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大祓おおはらい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
大祓おおはらい
大祓
参道さんどうもうけられた香取かとり神宮じんぐう
正式せいしき名称めいしょう 大祓おおはらい
別名べつめい 夏越なごしはらいなつはらい名越なごやろくがつはらい
種類しゅるい 神道しんとう祝日しゅくじつ
日付ひづけ 6月30にち新暦しんれき
6月30にち旧暦きゅうれき
行事ぎょうじ くぐり、人形にんぎょうだい
関連かんれん祝日しゅくじつ としえつはらい
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宮中きゅうちゅう祭祀さいし主要しゅよう祭儀さいぎ一覧いちらん
四方拝しほうはい歳旦さいたんさい
元始げんしさい
そう事始ことはじめ
昭和しょうわ天皇てんのうまつり先帝せんていさい
孝明天皇こうめいてんのう例祭れいさい先帝せんてい以前いぜんさんだい例祭れいさい
祈年祭としごいのまつり
てんちょうさい天長節てんちょうせつさい
春季しゅんき皇霊こうれいさい春季しゅんき神殿しんでんさい
神武じんむ天皇てんのうさい皇霊こうれい殿どの御神楽みかぐら
こうじゅん皇后こうごう例祭れいさいさききさき例祭れいさい
ふしおり大祓おおはらい
明治天皇めいじてんのう例祭れいさい先帝せんてい以前いぜんさんだい例祭れいさい
秋季しゅうき皇霊こうれいさい秋季しゅうき神殿しんでんさい
神嘗祭かんなめさい
新嘗祭にいなめさい
賢所かしこどころ御神楽みかぐら
大正天皇たいしょうてんのう例祭れいさい先帝せんてい以前いぜんさんだい例祭れいさい
ふしおり大祓おおはらい

大祓おおはらい(おおはらえ、おおはらい)は、日本にっぽん神道しんとう儀式ぎしきはらいの1つ。はらい浄化じょうか[注釈ちゅうしゃく 1]儀式ぎしきとして宮中きゅうちゅう神社じんじゃ日常にちじょうてきおこなわれるが、とく天下てんか万民ばんみんつみけがれはらうという意味いみ大祓おおはらいという[1]毎年まいとし6がつ12月晦日みそか、すなわち、新暦しんれき6月30にち12月31にちおこなわれるものを恒例こうれいとするが、天皇てんのう即位そくい最初さいしょ新嘗祭にいなめさいである大嘗祭だいじょうさい前後ぜんごや、ゆう疫病えきびょう流行りゅうこう斎宮いつき斎院さいいんぼくじょう災害さいがい襲来しゅうらいなどでも臨時りんじおこなうことがあった。ちゅうしん(なかとみ)のはらいともわれる。

解説かいせつ[編集へんしゅう]

大祓おおはらいはつは、『古事記こじき仲哀ちゅうせつ天皇てんのうだんえる[1]

さらくにだいやつおほぬさりて、なまいきはぎぎゃくさかはぎおもねはなれあはなちみぞうめみぞうめ屎戸くそへ上通かみとおり下通しもとおりこんおやこたはけうまこんうまたはけうしこんうしたはけにわとりこんとりたはけいぬこんいぬたはけつみるい種種しゅじゅもとむぎて、くに大祓おおはらいして

これらはらうべきものたちをてんつみ」「くにざいといい、世俗せぞくてきつみとはことなり、はらきよめるには普通ふつうはらいしきもちいる短文たんぶんはらい(はらえことば、のりと)ではなく、長文ちょうぶん大祓おおはらい奏上そうじょう、あるいはせん(の)りして浄化じょうかする。大祓おおはらいには地上ちじょうくに人間にんげんおかつみ主体しゅたいの「くにざい」よりも農耕のうこうかんする慣行かんこうやぶることが主体しゅたいの「てんつみ」のほうをさき列挙れっきょしており、古代こだいではこちらのほうが共同きょうどうたい秩序ちつじょみだ大罪だいざいかんがえていたことがうかがえる。

