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神社じんじゃ

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出雲いずも大社たいしゃ神代かみよ創建そうけんわれる、島根しまねけん出雲いずも
八坂神社やさかじんじゃ飛鳥あすか時代ときよ創建そうけん
京都きょうと京都きょうと東山ひがしやま
こうむ疆神しゃ昭和しょうわ時代じだい創建そうけんちょうこう写真しゃしんは1952ねんのもので、当時とうじはすでにはいしゃされていた)

神社じんじゃ(じんじゃ・かむやしろ、きゅう字体じたいかみ󠄀しゃ󠄁)とは、日本にっぽん固有こゆう宗教しゅうきょうである神道しんとう信仰しんこうもとづく祭祀さいし施設しせつ[1]産土神うぶすながみ天神てんじん地祇ちぎ皇室こうしつ氏族しぞく祖神そしん偉人いじん義士ぎしなどのれいなどがかみとしてまつられる[2]文部もんぶ科学かがくしょう資料しりょうによれば日本にっぽん全国ぜんこくやく8まん5せん神社じんじゃがあり[3]登録とうろくされていないしょう神社じんじゃふくめると10まんしゃえ、宗教しゅうきょう法人ほうじんかくゆうさないちいさなほこらとうふくめると日本にっぽん各地かくちには20まんしゃ神社じんじゃがあるといわれている[4]

祭祀さいし対象たいしょう

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祭祀さいし対象たいしょう神道しんとうかみであり、「八百万やおよろず(やおよろず)」とわれるように非常ひじょう多彩たさいである。神聖しんせいとされた山岳さんがく河川かせん湖沼こしょうなどから、日本にっぽん古来こらいかみぞくさない民俗みんぞくしん実在じつざい人物じんぶつ伝説でんせつじょう人物じんぶつや、陰陽いんようどう道教どうきょうかみ神仏しんぶつ分離ぶんりまぬかれた一部いちぶ仏教ぶっきょうふつしんなどの外来がいらいかみふくまれる。また稲荷いなりさるくじらさけなど動物どうぶつ祭神さいじんとする神社じんじゃ子孫しそん繁栄はんえい象徴しょうちょうとして男根だんこんぞうまつ神社じんじゃもある。

ふるくは神聖しんせいやまたきいわもり巨木きょぼくなどに「カミ」(=信仰しんこう対象たいしょうかみ)が宿やどるとしてうやまい、社殿しゃでんがなくとも「神社じんじゃ」とした。現在げんざい社殿しゃでんともなう「神社じんじゃ」は、これらのかみ々がまつられた祭殿さいでん常設じょうせつしたものとされる。かみえないものであり、かみかたちつくられなかった。神社じんじゃ社殿しゃでん内部ないぶのご神体しんたいかみかり宿やどする足場あしばとされた御幣ごへいかがみであったり、あるいはまったくの空間くうかんであることもあり、さまざまである[注釈ちゅうしゃく 1]

呼称こしょう

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神社じんじゃ名称めいしょう

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神社じんじゃ名称めいしょうかた様々さまざまである。もっと一般いっぱんてきなのは地名ちめいによるものである[注釈ちゅうしゃく 2]

「〜すわ神社じんじゃ」というのもある。また祭神さいじんめいかんするものもおお[注釈ちゅうしゃく 3]。ほかにたてまつときする氏族しぞく名前なまえかんするもの[注釈ちゅうしゃく 4]祭神さいじん関連かんれんする語句ごくかんするもの[注釈ちゅうしゃく 5]神社じんじゃ種別しゅべつあらわすもの[注釈ちゅうしゃく 6]祭神さいじんすうによるもの[注釈ちゅうしゃく 7]などがある。また由来ゆらいしょうである神社じんじゃめいすくなくない[注釈ちゅうしゃく 8]稲荷いなり神社じんじゃ八幡宮はちまんぐうなど全国ぜんこくひろ分布ぶんぷするものは、それらの社名しゃめいにさらに地名ちめいかんすることがおお[注釈ちゅうしゃく 9]

天満宮てんまんぐう音読おんよみで、八幡宮はちまんぐう浅間あさま神社じんじゃ音読おんよみと訓読くんよみの場合ばあいがあるが、音読おんよみでしゃごうむのは仏教ぶっきょう影響えいきょうである。天満宮てんまんぐう祭神さいじんである天満てんま天神てんじん仏教ぶっきょう影響えいきょうけているため、漢語かんご社名しゃめいとなっている。八幡宮はちまんぐう浅間あさま神社じんじゃはいずれも本来ほんらいは「やわた」「あさま」と訓読くんよみしたが、神仏しんぶつ習合しゅうごうのもと仏教ぶっきょう影響えいきょうで、音読おんよみが定着ていちゃくした。

なお、原則げんそくとしてすべての神社じんじゃを「〜神社じんじゃ」(みやごう神宮じんぐうごうのぞく)としょうするようになったのは近代きんだいになってからである。「〜明神みょうじん」や「〜権現ごんげん」などとかみめいしゃごうとしたところや、「〜稲荷いなり」「〜八幡やはた」と「神社じんじゃ」の部分ぶぶん省略しょうりゃくされたところ、「〜しゃ」としたところなどがあったが、すべ原則げんそくとして「〜神社じんじゃ」としょうすることになった。これを権現ごんげんごう使用しよう禁止きんし関連かんれんさせて、はいふつ政策せいさくによるという指摘してきもあるが、国家こっか管理かんりするうえでの都合つごう解釈かいしゃくもある。

近代きんだいにおいては終戦しゅうせんまで神社じんじゃはいわば国家こっか施設しせつであり、法令ほうれいじょう規則きそくにより、「神社じんじゃ」とみとめられるのに設備せつび財産ざいさんなどの条件じょうけんがあり、条件じょうけんたないものは「神社じんじゃ」とされなかった。

組織そしき

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神社じんじゃ組織そしき政治せいじ状況じょうきょうとの関連かんれんもあり一定いっていしていない。律令りつりょう国家こっかにおいては式内しきないしゃ国家こっかによる祭祀さいし対象たいしょうとして神祇官じんぎかん統制とうせいかれたが、そのころからすでしきがいしゃばれる神祇官じんぎかん統制とうせいがいにある神社じんじゃもあったことは確実かくじつである。

近世きんせいにおいては仏教ぶっきょう施設しせつとなった神社じんじゃ修験しゅげんどう陰陽いんようどう影響えいきょうにある神社じんじゃ存在そんざいしていたが、一方いっぽうはく神道しんとう吉田よしだ神道しんとうった宗教しゅうきょうからは独立どくりつした神道しんとう神社じんじゃもあった。明治維新めいじいしんむかえ、神社じんじゃ国家こっか神道しんとうとして神道しんとうけい宗教しゅうきょうふくむあらゆる宗教しゅうきょうから建前たてまえじょう分離ぶんりされたが、その位置いちづけには議論ぎろんがあった。宗教しゅうきょうとしての神道しんとう教派きょうは神道しんとうとして神社じんじゃ分離ぶんりされた。

