祭祀さいし (神道しんとう)

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神道しんとう祭祀さいし(さいし)・まつは、伊勢神宮いせじんぐうぞくする諸々もろもろ神社じんじゃ[ちゅう 1]おこなわれ[1]天下てんか泰平たいへい五穀豊穣ごこくほうじょう皇室こうしつ安泰あんたい万民ばんみん平安へいあんいのられる。

としいち大祭たいさいである例祭れいさい新年しんねん元旦がんたん歳旦さいたんさいはる祈年祭としごいのまつりあきには豊穣ほうじょう感謝かんしゃする新嘗祭にいなめさい(にいなめさい)、節供せっく(せっく)には七夕たなばた重陽ちょうよう(ちょうよう)のおまつりなど、さらにこまかなものをふくめれば年間ねんかんとおしてすうおおおこなわれている。おおきなものを中心ちゅうしん少々しょうしょう解説かいせつするが、それはかみたい神饌しんせん(みけ、食事しょくじ)や幣帛へいはく(へいはく、ぬのあるいはころも)をそなまつり、そして神人しんじん共食ともぐいおこなわれる。日本にっぽんのおまつりは、神職しんしょく中心ちゅうしん社殿しゃでんおくおこなわれる祭祀さいし祭儀さいぎと、氏子うじこ人々ひとびと参加さんかしておこな風流ふうりゅう相当そうとうする部分ぶぶんからる。その全体ぜんたいして祭礼さいれいぶことがおお[2]

また、かく家庭かてい神棚かみだなにおける毎朝まいあさかみはい家庭かてい祭祀さいしとされる[3]

祭祀さいし・おまつりとは[編集へんしゅう]

祭祀さいしとは古語こごでいう「マツリ」のことだが、古語こごでいうマツリというかたり意味いみについていくつかのせつがある。 まず、しゃさだめる、しょく御酒みき幣帛へいはくといったおそなものかみけんじきょうするなど、かみたいしてたてまつる(タテマツル)ことに「まつる」のてたというせつがあり、『古事記こじき』・たかしかみ天皇てんのうだんれいがあり、ほんきょ宣長のりながが『古事記こじきでん』で注釈ちゅうしゃくしているせつである[2]。また、マツリをぎょうよんだん活用かつようし、その未然みぜんがた継続けいぞくあらわす「フ」の語尾ごびけると、物品ぶっぴん献上けんじょうつづ服従ふくじゅうするという意味いみの「マツラフ(ふくう)」となることから、かみたいして服従ふくじゅうすることを語源ごげんとするせつもある[2]

マツリは動詞どうしの「つ」を語根ごこんとした言葉ことばであり、かみ饗応きょうおうしその招来しょうらいつという意味いみせつもある[4]民俗みんぞくがくじょう検証けんしょうおこなわれているが、国語こくごがくではマツ・ルのルは文法ぶんぽうてき説明せつめいできず、イントネーションもことなるとされている[2]大本おおもときょうなど近代きんだい教派きょうは神道しんとうでは、マツリとはかみ自然しぜん人間にんげん調和ちょうわれたしんい「り」であるというきょうせつとなえている[4]

日本にっぽん神道しんとう祭祀さいしとは、伊勢神宮いせじんぐうぞくする諸々もろもろ神社じんじゃ[ちゅう 1]おこなわれており、なかでも皇室こうしつ宮中きゅうちゅう)の祭祀さいし日本にっぽん祭祀さいし源流げんりゅうであり本筋ほんすじであり、最高さいこうかつ最大さいだいであり、祭祀さいし形態けいたい機能きのう完全かんぜん具備ぐびされており、中心ちゅうしんをここにいて説明せつめいすることは妥当だとうである[1]地鎮祭じちんさいしょしゃおこなわれる独自どくじ祭祀さいし家庭かていおこなわれる神道しんとう祭祀さいしも、基本きほんてき皇祖こうそしんたてまつ天皇てんのう祭祀さいしならったものとなっている[2]

