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疫病神やくびょうがみ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

疫病神やくびょうがみやくびょうしん(やくびょうがみ)は、なか疫病えきびょうをもたらすとされる悪神あくじん疫神厄神やくじん(やくしん、やくじん、えきしん)、くだり疫神(ぎょうやくじん、ぎょうえきじん)ともいう[1][2]家々いえいえのなかにはいってひとびとを病気びょうきにしたり、わざわいをもたらすとかんがえられている[3](ここからてんじて「他人たにんきらわれるひと」にたいする蔑称べっしょうとして使つかわれることもある)。

概要がいよう

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医療いりょう普及ふきゅうしていなかった古代こだい日本にっぽんでは、病気びょうきえない存在そんざいによってもたらされるとしんじられており、とく流行りゅうこうびょう治療ちりょう不可能ふかのう重病じゅうびょうもののけ怨霊おんりょう悪鬼あっきによるものといわれてきた[1]平安へいあん時代じだい以後いご中国ちゅうごく疫鬼概念がいねん貴族きぞく社会しゃかい中心ちゅうしんひろ普及ふきゅうし、疫病えきびょうはそれをもたらす鬼神きじんによるものとのかんがえがまれた。やがて一般いっぱんでの素朴そぼく病魔びょうまへの畏怖いふむすびつき、疫病神やくびょうがみといった存在そんざい病気びょうきをもたらすという民間みんかん信仰しんこういたったとかんがえられている[4]

疫鬼の概念がいねんおおまれた平安へいあん時代じだいには朝廷ちょうてい行事ぎょうじとして、はなるととも疫病神やくびょうがみ方々かたがた四散しさんすることをふせぐ「鎮花さい」、みちさかい疫病神やくびょうがみをもてなすことでそとかえしてしまうという「みちきょうさい」といった疫病えきびょうふせぐための祭事さいじおこなわれている。このようにわざわいをふせぐために疫病神やくびょうがみまつるといった行事ぎょうじは、近年きんねんにおいてもこうした祭事さいじのほか、まちむらさかい注連縄しめなわあるいはワラなどを材料ざいりょうにした巨大きょだいなつくりものをしめして疫病神やくびょうがみ侵入しんにゅうふせ民俗みんぞく行事ぎょうじなどにることができる[1]

人々ひとびとあいだくないことをもたらす存在そんざいであることからてんじて、厄介やっかいごとをこす人物じんぶつ事物じぶつを「疫病神やくびょうがみ」と比喩ひゆしたりもする[5]

黄表紙きびょうし怪談かいだんよるさらがね』(かいだんうしみつのかね)。ある武士ぶしのもとにあらわれたこの疫病神やくびょうがみひだり)は、50さいほどの坊主ぼうず姿すがただったという[6]

容姿ようし

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もともと病気びょうきなどがえない存在そんざいがもたらすものであるとかんがえられていたことに由来ゆらいして、疫病神やくびょうがみ姿すがた実際じっさいえるものであるとかんがえられることはほとんどい。『春日しゅんじつ権現ごんげんけん絵巻えまき』や『融通ゆうずう念仏ねんぶつ縁起えんぎ絵巻えまき[7]などの絵巻物えまきものには、様々さまざまおに姿すがたをした疫神たちがつど姿すがたえがかれているが、ゆめなかでそれをるなど普通ふつう人間にんげん姿すがたえないものであると表現ひょうげんされている。『すなせきしゅう』(まき5「えんひたぶる学者がくしゃめんおにびょうごと」)では、僧侶そうりょのもとへあまたのくだり疫神の集団しゅうだんがやってるという説話せつわしるされているがここでは「異類いるい異形いぎょう」と表現ひょうげんされている。 

いっぽう、人間にんげんえる姿すがたとして疫病神やくびょうがみ老人ろうじん老婆ろうばなどをはじめとした人間にんげん姿すがたをとって出没しゅつぼつするともかんがえられており、単体たんたいまたは複数ふくすうじんでさまよい、人家じんかをおとずれ、疫病えきびょうをもたらすなどといわれた[4]関東かんとう地方ちほう東海とうかい地方ちほう中心ちゅうしん確認かくにんされているばばひと小僧こぞうかんする来訪らいほうしゃがあるとする伝承でんしょうなどは、その代表だいひょうてきなものである。また秋田あきたけん一部いちぶでは、とくにどのような姿すがたであるかはかれていないが、毎年まいとし2がつ9にち疫病神やくびょうがみむらだとしており、疫病神やくびょうがみきらうとされるあみおおざる戸外こがいげる[8]という行事ぎょうじがあったという。

江戸えど時代じだい随筆ずいひつ宮川みやがわしゃ漫筆まんぴつ』には「毎月まいつき3にち小豆あずきかゆをつくるいえにははいらない」と疫神におしえてもらった人物じんぶつ説話せつわしるされている。このはなしでは、人間にんげん姿すがたをとってはいむべき屋敷やしきかっていた疫病神やくびょうがみを、それとらずに同道どうどうした結果けっかそのことをおそわっている[9][10]。またおなじく江戸えど時代じだいかれた小林こばやしけいしゃたけつめ』などには文政ぶんせい3ねん(1820)に江戸えど愛宕下あたごした仁賀保にかほという武家ぶけ屋敷やしき疫病神やくびょうがみ侵入しんにゅうしたのを次男じなんきむ七郎しちろう発見はっけんしてつかまえた結果けっかけっしていえにははいらない(疫病えきびょう災厄さいやくをたもらさない)としるした証文しょうもんいてったというはなし記録きろくされている。このはなし証文しょうもん文面ぶんめんとも流布るふされており、随筆ずいひつにもその全文ぜんぶん記載きさいされているほか、その文面ぶんめん疫病えきびょうけとして家々いえいえもちいた痕跡こんせきのこされている[11][12]