上毛高原じょうもうこうげんえき構内こうないの、期間きかん限定げんてい手作てづく神社じんじゃ(2022ねん12がつ)

だが、現代げんだいにおいても神社じんじゃ組織そしきかたはさまざまである。現在げんざい最大さいだい神社じんじゃ統括とうかつ組織そしきは、神社じんじゃ本庁ほんちょうであるが、明治めいじ神宮じんぐう靖国神社やすくにじんじゃ伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃ日光にっこう東照宮とうしょうぐうなど有名ゆうめい神社じんじゃであっても、神社じんじゃ本庁ほんちょうとの包括ほうかつ関係かんけいゆうせず、たんだて宗教しゅうきょう法人ほうじんとして運営うんえいされる場合ばあいがある。おおきなたん立神たてがみしゃでもやく2000しゃあり、東大阪ひがしおおさかのように宗教しゅうきょう法人ほうじんかくゆうしている神社じんじゃかぎっても式内しきないしゃふく半数はんすう以上いじょう神社じんじゃ本庁ほんちょうぞくしていない地域ちいきもある[6]。さらに神社じんじゃ本庁ほんちょう以外いがいにも神社じんじゃ神道しんとうけい包括ほうかつ宗教しゅうきょう法人ほうじんがいくつかあり(神社じんじゃほんきょう北海道ほっかいどう神社じんじゃ協会きょうかい神社じんじゃ産土うぶすなきょう日本にっぽん神宮じんぐう本庁ほんちょうなど)、これにぞくする神社じんじゃ神社じんじゃ本庁ほんちょう包括ほうかつ関係かんけいにはぞくさない。また、教派きょうは神道しんとう修験しゅげんどう陰陽いんようどう神道しんとうけいしん宗教しゅうきょう大和やまと教団きょうだん大倭おおやまときょうひとし)や保守ほしゅけいしょきょう生長せいちょういえてんあきらすめらぎ大神宮だいじんぐうきょうひとし)に所属しょぞくしている神社じんじゃ存在そんざいしている。

また、宗教しゅうきょう法人ほうじんかくゆうさないちいさなほこらや、イベントのための期間きかん限定げんていの「神社じんじゃ」なども数多かずおお存在そんざいする。神奈川かながわけん護國ごこく神社じんじゃは、「日本にっぽん全国ぜんこく唯一ゆいいつ護国ごこく神社じんじゃがないけん」という「汚名おめい」を返上へんじょうするため、有志ゆうし平成へいせい24ねん(2012ねん)から8ねんはん歳月さいげつをかけて建立こんりゅうした手作てづくりの神社じんじゃである。

しゃごう

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近世きんせいまで、固有こゆうめい部分ぶぶんのぞいた「神社じんじゃ」「大社たいしゃ」「みや」などのしゃごう特別とくべつ基準きじゅんはなく、ひとつの神社じんじゃ状況じょうきょうによってことなるばれかたをすることもあった。明治めいじ時代じだい神社じんじゃ国家こっか管理かんりはいると、公認こうにんされたもののみが「神社じんじゃ」を名乗なのり、大社たいしゃ神宮じんぐうなどを名乗なのるには勅許ちょっきょなどが必要ひつようとされた。終戦しゅうせんには政教せいきょう分離ぶんりにより国家こっか皇室こうしつ神社じんじゃ直接ちょくせつ関与かんよしなくなったため、とく許可きょかがなくても、大社たいしゃ神宮じんぐう名乗なのりれるようになった。

伊勢神宮いせじんぐう代表だいひょうされる神宮じんぐうごうは7世紀せいきまでさかのぼふるいものである。日本書紀にほんしょきしるされた神宮じんぐうごう伊勢神宮いせじんぐう石上いしがみ神宮じんぐう出雲いずも大神宮だいじんぐうのみだった。平安へいあん時代じだい編纂へんさんされた『延喜えんぎしきかみめいちょう』では鹿島かしま神宮じんぐう香取かとり神宮じんぐう大神宮だいじんぐう神宮じんぐうとされた。明治めいじ以降いこう明治天皇めいじてんのうまつ明治めいじ神宮じんぐう創建そうけんされると、天皇てんのうまつ神社じんじゃ順次じゅんじ神宮じんぐう昇格しょうかくした。こうして、歴史れきしじょう人物じんぶつまつ神社じんじゃで、天皇てんのうまつるものを神宮じんぐう皇族こうぞくまつるものをみや功臣こうしんとうまつるものは神社じんじゃとされた。しかし、仁徳天皇にんとくてんのうまつ高津たかつみや難波なんば神社じんじゃ神宮じんぐうばないように、すべてにおいて天皇てんのうまつるものを神宮じんぐうぶわけではない[7]

戦後せんご神宮じんぐう名乗なのるようになった神社じんじゃには北海道神宮ほっかいどうじんぐう弉諾神宮じんぐう英彦山ひこさん神宮じんぐうがある。香椎かしいみやのように、いわゆる神宮じんぐうではないのに、最寄もよりの駅名えきめい香椎かしい神宮じんぐうえきであるために誤解ごかいされるれいもある。

大社たいしゃ江戸えど時代じだいまでは杵築きつき大社たいしゃ熊野くまの大社たいしゃしゃ名乗なのったが、明治めいじ時代じだいから1945ねんまでは大社たいしゃ名乗なのるものは出雲いずも大社たいしゃのみであった。戦後せんごきゅうかんぬさ大社たいしゃくにぬさ大社たいしゃかんぬさ中社なかやしろ神社じんじゃのうち26しゃ大社たいしゃ名乗なのっている。現在げんざい、ほかに多大ただいしゃ諏訪すわ大社たいしゃ南宮なんぐう大社たいしゃ三嶋みしま大社たいしゃ富士山ふじさん本宮ほんぐう浅間あさま大社たいしゃ多度たど大社たいしゃ日吉ひよし大社たいしゃ多賀たが大社たいしゃ建部たけべ大社たいしゃ松尾まつお大社たいしゃ伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃ住吉すみよし大社たいしゃ春日大社かすがたいしゃ龍田たつた大社たいしゃ広瀬ひろせ大社たいしゃ熊野くまの本宮ほんぐう大社たいしゃ熊野くまの速玉はやたま大社たいしゃ熊野くまの那智なち大社たいしゃ宗像むなかた大社たいしゃ高良こうら大社たいしゃなど。

また、梅宮うめみや大社たいしゃ大鳥おおとり大社たいしゃのように表記ひょうきさだまらないものもある。また平野ひらの神社じんじゃもかつては扁額へんがくに「平野ひらの大社たいしゃ」とかれていた。

上社かみやしろ下社しもしゃ

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富士山ふじさん本宮ほんぐう浅間あさま大社たいしゃ奥宮おくのみや
富士山ふじさん山頂さんちょう鎮座ちんざ

神社じんじゃには上社かみやしろ下社しもしゃ、あるいはかみみやしたみやなどしゃかれる「しゃせい」がおおくみられる。上社かみやしろ中社なかやしろ下社しもしゃさんしゃかれる「さんしゃせい」もある。

