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ぎゃくはしら

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳥山とりやま石燕せきえん画図えず百鬼夜行ひゃっきやこう』より「ぎゃくはしら

ぎゃくはしら(さかばしら)またはさかばしら(さかさばしら)は、日本にっぽん木造もくぞう建築けんちくにおける俗信ぞくしんひとつで、木材もくざい建物たてものはしらにするさい本来ほんらいえていた方向ほうこう上下じょうげぎゃくにしてはしらてることを[1]

概要がいよう

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古来こらいよりぎゃくはしらにされたは、夜中よなかになると家鳴やなひとしこすともわれていた[2]。また、家運かうん衰微すいびさせるほか、火災かさいなどのわざわいや不吉ふきつ出来事できごとこすとわれており、きらわれていた[1][2]

妖怪ようかい漫画まんが水木みずきしげるによれば、さかさにされたはしらからは妖怪ようかい出現しゅつげんする、もしくははしら自体じたい妖怪ようかいすともいう[3]

井原いはら西鶴さいかく著書ちょしょ西鶴さいかくとめ』によれば、京都きょうと六角ろっかくどうまえのとあるいえ夫婦ふうふがこのぎゃくはしら怪異かいいなやまされており、いえでは毎晩まいばんのようにはりくずれるようなおとひびくので、ついにはしていったという[4]

また小田原おだわらでは、ある商家しょうかでいわいごと最中さいちゅうに「くびくるしい」とこえこえてきたので、こえあるじさがしたところ、座敷ざしきはしらからこえはっせられており、そのはしらぎゃくはしらであることがかったという[3]

魔除まよけけのぎゃくはしら

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日光にっこう東照宮とうしょうぐう陽明ようめいもんはこのぎゃくはしらがあることでられている。はしらなかの1ほんだけ、彫刻ちょうこく模様もようぎゃくきになっているため、ぎゃくはしらであることがわかる。しかしこれはあやまってぎゃくきにしたわけではなく、「建物たてもの完成かんせい同時どうじ崩壊ほうかいはじまる」という伝承でんしょう逆手さかてにとり、わざとはしら完成かんせい状態じょうたいにすることでわざわいをけるという、わば魔除まよけけのためにぎゃくはしらにしたとされている。また、妖怪ようかい伝承でんしょうぎゃくはしらとはまったことなるものである[2]

鎌倉かまくら時代じだいの「徒然草つれづれぐさ」には、完全かんぜんなものはけっしてくはない、それで内裏だいりつくときも、かならず1かしょつくのこしをする、とある。江戸えど時代じだいには、いえてるときかわらさんまいのこす」とったという[5]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 村上むらかみ健司けんじ編著へんちょ妖怪ようかい事典じてん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2000ねん、169ぺーじ 
  2. ^ a b c 鈴木すずき政雄まさお. “民間みんかん伝承でんしょう 33かん3ごう さかばしらかいさとしおんいんかさ”. 怪異かいい妖怪ようかい伝承でんしょうデータベース. 国際こくさい日本にっぽん文化ぶんか研究けんきゅうセンター. 2008ねん11月18にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 水木みずきしげる『妖鬼 1 関東かんとう北海道ほっかいどう沖縄おきなわへんSoftgarage、2004ねん、55ぺーじISBN 978-4-86133-004-9 
  4. ^ 高田たかだまもる監修かんしゅう しる稲田いなだ篤信あつのぶ田中たなかただしにち へん鳥山とりやま石燕せきえん 画図えず百鬼夜行ひゃっきやこう国書刊行会こくしょかんこうかい、1992ねん、65ぺーじISBN 978-4-336-03386-4 
  5. ^ 高藤たかとうはれしゅんちょ東照宮とうしょうぐうさい発見はっけん日光にっこう東照宮とうしょうぐう社務しゃむしょ、1996ねん増補ぞうほ改訂かいていばん、p50

関連かんれん項目こうもく

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未完みかんよし