マンとう

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マンとう
Gaelg
はなされるくに イギリスの旗 イギリス
地域ちいき マンとう
言語げんご系統けいとう
表記ひょうき体系たいけい ラテン文字もじ
公的こうてき地位ちい
公用こうよう マン島の旗 マンとう
言語げんごコード
ISO 639-1 gv
ISO 639-2 glv
ISO 639-3 glv
Glottolog manx1243[1]
消滅しょうめつ危険きけん評価ひょうか
Critically endangered (Moseley 2010)
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アイルランドとうグレートブリテンとうとのあいだアイリッシュうみあかしるしけられているのがマンとう

マンとう(マンとうご、Manx、マンとうでは Gaelg, Gailck [ɡilg, ɡilk])は、アイリッシュうみかぶマンとう使つかわれていたゲールである。マンクス (Manx)、マンとうゲール (Manx Gaelic)、マニンあるいはマニン・ゲール[2]ともばれる。学術がくじゅつてきには、アイルランドスコットランド・ゲールとともにケルトゲールぐん形成けいせいしていた。最後さいご母語ぼご話者わしゃであったネッド・マドレル (Ned Maddrell) は1974ねんぼっしたが、学術がくじゅつてき言語げんご再生さいせい運動うんどう大衆たいしゅうへとひろがりはじめ、人為じんいてき努力どりょくによって復興ふっこうした。おおくのひとだい言語げんごとしてマンとうまなんだ結果けっか今日きょうでは英語えいごとの併用へいようではあるものの、マンとう母語ぼごとする人々ひとびとふたたあらわれている。

言語げんご名称めいしょう[編集へんしゅう]

マンとうでの名称めいしょう[編集へんしゅう]

マンとうではこの言語げんごGaelg ないし Gailckばれる。このかたりきたアイルランドのゲールから英語えいごへと借用しゃくようされた Gaelic というかたり語源ごげんおなじくしている。姉妹しまいであるアイルランドおよびスコットランド・ゲールはそれぞれ自分じぶん言語げんごを、Gaeilge (また方言ほうげんにより Gaoluinn, Gaedhlag, Gaelge, Gaelic) および Gàidhlig としている。アイルランドやスコットランド・ゲール同様どうよう、マンとうでも定冠詞ていかんしともなったかたち y Ghaelg ないし y Ghailck がしばしばもちいられる (アイルランドでは an Ghaeilge, スコットランド・ゲールでは a' Ghàidhlig である)。

これをほか 2 つのゲールから区別くべつするために、Gaelg/Gailck Vannin (マンのゲール) や Gaelg/Gailck Vanninagh (マンじんのゲール) という表現ひょうげんもちいられる。

くわえて、Çhengey ny Mayrey (はは言葉ことば) という愛称あいしょうもときおり使つかわれる。

英語えいごでの名称めいしょう[編集へんしゅう]

マンとう英語えいごではふつう Manxばれる。またたとえば 3 つのゴイデル (ゲール、すなわちアイルランド、スコットランド・ゲール、マンとう) のあいだの関係かんけいろんじるときや、マンとうはなされる英語えいご方言ほうげんであるマンとう英語えいご (Anglo-Manx) との混同こんどうけるために、Manx Gaelic というもよく使つかわれる。英語えいごではスコットランド・ゲールがしばしば単純たんじゅんGaelicばれるが、マンとうやアイルランドをこうぶことはスコットランド・ゲールほど一般いっぱんてきでない。

マンとう英語えいごカルクでは、標準ひょうじゅん英語えいごでふつうられない the Manx や the Gaelic といった定冠詞ていかんし使用しようがある。

Manx というかたり歴史れきしてき文献ぶんけんでは、とりわけしま住民じゅうみんによってかれたものでは、しばしば Manks とつづられている;このかたりは「マンじんMannish」を意味いみし、ノルドMannisk由来ゆらいしている。島名しまなMan はしばしば Mann とつづられる。これにはこのかたりだい 1 音節おんせつつよぜいのある 2 音節おんせつ “MAN-en” であるという補足ほそく説明せつめいともなうことがある。これはケルト神話しんわかみマナナーン・マクリール (Manannán mac Lir) のからきている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

マンクス博物館はくぶつかん所蔵しょぞうの、いしきざまれたオガム碑文ひぶんはらアイルランドかれており、DOVAIDONA MAQI DROATA 「ドロアタの息子むすこドヴァイドの」とめる[3]
ウィリアム・クリスチャン、別名べつめいイリアム・ドーン英語えいごばん (茶髪ちゃぱつのウィリアム)
Cronk ny Arrey Laa (見張みはりのおか) にある Lag ny Keeilley (教会きょうかいのくぼみ);マンとうはこのしま地名ちめいづけに相当そうとう影響えいきょうをもってきた。

