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ガリシアしゅう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Galicia
スペイン自治じちしゅう

Bandera de Galicia
はた

Escudo de Galicia
紋章もんしょう

しゅう: Os Pinos
Ubicación de Galicia
州都しゅうと サンティアゴ・デ・コンポステーラ
最大さいだい都市とし ビーゴ
公用こうよう カスティーリャガリシア
行政ぎょうせい単位たんい 自治じちしゅう
 • くに  スペイン
国会こっかい下院かいん
国会こっかい上院じょういん
しゅう議会ぎかい
しゅう首相しゅしょう
23議席ぎせき
19議席ぎせき
75議席ぎせき
アルフォンソ・ルエダ
PPdeG
下位かい区分くぶん 4けん、53コマルカ、314自治体じちたい
けん 4けん
面積めんせき だい7くらい
 • 総計そうけい 29,574 km²(5.8%)
人口じんこう (2013) だい5くらい
 • 総計そうけい 2,765,940 ひと¹
 • 人口じんこう密度みつど 93.44 にん/km²
住民じゅうみん呼称こしょう galego/-a
GDP名目めいもく だい6
 • 総計そうけい 56,670 mill. (2010)
 • いちにんたり 20 726
HDI 0.948 (だい10くらい)
ISO 3166-2 ES-GA
固有こゆう言語げんご ガリシア
自治じちしゅう憲章けんしょう 1981ねん4がつ28にち
祝祭日しゅくさいじつ 7がつ25にち(ガリシア民族みんぞく
公式こうしきサイト
1スペイン全体ぜんたいの6.13%

ガリシアしゅう(ガリシアしゅう、Galicia、あるいはGaliza[注釈ちゅうしゃく 1])は、スペイン自治じちしゅうの1つである。スペイン北西ほくせい位置いちし、みなみポルトガルひがしアストゥリアスしゅうカスティーリャ・イ・レオンしゅうせっし、きた西にしは1490キロメートルの海岸かいがん大西おおにしひろしカンタブリアうみめんする。州都しゅうとサンティアゴ・デ・コンポステーラ自治じちしゅう政府せいふシュンタ・デ・ガリシアXunta de Galicia)。

地理ちり[編集へんしゅう]

ガリシアはおよそ北緯ほくい41から北緯ほくい44あいだ位置いちする。年間ねんかんとおしておだやかな気候きこうで、さい寒月かんげつでも摂氏せっし8以下いかになることはすくない。1ねんつうじてあめり、年間ねんかん降水こうすいりょう豊富ほうふである。しかし、内陸ないりくはいると気候きこう気温きおん降水こうすいりょうちがってくる。また、おお複雑ふくざつ海岸かいがんせんられており、海面かいめん上昇じょうしょう形成けいせいされるリアス式海岸りあすしきかいがん語源ごげんとなったのがこの地域ちいきで、「リアス」とはガリシアあるいはカスティーリャ(スペイン)での(リア)の複数ふくすうがたである。この地形ちけいのために漁業ぎょぎょうさかんであり、とくにポンテベドラけん沿岸えんがんリアス・バイシャスでは養殖ようしょく漁業ぎょぎょうさかんである。また、観光かんこうきゃくにはうつくしい風景ふうけい魅力みりょくとなっている。地層ちそう多様たようであるが、変成岩へんせいがん花崗岩かこうがんおもである。なお、この花崗岩かこうがんサンティアゴ・デ・コンポステーラなどで舗装ほそうざいなどとしてもちいられた。

おもなリア:

リア・デ・ポンテベドラ

スペイン内陸ないりくとはことなり、海洋かいようせい気候きこうのために手付てつかずのみどりもりのこされている。そのもりは、大西洋たいせいようせい気候きこう場所ばしょではオークブナ中心ちゅうしんとする大西洋たいせいようがた森林しんりん地中海ちちゅうかいせい気候きこう場所ばしょではコルクかしコナラ中心ちゅうしんとするもりまつやユーカリなど最近さいきん植林しょくりんされた樹木じゅもくなどのはやしの3種類しゅるいけられる。 しゅう内陸ないりくはなだらかな山地さんち比較的ひかくてき標高ひょうこうたかく、ひがしくほど標高ひょうこうたか北部ほくぶにテーラ・チャ高原こうげんがある。おおきなかわはないが無数むすうちいさなかわ横切よこぎっている。山地さんちけわしくないが、内陸ないりく人口じんこうすくなく、開発かいはつおくれている。

おもかわ

シルがわ

自然しぜんゆたかなガリシアだが、近年きんねん環境かんきょう問題もんだいかかえている。森林しんりん伐採ばっさいすすみ、製紙せいしぎょうのために導入どうにゅうされたユーカリ生態せいたいけいのバランスをくずしている。オオカミやシカなどの動物どうぶつ減少げんしょう傾向けいこうにある。2002ねん11月19にちにはガリシアしゅうちかくの大西おおにし洋上ようじょう一重ひとえせんから構造こうぞうのタンカーであるプレスティージごう沈没ちんぼつして重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ英語えいごばん、ガリシアしゅう沿岸えんがん大量たいりょう重油じゅうゆによって汚染おせんされ、付近ふきん海鳥うみどりなどにおおきな被害ひがいうえ水産すいさんぎょうにも打撃だげきけた[1]

ガリシアの地名ちめい[編集へんしゅう]

