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ニューカレドニア

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニューカレドニア
Nouvelle-Calédonie
ニューカレドニアの ニューカレドニアの
ニューカレドニアのはた ニューカレドニアの紋章もんしょう
モットー
  • “Terre de parole, terre de partage”
地域ちいきSoyons unis, devenons frèresフランス語ふらんすごばん
ニューカレドニアの位置
公用こうよう フランス語ふらんすご
首都しゅと ヌメア
地域ちいきけん 所属しょぞく
特別とくべつ共同きょうどうたい
けん番号ばんごう 988
本国ほんごく フランスの旗 フランス
大統領だいとうりょう エマニュエル・マクロン
政府せいふ主席しゅせき ルイ・マプフランス語ふらんすごばん
高等こうとう弁務べんむかん英語えいごばん ルイ・ル・フラン (Louis Le Franc)
面積めんせき 世界せかい156
 -  そう面積めんせき 18,575 km²
7,172 mi²
 -  水面すいめんせきりつ (%) 1.6
人口じんこう
 -  統計とうけい(2016ねん 275,355にん
 -  人口じんこう密度みつど 14.8/km²
38.3/mi²
GDP (PPP) (2014ねん
 -  合計ごうけい 111おくドル
 -  1人ひとりあた 38,800ドル(2012ねん
通貨つうか CFPフラン (XPF)
時間じかんたい UTC+11 
ISO 3166-1 NC / NCL
ccTLD .nc
国際こくさい電話でんわ番号ばんごう +687
かかげられたフランス国旗こっきFLNKSフランス語ふらんすごばんはた
2010ねんより両方りょうほうとも公式こうしきとなった[1]

ニューカレドニア英語えいご: New Caledoniaフランス語ふらんすご: Nouvelle-Calédonie)は、ニューカレドニアとうフランス語ふらんすごグランドテール Grande Terre、「本土ほんど」とばれる)およびロイヤルティ諸島しょとう(ロワイヨテ諸島しょとう)からなるフランス海外かいがい領土りょうど(collectivité sui generis、特別とくべつ共同きょうどうたい)である。ニッケル産出さんしゅつする鉱業こうぎょうしまである一方いっぽうリゾートでもある。ニューカレドニアの珊瑚礁さんごしょう世界せかい遺産いさん登録とうろくされている。

概要がいよう

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ニューカレドニア地図ちず

オーストラリア東方とうほうしまで、南太平洋みなみたいへいようメラネシア地域ちいきにあり、面積めんせきは1まん8575.5平方へいほうキロメートル四国しこくほどのおおきさ)である。フランス語ふらんすごではヌーヴェルカレドニー(Nouvelle-Calédonie)とび、ニューカレドニア英語えいごみ(英語えいご: New Caledonia)からている(Caledoniaスコットランドラテン語らてんごであり、あたらしいスコットランドの同義どうぎノヴァ・スコシアとは無関係むかんけい)。先住民せんじゅうみんカナック言葉ことばではカナキー(Kanaky)ともばれる。

人口じんこうは、2016ねん調査ちょうさでは27まん5355にん政庁せいちょう所在地しょざいち人口じんこう最大さいだい都市としヌーメア2014ねん人口じんこうは9まん9926にん[2])。インターネットくにべつコードトップレベルドメインは「.nc」。通貨つうかウォリス・フツナフランスりょうポリネシアともCFPフラン使用しようしている。しゅヌーメアは、太平洋たいへいよう地域ちいき地域ちいき協力きょうりょく機構きこう太平洋たいへいよう共同きょうどうたい本部ほんぶ所在地しょざいちである。

1985ねん以降いこう、カナックによるはげしい独立どくりつ運動うんどうおこなわれ、一時いちじ暴動ぼうどう内戦ないせんちか状態じょうたいていしていた。1986ねん国連こくれん植民しょくみん委員いいんかいUnited Nations Committee on Decolonization)は、ニューカレドニアを国連こくれん自治じち[3]地域ちいきリスト掲載けいさいした。

1998ねん、フランス政府せいふ独立どくりつ組織そしきのFLNKS、カレドニア共和きょうわこく運動うんどう英語えいごばん締結ていけつされたヌーメア協定きょうてい英語えいごばんもとづき、2018ねん11月4にち2020ねん10がつ4にち、そして2021ねん12月12にち独立どくりつ住民じゅうみん投票とうひょう実施じっしされたが、いずれも独立どくりつ反対はんたい過半数かはんすうめ、独立どくりつ否決ひけつされた(詳細しょうさい後述こうじゅつ[4][5][6]

地名ちめい

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カレドニア」とは、今日きょうスコットランドにあたる地域ちいきラテン語らてんごである。一方いっぽうカナキー (Kanaky) というフランス語ふらんすご英語えいご現地げんち先住民せんじゅうみんであるカナック言葉ことばでは一般いっぱんてき使つかわれており、メラネシア民族みんぞく主義しゅぎしゃあいだでは「ヌーヴェルカレドニー」より「カナキー」のほうがこのまれる。

