ラグビーユニオン

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ラグビーユニオン
みなみアフリカのビクター・マットフィールドが2006ねんのニュージーランドとの試合しあいにおいてラインアウトをっている。
統括とうかつ団体だんたい ワールドラグビー
通称つうしょうしき蹴球しゅうきゅうたたかえだま、ラガー、ラグビー[1]
起源きげん 19世紀せいき初頭しょとう初期しょきかた
1845ねん成文法せいぶんほう
特徴とくちょう
身体しんたい接触せっしょく フルコンタクト
選手せんしゅすう 15にん
男女だんじょ混合こんごう 男女だんじょべつ
カテゴリ チームスポーツ屋外おくがい
用品ようひん ラグビーボール
実施じっしじょうきょう
オリンピック 1900ねん1908ねん1920ねん1924ねん実施じっし2016ねんから7にんせいラグビー実施じっし
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ラグビーユニオンえい: Rugby Union)は、ラグビー誕生たんじょうとされる1823ねん[2][3][4][5]以後いご各地かくちことなるルールを統一とういつするために、1871ねんにイングランドで発足ほっそくしたラグビーフットボールユニオン(Rugby Football Union、RFU)[4][5]活動かつどう源流げんりゅうとする、ラグビーフットボールの15にんせいフォーマットおよびその競技きょうぎ愛好あいこうしゃ総称そうしょうである[5]現在げんざいワールドラグビーがラグビーユニオンの世界せかい統括とうかつ団体だんたいとなっている[6]。フォーマットがことなる13にんせいラグビーのラグビーリーグ対比たいひされる[7]。(「ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較ひかく」も参照さんしょう

概要がいよう[編集へんしゅう]

ラグビーフットボールは、アソシエーション・フットボール(いわゆるサッカー)とことなり、ボールをってはしることがゆるされている[8]

1895ねんに、イングランド南部なんぶラグビーフットボールユニオン(RFU)と、イングランド北部ほくぶのノーザンラグビーフットボールユニオン(NRFU)とに分裂ぶんれつし、ラグビーは2つのフォーマット(=コード、ルール)に分化ぶんかした[9]RFUのフォーマットが、ラグビーユニオン(15にんせいラグビー)である。NRFUは後年こうねんラグビーリーグ(13にんせいラグビー)としょうするようになる[10]

ラグビーユニオンは、イングランドスコットランドウェールズアイルランドホーム・ネイションズから普及ふきゅうし、イギリス帝国ていこくぞくする国々くにぐにおおくにひろまった。初期しょき普及ふきゅうしたのは、オーストラリアニュージーランドみなみアフリカなどである[4]

日本にっぽんでは、1866ねん慶応けいおう2ねん)、横浜よこはま英国えいこくじん駐在ちゅうざいいんによる横浜よこはまフットボールクラブ(YFBC)がアジアではじめてのラグビークラブとして創立そうりつし、横浜公園よこはまこうえん活動かつどうしていた[11][12]

日本人にっぽんじんへの伝来でんらいは、1899ねん明治めいじ32ねん)に慶應義塾けいおうぎじゅくえい文学ぶんがく教員きょういんエドワード・B・クラーク田中たなか銀之助ぎんのすけが、塾生じゅくせいにラグビーの指導しどうはじめたのが最初さいしょである[13][14]。その2ねん、1901ねん明治めいじ34ねん)12月7にち慶應義塾けいおうぎじゅく横浜よこはま外国がいこくじんスポーツクラブYC&ACが、日本にっぽんはつのラグビーユニオンの試合しあい かつ 日本にっぽんはつ国際こくさい試合しあい横浜公園よこはまこうえんおこなった[14][15]田中たなか銀之助ぎんのすけは、後年こうねん日本にっぽんラグビーフットボール協会きょうかい初代しょだい名誉めいよ会長かいちょうとなる。

たんラグビーといった場合ばあい競技きょうぎ人口じんこうおおさゆえにラグビーユニオンを場合ばあいおおいが、オーストラリアではラグビーリーグのほうが競技きょうぎ人口じんこうおおく、ラグビーユニオンの3ばい以上いじょうとなっている[16]

1886ねん設立せつりつされたラグビーユニオンの国際こくさい統括とうかつ団体だんたいIRFB国際こくさいラグビーフットボール評議ひょうぎかい)は、のちIRB国際こくさいラグビー評議ひょうぎかい)、そしてWRワールドラグビーへと加盟かめいこくすう拡大かくだいしつつ、またプロ(アマチュアリズムの破棄はき)をはかり、スポーツ市場いちばけてラグビーユニオンのブランディングをかさねてきた[17]

1895ねんにプロ志向しこうしたNRFU(ラグビーリーグ)と分裂ぶんれつして以来いらい、ラグビーユニオンは100年間ねんかんアマチュアリズムをかかげていたが、1995ねんにWRはこれを撤廃てっぱいしオープン(プロ)を宣言せんげんした[18][2]

ラグビーユニオンが事実じじつじょう国技こくぎであるのは、フィジー[19]ジョージア[20]、ニュージーランド[21]サモア[22]トンガ[23]ウェールズ[24]などである。2020ねん11がつ現在げんざい、128の各国かっこく地域ちいき協会きょうかいがWRの会員かいいんとなっている[17]

1987ねんはじまったラグビーワールドカップは4ねんいち開催かいさいされ、優勝ゆうしょうチームはウェブ・エリス・カップ[25]に、ヨーロッパのシックス・ネイションズ太平洋たいへいよう周辺しゅうへんこくによるワールドラグビーパシフィックネイションズカップ、WRの主催しゅさいではないが南半球みなみはんきゅうザ・ラグビーチャンピオンシップなどおおくの国際こくさい大会たいかいがある。

歴史れきし[編集へんしゅう]

イングランドウォリックシャーしゅうラグビーにあるラグビーこう手前てまえにラグビーフットボールのピッチがえる。

ラグビーフットボールの起源きげんは、1823ねんラグビーこうにおけるイングリッシュ・スクール・フットボールの試合しあいちゅうに、ウィリアム・ウェッブ・エリスがボールをひろはしした出来事できごとにあるとなされている[26][27]。このことかんする証拠しょうこうたがわしいが[28]、1895ねんつくられた銘板めいばんによってラグビーこうではその名声めいせい不朽ふきゅうのものとなっている[29]。この起源きげん逸話いつわてき性格せいかくにもかかわらず、ラグビー・ワールドカップ・トロフィー(ウェブ・エリス・カップ)はかれかんしている。ラグビーフットボールはラグビーこうおこなわれていた試合しあい形式けいしき由来ゆらいし、ラグビーこう出身しゅっしんケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくすすんだアルバート・ペル英語えいごばんによってはつの「フットボール」チームがつくられたとされている[30]。それぞれのパブリックスクールことなるルールを採用さいようしていた初期しょきは、ラグビーこうおよびイートンこう卒業生そつぎょうせいは、それぞれ自分じぶんたちこのむルールを大学だいがくひろめようとしていた[31]

ラグビーフットボールの初期しょき発展はってんにおける重要じゅうよう出来事できごとは、1845ねんのラグビーこうにおけるはつのフットボール規則きそく法典ほうてん[32]、それにつづく1848ねんケンブリッジ・ルール制定せいていである[33]。その重要じゅうよう出来事できごととしては、1863ねんのブラックヒースクラブのフットボール・アソシエーション (FA) からの脱退だったいサッカーとラグビーの成立せいりつ)、1871ねんラグビー・フットボール・ユニオン設立せつりつである[34]。このルール体系たいけい当初とうしょ単純たんじゅんに「ラグビーフットボール」としてられていたが、1895ねんラグビーリーグ分裂ぶんれつすると、ラグビーユニオンという組織そしき名称めいしょうがこのスポーツをしめすのに使用しようされるようになった[35]

ラグビーフットボールのはじめての国際こくさい試合しあい (en) は、1871ねん3がつ27にちおこなわれたイングランドスコットランドいちせんである[34]。1881ねんにはアイルランドウェールズ代表だいひょうチームが結成けっせいされ、1883ねんはつ国際こくさい大会たいかいであるホーム・ネイションズ・チャンピオンシップはじまった。1883ねんには、はつ7にんせいラグビー(セブンズ)トーナメントも、メルローズメルローズ・セブンズ英語えいごばんとして開催かいさいされ[36]現在げんざいでも毎年まいとしひらかれている。

5ねんに2つの重要じゅうよう海外かいがい遠征えんせいおこなわれた。ひとつはブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズによる遠征えんせい基礎きそとなったブリテン諸島しょとう代表だいひょうのオーストラリアおよびニュージーランド遠征えんせいであり[37]、もうひとつはイギリスの観客かんきゃくはじめて海外かいがいチームとなった1888ねんのニュージーランド・ネイティブ・チーム(マオリぞくによるチーム)の遠征えんせいである[38]

1905ねんから1908ねんあいだ南半球みなみはんきゅう主要しゅようさんカ国かこくのラグビーこくすべて、代表だいひょうチームを北半球きたはんきゅうへとおくった: ニュージーランド英語えいごばん(1905ねん)、みなみアフリカ英語えいごばん(1906ねん)、オーストラリア英語えいごばん(1908ねん)。これら3チームはすべあらたなプレースタイル、身体しんたいレベル、戦術せんじゅつゆうしており[39]予想よそうされた以上いじょう成功せいこうおさめた[40]

ニュージランドの1905ねん遠征えんせいチームはかく試合しあいまえカマテハカ)を披露ひろうした。ウェールズラグビー協会きょうかいトム・ウィリアムズ英語えいごばんはウェールズチームのテディ・モーガン英語えいごばんに、ハカにこたえてウェールズ国歌こっか父祖ふそ土地とち Hen Wlad Fy Nhadau』をうたうことを提案ていあんした。モーガンがうたすと観衆かんしゅうくわわった。これが、スポーツイベントの開始かいし国歌こっかうたわれた最初さいしょ出来事できごとである[41]。1905ねん、フランスはイングランドとはつ国際こくさい試合しあいおこなった[39]

ジョージ5せいから国王こくおうはいるニュージーランドぐんチームのJames Ryan

だいいち世界せかい大戦たいせんちゅうは、ラグビーの国際こくさい試合しあいやクラブあいだ試合しあいおこなわれなかったが、大会たいかいはニュージーランドぐんチームといった軍隊ぐんたいのチームによってつづけられた[42]だい世界せかい大戦たいせんちゅうはほとんどのくに国際こくさい試合しあいおこなわれなかったが、イタリア、ドイツルーマニアすう試合しあいおこなったほか[43][44][45]ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく英語えいごばんオックスフォおっくすふぉド大学どだいがく英語えいごばん毎年まいとし恒例こうれい対抗たいこうせんザ・バーシティマッチ)を開催かいさいした[46]

ラグビーユニオンは1900ねん初頭しょとうに4オリンピック競技きょうぎとして採用さいようされた[47]。1973ねん公式こうしきみとめられたはつのセブンズトーナメントがマレーフィールド・スタジアムにて、スコットランドラグビー協会きょうかい英語えいごばんひゃくねんさい一部いちぶとして開催かいさいされた[48]。1987ねんにラグビーワールドカップがニュージーランドおよびオーストラリアで開催かいさいされ、ニュージーランドが初代しょだい王者おうじゃとなった。はつのワールドカップセブンズトーナメントは1993ねんにマレーフィールド・スタジアムでおこなわれた。7にんせいラグビー(セブンズ)は1998ねんからコモンウェルスゲームズ導入どうにゅうされ、夏季かきオリンピックには2016ねんリオデジャネイロオリンピックから追加ついかされた[49]