まつ対象たいしょううまでもなく一般いっぱんにはかみであり、目的もくてきはよりきたいというにおよばないじつ祈願きがんから、かみれいとくけるということである[1]。そうしてひと充実じゅうじつねがったときひと超越ちょうえつした何者なにものか「カミ」(うえ)にたい交渉こうしょうこころみるということであり、畏敬いけい親愛しんあいをもって祭祀さいししょうじる[1]。そしてその形式けいしきは、貴人きじんたいする作法さほうがあるように、ひとている部分ぶぶんもあるがそれを超越ちょうえつした存在そんざいたいしてしょうじている[1]鎮座ちんざ建物たてものである社殿しゃでん神饌しんせん(おそなえ)も人間にんげんのものにちかいものもあれば、人間にんげんにはみにくい、べにくいといったものまである[1]人間味にんげんみのあるものと、人間にんげんばなれしたものがあるのである[1]。その姿すがたえざるれいたいであり、心眼しんがんをもってあおたてまつれば感得かんとくすることもある[1]かみとくあおぐには、商業しょうぎょうかみ病気びょうき療養りょうよういのるということもあり、そのかみ特有とくゆうかみ以外いがいまんかみ共通きょうつうした神徳しんとくあお場合ばあいもある[1]

神人しんじん共食ともぐい。その直会なおらい(なおらい)とは、『日本書紀にほんしょき』にて嘗(な)めらいのことであり、頂戴ちょうだいする意味いみであり、そなえられた食事しょくじ霊気れいきくわわったものとほぐされ、これをはらおさしんれいとくとくする[1]。またこれはみな分配ぶんぱいするということでもあり宴会えんかいである[1]伊勢神宮いせじんぐうではふるくは、頂戴ちょうだいしたのちかずまい(やまとまい)といい、しんれいとくちたので歓喜かんきにたえられずった[1]

儒教じゅきょうでは祭禮さいれいんだりする。

様々さまざま祭祀さいし[編集へんしゅう]

宮中きゅうちゅう祭祀さいし[編集へんしゅう]

宮中きゅうちゅう祭祀さいしは、天皇てんのうおこな宮中きゅうちゅう祭祀さいしである。新嘗祭にいなめさい(にいなめさい)は毎年まいとしおこなわれる。大嘗祭だいじょうさい(だいじょうさい)は天皇てんのう生涯しょうがいいち即位そくいさいしておこなわれる。

神社じんじゃ祭祀さいし[編集へんしゅう]

神社じんじゃおこなわれる祭祀さいしは「神祇じんぎをひたすらたてまつときし、かみみことのりあきらかなむくいほんはんはじめまことささげて、神威しんい発揚はつよう神徳しんとくをすべきこと」を本義ほんぎとして、皇室こうしつ日本にっぽん隆昌りゅうしょう世界せかい平和へいわ氏子うじこ崇敬すうけいしゃ繁栄はんえい道義どうぎ昂揚こうよう特性とくせい涵養かんよう目指めざす「公共こうきょうてきいのり」とされる[5]

神社じんじゃおこなわれている祭祀さいし大綱たいこう明治めいじ8ねん式部しきぶりょういたる神社じんじゃ祭式さいしき」で制定せいていされ、明治めいじ27ねん内務省ないむしょう訓令くんれい昭和しょうわ14ねんに「かんこく弊社へいしゃ以下いか神社じんじゃ祭祀さいしれいみことのりれいだい58ごう)」として公布こうふされた。

神道しんとう指令しれいによってこれらの法令ほうれい廃止はいしされたのち神社じんじゃ本庁ほんちょう昭和しょうわ27ねんに「神社じんじゃ祭祀さいし規程きてい」をさだめた。現在げんざいおこなわれる神社じんじゃ祭祀さいしはこの規程きていもとづき祭祀さいしいとなまれている。

