ここでは15人 にん 制 せい について記載 きさい しています。13人 にん 制 せい の「ラグビーリーグ 」とは異 こと なります。
ラグビーユニオン (英 えい : Rugby Union )は、ラグビー誕生 たんじょう とされる1823年 ねん [2] [3] [4] [5] 以後 いご 、各地 かくち で異 こと なるルールを統一 とういつ するために、1871年 ねん にイングランドで発足 ほっそく したラグビーフットボールユニオン (Rugby Football Union、RFU)[4] [5] の活動 かつどう を源流 げんりゅう とする、ラグビーフットボール の15人 にん 制 せい フォーマットおよびその競技 きょうぎ 愛好 あいこう 者 しゃ の総称 そうしょう である[5] 。現在 げんざい 、ワールドラグビー がラグビーユニオンの世界 せかい 統括 とうかつ 団体 だんたい となっている[6] 。フォーマットが異 こと なる13人 にん 制 せい ラグビーのラグビーリーグ と対比 たいひ される[7] 。(「ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較 ひかく 」も参照 さんしょう )
ラグビーフットボール は、アソシエーション・フットボール (いわゆるサッカー)と異 こと なり、ボールを手 て で持 も って走 はし ることが許 ゆる されている[8] 。
1895年 ねん に、イングランド南部 なんぶ のラグビーフットボールユニオン (RFU)と、イングランド北部 ほくぶ のノーザンラグビーフットボールユニオン(NRFU)とに分裂 ぶんれつ し、ラグビーは2つのフォーマット(=コード、ルール)に分化 ぶんか した[9] 。RFU のフォーマットが、ラグビーユニオン (15人 にん 制 せい ラグビー)である。NRFUは後年 こうねん 、ラグビーリーグ (13人 にん 制 せい ラグビー)と称 しょう するようになる[10] 。
ラグビーユニオンは、イングランド 、スコットランド 、ウェールズ 、アイルランド のホーム・ネイションズ から普及 ふきゅう し、イギリス帝国 ていこく に属 ぞく する国々 くにぐに の多 おお くに広 ひろ まった。初期 しょき に普及 ふきゅう したのは、オーストラリア 、ニュージーランド 、南 みなみ アフリカ などである[4] 。
日本 にっぽん では、1866年 ねん (慶応 けいおう 2年 ねん )、横浜 よこはま に英国 えいこく 人 じん 駐在 ちゅうざい 員 いん による横浜 よこはま フットボールクラブ(YFBC)がアジアで初 はじ めてのラグビークラブとして創立 そうりつ し、横浜公園 よこはまこうえん で活動 かつどう していた[11] [12] 。
日本人 にっぽんじん への伝来 でんらい は、1899年 ねん (明治 めいじ 32年 ねん )に慶應義塾 けいおうぎじゅく の英 えい 文学 ぶんがく 教員 きょういん エドワード・B・クラーク と田中 たなか 銀之助 ぎんのすけ が、塾生 じゅくせい にラグビーの指導 しどう を始 はじ めたのが最初 さいしょ である[13] [14] 。その2年 ねん 後 ご 、1901年 ねん (明治 めいじ 34年 ねん )12月7日 にち に慶應義塾 けいおうぎじゅく と横浜 よこはま 外国 がいこく 人 じん スポーツクラブYC&AC が、日本 にっぽん 初 はつ のラグビーユニオンの試合 しあい かつ 日本 にっぽん 初 はつ の国際 こくさい 試合 しあい を横浜公園 よこはまこうえん で行 おこな った[14] [15] 。田中 たなか 銀之助 ぎんのすけ は、後年 こうねん 、日本 にっぽん ラグビーフットボール協会 きょうかい の初代 しょだい 名誉 めいよ 会長 かいちょう となる。
単 たん にラグビー といった場合 ばあい 、競技 きょうぎ 人口 じんこう の多 おお さゆえにラグビーユニオンを指 さ す場合 ばあい が多 おお いが、オーストラリア ではラグビーリーグ のほうが競技 きょうぎ 人口 じんこう が多 おお く、ラグビーユニオンの3倍 ばい 以上 いじょう となっている[16] 。
1886年 ねん に設立 せつりつ されたラグビーユニオンの国際 こくさい 統括 とうかつ 団体 だんたい IRFB (国際 こくさい ラグビーフットボール評議 ひょうぎ 会 かい )は、後 のち にIRB (国際 こくさい ラグビー評議 ひょうぎ 会 かい )、そしてWR (ワールドラグビー ) へと加盟 かめい 国 こく 数 すう を拡大 かくだい しつつ、またプロ化 か (アマチュアリズムの破棄 はき )をはかり、スポーツ市場 いちば に向 む けてラグビーユニオンのブランディングを重 かさ ねてきた[17] 。
1895年 ねん にプロ化 か を志向 しこう したNRFU(後 ご のラグビーリーグ )と分裂 ぶんれつ して以来 いらい 、ラグビーユニオンは100年間 ねんかん アマチュアリズムを掲 かか げていたが、1995年 ねん にWRはこれを撤廃 てっぱい しオープン化 か (プロ化 か )を宣言 せんげん した[18] [2] 。
ラグビーユニオンが事実 じじつ 上 じょう の国技 こくぎ であるのは、フィジー [19] 、ジョージア [20] 、ニュージーランド[21] 、サモア [22] 、トンガ [23] 、ウェールズ [24] などである。2020年 ねん 11月 がつ 現在 げんざい 、128の各国 かっこく ・地域 ちいき の協会 きょうかい がWRの会員 かいいん となっている[17] 。
1987年 ねん に始 はじ まったラグビーワールドカップ は4年 ねん に一 いち 度 ど 開催 かいさい され、優勝 ゆうしょう チームはウェブ・エリス・カップ を得 え る。他 た に、ヨーロッパのシックス・ネイションズ 、太平洋 たいへいよう 周辺 しゅうへん 国 こく によるワールドラグビーパシフィックネイションズカップ 、WRの主催 しゅさい ではないが南半球 みなみはんきゅう のザ・ラグビーチャンピオンシップ など多 おお くの国際 こくさい 大会 たいかい がある。
イングランド ウォリックシャー州 しゅう ラグビー にあるラグビー校 こう 。手前 てまえ にラグビーフットボールのピッチが見 み える。
ラグビーフットボールの起源 きげん は、1823年 ねん ラグビー校 こう におけるイングリッシュ・スクール・フットボールの試合 しあい 中 ちゅう に、ウィリアム・ウェッブ・エリス がボールを拾 ひろ い走 はし り出 だ した出来事 できごと にあると見 み なされている[26] 。この事 こと に関 かん する証拠 しょうこ は疑 うたが わしいが[28] 、1895年 ねん に作 つく られた銘板 めいばん によってラグビー校 こう ではその名声 めいせい は不朽 ふきゅう のものとなっている[29] 。この起源 きげん の逸話 いつわ 的 てき な性格 せいかく にもかかわらず、ラグビー・ワールドカップ・トロフィー(ウェブ・エリス・カップ )は彼 かれ の名 な を冠 かん している。ラグビーフットボールはラグビー校 こう で行 おこな われていた試合 しあい 形式 けいしき に由来 ゆらい し、ラグビー校 こう 出身 しゅっしん でケンブリッジ大学 けんぶりっじだいがく に進 すす んだアルバート・ペル (英語 えいご 版 ばん ) によって初 はつ の「フットボール」チームが作 つく られたとされている[30] 。それぞれのパブリックスクール が異 こと なるルールを採用 さいよう していた初期 しょき は、ラグビー校 こう およびイートン校 こう の卒業生 そつぎょうせい は、それぞれ自分 じぶん 達 たち が好 この むルールを大学 だいがく に広 ひろ めようとしていた[31] 。
ラグビーフットボールの初期 しょき の発展 はってん における重要 じゅうよう な出来事 できごと は、1845年 ねん のラグビー校 こう における初 はつ のフットボール規則 きそく の法典 ほうてん 化 か と[32] 、それに続 つづ く1848年 ねん のケンブリッジ・ルール の制定 せいてい である[33] 。その他 た の重要 じゅうよう な出来事 できごと としては、1863年 ねん のブラックヒースクラブのフットボール・アソシエーション (FA) からの脱退 だったい (サッカー とラグビーの成立 せいりつ )、1871年 ねん のラグビー・フットボール・ユニオン の設立 せつりつ である[34] 。このルール体系 たいけい は当初 とうしょ は単純 たんじゅん に「ラグビーフットボール」として知 し られていたが、1895年 ねん にラグビーリーグ が分裂 ぶんれつ すると、ラグビーユニオンという組織 そしき の名称 めいしょう がこのスポーツを示 しめ すのに使用 しよう されるようになった[35] 。
ラグビーフットボールの初 はじ めての国際 こくさい 試合 しあい (en ) は、1871年 ねん 3月 がつ 27日 にち に行 おこな われたイングランド とスコットランド の一 いち 戦 せん である[34] 。1881年 ねん にはアイルランド とウェールズ の代表 だいひょう チームが結成 けっせい され、1883年 ねん に初 はつ の国際 こくさい 大会 たいかい であるホーム・ネイションズ・チャンピオンシップ が始 はじ まった。1883年 ねん には、初 はつ の7人 にん 制 せい ラグビー (セブンズ)トーナメントも、メルローズ でメルローズ・セブンズ (英語 えいご 版 ばん ) として開催 かいさい され[36] 、現在 げんざい でも毎年 まいとし 開 ひら かれている。
5年 ねん 後 ご に2つの重要 じゅうよう な海外 かいがい 遠征 えんせい が行 おこな われた。一 ひと つは後 ご のブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ による遠征 えんせい の基礎 きそ となったブリテン諸島 しょとう 代表 だいひょう のオーストラリアおよびニュージーランド遠征 えんせい であり[37] 、もう一 ひと つはイギリスの観客 かんきゃく が初 はじ めて見 み る海外 かいがい チームとなった1888年 ねん のニュージーランド・ネイティブ・チーム(マオリ 族 ぞく によるチーム)の遠征 えんせい である[38] 。
1905年 ねん から1908年 ねん の間 あいだ 、南半球 みなみはんきゅう の主要 しゅよう な三 さん カ国 かこく のラグビー国 こく は全 すべ て、代表 だいひょう チームを北半球 きたはんきゅう へと送 おく った: ニュージーランド (英語 えいご 版 ばん ) (1905年 ねん )、南 みなみ アフリカ(英語 えいご 版 ばん ) (1906年 ねん )、オーストラリア (英語 えいご 版 ばん ) (1908年 ねん )。これら3チームは全 すべ て新 あら たなプレースタイル、身体 しんたい レベル、戦術 せんじゅつ を有 ゆう しており[39] 、予想 よそう された以上 いじょう の成功 せいこう を収 おさ めた[40] 。
ニュージランドの1905年 ねん 遠征 えんせい チームは各 かく 試合 しあい 前 まえ にカマテ (ハカ )を披露 ひろう した。ウェールズラグビー協会 きょうかい のトム・ウィリアムズ (英語 えいご 版 ばん ) はウェールズチームのテディ・モーガン (英語 えいご 版 ばん ) に、ハカに応 こた えてウェールズ国歌 こっか 『我 わ が父祖 ふそ の土地 とち Hen Wlad Fy Nhadau 』を歌 うた うことを提案 ていあん した。モーガンが歌 うた い出 だ すと観衆 かんしゅう が加 くわ わった。これが、スポーツイベントの開始 かいし 時 じ に国歌 こっか が歌 うた われた最初 さいしょ の出来事 できごと である[41] 。1905年 ねん 、フランスはイングランドと初 はつ の国際 こくさい 試合 しあい を行 おこな った[39] 。
ジョージ5世 せい から国王 こくおう 杯 はい を受 う け取 と るニュージーランド軍 ぐん チームのJames Ryan
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう は、ラグビーの国際 こくさい 試合 しあい やクラブ間 あいだ の試合 しあい は行 おこな われなかったが、大会 たいかい はニュージーランド軍 ぐん チームといった軍隊 ぐんたい のチームによって続 つづ けられた[42] 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう はほとんどの国 くに で国際 こくさい 試合 しあい が行 おこな われなかったが、イタリア、ドイツ 、ルーマニア は数 すう 試合 しあい を行 おこ なった他 ほか [43] [44] [45] 、ケンブリッジ大学 けんぶりっじだいがく (英語 えいご 版 ばん ) とオックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく (英語 えいご 版 ばん ) は毎年 まいとし 恒例 こうれい の対抗 たいこう 戦 せん (ザ・バーシティマッチ )を開催 かいさい した[46] 。
ラグビーユニオンは1900年 ねん 初頭 しょとう に4度 ど オリンピック競技 きょうぎ として採用 さいよう された。1973年 ねん 、公式 こうしき に認 みと められた初 はつ のセブンズトーナメントがマレーフィールド・スタジアム にて、スコットランドラグビー協会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) 百 ひゃく 年 ねん 祭 さい の一部 いちぶ として開催 かいさい された[48] 。1987年 ねん にラグビーワールドカップがニュージーランドおよびオーストラリアで開催 かいさい され、ニュージーランドが初代 しょだい 王者 おうじゃ となった。初 はつ のワールドカップセブンズトーナメントは1993年 ねん にマレーフィールド・スタジアムで行 おこな われた。7人 にん 制 せい ラグビー(セブンズ)は1998年 ねん からコモンウェルスゲームズ に導入 どうにゅう され、夏季 かき オリンピック には2016年 ねん リオデジャネイロオリンピック から追加 ついか された[49] 。