ラグビーユニオンは1995ねんにIRBが選手せんしゅへの報酬ほうしゅう制限せいげん撤廃てっぱいし、プロ容認ようにんするまでアマチュアスポーツだった[50]。しかしながら、ラグビーユニオンの1995ねん以前いぜん時代じだいShamateurism(アマチュア選手せんしゅをプロ同様どうようあつかうこと)としてたびたび告発こくはつされ[51]、コモンズ特別とくべつ委員いいんかいによってイギリスで調査ちょうさされるなどした[52][53][54]。プロフェッショナリズムの導入どうにゅうつづいて、北半球きたはんきゅうのハイネケン・カップおよび南半球みなみはんきゅうのスーパー・ラグビーが国際こくさいクラブ大会たいかいとしてはじまった[55][56]みなみアフリカ、ニュージーランド、オーストラリアが参加さんか毎年まいとし開催かいさいされるトライネイションズは1996ねん開始かいしされた[56]

特色とくしょく[編集へんしゅう]

キャプテンシー[編集へんしゅう]

ラグビーにおける試合しあいちゅう具体ぐたいてき指揮しきはチームをひきいるキャプテンがおこなう。通常つうじょう、ヘッドコーチ(HC)がピッチサイドにはいることはなく、観客かんきゃくせきたか位置いちからフォーメーションを確認かくにんしながら選手せんしゅ交代こうたい指示しじをトランシーバーとうでスタッフに連絡れんらくしている。なお、ハーフタイムちゅうはHCが直接ちょくせつ指示しじすることもおおい。

日本にっぽんのラグビーの特徴とくちょう[編集へんしゅう]

ノーサイド精神せいしん[編集へんしゅう]

ノーサイド英語えいご: No side)は、ラグビー(とくにラグビーユニオン)において試合しあい終了しゅうりょうのことを用語ようごである。ただし、現在げんざい英語えいごけんでは古風こふう表現ひょうげんとされ、わりにfull timeがもちいられている[57]。1857ねん出版しゅっぱんされたトマス・ヒューズちょトム・ブラウンの学校がっこう生活せいかつ』には、ラグビーこうのフットボールの試合しあいかんして「"No side" is called, and the first day of the School-house match is over.」とかれている[58]。ラグビーではかつて審判しんぱん試合しあい終了しゅうりょう宣言せんげんするために「no side」とさけんでおり[59]1970年代ねんだいまではイングランドでも使つかわれていた[よう出典しゅってん]現在げんざいではこの言葉ことば日本にっぽんでのみ使用しようされている(日本にっぽん以外いがいでは "full time" が使つかわれている[57])。ノーサイドという言葉ことば日本にっぽんでのみのこり、試合しあい終了しゅうりょうのホイッスルがったら全員ぜんいんたがいのちがいをわすれるべき、ということを意味いみするようになった[59]

日本にっぽんではラグビーは剣道けんどうなどの武道ぶどうおなじく精神せいしんせいおもんじられるようになった[58]新島にいじまきよし(1915ねん–1998ねん)は「ラガーマンが大切たいせつにしなくてはいけない思想しそうよっつある。『自己じこ犠牲ぎせい精神せいしん』『ノーサイドの精神せいしん』『レフリー絶対ぜったい精神せいしん』『アマチュア精神せいしん』このよっつの思想しそうわせて、ラグビー精神せいしんという」とべた[58][60]

ノーサイド精神せいしんはプロすすんだ今日きょうでもラグビーに影響えいきょうあたえている。れいとして、観客かんきゃくせき区別くべつしないことや、最近さいきんまでラグビーじょうシャワーしつひとつだけでてき味方みかたゆずって使用しようしていたこと、さらに試合しあいにアフターマッチ・ファンクションとばれる親睦しんぼくかいおこな習慣しゅうかんは19世紀せいきから今日きょうまでつづいている。試合しあいわって相手あいて親睦しんぼくふかめるまでがラグビーというかんがかたである。[よう出典しゅってん]

ラグビーワールドカップ2019(日本にっぽん大会たいかいにおいて、大会たいかいボランティアスタッフの名称めいしょうを「TEAM NO-SIDE」とし、その応募おうぼしゃは3まん8000にんえた[61]

One For All, All for One[編集へんしゅう]

ラグビーをかたじょうでよく使つかわれる言葉ことば一人ひとりみなために、みな一人ひとりために (One For All, All for One)」は、フランスの作家さっかアレクサンドル・デュマ・ペール小説しょうせつさんじゅう』のなか言葉ことば原文げんぶんフランス語ふらんすご"un pour tous, tous pour un")である。

チーム[編集へんしゅう]

通常つうじょうのラグビーユニオンのポジション

それぞれのチームはフィールドじょうに15めい選手せんしゅはじまる[62]。1チームの選手せんしゅは8にんフォワードラグビーリーグより2人ふたりおおい)と7にんバックスけられる[63]

フォワード[編集へんしゅう]

フォワードの選手せんしゅおも責任せきにんは、ボールのポゼッションをうばい、維持いじすることである[64]。これらのポジションの選手せんしゅは、一般いっぱんてき大柄おおがらつよく、スクラムラインアウト参加さんかする[64]。フォワードは集団しゅうだんとして、とくにスクラムフォーメーションのさいはしばしば「パック pack」とばれる[65]

フロントロー[編集へんしゅう]

フロントローは、ルースヘッドプロップとタイトヘッドプロップの2人ふたりのプロップとフッカーの3にん選手せんしゅから構成こうせいされる[63]2人ふたりのプロップの役割やくわりはスクラムのあいだ、フッカーをサポートすること、ラインアウトにジャンパーのサポートを提供ていきょうすること、ラックやモールでつよさとちから提供ていきょうすることである。フッカーは攻撃こうげき守備しゅび両面りょうめんかぎとなるポジションである。ポジションの名前なまえはスクラムちゅうでボールをあしむ(フック)ことに由来ゆらいする。フッカーは通常つうじょうラインアウトでボールをれる。

セカンドロー[編集へんしゅう]

セカンドローは2人ふたりのロック(あるいはロックフォワード)によって構成こうせいされる[63]。ロックは通常つうじょう、チームにおいてもっと長身ちょうしん選手せんしゅ担当たんとうし、ラインアウトのジャンパーとして専門せんもんされている。ラインアウトにおけるロックのおも役割やくわりは、のフォワードにささえられながらジャンプし、れられたボールをるあるいはボールをサイドにとし確保かくほすることである。ロックはまたスクラムにおいても重要じゅうよう役割やくわりち、3にんのフロントローのうしろにバインドする。

バックロー[編集へんしゅう]

スクラムまえセバスチャン・シャバル左端ひだりはし、ポジション: ナンバーエイト)

バックローは、フォワードポジションの3れつかつ最終さいしゅうれつであり、しばしばルースフォワードとばれる[65]。バックローは、2人ふたりのフランカーと1人ひとりのナンバーエイトからなる[63]。ブラインドサイドフランカーとオープンサイドフランカーとばれる2人ふたりのフランカーはスクラムの最終さいしゅうれつである[66]。ナンバーエイトはスクラム後方こうほう2人ふたりのフランカーのあいだ位置いちしている。スクラムにおけるナンバーエイトの役割やくわりは、フロントローからされてきたボールをコントロールすることであり、フライハーフ(スタンドオフ)とインサイドセンターはナンバーエイトにきっかけをもらう。

バックス[編集へんしゅう]

バックスの役割やくわり得点とくてん機会きかいつくすことであり、一般いっぱんてきにフォワードよりも小柄こがらだがスピードおよび敏捷びんしょうせいがある[64]。フォワードとバックスのもうひとつの差異さいは、バックス、とくにフライハーフ(スタンドオフ)とフルバックのポジションはよりすぐれたキックの技術ぎじゅつ期待きたいされることである[64]

ハーフバック[編集へんしゅう]

ハーフバックは、スクラムハーフとフライハーフの2つのポジションから構成こうせいされる[63]。フライハーフはチームのゲームプランにきわめて重要じゅうようである。フライハーフは大抵たいてい場合ばあいブレークダウン、ラインアウト、スクラムにスクラムハーフから最初さいしょにボールをり、アウトサイドバックスと連携れんけいするのにどのアクションが効果こうかてきであり最終さいしゅうてき選択せんたくするかを決断けつだんする必要ひつようがある[67]おおくのフライハーフはまた、チームのゴールキッカーをつとめる。スクラムハーフはフォワードとバックスのあいだをつなぐ役割やくわりにな[68]。スクラムハーフはラインアウトからボールをったり、スクラムの後方こうほうからボールをのぞいて通常つうじょうフライハーフにパスする。また、スクラムにボールをれ、ときにはフォースルースフォワードとしてはたら必要ひつようがある[68]

スリークォーター[編集へんしゅう]

スリークォーターには、インサイドセンター、アウトサイドセンター、レフトウイング、ライトウイングの4つのポジションがある[63]。これらのポジションはフライハーフのように、キックの能力のうりょく、プレーを攻撃こうげき指揮しきする能力のうりょく一般いっぱんてきゆうしている。センターのおも役割やくわりは、自分じぶんより外側そとがわ味方みかたにスペースを提供ていきょうすることである。センターはよいラインをはし能力のうりょく、パス能力のうりょく必要ひつようであり、タックルによりたおされないことがもとめられる[69]。ウイングは一般いっぱんてきにバックラインの外側そとがわ位置いちする。ウイングの主要しゅよう機能きのうはトライで攻撃こうげきくくることである[70]。ウイングの選手せんしゅ大抵たいていチームで最速さいそくであり、走者そうしゃとしてもつかまりにくく、近代きんだいでは大柄おおがらつよく、タックルをやぶることができる選手せんしゅつとめる[71]

フルバック[編集へんしゅう]

フルバックは通常つうじょうバックラインのすうメートル後方こうほう位置いちする。相手あいてがわのキックをキャッチする役割やくわりや、相手あいてがわがバックラインをやぶった場合ばあいはしばしば守備しゅび最終さいしゅうラインとなる。よいフルバックである2つのもっと重要じゅうよう特徴とくちょうは、信頼しんらいできるたまスキルとキックスキルである[72]

試合しあい[編集へんしゅう]

1チーム15にんきそわれる。大学生だいがくせい以上いじょう場合ばあい試合しあい時間じかんぜん後半こうはんあわせて80ふんであり、ハーフタイムは10ふん以内いないである。

相手あいて陣地じんちのゴール領域りょういき(これをインゴールという)でボールを地面じめんくことをトライ (TRY) び、ゴールラインの上空じょうくう線上せんじょうてられた2ほんはしらあいだのクロスバーよりうえにボールをれることをゴールぶ。プレーちゅうドロップキックしてのゴールをドロップゴール相手あいて反則はんそくさいあたえられるペナルティーキックでのゴールをペナルティーゴールび、また、トライに成功せいこうしたチームにはゴールの機会きかいあたえられ、これをコンバージョン[73]。それぞれの得点とくてんは、トライが5てん、ペナルティーゴールおよびドロップゴールが3てん、コンバージョンによるゴールが2てんである[74]