カナキーというは、ポリネシアかたりで「人間にんげん」を意味いみし、ポリネシアじん自称じしょうとして使つかわれる「カナカ (kanaka)」からている。 カナカというかたりのちに、フランスじんがポリネシア・メラネシアをふくめたすべての太平洋たいへいよう先住民せんじゅうみんして使つか言葉ことばになった。一方いっぽうフランス語ふらんすごしたカナク (Canaque) は侮蔑ぶべつとして使つかわれていた[注釈ちゅうしゃく 1]

1960年代ねんだいから1970年代ねんだいにかけ、ニューカレドニアのメラネシアけい先住民せんじゅうみん政党せいとう結成けっせい独立どくりつへのうったえを開始かいししたとき、侮蔑ぶべつだったカナクはメラネシアじん政治せいじてき解放かいほう民族みんぞくほこりのシンボルてき言葉ことばとなった。1983ねん政治せいじてき混乱こんらんがニューカレドニアをおそった時期じき、カナク (KANAK) とカナキーは政治せいじてき標語ひょうごとなり、カナクというかたり政治せいじてき主張しゅちょうつよ言葉ことばへとわったことがひろ認識にんしきされるようになった。

歴史れきし

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1774ねんジェームズ・クックによって「発見はっけん」され、1853ねんフランスりょうとなっている。当初とうしょ流刑りゅうけい植民しょくみんだったが、19世紀せいき後半こうはんニッケル発見はっけん鉱業こうぎょうしまとなった。20世紀せいき後半こうはんには独立どくりつ闘争とうそうしまれ、1998ねんヌーメア協定きょうてい英語えいごばん将来しょうらいかんする合意ごういがなされた。

先住民せんじゅうみんぞく

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西太平洋にしたいへいようひとはじめたのは5まんねんまえであった。そのパプア諸語しょご民族みんぞくがメラネシアに拡散かくさんした。ほかにも、ラピタじん (Lapita) がメラネシアの島々しまじまうつんでいる。紀元前きげんぜん1500ねん、ラピタじんたちは現在げんざいのニューカレドニアおよびロイヤルティ諸島しょとう到達とうたつし、高度こうど航海こうかいじゅつ農業のうぎょう土器どきつくりは太平洋たいへいようひろ範囲はんい影響えいきょうおよぼした。その土器どきなどの痕跡こんせきいまもニューカレドニアにのこるほか、かれらのまえんでいた民族みんぞくによる1まんねんまえペトログリフいわこく)ものこっている。

そのオーストロネシア語族ごぞく台湾たいわんなどを起点きてんにオセアニアに進出しんしゅつしている。11世紀せいきごろ、オーストロネシア語族ごぞくのポリネシアじんがニューカレドニアに到達とうたつし、パプアけいなどの先住民せんじゅうみんぞく混血こんけつした。

ニューカレドニアのメラネシアじんは、27のメラネシアけい言語げんごウォリス・フツナじんよりもたらされたポリネシアけい言語げんごわせて28の言語げんごゆうしている。その共同きょうどうたい社会しゃかいは、クラン(clan、氏族しぞく)を基本きほん単位たんいにして細分さいぶんしている。実際じっさい居住きょじゅうは、いくつかのクランがあつまり集団しゅうだん (tribu) を構成こうせいしている。これらの集団しゅうだんにおいて首長しゅちょう権限けんげんちがいがている。たとえばくびとうグランド・テール (Grande Terre) では首長しゅちょう権限けんげんゆるやかだが、ウベアリフー、マレなどのロイヤルティ諸島しょとうでは、首長しゅちょう支配しはいつよ[7]

ヨーロッパじん到達とうたつ

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ヨーロッパじんのニューカレドニアおよびロイヤルティ諸島しょとう到達とうたつ18世紀せいき後半こうはんのことだった。イギリス探検たんけんジェームズ・クック(キャプテン・クック)が1774ねん海上かいじょうからニューカレドニア本島ほんとうグランドテールとう)を「発見はっけん」し、やまおおスコットランドカレドニア)をおもわせるながめからニューカレドニアとづけた。おな航海こうかいで、かれはニューカレドニア北方ほっぽうしまニューヘブリデス諸島しょとう現在げんざいバヌアツ)とづけている。

ニューカレドニアの地図ちず、1888ねん

イギリスとアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく捕鯨ほげい業者ぎょうしゃおよび白檀びゃくだん(サンダルウッド)貿易ぼうえきしょうがニューカレドニアに関心かんしんしめすようになり、ヨーロッパじん先住民せんじゅうみんとのあいだ緊張きんちょうたかまった。ヨーロッパじん先住民せんじゅうみんへの接触せっしょく次第しだい無知むちんだ不正直ふしょうじきなものとなり、高慢こうまん態度たいど詐欺さぎ横行おうこうするようになった。えいべいじんアルコール煙草たばこなど依存いぞんしょうたか物品ぶっぴん物々交換ぶつぶつこうかん品物しなものぜ、先住民せんじゅうみん中毒ちゅうどくにした。またヨーロッパじんとの接触せっしょく天然痘てんねんとうインフルエンザなどさまざまな疫病えきびょう先住民せんじゅうみんあいだ蔓延まんえんしたことによりおおくの人々ひとびとくなった。そして緊張きんちょう敵意てきいわり、1849ねんにはカッターごう船員せんいんがポウマぞく (Pouma) にころされ、べられる事件じけんきた。