ガリシア地方ちほう居住きょじゅう形態けいたいは、一部いちぶ都市とし中心ちゅうしん地域ちいきはずれれば、おおくの集落しゅうらく分散ぶんさんしているため、地名ちめいおおい。一説いっせつによると、スペインの地名ちめい半数はんすうちかくがガリシアのものであるともいわれる。したがって、出身しゅっしんあらわ場合ばあい、コンセージョ(市町村しちょうそん相当そうとう以外いがい教区きょうく(パロキア)をしめすことも普通ふつうであり、また、その教区きょうくない集落しゅうらく(アルデア)にまで言及げんきゅうすることもめずらしくない。

歴史れきし[編集へんしゅう]

鉄器てっき時代じだいいえ発展はってんさせたガルシアのひがしにあるen:Palloza

トリアカステーラにある Eirós Cave からは、ネアンデルタール石器せっきぶつ動物どうぶつ遺骸いがいつかっており、ふるくからひと居住きょじゅうがあったことがわかってる。このうみ沿岸えんがん周辺しゅうへんにはしん石器せっき時代じだいごろ巨石きょせき記念きねんぶつのこされており、巨石きょせき文明ぶんめいがあったことがしめされている[2]

ガリシアの古代こだいローマぞくしゅうガラエキア現在げんざいのスペイン西部せいぶとポルトガル北部ほくぶ)からている[3]。そのガラエキアの起源きげんはギリシアの「カライコイ」(Kallaikói、καλλαικoιいおたヘロドトス記述きじゅつのこす)からており、古代こだいドウロがわ(カスティーリャでドゥエロがわ以北いほくんでいたケルトけい民族みんぞくしていた。この地域ちいきはなされているガリシアぞくラテン語らてんご口語こうごラテン語らてんご)を起源きげんとするロマンス諸語しょごひとつであり、このでのケルトはすでにほろんでいる。キリストきょうは、ローマ時代じだい末期まっき様々さまざまなルートを辿たどってガリシアへ伝来でんらいした。

5世紀せいきから6世紀せいきにかけては、スエビ王国おうこくガリシア王国おうこく)の中心ちゅうしんであったが、584ねん西にしゴートおうレオヴィギルド征服せいふくされた。この時代じだいに、ガリシア北部ほくぶブリトニア(es:Britonia)にブリトンじん移民いみんによる司教しきょうができた。このブリトンじんたちは、アングロ=サクソンじんグレートブリテンとう侵攻しんこうからのがれてやってきた人々ひとびとである。8世紀せいきにイスラム教徒きょうと征服せいふくされたものの、実効じっこう支配しはいおよばないまま739ねんアストゥリアス王国おうこくアルフォンソ1せい(ガリシアではアフォンソ1せいAfonso I)にうばかえされた。以降いこうレオン王国おうこく一部いちぶとなり、カスティーリャ王国おうこくがれた。1065ねんフェルナンド1せい死後しご領土りょうど分割ぶんかつされ、ガリシアは一時いちじてきべつ王国おうこくとなったが、すぐにアルフォンソ6せい統合とうごうされた。

9世紀せいきから、サンティアゴ・デ・コンポステーラサンティアゴせい遺物いぶつ発見はっけんされサンティアゴ信仰しんこうさかんになり、レコンキスタ運動うんどうなかでのキリスト教徒きりすときょうと象徴しょうちょうとなった。中世ちゅうせい以後いご、サンティアゴ・デ・コンポステーラへは巡礼じゅんれいめぐってヨーロッパちゅうからキリスト教徒きりすときょうと巡礼じゅんれいするようになった。人々ひとびと往来おうらいは、この地方ちほうへのロマネスク美術びじゅつ伝播でんぱ吟遊詩人ぎんゆうしじん音楽おんがくつたえられるなど、文化ぶんかてき交流こうりゅうをもたらした。9世紀せいきから10世紀せいきにかけて、沿岸えんがんヴァイキングノルマンじんらしまわり、現在げんざいカトイラ(ポンテベドラけん)には防衛ぼうえいようとうのこる。

13世紀せいきアルフォンソ10せいはカスティーリャ国家こっか言語げんごさだめ、宮廷きゅうてい政治せいじ使用しようさせたが、文学ぶんがく言語げんごとしてはガリシア使用しようした。カスティーリャ優位ゆうい中央ちゅうおう集権しゅうけん体制たいせいすすむにつれ、ガリシア徐々じょじょ衰退すいたいしていった。おおまかに16世紀せいきから18世紀せいきなかばまでの時期じきは、ガリシアのセクロス・エスクーロス(Séculos Escuros、暗黒あんこく時代じだい)とばれ、ガリシア言葉ことばとして使つかわれる伝統でんとう途絶とだえてしまったが、口語こうごとして途絶とだえることはなかった。

1833ねんそれまであった7けん(ラ・コルーニャ、サンティアーゴ、ベタンソスモンドニェード、ルーゴ、オレンセ、トゥイ)が現行げんこうの4けん再編さいへんされ、現在げんざいにいたっている。19世紀せいきにガリシア民族みんぞく主義しゅぎ連邦れんぽう主義しゅぎ勃興ぼっこうする。しかし1846ねん自由じゆう主義しゅぎしゃ将軍しょうぐんミゲル・ソリスがこしたクーデターは、ラモン・マリア・ナルバエス政権せいけんによって弾圧だんあつされた。わってがりをせたのは社会しゃかいてき文化ぶんかてき手段しゅだんとしてのガリシア復興ふっこう運動うんどう(レシュルディメント)であった。作家さっかロサリーア・デ・カストロ、マヌエル・ムルギア、エドゥアルド・ポンダルらがその代表だいひょうしゃである。

