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シュト方言ほうげん

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クロアチアかく方言ほうげん分布ぶんぷ
  シュト方言ほうげん
みなみスラヴぐん
言語げんご方言ほうげん
西部せいぶみなみスラヴ
スロベニア
方言ほうげん
スロベニア方言ほうげん
セルビア・クロアチア
クロアチア
ボスニア
セルビア
方言ほうげん
カイ方言ほうげん
チャ方言ほうげん
シュト方言ほうげん
ISO 639-1にない言語げんご
ブニェヴァツ
モンテネグロ
ショカツ
クロアチア・ボスニア・セルビア標準ひょうじゅんがた差異さい
東部とうぶみなみスラヴ
古代こだい教会きょうかいスラヴ
教会きょうかいスラヴ
ブルガリア
方言ほうげん
バナト方言ほうげん
ギリシャ・スラヴ
ショプ方言ほうげん
マケドニア
方言ほうげん
マケドニア方言ほうげん
ギリシャ・スラヴ
遷移せんい方言ほうげん
セルビア / ブルガリア / マケドニア
トルラク方言ほうげんゴーラ
クロアチア / スロベニア
カイ方言ほうげん
アルファベット
現代げんだい
ガイしきラテン・アルファベット1
セルビアキリル・アルファベット
マケドニアアルファベット
ブルガリアアルファベット
スロベニアアルファベット
歴史れきしてき
ボホリッチしきアルファベット
ダインコしきアルファベット
メテルコしきアルファベット
アレビツァ
ボスニアキリル・アルファベット
グラゴル文字もじ
初期しょきキリル文字もじ
1バナト方言ほうげんふく

シュト方言ほうげん(シュトほうげん、セルビア・クロアチア:štokavski / штокавски)は、セルビアクロアチアボスニアなどのセルビア・クロアチア主要しゅよう方言ほうげんのひとつである。

シュト方言ほうげんセルビアモンテネグロボスニア・ヘルツェゴビナのほぼ全域ぜんいき、およびオーストリアブルゲンラントしゅう南部なんぶクロアチア一部いちぶはなされている。セルビア、クロアチア、ボスニア標準ひょうじゅんがたしんシュト方言ほうげん土台どだいとしている。その呼称こしょうは、シュト方言ほうげんでは疑問ぎもん代名詞だいめいしの「なに」を「što」ないし「šta」とすることに由来ゆらいする。これにたいして、クロアチアカイ方言ほうげんチャ方言ほうげんでは、おな疑問ぎもん代名詞だいめいしはそれぞれ「kaj」、「ča」となる。

シュト方言ほうげん主要しゅよう下位かい区分くぶんは、2つの要素ようそもとづいて分類ぶんるいされる。ひとつにはシュト方言ほうげんしんシュト方言ほうげんにわける区分くぶんであり、もうひとつにはスラヴ祖語そごヤトѢ)の変化へんかによる。スラヴ祖語そごにおけるヤトが、「e」となるものを方言ほうげん、「ije」となるものをイェ方言ほうげん、「i」となるものを方言ほうげんぶ。一般いっぱんてきに、現代げんだい方言ほうげん区分くぶんでは、シュト方言ほうげんは7つの下位かい方言ほうげん分類ぶんるいされる。このほかにさらに1つないし2つの下位かい方言ほうげんがあるとする意見いけんもある。

シュト方言ほうげん前史ぜんし

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原始げんしシュト方言ほうげんは12世紀せいきあらわれた。その2世紀せいきあいだに、シュト方言ほうげんは2つの地域ちいきかれる。西部せいぶ方言ほうげんは、ボスニア・ヘルツェゴビナだい部分ぶぶん、およびクロアチアスラヴォニア地方ちほうにみられ、他方たほう東部とうぶ方言ほうげんボスニア・ヘルツェゴビナ東端ひがしばた、およびセルビアモンテネグロだい部分ぶぶんふくむ。西部せいぶシュト方言ほうげんさらに3つにかれ、東部とうぶシュト方言ほうげんは2つにかれる。歴史れきしてき文献ぶんけん調査ちょうさより、シュト方言ほうげんは15世紀せいきちゅうごろに確立かくりつされたことがられている。この時代じだいでも、シュト方言ほうげん教会きょうかいスラヴとさまざまなめん混合こんごうしていた。クロアチアおよびボスニア・ヘルツェゴビナのおおくの部分ぶぶんではチャ方言ほうげんとの混合こんごうもあった。

シュト方言ほうげん下位かい方言ほうげん

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シュト方言ほうげんシュト方言ほうげんしんシュト方言ほうげんけられる。

