ニューカレドニア
Nouvelle-Calédonie
掲 かか げられたフランス国旗 こっき とFLNKS (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) の旗 はた 2010年 ねん より両方 りょうほう とも公式 こうしき 旗 き となった[1]
ニューカレドニア (英語 えいご : New Caledonia 、フランス語 ふらんすご : Nouvelle-Calédonie )は、ニューカレドニア島 とう (フランス語 ふらんすご でグランドテール Grande Terre、「本土 ほんど 」と呼 よ ばれる)およびロイヤルティ諸島 しょとう (ロワイヨテ諸島 しょとう )からなるフランス の海外 かいがい 領土 りょうど (collectivité sui generis、特別 とくべつ 共同 きょうどう 体 たい )である。ニッケル を産出 さんしゅつ する鉱業 こうぎょう の島 しま である一方 いっぽう 、リゾート 地 ち でもある。ニューカレドニアの珊瑚礁 さんごしょう は世界 せかい 遺産 いさん に登録 とうろく されている。
ニューカレドニア地図 ちず
オーストラリア 東方 とうほう の島 しま で、南太平洋 みなみたいへいよう のメラネシア 地域 ちいき にあり、面積 めんせき は1万 まん 8575.5平方 へいほう キロメートル (四国 しこく ほどの大 おお きさ)である。フランス語 ふらんすご ではヌーヴェルカレドニー (Nouvelle-Calédonie)と呼 よ び、ニューカレドニア は英語 えいご 読 よ み(英語 えいご : New Caledonia )から来 き ている(Caledonia はスコットランド のラテン語 らてんご 名 な であり、新 あたら しいスコットランドの意 い 。同義 どうぎ のノヴァ・スコシア とは無関係 むかんけい )。先住民 せんじゅうみん カナック の言葉 ことば ではカナキー (Kanaky)とも呼 よ ばれる。
人口 じんこう は、2016年 ねん の調査 ちょうさ では27万 まん 5355人 にん 。政庁 せいちょう 所在地 しょざいち で人口 じんこう 最大 さいだい の都市 とし はヌーメア (2014年 ねん の人口 じんこう は9万 まん 9926人 にん [2] )。インターネット の国 くに 別 べつ コードトップレベルドメイン は「.nc 」。通貨 つうか はウォリス・フツナ 、フランス領 りょう ポリネシア と共 とも にCFPフラン を使用 しよう している。主 しゅ 都 と ヌーメアは、太平洋 たいへいよう 地域 ちいき の地域 ちいき 協力 きょうりょく 機構 きこう 、太平洋 たいへいよう 共同 きょうどう 体 たい の本部 ほんぶ 所在地 しょざいち である。
1985年 ねん 以降 いこう 、カナックによる激 はげ しい独立 どくりつ 運動 うんどう が行 おこな われ、一時 いちじ は暴動 ぼうどう や内戦 ないせん に近 ちか い状態 じょうたい を呈 てい していた。1986年 ねん 、国連 こくれん 非 ひ 植民 しょくみん 地 ち 化 か 委員 いいん 会 かい (United Nations Committee on Decolonization )は、ニューカレドニアを国連 こくれん 非 ひ 自治 じち [3] 地域 ちいき リスト に掲載 けいさい した。
1998年 ねん 、フランス政府 せいふ と独立 どくりつ 派 は 組織 そしき のFLNKS、カレドニア共和 きょうわ 国 こく 運動 うんどう (英語 えいご 版 ばん ) と締結 ていけつ されたヌーメア協定 きょうてい (英語 えいご 版 ばん ) に基 もと づき、2018年 ねん 11月4日 にち 、2020年 ねん 10月 がつ 4日 にち 、そして2021年 ねん 12月12日 にち に独立 どくりつ を問 と う住民 じゅうみん 投票 とうひょう が実施 じっし されたが、いずれも独立 どくりつ 反対 はんたい が過半数 かはんすう を占 し め、独立 どくりつ は否決 ひけつ された(詳細 しょうさい は後述 こうじゅつ )[4] [5] [6] 。
「カレドニア 」とは、今日 きょう のスコットランド にあたる地域 ちいき を指 さ すラテン語 らてんご 名 な である。一方 いっぽう 、カナキー (Kanaky) という名 な もフランス語 ふらんすご 、英語 えいご 、現地 げんち の先住民 せんじゅうみん であるカナック の言葉 ことば では一般 いっぱん 的 てき に使 つか われており、メラネシア民族 みんぞく 主義 しゅぎ 者 しゃ の間 あいだ では「ヌーヴェルカレドニー」より「カナキー」のほうが好 この まれる。
カナキーという名 な は、ポリネシア 語 かたり で「人間 にんげん 」を意味 いみ し、ポリネシア人 じん の自称 じしょう として使 つか われる「カナカ (kanaka)」から来 き ている。
カナカという語 かたり は後 のち に、フランス人 じん がポリネシア・メラネシアを含 ふく めた全 すべ ての太平洋 たいへいよう 先住民 せんじゅうみん を指 さ して使 つか う言葉 ことば になった。一方 いっぽう 、フランス語 ふらんすご 化 か したカナク (Canaque) は侮蔑 ぶべつ 語 ご として使 つか われていた[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
1960年代 ねんだい から1970年代 ねんだい にかけ、ニューカレドニアのメラネシア系 けい 先住民 せんじゅうみん が政党 せいとう を結成 けっせい し独立 どくりつ への訴 うった えを開始 かいし したとき、侮蔑 ぶべつ 語 ご だったカナクはメラネシア人 じん の政治 せいじ 的 てき 解放 かいほう と民族 みんぞく の誇 ほこ りのシンボル的 てき な言葉 ことば となった。1983年 ねん 、政治 せいじ 的 てき 混乱 こんらん がニューカレドニアを襲 おそ った時期 じき 、カナク (KANAK) とカナキーは政治 せいじ 的 てき な標語 ひょうご となり、カナクという語 かたり が政治 せいじ 的 てき 主張 しゅちょう の強 つよ い言葉 ことば へと変 か わったことが広 ひろ く認識 にんしき されるようになった。