選手せんしゅは、ボールをち、はしり、げ、ることができるが、ボールを前方ぜんぽうとしたり(ノックオン knock on前方ぜんぽうげたり(スローフォワード throw forward)してはいけない[75]。つまり攻撃こうげきがわは、『ボールをっているプレーヤーが、チームの15めい先頭せんとうにいなければならない(ボールをたないプレーヤーがボールをっているプレイヤーよりもまえにいる場合ばあい、そのプレーヤーはオフサイド位置いちにいるのでプレーに参加さんかできない)。[47]』のである。守備しゅびがわは、ボールをった選手せんしゅのみにたいして、タックルをすることができ、これによってたおされた攻撃こうげきがわ選手せんしゅは、ボールを素早すばや手放てばなさなければならない(ダウンボール)[76]。これをおこなわないと、ノット・リリース・ザ・ボールという反則はんそくになる[77]。また、ラグビーではひざがついている状態じょうたいでもたおれているとみなされるため、プレーをしてはいけない。タックルをしたプレーヤーは、ボールキャリアーのボールをうばうこともできる(だが、実際じっさいボールキャリアーが孤立こりつし、フォローがおくれている場合ばあい有効ゆうこうであるが、事実じじつじょうそのようなことは滅多めったられない)。また、このことをジャッカルとぶ。

タックルによって選手せんしゅうごきがまることで、のちつづ攻撃こうげきがわ守備しゅびがわ双方そうほう選手せんしゅらがあつまり密集みっしゅう形成けいせいされるが、そのなか選手せんしゅがボールをっている状態じょうたいモール、ボールが地面じめんにある状態じょうたいラックぶ。モールやラックでは「ゲート」があり、そのラックやモールなどのよこからはれない(モールにたてはいらなければならない)[78]よこからはいった場合ばあい、オブ・ザ・ゲート(ゲートオフサイド)とばれる反則はんそくになる。(くわしくはモールへ)このほか審判しんぱん指図さしず意図いとてき形成けいせいされる整然せいぜんとしたスクラム scrummage とばれる密集みっしゅう状態じょうたいがあり、スクラムおよびラックのなかでは、ボールの操作そうさあしでのみゆるされている。スクラムは、審判しんぱんの「クラウチ」→「バインド」→「セット」の合図あいず[79]りょうチームのフォワード(前衛ぜんえい同士どうし円陣えんじんむようにい、スクラムハーフがボールをスクラムない投入とうにゅうし、攻撃こうげきがわ守備しゅびがわ双方そうほうのフッカーがこれを[80]。ただし、ゴールラインがちか場合ばあいにはスクラムないにボールをキープしたままインゴールにんでしまう場合ばあいがある。この場合ばあいスクラム・トライというトライになる。

攻撃こうげきがわのボールをうばい、防御ぼうぎょがわのチームのボールにすることをターンオーバーという。

キックでは、自陣じじん22メートルラインの外側そとがわ敵陣てきじんがわ)でったボールがバウンドせずにタッチラインへと場合ばあい、ダイレクトタッチと[81]、ボールが地点ちてんではなく、「キック地点ちてんからゴールラインと平行へいこう直線ちょくせんくと、ボールががわのタッチラインとまじわる地点ちてん」でのラインアウト(後述こうじゅつ)となる。また、キックする場合ばあいそのキックするラインよりまえにいるプレーヤーはプレイしてはならない。した場合ばあいキックオフサイドという反則はんそくとなる。

ラグビーではつね危険きけんまとうため、反則はんそく事細ことこまかに規定きていされているが、反則はんそくがあってもかならずしも競技きょうぎそく中断ちゅうだんされるとはかぎらず、反則はんそくおかしたチームに不利ふり展開てんかいつづかぎ猶予ゆうよされる場合ばあいがあり、アドバンテージ(をる)といわれる[81]。このとき主審しゅしん有利ゆうりなチームにけて水平すいへいうでをあげている[82]

反則はんそくからの再開さいかいには、スクラムによるものとペナルティーキックとうによるものとがあり、反則はんそく種類しゅるいによっていずれで再開さいかいされるかがさだめられている。比較的ひかくてきかる反則はんそくからはスクラムで再開さいかいし、おも反則はんそくからはペナルティーキックから再開さいかいされる(フリーキックもある)。重大じゅうだい反則はんそくおかしたときは、イエローカードを提示ていじされるシンビンとよばれる10分間ふんかん一時いちじてき退出たいしゅつやレッドカードを提示ていじされる退場たいじょうもある[83]

ボールがタッチラインからそとるとラインアウトという方法ほうほう再開さいかいする[84]地点ちてんからゴールラインと平行へいこうかれた仮想かそうせん(これをラインオブタッチという)の両側りょうがわりょうチームのフォワードがならび、地点ちてんからしたチームの相手あいてがわ(ペナルティキックの場合ばあいしたチーム)の選手せんしゅがラインオブタッチじょうにまっすぐにげ(まっすぐでないときはノットストレートという反則はんそくになる[77])、それをりょうチームがう。

近年きんねんのラインアウトは、ルール変更へんこうもあり、ひとげて、よりたかいところでボールをろうとするのが普通ふつうである。ただし、反則はんそくによるペナルティーキックで直接ちょくせつがいした場合ばあいしたほうがげる。ところが、タッチラインのそとでボールをれるがわがボールを直接ちょくせつったとき、フォワードがならばないうちにボールをれてしまうことがある。これをクイック・スローインといい、戦術せんじゅつひとつとなっている。ただし、どちらか片方かたがたのフォワードがならんでいた場合ばあい当然とうぜん反則はんそくである。

ラグビーではしばしばゲインラインという用語ようご使つかわれる。ゲインラインは攻撃こうげき有効ゆうこうせいをはかる指標しひょうのひとつであり、直前ちょくぜん攻撃こうげき結果けっかできたポイント(スクラム、モール、ラックとう地点ちてん)をとおりゴールラインに平行へいこうせんがゲインラインとなる[85]。ゲインラインからどれだけ前進ぜんしん後退こうたい)するかは、その攻撃こうげきでどれだけ自分じぶんたちの地域ちいき獲得かくとくできたか(できなかったか)を意味いみし、すなわち、得点とくてんできる(される)かのキーポイントとなる。ラインアウトの場合ばあいはラインオブタッチが、スクラム、モール、ラックの場合ばあいはその中心ちゅうしんせんがゲインラインとなる。

試合しあい時間じかん前半ぜんはん後半こうはんかく40ぶんけい80ふんだが、終了しゅうりょう時刻じこくぎてもプレーが途切とぎれるまで試合しあい継続けいぞくされる。ペナルティキックやフリーキックでも試合しあい継続けいぞくされる。ラグビーでは、試合しあい終了しゅうりょうのことを、日本にっぽんにおいてはしばしば「ゲームセット」ではなくノーサイドばれている[86]たたかえたらりょうぐんのサイドがくなっておな仲間なかまだという精神せいしん由来ゆらいする言葉ことばである。 計時けいじ方法ほうほうはサッカーとおなじロスタイム制度せいどおお使つかわれるが、重要じゅうよう大会たいかいではタイムキーパー制度せいど使つかわれる。これは、負傷ふしょうしゃ手当てあて選手せんしゅへの指導しどうなど、審判しんぱん必要ひつようみとめたときに計時けいじめる方式ほうしきである。そのため、40ふん経過けいかした時点じてんでホーンがり、時間じかんたことをらせる。基本きほんてきにプレーがまると終了しゅうりょうだが、後半こうはん場合ばあい、リードしているがわ反則はんそくおかした場合ばあい試合しあい継続けいぞくする。そのため、リードしているがわはボールをそとして試合しあい終了しゅうりょうさせる。

ルールについては国際こくさいラグビー評議ひょうぎかい競技きょうぎ規則きそくさだめて日本語にほんご公開こうかいしており[87]用語ようごについては日本にっぽんラグビーフットボール協会きょうかい用語ようごしゅう公開こうかいしている[88]

規則きそく[編集へんしゅう]

ラグビーユニオン競技きょうぎじょう略図りゃくず

得点とくてん[編集へんしゅう]

ラグビーユニオンは2チームあいだでプレーされ、よりおお得点とくてんしたチームが勝利しょうりする。得点とくてんする方法ほうほう複数ふくすうある。トライはインゴールエリア(ゴールラインとデッドボールラインのあいだ)にボールをくこと(5てん)とコンバージョンキック(2てん)の権利けんりられる。ペナルティーキックあるいはドロップゴールが成功せいこうすると3てん加点かてんされる[89]。それぞれの方法ほうほうなんてんられるかは時代じだいとも変更へんこうされつづけている[90]

競技きょうぎじょう[編集へんしゅう]

ラグビーユニオンは最長さいちょう144メートルはば70メートルの競技きょうぎじょうおこなわれる[91]実際じっさい試合しあいでは、2つのトライラインあいだ最大さいだい100メートルで、トライラインの後方こうほう10 – 22メートルのあいだにデッドボールラインがかれる[91]競技きょうぎじょうには、とくにハーフウェイラインや22メートルライン(ゴールラインから22メートルの位置いち)などいくつかのラインがかれる[91]

ラグビーのゴールポストはHがたをしており、地面じめんから3メートルのたかさの水平すいへいのクロスバーで連結れんけつされた5.6メートルの距離きょりにある2つのポールから構成こうせいされている[92]のいくつかのスポーツとはことなりゴールキーパーはおらず(ゴールキーパーの位置いちづけをつくるならフルバック)、クロスバーのした領域りょういきには特別とくべつ意味いみはない。元々もともとヤード・ポンドほうはかられていたが、現在げんざいトル法とるほう使つかわれている。

試合しあい構造こうぞう[編集へんしゅう]

ゲームのはじめに、主将しゅしょうとレフェリーはどちらがキックオフを最初さいしょおこなうかを決定けっていするためコイントスをおこなう。プレーはドロップキックではじまり、選手せんしゅはボールをって相手あいて陣内じんないはいる、相手あいてがわはボールを確保かくほまえすすめようとつとめる。ボールをった選手せんしゅがタックルされた場合ばあいは、しばしばラック移行いこうする[93]

ゲームはぜん後半こうはんそれぞれ40ふんおこなわれ、あいだ休憩きゅうけいられる。ハーフタイムの休憩きゅうけいで、エンドが交代こうたいする。選手せんしゅ負傷ふしょうやレフェリーが懲戒ちょうかい処分しょぶんおこなさいにゲームがストップするとき時計とけいすすまない。そのため、経過けいか時間じかん大抵たいてい80ふんよりながくなる。レフェリーは、オフィシャルタイムキーパーがいるときでも、自分じぶん試合しあい時間じかん管理かんりする責任せきにんがある。ボールがインプレーのあいだに40ふんあるいは80ふん経過けいかした場合ばあいは、ボールが「デッド」になるまでゲームは続行ぞっこうされ、そのにレフェリーがふえく。しかしレフェリーがペナルティーキックあるいはフリーキックをあたえた場合ばあい試合しあい続行ぞっこうされる[94]

パス・キック[編集へんしゅう]

ボールをパスしようとする選手せんしゅ
トライにコンバージョンをっている

前方ぜんぽうへのパスは反則はんそくであり(スローフォワード)、パスはよこ方向ほうこうあるいはうしろにしなければならない[95]。ボールは、キッキング、ランニング、スクラムあるいはモールの3種類しゅるい方法ほうほうによって前進ぜんしんする。アメリカンフットボールとはことなり、「ブロッキング」はゆるされていないため、ボールをつプレーヤーのみがタックルされるかラックの状態じょうたいとなる。ボールが選手せんしゅうでによってたれ前方ぜんぽう落下らっかした場合ばあいは「ノックオン」の反則はんそくとなり、プレーはスクラムで再開さいかいする[95]