白檀びゃくだん貿易ぼうえき衰退すいたいすると、あらたな商売しょうばい誕生たんじょうした。ニューカレドニア、ロイヤルティ諸島しょとうバヌアツパプアニューギニアソロモン諸島しょとうなどで先住民せんじゅうみんらえ、フィジークイーンズランドサトウキビプランテーション奴隷どれい労働ろうどうをさせる「ブラックバーディング」である。こうした奴隷どれい貿易ぼうえき島々しまじま社会しゃかい文化ぶんか荒廃こうはいしたが、20世紀せいき初頭しょとうまでわることはなかった。

カトリックプロテスタント宣教師せんきょうしがやってきたのは19世紀せいきである。かれらが先住民せんじゅうみん文化ぶんかあたえた効果こうか重大じゅうだいなものがあった。宣教師せんきょうし人々ひとびとふくはだかくすようにいいはり、おおくの風習ふうしゅう伝統でんとう根絶ねだやしにしてしまった。

フランス領有りょうゆう

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ニューカレドニアは1853ねん9月24にち、イギリスのオーストラリア・ニュージーランド領有りょうゆう対抗たいこうしようとしたナポレオン3せい派遣はけんした提督ていとくオーギュスト・フェヴリエ=デポワント (Auguste Febvrier-Despointes) によってフランスりょう宣言せんげんされた。同年どうねん9がつ29にち、パンとう領有りょうゆう宣言せんげんした。1864ねんには、ロイヤルティ諸島しょとうもフランス植民しょくみんとしてんだ。 イギリスのオーストラリア植民しょくみんれいならい、1854ねんから1922ねんまでのあいだ有罪ゆうざい宣告せんこくされた重罪じゅうざいはんおよそ2まん2000にんが、流刑りゅうけいとされたニューカレドニアとう南西なんせいがん地域ちいきおくまれた。このなかには通常つうじょう凶悪きょうあくはんもいれば、パリ・コミューン共産きょうさん主義しゅぎものアルジェリア北部ほくぶカビリア逮捕たいほされたカビルじん民族みんぞく主義しゅぎもの政治せいじはん数多かずおおくいた。

ニッケル鉱山こうざん発見はっけんにより流刑りゅうけい植民しょくみん時代じだいわり、鉱山こうざん労働ろうどうしゃ需要じゅようえ、ヨーロッパからの自由じゆう意志いしでの移住いじゅうしゃ前科ぜんかしゃなどもふくむ)や日本人にっぽんじんなどアジアじん契約けいやく労働ろうどうしゃおおくなった。また鉱山こうざん強制きょうせい労働ろうどうをさせられる人数にんずう激増げきぞうした。どう時期じき先住せんじゅうのカナクじん人口じんこう疫病えきびょうや、かれらの生計せいけい移動いどう自由じゆう土地とち所有しょゆう厳重げんじゅう制限せいげんするアパルトヘイト先住民せんじゅうみんたいする法制ほうせい (“Code de l'Indigénat”) によって激減げきげんしていった。

日本にっぽんからニューカレドニアへの契約けいやく移民いみん1892ねんから1919ねんまでつづき、やく5700めい日本人にっぽんじん男性だんせいがニューカレドニアに移住いじゅうした。元来がんらい独身どくしん男性だんせいかぎ出稼でかせぎであったが現地げんち女性じょせい所帯じょたいって定住ていじゅうする日本人にっぽんじんすくなからずあらわれるようになり、1940ねんには首都しゅとヌメアに日本にっぽん帝国ていこく領事館りょうじかん開設かいせつされた。ただし、だい東亜とうあ戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつともな当時とうじニューカレドニアにやく1200めいほどいた日系にっけいじん敵性てきせい外国がいこくじんとして弾圧だんあつ対象たいしょうとなって、ヌメアの帝国ていこく領事館りょうじかん設立せつりつからわずか2ねんらずで閉鎖へいさされた[8]

ガダルカナルへ出撃しゅつげきするべい海軍かいぐんプレジデント・アダムズごう、ニューカレドニアは太平洋たいへいよう戦線せんせんでのアメリカぐん拠点きょてんだった

だい世界せかい大戦たいせんでは、ニューカレドニアは自由じゆうフランスがわいたため、太平洋たいへいよう戦線せんせんでのアメリカぐん拠点きょてんとなった。しまにはフランスとちがうアメリカの文化ぶんか物資ぶっし豊富ほうふ流入りゅうにゅうした。この出来事できごとは、フランスじん支配しはいであえいでいた現地げんちじんには肯定こうていてきけとめられている。一方いっぽう日本人にっぽんじん労働ろうどうしゃ日系にっけいじんは「敵性てきせい外国がいこくじん」としてオーストラリアなどへ強制きょうせい移送いそうされたり、戦中せんちゅう交換こうかんせんにより日本にっぽん帰国きこくしたもの敗戦はいせんまで捕虜ほりょとして収容しゅうようされたりした。

独立どくりつ闘争とうそう

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カナックのはた将来しょうらい独立どくりつした場合ばあい、カナキー国旗こっきとなる
ニューカレドニアの紋章もんしょう