1774年 ねん にジェームズ・クック によって「発見 はっけん 」され、1853年 ねん にフランス 領 りょう となっている。当初 とうしょ は流刑 りゅうけい 植民 しょくみん 地 ち だったが、19世紀 せいき 後半 こうはん のニッケル 発見 はっけん 後 ご は鉱業 こうぎょう の島 しま となった。20世紀 せいき 後半 こうはん には独立 どくりつ 闘争 とうそう で島 しま が揺 ゆ れ、1998年 ねん のヌーメア協定 きょうてい (英語 えいご 版 ばん ) で将来 しょうらい に関 かん する合意 ごうい がなされた。
西太平洋 にしたいへいよう に人 ひと が住 す み始 はじ めたのは5万 まん 年 ねん 前 まえ であった。その後 ご パプア諸語 しょご の民族 みんぞく がメラネシアに拡散 かくさん した。他 ほか にも、ラピタ人 じん (Lapita) がメラネシアの島々 しまじま に移 うつ り住 す んでいる。紀元前 きげんぜん 1500年 ねん 、ラピタ人 じん たちは現在 げんざい のニューカレドニアおよびロイヤルティ諸島 しょとう に到達 とうたつ し、高度 こうど な航海 こうかい 術 じゅつ や農業 のうぎょう 、土器 どき 作 つく りは太平洋 たいへいよう の広 ひろ い範囲 はんい に影響 えいきょう を及 およ ぼした。その土器 どき などの痕跡 こんせき は今 いま もニューカレドニアに残 のこ るほか、彼 かれ らの前 まえ に住 す んでいた民族 みんぞく による1万 まん 年 ねん 前 まえ のペトログリフ (岩 いわ 刻 こく )も残 のこ っている。
その後 ご 、オーストロネシア語族 ごぞく が台湾 たいわん などを起点 きてん にオセアニアに進出 しんしゅつ している。11世紀 せいき ごろ、オーストロネシア語族 ごぞく のポリネシア人 じん がニューカレドニアに到達 とうたつ し、パプア系 けい などの先住民 せんじゅうみん 族 ぞく と混血 こんけつ した。
ニューカレドニアのメラネシア人 じん は、27のメラネシア系 けい 言語 げんご とウォリス・フツナ人 じん よりもたらされたポリネシア系 けい 言語 げんご 、合 あ わせて28の言語 げんご を有 ゆう している。その共同 きょうどう 体 たい 社会 しゃかい は、クラン(clan、氏族 しぞく )を基本 きほん 単位 たんい にして細分 さいぶん 化 か している。実際 じっさい の居住 きょじゅう は、いくつかのクランが集 あつ まり集団 しゅうだん (tribu) を構成 こうせい している。これらの集団 しゅうだん において首長 しゅちょう 権限 けんげん に違 ちが いが出 で ている。たとえば首 くび 島 とう のグランド・テール (Grande Terre) では首長 しゅちょう 権限 けんげん は緩 ゆる やかだが、ウベア 、リフー 、マレなどのロイヤルティ諸島 しょとう では、首長 しゅちょう 支配 しはい が強 つよ い[7] 。
ヨーロッパ人 じん のニューカレドニアおよびロイヤルティ諸島 しょとう 到達 とうたつ は18世紀 せいき 後半 こうはん のことだった。イギリス の探検 たんけん 家 か ジェームズ・クック (キャプテン・クック)が1774年 ねん 、海上 かいじょう からニューカレドニア本島 ほんとう (グランドテール島 とう )を「発見 はっけん 」し、山 やま の多 おお いスコットランド (カレドニア )を思 おも わせる眺 なが めからニューカレドニアと名 な づけた。同 おな じ航海 こうかい で、彼 かれ はニューカレドニア北方 ほっぽう の島 しま にニューヘブリデス諸島 しょとう (現在 げんざい のバヌアツ )と名 な づけている。
ニューカレドニアの地図 ちず 、1888年 ねん
イギリスとアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の捕鯨 ほげい 業者 ぎょうしゃ および白檀 びゃくだん (サンダルウッド)貿易 ぼうえき 商 しょう がニューカレドニアに関心 かんしん を示 しめ すようになり、ヨーロッパ人 じん と先住民 せんじゅうみん との間 あいだ に緊張 きんちょう が高 たか まった。ヨーロッパ人 じん の先住民 せんじゅうみん への接触 せっしょく も次第 しだい に無知 むち に付 つ け込 こ んだ不正直 ふしょうじき なものとなり、高慢 こうまん な態度 たいど と詐欺 さぎ が横行 おうこう するようになった。英 えい 米 べい 人 じん はアルコール や煙草 たばこ など依存 いぞん 症 しょう の高 たか い物品 ぶっぴん を物々交換 ぶつぶつこうかん の品物 しなもの に混 ま ぜ、先住民 せんじゅうみん を中毒 ちゅうどく にした。またヨーロッパ人 じん との接触 せっしょく で天然痘 てんねんとう 、インフルエンザ などさまざまな疫病 えきびょう が先住民 せんじゅうみん の間 あいだ に蔓延 まんえん したことにより多 おお くの人々 ひとびと が亡 な くなった。そして緊張 きんちょう は敵意 てきい に変 か わり、1849年 ねん にはカッター号 ごう の船員 せんいん がポウマ族 ぞく (Pouma) に殺 ころ され、食 た べられる事件 じけん が起 お きた。
白檀 びゃくだん 貿易 ぼうえき が衰退 すいたい すると、新 あら たな商売 しょうばい が誕生 たんじょう した。ニューカレドニア、ロイヤルティ諸島 しょとう 、バヌアツ 、パプアニューギニア 、ソロモン諸島 しょとう などで先住民 せんじゅうみん を捕 と らえ、フィジー やクイーンズランド のサトウキビ プランテーション で奴隷 どれい 労働 ろうどう をさせる「ブラックバーディング 」である。こうした奴隷 どれい 貿易 ぼうえき で島々 しまじま の社会 しゃかい や文化 ぶんか は荒廃 こうはい したが、20世紀 せいき 初頭 しょとう まで終 お わることはなかった。