上社かみやしろ下社しもしゃはその位置いち関係かんけいから、上手じょうずのものを上社かみやしろ低地ていちのものを下社しもしゃぶことがおおい。また、本宮もとみや本社ほんしゃから深奥しんおうにあるしゃおくしゃ奥宮おくのみや(おくのみや)、おくいん山宮さんぐう人里ひとざとちかしゃぜんみやさとみやくちみやなどとばれ、僻遠へきえん元宮もとみやたい集落しゅうらく近郊きんこうあらたにてられたものを新宮しんぐうともぶ。

これらの上下じょうげしゃでは祭神さいじんことなる場合ばあいもあるが、一方いっぽうがもう一方いっぽう若宮わかみやであったり、本宮ほんぐう配偶はいぐうしんまつるケースもある。これらの起源きげんしょうだが山奥やまおく埋葬まいそう都邑とゆう近郊きんこう礼拝れいはいもうける「りょうはかせい」と関係かんけいがあるとするせつもある。また、山岳さんがくそのものをご神体しんたいとして、その山麓さんろく遙拝ようはい施設しせつてたものをさとみや起源きげんとし、神霊しんれい降臨こうりん思想しそうから山頂さんちょうにもう1しゃぶんまつしたものを山宮さんぐう起源きげんとするせつもある。

賀茂かも神社じんじゃ
上賀茂かみがも神社じんじゃ祭神さいじん 賀茂かもべつ雷神らいじん)と下鴨神社しもがもじんじゃ祭神さいじん たまひめいのち賀茂かもけんかく身命しんめい)。下鴨しもがもしゃ起源きげん上賀茂かみがもしゃからのぶんまつともいうがさだかではない。
諏訪すわ大社たいしゃ
諏訪湖すわこ南北なんぼく上下じょうげしゃがあり、上社かみやしろけん御名ぎょめいかたしんつま八坂やさかかたなうりいのち下社しもしゃかみくわけいしん事代ことしろ主神しゅしんはいまつするが、民間みんかんでは上社かみやしろ男神おかみ下社しもしゃ女神めがみとされる。さらに上社かみやしろ本宮ほんぐうぜんみや下社しもしゃ春宮とうぐうあきみやかれる。
熊野くまの三山さんざん
本宮もとみや大社たいしゃ速玉はやたま大社たいしゃ那智なち大社たいしゃさんしゃ祭神さいじん長年ながねん熊野くまのさんしょ権現ごんげんとされた。速玉はやたま大社たいしゃ神倉かみくらさん元宮もとみやたいして「新宮しんぐう」とばれる。
宗像むなかた大社たいしゃ
あたり津宮つのみや中津なかつみや沖津おきつみやさんしゃおよび中津なかつ宮北みやきたにあるおき津宮つのみや遙拝ようはいしょ
丹生川上にゅうがわかみ神社じんじゃ
奈良なら吉野よしの罔象女神めがみまつる。もといちしゃだったが近世きんせいはい比定ひてい変遷へんせんしたが上中かみなかさんしゃとなった。
秋葉神社あきばじんじゃ
秋葉山あきはさんいただき上社かみやしろ山麓さんろく下社しもしゃ山宮さんぐうさとみや対応たいおうする。祭神さいじん秋葉あきばだい権現ごんげんカグツチ)としてられる。
富士山ふじさん本宮ほんぐう浅間あさま大社たいしゃ
市街地しがいち本宮ほんぐう富士ふじ山頂さんちょう奥宮おくのみやく。祭神さいじん浅間あさま大神だいじん大宮おおみやこう登山とざんどう中途ちゅうと浅間あさま大社たいしゃ旧跡きゅうせきとされる山宮さんぐう浅間あさま神社じんじゃがある。本宮ほんぐうさとみや山宮さんぐう浅間あさま神社じんじゃ山宮さんぐう元宮もとみや対応たいおうする。

施設しせつ設備せつび

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神社じんじゃ境内けいだいしき
参考さんこう文献ぶんけん神道しんとうほん』(学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ
下部かぶから)
鳥居とりい ②石段いしだん ③参道さんどう ④手水ちょうずしゃ ⑤灯籠どうろう ⑥神楽かぐら殿どの ⑦社務しゃむしょ納札のうさつしょ ⑧絵馬えまけ ⑨末社まっしゃ ⑩狛犬こまいぬ
拝殿はいでん ⑫瑞垣みずがき ⑬本殿ほんでん

鳥居とりいうち区域くいき一帯いったいを、「神霊しんれいしずまる神域しんいき」とみなす。神社じんじゃまわりには鎮守ちんじゅもりという森林しんりんがあることがおおい。神木しんぼくといわれるには、注連縄しめなわむすばれているものもある。神社じんじゃ入口いりくちには、境内けいだい俗界ぞっかい境界きょうかいしめ鳥居とりいがあり、社殿しゃでんまで参道さんどうつうじる。参道さんどうのそばには「きよめる」手水ちょうずしゃ神社じんじゃ管理かんりする社務しゃむしょなどがある。おおきな神社じんじゃでは神池かみいけ神橋しんきょうもみられる。

社殿しゃでん本殿ほんでん神殿しんでん)や拝殿はいでんからなる。人々ひとびと普段ふだん参拝さんぱいするのは拝殿はいでんで、神体しんたいがある本殿ほんでん拝殿はいでんおくにある。本殿ほんでん拝殿はいでんあいだ参詣さんけいしゃ幣帛へいはくそなえるためのぬさ殿どの設置せっちされることもある。

神社じんじゃ敷地しきち境内けいだい)には、その神社じんじゃ祭神さいじん関係かんけいのあるかみ本来ほんらいその土地とちまつられていたかみまつ摂社せっしゃや、それ以外いがいかみまつ末社まっしゃがあり、両者りょうしゃをあわせて末社まっしゃという。境内けいだいそとにある末社まっしゃさかいがいしゃばれる。

また、神仏しんぶつ習合しゅうごうはじまる奈良なら時代じだい以降いこう神社じんじゃ境内けいだいかみ供養くようする神宮寺じんぐうじ別当寺べつとうじ宮寺みやでら)がてられたり、神社じんじゃない寺院じいんてられたりしたが、明治めいじ初期しょき神仏しんぶつ判然はんぜんれい神仏しんぶつ分離ぶんりれい)により、神社じんじゃ寺院じいん分離ぶんりされ、神社じんじゃ境内けいだい五重塔ごじゅうのとう仏堂ぶつどうなどは撤去てっきょされ、神職しんしょく僧侶そうりょ区別くべつされた。

参道さんどうにある灯籠とうろう常夜灯じょうやとうはもともとは仏教ぶっきょう寺院じいんのものであり、平安へいあん時代じだい以降いこう神社じんじゃにも浸透しんとうしたものである[8]参道さんどうかれる玉砂利たまじゃりは、たまが「たましい(たましい)」「みたま(御霊みたま)」「うつくしい」というち、砂利じゃりは「さざれ(ほそせき)」のち、その清浄せいじょうする意味いみっている。くことによってその場所ばしょはらきよめる意味いみがあり、なお参道さんどうすす清浄せいじょういしみしめることによって、きよしんしずめて、最高さいこう状態じょうたいいのりが出来できるようにしてある[9][10]

