クロアチア語 ご 各 かく 方言 ほうげん の分布 ぶんぷ シュト方言 ほうげん
シュト方言 ほうげん (シュトほうげん、セルビア・クロアチア語 ご :štokavski / штокавски )は、セルビア語 ご 、クロアチア語 ご 、ボスニア語 ご などのセルビア・クロアチア語 ご の主要 しゅよう な方言 ほうげん のひとつである。
シュト方言 ほうげん はセルビア 、モンテネグロ 、ボスニア・ヘルツェゴビナ のほぼ全域 ぜんいき 、およびオーストリア のブルゲンラント州 しゅう 南部 なんぶ 、クロアチア の一部 いちぶ で話 はな されている。セルビア語 ご 、クロアチア語 ご 、ボスニア語 ご の標準 ひょうじゅん 形 がた は新 しん シュト方言 ほうげん を土台 どだい としている。その呼称 こしょう は、シュト方言 ほうげん では疑問 ぎもん 代名詞 だいめいし の「何 なに 」を「što 」ないし「šta 」とすることに由来 ゆらい する。これに対 たい して、クロアチア語 ご のカイ方言 ほうげん やチャ方言 ほうげん では、同 おな じ疑問 ぎもん 代名詞 だいめいし はそれぞれ「kaj 」、「ča 」となる。
シュト方言 ほうげん の主要 しゅよう な下位 かい 区分 くぶん は、2つの要素 ようそ の基 もと づいて分類 ぶんるい される。ひとつには古 こ シュト方言 ほうげん と新 しん シュト方言 ほうげん にわける区分 くぶん であり、もうひとつにはスラヴ祖語 そご のヤト (Ѣ )の変化 へんか による。スラヴ祖語 そご におけるヤトが、「e」となるものをエ方言 ほうげん 、「ije」となるものをイェ方言 ほうげん 、「i」となるものをイ方言 ほうげん と呼 よ ぶ。一般 いっぱん 的 てき に、現代 げんだい の方言 ほうげん 区分 くぶん では、シュト方言 ほうげん は7つの下位 かい 方言 ほうげん に分類 ぶんるい される。このほかに更 さら に1つないし2つの下位 かい 方言 ほうげん があるとする意見 いけん もある。
原始 げんし シュト方言 ほうげん は12世紀 せいき に現 あらわ れた。その後 ご 2世紀 せいき の間 あいだ に、シュト方言 ほうげん は2つの地域 ちいき に分 わ かれる。西部 せいぶ の方言 ほうげん は、ボスニア・ヘルツェゴビナ の大 だい 部分 ぶぶん 、およびクロアチア のスラヴォニア 地方 ちほう にみられ、他方 たほう で東部 とうぶ の方言 ほうげん はボスニア・ヘルツェゴビナ の東端 ひがしばた 、およびセルビア とモンテネグロ の大 だい 部分 ぶぶん を含 ふく む。西部 せいぶ シュト方言 ほうげん は更 さら に3つに分 わ かれ、東部 とうぶ シュト方言 ほうげん は2つに分 わ かれる。歴史 れきし 的 てき な文献 ぶんけん 調査 ちょうさ より、古 こ シュト方言 ほうげん は15世紀 せいき 中 ちゅう ごろに確立 かくりつ されたことが知 し られている。この時代 じだい でも、古 こ シュト方言 ほうげん は教会 きょうかい スラヴ語 ご とさまざまな面 めん で混合 こんごう していた。クロアチアおよびボスニア・ヘルツェゴビナの多 おお くの部分 ぶぶん ではチャ方言 ほうげん との混合 こんごう もあった。
シュト方言 ほうげん は古 こ シュト方言 ほうげん と新 しん シュト方言 ほうげん に分 わ けられる。
シュト方言 ほうげん の下位 かい 方言 ほうげん 分布 ぶんぷ 図 ず 。この図 ず ではティモク=プリズレン方言 ほうげん が、トルラク方言 ほうげん とプリズレン=南 みなみ モラヴァ方言 ほうげん に分 わ けられている。また、コソボ=レサヴァ方言 ほうげん からスメデレヴォ=ヴルシャツ方言 ほうげん が分離 ぶんり されている。
トルラク方言 ほうげん は最 もっと も古 ふる い方言 ほうげん はブルガリア との国境 こっきょう に近 ちか いティモク (Timok )からプリズレン にかけて広 ひろ がる。言語 げんご 学者 がくしゃ の間 あいだ で、この方言 ほうげん がシュト方言 ほうげん の下位 かい に属 ぞく するのかについては合意 ごうい が得 え られていない。トルラク方言 ほうげん の形態 けいたい 論 ろん 的 てき な特徴 とくちょう は、一般 いっぱん 的 てき なシュト方言 ほうげん とは大 おお きく異 こと なり、むしろシュト方言 ほうげん と東南 とうなん スラヴ語 ご (ブルガリア語 ご 、マケドニア語 ご など)との中 なか 間 あいだ 的 てき な特徴 とくちょう を持 も つ遷移 せんい 方言 ほうげん の特徴 とくちょう を示 しめ している。この地方 ちほう の方言 ほうげん は、オスマン帝国 ていこく がこの地方 ちほう を14世紀 せいき に征服 せいふく したことにより、シュト方言 ほうげん の主流 しゅりゅう から分断 ぶんだん されたものと考 かんが えられる。ティモク=プリズレン方言 ほうげん はバルカン言語 げんご 連合 れんごう の特徴 とくちょう を持 も つようになる。格 かく 変化 へんか は消滅 しょうめつ したも同然 どうぜん となり、不定 ふてい 詞 し はda 構文 こうぶん の接続 せつぞく 法 ほう に融合 ゆうごう し、冠詞 かんし は語尾 ごび 変化 へんか へと移行 いこう した。方言 ほうげん のアクセントは強弱 きょうじゃく アクセントとなり、強 つよ アクセントはどの音節 おんせつ にもつき得 え る。古 ふる い半母音 はんぼいん はあらゆるところで失 うしな われた。音節 おんせつ 主音 しゅおん の「l」は保存 ほぞん されており(vlk = 標準 ひょうじゅん ではvuk )、幾 いく らかの方言 ほうげん では「ć」と「č」、「đ」と「dž」の区別 くべつ をせず、それぞれ後部 こうぶ 歯茎 はぐき 音 おん である後者 こうしゃ に融合 ゆうごう した。この方言 ほうげん に属 ぞく する幾 いく らかの下位 かい 方言 ほうげん では、語末 ごまつ の「l」は残 のこ されている(došl 、znal など。 cf. カイ方言 ほうげん 、ブルガリア語 ご )が、その他 た ではこの語末 ごまつ の「l」は音節 おんせつ 「ja 」に置 お き換 か わっている。