ラグビーユニオンは1995年 ねん にIRBが選手 せんしゅ への報酬 ほうしゅう の制限 せいげん を撤廃 てっぱい し、プロ化 か を容認 ようにん するまでアマチュアスポーツだった[50] 。しかしながら、ラグビーユニオンの1995年 ねん 以前 いぜん の時代 じだい はShamateurism (アマチュア選手 せんしゅ をプロ同様 どうよう に扱 あつか うこと)としてたびたび告発 こくはつ され[51] 、コモンズ特別 とくべつ 委員 いいん 会 かい によってイギリスで調査 ちょうさ されるなどした[52] [53] [54] 。プロフェッショナリズムの導入 どうにゅう に続 つづ いて、北半球 きたはんきゅう のハイネケン・カップおよび南半球 みなみはんきゅう のスーパー・ラグビーが国際 こくさい クラブ大会 たいかい として始 はじ まった[55] [56] 。南 みなみ アフリカ、ニュージーランド、オーストラリアが参加 さんか し毎年 まいとし 開催 かいさい されるトライネイションズは1996年 ねん に開始 かいし された[56] 。
ラグビーにおける試合 しあい 中 ちゅう の具体 ぐたい 的 てき な指揮 しき はチームを率 ひき いるキャプテンが行 おこな う。通常 つうじょう 、ヘッドコーチ(HC)がピッチサイドに入 はい ることはなく、観客 かんきゃく 席 せき の高 たか い位置 いち からフォーメーションを確認 かくにん しながら選手 せんしゅ 交代 こうたい の指示 しじ をトランシーバー等 とう でスタッフに連絡 れんらく している。なお、ハーフタイム中 ちゅう はHCが直接 ちょくせつ 指示 しじ することも多 おお い。
日本 にっぽん のラグビーの特徴 とくちょう [ 編集 へんしゅう ]
ノーサイド (英語 えいご : No side )は、ラグビー(特 とく にラグビーユニオン)において試合 しあい 終了 しゅうりょう のことを指 さ す用語 ようご である。ただし、現在 げんざい の英語 えいご 圏 けん では古風 こふう な表現 ひょうげん とされ、代 か わりにfull timeが用 もち いられている[57] 。1857年 ねん に出版 しゅっぱん されたトマス・ヒューズ 著 ちょ 『トム・ブラウンの学校 がっこう 生活 せいかつ 』には、ラグビー校 こう のフットボールの試合 しあい に関 かん して「"No side" is called, and the first day of the School-house match is over.」と書 か かれている[58] 。ラグビーではかつて審判 しんぱん が試合 しあい 終了 しゅうりょう を宣言 せんげん するために「no side」と叫 さけ んでおり[59] 、1970年代 ねんだい まではイングランドでも使 つか われていた [要 よう 出典 しゅってん ] 。現在 げんざい ではこの言葉 ことば は日本 にっぽん でのみ使用 しよう されている(日本 にっぽん 以外 いがい では "full time" が使 つか われている[57] )。ノーサイドという言葉 ことば は日本 にっぽん でのみ生 い き残 のこ り、試合 しあい 終了 しゅうりょう のホイッスルが鳴 な ったら全員 ぜんいん お互 たが いの違 ちが いを忘 わす れるべき、ということを意味 いみ するようになった[59] 。
日本 にっぽん ではラグビーは剣道 けんどう などの武道 ぶどう と同 おな じく精神 せいしん 性 せい が重 おも んじられるようになった[58] 。新島 にいじま 清 きよし (1915年 ねん –1998年 ねん )は「ラガーマンが大切 たいせつ にしなくてはいけない思想 しそう が四 よっ つある。『自己 じこ 犠牲 ぎせい の精神 せいしん 』『ノーサイドの精神 せいしん 』『レフリー絶対 ぜったい の精神 せいしん 』『アマチュア精神 せいしん 』この四 よっ つの思想 しそう を合 あ わせて、ラグビー精神 せいしん という」と述 の べた[58] [60] 。
ノーサイド精神 せいしん はプロ化 か の進 すす んだ今日 きょう でもラグビーに影響 えいきょう を与 あた えている。例 れい として、観客 かんきゃく 席 せき を区別 くべつ しないことや、最近 さいきん までラグビー場 じょう はシャワー 室 しつ が一 ひと つだけで敵 てき 味方 みかた が譲 ゆず り合 あ って使用 しよう していたこと、さらに試合 しあい 後 ご にアフターマッチ・ファンクションと呼 よ ばれる親睦 しんぼく 会 かい を行 おこな う習慣 しゅうかん は19世紀 せいき から今日 きょう まで続 つづ いている。試合 しあい が終 お わって相手 あいて と親睦 しんぼく を深 ふか めるまでがラグビーという考 かんが え方 かた である。 [要 よう 出典 しゅってん ]
ラグビーワールドカップ2019(日本 にっぽん 大会 たいかい ) において、大会 たいかい ボランティアスタッフの名称 めいしょう を「TEAM NO-SIDE」とし、その応募 おうぼ 者 しゃ は3万 まん 8000人 にん を超 こ えた[61] 。
One For All, All for One [ 編集 へんしゅう ]
ラグビーを語 かた る上 じょう でよく使 つか われる言葉 ことば 「一人 ひとり は皆 みな の為 ため に、皆 みな は一人 ひとり の為 ため に (One For All, All for One )」は、フランスの作家 さっか アレクサンドル・デュマ・ペール の小説 しょうせつ 『三 さん 銃 じゅう 士 し 』の中 なか の言葉 ことば (原文 げんぶん フランス語 ふらんすご "un pour tous, tous pour un")である。
通常 つうじょう のラグビーユニオンのポジション
それぞれのチームはフィールド上 じょう に15名 めい の選手 せんしゅ で始 はじ まる[62] 。1チームの選手 せんしゅ は8人 にん のフォワード (ラグビーリーグ より2人 ふたり 多 おお い)と7人 にん のバックス に分 わ けられる。
フォワードの選手 せんしゅ の主 おも な責任 せきにん は、ボールのポゼッションを奪 うば い、維持 いじ することである[64] 。これらのポジションの選手 せんしゅ は、一般 いっぱん 的 てき に大柄 おおがら で強 つよ く、スクラム やラインアウト に参加 さんか する[64] 。フォワードは集団 しゅうだん として、特 とく にスクラムフォーメーションの際 さい はしばしば「パック pack 」と呼 よ ばれる[65] 。
フロントローは、ルースヘッドプロップとタイトヘッドプロップの2人 ふたり のプロップとフッカーの3人 にん の選手 せんしゅ から構成 こうせい される。2人 ふたり のプロップの役割 やくわり はスクラムの間 あいだ 、フッカーをサポートすること、ラインアウト時 じ にジャンパーのサポートを提供 ていきょう すること、ラックやモールで強 つよ さと力 ちから を提供 ていきょう することである。フッカーは攻撃 こうげき 、守備 しゅび 両面 りょうめん で鍵 かぎ となるポジションである。ポジションの名前 なまえ はスクラム中 ちゅう でボールを脚 あし で掻 か き込 こ む(フック)ことに由来 ゆらい する。フッカーは通常 つうじょう ラインアウトでボールを投 な げ入 い れる。
セカンドローは2人 ふたり のロック(あるいはロックフォワード)によって構成 こうせい される。ロックは通常 つうじょう 、チームにおいて最 もっと も長身 ちょうしん の選手 せんしゅ が担当 たんとう し、ラインアウト時 じ のジャンパーとして専門 せんもん 化 か されている。ラインアウトにおけるロックの主 おも な役割 やくわり は、他 た のフォワードに支 ささ えられながらジャンプし、投 な げ入 い れられたボールを受 う け取 と るあるいはボールを自 じ サイドに落 お とし確保 かくほ することである。ロックはまたスクラムにおいても重要 じゅうよう な役割 やくわり を持 も ち、3人 にん のフロントローの後 うし ろにバインドする。
スクラム前 まえ のセバスチャン・シャバル (左端 ひだりはし 、ポジション: ナンバーエイト)
バックローは、フォワードポジションの3列 れつ 目 め かつ最終 さいしゅう 列 れつ であり、しばしばルースフォワードと呼 よ ばれる[65] 。バックローは、2人 ふたり のフランカーと1人 ひとり のナンバーエイトからなる。ブラインドサイドフランカーとオープンサイドフランカーと呼 よ ばれる2人 ふたり のフランカーはスクラムの最終 さいしゅう 列 れつ である。ナンバーエイトはスクラム後方 こうほう 、2人 ふたり のフランカーの間 あいだ に位置 いち している。スクラムにおけるナンバーエイトの役割 やくわり は、フロントローから掻 か き出 だ されてきたボールをコントロールすることであり、フライハーフ(スタンドオフ )とインサイドセンターはナンバーエイトにきっかけをもらう。
バックスの役割 やくわり は得点 とくてん 機会 きかい を作 つく り出 だ すことであり、一般 いっぱん 的 てき にフォワードよりも小柄 こがら だがスピードおよび敏捷 びんしょう 性 せい がある[64] 。フォワードとバックスのもう一 ひと つの差異 さい は、バックス、特 とく にフライハーフ(スタンドオフ)とフルバックのポジションはより優 すぐ れたキックの技術 ぎじゅつ が期待 きたい されることである[64] 。
ハーフバックは、スクラムハーフとフライハーフの2つのポジションから構成 こうせい される。フライハーフはチームのゲームプランに極 きわ めて重要 じゅうよう である。フライハーフは大抵 たいてい の場合 ばあい ブレークダウン、ラインアウト、スクラム後 ご にスクラムハーフから最初 さいしょ にボールを受 う け取 と り、アウトサイドバックスと連携 れんけい するのにどのアクションが効果 こうか 的 てき であり最終 さいしゅう 的 てき に選択 せんたく するかを決断 けつだん する必要 ひつよう がある[67] 。多 おお くのフライハーフはまた、チームのゴールキッカーを務 つと める。スクラムハーフはフォワードとバックスの間 あいだ をつなぐ役割 やくわり を担 にな う[68] 。スクラムハーフはラインアウトからボールを受 う け取 と ったり、スクラムの後方 こうほう からボールを除 のぞ いて通常 つうじょう フライハーフにパスする。また、スクラムにボールを投 な げ入 い れ、時 とき にはフォースルースフォワードとして働 はたら く必要 ひつよう がある[68] 。
スリークォーターには、インサイドセンター、アウトサイドセンター、レフトウイング、ライトウイングの4つのポジションがある。これらのポジションはフライハーフのように、キックの能力 のうりょく 、プレーを読 よ み攻撃 こうげき を指揮 しき する能力 のうりょく を一般 いっぱん 的 てき に有 ゆう している。センターの主 おも な役割 やくわり は、自分 じぶん より外側 そとがわ の味方 みかた にスペースを提供 ていきょう することである。センターはよいラインを走 はし る能力 のうりょく 、パス能力 のうりょく が必要 ひつよう であり、タックルにより倒 たお されないことが求 もと められる[69] 。ウイングは一般 いっぱん 的 てき にバックラインの外側 そとがわ に位置 いち する。ウイングの主要 しゅよう な機能 きのう はトライで攻撃 こうげき を締 し め括 くく ることである[70] 。ウイングの選手 せんしゅ は大抵 たいてい チームで最速 さいそく であり、走者 そうしゃ としても捕 つか まりにくく、近代 きんだい では大柄 おおがら で強 つよ く、タックルを破 やぶ ることができる選手 せんしゅ が務 つと める[71] 。
フルバックは通常 つうじょう バックラインの数 すう メートル後方 こうほう に位置 いち する。相手 あいて 側 がわ のキックをキャッチする役割 やくわり や、相手 あいて 側 がわ がバックラインを破 やぶ った場合 ばあい はしばしば守備 しゅび の最終 さいしゅう ラインとなる。よいフルバックである2つの最 もっと も重要 じゅうよう な特徴 とくちょう は、信頼 しんらい できる捕 と 球 たま スキルとキックスキルである[72] 。
1チーム15人 にん で競 きそ われる。大学生 だいがくせい 以上 いじょう の場合 ばあい 、試合 しあい 時間 じかん は前 ぜん 後半 こうはん あわせて80分 ふん であり、ハーフタイムは10分 ふん 以内 いない である。
相手 あいて 陣地 じんち のゴール領域 りょういき (これをインゴール という)でボールを地面 じめん に置 お くことをトライ (TRY) と呼 よ び、ゴールラインの上空 じょうくう 、線上 せんじょう に建 た てられた2本 ほん の柱 はしら の間 あいだ のクロスバーより上 うえ にボールを蹴 け り入 い れることをゴール と呼 よ ぶ。プレー中 ちゅう にドロップキック してのゴールをドロップゴール 、相手 あいて の反則 はんそく の際 さい に与 あた えられるペナルティーキック でのゴールをペナルティーゴール と呼 よ び、また、トライに成功 せいこう したチームにはゴールの機会 きかい が与 あた えられ、これをコンバージョン と呼 よ ぶ。それぞれの得点 とくてん は、トライが5点 てん 、ペナルティーゴールおよびドロップゴールが3点 てん 、コンバージョンによるゴールが2点 てん である。
選手 せんしゅ は、ボールを持 も ち、走 はし り、投 な げ、蹴 け ることができるが、ボールを前方 ぜんぽう に落 お としたり(ノックオン knock on )前方 ぜんぽう に投 な げたり(スローフォワード throw forward )してはいけない。つまり攻撃 こうげき 側 がわ は、『ボールを持 も っているプレーヤーが、自 じ チームの15名 めい の先頭 せんとう にいなければならない(ボールを持 も たないプレーヤーがボールを持 も っているプレイヤーよりも前 まえ にいる場合 ばあい 、そのプレーヤーはオフサイド の位置 いち にいるのでプレーに参加 さんか できない)。』のである。守備 しゅび 側 がわ は、ボールを持 も った選手 せんしゅ のみに対 たい して、タックル をすることができ、これによって倒 たお された攻撃 こうげき 側 がわ の選手 せんしゅ は、ボールを素早 すばや く手放 てばな さなければならない(ダウンボール)。これを行 おこな わないと、ノット・リリース・ザ・ボール という反則 はんそく になる。また、ラグビーでは膝 ひざ がついている状態 じょうたい でも倒 たお れているとみなされるため、プレーをしてはいけない。タックルをしたプレーヤーは、ボールキャリアーのボールを奪 うば うこともできる(だが、実際 じっさい ボールキャリアーが孤立 こりつ し、フォローが遅 おく れている場合 ばあい は有効 ゆうこう であるが、事実 じじつ 上 じょう そのようなことは滅多 めった に見 み られない)。また、このことをジャッカルと呼 よ ぶ。
