんガラティアひと)やブリテンとうしょ部族ぶぞくたいしてガリアじんあきらかに区別くべつすることができる。

歴史れきし

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ガリアしょ部族ぶぞく(ガリアじん)は、なが期間きかんにわたってたがいに反目はんもくい、統一とういつされることはなかった。紀元前きげんぜん390ねんころには共和きょうわせいローマ侵攻しんこう首都しゅとローマ近郊きんこうでのアッリアのたたか完勝かんしょう、ローマ市内しない蹂躙じゅうりんしている。しかし紀元前きげんぜん58ねんヘルウェティイぞく西進せいしん契機けいきとして、ローマの武将ぶしょうガイウス・ユリウス・カエサルがガリアに侵攻しんこうガリア戦争せんそう)。これにたいするしょ部族ぶぞく反応はんのうは、応戦おうせん帰服きふく変転へんてんしたが、紀元前きげんぜん54~52ねんごろアルウェルニぞくウェルキンゲトリクス盟主めいしゅとして一致いっち団結だんけつしてだい反乱はんらんこした。そして一時いちじはカエサルを窮地きゅうちめたが、最終さいしゅうてきにはカエサルにやぶった。

古代こだいローマ支配しはいまれたガリアしょ部族ぶぞくはローマへの同化どうかすすみ(ガロ・ローマ文化ぶんか)、やがてゲルマンじんとも混血こんけつすすんで、フランク王国おうこくフランス形成けいせいしていった。

著名ちょめいなガリアじん人物じんぶつ

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脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • カエサル『ガリア戦記せんき講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ〉、あるいは岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉。
  • 言語げんごがくだい辞典じてんだい1かん三省堂さんせいどう
    ゴールこうは、ガリアとゴールちがい、ケルト諸語しょごとの関係かんけいくわしい。

関連かんれん項目こうもく

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