建物たてもの

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宮大工みやだいくによる木造もくぞう日本にっぽんしき建築けんちくおおい。現代げんだいでは、建築けんちく技術ぎじゅつ変化へんか法律ほうりつじょう問題もんだい耐震たいしん強度きょうど火事かじ対策たいさく)により、鉄筋てっきんコンクリートづくりえている。前述ぜんじゅつのようにビルのなかにある神社じんじゃもあり、かならずしも日本にっぽんふう建物たてものばかりではない。ただし、神体しんたい鎮座ちんざする本殿ほんでんかたち日本にっぽんしき建築けんちくである。

神社じんじゃ周囲しゅういもりがあることもおおく、夜間やかん警備けいびもしにくく、放火ほうかなどもみられる。そのため、一部いちぶでは警備けいび会社かいしゃ契約けいやくして機械きかい警備けいびなどをおこなう。防火ぼうか盗賊とうぞくけのかみ鎮座ちんざする神社じんじゃ警備けいび会社かいしゃのステッカーがってあるのがかけられることもおおい。

神社じんじゃ付属ふぞく施設しせつ

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おおくの神社じんじゃ共通きょうつうする施設しせつ
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本殿ほんでん神殿しんでんべつとされることもあるが通常つうじょう同一どういつもの常設じょうせつとされる施設しせつでも、絵馬えま殿どの[注釈ちゅうしゃく 10]など時代じだいによって変化へんかするものもあるとおもわれる。また、末社まっしゃがない神社じんじゃもある。また、末社まっしゃ本来ほんらい祭神さいじん(その土地とち鎮守ちんじゅしん)がまつられることもある。

その共通きょうつう施設しせつ神社じんじゃによって存在そんざいしないことがあり、以上いじょう一定いってい目安めやすである。

付属ふぞく施設しせつ
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現在げんざいでは参拝さんぱいよう施設しせつほかに、結婚式けっこんしき設備せつび[注釈ちゅうしゃく 11]などが併設へいせつされることもおおい。

本殿ほんでん様式ようしき

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代表だいひょうてき様式ようしき
様式ようしき

神職しんしょく

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神主かんぬし(かんぬし)は本来ほんらい神社じんじゃにおける神職しんしょくちょうしていたが、現在げんざいでは神職しんしょくおな意味いみもちいられる。神官しんかん(しんかん)は、国家こっか官吏かんりとして祭祀さいしつかさど職業しょくぎょうのことで、現代げんだい日本にっぽんには存在そんざいしない。ただし、神職しんしょく兼業けんぎょうとして政治せいじ公務員こうむいんなどの公職こうしょくくことはある。

現在げんざい包括ほうかつてきほう整備せいびによって神道しんとう宗教しゅうきょう法人ほうじんぞくするが、本来ほんらい姿すがた宗教しゅうきょうではなく、自然しぜん環境かんきょう保護ほご感謝かんしゃなまたいする敬意けいいたてまつるものである。 そのため、神職しんしょく宗教しゅうきょうちがって宗教しゅうきょうしゃではなく、かみたいする奉仕ほうししゃである。神社じんじゃ祭祀さいしにな神職しんしょく宮司ぐうじ禰宜ねぎけん禰宜ねぎなど)とばれる奉仕ほうししゃだが、一般いっぱんに、仏教ぶっきょうキリスト教きりすときょうなどの宗教しゅうきょうしゃちがって布教ふきょうなどはしない(教派きょうは神道しんとうべつ)。

従来じゅうらい小規模しょうきぼ神社じんじゃには専属せんぞく神職しんしょくがいない場合ばあいおおく、氏子うじこ交替こうたい管理かんりし、氏子うじこみずからないし外部がいぶから神職しんしょくんで祭祀さいしおこなった。また、神宮寺じんぐうじ僧侶そうりょ管理かんり祭祀さいしおこなうこともあった。現在げんざいでも、比較的ひかくてき規模きぼおおきい神社じんじゃ神職しんしょくが、周辺しゅうへん小規模しょうきぼ神社じんじゃ宮司ぐうじ兼任けんにんする場合ばあいおおい。

現在げんざい神職しんしょくになるには、神道しんとう学科がっかがある大学だいがく神道しんとう専攻せんこうして、神職しんしょく資格しかく取得しゅとく全国ぜんこくいずれの神社じんじゃ奉職ほうしょく就職しゅうしょく)し、神職しんしょくとして登録とうろくをする必要ひつようがある。そのため、神職しんしょく資格しかく取得しゅとくしても、神職しんしょく登録とうろくをしていなければ神職しんしょくとはみなされない(神社じんじゃ本庁ほんちょうけい神道しんとう場合ばあい)。

歴史れきし

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起源きげん

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神社じんじゃ起源きげんは、いわ(いわくら)やかみ禁足きんそくぞく神体しんたいやま)などでの祭事さいじさい臨時りんじてたかみませ(ひもろぎ)などの祭壇さいだんであり、本来ほんらい常設じょうせつではなかった。れいとしては沖縄おきなわ御嶽おんたけ(ウタキ)のようなものだったとかんがえられる。

創建そうけんふる神社じんじゃには現在げんざい本殿ほんでんがないものがあり、いわ禁足きんそくさんとうなどの手前てまえ拝殿はいでんがあるのみの神社じんじゃ[注釈ちゅうしゃく 12]社殿しゃでんまった神社じんじゃ[注釈ちゅうしゃく 13]がある。「神社じんじゃにはつねかみがいる」とされたのは、社殿しゃでんてられるようになってからだとわれる。

古代こだい中国ちゅうごくにも土地とちしんなどをまつる「しゃ」が存在そんざいしたが、屋根やねいたしゃてるのは「こくしゃ」(『れい』郊特せい)とされ、日本にっぽんしゃとはことなる。そのため、おおくの神社じんじゃ社殿しゃでん造営ぞうえいされた背景はいけいについて諸説しょせつべられた。社会しゃかい発展はってんにより自然しぜんから人格じんかくしんへと信仰しんこう対象たいしょうわったためとするせつ[11]仏教ぶっきょう寺院じいん影響えいきょう相互そうごけたとするせつ[12]武器ぶきみつぎおさめぶつおさめたかみ(ほくら)が先行せんこうして存在そんざいしたとするせつ[13]、7世紀せいき後半こうはん以後いご国家こっか一部いちぶしゃにのみあったかみ全国ぜんこく建設けんせつしたとするせつ[14]などがある[15]

