アイルランド島 とう とグレートブリテン島 とう との間 あいだ がアイリッシュ海 うみ 。赤 あか く印 しるし が付 つ けられているのがマン島 とう 。
マン島 とう 語 ご (マンとうご、Manx 、マン島 とう 語 ご では Gaelg, Gailck [ɡilg, ɡilk] )は、アイリッシュ海 うみ に浮 う かぶマン島 とう で使 つか われていたゲール語 ご である。マンクス語 ご (Manx)、マン島 とう ゲール語 ご (Manx Gaelic)、マニン語 ご あるいはマニン・ゲール語 ご [2] とも呼 よ ばれる。学術 がくじゅつ 的 てき には、アイルランド語 ご やスコットランド・ゲール語 ご とともにケルト語 ご 派 は のゲール語 ご 群 ぐん を形成 けいせい していた。最後 さいご の母語 ぼご 話者 わしゃ であったネッド・マドレル (Ned Maddrell) は1974年 ねん に没 ぼっ したが、学術 がくじゅつ 的 てき な言語 げんご 再生 さいせい 運動 うんどう が大衆 たいしゅう へと広 ひろ がりはじめ、人為 じんい 的 てき な努力 どりょく によって復興 ふっこう した。多 おお くの人 ひと が第 だい 二 に 言語 げんご としてマン島 とう 語 ご を学 まな んだ結果 けっか 、今日 きょう では英語 えいご との併用 へいよう ではあるものの、マン島 とう 語 ご を母語 ぼご とする人々 ひとびと が再 ふたた び現 あらわ れている。
言語 げんご の名称 めいしょう [ 編集 へんしゅう ]
マン島 とう 語 ご での名称 めいしょう [ 編集 へんしゅう ]
マン島 とう 語 ご ではこの言語 げんご は Gaelg ないし Gailck と呼 よ ばれる。この語 かたり は北 きた アイルランドのゲール語 ご から英語 えいご へと借用 しゃくよう された Gaelic という語 かたり を語源 ごげん を同 おな じくしている。姉妹 しまい 語 ご であるアイルランド語 ご およびスコットランド・ゲール語 ご はそれぞれ自分 じぶん の言語 げんご を、Gaeilge (また方言 ほうげん 差 さ により Gaoluinn , Gaedhlag , Gaelge , Gaelic ) および Gàidhlig としている。アイルランド語 ご やスコットランド・ゲール語 ご と同様 どうよう 、マン島 とう 語 ご でも定冠詞 ていかんし を伴 ともな った形 かたち y Ghaelg ないし y Ghailck がしばしば用 もち いられる (アイルランド語 ご では an Ghaeilge , スコットランド・ゲール語 ご では a' Ghàidhlig である)。
これをほか 2 つのゲール語 ご から区別 くべつ するために、Gaelg/Gailck Vannin (マンのゲール語 ご ) や Gaelg/Gailck Vanninagh (マン人 じん のゲール語 ご ) という表現 ひょうげん も用 もち いられる。
加 くわ えて、Çhengey ny Mayrey (母 はは の言葉 ことば ) という愛称 あいしょう もときおり使 つか われる。
英語 えいご での名称 めいしょう [ 編集 へんしゅう ]
マン島 とう 語 ご は英語 えいご ではふつう Manx と呼 よ ばれる。またたとえば 3 つのゴイデル語 ご (ゲール語 ご 、すなわちアイルランド語 ご 、スコットランド・ゲール語 ご 、マン島 とう 語 ご ) のあいだの関係 かんけい を論 ろん じるときや、マン島 とう で話 はな される英語 えいご の方言 ほうげん であるマン島 とう 英語 えいご (Anglo-Manx) との混同 こんどう を避 さ けるために、Manx Gaelic という名 な もよく使 つか われる。英語 えいご ではスコットランド・ゲール語 ご がしばしば単純 たんじゅん に Gaelic と呼 よ ばれるが、マン島 とう 語 ご やアイルランド語 ご をこう呼 よ ぶことはスコットランド・ゲール語 ご ほど一般 いっぱん 的 てき でない。
マン島 とう 英語 えいご のカルク では、標準 ひょうじゅん 英語 えいご でふつう見 み られない the Manx や the Gaelic といった定冠詞 ていかんし の使用 しよう がある。