マンとうアイルランドおよびスコットランド・ゲール密接みっせつ関係かんけいにあるゴイデル (ゲール) のひとつである。がいしてこれらは相互そうご理解りかい可能かのうではないが、話者わしゃたちはたがいの言語げんご受動じゅどうてき能力のうりょくや、さらには会話かいわ能力のうりょくをもることは容易よういである。

られているマンとう最初さいしょ言語げんごは、ブリソン (ウェールズコーンウォールブルトン発展はってんした言語げんご) のいち形態けいたいである。しかし、スコットランド・ゲールおよび現代げんだいアイルランド同様どうよう、マンとう紀元きげん4世紀せいき以降いこうオガム碑文ひぶんぶんあかされているはらアイルランド由来ゆらいしている。こうした文章ぶんしょうはアイルランド全域ぜんいきおよびブリテン島西しまにし海岸かいがん発見はっけんされている。はらアイルランド5世紀せいきとおしてアイルランドへと遷移せんいした。6世紀せいき以来いらいアイルランドラテン文字もじかれ、もっぱらラテン語らてんご写本しゃほん欄外らんがい注記ちゅうきぶんあかされているが、マンとうからは現存げんそんするれいつかっていない。10世紀せいきまでにアイルランドは、アイルランド全域ぜんいき、スコットランドおよびマンとうはなされた中期ちゅうきアイルランド変化へんかした。スコットランドおよびアイルランドの海岸かいがん同様どうよう、マンとうにはノースじん入植にゅうしょくし、若干じゃっかん借用しゃくよう人名じんめいラクシー (えい Laxey, マンとう Laksaa) やラムジー (えい Ramsey, マンとう Rhumsaa) といった地名ちめいにその痕跡こんせきのこしている。

中世ちゅうせい後期こうきのあいだ、マンとうはしだいにイングランド影響えいきょうはいり、それ以来いらい英語えいごがマンとう発達はったつにおいて主要しゅよう外部がいぶ要因よういんであった。マンとう13世紀せいきころに近世きんせいアイルランド (Early Modern Irish) から、また15世紀せいきころにスコットランド・ゲールから分岐ぶんきはじめた[4]。マンとう19世紀せいきのあいだに急速きゅうそく衰退すいたいし、英語えいごってわられた。

マンとう書籍しょせき18世紀せいき初頭しょとうまで印刷いんさつされたことがなく、さらに19世紀せいきまでマンとう英語えいご辞典じてん存在そんざいしなかった。16世紀せいきつくられた少数しょうすう物語ものがたり若干じゃっかん宗教しゅうきょう文学ぶんがくのぞいて、マンとう20世紀せいき以前いぜん文学ぶんがくはない。マンとう口承こうしょうつたえられてきた民間みんかん伝承でんしょう歴史れきしなどをつ、いかなる意味いみでも口頭こうとう社会しゃかい (oral society) であった[5]

1848ねんに J. G. カミングは「英語えいごはなさないひとはほとんど(若者わかものではおそらくまったく)いない」といている。ヘンリー・イェナー英語えいごばん1874ねんに、人口じんこうやく30%が習慣しゅうかんてきにマンとうはなしていると推定すいていしている (41,084にん人口じんこうのうち12,340にん)。公式こうしき国勢調査こくせいちょうさ数字すうじによると、1901ねんには人口じんこうの9.1%がマンとうはなすと主張しゅちょうしたが、1921ねんにはこの割合わりあいはわずか1.1%になった[6]。マンとう威信いしん(プレステージ)は低落ていらくしていたので、おやたちはマンとう英語えいごくらべて無用むようのものとかんがえ、どもたちにおしえない傾向けいこうにあった。

再生さいせい[編集へんしゅう]

19世紀せいきちゅうのマンとう衰退すいたいけて、マンとう協会きょうかい (Yn Cheshaght Ghailckagh) が1899ねん創設そうせつされた。20世紀せいきなかばまでに老人ろうじん母語ぼご話者わしゃはわずかになっていたが(その最後さいご人物じんぶつであったネッド・マドレルは1974ねん12月27にちくなった)、そのときまでに学問がくもんてき復興ふっこうはじまっており、すうにん学校がっこうでマンとうおしえはじめていた。1992ねんには「学校がっこうにおけるマンとう教育きょういくおよび適格てきかくせい認定にんていのあらゆる側面そくめん担当たんとうする」として、3にん委員いいんからなりマンとう担当たんとう役員やくいん (Manx Language Officer) のブライアン・ストーウェル英語えいごばんちょうつとめるマンとう部門ぶもん (Manx Language Unit) が組織そしきされた[7]。ここからマンとう研究けんきゅう関心かんしん増大ぞうだいし、これにともな民族みんぞくてきアイデンティティの感覚かんかくうながされた。マンとう再生さいせい研究けんきゅうしゃたちによって20世紀せいきになされた録音ろくおん作業さぎょうたすけられている。もっとも顕著けんちょなのは、1948ねんエイモン・デ・ヴァレラによって録音ろくおん機材きざいともなって派遣はけんされたアイルランド民間みんかん伝承でんしょう委員いいんかい英語えいごばんである。みずからマンとう近年きんねん再生さいせい責任せきにんある立場たちばにある、言語げんご愛好あいこう流暢りゅうちょう話者わしゃであるブライアン・ストーウェルによって指揮しきされた研究けんきゅうもある[8]

