宇賀神うがじん

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宇賀うが弁才天べんざいてん坐像ざぞう
宝厳寺たからがんじぞう(1565ねん浅井あさいひさせい奉納ほうのう頭部とうぶちいさく宇賀神うがじんり、鳥居とりいかまえる。)

宇賀神うがじん(うがじん、うかのかみ)は、日本にっぽん中世ちゅうせい以降いこう信仰しんこうされたかみである。ざいをもたらす福神ふくじんとして信仰しんこうされた。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

かみめいの「宇賀うが」は、日本にっぽん神話しんわ登場とうじょうする宇迦たましいしん(うかのみたま)に由来ゆらいするものと一般いっぱんてきにはかんがえられている(仏教ぶっきょうで「ざいほどこせ」を意味いみする「宇迦耶(うがや)」に由来ゆらいするというせつもある)。
その姿すがたは、人頭じんとうへび蜷局とぐろ(とぐろ)をかたちあらわされ、頭部とうぶ老翁ろうおう女性じょせいであったりと諸説しょせつあり一様いちようではない。

元々もともとは宇迦たましいしんなどと同様どうように、こく霊神れいじん福徳ふくとくしんとして民間みんかん信仰しんこうされていたかみではないかと推測すいそくされているが、両者りょうしゃには名前なまえ以外いがい共通きょうつうせいとぼしく、その出自しゅつじ不明ふめいである。また、へびしん龍神りゅうじん化身けしんとされることもあった[1]

このへびしん比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ天台宗てんだいしゅう)の教学きょうがくれられ、仏教ぶっきょうかみてん)である弁才天べんざいてん習合しゅうごうあるいは合体がったいしたとされ、この合一ごういつしんは、宇賀うが弁才天べんざいてんともばれる。

竹生島ちくぶしま宝厳寺たからがんじする弁天べんてんぞうのように、宇賀神うがじんはしばしば弁才天べんざいてん頭頂とうちょうちいさくる。そのさい鳥居とりいえられることもおおい。
出自しゅつじ不明ふめいで、経典きょうてんではこく霊神れいじんとしての性格せいかくられないことなどから、宇賀神うがじんは、弁才天べんざいてんとの神仏しんぶつ習合しゅうごうなか造作ぞうさくされ案出あんしゅつされたかみ、とのせつもある[2]

鎌倉かまくら宇賀うが福神ふくじんしゃでは、宇賀神うがじんをそのまま神道しんとうかみとしてまつっている。

北陸ほくりく飛騨高山ひだたかやまでは在家ざいけ宇賀神うがじんをおまつりするところがある。石川いしかわけん金沢かなざわ永安えいあんてらでは毎年まいとし9がつ23にち大祭たいさいもよおしている。

宇賀神うがじんという姓氏せいし日本にっぽんちゅう存在そんざいする(宇賀神うがじん友弥ともや宇賀神うがじんメグなど)。

伝承でんしょう[編集へんしゅう]

宇賀神うがじんせた弁財天べざいてん座像ざぞう。13世紀せいき

15世紀せいきの『日記にっき』に、宇伽しんいえ安置あんちしたおかげで富裕ふゆうになったいえがあったが、昼寝ひるねしているつまへびっているのをおとこが、太刀たちいてへびはらったところ、もとの貧乏びんぼうもどってしまったという記述きじゅつがある[3]

16世紀せいき辞典じてんちり添壒嚢鈔まきだいよん宇賀うが神事しんじ」には、宇賀神うがじんへいさつみことイザナミ)からまれた稲作いなさくをはじめ五穀ごこく樹木じゅもく成育せいいくつかさどしょくしん(ウケモチノカミ)とおとどおりであるため福神ふくじんとなったとあり、8世紀せいきの『丹後たんごこく風土記ふどき』のトヨウケビメ羽衣はごろも伝説でんせつ同様どうようの、「水浴みずあびをしていた天女てんにょ一人ひとりろう夫婦ふうふころもかくされてんかえれなくなり、万病まんびょうさけつくってろう夫婦ふうふざいをもたらしたが、おうされ、辿たどいた丹後たんごの奈具むら宇賀うが女神めがみとしてまつられた」という伝承でんしょう紹介しょうかいされ、宇賀うがのううりいのちとみをもたらしたことから福徳ふくとくしんとみなされ、さらにへび変体へんたいするとしるされている[3]

天野あまの信景さだかげによる18世紀せいき初頭しょとう随筆ずいひつしゅう塩尻しおじり』のまき49には、神社じんじゃまつられている宇賀神うがじんぞうは、老人ろうじんかおをした頭部とうぶをもつへびかえるをおさえるかたちをしていて、みずったうつわれられており、てん真名まなみずなどというぶんとなえてぞうみずをかけるとあり、熱田あつた神宮じんぐう貞享ていきょう(17世紀せいき)の修理しゅうりさいにそのぞうてきたとしるされている。信景さだかげは、宇加耶は梵語ぼんご白蛇しろへびのことだが、密教みっきょうではひとくびへびではなくただへびぞう宇賀神うがじんとしている、ひとくびへび熱田あつた神宮じんぐうだけでなく山城やましろこく稲荷いなり神社じんじゃにもあり、へびくび人身じんしんぞうもある、などもべている[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 錦織にしきおり亮介りょうすけてん仏像ぶつぞう事典じてん東京とうきょう美術びじゅつ 1983ねん
  2. ^ 山本やまもとひろ 『かみ』 平凡社へいぼんしゃ、1998ねん
  3. ^ a b c 弁才天べんざいてん性格せいかくとその変容へんよう 宿やどしん観点かんてんから山田やまだ雄司ゆうじ日本にっぽん史学しがく集録しゅうろく,17,8-26 (1994-12-01)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 藤巻ふじまき一保かずやす 「かみあきら」『神仏しんぶつ習合しゅうごうほん』 学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2008ねん、120-125ぺーじISBN 978-4056051544

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]