(Translated by https://www.hiragana.jp/)
疫病 - Wikipedia コンテンツにスキップ

疫病えきびょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

疫病えきびょう(えきびょう、やくびょう)とは、集団しゅうだん発生はっせいする伝染でんせんびょう流行りゅうこうのこと。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

日本にっぽん歴史れきしじょう疫病えきびょうとして流行りゅうこうしたとかんがえられているものに、痘瘡とうそう天然痘てんねんとう)・麻疹ましん(はしか)・赤痢せきりコレラインフルエンザかったい結核けっかく梅毒ばいどくコロナウイルスなどがあげられる。こうした病気びょうき元々もともと特定とくてい地域ちいき風土病ふうどびょうであったが、文明ぶんめい文化ぶんか社会しゃかい発展はってん世界せかいとの交流こうりゅう拡大かくだいによるひと文物ぶんぶつ往来おうらいともない、これまで同種どうしゅやまい存在そんざいしなかった地域ちいきにも伝播でんぱし、なかには世界せかいてき流行りゅうこうするようになったとかんがえられている。たとえば、コレラは日本にっぽんでは19世紀せいきはじめて発症はっしょうしたとされ、それ以前いぜんには存在そんざいしなかったとされている。

日本書紀にほんしょき』にはたかしかみ天皇てんのう時代じだいやまし疫が流行りゅうこう人口じんこう半数はんすううしなわれてていたこと[1]かめぼく沐浴もくよく斎戒さいかい神託しんたく大物おおものぬし大神おおがみまつることで疫病えきびょうみんさかえたこと[2]しるされ、『倭名わみょう類聚るいじゅうしょう』には“疫”の意味いみについて「みんみなむなり」とある。

ぜん近代きんだいにおいては疫病えきびょう原因げんいんとして、あらかみ疫神疫病神やくびょうがみ)・疫鬼怨霊おんりょう仕業しわざとか仏罰ぶつばつ神罰しんばつによるものであるという超自然ちょうしぜんてきなものに原因げんいんもとめるかんがかた一般いっぱんてきであり、平安へいあん時代じだいごろから全国ぜんこく疫病えきびょう終息しゅうそくねが加持かじ祈祷きとう各種かくしゅ祭礼さいれい鎮花さいみちきょうさい四角よつかどよんさかいさい鬼気ききさい疫神さい御霊みたまかいなど)がおこなわれていた[3]現代げんだいでも疫病えきびょうかかわる民俗みんぞく風習ふうしゅう各地かくちのこっている。

一方いっぽう漢方かんぽう医学いがく分野ぶんやでは天地てんちみだれや陰陽いんよう不順ふじゅんによる邪気じゃき寒気さむけ悪気わるぎ毛穴けあなくちはなつうじて体内たいない侵入しんにゅうしてしょうじるとかんがえられ、鍼灸しんきゅうくすりによって体内たいない陰陽いんようのバランスを回復かいふくさせることに主眼しゅがんかれていた。疫病えきびょう原因げんいんがはっきりとするのは19世紀せいき後期こうき日本にっぽんでは幕末ばくまつから明治めいじ)に細菌さいきんがく進歩しんぽしたのちのことであったが、江戸えど時代じだいには病気びょうき病人びょうにんから伝染でんせんすることが漢方かんぽうあいだでもられており、香月かつき牛山うしやまの『国字こくじくさむら』のなかにも中国ちゅうごく大陸たいりくからいままでられていなかった病気びょうき日本にっぽんつたわってきたことややまい伝染でんせんするものであることがしるされている。

政治せいじてきには朝廷ちょうてい典薬てんやくりょうかんさるけた太政官だじょうかん幕府ばくふかん意見いけんけた江戸えど幕府ばくふ触書ふれがきどき疫御触書ふれがき)をして、薬療やくりょうしょくによる治療ちりょう奨励しょうれいされた。

明治めいじ政府せいふ内務省ないむしょう厚生省こうせいしょう中心ちゅうしんとして公衆こうしゅう衛生えいせい強化きょうかはかったことで疫病えきびょう流行りゅうこう減少げんしょうし、神事しんじなどもおこなわれなくなった[3]

人類じんるいグローバル活動かつどう病原びょうげんたい拡散かくさんつづけていることから、疫病えきびょういま人類じんるいへの脅威きょういでありつづけているといえる。

病原びょうげんたい発見はっけん

[編集へんしゅう]

感染かんせんしょうのうち細菌さいきんこすものについては、19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいき初頭しょとうにかけての時期じき病原菌びょうげんきんおおくが発見はっけんされている[4]

病名びょうめい 発見はっけんねん 病原菌びょうげんきん発見はっけんしゃ
ハンセン病はんせんびょう 1875ねん アルマウェル・ハンセン(ノルウェー)
マラリア 1880ねん シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン(フランス)
ちょうチフス 1880ねん カール・エーベルト(ドイツ)
結核けっかく 1882ねん ロベルト・コッホ(ドイツ)
コレラ 1883ねん ロベルト・コッホ(ドイツ)
破傷風はしょうふう 1884ねん 北里きたさとしば三郎さぶろう日本にっぽん)、アルトゥール・ニコライエル(ドイツ)
ブルセラしょう 1887ねん デビッド・ブルース(イギリス)
ペスト 1894ねん 北里きたさとしば三郎さぶろう日本にっぽん)、アレクサンドル・イェルサンフランス語ふらんすごばん(フランス)
赤痢せきり 1898ねん 志賀しがきよし日本にっぽん
梅毒ばいどく 1905ねん フリッツ・シャウディンドイツばん(ドイツ)
百日咳ひゃくにちぜき 1906ねん ジュール・ボルデ(フランス)
発疹ほっしんチフス 1909ねん シャルル・ジュール・アンリ・ニコル(フランス)

一方いっぽうウイルスについては理解りかいおくれ、存在そんざいられるようになったのは19世紀せいきまつから、その正体しょうたいあきらかになるのは20世紀せいき中葉ちゅうようになってからである。新型しんがたインフルエンザCOVID-19のようにあらたに出現しゅつげんする疫病えきびょう新興しんこう感染かんせんしょう)も存在そんざいし、これからも発見はっけんつづくものとかんがえられる。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 日本書紀にほんしょき』。たかしかみたかし皇紀こうきねん
  2. ^ 日本書紀にほんしょき』、たかしかみたかし皇紀こうき7ねん
  3. ^ a b 148ねんぶりに疾病しっぺいしずめる神事しんじ 新型しんがたコロナの終息しゅうそくねが福島ふくしま 会津あいづ - NHK
  4. ^ 倉持くらもち(1995)pp.315-323

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]