おおきくけて大祭たいさいちゅうさいしょうさいけられており、式次第しきしだいなどの細目さいもくさだめたものを神社じんじゃ祭式さいしき[5][6]

大祭たいさい[編集へんしゅう]

ながらくおこなわれてきた国家こっか公共こうきょう祭祀さいし御霊代みたましろ還御かんぎょともな祭祀さいし祭神さいじん関係かんけいふか祭祀さいし神社じんじゃ特別とくべつ由緒ゆいしょがある祭祀さいしさだめられる[7]例祭れいさい鎮座ちんざさい本殿ほんでん遷座せんざさい式年しきねんさいでは神社じんじゃ本庁ほんちょうから「本庁ほんちょうぬさ」がきょうしんされる。

例祭れいさい[編集へんしゅう]

神社じんじゃ鎮座ちんざ祭神さいじんとくえんふかおこなわれるまつりで、神社じんじゃにとってもっと重要じゅうよう祭祀さいし例祭れいさいのうち天皇てんのう勅使ちょくしむかえておこなわれるまつりみことのりさいしょうされ、とくさんみことのりさいばれる春日大社かすがたいしゃ春日しゅんじつさい賀茂かも神社じんじゃ葵祭あおいまつり石清水八幡宮いわしみずはちまんぐういし清水しみずさいは、古来こらい格式かくしきつたえている。

祈年祭としごいのまつり[編集へんしゅう]

2がつ17にちときぎょう皇室こうしつ弥栄やさか国家こっか国民こくみんいちねん安泰あんたい祈念きねんする祭祀さいしで、としこく豊穣ほうじょうをはじめあらゆる産業さんぎょう発展はってん国力こくりょく充実じゅうじついのられる。

新嘗祭にいなめさい[編集へんしゅう]

11月23にち勤労感謝きんろうかんしゃ)にときぎょう宮中きゅうちゅういとなまれる新嘗祭にいなめさいわせ新穀しんこく収穫しゅうかく感謝かんしゃする祭祀さいし

式年しきねんさい[編集へんしゅう]

一定いっていときして定例ていれい様式ようしきいとなまれる祭祀さいし鎭座ちんざ祭神さいじんとしさいなど神社じんじゃにとってとく由緒ゆいしょふかもとづくものがおおい。

鎭座ちんざさい[編集へんしゅう]

あらたに社殿しゃでん神霊しんれいしずめる祭祀さいし

遷座せんざさい[編集へんしゅう]

神霊しんれい本殿ほんでんからかり殿しんがりもしくはけん殿どのへ、またかり殿しんがりしくはけん殿どのから本殿ほんでんうつたてまつ祭祀さいし前者ぜんしゃかり殿しんがり遷座せんざさい後者こうしゃ本殿ほんでん遷座せんざさいという。

社殿しゃでん修繕しゅうぜん改造かいぞうにあたって臨時りんじおこなわれてる場合ばあい一定いってい周期しゅうきおこなわれる場合ばあいがあり、定期ていきてきなものは式年しきねん遷座せんざさいしょうする。

合祀ごうしさい[編集へんしゅう]

神霊しんれいあわたてまつ祭祀さいし神社じんじゃ合併がっぺいする場合ばあい祭神さいじん増加ぞうかさせる場合ばあいしゅ大分おおいたされる。

ぶんまつさい[編集へんしゅう]

祭神さいじんける祭祀さいしあらたに創立そうりつされた分社ぶんしゃたいもと神社じんじゃからその分霊ぶんれい奉遷ほうせんする場合ばあい特殊とくしゅ信仰しんこうによって祭神さいじん増加ぞうかしようとするほか神社じんじゃたい奉遷ほうせんする場合ばあい遠隔えんかく新開地しんかいちなどの移住いじゅうみん神社じんじゃ造営ぞうえい郷土きょうど産土神うぶすながみ本社ほんしゃから分霊ぶんれい奉遷ほうせんする場合ばあい大分おおいたされる。