古社ふるやしろはそれぞれの縁起えんぎにより神体しんたいちかくに社殿しゃでんかまえること[注釈ちゅうしゃく 14]おおい。あたらしく神社じんじゃ造営ぞうえいするときは、適当てきとう場所ばしょ分霊ぶんれい氏神うじがみまつった。場所ばしょ選定せんてい仕方しかた様々さまざまで、縁起えんぎからえら[注釈ちゅうしゃく 15]清浄せいじょう場所ばしょえら[注釈ちゅうしゃく 16]参拝さんぱいのしやすさでえら[注釈ちゅうしゃく 17]などがある。社殿しゃでん海上かいじょう山頂さんちょう現代げんだいではビルの屋上おくじょうなどにまつることもある。

近代きんだい国家こっか神社じんじゃ制度せいど

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明治維新めいじいしん直後ちょくごより近代きんだいてき中央ちゅうおう集権しゅうけん適応てきおうするあらたな体制たいせい整備せいびはじまった[16]律令りつりょう神祇官じんぎかん家柄いえがらである白川しらかわ吉田よしだをはじめとする近世きんせいまでの制度せいど廃止はいしされ、政府せいふない神社じんじゃ行政ぎょうせい機関きかん設置せっちされた[16]。また、古代こだい以来いらい神仏しんぶつ習合しゅうごう神仏しんぶつ混淆こんこう)を解消かいしょうする神仏しんぶつ分離ぶんりおこなわれ、明治めいじ4ねん封建ほうけんてき土地とち支配しはい制度せいど廃止はいしする社寺しゃじりょう上地じょうち実施じっしされたのち、全国ぜんこく神社じんじゃが「国家こっかむねまつ」とさだめられ、神社じんじゃかんするあらゆることが、国家こっかほう制度せいどによって規定きていされてきた[16]戦前せんぜんはいわゆる「国家こっか神道しんとう」も「神社じんじゃ」としょうした[17]

神社じんじゃ行政ぎょうせい機関きかん変遷へんせん

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  • 1868ねん明治めいじ元年がんねん)1がつ - 2がつ   神祇じんぎ事務じむ[18]
  • 1868ねん明治めいじ元年がんねん)2がつ - うるう4がつ  神祇じんぎ事務じむきょく[18]
  • 1868ねん明治めいじ元年がんねんうるう4がつ - 1869ねん明治めいじ2ねん)7がつ (太政官だじょうかんない神祇官じんぎかん[18]
  • 1869ねん明治めいじ2ねん)7がつ - 1871ねん明治めいじ4ねん)8がつ (太政官だじょうかんがい神祇官じんぎかん[18]
  • 1871ねん明治めいじ4ねん)8がつ - 1872ねん明治めいじ5ねん)3がつ  神祇じんぎしょう[18]
  • 1872ねん明治めいじ5ねん)3がつ - 1877ねん明治めいじ10ねん)1がつ きょうしょう[18]
  • 1877ねん明治めいじ10ねん)1がつ - 1900ねん明治めいじ33ねん)4がつ 内務省ないむしょう社寺しゃじきょく[18]
  • 1900ねん明治めいじ33ねん)4がつ - 1940ねん昭和しょうわ15ねん)11月 内務省ないむしょう神社じんじゃきょく[18]
  • 1940ねん昭和しょうわ15ねん)11月 - 1946ねん昭和しょうわ21ねん)2がつ (内務省ないむしょう神祇じんぎいん[18]

近代きんだい社格しゃかく制度せいど

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明治めいじ4ねんに、神社じんじゃを「国家こっか祭祀さいし」として、基本きほんてき制度せいどあらためられた[18]伊勢神宮いせじんぐうのぞ全国ぜんこく神社じんじゃかんしゃしょしゃ大別たいべつされ、かんしゃかんぬさくにぬさ各々おのおのだい中小ちゅうしょうしゃしょしゃはんけんさとかく各社かくしゃ分類ぶんるいされた。ただし廃藩置県はいはんちけんのため、はんしゃへのれつかくはなかった[18]明治めいじ5ねん別格べっかくかんぬさしゃ設定せっていされ、楠木くすのき正成まさしげまつ湊川みなとがわ神社じんじゃ最初さいしょれっせられた[18]別格べっかくかんぬさしゃ皇室こうしつ国家こっかのために偉勲いくんのこした人物じんぶつまつ神社じんじゃおもれつかくした[18]かん国幣社こくへいしゃは、神社じんじゃ祭祀さいしれいにより、大祭たいさいちゅうさいしょうさい規定きていされた。国家こっか祭祀さいしにふさわしくない神社じんじゃ淘汰とうたされ、1898ねん明治めいじ31ねん)あったやく20まんしゃは、1916ねん大正たいしょう5ねん)にはやく12まんしゃになった[18]

宗教しゅうきょう法人ほうじん

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1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月 連合れんごうこく最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)は国家こっか管理かんりにある神社じんじゃを「国家こっか神道しんとう」とび、その廃止はいし命令めいれいした[16]おなじくGHQに制定せいていされた宗教しゅうきょう法人ほうじんれいもとづき、宗教しゅうきょう団体だんたい同様どうよう宗教しゅうきょう法人ほうじんとなった[16]民間みんかん神社じんじゃ団体だんたいであるすめらぎてん講究こうきゅうしょだい日本にっぽん神祇じんぎかい神宮じんぐうたてまつときかい発展はってんてき解消かいしょうして、神社じんじゃ本庁ほんちょうになった[16]神社じんじゃ本庁ほんちょうたんたて宗教しゅうきょう法人ほうじんとなった一部いちぶ神社じんじゃや、ほかの神社じんじゃ神道しんとうけい包括ほうかつ団体だんたい所属しょぞくする神社じんじゃのぞく、やく8まん神社じんじゃから組織そしきされる包括ほうかつ宗教しゅうきょう法人ほうじんである[16]

おも信仰しんこう

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おおくの神社じんじゃは、有名ゆうめい神社じんじゃから祭神さいじん分霊ぶんれい(ぶんれい)【または勧請かんじょうともいう】している。分霊ぶんれいとは、祭神さいじん分霊ぶんれい(わけみたま)を神社じんじゃまつることである。ロウソクからロウソクへうつすように、神道しんとうかみ無限むげん分霊ぶんれいすることができ、そうしても本来ほんらい神威しんいそこなわれないとされる。分霊ぶんれいした神社じんじゃは、その祭神さいじんおうじた名称めいしょうがつけられる。以下いかおも神社じんじゃ名称めいしょうとその祭神さいじんげる。