タックルによって選手 せんしゅ の動 うご きが止 と まることで、後 のち に続 つづ く攻撃 こうげき 側 がわ 、守備 しゅび 側 がわ 双方 そうほう の選手 せんしゅ らが集 あつ まり密集 みっしゅう が形成 けいせい されるが、その中 なか の選手 せんしゅ がボールを持 も っている状態 じょうたい をモール 、ボールが地面 じめん にある状態 じょうたい をラック と呼 よ ぶ。モールやラックでは「ゲート」があり、そのラックやモールなどの横 よこ からは入 い れない(モールに縦 たて に入 はい らなければならない)。横 よこ から入 はい った場合 ばあい 、オブ・ザ・ゲート(ゲートオフサイド)と呼 よ ばれる反則 はんそく になる。(詳 くわ しくはモール へ)この他 ほか に審判 しんぱん の指図 さしず で意図 いと 的 てき に形成 けいせい される整然 せいぜん としたスクラム scrummage と呼 よ ばれる密集 みっしゅう 状態 じょうたい があり、スクラム及 およ びラックの中 なか では、ボールの操作 そうさ は足 あし でのみ許 ゆる されている。スクラムは、審判 しんぱん の「クラウチ」→「バインド」→「セット」の合図 あいず で[79] 両 りょう チームのフォワード(前衛 ぜんえい )同士 どうし が円陣 えんじん を組 く むように組 く み合 あ い、スクラムハーフがボールをスクラム内 ない に投入 とうにゅう し、攻撃 こうげき 側 がわ 、守備 しゅび 側 がわ 双方 そうほう のフッカーがこれを取 と り合 あ う。ただし、ゴールラインが近 ちか い場合 ばあい にはスクラム内 ない にボールをキープしたままインゴールに押 お し込 こ んでしまう場合 ばあい がある。この場合 ばあい はスクラム・トライ というトライになる。
攻撃 こうげき 側 がわ のボールを奪 うば い、防御 ぼうぎょ 側 がわ のチームのボールにすることをターンオーバー という。
キックでは、自陣 じじん 22メートルラインの外側 そとがわ (敵陣 てきじん 側 がわ )で蹴 け ったボールがバウンドせずにタッチラインへと出 で た場合 ばあい 、ダイレクトタッチと呼 よ び、ボールが出 で た地点 ちてん ではなく、「キック地点 ちてん からゴールラインと平行 へいこう な直線 ちょくせん を引 ひ くと、ボールが出 で た側 がわ のタッチラインと交 まじ わる地点 ちてん 」でのラインアウト(後述 こうじゅつ )となる。また、キックする場合 ばあい そのキックするラインより前 まえ にいるプレーヤーはプレイしてはならない。した場合 ばあい キックオフサイドという反則 はんそく となる。
ラグビーでは常 つね に危険 きけん が付 つ き纏 まと うため、反則 はんそく が事細 ことこま かに規定 きてい されているが、反則 はんそく があっても必 かなら ずしも競技 きょうぎ が即 そく 中断 ちゅうだん されるとは限 かぎ らず、反則 はんそく を犯 おか したチームに不利 ふり な展開 てんかい が続 つづ く限 かぎ り猶予 ゆうよ される場合 ばあい があり、アドバンテージ (を見 み る) といわれる。この時 とき 、主審 しゅしん は有利 ゆうり なチームに向 む けて水平 すいへい に腕 うで をあげている[82] 。
反則 はんそく からの再開 さいかい には、スクラムによるものとペナルティーキック等 とう によるものとがあり、反則 はんそく の種類 しゅるい によっていずれで再開 さいかい されるかが定 さだ められている。比較的 ひかくてき 軽 かる い反則 はんそく からはスクラムで再開 さいかい し、重 おも い反則 はんそく からはペナルティーキックから再開 さいかい される(フリーキックもある)。重大 じゅうだい な反則 はんそく を犯 おか したときは、イエローカードを提示 ていじ されるシンビン とよばれる10分間 ふんかん の一時 いちじ 的 てき 退出 たいしゅつ やレッドカードを提示 ていじ される退場 たいじょう もある。
ボールがタッチラインから外 そと に出 で るとラインアウト という方法 ほうほう で再開 さいかい する。出 で た地点 ちてん からゴールラインと平行 へいこう に引 ひ かれた仮想 かそう 線 せん (これをラインオブタッチ という)の両側 りょうがわ に両 りょう チームのフォワードが並 なら び、出 で た地点 ちてん から出 だ したチームの相手 あいて 側 がわ (ペナルティキックの場合 ばあい 出 だ したチーム)の選手 せんしゅ がラインオブタッチ上 じょう にまっすぐに投 な げ(まっすぐでないときはノットストレート という反則 はんそく になる)、それを両 りょう チームが取 と り合 あ う。
近年 きんねん のラインアウトは、ルール変更 へんこう もあり、人 ひと を持 も ち上 あ げて、より高 たか いところでボールを取 と ろうとするのが普通 ふつう である。ただし、反則 はんそく によるペナルティーキックで直接 ちょくせつ 外 がい に出 だ した場合 ばあい は出 だ したほうが投 な げる。ところが、タッチラインの外 そと でボールを投 な げ入 い れる側 がわ がボールを直接 ちょくせつ 捕 と ったとき、フォワードが並 なら ばないうちにボールを投 な げ入 い れてしまうことがある。これをクイック・スローイン といい、戦術 せんじゅつ の一 ひと つとなっている。ただし、どちらか片方 かたがた のフォワードが並 なら んでいた場合 ばあい は当然 とうぜん 反則 はんそく である。
ラグビーではしばしばゲインライン という用語 ようご が使 つか われる。ゲインラインは攻撃 こうげき の有効 ゆうこう 性 せい をはかる指標 しひょう のひとつであり、直前 ちょくぜん の攻撃 こうげき の結果 けっか できたポイント(スクラム、モール、ラック等 とう の地点 ちてん )を通 とお りゴールラインに平行 へいこう な線 せん がゲインラインとなる。ゲインラインからどれだけ前進 ぜんしん (後退 こうたい )するかは、その攻撃 こうげき でどれだけ自分 じぶん たちの地域 ちいき を獲得 かくとく できたか(できなかったか)を意味 いみ し、すなわち、得点 とくてん できる(される)かのキーポイントとなる。ラインアウトの場合 ばあい はラインオブタッチが、スクラム、モール、ラックの場合 ばあい はその中心 ちゅうしん 線 せん がゲインラインとなる。
試合 しあい 時間 じかん は前半 ぜんはん ・後半 こうはん 各 かく 40分 ぶん の計 けい 80分 ふん だが、終了 しゅうりょう 時刻 じこく を過 す ぎてもプレーが途切 とぎ れるまで試合 しあい は継続 けいぞく される。ペナルティキックやフリーキックでも試合 しあい は継続 けいぞく される。ラグビーでは、試合 しあい 終了 しゅうりょう のことを、日本 にっぽん においてはしばしば「ゲームセット」ではなくノーサイド と呼 よ ばれている。戦 たたか い終 お えたら両 りょう 軍 ぐん のサイドが無 な くなって同 おな じ仲間 なかま だという精神 せいしん に由来 ゆらい する言葉 ことば である。
計時 けいじ 方法 ほうほう はサッカーと同 おな じロスタイム制度 せいど が多 おお く使 つか われるが、重要 じゅうよう な大会 たいかい ではタイムキーパー 制度 せいど が使 つか われる。これは、負傷 ふしょう 者 しゃ の手当 てあて や選手 せんしゅ への指導 しどう など、審判 しんぱん が必要 ひつよう と認 みと めたときに計時 けいじ を止 と める方式 ほうしき である。そのため、40分 ふん を経過 けいか した時点 じてん でホーンが鳴 な り、時間 じかん が来 き たことを知 し らせる。基本 きほん 的 てき にプレーが止 と まると終了 しゅうりょう だが、後半 こうはん の場合 ばあい 、リードしている側 がわ が反則 はんそく を犯 おか した場合 ばあい 、試合 しあい は継続 けいぞく する。そのため、リードしている側 がわ はボールを外 そと に蹴 け り出 だ して試合 しあい を終了 しゅうりょう させる。
ルールについては国際 こくさい ラグビー評議 ひょうぎ 会 かい が競技 きょうぎ 規則 きそく を定 さだ めて日本語 にほんご で公開 こうかい しており[87] 、用語 ようご については日本 にっぽん ラグビーフットボール協会 きょうかい が用語 ようご 集 しゅう を公開 こうかい している[88] 。
ラグビーユニオン競技 きょうぎ 場 じょう の略図 りゃくず
ラグビーユニオンは2チーム間 あいだ でプレーされ、より多 おお く得点 とくてん したチームが勝利 しょうり する。得点 とくてん する方法 ほうほう は複数 ふくすう ある。トライ はインゴールエリア(ゴールラインとデッドボールラインの間 あいだ )にボールを置 お くこと(5点 てん )とコンバージョンキック(2点 てん )の権利 けんり が得 え られる。ペナルティーキックあるいはドロップゴールが成功 せいこう すると3点 てん が加点 かてん される[89] 。それぞれの方法 ほうほう で何 なん 点 てん が得 え られるかは時代 じだい と共 とも に変更 へんこう され続 つづ けている[90] 。
ラグビーユニオンは最長 さいちょう 144メートル幅 はば 70メートルの競技 きょうぎ 場 じょう で行 おこな われる[91] 。実際 じっさい の試合 しあい では、2つのトライライン間 あいだ は最大 さいだい 100メートルで、トライラインの後方 こうほう 10 – 22メートルの間 あいだ にデッドボールラインが引 ひ かれる[91] 。競技 きょうぎ 場 じょう には、特 とく にハーフウェイラインや22メートルライン(ゴールラインから22メートルの位置 いち )などいくつかのラインが引 ひ かれる[91] 。
ラグビーのゴールポストはH型 がた をしており、地面 じめん から3メートルの高 たか さの水平 すいへい のクロスバーで連結 れんけつ された5.6メートルの距離 きょり にある2つのポールから構成 こうせい されている[92] 。他 た のいくつかのスポーツとは異 こと なりゴールキーパー はおらず(ゴールキーパーの位置 いち づけを作 つく るならフルバック)、クロスバーの下 した の領域 りょういき には特別 とくべつ な意味 いみ はない。元々 もともと はヤード・ポンド法 ほう で測 はか られていたが、現在 げんざい はメ め ートル法 とるほう が使 つか われている。
ゲームの始 はじ めに、主将 しゅしょう とレフェリーはどちらがキックオフを最初 さいしょ に行 おこな うかを決定 けってい するためコイントスを行 おこな う。プレーはドロップキックで始 はじ まり、選手 せんしゅ はボールを追 お って相手 あいて 陣内 じんない に入 はい る、相手 あいて 側 がわ はボールを確保 かくほ し前 まえ に進 すす めようと務 つと める。ボールを持 も った選手 せんしゅ がタックルされた場合 ばあい は、しばしばラック に移行 いこう する[93] 。
ゲームは前 ぜん 後半 こうはん それぞれ40分 ふん で行 おこな われ、間 あいだ に休憩 きゅうけい が取 と られる。ハーフタイムの休憩 きゅうけい で、エンドが交代 こうたい する。選手 せんしゅ の負傷 ふしょう やレフェリーが懲戒 ちょうかい 処分 しょぶん を行 おこな う際 さい にゲームがストップする時 とき は時計 とけい は進 すす まない。そのため、経過 けいか 時間 じかん は大抵 たいてい 80分 ふん より長 なが くなる。レフェリーは、オフィシャルタイムキーパーがいる時 とき でも、自分 じぶん で試合 しあい 時間 じかん を管理 かんり する責任 せきにん がある。ボールがインプレーの間 あいだ に40分 ふん あるいは80分 ふん が経過 けいか した場合 ばあい は、ボールが「デッド」になるまでゲームは続行 ぞっこう され、その後 ご にレフェリーが笛 ふえ を吹 ふ く。しかしレフェリーがペナルティーキックあるいはフリーキックを与 あた えた場合 ばあい は試合 しあい は続行 ぞっこう される[94] 。
前方 ぜんぽう へのパスは反則 はんそく であり(スローフォワード )、パスは横 よこ 方向 ほうこう あるいは後 うし ろにしなければならない[95] 。ボールは、キッキング、ランニング、スクラムあるいはモールの3種類 しゅるい の方法 ほうほう によって前進 ぜんしん する。アメリカンフットボール とは異 こと なり、「ブロッキング」は許 ゆる されていないため、ボールを持 も つプレーヤーのみがタックルされるかラックの状態 じょうたい となる。ボールが選手 せんしゅ の腕 うで によって打 う たれ前方 ぜんぽう に落下 らっか した場合 ばあい は「ノックオン」の反則 はんそく となり、プレーはスクラムで再開 さいかい する[95] 。
全 すべ ての選手 せんしゅ が相手 あいて 陣地 じんち を奪 うば うためにボールを前方 ぜんぽう へキックしてよい。キックしたボールがフィールド内 ない に着地 ちゃくち してからタッチラインを越 こ えた場合 ばあい は、越 こ えた場所 ばしょ で相手 あいて ボールのラインアウト が行 おこ なわれる[95] 。また、自陣 じじん の22メートルラインの内側 うちがわ (自陣 じじん ゴールラインと22メートルラインの間 あいだ )でキックし、ボールがフィールド内 ない に着地 ちゃくち せず直接 ちょくせつ タッチラインを越 こ えた場合 ばあい は、越 こ えた場所 ばしょ でのラインアウトとなる。しかし、22メートルラインの外側 そとがわ でキックし、ボールが直接 ちょくせつ タッチラインを越 こ えた場合 ばあい は、「キック地点 ちてん を通 とお り、ゴールラインと平行 へいこう な直線 ちょくせん が、ボールが出 で た側 がわ のタッチラインと交 まじ わる地点 ちてん 」でのラインアウトとなり、前進 ぜんしん とならない[96] 。ペナルティキックで直接 ちょくせつ タッチラインを越 こ えた場合 ばあい は、キック地点 ちてん が22メートルラインの内側 うちがわ か否 ひ かに関 かか わらず、越 こ えた場所 ばしょ でのラインアウトとなる。また、この場合 ばあい は味方 みかた ボールのラインアウトとなる。
また、キックオフの際 さい 、キックの距離 きょり が10m未満 みまん だった場合 ばあい (ノットテンメーター (10m))およびダイレクトでタッチを割 わ った場合 ばあい は2つの選択肢 せんたくし が相手 あいて に与 あた えられ、多 おお くの場合 ばあい はハーフウェイライン上 じょう でボールを持 も っていない方 ほう のスクラムで再開 さいかい される。キックオフ時 じ にダイレクトでタッチを割 わ った場合 ばあい はノット10m時 じ の3つの選択肢 せんたくし に加 くわ え、タッチとしてラインアウトを選択 せんたく する、クイックスローインする、選択肢 せんたくし も相手 あいて 側 がわ に与 あた えられる[97] 。