ちゅうさい[編集へんしゅう]

大祭たいさい公共こうきょうせいたか祭祀さいし神社じんじゃ由緒ゆいしょのある祭祀さいしさだめられる[7]

歳旦さいたんさい[編集へんしゅう]

1がつ1にちときぎょう新年しんねんいわい、寿ことぶきそうし、皇室こうしつ弥栄やさか国運こくうん隆昌りゅうしょう氏子うじこ崇敬すうけいしゃならびに社会しゃかい繁栄はんえい平和へいわ祈念きねんする。

元始げんしさい[編集へんしゅう]

1がつ3にちときぎょう年頭ねんとうにあたり天皇てんのう弥栄やさかくに益々ますます発展はってん祈念きねんする。

昭和しょうわさい[編集へんしゅう]

4がつ29にち昭和しょうわ)にときぎょう昭和しょうわ天皇てんのう遺徳いとく景仰けいこうし、皇室こうしつ弥栄やさかくに益々ますます発展はってん文化ぶんか振興しんこう産業さんぎょう増進ぞうしん永遠えいえん平和へいわ祈念きねんする。

平成へいせい17ねん祝日しゅくじつほう改正かいせいによりみどりの昭和しょうわ変更へんこうされたことにともな明治めいじさい制定せいてい前例ぜんれいならってさだめられた。

かみ嘗奉祝祭しゅくさい[編集へんしゅう]

10月17にちときぎょう伊勢いせ神宮じんぐうときぎょうされる神嘗祭かんなめさい当日とうじつ全国ぜんこく神社じんじゃ奉祝ほうしゅくまことささげる。

昭和しょうわ22ねんに「神宮じんぐうさい」としてさだめられ、昭和しょうわ46ねんに「神嘗祭かんなめさい当日とうじつさい」、平成へいせい18ねんに「かみ嘗奉祝祭しゅくさい」へと改称かいしょうされた。

明治めいじさい[編集へんしゅう]

11月3にち文化ぶんか)にときぎょう明治天皇めいじてんのう大業おおわざとなえ、皇室こうしつ弥栄やさかくに発展はってん文化ぶんか振興しんこう産業さんぎょう増進ぞうしん永遠えいえん平和へいわ祈念きねんする。

てんちょうさい[編集へんしゅう]

天皇誕生日てんのうたんじょうび2がつ23にち)にときぎょう天皇てんのう誕生たんじょうあたって奉祝ほうしゅくあらわし、天皇てんのう長寿ちょうじゅ健康けんこう祈念きねんする。

しょうさい[編集へんしゅう]

大祭たいさいちゅうさい以外いがい祭祀さいし

恒例こうれいしき[編集へんしゅう]

上記じょうきのほかに神社じんじゃおこなわれる恒例こうれいしきとして下記かきのものがさだめられている。[8]

  • 昭和しょうわ天皇てんのうさい遥拝ようはい(1がつ7にち,武蔵野むさしのりょう
  • 春季しゅんき皇霊こうれいさい遥拝ようはい春分しゅんぶん,皇霊こうれい殿どの
  • 神武じんむ天皇てんのうさい遥拝ようはい(4がつ3にち,畝傍山うねびやま東北とうほくりょう
  • 秋季しゅうき皇霊こうれいさい遥拝ようはい秋分しゅうぶん,皇霊こうれい殿どの
  • 神宮じんぐう遥拝ようはい(10がつ17にち,神宮じんぐう
  • 大祓おおはらい(6がつ30にち,12月31にちなど)

大嘗祭だいじょうさい[編集へんしゅう]