カトリック やプロテスタント の宣教師 せんきょうし がやってきたのは19世紀 せいき である。彼 かれ らが先住民 せんじゅうみん の文化 ぶんか に与 あた えた効果 こうか は重大 じゅうだい なものがあった。宣教師 せんきょうし は人々 ひとびと に服 ふく を着 き て肌 はだ を隠 かく すようにい張 いは り、多 おお くの風習 ふうしゅう や伝統 でんとう を根絶 ねだ やしにしてしまった。
ニューカレドニアは1853年 ねん 9月24日 にち 、イギリスのオーストラリア・ニュージーランド領有 りょうゆう に対抗 たいこう しようとしたナポレオン3世 せい の派遣 はけん した提督 ていとく オーギュスト・フェヴリエ=デポワント (Auguste Febvrier-Despointes) によってフランス領 りょう と宣言 せんげん された。同年 どうねん 9月 がつ 29日 にち 、パン島 とう も領有 りょうゆう 宣言 せんげん した。1864年 ねん には、ロイヤルティ諸島 しょとう もフランス植民 しょくみん 地 ち として組 く み込 こ んだ。
イギリスのオーストラリア植民 しょくみん の例 れい に倣 なら い、1854年 ねん から1922年 ねん までの間 あいだ 、有罪 ゆうざい を宣告 せんこく された重罪 じゅうざい 犯 はん およそ2万 まん 2000人 にん が、流刑 りゅうけい 地 ち とされたニューカレドニア島 とう 南西 なんせい 岸 がん 地域 ちいき に送 おく り込 こ まれた。この中 なか には通常 つうじょう の凶悪 きょうあく 犯 はん もいれば、パリ・コミューン の共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 もの 、アルジェリア 北部 ほくぶ のカビリア で逮捕 たいほ されたカビル人 じん 民族 みんぞく 主義 しゅぎ 者 もの ら政治 せいじ 犯 はん も数多 かずおお くいた。
ニッケル 鉱山 こうざん の発見 はっけん により流刑 りゅうけい 植民 しょくみん 地 ち の時代 じだい が終 お わり、鉱山 こうざん 労働 ろうどう 者 しゃ の需要 じゅよう が増 ふ え、ヨーロッパからの自由 じゆう 意志 いし での移住 いじゅう 者 しゃ (前科 ぜんか 者 しゃ なども含 ふく む)や日本人 にっぽんじん などアジア人 じん 契約 けいやく 労働 ろうどう 者 しゃ が多 おお くなった。また鉱山 こうざん で強制 きょうせい 労働 ろうどう をさせられる人数 にんずう も激増 げきぞう した。同 どう 時期 じき 、先住 せんじゅう のカナク人 じん の人口 じんこう は疫病 えきびょう や、彼 かれ らの生計 せいけい ・移動 いどう の自由 じゆう ・土地 とち 所有 しょゆう を厳重 げんじゅう に制限 せいげん するアパルトヘイト に似 に た先住民 せんじゅうみん に対 たい する法制 ほうせい (“Code de l'Indigénat”) によって激減 げきげん していった。
日本 にっぽん からニューカレドニアへの契約 けいやく 移民 いみん は1892年 ねん から1919年 ねん まで続 つづ き、約 やく 5700名 めい の日本人 にっぽんじん 男性 だんせい がニューカレドニアに移住 いじゅう した。元来 がんらい は独身 どくしん 男性 だんせい に限 かぎ る出稼 でかせ ぎであったが現地 げんち 女性 じょせい と所帯 じょたい を持 も って定住 ていじゅう する日本人 にっぽんじん が少 すく なからず現 あらわ れるようになり、1940年 ねん には首都 しゅと ヌメアに日本 にっぽん 帝国 ていこく 領事館 りょうじかん が開設 かいせつ された。但 ただ し、大 だい 東亜 とうあ 戦争 せんそう (太平洋戦争 たいへいようせんそう )勃発 ぼっぱつ に伴 ともな い当時 とうじ ニューカレドニアに約 やく 1200名 めい ほどいた日系 にっけい 人 じん は敵性 てきせい 外国 がいこく 人 じん として弾圧 だんあつ の対象 たいしょう となって、ヌメアの帝国 ていこく 領事館 りょうじかん も設立 せつりつ から僅 わず か2年 ねん 足 た らずで閉鎖 へいさ された[8] 。
ガダルカナルへ出撃 しゅつげき する米 べい 海軍 かいぐん プレジデント・アダムズ号 ごう 、ニューカレドニアは太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん でのアメリカ軍 ぐん の拠点 きょてん だった
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん では、ニューカレドニアは自由 じゆう フランス側 がわ に付 つ いたため、太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん でのアメリカ軍 ぐん の拠点 きょてん となった。島 しま にはフランスと違 ちが うアメリカの文化 ぶんか や物資 ぶっし が豊富 ほうふ に流入 りゅうにゅう した。この出来事 できごと は、フランス人 じん 支配 しはい 下 か であえいでいた現地 げんち 人 じん には肯定 こうてい 的 てき に受 う けとめられている。一方 いっぽう 、日本人 にっぽんじん 労働 ろうどう 者 しゃ や日系 にっけい 人 じん は「敵性 てきせい 外国 がいこく 人 じん 」としてオーストラリアなどへ強制 きょうせい 移送 いそう されたり、戦中 せんちゅう の交換 こうかん 船 せん により日本 にっぽん へ帰国 きこく した者 もの や敗戦 はいせん まで捕虜 ほりょ として収容 しゅうよう されたりした。
カナックの旗 はた 。将来 しょうらい 独立 どくりつ した場合 ばあい 、カナキー国旗 こっき となる
ニューカレドニアの紋章 もんしょう
メラネシア人 じん の政治 せいじ 参加 さんか は、初 はじ めはヨーロッパ人 じん の共産党 きょうさんとう やキリスト教 きりすときょう 組織 そしき が主導 しゅどう していたが、1953年 ねん 、「2つのカラー(肌 はだ の色 いろ )に1つの国民 こくみん 」を合言葉 あいことば としてユニオン・カレドニエン(UC、社会 しゃかい 主義 しゅぎ 政党 せいとう )が結成 けっせい された[9] 。