メラネシアじん政治せいじ参加さんかは、はじめはヨーロッパじん共産党きょうさんとうキリスト教きりすときょう組織そしき主導しゅどうしていたが、1953ねん、「2つのカラー(はだいろ)に1つの国民こくみん」を合言葉あいことばとしてユニオン・カレドニエン(UC、社会しゃかい主義しゅぎ政党せいとう)が結成けっせいされた[9]だつ植民しょくみん運動うんどうは1960年代ねんだいまつからはじまっており、「カナック・アイデンティティの回復かいふく要求ようきゅう」として具体ぐたいされている。それは、先住民せんじゅうみんとしての権利けんり回復かいふく要求ようきゅう政治せいじてき声明せいめいでもある[10]先住民せんじゅうみん1960年代ねんだい以降いこう政党せいとうんで権利けんり主張しゅちょう独立どくりつ運動うんどう先住民せんじゅうみん文化ぶんか復興ふっこう活動かつどうなどをはじめ、ニューカレドニアは1986ねん以来いらいいち1947ねんはずされた国連こくれん自治じち地域ちいきリスト再度さいど掲載けいさいされている。このリストには近隣きんりん島国しまぐにであるアメリカりょうサモア、ニュージーランドりょうトケラウなどがふくまれている。

1985ねん先住民せんじゅうみん文化ぶんか復興ふっこう活動かつどう先頭せんとうっていたジャン=マリ・チバウ英語えいごばんひきいるカナック社会しゃかい主義しゅぎ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせんfr:Front de libération nationale kanak et socialiste、FLNKS)は独立どくりつへの扇動せんどうおこなった。ジャン=マリー・チバウらは独立どくりつ国家こっか「カナキー」の樹立じゅりつ主張しゅちょうした。FLNKS指導しどうしゃ暗殺あんさつはしはっしてカナックによる暴動ぼうどうはじまり拡大かくだいし、ニューカレドニア全土ぜんど非常ひじょう事態じたい宣言せんげんされる事態じたいとなった。とく1988ねん4がつ22にち独立どくりつ過激かげきが27にんフランス国家こっか憲兵けんぺいたいいん1人ひとり裁判官さいばんかん人質ひとじちにとってロイヤルティ諸島しょとうウベアとう洞窟どうくつ監禁かんきんし、4にん殺害さつがいした事件じけん最大さいだい危機ききとなった。この事件じけんは5月、海軍かいぐん特殊とくしゅ部隊ぶたいGIGNEPIGNなどによる突入とつにゅう過激かげき殺害さつがいすることで解決かいけつしたが、特殊とくしゅ部隊ぶたいがわにも犠牲ぎせいしゃた。なお、GIGNの隊長たいちょうが1990ねん発表はっぴょうした手記しゅきによれば、制圧せいあつ無抵抗むていこうだった過激かげき暴行ぼうこう射殺しゃさつされ、その事実じじつをフランス政府せいふ隠蔽いんぺいしたとしている[11]

動乱どうらんなか、フランス政府せいふ1987ねん約束やくそくどおり住民じゅうみん投票とうひょうおこない、よく1988ねんにマティニョン合意ごうい成立せいりつ自治じち拡大かくだい約束やくそくされた。合意ごういむすんだジャン=マリー・チバウは独立どくりつ過激かげきにより1989ねん暗殺あんさつされてしまいFLNKSは混乱こんらんおちいった。

以後いご自治じちへの運動うんどう協議きょうぎおこなわれ、1998ねんにはヌーメア協定きょうていフランス語ふらんすごばん英語えいごばん(ヌメア協定きょうてい)がむすばれ、住民じゅうみんへの権限けんげん譲渡じょうとプロセスを「可逆かぎゃくなもの」と位置いちづけた。フランス市民しみんけんとはべつの「ニューカレドニア民権みんけん」を導入どうにゅうすること、ニューカレドニアのアイデンティティをあらわ公的こうてきなシンボル(ニューカレドニア「国旗こっき」など)をフランス国旗こっきとはべつ制定せいていすること、フランス政府せいふがニューカレドニア特別とくべつ共同きょうどうたい段階だんかいてき権限けんげん譲渡じょうとし、最終さいしゅうてきには外交がいこう国防こくぼう司法しほうけん通貨つうか発行はっこう以外いがい権限けんげんはニューカレドニアに全面ぜんめんてき譲渡じょうとされること、2014ねんから2018ねんにかけてのいずれかの時点じてん独立どくりつかフランス残留ざんりゅうかの住民じゅうみん投票とうひょうおこなうこと、などがさだめられた。2018ねん11月4にちフランスからの独立どくりつ是非ぜひ住民じゅうみん投票とうひょう実施じっしされたが、独立どくりつ反対はんたい得票とくひょうりつ56.40%で過半数かはんすうとなり否決ひけつされた[3][12][13]2019ねん5月12にちには議会ぎかいせんおこなわれ、フランスへの残留ざんりゅう支持しじする独立どくりつ反対はんたいひょう小差しょうさ過半数かはんすうめた。政庁せいちょう所在地しょざいちヌーメアの高等こうとう弁務べんむかん事務所じむしょ発表はっぴょうによれば、全体ぜんたいの54議席ぎせきのうち独立どくりつ反対はんたい右派うはが28議席ぎせき独立どくりつ支持しじは26議席ぎせきを、獲得かくとく見通みとおしであった[14]。2020ねん10がつ4にちフランスからの独立どくりつ是非ぜひ住民じゅうみん投票とうひょうでは独立どくりつ反対はんたい得票とくひょうりつ53.3%で過半数かはんすうとなりふたた否決ひけつされた[15]