1990ねん平成へいせい2ねんだい125だい天皇てんのう明仁あきひと大嘗祭だいじょうさい

大嘗祭だいじょうさい(だいじょうさい)とは天皇てんのう即位そくいさいしておこなわれるだい新嘗祭にいなめさい(おおにいなめさい)のことであり、皇祖こうそしんとされる天照大御神あまてらすおおみかみ(あまてらすおおみかみ)の「御霊みたま(みたま)のふゆ[9]」を天皇てんのう体現たいげんすることで、現人神あらひとがみ(あらびとかみ)としてよみがえるという思想しそうから、即位そくいとし新嘗祭にいなめさいだい嘗とぶようになったのである[10]。なお、昭和しょうわ天皇てんのう終戦しゅうせん現人神あらひとがみでなく人間にんげん天皇てんのうであることを宣言せんげんした[10]

以下いかは、祭祀さいし部分ぶぶんであり全容ぜんようではない。

祭祀さいし中心ちゅうしんていくと、天皇てんのう天羽あもうころも(あまのはごろも)をたまましょう御湯おゆはい湯槽ゆぶね(ゆぶね)にそのまますてて、からがり着衣ちゃくいする[10]。そのあいだ米搗こめつきでは、稲刈いねかりでんだこくれいよみがえらせるよう、八乙女やおとめいねうすうたいながらこめ[10]祭儀さいぎちゅうさい重要じゅうようでは[11]天照大御神あまてらすおおみかみ神座かんざむかえ、天皇てんのう神饌しんせん(みけ)をきょうしょくする[10]神座かんざかたわらには、かみ御衣おんぞ(ぎょい)であるかずたえ(にぎたえ、きぬ)とあらたえ(あらたえ、あさ)がかれている[11]古来こらいのようにかしわでできたばんさいひめ天皇てんのうわたし、御飯ごはんさいひめかえし、さいひめ神前しんぜんならべていく[10]さかな(さかな)、菓子かし果物くだもの)と同様どうようにし、白酒しろざけ黒酒くろき天皇てんのうそそ[10]天皇てんのうあたまげ、かしわち、「おお」といって、さんはしべる[10]。そのあいだとびらひらく、神饌しんせんそなえるといったさいに、神楽かぐらそうされる[11]

祭祀さいし事前じぜんには、土地とちさだめておもとなるいねだけでなくあわ(アワ)もつくられる[11]。抜稲しきでは、造酒ぞうしゅ(さかっこ)が中央ちゅうおういねあつめ、いで稲実いなみこう(いなのみのきみ)があつめ、御飯ごはんかゆ白酒しろざけ黒酒くろきにされる[10]大嘗祭だいじょうさい奉仕ほうしするものけがれをはら荒見あらみがわはらい(あらみがわのはらえ)がおこなわれるが、大麻たいま(おおぬさ)にをかけひょうけがれをうつし、いききつけうちけがれをうつしといったようにいちなでいち吻(いちぶいっぷん)をおこな[10]人形にんぎょう(ひとがた)でからだで、散米さんまいおこな[10]

春日大社かすがたいしゃ中心ちゅうしんにして[編集へんしゅう]

春日大社かすがたいしゃ例祭れいさいである春日しゅんじつさいは、はじまりが849ねんよしみさち2ねん)とされ、かみひととのなかりもったちゅうしん氏神うじがみまつる、古代こだい祭祀さいし方法ほうほうつたえているといわれる[12]事前じぜんやまさかきり、神職しんしょくしゃはらいしきおこない、御酒みきしきおこなわれる[12]

春日しゅんじつさい当日とうじつには、おおくの神社じんじゃられなくなったひらく(みとびらきのぎ)からはじまり、くろ米飯べいはん玄米げんまい)やさかな精進しょうじん野菜やさい)、菓子かしから菓子かし)など、調理ちょうりされたことを意味いみするじゅく饌(じゅくせん)をそなえ、祝詞のりと奏上そうじょうし、神宝しんぽうかざ[12]春日しゅんじつさいではこのひらきについて克明こくめい記録きろくされており、とく神饌しんせんについて「かなりやかましい」ということである[13]従来じゅうらい調理ちょうりした神饌しんせん本来ほんらいであったが明治維新めいじいしんさいだい部分ぶぶん神社じんじゃにおいてすたれたものである[13]ひらきは、伊勢神宮いせじんぐうでは神嘗祭かんなめさい(かんなめさい)にしかおこなわず、口伝くでんのあった神社じんじゃもありふるくは殿内とのうちはいるということから重要じゅうようされており、いし清水しみずさいでも祝詞のりと奏上そうじょう拍手はくしゅおこな[13]