すべての選手せんしゅ相手あいて陣地じんちうばうためにボールを前方ぜんぽうへキックしてよい。キックしたボールがフィールドない着地ちゃくちしてからタッチラインをえた場合ばあいは、えた場所ばしょ相手あいてボールのラインアウトおこなわれる[95]。また、自陣じじんの22メートルラインの内側うちがわ自陣じじんゴールラインと22メートルラインのあいだ)でキックし、ボールがフィールドない着地ちゃくちせず直接ちょくせつタッチラインをえた場合ばあいは、えた場所ばしょでのラインアウトとなる。しかし、22メートルラインの外側そとがわでキックし、ボールが直接ちょくせつタッチラインをえた場合ばあいは、「キック地点ちてんとおり、ゴールラインと平行へいこう直線ちょくせんが、ボールががわのタッチラインとまじわる地点ちてん」でのラインアウトとなり、前進ぜんしんとならない[96]。ペナルティキックで直接ちょくせつタッチラインをえた場合ばあいは、キック地点ちてんが22メートルラインの内側うちがわかにかかわらず、えた場所ばしょでのラインアウトとなる。また、この場合ばあい味方みかたボールのラインアウトとなる。 また、キックオフのさい、キックの距離きょりが10m未満みまんだった場合ばあい (ノットテンメーター (10m))およびダイレクトでタッチをった場合ばあいは2つの選択肢せんたくし相手あいてあたえられ、おおくの場合ばあいはハーフウェイラインじょうでボールをっていないほうのスクラムで再開さいかいされる。キックオフにダイレクトでタッチをった場合ばあいはノット10mの3つの選択肢せんたくしくわえ、タッチとしてラインアウトを選択せんたくする、クイックスローインする、選択肢せんたくし相手あいてがわあたえられる[97]

ブレイクダウン[編集へんしゅう]

ラグビーのタックル。タックルはボールを保持ほじしてる選手せんしゅ妨害ぼうがいあるいは地面じめんたお目的もくてきくびからしたねらわなければならない。

守備しゅびがわ目的もくてきは、タックルによって相手あいてたおすか(その大抵たいていラックに移行いこうする)、モールあらそいボールをった相手あいて選手せんしゅめることである。このような状況じょうきょうはブレイクダウンとばれ、それぞれ特定とくてい規則きそくがある。

タックル[編集へんしゅう]

選手せんしゅは、ボールをっている相手あいて選手せんしゅくことでタックルする。タックラーは相手あいてかたよりうえをタックルしてはいけない[98]。(高校生こうこうせい以下いかにおいては、しんルールによりむねよりうえへのタックルが禁止きんし。)また、タックラーはタックルが終了しゅうりょうするまで相手あいて選手せんしゅうでけるようこころみなければいけない。相手あいてすこと、ショルダーチャージ、あしあるいはあし相手あいてころばせることは反則はんそくである。ただし相手あいてころばせることはゆるされている(タップタックルあるいはアンクルタップ)[99][100]。タックラーはボールをキャッチするためにジャンプした相手あいて選手せんしゅ着地ちゃくちするまではタックルしてはいけない[98]

ラックおよびモール[編集へんしゅう]

モールはボールをった選手せんしゅ相手あいて接触せっしょくしてもたおれずった状態じょうたいとなったのちこる。3にん以上いじょうがその密集みっしゅう状態じょうたい関与かんよするとモールが成立せいりつする[65]。ラックはモールとているが、ラックではボールがグラウンドじょうにあるてんことなり、すくなくとも3にん選手せんしゅがボールをまもろうとしてグラウンドじょう密集みっしゅうしているとき成立せいりつする[65]

セットピース[編集へんしゅう]

ラインアウト[編集へんしゅう]

ラインアウトでアイルランドジョージア2007ねんワールドカップ

ボールがフィールドのよこときは、最後さいごにボールをさわったチームの相手あいてがわラインアウトあたえられる[101]。それぞれのチームのフォワード(全員ぜんいんである必要ひつようはなく、かずはスローインするチームのオプションである)は、タッチラインに垂直すいちょくに、タッチラインから5メートルから15メートルのあいだに、1メートルの距離きょり整列せいれつする。ボールはタッチラインからフォワードのれつ中央ちゅうおうに、ボールを最後さいごれなかったチームの選手せんしゅ大抵たいていフッカー)によってれられる。例外れいがいは、ボールがペナルティーによってサイドをったときで、このさいはペナルティーをがわがボールをれる[101]

ラインアウトではどちらのチームもボールをあらそい、選手せんしゅはチームメイトをげるなどする[102]。ジャンプした選手せんしゅには着地ちゃくちするまでタックルをしてはならず、かたかた接触せっしょくのみゆるされている[103]

スクラム[編集へんしゅう]

スクラム

スクラムは、かる反則はんそくのち安全あんぜんかつ公平こうへい試合しあい再開さいかいする方法ほうほうである[104]。スクラムは、ボールをまえにパスあるいはとした場合ばあいあやまってオフサイドになった場合ばあい、ボールがラックやモールちゅう膠着こうちゃく状態じょうたいになった場合ばあいあたえられる。また、ペナルティーをたチームはスクラムを選択せんたくすることができる。

スクラムは、それぞれのチームの8にん選手せんしゅが3れつとなりわさって形成けいせいされる。前列ぜんれつ(フロントロー)は、フッカーとその両側りょうがわ2人ふたりのプロップ(ルースヘッドおよびタイトヘッド)からなる。2れつ(セカンドロー)は、2人ふたりのロックと2人ふたりのフランカーからなる。セカンドローのうしろにナンバーエイトが位置いちする。このフォーメーションは3-4-1フォーメーションとしてられている[105]。スクラムが形成けいせいされると、スクラムの権利けんりたチームのスクラムハーフが、フロントローあいだの「トンネル」にボールを投入とうにゅうする[104]。それぞれのチームのフッカーは、ボールをあし後方こうほうむことによってボールのポゼッションをきそう。そのあいだ、それぞれのパックはボールのポゼッションをるのをたすけるため、相手あいてうしろにそうとこころみる[104]。ポゼッションをがわはボールをスクラム後方こうほうはこび、ボールをナンバーエイトあるいはスクラムハーフによってひろげる。

オフィシャルと反則はんそく[編集へんしゅう]

試合しあいのオフィシャルは、レフェリーと2めいのアシスタントレフェリーのけい3めいである[106]以前いぜんはタッチジャッジとしてられていた後者こうしゃ基本きほん職務しょくむは、ボールがタッチにたことをしめすことだった。かれらの役割やくわり拡大かくだいされ、現在げんざいはファール行為こうい観察かんさつや、オフサイドラインのチェックなどおおくの領域りょういきにおいてレフェリーを補助ほじょすることが期待きたいされている[106]くわえて、こうレベルの試合しあいにおいては、しばしばテレビマッチオフィシャル(television match official, TMO; 一般いっぱんてきにはビデオレフェリーとばれる)がおり、レフェリーと無線むせん交信こうしん判断はんだん補助ほじょする。レフェリーは、決定けっていしめすのにハンドシグナル使用しようする。

よくこる反則はんそくは、かたよりうえへのタックル、スクラムやラック、モールを故意こいくずすこと(コラプシング)、タックルをけた選手せんしゅがボールを手放てばなさないこと(ノット・リリース・ザ・ボール)、タックル、モールおよびラックなど密集みっしゅう参加さんかする選手せんしゅたおみによりボールをさせなくすること(オーバー・ザ・トップ)、マイボールの選手せんしゅがスクラムやラインアウトのなかぐボールを投入とうにゅうしない。(ノット・ストレート)、オフサイドなどである。反則はんそくおかしていないがわのチームがペナルティーをさいには、以下いかのようにおおくの選択肢せんたくしがある。

  • 「タップ」キック —— しゅったボールを非常ひじょうみじか距離きょりキックしたときは、キッカーはボールをふたたしゅにしはしることがゆるされている。日本にっぽんでは「チョンり」ともばれる。
  • パント —— しゅったボールを長距離ちょうきょりキックし陣地じんちかせぐ。
  • プレースキック —— キッカーが得点とくてんこころみる。
不正ふせい行為こうい度重たびかさなる違反いはん行為こういおこなった選手せんしゅ退場たいじょうレッドカード)あるいは10分間ふんかん一時いちじ退場たいじょう(シンビン)(イエローカード処分しょぶんとなる[107]退場たいじょうとなった場合ばあい交代こうたい選手せんしゅ出場しゅつじょうすることはできない。

交替こうたいおよび入替いれか[編集へんしゅう]

試合しあいちゅうは、選手せんしゅの(怪我けがによる)交替こうたいあるいは(戦術せんじゅつてき理由りゆうによる)入替いれかえがおこなわれる[62]交替こうたいとなった選手せんしゅは、一時いちじてき止血しけつのための交替こうたい以外いがい試合しあいもどることはできない。入替いれかえでそと選手せんしゅは、出血しゅっけつした選手せんしゅ交替こうたいとして一時いちじてきに、フロントローフォワードと交替こうたい場合ばあいはずっと試合しあいもどることができる[62]国際こくさい試合しあいにおいては7めいまでの交替こうたいゆるされており、国内こくないあるいは国境こっきょうえた大会たいかいではナショナルユニオンの自由じゆう裁量さいりょうで8めいまでやすことができる(そのうち3めいはフロントローフォワードをつとめることができる選手せんしゅでなければならない)[108]

用具ようぐ[編集へんしゅう]

合成ごうせいラグビーボール

ラグビーユニオンの試合しあいにおけるもっと基本きほんてき道具どうぐはまずボールと、ラグビーシャツ(ジャージ)、ラグビーショーツ英語えいごばん、ソックス、ブーツである。ラグビーボールは楕円だえんがたちょうたま)であり、4まいのパネルによってつくられている[109]。ボールは歴史れきしてきかわせいであったが、現代げんだいではほとんどの試合しあいにおいて合成ごうせい素材そざいつくられたボールが使用しようされている。IRBは、ボールの寸法すんぽう規定きていしており、ながさは280-300 mm、たて外周がいしゅうは740-770 mm、よこ外周がいしゅうは580-620 mmである[109]。ラグビーブーツは芝生しばふのピッチにてきするようスタッドきのソールをゆうしている。スタッドは金属きんぞくせいあるいはプラスチックせいのものが使つかわれるが、先端せんたんあるいははしするどいものは禁止きんしされている[110]

防具ぼうぐ任意にんいであり、厳密げんみつ規制きせいされている。マウスガードもっと一般いっぱんてき防具ぼうぐで、ほぼすべての選手せんしゅ装着そうちゃくしており、いくつかのくにでは義務ぎむとなっている[111]。その許可きょかされている防具ぼうぐは、スクラムキャップ英語えいごばんうすく(あつさ10 mm以内いない軟質なんしつかたパッド、ソックスのした装着そうちゃくするレガースずねて)などである。バンデージあるいはテーピングは負傷ふしょう補助ほじょあるいは防止ぼうしするためにすることができ、選手せんしゅなかにはスクラムやラックにおいてみみまもるためあたままわりにテープをくものもいる。女子じょし選手せんしゅむねパッドを装着そうちゃくすることもできる[112][113]

ボールにたいするグリップをげる目的もくてきで、フィンガーレス・グローブ(グリップ・グローブ)が使用しようされることもある。

マッチ・オフィシャルは、試合しあいまえ選手せんしゅふく用具ようぐ規則きそくのっとっているかをチェックする責任せきにんがある。

統括とうかつ団体だんたい[編集へんしゅう]