20世紀せいき独裁どくさいしゃフランシスコ・フランコはガリシア地方ちほうフェロルの出身しゅっしんであったが、フランコ時代じだいにはガリシアの自治じち廃止はいしされ、おおやけでのガリシア使用しよう禁止きんしされた。1978ねんスペインしん憲法けんぽうによって自治じちしゅう制度せいど導入どうにゅうされ、1980ねん12がつ20日はつかガリシア自治じち憲章けんしょうガリシアばん住民じゅうみん投票とうひょうによって可決かけつ成立せいりつ、ガリシア自治じちしゅう創設そうせつされた。

人口じんこう[編集へんしゅう]

ガリシアしゅう人口じんこう推移すいい 1900-2010
出典しゅってん:INE(スペイン国立こくりつ統計とうけいきょく)1900ねん - 1991ねん[4]、1996ねん - [5]

政治せいじ[編集へんしゅう]

1975ねんフランコ独裁どくさい政治せいじわり、民主みんしゅ(トランシション・エスパニューラ)のなみがガリシアにもおとずれた。しかし、しゅうちがい1977ねんそう選挙せんきょでは、中道右派ちゅうどううは民主みんしゅ中道ちゅうどう連合れんごう (UCD) が勝利しょうりし、自治じちしゅう政府せいふ設立せつりつとガリシア自治じちしゅう憲章けんしょう作成さくせいにあたった。1979ねんそう選挙せんきょでも UCD が圧勝あっしょうした。 1980ねん自治じちしゅう憲章けんしょうあん住民じゅうみん投票とうひょう承認しょうにんされ、1981ねんだい1かいしゅう議会ぎかい選挙せんきょ右派うは国民こくみん同盟どうめい(AP、後期こうきフランコ政権せいけん閣僚かくりょうおお所属しょぞくしていた)が勝利しょうりした。だい2とうはUCDであった。[6]。その自治じちしゅう議会ぎかいにより、「言語げんご正常せいじょうほう」「ガリシアのはた」「ガリシアの」などが制定せいていされた。自治じちしゅうは、いくつかの分野ぶんや自由じゆう裁量さいりょうみとめられている。

ガリシアは伝統でんとうてき独立どくりつ自営じえい農民のうみんおおく、保守ほしゅてき土地とちがらである。そのため独自どくじ言語げんごガリシア)をった地域ちいきだが、バスクカタルーニャのように保守ほしゅてき民族みんぞく主義しゅぎ政党せいとうそだたず、もっぱら民族みんぞく主義しゅぎ政党せいとう左派さは中心ちゅうしんで、結果けっかてき民族みんぞく主義しゅぎ政党せいとうちからりょうしゅうくらつよくなく、保守ほしゅてき国民党こくみんとう地盤じばんとなっている。1990ねんから15ねんにわたって、フランコ政権せいけん末期まっき閣僚かくりょうで、国民こくみん同盟どうめい(のちの国民党こくみんとう)を創設そうせつしたマヌエル・フラガ・イリバルネしゅう首相しゅしょうつとめた。

しかし、2005ねんしゅう選挙せんきょではしゅう議会ぎかい議席ぎせきすう75のうち国民党こくみんとう地域ちいき政党せいとうであるガリシア国民党こくみんとう(PPdeG)が37、社会労働党しゃかいろうどうとう(PSOE)の地域ちいき政党せいとうであるガリシア社会しゃかい主義しゅぎしゃとう(PSdeG)が25、民族みんぞく主義しゅぎ政党せいとう連合れんごうであるガリシア民族みんぞく主義しゅぎブロック(BNG)が13議席ぎせき獲得かくとくし、国民党こくみんとう過半数かはんすう獲得かくとくできず、ガリシア社会党しゃかいとう社会労働党しゃかいろうどうとう)とガリシア民族みんぞく主義しゅぎブロックの連立れんりつ政権せいけん誕生たんじょうしゅう首相しゅしょうにはガリシア社会党しゃかいとうからエミリオ・ペレス・トウリーニョ(Emilio Pérez Touriño)が、ふく首相しゅしょうにはガリシア民族みんぞく主義しゅぎブロックからアンショ・キンターナ(Anxo Quintana)が選出せんしゅつされた。2009ねん3がつ1にちしゅう選挙せんきょではガリシア国民党こくみんとう過半数かはんすうの38議席ぎせき獲得かくとく、PSdeGとBNGはそれぞれ25議席ぎせき、12議席ぎせきにとどまり、与党よとう国民党こくみんとうわたすこととなった。ガリシア国民党こくみんとう党首とうしゅアルベルテ・ヌーニェス・フェイホー(Alberte Núñez Feijóo)がしゅう首相しゅしょう選出せんしゅつされた。

政党せいとう[編集へんしゅう]

もと首相しゅしょう国民党こくみんとう党首とうしゅであるマリアーノ・ラホイ・ブレイはガリシア出身しゅっしんである。

選挙せんきょ結果けっか[編集へんしゅう]