2021ねん2がつ3にちヴァーレしゃのニッケル事業じぎょう売却ばいきゃくをめぐり独立どくりつ支持しじの5にん大臣だいじん辞任じにん表明ひょうめいし、独立どくりつ反対はんたいのティエリ・サンタ政権せいけん事実じじつじょう崩壊ほうかい[16][17]。2月17にち議会ぎかい実施じっしされた選挙せんきょあらたな大臣だいじん選出せんしゅつされ、11の大臣だいじんポストのうち過半数かはんすうの6せき独立どくりつ支持しじ獲得かくとくした。政府せいふ主席しゅせき大臣だいじんによる多数決たすうけつ選出せんしゅつされるため、協定きょうてい以降いこうはじめてとなる独立どくりつ政権せいけん発足ほっそくおおきく前進ぜんしん[18][19]同年どうねん7がつ7にち実施じっしされた5かい選出せんしゅつ選挙せんきょでようやくFLNKS所属しょぞく独立どくりつルイ・マプフランス語ふらんすごばんがサンタをくだ当選とうせんたした[20]

2021ねん9がつ20日はつかフランス軍事ぐんじしょう傘下さんか軍事ぐんじ学校がっこう戦略せんりゃく研究所けんきゅうじょ英語えいごばんは、中国ちゅうごく影響えいきょうりょく拡大かくだい戦略せんりゃくについての報告ほうこくしょ発表はっぴょうし、在外ざいがい華人かじん使つかった中国共産党ちゅうごくきょうさんとう宣伝せんでん工作こうさく国際こくさい機関きかんへの浸透しんとうインターネット情報じょうほう操作そうさなどを分析ぶんせきし、中国ちゅうごく潜在せんざいてき敵国てきこく弱体じゃくたいねらい、ニューカレドニアで独立どくりつ運動うんどうあおっていると報告ほうこくした[21]

2021ねん独立どくりつ新型しんがたコロナウイルスの影響えいきょうによる外出がいしゅつ規制きせい感染かんせんしょうによる死者ししゃ葬儀そうぎ問題もんだいとなっていたため、投票とうひょう延期えんきをフランス政府せいふうったえたが却下きゃっかされ投票とうひょうでのボイコットをびかけた。同年どうねん12がつ12にち、ヌーメア協定きょうていさだめられた最後さいご独立どくりつ住民じゅうみん投票とうひょう結果けっかは、独立どくりつ反対はんたい96.5%・独立どくりつ賛成さんせい3.5%であったが、独立どくりつおおくがボイコットを実施じっしし、投票とうひょうりつ43.9%で前回ぜんかいの85.7%の半分はんぶんであった[22]。フランス大統領だいとうりょうエマニュエル・マクロン投票とうひょう実施じっしおよ結果けっか正当せいとうし、ボイコットした独立どくりつ結果けっかみとめないと宣言せんげんした[23]

メラネシア国家こっかとメラネシアけい民族みんぞく団体だんたい構成こうせいされるメラネシア・スピアヘッド・グループは多数たすうのボイコットにより正当せいとう住民じゅうみん投票とうひょうではなく無効むこうであり、国連こくれん憲章けんしょうだい1じょう自己じこ決定けっていかんする国連こくれん決議けつぎ1514違反いはんしていると[24]声明せいめいした[25]

2023ねん1がつだい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつでははつとなる日本にっぽん領事りょうじ機関きかんとしてざいヌメア領事りょうじ事務所じむしょ新設しんせつされた[8]

2024ねん5がつ、ニューカレドニア先住民せんじゅうみんぞくカナック住民じゅうみん一部いちぶがいままで「1998ねん以前いぜんにニューカレドニアで選挙せんきょじん名簿めいぼ登録とうろくされていたひと」に制限せいげんされていた地方ちほう選挙せんきょ参政さんせいけんを「現地げんちに10ねん以上いじょうらす住民じゅうみん」に拡大かくだいするとした、憲法けんぽう改正かいせいあんふつ本国ほんごく国会こっかい提出ていしゅつ可決かけつされたことを発端ほったん先住民せんじゅうみんひょうおもみがうしなわれると反発はんぱつし、暴動ぼうどう発生はっせい首都しゅと空港くうこうなどをむす幹線かんせん道路どうろじょうにバリケードなどを設置せっちし、放火ほうか略奪りゃくだつなどが発生はっせいしたため同月どうげつ15にち一時いちじ非常ひじょう事態じたい宣言せんげんされ、ふつ本国ほんごくから治安ちあん部隊ぶたいぐん派遣はけんされることとなり、空港くうこう発着はっちゃく困難こんなんなため空港くうこう閉鎖へいさとなり、周辺しゅうへんこくなどの軍用ぐんようによる外国がいこくじん出国しゅっこく脱出だっしゅつこころみられ在留ざいりゅう邦人ほうじんもこれにより出国しゅっこくした[26]同月どうげつ23にちふつ本国ほんごく大統領だいとうりょう訪問ほうもんし、地方ちほう参政さんせいけんかんする憲法けんぽう改正かいせい手続てつづきを延期えんきするかんがえを[27]同月どうげつ27にちには日本にっぽん外務省がいむしょう出国しゅっこく希望きぼうする短期たんき在留ざいりゅう邦人ほうじん出国しゅっこく確認かくにん[28]同月どうげつ28にちには非常ひじょう事態じたい宣言せんげん解除かいじょされたが、その散発さんぱつてき衝突しょうとつつづ夜間やかん外出がいしゅつ禁止きんしれい解除かいじょされていない[29][30][31][32]