おも神社じんじゃめい 本社ほんしゃ おも祭神さいじん おもかみ使
神明しんめい神社じんじゃてん祖神そしんしゃすめらぎだい神社じんじゃ大神宮だいじんぐう(お伊勢いせさん) 伊勢神宮いせじんぐう内宮ないくう 天照大御神あまてらすおおみかみ にわとり
八幡宮はちまんぐう八幡やはた神社じんじゃ 宇佐うさ神宮じんぐう 八幡やはたしん応神天皇おうじんてんのう ばと
天満てんまみや天神てんじん神社じんじゃ北野きたの神社じんじゃ菅原すがわら神社じんじゃ 防府ほうふ天満宮てんまんぐう太宰府天満宮だざいふてんまんぐう
北野きたの天満てんまみや
菅原すがわら道真みちざね うし
宗像むなかた神社じんじゃ 宗像むなかた大社たいしゃ 宗像むなかたさん女神めがみ
厳島いつくしま神社じんじゃ 厳島いつくしま神社じんじゃ 宗像むなかたさん女神めがみ がらす
八坂神社やさかじんじゃ祇園ぎおんしゃ 八坂神社やさかじんじゃ 盞嗚みこと
津島つしま神社じんじゃ天王てんのうしゃ須賀すか神社じんじゃ 津島つしま神社じんじゃ 盞嗚みこと
氷川神社ひかわじんじゃ 氷川神社ひかわじんじゃ 盞嗚みこと
諏訪すわ神社じんじゃ 諏訪すわ大社たいしゃ けん御名ぎょめいかたしん 白蛇しろへびづるさぎ
日吉ひよし神社じんじゃ日枝ひえ神社じんじゃ山王さんのうしゃ山王さんのうさん) 日吉ひよし大社たいしゃ東本ひがしもとみや 大山おおやま咋神 さる
松尾まつお神社じんじゃ 松尾まつお大社たいしゃ 大山おおやま咋神 かめ
熊野くまの神社じんじゃ 熊野くまの三山さんざん 熊野くまのかみ がらす
白山はくさん神社じんじゃ 白山はくさん咩神しゃ きくひめしん
熱田あつた神社じんじゃ 熱田あつた神宮じんぐう 熱田あつた大神おおがみ草薙くさなぎけん さぎ
浅間あさま神社じんじゃ 富士山ふじさん本宮ほんぐう浅間あさま大社たいしゃ 花咲はなさき耶姫いのち
鹿島かしま神社じんじゃ 鹿島かしま神宮じんぐう たけづちいのち 鹿しか
香取かとり神社じんじゃ 香取かとり神宮じんぐう けい主命しゅうめい 鹿しか
春日しゅんじつ神社じんじゃ 春日大社かすがたいしゃ たけづちいのちけい主命しゅうめい 鹿しか
愛宕あたご神社じんじゃ 愛宕あたご神社じんじゃ 迦具しん いのしし
秋葉神社あきばじんじゃ 秋葉山あきはさん本宮ほんぐう秋葉神社あきばじんじゃ 迦具しん
金毘羅こんぴら神社じんじゃ琴平ことひら神社じんじゃ(こんぴらさん) 金刀比羅宮ことひらぐう 金毘羅こんぴらしん現在げんざい大物おおもの主神しゅしん
住吉すみよし神社じんじゃ 住吉すみよし大社たいしゃ 住吉すみよし大神おおがみ うさぎ
多賀たが神社じんじゃ (お多賀たがさん) 多賀たが大社たいしゃ よこしま岐命よこしまいのち せんじきさん(がらす
貴船きふね神社じんじゃ貴布祢きぶね神社じんじゃ 貴船きふね神社じんじゃ やみ淤加美神びしんこう淤加美神びしん うま
出雲神いずものかみしゃ 出雲いずも大社たいしゃ 大国たいこく主命しゅうめい 海蛇うみへびうさぎ鶺鴒せきれい
塩竈しおがま神社じんじゃ 鹽竈しおがま神社じんじゃ 塩土しおど老翁ろうおうしん
賀茂かも神社じんじゃ 賀茂かもべつ雷神らいじんしゃ上賀茂かみがも神社じんじゃ
賀茂かも祖神そしんしゃ下鴨神社しもがもじんじゃ
賀茂かもべつ雷神らいじん がらす
大鳥おおとりわしおおとり神社じんじゃ 大鳥おおとり大社たいしゃ西日本にしにほん 日本にっぽんたけたかし大鳥おおとりれん祖神そしん
鷲宮わしみや神社じんじゃ大鷲おおわし神社じんじゃ東日本ひがしにっぽん 日本にっぽんたけたかし
大神神社おおみわじんじゃ三輪みわ神社じんじゃさんりん明神みょうじん 大神神社おおみわじんじゃ 大物おおもの主命しゅうめい へびうさぎ
稲荷いなり神社じんじゃ 伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃ 宇迦たましいしんしょくしんほか穀物こくもつしん きつね
あわしま神社じんじゃ あわしま神社じんじゃ しょう彦名ひこないのち淡島あわしまかみ
さる田彦たびこ神社じんじゃ佐田さた神社じんじゃ大田おおた神社じんじゃ白髭しらひげ神社じんじゃ
さい神社じんじゃ道祖神どうそじん
椿つばきだい神社じんじゃ 猿田さるた彦神
恵比寿えびす恵比須えびすえびす神社じんじゃ 西宮にしのみや神社じんじゃ 蛭子えびすいのち(ひるこ・えびす
美保みほ神社じんじゃ 事代ことしろ主命しゅうめい
大山祗神社おおやまずみじんじゃ だい山祇やまずみ神社じんじゃ 大山おおやま祇神
三島みしま神社じんじゃ だい山祇やまずみ神社じんじゃ 大山おおやま祇神
三嶋みしま大社たいしゃ 大山おおやま祇神事代ことしろ主命しゅうめい うなぎ
御嶽みたけ神社じんじゃ御岳みたけ神社じんじゃ 御嶽みたけ神社じんじゃ 造化ぞうかさんかみ おおかみ
阿蘇あそ神社じんじゃ 阿蘇あそ神社じんじゃ けんいわりゅういのち阿蘇あそ十二神じゅうにしん
山神さんじんしゃ 大山おおやま祇神山神さんじん

なお、神社じんじゃめい一般いっぱんてき祭神さいじんめい一致いっちしない神社じんじゃもある。また近代きんだい新造しんぞうされた靖国神社やすくにじんじゃ招魂しょうこんしゃ護国ごこく神社じんじゃ)などもある。

日本にっぽん列島れっとう以外いがい地域ちいきにある神社じんじゃ

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日本にっぽん列島れっとう以外いがい地域ちいきには2008ねん時点じてんすくなくとも 26 の神社じんじゃ存在そんざいする[19]太平洋戦争たいへいようせんそうまえには多数たすう神社じんじゃ存在そんざいしたが、戦後せんご激減げきげんした。かつて日本にっぽんであったきゅう外地がいちにはくに政策せいさくによって内地ないち同様どうよう多数たすう神社じんじゃ造営ぞうえいされた。また日本にっぽん占領せんりょう満州まんしゅうこくなどにも造営ぞうえい、あるいは造営ぞうえい準備じゅんびおこなわれた。しかし、太平洋戦争たいへいようせんそうすべ廃絶はいぜつとなり、現在げんざいでもごく一部いちぶ再建さいけんされたにとどまっている。かつて日本にっぽんではかった地域ちいき場合ばあい移民いみん政策せいさくにより日系にっけい移民いみん多数たすう在住ざいじゅうした土地とちでは、現地げんち移民いみんのために多数たすう神社じんじゃ創建そうけんされた。ほかにも、神道しんとう布教ふきょうのために創建そうけんされた神社じんじゃもあった。しかし、連合れんごうこくがわ神社じんじゃ太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう資産しさん没収ぼっしゅうされ、太平洋戦争たいへいようせんそう復興ふっこうできなかった神社じんじゃ多数たすう存在そんざいした。その日本にっぽん文化ぶんか国外こくがい浸透しんとうしたことで、近年きんねんになってあらたに建立こんりゅうされた神社じんじゃもある。