選挙せんきょ PPdeG PSdeG-PSOE AGE
EU-Anova
BNG 備考びこう
得票とくひょう 議席ぎせき 得票とくひょう 議席ぎせき 得票とくひょう 議席ぎせき 得票とくひょう 議席ぎせき
1981ねん 301,039 30.52 26 193,456 19.62 16 だい2とうUCDで、得票とくひょう274,191ひょう割合わりあい27.80%、24議席ぎせきだい4勢力せいりょくBNPG-PSGは3議席ぎせき獲得かくとく、これらがのちにBNGの母体ぼたいとなった。
1985ねん 516,218 41.17 34 361,946 28.86 22 53,972 4.23 1 だい3とうはCG[7] で11議席ぎせきだい4とうはPSG-EG[8] で3議席ぎせき獲得かくとく
1989ねん 583,579 44.20 38 433,256 32.81 28 105,703 8.01 5 だい4とうはPSG-EG、だい5とうはCGで、それぞれ2議席ぎせき獲得かくとく
1993ねん 763,839 52.62 43 346,831 23.89 19 269,233 18.55 13
1997ねん 832,751 52.88 42 310,508 19.72 15 395,435 25.11 18 BNGがはじめてだい2とうになった。
2001ねん 791,885 52.51 41 334,819 22.20 17 346,423 22.97 17
2005ねん 756,562 45.81 37 555,603 33.64 25 311,954 18.89 13 PSdeG、BNGの連立れんりつ政権せいけん誕生たんじょう
2009ねん 789,427 47.47 38 524,488 31.54 25 270,712 16.28 12 PPdeGが政権せいけん復帰ふっき
2012ねん 653,934 45.72 41 293,671 20.53 18 200,101 13.99 9 145,389 10.16 7 選挙せんきょ直前ちょくぜん結成けっせいされたAGE躍進やくしんだい3とうになった。PSdeG-PSOEBNG議席ぎせきらした。
出典しゅってん:1981ねん-2009ねんはArgos(Subdirección de Análisis y Políticas Públicas de la Presidencia de la Generalitat)[9]。2012ねんはXunta de Galicia[10]

歴代れきだいしゅう首相しゅしょう[編集へんしゅう]

だい 氏名しめい 期間きかん 政党せいとう 備考びこう
1 アントーニオ・ロソン・ペレス 1977ねん - 1979ねん UCD 自治じちしゅう創設そうせつぜんガリシアしゅう首相しゅしょう
2 ショセ・キローガ・スアーレス 1979ねん - 1981ねん UCD 自治じちしゅう創設そうせつぜんガリシアしゅう首相しゅしょう
3 シェラルド・フェルナンデス・アルボル 1982ねん1がつ22にち - 1987ねん9がつ26にち AP 初代しょだいガリシア自治じちしゅう首相しゅしょう
4 フェルナンド・ゴンサーレス・ラシェ 1987ねん9がつ26にち - 1990ねん2がつ05にち PSOE だい2だいガリシア自治じちしゅう首相しゅしょう
5 マヌエル・フラガ・イリバルネ 1990ねん2がつ05にち - 2005ねん8がつ02にち PP だい3だいガリシア自治じちしゅう首相しゅしょう
6 エミリオ・ペレス・トウリーニョ 2005ねん8がつ02にち - 2009ねん4がつ16にち PSOE だい4だいガリシア自治じちしゅう首相しゅしょう
7 アルベルト・ヌーニェス・フェイホー 2009ねん4がつ16にち - PP だい5だいガリシア自治じちしゅう首相しゅしょう

ガリシアじん帰属きぞく意識いしきとナショナリズム[編集へんしゅう]

「Espanha」とかれた看板かんばんに「não é Galiza」と落書らくがきされている。2つをつづけてむと「Espanha não é Galiza」(『ガリシアはスペインではない!』)になる。
分離ぶんり主義しゅぎしゃ主張しゅちょうするイベリア半島はんとう民族みんぞく分布ぶんぷ。このろん場合ばあいスペインじんしょ民族みんぞくだい部分ぶぶん統合とうごうする概念がいねんとなる。

けん都市とし[編集へんしゅう]

サンティアゴ・デ・コンポステーラのだい聖堂せいどう

歴史れきしてきにはガリシアには7つのけん(ベタンソス、ラ・コルーニャ、ルーゴ、モンドニェード、オウレンセ、サンティアゴ、トゥイ)がかれていたが、現在げんざいは4つのけんによって構成こうせいされ、53のコマルカ自治じちしゅう自治体じちたい中間ちゅうかん単位たんい)、314の自治体じちたい、3778の教区きょうくけられる。(2010ねん1がつ1にち現在げんざい 出典しゅってん:IGE(ガリシア統計とうけいきょく

けん けん 面積めんせき
(km2)
人口じんこう
ひと
人口じんこう密度みつど
ひと/km2
自治体じちたいすう
ア・コルーニャけん ア・コルーニャ 7,950.4 1,146,458 144.2 93
ルーゴけん ルーゴ 9,856.1 353,504 35.9 67
オウレンセけん オウレンセ 7,273.4 335,219 46.1 92
ポンテベドラけん ポンテベドラ 4,494.5 962,472 214.1 62
けい 29,574.4 2,797,653 94.6 314

おも自治体じちたい (2010ねん[編集へんしゅう]