これらの方言 ほうげん の話者 わしゃ はメトヒヤ 地方 ちほう のプリズレン 、ジラン (グニラネ、Gnjilane )、シュテルプツァ (シュトルプツェ、Štrpce ) や、セルビア南部 なんぶ のブヤノヴァツ (Bujanovac )、ヴラニェ (Vranje )、レスコヴァツ (Leskovac )、ニシュ 、アレクシナツ(Aleksinac )、トプリツァ渓谷 けいこく (Toplica Valley )の一部 いちぶ プロクプリェ (Prokuplje )、セルビア東部 とうぶ のピロト (Pirot )、スヴルリグ (Svrljig )、ソコ・バニャ (Soko Banja )、ボリェヴァツ (Boljevac )、クニャジェヴァツ (Knjaževac )から、コソボ=レセヴァ方言 ほうげん が主流 しゅりゅう となるザイェチャル (Zaječar )あたりまで広 ひろ がっている。
スラヴォニア方言 ほうげん はショカツ語 ご (Šokački )、あるいは古 こ シュチャ方言 ほうげん とも呼 よ ばれ、スラヴォニア地方 ちほう の一部 いちぶ 、クロアチア およびヴォイヴォディナ のバチュカ (Bačka )、バラニャ (Baranja )、スリイェム (Srijem )、北部 ほくぶ ボスニア などに住 す むショカツ人 じん によって話 はな されている。スラヴォニア方言 ほうげん はイ方言 ほうげん とエ方言 ほうげん を混交 こんこう した発音 はつおん である。イ方言 ほうげん はポサヴィナ 、バラニャ、バチュカ、およびスラヴォニア方言 ほうげん の下位 かい 方言 ほうげん の飛 と び地 ち であるデルヴェンタ(Derventa )で優勢 ゆうせい であり、エ方言 ほうげん はポドラヴィナ (Podravina )地方 ちほう で優勢 ゆうせい である。エ方言 ほうげん が優勢 ゆうせい な地域 ちいき の中 なか にイ方言 ほうげん の飛 と び地 ち があったり、その逆 ぎゃく のパターンも多 おお くみられる。同様 どうよう にエ方言 ほうげん =イ方言 ほうげん 混交 こんこう とエ方言 ほうげん =イェ方言 ほうげん 混交 こんこう が飛 と び地 ち 状 じょう に入 はい り混 こん じるパターンもある。ハンガリー の複数 ふくすう の村 むら では、スラヴ祖語 そご のヤト がそのまま保存 ほぞん されている。局地 きょくち 的 てき な変種 へんしゅ は、新 しん シュト方言 ほうげん の影響 えいきょう の受容 じゅよう 度 ど に応 おう じて数多 かずおお く存在 そんざい する。ポサヴィナ地方 ちほう の2つの村 むら 、シチェ(Siče)およびマギチャ・マレ(Magića Male)では、動詞 どうし 「nosil 」等 とう で古 ふる い「l」が残 のこ されており、現代 げんだい の標準 ひょうじゅん 的 てき な「nosio 」とは異 こと なる。ポドラヴィナ地方 ちほう の複数 ふくすう の村 むら では、「cr 」に代 か わって「čr 」が用 もち いられており、たとえば「crn 」ではなく「črn 」となる。こうした特徴 とくちょう はカイ方言 ほうげん では一般 いっぱん 的 てき であるが、シュト方言 ほうげん では極 きわ めて珍 めずら しい。
東部 とうぶ ボスニア方言 ほうげん はシュチャ・イェ方言 ほうげん (šćakavski jekavski )とも呼 よ ばれ、ほとんどの地域 ちいき でイェ方言 ほうげん の発音 はつおん がなされる。この地域 ちいき に住 す むボシュニャク人 じん (ボスニア・ムスリム人 じん )、セルビア人 じん 、クロアチア人 じん の多 おお くはこの方言 ほうげん を話 はな し、ボスニア・ヘルツェゴビナの大都市 だいとし サラエヴォ やトゥズラ 、ゼニツァ (Zenica )などで話 はな されている。一般 いっぱん 的 てき なイェ方言 ほうげん の特徴 とくちょう に加 くわ えて、テシャニ(Tešanj )やマグライ(Maglaj )ではエ方言 ほうげん =イェ方言 ほうげん 混交 こんこう (dete-djeteta )、ジャプチェ(Žepče )やヤブラニツァ(Jablanica )ではイェ方言 ほうげん =イ方言 ほうげん 混交 こんこう (djete-diteta )が見 み られる。この地方 ちほう の中央 ちゅうおう 地域 ちいき の下位 かい 方言 ほうげん では、古語 こご の「l」やより一般 いっぱん 的 てき な「u」(vuk 、stup )に代 か わって、二 に 重母音 じゅうぼいん 「uo 」(vuok 、stuop )が幾 いく らかの単語 たんご においてみられる。