大祓おおはらい内容ないようは、元々もともとは6がつと12月で内容ないようことなっていたが、『延喜えんぎしき』に「ろくがつみそ大祓おおはらい十二月じゅうにがつ此准」とあり、6月のものがのこったとされる。現在げんざい神職しんしょくかみ奏上そうじょうするかたちをとっているが、『延喜えんぎしき』にのこされた内容ないようからは、本来ほんらい参集さんしゅうしゃかって「祝詞のりとをよくけ」とびかけこれに「おう」としょうただ(いしょう)[注釈ちゅうしゃく 2]してこたえるのにはじまり、天孫てんそん降臨こうりんからの日本にっぽん神話しんわつみけがれ種類しゅるい列挙れっきょ、そしてそのはらかたと、そのはらい大神だいじんにより、どのようにつみけがれえていくかをいいきかせる内容ないようとなっていた。

このように、大祓おおはらいは、これらすできてしまった災厄さいやくをリセットして今後こんご国体こくたい鎮守ちんじゅはか意味いみほか共同きょうどうたい構成こうせいいん全員ぜんいん参加さんか義務付ぎむづけて宣下せんげする本来ほんらい形式けいしき推定すいていされることから、上位じょうい政権せいけんによる“禁忌きんきおかしてはならない”というほうひろらしめて遵守じゅんしゅさせる側面そくめんがあったとかんがえられる[2]

現在げんざい大正たいしょう3ねん1914ねん)に当時とうじ内務省ないむしょう選定せんていによる神話しんわ障害しょうがいしゃたいする差別さべつてき表現ひょうげん内容ないようふくてんつみくにざい列挙れっきょ部分ぶぶん大幅おおはば省略しょうりゃくされただい祝詞のりと奏上そうじょうされる。これはちゅうしん祭文さいぶん[3](さいもん)ともわれ、現在げんざい大祓おおはらいはこれを一部いちぶ改訂かいていしたものになっている。

宮中きゅうちゅう祭祀さいし[編集へんしゅう]

昭和しょうわ天皇てんのう即位そくいれい即位そくいれいとしおこなわれる大嘗祭だいじょうさいでは、天皇てんのうかみ一緒いっしょ食事しょくじをする「だい饌供しん」のまえみそぎ大祓おおはらいおこなわれる。

大宝たいほう元年がんねん701ねん)の『大宝たいほう律令りつりょう』によって正式せいしき宮中きゅうちゅう年中ねんじゅう行事ぎょうじに、その施行しこう細則さいそくは『延喜えんぎしき』にさだめられた。この上代じょうだいころ儀式ぎしき様子ようすは『儀式ぎしき』『北山きたやましょう』『こう次第しだい』などの文書ぶんしょることができる。また『日本書紀にほんしょき』に天武天皇てんむてんのう5ねん676ねん)8がつ全国ぜんこく国造くにのみやつこ郡司ぐんじからうまぬのあさなどのはらいぶつさせてだい解除かいじょおこなったとする記事きじえる[4]

現在げんざい大祓おおはらいは『養老ようろう律令りつりょう』によるものだが、神祇じんぎれいによれば、毎年まいとしの 6がつと12月の晦日みそかちゅうしん(なかとみ)がはらいあさ(ぬさ)を東西とうざい(やまとかわち)の文部もんぶ(ふびとべ)がはらいかたな(たち)(つみけがれよし)をまつり、はらいしょにて、ちゅうしん百官ひゃっかん男女だんじょ大祓おおはらいくだし、卜部うらべ(うらべ)が解除かいじょ(はらえ)をしていた。この「はらいしょ」とはおおくは朱雀すざくもん[5]であり、朱雀すざくもんまえ広場ひろば親王しんのう大臣だいじん(おおおみ)ほかきょう(みやこ)にいる官僚かんりょうたかって大祓おおはらいげ、国民こくみんつみけがれをはらった。しかし室町むろまち時代ときよきた応仁おうにんらん京都きょうと市街しがい荒廃こうはいすると、門前もんぜんでのこのような儀式ぎしき廃絶はいぜつしてしまった。

明治めいじ4ねん1871ねん)、明治天皇めいじてんのう宮中きゅうちゅうさん殿どの賢所かしこどころ前庭ぜんていにて大祓おおはらいを400ねんぶりに復活ふっかつさせ、よく明治めいじ5ねん太政官だじょうかん布告ふこくして『大宝たいほう律令りつりょう以来いらいきゅう再興さいこうめいじた[6]。なお、6月のものも12月のものも名称めいしょうはどちらもおなじく「大祓おおはらい」である。