ガリシアしゅう首都しゅとは、サンティアゴ・デ・コンポステーラかれている。人口じんこう上位じょうい自治体じちたいつぎのとおり。港湾こうわん都市としビーゴ最大さいだいである。

順位じゅんい 自治体じちたい けん 人口じんこう
1 ビーゴ ポンテベドラけん 299,088
2 ア・コルーニャ ア・コルーニャけん 246,047
3 オウレンセ オウレンセけん 108,673
4 ルーゴ ルーゴけん 97,635
5 サンティアゴ・デ・コンポステーラ ア・コルーニャけん 94,824
6 ポンテベドラ ポンテベドラけん 81,891
7 フェロル ア・コルーニャけん 73,638
8 ナロン ア・コルーニャけん 38,285
9 ビラガルシーア・デ・アロウサ ポンテベドラけん 37.926
10 オレイロス ア・コルーニャけん 33,550

以下いか人口じんこう規模きぼ11から20までもア・コルーニャけん自治体じちたいが6、ポンテベドラけん自治体じちたいが4で、沿岸えんがん内陸ないりくでの人口じんこう格差かくさが、年々ねんねん拡大かくだいしている。また、上位じょうい7までを7都市とし (sete cidades) とぶ。

首都しゅとサンティアゴ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ空港くうこう)、ビーゴ(ビーゴ空港くうこう)、ア・コルーニャ(ア・コルーニャ空港くうこう)には空港くうこうがあり、スペインの主要しゅよう都市としのほか近隣きんりん諸国しょこくからの発着はっちゃく便びんもある。また、2012ねんにはア・コルーニャ=オウレンセあいだ高速こうそく鉄道てつどうAVE開通かいつうした。

経済けいざい産業さんぎょう[編集へんしゅう]

金融きんゆう[編集へんしゅう]

  • ノバ・カイシャ・ガリシアNova Caixa Galicia) - 2010ねん11月29にちカイシャ・ガリシア(Caixa Galicia)とカイシャノバ(Caixanova)の合併がっぺいによって誕生たんじょう現在げんざい、スペイン全体ぜんたい貯蓄ちょちく銀行ぎんこう(Caja)の再編さいへんがおこなわれており、ガリシアしゅうでは北部ほくぶ地盤じばんのカイシャ・ガリシアと南部なんぶつよいカイシャノバの合併がっぺい議論ぎろんされてきた。ア・コルーニャとビーゴを中心ちゅうしんとする南北なんぼく歴史れきしてき対抗たいこう意識いしきとうで、一時いちじはかなり難航なんこうし、地域ちいき貯蓄ちょちく銀行ぎんこうとの合併がっぺい模索もさくされたが、現在げんざい経済けいざい状況じょうきょうや、またしゅう政府せいふ、スペイン銀行ぎんこうなどによる合併がっぺい推進すいしんさくによって、最終さいしゅうてきにガリシアしゅう地盤じばんとする金融きんゆう機関きかんとして統合とうごうされることになり、ノバ・カイシャ・ガリシアが誕生たんじょうした。現在げんざい金融きんゆう再編さいへん政策せいさくによって、2011ねん9がつ1にちには一般いっぱん銀行ぎんこう転換てんかんすることが決定けっていしんくだりめいはNCG銀行ぎんこうNCG Banco[11]
  • ガリシア銀行ぎんこうBanco Gallego
  • パストール銀行ぎんこうBanco Pastor) - スペインで2番目ばんめふる銀行ぎんこう
  • エチェベリーア銀行ぎんこうBanco Etcheverría) - スペインでもっとふる銀行ぎんこう

漁業ぎょぎょう食品しょくひん[編集へんしゅう]

ファッション[編集へんしゅう]

重工業じゅうこうぎょう[編集へんしゅう]

スペインの代表だいひょうてき電力でんりょく会社かいしゃウニオン・フェノーサUnion Fenosa)の前身ぜんしん会社かいしゃのひとつ、フェノーサ(FENOSA、Fuerzas Eléctricas del Noroeste S.A)はア・コルーニャで設立せつりつされた。

言語げんご[編集へんしゅう]

ガリシアしゅうではおもガリシアじんガリシアはなされており、カスティーリャスペイン)とともに公用こうようとなっている。初等しょとう教育きょういくではガリシアとカスティーリャ両方りょうほうおしえられるほか、ガリシア高等こうとう教育きょういくけることも可能かのうである。

ガリシアはカスティーリャポルトガルイタリアフランス語ふらんすごなどと同様どうようぞくラテン語らてんごから変化へんかしたロマンスのひとつである。とくにポルトガルとはちか関係かんけいにあり、中世ちゅうせい以降いこうにポルトガルが独立どくりつして地域ちいき政治せいじてきかれる以前いぜんひとつの言語げんご共同きょうどうたいガリシア・ポルトガル)を形成けいせいしていた。ポルトガル独立どくりつ以降いこう、ガリシアとポルトガル別々べつべつみちあゆみ、おも発音はつおん語彙ごいめんでの相違そういしょうじたため、現在げんざいことなる2言語げんごであるとされている。とく政治せいじてきかれる以前いぜん言語げんごてき一体いったいせいゆうしていたドウロがわ以北いほくのポルトガルとは音韻おんいんてきにも共通きょうつうてんおおく、この地域ちいきのポルトガル話者わしゃとガリシア話者わしゃ意思いし疎通そつうとく問題もんだいないといわれる。