きゅう外地がいちにおいては、台湾たいわんでは鹿野かの神社じんじゃ龍田たつたこん慈堂中国語ちゅうごくごばんうち)、林田はやしだ神社じんじゃ玉里たまりしゃなど、いくつかの神社じんじゃ近年きんねん歴史れきしてき遺物いぶつとしての価値かち観光かんこう資源しげんとしての価値かちみとめられ復興ふっこうされた[20]。また、たいちゅう神社じんじゃ鳥居とりい復活ふっかつさせようといううごきもある。だが、これらはあくまでも文化ぶんか遺産いさんとしての復興ふっこうであり、信仰しんこう対象たいしょうとしての再建さいけんではない。しかしながら、2015ねんにははじめて、正式せいしき神職しんしょく奉祀ほうしする宗教しゅうきょう施設しせつとして、かつてのむらかみであった高士こうしほこら高士こうし神社じんじゃとして再建さいけんされた。また、きゅう南洋なんよう群島ぐんとうにおいては、パラオでは南洋なんよう神社じんじゃペリリュー神社じんじゃが、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくきたマリアナ諸島しょとうサイパンとうではあやかい香取かとり神社じんじゃあやかい八幡やはた神社じんじゃ近年きんねんになって再建さいけんされた。

日系にっけい移民いみんおお土地とちでは、とくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくハワイしゅうには多数たすう神社じんじゃつくられ、オアフとうハワイ出雲いずも大社たいしゃハワイ大神宮だいじんぐうハワイ石鎚神社いしづちじんじゃハワイきんがたな神社じんじゃ・ハワイ太宰府天満宮だざいふてんまんぐう若宮わかみや稲荷いなり神社じんじゃハワイとうにはヒロ大神宮だいじんぐうマウイとうにはマウイ神社じんじゃ[21]などが現存げんそんする。これらには、戦後せんご復興ふっこうできなかったり、存続そんぞく困難こんなんになった神社じんじゃ多数たすう合祀ごうしされている。また、ブラジルでは当初とうしょ東京とうきょう植民しょくみん神社じんじゃボーグレ神社じんじゃなどが存在そんざいしたが、基本きほんてきには日本人にっぽんじん小学校しょうがっこうけん集会しゅうかいじょう御真影ごしんえい神体しんたい機能きのうたしたため、神社じんじゃはあまりつくられなかった[22]。これらの神社じんじゃ植民しょくみん消滅しょうめつとともになくなってしまったが、その神乃じんのげん戸神とかみしゃブラジル大神宮だいじんぐう南米なんべい神宮じんぐう[23]ブラジル熊野くまの神社じんじゃブラジル石鎚神社いしづちじんじゃ(スザノ石鎚神社いしづちじんじゃ遙拝ようはいしょ[24]太平山たいへいざん三吉みつよし神社じんじゃ[25]パウリスタ神社じんじゃ[26]パラナしゅう開拓かいたく神社じんじゃ[27]はくこく開拓かいたく大神宮だいじんぐう(ブラジル大神宮だいじんぐう[28][29]など、神職しんしょく奉祀ほうしする神社じんじゃ創建そうけんされている。近年きんねんでは南米なんべい大神宮だいじんぐうなど、神社じんじゃではなく鳥居とりいだけが日系にっけい移民いみんがい象徴しょうちょうする建造けんぞうぶつとしててられるケースもえている[30]

神道しんとう布教ふきょうのために創建そうけんされた神社じんじゃとしては、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく本土ほんどには戦前せんぜん北米ほくべい大神宮だいじんぐうほんいん米国べいこく神道しんとう協会きょうかい明治めいじ神宮じんぐうかい稲荷いなり神社じんじゃ出雲いずも大社たいしゃきょう北米ほくべい協会きょうかい存在そんざいしたが、戦後せんご復興ふっこうしなかった。その、1987ねんになってアメリカ椿つばきだい神社じんじゃ創建そうけんし、神職しんしょく資格しかくたアメリカじん禰宜ねぎつとめていたが、2023ねんはいしゃとなった。オランダには1981ねんヨーロッパはつ神社じんじゃとして神道しんとう一派いっぱである山蔭やまかげ神道しんとうにちらん親善しんぜん協会きょうかい斎宮いつきのみや創建そうけんされ、オランダじん宮司ぐうじ奉祀ほうししている[31]フランスには三重みえけん水屋みずや神社じんじゃぶんほこらとして、真言宗しんごんしゅう寺院じいんである光明院こうみょういん境内けいだいフランス和光わこう神社じんじゃがフランスはつ神社じんじゃとして2006ねん創建そうけんされている。こちらは通常つうじょう光明院こうみょういんのフランスじん住職じゅうしょく祭祀さいしつとめる神宮寺じんぐうじかたちをとっている[32][33]サンマリノには、神社じんじゃ本庁ほんちょう公認こうにんするヨーロッパはつ神社じんじゃとして、2014ねんサンマリノ神社じんじゃ創建そうけんされている。神職しんしょく地元じもとのサンマリノじんであるホテルのオーナーで、山形やまがたけん湯殿山ゆどのさん神社じんじゃ修行しゅぎょうし、資格しかく取得しゅとくしている[34][35][36]

符号ふごう位置いち

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神社じんじゃあらわ記号きごう以下いかとおり。

記号きごう Unicode JIS X 0213 文字もじ参照さんしょう 名称めいしょう
U+26E9 - ⛩
⛩
神社じんじゃ

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 神社じんじゃ寺院じいんのような本尊ほんぞんというものはなく、現存げんそんする神像しんぞう彫刻ちょうこくはすべて平安へいあん時代じだい以降いこうのものばかりである[5]
  2. ^ 鹿島かしま神宮じんぐう八坂神社やさかじんじゃ春日かすが神社じんじゃ宗像むなかた神社じんじゃ日枝ひえ神社じんじゃなど。
  3. ^ 稲荷いなり神社じんじゃ住吉すみよし神社じんじゃ八幡やはた神社じんじゃ天満てんまみや丹生にゅううり神社じんじゃなど。
  4. ^ 倭文しず神社じんじゃなど。
  5. ^ 平安へいあん神宮じんぐう八重やえかき神社じんじゃなど。
  6. ^ 招魂しょうこんしゃれいしゃなど。
  7. ^ ろくしょみやよんはしら神社じんじゃなど。
  8. ^ 浅間あさま神社じんじゃなど。
  9. ^ 伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃ函館はこだて八幡宮はちまんぐうなど。
  10. ^ 絵馬えま後世こうせいうまわりに奉納ほうのうされたものであるため。
  11. ^ 明治めいじ神宮じんぐう外苑がいえんなど、商業しょうぎょうてきいとなみもおこなっている。
  12. ^ 大神神社おおみわじんじゃ石上いしがみ神宮じんぐう宗像むなかた大社たいしゃなど。
  13. ^ 熊野くまの那智なち大社たいしゃもとみやであるたき神社じんじゃなど。
  14. ^ いわちかくに社殿しゃでんがあるえつがん神社じんじゃなど。
  15. ^ 一族いちぞく発祥はっしょうや、菅原すがわら道真みちざね場合ばあい遠流おんる太宰府だざいふ)など。
  16. ^ 明治めいじ神宮じんぐう造営ぞうえい候補こうほなど。
  17. ^ 本来ほんらい山頂さんちょうにあった日光にっこう二荒ふたあらさん神社じんじゃなど。