脱 だつ 植民 しょくみん 地 ち 化 か 運動 うんどう は1960年代 ねんだい 末 まつ から始 はじ まっており、「カナック・アイデンティティの回復 かいふく 要求 ようきゅう 」として具体 ぐたい 化 か されている。それは、先住民 せんじゅうみん としての権利 けんり 回復 かいふく 要求 ようきゅう の政治 せいじ 的 てき 声明 せいめい でもある[10] 。
先住民 せんじゅうみん は1960年代 ねんだい 以降 いこう 政党 せいとう を組 く んで権利 けんり 主張 しゅちょう と独立 どくりつ 運動 うんどう 、先住民 せんじゅうみん 文化 ぶんか 復興 ふっこう 活動 かつどう などを始 はじ め、ニューカレドニアは1986年 ねん 以来 いらい 、一 いち 度 ど は1947年 ねん に外 はず された国連 こくれん 非 ひ 自治 じち 地域 ちいき リスト に再度 さいど 掲載 けいさい されている。このリストには近隣 きんりん の島国 しまぐに であるアメリカ領 りょう サモア 、ニュージーランド領 りょう トケラウ などが含 ふく まれている。
1985年 ねん 、先住民 せんじゅうみん 文化 ぶんか 復興 ふっこう 活動 かつどう の先頭 せんとう に立 た っていたジャン=マリ・チバウ (英語 えいご 版 ばん ) 率 ひき いるカナック社会 しゃかい 主義 しゅぎ 民族 みんぞく 解放 かいほう 戦線 せんせん (fr:Front de libération nationale kanak et socialiste 、FLNKS)は独立 どくりつ への扇動 せんどう を行 おこな った。ジャン=マリー・チバウらは独立 どくりつ 国家 こっか 「カナキー」の樹立 じゅりつ を主張 しゅちょう した。FLNKS指導 しどう 者 しゃ の暗殺 あんさつ に端 はし を発 はっ してカナックによる暴動 ぼうどう が始 はじ まり拡大 かくだい し、ニューカレドニア全土 ぜんど に非常 ひじょう 事態 じたい 宣言 せんげん が出 だ される事態 じたい となった。特 とく に1988年 ねん 4月 がつ 22日 にち 、独立 どくりつ 過激 かげき 派 は が27人 にん のフランス国家 こっか 憲兵 けんぺい 隊 たい 員 いん と1人 ひとり の裁判官 さいばんかん を人質 ひとじち にとってロイヤルティ諸島 しょとう ウベア島 とう の洞窟 どうくつ に監禁 かんきん し、4人 にん を殺害 さつがい した事件 じけん が最大 さいだい の危機 きき となった。この事件 じけん は5月、海軍 かいぐん 特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい 、GIGN 、EPIGN などによる突入 とつにゅう で過激 かげき 派 は を殺害 さつがい することで解決 かいけつ したが、特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい 側 がわ にも犠牲 ぎせい 者 しゃ が出 で た。なお、GIGNの隊長 たいちょう が1990年 ねん に発表 はっぴょう した手記 しゅき によれば、制圧 せいあつ 後 ご に無抵抗 むていこう だった過激 かげき 派 は は暴行 ぼうこう ・射殺 しゃさつ され、その事実 じじつ をフランス政府 せいふ は隠蔽 いんぺい したとしている[11] 。
動乱 どうらん の中 なか 、フランス政府 せいふ は1987年 ねん に約束 やくそく どおり住民 じゅうみん 投票 とうひょう を行 おこな い、翌 よく 1988年 ねん にマティニョン合意 ごうい が成立 せいりつ し自治 じち 拡大 かくだい が約束 やくそく された。合意 ごうい を結 むす んだジャン=マリー・チバウは独立 どくりつ 過激 かげき 派 は により1989年 ねん に暗殺 あんさつ されてしまいFLNKSは混乱 こんらん に陥 おちい った。
以後 いご も自治 じち への運動 うんどう や協議 きょうぎ が行 おこな われ、1998年 ねん にはヌーメア協定 きょうてい (フランス語 ふらんすご 版 ばん 、英語 えいご 版 ばん ) (ヌメア協定 きょうてい )が結 むす ばれ、住民 じゅうみん への権限 けんげん 譲渡 じょうと プロセスを「不 ふ 可逆 かぎゃく なもの」と位置 いち づけた。フランス市民 しみん 権 けん とは別 べつ の「ニューカレドニア市 し 民権 みんけん 」を導入 どうにゅう すること、ニューカレドニアのアイデンティティを表 あらわ す公的 こうてき なシンボル(ニューカレドニア「国旗 こっき 」など)をフランス国旗 こっき とは別 べつ に制定 せいてい すること、フランス政府 せいふ がニューカレドニア特別 とくべつ 共同 きょうどう 体 たい に段階 だんかい 的 てき に権限 けんげん を譲渡 じょうと し、最終 さいしゅう 的 てき には外交 がいこう 、国防 こくぼう 、司法 しほう 権 けん 、通貨 つうか 発行 はっこう 以外 いがい の権限 けんげん はニューカレドニアに全面 ぜんめん 的 てき に譲渡 じょうと されること、2014年 ねん から2018年 ねん にかけてのいずれかの時点 じてん で独立 どくりつ かフランス残留 ざんりゅう かの住民 じゅうみん 投票 とうひょう を行 おこな うこと、などが定 さだ められた。2018年 ねん 11月4日 にち にフランスからの独立 どくりつ の是非 ぜひ を問 と う住民 じゅうみん 投票 とうひょう が実施 じっし されたが、独立 どくりつ 反対 はんたい が得票 とくひょう 率 りつ 56.40%で過半数 かはんすう となり否決 ひけつ された[3] [12] [13] 。2019年 ねん 5月12日 にち には議会 ぎかい 選 せん が行 おこな われ、フランスへの残留 ざんりゅう を支持 しじ する独立 どくりつ 反対 はんたい 派 は の票 ひょう が小差 しょうさ で過半数 かはんすう を占 し めた。政庁 せいちょう 所在地 しょざいち ヌーメアの高等 こうとう 弁務 べんむ 官 かん 事務所 じむしょ の発表 はっぴょう によれば、全体 ぜんたい の54議席 ぎせき のうち独立 どくりつ 反対 はんたい 派 は の右派 うは が28議席 ぎせき 、独立 どくりつ 支持 しじ 派 は は26議席 ぎせき を、獲得 かくとく の見通 みとお しであった[14] 。2020年 ねん 10月 がつ 4日 にち のフランスからの独立 どくりつ の是非 ぜひ を問 と う住民 じゅうみん 投票 とうひょう では独立 どくりつ 反対 はんたい が得票 とくひょう 率 りつ 53.3%で過半数 かはんすう となり再 ふたた び否決 ひけつ された[15] 。