正会員せいかいいんおよびじゅん会員かいいん
  正会員せいかいいん
  じゅん会員かいいん

ラグビーユニオン(ならびにセブンズといった関連かんれん競技きょうぎ)の国際こくさい競技きょうぎ連盟れんめいワールドラグビー(WR)である。WR本部ほんぶダブリンにある。1886ねん設立せつりつされたWRは、世界中せかいじゅうのラグビーユニオンを統括とうかつし、試合しあい規則きそく[114]およびランキング発表はっぴょうしている。2012ねん11がつ現在げんざい、WRには正会員せいかいいん(100)ならびにじゅん会員かいいん(18)をわせて118の協会きょうかい登録とうろくされている[115]。WRの統計とうけいによれば、ラグビーユニオンは、5大陸たいりくの100をえる国々くにぐにすべての年代ねんだい男女だんじょによってプレーされている[116]。WRは、ラグビー・ワールドカップ女子じょしラグビーワールドカップラグビーワールドカップセブンズワールドラグビーセブンズシリーズU20チャンピオンシップU20トロフィーネイションズカップパシフィック・ネイションズカップ主催しゅさいしている。WRは、セブンズワールドシリーズをのぞくイベントの開催かいさい決定けっていする投票とうひょうおこなう。その結果けっか、WRはそれぞれのイベントを開催かいさいする契約けいやく各国かっこく協会きょうかいかわす。

WRの下部かぶ組織そしきとして、6つの地域ちいき連盟れんめいがある。

SANZAARみなみアフリカ・ニュージーランド・オーストラリア・アルゼンチン・ラグビー South Africa, New Zealand, Australia and Argentina Rugby)は、みなみアフリカラグビー協会きょうかいニュージーランドラグビーラグビーオーストラリアおよびアルゼンチンラグビー協会きょうかいによる合弁ごうべん事業じぎょうであり、スーパーラグビーならびにザ・ラグビーチャンピオンシップ開催かいさいしている。

WRならびにかく地域ちいき協会きょうかい加盟かめいしているかく協会きょうかいは、それぞれのくににおいてラグビーユニオンを監督かんとくする。

世界せかい展開てんかい[編集へんしゅう]

URBA英語えいごばんラグビー2007決勝けっしょう
ベルギー対戦たいせんするドイツ
日本にっぽんとウェールズのラグビーファン(ウェールズ、カーディフ

最初さいしょにラグビーユニオンがひろまったくには、発祥はっしょうであるイングランド英語えいごばんとそれにつづのこる3つのホームネイション、スコットランド英語えいごばんアイルランドウェールズ英語えいごばんである。ラグビーユニオンは、海外かいがい駐在ちゅうざいのイギリスじん軍人ぐんじん留学生りゅうがくせいなどによって世界中せかいじゅう輸出ゆしゅつされていった。1864ねんには、オーストラリア英語えいごばんシドニーでラグビークラブがつくられた。ニュージーランド英語えいごばんには、1870ねんクライスト・カレッジフィンチリーこう英語えいごばん生徒せいととしてラグビーをプレーしていたCharles Munroによってまれたとわれている[34]フランス最初さいしょのラグビークラブは、1872ねんル・アーヴルのイギリスじん居住きょじゅうしゃによってつくられた。翌年よくねんには、アルゼンチン英語えいごばんブエノスアイレスはつのラグビーの試合しあいおこなわれた('Banks' たい 'City')[117]北米ほくべいでは、カナダ英語えいごばんはつのクラブが1868ねんモントリオールつくられた。モントリオールはまた、1874ねんマギル大学だいがくハーバード大学だいがく試合しあいおこなわれたなど、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく英語えいごばんにラグビーユニオンが紹介しょうかいされるに役割やくわりたした[34][117]。1875ねんには、ケープタウン駐屯ちゅうとんしていたイギリス兵士へいしによってみなみアフリカ英語えいごばんにラグビーが紹介しょうかいされた[117]

いくつかの島国しまぐにはこれまでにラグビーをれてきた。おおくはイギリス軍人ぐんじんによって紹介しょうかいされたが、のちには国際こくさい試合しあい相手あいてもとめて近隣きんりん国々くにぐににラグビーをひろめていった。フィジー英語えいごばんでの最初さいしょのラグビーの試合しあいは、1884ねんごろビティレブとうのヨーロッパじん現地げんちじん警察けいさつのフィジーじんあいだおこなわれた[118]。フィジーは1924ねんにはサモア英語えいごばんへのはつ海外かいがい遠征えんせいおこなった[119]。サモアは1927ねん自国じこく協会きょうかい設立せつりつした[119]代表だいひょうチームをゆうするそのオセアニアくにとしては、クック諸島しょとう英語えいごばんニウエ英語えいごばんパプアニューギニア英語えいごばんソロモン諸島しょとう英語えいごばんがある。

ラグビーユニオンがトリニダード・トバゴ英語えいごばん到着とうちゃくした正確せいかく日付ひづけられていないが、1926ねんには最初さいしょのクラブであるCarib RFCが設立せつりつされた。代表だいひょうチームは1927ねんまでに活動かつどう開始かいしし、1933ねんイギリスりょうギアナへの遠征えんせい中止ちゅうしされたため、バルバドス英語えいごばんへとさき変更へんこうバルバドスへラグビーを紹介しょうかいした[120][121]。ラグビーユニオンがプレーされているその大西洋たいせいようくにとしてはキューバ英語えいごばんバミューダ諸島しょとう英語えいごばんがある。

ヨーロッパにおけるラグビーユニオンのひろがりは散発さんぱつてきなものだった。歴史れきしてきに、イギリスやアイルランドチームが南半球みなみはんきゅうきょじんであるオーストラリア、ニュージーランド、みなみアフリカとの対戦たいせんにより興味きょうみっていたため、ヨーロッパのチーム(おもベルギー英語えいごばんオランダ英語えいごばんドイツ英語えいごばんスペイン英語えいごばんルーマニア英語えいごばんポーランド英語えいごばんイタリア英語えいごばんチェコスロヴァキア英語えいごばん)はイギリスやアイルランドと国際こくさい試合しあいおこな機会きかいき、国際こくさいラグビーの「番手ばんて集団しゅうだん」をつくらざるをなかった[122]。イギリスおよびアイルランド協会きょうかい孤立こりつしている時期じきには、フランスがこれらのヨーロッパの国々くにぐに定期ていきてき対戦たいせんできる唯一ゆいいつの「先頭せんとう集団しゅうだん」にぞくする大陸たいりくくにだった[122]。1934ねんフランスラグビー連盟れんめい中心ちゅうしんとなり国際こくさいアマチュア・ラグビー連盟れんめい が、WRの権限けんげんがいのラグビー協会きょうかい組織そしきするために設立せつりつされた。設立せつりつメンバーはイタリアルーマニア英語えいごばんオランダ英語えいごばんカタルーニャポルトガル英語えいごばんチェコスロヴァキア英語えいごばんスウェーデン英語えいごばん。その注目ちゅうもくすべきラグビーがプレーされているヨーロッパのくにとしてはロシア英語えいごばんがある[123]。ロシアでは、1933ねんにダイナモ・モスクワとモスクワ体育たいいく協会きょうかいとのあいだはつ公式こうしき記録きろく試合しあいおこなわれた[123]ポルトガル英語えいごばんでもだいいち世界せかい大戦たいせんだい世界せかい大戦たいせんあいだにラグビーが根付ねつき、1922ねんにポルトガル代表だいひょう結成けっせいされ、1927ねんには公式こうしき大会たいかい開始かいしされた[124]

アルゼンチンは、南米なんべいにおいてもっとられたラグビーがプレーされているくにであり、1899ねんアルゼンチンラグビー協会きょうかい設立せつりつされている。そのいくつかの南米なんべい国々くにぐにもまたなが歴史れきしゆうしている。ブラジル英語えいごばんにおいてラグビーは19世紀せいきまつからプレーされているが、定期ていきてき試合しあいおこなわれるようになったのは都市とし対抗たいこう試合しあいでサンパウロがサントスをやぶった1926ねんからである[125]おもモンテビデオ・クリケット・クルブ尽力じんりょくにより、ウルグアイ英語えいごばんにラグビーが定着ていちゃくするまでいくかの失敗しっぱいがあったものの、1951ねんには国内こくないリーグと4つのクラブが結成けっせいされた[126]。ラグビー協会きょうかい設立せつりつされたその南米なんべいくにとしてはチリ英語えいごばん(1951ねん)、パラグアイ英語えいごばん(1968ねん)、ベネズエラ英語えいごばん(1992ねん)がある。

おおくのアジアの国々くにぐにでは、だいえい帝国ていこく時代じだいからラグビーをプレーする伝統でんとうがある。インド英語えいごばんでは1870年代ねんだいはじめにラグビーがプレーされるようになり、1873ねんカルカッタ・フットボール・クラブ英語えいごばん結成けっせいされた。1878ねんにカルカッタ・フットボール・クラブは解散かいさん、インドのラグビーはまった。インドがラグビーにあたえた遺産いさんとして、イングランドとスコットランドのあいだ毎年まいとしあらそわれる世界せかい最古さいこ国際こくさいラグビートロフィーであり、インドからラグビー・フットボール・ユニオンに寄贈きぞうされたカルカッタカップがある[127]スリランカ英語えいごばんのラグビー協会きょうかいは1978ねん設立せつりつされたと主張しゅちょうされているがこの時期じき公式こうしき情報じょうほうはほとんどなく、1920ねんにスリランカチームはマドラスで開催かいさいされたオール・インディア・カップに勝利しょうりしている[128]マレーシア英語えいごばんについても記録きろく管理かんりわるいことになやまされる。歴史れきしてきには1892ねんマレーシアにおける最初さいしょ試合しあいおこなわれたと記録きろくされているが、ラグビーがはじめて確認かくにんされるのは1922ねんからおこなわれている「HMSマレーヤはい」(戦艦せんかんHMSマレーヤから名付なづけられた)の存在そんざいであり、マレーヤはい現在げんざいでもマレーヤセブンズの勝者しょうしゃおくられる[129]。ラグビーユニオンはトリニティ・ホール大学だいがく英語えいごばん学生がくせいだった田中たなか銀之助ぎんのすけコーパス・クリスティ・カレッジ英語えいごばんまなんだエドワード・ブラムウェル・クラークによって1899ねん日本にっぽん紹介しょうかいされた[130]日本にっぽんラグビーフットボール協会きょうかいは1926ねん設立せつりつされ、2019ねんラグビーワールドカップのホストこくとなることがまっている[131]。これはえい連邦れんぽうおよびフランス以外いがいくに開催かいさいされるはじめてのワールドカップであり、IRBはとくにアジアにおいてラグビーユニオンを普及ふきゅうさせる機会きかいとらえている[131]。その注目ちゅうもくすべきアジアの国々くにぐにとしては、ラグビーセブンズの発展はってんにおいて有名ゆうめいで、香港ほんこんセブンズ開催かいさいしていることでもられている、以前いぜんはイギリスの植民しょくみんであった香港ほんこん英語えいごばんシンガポール英語えいごばん大韓民国だいかんみんこく英語えいごばん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく英語えいごばんがある。

2011ラグビーワールドカップアフリカ予選よせんザンビアせん試合しあいまえのコートジボワール代表だいひょう(2008ねん7がつ21にち

中東ちゅうとうおよび湾岸わんがん諸国しょこくにおけるラグビーは、だい世界せかい大戦たいせんにこの地域ちいき駐屯ちゅうとんしたイギリスおよびフランスぐんによって1950年代ねんだいつくられたクラブから歴史れきしはじまっている[132]。これらのぐんったのち、これらの国々くにぐにはたらいていたおもにヨーロッパじんわかいプロフェッショナルによってクラブやチームは存続そんぞくした。オマーン英語えいごばん公式こうしき協会きょうかいは、国王こくおうカーブース・ビン=サイード後援こうえんしゃとなり1971ねん設立せつりつされた。翌年よくねんバーレーン英語えいごばんはラグビー協会きょうかい設立せつりつし、1975ねんにはドバイ・エグザイル・ラグビー・クラブによってドバイ・セブンズつくられた。イスラエル英語えいごばんふく地域ちいきにおいて2011ねん現在げんざい、ラグビーはいまだマイナースポーツである。イスラエルはワールドラグビーランキングにふくまれている唯一ゆいいつ中東ちゅうとう協会きょうかいである[133]