ラグビーのタックル。タックルはボールを保持 ほじ してる選手 せんしゅ を妨害 ぼうがい あるいは地面 じめん に倒 たお す目的 もくてき で首 くび から下 した を狙 ねら わなければならない。
守備 しゅび 側 がわ の目的 もくてき は、タックルによって相手 あいて を倒 たお すか(その後 ご 大抵 たいてい ラックに移行 いこう する)、モール で争 あらそ いボールを持 も った相手 あいて 選手 せんしゅ を止 と めることである。このような状況 じょうきょう はブレイクダウンと呼 よ ばれ、それぞれ特定 とくてい の規則 きそく がある。
選手 せんしゅ は、ボールを持 も っている相手 あいて 選手 せんしゅ に抱 だ き付 つ くことでタックルする。タックラーは相手 あいて の肩 かた より上 うえ をタックルしてはいけない[98] 。(高校生 こうこうせい 以下 いか においては、新 しん ルールにより胸 むね より上 うえ へのタックルが禁止 きんし 。)また、タックラーはタックルが終了 しゅうりょう するまで相手 あいて 選手 せんしゅ に腕 うで を巻 ま き付 つ けるよう試 こころ みなければいけない。相手 あいて を押 お すこと、ショルダーチャージ、足 あし あるいは脚 あし で相手 あいて を転 ころ ばせることは反則 はんそく である。ただし手 て で相手 あいて を転 ころ ばせることは許 ゆる されている(タップタックルあるいはアンクルタップ)[99] [100] 。タックラーはボールをキャッチするためにジャンプした相手 あいて 選手 せんしゅ が着地 ちゃくち するまではタックルしてはいけない[98]
モールはボールを持 も った選手 せんしゅ が相手 あいて と接触 せっしょく しても倒 たお れず立 た った状態 じょうたい となった後 のち に起 お こる。3人 にん 以上 いじょう がその密集 みっしゅう 状態 じょうたい に関与 かんよ するとモールが成立 せいりつ する[65] 。ラックはモールと似 に ているが、ラックではボールがグラウンド上 じょう にある点 てん が異 こと なり、少 すくな くとも3人 にん の選手 せんしゅ がボールを守 まも ろうとしてグラウンド上 じょう で密集 みっしゅう している時 とき に成立 せいりつ する[65] 。
ラインアウトで競 せ るアイルランド とジョージア (2007年 ねん ワールドカップ )
ボールがフィールドの横 よこ に出 で た時 とき は、最後 さいご にボールを触 さわ ったチームの相手 あいて 側 がわ にラインアウト が与 あた えられる[101] 。それぞれのチームのフォワード(全員 ぜんいん である必要 ひつよう はなく、数 かず はスローインするチームのオプションである)は、タッチラインに垂直 すいちょく に、タッチラインから5メートルから15メートルの間 あいだ に、1メートルの距離 きょり を置 お き整列 せいれつ する。ボールはタッチラインからフォワードの列 れつ の中央 ちゅうおう に、ボールを最後 さいご に触 ふ れなかったチームの選手 せんしゅ (大抵 たいてい フッカー)によって投 な げ入 い れられる。例外 れいがい は、ボールがペナルティーによってサイドを割 わ った時 とき で、この際 さい はペナルティーを得 え た側 がわ がボールを投 な げ入 い れる[101] 。
ラインアウトではどちらのチームもボールを争 あらそ い、選手 せんしゅ はチームメイトを持 も ち上 あ げるなどする[102] 。ジャンプした選手 せんしゅ には着地 ちゃくち するまでタックルをしてはならず、肩 かた と肩 かた の接触 せっしょく のみ許 ゆる されている[103] 。
スクラム
スクラムは、軽 かる い反則 はんそく の後 のち に安全 あんぜん かつ公平 こうへい に試合 しあい を再開 さいかい する方法 ほうほう である[104] 。スクラムは、ボールを前 まえ にパスあるいは落 お とした場合 ばあい 、誤 あやま ってオフサイドになった場合 ばあい 、ボールがラックやモール中 ちゅう で膠着 こうちゃく 状態 じょうたい になった場合 ばあい に与 あた えられる。また、ペナルティーを得 え たチームはスクラムを選択 せんたく することができる。
スクラムは、それぞれのチームの8人 にん の選手 せんしゅ が3列 れつ となり組 く み合 あ わさって形成 けいせい される。前列 ぜんれつ (フロントロー)は、フッカーとその両側 りょうがわ の2人 ふたり のプロップ(ルースヘッドおよびタイトヘッド)からなる。2列 れつ 目 め (セカンドロー)は、2人 ふたり のロックと2人 ふたり のフランカーからなる。セカンドローの後 うし ろにナンバーエイトが位置 いち する。このフォーメーションは3-4-1フォーメーションとして知 し られている[105] 。スクラムが形成 けいせい されると、スクラムの権利 けんり を得 え たチームのスクラムハーフが、フロントロー間 あいだ の「トンネル」にボールを投入 とうにゅう する[104] 。それぞれのチームのフッカーは、ボールを脚 あし で後方 こうほう に掻 か き込 こ むことによってボールのポゼッションを競 きそ う。その間 あいだ 、それぞれのパックはボールのポゼッションを得 え るのを助 たす けるため、相手 あいて を後 うし ろに押 お そうと試 こころ みる[104] 。ポゼッションを得 え た側 がわ はボールをスクラム後方 こうほう へ運 はこ び、ボールをナンバーエイトあるいはスクラムハーフによって拾 ひろ い上 あ げる。
オフィシャルと反則 はんそく [ 編集 へんしゅう ]
試合 しあい のオフィシャルは、レフェリーと2名 めい のアシスタントレフェリーの計 けい 3名 めい である[106] 。以前 いぜん はタッチジャッジとして知 し られていた後者 こうしゃ の基本 きほん 職務 しょくむ は、ボールがタッチに出 で たことを示 しめ すことだった。彼 かれ らの役割 やくわり は拡大 かくだい され、現在 げんざい はファール行為 こうい の観察 かんさつ や、オフサイドラインのチェックなど多 おお くの領域 りょういき においてレフェリーを補助 ほじょ することが期待 きたい されている[106] 。加 くわ えて、高 こう レベルの試合 しあい においては、しばしばテレビマッチオフィシャル(television match official, TMO; 一般 いっぱん 的 てき にはビデオレフェリーと呼 よ ばれる)がおり、レフェリーと無線 むせん で交信 こうしん し判断 はんだん を補助 ほじょ する。レフェリーは、決定 けってい を示 しめ すのにハンドシグナル を使用 しよう する。
よく起 お こる反則 はんそく は、肩 かた より上 うえ へのタックル、スクラムやラック、モールを故意 こい に崩 くず すこと(コラプシング)、タックルを受 う けた選手 せんしゅ がボールを手放 てばな さないこと(ノット・リリース・ザ・ボール)、タックル後 ご 、モール及 およ びラックなど密集 みっしゅう に参加 さんか する選手 せんしゅ が倒 たお れ込 こ みによりボールを出 だ させなくすること(オーバー・ザ・トップ)、マイボールの選手 せんしゅ がスクラムやラインアウトの中 なか に真 ま っ直 す ぐボールを投入 とうにゅう しない。(ノット・ストレート)、オフサイドなどである。反則 はんそく を犯 おか していない側 がわ のチームがペナルティーを得 え た際 さい には、以下 いか のように多 おお くの選択肢 せんたくし がある。
「タップ」キック —— 手 しゅ に持 も ったボールを非常 ひじょう に短 みじか い距離 きょり キックした時 とき は、キッカーはボールを再 ふたた び手 しゅ にし走 はし ることが許 ゆる されている。日本 にっぽん では「チョン蹴 け り」とも呼 よ ばれる。
パント —— 手 しゅ に持 も ったボールを長距離 ちょうきょり キックし陣地 じんち を稼 かせ ぐ。
プレースキック —— キッカーが得点 とくてん を試 こころ みる。
不正 ふせい 行為 こうい や度重 たびかさ なる違反 いはん 行為 こうい を行 おこな った選手 せんしゅ は退場 たいじょう (レッドカード )あるいは10分間 ふんかん の一時 いちじ 退場 たいじょう (シンビン)(イエローカード )処分 しょぶん となる[107] 。退場 たいじょう となった場合 ばあい 、交代 こうたい の選手 せんしゅ が出場 しゅつじょう することはできない。
交替 こうたい および入替 いれか え[ 編集 へんしゅう ]
試合 しあい 中 ちゅう は、選手 せんしゅ の(怪我 けが による)交替 こうたい あるいは(戦術 せんじゅつ 的 てき 理由 りゆう による)入替 いれか えが行 おこな われる[62] 。交替 こうたい となった選手 せんしゅ は、一時 いちじ 的 てき な止血 しけつ のための交替 こうたい 以外 いがい は試合 しあい に戻 もど ることはできない。入替 いれか えで外 そと に出 で た選手 せんしゅ は、出血 しゅっけつ した選手 せんしゅ の交替 こうたい として一時 いちじ 的 てき に、フロントローフォワードと交替 こうたい で出 で た場合 ばあい はずっと試合 しあい に戻 もど ることができる[62] 。国際 こくさい 試合 しあい においては7名 めい までの交替 こうたい が許 ゆる されており、国内 こくない あるいは国境 こっきょう を越 こ えた大会 たいかい ではナショナルユニオンの自由 じゆう 裁量 さいりょう で8名 めい まで増 ふ やすことができる(その内 うち 3名 めい はフロントローフォワードを務 つと めることができる選手 せんしゅ でなければならない)[108] 。
合成 ごうせい ラグビーボール
ラグビーユニオンの試合 しあい における最 もっと も基本 きほん 的 てき な道具 どうぐ はまずボールと、ラグビーシャツ(ジャージ)、ラグビーショーツ (英語 えいご 版 ばん ) 、ソックス、ブーツである。ラグビーボールは楕円 だえん 形 がた (長 ちょう 球 たま )であり、4枚 まい のパネルによって作 つく られている[109] 。ボールは歴史 れきし 的 てき に革 かわ 製 せい であったが、現代 げんだい ではほとんどの試合 しあい において合成 ごうせい 素材 そざい で作 つく られたボールが使用 しよう されている。IRBは、ボールの寸法 すんぽう を規定 きてい しており、長 なが さは280-300 mm、縦 たて の外周 がいしゅう は740-770 mm、横 よこ の外周 がいしゅう は580-620 mmである[109] 。ラグビーブーツは芝生 しばふ のピッチに適 てき するようスタッド付 つ きのソールを有 ゆう している。スタッドは金属 きんぞく 製 せい あるいはプラスチック製 せい のものが使 つか われるが、先端 せんたん あるいは端 はし が鋭 するど いものは禁止 きんし されている[110] 。
防具 ぼうぐ は任意 にんい であり、厳密 げんみつ に規制 きせい されている。マウスガード は最 もっと も一般 いっぱん 的 てき な防具 ぼうぐ で、ほぼ全 すべ ての選手 せんしゅ が装着 そうちゃく しており、いくつかの国 くに では義務 ぎむ となっている[111] 。その他 た の許可 きょか されている防具 ぼうぐ は、スクラムキャップ (英語 えいご 版 ばん ) 、薄 うす く(厚 あつ さ10 mm以内 いない )軟質 なんしつ の肩 かた パッド、ソックスの下 した に装着 そうちゃく するレガース (脛 ずね 当 あ て)などである。バンデージあるいはテーピングは負傷 ふしょう を補助 ほじょ あるいは防止 ぼうし するためにすることができ、選手 せんしゅ の中 なか にはスクラムやラックにおいて耳 みみ を守 まも るため頭 あたま の周 まわ りにテープを巻 ま くものもいる。女子 じょし 選手 せんしゅ は胸 むね パッドを装着 そうちゃく することもできる[112] [113] 。
ボールに対 たい するグリップを上 あ げる目的 もくてき で、フィンガーレス・グローブ(グリップ・グローブ)が使用 しよう されることもある。
マッチ・オフィシャルは、試合 しあい 前 まえ に選手 せんしゅ の服 ふく や用具 ようぐ が規則 きそく に則 のっと っているかをチェックする責任 せきにん がある。
正会員 せいかいいん および準 じゅん 会員 かいいん 正会員 せいかいいん
準 じゅん 会員 かいいん
ラグビーユニオン(ならびにセブンズといった関連 かんれん 競技 きょうぎ )の国際 こくさい 競技 きょうぎ 連盟 れんめい はワールドラグビー (WR)である。WR本部 ほんぶ はダブリン にある。1886年 ねん に設立 せつりつ されたWRは、世界中 せかいじゅう のラグビーユニオンを統括 とうかつ し、試合 しあい 規則 きそく [114] およびランキング を発表 はっぴょう している。2012年 ねん 11月 がつ 現在 げんざい 、WRには正会員 せいかいいん (100)ならびに準 じゅん 会員 かいいん (18)を合 あ わせて118の協会 きょうかい が登録 とうろく されている[115] 。WRの統計 とうけい によれば、ラグビーユニオンは、5大陸 たいりく の100を越 こ える国々 くにぐに で全 すべ ての年代 ねんだい の男女 だんじょ によってプレーされている[116] 。WRは、ラグビー・ワールドカップ 、女子 じょし ラグビーワールドカップ 、ラグビーワールドカップセブンズ 、ワールドラグビーセブンズシリーズ 、U20チャンピオンシップ 、U20トロフィー 、ネイションズカップ 、パシフィック・ネイションズカップ を主催 しゅさい している。WRは、セブンズワールドシリーズを除 のぞ くイベントの開催 かいさい 地 ち を決定 けってい する投票 とうひょう を行 おこな う。その結果 けっか 、WRはそれぞれのイベントを開催 かいさい する契約 けいやく を各国 かっこく 協会 きょうかい と交 かわ す。
WRの下部 かぶ 組織 そしき として、6つの地域 ちいき 連盟 れんめい がある。
SANZAAR (南 みなみ アフリカ・ニュージーランド・オーストラリア・アルゼンチン・ラグビー South Africa, New Zealand, Australia and Argentina Rugby )は、南 みなみ アフリカラグビー協会 きょうかい 、ニュージーランドラグビー 、ラグビーオーストラリア およびアルゼンチンラグビー協会 きょうかい による合弁 ごうべん 事業 じぎょう であり、スーパーラグビー ならびにザ・ラグビーチャンピオンシップ を開催 かいさい している。