2021年 ねん 2月 がつ 3日 にち 、ヴァーレ 社 しゃ のニッケル事業 じぎょう 売却 ばいきゃく をめぐり独立 どくりつ 支持 しじ 派 は の5人 にん の大臣 だいじん が辞任 じにん を表明 ひょうめい し、独立 どくりつ 反対 はんたい 派 は のティエリ・サンタ政権 せいけん が事実 じじつ 上 じょう 崩壊 ほうかい [16] [17] 。2月17日 にち 、議会 ぎかい で実施 じっし された選挙 せんきょ で新 あら たな大臣 だいじん が選出 せんしゅつ され、11の大臣 だいじん ポストのうち過半数 かはんすう の6席 せき を独立 どくりつ 支持 しじ 派 は が獲得 かくとく した。政府 せいふ 主席 しゅせき は大臣 だいじん による多数決 たすうけつ で選出 せんしゅつ されるため、協定 きょうてい 以降 いこう 初 はじ めてとなる独立 どくりつ 派 は 政権 せいけん の発足 ほっそく に大 おお きく前進 ぜんしん [18] [19] 。同年 どうねん 7月 がつ 7日 にち に実施 じっし された5回 かい 目 め の選出 せんしゅつ 選挙 せんきょ でようやくFLNKS所属 しょぞく で独立 どくりつ 派 は のルイ・マプ (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) がサンタを下 くだ し当選 とうせん を果 は たした[20] 。
2021年 ねん 9月 がつ 20日 はつか 、フランス軍事 ぐんじ 省 しょう 傘下 さんか の軍事 ぐんじ 学校 がっこう 戦略 せんりゃく 研究所 けんきゅうじょ (英語 えいご 版 ばん ) は、中国 ちゅうごく の影響 えいきょう 力 りょく 拡大 かくだい 戦略 せんりゃく についての報告 ほうこく 書 しょ を発表 はっぴょう し、在外 ざいがい 華人 かじん を使 つか った中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう の宣伝 せんでん 工作 こうさく 、国際 こくさい 機関 きかん への浸透 しんとう 、インターネット の情報 じょうほう 操作 そうさ などを分析 ぶんせき し、中国 ちゅうごく が潜在 せんざい 的 てき 敵国 てきこく の弱体 じゃくたい 化 か を狙 ねら い、ニューカレドニアで独立 どくりつ 運動 うんどう を煽 あお っていると報告 ほうこく した[21] 。
2021年 ねん 、独立 どくりつ 派 は は新型 しんがた コロナウイルスの影響 えいきょう による外出 がいしゅつ 規制 きせい 、感染 かんせん 症 しょう による死者 ししゃ の葬儀 そうぎ が問題 もんだい となっていたため、投票 とうひょう 延期 えんき をフランス政府 せいふ に訴 うった えたが却下 きゃっか され投票 とうひょう でのボイコットを呼 よ びかけた。同年 どうねん 12月 がつ 12日 にち 、ヌーメア協定 きょうてい で定 さだ められた最後 さいご の独立 どくりつ を問 と う住民 じゅうみん 投票 とうひょう の結果 けっか は、独立 どくりつ 反対 はんたい 96.5%・独立 どくりつ 賛成 さんせい 3.5%であったが、独立 どくりつ 派 は の多 おお くがボイコットを実施 じっし し、投票 とうひょう 率 りつ 43.9%で前回 ぜんかい の85.7%の半分 はんぶん であった[22] 。フランス大統領 だいとうりょう エマニュエル・マクロン は投票 とうひょう の実施 じっし 及 およ び結果 けっか を正当 せいとう 化 か し、ボイコットした独立 どくりつ 派 は は結果 けっか を認 みと めないと宣言 せんげん した[23] 。
メラネシア国家 こっか とメラネシア系 けい 民族 みんぞく 団体 だんたい で構成 こうせい されるメラネシア・スピアヘッド・グループは多数 たすう のボイコットにより正当 せいとう な住民 じゅうみん 投票 とうひょう ではなく無効 むこう であり、国連 こくれん 憲章 けんしょう の第 だい 1条 じょう と自己 じこ 決定 けってい に関 かん する国連 こくれん 決議 けつぎ 1514 に違反 いはん していると[24] の声明 せいめい を出 だ した[25] 。
2023年 ねん 1月 がつ 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 終結 しゅうけつ 後 ご では初 はつ となる日本 にっぽん の領事 りょうじ 機関 きかん として在 ざい ヌメア領事 りょうじ 事務所 じむしょ が新設 しんせつ された[8] 。
2024年 ねん 5月 がつ 、ニューカレドニア先住民 せんじゅうみん 族 ぞく カナック 住民 じゅうみん の一部 いちぶ がいままで「1998年 ねん 以前 いぜん にニューカレドニアで選挙 せんきょ 人 じん 名簿 めいぼ に登録 とうろく されていた人 ひと 」に制限 せいげん されていた地方 ちほう 選挙 せんきょ 参政 さんせい 権 けん を「現地 げんち に10年 ねん 以上 いじょう 暮 く らす住民 じゅうみん 」に拡大 かくだい するとした、憲法 けんぽう 改正 かいせい 案 あん が仏 ふつ 本国 ほんごく 国会 こっかい に提出 ていしゅつ 可決 かけつ されたことを発端 ほったん に先住民 せんじゅうみん 票 ひょう の重 おも みが失 うしな われると反発 はんぱつ し、暴動 ぼうどう が発生 はっせい し首都 しゅと と空港 くうこう などを結 むす ぶ幹線 かんせん 道路 どうろ 上 じょう にバリケードなどを設置 せっち し、放火 ほうか 、略奪 りゃくだつ などが発生 はっせい したため同月 どうげつ 15日 にち に一時 いちじ 非常 ひじょう 事態 じたい 宣言 せんげん が出 だ され、仏 ふつ 本国 ほんごく から治安 ちあん 部隊 ぶたい や軍 ぐん が派遣 はけん されることとなり、空港 くうこう 発着 はっちゃく が困難 こんなん なため空港 くうこう 閉鎖 へいさ となり、周辺 しゅうへん 国 こく などの軍用 ぐんよう 機 き による外国 がいこく 人 じん の出国 しゅっこく 脱出 だっしゅつ が試 こころ みられ在留 ざいりゅう 邦人 ほうじん もこれにより出国 しゅっこく した[26] 。