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ひのきがわ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひのきがわ葺(東寺とうじ
原皮げんぴ作業さぎょう明通あけどおりてらひのきがわ採取さいしゅ作業さぎょう見学けんがくかいにて[1][2]
葺替ふきかえたばかりの明通あけどおりてら三重みえとう屋根やね

ひのきがわ(ひわだぶき)とは、屋根やね葺手ほうひとつで、ひのき(ひのき)の樹皮じゅひもちいて施工しこうする。 日本にっぽん古来こらい歴史れきしてき手法しゅほうであるが、日本にっぽん国外こくがいにはるいない。文化財ぶんかざいふくむ、ふる建物たてもの屋根やねひのきがわ葺をることができる。 2020ねん伝統でんとう建築けんちく工匠こうしょうわざ木造もくぞう建造けんぞうぶつぐための伝統でんとう技術ぎじゅつ」がユネスコ無形むけい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされ、このなかに「ひのきがわ葺・杮葺」がふくまれている[3]

材料ざいりょう[編集へんしゅう]

樹皮じゅひ採取さいしゅするヒノキは樹齢じゅれい70 - 80ねん以上いじょうみきみち60センチメートル (cm) 以上いじょうのものがよいとされ、そのみち充分じゅうぶんそだったヒノキのからむいたかわ成型せいけいしたひのきがわもちいる[4]樹皮じゅひさいには、甘皮あまかわ樹木じゅもく形成けいせいそう)、きぬがわ甘皮あまかわ樹皮じゅひあいだにあるそう)をきずつけずのこすことで、樹木じゅもく影響えいきょうなく材料ざいりょう入手にゅうしゅする。 樹皮じゅひは8 - 10ねんほどでふたたぎとれるまで回復かいふくするが[4]ふたた採取さいしゅされた樹皮じゅひくろ背皮せがわとよぶ)はよりあつみをすなど、初回しょかい樹皮じゅひあらかわとよぶ)よりも品質ひんしついとされる。樹皮じゅひ採取さいしゅ水分すいぶんりょうおおい4がつ - 7がつけておこなわれる[5]ひのきがわ採取さいしゅするせんもん職人しょくにん原皮げんぴ(もとかわし)とび、ロープでからだ固定こていしながらのぼりヒノキ樹皮じゅひ採取さいしゅする[4]原皮げんぴには高度こうど技量ぎりょうもとめられるが、後継こうけいしゃ不足ふそくにより、その育成いくせい課題かだいとなっている[4]。また採取さいしゅするひのき長年ながねん慣習かんしゅう山主やまぬし好意こういなどにより確保かくほされているにぎず、山主やまぬし代替だいがわりなどを伐採ばっさい原皮げんぴ出入でい差止さしどめなどのうれいがえないとされる[6]

採取さいしゅされたひのきがわひのきがわ葺師によって材料ざいりょうとして加工かこうされるが、この工程こうていを「こしらえ」(こしらえ)と[4]こしらえはひのきがわ葺師の作業さぎょうのおよそ3/4に相当そうとうする。まずふしえだなどをけずってからひのきがわながさ75 cm、はば15 cmほどにととのえてあつみもそろえ、さらに2 - 3まいかさねて、ひのきかわ包丁ぼうちょう先端せんたんとがった部分ぶぶんはたき、上下じょうげかわ打撃だげきませて1まいひのきがわ形成けいせいする[4]ひのきがわは、屋根やねくために使つかひら葺皮、軒先のきさきむね使つかのきづけかわと、使つか場所ばしょによってかたちおおきさがことなる[4]。そのため、使用しようする部位ぶいわせ、すうじゅう種類しゅるいある形状けいじょう成型せいけいする[7]

きかた[編集へんしゅう]

まず屋根やねあつくみせるため、軒先のきさきひのきがわかさねてたかすうじゅう cmののきづけをつくる。葺足(ふきあし・上下じょうげひのきがわをずらす間隔かんかく)は1.2 cmを基本きほんとし、左右さゆうひのきがわを6 mmずつかさねてげる。ひのきがわを5まいかさねたら2 cm程度ていど間隔かんかくたけくぎ屋根やね金槌かなづち使つかって固定こていすることをかえ[8]軒先のきさきのきづけ)は(ちょうな)という道具どうぐうつくしくそろえる[8]。こうしていた屋根やねあつさ10 cm程度ていどになり、30 - 35ねん程度ていど耐用たいよう年数ねんすうがある[9]

歴史れきし[編集へんしゅう]

すめらぎごく天皇てんのう在位ざいい642ねん - 45ねん)のしん宮殿きゅうでんひのきがわ葺とされ、それ以前いぜんだい王宮おうきゅうしょ豪族ごうぞく同様どうようかやであったことからもとされる[10]