WRならびに各 かく 地域 ちいき 協会 きょうかい に加盟 かめい している各 かく 協会 きょうかい は、それぞれの国 くに においてラグビーユニオンを監督 かんとく する。
URBA (英語 えいご 版 ばん ) ラグビー2007決勝 けっしょう
ベルギー と対戦 たいせん するドイツ
日本 にっぽん とウェールズのラグビーファン(ウェールズ、カーディフ )
最初 さいしょ にラグビーユニオンが広 ひろ まった国 くに は、発祥 はっしょう 地 ち であるイングランド (英語 えいご 版 ばん ) とそれに続 つづ く残 のこ る3つのホームネイション、スコットランド (英語 えいご 版 ばん ) 、アイルランド 、ウェールズ (英語 えいご 版 ばん ) である。ラグビーユニオンは、海外 かいがい 駐在 ちゅうざい のイギリス人 じん や軍人 ぐんじん 、留学生 りゅうがくせい などによって世界中 せかいじゅう に輸出 ゆしゅつ されていった。1864年 ねん には、オーストラリア (英語 えいご 版 ばん ) シドニー でラグビークラブが作 つく られた。ニュージーランド (英語 えいご 版 ばん ) には、1870年 ねん にクライスト・カレッジフィンチリー校 こう (英語 えいご 版 ばん ) の生徒 せいと としてラグビーをプレーしていたCharles Munroによって持 も ち込 こ まれたと言 い われている[34] 。フランス の最初 さいしょ のラグビークラブは、1872年 ねん にル・アーヴル のイギリス人 じん 居住 きょじゅう 者 しゃ によって作 つく られた。翌年 よくねん には、アルゼンチン (英語 えいご 版 ばん ) ブエノスアイレス で初 はつ のラグビーの試合 しあい が行 おこな われた('Banks' 対 たい 'City')[117] 。北米 ほくべい では、カナダ (英語 えいご 版 ばん ) 初 はつ のクラブが1868年 ねん にモントリオール で作 つく られた。モントリオールはまた、1874年 ねん にマギル大学 だいがく とハーバード大学 だいがく の試合 しあい が行 おこな われたなど、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく (英語 えいご 版 ばん ) にラグビーユニオンが紹介 しょうかい されるに役割 やくわり を果 は たした[34] [117] 。1875年 ねん には、ケープタウン に駐屯 ちゅうとん していたイギリス兵士 へいし によって南 みなみ アフリカ(英語 えいご 版 ばん ) にラグビーが紹介 しょうかい された[117] 。
いくつかの島国 しまぐに はこれまでにラグビーを受 う け入 い れてきた。多 おお くはイギリス軍人 ぐんじん によって紹介 しょうかい されたが、後 のち には国際 こくさい 試合 しあい の相手 あいて を求 もと めて近隣 きんりん の国々 くにぐに にラグビーを広 ひろ めていった。フィジー (英語 えいご 版 ばん ) での最初 さいしょ のラグビーの試合 しあい は、1884年 ねん 頃 ごろ にビティレブ島 とう バ のヨーロッパ人 じん と現地 げんち 人 じん 警察 けいさつ のフィジー人 じん の間 あいだ で行 おこな われた[118] 。フィジーは1924年 ねん にはサモア (英語 えいご 版 ばん ) への初 はつ の海外 かいがい 遠征 えんせい を行 おこな った[119] 。サモアは1927年 ねん に自国 じこく の協会 きょうかい を設立 せつりつ した[119] 。代表 だいひょう チームを有 ゆう するその他 た のオセアニア の国 くに としては、クック諸島 しょとう (英語 えいご 版 ばん ) 、ニウエ (英語 えいご 版 ばん ) 、パプアニューギニア (英語 えいご 版 ばん ) 、ソロモン諸島 しょとう (英語 えいご 版 ばん ) がある。
ラグビーユニオンがトリニダード・トバゴ (英語 えいご 版 ばん ) の到着 とうちゃく した正確 せいかく な日付 ひづけ は知 し られていないが、1926年 ねん には最初 さいしょ のクラブであるCarib RFCが設立 せつりつ された。代表 だいひょう チームは1927年 ねん までに活動 かつどう を開始 かいし し、1933年 ねん のイギリス領 りょう ギアナ への遠征 えんせい が中止 ちゅうし されたため、バルバドス (英語 えいご 版 ばん ) へと行 い き先 さき を変更 へんこう しバルバドス へラグビーを紹介 しょうかい した[120] [121] 。ラグビーユニオンがプレーされているその他 た の大西洋 たいせいよう の国 くに としてはキューバ (英語 えいご 版 ばん ) やバミューダ諸島 しょとう (英語 えいご 版 ばん ) がある。
ヨーロッパにおけるラグビーユニオンの広 ひろ がりは散発 さんぱつ 的 てき なものだった。歴史 れきし 的 てき に、イギリスやアイルランドチームが南半球 みなみはんきゅう の巨 きょ 人 じん であるオーストラリア、ニュージーランド、南 みなみ アフリカとの対戦 たいせん により興味 きょうみ を持 も っていたため、ヨーロッパのチーム(主 おも にベルギー (英語 えいご 版 ばん ) 、オランダ (英語 えいご 版 ばん ) 、ドイツ (英語 えいご 版 ばん ) 、スペイン (英語 えいご 版 ばん ) 、ルーマニア (英語 えいご 版 ばん ) 、ポーランド (英語 えいご 版 ばん ) 、イタリア (英語 えいご 版 ばん ) 、チェコスロヴァキア (英語 えいご 版 ばん ) )はイギリスやアイルランドと国際 こくさい 試合 しあい を行 おこな う機会 きかい を欠 か き、国際 こくさい ラグビーの「二 に 番手 ばんて 集団 しゅうだん 」を作 つく らざるを得 え なかった[122] 。イギリスおよびアイルランド協会 きょうかい と孤立 こりつ している時期 じき には、フランスがこれらのヨーロッパの国々 くにぐに が定期 ていき 的 てき に対戦 たいせん できる唯一 ゆいいつ の「先頭 せんとう 集団 しゅうだん 」に属 ぞく する大陸 たいりく の国 くに だった[122] 。1934年 ねん 、フランスラグビー連盟 れんめい が中心 ちゅうしん となり国際 こくさい アマチュア・ラグビー連盟 れんめい が、WRの権限 けんげん 外 がい のラグビー協会 きょうかい を組織 そしき 化 か するために設立 せつりつ された。設立 せつりつ メンバーはイタリア 、ルーマニア (英語 えいご 版 ばん ) 、オランダ (英語 えいご 版 ばん ) 、カタルーニャ 、ポルトガル (英語 えいご 版 ばん ) 、チェコスロヴァキア (英語 えいご 版 ばん ) 、スウェーデン (英語 えいご 版 ばん ) 。その他 た の注目 ちゅうもく すべきラグビーがプレーされているヨーロッパの国 くに としてはロシア (英語 えいご 版 ばん ) がある[123] 。ロシアでは、1933年 ねん にダイナモ・モスクワとモスクワ体育 たいいく 協会 きょうかい との間 あいだ で初 はつ の公式 こうしき 記録 きろく 試合 しあい が行 おこな われた[123] 。ポルトガル (英語 えいご 版 ばん ) でも第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん と第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の間 あいだ にラグビーが根付 ねつ き、1922年 ねん にポルトガル代表 だいひょう が結成 けっせい され、1927年 ねん には公式 こうしき 大会 たいかい が開始 かいし された[124] 。
アルゼンチンは、南米 なんべい において最 もっと も知 し られたラグビーがプレーされている国 くに であり、1899年 ねん にアルゼンチンラグビー協会 きょうかい が設立 せつりつ されている。その他 た いくつかの南米 なんべい の国々 くにぐに もまた長 なが い歴史 れきし を有 ゆう している。ブラジル (英語 えいご 版 ばん ) においてラグビーは19世紀 せいき 末 まつ からプレーされているが、定期 ていき 的 てき に試合 しあい が行 おこな われるようになったのは都市 とし 対抗 たいこう 試合 しあい でサンパウロがサントスを破 やぶ った1926年 ねん からである[125] 。主 おも にモンテビデオ・クリケット・クルブ の尽力 じんりょく により、ウルグアイ (英語 えいご 版 ばん ) にラグビーが定着 ていちゃく するまで幾 いく 度 ど かの失敗 しっぱい があったものの、1951年 ねん には国内 こくない リーグと4つのクラブが結成 けっせい された[126] 。ラグビー協会 きょうかい が設立 せつりつ されたその他 た の南米 なんべい の国 くに としてはチリ (英語 えいご 版 ばん ) (1951年 ねん )、パラグアイ (英語 えいご 版 ばん ) (1968年 ねん )、ベネズエラ (英語 えいご 版 ばん ) (1992年 ねん )がある。
多 おお くのアジアの国々 くにぐに では、大 だい 英 えい 帝国 ていこく の時代 じだい からラグビーをプレーする伝統 でんとう がある。インド (英語 えいご 版 ばん ) では1870年代 ねんだい 初 はじ めにラグビーがプレーされるようになり、1873年 ねん にカルカッタ・フットボール・クラブ (英語 えいご 版 ばん ) が結成 けっせい された。1878年 ねん にカルカッタ・フットボール・クラブは解散 かいさん 、インドのラグビーは行 い き詰 づ まった。インドがラグビーに与 あた えた遺産 いさん として、イングランドとスコットランドの間 あいだ で毎年 まいとし 争 あらそ われる世界 せかい 最古 さいこ の国際 こくさい ラグビートロフィーであり、インドからラグビー・フットボール・ユニオンに寄贈 きぞう されたカルカッタカップ がある[127] 。スリランカ (英語 えいご 版 ばん ) のラグビー協会 きょうかい は1978年 ねん に設立 せつりつ されたと主張 しゅちょう されているがこの時期 じき の公式 こうしき な情報 じょうほう はほとんどなく、1920年 ねん にスリランカチームはマドラスで開催 かいさい されたオール・インディア・カップに勝利 しょうり している[128] 。マレーシア (英語 えいご 版 ばん ) についても記録 きろく 管理 かんり が悪 わる いことに悩 なや まされる。歴史 れきし 的 てき には1892年 ねん マレーシアにおける最初 さいしょ の試合 しあい が行 おこな われたと記録 きろく されているが、ラグビーが初 はじ めて確認 かくにん されるのは1922年 ねん から行 おこな われている「HMSマレーヤ杯 はい 」(戦艦 せんかん HMSマレーヤ から名付 なづ けられた)の存在 そんざい であり、マレーヤ杯 はい は現在 げんざい でもマレーヤセブンズの勝者 しょうしゃ に贈 おく られる[129] 。ラグビーユニオンはトリニティ・ホール大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) の学生 がくせい だった田中 たなか 銀之助 ぎんのすけ とコーパス・クリスティ・カレッジ (英語 えいご 版 ばん ) で学 まな んだエドワード・ブラムウェル・クラーク によって1899年 ねん に日本 にっぽん に紹介 しょうかい された[130] 。日本 にっぽん ラグビーフットボール協会 きょうかい は1926年 ねん に設立 せつりつ され、2019年 ねん ラグビーワールドカップ のホスト国 こく となることが決 き まっている[131] 。これは英 えい 連邦 れんぽう およびフランス以外 いがい の国 くに で開催 かいさい される初 はじ めてのワールドカップであり、IRBは特 とく にアジアにおいてラグビーユニオンを普及 ふきゅう させる機会 きかい と捉 とら えている[131] 。その他 た の注目 ちゅうもく すべきアジアの国々 くにぐに としては、ラグビーセブンズの発展 はってん において有名 ゆうめい で、香港 ほんこん セブンズ を開催 かいさい していることでも知 し られている、以前 いぜん はイギリスの植民 しょくみん 地 ち であった香港 ほんこん (英語 えいご 版 ばん ) やシンガポール (英語 えいご 版 ばん ) 、大韓民国 だいかんみんこく (英語 えいご 版 ばん ) 、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく (英語 えいご 版 ばん ) がある。
2011ラグビーワールドカップアフリカ予選 よせん ザンビア戦 せん 試合 しあい 前 まえ のコートジボワール代表 だいひょう (2008年 ねん 7月 がつ 21日 にち )
中東 ちゅうとう および湾岸 わんがん 諸国 しょこく におけるラグビーは、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご にこの地域 ちいき に駐屯 ちゅうとん したイギリスおよびフランス軍 ぐん によって1950年代 ねんだい に作 つく られたクラブから歴史 れきし が始 はじ まっている[132] 。これらの軍 ぐん が去 さ った後 のち 、これらの国々 くにぐに で働 はたら いていた主 おも にヨーロッパ人 じん の若 わか いプロフェッショナルによってクラブやチームは存続 そんぞく した。オマーン (英語 えいご 版 ばん ) の公式 こうしき 協会 きょうかい は、国王 こくおう カーブース・ビン=サイード が後援 こうえん 者 しゃ となり1971年 ねん に設立 せつりつ された。翌年 よくねん 、バーレーン (英語 えいご 版 ばん ) はラグビー協会 きょうかい を設立 せつりつ し、1975年 ねん にはドバイ・エグザイル・ラグビー・クラブによってドバイ・セブンズ が作 つく られた。イスラエル (英語 えいご 版 ばん ) を含 ふく む地域 ちいき において2011年 ねん 現在 げんざい 、ラグビーは未 いま だマイナースポーツである。イスラエルはワールドラグビーランキングに含 ふく まれている唯一 ゆいいつ の中東 ちゅうとう の協会 きょうかい である[133] 。