ゼタ=南 みなみ サンジャク方言 ほうげん は古 こ イェ方言 ほうげん とも呼 よ ばれる。この方言 ほうげん はモンテネグロ 東部 とうぶ 、ポドゴリツァ やツェティニェ 、セルビア領 りょう サンジャク 地方 ちほう 東部 とうぶ のノヴィ・パザル (Novi Pazar )、イストリア半島 はんとう のペロイ (Peroj )にも見 み られる。主流 しゅりゅう のイェ方言 ほうげん の発音 はつおん に加 くわ えて、イェ方言 ほうげん =エ方言 ほうげん 混交 こんこう (djete-deteta )がノヴィ・パザルやビイェロ・ポリェ(Bijelo Polje )で、イ方言 ほうげん =イェ方言 ほうげん 混交 こんこう (dite-đeteta )がポドゴリツァで、エ方言 ほうげん =イェ方言 ほうげん 混交 こんこう (dete-đeteta )がモンテネグロ南部 なんぶ の村 むら ムルコイェヴィチ(Mrkojevići)で見 み られる。ムルコイェヴィチではまた、ポドラヴィナの村 むら 々と同様 どうよう に「cr 」に代 か わって「čr 」が維持 いじ されている特徴 とくちょう も見 み られる。
幾 いく らかの方言 ほうげん では古語 こご の「ь/ъ」が非常 ひじょう に広 ひろ い/ɛ/ または/æ/ になっているケースも見 み られ、これらはほかのシュト方言 ほうげん およびチャ方言 ほうげん では非常 ひじょう に珍 めずら しい(たとえば、san や dan に代 か わってsæn や dæn )が見 み られる。その他 た の特殊 とくしゅ な音韻 おんいん 的 てき 特長 とくちょう としては、[ʑ] の音 おと (「izjesti 」に代 か わって「iʑesti 」)や、[ɕ] の音 おと (sjekira に代 か わってɕekira )の存在 そんざい がある。しかし、これらの音素 おんそ はまた東 ひがし ヘルツェゴビナのコナヴレ(Konavle )にも見 み られ[ 1] 、モンテネグロだけに特徴 とくちょう 的 てき なものではない。/ʎ/と/l/の区別 くべつ が幾 いく らかの方言 ほうげん では失 うしな われており、これはアルバニア語 ご 基層 きそう の影響 えいきょう である。「pjesma 」を「pljesma 」とするのは、標準 ひょうじゅん 形 がた のljが多 おお くの方言 ほうげん でのjに変化 へんか していることによる過剰 かじょう 修正 しゅうせい (Hypercorrection )である。
全 すべ ての動詞 どうし は不定 ふてい 形 がた が「t」で終 お わる(pjevat 「歌 うた う」など)。この特徴 とくちょう も、ほぼ全 すべ ての東 ひがし ヘルツェゴビナ方言 ほうげん にもあてはまる。そしてほとんどのセルビア語 ご およびクロアチア語 ご の方言 ほうげん にも共通 きょうつう している。
「a + o 」の組 くみ は「ā 」/aː/ となる(「kao 」に代 か わって「kā 」、「rekao 」に代 か わって「rekā 」となる)。これはクロアチア語 ご の沿岸 えんがん 部 ぶ の方言 ほうげん と共通 きょうつう である。その他 た の地方 ちほう では、「ao 」が「ō 」になるほうが一般 いっぱん 的 てき である。
モンテネグロの民族 みんぞく 主義 しゅぎ 者 しゃ の間 あいだ では、セルビア語 ご から切 き り離 はな して、ゼタ方言 ほうげん を基盤 きばん とした「モンテネグロ語 ご 」の地位 ちい を確立 かくりつ しようとする運動 うんどう がある。モンテネグロでは2007年 ねん より憲法 けんぽう でモンテネグロ語 ご が第 だい 一 いち 公用 こうよう 語 ご とされた。
コソボ=レサヴァ方言 ほうげん は古 ふる いイェ方言 ほうげん とも呼 よ ばれ、コソボの西部 せいぶ および北東 ほくとう 部 ぶ のコソボ渓谷 けいこく 。コソヴスカ・ミトロヴィツァ (ミトロヴィツァ)やペーチ (ペヤ)周辺 しゅうへん 、イバル渓谷 けいこく のクラリェヴォ (Kraljevo )、クルシェヴァツ (Kruševac )、トルステニク (Trstenik )、トプリツァ渓谷 けいこく (Toplica)のクルシュムリヤ (Kuršumlija )のジュパ (Župa )、モラヴァ渓谷 けいこく (Morava)のヤゴディナ (Jagodina )、チュプリヤ (Ćuprija )、パラチン (Paraćin )、ラポヴォ (Lapovo )、レサヴァ渓谷 けいこく (Resava)のスヴィライナツ(Svilajnac )、デスポトヴァツ (Despotovac )、セルビア北東 ほくとう 部 ぶ のスメデレヴォ (Smederevo )、ポジャレヴァツ 、ボル (Bor )、マイダンペク (Majdanpek )、ネゴティン (Negotin )、ヴェリカ・プラナ (Velika Plana )、バナト地方 ちほう のコヴィン(Kovin )、ベラ・ツルクヴァ(Bela Crkva )、ヴルシャツ(Vršac )などの周辺 しゅうへん で話 はな されている。
