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鐘楼しゅろう

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鐘楼しゅろう(しょうろう、しゅろう)とは、寺院じいん教会きょうかいなどにおいてかね設置せっちするためにもうけられた施設しせつ。ただし、「鐘楼しゅろう」としょうしていても東洋とうようかね西洋せいようかねには様式ようしきちがいがあるほか、建築けんちくがく文献ぶんけんとうでは教会きょうかい建築けんちくのカンパニーレ(かねとう)は鐘楼しゅろうべつたてこうされることもあり様式ようしきてきにはちがいがある[1]

東洋とうよう鐘楼しゅろう[編集へんしゅう]

鐘楼しゅろう(しょうろう、しゅろう)は寺院じいんないにおいて梵鐘ぼんしょうるすためにもうけられた建物たてものをいう[2]釣鐘つりがねどう[2]かねつきどう鐘楼しゅろうどうともう。また、梵鐘ぼんしょうくかねであり撞楼(しゅろう)というをあてることもある[2]

梵鐘ぼんしょうではなく太鼓たいこるした建物たてものろうという[2]。ただし、鐘楼しゅろうろうのすべてがろうづくりというわけではない[2]

中国ちゅうごく[編集へんしゅう]

西安しーあん鐘楼しゅろう

きたたかしからとうだいころには宮殿きゅうでんないろうとも配置はいちされていた。

著名ちょめいなものに西安しーあん鐘楼しゅろうがあり、陝西せんせいしょう西安しーあん城内じょうない中心ちゅうしん東西とうざい南北なんぼく4じょうだいまち交差こうさするところにてられている。あきらはつ1384ねん建造けんぞうされた。当初とうしょ現在げんざいきたこうすみがいこうにあり、ろうならっていたが、1582ねん現在地げんざいち移築いちくされた。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

日本にっぽん奈良なら時代じだい伽藍がらんでは経蔵きょうぞう東西とうざいうようなかたちてられた[2]。しかし平安へいあん時代じだい以降いこうになると伽藍がらんでの配置はいちはさほど厳格げんかくではなくなった[2]

室町むろまち時代ときよになると、山門さんもん一体化いったいかし、かねもんとなった事例じれいもある[3]

かねをつくことは供養くようであるとされ、中宮なかみやてら天寿てんじゅこく曼荼羅まんだら入母屋いりもやづくり鐘楼しゅろうがある。そのなかにはかねるされ、ひと撞木しゅもくでそれをくところがえがかれている。ふるれい法隆寺西ほうりゅうじにしいんのものがある。切妻きりづまづくりこしにはくみこうらんがめぐらされている。のちに、法隆寺東ほうりゅうじひがしいんしん薬師寺やくしじ石山寺いしやまでらのようなはかまこしづくり東大寺とうだいじのもののようなふきはなちのものもあらわれた。

おもかねげることを前提ぜんていとした建物たてもののバランス構造こうぞうとなっていたため、戦時せんじちゅう供出きょうしゅつされた鐘楼しゅろうではおもいしげたとのはなしもある。

著名ちょめい鐘楼しゅろう[編集へんしゅう]

ギャラリー[編集へんしゅう]

西洋せいよう鐘楼しゅろう[編集へんしゅう]

カンパニーレ[編集へんしゅう]

鐘楼しゅろう」のかたりはカンパニーレ(イタリア: campanile)のような教会きょうかい建築けんちくにおいてかね設置せっちするためのとうしてももちいられる[4]独立どくりつしててられた鐘楼しゅろうについては、言語げんごでもおおくイタリアのcampanileのかたりもちいられる。

著名ちょめい鐘楼しゅろう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 建築けんちくだい辞典じてん だい2はん普及ふきゅうばんあきらこくしゃ、1993ねん、801ぺーじ 
  2. ^ a b c d e f g ぜん久夫ひさお建築けんちく基礎きそ知識ちしき光村みつむら推古書院しょいん、1986ねん、54ぺーじ 
  3. ^ 兵庫ひょうごけん佐用さようぐん佐用さようまち平福ひらふくにある真言宗しんごんしゅう寺院じいん光明寺こうみょうじ (佐用さようまち)
  4. ^ 建築けんちくだい辞典じてん だい2はん普及ふきゅうばんあきらこくしゃ、1993ねん、344ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]