アフリカにおけるラグビーユニオンは、19世紀 せいき 末 まつ および20世紀 せいき 初頭 しょとう に主 おも にラグビーは白人 はくじん のみがプレーするという考 かんが えを持 も っていた入植 にゅうしょく 者 しゃ や植民 しょくみん 地 ち の住人 じゅうにん によって広 ひろ まっていった。そのためラグビーは、先住民 せんじゅうみん によってブルジョワのスポーツと見 み なされ彼 かれ らには広 ひろ がりを見 み せなかった[134] 。最 もっと も早 はや くラグビーがプレーされるようになったのは南 みなみ アフリカとその隣国 りんごく のローデシア (英語 えいご 版 ばん ) (現在 げんざい のジンバブエ )である(ローデシアラグビーフットボール協会 きょうかい は1895年 ねん に設立 せつりつ された)[135] 。植民 しょくみん 地 ち 支配 しはい が崩壊 ほうかい するとラグビー人気 にんき は衰 おとろ えたが、近年 きんねん はいくつかのアフリカの国々 くにぐに にラグビーは受 う け入 い れられている。21世紀 せいき 初頭 しょとう 、マダガスカル (英語 えいご 版 ばん ) 代表 だいひょう の試合 しあい は4万 まん 人 にん の観客 かんきゃく を集 あつ め[136] 、1915年 ねん からラグビーの歴史 れきし を有 ゆう するナミビアはワールドカップ本戦 ほんせん に1999年 ねん から連続 れんぞく で出場 しゅつじょう している[137] 。ワールドラグビーランキングに名前 なまえ のあるその他 た のアフリカの国 くに にはコートジボワール (英語 えいご 版 ばん ) や、ケニア (英語 えいご 版 ばん ) 、ウガンダ (英語 えいご 版 ばん ) 、ザンビア (英語 えいご 版 ばん ) がある。
フィジー[138] 、ジョージア [139] 、ニュージーランド[140] 、サモア[141] 、トンガ (英語 えいご 版 ばん ) [142] およびウェールズの少 すくな くとも6カ国 かこく がラグビーを事実 じじつ 上 じょう の国技 こくぎ としている。
2007年 ねん ワールドカップ のフランス開催 かいさい を祝 いわ うためにエッフェル塔 えっふぇるとう に飾 かざ られた巨大 きょだい なラグビーボール
ラグビーは対抗 たいこう 戦 せん の歴史 れきし であり、海外 かいがい に遠征 えんせい したり海外 かいがい から招待 しょうたい したりして試合 しあい を行 おこな ってきた。その中 なか でも、国 くに を代表 だいひょう して行 おこな われる試合 しあい をテストマッチ と呼 よ んでいる。このテストマッチに出 で ることは名誉 めいよ なこととされ、選手 せんしゅ にはキャップ が与 あた えられる。日本 にっぽん 代表 だいひょう では大野 おおの 均 ひとし (日本 にっぽん 大学 だいがく 工学部 こうがくぶ →東芝 とうしば ブレイブルーパス )が現在 げんざい キャップ数 すう 最多 さいた 。
ラグビーユニオンにおいて最 もっと も重要 じゅうよう な大会 たいかい は、4年 ねん に一 いち 度 ど 予選 よせん を勝 か ち抜 ぬ いた男子 だんし ナショナルチーム によって争 あらそ われるラグビーワールドカップ であり、ワールドラグビー が主催 しゅさい する。1987年 ねん 以降 いこう 、4年 ねん に一 いち 度 ど 開催 かいさい されている。
優勝 ゆうしょう チームは、ニュージーランド(1987年 ねん 、2011年 ねん 、2015年 ねん )、オーストラリア(1991年 ねん 、1999年 ねん )、南 みなみ アフリカ(1995年 ねん 、2007年 ねん 、2019年 ねん )、イングランド(2003年 ねん )である。
シックス・ネイションズ は、イングランド 、フランス 、アイルランド 、イタリア 、スコットランド 、ウェールズ のヨーロッパ6カ国 かこく により毎年 まいとし 開催 かいさい される対抗 たいこう 戦 せん である[143] 。毎年 まいとし 2月 がつ から3月 がつ に開催 かいさい される。それぞれの国 くに は他 た の5カ国 かこく と総 そう 当 あ たり戦 せん を行 おこな う。初期 しょき のイングランドとスコットランドの対抗 たいこう 戦 せん の後 のち 、1880年代 ねんだい にアイルランドとウェールズが加 くわ わり「ホーム・インターナショナル・チャンピオンシップス」が作 つく られた[143] 。1900年代 ねんだい にフランスも参加 さんか し、1910年 ねん に初 はじ めて「ファイブ・ネイションズ」という語句 ごく が登場 とうじょう した。しかしながら、ホーム・ネイションズ (イングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ)は、チームの実力 じつりょく 、プロフェッショナリズムの疑惑 ぎわく 、フィールド上 じょう の暴力 ぼうりょく に対 たい する懸念 けねん 等 とう により1931年 ねん にフランスを除外 じょがい した[144] 。フランスは1939-1940年 ねん に再 さい 加入 かにゅう したが、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん により8年間 ねんかん 大会 たいかい は中止 ちゅうし された。フランスは第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 1947年 ねん からの全 すべ ての大会 たいかい に出場 しゅつじょう している。2000年 ねん には、イタリアが参加 さんか した現在 げんざい の6カ国 かこく となった。イタリアローマ のスタディオ・フラミニオ は大会 たいかい が行 おこな われる中 なか で最 もっと も小 ちい さな競技 きょうぎ 場 じょう である。
ザ・ラグビーチャンピオンシップ [ 編集 へんしゅう ]
ザ・ラグビーチャンピオンシップ は南半球 みなみはんきゅう のトップ代表 だいひょう チームにより毎年 まいとし 開催 かいさい される国際 こくさい 大会 たいかい である。1996年 ねん の開始 かいし から2011年 ねん までは、トライネイションズとして知 し られており、南半球 みなみはんきゅう の伝統 でんとう 的 てき な強豪 きょうごう 国 こく である南 みなみ アフリカ 、オーストラリア 、ニュージーランド が参加 さんか していた[145] 。この3か国 こく は近年 きんねん の世界 せかい ランキングを支配 しはい しており、トライネイションズが最 もっと も厳 きび しい国際 こくさい 大会 たいかい であるといわれたこともある[146] [147] 。トライネイションズは当初 とうしょ はホーム・アンド・アウェー 2試合 しあい を各国 かっこく との間 あいだ で行 おこ なう方式 ほうしき だった[145] 。2006年 ねん から各国 かっこく と3試合 しあい ずつ対戦 たいせん する方式 ほうしき が導入 どうにゅう されたが、2007年 ねん と2011年 ねん はワールドカップイヤーのため各 かく 2試合 しあい で行 おこな われた[145] 。
特 とく にアルゼンチン が2007ワールドカップで良 よ いパフォーマンスを見 み せたため、多 おお くの解説 かいせつ 者 しゃ は、アルゼンチンがトライネイションズに参加 さんか すべきだと考 かんが えていた[148] 。このことは、最初 さいしょ 2008年 ねん 大会 たいかい での参加 さんか [149] 、次 つぎ に2010年 ねん 大会 たいかい での参加 さんか が真剣 しんけん に提案 ていあん され[150] 、2009年 ねん のトライネイションズ後 ご にSANZAR(南 みなみ アフリカ、ニュージーランド、オーストラリアの3協会 きょうかい による合弁 ごうべん 事業 じぎょう )がアルゼンチンラグビー協会 きょうかい (UAR) に2012年 ねん 大会 たいかい からの参加 さんか を要請 ようせい し実現 じつげん に近 ちか づいた[151] 。アルゼンチンの参加 さんか により、大会 たいかい は公式 こうしき に2012年 ねん からザ・ラグビーチャンピオンシップと改名 かいめい されることになった。大会 たいかい 形式 けいしき は、当初 とうしょ のホーム・アンド・アウェイ方式 ほうしき に戻 もど ったが、2015年 ねん はワールドカップイヤーのため各 かく 1試合 しあい で行 おこな われた。
なお、各 かく 参加 さんか 国 こく の間 あいだ には定期 ていき 戦 せん で懸 か けられるカップ戦 せん が存在 そんざい し、ニュージーランドとオーストラリアの間 あいだ ではブレディスローカップ 、ニュージーランドと南 みなみ アフリカではフリーダムカップ、オーストラリアと南 みなみ アフリカの間 あいだ ではマンデラチャレンジプレート、オーストラリアとアルゼンチンの間 あいだ ではプーマトロフィーと呼 よ ばれている。
欧州 おうしゅう ネイションズカップ[ 編集 へんしゅう ]
欧州 おうしゅう ネイションズカップ はシックス・ネイションズの次 つぎ に位置 いち する大会 たいかい 。ヨーロッパの30カ国 かこく 以上 いじょう の代表 だいひょう が参加 さんか しており、全体 ぜんたい を各 かく 4チーム前後 ぜんこう のディビジョンに分 わ け、それぞれ総 そう 当 あ たり戦 せん を行 おこな うディビジョン制 せい を取 と っている。各 かく ディビジョンの最 さい 上位 じょうい と最下位 さいかい はシーズンごとに入 い れ替 か わるが、シックス・ネイションズとディビジョン1Aとの入 い れ替 か えはない。主 おも な強国 きょうこく はポルトガル 、ルーマニア 、スペイン 、ジョージア 、ロシア など。チェコ やウクライナ といった新興 しんこう 国 こく が成績 せいせき を伸 の ばしており、本 ほん 大会 たいかい は競技 きょうぎ の普及 ふきゅう と国際 こくさい 化 か の進捗 しんちょく 状 じょう 況 きょう を見 み るバロメーターとも言 い える。
アジアラグビーチャンピオンシップ [ 編集 へんしゅう ]
アジアラグビーチャンピオンシップ2017、日本 にっぽん 対 たい 韓国 かんこく 戦 せん の開会 かいかい 式 しき (2017年 ねん 4月 がつ 29日 にち 撮影 さつえい )
アジアラグビーチャンピオンシップ はアジアラグビー 主催 しゅさい の国際 こくさい 大会 たいかい 。前身 ぜんしん はアジア5カ国 かこく 対抗 たいこう (アジア・ファイブ・ネイションズ)。ARFU加盟 かめい 国 こく をトップ3、ディビジョン1、ディビジョン2、ディビジョン3、ディビジョン4に分 わ け、トップ3はホーム2戦 せん 、アウェー2戦 せん の4回戦 かいせん 総 そう 当 あた りによるマッチポイント方式 ほうしき で順位 じゅんい を決定 けってい する。2015年 ねん の発足 ほっそく 以来 いらい 、日本 にっぽん が勝利 しょうり している。
パシフィック・ネイションズカップ [ 編集 へんしゅう ]
パシフィック・ネイションズカップ は環太平洋 かんたいへいよう の世界 せかい ランキング第 だい 2位 い グループを強化 きょうか し、トップ国 こく との格差 かくさ を縮 ちぢ める目的 もくてき で設立 せつりつ された大会 たいかい 。前身 ぜんしん はフィジー 、サモア 、トンガ のオセアニア 3カ国 かこく によるパシフィック・トライネイションズ 。2006年 ねん に日本 にっぽん 、ジュニア・オールブラックス (ニュージーランド A代表 だいひょう )を加 くわ えた5チームで発足 ほっそく 、翌 よく 2007年 ねん には、オーストラリア A代表 だいひょう が新 あら たに加 くわ わり、6カ国 かこく 総 そう 当 あた り戦 せん で行 おこな われるようになった。2008年 ねん には、ジュニアオールブラックスに代 か わってニュージーランドマオリ が参加 さんか した。2009年 ねん にはジュニアオールブラックスが復帰 ふっき したがオーストラリアA代表 だいひょう は不参加 ふさんか の5カ国 かこく で行 おこな われた。2010年 ねん 以降 いこう はジュニアオールブラックスも不参加 ふさんか となり、フィジー、サモア、トンガ、日本 にっぽん の4カ国 かこく で行 おこな われている。
国際 こくさい 競技 きょうぎ 会 かい におけるラグビー[ 編集 へんしゅう ]
ラグビーユニオン競技 きょうぎ は1900年 ねん 、1908年 ねん 、1920年 ねん 、1924年 ねん のオリンピックにおいて行 おこな われた[152] 。オリンピック規則 きそく によって、スコットランド、ウェールズ、イングランドは主権 しゅけん 国家 こっか ではないため独自 どくじ のチームとしての参加 さんか が認 みと められなかった。1900年 ねん は、フランスが、グレートブリテンを27対 たい 8、ドイツを27対 たい 17で下 くだ し金 きん メダルを手 て にした[152] 。1908年 ねん は、オーストラリアが、グレートブリテンを32対 たい 3で破 やぶ り金 きん メダルを手 て にした[152] 。1920年 ねん は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく が多 おお くの選手 せんしゅ はラグビーになじみがなかったにもかかわらず、フランスを8対 たい 0で破 やぶ る番狂 ばんくる わせを演 えん じた。1924年 ねん 、合衆国 がっしゅうこく は再 ふたた びフランスを17対 たい 3で破 やぶ り、ラグビーの金 きん メダルを二 に 度 ど 手 しゅ にした唯一 ゆいいつ のチームとなった[152] 。2009年 ねん 国際 こくさい オリンピック委員 いいん 会 かい は81対 たい 8の多数 たすう で、セブンズ、4-dayトーナメント形式 けいしき ではあるが、ラグビーユニオンの少 すく なくとも2016年 ねん 、2020年 ねん での復帰 ふっき を決定 けってい した[49] [153] 。これは長年 ながねん ラグビー界 かい が熱望 ねつぼう してきたことであり、国際 こくさい ラグビー評議 ひょうぎ 会 かい 議長 ぎちょう のバーナード・ラパセット (英語 えいご 版 ばん ) はオリンピック金 きん メダルは「我々 われわれ のスポーツ(ラグビーセブンズ)の頂点 ちょうてん 」と見 み なされるだろうと述 の べた[154] 。
ラグビーセブンズはコモンウェルスゲームズ において1998年 ねん のクアラルンプール大会 たいかい から行 おこな われている[155] 。現在 げんざい の金 きん メダル保持 ほじ 国 こく は四 よん 連覇 れんぱ 中 ちゅう のニュージーランド である[156] 。ラグビーユニオンはアジア競技 きょうぎ 大会 たいかい においてもタイ・バンコクにおける1998年 ねん 大会 たいかい から行 おこな われている。1998年 ねん および2002年 ねん 大会 たいかい では、15人 にん 制 せい と7人 にん 制 せい の2つの競技 きょうぎ がどちらも開催 かいさい されたが、2006年 ねん からは7人 にん 制 せい のみが行 おこな われている。2010年 ねん には、女子 じょし 7人 にん 制 せい ラグビーが開始 かいし された。現在 げんざい の7人 にん 制 せい トーナメント(2010年 ねん 大会 たいかい )の金 きん メダル保持 ほじ 国 こく は男子 だんし が日本 にっぽん 、女子 じょし がカザフスタンである[157] [158] 。