改暦かいれきとしである明治めいじ6ねん1873ねん)より宮中きゅうちゅう祭祀さいしでは新暦しんれき6月30にち12月31にち採用さいようしている。また、同年どうねん1がつ7にち太政官だじょうかんだい2ごう布告ふこくによって6月28にちから30にちまでの3日間にちかん12月29にちから31にちまでの3日間にちかんがそれぞれ休暇きゅうか休日きゅうじつ)とされた。ただし、6月28にちから30にちまでの3日間にちかん休暇きゅうかは、直前ちょくぜん同年どうねん6がつ23にち太政官だじょうかんだい221ごう布告ふこくによってされている。

大祓おおはらいは、大正たいしょう昭和しょうわ平成へいせい大嘗祭だいじょうさいさいしてもおこなわれた。

それまで慣例かんれいとして、皇室こうしつでの大祓おおはらいでは参列さんれつする皇室こうしつ範囲はんい成年せいねん男子だんし親王しんのうかぎっていた。平成へいせい26ねん2014ねん6がつ10日とおか宮内庁くないちょうより、男性だんせい皇族こうぞく実質じっしつすくなくなったことを理由りゆうに、以降いこう大祓おおはらいへの参加さんか成年せいねん女性じょせい皇族こうぞくにまで範囲はんいひろげると発表はっぴょうされた[7]

民間みんかん行事ぎょうじとしての大祓おおはらい[編集へんしゅう]

大和やまと神社じんじゃ

民間みんかんでは、毎年まいとしおかしたつみけがのぞるためのじょわざわい行事ぎょうじとして定着ていちゃくした。民間みんかん場合ばあい、6月のものは「夏越なごしはらい」(なごしのはらえ)、12月のものは「としえつはらい」(としこしのはらえ)とけられる。前者ぜんしゃは「名越なごし」と表記ひょうきされたり、「夏越なごし神事しんじ」「なつはらい」「ろくがつはらい」などとばれることもあり[8]、また、月遅つきおく採用さいようする事例じれいられる。その場合ばあいつき大小だいしょういがしょうじるが、晦日みそか意義いぎがあるため、旧暦きゅうれきの6がつ30にち新暦しんれき7がつ31にちおこなわれる。

夏越なごしはらい[編集へんしゅう]

先述せんじゅつ明治めいじ6ねん太政官だじょうかん布告ふこくによって休暇きゅうか期間きかんとしては定着ていちゃくしなかった夏越なごしはらいであるが、『拾遺しゅうい和歌集わかしゅう』に「だいしらず」「よみじんらず」として、「水無月みなづきのなごしのはらいするひとはちとせのいのちのぶというふなり」といううたにもえる夏越なごしはらいは、ふるくから民間みんかんでもられた年中ねんじゅう行事ぎょうじのひとつであり、さまざまな風習ふうしゅうのこっている。

なつ挙行きょこうされる意味いみとして、衣服いふく毎日まいにち洗濯せんたくする習慣しゅうかん自由じゆう使つかえるみずすくなかった時代じだい半年はんとしいち雑菌ざっきん繁殖はんしょくやすなつまえあたらしいものえることで、のこりの半年はんとし疫病えきびょう予防よぼうして健康けんこうごすようにする意味いみがあったのではとかんがえられている。また、旧暦きゅうれき6がつ晦日みそかにはほとんどの地域ちいき梅雨つゆけ、猛暑もうしょひでり(ひでり)がつづなつ本番ほんばんむかえることになるが、この過酷かこく時期じきえるためのいましめでもあった。

応仁おうにんらん宮中きゅうちゅう行事ぎょうじとして廃絶はいぜつした以降いこうは、神仏しんぶつ習合しゅうごう影響えいきょう民間みんかんでもおこなわれることはほとんどなくなった。元禄げんろく4ねん1691ねん)に再興さいこうされたものの内侍所ないしどころ一部いちぶ神社じんじゃかぎり、「夏越なごし神事しんじ」「ろくがつはらい」とばれて形式けいしきてき神事しんじのみがつたわるだけだった[4]など、わずかしかおこなわれていなかった。

明治めいじ4ねん1871ねん)の太政官だじょうかん布告ふこくでは、「夏越なごし神事しんじ」「ろくがつはらい」の呼称こしょう禁止きんしをして大祓おおはらい復活ふっかつせんぜられた[6]。これにより神仏しんぶつ分離ぶんりおこなわれた全国ぜんこく神社じんじゃでも毎年まいとし大祓おおはらいおこなわれるようになった。太平洋戦争たいへいようせんそうのちになると「夏越なごし神事しんじ」「ろくがつはらい」の呼称こしょう一部いちぶでは復活ふっかつ現在げんざいいたっている。