アフリカにおけるラグビーユニオンは、19世紀せいきまつおよび20世紀せいき初頭しょとうおもにラグビーは白人はくじんのみがプレーするというかんがえをっていた入植にゅうしょくしゃ植民しょくみん住人じゅうにんによってひろまっていった。そのためラグビーは、先住民せんじゅうみんによってブルジョワのスポーツとなされかれらにはひろがりをせなかった[134]もっとはやくラグビーがプレーされるようになったのはみなみアフリカとその隣国りんごくローデシア英語えいごばん現在げんざいジンバブエ)である(ローデシアラグビーフットボール協会きょうかいは1895ねん設立せつりつされた)[135]植民しょくみん支配しはい崩壊ほうかいするとラグビー人気にんきおとろえたが、近年きんねんはいくつかのアフリカの国々くにぐににラグビーはれられている。21世紀せいき初頭しょとうマダガスカル英語えいごばん代表だいひょう試合しあいは4まんにん観客かんきゃくあつ[136]、1915ねんからラグビーの歴史れきしゆうするナミビアはワールドカップ本戦ほんせんに1999ねんから連続れんぞく出場しゅつじょうしている[137]。ワールドラグビーランキングに名前なまえのあるそののアフリカのくににはコートジボワール英語えいごばんや、ケニア英語えいごばんウガンダ英語えいごばんザンビア英語えいごばんがある。

フィジー[138]ジョージア[139]、ニュージーランド[140]、サモア[141]トンガ英語えいごばん[142]およびウェールズのすくなくとも6カ国かこくがラグビーを事実じじつじょう国技こくぎとしている。

国際こくさい大会たいかい[編集へんしゅう]

2007ねんワールドカップのフランス開催かいさいいわうためにエッフェル塔えっふぇるとうかざられた巨大きょだいなラグビーボール

ラグビーは対抗たいこうせん歴史れきしであり、海外かいがい遠征えんせいしたり海外かいがいから招待しょうたいしたりして試合しあいおこなってきた。そのなかでも、くに代表だいひょうしておこなわれる試合しあいテストマッチんでいる。このテストマッチにることは名誉めいよなこととされ、選手せんしゅにはキャップあたえられる。日本にっぽん代表だいひょうでは大野おおのひとし日本にっぽん大学だいがく工学部こうがくぶ東芝とうしばブレイブルーパス)が現在げんざいキャップすう最多さいた

ラグビーワールドカップ[編集へんしゅう]

ラグビーユニオンにおいてもっと重要じゅうよう大会たいかいは、4ねんいち予選よせんいた男子だんしナショナルチームによってあらそわれるラグビーワールドカップであり、ワールドラグビー主催しゅさいする。1987ねん以降いこう、4ねんいち開催かいさいされている。

優勝ゆうしょうチームは、ニュージーランド(1987ねん、2011ねん、2015ねん)、オーストラリア(1991ねん、1999ねん)、みなみアフリカ(1995ねん、2007ねん、2019ねん)、イングランド(2003ねん)である。

シックス・ネイションズ[編集へんしゅう]

シックス・ネイションズは、イングランドフランスアイルランドイタリアスコットランドウェールズのヨーロッパ6カ国かこくにより毎年まいとし開催かいさいされる対抗たいこうせんである[143]毎年まいとし2がつから3がつ開催かいさいされる。それぞれのくにの5カ国かこくそうたりせんおこなう。初期しょきのイングランドとスコットランドの対抗たいこうせんのち、1880年代ねんだいにアイルランドとウェールズがくわわり「ホーム・インターナショナル・チャンピオンシップス」がつくられた[143]。1900年代ねんだいにフランスも参加さんかし、1910ねんはじめて「ファイブ・ネイションズ」という語句ごく登場とうじょうした。しかしながら、ホーム・ネイションズ(イングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ)は、チームの実力じつりょく、プロフェッショナリズムの疑惑ぎわく、フィールドじょう暴力ぼうりょくたいする懸念けねんとうにより1931ねんにフランスを除外じょがいした[144]。フランスは1939-1940ねんさい加入かにゅうしたが、だい世界せかい大戦たいせんにより8年間ねんかん大会たいかい中止ちゅうしされた。フランスはだい世界せかい大戦たいせん1947ねんからのすべての大会たいかい出場しゅつじょうしている。2000ねんには、イタリアが参加さんかした現在げんざいの6カ国かこくとなった。イタリアローマスタディオ・フラミニオ大会たいかいおこなわれるなかもっとちいさな競技きょうぎじょうである。

ザ・ラグビーチャンピオンシップ[編集へんしゅう]

ザ・ラグビーチャンピオンシップ南半球みなみはんきゅうのトップ代表だいひょうチームにより毎年まいとし開催かいさいされる国際こくさい大会たいかいである。1996ねん開始かいしから2011ねんまでは、トライネイションズとしてられており、南半球みなみはんきゅう伝統でんとうてき強豪きょうごうこくであるみなみアフリカオーストラリアニュージーランド参加さんかしていた[145]。この3かこく近年きんねん世界せかいランキングを支配しはいしており、トライネイションズがもっときびしい国際こくさい大会たいかいであるといわれたこともある[146][147]。トライネイションズは当初とうしょホーム・アンド・アウェー2試合しあい各国かっこくとのあいだおこなう方式ほうしきだった[145]。2006ねんから各国かっこくと3試合しあいずつ対戦たいせんする方式ほうしき導入どうにゅうされたが、2007ねんと2011ねんはワールドカップイヤーのためかく2試合しあいおこなわれた[145]

とくアルゼンチンが2007ワールドカップでいパフォーマンスをせたため、おおくの解説かいせつしゃは、アルゼンチンがトライネイションズに参加さんかすべきだとかんがえていた[148]。このことは、最初さいしょ2008ねん大会たいかいでの参加さんか[149]つぎに2010ねん大会たいかいでの参加さんか真剣しんけん提案ていあんされ[150]、2009ねんのトライネイションズにSANZAR(みなみアフリカ、ニュージーランド、オーストラリアの3協会きょうかいによる合弁ごうべん事業じぎょう)がアルゼンチンラグビー協会きょうかい (UAR) に2012ねん大会たいかいからの参加さんか要請ようせい実現じつげんちかづいた[151]。アルゼンチンの参加さんかにより、大会たいかい公式こうしきに2012ねんからザ・ラグビーチャンピオンシップと改名かいめいされることになった。大会たいかい形式けいしきは、当初とうしょのホーム・アンド・アウェイ方式ほうしきもどったが、2015ねんはワールドカップイヤーのためかく1試合しあいおこなわれた。

なお、かく参加さんかこくあいだには定期ていきせんけられるカップせん存在そんざいし、ニュージーランドとオーストラリアのあいだではブレディスローカップ、ニュージーランドとみなみアフリカではフリーダムカップ、オーストラリアとみなみアフリカのあいだではマンデラチャレンジプレート、オーストラリアとアルゼンチンのあいだではプーマトロフィーとばれている。

その大会たいかい[編集へんしゅう]

欧州おうしゅうネイションズカップ[編集へんしゅう]

欧州おうしゅうネイションズカップはシックス・ネイションズのつぎ位置いちする大会たいかい。ヨーロッパの30カ国かこく以上いじょう代表だいひょう参加さんかしており、全体ぜんたいかく4チーム前後ぜんこうのディビジョンにけ、それぞれそうたりせんおこなうディビジョンせいっている。かくディビジョンのさい上位じょうい最下位さいかいはシーズンごとにわるが、シックス・ネイションズとディビジョン1Aとのえはない。おも強国きょうこくポルトガルルーマニアスペインジョージアロシアなど。チェコウクライナといった新興しんこうこく成績せいせきばしており、ほん大会たいかい競技きょうぎ普及ふきゅう国際こくさい進捗しんちょくじょうきょうるバロメーターともえる。

アジアラグビーチャンピオンシップ[編集へんしゅう]

アジアラグビーチャンピオンシップ2017、日本にっぽん たい 韓国かんこくせん開会かいかいしき(2017ねん4がつ29にち撮影さつえい

アジアラグビーチャンピオンシップアジアラグビー主催しゅさい国際こくさい大会たいかい前身ぜんしんアジア5カ国かこく対抗たいこう(アジア・ファイブ・ネイションズ)。ARFU加盟かめいこくをトップ3、ディビジョン1、ディビジョン2、ディビジョン3、ディビジョン4にけ、トップ3はホーム2せん、アウェー2せんの4回戦かいせんそうあたりによるマッチポイント方式ほうしき順位じゅんい決定けっていする。2015ねん発足ほっそく以来いらい日本にっぽん勝利しょうりしている。

パシフィック・ネイションズカップ[編集へんしゅう]

パシフィック・ネイションズカップ環太平洋かんたいへいよう世界せかいランキングだい2グループを強化きょうかし、トップこくとの格差かくさちぢめる目的もくてき設立せつりつされた大会たいかい前身ぜんしんフィジーサモアトンガオセアニア3カ国かこくによるパシフィック・トライネイションズ。2006ねん日本にっぽんジュニア・オールブラックスニュージーランドA代表だいひょう)をくわえた5チームで発足ほっそくよく2007ねんには、オーストラリアA代表だいひょうあらたにくわわり、6カ国かこくそうあたせんおこなわれるようになった。2008ねんには、ジュニアオールブラックスにわってニュージーランドマオリ参加さんかした。2009ねんにはジュニアオールブラックスが復帰ふっきしたがオーストラリアA代表だいひょう不参加ふさんかの5カ国かこくおこなわれた。2010ねん以降いこうはジュニアオールブラックスも不参加ふさんかとなり、フィジー、サモア、トンガ、日本にっぽんの4カ国かこくおこなわれている。

国際こくさい競技きょうぎかいにおけるラグビー[編集へんしゅう]

ラグビーユニオン競技きょうぎ1900ねん1908ねん1920ねん1924ねんのオリンピックにおいておこなわれた[152]。オリンピック規則きそくによって、スコットランド、ウェールズ、イングランドは主権しゅけん国家こっかではないため独自どくじのチームとしての参加さんかみとめられなかった。1900ねんは、フランスが、グレートブリテンを27たい8、ドイツを27たい17でくだきんメダルをにした[152]。1908ねんは、オーストラリアが、グレートブリテンを32たい3でやぶきんメダルをにした[152]。1920ねんは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくおおくの選手せんしゅはラグビーになじみがなかったにもかかわらず、フランスを8たい0でやぶ番狂ばんくるわせをえんじた。1924ねん合衆国がっしゅうこくふたたびフランスを17たい3でやぶり、ラグビーのきんメダルをしゅにした唯一ゆいいつのチームとなった[152]。2009ねん国際こくさいオリンピック委員いいんかいは81たい8の多数たすうで、セブンズ、4-dayトーナメント形式けいしきではあるが、ラグビーユニオンのすくなくとも2016ねん2020ねんでの復帰ふっき決定けっていした[49][153]。これは長年ながねんラグビーかい熱望ねつぼうしてきたことであり、国際こくさいラグビー評議ひょうぎかい議長ぎちょうバーナード・ラパセット英語えいごばんはオリンピックきんメダルは「我々われわれのスポーツ(ラグビーセブンズ)の頂点ちょうてん」となされるだろうとべた[154]