商用 しょうよう 航空 こうくう 便 びん が開通 かいつう する前 まえ のラグビーユニオンの初期 しょき の間 あいだ は、異 こと なる大陸 たいりく 間 あいだ のチーム同士 どうし が対戦 たいせん することはほとんどなかった。最初 さいしょ の2つの重要 じゅうよう な遠征 えんせい はどちらも1888年 ねん に行 おこな われた。ブリテン諸島 しょとう のニュージーランドおよびオーストラリア遠征 えんせい [159] とそれに続 つづ くニュージーランドチームのヨーロッパ遠征 えんせい である[160] 。伝統 でんとう 的 てき にほとんどの一流 いちりゅう の遠征 えんせい はオーストラリア、ニュージーランド、南 みなみ アフリカの南半球 みなみはんきゅう 諸国 しょこく による北半球 きたはんきゅう への遠征 えんせい と、ブリテン・アイルランド合同 ごうどう チームによる返礼 へんれい 遠征 えんせい であった[161] 。遠征 えんせい は長 なが い移動 いどう 時間 じかん と多 おお くの試合 しあい が行 おこな われるために数ヶ月 すうかげつ に渡 わた って続 つづ いた。1888年 ねん のニュージーランドチームは6月 がつ にHawkes Bayで遠征 えんせい を開始 かいし したが、107試合 しあい を戦 たたか い、1889年 ねん 8月 がつ までスケジュールは完了 かんりょう しなかった[162] 。遠征 えんせい 側 がわ のチームは代表 だいひょう チーム、クラブ、地域 ちいき チームとテストマッチを行 おこな った[159] [163] 。
クラブチームの主 おも な大会 たいかい およびリーグ [ 編集 へんしゅう ]
ラグビーユニオンは1995年 ねん からプロ化 か されている。以下 いか の表 ひょう は完全 かんぜん にプロ化 か したラグビー競技 きょうぎ 会 かい を示 しめ す(セミプロ競技 きょうぎ 会 かい は除外 じょがい されている)。平均 へいきん 観客 かんきゃく 動員 どういん 数 すう はプレーオフを含 ふく む。
プロラグビー競技 きょうぎ 会 かい
競技 きょうぎ 会 かい
チーム
国 くに
平均 へいきん 観客 かんきゃく 動員 どういん 数 すう
統計 とうけい シーズン
2011–12の平均 へいきん 観客 かんきゃく 動員 どういん 数 すう ※1
増減 ぞうげん 比 ひ
トップ14
14
フランス
14,624
2018–19
14,024
+4%
プレミアシップ
12
イングランド
14,507
2018–19
13,001
+12%
スーパーラグビー
12
ニュージーランド (6), オーストラリア (5), フィジー (1)
11,300
2019[164]
20,274
−44%
ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップ
14
アイルランド (4), ウェールズ (4), スコットランド (2), イタリア (2), 南 みなみ アフリカ (2)
8,240
2018–19
7,721
+7%
カリーカップ
9
南 みなみ アフリカ
7,674
2017[165]
15,873
−52%
ナショナル・プロヴィンシャル・チャンピオンシップ
14
ニュージーランド
7,203
2008[166]
ラグビー・プロD2
16
フランス
5,542
2018–19
3,735※2
+48%
NRC
8
オーストラリア (7), フィジー (1)
1,865
2019
RFUチャンピオンシップ
12
イングランド
1,713
2018–19
1,970
−13%
ディディ10
10
ジョージア
不明 ふめい
ラグビープレミアリーグ
8
ロシア
不明 ふめい
リーガ・ナツィオナーラ
7
ルーマニア
不明 ふめい
※1 スーパーラグビーおよびカリーカップは2011シーズンの数値 すうち 。※2 2010-11シーズンの数値 すうち 。
「スーパーラグビー 2018」サンウルブズ vs ブランビーズ 戦 たたかえ (秩父宮 ちちぶのみや ラグビー場 じょう 2018年 ねん 2月 がつ 24日 にち 撮影 さつえい )
スーパーラグビー
スーパーラグビー は、フィジー 、オーストラリア 、ニュージーランド の3か国 こく のスーパークラブ(地域 ちいき 代表 だいひょう チーム)からなる南半球 みなみはんきゅう 最高峰 さいこうほう のラグビー大会 たいかい 。2月から8月 がつ までの期間 きかん 限定 げんてい でスーパークラブを編成 へんせい しレギュラーシーズンとプレーオフトーナメントを行 おこな う。参加 さんか チームはオーストラリアカンファレンス(豪州 ごうしゅう +フィジー)、ニュージーランドカンファレンスの2カンファレンスに振 ふ り分 わ けられ、レギュラーシーズンにおいて同 どう カンファレンスとのホーム&アウェーマッチと別 べつ カンファレンスとの試合 しあい を行 おこな った後 のち 、各 かく カンファレンスの最 さい 上位 じょうい チームおよび勝 か ち点 てん 上位 じょうい の計 けい 8チームがプレーオフトーナメントに進 すす み優勝 ゆうしょう をかけて戦 たたか う。観客 かんきゃく を意識 いしき したアタッキングラグビーが楽 たの しめる。なお、参加 さんか 国 こく には其々に州 しゅう 選抜 せんばつ チームや単一 たんいつ クラブによる国内 こくない リーグがある。
プレミアシップ
プレミアシップ はイングランド 国内 こくない のトップリーグ。12チームによるホーム・アンド・アウェーの2回戦 かいせん 総 そう 当 あ たりのレギュラーシーズンを行 おこな い、上位 じょうい 4強 きょう によるプレーオフトーナメントで優勝 ゆうしょう を決 き める。南半球 みなみはんきゅう 国 こく の代表 だいひょう 選手 せんしゅ も多 おお く所属 しょぞく している。
ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップ
ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップ はウェールズ 、スコットランド 、アイルランド 、イタリア 、南 みなみ アフリカ の16チームが参加 さんか するラグビー大会 たいかい 。発足 ほっそく 当初 とうしょ はウェールズ、スコットランド、アイルランドのケルト系 けい 3カ国 かこく のチームによって行 おこな われたためケルティックリーグと呼 よ ばれていたが、2010/11シーズンからイタリアの2チームが新 あら たに加入 かにゅう した。2017/18シーズンから南 みなみ アフリカの2チームが新 あら たに加入 かにゅう する。イタリアから参加 さんか するベネトン・ラグビー・トレヴィーゾ のみが単一 たんいつ クラブであり、他 た はスーパークラブ(地域 ちいき 代表 だいひょう チーム)である。なお、参加 さんか 国 こく には其々に州 しゅう 選抜 せんばつ チームや単一 たんいつ クラブによる国内 こくない リーグがある。
トップ14
トップ14 はフランス 国内 こくない のトップリーグ。上述 じょうじゅつ のイングランド・プレミアシップ、プロ14と並 なら ぶヨーロッパ最高峰 さいこうほう のリーグである。
ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ [ 編集 へんしゅう ]
ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ は、シックス・ネイションズから選抜 せんばつ されたクラブチームによる大会 たいかい で、実質 じっしつ 的 てき に欧州 おうしゅう ナンバー1クラブを決 き める、サッカーのチャンピオンズリーグ に相当 そうとう する大会 たいかい である。20チームによるホーム・アンド・アウェーで1次 じ リーグを行 おこな い、8強 きょう が決勝 けっしょう トーナメントに進 すす む。2013-2014年 ねん シーズンまでは、ハイネケンカップ という名 な で開催 かいさい されていた。
ヨーロピアンラグビーチャレンジカップ [ 編集 へんしゅう ]
ヨーロピアンラグビーチャレンジカップ は、ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ下部 かぶ 大会 たいかい にあたる。シックス・ネイションズからはヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップに次 つ ぐ順位 じゅんい のクラブが出場 しゅつじょう 。ロシア、ジョージア、ルーマニア、スペイン、ポルトガル等 とう の上位 じょうい クラブからも出場 しゅつじょう する。
日本 にっぽん 国内 こくない の大会 たいかい [ 編集 へんしゅう ]
統計 とうけい および記録 きろく [ 編集 へんしゅう ]
コヴェントリー大学 だいがく the Centre for the International Business of Sportの2011年 ねん の報告 ほうこく 書 しょ によると、現在 げんざい 500万 まん 人 にん 以上 いじょう の人々 ひとびと がラグビーユニオンあるいはIRBによって整理 せいり されたその変種 へんしゅ をプレーしている[167] 。これは前回 ぜんかい の2007年 ねん の報告 ほうこく 書 しょ から19%増加 ぞうか している[168] 。この報告 ほうこく 書 しょ では、2007年 ねん からアフリカにおいて33%、南米 なんべい において22%、アジアおよび北米 ほくべい において18%参加 さんか 者 しゃ が増加 ぞうか しているとも主張 しゅちょう されている[168] 。
ラグビーユニオンの最高峰 さいこうほう のイベントであるラグビーワールドカップは1987年 ねん の初 はつ 開催 かいさい から成長 せいちょう し続 つづ けている[169] 。16チームがタイトルを争 あらそ った最初 さいしょ の大会 たいかい は17カ国 かこく で放映 ほうえい され2億 おく 3千 せん 万 まん 人 にん が視聴 しちょう した[169] 。この大会 たいかい での予選 よせん ステージおよび決勝 けっしょう トーナメントのチケット売 う り上 あ げは100万 まん 未満 みまん だった。2007年 ねん ワールドカップ は94カ国 かこく が参加 さんか し、予選 よせん および決勝 けっしょう ステージでのチケット売上 うりあげ は385万 まん だった[169] 。この大会 たいかい は200カ国 かこく で放映 ほうえい され42億 おく 人 にん が視聴 しちょう した[169] 。
最多 さいた 国際 こくさい 試合 しあい キャップ数 すう を持 も つのティアー1ネイションの選手 せんしゅ はオーストラリアのハーフバックジョージ・グレーガン (139キャップ)である[170] 。最多 さいた 通算 つうさん 得点 とくてん 記録 きろく を持 も つティアー1ネイションの選手 せんしゅ はニュージーランドのダン・カーター であり、キャリア通算 つうさん で1250得点 とくてん を挙 あ げている[171] 。2010年 ねん 4月 がつ 、リトアニア (英語 えいご 版 ばん ) は、セルビア (英語 えいご 版 ばん ) に勝利 しょうり した結果 けっか 18連勝 れんしょう (ティアー2ネイションに対 たい して)となり[172] 、これまでニュージーランドと南 みなみ アフリカが作 つく った17連勝 れんしょう (ティアー1ネイションに対 たい して)という記録 きろく を破 やぶ った[173] 。国際 こくさい 試合 しあい での最多 さいた 得点 とくてん 記録 きろく は1994年 ねん 10月 がつ 27日 にち に香港 ほんこん がシンガポールに164対 たい 13で勝利 しょうり した試合 しあい で記録 きろく された[174] 。しかし、最大 さいだい の点差 てんさ (152点 てん )が開 ひら いた試合 しあい は、どちらも2002年 ねん に行 おこな われた日本 にっぽん 対 たい 中華 ちゅうか 台北 たいぺい (台湾 たいわん )の155対 たい 3、アルゼンチン対 たい パラグアイの152対 たい 0である[174] 。
女子 じょし ラグビーユニオン[ 編集 へんしゅう ]
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の女子 じょし ラグビー: NC Hustlers vs. Midwest II
女子 じょし ラグビーフットボールの記録 きろく は19世紀 せいき 末 まつ に遡 さかのぼ る。Emily Valentineによる最初 さいしょ の文書 ぶんしょ 化 か された記録 きろく には、1887年 ねん にアイルランドエニスキレン にあるPortora Royal Schoolで彼女 かのじょ がラグビーチームを作 つく ったと記 しる されている[175] 。ニュージーランドとフランスによる初期 しょき の女子 じょし の試合 しあい の報告 ほうこく は存在 そんざい するものの、根拠 こんきょ のある最初 さいしょ の注目 ちゅうもく すべき試合 しあい の一 ひと つは、1917年 ねん に行 おこな われたカーディフ・レディースとニューポート・レディースの戦時 せんじ チャリティーマッチである[176] 。記録 きろく 写真 しゃしん ではカーディフ・アームズ・パーク での試合 しあい 前 まえ のカーディフ・チームの姿 すがた が残 のこ されている[176] 。過去 かこ 30年間 ねんかん 、ラグビーユニオンの人気 にんき は女子 じょし アスリートの間 あいだ で高 たか まっており、イングランドRFUによると現在 げんざい 80を越 こ える国々 くにぐに でプレーされている。イングランド女子 じょし ラグビー協会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) (RUFW) は1983年 ねん に設立 せつりつ された最 もっと も古 ふる い女子 じょし ラグビーの公式 こうしき 国内 こくない 統括 とうかつ 団体 だんたい である[177] 。女子 じょし ラグビーユニオンにおける最高峰 さいこうほう の大会 たいかい は1991年 ねん に始 はじ まった女子 じょし ラグビーワールドカップ である[178] 。1994年 ねん からは4年 ねん に1度 ど 開催 かいさい されている[178] 。