くぐり[編集へんしゅう]

夏越なごしはらいではおおくの神社じんじゃで「もぐり(ちのわくぐり)」がおこなわれる。参道さんどう鳥居とりいささてて注連縄しめなわった結界けっかいうちちがやんだ直径ちょっけいすう m ほどのて、ここを氏子うじこ正面しょうめんから最初さいしょひだりまわり、つぎみぎまわりと 8 えがいてけい3かいくぐることで、半年はんとしあいだまったやまいけがれをとしのこりの半年はんとし無事ぶじごせることをねがうという儀式ぎしきである。かつてはちいさいものをこしにつけたりくびにかけたりしたとされる。

これは、『しゃく日本にっぽん逸文いつぶんの『備後びんごこく風土記ふどき』にしるされている疫隈こく盞嗚神社じんじゃ蘇民将来そみんしょうらい伝説でんせつ由来ゆらいするもので、たけとうしん指示しじによりこしにつけたところ災厄さいやくからまぬかれ、たけとうしんみずからをはや須佐すさつよし名乗なのっていったとかれている。おおくの神社じんじゃ祭神さいじんとしているスサノオ習合しゅうごうしているれい多数たすうられる[9]

疫隈こくしゃ もと盞嗚神社じんじゃでは蘇民将来そみんしょうらい説話せつわもとづいて、くぐりをおこなったのち解体かいたいし、かえって個々ここにする風習ふうしゅうのこっている。

しかし、京都きょうと新聞しんぶんでは、つぎのような記事きじれい元年がんねん2019ねん)にいている。

の"ちがや"をかえっておまもりとする俗信ぞくしんがある。しかし、本来ほんらいをくぐったひとたちのつみけがれ・災厄さいやくちがやうつされており、ちがやかえることは他人たにん災厄さいやく自宅じたくかえることになるので(のカヤをいてかえるのは)けるべきである — 『京都きょうと新聞しんぶん2011ねん平成へいせい23ねん6月24にち24めん

独特どくとく形式けいしきほどこしているところがある。奈良ならけん大神神社おおみわじんじゃではさかきすぎまつをかかげた3れんになっており、まわかた神社じんじゃとはことなり、すぎまつすぎさかきじゅんにくぐる。出雲いずも大社たいしゃは「○かたち」ではなく、「Uかたち」をしている。これを神職しんしょく両手りょうてち、参詣さんけいしゃは、なわとびをするようにえる。ちがやまたぐと同時どうじりょうかたにかついたちがやとす[10]

また、ペットおもいぬ)のくぐりもひろおこなわれている[11]

人形にんぎょうだい[編集へんしゅう]

もともとは祝詞のりとにあるひがしぶんすんけんじよこがたなのろい由来ゆらいする。『かみ祗令かい』によれば「凡ろくがつ十二月じゅうにがつ晦日みそか大祓おおはらいには、ちゅうしん御祓おはらいあさのぼれ、東西とうざい文部もんぶは、はらいがたなのぼり、はらいめ、訖りなば、百官ひゃっかん男女だんじょはらいしょに聚めしゅうへて、ちゅうしんはらいり、卜部うらべ解除かいじょせよ」とある。大祓おおはらいまえ大和やまと河内かわうち文部もんぶ(ふみべ)が内裏だいり参内さんだいし、天皇てんのうはらいがたな人形にんぎょうたてまつって祝詞のりと奏上そうじょうし、天皇てんのう自分じぶんいききかけて自身じしん災禍さいかうつし憑ける。のち陰陽いんようどうでも呪詛じゅそもちいた。

現在げんざいでは神社じんじゃからくばられた人形にんぎょうだい(ひとかたしろ)にいききかけ、またからだ調子ちょうしわるいところをでて(このようなものをなでぶつ(なでもの)という)けがれをうつしたのちかわうみながす、ということがおこなわれている。この「ながす」行為こういは、のちねがいかけむすびつき、どう時期じきおこなわれる七夕たなばたさいむすびついて短冊たんざくながすことがある。一部いちぶ人形にんぎょうだい短冊たんざく笹竹ささたけげるということがおこなわれるが、これはどんと密教みっきょう由来ゆらいする行事ぎょうじであり神仏しんぶつ習合しゅうごう混用こんようされたとかんがえられる。

夏越なごしはらい風習ふうしゅう[編集へんしゅう]

