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シュローヴタイド・フットボール

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1887ねんはい水曜日すいようびにH・Hindによってゴールされたシュローブタイドボール。

シュローヴタイド・フットボール(Shrovetide Football)とは、イングランドダービーシャーしゅうアッシュボーン英語えいごばんにおいて1ねんいち告解こっかい火曜日かようびはい水曜日すいようびの2日間にちかんおこなわれているまつりである。フットボール起源きげんともわれている[1]。Royal Shrovetide Footballともばれる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

シュローブタイドボールゲームはヘンリー2せい時代じだいすくなくとも12世紀せいきからイングランドでおこなわれてきた。「ハグボール "hugball"」としてもられているアッシュボーンのゲームの正確せいかく起源きげんは、ロイヤルシュローブタイド委員いいんかい事務所じむしょ保管ほかんされていた最初さいしょ記録きろくが1890年代ねんだい火事かじによってうしなわれたため不明ふめいであるが、すくなくとも1667ねんごろからおこなわれたきた[2][3][4][5]起源きげんかんするもっと人気にんきのあるせつひとつは、「ボール」は元々もともと処刑しょけいのち群集ぐんしゅうかってほうまれた切断せつだんされた頭部とうぶであった、というものである[6]。このようなことはこったかもしれないが、フランスとのひゃくねん戦争せんそう期間きかんおこなわれたとされているWinchelsea Streete Gameといった球技きゅうぎは、てきへの侮辱ぶじょくしめすことを意図いとした元々もともと球技きゅうぎ[7]変化へんかしたものである、というほう可能かのうせいがある。

ダービーシャーしゅうにおけるフットボールにかんする最初さいしょ文献ぶんけんひとつは、イングランド内戦ないせんのち、1683ねんチャールズ・コットン(アッシュボーンじゅん男爵だんしゃくアストン・コカイン〔1608-84〕の従兄弟いとこ)によってかれた「Burlesque upon the Great Frost」とばれるである[8]

Two towns, that long that war had raged
Being at football now engaged
For honour, as both sides pretend,
Left the brave trial to be ended
Till the next thaw for they were frozen
On either part at least a dozen,
With a good handsome space between 'em
Like Rollerich stones, if you've seen 'em
And could no more run, kick, or trip ye
Than I can quaff off Aganippe.
Charles Cotton (1630–87)[9][10]

ダービーにある2つのまちあいだおこなわれていたシュローブタイド・フットボールは、「ローカルダービー」の語源ごげんとしてしばしばみとめられている(よりひろれられている語源ごげんエプソムダービー競馬けいばである)。起源きげんなににせよ、「ローカルダービー」はローカルライバルあいだでのフットボールの試合しあい意味いみする用語ようごとして現在げんざい認識にんしきされており、ダービーは競馬けいばである[11][12]

2012ねんナント大学だいがくのローラン・フルニエによって、ロイヤル・シュローブタイド・フットボールとフランスピカルディ地域ちいきけんトリコ(Tricot)でおこなわれていたラ・スール(La soule)とのあいだのそれまでられていなかったつながりがあきらかにされた。フルニエは、「民俗みんぞくフットボール」にかんする研究けんきゅうおこなっているさいAshbourne Telegraphのオフィスのまど展示てんじされている1909ねんのシュローブタイドボールにえがかれたコカイン(12世紀せいきからアッシュボーンにある)の紋章もんしょう紋章もんしょうがくてき意匠いしょうに3ひきわか雄鶏おんどりふくむこと、これが受難じゅなんぶし最初さいしょ水曜日すいようび復活ふっかつ月曜日げつようびにラ・スールがおこなわれていたトリコの紋章もんしょう同様どうように3ひきわか雄鶏おんどりふくむ)と一致いっちすることにいた[13]

概説がいせつ[編集へんしゅう]

アッシュボーン出身しゅっしん人々ひとびと7000にんほどが参加さんかし、2日間にちかんわたって開催かいさいされる[1]

「Shrovetide シュローヴタイド」は「懺悔ざんげさんにち」のことで、復活ふっかつさい(イースター)の40にちまえにあたり、毎年まいとし移動いどうするである。大会たいかいは、「Shrove Tuesday(懺悔ざんげ火曜日かようび)」と、復活ふっかつさいそなえて準備じゅんびはじめるよんしゅんぶし(レント)の初日しょにちの「Ash Wednesday(はい水曜日すいようび)」の2日間にちかんおこなわれる[14]