シュト方言ほうげん下位かい方言ほうげん分布ぶんぷ。このではティモク=プリズレン方言ほうげんが、トルラク方言ほうげんとプリズレン=みなみモラヴァ方言ほうげんけられている。また、コソボ=レサヴァ方言ほうげんからスメデレヴォ=ヴルシャツ方言ほうげん分離ぶんりされている。

シュト方言ほうげん

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ティモク=プリズレン(トルラク方言ほうげん

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トルラク方言ほうげんもっとふる方言ほうげんブルガリアとの国境こっきょうちかティモクTimok)からプリズレンにかけてひろがる。言語げんご学者がくしゃあいだで、この方言ほうげんがシュト方言ほうげん下位かいぞくするのかについては合意ごういられていない。トルラク方言ほうげん形態けいたいろんてき特徴とくちょうは、一般いっぱんてきなシュト方言ほうげんとはおおきくことなり、むしろシュト方言ほうげん東南とうなんスラヴブルガリアマケドニアなど)とのなかあいだてき特徴とくちょう遷移せんい方言ほうげん特徴とくちょうしめしている。この地方ちほう方言ほうげんは、オスマン帝国ていこくがこの地方ちほう14世紀せいき征服せいふくしたことにより、シュト方言ほうげん主流しゅりゅうから分断ぶんだんされたものとかんがえられる。ティモク=プリズレン方言ほうげんバルカン言語げんご連合れんごう特徴とくちょうつようになる。かく変化へんか消滅しょうめつしたも同然どうぜんとなり、不定ふていda構文こうぶん接続せつぞくほう融合ゆうごうし、冠詞かんし語尾ごび変化へんかへと移行いこうした。方言ほうげんのアクセントは強弱きょうじゃくアクセントとなり、つよアクセントはどの音節おんせつにもつきる。ふる半母音はんぼいんはあらゆるところでうしなわれた。音節おんせつ主音しゅおんの「l」は保存ほぞんされており(vlk = 標準ひょうじゅんではvuk)、いくらかの方言ほうげんでは「ć」と「č」、「đ」と「dž」の区別くべつをせず、それぞれ後部こうぶ歯茎はぐきおんである後者こうしゃ融合ゆうごうした。この方言ほうげんぞくするいくらかの下位かい方言ほうげんでは、語末ごまつの「l」はのこされている(došlznalなど。 cf. カイ方言ほうげんブルガリア)が、そのではこの語末ごまつの「l」は音節おんせつja」にわっている。

これらの方言ほうげん話者わしゃメトヒヤ地方ちほうプリズレンジラン(グニラネ、Gnjilane)、シュテルプツァ(シュトルプツェ、Štrpce) や、セルビア南部なんぶブヤノヴァツBujanovac)、ヴラニェVranje)、レスコヴァツLeskovac)、ニシュ、アレクシナツ(Aleksinac)、トプリツァ渓谷けいこくToplica Valley)の一部いちぶプロクプリェProkuplje)、セルビア東部とうぶピロトPirot)、スヴルリグSvrljig)、ソコ・バニャSoko Banja)、ボリェヴァツBoljevac)、クニャジェヴァツKnjaževac)から、コソボ=レセヴァ方言ほうげん主流しゅりゅうとなるザイェチャルZaječar)あたりまでひろがっている。

スラヴォニア方言ほうげん

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スラヴォニア方言ほうげんショカツŠokački)、あるいはシュチャ方言ほうげんともばれ、スラヴォニア地方ちほう一部いちぶクロアチアおよびヴォイヴォディナバチュカBačka)、バラニャBaranja)、スリイェムSrijem)、北部ほくぶボスニアなどにショカツじんによってはなされている。スラヴォニア方言ほうげんはイ方言ほうげんとエ方言ほうげん混交こんこうした発音はつおんである。イ方言ほうげんポサヴィナ、バラニャ、バチュカ、およびスラヴォニア方言ほうげん下位かい方言ほうげんであるデルヴェンタ(Derventa)で優勢ゆうせいであり、エ方言ほうげんポドラヴィナPodravina地方ちほう優勢ゆうせいである。エ方言ほうげん優勢ゆうせい地域ちいきなかにイ方言ほうげんがあったり、そのぎゃくのパターンもおおくみられる。同様どうようにエ方言ほうげん=イ方言ほうげん混交こんこうとエ方言ほうげん=イェ方言ほうげん混交こんこうじょうはいこんじるパターンもある。ハンガリー複数ふくすうむらでは、スラヴ祖語そごヤトがそのまま保存ほぞんされている。局地きょくちてき変種へんしゅは、しんシュト方言ほうげん影響えいきょう受容じゅようおうじて数多かずおお存在そんざいする。ポサヴィナ地方ちほうの2つのむら、シチェ(Siče)およびマギチャ・マレ(Magića Male)では、動詞どうしnosilとうふるい「l」がのこされており、現代げんだい標準ひょうじゅんてきな「nosio」とはことなる。ポドラヴィナ地方ちほう複数ふくすうむらでは、「cr」にわって「čr」がもちいられており、たとえば「crn」ではなく「črn」となる。こうした特徴とくちょうカイ方言ほうげんでは一般いっぱんてきであるが、シュト方言ほうげんではきわめてめずらしい。