同月 どうげつ 23日 にち に仏 ふつ 本国 ほんごく 大統領 だいとうりょう が訪問 ほうもん し、地方 ちほう 参政 さんせい 権 けん に関 かん する憲法 けんぽう 改正 かいせい の手続 てつづ きを延期 えんき する考 かんが えを述 の べ[27] 、同月 どうげつ 27日 にち には日本 にっぽん 外務省 がいむしょう が出国 しゅっこく 希望 きぼう する短期 たんき 在留 ざいりゅう 邦人 ほうじん 出国 しゅっこく を確認 かくにん [28] 、同月 どうげつ 28日 にち には非常 ひじょう 事態 じたい 宣言 せんげん 解除 かいじょ されたが、その後 ご も散発 さんぱつ 的 てき な衝突 しょうとつ が続 つづ き夜間 やかん 外出 がいしゅつ 禁止 きんし 令 れい は解除 かいじょ されていない[29] [30] [31] [32] 。
また、今回 こんかい 独立 どくりつ 派 は を後押 あとお ししたのはアゼルバイジャン だとフランスの閣僚 かくりょう は主張 しゅちょう した。フランスがアゼルバイジャンと対立 たいりつ するアルメニア を支援 しえん しているのが背景 はいけい だとの観測 かんそく がある[32] 。
ニューカレドニアの衛星 えいせい 写真 しゃしん
乾燥 かんそう した本島 ほんとう 西側 にしがわ では、熱帯 ねったい 雨林 うりん の東側 ひがしがわ とは対照 たいしょう 的 てき な風景 ふうけい が広 ひろ がる
ニューカレドニアは南西 なんせい 太平洋 たいへいよう の南緯 なんい 21度 ど 30分 ふん 、東経 とうけい 165度 ど 30分 ふん あたりに位置 いち し、オーストラリア 大陸 たいりく の約 やく 1200キロメートル 東 ひがし 、ニュージーランド の約 やく 1500キロメートル北西 ほくせい にある。島国 しまぐに バヌアツはニューカレドニアの北東 ほくとう にある。
ニューカレドニアは本島 ほんとう (グランドテール島 とう )と周囲 しゅうい の島々 しまじま からなる。ベロップ列島 れっとう (Belep archipelago) が本島 ほんとう の北 きた に、ロイヤルティ諸島 しょとう (ローヤリティー諸島 しょとう 、Îles Loyauté、Loyalty Islands)が本島 ほんとう の東 ひがし に、イルデパン島 とう (Île des Pins、カナック語 ご でクニエ Kunyié)が南 みなみ に、チェスターフィールド諸島 しょとう とベロナ環礁 かんしょう がさらに西 にし にある。
本島 ほんとう グランドテールはこれらの島々 しまじま の中 なか で群 ぐん を抜 ぬ いて大 おお きく、唯 ただ 一山 ひとやま がちな島 しま である。島 しま 自体 じたい の面積 めんせき は1万 まん 6372平方 へいほう キロメートル 、北西 ほくせい から南東 なんとう に細長 ほそなが く伸 の び、長 なが さは350キロメートル、幅 はば は50 - 70キロメートルである。長 なが く高 たか い山脈 さんみゃく が島 しま の中央 ちゅうおう 部 ぶ に伸 の び、中 なか には1500メートル を超 こ える峰 みね も5つある。島 しま の最高 さいこう 地点 ちてん はパニエ山 さん (Mont Panié、標高 ひょうこう 1628メートル)である。ニューカレドニア地域 ちいき 全体 ぜんたい の面積 めんせき は1万 まん 9060平方 へいほう キロメートルであり、うち陸地 りくち 面積 めんせき が1万 まん 8575.5平方 へいほう キロメートルとなっている。
ニューカレドニアは世界 せかい のニッケル 資源 しげん の 1 / 4 を有 ゆう している。日 にち 欧米 おうべい などの企業 きぎょう が採掘 さいくつ 権 けん を買 か っており、これらの採掘 さいくつ はほとんど露天掘 ろてんぼ り で行 おこな われている。
ニューカレドニアは南回帰線 みなみかいきせん にまたがり、南緯 なんい 19度 ど から南緯 なんい 23度 ど にわたっている。島 しま の気候 きこう は熱帯 ねったい で、季 き 節 ぶし によっては非常 ひじょう に雨 あめ が多 おお い。5月から11月は比較的 ひかくてき 降水 こうすい 量 りょう が少 すく なく過 す ごしやすい。東 ひがし から太平洋 たいへいよう を越 こ えて来 く る貿易 ぼうえき 風 ふう が山脈 さんみゃく に当 あ たり、大量 たいりょう の雨 あめ を降 ふ らせることで島内 とうない には多 おお くの熱帯 ねったい 雨林 うりん が形成 けいせい されている。年間 ねんかん 降水 こうすい 量 りょう はロイヤルティ諸島 しょとう で約 やく 1500ミリメートル 、本島 ほんとう 東部 とうぶ の低地 ていち で約 やく 2000ミリメートル、本島 ほんとう の山岳 さんがく 部 ぶ では2000 - 4000ミリメートルに達 たっ する。本島 ほんとう の西側 にしがわ は山脈 さんみゃく の影 かげ となるため雨 あめ は比較的 ひかくてき 少 すく なく、年間 ねんかん 降水 こうすい 量 りょう は1200ミリメートルである。
カグー(おとなしい状態 じょうたい )
比較的 ひかくてき 新 あたら しい時代 じだい に火山 かざん によって形成 けいせい された多 おお くの太平洋 たいへいよう の島々 しまじま とは異 こと なり、ニューカレドニアは古代 こだい のゴンドワナ大陸 たいりく の破片 はへん にあたる。8500万 まん 年 ねん 前 まえ にオーストラリアからジーランディア と呼 よ ばれる一塊 ひとかたまり の陸地 りくち が分離 ぶんり し、この陸地 りくち は5500万 まん 年 ねん 前 まえ にさらに二 ふた つに分 わ かれた。これがニューカレドニアとニュージーランドである。このため、ニューカレドニアにはゴンドワナ起源 きげん の珍 めずら しい固有 こゆう の植物 しょくぶつ ・動物 どうぶつ が残 のこ っている。