668ねんたかしぶくてら廃寺はいじしょどうひのきがわかれていた記録きろく[11]が、最古さいこのものである[4]。しかしながらそれ以前いぜんから技術ぎじゅつとしては存在そんざいしたとおもわれる。当時とうじ技術ぎじゅつたしかではないが現在げんざいのようにたけくぎめずに押縁でうえからさえつけて固定こていし、ざいりょうもずっとすくなく半分はんぶん以下いかであったとかんがえられる[12][13]

飛鳥あすか時代ときよより寺院じいん建築けんちく技術ぎじゅつのひとつとして瓦葺かわらぶき伝来でんらいし、寺院じいん建物たてものおおくは瓦葺かわらぶきがもちいられたが、ひのきがわ葺は付属ふぞくてき建物たてもの屋根やねもちいられた。また、奈良なら時代じだい平安へいあん時代じだいでは公的こうてき建築けんちくぶつ瓦葺かわらぶきだったのにたいし、私的してき建築けんちくぶつではひのきがわ葺がもちいられた。たとえば朝廷ちょうてい公的こうてき儀式ぎしきである大極殿たいきょくでん瓦葺かわらぶきであったが、天皇てんのう私邸していである紫宸殿ししんでん清涼せいりょう殿どのひのきがわ葺である。また平安へいあん時代じだい以降いこう貴族きぞく私邸していである寝殿造しんでんづくりひのきがわ葺である。

伝来でんらい当初とうしょ瓦葺かわらぶきがより格式かくしきたか技法ぎほうであったが、平安へいあん時代じだい以降いこう国風くにぶり文化ぶんか影響えいきょうもあり、ひのきがわ葺が屋根やね葺工ほうなかもっと格式かくしきたか技法ぎほうとなった。平安へいあん時代じだい中期ちゅうき以降いこうは、公的こうてき儀式ぎしき瓦葺かわらぶき大極殿たいきょくでんから、ひのきがわ葺の紫宸殿ししんでん移動いどうしている。

現在げんざいのこ技法ぎほうは、鎌倉かまくら時代ときよ以降いこう原型げんけい成立せいりつしたものとかんがえられている[12]

代表だいひょうてき建築けんちくぶつ[編集へんしゅう]

ひのきがわ葺のおんいんだい方丈ほうじょう
最近さいきん竣工しゅんこうれい和歌山わかやま電鐵でんてつ貴志川線きしがわせん貴志きしえき駅舎えきしゃ

 2010ねん

ひのきがわ関係かんけい職人しょくにんのきき[編集へんしゅう]