東部とうぶボスニア方言ほうげん

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東部とうぶボスニア方言ほうげんはシュチャ・イェ方言ほうげんšćakavski jekavski)ともばれ、ほとんどの地域ちいきでイェ方言ほうげん発音はつおんがなされる。この地域ちいきボシュニャクじん(ボスニア・ムスリムじん)、セルビアじんクロアチアじんおおくはこの方言ほうげんはなし、ボスニア・ヘルツェゴビナの大都市だいとしサラエヴォトゥズラゼニツァZenica)などではなされている。一般いっぱんてきなイェ方言ほうげん特徴とくちょうくわえて、テシャニ(Tešanj)やマグライ(Maglaj)ではエ方言ほうげん=イェ方言ほうげん混交こんこうdete-djeteta)、ジャプチェ(Žepče)やヤブラニツァ(Jablanica)ではイェ方言ほうげん=イ方言ほうげん混交こんこうdjete-diteta)がられる。この地方ちほう中央ちゅうおう地域ちいき下位かい方言ほうげんでは、古語こごの「l」やより一般いっぱんてきな「u」(vukstup)にわって、重母音じゅうぼいんuo」(vuokstuop)がいくらかの単語たんごにおいてみられる。

ゼタ=みなみサンジャク方言ほうげん

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ゼタ=みなみサンジャク方言ほうげんイェ方言ほうげんともばれる。この方言ほうげんモンテネグロ東部とうぶポドゴリツァツェティニェ、セルビアりょうサンジャク地方ちほう東部とうぶノヴィ・パザルNovi Pazar)、イストリア半島はんとうペロイPeroj)にもられる。主流しゅりゅうのイェ方言ほうげん発音はつおんくわえて、イェ方言ほうげん=エ方言ほうげん混交こんこうdjete-deteta)がノヴィ・パザルやビイェロ・ポリェ(Bijelo Polje)で、イ方言ほうげん=イェ方言ほうげん混交こんこうdite-đeteta)がポドゴリツァで、エ方言ほうげん=イェ方言ほうげん混交こんこうdete-đeteta)がモンテネグロ南部なんぶむらムルコイェヴィチ(Mrkojevići)でられる。ムルコイェヴィチではまた、ポドラヴィナのむら々と同様どうように「cr」にわって「čr」が維持いじされている特徴とくちょうられる。

いくらかの方言ほうげんでは古語こごの「ь/ъ」が非常ひじょうひろ/ɛ/または/æ/になっているケースもられ、これらはほかのシュト方言ほうげんおよびチャ方言ほうげんでは非常ひじょうめずらしい(たとえば、sandanわってsændæn)がられる。その特殊とくしゅ音韻おんいんてき特長とくちょうとしては、[ʑ]おと(「izjesti」にわって「iʑesti」)や、[ɕ]おとsjekiraわってɕekira)の存在そんざいがある。しかし、これらの音素おんそはまたひがしヘルツェゴビナのコナヴレ(Konavle)にもられ[1]、モンテネグロだけに特徴とくちょうてきなものではない。/ʎ/と/l/の区別くべついくらかの方言ほうげんではうしなわれており、これはアルバニア基層きそう影響えいきょうである。「pjesma」を「pljesma」とするのは、標準ひょうじゅんがたのljがおおくの方言ほうげんでのjに変化へんかしていることによる過剰かじょう修正しゅうせいHypercorrection)である。

すべての動詞どうし不定ふていがたが「t」でわる(pjevatうたう」など)。この特徴とくちょうも、ほぼすべてのひがしヘルツェゴビナ方言ほうげんにもあてはまる。そしてほとんどのセルビアおよびクロアチア方言ほうげんにも共通きょうつうしている。

a + o」のくみは「ā/aː/となる(「kao」にわって「」、「rekao」にわって「rekā」となる)。これはクロアチア沿岸えんがん方言ほうげん共通きょうつうである。その地方ちほうでは、「ao」が「ō」になるほうが一般いっぱんてきである。

モンテネグロの民族みんぞく主義しゅぎしゃあいだでは、セルビアからはなして、ゼタ方言ほうげん基盤きばんとした「モンテネグロ」の地位ちい確立かくりつしようとする運動うんどうがある。モンテネグロでは2007ねんより憲法けんぽうでモンテネグロだいいち公用こうようとされた。