2009ねん国連こくれん教育きょういく科学かがく文化ぶんか機関きかん(ユネスコ)の世界せかい危機きき言語げんご地図ちずは、マンとうすうひゃくにん話者わしゃがいるにもかかわらず、マンとう消滅しょうめつ言語げんご (extinct language) と宣言せんげんした[9]。これ以降いこうにユネスコはマンとう分類ぶんるいを「深刻しんこく危機きき critically endangered」に変更へんこうしている[8]

2011ねん国勢調査こくせいちょうさでは、80,398にんちゅうの1,823にん人口じんこうの2.27%が、マンとう知識ちしきっていると主張しゅちょうしている[10]。これは2001ねん国勢調査こくせいちょうさから134にん増加ぞうかである[11]話者わしゃがもっとも集中しゅうちゅうしているのはダグラスで、566にん会話かいわきの能力のうりょくがあるとした。ピールだい2で、会話かいわきができるとしたものは179にんであった。そのおおきな集中しゅうちゅう地域ちいきオンカン(146にん)およびラムジー(149にん)であった。

マンとうではマンとう名前なまえがふたたび一般いっぱんてきになってきている。とくに Moirrey / Voirrey (えい Mary), Illiam (William), Orryノースじんのマンおうから), Breeshey/Breesha (Bridget), Aalish/Ealish (Alice), Juan (Jack), Ean (John), Joney, Fenella(Fionnuala, アイルランド神話しんわファヌラ), Pherick (Patrick), Freya北欧ほくおう神話しんわフレイヤ)が人気にんきである。

話者わしゃ人口じんこう[編集へんしゅう]

年次ねんじ マンとう話者わしゃ マンとう人口じんこう
総数そうすう 人口じんこうめる割合わりあい
1874 16,200 30% 54,000 (1871)
1901 4,419[12] 8.1% 55,000
1911 2,382[12] 4.8% 52,000
1921 896[12] 1.5% 60,000
1931 529[12] 1% 49,000
1951 275[12] 0.5% 55,000
1974 最後さいご母語ぼご話者わしゃ死亡しぼう
1991 650[13] 0.9% 71,000
2001 1,500[14] 1.9% 78,000
2011 1,650[15] 1.9% 86,000
2015 1,800[8] 2% 88,000

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Manx”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History. http://glottolog.org/resource/languoid/id/manx1243 
  2. ^ はらきよし, ed (2012). ケルト諸語しょご文化ぶんか復興ふっこう. ことばと社会しゃかい 別冊べっさつ4(多言たげん社会しゃかい研究けんきゅう). さんげんしゃ. ISBN 978-4-88303-309-6 
  3. ^ The Ogham Stones of the Isle of Man”. BabelStone (2011ねん6がつ30にち). 2013ねん11月11にち閲覧えつらん
  4. ^ Broderick 1993, 228
  5. ^ Cumming 1848:315–316 Appendix M
  6. ^ Gunther 1990, 59–60
  7. ^ Ager, Simon. "A Study of Language Death and Revival with a Particular Focus on Manx Gaelic." Master's Dissertation University of Wales, Lampeter, 2009. PDF.
  8. ^ a b c How the Manx language came back from the dead”. theguardian.com (2015ねん4がつ2にち). 2015ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  9. ^ UN declares Manx Gaelic 'extinct'”. bbc.co.uk. 2015ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  10. ^ Isle of Man Census Report 2011 Archived 2012ねん11月8にち, at the Wayback Machine.. Retrieved 2012-10-19.
  11. ^ Manx Gaelic revival 'impressive'. Retrieved 2008-11-30.
  12. ^ a b c d e Censuses of Manx Speakers”. www.isle-of-man.com. 2015ねん10がつ27にち閲覧えつらん
  13. ^ Belchem, John (2000-01-01). A New History of the Isle of Man: The modern period 1830-1999. Liverpool University Press. ISBN 9780853237266. https://books.google.com/books?id=yjHHVG_aiOAC 
  14. ^ 2001 Isle of Man Census: Volume 2”. 2016ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  15. ^ 2011 Isle of Man Census”. 2016ねん2がつ7にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]