祭祀さいし護符ごふ

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鍾馗しょうきぞう河鍋かわなべ暁斎きょうさい

ぞく日本にっぽん』(まき32)にはたからひさし4ねん773ねん)7がつに疫神を諸国しょこくまつらせたことが記録きろくされている。日本にっぽんでは平安へいあん時代じだいから、疫病えきびょうはらうための祭礼さいれい宗教しゅうきょう儀式ぎしき朝廷ちょうていによっておこなわれてた。また儀礼ぎれいてきなもの以外いがいにも疫病えきびょうけのために、鍾馗しょうき(しょうき)や牛頭ごず天王てんのうすみ大師だいし(つのだいし、もとさん大師だいし[注釈ちゅうしゃく 1]姿すがた木版もくはんりしたもの)を屋内おくないあるいはもうけて護符ごふとする信仰しんこう俗信ぞくしんがあり、疫神をけるものであるとされてきた[3]

牛頭ごず天王てんのう疫病えきびょうからまもさい祈願きがんをかける存在そんざいとして信仰しんこうされるが、いっぽうで疫病えきびょうをもたらす存在そんざいともされていた。

疫病神やくびょうがみ人形にんぎょうたててす・おく民俗みんぞく行事ぎょうじ現代げんだいでも日本にっぽん各地かくちでおこなわれている。また、夏越なごしはらい祇園祭ぎおんまつりなど夏季かきおこなわれる祭礼さいれいくぐり、端午たんご節句せっくおこなわれる菖蒲湯しょうぶゆなどには疫病えきびょう・疫神をはらうものとしての意味いみ付与ふよされていることがおおい。『ひろえしい雑話ざつわ[注釈ちゅうしゃく 2]によれば、のべたから1673ねん-1681ねん)のころ、疫病えきびょう流行りゅうこうして諸国しょこく蔓延まんえんしたので、おおきなタケよん(しで)をつけて国々くにぐにからおく神事しんじをおこなったという。この神事しんじ人形にんぎょうおくりの行事ぎょうじ一種いっしゅであるとみられる[3]

年中ねんじゅう行事ぎょうじさいしてべられる特別とくべつ食事しょくじに「疫病神やくびょうがみをはらう効果こうか」を説明せつめいする民間みんかん伝承でんしょう各地かくちにあり、6月15にちべられるうどん岡山おかやまけん津山つやま[13]など)などがある。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ中興ちゅうこうとしてられる10世紀せいき実在じつざいそう良源りょうげんのこと。良源りょうげんおにけて疫病神やくびょうがみはらったという伝説でんせつにちなみ「すみ大師だいし」がまれた。通称つうしょう厄除やくよ大師だいし」。
  2. ^ 江戸えど時代じだいたかられき年間ねんかん木崎きざき惕窓が福井ふくいはん領内りょうないでのききを編集へんしゅうしたしょ。『福井ふくいけん郷土きょうど叢書そうしょ』に収載しゅうさいされている。

参照さんしょう

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  1. ^ a b c 村上むらかみ(2000)pp.338-339
  2. ^ くだり疫神とは - コトバンク
  3. ^ a b c 豊島としま(1999)pp.254-255
  4. ^ a b 多田ただ(1990)pp.280-281
  5. ^ やくびょう‐がみ〔ヤクビヤウ‐〕【疫病神やくびょうがみ”. Yahoo!辞書じしょ. ヤフー株式会社かぶしきがいしゃ. 2009ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ 近藤こんどう瑞木みずきへんひゃくおに繚乱りょうらん 江戸えど怪談かいだん妖怪ようかい絵本えほん集成しゅうせい国書刊行会こくしょかんこうかい、2002ねんISBN 978-4-336-04447-1 
  7. ^ 松原まつばらしげる日本にっぽん美術びじゅつ だい302ごう 絵巻えまき=融通ゆうずう念仏ねんぶつ縁起えんぎ至文しぶんどう 1991ねん 口絵くちえだい11
  8. ^ 横手よこて郷土きょうど編纂へんさんかい横手よこて郷土きょうど横手よこてまち 1933ねん 363ぺーじ
  9. ^ 巖谷いわや小波さざなみだいかたりえんだい1かん 1935ねん 平凡社へいぼんしゃ 731-732ぺーじ 「疫神のみちれん
  10. ^ 水木みずき(1994)p.456 「疫病神やくびょうがみ
  11. ^ 柳田やなぎだ國男くにお ちょ, せき敬吾けいご 大藤おおふじ時彦ときひこ へん増補ぞうほ さん島民とうみんたんしゅう平凡社へいぼんしゃ 1969ねん 32-33ぺーじ
  12. ^ 国分寺こくぶんじ市立しりつ図書館としょかん デジタル博物館はくぶつかん疫病神やくびょうがみ証文しょうもん 3てん」 https://library.kokubunji.ed.jp/museum/detail/146  2018ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  13. ^ 岡山おかやまけん教育きょういく委員いいんかい岡山おかやまけん民俗みんぞく資料しりょう調査ちょうさ報告ほうこくしょ』 1967ねん 27ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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