コソボ=レサヴァ方言ほうげん

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コソボ=レサヴァ方言ほうげんふるいイェ方言ほうげんともばれ、コソボの西部せいぶおよび北東ほくとうコソボ渓谷けいこくコソヴスカ・ミトロヴィツァ(ミトロヴィツァ)やペーチ(ペヤ)周辺しゅうへんイバル渓谷けいこくクラリェヴォKraljevo)、クルシェヴァツKruševac)、トルステニクTrstenik)、トプリツァ渓谷けいこく(Toplica)のクルシュムリヤKuršumlija)のジュパŽupa)、モラヴァ渓谷けいこく(Morava)のヤゴディナJagodina)、チュプリヤĆuprija)、パラチンParaćin)、ラポヴォLapovo)、レサヴァ渓谷けいこく(Resava)のスヴィライナツ(Svilajnac)、デスポトヴァツDespotovac)、セルビア北東ほくとうスメデレヴォSmederevo)、ポジャレヴァツボルBor)、マイダンペクMajdanpek)、ネゴティンNegotin)、ヴェリカ・プラナVelika Plana)、バナト地方ちほうのコヴィン(Kovin)、ベラ・ツルクヴァ(Bela Crkva)、ヴルシャツ(Vršac)などの周辺しゅうへんはなされている。

ヤトはほとんどの地域ちいきでエ方言ほうげんとして発音はつおんされ、与格よかく語尾ごびも(「ženi」にわって「žene」)、主格しゅかくも(「tih」にわって「teh」)、比較ひかくきゅうも(「dobriji」にわって「dobrej」)、bitiの否定ひていがたも(「nisam」にわって「nesam」)、「e」となる。スメデレヴォ=ヴルシャツべん話者わしゃあいだではイ方言ほうげんもみられる(「gde si?」にわって「di si?」)。しかしながら、スメレデヴォ=ヴルシャツべん(セルビア北東ほくとうおよびバナトではなされる)は、この方言ほうげんからは独立どくりつした方言ほうげんであるとする見方みかたもある。スメデレヴォ=ヴルシャツべんはシュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言ほうげんとコソボ=レセヴァ方言ほうげん特徴とくちょう混交こんこうられる。

しんシュト方言ほうげん

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西にし方言ほうげん

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西にし方言ほうげんボスニア=ダルマチア方言ほうげん、あるいはわかいイ方言ほうげんともばれ、リカLika)、クヴァルネル(Kvarner)、ダルマチアヘルツェゴヴィナバチュカむほとんどのクロアチアじんによってはなされる。ボスニア西部せいぶビハチ周辺しゅうへんBihaćTurkish Croatia地方ちほう)および中央ちゅうおうボスニア(トラヴニク Travnikヤイツェ Jajceブゴイノ Bugojnoなど)にボシュニャクじんもこの方言ほうげんはなしていた。イ方言ほうげん特徴とくちょうほかには、ボスニア・ヘルツェゴビナでは動詞どうし分詞ぶんしに「-o」をもちい、ダルマチアやリカでは「-ija」や「-ia」をもちいる(れい:vidija/vidia)。バチュカの方言ほうげんはヴォイヴォディナのブニェヴァツじんあいだで、あたらしくブニェヴァツBunjevac language)を樹立じゅりつする基盤きばんとして提案ていあんされたことがあった。

シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言ほうげん

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シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言ほうげんわかいエ方言ほうげんともばれ、セルビアの北部ほくぶから西部せいぶにかけての、シュマディヤ地方ちほうŠumadija)のクラグイェヴァツやヴァリェヴォ(Valjevo)、そしてマチュヴァ(Mačva)ではシャバツ(Šabac)やボガティチ(Bogatić周辺しゅうへんのみにかぎり、ロズニツァ(Loznica)やポドリニェ(Podrinje)をのぞいてはなされ、またベオグラードからクロアチア東部とうぶヴコヴァル周辺しゅうへんまでではなされている。その主流しゅりゅうはエ方言ほうげんである(形態けいたいろんてきには、元来がんらいはイ方言ほうげんであった)。ヴォイヴォディナのいくらかの地域ちいきでは、うしなわれたふる形態けいたいのこっている。おおくのヴォイヴォディナの方言ほうげんや、一部いちぶのシュマディヤの方言ほうげんひらいた「e」や「o」がある。しかしながら、セルビア西部せいぶや、ベオグラードおよびバチュカ南西なんせい(ボルチャ Borča、パンチェヴォ Pančevo、バヴァニシュテ Bavanište)のふる方言ほうげん関連かんれんのある方言ほうげんでは、より標準ひょうじゅんちかいものがおおい。この方言ほうげんは、セルビアのエ方言ほうげんによる標準ひょうじゅんがた基盤きばんとなっている。