ヤト はほとんどの地域 ちいき でエ方言 ほうげん として発音 はつおん され、与格 よかく の語尾 ごび も(「ženi 」に代 か わって「žene 」)、主格 しゅかく も(「tih 」に代 か わって「teh 」)、比較 ひかく 級 きゅう も(「dobriji 」に代 か わって「dobrej 」)、bitiの否定 ひてい 形 がた も(「nisam 」に代 か わって「nesam 」)、「e」となる。スメデレヴォ=ヴルシャツ弁 べん の話者 わしゃ の間 あいだ ではイ方言 ほうげん もみられる(「gde si? 」に代 か わって「di si? 」)。しかしながら、スメレデヴォ=ヴルシャツ弁 べん (セルビア北東 ほくとう 部 ぶ およびバナトで話 はな される)は、この方言 ほうげん からは独立 どくりつ した方言 ほうげん であるとする見方 みかた もある。スメデレヴォ=ヴルシャツ弁 べん はシュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言 ほうげん とコソボ=レセヴァ方言 ほうげん の特徴 とくちょう の混交 こんこう が見 み られる。
西 にし イ方言 ほうげん はボスニア=ダルマチア方言 ほうげん 、あるいは若 わか いイ方言 ほうげん とも呼 よ ばれ、リカ (Lika )、クヴァルネル(Kvarner )、ダルマチア 、ヘルツェゴヴィナ 、バチュカ に住 す むほとんどのクロアチア人 じん によって話 はな される。ボスニア西部 せいぶ のビハチ 周辺 しゅうへん (Bihać 、Turkish Croatia 地方 ちほう )および中央 ちゅうおう ボスニア(トラヴニク Travnik 、ヤイツェ Jajce 、ブゴイノ Bugojno など)に住 す むボシュニャク人 じん もこの方言 ほうげん を話 はな していた。イ方言 ほうげん の特徴 とくちょう の他 ほか には、ボスニア・ヘルツェゴビナでは動詞 どうし の分詞 ぶんし に「-o 」を用 もち い、ダルマチアやリカでは「-ija 」や「-ia 」を用 もち いる(例 れい :vidija/vidia )。バチュカの方言 ほうげん はヴォイヴォディナのブニェヴァツ人 じん の間 あいだ で、新 あたら しくブニェヴァツ語 ご (Bunjevac language )を樹立 じゅりつ する基盤 きばん として提案 ていあん されたことがあった。
シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言 ほうげん は若 わか いエ方言 ほうげん とも呼 よ ばれ、セルビアの北部 ほくぶ から西部 せいぶ にかけての、シュマディヤ地方 ちほう (Šumadija )のクラグイェヴァツ やヴァリェヴォ(Valjevo )、そしてマチュヴァ(Mačva)ではシャバツ(Šabac )やボガティチ(Bogatić )周辺 しゅうへん のみに限 かぎ り、ロズニツァ(Loznica )やポドリニェ(Podrinje )を除 のぞ いて話 はな され、またベオグラード からクロアチア東部 とうぶ のヴコヴァル 周辺 しゅうへん までで話 はな されている。その主流 しゅりゅう はエ方言 ほうげん である(形態 けいたい 論 ろん 的 てき には、元来 がんらい はイ方言 ほうげん であった)。ヴォイヴォディナの幾 いく らかの地域 ちいき では、失 うしな われた古 ふる い形態 けいたい が残 のこ っている。多 おお くのヴォイヴォディナの方言 ほうげん や、一部 いちぶ のシュマディヤの方言 ほうげん は開 ひら いた「e 」や「o 」がある。しかしながら、セルビア西部 せいぶ や、ベオグラードおよびバチュカ南西 なんせい 部 ぶ (ボルチャ Borča、パンチェヴォ Pančevo 、バヴァニシュテ Bavanište)の古 ふる い方言 ほうげん と関連 かんれん のある方言 ほうげん では、より標準 ひょうじゅん に近 ちか いものが多 おお い。この方言 ほうげん は、セルビア語 ご のエ方言 ほうげん による標準 ひょうじゅん 形 がた の基盤 きばん となっている。
東 ひがし ヘルツェゴビナ方言 ほうげん は、東 ひがし ヘルツェゴビナ=ボスニア・クライナ方言 ほうげん 、あるいは若 わか いイェ方言 ほうげん とも呼 よ ばれる。この方言 ほうげん は、シュト方言 ほうげん の、そしてセルビア・クロアチア語 ご のなかで最大 さいだい の方言 ほうげん である。この方言 ほうげん はモンテネグロ の西部 せいぶ (古 こ ヘルツェゴビナ地方 ちほう )、およびボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人 じん 、クロアチアのセルビア人 じん の大半 たいはん 、および西部 せいぶ セルビア、スラヴォニア 、バラニャ 、コルドゥン(Kordun )などのかつてセルビア人 じん が多数 たすう 派 は であった地方 ちほう に住 す む一部 いちぶ のクロアチア人 じん 、そしてネレトヴァ川 がわ 以南 いなん のドゥブロヴニク 周辺 しゅうへん でも話 はな される。この方言 ほうげん はセルビア語 ご 標準 ひょうじゅん 形 がた の基礎 きそ となった方言 ほうげん のひとつである。他方 たほう 、クロアチア語 ご 標準 ひょうじゅん 形 がた は複数 ふくすう の地方 ちほう の方言 ほうげん の混交 こんこう であり、シュト方言 ほうげん 以外 いがい の方言 ほうげん の要素 ようそ も含 ふく む。東 ひがし ヘルツェゴビナ方言 ほうげん の南東 なんとう 部 ぶ の形 かたち は、音素 おんそ /x/ の完全 かんぜん な欠落 けつらく が大 おお きな特徴 とくちょう である。この音素 おんそ は完全 かんぜん に抜 ぬ け落 お ちるか、場合 ばあい によって音素 おんそ /k/ や音素 おんそ /g/ に置 お き換 か わっている。この方言 ほうげん が話 はな される袋地 ふくろじ であるジュンベラク(Žumberak )や、ドゥブロヴニク周辺 しゅうへん では一部 いちぶ に特殊 とくしゅ な特徴 とくちょう を持 も っており、チャ方言 ほうげん や西 にし イ方言 ほうげん の影響 えいきょう が見 み られる。