ラグビーセブンズはコモンウェルスゲームズにおいて1998ねんクアラルンプール大会たいかいからおこなわれている[155]現在げんざいきんメダル保持ほじこくよん連覇れんぱちゅうニュージーランドである[156]。ラグビーユニオンはアジア競技きょうぎ大会たいかいにおいてもタイ・バンコクにおける1998ねん大会たいかいからおこなわれている。1998ねんおよび2002ねん大会たいかいでは、15にんせいと7にんせいの2つの競技きょうぎがどちらも開催かいさいされたが、2006ねんからは7にんせいのみがおこなわれている。2010ねんには、女子じょし7にんせいラグビーが開始かいしされた。現在げんざいの7にんせいトーナメント(2010ねん大会たいかい)のきんメダル保持ほじこく男子だんし日本にっぽん女子じょしがカザフスタンである[157][158]

遠征えんせい[編集へんしゅう]

商用しょうよう航空こうくう便びん開通かいつうするまえのラグビーユニオンの初期しょきあいだは、ことなる大陸たいりくあいだのチーム同士どうし対戦たいせんすることはほとんどなかった。最初さいしょの2つの重要じゅうよう遠征えんせいはどちらも1888ねんおこなわれた。ブリテン諸島しょとうのニュージーランドおよびオーストラリア遠征えんせい[159]とそれにつづくニュージーランドチームのヨーロッパ遠征えんせいである[160]伝統でんとうてきにほとんどの一流いちりゅう遠征えんせいはオーストラリア、ニュージーランド、みなみアフリカの南半球みなみはんきゅう諸国しょこくによる北半球きたはんきゅうへの遠征えんせいと、ブリテン・アイルランド合同ごうどうチームによる返礼へんれい遠征えんせいであった[161]遠征えんせいなが移動いどう時間じかんおおくの試合しあいおこなわれるために数ヶ月すうかげつわたってつづいた。1888ねんのニュージーランドチームは6がつにHawkes Bayで遠征えんせい開始かいししたが、107試合しあいたたかい、1889ねん8がつまでスケジュールは完了かんりょうしなかった[162]遠征えんせいがわのチームは代表だいひょうチーム、クラブ、地域ちいきチームとテストマッチをおこなった[159][163]

クラブチームのおも大会たいかいおよびリーグ[編集へんしゅう]

プロ競技きょうぎかい[編集へんしゅう]

ラグビーユニオンは1995ねんからプロされている。以下いかひょう完全かんぜんにプロしたラグビー競技きょうぎかいしめす(セミプロ競技きょうぎかい除外じょがいされている)。平均へいきん観客かんきゃく動員どういんすうはプレーオフをふくむ。

プロラグビー競技きょうぎかい
競技きょうぎかい チーム くに 平均へいきん観客かんきゃく動員どういんすう 統計とうけいシーズン 2011–12の
平均へいきん観客かんきゃく動員どういんすう※1
増減ぞうげん
トップ14 14 フランス 14,624 2018–19 14,024 +4%
プレミアシップ 12 イングランド 14,507 2018–19 13,001 +12%
スーパーラグビー 12 ニュージーランド (6), オーストラリア (5),
フィジー (1)
11,300 2019[164] 20,274 −44%
ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップ 14 アイルランド (4), ウェールズ (4),
スコットランド (2), イタリア (2), みなみアフリカ (2)
8,240 2018–19 7,721 +7%
カリーカップ 9 みなみアフリカ 7,674 2017[165] 15,873 −52%
ナショナル・プロヴィンシャル・チャンピオンシップ 14 ニュージーランド 7,203 2008[166]
ラグビー・プロD2 16 フランス 5,542 2018–19 3,735※2 +48%
NRC 8 オーストラリア (7), フィジー (1) 1,865 2019
RFUチャンピオンシップ 12 イングランド 1,713 2018–19 1,970 −13%
ディディ10 10 ジョージア 不明ふめい
ラグビープレミアリーグ 8 ロシア 不明ふめい
リーガ・ナツィオナーラ 7 ルーマニア 不明ふめい

※1 スーパーラグビーおよびカリーカップは2011シーズンの数値すうち※2 2010-11シーズンの数値すうち

スーパーラグビー 2018」サンウルブズ vs ブランビーズたたかえ秩父宮ちちぶのみやラグビーじょう 2018ねん2がつ24にち撮影さつえい
スーパーラグビー
スーパーラグビーは、フィジーオーストラリアニュージーランドの3かこくのスーパークラブ(地域ちいき代表だいひょうチーム)からなる南半球みなみはんきゅう最高峰さいこうほうのラグビー大会たいかい。2月から8がつまでの期間きかん限定げんていでスーパークラブを編成へんせいしレギュラーシーズンとプレーオフトーナメントをおこなう。参加さんかチームはオーストラリアカンファレンス(豪州ごうしゅう+フィジー)、ニュージーランドカンファレンスの2カンファレンスにけられ、レギュラーシーズンにおいてどうカンファレンスとのホーム&アウェーマッチとべつカンファレンスとの試合しあいおこなったのちかくカンファレンスのさい上位じょういチームおよびてん上位じょういけい8チームがプレーオフトーナメントにすす優勝ゆうしょうをかけてたたかう。観客かんきゃく意識いしきしたアタッキングラグビーがたのしめる。なお、参加さんかこくには其々にしゅう選抜せんばつチームや単一たんいつクラブによる国内こくないリーグがある。
プレミアシップ
プレミアシップイングランド国内こくないのトップリーグ。12チームによるホーム・アンド・アウェーの2回戦かいせんそうたりのレギュラーシーズンをおこない、上位じょうい4きょうによるプレーオフトーナメントで優勝ゆうしょうめる。南半球みなみはんきゅうこく代表だいひょう選手せんしゅおお所属しょぞくしている。
ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップ
ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップウェールズスコットランドアイルランドイタリアみなみアフリカの16チームが参加さんかするラグビー大会たいかい発足ほっそく当初とうしょはウェールズ、スコットランド、アイルランドのケルトけい3カ国かこくのチームによっておこなわれたためケルティックリーグとばれていたが、2010/11シーズンからイタリアの2チームがあらたに加入かにゅうした。2017/18シーズンからみなみアフリカの2チームがあらたに加入かにゅうする。イタリアから参加さんかするベネトン・ラグビー・トレヴィーゾのみが単一たんいつクラブであり、はスーパークラブ(地域ちいき代表だいひょうチーム)である。なお、参加さんかこくには其々にしゅう選抜せんばつチームや単一たんいつクラブによる国内こくないリーグがある。
トップ14
トップ14フランス国内こくないのトップリーグ。上述じょうじゅつのイングランド・プレミアシップ、プロ14とならぶヨーロッパ最高峰さいこうほうのリーグである。

ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ[編集へんしゅう]

ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップは、シックス・ネイションズから選抜せんばつされたクラブチームによる大会たいかいで、実質じっしつてき欧州おうしゅうナンバー1クラブをめる、サッカーのチャンピオンズリーグ相当そうとうする大会たいかいである。20チームによるホーム・アンド・アウェーで1リーグをおこない、8きょう決勝けっしょうトーナメントにすすむ。2013-2014ねんシーズンまでは、ハイネケンカップという開催かいさいされていた。

ヨーロピアンラグビーチャレンジカップ[編集へんしゅう]

ヨーロピアンラグビーチャレンジカップは、ヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップ下部かぶ大会たいかいにあたる。シックス・ネイションズからはヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップに順位じゅんいのクラブが出場しゅつじょう。ロシア、ジョージア、ルーマニア、スペイン、ポルトガルとう上位じょういクラブからも出場しゅつじょうする。

日本にっぽん国内こくない大会たいかい[編集へんしゅう]

統計とうけいおよび記録きろく[編集へんしゅう]

コヴェントリー大学だいがくthe Centre for the International Business of Sportの2011ねん報告ほうこくしょによると、現在げんざい500まんにん以上いじょう人々ひとびとがラグビーユニオンあるいはIRBによって整理せいりされたその変種へんしゅをプレーしている[167]。これは前回ぜんかいの2007ねん報告ほうこくしょから19%増加ぞうかしている[168]。この報告ほうこくしょでは、2007ねんからアフリカにおいて33%、南米なんべいにおいて22%、アジアおよび北米ほくべいにおいて18%参加さんかしゃ増加ぞうかしているとも主張しゅちょうされている[168]

ラグビーユニオンの最高峰さいこうほうのイベントであるラグビーワールドカップは1987ねんはつ開催かいさいから成長せいちょうつづけている[169]。16チームがタイトルをあらそった最初さいしょ大会たいかいは17カ国かこく放映ほうえいされ2おく3せんまんにん視聴しちょうした[169]。この大会たいかいでの予選よせんステージおよび決勝けっしょうトーナメントのチケットげは100まん未満みまんだった。2007ねんワールドカップは94カ国かこく参加さんかし、予選よせんおよび決勝けっしょうステージでのチケット売上うりあげは385まんだった[169]。この大会たいかいは200カ国かこく放映ほうえいされ42おくにん視聴しちょうした[169]

最多さいた国際こくさい試合しあいキャップすうつのティアー1ネイションの選手せんしゅはオーストラリアのハーフバックジョージ・グレーガン(139キャップ)である[170]最多さいた通算つうさん得点とくてん記録きろくつティアー1ネイションの選手せんしゅはニュージーランドのダン・カーターであり、キャリア通算つうさんで1250得点とくてんげている[171]。2010ねん4がつリトアニア英語えいごばんは、セルビア英語えいごばん勝利しょうりした結果けっか18連勝れんしょう(ティアー2ネイションにたいして)となり[172]、これまでニュージーランドとみなみアフリカがつくった17連勝れんしょう(ティアー1ネイションにたいして)という記録きろくやぶった[173]国際こくさい試合しあいでの最多さいた得点とくてん記録きろくは1994ねん10がつ27にち香港ほんこんがシンガポールに164たい13で勝利しょうりした試合しあい記録きろくされた[174]。しかし、最大さいだい点差てんさ(152てん)がひらいた試合しあいは、どちらも2002ねんおこなわれた日本にっぽんたい中華ちゅうか台北たいぺい台湾たいわん)の155たい3、アルゼンチンたいパラグアイの152たい0である[174]

女子じょしラグビーユニオン[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく女子じょしラグビー: NC Hustlers vs. Midwest II

女子じょしラグビーフットボールの記録きろくは19世紀せいきまつさかのぼる。Emily Valentineによる最初さいしょ文書ぶんしょされた記録きろくには、1887ねんにアイルランドエニスキレンにあるPortora Royal Schoolで彼女かのじょがラグビーチームをつくったとしるされている[175]。ニュージーランドとフランスによる初期しょき女子じょし試合しあい報告ほうこく存在そんざいするものの、根拠こんきょのある最初さいしょ注目ちゅうもくすべき試合しあいひとつは、1917ねんおこなわれたカーディフ・レディースとニューポート・レディースの戦時せんじチャリティーマッチである[176]記録きろく写真しゃしんではカーディフ・アームズ・パークでの試合しあいまえのカーディフ・チームの姿すがたのこされている[176]過去かこ30年間ねんかん、ラグビーユニオンの人気にんき女子じょしアスリートのあいだたかまっており、イングランドRFUによると現在げんざい80をえる国々くにぐにでプレーされている。イングランド女子じょしラグビー協会きょうかい英語えいごばん (RUFW) は1983ねん設立せつりつされたもっとふる女子じょしラグビーの公式こうしき国内こくない統括とうかつ団体だんたいである[177]女子じょしラグビーユニオンにおける最高峰さいこうほう大会たいかいは1991ねんはじまった女子じょしラグビーワールドカップである[178]。1994ねんからは4ねんに1開催かいさいされている[178]

女子じょし国際こくさいラグビー[編集へんしゅう]