ひがしヘルツェゴビナ方言ほうげん

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ひがしヘルツェゴビナ方言ほうげんは、ひがしヘルツェゴビナ=ボスニア・クライナ方言ほうげん、あるいはわかいイェ方言ほうげんともばれる。この方言ほうげんは、シュト方言ほうげんの、そしてセルビア・クロアチアのなかで最大さいだい方言ほうげんである。この方言ほうげんモンテネグロ西部せいぶヘルツェゴビナ地方ちほう)、およびボスニア・ヘルツェゴビナのセルビアじん、クロアチアのセルビアじん大半たいはん、および西部せいぶセルビア、スラヴォニアバラニャ、コルドゥン(Kordun)などのかつてセルビアじん多数たすうであった地方ちほう一部いちぶのクロアチアじん、そしてネレトヴァがわ以南いなんドゥブロヴニク周辺しゅうへんでもはなされる。この方言ほうげんはセルビア標準ひょうじゅんがた基礎きそとなった方言ほうげんのひとつである。他方たほう、クロアチア標準ひょうじゅんがた複数ふくすう地方ちほう方言ほうげん混交こんこうであり、シュト方言ほうげん以外いがい方言ほうげん要素ようそふくむ。ひがしヘルツェゴビナ方言ほうげん南東なんとうかたちは、音素おんそ /x/完全かんぜん欠落けつらくおおきな特徴とくちょうである。この音素おんそ完全かんぜんちるか、場合ばあいによって音素おんそ /k/音素おんそ /g/わっている。この方言ほうげんはなされる袋地ふくろじであるジュンベラク(Žumberak)や、ドゥブロヴニク周辺しゅうへんでは一部いちぶ特殊とくしゅ特徴とくちょうっており、チャ方言ほうげん西にし方言ほうげん影響えいきょうられる。

ヤトの変化へんか

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スラヴ祖語そご母音ぼいんであるヤトは、歴史れきし経過けいかともにその発音はつおん変化へんかし、シュト方言ほうげんでは3つのことなるかたちとなった。

  • 方言ほうげん(ekavski): ヤトは母音ぼいん「e」へと合流ごうりゅうした
  • 方言ほうげん(ikavski): ヤトは母音ぼいん「i」となった
  • イェ方言ほうげん(ijekavskiあるいはjekavski): 母音ぼいんながさにおうじて「ije」あるいは「je」とかれる

歴史れきしてきには、ヤトの変遷へんせんはシュト方言ほうげん発展はってん以前いぜんから、教会きょうかいスラヴでの記述きじゅつられる。これがかく方言ほうげん形成けいせいはじまりに影響えいきょうしている。初期しょき文書ぶんしょは、ほぼすべて、ないし大半たいはん教会きょうかいスラヴのセルビア、クロアチア変種へんしゅである。確実かくじつにヤトが「エ」となった変化へんか反映はんえいしている、られるかぎ最古さいこ文書ぶんしょはセルビアでかれたものであり("beše"、「…であった」)、1289ねん記録きろくされている。「イ」はボスニアで1331ねんかれたもの("svidoci"、「証言しょうげん」)であり、また「イェ」はクロアチアで1399ねんかれたもの("želijemo"、「われらは希求ききゅうする」)であった。部分ぶぶんてき変化へんかうかがることのできるものはよりふる文書ぶんしょからもつかっており、たとえばイ方言ほうげんはボスニアで13世紀せいき後半こうはんかれたものがある。しかし、おそくとも前述ぜんじゅつ時代じだいまでにはヤトの変化へんかがあったことはひろみとめられている。20世紀せいき後半こうはん、ヤトの現出げんしゅつ一定いっていでない局所きょくしょてき方言ほうげんおお発見はっけんされた[2]教会きょうかいスラヴはいんだ各地かくちなまりの影響えいきょう次第しだいえていき、やがては完全かんぜん各地かくち方言ほうげんってわられていった。この過程かてい19世紀せいきなかごろまで、相互そうご影響えいきょうなしにクロアチアじんセルビアじんボシュニャクじんあいだでそれぞれ独立どくりつ進行しんこうしていった。たとえば、ボシュニャクじんあいだでは、うしなわれた音素おんそ /h/ が複数ふくすうかたりさい導入どうにゅうされた。これは、おもクルアーンもとづく宗教しゅうきょう教育きょういく影響えいきょうである。