6月の大祓おおはらいあわせ、独自どくじ風習ふうしゅうそなわるところがある。

京都きょうとでは夏越なごしはらいに「水無月みなづき」という和菓子わがしべる習慣しゅうかんがある[12]水無月みなづきしろういろう生地きじ小豆あずきせ、三角形さんかっけい包丁ほうちょうされた菓子かしである。水無月みなづき上部じょうぶにある小豆あずき悪霊あくりょうばらい意味いみがあり、三角さんかくかたち暑気しょきはらうため、平安へいあん時代じだい貴族きぞく旧暦きゅうれき6がつ1にちこおり朔日さくじつ)、ふゆのうちに保存ほぞんしておいてべたこおりあらわしているというせつがある[13]

平成へいせい27ねん2015ねん)になってから「夏越なごしごはん」という行事ぎょうじしょくひろめるうごきがてきた。なつ野菜やさいまるかき雑穀ざっこくまいにのせたかきどんぶりである。公益社こうえきしゃだん法人ほうじん米穀べいこく安定あんてい供給きょうきゅう確保かくほ支援しえん機構きこう」が提唱ていしょうした[14][15][16]

高知こうちけんしたでは、夏越なごしはらいのことを「輪抜わぬさま」とんでいる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ カタルシス本来ほんらい意味いみよごれたものの体外たいがいへの排泄はいせつ意味いみし、宗教しゅうきょうてき意味合いみあいにてんじてたましい浄化じょうかとなった。はらいにより幸福こうふくかん満足まんぞくられることで臣民しんみんしん安定あんていさせる意図いとがあったとかんがえられる。
  2. ^ 本来ほんらい宮廷きゅうていないでの作法さほうで、天皇てんのうされたかんじんくちおおって「おう」と応答おうとうすることをした。なお、「しょうただ」のかた本来ほんらいは「しょうい」になるが、これが「譲位じょうい」とおとるために忌避きひしておと転置てんちしたともわれている。デジタル大辞泉だいじせんしょうただ」のこう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん大祓おおはらい」のこう
  2. ^ 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんだい2はん古代こだいほう」のこう
  3. ^ ちゅうしんはらい実践じっせん注釈ちゅうしゃく”. Research Center for Traditional Culture, Kokugakuin University. 2022ねん6がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ a b 松尾まつお大社たいしゃHP 大祓おおはらいしき
  5. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ』「大祓おおはらい」のこう
  6. ^ a b 年中ねんじゅう行事ぎょうじ事典じてん』p121 1958ねん昭和しょうわ33ねん5月23にち初版しょはん発行はっこう 西にし角井かくいただしけいへん 東京とうきょうどう出版しゅっぱん
  7. ^ 6がつ、12月「大祓おおはらい」ご参列さんれつ 女性じょせい皇族こうぞくにも拡大かくだい”. 産経さんけいニュース (2014ねん6がつ10日とおか). 2015ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  8. ^ 年中ねんじゅう行事ぎょうじ事典じてん』p120 1958ねん昭和しょうわ33ねん5月23にち初版しょはん発行はっこう 西にし角井かくいただしけいへん 東京とうきょうどう出版しゅっぱん
  9. ^ 盞嗚(すさのお)神社じんじゃ新市しんいち観光かんこう協会きょうかい 観光かんこう案内あんない”. 2019ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  10. ^ 出雲いずも大社たいしゃきょう布教ふきょう養成ようせい講習こうしゅうかい発行はっこう出雲いずも大社たいしゃきょう教務きょうむ本庁ほんちょう 平成へいせい元年がんねん9がつ ぜん427ぺーじちゅう331ぺーじ
  11. ^ ハワイきんがたな神社じんじゃ・ハワイ太宰府天満宮だざいふてんまんぐう・ペットきよしはらい(Aloha Street、2019ねん
  12. ^ 夏越なごしはらい”. 京都きょうと観光かんこう協会きょうかい. 2022ねん6がつ30にち閲覧えつらん
  13. ^ しょく行事ぎょうじしょく夏越なごしはら菓子かしすこやか読売新聞よみうりしんぶん朝刊ちょうかん2019ねん6がつ5にち(くらしめん)2019ねん6がつ7にち閲覧えつらん
  14. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』2015ねん6がつ26にち掲載けいさい
  15. ^ あらたな行事ぎょうじしょく夏越なごしごはん」
  16. ^ 夏越なごしごはん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]