民主みんしゅ教育きょういくにより、ほぼ現在げんざいすべての住民じゅうみんがガリシア理解りかいできるといわれるが、日常にちじょうてきにガリシア使用しようしている話者わしゃ人口じんこう減少げんしょうつづけているのが現状げんじょうである。とくに、沿岸えんがん地域ちいきのア・コルーニャ、フェロル、ポンテベドラ、ビーゴなどの都市とし市街地しがいちでは、ほとんどかれない。ぎゃくに、内陸ないりくのサンティアゴ、ルーゴ、オウレンセでは日常にちじょうてきかれる。2010ねん日常にちじょうてきにガリシアのみを使用しようする、あるいはおもにガリシア使用しようする人口じんこうが50%をったことが報告ほうこくされた。

教育きょういく[編集へんしゅう]

現在げんざいサンティアゴ・デ・コンポステーラ、ア・コルーニャ、ビーゴには大学だいがくがあり、およそ10まんにん学生がくせいまなんでいる。教育きょういくはガリシアおよびカスティーリャおこなわれている。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学だいがく (Universidade de Santiago de Compostela)
1990ねんにア・コルーニャとビーゴに大学だいがくができるまでは唯一ゆいいつ大学だいがくで、ガリシアでもっと歴史れきしのある大学だいがく。キャンパスはサンティアゴ市内しないきゅう市街しがいはさんでみなみきたの2かしょと、ルーゴにもある。
ア・コルーニャ大学だいがく (Universidade da Coruña)
1990ねん創立そうりつ。キャンパスは市内しないすうしょと、フェロルにある。
ビーゴ大学だいがく (Universidade de Vigo)
1990ねん創立そうりつ。キャンパスは、市内しないに2かしょ港湾こうわん地区ちく郊外こうがい大学だいがく都市とし、そしてポンテベドラとオウレンセにある。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

しょく文化ぶんか[編集へんしゅう]

ワイン[編集へんしゅう]

ガリシア地方ちほうワイン原産地げんさんち

そののアルコールほか[編集へんしゅう]

  • アウガルデンテ(蒸留酒じょうりゅうしゅ
  • ケイマーダ
  • ビール - エストレージャ・ガリシア、ガラエキア
  • ガリ・コーラ(Gali-cola) - 清涼飲料水せいりょういんりょうすい

料理りょうり[編集へんしゅう]

魚介ぎょかいるい使つかった料理りょうり有名ゆうめい

  • タコのガリシアふう
  • パドロンのトウガラシ(Pementos de Padrón)
  • ガリシアふうスープ(Caldo galego)
  • エンパナーダEmpanada)- パン生地ぱんきじなかにタラやツナ、にく野菜やさいなどのをつめていたもの。一口ひとくちだいから菓子かしパンぐらいのサイズのものはエンパナディージャとばれる。
  • ソルサ(Zorza)
  • ショウバ(Xouba)
  • ラコン(Lacón)
  • チーズ(Queixo)

デザート[編集へんしゅう]

文学ぶんがく[編集へんしゅう]

音楽おんがく[編集へんしゅう]

祝祭日しゅくさいじつ[編集へんしゅう]

  • ガリシア文学ぶんがく(Día das Letras Galegas)- 5月17にち、1963ねんロサリア・デ・カストロの代表だいひょうさく『ガリシアのうた出版しゅっぱん100周年しゅうねん記念きねんして制定せいていされた。
  • ガリシア民族みんぞく(Día da Patria Galega)- 7がつ25にち前夜ぜんやの24にちには首都しゅとサンティアゴ・デ・コンポステーラではだい花火はなび大会たいかいもよおされる。
  • エントロイドEntroido)- いわゆるカーニバルのこと。オウレンセけん地域ちいきさかん。とくベリンシンソ・デ・リミアラサ有名ゆうめい
  • せい週間しゅうかん -ガリシアではあまり盛大せいだいではないが、そのなかではフェロルビベイロのものが有名ゆうめい
  • サン・ショアン - なつ到来とうらいいわ火祭ひまつり。このおおくのまちでショウバの塩焼しおやきがふるまわれ、広場ひろばなどではたきぎやされ、そのすとやくとすことができるとされる。ア・コルーニャ有名ゆうめい

また、地域ちいきごと、まちごとに守護しゅご聖人せいじん祝日しゅくじつがある。またはるから、あきにかけてはおおくの地域ちいきでその地域ちいき特産とくさんにちなんだまつりがおこなわれる。

伝統でんとう文化ぶんか[編集へんしゅう]

  • アパルパドールApalpador)- クリスマスシーズンに子供こどもたちにプレゼントをあたえるとされる、ガリシアでのサンタクロースに相当そうとうするような人物じんぶつぞう。アパルパドールはもともとは、ガリシアの一部いちぶ地域ちいき、コウレル地方ちほうなどでの伝統でんとうであった。ガリシア地方ちほうも、カトリックの伝統でんとうで、子供こどもたちへのプレゼントは、いわゆるクリスマスのサンタクロースではなく、1がつ6にち東方とうほうさん博士はかせ(Reis Magos)の故事こじにならっていたが、近年きんねんのグローバリゼーションの影響えいきょうで、クリスマスのサンタクロースの存在そんざいがますますおおきくなってきている。このうごきにたいして、自分じぶんたちの固有こゆう文化ぶんか見直みなおそうとする運動うんどうき、そのひとつとして、近年きんねんアパルパドールをげることがおおくなっている。