スラヴ祖語 そご の母音 ぼいん であるヤト は、歴史 れきし の経過 けいか と共 とも にその発音 はつおん が変化 へんか し、シュト方言 ほうげん では3つの異 こと なる形 かたち となった。
エ方言 ほうげん (ekavski): ヤトは母音 ぼいん 「e」へと合流 ごうりゅう した
イ方言 ほうげん (ikavski): ヤトは母音 ぼいん 「i」となった
イェ方言 ほうげん (ijekavskiあるいはjekavski): 母音 ぼいん は長 なが さに応 おう じて「ije」あるいは「je」と書 か かれる
歴史 れきし 的 てき には、ヤトの変遷 へんせん はシュト方言 ほうげん の発展 はってん の以前 いぜん から、教会 きょうかい スラヴ語 ご での記述 きじゅつ に見 み られる。これが各 かく 方言 ほうげん の形成 けいせい 期 き の始 はじ まりに影響 えいきょう している。初期 しょき の文書 ぶんしょ は、ほぼ全 すべ て、ないし大半 たいはん が教会 きょうかい スラヴ語 ご のセルビア、クロアチア変種 へんしゅ である。確実 かくじつ にヤトが「エ」となった変化 へんか を反映 はんえい している、知 し られる限 かぎ り最古 さいこ の文書 ぶんしょ はセルビアで書 か かれたものであり("beše" 、「…であった」)、1289年 ねん と記録 きろく されている。「イ」はボスニアで1331年 ねん に書 か かれたもの("svidoci" 、「証言 しょうげん 」)であり、また「イェ」はクロアチアで1399年 ねん に書 か かれたもの("želijemo" 、「我 われ らは希求 ききゅう する」)であった。部分 ぶぶん 的 てき な変化 へんか を窺 うかが い知 し ることのできるものはより古 ふる い文書 ぶんしょ からも見 み つかっており、たとえばイ方言 ほうげん はボスニアで13世紀 せいき 後半 こうはん に書 か かれたものがある。しかし、遅 おそ くとも前述 ぜんじゅつ の時代 じだい までにはヤトの変化 へんか があったことは広 ひろ く認 みと められている。20世紀 せいき 後半 こうはん 、ヤトの現出 げんしゅつ が一定 いってい でない局所 きょくしょ 的 てき な方言 ほうげん が多 おお く発見 はっけん された[ 2] 。教会 きょうかい スラヴ語 ご に入 はい り込 こ んだ各地 かくち の訛 なま りの影響 えいきょう は次第 しだい に増 ふ えていき、やがては完全 かんぜん に各地 かくち の方言 ほうげん に取 と って代 か わられていった。この過程 かてい は19世紀 せいき 中 なか ごろまで、相互 そうご の影響 えいきょう なしにクロアチア人 じん 、セルビア人 じん 、ボシュニャク人 じん の間 あいだ でそれぞれ独立 どくりつ に進行 しんこう していった。たとえば、ボシュニャク人 じん の間 あいだ では、失 うしな われた音素 おんそ /h/ が複数 ふくすう の語 かたり に再 さい 導入 どうにゅう された。これは、主 おも にクルアーン に基 もと づく宗教 しゅうきょう 教育 きょういく の影響 えいきょう である。
エ方言 ほうげん は主 おも にセルビアで、そしてクロアチア西部 せいぶ でも限定 げんてい 的 てき に使用 しよう されている。イ方言 ほうげん は西部 せいぶ および中央 ちゅうおう ボスニア、西部 せいぶ ヘルツェゴビナ、スラヴォニア、そしてクロアチアのダルマチア地方 ちほう で広 ひろ く話 はな されている。イェ方言 ほうげん は、クロアチアの主要 しゅよう 部 ぶ 、ダルマチア南部 なんぶ 、ボスニアおよびヘルツェゴビナの大半 たいはん 、モンテネグロの大半 たいはん で話 はな されている。以下 いか に例 れい を示 しめ す。
日本語 にほんご
基本 きほん
エ方言 ほうげん
イ方言 ほうげん
イェ方言 ほうげん
時間 じかん
vrěme
vreme
vrime
vrijeme
美 うつく しい
lěp
lep
lip
lijep
女 おんな の子 こ
děvojka
devojka
divojka
djevojka
真実 しんじつ の
věran
veran
viran
vjeran
座 すわ る
sědĕti
sedeti (sèdeti)
siditi (sìdeti)
sjediti
白髪 はくはつ が伸 の びる
sědeti
sedeti (sédeti)
siditi (sídeti)
sijediti
熱 ねっ する
grějati
grejati
grijati
grijati
長 なが い「ije」は、多 おお くのイェ方言 ほうげん の話者 わしゃ の間 あいだ で二 に 重母音 じゅうぼいん 的 てき である。ゼタ方言 ほうげん や多 おお くの東 ひがし ヘルツェゴビナ方言 ほうげん では、「ije」は2つの音節 おんせつ となっている。セルビアの音声 おんせい 学者 がくしゃ は、「ije」を独立 どくりつ した音素 おんそ とは見 み なしていない。この差異 さい は、クロアチアの国歌 こっか 「私 わたし たちの美 うつく しい故国 ここく 」とモンテネグロの国歌 こっか 「五月 ごがつ の夜明 よあ け 」の1番 ばん の歌詞 かし に顕著 けんちょ に見 み ることができる。それぞれ、前者 ぜんしゃ では「Lije-pa na-ša do-mo-vi-no 」、後者 こうしゃ では「Oj svi-je-tla maj-ska zo-ro 」と歌 うた われている。