  • にち名子なご元雄もとお宮川みやがわ菊治郎きくじろうおもう」『建築けんちくだい18ごう忍冬すいかずらかい(文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい事務じむきょく建造けんぞうぶつ課内かない)、1957ねん、35-39ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:00026324
  • 服部はっとり文雄ふみお「「ひのきがわ葺・杮葺」谷上やがみ伊三郎いさぶろう(たくみ世界せかい)」『月刊げっかん文化財ぶんかざい(文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい保護ほご監修かんしゅう)』だい201ごう第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1980ねん、37-41ぺーじNAID 40001038832 
  • 安井やすいきよしひのきがわ村上むらかみ栄一えいいち小林こばやし金治きんじ」『ききがき 日本にっぽん建築けんちくわざ だい1かん(堂宮どうみや職人しょくにん)』1ごう平凡社へいぼんしゃ、1985ねん、277-305ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:85024788
  • 中沢なかざわ和彦かずひこひのきがわ:いいかわはやっぱり天然てんねんのもの 亀山かめやま栄一えいいちさん」『日本にっぽんもりささえるひとたち』晶文社しょうぶんしゃ、1992ねん、154-166ぺーじ 
  • 署名しょめいなし「かたりべのたくみひのきがわ採取さいしゅ一筋ひとすじに65ねん(うえ):前田まえだ信次しんじさんにく」『文化ぶんかだい41ごう社団しゃだん法人ほうじん全国ぜんこく社寺しゃじとう屋根やね工事こうじ技術ぎじゅつ保存ほぞんかい、1992ねん、2-3ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:00114399
  • 署名しょめいなし「かたりべのたくみひのきがわ採取さいしゅ一筋ひとすじに65ねん(した):前田まえだ信次しんじさんにく」『文化ぶんかだい42ごう社団しゃだん法人ほうじん全国ぜんこく社寺しゃじとう屋根やね工事こうじ技術ぎじゅつ保存ほぞんかい、1993ねん、3-4ぺーじ 
  • 宇江敏勝としかつひのきがわ岐阜ぎふけん七宗ひちそうまち」『もりをゆくたび ひとわざ新宿しんじゅく書房しょぼう、1996ねん、137-141ぺーじISBN 4880082325 
  • 塩野しおのべいまつ伝統でんとうてきひのきがわ葺職じん 谷上やがみくん」『手業てわざまなまき小学館しょうがくかん、1996ねん、190-211ぺーじISBN 4093663548 
  • 署名しょめいなし「ひのきがわ採取さいしゅして45ねん 年輪ねんりんかがやひのきがわ人生じんせい一代記いちだいき大野おおのゆたかさんにく」『文化ぶんかだい53ごう社団しゃだん法人ほうじん全国ぜんこく社寺しゃじとう屋根やね工事こうじ技術ぎじゅつ保存ほぞんかい、1997ねん、2-4ぺーじ 
  • 署名しょめいなし「ひのきがわ採取さいしゅして45ねん 年輪ねんりんかがやひのきがわ人生じんせい一代記いちだいき大野おおのゆたかさんにく(その2)」『文化ぶんかだい54ごう社団しゃだん法人ほうじん全国ぜんこく社寺しゃじとう屋根やね工事こうじ技術ぎじゅつ保存ほぞんかい、1997ねん、4-6ぺーじ 
  • 署名しょめいなし「ひのきがわ採取さいしゅして45ねん 年輪ねんりんかがやひのきがわ人生じんせい一代記いちだいき大野おおのゆたかさんにく(最終さいしゅうかい)」『文化ぶんかだい55ごう社団しゃだん法人ほうじん全国ぜんこく社寺しゃじとう屋根やね工事こうじ技術ぎじゅつ保存ほぞんかい、1997ねん、4-7ぺーじ 
  • せき美穂子みほこ文化財ぶんかざい修理しゅうりささえるひとびと(11)ひのきがわ村上むらかみ栄一えいいち」『じゅう建築けんちくだい451ごう社団しゃだん法人ほうじん全日本ぜんにほん建築けんちくかい、1998ねん、2-9ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:00050744
  • せき美穂子みほこ文化財ぶんかざい修理しゅうりささえるひとびと(20)原皮げんぴ 大野おおのゆたか」『じゅう建築けんちくだい460ごう社団しゃだん法人ほうじん全日本ぜんにほん建築けんちくかい、1998ねん、2-11ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:00050744
  • せき美穂子みほこ日本にっぽん唯一ゆいいつたけくぎ製造せいぞう石塚いしづか商店しょうてん文化財ぶんかざい修理しゅうりささえるひとびと(11))」『じゅう建築けんちくだい451ごう社団しゃだん法人ほうじん全日本ぜんにほん建築けんちくかい、1998ねん、10-11ぺーじ 
  • 原田はらだひのきがわ葺・杮葺」『ぶんけんきょう通信つうしんだい45ごう財団ざいだん法人ほうじん全国ぜんこく文化財ぶんかざい建造けんぞうぶつ保存ほぞん技術ぎじゅつ協会きょうかい、1998ねん、2-17ぺーじ 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:00113315
  • 安藤あんどう邦廣くにひろらずにかす桧皮ひわだわざ 桧皮ひわだ 原皮げんぴ 藤本ふじもと昭一しょういち」『職人しょくにんかたる「わざ」』建築資料研究社けんちくしりょうけんきゅうしゃ建築けんちくライブラリー13〉、2002ねん、45-50ぺーじNCID BA60287247 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 広報こうほうおばま 平成へいせい22ねん11月
  2. ^ 広報こうほうおばま 平成へいせい22ねん12月
  3. ^ 伝統でんとう建築けんちく工匠こうしょうわざ木造もくぞう建造けんぞうぶつぐための伝統でんとう技術ぎじゅつ」のユネスコ無形むけい文化ぶんか遺産いさん登録とうろく代表だいひょう一覧いちらんひょう記載きさい)について”. 文化庁ぶんかちょう (2020ねん12月17にち). 2021ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h 鈴木すずき庸夫みちお高橋たかはしふゆやすのべ尚文なおふみ 2014, p. 254.
  5. ^ 原田はらだ 1999, p. 42-45.
  6. ^ 原田はらだ 1999, p. 69-73.
  7. ^ 原田はらだ 1999, p. 74-78.
  8. ^ a b 鈴木すずき庸夫みちお高橋たかはしふゆやすのべ尚文なおふみ 2014, p. 255.
  9. ^ 原田はらだ 1999, p. 128-155.
  10. ^ 遠山とおやま美都みとおとこ天皇てんのう日本にっぽん起源きげん飛鳥ひちょう大王だいおう」のなぞく』(講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ、2003ねん) p.125.
  11. ^ 扶桑ふそう略記りゃっきだい 天智天皇てんぢてんのうななねん正月しょうがつじゅうななにちじょう国史こくし大系たいけい だい6かん経済けいざい雑誌ざっししゃ、1897ねん、p.520
  12. ^ a b 原田はらだ 1999, p. 16-22.
  13. ^ 原田はらだ 1999, p. 162-171.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 鈴木すずき庸夫みちお高橋たかはしふゆやすのべ尚文なおふみ樹皮じゅひ冬芽とうが四季しきつうじて樹木じゅもく観察かんさつする 431しゅまことぶんどう新光しんこうしゃ〈ネイチャーウォチングガイドブック〉、2014ねん10がつ10日とおかISBN 978-4-416-61438-9 
  • 原田はらだひのきがわ葺と杮葺』学芸がくげい出版しゅっぱんしゃ、1999ねんISBN 4-7615-2222-4 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]