Manx という語 かたり は歴史 れきし 的 てき 文献 ぶんけん では、とりわけ島 しま の住民 じゅうみん によって書 か かれたものでは、しばしば Manks とつづられている;この語 かたり は「マン人 じん の Mannish 」を意味 いみ し、ノルド語 ご の Mannisk に由来 ゆらい している。島名 しまな の Man はしばしば Mann とつづられる。これにはこの語 かたり が第 だい 1 音節 おんせつ に強 つよ 勢 ぜい のある 2 音節 おんせつ 語 ご “MAN-en” であるという補足 ほそく 説明 せつめい が伴 ともな うことがある。これはケルト神話 しんわ の神 かみ マナナーン・マクリール (Manannán mac Lir) の名 な からきている。
マンクス博物館 はくぶつかん 所蔵 しょぞう の、石 いし に刻 きざ まれたオガム碑文 ひぶん 。原 はら アイルランド語 ご で書 か かれており、DOVAIDONA MAQI DROATA 「ドロアタの息子 むすこ ドヴァイドの」と読 よ める[3] 。
ウィリアム・クリスチャン、別名 べつめい イリアム・ドーン (英語 えいご 版 ばん ) (茶髪 ちゃぱつ のウィリアム)
Cronk ny Arrey Laa (見張 みは りの丘 おか ) にある Lag ny Keeilley (教会 きょうかい のくぼみ);マン島 とう 語 ご はこの島 しま の地名 ちめい の名 な づけに相当 そうとう の影響 えいきょう をもってきた。
マン島 とう 語 ご はアイルランド語 ご およびスコットランド・ゲール語 ご と密接 みっせつ な関係 かんけい にあるゴイデル語 ご (ゲール語 ご ) のひとつである。概 がい してこれらは相互 そうご に理解 りかい 可能 かのう ではないが、話者 わしゃ たちは互 たが いの言語 げんご の受動 じゅどう 的 てき 能力 のうりょく や、さらには会話 かいわ 能力 のうりょく をも得 え ることは容易 ようい である。
知 し られているマン島 とう の最初 さいしょ の言語 げんご は、ブリソン語 ご (ウェールズ語 ご 、コーンウォール語 ご 、ブルトン語 ご に発展 はってん した言語 げんご ) の一 いち 形態 けいたい である。しかし、スコットランド・ゲール語 ご および現代 げんだい アイルランド語 ご と同様 どうよう 、マン島 とう 語 ご は紀元 きげん 4世紀 せいき 以降 いこう にオガム碑文 ひぶん に文 ぶん 証 あか されている原 はら アイルランド語 ご に由来 ゆらい している。こうした文章 ぶんしょう はアイルランド全域 ぜんいき およびブリテン島西 しまにし 海岸 かいがん で発見 はっけん されている。原 はら アイルランド語 ご は5世紀 せいき を通 とお して古 こ アイルランド語 ご へと遷移 せんい した。6世紀 せいき 以来 いらい の古 こ アイルランド語 ご はラテン文字 もじ で書 か かれ、もっぱらラテン語 らてんご 写本 しゃほん の欄外 らんがい 注記 ちゅうき に文 ぶん 証 あか されているが、マン島 とう からは現存 げんそん する例 れい は見 み つかっていない。10世紀 せいき までに古 こ アイルランド語 ご は、アイルランド全域 ぜんいき 、スコットランドおよびマン島 とう で話 はな された中期 ちゅうき アイルランド語 ご に変化 へんか した。スコットランドおよびアイルランドの海岸 かいがん 部 ぶ と同様 どうよう 、マン島 とう にはノース人 じん が入植 にゅうしょく し、若干 じゃっかん の借用 しゃくよう 語 ご や人名 じんめい 、ラクシー (英 えい Laxey, マン島 とう 語 ご Laksaa) やラムジー (英 えい Ramsey, マン島 とう 語 ご Rhumsaa) といった地名 ちめい にその痕跡 こんせき を残 のこ している。
中世 ちゅうせい 後期 こうき のあいだ、マン島 とう はしだいにイングランド の影響 えいきょう 下 か に入 はい り、それ以来 いらい 英語 えいご がマン島 とう 語 ご の発達 はったつ において主要 しゅよう な外部 がいぶ 要因 よういん であった。マン島 とう 語 ご は 13世紀 せいき ころに近世 きんせい アイルランド語 ご (Early Modern Irish) から、また15世紀 せいき ころにスコットランド・ゲール語 ご から分岐 ぶんき を始 はじ めた[4] 。マン島 とう 語 ご は19世紀 せいき のあいだに急速 きゅうそく に衰退 すいたい し、英語 えいご に取 と って代 か わられた。