特 とく に有名 ゆうめい なのは山岳 さんがく 部 ぶ の密林 みつりん に住 す むニワトリ大 だい の灰色 はいいろ の鳥 とり 、カグー で、威嚇 いかく や求愛 きゅうあい の際 さい には頭 あたま の巨大 きょだい な飾 かざ り羽 わ をはね上 あ げ大 おお きな翼 つばさ を広 ひろ げ、犬 いぬ にも似 に た奇妙 きみょう な大声 おおごえ で鳴 な き、飛 と ぶことはできず林 はやし の中 なか を走 はし り回 まわ っている。ニューカレドニアのシンボルともいえる鳥 とり であるが、人間 にんげん の持込 もちこ んだ犬 いぬ や猫 ねこ などにより絶滅 ぜつめつ が心配 しんぱい されている。また、道具 どうぐ を自 みずか ら作 つく って獲物 えもの を捕 と るカレドニアガラス なども有名 ゆうめい である。
オーストラリアやニューギニアにも生 は えているニアウリ (英語 えいご 版 ばん ) (Niaouli) の木 き の樹液 じゅえき は樟脳 しょうのう にも似 に た匂 にお いのする殺菌 さっきん 力 りょく の高 たか い精油 せいゆ (芳香 ほうこう 油 ゆ 、Gomenol)を出 だ し、古来 こらい より医学 いがく 的 てき な関心 かんしん が寄 よ せられてきた。精油 せいゆ は風邪 かぜ や傷 きず などの治療 ちりょう やアロマテラピー に使 つか われている。
ニューカレドニアの淡水 たんすい の生態 せいたい 系 けい も長 なが い地理 ちり 的 てき 孤立 こりつ のために独自 どくじ の進化 しんか を遂 と げ、水量 すいりょう 豊富 ほうふ な川 かわ や沢 さわ には多 おお くの固有 こゆう の水生 すいせい 生物 せいぶつ が存在 そんざい する。
人間 にんげん の渡来 とらい 前 まえ はルーセットと呼 よ ばれる草食 そうしょく 性 せい のオオコウモリ 以外 いがい に哺乳類 ほにゅうるい はいなかった。ヨーロッパ人 じん の渡来 とらい 後 ご は、乱獲 らんかく や持 も ち込 こ まれた外界 がいかい の動物 どうぶつ により固有 こゆう の生態 せいたい 系 けい は危機 きき に瀕 ひん している。
ニューカレドニアには二 ふた つの異 こと なった生態 せいたい 系 けい を持 も つ地域 ちいき がある。ひとつはロイヤルティ諸島 しょとう 、イルデパン島 とう 、本島 ほんとう 東部 とうぶ のニューカレドニア熱帯 ねったい 雨林 うりん で、もうひとつは雨 あめ の少 すく ない本島 ほんとう 西側 にしがわ のニューカレドニア乾燥 かんそう 林 りん である。ヨーロッパ人 じん は首都 しゅと ヌーメアをはじめ本島 ほんとう 西側 にしがわ に多 おお く住 す み、東側 ひがしがわ はカナックが多 おお くすんでいる。政治 せいじ 的 てき な区別 くべつ と自然 しぜん の区別 くべつ は同一 どういつ のものとなっている。
ニューカレドニア本島 ほんとう とイルデパン島 とう を取 と り囲 かこ むサンゴ礁 さんごしょう (堡礁)、ニューカレドニア・バリア・リーフ はオーストラリアのグレート・バリア・リーフ (長 なが さ2600キロメートル )に次 つ ぐ世界 せかい 第 だい 二 に の大 おお きさを誇 ほこ るサンゴ礁 さんごしょう である。その長 なが さは1500キロメートルに達 たっ する。サンゴ礁 さんごしょう は種 たね がきわめて多様 たよう 性 せい に富 と み、絶滅 ぜつめつ の危機 きき に瀕 ひん するジュゴン の生息 せいそく 地 ち であり、アオウミガメ の重要 じゅうよう な産卵 さんらん 地 ち でもある。ニューカレドニア・バリア・リーフは2008年 ねん にユネスコの世界 せかい 遺産 いさん に登録 とうろく された。
注意 ちゅうい :フランスの地方 ちほう 行政 ぎょうせい 区画 くかく の訳語 やくご は一定 いってい ではない。
フランス領 りょう ポリネシア やウォリス・フツナ 同様 どうよう 、ニューカレドニアもフランスの海外 かいがい 領土 りょうど であり、フランスの一部 いちぶ である。フランスでも特殊 とくしゅ な地方 ちほう 行政 ぎょうせい 区画 くかく 「特別 とくべつ 共同 きょうどう 体 たい (a collectivité sui generis)」であり、「特別 とくべつ (独自 どくじ 、sui generis )」という用語 ようご を冠 かん されている。これは、ニューカレドニアはフランスで唯一 ゆいいつ 、地域 ちいき 圏 けん や県 けん 、海外 かいがい 県 けん 、海外 かいがい 準 じゅん 県 けん など地方 ちほう 共同 きょうどう 体 たい (Collectivité territoriale) でない行政 ぎょうせい 区 く だからである。ニューカレドニアは1946年 ねん まで植民 しょくみん 地 ち だったが、1946年 ねん 以来 いらい 1999年 ねん まで海外 かいがい 領土 りょうど (territoire d'outre-mer、略称 りゃくしょう TOM)となっており、その後 ご 独自 どくじ の地位 ちい を得 え た。首府 しゅふ はヌーメアで、地域 ちいき 内 ない 唯一 ゆいいつ の大都市 だいとし 圏 けん である。
ニューカレドニアの行政 ぎょうせい 区画 くかく は3つの州 しゅう (province、地方 ちほう :フランスでこのような名称 めいしょう の行政 ぎょうせい 区画 くかく はニューカレドニアにしかない)に分 わ けられる。ロイヤルティ諸島 しょとう の「離島 りとう 州 しゅう (Province des Îles)」、本島 ほんとう 北部 ほくぶ の「北部 ほくぶ 州 しゅう (Province Nord)」、および本島 ほんとう 南部 なんぶ の「南部 なんぶ 州 しゅう (Province Sud)」である。さらにこれらは33のコミューン (市町村 しちょうそん )に分 わ かれる。