方言ほうげんおもにセルビアで、そしてクロアチア西部せいぶでも限定げんていてき使用しようされている。イ方言ほうげん西部せいぶおよび中央ちゅうおうボスニア、西部せいぶヘルツェゴビナ、スラヴォニア、そしてクロアチアのダルマチア地方ちほうひろはなされている。イェ方言ほうげんは、クロアチアの主要しゅよう、ダルマチア南部なんぶ、ボスニアおよびヘルツェゴビナの大半たいはん、モンテネグロの大半たいはんはなされている。以下いかれいしめす。

日本語にほんご 基本きほん 方言ほうげん 方言ほうげん イェ方言ほうげん
時間じかん vrěme vreme vrime vrijeme
うつくしい lěp lep lip lijep
おんな děvojka devojka divojka djevojka
真実しんじつ věran veran viran vjeran
すわ sědĕti sedeti (sèdeti) siditi (sìdeti) sjediti
白髪はくはつびる sědeti sedeti (sédeti) siditi (sídeti) sijediti
ねっする grějati grejati grijati grijati

ながい「ije」は、おおくのイェ方言ほうげん話者わしゃあいだ重母音じゅうぼいんてきである。ゼタ方言ほうげんおおくのひがしヘルツェゴビナ方言ほうげんでは、「ije」は2つの音節おんせつとなっている。セルビアの音声おんせい学者がくしゃは、「ije」を独立どくりつした音素おんそとはなしていない。この差異さいは、クロアチアの国歌こっかわたしたちのうつくしい故国ここく」とモンテネグロの国歌こっか五月ごがつ夜明よあ」の1ばん歌詞かし顕著けんちょることができる。それぞれ、前者ぜんしゃでは「Lije-pa na-ša do-mo-vi-no」、後者こうしゃでは「Oj svi-je-tla maj-ska zo-ro」とうたわれている。

シュト方言ほうげん下位かい方言ほうげん民族みんぞくてき差異さい

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19世紀せいき前半ぜんはんにおいて、初期しょきのスラヴがく提唱ていしょうしゃたちは、みなみスラヴしょ方言ほうげんについて考察こうさつし、かく方言ほうげん話者わしゃ民族みんぞくせいとの関連かんれんかんする複雑ふくざつ論争ろんそう発展はってんしていった。これは、歴史れきしてき視点してんからは、これらの「かいな」議論ぎろんは、むしろ政治せいじてき民族みんぞく主義しゅぎてき立場たちばもとづいたものであり、それぞれが自身じしんのイデオロギーを動機どうきとしていたとられている。この論争ろんそう活躍かつやくしたのは、チェコじん言語げんご学者がくしゃヨゼフ・ドブロフスキーJosef Dobrovský)、スロヴァキアじんパヴェル・シャファーリクPavel Šafárik)、スロヴェニアじんイェルネイ・コピタルJernej Kopitar)およびフランツ・ミクロシッチ、セルビアじんヴーク・カラジッチ、クロアチアじんボゴスラヴ・シュレクBogoslav Šulek)、ヴァトロスラヴ・ヤギッチVatroslav Jagić)などであった。

基本きほんてきには、「言語げんご学的がくてきには」だれがクロアチアじん、スロベニアじん、あるいはセルビアじんなのかという定義ていぎについて、それぞれ自民じみんぞく領域りょういき影響えいきょう範囲はんいおおきくすることを目的もくてき議論ぎろんかえされた。ロマンス主義しゅぎ民族みんぞく勃興ぼっこうなかからまれたこれらの複雑ふくざつ怪奇かいき議論ぎろんは、結局けっきょくこれらの民族みんぞく位置いちづけを定義ていぎすることのみにとどまった。これはおもに、シュト方言ほうげん下位かい方言ほうげん区分くぶんはそれぞれ民族みんぞくをまたいでひろがり、民族みんぞくごとに分離ぶんりすることができなかったことによる。方言ほうげん同様どうように、シュト方言ほうげんも「民族みんぞくてきな」方言ほうげんであった。

しかしながら、これらのシュト方言ほうげん下位かい方言ほうげん話者わしゃたちは、民族みんぞくせい確立かくりつ固定こてい過程かていて、シュト方言ほうげんのうちいくつかの有力ゆうりょく方言ほうげん話者わしゃへとわっていった。メディアによる言語げんご標準ひょうじゅん運動うんどう19世紀せいきこり、おおくの話者わしゃたちに影響えいきょうあたえた。以下いか分布ぶんぷ記述きじゅつかんしては、前述ぜんじゅつのことに注意ちゅういされたい。

シュト方言ほうげんは、現代げんだい民族みんぞく境界きょうかいせんたいして、つぎ位置いちづけにある。

  • コソボ=レサヴァ方言ほうげん(エ方言ほうげん): セルビアじん大半たいはん
  • ゼタ=みなみサンジャク方言ほうげん(イェ方言ほうげん): モンテネグロじん、ボシュニャクじん、セルビアじん
  • スラヴォニア方言ほうげん(ヤトの現出げんしゅつ方式ほうしき多様たようであり、イ方言ほうげんおおいものの、イェ方言ほうげんやエ方言ほうげんもある): ほとんどがクロアチアじん
  • ひがしボスニア方言ほうげん(イェ方言ほうげん): ほとんどがボシュニャクじんとクロアチアじん

一般いっぱんに、しんシュト方言ほうげんは、現在げんざい民族みんぞく境界きょうかいせんたいして、つぎ位置いちづけにある。

  • シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言ほうげん(エ方言ほうげん): ほとんどがセルビアじん
  • ダルマチア=ボスニア方言ほうげん(イ方言ほうげん): ほとんどがクロアチアじんとボシュニャクじん
  • ひがしヘルツェゴビナ方言ほうげん(イェ方言ほうげん): セルビアじん、モンテネグロじん、クロアチアじん、ボシュニャクじん
区分くぶん 下位かい方言ほうげん セルビア クロアチア ボスニア モンテネグロ
シュト方言ほうげん コソボ=レサヴァ方言ほうげん
ゼタ=みなみサンジャク方言ほうげん
スラヴォニア方言ほうげん
ひがしボスニア方言ほうげん
しんシュト方言ほうげん シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言ほうげん
ダルマチア=ボスニア方言ほうげん
ひがしヘルツェゴビナ方言ほうげん

シュト方言ほうげんかれた初期しょき文書ぶんしょ

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初期しょきシュト方言ほうげん、あるいはシュト方言ほうげんへと変容へんようした教会きょうかいスラヴは、クリン大公たいこうban Kulin)の勅許ちょっきょなどの公的こうてき書類しょるいにもられる。この勅許ちょっきょは、ボスニアとドゥブロヴニクの交易こうえきかんするめであり、1189ねんのものである。また、グルシュコヴィッチ(Gršković)とミハイロヴィッチ(Mihanović)の未完みかん原稿げんこう1150ねん)などの、みなみボスニアやヘルツェゴビナの宗教しゅうきょうてき文書ぶんしょにもみられる。専門せんもん意見いけんは2つにかれており、これらの文書ぶんしょ、とくにクリン大公たいこう勅許ちょっきょについて、現在げんざいにもみられるシュト方言ほうげん局所きょくしょ方言ほうげんなしうるかか、統一とういつした見解けんかいられていない。おもに、教会きょうかいスラヴ影響えいきょうけたシュト方言ほうげんは、オスマン帝国ていこく以前いぜん時代じだいのボスニアやザフムリェ、セルビア、ゼタ公国こうこくみなみダルマチアとくにドゥブロヴニクなどで、おおくの法的ほうてき商業しょうぎょうてき文書ぶんしょ使つかわれている。最初さいしょ広範こうはんなシュト方言ほうげん文書ぶんしょはバチカン・クロアチア祈祷きとうしょen)であり、1400ねんより10ねんないし20ねんほどまえドゥブロヴニクにてかれたものである。その2世紀せいきにわたって、シュト方言ほうげん文書ぶんしょおもにドゥブロヴニクやそののドゥブロヴニクの影響えいきょうにあったアドリア海あどりあかい沿岸えんがん地域ちいき島嶼とうしょ、ならびにボスニアでかれていた。

標準ひょうじゅんがた

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ボスニアクロアチアセルビア標準ひょうじゅんがたはすべて、しんシュト方言ほうげん基盤きばんにしている。

しかしながら、これらの標準ひょうじゅんがたは、セルビアじん、クロアチアじん、ボシュニャクじん相互そうご差異さいとは関係かんけいがなく、しんシュト方言ほうげんいくらかの特徴とくちょう(たとえば、ディクレンション)はそのまま維持いじされたものの、べつ特徴とくちょうのぞかれたり、あらたにくわえられたりした。たとえば、音素おんそ /h/ は、これらの標準ひょうじゅんがたさい導入どうにゅうされたものである。

クロアチアは、シュト方言ほうげん下位かい方言ほうげんによるきと文学ぶんがくなが伝統でんとうっている。ほぼ4世紀せいきはんにわたって、シュト方言ほうげんはクロアチア標準ひょうじゅんがた基盤きばんとして優位ゆうい立場たちばつづけていた。その時代じだいでは、チャ方言ほうげんカイ方言ほうげん、チャ方言ほうげんとカイ方言ほうげん、シュト方言ほうげん混交こんこう言語げんごをクロアチア標準ひょうじゅんうごきがあったものの、このこころみは成功せいこうしなかった。このこころみの失敗しっぱいは、おも歴史れきしてき政治せいじてき理由りゆうによるとおもわれる。1650年代ねんだいすでにシュト方言ほうげんがクロアチア標準ひょうじゅんがた基盤きばんをなしていることは間違まちがいなかったものの、最終さいしゅうてきにその地位ちいかためたのは1850年代ねんだいのことであった。このとき、しんシュト方言ほうげんのイェ方言ほうげんで、おもにドゥブロヴニク、ダルマチア、スラヴォニアの歴史れきしてき書法しょほうが、国家こっかてき標準ひょうじゅんとしてさだめられた。