マン島 とう 語 ご の書籍 しょせき は18世紀 せいき 初頭 しょとう まで印刷 いんさつ されたことがなく、さらに19世紀 せいき までマン島 とう 語 ご =英語 えいご 辞典 じてん は存在 そんざい しなかった。16世紀 せいき に作 つく られた少数 しょうすう の物語 ものがたり 詩 し と若干 じゃっかん の宗教 しゅうきょう 文学 ぶんがく を除 のぞ いて、マン島 とう 語 ご に20世紀 せいき 以前 いぜん の文学 ぶんがく はない。マン島 とう 語 ご は口承 こうしょう で伝 つた えられてきた民間 みんかん 伝承 でんしょう や歴史 れきし などを持 も つ、いかなる意味 いみ でも口頭 こうとう の社会 しゃかい (oral society) であった[5] 。
1848年 ねん に J. G. カミングは「英語 えいご を話 はな さない人 ひと はほとんど(若者 わかもの ではおそらくまったく)いない」と書 か いている。ヘンリー・イェナー (英語 えいご 版 ばん ) は1874年 ねん に、人口 じんこう の約 やく 30%が習慣 しゅうかん 的 てき にマン島 とう 語 ご を話 はな していると推定 すいてい している (41,084人 にん の人口 じんこう のうち12,340人 にん )。公式 こうしき な国勢調査 こくせいちょうさ の数字 すうじ によると、1901年 ねん には人口 じんこう の9.1%がマン島 とう 語 ご を話 はな すと主張 しゅちょう したが、1921年 ねん にはこの割合 わりあい はわずか1.1%になった[6] 。マン島 とう 語 ご の威信 いしん (プレステージ)は低落 ていらく していたので、親 おや たちはマン島 とう 語 ご を英語 えいご に比 くら べて無用 むよう のものと考 かんが え、子 こ どもたちに教 おし えない傾向 けいこう にあった。
19世紀 せいき 中 ちゅう のマン島 とう 語 ご の衰退 すいたい を受 う けて、マン島 とう 語 ご 協会 きょうかい (Yn Cheshaght Ghailckagh ) が1899年 ねん に創設 そうせつ された。20世紀 せいき 半 なか ばまでに老人 ろうじん の母語 ぼご 話者 わしゃ はわずかになっていたが(その最後 さいご の人物 じんぶつ であったネッド・マドレル は1974年 ねん 12月27日 にち に亡 な くなった)、そのときまでに学問 がくもん 的 てき な復興 ふっこう は始 はじ まっており、数 すう 人 にん が学校 がっこう でマン島 とう 語 ご を教 おし えはじめていた。1992年 ねん には「学校 がっこう におけるマン島 とう 語 ご の教育 きょういく および適格 てきかく 性 せい 認定 にんてい のあらゆる側面 そくめん を担当 たんとう する」として、3人 にん の委員 いいん からなりマン島 とう 語 ご 担当 たんとう 役員 やくいん (Manx Language Officer) のブライアン・ストーウェル (英語 えいご 版 ばん ) が長 ちょう を務 つと めるマン島 とう 語 ご 部門 ぶもん (Manx Language Unit) が組織 そしき された[7] 。ここからマン島 とう 語 ご 研究 けんきゅう に関心 かんしん が増大 ぞうだい し、これに伴 ともな う民族 みんぞく 的 てき アイデンティティの感覚 かんかく が促 うなが された。マン島 とう 語 ご の再生 さいせい は研究 けんきゅう 者 しゃ たちによって20世紀 せいき になされた録音 ろくおん 作業 さぎょう に助 たす けられている。もっとも顕著 けんちょ なのは、1948年 ねん にエイモン・デ・ヴァレラ によって録音 ろくおん 機材 きざい を伴 ともな って派遣 はけん されたアイルランド民間 みんかん 伝承 でんしょう 委員 いいん 会 かい (英語 えいご 版 ばん ) である。みずからマン島 とう 語 ご の近年 きんねん の再生 さいせい に責任 せきにん ある立場 たちば にある、言語 げんご 愛好 あいこう 家 か で流暢 りゅうちょう な話者 わしゃ であるブライアン・ストーウェルによって指揮 しき された研究 けんきゅう もある[8] 。