アッパーズが目指めざすゴール
ダウナーズが目指めざすゴール

まちひがしから西にしながれるヘンモアがわさかいにして北側きたがわ地域ちいき出身しゅっしんしゃのチーム「Up'Ards アッパーズ」とかわ南側みなみがわ出身しゅっしんしゃのチーム「Down'Ards ダウナーズ」にかれて、それぞれのゴールを目指めざしてボールをはこ大会たいかい[1]。アッパーズが目指めざすゴールは川上かわかみがわにあり、まちひがしりの場所ばしょにあり、ダウナーズが目指めざすゴールは川下かわしもがわまち西にしりの場所ばしょにある。ゴールはかわなかにあるいしぶみ石碑せきひ)で、いしぶみなかまるいろわった部分ぶぶんにボールを3かいタッチさせればゴールとみとめられる。ボールを移動いどうさせることにかんするルールはほとんどく、ほとんどなにをしてもく、ボールはってはしっても、げても、あしってもいい。ボールをふくなかふくろかくしてはこんでもよい[1]。アッシュボーンのまち全体ぜんたいをフィールドにしておこない、はいっていけない場所ばしょはせいぜい教会堂きょうかいどう墓地ぼちくらいのもので、あとはどこにはいってもく、たとえば個人こじん住宅じゅうたく敷地しきちない商店しょうてんやスーパーのなかはいっても[1]

どちらのチームもゴールをめられずによる10むかえた場合ばあい試合しあい終了しゅうりょうとなり[14]けとなる[1]

ゲームの開始かいしは2にちとも午後ごご2まち中央ちゅうおうあたりのショークロフト駐車ちゅうしゃじょうおこなわれる[1]初日しょにち開会かいかい宣言せんげん英国えいこく国歌こっか女王じょおう陛下へいかまんさい」を斉唱せいしょうしたのちまち人々ひとびと代表だいひょうするためにえらばれたひとだいうえからボールを群衆ぐんしゅうなかみそれと同時どうじにゲームははじまる。2にちにボールをれるやく特別とくべつ招待客しょうたいきゃくおこなうのが慣例かんれいになっている[1]

1928ねんイギリスのおう太子たいしエドワード英国えいこくおうエドワード8せい)がボールをれたときから、このまつりに「Royal」というかたりかんして「Royal Shrovetide Football」ともばれるようになった[1]

ゴールをめたひとには、様々さまざま意味いみめた図柄ずがら当人とうにん名前なまえしるしたボールが授与じゅよされる。ちょうど様々さまざま大会たいかい勝利しょうりしゃにトロフィーがおくられているようなものである。この大会たいかいでゴールをめることはまちおとこにとってとくおおきなほこりとなる[1]かずひゃくねんまえ記念きねんボールも記念きねんかん保管ほかんされていて、そのまちかたがれている。

おとこたちはそれぞれ毎年まいとしおなふく参加さんかするのが慣例かんれいとなっている[1]ふくいろ図柄ずがらによってはなれていてもたがいにだれ一目いちもくわかるからである[1]なかには30ねんおなふく参加さんかしているのでそれがあなだらけでボロボロになってしまっているひともいる[1]

主力しゅりょく選手せんしゅとなっている屈強くっきょうおとこたちはアッパーズ、ダウナーズともすうじゅうめいほど。普段ふだんはたとえば配管はいかんこう建設けんせつ作業さぎょういんなどとしてこのまち周辺しゅうへん地域ちいきはたらいている人々ひとびとである[1]。アッパーズ、ダウナーズがわそれぞれに、主力しゅりょく選手せんしゅたちが普段ふだんつどみせがある(ちなみにダウナーズがつどみせは「Wheel Inn(車輪しゃりん宿やど)」である[1])。みせには過去かこ勝利しょうり記念きねんのボールがほこらしげにいくつもかざられている。とくにこのまつりに熱中ねっちゅうしているおとこたちは、いちねんのほとんどをこのまつりのためにごしているといっても過言かごんではない[1]。この大会たいかいつためにごろからはしみやウェイトリフティングなどのトレーニングをみ、みせ仲間なかまたちと交流こうりゅう作戦さくせんっている[1]

アッパーズが得意とくいとする手法しゅほうは、多人数たにんずうでボールをかこむようにスクラム(「hug ハグ」と地元じもと人々ひとびとぶ)をみ、スクラムをんだままゴールへすすんでゆく手法しゅほうである[1]。ダウナーズの得意とくいとする手法しゅほうは、スクラムからボールがびだしたとき(これを「brake ブレイク」と地元じもと人々ひとびとぶ)にかわへとボールをはこびこみ、ひがしから西にしへとながれるみずながれも利用りようしつつゴールへとボールをはこ手法しゅほうである[1]

ルールは「ころさない、ボールをかくしてはならない、教会きょうかい敷地しきちはいってはならない」だけだともわれているが[14]実際じっさいには(ボールをかくすような)奇策きさくもちいられたことがあり、たとえば群衆ぐんしゅうがボールを見失みうしなったときに、年頃としごろ女性じょせいふくのおなか部分ぶぶんにボールをにんのフリをし、おなじくわか男性だんせい二人ふたり夫婦ふうふよそおっててきゴールへとちかづくという作戦さくせんおこなわれたことがあるがこれはゴール直前ちょくぜんでボールをしたところでつかってしまったという[1]。また、横丁よこちょうでこっそり女性じょせいわたし、ショッピングバッグにれさもものきゃくのようなフリをしてボールをはこぶという作戦さくせんもとられたことがあるが[1]、すぐに人々ひとびと気付きづかれてしまったという[1]奇策きさくがうまくいったれいとしては、ダウナーズの策士さくしが、かわっているときにとっさにくろいビニールぶくろにボールを水中すいちゅうえだにひっかけてかくし、人々ひとびとさがしにったのちはこびゴールすることに成功せいこうしたこともあったという[1]