加 くわ えて、カナック の各 かく 部族 ぶぞく ごとの課題 かだい に対処 たいしょ するため、別 べつ の種類 しゅるい の行政 ぎょうせい 区画 くかく が並行 へいこう して存在 そんざい する。これらは伝統 でんとう 的 てき 区域 くいき (aires coutumières、英語 えいご : traditional spheres )と呼 よ ばれ8つある。(伝統 でんとう 的 てき 区域 くいき の地図 ちず (zipファイル)を参照 さんしょう )その司法 しほう 権 けん は、地域 ちいき 内 ない に住 す むカナック以外 いがい の民族 みんぞく には適用 てきよう されない。伝統 でんとう 的 てき 区域 くいき は言葉 ことば の違 ちが いやフランス植民 しょくみん 地 ち 支配 しはい 以前 いぜん の部族 ぶぞく 同盟 どうめい の範囲 はんい を大 だい なり小 しょう なり反映 はんえい している。
ニューカレドニアのニッケル 露天掘 ろてんぼ り鉱山 こうざん
1860年代 ねんだい にニッケル が発見 はっけん された。コバルト 埋蔵 まいぞう 量 りょう 世界 せかい 第 だい 4位 い 、ニッケル埋蔵 まいぞう 量 りょう 同 どう 5位 い を誇 ほこ り、世界 せかい 第 だい 5位 い のニッケル生産 せいさん がある。ニッケル鉱業 こうぎょう がGDPの20%、輸出 ゆしゅつ の90%近 ちか くを占 し めており、世界 せかい 最大 さいだい 級 きゅう のフェロニッケル 生産 せいさん 地 ち である。
日本 にっぽん のニッケル鉱石 こうせき の年間 ねんかん 総 そう 輸入 ゆにゅう 量 りょう 約 やく 400万 まん トンのうちの約 やく 50%がここから出荷 しゅっか されている。ニッケルは、主 しゅ としてステンレス をはじめ、各種 かくしゅ 電子 でんし 材料 ざいりょう 、蓄電池 ちくでんち 材料 ざいりょう などの原料 げんりょう として使用 しよう されている。
豊 ゆた かな自然 しぜん から観光 かんこう 業 ごう が歴史 れきし 的 てき に盛 さか んであり、海岸 かいがん 部 ぶ やイルデパン島 とう などの離島 りとう にリゾート が設 もう けられ、フランス本土 ほんど のみならず、日本 にっぽん やオーストラリア 、アメリカ などから多数 たすう の観光 かんこう 客 きゃく が訪 おとず れている。
鉄道 てつどう
ヌメア-パイタの鉄道 てつどう - かつてヌメア - パイタ間 あいだ で運行 うんこう されていた唯一 ゆいいつ の鉄道 てつどう 。
2010年 ねん 推計 すいけい による。
ヌメアにある、カナック文化 ぶんか を研究 けんきゅう ・展示 てんじ するジャン=マリー・チバウ文化 ぶんか センター (レンゾ・ピアノ 設計 せっけい )
~14歳 さい :23.19%(男性 だんせい :3万 まん 2,178人 にん /女性 じょせい :3万 まん 804人 にん )
15~24歳 さい :16.89%(男性 だんせい :2万 まん 3,435人 にん /女性 じょせい :2万 まん 2,488人 にん )
25~54歳 さい :42.99%(男性 だんせい :5万 まん 8,769人 にん /女性 じょせい :5万 まん 7,994人 にん )
55~64歳 さい :8.21%(男性 だんせい :1万 まん 874人 にん /女性 じょせい :1万 まん 1,417人 にん )
65歳 さい ~:8.72%(男性 だんせい :1万 まん 558人 にん /女性 じょせい :1万 まん 3,138人 にん )
女性 じょせい 1人 にん 当 あ たり男性 だんせい 人数 にんずう を示 しめ す。
誕生 たんじょう 時点 じてん :1.05
~14歳 さい :1.05
15~24歳 さい :1.04
25~54歳 さい :1.01
55~64歳 さい :0.95
65歳 さい ~:0.8
全体 ぜんたい :5.37人 にん /1000人 にん
男児 だんじ :6.33人 にん /1000人 にん
女児 じょじ :4.37人 にん /1000人 にん
全体 ぜんたい :77.5歳 さい
男性 だんせい :73.49歳 さい
女性 じょせい :81.71歳 さい
放送 ほうそう は、本国 ほんごく フランス共和 きょうわ 国 こく の放送 ほうそう 局 きょく フランス・テレビジョン が傘下 さんか におく海外 かいがい 領土 りょうど 向 む けチャンネルのRFO がある。ニューカレドニアにおいては、RFOのニューカレドニア局 きょく であるRFO NewCaledonia が放送 ほうそう している。ほかに、チャンネル・カレドニア などがある。
インターネットにおいては、ニューカレドニアに限 かぎ らず本国 ほんごく のプロバイダ も利用 りよう される。
新聞 しんぶん は、売店 ばいてん などでの販売 はんばい が主流 しゅりゅう 。
北部 ほくぶ ヤンゲン (Hienghène) の奇岩 きがん 、「La Poule(めんどり)」、別名 べつめい チキンロック
アメデ島 とう (Amédée) の灯台 とうだい
ウベア環礁 かんしょう のビーチ
イルデパン島 とう のウピ湾 わん (Upi)
イルデパン島 とう のサン・ジョセフ湾 わん (Baie de Saint-Joseph)
イルデパン島 とう の伝統 でんとう 的 てき な丸木舟 まるきぶね
ヌーメアのココティエ広場 ひろば にある噴水 ふんすい (Fontaine Céleste)
グランドテール(本島 ほんとう )南部 なんぶ の典型 てんけい 的 てき な風景 ふうけい
カナックの女性 じょせい たち
ブーライユ (Bourail) 近郊 きんこう の「亀 かめ の湾 わん 」(La Baie des Tortues)
25kmにおよぶ長 なが さの白砂 はくしゃ の浜 はま 、ウベア島 とう
^ カナックは、ハワイ語 ご で人 ひと を意味 いみ するカナカという言葉 ことば から派生 はせい した。ニューカレドニアでは、フランス語 ふらんすご 化 か してカナックとなった[7] 。
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