女子 じょし 国際 こくさい ラグビー[ 編集 へんしゅう ]
女子 じょし ラグビーユニオンの初 はつ の国際 こくさい 試合 しあい は1982年 ねん 、ユトレヒト におけるフランス とオランダ の試合 しあい で始 はじ まった[179] 。2009年 ねん 現在 げんざい までには、40以上 いじょう の異 こと なる代表 だいひょう チームにより600を越 こ える女子 じょし の国際 こくさい 試合 しあい が行 おこな われている[180] 。
初 はつ の女子 じょし ラグビーワールドカップ は1991年 ねん にウェールズにおいて開催 かいさい され、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく が優勝 ゆうしょう した[178] 。第 だい 2回 かい 大会 たいかい は1994年 ねん に開催 かいさい され、以後 いご は四 よん 年 ねん おきに行 おこな われている。ニュージーランド女子 じょし 代表 だいひょう は過去 かこ 5回 かい のワールドカップを優勝 ゆうしょう している(1998年 ねん 、2002年 ねん 、2006年 ねん 、2010年 ねん )、2017年 ねん [181] 。
女子 じょし ラグビーワールドカップと共 とも に、その他 た にも定期 ていき 的 てき に開催 かいさい されている大会 たいかい としては、男子 だんし の大会 たいかい と平行 へいこう して行 おこな われる女子 じょし シックス・ネイションズ がある。女子 じょし シックス・ネイションズは1996年 ねん に初 はじ めて開催 かいさい されたが、イングランド が2006年 ねん (英語 えいご 版 ばん ) から2011年 ねん (英語 えいご 版 ばん ) までの6連覇 れんぱ を含 ふく め12回 かい 大会 たいかい を制 せい している[182] 。
ビーチラグビーの試合 しあい
ラグビーユニオンの試合 しあい は、フルコンタクトの15人 にん 制 せい ルール以外 いがい にもいくつかの派生 はせい 型 がた を生 う んでいる。スポーツのルールが変更 へんこう される際 さい のより一般 いっぱん 的 てき な2つの変化 へんか は選手 せんしゅ の減少 げんしょう と接触 せっしょく の低減 ていげん である。派生 はせい 型 がた の中 なか で最 もっと も古 ふる いのは7人 にん 制 せい ラグビー (セブンズ、7's、VIIs)である。このより展開 てんかい の速 はや い派生 はせい 型 がた は1883年 ねん のスコットランドメルローズ に起源 きげん がある。ラグビーセブンズでは、1チームの選手 せんしゅ は7人 にん であり、試合 しあい のハーフは通常 つうじょう 7分 ふん である。主要 しゅよう なトーナメントとしては、香港 ほんこん セブンズ やドバイセブンズ がある。より最近 さいきん の派生 はせい 型 がた はマレーシアで行 おこな われている10人 にん 制 せい の10人 にん 制 せい ラグビー である[183] 。ラグビーの試合 しあい のフィジカル的 てき 性質 せいしつ のため、フィジカルコンタクトを減 へ らした子供 こども 向 む けの派生 はせい 型 がた がいくつか作 つく られている[184] 。これらの型 かた の中 なか で、ボール保持 ほじ 者 しゃ に単純 たんじゅん に両手 りょうて でタッチすることで「タックル」が成立 せいりつ するとしたタッチラグビー が、老若男女 ろうにゃくなんにょ が混 ま じってプレーする型 かた として人気 にんき がある[185] [186] 。タグラグビー は、プレイヤーの腰 こし に「タグベルト」を巻 ま き、そこに左右 さゆう 2本 ほん のタグがマジックテープで付 つ けられている。このタグを相手 あいて プレイヤーが取 と る事 こと で、タックルの代 か わりとなる型 かた である。またタグラグビーではボールを蹴 け ることが禁止 きんし されている[187] 。ミニラグビー (英語 えいご 版 ばん ) は、子供 こども においてラグビーユニオンを育 そだ てる目的 もくてき で作 つく られた型 かた である[188] [189] 。ミニラグビーは小 ちい さな競技 きょうぎ 場 じょう で9人 にん の選手 せんしゅ によってプレーされる[190] 。タグラグビーと類似 るいじ しているアメリカンフラッグラグビー (英語 えいご 版 ばん ) (AFR) はK-9グレードに入 はい ったアメリカの子供 こども 向 む けに設計 せっけい された、男女 だんじょ 混合 こんごう で行 おこな われるコンタクト無 な しのラグビーユニオンである[191] 。アメリカンフラッグラグビーおよびミニラグビーは共 とも に、参加 さんか 者 しゃ の年齢 ねんれい が上 あ がるにつれてラグビーユニオンのより上級 じょうきゅう 要素 ようそ を導入 どうにゅう していく点 てん でタグラグビーと異 こと なっている[190] 。
その他 た の砕 くだ けた派生 はせい 型 がた としてはビーチラグビー やスノーラグビー (英語 えいご 版 ばん ) がある[184] [192] 。
他 た のスポーツへの影響 えいきょう [ 編集 へんしゅう ]
ミシガン大学 だいがく とミネソタ大学 だいがく とのアメリカンフットボール の試合 しあい (1902年 ねん )。アメリカンフットボールの初期 しょき の形 かたち はよりラグビーとより明 あき らかな同族 どうぞく 関係 かんけい が見 み られた。
ラグビーユニオンフットボールおよびその直結 ちょっけつ する祖先 そせん であるラグビーフットボールは、いくつかの他 ほか のスポーツに対 たい して大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えている。グリッドアイアンフットボール (英語 えいご 版 ばん ) (アメリカンフットボール [193] [194] およびカナディアンフットボール [195] )は、ラグビーの初期 しょき の形式 けいしき から派生 はせい している。紛 まぎ らわしいことに、カナダではカナディアンフットボールは「ラグビーフットボール」とも呼 よ ばれており、オンタリオ (英語 えいご 版 ばん ) やケベック (英語 えいご 版 ばん ) のように多 おお くの国 くに および地方 ちほう の組織 そしき が「ラグビーフットボールユニオン(協会 きょうかい )」あるいは「ラグビーユニオン(協会 きょうかい )」と呼 よ ばれている[195] 。例 たと えば「Encyclopedia Canadiana」では、「ラグビーフットボール」の項目 こうもく では、まず「19世紀 せいき 第 だい 3四半期 しはんき にカナダに導入 どうにゅう されたラグビーユニオンあるいはイングリッシュラガーのカナダでの発展 はってん 」について述 の べられているが、次 つぎ には「カナディアンゲームはラグビーユニオンを基 もと に出発 しゅっぱつ した」と述 の べられている[195] 。
オーストラリアン・ルールズ・フットボール はゲーリックフットボール 、ラグビーフットボール、クリケット を含 ふく む数 すう 多 おお くのスポーツの影響 えいきょう を受 う けている。多 おお くの著者 ちょしゃ は主要 しゅよう な影響 えいきょう はラグビーフットボールおよびその他 た のイングランドパブリックスクールに起源 きげん を持 も つスポーツ (en ) から受 う けたと考 かんが えている[196] 。オーストラリアン・ルールズの先駆 せんく 者 しゃ の一人 ひとり と認識 にんしき されているトム・ウィルス もラグビー校 こう に通 かよ っていた[197] 。
ジェームズ・ネイスミス はバスケットボール を考案 こうあん するのにラグビーを含 ふく む多 おお くのスポーツの要素 ようそ を取 と り入 い れた[198] 。最 もっと も明 あき らかな貢献 こうけん は、ジャンプボール のラインアウトとの類似 るいじ 性 せい やバスケットボール初期 しょき の特色 とくしょく だった下手 へた 投 な げのシュートスタイルなどである。ネイスミスはマギル大学 だいがく で長年 ながねん ラグビーをプレーした[199] 。
スウェディッシュフットボール は、サッカーとラグビーフットボールを混合 こんごう したルールを持 も っていた。あるものは丸 まる いボールを使 つか ったが、その他 た のあるものは楕円 だえん 形 がた のボールを使 つか った[200] 。スウェディッシュフットボールは現在 げんざい はもはやプレーされていない[201] 。
ラグビーの名称 めいしょう はウィルチェアーラグビー (車 くるま いすラグビー)に見 み られるが、車 くるま イスラグビーはラグビーユニオンよりも車 くるま いすバスケットボール やアイスホッケー 、ハンドボール に影響 えいきょう を強 つよ く受 う けている[202] 。
文化 ぶんか におけるラグビーユニオン[ 編集 へんしゅう ]
アンリ・ルソー 『Joueurs de football(フットボールの選手 せんしゅ 達 たち )』(1908年 ねん )
Jean Jacoby『Rugby』。1928年 ねん アムステルダムオリンピック 金 きん メダル受賞 じゅしょう 作品 さくひん 。
文化 ぶんか におけるラグビーの影響 えいきょう は、ラグビー選手 せんしゅ がその国 くに の一般 いっぱん 大衆 たいしゅう からロールモデルおよびヒーローとして見 み られることと共 とも に、芸術 げいじゅつ 家 か や作家 さっか に対 たい して与 あた えたインスピレーションで評価 ひょうか することができる。Thomas Hughesの1857年 ねん の小説 しょうせつ 「Tom Brown's Schooldays」はラグビー校 こう を舞台 ぶたい にしており、ラグビーフットボールの試合 しあい が詳 くわ しく話 はな されており、1940年 ねん に映画 えいが 化 か された同名 どうめい の映画 えいが でも描写 びょうしゃ されている。ジェイムズ・ジョイス はアイルランドのチームベクティヴ・レンジャーズ (英語 えいご 版 ばん ) について『ユリシーズ 』(1922年 ねん )や『フィネガンズ・ウェイク』(1939年 ねん )など彼 かれ の作品 さくひん のいくつかで言及 げんきゅう しおり、彼 かれ の1916年 ねん の半 はん 自伝 じでん 的 てき 作品 さくひん 『若 わか き芸術 げいじゅつ 家 か の肖像 しょうぞう 』ではアイルランド代表 だいひょう James Mageeについて説明 せつめい している[203] 。サー・アーサー・コナン・ドイル は1924年 ねん のシャーロック・ホームズシリーズ 『サセックスの吸血鬼 きゅうけつき 』で、ワトソン博士 はかせ がブラックヒースでラグビーをプレーしたことを述 の べている[204] 。
ラグビーユニオンは絵画 かいが の題材 だいざい として取 と り上 あ げられたが、著名 ちょめい な芸術 げいじゅつ 家 か 、特 とく に20世紀 せいき 初頭 しょとう のフランスの画家 がか によっても取 と り上 あ げられた。フランスのポスト印象派 いんしょうは アンリ・ルソー の1908年 ねん の作品 さくひん 『Joueurs de football』では、2組 くみ のラグビー選手 せんしゅ が描 えが かれている[205] 。ラグビーユニオンを作品 さくひん で描写 びょうしゃ したその他 た のフランスの芸術 げいじゅつ 家 か には、アルベール・グレーズ 『Les Joueurs de football』(1912年 ねん )、ロベール・ドローネー 『Football. L'Equipe de Cardiff』(1916年 ねん )、アンドレ・ロート 『Partie de Rugby』(1917年 ねん )がいる[206] 。1928年 ねん アムステルダムオリンピック における単彩 たんさい 画 が と水彩 すいさい 画 が 部門 ぶもん の金 きん メダル(英語 えいご 版 ばん ) (芸術 げいじゅつ 競技 きょうぎ )はルクセンブルク のJean Jacobyの作品 さくひん 『ラグビー』が受賞 じゅしょう した[207] 。
テレビおよび映画 えいが において、ラグビーユニオンはいくつかの作品 さくひん の背景 はいけい として使 つか われた。Ealingスタジオの1949年 ねん のコメディー『A Run for Your Money』およびBBCウェールズの1979年 ねん のテレビ映画 えいが 『Grand Slam』では、スポーツそのものよりも試合 しあい を観戦 かんせん するファンに中心 ちゅうしん が置 お かれている[208] 。ラグビーをより詳細 しょうさい に取 と り上 あ げた映画 えいが には、独立 どくりつ プロダクションによる『Old Scores』(1991年 ねん )や『Forever Strong』(2008年 ねん )がある。John Carlinの著作 ちょさく 『Playing the Enemy』を基 もと にした『Invistus(インビクタス/負 ま けざる者 もの たち )』(2009年 ねん )は1995年 ねん ワールドカップ とネルソン・マンデラ がラグビーによってアパルトヘイト 後 ご の南 みなみ アフリカの人々 ひとびと を結 むす び付 つ けようと試 こころ みた出来事 できごと が描 えが かれている[209] [210] 。
多 おお くの国々 くにぐに でのラグビーユニオンあるいはラグビー選手 せんしゅ を描 えが いた像 ぞう を立 た てている。トゥイッケナム・スタジアム にあるポップ・アーティストGerald Laing の27フィートブロンズ像 ぞう [211] やミレニアム・スタジアム のサー・タスカー・ワトキンス (英語 えいご 版 ばん ) (ウェールズラグビーに貢献 こうけん した人物 じんぶつ )の像 ぞう [212] など、いくつかの像 ぞう はラグビー競技 きょうぎ 場 じょう で見 み ることができる。カーディフ のガレス・エドワーズ やステレンブーシュ のダニー・クラヴェン (英語 えいご 版 ばん ) などのラグビー選手 せんしゅ も、像 ぞう が作 つく られる栄誉 えいよ を受 う けている[213] 。
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斉藤 さいとう 健仁 けんじ 『ラグビー語 ご 辞典 じてん 』誠 まこと 文 ぶん 堂 どう 新光 しんこう 社 しゃ 、2019年 ねん 。ISBN 9784416519950 。
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