つぎはらいしゃまえちゅうしんはらい(なかとみのはらえ)をけるが[12]、ここでも調理ちょうりした神饌しんせんをおそなえし、諸々もろもろおこなったのち散米さんまいをするが、これも現今げんこんではられない祭式さいしき左右さゆうちゅうおこな[13]伊勢神宮いせじんぐうでははらい戸神とかみへのおともとしては千切ちきり散米さんまいおこなわれる[13]大麻たいま(おおぬさ、はらいくし)の使つかかたことなり、現今げんこんではおとててるが、春日大社かすがたいしゃではでるようにおこなわれる[13]

春日しゅんじつさい祭祀さいし中心ちゅうしんでは、『延喜えんぎしき』の儀式ぎしき作法さほうしょどおりであり、宮司ぐうじがおそなえされた御棚おたな饌(みたなしんせん)のうえかしわぶたけ、神酒みきしゃくぎ、共進きょうしんする[12]天皇てんのうからの幣物へいもつ(ごへいもつ)が奉納ほうのうされ、勅使ちょくし天皇てんのうからの言葉ことばである祭文さいぶん奏上そうじょうするが、このかみ春日大社かすがたいしゃでは黄色おうしょく伊勢神宮いせじんぐうでは縹色はなだいろ(はなだいろ)、加茂かも神社じんじゃ紅梅こうばいしょくなどのさだめがある[12]。(麻紙まし参照さんしょう

賀茂かも神社じんじゃでも、はらいをおこない、神饌しんせんそなえ、祝詞のりと奏上そうじょうしと大枠おおわくおなじである[14]かみにおそなえするために奉納ほうのうされる品々しなじなは、加茂かも神社じんじゃ次第しだいしょではあおかずぬさ(あおにぎて)白和しらわぬさ(しろにぎて)とかれており、『日本書紀にほんしょき』では「ぬさ」、「みてぐら」、ふるくは「にぎたえ」ともばれ、きぬあさ木綿もめんなどである[15]

家庭かてい祭祀さいし[編集へんしゅう]

家庭かてい神棚かみだなでは一般いっぱんに、中心ちゅうしん伊勢神宮いせじんぐう神宮じんぐう大麻たいまを、みぎ氏神うじがみかみさつひだり自分じぶん崇敬すうけいする神社じんじゃかみさつまつる、あるいは場所ばしょがなければまえからそのじゅんかさねる、あるいはそれもできなければしかる位置いちたか場所ばしょかみさつ[16]

かく家庭かてい毎朝まいあさおこなわれるのが家庭かてい祭祀さいしであり、国学こくがくしゃ平田ひらた篤胤あつたね文政ぶんせい年間ねんかん(19世紀せいき初頭しょとう)には、『毎朝まいあさかみはい』をしるしており、天日てんじつ日本にっぽん国土こくどにはじまり、代々だいだい祖先そせん氏神うじがみ)までをこのかみはい対象たいしょうとしている[3]