シュト方言 ほうげん の下位 かい 方言 ほうげん と民族 みんぞく 的 てき 差異 さい [ 編集 へんしゅう ]
19世紀 せいき 前半 ぜんはん において、初期 しょき のスラヴ学 がく の提唱 ていしょう 者 しゃ たちは、南 みなみ スラヴ諸 しょ 方言 ほうげん について考察 こうさつ し、各 かく 方言 ほうげん の話者 わしゃ の民族 みんぞく 性 せい との関連 かんれん に関 かん する複雑 ふくざつ な論争 ろんそう に発展 はってん していった。これは、歴史 れきし 的 てき な視点 してん からは、これらの「奇 き 怪 かい な」議論 ぎろん は、むしろ政治 せいじ 的 てき ・民族 みんぞく 主義 しゅぎ 的 てき な立場 たちば に基 もと づいたものであり、それぞれが自身 じしん のイデオロギーを動機 どうき としていたと見 み られている。この論争 ろんそう で活躍 かつやく したのは、チェコ人 じん の言語 げんご 学者 がくしゃ ヨゼフ・ドブロフスキー (Josef Dobrovský )、スロヴァキア人 じん のパヴェル・シャファーリク (Pavel Šafárik )、スロヴェニア人 じん のイェルネイ・コピタル (Jernej Kopitar )およびフランツ・ミクロシッチ 、セルビア人 じん のヴーク・カラジッチ 、クロアチア人 じん のボゴスラヴ・シュレク (Bogoslav Šulek )、ヴァトロスラヴ・ヤギッチ (Vatroslav Jagić )などであった。
基本 きほん 的 てき には、「言語 げんご 学的 がくてき には」誰 だれ がクロアチア人 じん 、スロベニア人 じん 、あるいはセルビア人 じん なのかという定義 ていぎ について、それぞれ自民 じみん 族 ぞく の領域 りょういき や影響 えいきょう 範囲 はんい を大 おお きくすることを目的 もくてき に議論 ぎろん は繰 く り返 かえ された。ロマンス主義 しゅぎ や民族 みんぞく 勃興 ぼっこう の中 なか から生 う まれたこれらの複雑 ふくざつ 怪奇 かいき な議論 ぎろん は、結局 けっきょく これらの民族 みんぞく の位置 いち づけを定義 ていぎ することのみに留 とど まった。これは主 おも に、シュト方言 ほうげん の下位 かい 方言 ほうげん 区分 くぶん はそれぞれ民族 みんぞく をまたいで広 ひろ がり、民族 みんぞく ごとに分離 ぶんり することができなかったことによる。他 た の方言 ほうげん と同様 どうよう に、シュト方言 ほうげん も「多 た 民族 みんぞく 的 てき な」方言 ほうげん であった。
しかしながら、これらのシュト方言 ほうげん の下位 かい 方言 ほうげん 話者 わしゃ たちは、民族 みんぞく 性 せい の確立 かくりつ と固定 こてい 化 か の過程 かてい を経 へ て、シュト方言 ほうげん のうちいくつかの有力 ゆうりょく な方言 ほうげん の話者 わしゃ へと代 か わっていった。メディアによる言語 げんご 標準 ひょうじゅん 化 か の運動 うんどう は19世紀 せいき に起 お こり、多 おお くの話者 わしゃ たちに影響 えいきょう を与 あた えた。以下 いか の分布 ぶんぷ の記述 きじゅつ に関 かん しては、前述 ぜんじゅつ のことに注意 ちゅうい されたい。
古 こ シュト方言 ほうげん は、現代 げんだい の民族 みんぞく 境界 きょうかい 線 せん に対 たい して、次 つぎ の位置 いち づけにある。
コソボ=レサヴァ方言 ほうげん (エ方言 ほうげん ): セルビア人 じん が大半 たいはん
ゼタ=南 みなみ サンジャク方言 ほうげん (イェ方言 ほうげん ): モンテネグロ人 じん 、ボシュニャク人 じん 、セルビア人 じん
スラヴォニア方言 ほうげん (ヤトの現出 げんしゅつ 方式 ほうしき は多様 たよう であり、イ方言 ほうげん が多 おお いものの、イェ方言 ほうげん やエ方言 ほうげん もある): ほとんどがクロアチア人 じん
東 ひがし ボスニア方言 ほうげん (イェ方言 ほうげん ): ほとんどがボシュニャク人 じん とクロアチア人 じん
一般 いっぱん に、新 しん シュト方言 ほうげん は、現在 げんざい の民族 みんぞく 境界 きょうかい 線 せん に対 たい して、次 つぎ の位置 いち づけにある。
シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言 ほうげん (エ方言 ほうげん ): ほとんどがセルビア人 じん
ダルマチア=ボスニア方言 ほうげん (イ方言 ほうげん ): ほとんどがクロアチア人 じん とボシュニャク人 じん
東 ひがし ヘルツェゴビナ方言 ほうげん (イェ方言 ほうげん ): セルビア人 じん 、モンテネグロ人 じん 、クロアチア人 じん 、ボシュニャク人 じん
区分 くぶん
下位 かい 方言 ほうげん
セルビア語 ご
クロアチア語 ご
ボスニア語 ご
モンテネグロ語 ご
古 こ シュト方言 ほうげん
コソボ=レサヴァ方言 ほうげん
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ゼタ=南 みなみ サンジャク方言 ほうげん
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スラヴォニア方言 ほうげん
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東 ひがし ボスニア方言 ほうげん
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新 しん シュト方言 ほうげん
シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言 ほうげん
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ダルマチア=ボスニア方言 ほうげん
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東 ひがし ヘルツェゴビナ方言 ほうげん
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シュト方言 ほうげん で書 か かれた初期 しょき の文書 ぶんしょ [ 編集 へんしゅう ]
初期 しょき シュト方言 ほうげん 、あるいはシュト方言 ほうげん へと変容 へんよう した教会 きょうかい スラヴ語 ご は、クリン大公 たいこう (ban Kulin )の勅許 ちょっきょ などの公的 こうてき な書類 しょるい にも見 み られる。この勅許 ちょっきょ は、ボスニアとドゥブロヴニクの交易 こうえき に関 かん する取 と り決 き めであり、1189年 ねん のものである。また、グルシュコヴィッチ(Gršković)とミハイロヴィッチ(Mihanović)の未完 みかん 原稿 げんこう (1150年 ねん )などの、南 みなみ ボスニアやヘルツェゴビナの宗教 しゅうきょう 的 てき な文書 ぶんしょ にもみられる。専門 せんもん 家 か の意見 いけん は2つに分 わ かれており、これらの文書 ぶんしょ 、とくにクリン大公 たいこう の勅許 ちょっきょ について、現在 げんざい にもみられるシュト方言 ほうげん の局所 きょくしょ 方言 ほうげん と見 み なしうるか否 ひ か、統一 とういつ した見解 けんかい は得 え られていない。主 おも に、教会 きょうかい スラヴ語 ご の影響 えいきょう を受 う けたシュト方言 ほうげん は、オスマン帝国 ていこく 以前 いぜん の時代 じだい のボスニアやザフムリェ 、セルビア、ゼタ公国 こうこく 、南 みなみ ダルマチア 特 とく にドゥブロヴニクなどで、多 おお くの法的 ほうてき 、商業 しょうぎょう 的 てき 文書 ぶんしょ に使 つか われている。最初 さいしょ の広範 こうはん なシュト方言 ほうげん の文書 ぶんしょ はバチカン・クロアチア語 ご 祈祷 きとう 書 しょ (en )であり、1400年 ねん より10年 ねん ないし20年 ねん ほど前 まえ にドゥブロヴニク にて書 か かれたものである。その後 ご 2世紀 せいき にわたって、シュト方言 ほうげん の文書 ぶんしょ は主 おも にドゥブロヴニクやその他 た のドゥブロヴニクの影響 えいきょう 下 か にあったアドリア海 あどりあかい 沿岸 えんがん 地域 ちいき や島嶼 とうしょ 部 ぶ 、ならびにボスニアで書 か かれていた。
ボスニア語 ご 、クロアチア語 ご 、セルビア語 ご の標準 ひょうじゅん 形 がた はすべて、新 しん シュト方言 ほうげん を基盤 きばん にしている。
しかしながら、これらの標準 ひょうじゅん 形 がた は、セルビア人 じん 、クロアチア人 じん 、ボシュニャク人 じん の相互 そうご の差異 さい とは関係 かんけい がなく、新 しん シュト方言 ほうげん の幾 いく らかの特徴 とくちょう (たとえば、ディクレンション )はそのまま維持 いじ されたものの、別 べつ の特徴 とくちょう は取 と り除 のぞ かれたり、新 あら たに付 つ け加 くわ えられたりした。たとえば、音素 おんそ /h/ は、これらの標準 ひょうじゅん 形 がた に再 さい 導入 どうにゅう されたものである。
クロアチア語 ご は、シュト方言 ほうげん の下位 かい 方言 ほうげん による読 よ み書 か きと文学 ぶんがく の長 なが い伝統 でんとう を持 も っている。ほぼ4世紀 せいき 半 はん にわたって、シュト方言 ほうげん はクロアチア語 ご 標準 ひょうじゅん 形 がた の基盤 きばん として優位 ゆうい な立場 たちば に立 た ち続 つづ けていた。その他 た の時代 じだい では、チャ方言 ほうげん やカイ方言 ほうげん 、チャ方言 ほうげん とカイ方言 ほうげん 、シュト方言 ほうげん の混交 こんこう 言語 げんご をクロアチア語 ご の標準 ひょうじゅん に推 お す動 うご きがあったものの、この試 こころ みは成功 せいこう しなかった。この試 こころ みの失敗 しっぱい は、主 おも に歴史 れきし 的 てき 、政治 せいじ 的 てき な理由 りゆう によると思 おも われる。1650年代 ねんだい 、既 すで にシュト方言 ほうげん がクロアチア語 ご の標準 ひょうじゅん 形 がた の基盤 きばん をなしていることは間違 まちが いなかったものの、最終 さいしゅう 的 てき にその地位 ちい を固 かた めたのは1850年代 ねんだい のことであった。このとき、新 しん シュト方言 ほうげん のイェ方言 ほうげん で、主 おも にドゥブロヴニク、ダルマチア、スラヴォニアの歴史 れきし 的 てき な書法 しょほう が、国家 こっか 的 てき な標準 ひょうじゅん として定 さだ められた。
セルビア語 ご はこれよりもずっと早 はや くから標準 ひょうじゅん 化 か が進 すす んでいた。文語 ぶんご 体 たい は18世紀 せいき に現 あらわ れたものの、ヴーク・カラジッチ によって1818年 ねん から1851年 ねん にかけての急進 きゅうしん 的 てき な過去 かこ からの脱却 だっきゃく と、新 しん シュト方言 ほうげん の伝統 でんとう 文化 ぶんか を基盤 きばん とした新 あたら しいセルビア語 ご 標準 ひょうじゅん 形 がた が制定 せいてい された。カラジッチはイェ方言 ほうげん を用 もち いたものの、多 おお くのセルビア人 じん はエ方言 ほうげん を用 もち いた。エ方言 ほうげん はセルビアで多数 たすう 派 は を占 し める形態 けいたい である。クロアチアやボスニアに住 す むセルビア人 じん や、モンテネグロ人 じん はイェ方言 ほうげん によるセルビア語 ご 標準 ひょうじゅん 形 がた を用 もち いた。
ボスニア語 ご は、20世紀 せいき 末 すえ から21世紀 せいき 初頭 しょとう にかけて、標準 ひょうじゅん 化 か が進 すす められている段階 だんかい にある。ボシュニャク人 じん の言語 げんご はセルビア語 ご イェ方言 ほうげん とクロアチア語 ご の中 なか 間 あいだ 的 てき なものであり、そこに幾 いく らかの特色 とくしょく が加 くわ わったものである。ユーゴスラビア崩壊 ほうかい 後 ご 、ボシュニャク人 じん は彼 かれ ら自身 じしん による標準 ひょうじゅん 形 がた への願 ねが いを具現 ぐげん 化 か させ、新 しん シュト方言 ほうげん に基 もと づくものの、彼 かれ らの特徴 とくちょう を(音素 おんそ から文法 ぶんぽう まで)反映 はんえい したボスニア語 ご を制定 せいてい した。
アクセントに関 かん して現代 げんだい の状況 じょうきょう は流動的 りゅうどうてき である。音声 おんせい 学者 がくしゃ によれば、4種類 しゅるい のアクセントがあり、これらはいずれも流動 りゅうどう 化 か している。これによって、従来 じゅうらい の4種類 しゅるい に代 か わって3種類 しゅるい のアクセントを規定 きてい する提案 ていあん がなされている。これは特 とく にクロアチア語 ご で現実 げんじつ 的 てき であり、それは従来 じゅうらい とは逆 ぎゃく にカイ方言 ほうげん やチャ方言 ほうげん からクロアチア語 ご 標準 ひょうじゅん 形 がた に流入 りゅうにゅう した影響 えいきょう とみられる。
クロアチア語 ご 、セルビア語 ご 、ボスニア語 ご の標準 ひょうじゅん 形 がた は、いずれも新 しん シュト方言 ほうげん を基盤 きばん としており(より厳密 げんみつ には、新 しん シュト方言 ほうげん の幾 いく らかの下位 かい 方言 ほうげん を基盤 きばん としている)、互 たが いに理解 りかい 可能 かのう であり、規定 きてい の文語 ぶんご 体 からだ あるいは標準 ひょうじゅん 形 がた の上 うえ では違 ちが いが認識 にんしき できる。これら3つの標準 ひょうじゅん 形 がた は文法 ぶんぽう においてほぼ同一 どういつ であるものの、その他 た の点 てん (音声 おんせい 、音韻 おんいん 論 ろん 、形態 けいたい 論 ろん など)において異 こと なっている。
例 れい : 「Što jest, jest; tako je (uvijek / uvek) bilo, što će biti, ( biće / bit će ), a nekako već će biti! 」
上記 じょうき の例 れい では、第 だい 1文 ぶん の中 なか ほどにある最初 さいしょ の選択 せんたく (uvijek / uvek)は標準 ひょうじゅん 形 がた によらずエ方言 ほうげん とイェ方言 ほうげん による差異 さい である。2番目 ばんめ の文 ぶん の中 なか ほどにある2番目 ばんめ の選択 せんたく はセルビア語 ご とクロアチア語 ご の標準 ひょうじゅん 形 がた による差異 さい である。
別 べつ の典型 てんけい 的 てき な例 れい として、次 つぎ のようなものがある。
Kuhinjska sol je spoj natrija i klora. (クロアチア語 ご )
Kuhinjska so je jedinjenje natrijuma i hlora. (セルビア語 ご )
Kuhinjska so je spoj natrija i hlora. (ボスニア語 ご )
Cooking salt is a compound of sodium and chlorine. (英語 えいご )
食塩 しょくえん はナトリウムと塩素 えんそ からできている。 (日本語 にほんご )
クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの方言 ほうげん 分布 ぶんぷ
^ Kašić, Govor Konavla, SDZb XLI (1995), 241-396
^ P. Ivić, Putevi razvoja srpskohrvatskog vokalizma, Voprosy jazykoznanija VII/1 (1958), revised in Iz istorije srpskohrvatske dijalektologije, Niš 1991