また、今回こんかい独立どくりつ後押あとおししたのはアゼルバイジャンだとフランスの閣僚かくりょう主張しゅちょうした。フランスがアゼルバイジャンと対立たいりつするアルメニア支援しえんしているのが背景はいけいだとの観測かんそくがある[32]

地理ちり

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ニューカレドニアの衛星えいせい写真しゃしん
乾燥かんそうした本島ほんとう西側にしがわでは、熱帯ねったい雨林うりん東側ひがしがわとは対照たいしょうてき風景ふうけいひろがる

ニューカレドニアは南西なんせい太平洋たいへいよう南緯なんい2130ふん東経とうけい16530ふんあたりに位置いちし、オーストラリア大陸たいりくやく1200キロメートルひがしニュージーランドやく1500キロメートル北西ほくせいにある。島国しまぐにバヌアツはニューカレドニアの北東ほくとうにある。

ニューカレドニアは本島ほんとうグランドテールとう)と周囲しゅうい島々しまじまからなる。ベロップ列島れっとう (Belep archipelago) が本島ほんとうきたに、ロイヤルティ諸島しょとう(ローヤリティー諸島しょとう、Îles Loyauté、Loyalty Islands)が本島ほんとうひがしに、イルデパンとう(Île des Pins、カナックでクニエ Kunyié)がみなみに、チェスターフィールド諸島しょとうとベロナ環礁かんしょうがさらに西にしにある。

本島ほんとうグランドテールはこれらの島々しまじまなかぐんいておおきく、ただ一山ひとやまがちなしまである。しま自体じたい面積めんせきは1まん6372平方へいほうキロメートル北西ほくせいから南東なんとう細長ほそながび、ながさは350キロメートル、はばは50 - 70キロメートルである。ながたか山脈さんみゃくしま中央ちゅうおうび、なかには1500メートルえるみねも5つある。しま最高さいこう地点ちてんはパニエさん(Mont Panié、標高ひょうこう1628メートル)である。ニューカレドニア地域ちいき全体ぜんたい面積めんせきは1まん9060平方へいほうキロメートルであり、うち陸地りくち面積めんせきが1まん8575.5平方へいほうキロメートルとなっている。

ニューカレドニアは世界せかいニッケル資源しげん1/4ゆうしている。にち欧米おうべいなどの企業きぎょう採掘さいくつけんっており、これらの採掘さいくつはほとんど露天掘ろてんぼおこなわれている。

おもしま

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気候きこう

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ニューカレドニアは南回帰線みなみかいきせんにまたがり、南緯なんい19から南緯なんい23にわたっている。しま気候きこう熱帯ねったいで、ぶしによっては非常ひじょうあめおおい。5月から11月は比較的ひかくてき降水こうすいりょうすくなくごしやすい。ひがしから太平洋たいへいようえて貿易ぼうえきふう山脈さんみゃくたり、大量たいりょうあめらせることで島内とうないにはおおくの熱帯ねったい雨林うりん形成けいせいされている。年間ねんかん降水こうすいりょうはロイヤルティ諸島しょとうやく1500ミリメートル本島ほんとう東部とうぶ低地ていちやく2000ミリメートル、本島ほんとう山岳さんがくでは2000 - 4000ミリメートルにたっする。本島ほんとう西側にしがわ山脈さんみゃくかげとなるためあめ比較的ひかくてきすくなく、年間ねんかん降水こうすいりょうは1200ミリメートルである。

生態せいたいけい

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カグー(おとなしい状態じょうたい

比較的ひかくてきあたらしい時代じだい火山かざんによって形成けいせいされたおおくの太平洋たいへいよう島々しまじまとはことなり、ニューカレドニアは古代こだいゴンドワナ大陸たいりく破片はへんにあたる。8500まんねんまえにオーストラリアからジーランディアばれる一塊ひとかたまり陸地りくち分離ぶんりし、この陸地りくちは5500まんねんまえにさらにふたつにかれた。これがニューカレドニアとニュージーランドである。このため、ニューカレドニアにはゴンドワナ起源きげんめずらしい固有こゆう植物しょくぶつ動物どうぶつのこっている。

