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メタボリズム は、1959年 ねん に黒川 くろかわ 紀章 きしょう や菊竹 きくたけ 清 きよし 訓 くん ら日本 にっぽん の若手 わかて 建築 けんちく 家 か ・都市 とし 計画 けいかく 家 か グループが開始 かいし した建築 けんちく 運動 うんどう 。新陳代謝 しんちんたいしゃ (メタボリズム)からグループの名 な をとり、社会 しゃかい の変化 へんか や人口 じんこう の成長 せいちょう に合 あ わせて有機 ゆうき 的 てき に成長 せいちょう する都市 とし や建築 けんちく を提案 ていあん した。
彼 かれ らの構想 こうそう した将来 しょうらい の都市 とし は、高度 こうど 経済 けいざい 成長 せいちょう という当時 とうじ の日本 にっぽん の人口 じんこう 増加 ぞうか 圧力 あつりょく と都市 とし の急速 きゅうそく な更新 こうしん 、膨張 ぼうちょう に応 こた えるものであった。
彼 かれ らは、従来 じゅうらい の固定 こてい した形態 けいたい や機能 きのう を支 ささ える「機械 きかい の原理 げんり 」はもはや有効 ゆうこう 的 てき でないと考 かんが え、空間 くうかん や機能 きのう が変化 へんか する「生命 せいめい の原理 げんり 」が将来 しょうらい の社会 しゃかい や文化 ぶんか を支 ささ えると信 しん じた[1] 。黒川 くろかわ 紀章 きしょう や菊竹 きくたけ 清 きよし 訓 くん らの都市 とし ・建築 けんちく 計画 けいかく では、無数 むすう の生活 せいかつ 用 よう ユニットが高 たか い塔 とう や海上 かいじょう シリンダーなどの巨大 きょだい 構造 こうぞう 物 ぶつ に差 さ し込 こ まれており、古 ふる い細胞 さいぼう が新 あたら しい細胞 さいぼう に入 い れ替 か わるように、古 ふる くなったり機能 きのう が合 あ わなくなったりした部屋 へや などのユニットをまるごと新 あたら しいユニットと取 と り替 か えることで、社会 しゃかい の成長 せいちょう や変化 へんか に対応 たいおう しこれを促進 そくしん することが構想 こうそう された[要 よう 出典 しゅってん ] 。同様 どうよう のコンセプトであるスケルトン・インフィル住宅 じゅうたく は外装 がいそう はそのままで、古 ふる くなったり機能 きのう が合 あ わなくなった内装 ないそう のみを交換 こうかん する手法 しゅほう はメタボリズムとは呼 よ ばれない。
都市 とし 規模 きぼ の巨大 きょだい 構造 こうぞう 体 たい (メガストラクチャー)を志向 しこう しがちなメタボリズム・グループの作品 さくひん は、しばしば技術 ぎじゅつ 官僚 かんりょう 的 てき と評 ひょう された[要 よう 出典 しゅってん ] 。
メタボリズム・グループの起源 きげん は、1950年代 ねんだい の終 お わり頃 ころ にある。モダニズム建築 けんちく を主導 しゅどう してきたCIAM (Congrès International d'Architecture Moderne・シアム・近代 きんだい 建築 けんちく 国際 こくさい 会議 かいぎ )が1956年 ねん を最後 さいご に開 ひら かれなくなり1959年 ねん に終焉 しゅうえん した頃 ころ 、CIAMの若手 わかて メンバーらによる新 あたら しいグループ・チーム・X が台頭 たいとう し、世界 せかい の若 わか い建築 けんちく 家 か らに影響 えいきょう を与 あた えた。日本 にっぽん の若手 わかて 建築 けんちく 家 か 達 たち も彼 かれ らと交流 こうりゅう し、その影響 えいきょう を受 う けた。
1960年 ねん に、日本 にっぽん で世界 せかい デザイン会議 かいぎ (World Design Conference) が開 ひら かれる予定 よてい になっていたが、この会議 かいぎ のプランニングに関 かか わった建築 けんちく 家 か 達 たち (浅田 あさだ 孝 たかし 、菊竹 きくたけ 清 きよし 訓 くん 、黒川 くろかわ 紀章 きしょう 、大高 おおだか 正人 まさと 、栄 さかえ 久 ひさ 庵 あん 憲司 けんじ 、粟津 あわづ 潔 きよし 、槇 まき 文彦 ふみひこ )と建築 けんちく 評論 ひょうろん 家 か の川添 かわぞえ 登 のぼる は、建築 けんちく の将来 しょうらい について話 はな し合 あ うグループを結成 けっせい した。世界 せかい デザイン会議 かいぎ において、彼 かれ らは最初 さいしょ の宣言 せんげん である『METABOLISM/1960 - 都市 とし への提案 ていあん 』を発表 はっぴょう し、「海上 かいじょう 都市 とし 」「塔 とう 状 じょう 都市 とし 」「新宿 しんじゅく ターミナル再 さい 開発 かいはつ 計画 けいかく 」など成長 せいちょう し、新陳代謝 しんちんたいしゃ する巨 きょ 大都市 だいとし のアイデアを披露 ひろう した。彼 かれ らのアイデアは、将来 しょうらい の社会 しゃかい を具体 ぐたい 的 てき に提案 ていあん しようとしたもので、建築 けんちく のみならず哲学 てつがく など広 ひろ く近代 きんだい 文明 ぶんめい にも言及 げんきゅう するものだった。
これら巨 きょ 大都市 だいとし 計画 けいかく は実現 じつげん しなかったが、個々 ここ のメンバーは建築 けんちく にその思想 しそう を適用 てきよう していった。黒川 くろかわ 紀章 きしょう の中 ちゅう 銀 ぎん カプセルタワービル (1972年 ねん )は、その一 いち 例 れい である。
1970年 ねん の大阪 おおさか 万博 ばんぱく では彼 かれ らは会場 かいじょう 計画 けいかく ・建築 けんちく 計画 けいかく に共同 きょうどう で携 たずさ わった。大阪 おおさか 万博 ばんぱく を最後 さいご に、彼 かれ らの活動 かつどう は分岐 ぶんき していった。
結局 けっきょく 、彼 かれ らが設計 せっけい した建築 けんちく 物 ぶつ はいずれもコンセプト通 どお りに修理 しゅうり されることなく、老朽 ろうきゅう 化 か のためその多 おお くが解体 かいたい された。
^ ポンピドーセンター 黒川 くろかわ 紀章 きしょう 建築 けんちく 都市 とし 設計 せっけい 事務所 じむしょ
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日本 にっぽん 古代 こだい 中 ちゅう 近世 きんせい
屋根 やね 近 きん 現代 げんだい
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