2009年 ねん 、国連 こくれん 教育 きょういく 科学 かがく 文化 ぶんか 機関 きかん (ユネスコ)の世界 せかい 危機 きき 言語 げんご 地図 ちず は、マン島 とう に数 すう 百 ひゃく 人 にん の話者 わしゃ がいるにもかかわらず、マン島 とう 語 ご を消滅 しょうめつ 言語 げんご (extinct language) と宣言 せんげん した[9] 。これ以降 いこう にユネスコはマン島 とう 語 ご の分類 ぶんるい を「深刻 しんこく な危機 きき critically endangered」に変更 へんこう している[8] 。
2011年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ では、80,398人 にん 中 ちゅう の1,823人 にん 、人口 じんこう の2.27%が、マン島 とう 語 ご の知識 ちしき を持 も っていると主張 しゅちょう している[10] 。これは2001年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ から134人 にん の増加 ぞうか である[11] 。話者 わしゃ がもっとも集中 しゅうちゅう しているのはダグラス で、566人 にん が会話 かいわ と読 よ み書 か きの能力 のうりょく があるとした。ピール が第 だい 2位 い で、会話 かいわ と読 よ み書 か きができるとした者 もの は179人 にん であった。その他 た の大 おお きな集中 しゅうちゅう 地域 ちいき はオンカン (146人 にん )およびラムジー (149人 にん )であった。
マン島 とう ではマン島 とう 語 ご の名前 なまえ がふたたび一般 いっぱん 的 てき になってきている。とくに Moirrey / Voirrey (英 えい Mary), Illiam (William), Orry (ノース人 じん のマン王 おう から), Breeshey /Breesha (Bridget), Aalish /Ealish (Alice), Juan (Jack), Ean (John), Joney , Fenella (Fionnuala, アイルランド神話 しんわ のファヌラ ), Pherick (Patrick), Freya (北欧 ほくおう 神話 しんわ のフレイヤ )が人気 にんき である。
年次 ねんじ
マン島 とう 語 ご の話者 わしゃ
マン島 とう の人口 じんこう
総数 そうすう
人口 じんこう に占 し める割合 わりあい
1874
16,200
30%
54,000 (1871)
1901
4,419[12]
8.1%
55,000
1911
2,382[12]
4.8%
52,000
1921
896[12]
1.5%
60,000
1931
529[12]
1%
49,000
1951
275[12]
0.5%
55,000
1974
最後 さいご の母語 ぼご 話者 わしゃ が死亡 しぼう
1991
650[13]
0.9%
71,000
2001
1,500[14]
1.9%
78,000
2011
1,650[15]
1.9%
86,000
2015
1,800[8]
2%
88,000
^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Manx” . Glottolog 2.7 . Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History. http://glottolog.org/resource/languoid/id/manx1243
^ 原 はら 聖 きよし , ed (2012). ケルト諸語 しょご 文化 ぶんか の復興 ふっこう . ことばと社会 しゃかい 別冊 べっさつ 4(多言 たげん 語 ご 社会 しゃかい 研究 けんきゅう ). 三 さん 元 げん 社 しゃ . ISBN 978-4-88303-309-6
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