スポーツ[編集へんしゅう]

しゅう同様どうよう、ガリシアでもっとさかんなスポーツはサッカーである。 おもなクラブはア・コルーニャのデポルティーボ・ラ・コルーニャとビーゴのセルタ・デ・ビーゴ。セルタは現在げんざいリーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビション(1ぞくしている。

にはセグンダ・ディビションBグループIにセルタB(セルタの2ぐん)、SDコンポステーラ、デポルティーボB(デポルティーボの2ぐん)、CDルーゴポンテベドラCFラシン・デ・フェロル

また、近年きんねんはバスケットボールも人気にんきのあるスポーツとなっている。代表だいひょうてきなチームはオブラドイロ(Obradoiro)とルーゴのCBブレオガンである。

自転車じてんしゃレースチーム(UCIプロコンチネンタルチーム)のシャコベオ・ガリシアは、ガリシア自治体じちたいがスポンサーとなっている。

通信つうしんとメディア[編集へんしゅう]

新聞しんぶん[編集へんしゅう]

地方ちほう同様どうよう地方ちほう発行はっこうさかんである。ガリシアの代表だいひょうてき新聞しんぶんはラ・ボス・デ・ガリシア (La Voz de Galicia) で、現在げんざいおおくの地域ちいきばん発行はっこうし、ガリシア地方ちほうもっとおおくの読者どくしゃ獲得かくとくしている。ほかにもエル・コレオ・ガジェーゴ(El Correo Gallego、サンティアゴ)、ファロ・デ・ビーゴ(Faro de Vigo、ビーゴ)、アトランティコ・ディアリオ(Atlántico Diario、ビーゴ)、ラ・レヒオン(La Región、オウレンセ)、エル・プログレソ(ルーゴ)などの地域ちいき多数たすう存在そんざいする。現在げんざい、エル・コレオ・ガジェーゴ全国ぜんこくエル・ムンド提携ていけいし、共同きょうどう販売はんばいおこなっている。2008ねん12月9にちぜんガリシア地方ちほう対象たいしょうとしたあたらしい日刊にっかんショルナル・デ・ガリシア (Xornal de Galicia) が創刊そうかんされた。これらの新聞しんぶん基本きほんてきにカスティーリャであるが、一部いちぶ記事きじはガリシアかれている。 また、1994ねん1がつ6にちにエル・コレオ・ガジェーゴから唯一ゆいいつのガリシア日刊にっかんオ・コレオ・ガレーゴ(エル・コレオ・ガジェーゴとは内容ないようはかなりことなっていた)が発刊はっかんされた。オ・コレオ・ガレーゴは2003ねん5がつ17にちめいをガリシア・オッシェ(Galicia Hoxe、サンティアゴ)に変更へんこう唯一ゆいいつのガリシア日刊にっかんとして発行はっこうされていたが、2011ねん5がつ28にちごう最後さいご休刊きゅうかんされた。同紙どうしによると現在げんざい経済けいざいきょうしゅう政府せいふはんガリシアてき言語げんご政策せいさく影響えいきょうけてのことだという[12]。 フリーペーパーの発行はっこう近年きんねんさかんで、ガリシアによるもの(デ・ルンス・ア・ベンレス De luns a venres)もある。 また、全国ぜんこくエル・パイスエル・ムンドなどがまちのスタンドでうことができる。エル・パイスはガリシア地方ちほうばん発行はっこうしている。 週刊しゅうかんのものとしてはア・ノサ・テーラがある。

テレビ[編集へんしゅう]

地方ちほう同様どうよう全国ぜんこく放送ほうそうとして国営こくえいTVEが1、2チャンネル、民間みんかん放送ほうそうとしてAntena 3Tele5、また近年きんねん開局かいきょくしたCuatroLa sextaることができる。その公営こうえいTVとしてTVG(ガリシア・テレビ)がガリシア放送ほうそうおこなっている。 また近年きんねん傾向けいこうとして、地域ちいき放送ほうそうがあり、エル・コレオ・ガジェーゴ系列けいれつのコレオTVなどがある。 2010ねん1がつから3がつにかけてアナログ放送ほうそう終了しゅうりょう順次じゅんじ地上波ちじょうはデジタル放送ほうそうわっている。このデジタル先駆さきがけて2009ねんガリシア・テレビのだい2チャンネルTVG2(デジタル放送ほうそうのみ)の放送ほうそう開始かいしされた。2010ねん5がつまつにガリシアしゅう全域ぜんいき対象たいしょうとした、はつ民間みんかんテレビ局てれびきょくV Televisión(ウベ・テレビション)が放送ほうそう開始かいしした。V Televisiónはラ・ボス・デ・ガリシア系列けいれつで、これでどう新聞しんぶんはラジオ、テレビをつマスコミグループとなった。

ラジオ[編集へんしゅう]

ガリシア地方ちほうのラジオとしては公営こうえいのガリシア・ラジオ (Radio Galega) のほかに、民間みんかん放送ほうそうでラ・ボス・デ・ガリシア系列けいれつしゅうない放送ほうそうエリアとしているラジオ・ボス (RadioVoz) や、ラジオ・オブラドイロなど多数たすうのローカルラジオきょくがある。

出版しゅっぱん[編集へんしゅう]