出典しゅってん

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  1. ^ じんじゃ【神社じんじゃ”. 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん (1998ねん10がつ). 2013ねん8がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ じんじゃ【神社じんじゃ”. 大辞林だいじりん だいさんはん (1998ねん10がつ). 2016ねん8がつ28にち閲覧えつらん
  3. ^ https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu_kanrentokei/pdf/h26_chosa.pdf
  4. ^ 続報ぞくほう真相しんそう 改憲かいけんいそ安倍あべ首相しゅしょう応援おうえんする人々ひとびとうつくしい日本にっぽん憲法けんぽう」とは”. 毎日新聞まいにちしんぶん. (2016ねん3がつ18にち). http://mainichi.jp/articles/20160318/dde/012/010/017000c 2016ねん3がつ18にち閲覧えつらん 
  5. ^ 岡田おかだきよし 2011ねん 6ページ
  6. ^ 大阪おおさか神社じんじゃちょう だいろく支部しぶ 東大阪ひがしおおさか参照さんしょう
  7. ^ 岡田おかだ米夫よねお神宮じんぐう神社じんじゃ創建そうけん」5ぺーじ
  8. ^ 小池こいけ, 2015 & p15.
  9. ^ 明治めいじ神宮じんぐう, ウェブサイト & Q&A.
  10. ^ 日本人にっぽんじんならっておきたいおてら神社じんじゃ, 2006 & p211.
  11. ^ 直木なおき孝次郎こうじろうもりしゃみや」(1958ねん)など。
  12. ^ 稲垣いながき栄三えいざ本殿ほんでん形式けいしき起源きげん」(1968ねん)・井上いのうえひろし古代こだい中世ちゅうせい神社じんじゃと{神道しんとう}」(2006ねん)など。
  13. ^ 桜井さくらい敏雄としお神殿しんでんしょ形式けいしきとその特質とくしつ」(1982ねん)・木村きむらいさおこく「ヤシロの基礎きそてき考察こうさつ」(1982-84ねん)など。
  14. ^ 丸山まるやましげる神社じんじゃ建築けんちく形成けいせい過程かていにおけるかんしゃせい意義いぎについて」(1999ねん)・有富ありとみじゅん也「神社じんじゃ社殿しゃでん成立せいりつ律令りつりょう国家こっか」(2009ねん)など。なお、有富ありとみ律令りつりょう国家こっか幣帛へいはく全国ぜんこく神社じんじゃおさめるため、一部いちぶしゃにのみあったかみ同様どうよう施設しせつ全国ぜんこくかんしゃ設置せっちしたとする。
  15. ^ 有富ありとみ、2009ねん論文ろんぶんどう日本にっぽん古代こだい国家こっか支配しはい理念りねん』、東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、2009ねん所収しょしゅう)による。
  16. ^ a b c d e f g 岡田おかだ[2013:290-294]
  17. ^ 宮沢みやざわしゅんよし憲法けんぽう講話こうわ』(だい2はん岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、1967ねん6がつ1にち原著げんちょ1967ねん4がつ20日はつか)、pp. 28-29ぺーじ 
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n 岡田おかだ[2013:291]
  19. ^ 前田まえだ孝和こうわうみわたったお伊勢いせさま 海外かいがい神社じんじゃいま伊勢神宮いせじんぐう崇敬すうけいかい講演こうえんろく15 伊勢神宮いせじんぐう崇敬すうけいかい(2008ねん
  20. ^ 「リノベ」で復活ふっかつする台湾たいわん日本にっぽん神社じんじゃ――歴史れきしのなかの「自分じぶんさがし」が背景はいけい ジャーナリスト・野嶋のじまつよし/Yahoo!ニュース編集へんしゅう
  21. ^ マウイ神社じんじゃ(Maui Jinja Shinto Shrine)存続そんぞくプロジェクト|Facebook”. マウイ神社じんじゃ(Maui Jinja Shinto Shrine)存続そんぞくプロジェクト. 2017ねん3がつ6にち閲覧えつらん
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  27. ^ 『パラナしゅう開拓かいたく神社じんじゃ建立こんりゅうへ=ローランジアに ぶんれん移民いみん100ねんさい事業じぎょう日本にっぽん移民いみん恩人おんじんまつる=5しゅかみ農具のうぐ)も奉納ほうのう”. ニッケイ新聞しんぶん (2003ねん5がつ23にち). 2017ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  28. ^ 神戸こうべみず」4まんほん陸揚りくあげ=パラナしゅうパラナグアこうで=一同いちどうこうそろえ「おいしい」=3まんほんせい式典しきてん”. ニッケイ新聞しんぶん (2008ねん6がつ4にち). 2017ねん3がつ6にち閲覧えつらん
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  31. ^ にちらん親善しんぜん協会きょうかい オランダ山蔭やまかげ神道しんとう斎宮いつきのみや”. にちらん親善しんぜん協会きょうかい オランダ山蔭やまかげ神道しんとう斎宮いつきのみや. 2017ねん3がつ6にち閲覧えつらん
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  33. ^ 和光わこう神社じんじゃ”. 光明院こうみょういんフランス. 2017ねん3がつ6にち閲覧えつらん
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 岡田おかだ米夫よねお神宮じんぐう神社じんじゃ創建そうけん」、松山まつやまのうおっとへん明治維新めいじいしん神道しんとうひゃくねんだい2かん神道しんとう文化ぶんかかい、1966ねん
  • 岡田おかだ荘司しょうじ 笹生さそうまもる 『事典じてん 神社じんじゃ歴史れきしまつり』2013ねん 吉川弘文館よしかわこうぶんかん ISBN 978-4-642-08085-9
  • 岡田おかだきよしつかさちょ新編しんぺん 神社じんじゃ古代こだい学生がくせいしゃ 2011ねん ISBN 978-4-311-20302-2
  • 小池こいけやすし寿ことぶき日本人にっぽんじんならっておきたいただしい家相かそうほん』プレジデントしゃ、2015ねん11月。ISBN 9784833421492 
  • 明治めいじ神宮じんぐう Q&A
  • 歴史れきしなぞさぐかい日本人にっぽんじんならっておきたいおてら神社じんじゃ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 文庫ぶんこ: 221ページ、2006ねん9がつ1にちISBN 978-4309496283 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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