女子じょしラグビーユニオンのはつ国際こくさい試合しあいは1982ねんユトレヒトにおけるフランスオランダ試合しあいはじまった[179]。2009ねん現在げんざいまでには、40以上いじょうことなる代表だいひょうチームにより600をえる女子じょし国際こくさい試合しあいおこなわれている[180]

はつ女子じょしラグビーワールドカップ1991ねんにウェールズにおいて開催かいさいされ、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく優勝ゆうしょうした[178]だい2かい大会たいかい1994ねん開催かいさいされ、以後いごよんねんおきにおこなわれている。ニュージーランド女子じょし代表だいひょう過去かこ5かいのワールドカップを優勝ゆうしょうしている(1998ねん2002ねん2006ねん2010ねん)、2017ねん[181]

女子じょしラグビーワールドカップとともに、そのにも定期ていきてき開催かいさいされている大会たいかいとしては、男子だんし大会たいかい平行へいこうしておこなわれる女子じょしシックス・ネイションズがある。女子じょしシックス・ネイションズは1996ねんはじめて開催かいさいされたが、イングランド2006ねん英語えいごばんから2011ねん英語えいごばんまでの6連覇れんぱふくめ12かい大会たいかいせいしている[182]

派生はせい競技きょうぎ[編集へんしゅう]

On a sunlit beach two teams of players, one in yellow the other in blue, play a form of rugby; the central yellow player runs forward clutching the ball with one hand, close to his chest.
ビーチラグビーの試合しあい

ラグビーユニオンの試合しあいは、フルコンタクトの15にんせいルール以外いがいにもいくつかの派生はせいがたんでいる。スポーツのルールが変更へんこうされるさいのより一般いっぱんてきな2つの変化へんか選手せんしゅ減少げんしょう接触せっしょく低減ていげんである。派生はせいがたなかもっとふるいのは7にんせいラグビー(セブンズ、7's、VIIs)である。このより展開てんかいはや派生はせいがたは1883ねんのスコットランドメルローズ起源きげんがある。ラグビーセブンズでは、1チームの選手せんしゅは7にんであり、試合しあいのハーフは通常つうじょう7ふんである。主要しゅようなトーナメントとしては、香港ほんこんセブンズドバイセブンズがある。より最近さいきん派生はせいがたはマレーシアでおこなわれている10にんせい10にんせいラグビーである[183]。ラグビーの試合しあいのフィジカルてき性質せいしつのため、フィジカルコンタクトをらした子供こどもけの派生はせいがたがいくつかつくられている[184]。これらのかたなかで、ボール保持ほじしゃ単純たんじゅん両手りょうてでタッチすることで「タックル」が成立せいりつするとしたタッチラグビーが、老若男女ろうにゃくなんにょじってプレーするかたとして人気にんきがある[185][186]タグラグビーは、プレイヤーのこしに「タグベルト」をき、そこに左右さゆう2ほんのタグがマジックテープでけられている。このタグを相手あいてプレイヤーがことで、タックルのわりとなるかたである。またタグラグビーではボールをることが禁止きんしされている[187]ミニラグビー英語えいごばんは、子供こどもにおいてラグビーユニオンをそだてる目的もくてきつくられたかたである[188][189]。ミニラグビーはちいさな競技きょうぎじょうで9にん選手せんしゅによってプレーされる[190]。タグラグビーと類似るいじしているアメリカンフラッグラグビー英語えいごばん (AFR) はK-9グレードにはいったアメリカの子供こどもけに設計せっけいされた、男女だんじょ混合こんごうおこなわれるコンタクトしのラグビーユニオンである[191]。アメリカンフラッグラグビーおよびミニラグビーはともに、参加さんかしゃ年齢ねんれいがるにつれてラグビーユニオンのより上級じょうきゅう要素ようそ導入どうにゅうしていくてんでタグラグビーとことなっている[190]

そのくだけた派生はせいがたとしてはビーチラグビースノーラグビー英語えいごばんがある[184][192]

のスポーツへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

A grainy black and white photo of teams in sports jerseys and light padding contesting a play near the touchline, while watched by officials, coaches and crowds.
ミシガン大学だいがくミネソタ大学だいがくとのアメリカンフットボール試合しあい(1902ねん)。アメリカンフットボールの初期しょきかたちはよりラグビーとよりあきらかな同族どうぞく関係かんけいられた。

ラグビーユニオンフットボールおよびその直結ちょっけつする祖先そせんであるラグビーフットボールは、いくつかのほかのスポーツにたいしておおきな影響えいきょうあたえている。グリッドアイアンフットボール英語えいごばんアメリカンフットボール[193][194]およびカナディアンフットボール[195])は、ラグビーの初期しょき形式けいしきから派生はせいしている。まぎらわしいことに、カナダではカナディアンフットボールは「ラグビーフットボール」ともばれており、オンタリオ英語えいごばんケベック英語えいごばんのようにおおくのくにおよび地方ちほう組織そしきが「ラグビーフットボールユニオン(協会きょうかい)」あるいは「ラグビーユニオン(協会きょうかい)」とばれている[195]たとえば「Encyclopedia Canadiana」では、「ラグビーフットボール」の項目こうもくでは、まず「19世紀せいきだい3四半期しはんきにカナダに導入どうにゅうされたラグビーユニオンあるいはイングリッシュラガーのカナダでの発展はってん」についてべられているが、つぎには「カナディアンゲームはラグビーユニオンをもと出発しゅっぱつした」とべられている[195]

オーストラリアン・ルールズ・フットボールゲーリックフットボール、ラグビーフットボール、クリケットふくすうおおくのスポーツの影響えいきょうけている。おおくの著者ちょしゃ主要しゅよう影響えいきょうはラグビーフットボールおよびそののイングランドパブリックスクールに起源きげんつスポーツ (en) からけたとかんがえている[196]。オーストラリアン・ルールズの先駆せんくしゃ一人ひとり認識にんしきされているトム・ウィルスもラグビーこうかよっていた[197]

ジェームズ・ネイスミスバスケットボール考案こうあんするのにラグビーをふくおおくのスポーツの要素ようそれた[198]もっとあきらかな貢献こうけんは、ジャンプボールのラインアウトとの類似るいじせいやバスケットボール初期しょき特色とくしょくだった下手へたげのシュートスタイルなどである。ネイスミスはマギル大学だいがく長年ながねんラグビーをプレーした[199]

スウェディッシュフットボールは、サッカーとラグビーフットボールを混合こんごうしたルールをっていた。あるものはまるいボールを使つかったが、そののあるものは楕円だえんがたのボールを使つかった[200]。スウェディッシュフットボールは現在げんざいはもはやプレーされていない[201]

ラグビーの名称めいしょうウィルチェアーラグビーくるまいすラグビー)にられるが、くるまイスラグビーはラグビーユニオンよりもくるまいすバスケットボールアイスホッケーハンドボール影響えいきょうつよけている[202]

文化ぶんかにおけるラグビーユニオン[編集へんしゅう]

An oil painting of two groups of a pair of moustached men wearing stripped jerseys and shorts, contesting a rugby ball within an avenue of trees.
アンリ・ルソー『Joueurs de football(フットボールの選手せんしゅたち)』(1908ねん
Jean Jacoby『Rugby』。1928ねんアムステルダムオリンピックきんメダル受賞じゅしょう作品さくひん

文化ぶんかにおけるラグビーの影響えいきょうは、ラグビー選手せんしゅがそのくに一般いっぱん大衆たいしゅうからロールモデルおよびヒーローとしてられることとともに、芸術げいじゅつ作家さっかたいしてあたえたインスピレーションで評価ひょうかすることができる。Thomas Hughesの1857ねん小説しょうせつ「Tom Brown's Schooldays」はラグビーこう舞台ぶたいにしており、ラグビーフットボールの試合しあいくわしくはなされており、1940ねん映画えいがされた同名どうめい映画えいがでも描写びょうしゃされている。ジェイムズ・ジョイスはアイルランドのチームベクティヴ・レンジャーズ英語えいごばんについて『ユリシーズ』(1922ねん)や『フィネガンズ・ウェイク』(1939ねん)などかれ作品さくひんのいくつかで言及げんきゅうしおり、かれの1916ねんはん自伝じでんてき作品さくひんわか芸術げいじゅつ肖像しょうぞう』ではアイルランド代表だいひょうJames Mageeについて説明せつめいしている[203]。サー・アーサー・コナン・ドイルは1924ねんシャーロック・ホームズシリーズサセックスの吸血鬼きゅうけつき』で、ワトソン博士はかせがブラックヒースでラグビーをプレーしたことをべている[204]

ラグビーユニオンは絵画かいが題材だいざいとしてげられたが、著名ちょめい芸術げいじゅつとくに20世紀せいき初頭しょとうのフランスの画家がかによってもげられた。フランスのポスト印象派いんしょうはアンリ・ルソーの1908ねん作品さくひん『Joueurs de football』では、2くみのラグビー選手せんしゅえがかれている[205]。ラグビーユニオンを作品さくひん描写びょうしゃしたそののフランスの芸術げいじゅつには、アルベール・グレーズ『Les Joueurs de football』(1912ねん)、ロベール・ドローネー『Football. L'Equipe de Cardiff』(1916ねん)、アンドレ・ロート『Partie de Rugby』(1917ねん)がいる[206]1928ねんアムステルダムオリンピックにおける単彩たんさい水彩すいさい部門ぶもんきんメダル英語えいごばん芸術げいじゅつ競技きょうぎ)はルクセンブルクのJean Jacobyの作品さくひん『ラグビー』が受賞じゅしょうした[207]

テレビおよび映画えいがにおいて、ラグビーユニオンはいくつかの作品さくひん背景はいけいとして使つかわれた。Ealingスタジオの1949ねんのコメディー『A Run for Your Money』およびBBCウェールズの1979ねんのテレビ映画えいが『Grand Slam』では、スポーツそのものよりも試合しあい観戦かんせんするファンに中心ちゅうしんかれている[208]。ラグビーをより詳細しょうさいげた映画えいがには、独立どくりつプロダクションによる『Old Scores』(1991ねん)や『Forever Strong』(2008ねん)がある。John Carlinの著作ちょさく『Playing the Enemy』をもとにした『Invistus(インビクタス/けざるものたち)』(2009ねん)は1995ねんワールドカップネルソン・マンデラがラグビーによってアパルトヘイトみなみアフリカの人々ひとびとむすけようとこころみた出来事できごとえがかれている[209][210]

おおくの国々くにぐにでのラグビーユニオンあるいはラグビー選手せんしゅえがいたぞうてている。トゥイッケナム・スタジアムにあるポップ・アーティストGerald Laingの27フィートブロンズぞう[211]ミレニアム・スタジアムのサー・タスカー・ワトキンス英語えいごばん(ウェールズラグビーに貢献こうけんした人物じんぶつ)のぞう[212]など、いくつかのぞうはラグビー競技きょうぎじょうることができる。カーディフガレス・エドワーズステレンブーシュダニー・クラヴェン英語えいごばんなどのラグビー選手せんしゅも、ぞうつくられる栄誉えいよけている[213]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Else, David (2007). British language & culture (2nd ed.). Lonely Planet. p. 97. ISBN 186450286X 
  2. ^ a b worldrugby.org. “ラグビー生誕せいたん200ねんしゅくして | ワールドラグビー”. www.world.rugby. 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  3. ^ (日本語にほんご) Rugby World Cup 2015 Opening Ceremony intro, https://www.youtube.com/watch?v=Z3Mbd9W9u50 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん 
  4. ^ a b c World Rugby - Hall of Fame” (英語えいご). www.world.rugby. 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

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