とく有名ゆうめいなのは山岳さんがく密林みつりんむニワトリだい灰色はいいろとりカグーで、威嚇いかく求愛きゅうあいさいにはあたま巨大きょだいかざをはねおおきなつばさひろげ、いぬにも奇妙きみょう大声おおごえき、ぶことはできずはやしなかはしまわっている。ニューカレドニアのシンボルともいえるとりであるが、人間にんげん持込もちこんだいぬねこなどにより絶滅ぜつめつ心配しんぱいされている。また、道具どうぐみずかつくって獲物えものカレドニアガラスなども有名ゆうめいである。

オーストラリアやニューギニアにもえているニアウリ英語えいごばん (Niaouli) の樹液じゅえき樟脳しょうのうにもにおいのする殺菌さっきんりょくたか精油せいゆ芳香ほうこう、Gomenol)をし、古来こらいより医学いがくてき関心かんしんせられてきた。精油せいゆ風邪かぜきずなどの治療ちりょうアロマテラピー使つかわれている。

ニューカレドニアの淡水たんすい生態せいたいけいなが地理ちりてき孤立こりつのために独自どくじ進化しんかげ、水量すいりょう豊富ほうふかわさわにはおおくの固有こゆう水生すいせい生物せいぶつ存在そんざいする。

人間にんげん渡来とらいまえはルーセットとばれる草食そうしょくせいオオコウモリ以外いがい哺乳類ほにゅうるいはいなかった。ヨーロッパじん渡来とらいは、乱獲らんかくまれた外界がいかい動物どうぶつにより固有こゆう生態せいたいけい危機ききひんしている。

ニューカレドニアにはふたつのことなった生態せいたいけい地域ちいきがある。ひとつはロイヤルティ諸島しょとう、イルデパンとう本島ほんとう東部とうぶのニューカレドニア熱帯ねったい雨林うりんで、もうひとつはあめすくない本島ほんとう西側にしがわのニューカレドニア乾燥かんそうりんである。ヨーロッパじん首都しゅとヌーメアをはじめ本島ほんとう西側にしがわおおみ、東側ひがしがわはカナックがおおくすんでいる。政治せいじてき区別くべつ自然しぜん区別くべつ同一どういつのものとなっている。

ニューカレドニア本島ほんとうとイルデパンとうかこサンゴ礁さんごしょう(堡礁)、ニューカレドニア・バリア・リーフはオーストラリアのグレート・バリア・リーフながさ2600キロメートル)に世界せかいだいおおきさをほこサンゴ礁さんごしょうである。そのながさは1500キロメートルにたっする。サンゴ礁さんごしょうたねがきわめて多様たようせいみ、絶滅ぜつめつ危機ききひんするジュゴン生息せいそくであり、アオウミガメ重要じゅうよう産卵さんらんでもある。ニューカレドニア・バリア・リーフは2008ねんにユネスコの世界せかい遺産いさん登録とうろくされた。

行政ぎょうせい

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注意ちゅういフランスの地方ちほう行政ぎょうせい区画くかく訳語やくご一定いっていではない。

フランスりょうポリネシアウォリス・フツナ同様どうよう、ニューカレドニアもフランスの海外かいがい領土りょうどであり、フランスの一部いちぶである。フランスでも特殊とくしゅ地方ちほう行政ぎょうせい区画くかく特別とくべつ共同きょうどうたい (a collectivité sui generis)」であり、「特別とくべつ独自どくじsui generis)」という用語ようごかんされている。これは、ニューカレドニアはフランスで唯一ゆいいつ地域ちいきけんけん海外かいがいけん海外かいがいじゅんけんなど地方ちほう共同きょうどうたい (Collectivité territoriale) でない行政ぎょうせいだからである。ニューカレドニアは1946ねんまで植民しょくみんだったが、1946ねん以来いらい1999ねんまで海外かいがい領土りょうど(territoire d'outre-mer、略称りゃくしょうTOM)となっており、その独自どくじ地位ちいた。首府しゅふはヌーメアで、地域ちいきない唯一ゆいいつ大都市だいとしけんである。

ニューカレドニアの行政ぎょうせい区画くかくは3つのしゅう(province、地方ちほう:フランスでこのような名称めいしょう行政ぎょうせい区画くかくはニューカレドニアにしかない)にけられる。ロイヤルティ諸島しょとうの「離島りとうしゅう (Province des Îles)」、本島ほんとう北部ほくぶの「北部ほくぶしゅう (Province Nord)」、および本島ほんとう南部なんぶの「南部なんぶしゅう (Province Sud)」である。さらにこれらは33のコミューン市町村しちょうそん)にかれる。

くわえて、カナックかく部族ぶぞくごとの課題かだい対処たいしょするため、べつ種類しゅるい行政ぎょうせい区画くかく並行へいこうして存在そんざいする。これらは伝統でんとうてき区域くいき(aires coutumières、英語えいご: traditional spheres)とばれ8つある。(伝統でんとうてき区域くいき地図ちず(zipファイル)を参照さんしょう)その司法しほうけんは、地域ちいきないむカナック以外いがい民族みんぞくには適用てきようされない。伝統でんとうてき区域くいき言葉ことばちがいやフランス植民しょくみん支配しはい以前いぜん部族ぶぞく同盟どうめい範囲はんいだいなりしょうなり反映はんえいしている。