ガリシアでの出版しゅっぱん文化ぶんか中心ちゅうしんはビーゴで、多数たすう出版しゅっぱんしゃがある。ガリシアによる代表だいひょうてき出版しゅっぱんしゃは、エディトリアル・ガラクシア (Editorial Galaxia) とエディションス・シェライス・デ・ガリシア (Edicións Xerais de Galicia) でともにビーゴにあり、辞書じしょ教科書きょうかしょ各種かくしゅ参考さんこうしょ専門せんもんしょ、ガリシア文学ぶんがく外国がいこく古今ここん文学ぶんがく作品さくひん翻訳ほんやくなど、おおくの分野ぶんやにわたり出版しゅっぱんがなされている。2007ねんべつ出版しゅっぱんしゃから日本にっぽん作品さくひんはじめて翻訳ほんやくされ、それにつづき2008ねん7がつにも2作品さくひん出版しゅっぱんされた。 ガリシア雑誌ざっし出版しゅっぱん近年きんねんえている。

観光かんこう世界せかい遺産いさん[編集へんしゅう]

港町みなとちょうビーゴ
ルーゴのかべ
リベイラ・サクラ

サンティアゴ・デ・コンポステーラは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼じゅんれい終点しゅうてんである。せいヤコブ遺体いたいがあるとされ、ローマエルサレムカトリック聖地せいちとなっている。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼じゅんれい日本にっぽん世界せかい遺産いさん熊野くまの古道ふるみち姉妹しまい提携ていけいしている。そのほかに観光かんこうには、港町みなとちょうビーゴやア・コルーニャがある。

ガリシアしゅうでユネスコの世界せかい遺産いさん登録とうろくされている物件ぶっけんには、巡礼じゅんれい(1993ねん)のほかに「サンティアゴ・デ・コンポステーラきゅう市街しがい(1985ねん)」と「ルーゴのローマ城壁じょうへき」(2000ねん)と、2009ねんに、唯一ゆいいつ現存げんそんする古代こだいローマ時代じだい灯台とうだいとしてア・コルーニャのヘラクレスのとう世界せかい遺産いさん登録とうろくされた。

その観光かんこう[編集へんしゅう]

ガリシア出身しゅっしん著名ちょめいじん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ レアル・アカデミア・ガレーガによるガリシア正式せいしき規範きはんではGalicia(ガリシア)であるが、2003ねん正書法せいしょほう改定かいていにより、Galiza(ガリサ)の使用しようみとめられることとなった。Galizaはポルトガルとのさい統合とうごう目指めざさい統合とうごうスペインばんさだめる正書法せいしょほうによる形式けいしきで、ポルトガル同一どういつ形式けいしきで、ナショナリスト、分離ぶんり主義しゅぎしゃ左翼さよく活動かつどうなどがおも使用しようしている。Galiciaの形式けいしきはそれ以外いがい多数たすうによって使つかわれる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Archie Smith 『プレスティージごう事故じこんだ課題かだい対応たいおう現状げんじょう』 (2004ねん
  2. ^ Antonio de la Peña Santos, Los orígenes del asentamiento humano Archived 24 May 2013 at the Wayback Machine., (chapters 1 and 2 of the book Historia de Pontevedra A Coruña:Editorial Vía Láctea, 1996. p. 23.
  3. ^ 桑原くわばら真夫まさお「ガリシアという異郷いきょう」/ 坂東ばんどうしょう桑原くわばら真夫まさお湯浅ゆあさ武和たけかず編著へんちょ『スペインのガリシアをるための50しょう明石書店あかししょてん 2012ねん 19ページ
  4. ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
  5. ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
  6. ^ 大木おおき雅志まさし「スペイン憲法けんぽう公布こうふのガリシアとガリシア自治じちしゅう憲章けんしょう」/ 坂東ばんどうしょう桑原くわばら真夫まさお湯浅ゆあさ武和たけかず編著へんちょ『スペインのガリシアをるための50しょう明石書店あかししょてん 2012ねん 232ページ
  7. ^ CGはCoalición Galega(ガリシア同盟どうめい
  8. ^ Partido Socialista Galego-Esquerda Galega(ガリシア社会党しゃかいとう=ガリシア左翼さよく
  9. ^ Resultados de las elecciones al Parlamento de Galicia en el Archivo Histórico Electoral del Área de Análisis, Estudios y Documentación de la Presidencia de la Generalidad Valenciana” (スペイン). Argos(Subdirección de Análisis y Políticas Públicas de la Presidencia de la Generalitat). 2012ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  10. ^ Eleccións 2012 Parlamento de Galicia” (ガリシア). ガリシア自治じちしゅう政府せいふ. 2012ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  11. ^ NCG Banco empezará a operar el 1 de septiembre” (スペイン). Xornal de Galicia. 2011ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  12. ^ Pecha Galicia Hoxe” (ガリシア). Galicia Hoxe. 2011ねん6がつ29にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • しんてい増補ぞうほ スペイン・ポルトガルを事典じてん平凡社へいぼんしゃ、2001ねん、86-87ぺーじ
  • せきあきらぎょう立石たていしひろしだか中塚なかつか次郎じろう編著へんちょ世界せかい歴史れきし大系たいけいスペイン2きん現代げんだい地域ちいきからの視座しざ』2008ねん山川やまかわ出版しゅっぱんしゃISBN 9784634462052

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]