セルビアはこれよりもずっとはやくから標準ひょうじゅんすすんでいた。文語ぶんごたいは18世紀せいきあらわれたものの、ヴーク・カラジッチによって1818ねんから1851ねんにかけての急進きゅうしんてき過去かこからの脱却だっきゃくと、しんシュト方言ほうげん伝統でんとう文化ぶんか基盤きばんとしたあたらしいセルビア標準ひょうじゅんがた制定せいていされた。カラジッチはイェ方言ほうげんもちいたものの、おおくのセルビアじんはエ方言ほうげんもちいた。エ方言ほうげんはセルビアで多数たすうめる形態けいたいである。クロアチアやボスニアにむセルビアじんや、モンテネグロじんはイェ方言ほうげんによるセルビア標準ひょうじゅんがたもちいた。

ボスニアは、20世紀せいきすえから21世紀せいき初頭しょとうにかけて、標準ひょうじゅんすすめられている段階だんかいにある。ボシュニャクじん言語げんごはセルビアイェ方言ほうげんとクロアチアなかあいだてきなものであり、そこにいくらかの特色とくしょくくわわったものである。ユーゴスラビア崩壊ほうかい、ボシュニャクじんかれ自身じしんによる標準ひょうじゅんがたへのねがいを具現ぐげんさせ、しんシュト方言ほうげんもとづくものの、かれらの特徴とくちょうを(音素おんそから文法ぶんぽうまで)反映はんえいしたボスニア制定せいていした。

アクセントにかんして現代げんだい状況じょうきょう流動的りゅうどうてきである。音声おんせい学者がくしゃによれば、4種類しゅるいのアクセントがあり、これらはいずれも流動りゅうどうしている。これによって、従来じゅうらいの4種類しゅるいわって3種類しゅるいのアクセントを規定きていする提案ていあんがなされている。これはとくクロアチア現実げんじつてきであり、それは従来じゅうらいとはぎゃくカイ方言ほうげんチャ方言ほうげんからクロアチア標準ひょうじゅんがた流入りゅうにゅうした影響えいきょうとみられる。

クロアチア、セルビア、ボスニア標準ひょうじゅんがたは、いずれもしんシュト方言ほうげん基盤きばんとしており(より厳密げんみつには、しんシュト方言ほうげんいくらかの下位かい方言ほうげん基盤きばんとしている)、たがいに理解りかい可能かのうであり、規定きてい文語ぶんごからだあるいは標準ひょうじゅんがたうえではちがいが認識にんしきできる。これら3つの標準ひょうじゅんがた文法ぶんぽうにおいてほぼ同一どういつであるものの、そのてん音声おんせい音韻おんいんろん形態けいたいろんなど)においてことなっている。

れい: 「Što jest, jest; tako je (uvijek / uvek) bilo, što će biti, ( biće / bit će ), a nekako već će biti!

上記じょうきれいでは、だい1ぶんなかほどにある最初さいしょ選択せんたく(uvijek / uvek)は標準ひょうじゅんがたによらずエ方言ほうげんとイェ方言ほうげんによる差異さいである。2番目ばんめぶんなかほどにある2番目ばんめ選択せんたくはセルビアとクロアチア標準ひょうじゅんがたによる差異さいである。

べつ典型てんけいてきれいとして、つぎのようなものがある。

Kuhinjska sol je spoj natrija i klora. (クロアチア
Kuhinjska so je jedinjenje natrijuma i hlora. (セルビア
Kuhinjska so je spoj natrija i hlora. (ボスニア
Cooking salt is a compound of sodium and chlorine.英語えいご
食塩しょくえんはナトリウムと塩素えんそからできている。 (日本語にほんご
クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの方言ほうげん分布ぶんぷ

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ Kašić, Govor Konavla, SDZb XLI (1995), 241-396
  2. ^ P. Ivić, Putevi razvoja srpskohrvatskog vokalizma, Voprosy jazykoznanija VII/1 (1958), revised in Iz istorije srpskohrvatske dijalektologije, Niš 1991

関連かんれん文献ぶんけん

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  • Peco, A. (1967). "Uticaj turskog jezika na fonetiku štokavskih govora". Naš jezik, 16, 3. en:Template:Sr icon (セルビア

外部がいぶリンク

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