産業さんぎょう

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鉱業こうぎょう

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ニューカレドニアのニッケル露天掘ろてんぼ鉱山こうざん

1860年代ねんだいニッケル発見はっけんされた。コバルト埋蔵まいぞうりょう世界せかいだい4、ニッケル埋蔵まいぞうりょうどう5ほこり、世界せかいだい5のニッケル生産せいさんがある。ニッケル鉱業こうぎょうがGDPの20%、輸出ゆしゅつの90%ちかくをめており、世界せかい最大さいだいきゅうフェロニッケル生産せいさんである。

日本にっぽんのニッケル鉱石こうせき年間ねんかんそう輸入ゆにゅうりょうやく400まんトンのうちのやく50%がここから出荷しゅっかされている。ニッケルは、しゅとしてステンレスをはじめ、各種かくしゅ電子でんし材料ざいりょう蓄電池ちくでんち材料ざいりょうなどの原料げんりょうとして使用しようされている。

観光かんこう

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ゆたかな自然しぜんから観光かんこうごう歴史れきしてきさかんであり、海岸かいがんやイルデパンとうなどの離島りとうリゾートもうけられ、フランス本土ほんどのみならず、日本にっぽんオーストラリアアメリカなどから多数たすう観光かんこうきゃくおとずれている。

交通こうつう

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鉄道てつどう
ヌメア-パイタの鉄道てつどう - かつてヌメア - パイタあいだ運行うんこうされていた唯一ゆいいつ鉄道てつどう

人口じんこう統計とうけい

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2010ねん推計すいけいによる。
ヌメアにある、カナック文化ぶんか研究けんきゅう展示てんじするジャン=マリー・チバウ文化ぶんかセンターレンゾ・ピアノ設計せっけい

年齢ねんれい構成こうせい

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  • ~14さい:23.19%(男性だんせい:3まん2,178にん/女性じょせい:3まん804にん
  • 15~24さい:16.89%(男性だんせい:2まん3,435にん/女性じょせい:2まん2,488にん
  • 25~54さい:42.99%(男性だんせい:5まん8,769にん/女性じょせい:5まん7,994にん
  • 55~64さい:8.21%(男性だんせい:1まん874にん/女性じょせい:1まん1,417にん
  • 65さい~:8.72%(男性だんせい:1まん558にん/女性じょせい:1まん3,138にん

男女だんじょ

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女性じょせい1にんたり男性だんせい人数にんずうしめす。

  • 誕生たんじょう時点じてん:1.05
  • ~14さい:1.05
  • 15~24さい:1.04
  • 25~54さい:1.01
  • 55~64さい:0.95
  • 65さい~:0.8

乳児にゅうじ死亡しぼうりつ

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  • 全体ぜんたい:5.37にん/1000にん
  • 男児だんじ:6.33にん/1000にん
  • 女児じょじ:4.37にん/1000にん

平均へいきん余命よめい

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  • 全体ぜんたい:77.5さい
  • 男性だんせい:73.49さい
  • 女性じょせい:81.71さい

その

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民族みんぞく

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言語げんご

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宗教しゅうきょう

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情報じょうほう通信つうしん

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放送ほうそうは、本国ほんごくフランス共和きょうわこく放送ほうそうきょくフランス・テレビジョン傘下さんかにおく海外かいがい領土りょうどけチャンネルのRFOがある。ニューカレドニアにおいては、RFOのニューカレドニアきょくであるRFO NewCaledonia放送ほうそうしている。ほかに、チャンネル・カレドニアなどがある。 インターネットにおいては、ニューカレドニアにかぎらず本国ほんごくプロバイダ利用りようされる。 新聞しんぶんは、売店ばいてんなどでの販売はんばい主流しゅりゅう

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ

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ギャラリー

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ カナックは、ハワイひと意味いみするカナカという言葉ことばから派生はせいした。ニューカレドニアでは、フランス語ふらんすごしてカナックとなった[7]

出典しゅってん

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  1. ^ Vœu no 1 du 13 juillet 2010
  2. ^ City Population閲覧えつらん:2017ねん1がつ17にち
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  9. ^ 江戸えど淳子じゅんこ「<ニューカレドニア> 10 カナク」/ 綾部あやべ恒雄つねお監修かんしゅう 前川まえかわあきらくん棚橋たなはし編集へんしゅう講座こうざ 世界せかい先住民せんじゅうみんぞく -ファースト・ピープルズの現在げんざい- 09 オセアニア』 明石書店あかししょてん 2005ねん 193ページ
  10. ^ 江戸えど淳子じゅんこ「カナク」/ 綾部あやべ恒雄つねお監修かんしゅう 前川まえかわあきらくん棚橋たなはし編集へんしゅう講座こうざ 世界せかい先住民せんじゅうみんぞく -ファースト・ピープルズの現在げんざい- 09 オセアニア』 明石書店あかししょてん 2005ねん 190ページ
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  14. ^ ふつりょうニューカレドニアで議会ぎかいせん独立どくりつ反対はんたい小差しょうさ過半数かはんすうせいす”. AFPBB News. (2019ねん5がつ13にち). https://www.afpbb.com/articles/-/3224661 2019ねん8がつ24にち閲覧えつらん 
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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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