この大会たいかいでは乱暴らんぼうなプレーは一般いっぱんてきであるため、あし骨折こっせつしてしまうひともいる[14]興奮こうふんした参加さんかしゃ同士どうしなぐいをはじめてしまうことがあるが、経験けいけん豊富ほうふなプレーヤがすかさず仲裁ちゅうさいはいおさまるのが一般いっぱんてきである[1]。これは、まつりがめばおながいなか仲間なかま同士どうしもどるのだから過度かど喧嘩けんかこのましくないとかんがえられているからである[1]参加さんかしゃたちがプレーのはずみで個人こじんたく商店しょうてんなどの一部いちぶこわしてしまうことがあるが、このまつりのために専用せんよう保険ほけんがかけてあり、被害ひがいしゃには修繕しゅうぜん費用ひようなどがるため、参加さんかしゃたちはこのてんをあまりにすることなく、おも存分ぞんぶんたたかうことができる[1]こわされがちな地区ちくんでいる住人じゅうにんたちも、まちげるこのまつりに理解りかいしめしており、それにもしなにかあれば保険ほけん修理しゅうりされるのであまり心配しんぱいしていない[1]

アッシュボーンの男子だんしにとってはこの競技きょうぎ参加さんかみとめられることが「大人おとな」に仲間入なかまいりすることを意味いみ[1]参加さんかさせはじめる年齢ねんれいについてはおやたちは子供こども成長せいちょう程度ていどてそれぞれの判断はんだんめていて一様いちようではないが、たとえば14さいころに「自分じぶん行動こうどう責任せきにんてるようになった」として参加さんかさせはじめる。母親ははおやたちは子供こども怪我けがいようにといのるような気持きもちでおくしている[1]。こうした年齢ねんれい小柄こづかでまだ十分じゅうぶんきたえていない身体しんたいでは、身体しんたいおおきな主力しゅりょく選手せんしゅたちのスクラムにまれるとたおされてみつけられてしまったりするので、たとえばあしはや子供こどもならば、スクラムとはなれた場所ばしょち、ボールがスクラムからしたときにすかさずはやはしやくをまかされるなど、相応そうおう役割やくわり分担ぶんたんがなされている[1]

大会たいかいはアッシュボーンのまちげておこなわれており、アッシュボーン出身しゅっしんしゃはこのまつりの期間きかんになると遠方えんぽうから里帰さとがえりしてこの競技きょうぎ参加さんかするひとおおい。このまつりの期間きかんちゅう観光かんこうきゃく取材しゅざいじん多数たすうおとずおおいににぎわう[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae NHK ハイビジョンスペシャル「熱闘ねっとう7000にん〜これがサッカーのルーツだ〜」 120ふん番組ばんぐみ。2002ねん5がつ20日はつか初回しょかい放送ほうそう。2014ねん6がつ5にち9〜 さい放送ほうそう
  2. ^ Ashbourne Royal Shrovetide Football”. Visitashbourne.co.uk. 2012ねん12月28にち閲覧えつらん
  3. ^ England (2010ねん10がつ19にち). “Royal Shrovetide Football, Ashbourne — Google Sightseeing”. Googlesightseeing.com. 2012ねん12月28にち閲覧えつらん
  4. ^ Ashbourne Royal Shrovetide Football”. Visitashbourne.co.uk. 2012ねん12月28にち閲覧えつらん
  5. ^ http://mediafiles.thedms.co.uk/Publication/DS/cms/pdf/Trail_25.pdf
  6. ^ Wild In The Streets”. Wesclark.com (2002ねん3がつ18にち). 2012ねん12月28にち閲覧えつらん
  7. ^ http://www.winchelsea.net/community/game.htm
  8. ^ http://spenserians.cath.vt.edu/AuthorRecord.php?&method=GET&recordid=32820
  9. ^ Ashbourne, Derbyshire - Shrovetide Football”. Ashbourne-town.com. 2012ねん12月28にち閲覧えつらん
  10. ^ Jacqueline Simpson, Steve Roud. English Folklore. Books.google.co.uk. https://books.google.co.uk/books?id=iTcdvd1iRXsC&pg=PT39&lpg=PT39&dq=Burlesque+upon+the+Great+Frost+Two+towns&source=bl&ots=D11onWGVLg&sig=x3IW79q45DsGyRqVLQoPi68juBU&hl=en#v=onepage&q&f=false 2012ねん12月28にち閲覧えつらん 
  11. ^ Old Firm's enduring appeal”. FIFA.com (1939ねん1がつ2にち). 2012ねん12月28にち閲覧えつらん
  12. ^ Posted by aitch (2010ねん11月24にち). “SING UP THE RIVER END !: The Origins Of The Local Derby”. Canaryseventyninety.blogspot.co.uk. 2012ねん12月28にち閲覧えつらん
  13. ^ Shrovetide links to French football game | Ashbourne News”. Ashbournenewstelegraph.co.uk. 2012ねん12月28にち閲覧えつらん
  14. ^ a b c d AFPニュース