一般いっぱんには、神棚かみだなべいしおみずなどの神饌しんせんそなえ、神社じんじゃ参拝さんぱいおなじようにはい拍手はくしゅいちはいし、はい奏上そうじょうするとなおよい[16]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 伊勢神宮いせじんぐう中心ちゅうしんとする別表べっぴょう神社じんじゃきゅう近代きんだい社格しゃかく制度せいど参照さんしょう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 星野ほしのあきらきょう祭祀さいし展開てんかい日本にっぽん文化ぶんか協会きょうかい、1937ねん 
  2. ^ a b c d e 真弓まゆみ常忠じょうちゅう神道しんとう祭祀さいしかみをまつることの意味いみ朱鷺とき書房しょぼう 1992ねんISBN 4886021468 pp.23-32.
  3. ^ a b 中川なかがわ和明かずあき平田ひらた国学こくがくによる祭祀さいし創意そういとその波紋はもん : 『毎朝まいあさかみはい』・『たまたすき』をれいに」『書物しょもつ出版しゅっぱん社会しゃかい変容へんようだい19ごう、2015ねん、73-113ぺーじNAID 120005666333 
  4. ^ a b 鎌田かまた東二ひがしに神道しんとう用語ようご基礎きそ知識ちしき角川書店かどかわしょてん角川かどかわ選書せんしょ〉1999ねんISBN 4047033014 pp.196-199.
  5. ^ a b 神社じんじゃ本庁ほんちょう神社じんじゃ祭祀さいし規程きてい」(昭和しょうわ27ねん2がつ2にち制定せいてい 規程きていだい11ごう平成へいせい18ねん10がつ13にち全部ぜんぶ改正かいせい 規程きていだい3ごう
  6. ^ 神社じんじゃ祭祀さいし関係かんけい規程きてい 解説かいせつ. 神社じんじゃ新報しんぽうしゃ. (平成へいせい22ねん4がつ1にち) 
  7. ^ a b 長谷ながたに 晴男はるお (平成へいせい24ねん2がつ15にち). しんてい増補ぞうほ 神社じんじゃ祭式さいしきどう行事ぎょうじ作法さほう教本きょうほん. 神社じんじゃ新報しんぽうしゃ 
  8. ^ 神社じんじゃ本庁ほんちょう神社じんじゃおいぎょう恒例こうれいしき」(昭和しょうわ46ねん6がつ15にち制定せいてい 規程きていだい8ごう平成へいせい18ねん10がつ13にち全部ぜんぶ改正かいせい 規程きていだい4ごう
  9. ^ 参考さんこうみたま‐の‐ふゆ【おんよりゆきおん=賚】 goo辞書じしょ
  10. ^ a b c d e f g h i j k 鳥越とりこしけん三郎さぶろう大嘗祭だいじょうさい全容ぜんよう」『歴史れきしたびだい17かんだい18ごう、1990ねん-12、36-45ぺーじ 
  11. ^ a b c d 赤堀あかほり又次郎またじろう即位そくい大嘗祭だいじょうさいだいはちしゅう学会がっかい、1914ねん、118-149ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951347/95 
  12. ^ a b c d e f 三好みよし和義かずよし岡野おかの弘彦ひろひこ春日大社かすがたいしゃあわ交社〈日本にっぽん古社ふるやしろ〉、2003ねん、91-94ぺーじISBN 4473031098 
  13. ^ a b c d e f 星野ほしのあきらきょう現代げんだいける祭祀さいし缺陥けっかん」『神社じんじゃ協会きょうかい雑誌ざっし』25ねんだい11ごう、1926ねん、2-14ぺーじ 
  14. ^ 新木あらき 直人なおとかみゆうにわ(かんあそひのゆにわ)―世界せかい文化ぶんか遺産いさん京都きょうと賀茂かも祖神そしんしゃ下鴨神社しもがもじんじゃ」』経済けいざいかい、2007ねんISBN 978-4766783964 
  15. ^ 新木あらき 直人なおとかみゆうにわ(かんあそひのゆにわ)―世界せかい文化ぶんか遺産いさん京都きょうと賀茂かも祖神そしんしゃ下鴨神社しもがもじんじゃ」』経済けいざいかい、2007ねん、194ぺーじISBN 978-4766783964 
  16. ^ a b 神社じんじゃQ&A 家庭かてい祭祀さいし”. 東京とうきょう神社じんじゃちょう. 2018ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん