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クロアチア

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クロアチア共和国くろあちあきょうわこく
Republika Hrvatska
クロアチアの国旗 クロアチアの国章
国旗こっき くにあきら
くに標語ひょうご:なし
国歌こっかLijepa naša domovino(クロアチア
わたしたちのうつくしい故国ここく
クロアチアの位置
公用こうよう クロアチア
首都しゅと ザグレブ
最大さいだい都市とし ザグレブ
政府せいふ
大統領だいとうりょう ゾラン・ミラノヴィッチ
首相しゅしょう アンドレイ・プレンコビッチ
面積めんせき
総計そうけい 56,542km2124
水面すいめんせきりつ 0.2%
人口じんこう
総計そうけい2020ねん 410まん5000[1]ひと128
人口じんこう密度みつど 73.4[1]ひと/km2
GDP自国じこく通貨つうか表示ひょうじ
合計ごうけい2023ねん 7315おく1600まん[2]ユーロ (€)
GDP(MER
合計ごうけい2023ねん734おく900まん[2]ドル(79
1人ひとりあたり 1まん8451.271[2]ドル
GDP(PPP
合計ごうけい2023ねん1612おく460まん[2]ドル(82
1人ひとりあたり 4まん0484.514[2]ドル
独立どくりつユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこくより
1991ねん6月25にち
通貨つうか ユーロ (€)(EUR[注釈ちゅうしゃく 1]
時間じかんたい UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1 HR / HRV
ccTLD .hr
国際こくさい電話でんわ番号ばんごう 385

クロアチア共和国くろあちあきょうわこく(クロアチアきょうわこく、クロアチア: Republika Hrvatska)、通称つうしょうクロアチアは、みなみヨーロッパバルカン半島ばるかんはんとうにある共和きょうわせい国家こっかである。首都しゅとザグレブ

本土ほんどでは西にしスロベニアきたハンガリーひがしボスニア・ヘルツェゴビナセルビア国境こっきょうせっしている。みなみアドリア海あどりあかいめんし、対岸たいがんイタリアドゥブロヴニクではひがしモンテネグロせっしている。

ユーゴスラビア構成こうせいしていたが、1991ねん独立どくりつした。

国名こくめい

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クロアチアでの正式せいしき名称めいしょうRepublika Hrvatska 発音はつおん通称つうしょう Hrvatska [xř̩ʋaːtskaː](フルヴァツカ)。

公式こうしき英語えいご表記ひょうきRepublic of Croatia通称つうしょう Croatia [kroʊˈeɪʃə] ( 音声おんせいファイル)(クロエイシャ)。

日本語にほんご表記ひょうきクロアチア共和国くろあちあきょうわこく[3]通称つうしょうクロアチア漢字かんじ表記ひょうきではかつりょちゃなど。クロアチアによる正式せいしき名称めいしょう発音はつおん片仮名かたかな表記ひょうきにするならフルヴァツカちかいが、フルヴァツカと表記ひょうきされることはあまりない。「クロアティア」とはラテン語らてんごみである。

歴史れきし

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クロアチアの統一とういつ

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9世紀せいきになると、北方ほっぽう西方せいほうからフランク王国おうこく南方なんぽう東方とうほうからひがしマ帝国まていこく圧力あつりょくつよまった。カール大帝たいてい治世ちせいの9世紀せいきはじめには一時いちじてきにフランク王国おうこく版図はんとふくまれ、このときカトリック受容じゅようしている。以降いこうクロアチア(Duchy of Croatia)はカトリックの一員いちいんとなっている。こうしたなかりょう勢力せいりょく牽制けんせいしつつヴラニミル英語えいごばんがクロアチア統一とういつすすめ、879ねんローマ教皇きょうこうヨハネス8せいから独立どくりつ国家こっかとしてみとめられた。そのトミスラヴのもとでクロアチア王国おうこく発展はってんをとげるが、かれ死後しごしばらくして、後継こうけいしゃあらそいから内乱ないらん突入とつにゅうした。

同君どうくん連合れんごう

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このことがハンガリーおうラースロー1せい介入かいにゅうまねき、つぎのハンガリーおうカールマーンが、1102ねんクロアチア・ダルマチアのおうとして戴冠たいかんけた。これによって、クロアチア(ここでのクロアチアはザグレブを中心ちゅうしんとする地域ちいき)とスラヴォニアハンガリー王国おうこくとの同君どうくん連合れんごう枠組わくぐみのなかまれた(en)。ハンガリーおうはクロアチアに広範こうはん自治じちみとめ、そのさいにおかれた太守たいしゅ総督そうとく)はバン(バーン)とばれた。

オーストリア=ハンガリー帝国ていこく

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オーストリア=ハンガリー帝国ていこく時代じだい行政ぎょうせい区分くぶん1910ねん

こののち15世紀せいきにはオスマン帝国ていこく征服せいふくされ(Ottoman wars in Europe)、その領域りょういきまれた(軍政ぐんせい国境こっきょう地帯ちたいうちクロアチア軍政ぐんせい国境こっきょう地帯ちたいスラヴォニア軍政ぐんせい国境こっきょう地帯ちたいにあたる領域りょういきはオーストリア=ハンガリー帝国ていこくがわのこった)。

18世紀せいきすえまでに、オーストリア、ハンガリーによって回復かいふくされている(ハプスブルクりょうクロアチア王国おうこく)。これ以来いらいハプスブルク体制たいせいりの姿勢しせいをとり、1848ねんさんがつ革命かくめいさいにはクロアチアじん軍人ぐんじんイェラチッチがハンガリーなどでの革命かくめい鎮圧ちんあつ活躍かつやくしている。1867ねんオーストリア=ハンガリーじゅう帝国ていこく成立せいりつするが、ハンガリーがクロアチア=スラヴォニア王国おうこくたいしてみとめていた自治じちけんあわせて、実態じったいてきには「オーストリア=ハンガリー=クロアチア三重みえ帝国ていこく」であったとする研究けんきゅう存在そんざいする[よう出典しゅってん]。クロアチアは帝国ていこくない地域ちいき比較ひかくしても体制たいせいがわ協力きょうりょくてきだった。

一方いっぽうで、アドリア海あどりあかい沿岸えんがんダルマチア2地域ちいきとはべつ歴史れきしをたどった。ダルマチアは10世紀せいきまつヴェネツィア共和きょうわこく植民しょくみんになった。複雑ふくざつ海岸かいがんとそれにつらなる島々しまじま構成こうせいされるダルマチアは天然てんねん良港りょうこう宝庫ほうこであり、海洋かいよう国家こっかヴェネツィアにとって非常ひじょう重要じゅうよう地域ちいきとなった。ラグサ共和きょうわこくとしてはん独立どくりつしていた時期じきもあるが、ナポレオンフランス帝国ていこくりょうイリュリアしゅう1809ねん - 1816ねん)をて、以降いこう1815ねんウィーン会議かいぎにおいてオーストリア帝国ていこく直轄ちょっかつりょうハプスブルクりょうイリュリア王国おうこく、ハプスブルクりょうダルマチア王国おうこく)になるまでヴェネツィアの支配しはいつづく。なお、オーストリア直轄ちょっかつとなったてんも、ハンガリー王国おうこく領域りょういきであったほか2地域ちいき歴史れきしてき性格せいかくことにする。

ユーゴスラビア王国おうこく

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1918ねんだいいち世界せかい大戦たいせん敗北はいぼくからオーストリア・ハンガリーが崩壊ほうかい。オーストリア・ハンガリーから離脱りだつしたスロベニアじん・クロアチアじん・セルビアじんこくは、みなみスラブ民族みんぞくによる連邦れんぽう国家こっか構成こうせいセルビア王国おうこく提案ていあんけて、セルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国おうこく成立せいりつ参加さんか1929ねん国名こくめいユーゴスラビア王国おうこく改名かいめいした。しかしこの連邦れんぽう国家こっかにはクロアチアじんがわから、セルビアじんたいして政府せいふをコントロールしているのはセルビアじんであるとする反発はんぱつおおきく1939ねんにはこの不満ふまん解消かいしょうする目的もくてきで、広大こうだいクロアチア自治じちしゅうセルビア・クロアチアばん英語えいごばん設定せっていしたが、批判ひはんおおかった。

クロアチアどく立国りっこく

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クロアチア自治じちしゅう設定せっていだけでは満足まんぞくしないクロアチアじん勢力せいりょくは、アンテ・パヴェリッチ中心ちゅうしんとして、クロアチアの独立どくりつかかげる民族みんぞく主義しゅぎ団体だんたいウスタシャ設立せつりつ1941ねんはんどくクーデターによるしんえい政府せいふ打倒だとうためユーゴスラビアに侵攻しんこうしたナチス・ドイツ支援しえん背景はいけいとして、クロアチア、ダルマチア、スラヴォニアとヴォイヴォディナボスニア・ヘルツェゴヴィナ一部いちぶまたがクロアチアどく立国りっこく成立せいりつさせる。それ以降いこう、ユーゴスラビア共産党きょうさんとう中心ちゅうしんとするパルチザンおよびきゅうユーゴスラビア王国おうこくぐん成員せいいん中心ちゅうしんとしたチェトニックとのあいだ凄惨せいさん戦闘せんとうかえされる。クロアチア独立どくりつ国内こくないにはヤセノヴァツ強制きょうせい収容しゅうようしょなどの収容しゅうようしょ各地かくち建設けんせつされ、だい規模きぼ迫害はくがい虐殺ぎゃくさつおこなっていたことでもられる[4]

ユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこく

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ユーゴスラビアの混乱こんらん状態じょうたいは、ユーゴスラビア共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい指導しどうするパルチザンによってユーゴスラビアが自力じりき解放かいほうされることによって収束しゅうそくされた。戦後せんご以前いぜんのユーゴスラビアの枠組わくぐみのなか国家こっか再建さいけん目指めざされ、以降いこうこのパルチザン闘争とうそう主導しゅどうしたヨシップ・ブロズ・チトーたくみなバランス感覚かんかくと、カリスマせいによって民族みんぞく国家こっかユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこく維持いじされた。しかし、1980ねんにチトーが死去しきょしたことを皮切かわきりに、幹部かんぶかいシステムの導入どうにゅう経済けいざい状況じょうきょう不安定ふあんていによって、かく共和きょうわこく自治じちしゅうにおいて不満ふまん噴出ふんしゅつしはじめた。クロアチアはユーゴスラビア連邦れんぽう政府せいふ忠実ちゅうじつ立場たちばつづけたが、1980年代ねんだいなかばからスロボダン・ミロシェヴィッチ中心ちゅうしんとするセルビア共和国せるびあきょうわこくとスロヴェニア共和きょうわこく対立たいりつふかまると、次第しだいにスロヴェニアと歩調ほちょうわせるようになっていった。

独立どくりつ

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独立どくりつしたきゅうユーゴスラビア諸国しょこく2008ねん

東欧とうおう革命かくめい以降いこうきゅう東欧とうおう地域ちいきでそれまでいちとう独裁どくさい地位ちいにあった社会しゃかい主義しゅぎ政党せいとう自由じゆう選挙せんきょみと民主みんしゅ気運きうんたかまると、ユーゴスラビアでもこれをみと1990ねん戦後せんごはつ複数ふくすう政党せいとうせいによる自由じゆう選挙せんきょ実施じっしされた(Croatian parliamentary election, 1990)。クロアチアではユーゴスラビアからの自立じりつかかげるフラニョ・トゥジマンひきいるクロアチア民主みんしゅ同盟どうめい(HDZ)が勝利しょうりし、政権せいけん掌握しょうあく以降いこうユーゴスラビア・セルビアとの関係かんけい険悪けんあく一途いっとをたどっていった。

1991ねん3月2にちには、スラヴォニアの帰属きぞく西部せいぶ西にしスラヴォニア自治じち英語えいごばんクライナ・セルビアじん自治じち英語えいごばん東部とうぶひがしスラヴォニア・バラニャおよび西にしスレム・セルビアじん自治じちしゅう)をめぐってクライナ・セルビアじん自治じちぐんクロアチア警察けいさつぐん英語えいごばんあいだでにらみ事態じたいとなり、3月31にちにはプリトビツェみずうみぐん両者りょうしゃ衝突しょうとつし、死者ししゃ事態じたいとなった(プリトビツェみずうみぐん事件じけん英語えいごばん)。クロアチアの独立どくりつ目指めざ準備じゅんび着々ちゃくちゃくすすめられており、5月19にちには独立どくりつ可否かひ国民こくみん投票とうひょう実施じっしされ、93%の圧倒的あっとうてき多数たすう賛成さんせいひょうとうじた[注釈ちゅうしゃく 2]。これをけて6月25にちスロべニア同日どうじつ独立どくりつ宣言せんげんした。

一方いっぽうでクロアチア領内りょうないにもおおセルビアじんは、クロアチアの独立どくりつ反対はんたいしていた。この地域ちいきはクライナ・セルビアじん自治じち(→クライナ・セルビアじん共和きょうわこく)として、クロアチア政府せいふによる統治とうち拒否きょひするかまえをせた。また、セルビアじん保護ほご目的もくてきに、ユーゴスラビア連邦れんぽうぐんがクロアチアに介入かいにゅうした。これに対抗たいこうしたクロアチアぐんは、9がつなかばにはユーゴスラビアぐんとの全面ぜんめん衝突しょうとつクロアチア紛争ふんそうへとすすむ。結果けっか1995ねん戦闘せんとう終結しゅうけつするまでに大量たいりょう死者ししゃとセルビアじん難民なんみんした。 これはクロアチアぐんがセルビアじん自治じち襲撃しゅうげきし、迫害はくがいけるためにセルビアじんはユーゴスラビア地域ちいき退避たいひ移住いじゅうせざるをない状況じょうきょうおちいったことによる。破壊はかいけるために先祖せんぞ代々だいだいはか退避たいひせざるをえない悲劇ひげきであった。移住いじゅうせざるをなかったセルビアじんは20まんにん以上いじょうわれている。その地域ちいきをクロアチアじん居住きょじゅうとして併合へいごうすることにより民族みんぞく浄化じょうか路線ろせん完了かんりょうさせる。

なお、クロアチア政府せいふは1992ねん以降いこうボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ふんそうにも介入かいにゅうし、セルビアじん勢力せいりょくやボシュニャクじん勢力せいりょくとともに戦闘せんとう民族みんぞく浄化じょうかひろげた。

クロアチアのEU加盟かめい

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クロアチアの欧州おうしゅう連合れんごう以下いかEUとする)加盟かめい交渉こうしょうは、2005ねんなかにスケジュールがてられ、2008ねん1がつ発足ほっそくしたサナデルないかく2010ねんのEU加入かにゅう目標もくひょうとした。

ただし、クロアチアの加盟かめい交渉こうしょう開始かいしたってはオランダハーグ設置せっちされているきゅうユーゴスラビア国際こくさい戦犯せんぱん法廷ほうていから訴追そついされているクロアチアぐん退役たいえき将軍しょうぐんアンテ・ゴトヴィナどう法廷ほうていへの引渡ひきわたしが条件じょうけんとなっていた。これにたいしてはクロアチア国内こくない民族みんぞくからの抵抗ていこうおおきく当初とうしょ2005ねん3がつ予定よていされていた加盟かめい交渉こうしょう開始かいしは、この条件じょうけんたされないことを理由りゆう見送みおくられることになった。同年どうねん10月3にちからおこなわれたEU緊急きんきゅう外相がいしょう会議かいぎにおいて、トルコおよびクロアチアにたいする参加さんか交渉こうしょう開始かいしをめぐる議論ぎろんおこなわれ、よく4にちにクロアチアにたいしての加盟かめい交渉こうしょう開始かいし決定けっていされた。

当初とうしょクロアチアの加盟かめい交渉こうしょう開始かいし障害しょうがいとなっていたアンテ・ゴトヴィナは同年どうねん12がつ初頭しょとうスペインカナリア諸島かなりあしょとう身柄みがら拘束こうそくされ、ハーグのきゅうユーゴスラビア国際こくさい戦犯せんぱん法廷ほうてい移送いそうされた。

2008ねん、クロアチアのNATO(北大西洋きたたいせいよう条約じょうやく機構きこう)への加盟かめいみとめられ[5]実際じっさい加盟かめい2009ねん4がつ)、軍事ぐんじてききゅう西側にしがわ諸国しょこくわくなかであると認識にんしきされるようになった。

その欧州おうしゅう委員いいんかいはクロアチアとの加盟かめい交渉こうしょう終了しゅうりょうし、同国どうこくのEU加盟かめい加盟かめい27カ国かこく提案ていあんする方針ほうしん2011ねん6がつかためた。

2012ねん1がつ22にち国民こくみん投票とうひょうで3ぶんの2の賛成さんせい議会ぎかいによるEU加盟かめい条約じょうやく批准ひじゅんて、2013ねん7がつ1にちにクロアチアは正式せいしきにEUに加盟かめいした[6]。28番目ばんめのEU加盟かめいこくであり[注釈ちゅうしゃく 3]きゅうユーゴスラビア構成こうせい国家こっかでのなかではスロべニアつづく2れいとなった。

2023ねん1がつ1にちユーロ通貨つうか導入どうにゅう[7][8]シェンゲン協定きょうていにも参加さんかした[9]

政治せいじ

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バン宮殿きゅうでん

1990ねん憲法けんぽう制定せいてい以来いらい、クロアチアは民主みんしゅ主義しゅぎ標榜ひょうぼうしている。1990ねんから2000ねんまでははん大統領だいとうりょうせい、それ以降いこう議院ぎいんないかくせい採用さいようしている。国家こっか元首げんしゅである共和きょうわこく大統領だいとうりょう国民こくみん直接ちょくせつ選挙せんきょによる選出せんしゅつで、任期にんきは5ねん、2までとさだめられている。

大統領だいとうりょうぐん最高さいこう司令しれいかんであり、議会ぎかい同意どういのもと首相しゅしょう任命にんめいし、国家こっか元首げんしゅとして外交がいこう政策せいさく影響えいきょうおよぼすものの、おも儀礼ぎれいてき役割やくわりたす[10]ザグレブ大統領だいとうりょう宮殿きゅうでんほか避暑ひしょブリユニとうフヴァルとう邸宅ていたく所有しょゆうしている。

国会こっかいサボル)は2001ねんまで二院にいんせいっていたが、上院じょういんしゅう議院ぎいん)が廃止はいしされ、現在げんざい一院制いちいんせいである。サボルの議員ぎいん定数ていすうは100〜160にん可変かへん比例ひれい代表だいひょうせいによって選出せんしゅつされる。任期にんきは4ねんほん会議かいぎは1がつ15にちから7がつ15にちまでと9がつ15にちから12月15にちまでおこなわれる。

2024ねん4がつ17にちそう選挙せんきょおこなわれ、与党よとうクロアチア民主みんしゅ同盟どうめいが65議席ぎせき獲得かくとくだいいちとう維持いじした。しんロシアてきとされるゾラン・ミラノヴィッチ大統領だいとうりょうけいクロアチア社会しゃかい民主党みんしゅとう中心ちゅうしんとする中道ちゅうどう左派さは連合れんごうは、42議席ぎせきとどまった[11]

政府せいふ(ヴラダ)はふく首相しゅしょうと14めい閣僚かくりょうひきいる首相しゅしょう首班しゅはんとする。行政ぎょうせい機関きかん予算よさんあん法案ほうあん策定さくてい責任せきにんち、共和きょうわこく外交がいこう内政ないせい実行じっこうする。政府せいふ公邸こうていはザグレブのen:Banski dvoriバン宮殿きゅうでんクロアチア社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく時代じだいには大統領だいとうりょう)である。

地理ちり

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クロアチアの地図ちず

クロアチアの国土こくどおおまかに

の4地方ちほうかれる。

ドゥブロヴニク地方ちほうは、ボスニア・ヘルツェゴビナネウムによって分離ぶんりされ、となっている。そのためユーゴスラビアからの独立どくりつ本土ほんどとドゥブロヴニクのあいだ移動いどうさい同国どうこく検問けんもんしょ通過つうかするため不便ふべんさがあったが、2022ねんりょう地域ちいきあいだに、長大ちょうだいきょうペリェシャツきょう」が開通かいつうしたことでこれらの地域ちいき直接ちょくせつできるようになった。

地方ちほう行政ぎょうせい区分くぶん

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クロアチアは20地方ちほう(županije, županija - 単数たんすうがた)と1直轄ちょっかつ(grad - 単数たんすうがた)にかれる。

経済けいざい

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首都しゅとザグレブ
リエカ

IMFによると、2024ねん名目めいもくGDPやく880おくドルである[12]一人ひとりたりの名目めいもくGDPは13,401ドルで、きゅうユーゴスラビア諸国しょこくなかではスロベニアいで2番目ばんめたかい。

鉱業こうぎょう

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クロアチアの鉱業こうぎょう同国どうこく経済けいざいにおいて補助ほじょてき役割やくわりしかたしていない。原油げんゆ(104まんトン)と天然てんねんガス(74せんジュール)は同国どうこくのエネルギー消費しょうひりょうかず%をまかなうにぎない。金属きんぞく鉱物こうぶつ資源しげん産出さんしゅつせず、しおなどがられる程度ていどである。

交通こうつう

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陸路りくろ航空こうくう水路すいろ交通こうつう(ならびに河川かせん舟運しゅううん)はつぎのように整備せいびされている[13](クロアチアの交通こうつうはザグレブ中心ちゅうしんなので、ザグレブ#交通こうつう詳述しょうじゅつされている)。

道路どうろ

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国道こくどうには1号線ごうせんオーストリア国境こっきょうザグレブスプリト)、3号線ごうせんハンガリー国境こっきょう〜ザグレブ〜リエカ)、8号線ごうせん(リエカ〜ザダル〜スプリト〜ドブロブニクモンテネグロ国境こっきょう)などがあり、高速こうそく道路どうろA1(ザグレブ〜ザダル〜スプリト〜プロツェ、E71)、A2(オーストリア国境こっきょう〜ザグレブ、E59)、A3(スロベニア国境こっきょう〜ザグレブ〜スラヴォンスキ・ブロドセルビア国境こっきょうE70)、A4(ザグレブ〜ハンガリー国境こっきょうE70E65)などが近年きんねん急激きゅうげき整備せいびされてきた。[14] 都市としあいだ移動いどうにはちゅう長距離ちょうきょりバス利用りようされていて、便利べんりである。市内しない移動いどうには、バス路面ろめん電車でんしゃザグレブなど)、タクシーなどが利用りようできる。

鉄道てつどう

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ザグレブ中央ちゅうおうえき

ユーゴスラビア鉄道てつどう解体かいたいされたあとのクロアチア鉄道てつどう国有こくゆう鉄道てつどう)が運営うんえいしている。おも路線ろせんにはザグレブヴィンコヴツィ、ザグレブ〜オシエク、ザグレブ〜リエカ、ザグレブ〜スプリトなどがあり、さらに隣国りんごくのオーストリア、スロベニア、ハンガリー、セルビアなどへの国際こくさい列車れっしゃおおい。

航空こうくう

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クロアチア航空こうくうがある。空港くうこうはザグレブ(ザグレブ国際こくさい空港くうこう)、リエカ、スプリト、ドブロヴニクなどにあり、各社かくしゃ航空機こうくうき発着はっちゃくしている。

水路すいろ

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リエカ、ザダル、スプリトにおおきなみなとがあり、アドリア海あどりあかいではヤドロリニヤブルーライン・インターナショナル英語えいごばん(スプリト〜アンコーナ)などの海運かいうん会社かいしゃ活躍かつやくしていて、アドリア海あどりあかいめんした有名ゆうめい観光かんこう都市とし(リエカ、ザダル、スプリト、ドブロヴニク、および諸島しょとう)へは各社かくしゃ豪華ごうか客船きゃくせん寄港きこうおおい。ヴコヴァルドナウがわ)、スラヴォンスキ・ブロドサヴァがわ)などでは河川かせん利用りようされている。

国民こくみん

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民族みんぞく

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民族みんぞく構成こうせい(クロアチア)
クロアチアじん
  
90.4%
セルビアじん
  
4.4%
ボシュニャクじん
  
0.7%
その
  
4.5%

住民じゅうみんは、クロアチアじんが90.4%である。そのセルビアじんが4.36%、ボシュニャクじんが0.7%などとなっている。クロアチアにおけるクロアチアじん割合わりあいクロアチア紛争ふんそう以降いこうたかくなっており、クロアチア紛争ふんそうによってクロアチアに在住ざいじゅうしていたセルビアじんおおくが難民なんみんとしてクロアチア国外こくがい退去たいきょしたか、あるいは死亡しぼうした一方いっぽうで、ボスニアからのクロアチアけい難民なんみんおお流入りゅうにゅうしたものとられている。民族みんぞく浄化じょうかもっと成功せいこうしたれいといえる。

言語げんご

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クロアチアのクロアチア方言ほうげん地図ちず

言語げんごクロアチアラテン文字もじ公用こうようであり[注釈ちゅうしゃく 4]ひろ使つかわれている (96%)。一部いちぶセルビア使つかうものもいる (1%) が、このふたつは文字もじちがう(セルビアキリル文字もじとラテン文字もじ使用しよう程度ていどでほとんどおな言葉ことばであり、そのちがいは日本語にほんご共通きょうつう東京とうきょう地域ちいき)と大阪おおさかべんあいだちがいよりもちいさいといわれる。実際じっさいきゅうユーゴスラビア時代じだいセルビア・クロアチアというひとつの言語げんごとしてあつかわれていた。

婚姻こんいん

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婚姻こんいん改姓かいせいしない夫婦ふうふ別姓べっせいも、配偶はいぐうしゃせい改姓かいせいすることも、ふくあいせいとすることもいずれも選択せんたく可能かのうである[15]

宗教しゅうきょう

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宗教しゅうきょうは、だい部分ぶぶんローマ・カトリック中心ちゅうしんザグレブだい聖堂せいどう)である (86.3%)。のこりは、セルビア正教会せいきょうかいが4.4%、イスラム教いすらむきょうが1.3%、プロテスタントが0.3%などである。

教育きょういく

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日本語にほんご教育きょういく

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2014ねん現在げんざいザグレブ大学だいがくザダル大学だいがく日本語にほんご教育きょういくおこなわれている[16]

保健ほけん

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クロアチアは、世界せかいにおける平均へいきん余命よめいやく50にランクされており、男性だんせいは73さい女性じょせいは79さいであり、乳児にゅうじ死亡しぼうりつ出生しゅっしょう1,000にんあたり6にんひくかった[17]

治安ちあん

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クロアチアの治安ちあん状況じょうきょうは、一般いっぱんなか東欧とうおう諸国しょこくなか比較的ひかくてき安全あんぜんとされている。しかし、観光かんこうシーズンである夏季かき中心ちゅうしんとして、同国どうこくおとずれた日本人にっぽんじん旅行りょこうしゃから「スリ被害ひがいった」との情報じょうほう頻繁ひんぱんせられているとの報告ほうこくつづいているため十分じゅうぶん注意ちゅういもとめられている[18]

人権じんけん

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マスコミ

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文化ぶんか

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ネクタイ元々もともとがクロアチアじん風習ふうしゅうであったことから、ネクタイを言葉ことば各国かっこくで「クロアチア」を語幹ごかん使つかっているれいがある(フランス語ふらんすご: cravateスペイン: corbataなど)。

しょく文化ぶんか

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同国どうこく料理りょうりおも以下いかのものがられている。

文学ぶんがく

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音楽おんがく

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クロアチアの民俗みんぞく音楽おんがく地域ちいきによっておおきくことなる。北部ほくぶでは旋律せんりつリズムがハンガリーとているが、タンブリツァによる伴奏ばんそうがクロアチアてきであるとされ、ヴァイオリンツィンバロムといった構成こうせいはあまり使つかわれない。また、リズムにハンガリー民謡みんようのようなシンコペーションられない。男性だんせい合唱がっしょうによる「クラパ」はダルマチア地方ちほうではいまでもさかんにおこなわれていて、観光かんこうきゃくもよくみみにする。[19] また、1919ねん創立そうりつされたザグレブ四重奏しじゅうそうだん名高なだかい。

ディスコグラフィー

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  • "Songs & Dances from Croatia"(Zagreb Folk Dance Ensemble / Dr.Ivan Ivančan - Mentor / EUCD 1500, dinaton & ®©1900, ARC Music Productions Int.Ltd.[20])
  • "Folk Music from Croatia"(Tamburaski Sastav "Veritas"(Tambura Ensemble "Veritas") / EUCD 1078, ARC M.P.Int.Ltd.)

映画えいが

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1954ねん設立せつりつされたプーラ映画えいがさい英語えいごばんや1999ねん設立せつりつモトヴン映画えいがさい英語えいごばん有名ゆうめいであり、2003ねんからは首都しゅとザグレブにおいてザグレブ映画えいがさい英語えいごばん(ZFF)が開催かいさいされている。

また、「ZagrebDox」とばれる国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさい毎年まいとし2がつ下旬げじゅんから3がつ上旬じょうじゅんにかけてザグレブで開催かいさいされる。

建築けんちく

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クロアチアはヨーロッパ諸国しょこくにおいて建築けんちく歴史れきしながくにいちこくかぞえられている。

世界せかい遺産いさん

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世界せかい遺産いさんドゥブロヴニクきゅう市街しがい

クロアチア国内こくないには、ユネスコ世界せかい遺産いさんリストに登録とうろくされた文化ぶんか遺産いさんが6けん自然しぜん遺産いさんが1けんある。

祝祭日しゅくさいじつ

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祝祭日しゅくさいじつ
日付ひづけ 日本語にほんご表記ひょうき クロアチア表記ひょうき 備考びこう
1がつ1にち 元日がんじつ Nova Godina(ノヴァ・ゴディナ)
... 復活ふっかつさいおよび復活ふっかつさい月曜日げつようび Uskrs i Uskršnji ponedjeljak(ウスクルス・イ・ウスクルシニ・ポネディイェルイェヤク) 変動へんどうあり
5月1にち メーデー Međunarodni praznik rada(メジュナロドニー・プラズニク・ラダ)
イースターより60にち 聖体せいたい祝日しゅくじつ Tjelovo (ティイェロヴォー) 移動いどう祝日しゅくじつ
6月22にち はんファシスト闘争とうそう記念きねん Dan antifašističke borbe(ダン・アンティファシスティチュケ・ボルベ)
6月25にち 国家こっか Dan državnosti(ダン・ドルジャヴノスティ)
8がつ5にち 解放かいほう Dan pobjede i Dan domovinske zahvalnosti(ダン・ポブイェデ・イ・ダン・ドモヴィンスケ・ザファルノスティ)
8がつ15にち 聖母せいぼ昇天しょうてん祭日さいじつ Velika Gospa(ヴェリカ・ゴースパ)
10月8にち 独立記念日どくりつきねんび Dan nezavisnosti(ダン・ネザヴィスノスティ)
11月1にち しょ聖人せいじん Dan svih svetih(ダン・スヴィ・スヴェーティー)
12月25にち クリスマス Božić(ボージチュ)
12月26にち きよしステファノ殉教者じゅんきょうしゃ祝日しゅくじつ Sveti Stjepan(スヴェーティー・スティエパン)

スポーツ

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サッカー

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2018 FIFAワールドカップ準決勝じゅんけっしょうでのサッカークロアチア代表だいひょう

サッカーはクロアチア国内こくない圧倒的あっとうてきに1ばん人気にんきスポーツであり、きゅうユーゴスラビア時代じだいからすうおおくの世界せかいてきめい選手せんしゅ輩出はいしゅつしている。1992ねんにはサッカーリーグのプルヴァHNL創設そうせつされた。ディナモ・ザグレブハイドゥク・スプリトダービーマッチである『ヴィエチュニ・デルビ』は、地域ちいき主義しゅぎ根差ねざしたライバル意識いしきつよく、サポーター同士どうし衝突しょうとつ頻繁ひんぱん発生はっせいする。

クロアチアサッカー連盟れんめい(HNS)によって構成こうせいされるサッカークロアチア代表だいひょうは、FIFAワールドカップには1998ねん大会たいかいはつ出場しゅつじょうたし、3好成績こうせいせきおさめた。さらに2018ねん大会たいかいではきゅうユーゴ時代じだいとおしてもはつとなる決勝けっしょう進出しんしゅつたし、フランス代表だいひょうに2-4でやぶれたもののじゅん優勝ゆうしょうかがやいた。キャプテンルカ・モドリッチは、どう大会たいかいゴールデンボール最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅ)を受賞じゅしょう[21]、さらに同年どうねんにはFIFA最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅしょうバロンドール獲得かくとくしている[22]2022ねん大会たいかいでは日本にっぽん代表だいひょうPKせんくだしたうえ強豪きょうごうブラジル代表だいひょうやぶり、3入賞にゅうしょうした。

バスケットボール

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アリーナ・ザグレブ

クロアチアではおおくのNBA選手せんしゅ輩出はいしゅつしており、クロアチア代表だいひょう独立どくりつ1992ねん結成けっせいされた。はじめてのオリンピックとなったバルセロナ五輪ごりんでは、マイケル・ジョーダンマジック・ジョンソンらをようする初代しょだいドリームチーム相手あいて決勝けっしょうやぶれたものの、はつ出場しゅつじょう堂々どうどうぎんメダル獲得かくとくした。また、1994ねん世界せかい選手権せんしゅけんでもどうメダル獲得かくとくしている。さらにユーロバスケットでは、1993ねん大会たいかい1995ねん大会たいかいどうメダルを獲得かくとくした。しかし、1996ねんアトランタ五輪ごりんで7わったのちながらく低迷ていめいつづいた。2008ねん北京ぺきん五輪ごりんでアトランタ大会たいかい以来いらい五輪ごりん出場しゅつじょうげ、ふたた復調ふくちょうきざしをみせている。

クロアチアはテニスさかんであり、世界せかいランク2記録きろくしたゴラン・イワニセビッチからイワン・リュビチッチイボ・カロビッチマリオ・アンチッチマリン・チリッチと、つね長身ちょうしんのビッグサーバーを輩出はいしゅつするテニス大国たいこくである。2005ねんにはくにべつ対抗たいこうせんであるデビスカップで、イワン・リュビチッチマリオ・アンチッチ2人ふたり中心ちゅうしん世界一せかいいちかがやいた。

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 2022ねん以前いぜん通貨つうかクーナクロアチアのユーロ硬貨こうか参照さんしょう
  2. ^ セルビアけい住民じゅうみん大半たいはん投票とうひょうをボイコットした。
  3. ^ 当時とうじはイギリスも加盟かめいしていたため。2020ねん1がつブレグジットにより、参加さんかこくすうは27カ国かこくとなった。
  4. ^ クロアチア共和国くろあちあきょうわこく憲法けんぽうクロアチアばん英語えいごばんだい12じょう明確めいかくさだめられている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b UNdata”. 国連こくれん. 2021ねん11月6にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e World Economic Outlook Database” (英語えいご). IMF. 2023ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ クロアチア基礎きそデータ”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2022ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  4. ^ 石田いしだ信一しんいち. “きゅうユーゴスラヴィア諸国しょこくだい世界せかい大戦たいせんをめぐる歴史れきし認識にんしき”. ヨーロッパ統合とうごう国民こくみん国家こっか歴史れきし認識にんしき. 地域ちいき研究けんきゅうコンソーシアム. 2020ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  5. ^ NATO首脳しゅのう会議かいぎ開幕かいまく、アルバニアとクロアチアの加盟かめい承認しょうにん”. AFP (2008ねん4がつ3にち). 2022ねん1がつ27にち閲覧えつらん
  6. ^ “クロアチアがEU加盟かめい、28カ国かこく体制たいせいに バルカン半島ばるかんはんとう安定あんてい前進ぜんしん. 産経新聞さんけいしんぶん. (2013ねん7がつ1にち). https://web.archive.org/web/20130703162104/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130701/erp13070107390001-n1.htm 2013ねん7がつ1にち閲覧えつらん 
  7. ^ 共同通信きょうどうつうしん (2023ねん1がつ2にち). “クロアチアがユーロ導入どうにゅう 20カ国かこく経済けいざい効果こうか期待きたい共同通信きょうどうつうしん”. 共同通信きょうどうつうしん. 2023ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  8. ^ ビジネス短信たんしん: クロアチア、2023ねん1がつからのユーロ導入どうにゅう正式せいしき決定けってい、シェンゲン協定きょうていにも参加さんか見通みとお”. 日本にっぽん貿易ぼうえき振興しんこう機構きこう (2022ねん7がつ14にち). 2022ねん7がつ29にち閲覧えつらん
  9. ^ ビジネス短信たんしん: EU理事りじかい、2023ねん1がつからのクロアチアのシェンゲン協定きょうてい参加さんか正式せいしき決定けってい”. 日本にっぽん貿易ぼうえき振興しんこう機構きこう (2022ねん12月12にち). 2022ねん12月13にち閲覧えつらん
  10. ^ クロアチア、来月らいげつ22にち大統領だいとうりょうせん実施じっし”. ロイター (2019ねん11月14にち). 2019ねん11月14にち閲覧えつらん
  11. ^ おや欧州おうしゅう与党よとうだいとう 大統領だいとうりょう野党やとう勝利しょうり―クロアチアそう選挙せんきょ時事じじドットコム”. 時事通信社じじつうしんしゃ (2024ねん4がつ18にち). 2024ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  12. ^ Report for Selected Countries and Subjects” (英語えいご). IMF. 2024ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  13. ^ 地球ちきゅうあるかた、クロアチア スロベニア』(ダイヤモンド・ビッグしゃ、2011ねん
  14. ^ "Auto Karte Trsat, Hrvatska" (Trsat Polo d.o.o., 2012)
  15. ^ Obiteljski zakon (Family Law), CROATIAN PARLIAMENT, 2015.
  16. ^ [1] ざいクロアチア日本国にっぽんこく大使館たいしかん公式こうしきサイトにおける大使たいし挨拶あいさつ、2014ねん12月22にち閲覧えつらん
  17. ^ Croatia” (2015ねん5がつ10日とおか). 2022ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  18. ^ クロアチア 安全あんぜん対策たいさく基礎きそデータ「犯罪はんざい発生はっせいじょうきょう防犯ぼうはん対策たいさく”. 外務省がいむしょう. 2022ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  19. ^ 『Lonely Planet, Croatia』 (Lonely Planet Publications, 2011)
  20. ^ ARC MUSIC
  21. ^ クロアチア・モドリッチ最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅしょう ケーン得点とくてんおう - 日刊にっかんスポーツ、2018ねん7がつ16にち
  22. ^ “モドリッチがバロンドールはつ受賞じゅしょう個人こじん3かん!…メッシは12ねん連続れんぞくトップ3のがす”. サッカーキング. (2018ねん12月4にち). https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20181204/872243.html 2020ねん2がつ26にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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政府せいふ
日本にっぽん政府せいふ
観光かんこう
その